サイドエフェクト

R18。同人誌「フィジカル・マジカル」のおまけQRの話(初期案主喜多)。本編を読まれている前提の話になります。 [ 14,420文字/2017-07-16 ]

1.

 夜の街を往く、少年の名は保篠了(ほしの りょう)といった。
 普段は視界を遮る癖毛を後ろに撫で付け、ネコ科の肉食獣のような挑戦的な瞳を露わにして、シャツの襟を立てて──彼なりの〝戦闘モード〟で肩を揺らして歩く。
 準備はできている。どこからでも掛かってきてくれて構わない。
 そんな彼の心の声が聞こえでもしたのか、ジャケットの分厚い肩を背後から摑まえるものがあった。
「なぁ君、東京に生き別れの双子がおるやろ!?」
 思わず振り返り、唐突すぎる文句を聞きながら相手の姿を凝視する。
「エエー……」
 きらきらと期待に満ちた視線をこちらに寄越すのは、ミルクティー色の長髪の左サイドだけを三つ編みにして身体の前に流した、美しい、長身の、男だった。
 単にイケメンとも言い難いような浮世離れした容貌にも彼の言葉にも、突っ込みどころが多すぎて即座に突っ込めなかった。
「なんや、スピリチュアルなナンパやな……ちゅうか男やん!」
 確かに、店に着くまでに逆ナンの一つや二つはされる覚悟でいた。了の戦闘モードとは、つまりそういった目的のものだ。ただし相手は女子に限る。
「あーっとわかった、宗教の勧誘とか? あ、個室に連れてって絵を売る詐欺?」
 にしたって誰得やねん、普通ここはグラマラスな美女やろ、女相手にしたってもっとわかりやすいイケメンにするべきやろ? とひとりごちる。
「絵ぇ!?」
「な、なんやねん」
 青年か少年か、年齢不詳の男はにこりと笑って朗らかな口調で言った。
「僕の双子の弟な、画家やねん。いやーやっぱ運命感じるわ」
「は? ええと、絵を売る詐欺でビンゴ?」
「ちゃう! (あいつはともかく)僕は詐欺なんてせんし! ほらこれ見てみ」
 顔に押し付けるように見せられたスマホの画像には、奇妙なほどに見覚えのある人物が写っていた。
「えっこれ俺やん! ちゃう俺やない!」
 日中、了が前髪を下ろしているときの姿にそっくりな男。その隣には今目の前にいる三つ編みの男とよく似た人物が写っている。こちらは黒髪のショートだ。
「これ、僕の双子の弟。僕に似てかわいいやろ?」
 髪型が違うために印象は変わるが、確かに顔──だけでなく細身な体型までよく似ている。「よくいる雰囲気美形」ではない整った顔立ちだ。
「んでこのインケンそうなやつが弟の彼氏。君は弟の彼氏の双子の兄やろ?」
「ちゃうけどインケン言うたるなや」
 双子の兄弟がいるなど聞いたことがない。他人のそら似だとは思うが、似ているのは事実なのだからそう言われては気分が悪い。
「ほんじゃ、弟の彼氏の双子の弟?」
「ややこしわ、赤の他人やっちゅうの」
 訝しげな表情だ。纏わりつくような視線を感じる。
「……本当に? 知らんだけで生き別れのふた」
「おん、知らん知らん。ほんでジブンはなんやねん」
「宇多田佑紀。知らん?」
「……知らん、と言いたいとこやが……」
 不思議と見覚えがある気がするのだ。しかしテレビに出ている芸能人ではないだろうし(だとすれば周囲がもっと騒ぐはずだ)、直接の知り合いならばこれほど特徴的な人物のことは忘れないと思う。
「……プチ有名人か? ていうかそれ楽器?」
 不意に、佑紀が太いストラップのついた、曲線形の黒いケースを背負っていることに気付く。何かが繋がったような気がした。
「気付くのおっそ!」
「しゃーないやろ、周り暗いし登場の仕方がインパクトありすぎるわ」
「僕本体に夢中やったわけね」
「あ?」
「これはヴァイオリン。僕、その筋では有名人やねんで。やからその筋やなかったらプチかもしれん」
(多分そのスジやなかったら無名やと思うけど……)
 とは思ったが、面倒なので言わなかった。
「妹が吹奏楽やってん。やから俺もソレ系の何かで見掛けたのかもしれん」
 佑紀は満足げに笑う。
「うんうん、そういう冊子の取材は受けたことあるで。学生が楽団の見学来たりもするしな。んじゃ、僕に興味あるやんな?」
