ポラロイド遊戯 4

4.

「藤真」
「ん、なんだよその箱」
 居間に入ってきた牧は、貰いものの菓子かタオルでも入っていたような黒い箱を大切そうに抱えていた。藤真の目線からは、箱の上に熨斗紙が貼ってあるように見える。
「終活箱を作ったんだ。この前テレビでやってただろう」
「……あ?」
 終活。人生の終わりのための活動として、先日テレビで特集していたことは藤真も覚えている。自分が死んだあと、残った家族や子供が困らないように不要なものを処分しておくだのの内容で、『終活箱』には火葬のときに一緒に燃やしてほしいものをまとめておくらしい。〝墓場まで持っていく〟ということだろう。特に番組内容に興味があったわけではなく、ただテレビをつけっ放しにしていて耳に入ってきただけだったのだが──藤真は眉を顰める。ふたりとも若いとは言えない年齢ではあるものの、終活など意識するのはもっと上の年齢層のはずだ。そういえば牧は、少し前に健康診断に行っていなかっただろうか。
「……なにお前、変な病気でも見つかったのかよ?」
「いや? 至って健康だったぞ。内臓は若いし、目も意外と悪くなってなかった」
「じゃあそんなもん必要ねえだろ、なんだよ終活って、くだらねえ」
「ちょうどいいサイズの黒い箱があったから」
「箱基準かよっ!」
 牧の手にある箱をあらためて見ると、熨斗紙と思ったものは、白い紙に牧が筆ペンで『終活箱』と書いて貼ったものだった。それだけなのだが、飾り気のない白黒がいかにも葬式めいて見えて、藤真は険しい顔をする。
「藤真、お前昔よく、いつなにが起こるかわからないって」
「昔はそうだとしても、今はもうなんもねえだろ」
 牧としては生命保険に入ることや、災害時のための保存食を置いておくことと大差ないレベルのつもりだったのだが、藤真はすっかりそっぽを向いてしまった。
「……で、オレにそれを預かっとけって?」
「いや、まだ手もとに置いておきたいから、死ぬ直前までは俺が持ってようと思う」
「じゃあなんで今持ってきたんだよ!?」
「え? いい感じにまとまったなあって……まあ、存在だけ覚えといてくれりゃいい」
「あいよ。多分寝て起きたら忘れてるわ」
「藤真。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「怒ってねーしっ!」

 黒い箱の一番下に隠すように仕舞った、表紙の擦れた小さなアルバム。硬い表紙のしっかりとした装丁のものではなく、写真は貼らずにポケットに収納していくタイプのものだ。
 内容は若気のいたり。限られた逢瀬の時間を生き急ぐように、背伸びした快楽を追求していた、ふたりとも青かったころの思い出だ。書棚のアルバムには決して入れることのできない、これらのポラロイド写真のことを、藤真は果たして覚えているだろうか。
 密かに眺めるばかりで日光になど晒すことのなかった写真は、経過した年月の割には綺麗なものだった。印画面よりも、余白の部分に残った指の型のほうが気になるくらいだ。
 いつの日かこれを見つけた藤真はどんな顔をするだろう──それを考えると楽しくて仕方がないのだから、自分は藤真が信じているほど善人ではないと思う。

ポラロイド遊戯 3

3.

「仰向けに寝てくれ」
「あいよ」
 藤真が彼シャツに下着姿のままベッドに仰向けになると、牧はサイドテーブルの上に置かれた袋から何かを取り出した。ピンクの豹柄のファーでできた、リング状のものが二つ。女性が髪を纏めるシュシュのようにも見える。
「なにそれ」
「手錠だ。ふかふかで痛くないぞ」
 よく見るとファーから金属のパーツが飛び出していて、互いに鎖で繋がっている。手首に当たる部分をファーで覆った手錠だった。
「ダッッセ」
 藤真はわざとらしく顔を顰める。男性用のセクシー下着の話題が出たときは唐突に感じたが、つまりはこういったアイテムを扱う店に買い物に行ったのだろう。今日のために。
「そうか? かわいいじゃないか、ぬいぐるみみたいで」
「お前さぁ、『かわいいといえばピンク』っておっさんの発想らしいぜ?」
「いいだろう別に、俺のための写真に写すんだ」
「そりゃそうだけど……てかお前はこれで萌えるのかよ」
 ぶつぶつ言いながらも抵抗はしない。藤真の両手首は褐色の大きな手に包まれると頭上に纏められ、ベッドのヘッドボードのパイプに手錠で固定されてしまう。牧は満足げに目を細める。
「ああ、よく似合ってる。お遊び感がいいな。嬉し恥ずかしってやつだ。あんまりハードなやつだと女優が気の毒になって抜けなくないか?」
「……健全な十七歳にAVへの意見を求めんなよ」
 実際にハードなものを借りるなりして見たことがあるのだろうか。確かに、牧ならば外見で年齢指定に引っ掛かることはないだろう。
「十七か……まだ十七なのに、こんないけないこと覚えて……」
 眉根を寄せつつ口もとは緩んでいるという複雑な表情を浮かべながら、牧は藤真のシャツのボタンを外していく。シャツの中から少しずつ現われていく白い肌に目を引かれ、欲情を煽られて仕方がない。今初めての感覚でもなかったが、バスケットの練習や試合中にはほとんど意識しない分だけ不思議だった。
「お前だって一緒だろっ!」
「写真じゃなくて、ビデオ回してインタビューから撮りたかったな」
 牧が言わんとすることを、あまりわかりたくないと思いながらも、藤真は会話の流れから察してしまう。
「AVの最初のインタ? あのいらねー時間?」
 インタビューやドキュメンタリー風映像など、出演者の設定などを明らかにしていくパートだ。アダルトビデオは友人から回ってきたものを何度か見たことがあるが、前置きの映像についてはビデオの収録時間に対する嵩増しのようにしか感じなかった。
「いらなくないだろう、お前、いきなりエロシーンだけ見て感情移入できるのか?」
「いやAVに感情移入する必要あるか!?」
「俺は好きになった相手としかセックスしないぞ」
 真顔でそう返されて、黙ってしまった。現実ではそうだとして、アダルトビデオにまで適用するのかという話なのだが、おそらく平行線だろう。
「ああ……いいな……」
 腕を縛り上げられ、シャツの前を開いて胸を露わにした藤真の姿に、牧は感嘆の息を漏らす。窮地といえる状況にありながら、視線はどこか反抗的なのがまた堪らない。
 頬を撫で、背けられた顎を捕まえて、半ば強引にキスをした。噛みつくように、そこから深く穿つように。
「んっむ…ッ」
 長いキスから逃れるように、藤真は強くかぶりを振って顔を横に向けた。
「写真」
「ああ、そうだったな」
 赤く潤んだ唇も、気怠げな視線も──堪らないと何度思えば気が済むのだろう。藤真に促されるようにカメラを手にし、顔のアップか、いや拘束されているとわかるように腕も入れよう、それから肌の覗く胸もとも。素人なりに狙いを定めてシャッターを切った。
 排出された写真をろくに見もせずサイドテーブルに置くと、ベッドの上に膝をつき、藤真の体を跨いで乗り上げる。長い睫毛が影を落とす、色素の薄い瞳がまっすぐこちらを見つめる。表情は読めない。
 喉もとをくすぐり、鼓動を確かめるように胸の中心に置いた手のひらを、ゆっくりと腹部へ下降させていく。白く滑らかな肌の上に褐色の無骨な手が這うさまは、いつ見ても背徳的でそそられるものだったが、あいにく片手でカメラを扱えそうにはなく、撮影することは叶わなかった。
 迷うような、焦れたような手つきで下着を取り去ると、性器は緩慢に頭を擡げはじめた半勃ちの状態だった。そこにじっと注がれていた視線が、再び藤真の顔まで戻る。
「……撮って、いいんだよな?」
 いかにもお伺いを立てるといった様子の牧を、藤真は軽く笑い飛ばす。
「ああ。約束したからな」
 牧はコートの上では強引だが、根は優しく紳士的な、性善説の体現者のような男だ。しかしというか、だからというか、藤真は彼を掻き立てたくなってしまう。頭の上で、チャリ、と手錠を鳴らした。
「なんだっていいぜ。これからなにをされたって、オレはお前に抵抗できないんだ」
 牧の喉が鳴る。体を起こすとカメラを構え、ゆっくりとした動作で写真を二枚撮った。きっと今度は下半身までも写されてしまっただろう、そう思うと無性に興奮した。
(オレって、実は露出狂なんだろうか……)
 片膝を立てて体の外側に傾けると、面白いように牧の視線がそこに向いた。手が太腿に伸びると見ると、動作を咎めるかのように言う。
「手錠だけじゃないんだろ、買ってきたもん」
 そして煽るように笑った。
「ああ、そうだな……」
 物理的な形勢など意味を成さないかのような藤真の調子に、意思を絡め取られる錯覚とともに、ズボンの中で張り詰めた股間が痛いくらいに疼く。今の藤真は少し、試合中の彼と似ているのかもしれなかった。その意のままにと、牧はサイドテーブルの袋に手を伸ばす。
 取り出したものは、ピンク色の卵形のローターだった。プラスチックのつるんとした本体から、細いコードが伸びてコントローラー部分に繋がっている。卑猥な本や映像でよく見かけるタイプのものだ。
「こういうの、使ったことあるか?」
「にゃい」
「俺もない」
「ねえのかよ!」
 牧の様子がいかにも余裕ありげだったものだから、思わず突っ込まずにはいられなかった。
「初体験だ」
 牧はにやりといやらしい笑みを浮かべ、コントローラーのダイヤルを回す。卵形の本体が小刻みに振動し、想像よりずっと大きなモーター音が場を満たした。