「ない!」
「妹と会話が弾むようになるで」
「別に不自由しとらん。そもそも何の用やねん」
「君、もしかして日中の陰キャがたたって、街中で知り合いに声掛けられたこと無い?」
「うっさいうっさい。ジブンは知り合いやないやんか」
「ま、さっき言うたように、僕は君を見ず知らずやないって思ったから声掛けたわけ。どうせ暇なんやろ? なんか食べ行こうや」
「あ? なんで見ず知らずの男とメシなんて」
「ナンパって普通見ず知らずの相手にするやん?」
「結局ナンパやったんかい! ……あ、ええと俺は女にしか興味ないんで」
 話は終わりだとばかりにくるりと佑紀に背を向け、ヒラヒラ手を振る。正直な話、誰でもいいから相手が欲しい! と思ったことはある。しかしそれは飽くまで〝女ならば〟誰でもいいという健全な欲求であった。そのはずだ。確か。
 案外と嫌悪感が湧かないのは、結局相手の外見のせいだろう。佑紀がそうだと言われても納得感しかない。
「女の子、紹介しよか?」
「……あ?」
 了は目をぱちぱちさせながら、佑紀の姿を足のつま先から頭のてっぺんまで凝視する。この外見が女子にモテるのかどうかはわからないが、ホモが嫌いな女はいないという格言を知っている。友達感覚で女子の知り合いが多かったりするのかもしれない。
「お、目の色変わったな?」
「いやいやいや、あかんて。……っあー! そういや俺高級な肉しか食えん体質やった。外食ならジョジョ苑やないと無理や」
 了は左右に頭を振りながら芝居掛かって言った。無論そんな体質なわけがなく、むしろ好き嫌いがないのが取り柄だった。
 女の子を紹介してくれるというのは魅力的だが、何か良からぬことが起こりそうな気もする。ジョジョ苑は高級焼肉店だとよく聞く。きっと佑紀も諦めるだろうと思ったのだが
「お、話が早いやん。ほんじゃ行くか」
 了は目をむいた。
「いいい!? いやそれが! 今日財布忘れてん!!」
 割り勘にしたって高いものは高いはずだ、本来は〝安い、うまい〟の店で満足する舌なのだから、余計な出費は控えたい。
「パパのカードがあるで。ごっついやつ」
「……パパって、あれやろ、ようある血の繋がってないアレやろ? 悪い男や〜……」
 いわゆる援助交際かと思ったのだ。面と向かって言えることでもないが、何か佑紀は妙な色気を漂わせているから、そういうことをしていると言われれば納得できてしまう。
 しかし飄々としていたはずの相手は細眉を寄せる。
「そんなん、君に関係ないやんか。血が繋がってないのがそんなに悪いんか?」
 口先に言葉を転がすような今までとは明らかに違う。不快感を抑え込んでいるような調子だった。
「……え?」
 援助交際していることに触れられたくなかったか、〝パパ〟とは交際相手のことではなかったのか──察しの悪いほうではない。おそらく後者だ。つまりは佑紀の父親のことで、血縁はなく、それはどうやら彼の地雷で──
「ほら、ジョジョ苑いくで」
「お、おう……」
 不用意なことを口にしてしまった。なんとなく強く言い返せなくなって、了は大人しく佑紀の後について歩いた。格好を少し大胆にしてみたところで内面までもはそう変わらない。保篠了は多少ワルそうなことに憧れるだけの、ごく普通の少年だった。
 手持ち無沙汰と感じてスマホでジョジョ苑を検索し、夜のメニューの料金を一瞥すると、了は声を裏返した。
「!! くぁっジョジョ苑やめよう! 俺、今日は牛より豚の口やわ!」
 高いとは聞いていた、しかし想像以上だった。佑紀は値段を知って平気な顔をしているのだろうか。
「ジョジョ苑に豚もあるんちゃう? 知らんけど」
「あっ! あっこに豚貴族がある! おれ豚貴族大好き、豚貴族行きたいわー!」
「……高級な肉しかいけん体質なんやないの?」
 豚貴族は学生や若年層を中心に人気のあるリーズナブルなチェーン店だ。悪くはないが客層も相まって騒がしいし、ジョジョ苑にしか行かない人間が満足する場所ではないと佑紀は思う。もっとも、了の自称する体質とやらを本気で信じているわけでもなかったが。
「たまには素朴なもん食いたい日もあるやろ!」
「ほーん? ま、なんでもええけど」