(体験するのはオレだけどな)
 いかにも愉しげに頬にローターを撫でつけると、虫が這うかのようにじりじり下降させていき、乳首の先に当てる。
「ふぁっ! ん、んンっ…!」
「藤真、乳首感じるもんな」
 横から、上から、嬉々としてローターを押しつけたり離したりしながら、いじらしく身を捩る藤真の反応を愉しむ。
 薄紅の乳首は白い肌の上で、小さいながらにその存在を強く主張している。誘われるように、牧はもう一方の乳首に厚い唇を寄せた。音を立てて吸われ、舌先と歯を使って執拗にねぶられ転がされると、藤真も堪らず体を跳ねさせる。
「ひゃっ! あっあっ…! ぁんっ…」
 名残惜しい様子でちゅっちゅと何度も乳首に吸いつきながらも、牧は顔を上げた。乳房は大きいほうがセクシーだとずっと思っていたが、平らで敏感な胸というのも愛らしくていいものだ。
 再び肌の上にローターを這わせる。メリハリの少ない平坦な肉体に、愛らしい臍、細い腰。薄い茂みの下で、天を仰いだ性器は先端に淫靡な肉の色を覗かせている。牧は迷わずそこにローターを当てた。
「あ゛ぁっ!!」
 ぴくりと腰が跳ね、その拍子に動いた性器が責めから逃れる形になってしまう。そうはさせまいと、大きな右手の中に亀頭部とローターとを一緒に包むように握り込んだ。
「イっ、あっ、あぁあッ!」
 敏感な先端部に対し、初めは痛いくらいだったローターの振動も、じき体液が滲み出てくると、簡単に快感に変わった。単純かつ機械的に与えられ続ける刺激に、恥ずかしいくらいにびくびくと腰が跳ねてしまう。
 牧は右手をそのままにしながら、左手で藤真の右の太腿を持ち上げ、白い尻肉の間に露わになった窄まりに舌を這わせる。入り口を舌先でなぞり回し、肉輪にキスをするように唇を合わせ、唾液とともに舌を押し込む。
「あぅっ、あっ、やめっ…んぅっ、ううっ…」
 くちづけられた箇所が熱い。高い鼻が股ぐらを撫でている。前への刺激に比べればささやかな感触だったが、あらぬところを舐められているという事実が、藤真の中にまだ残った理性を撹乱し興奮させる。
「あ゛っ、あぁっあ! 出ちゃっ…!」
 自らの意志とは無関係に射精に導かれそうになる危機感からわずかでも逃れるよう、藤真は腰を引いて胸を反らせる。もうじき達しようかというところで、牧は藤真の性器を解放した。
「っふっ…!」
「お前は普通に出すんじゃ満足しないもんな」
 赤い顔をして、潤んだ瞳で睨みつけられたところで痛快でしかない。あらためて脚を持ち上げ腰を抱え、振動するローターを濡れた陰部に当てがう。
「うあっ、ぁ──っ!」
 唾液を垂らして少し押し込むと、それはつるりと内部に吸い込まれてしまった。ローターを含んで口を開けていた肉の輪は徐々に窄まり、やがてほとんど閉じてピンク色の細いコードを垂らすだけになる。
「すごいな、自分から呑み込んでったぞ」
「う、うぅ……」
 恥じらって脚を閉じようとするのを押さえつけ、筋を浮き立たせて反り返る竿に、音を立てて何度もキスをする。脚の間からは、しきりにくぐもった音がしていた。
「そうだ、写真だな」
 行為に夢中になるあまり、本来の目的を忘れるところだった。牧は藤真の膝を立てて脚をM字に開かせると、初めの遠慮など忘れ去ったかのようにカメラを向けた。玩具を呑み込んだ陰部、勃起した性器、その向こうに藤真の顔が覗くようにフレームに収めてシャッターを切る。
(これあれだ、恥ずかしい写真撮られて『誰かに言ったらバラ撒くからな』って脅迫されて泥沼になるやつ……ほんとにあるんだ……)
 不健全な漫画で読んだ覚えのある展開を思いだしながら、しかし藤真は脚を閉じることもなく、されるままになっていた。牧が非道なことをする人間ではないと知っているせいもあるだろうし、それに何より
(ドキドキするんだ)
 到底人には言えない、おそらくあまり普通ではないこと。しかし確かに自分がその中に身を置いているという実感。それは藤真に多大な興奮と愉悦をもたらしていた。
(たぶん学校の誰も、オレがこんなことになってるなんて思わない)
 今日ほどのことでなくとも、牧との夜のデートはいつも──いや、突き詰めれば牧と付き合っていること自体がそうなのだと思う。
(たぶん、だから、お前じゃなきゃいけなかった)
「う、んぅ……」
 気分は高まっていたが、一点に据えられた単調な振動は、藤真の体を悦ばせるには足りなくなっていた。
「まだあるぞ」
 牧は再びサイドテーブルの袋に手を伸ばす。取り出したものは、やはりピンク色の、ぽこぽことした玉が細長く連なった形状のバイブだった。
「…!」
 牧が持ち手部分のスイッチを入れると、シリコン製の上部がうねうねと波打ちながら回転する。いかにも卑猥な形状と動作とに、藤真は息を呑んだ。
「今度はこれを挿れてやるからな」
「っ…!!」
 ローターを含んだままの内部が一瞬でぎゅんと窄まって、思わず達しそうになってしまった。ドクドク心臓が跳ねて、いっそう体が反応しているのが自分でもわかる。羞恥心や抵抗感もあるが、快楽への興味と期待のほうが遥かに上回っていた。
 牧は藤真の股ぐらを覗き込み、ローターのコードを引く。
「すげえ奥まで入ってないか?」
 しっかりと咥え込まれているようで、軽く引いた程度では出てこない。
「お前が挿れたんだろっ」
「勝手に入ったんだ。……取れなくなったらどうする?」
「ぶっころす」
「威勢がいいな。力抜いとけ」
「うぅっ……ぁっ!」
 コードを思いきり引かれると、食いついていた粘膜が引き剥がされ、熱い感触が一気に体外に抜けていった。
「おお、産まれた」
 秘所が一瞬大きく拡がり、卵が産まれるかのようにローターが飛び出したのが面白く、牧はもう一度それを中に戻そうと、ヒクつく入り口に押しつける。
「おいっ、こらっ!」
「ん、やっぱりこっちがいいのか。待ってろ」
 藤真に軽く蹴りを入れられると大人しく引き下がり、物欲しげなそこを露わに上に向けるよう腰を抱え直す。アナル用のローションを注ぎながら、スイッチを入れたバイブを窄まりに押しつけ、その回転で淫肉の門を掘り進めるように挿入していく。
「ふぁっあんっ、あァッ…!」