2.

「──でな、多分ほんとの双子だってことは信じてもらえたと思うんやけど、結局祐介には拒否られたんよね」
 豚串を齧り、ジャスミン茶を煽ってため息をつく、長い睫毛の横顔を、了はじっと見つめる。整った、綺麗な顔だ。口を閉じていれば、硝子細工のような近寄りにくさも感じたかもしれない。
 店内は騒がしいが、丁度空いたカウンタの端の席は幾ばくか静かだった。話を聞くのに不都合なほどではない。
「……はぁ。寂しいわ」
 細い肩を竦めて項垂れる、なだらかな頬を長い髪が撫でる。その下の白い首筋にはしっかりとした喉仏があり、大きく開けた襟からは浮き出た鎖骨が覗いている。女に見えるわけではないが、自分とも違う、何か未知の性別の存在を感じてしまう。
 彼の纏う雰囲気のせいなのかもしれない。大人びて、柔らかな──
「なあ、聞いとる?」
「うぇっ? あ、ああ」
「結局、僕には音楽しかないってことやね」
「……話飛んでへん?」
 少し気が散っていたから、もしかしたら聞いていなかっただけかもしれない、とは言わないでおく。
「祐介は画家を目指してて、音楽には大して興味ないんや。だからきっと僕にも興味持てなかったんやな」
 さも当然のような佑紀の言葉に、了は違和感を抱く。
「どういう理屈やねんな」
 聞いていた限り、祐介をこちらに連れてきて音楽をやらせるという話ではなかった。京都に興味がないとか東京がいいというのならわかるが「音楽に興味がないから」という理由は成立しない。妙に押しの強い目の前の男が、自らの価値を音楽に置き換えるのも何か奇妙に思えた。
「別におかしいこと言ってると思わんけど?」
「……弟と一緒に暮らしたいなら、自分が東京に引っ越せばよかったやん」
「そんなんありえへん。祐介の暮らしを知らんからそんなことが言えるんや」
 了と佑紀と同じ年齢で既に身寄りがなく、金もなく、奨学金で学生寮に暮らしている。実際に目にしていなくとも、生活が苦しいことは容易に想像がついた。だとしても、だ。
「そういう話や、ジブンの欲求は。ポッと現れて、恋人も、友達も、今までの環境も捨てて東から西に引っ越せってゆう。拒否られても無理ないやろ」
「友達なんて、いてるんかな」
 彼が自分と似たような性格ならば、友人がいたとしても重要視はしないはず──祐介と話す前の佑紀はそう考えていた。
「そりゃ十七年暮らしてりゃ、おるんちゃうの?」
「そんな大事なもんなんかな」
 佑紀はいかにも不貞腐れたように呟いた。
 わかっているのだ。東京に滞在していたとき、祐介と一対一で話している。
 斑目の事件には祐介も深く関わっており、まだ刑事的には解決していないので詳しくは話せないが、それをきっかけにして素晴らしい友人ができたのだと、彼は目を輝かせて語った。恋人である来栖暁ともその時に知り合ったのだという。
 友人を紹介したいと提案されたが、時間がないからと断った。実際は日程の問題だけではなかったと思う。
 祐介があの場所で築いたものを、理解したくはなかった。彼は孤独で哀れで、自分に救われることを待ち望む存在であるはずだ。そうあって欲しかった。
「十七年と出会って数日じゃ重さが違う。向こうは双子なんて知らんかったわけやし」
「知ったようなこと言うな。十七年なんかやない、僕の方がちょい遅かったってだけや」
 んなもん知らんがな、と小さくぼやきながら食事をつまむ。なんだか今日は、食べ物の味がうまく感じられない。不味いというのとも違う。落ち着かないのだと思う。
「なんにせよ、実際はジブンが思うほど生活にも困ってないんやろ」
「そんな言われんでもわかっとるし……」
(僕は唯一の肉親にも必要とされなかったってこと)
 ジクジクと蘇りそうになる痛みを無視して、佑紀は深く息を吐き、芝居掛かって大袈裟に首を振った。
「はぁ〜、デリカシーないな、もっと優しくしてくれてもええやんか。そんなだからいつまでも童貞やねんで」
「あ゛っ!? どどど童貞ちゃうし!」
 通電されたかのように椅子の上で飛び跳ねた男を見て「確定やな」とカラカラ笑いながら、空のグラスを傾け氷を鳴らした。
「ほら、ツレのグラスが空になってるやんか? ええとカシス」
「酒はあかんで」
「カシスサイダー。君、真面目なんやね」
 カクテル風のノンアルコールドリンクを頼み、ぼそりと呟く。
「なんや、悪いんか?」
「んー? 珍しいと思っただけ」

 あれからしばらく飲み食いして、トイレに行くと席を立った佑紀に会計まで済まされてしまい、了は不本意ながら全額奢られる形で豚貴族を後にした。
「だって、今日財布持ってないんやろ?」
「いやそう思い込んでたけど実は持ってた……」
「ええよ別に、安かったし」
 少し前までは隣に女がいるかのような気分にさえなったというのに、なんでもないように言ってのける様子には、不思議と男らしさを感じてしまった。
(ウッ……別に豚貴で払えんほど困ってへんけど、ちょっとかっこええやんか……今度真似しよ……)
「さて、これからどうするん? 僕はホテル行くことしか考えてへんけど」
「ホテルぅ!? そ、それはアカンやろだって、男同士やし、出会って数時間で、高校生同士で!」
 佑紀はジト目をして、薄い唇をにやりと歪めた。
「ラブホとも、君と一緒とも、一言もいうてへんよ?」
(こいつ……!)
 早とちりしたことは認める。しかし相手の表情を見るに、意図的な発言だったことは明らかだ。食えない男だと思う。
「なあ、君は男二人で食事したあと、なにしにラブホ行くん? 僕のことそういう目で見たんやんな?」
「あーうっさいうっさい! 女みたいな髪型しとるのが悪いんやっ……!」
 声を荒げたが、手に絡み付いた長い指の感触に、それ以上言葉が出てこなかった。それは肌の肌理さえ埋めるようにじっとりと纏わりついて、無視しきれない欲求を呼び起こす。
「僕はそれでも構へんけど……?」
 長い睫毛の下に、蛇のように妖艶な瞳の光を見た。
 血の気のひくような、身体が熱くなるような、奇妙な感覚だった。

「おー。やっすい割には綺麗やん」
「……」
 結局、佑紀に手を引かれるままラブホテルの一室に来てしまった。あわよくばフロントで咎められまいかと期待したが、客の姿の全容が見えないように目隠しされた形の受付だった。佑紀は楽しげに部屋中の扉を開けたり、備品を確認したりしている。
「お風呂なかなか広いで! いっしょ入る?」
 浴室の中から顔だけ出した佑紀の提案に、了は慌てふためいて首を横に振った。
「無理無理! ないわそんなん! ……そんで風呂って、ほんまにそういうつもりなん?」
「はぁ? ここまで来てまだそんなこと言わはる? 金玉の小さい男や」
「肝っ玉や!」
「まぁどっちにしろ寝る前には風呂入るやろ。てわけで先使うわ」
 佑紀が服を脱ぎだしたので、了は慌てて背を向けて、ベッドにどかりと座った。さほど経たずに浴室ドアの閉まる音と篭ったシャワーの音が聞こえてくる。
 ソワ……ソワ……。
 俄然緊張してきた。反射的に否定してしまったが、何を隠そう了は童貞である。こんなシチュエーションを経験したことなど未だかつてないのだ。
(いっそ寝て待つ……いや……)
 どうにも落ち着かず、勢いよく立ち上がって部屋の中を歩き始める。まずは自分の置かれた環境を理解するところからだ。