 小ぶりで愛らしい尻の狭間に、まるで自ら望むかのように、ピンクの球状の隆起をひとつ、またひとつと呑み込んでいく、粘膜の淫猥な収縮から目が離せない。藤真も牧も、もはやそこを排泄器官ではなく性器として認識していた。
「入ったぞ」
「ん、ぅう…」
「写真だな」
 締めつけがきついのか、バイブから手を離すと持ち手の部分がぐりぐりと回転してしまう。滑稽だが、ひどくいやらしくも見えた。牧はそのままの状態を写真に撮り、意地悪いつもりで笑う。
「お前がこんなことになってるなんて、誰も思わないだろうな」
「んぅ、ふっ…」
 藤真は恥じらうように身を捩ったが、少し笑ったようにも見えた。
 バイブを途中まで引き出し、凹凸を咥え込ませた状態も一枚写真に収めておく。シャッターの音に感じたかのように、大きく体が波打った。
「んぅん、あぁっ…」
「いいのか?」
 カメラを置き、藤真の尻から生えてのたうつバイブの持ち手を捕まえて、ゆっくりと押し込んでやる。
「はあっ、あぁっあ♡」
 指では届かない、腹の奥深くをぐるぐると掻き回される、未知の感覚に頭の中まで掻き混ぜられるようだった。
「ぅあっ、アッ、あぁあンッ…!」
 目いっぱいまで挿入され、引き抜かれる、ゆっくりとした抽送の動作のたび、ぽこぽことした表面が内壁を擦る。雄としてのセックスでは知り得なかった、底知れぬ快楽に襲われながら、藤真は堪らず高い声を漏らす。
「っあ、あァっ、やぁっ…♡」
 戯れ合う言葉も捨て、甘えるように悶える藤真は堪らなく愛らしくて愛しい。牧は抜き挿しの動作を早めたり緩めたりしながら、しばしその反応を愉しんだ。
「ふむ……」
 思いだしたように、ローターを手にしてスイッチを入れると性器の根元に当てる。先端から滴り伝った体液が、豊潤にそこを濡らしていた。
「はっ…」
 張り出した裏筋に沿わせるように、徐々にローターを上に──先端部に近づけていく。
「アッ、あ、無理、むっ、あぁァ〜ッ!!」
 初めにしたように雁首にローターを押しつけて握り込み、もう一方の手はバイブをピストンさせる。藤真は悲鳴に近い声を上げ、思いきり仰け反った。手錠を繋いだベッドのフレームから、ガチガチと鋭い金属音がする。
「ひゃあっんっ! それ、はぁっ…♡ アッ、んあ゛ぁッ♡」
 世界が裏返る。セックスとはどういうことだろう。男とはなんなのだろう。体の外側と内側の敏感なところを同時に弄り回され続け、体が、頭がおかしくなりそうだった。
「ア──ッ……!」
 達した、と思った。しかしそれは訪れていなかった。
 性器は絶頂寸前でローターの責めから解放され、体内を掻き回していたバイブもスイッチを切られ、抜き取られてしまう。
「う、んっ…、まき……?」
 快楽の余韻に震える体を持て余す、藤真の蕩ける視界の中で、牧は手早く服を脱ぎ捨てた。腰に聳える立派な男根を認めると、皮膚から一気に汗が噴出し、体の奥がきゅうと切なく疼く。
 急くような手つきでローションを撫でつけられ、ぬらりと貪欲な光を帯びた肉棒が、もの寂しそうにしていた下の口に押しつけられる。
「あっ♡ あ゛ぁッ!」
 執拗に弄ばれ、充分にほぐれていたつもりだったが、そこに挿入するために作られた玩具と、牧の男性の質量とはまったく異なるものだった。
(来るっ…!)
 粘膜の狭間を拡げながら押し込まれる感触に、内臓を押し上げられる苦しさとともに、えも言われぬ興奮が沸き起こる。傲慢に内奥へ進む怒張に敏感な箇所を擦られ、藤真は歓喜に仰け反った。
「んひぃっ…♡」
「なんだ、いいのか?」
 熱くうねり吸いつく感触に、牧はすっかり藤真に求められている気になって、容赦なく腰を動かす。肌のぶつかる音は、ねっとりとした粘性を帯びていた。
「っは、あぁっ、んうぅっ…!」
 牧の本能を集約した、がちがちの巨根が的確に前立腺を突いてくる。藤真が音を上げるのはすぐだった。
「ふぁっ、あぁっ、ひあぁあぁッ…!!」
 高く細い声を上げ、白い体がベッドの上に弓形に反る。いじらしく天を仰ぐ性器が大きく震え、小さな口からビュッと少量の白濁を噴き出す。牧の突き上げる動作に押し出されるように、藤真は何度か断続的に射精した。
「いあぁっ、あ……」
 出るものがなくなっても達しきった感覚は訪れず、ただ自らの内に埋まった男の感触が愛しくて堪らない。
「まだいけるだろう?」
 奥を撫でるように腰を押しつけると、藤真が何か言いたげに唇を動かした。
「ん……」
「ん?」
「写真。撮って、オレにもちょうだい」
「ああ……」
 牧は深くため息をつき、微かに苦味を帯びて笑むと、体を繋げたまま、精液に汚れた藤真の姿、密着するふたりの腹部、少し体を引いてあられもない結合部などを写真に収める。元は牧が希望した写真撮影だったが、もはや行為のほうが魅力的で、藤真に焦らされているかのような心地だった。一方の藤真は機嫌よさそうに目を細めている。
「もういいか?」
「いいよ」
 なぜか藤真の許しを得てからカメラをサイドテーブルに置くと、両の腕で細い腰を抱え、抽送の動作を再開した。
「はぁっ、あぁんっ…」
 しかし牧はさほど経たないうちに動きを止めてしまう。無言のまま、藤真の手首を拘束する手錠を外した。
「ん、なんで?」
「いいじゃないか、もう充分だ」
 玩具で遊んでいたときは確かに楽しかったのだが、藤真の自由を奪った状態でのセックスは一方的すぎると感じてしまった。できるだけ卑猥な写真を撮りたくてアダルトビデオの真似ごとを思いついただけで、牧は本来嗜虐的な性向は持ち合わせていないのだ。
「じゃあ、今度はオレが撮ってやろっか」
 サイドテーブルに伸びた藤真の手は、カメラに届く前に牧の大きな手のひらに捕らえられ、逞しい首の後ろに巻きつけられてしまった。もう一方の手も同様だ。
「っふ……」
 思わず笑ってしまいながら、牧の首にぎゅうとしがみつく。「ああ……」と牧が小さく呻いた。
 繋げた局部だけではない、密着させた肌全体で相手の体温を感じると、駆り立てる興奮だけではない、熱く心地よい波に包まれるようだった。
 目眩がする。
 玩具を使った行為は過激で不道徳的で愉しいものだった。しかしこうして他人の肉や温度や体液、あるいは呼気に身を浸しているほうが、いっそう業が深いような気もする。