 シャワーを浴びて浴室を出た佑紀は、体を拭きながら、視界に入って来たものを凝視してほくそ笑んだ。洗面台の上に濡れたコップが置いてあり、使用済みの歯ブラシが立ててある。佑紀が使ったものとは別だ。
(なんや、ヤル気満々やんな)
 たまには子供も可愛らしいものだ、と自分と同年齢であることは棚に上げる。シャワーを浴びている間に逃げられている可能性も考えたが、一気に楽しくなってきた。
 バスローブを纏い、上げていた髪を下ろして、踊るように部屋に戻る。
「おまた〜」
 せ、と言い切る前に、了は俯きながら佑紀の横をすり抜けていってしまった。
「照れ屋さんやな」
 まあええわ、とひとりごちながらベッドに潜り込む。
 ──ザー……
 シャワーの小さな音を聞きながら考える。
 身体を繋ぐのは簡単なことだ。了にしても、暁にしても。そういうつもりは全くなかったが、予期せず祐介とまで致してしまった。
 しかし、それだけだ。行為は行為として終わり、それ以上の何かのきっかけにはならなかった。あのとき祐介が現れなければ、とも思うが
 ──ザー……
 唐突に、偶然に目の前に現れた、来栖暁と瓜二つの男。自分は彼に何を求めているのだろう。どうなりたいというのか。
(憎たらし、あの男……)
 ──ザー……
(別に、どうもならへん。そういう気分になったってだけ、一回やって終わりやろ)
 少し前に浮上した気持ちは再び沈んで、なんだか憂鬱になってきた。
(おっそい! テンション下がるわ!)
 佑紀が特に短気なわけではない。実際、男がホテルでシャワーを浴びるだけにしては少々時間が掛かり過ぎていた。忌々しげに息を吐いてベッドから這い出し、浴室へ歩いてドアの持ち手に手を掛けようとするや──するりと、手の中から持ち手が逃げた。
「おわっ!? なんで待ってんねん!!」
 丁度出てこようとした了が、ドアを浴室の内側へ引いて開けたのだった。
 了は真っ赤な顔をして、一旦は引いたドアを再び押し戻して浴室に篭ろうとする。佑紀もさせじとドアを押す。
「遅すぎるから、のぼせて死んでるんかと思ったわ」
「死なへんわ! 風呂くらいゆっくり入ったってええやろ」
「君、それで自分の置かれてる状況をわかってないわけないやろ?」
 佑紀の視線の先には了の雄の象徴が張り詰めて、元気よく屹立している。
「それともここでしよか?」
「身体拭いたら行くから! あっちで待っとれ!」
 了は一方の手で未だドアをおさえ、もう一方の手でおざなりに股間を隠しながら声を張り上げる。佑紀は呆れたように笑った。
「君、初めてが僕でよかったな? 本命のコの前で怖気付いてたらめっちゃ幻滅されるとこやで」
 そして言い返される前にドアから手を離し浴室に背を向ける。力の均衡を失ったドアが、バタン! と過剰な音を立てて閉まった。
(は〜あ、ほんま、萎えてくる)
 珍しい相手だ、という点で面白いとは思う。しかし状況に反して性的衝動はあまりなく、自分が了にこだわる理由もよくわからなかった。
(あと4分待っても来なかったら帰ろかな……)
 髪は濡れていなかった。身体を拭くだけでそれほど掛かるはずもない。これ以上待たせるのなら──などと考えていると、掛け布団が捲られ、ベッドが大きく軋んだ。
「ふぅん、しぶとい」
「何が」
「こっちの話」
「……」
 了はベッドには入ったものの、佑紀との間に微妙な距離をとったまま仰向けに寝て硬直している。今時こんな男もいるものか。自分が率先して連れてきたことも忘れ、佑紀は今日何度目になるかわからない溜め息を吐いた。
「なんかな、もーめんどくさなってきたわ……」
 佑紀は起き上がり身体を寄せると、丁寧に帯まで結ばれた相手のバスローブの下半身をはだいた。
「んなっ……!?」
 了も慌てて上体を起こす。そこには先ほどと同じく、了の性器が頭を擡げていた。佑紀はその輪郭を指で確かめながら、まじまじと見つめる。
(意外と大きい……)
 来栖暁のものと似ているかどうか、と考えたがさすがに思い出せなかった。
「そんっな見んでもええやろ!」
 自分でも戸惑っているのだが、身体の状態が示すように、シャワーを浴びている時から興奮して仕方がなかった。相手が男だとわかっているのに、触れられ見つめられるたび期待が高まって、どうにかなってしまいそうだ。
 佑紀は乾いた手のひらにそれをゆるく握り、先端を虐めるように親指の先で弄った。
「なあ、どうして欲しい?」
「どう、って……」
 声の主を見下ろして、了は思わず唾を飲む。よく見慣れた、勃起した性器の傍らに佑紀の顔があり、弧を描く桜色の唇は今にもそこに触れそうだ。
「言わな何もしてやらん」
「……舐めて」
「おん。お利口さんやな」
 先端を頭に見立てて撫でた、指先に透明な体液が糸を引いた。
「っふ……」
 ほくそえみ、佑紀はそれを口に咥え込んだ。滑る感触と微かな塩味とともに導いたその硬さ、口腔内を満たす存在の大きさに、にわかに安堵感を覚える。どういう態度を取られようが、確かに求められているのだと実感できるためだ。
 唾液を流し、全体を濡らすように舌を絡める。根元を指の輪で支えるように緩慢に撫でながら、にちにちと雁首をいじめてやると、ぴくりと震えて小さく声が上がるのが聞こえた。
 機嫌を良くして、口の中から取り出したそれをしげしげ眺める。若々しく逞しくて、経験がないだけあってさすがに綺麗なものだ。
「なあ? こんなにしてるんならはよ出てくれば良かったのに」
 単純に了の風呂が長かったのだとは思っていない。迷ったか恥じらったか何かで、出て来られなかったのだろう。
「君にその気がなくなったんかと思って、心配した」
 了は口をぱくぱくとさせて何か言いたげではあるが、待ってやる気もしない。佑紀は再びそれを口に含む。
「ぁっっ!!」
 ごく小さく、喉が鳴るように声がして、了の体がびくりと跳ねた。
(なーあ? 気持ちいいな?)
 やる気が失せかけもしたが、こうなってしまえば愉しいものだ。相手の身体を口先と指先だけで支配している。操縦桿でも握っているような気分だ。
 ちゅぷ、じゅぷ、わざと音を立てながら顔を前後させると、身体が波打つように震えた。
「痩せ我慢……」
 手指と舌と唇を器用に使い、一定の間隔で動作を続ける。
「んくっ……ぁっ……あかん……」
 佑紀は喉の奥にクッと笑みを呑む。深く銜え込み、追い上げるように、速度を上げていくと、動きを咎めるように頭を抑えられてしまった。
「むぐ?」
「あか、あかんて、出る……!」
「別にええけど……んん、やっぱやめよか」
「……」
 望み通りにやめてやったというのに、了が口惜しそうな、不服そうな顔をしているように見えて可笑しい。
「さて。次はどーする?」
 屹立した男根から、意外に鍛えられた腹筋、胸、鎖骨と舐めるように視線を這わせて顔を見上げると、熱に浮かされたような瞳が接近してきて、佑紀は唇を塞がれていた。
「んっ……!?」
 意外だった。緊張している様子だった了からのアクションだということも、それがキスだったことも。不慣れに重ねられただけの唇に舌を差し込む。抵抗はない。ぬらりと一方的に口腔内を探り、佑紀は顔を離して不敵に笑った。
「平気なん? さっきまで君のモノを舐めてた口やけど」
「……! あ、洗ってきたから平気や!」
 おそらく何も考えていなかったのだと思う。
「っくっくっ……」
 喉を鳴らすように笑う佑紀の、細い肩を掴まえ睨みつける。
「さっきから、俺のこと馬鹿にしてへん?」
「そーいうの、自分が気にしてるからそう感じるんやで? わわっ!?」
 意外なほど強い力で身体を抱え込まれ、仰向けにベッドに押し付けられるように組み敷かれてしまった。
(上背だけで、うすっぺらい身体して……)
 首も手首もほっそりとした、見下ろした姿がひどく無力に思えて、腹の底から得体の知れないものが湧き上がる。
「……っ!」
 何か言おうと開かれた唇を、噛み付くように塞いでいた。吸い付いた唇を舐め回し、今度は了から舌を差し込む。
「んん……!」
 舌を絡め、唇を重ね直しながら、抱き合って擦り寄せた下腹部に、硬い感触があった。了は躊躇わずそこに手を伸ばし、バスローブをはだいて佑紀の昂りを掴まえる。
「んっ……」
 同じ男なのだ、この状況でこうなるのは当然とは思うのだが、やはり何か不思議だ。先端から茎を辿り、柔らかな陰嚢に触れる。更に指を沿わせると、ぬるりと濡れた感触があった。了はニヤリと笑う。
「なぁ、男も濡れるんやんな……?」
 グッと指を押し込むと、にわかな抵抗感の後にずぷりと飲み込まれてしまった。卑猥な感触が堪らずに、きゅうと締め付けられる指をぐりぐり回す。
「っ!! BLのセリフかっ!」
 乾いた指の、少し硬い皮膚でがむしゃらに内部を擦られ、佑紀は眉を顰める。そこが濡れているのはシャワーを待っている間に準備していたためなのだが、おそらくこの場で理解させることは難しいだろう。
「俺だって、知っとるんや」
 了は指を抜き取ると佑紀の膝裏に手を入れて脚を抱え上げる。
「え、ちょぉ!」
 行為をしないつもりではない。ただ少し性急すぎる。佑紀の思いは残念ながら了には理解されない。
「今更待ったなんて無理や」
 了はにやりと笑い、小さな窄まりに男根を充てがい捩じ込んだ。
「〜〜〜っ……!!」
 熱く硬い肉の塊が、強引に身体を開き内臓を押し上げて侵入してくる。佑紀は声にならない叫びをあげて喉を仰け反らせた。自ら濡らし解していたとはいえ、了のやり方は些か乱暴だ。怪我はしていないだろうが、穿たれた箇所がじんじんと熱く痛む。
「なんもわかってへんやんか! アホ! 童貞! ぅぅぅ……」
 抗議の言葉も聞こえないとばかりに、了は挿入したままの状態で佑紀の腰をがしりと抱えて持ち上げ、身体を折りたたむようにした。佑紀は情けなくも苦悶の声を上げる。
 了は目をとろんとさせて言った。
「……やばい。今なら何言われても平気な気がする」
 ならば、と何か言ってやろうかと思ったが、既に入りきった状態で執拗に腰を押し付けられ、すりこぎのように内部を抉られるものだから堪らず口を噤んだ。
 佑紀の中に形を刻みながら、肉杭はゆっくりと体の中から抜けていく。
「っんん、ん……」
 そして再びゆっくりと戻ってくる。荒く生温い息がしきりに頬を撫でるものだから、佑紀は唇を歪めて笑った。見上げた瞳はぎらぎらとして、獲物を狙う獣のようだった。
(単純なもんやね)
 しかしその視線に、自分を求めるがゆえの強引な行為にひどく心が躍るのもまた事実だった。
「ああ……ええよ……」
 了の首に腕を絡める。怖いくらいに凝視する瞳が近付いて、目を開けたままキスをしていた。