 事後、藤真はベッドの中で気怠げに天井を眺め、牧は体を起こしてサイドテーブルの上の写真の束をぼんやりと見ていた。
 藤真は牧の広い背中にしなだれるように抱きつき、猫撫で声を上げる。
「なーあ?」
「ん、な、なんだ?」
 行為を終えてすぐのタイミングで藤真から甘えてくるのは珍しいことだった。牧はつい身構えてしまう。
「お前、近いうちに変な死にかたすんなよ」
「な、なんだそりゃあ?」
 牧は狼狽えた。藤真の言っている意味がわからない。今日のことについて実は怒っていて、これは遠回しな殺害予告なのだろうか。
「お前がなんかで死んで家宅捜索されたとき、その写真が出てきたらオレがやべーじゃん」
「ああ……まあ、当分死ぬ予定はないから大丈夫だと思うが……すげえことを心配するんだな」
 心配してもらえているのなら喜ぶべきなのだろうか。藤真は少し気難しいところがあるとは思っていたが、こう突飛なことを言いだすタイプだとは思わなかった。
「でさ、将来お前がオレにむかつくことがあったら、その写真で脅迫とかするといい」
 牧が顧みた、藤真はにこやかに笑っていた。作り笑いだろう。しかし発言の意図はわからない。牧は眉を顰めた。
「そんなことしない」
「お前はいつまでもオレより上だからって?」
「そうは言ってない。ただ、脅迫なんてするわけない。そういうつもりで写真が欲しかったわけじゃない」
「どうかな……」
 不思議そうな牧の顔から目を逸らし、藤真は広い背中に頭を擦りつけるように寄り掛かった。
「信じられないか?」
 藤真は沈黙したのち、言葉を、自らの意図をも探すようにゆっくりと唇を動かす。
「別に、信じたいなんて思ってない……と、思う」
「なんだって?」
「例えばもしかしてお前が悪人だとしたって、オレは構わないんだ」
 おそらくそんなことはないのだろうけれど、と感情が言葉を否定する。しかし事実として、藤真はまだ牧のことをそれほど知らない。ふたりが一緒にいた時間など、互いのチームメイトとは比べるまでもなく短い。
 牧は体ごと藤真のほうを向いて訝しげな顔をした。藤真はそれを受け流すように、曖昧な微笑に似た表情をする。
「性格いいヤツだなって思ったくらいで、男とセックスなんてするかよ」
「じゃあ、なんで」
「ドキドキしたから」
 そう言って、はにかむように笑った表情がひどく幼く愛しくて、唇をついばむようにキスをしていた。
「ああ……」
 興味を抱き、親しくなったきっかけも理由もいくらでも探せるが、あの日、あのとき、ふたりを突き動かしたものは、それだけだったのかもしれない。