 夢中だった。
 敏感な場所に感じる体温に、締め上げ吸い付く感触に、初めての生々しい快楽に、何も考えられなくなって、ただひたすら身体を動かしていた。
 相手は今日が初対面の、しかも男で、一緒に過ごした短い時間の間に特別な好意を抱いたわけでもない。それでも自分を受け容れ、自分の行為で感じ喘ぐ姿を見ていると、愛らしいとか愛しいとか、現実味の薄い感情が湧いてくる。それを不思議に感じる頭も今はない。
(好きだ、好きだ、好き……)
 喘ぎ声が、見上げる視線が、絡みつく指先が。
 湿った空気と水音の中に、意識は溶けて白んでいく。

「もう、がっつきすぎや」
 佑紀は大袈裟に肩を上下させ、了に背を向けるようにベッドの上で身体を転がした。前戯もなく、自分のしたいようにして達したかと思えば、一度では満足しなかったらしくそのままもう一度達するまで行為を続行されてしまった。
 そのテンションと体力には素直に感服するし、実際はさほど悪い気はしていない。求められるのは好きだし、そのためにセックスを覚えたようなもので、肉体的な快楽は付加価値のようなものだった。
「なんや、もうへばったんか? 体力ないな〜」
「うっさいわ童貞」
「残念ながら童貞は卒業したった! ……なんや、機嫌悪いんか?」
「別に?」
 好き勝手して呑気なものだとは思うが、行為の直後に初めての相手にダメ出しをするほど非道でもない。
 了は一つ、深く呼吸をした。強烈な快感が通過して落ち着いてきた今は、この状況がただただ不思議だ。なぜこんなことになったのか──なぜ男と致したのか。しなければよかったとまでは思わない。しかし無性にもやもやしている。
「……あんな。本命なんて、おらんし」
「は?」
「風呂出たとこで言ったやろ。本命の前で怖気付いたら恥ずかしいて」
「あー……」
 待ちくたびれていただけの、ただの軽口だ。深い意味はなかった。
「別に本命とか、好きな子とかおらんくて、ただ彼女は欲しいっていつも思ってたけども」
「誰でもよかった」
「……」
 佑紀の言葉に背筋がぞっとした。誰でもよかったから初対面の相手と行為に及んでしまったのか。恋人が欲しかったわけではなくて、セックスがしたかっただけなのだろうか。
 実際のところ、佑紀の言葉を否定もできないのだ。途端に罪悪感が湧いてきた。
「……すまん」
「なんで謝る? わかっとるよ、誰でもよくなきゃ初対面の男とはやらんやろ」
 佑紀は身体の下でしわくちゃになっていたバスローブを引っ張って羽織りながら、ベッドから立ち上がる。
「どこ行くん」
「シャワー」

 部屋に戻ると、乱れた布団の中に、未だ人影はあった。
(真面目やね)
 直前の会話が会話だ、先に帰られていたとしても納得したと思う。相手に過剰な期待を抱くのはもうやめたのだ。
(ま、逃げるまで考えられなかっただけかもしれんけど)
 愚直な男の、幼い寝顔を覗き込む。充分に運動したせいか、見事に熟睡している様子だ。
サイドテーブルの上にスマホを置きっ放しにして、ご丁寧に布団から出した腕の、手のひら側を上に向けている。
 佑紀は了のスマホを手にするとホームボタンを押し、指紋認証部分を慎重に了の指先に添えた。
(……あかん。技術の進歩あかんわこれ)
 想像通り指紋認証が通ってしまい、画面のロックは解除されていた。
 不用心すぎる、と一向に起きる気配のない了を見下ろす。見ず知らずの相手と寝て、簡単に情報が抜かれるような状態で熟睡して──実際のところ、さほど金もなさそうな子供を騙そうとする人間はあまりいないものかもしれないが。
 佑紀だとて犯罪行為をするつもりではない。了のスマホと自分のスマホとリンクさせて連絡先を交換し、それだけで画面を閉じて元の位置に戻した。この調子では、たとえ場所が変わっていても気付かれないような気もするが。

 翌日の朝遅い時間、了から佑紀にまんまとチャットが届いていた。
『昨日のこと、怒っとる?』
 そうくるか。昨日から感じていたことだが、見た目の割に意外と気が小さいようだ。
(あのカッコ、イキってるだけなんやろな)
 オールバックと立てた襟を思い出し、つい笑ってしまう。
『なんでそう思うん?』
『いなくなってたから…』
 佑紀は了が起きるのを待たずに先にホテルを出ていた。
『用事があったからな』
『起こしてくれたらよかった』
『寝すぎて金が足らんくなった?』
 時間を超過しても平気なように、ホテル代は余分に置いてきたつもりだ。
『ちがう。金は余った。てゆうかなんで俺が金貰ってんのや』
『僕を買ったつもりだった?』
『ちがう』
 即答だった。面白い玩具を見つけた気分で、次はどう返そうかと考えていると、了からのメッセージが続いた。
『金を返したい』
『別に気にしなくてええよ』
『気にする。食事の分もあるし、ちゃんと返したいからもっかい会いたい』
(もっかい、で済むんかなあ?)
 金を返すという目的は明示されている。しかし、と佑紀の唇は弧を描く。
『そんなに会いたいなら、会ったろうかな』

3.