ポラロイド遊戯 2

2.

 ひと月後。
 牧の部屋を訪れた藤真は、長方形の包みを差し出されていた。清楚な白いリボンが印象的だ。
「気に入ってもらえるといいんだが……」
 期待と不安の入り混じった、幼いとも感じられる表情は、コートの上の牧からはあまり想像されないものだった。〝特別〟を向けられている実感に、藤真は満足げに微笑を作る。
(やっぱ牧っておもしろ)
 ホワイトデーのお返しが気に入れば卑猥な写真を撮らせてやると、先月約束したことはもちろん覚えている。しかしそのために牧がはりきっているのかと思うと、馬鹿にするつもりではないのだが、どうにも笑えてしまう。
「サンキュ。開けていい?」
「ああ、もちろんだ」
 ダイニングテーブルの上に包みを置くと、ポラロイドカメラが視界に入ったが、あえて無視してリボンと包装紙を取り去った。中から現れた、フランス語らしき外国語の書かれた箱は、質感といいデザインといい、シンプルながらそこはかとなく上品で洒落た雰囲気だ。
(なんとなく、お高そうな……)
 蓋と薄紙を開くと、中には個包装された綺麗なパステルカラーが並んでいた。ピンク、薄紫、黄色、黄緑、茶色、とりどりだ。
(石鹸? じゃねえか、さすがに)
 よく見ると、二つの円形の生地の間にクリームのようなものが挟まっている。
(カラフルなモナカ的な?)
「ホワイトデーのお返しって、意味が設定されてるだろう。マカロンは『特別に大切な人へ』だそうだ」
「マカロン」
 聞いたことはあるような気がしたが、マカロニやマロニーと頭の中で混ざっているだけかもしれない。とりあえず藤真には馴染みのないものだった。
「またえらいオシャレなもんを……」
「嫌いだったか?」
 藤真は大袈裟なくらいに首を横に振った。好き嫌いという話ではない。記憶のうちではおそらく食べたことがないのだ。
(上流階級のお菓子かな……なんとなくネーミングもそんな感じするし)
「食っていい?」
「ああ、もちろん」
 見た目からチョコ味が想像できる茶色を食べてみることにする。小さなリボンのついた個装からマカロンを取り出して、ひとくち齧った。サクッと軽い外側の歯触りから、次にしっとり、もっちりとした予想外の感触が訪れる。新食感だった。同時に、アーモンドの風味とチョコレートの深い甘みが口腔内に広がる。藤真は目を瞠った。
「なにこれうまっ!」
 綺麗ではあるが、パステルカラーが作りもののように見えてしまい、正直なところあまり美味しそうには見えなかったのだ。
「チョコ味のマカロンだな」
「うまい」
 石鹸などと思ってしまったことを心の中で反省しながら、素材の味を意識しつつ咀嚼する。味への細かいこだわりはないほうだと思っているが、うまいものはうまい。
「気に入ったならよかった。……食ってるとこ撮ってもいいか?」
「おう。んじゃもう一個持っとくか」
 藤真はピンク色のマカロンを取り出す。牧がポラロイドカメラを向けると、食べかけのチョコ味を口もとに、もう一つを頬の横に持っていき、愛らしく上目気味のカメラ目線を決めた。
「ッ……!」
 あまりに完璧にフレームに収まったその姿に、牧は衝撃的な気分でシャッターを押した。じき、ジーと音を立てながら、カメラの前面下部からゆっくりと写真が排出される。
「おー、出た出た」
 藤真は仕上がりを待ちきれない様子で、徐々に鮮明になる印画面を凝視している。
「……藤真お前、えらい写真慣れしてるんだな」
「え、なんで? 知らなかった?」
 確かに先月貰ったポラロイド写真も粒揃いだったが、カメラ越しに一瞬で被写体モードになるさまを目の当たりにして感心してしまった。
「いや、なんだろうな……たまに雑誌に載ってる写真と違うっつうか」
「バスケ雑誌で愛想振り撒くなんて、ただの勘違い野郎じゃん」
「そういうもんか……」
 プロとかアイドルとかいう言葉が頭に浮かんだが、怒られそうなので口には出さなかった。藤真はチョコ味のマカロンを齧りながら、牧の前に箱を押し出す。
「なあこれめちゃうまいぜ。お前も食えよ」
「お前へのお返しじゃないか、俺はいい」
「遠慮すんなって」
「それじゃあ少し貰うか」
 牧は立ち上がり藤真の前で身を屈めると、ちゅっと音を立てて唇を吸った。
「むっ……!」
「ああ、うまいな」
 そう言ってにやりと笑う。
(イタリア人かよ)
 イタリア人の知り合いがいるわけではない。単なるイメージだ。
「……なあ、これって流行ってるのか?」
「どうだろうな。特に流行りって話は聞かないが」
「じゃあきっとそのうち流行るな。流行先取りだ」
 今度はピンクのマカロンを齧る。駄菓子によくあるような香料の味ではなく、しっかりと苺の味がした。
「牧って、女子にモテそうだよな」
「なんだ、いきなり」
「いや、なんとなく」
 そうは言ったが、なんとなくでもなかった。藤真はパステルカラーに浮かれる趣味ではないものの、プレゼントとして牧が考えて選んだものであろうことはわかる。気遣いを感じれば嬉しいものだし、かわいいものが好きな女子などはもっと素直に喜ぶだろうと想像できた。
「藤真みたいにキャーキャー騒がれたことはないぞ」
「ああ、そういうんじゃなくて……」
 モテるという言葉は少し違ったかもしれない。その後のケアというのだろうか。甲斐性というものかもしれない。
「相手のこと考えてるって感じがする」
 牧は不思議そうに目を瞬く。
「つまり、お返しを気に入ってくれたってことか?」
「え? ああ、うん、そうだな」
「そうか、それならよかった……!!」
 牧が本当に嬉しそうに笑ったので、藤真も釣られて笑ってしまった。感心したせいで遠回しな言いかたになってしまったが、マカロンは文句なく美味しかったし、そして一つ賢くもなった。家に持ち帰ったら姉や母親に見せびらかしたいくらいだったが、今日はバレンタインデーではなくホワイトデーだ、やめておいたほうがいいかもしれない。
「じゃあ約束の……」
「エロ写真だろ、いいぜ」
「よし、ちょっと待っててくれ」
 太腿の横に下げられた牧の拳が密かにガッツポーズをしたことに、藤真は気づいてほくそ笑む。一旦部屋に引っ込んで、白いシャツを持って戻ってきた牧を、ダイニングテーブルの椅子に掛けたまま、にやにやと見上げた。
「なんだ?」
「いや、残念な男だなーと思って」
「なんだと!?」
「だって、(バスケができて、金持ってて、性格よくて、女にも気を遣えそうな感じなのに)ホモだなんて」
「俺はお前が好きなだけでホモのつもりはないし、ホモだとしたって別に残念ではないだろう」
「いやぁ、女側からしたら損失じゃね?」
 自分で言っておきながら、なぜ女の立場で考えているのかはよくわからなかった。
「そっくりそのまま返す。ともかく、これに着替えてくれ」
 渡されたものは、男もののワイシャツ一枚のみだ。
「着替えろっていうか、脱げっていうか?」
 意図を察してしまうあたり、染まってきているのかもしれない。そもそもの目的がそういう写真だ、卑猥な設定など望むところである。藤真は上を全て脱ぎ、ワイシャツの袖に素肌の腕を通す。
「これお前の? サイズでかくねえ?」
「俺のだが。袖の長さで合わそうとすると動いたときに窮屈になるんで、少し長いのかもしれないな」
「あー、お前、体厚いもんな」
 肩幅も、横から見たときの厚みも安定感もある。牧の姿をじろじろと眺めながら、上背はあるが牧と比べるとずっと細い印象の花形の体躯を思いだしていた。
「これ前は……閉めるんだよな。胸もとはちょい開けて」
「ああ……いいな……」
 オーバーサイズのシャツをラフに着て、ズボンを脱いで脚を露わにする。いわゆる〝彼シャツ〟である。牧がすでに少し前のめりなのが面白い。
「パンツは穿いといたほうよさげだな。女ならいけたかもしれねーけど」
 シャツは大きいとはいえ、漫画で見かけた彼シャツの女子ほど大袈裟なサイズ感ではない。男性である都合、シャツの裾から体の一部が覗いてしまうのは、セクシーというより笑いの要素のように思えた。
「せっかくだから下着も見てみたんだが、男もんのエロ下着ってなんかアレでな……」
 何がせっかくなのかとは思ったが、それより『なんかアレ』のほうが気になってしまった。
「アレって?」
「なんつうか、えぐいというかギャグっぽいというか……」
「ブーメランパンツとか、Tバックとか?」
 あまり考えたことはなかったが、とりあえず思いついたものを言ってみる。
「いや、もっとすごかった。メッシュ素材だったり、竿カバーみたいだったり、紐だったり……俺はまだそこまではいけない」
 ありありと目に浮かぶ、というわけではなかったが、少し聞いただけでも着用してみたいとは思えなかった。
「おう、いかなくていいと思うぜ……女だったらレースとかになるんだろうけど、男はやりようがねえよな」
「今回のテーマは別に女装じゃないしな」
「なんだよ今回って」
「まあ、気にしないでくれ。……うん、シンプルイズベストだな。まず一枚撮ろう」
 牧は藤真の彼シャツ姿をあらためて眺めると深く頷き、カメラを手にして距離を取った。
「一枚って? 立ったまま?」
「ああ、とりあえず全身が一枚ほしい」
「ポーズは?」
「自然体で」
(彼シャツの自然体とか習ってねーわ)
 とは思いつつ、それとなく視線を横にそらして物憂げに立ち尽くしてみる。
「おー、いいな、北欧のモデルみたいだ」
(まじかよ)
 牧は不慣れな手つきでカメラを構え、シャッターを押す。焦らすかのような間を置いて、出てきた写真を見ると、満足げに頷いた。
「ああ、すごくいい感じだ。じゃあ次、キッチンに向かって立とうか」
「はいよ、カントク」
 牧の口調が微妙におじさん化していることには触れず、藤真は少し移動してキッチンのシンクの前に立った。
「それからこれを持って」
 牧が冷蔵庫から取り出して渡してきたものは、ナスとキュウリだった。仕様もない意図が透けすぎていて、藤真は呆れた笑いを浮かべながら、それを二本並べて調理台の上に置く。
「包丁でちょん切ればいい?」
「恐ろしいことを言うんじゃない。こう、今日はどっちかなみたいな、悩ましげな感じで……」
 牧は手指で何かを握るような、扱くような動作をする。
「くっだらねぇ〜。お前、そういうのが好きなんだ?」
「定番じゃないか? それに、想像が膨らむシチュエーションは好きだ」
「想像ねえ」
 そもそも、彼シャツ一枚でナスとキュウリを持ってキッチン台に向かうというのはどういうシチュエーションなのか。牧の想像力には、この状況の不自然さが気にならないのだろうか。
「想像……」
 藤真はナスとキュウリを片手ずつに握り、眉を顰める。
「これ、紫と緑なの狙った?」
「ん? いや、そういうつもりじゃなかったが、言われてみればそうだな」
 紫のナスと緑のキュウリ。色味はだいぶ濃いが、海南と翔陽のイメージカラーだ。手の中に握り込んだものを、藤真は目を据わらせて凝視する。
「つまりこれは……牧VS花形……」
「なにがVSなんだ!? お前、まさか花形とそういう!」
「はあ? 気持ち悪りぃこと言うなよ」
 少し前ならば牧に対しても同じ反応だっただろうが、あまり考えないことにしておく。
「でも実際花形のは長いぜ」
「見たことあるのか?」
「こっちだって泊まり合宿とかあるからな。初めてのとき、思わず三度見した」
「……」
 つまり、翔陽の部員たちはみな藤真と寝泊まりして、おそらく一緒に風呂に入ったこともある。これまで考えもしなかった。彼らは藤真を崇拝している。きっと裸も寝起きの顔も、役得とばかりに目に焼きつけていただろう。自分の知らないところでそんなことが起こっていたとは──想像したら悲しくなってきた。
「キュウリはやめよう。ナスだな、藤真、お前にはナスが似合う」
「ナス似合うって、褒めてなくねえ?」
「ほら、写真撮るぞ。ナス握って」
「へーい」
 やる気がなさそうに返事をしたものの、モデルを務めるのは約束だ。両手で握ったナスの先端を口のそばまで持っていき、熱を込めて見つめる。
「そう! いい!」
(やっぱり残念なやつ……)
 握った手からナスを長く飛び出させてみたり、頬に寄せてカメラに視線を遣ったり、唇を沿わせてみたり。牧が満足するまで〝藤真とナス〟の撮影会は続いた。
「よぉーし、よし、いい画が撮れた。じゃあ次はベッドに行こうか!」
 大して広い部屋でもなかろうに、大袈裟な手振りで移動を促す牧に笑ってしまいながら、藤真は素直にベッドの前に歩く。