「なあ、佑紀は俺のどこがよかったん? 顔?」
「はあ?」
 真顔で不遜なことを言い出した恋人を、佑紀は間の抜けた声を出して見返した。確かに顔は悪くはないのだが、この男はそんなキャラではなかったはずだ。
「さっきまで祐介にめっちゃ惚気か応援演説かっての聞かされてて。あの彼氏は祐介の恩人なんやって」
「あー。たぶん僕もめっちゃ聞いたやつやわ。あの子ほんと好きなんよね」
 佑紀と祐介は双子だというが、了と暁は単なる他人の空似だ。なのだが、あまりにも似ているために祐介は了に親近感を抱き、あまりおおっぴらには話さないらしい二人の出会いについても語ったようだった。
「いろいろ大変やったみたいやし、吊り橋効果ってのもあるし、恩人に惚れるのって納得できるやん。けど、佑紀はなんでやろって思って」
「んー……」
 佑紀はあまり考える気もなさそうな顔をして首を傾げ、さらりと言った。
「君にもいいところの一つや二つくらいあるやろ。見た目以外な」
「ちゃんと考えてや。そりゃなくはないけどやな、ジブンはどこが、て聞いてるんやろ」
 駄々っ子のようなことを言うものだ、と思うが年齢相応なのかもしれない。佑紀は年上の人間と接することのほうが多かったし、暁は妙に達観しているし祐介はかわいい。
「んー……まあ声掛けたきっかけは完全に見た目なんやけど。暁くんに似すぎてたって理由な。どこがいいかって? んー」
「えっ、んな悩むこと……!?」
 褒められる気満々で軽い気持ちで聞いたのだが、ひどく不安になる。
「わっからん!」
「な、な、なんちゅうことを……!」
 了は青ざめて、自分で自分の腕を抱え、大袈裟に身体を震わせた。リアクションは作ってはいるが、内心も正直に悲しい。
「だって僕、年上の包容力ある人がタイプやったはずやし」
 君は酒も弱いしセックスもうまくないし、と続けるのはさすがにやめておく。
「なんもないねん。なんもないけど好きって思うし、なんも得しないけど付き合ってたい。お別れするの考えたら悲しくなる」
「あー……」
 そう言って凭れ掛かってこられると、それならそれでいいかと思ってしまう。自分だとて、佑紀の金や身体が目当てで付き合いを続けているわけではないし、彼の音楽の才能に惚れたわけでもない。おそらく彼の放っておけないところに強烈に惹かれているのだが、どこがいいかと問われてそれを口に出すかは迷うところだ。
 佑紀の顔を覗き込む。彼は自信家のようでいて少し脆くて、今のこの表情は〝不安〟だ。大きな瞳が揺れている。
「なんや、そんなカオして。お別れなんてせんよ?」
 顎を捉えて視界を閉ざした、唇を重ねる二人の耳に、カランカラン、と乾いたベルの音が飛び込む。続いてガサガサとビニール袋の擦れる音、トスンとそれをカウンタに置いた音。
「あのさぁ……人の店で平然とホモるのやめてくれない?」
 顔を上げると、呆れ顔の暁がルブランのソファ席で抱き合う二人を見下ろしていた。
「別に暁の店でもないがな」
 傍らから、祐介が的確な補足を入れる。
「せやせや! マスターの店やろ!」

「へっぶし! あ゛〜〜……」
 自宅で新聞を広げていた佐倉惣治郎が、不意に盛大なくしゃみをする。そこへついさきほど家を出て行った双葉が、青ざめた顔でパタパタと走ってきた。
「そうじろう、たいへんだ、ホモが増えた……」
「だからやめとけって言っただろ」
 暁から久々に連絡があったかと思えば、客人を迎えたいので閉店後のルブランを貸して欲しいという。どうせ客も少ねえし構わねえよ、と普段より早めに店を閉めてきたが、入れ違いに店を訪れた客人とやらの顔を見て大層驚いたものだった。
 暁と祐介の関係については惣治郎も知っている。二人と瓜二つの客人の詳細は知るところではないが、彼らの関係を想像するのは容易かった。
「ホモってアメーバみたいに増殖するんだな、びっくりだ」
「まあ、普通のホモは分裂なんてしないと思うが……」
 まったく、相変わらず規格外なやつだよ、とぼやく惣治郎の口元は、どこか楽しげに歪んでいた。

<了>

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