ポラロイド遊戯 1

1.

 四角く囲んで閉じ込めた、笑顔の輪郭は僅かにぶれて、白ずんだ空は黄ばんでいた。
 烟る睫毛の視線の先、写真の向こうには彼の私的な時間があるのだろう。
 それはおそらく彼らしか知ることのない、非日常的な。

「藤真、あのな、頼みがあるんだ」
 いかにもあらたまった調子の牧に、藤真も自然と居住まいを正す。
「なんだよ?」
「怒らないで聞いてほしい」
「もったいつけないで言え」
「なんかもう怒ってないか?」
「めんどくせーこと言ってるとほんとに怒るぞ」
 藤真に気圧されるように、牧はおずおずと口を開く。
「……バレンタインチョコが欲しい」
 照れくさそうに言って視線を逸らした相手を、藤真はぽかんとして見つめた。
「そんなこと?」
 ふたりは少し前から付き合っていて、体も繋いだ関係だ。牧は初めから積極的だったし、そういう状況になってしまえば迷いも見せなかった。それがバレンタインチョコを要望することには妙に躊躇しているというのが、藤真にはどうにも不思議に感じられた。それに──
「そんなの、言われなくたって用意するつもりだったけど」
「本当なのか!?」
 さも驚いた様子の牧に、藤真は訝しげに眉根を寄せて目を細める。
「オレって、そんな甲斐性なさそうに見えるのか?」
「そういうわけじゃないんだが。バレンタインって、女子から男子に贈る日だろう」
「……ああ?」
 藤真は特に疑問を抱いていなかったのだが、言われてみればそうだ。
「んまあ、だってヤってるときのポジがそうだから、そういうもんかなっていうか」
 自分の中での性別の自覚は男だが、事実として牧との行為のときの位置というか役割は女側だ。女顔と言われるのは嬉しいことではないが、全否定する気にならない程度に自覚もある。
「そうなのか。お前が嫌じゃないんならよかった」
 牧は安心したように口もとを緩めた。気を遣っていたのだろう。女扱いするなだのと牧に話したことはなかったと記憶しているが、どこかから何か耳に入ったのかもしれない。
「なんだろ、お前がオレを悪い意味で女扱いとかしないのはわかってるから、あんま気にしなくて大丈夫だぜ。たぶんその辺気にしてるくらいなら、まず告られたときに殴ってるし」

「ハッピーバレンタイン!」
 目の前に差し出された小さな手提げの紙袋を、牧は相好を崩しながら受け取った。
「おお、待ってたぞ、ありがとう……! 手作りかな?」
「んなわけねーじゃん、今インフル流行ってんのに手作りとか危ねえ」
「チョコからインフルエンザはうつらないだろう」
「わかんねーよ? ともかく店のやつなら安心、安全!」
 白い紙袋の中から、鮮やかな水彩で風景の描かれた外国製のチョコのパッケージが現れる。
「綺麗だな」
「チョコのブランドとか全然わかんねーけど、とりあえず外国のチョコって美味いじゃん?」
 そう思ってデパートのブランドチョコの売り場に行ったのだ。当然女性ばかりだったが、同年代の女子の群がる若者向けの店よりは気分的にだいぶましに思えた。牧はプレゼントの値段など気にしないかもしれないが、多少の意地もなくはなかった。
 箱の中には、ひとくちサイズのチョコが仕切られて並んでいた。花、葉っぱ、鮮やかな赤いハート、チョコ二個分はありそうなミツバチなど、目にも楽しい。
「藤真……! かわいいな、ハチさん……!」
 縞模様の体にローストアーモンドの羽根をつけて、愛嬌のある顔で見上げてくる赤い鼻のミツバチと見つめ合い、牧は感極まったように言った。
「おう、かわいいだろ。ハチさんはハチミツ味だ。試食したら美味かったからそれにした」
 加えて、牧は可愛らしいものが好きな気がして選んだのだが、どうやら正解だったようだ。自分の思惑通りにことが進むのが何より嬉しい藤真は、満足げにうんうん頷く。
「こっちはハチの巣かな」
 牧はしげしげとチョコを眺めていたが、じきに箱を閉じてしまった。
「食わないのかよ?」
「藤真が選んでくれたチョコだ。もったいなくて食べられない」
「食え!」
「日々少しずつ食べる」
「……まあ、そう簡単に腐らないと思うけど、早めに食えよ……」
 牧が喜びそうなところで手作りも考えたのだが、味と、やはり衛生面が気になってやめた。買ったものでこの調子ならば、正しい判断だったと思う。
「売り場のおねえさん、『最近は友チョコ流行ってますもんね〜』って言いながら絶対頭ン中でホモチョコって思ってたぜ」
「なんだ、感じ悪い人だったのか?」
「ううん? すごくにこやかだったぜ、女はホモに優しいからな」
 優しくされるうえ無用に言い寄られることもないと考えれば、決して悪くはなかった。今のような立場でなければ、もう少しオープンにしていたかもしれない。
「そうだ、チョコだけだとつまんないと思って、これ」
 藤真は洋形の白い封筒を差し出す。
「おっ、ラブレターか?」
 箱の隙間からチョコのにおいを嗅いで深呼吸していた牧は、目を輝かせてそれを受け取った。手紙にしては重い。取ってつけたようなハートのシールにまんまとときめきながら封を開けると、中から何枚かのポラロイド写真が出てきた。
「こ、これは……!」
 写っているのはいずれも藤真ひとりだけで、制服や私服、部屋着でくつろぎながらこちらに意味ありげな視線を向け、あるいはセクシーに微笑している。
「焼き増しできないから綺麗に使えよ」
 そして写真の外の藤真もまた、思わせぶりに艶やかに微笑む。ファンの女子が聞けば幻滅するであろう、いわゆる下ネタ会話もいくらでもしてきた仲だ。藤真の態度と言葉から、その言わんとするところを想像するのは簡単なことだった。
「使……あ、あぁ、そうだな、助かる。ありがとう……!」
 牧はにやけて歪みそうになる唇を必死で平静の形に保ち、コクコク頷く。藤真は猫のように瞳を細めた。
「どれがいい? 写真」
「ん? どれもいいが……」
「やっぱこのベッドにいるやつ?」
「そうだな……だがあえてこっちの、制服で勉強してる姿で抜くっていうのもまた……いや、抜くとは言ってないぞ」
 慌ててぶんぶん首を振る牧を、藤真は腹を抱えて笑った。
「なんだよその無意味な嘘は。……ほんとはもっとあからさまにエロいの撮りたかったんだけど、自分で撮るの意外と難しくて無理でさ」
「よく撮れてるぞ?」
「それは花形に撮ってもらったからな」
「うっ、そ、そうなのか……」
 あまり聞きたくなかったが、聞かなければそれはそれで撮影者のことが気になったのかもしれない。牧は苦しげに呻き俯いたものの、すぐに弾かれたように顔を上げた。
「そうだ、じゃあ俺が撮ってやろうか」
「それはオレになんの得があるんだよ」
「ドキドキするじゃないか」
 しょうもないことを、迷いも惑いもなく言ってのけるところには少しだけ感心してしまう。藤真は迷う素振りをしてから頷いた。
「……それじゃあ、ホワイトデーのお返しが気に入ったら撮らせてやろうかな」
「本当か! よし、めちゃくちゃ気合い入れるぞ!! カメラもこっちで用意しておくからな!」
「えっ、あ、いや、あんまり大袈裟だったり高級すぎたら引くからな! オレに丁度いいくらいのやつにしろよ、てか普通にお菓子類でいいから!」
 なんとなく突っ込んではいないのだが、牧の実家は裕福なようで、一緒にいて育ちや金銭感覚の違いを感じることもままあった。下手に煽ると高額なプレゼントを用意しかねない。
(別にうち貧乏じゃないはずだけど、オレってなんか小市民だなって、牧といると思う……)
「難しいことを言うんだな。……いや、気持ちが大事だもんな。わかった、よさそうなもん探しておく」
 それはそれとして、と牧は藤真の肩を抱き、戯れるように鼻先をすり寄せると、柔らかな唇を味わった。チョコはデザートだ。まずはメインディッシュをいただこう。