認知の檻

2.  放課後、祐介からメッセージが届いていた。  グループではなく、暁個人宛てのものだ。 『今夜ルブランに行っていいか? 2人で話したい』  祐介にはあれ以来一度も会っていない。  会えるわけがない。  怪盗団の活動に... [ 2話目:3,107文字/2016-10-11 ]

2.

 放課後、祐介からメッセージが届いていた。
 グループではなく、暁個人宛てのものだ。
『今夜ルブランに行っていいか? 2人で話したい』
 祐介にはあれ以来一度も会っていない。
 会えるわけがない。
 怪盗団の活動については「大物ターゲットが見つかるまで各自調査」ということにしているが、そろそろ訝しまれても無理はなかった。
「……」
 正直なところ、気は進まない。しかしこのまま避け続けることもできない。
 祐介から連絡してきてくれたのだから、乗っておいたほうが良いだろう。
『わかった。閉店後のルブランで待ってる』

***

「夜分にすまんな。……いい香りだ」
「連絡もらえてれば平気だ」
 カウンター席に座った祐介にコーヒーを出す。
 夜になってから念押しのように『今から行く』とメッセージを貰ったので、予め作っておいたのだ。
「ありがたく頂こう」
 祐介は口元を緩め、カップを手にした。
(コーヒー一つで嬉しそうにして、俺が何を考えてたかも知らないで)
 自分のコーヒーカップを持って、複雑な気持ちで祐介の隣に座った。
「……」
「……」
 沈黙に耐えかねて、切り出したのは暁だった。
「……祐介、話って?」
「ふむ……。実は……」
 祐介は勿体つけるように、区切りながら話す。
「特にない」
「……」
「なんとなく顔を見たくなっただけだ。怪盗団の集合も、ここ数日掛かっていないしな」
「ふうん……」
 気にしているのはこちらだけということか。
 それはそうだ、何も喧嘩別れしたわけでもない、勝手に妄想して、勝手に気まずさを感じていただけなのだから。
 祐介はコーヒーを啜った。カップから離れた薄い唇を、赤い舌先がペロリとなぞる。
 どうということのない仕草が妙に目につく。
「暁」
「えっ?」
 何か後ろめたいところを見られた気がして、驚いたような声が出てしまった。
「もしや、この前のことを気にして俺を避けてたのか?」
「そう思って来たんなら、最初から言ってくれ」
 我ながらはっきりしない、格好のつかない返答だとは思う。
「確信はなかった。学校が違うのだから、しばらく顔を合わせられないことだってあるだろうしな。だが実際会ってみると、何か妙に空気が張り詰めている」
「空気、か」
「俺は斑目の役に立ちたかった。しかし子供の俺にできることは限られていた。だからある程度は納得していたんだ。お前が心を痛めるようなことじゃない」
「心を、痛める……」
 暁は惑うように首を横に振る。
 夜な夜な考えていたのは、そんなことではない。
 美しい男の、綺麗な瞳の前から逃げ出したかった。
「暁、俺はどうすればいいだろう? 時が解決してくれることだろうか?」
「どうすれば……いいんだろうな」
 忘れてしまうこと、考えないこと、それしかないような気がする。
 今でさえ祐介の小さな所作が気になって仕方がないというのに、果たしてできるのだろうか。
「ふむ……」
 祐介はじっとこちらを見ている。探るように、試すように。
 冷たい汗が背中を伝った。
「な、何?」
「パレスのように、ペルソナ使いの心の中にも侵入できると良いのだがな」
「できたらどうする?」
「お前を苦しめるものを、叩き斬ってやる」
 祐介はどこか楽しそうだ。名案とでも思っているのだろうか。どの道ペルソナ使いにパレスはない。暁は視線を逸らした。
「……見たくないものが、見えるかもしれない」
「それは」
 白い手指が伸びて、暁の眼鏡を奪う。
「?」
 思わず祐介に顔を向けた。
「お前が認知する、俺の姿か?」
 カタンと小さな音を立てて、カウンターに眼鏡が置かれる。
 祐介の表情はひどく愉しげで、挑戦的で──蠱惑的で。それは彼が初めて能力を発動させたときのものに、似ているかもしれなかった。
 一方暁の表情は強張る。
(俺が認知する……祐介……)
 大人の慰み者にされる哀れな少年。いや、最早それだけではない。
「見られては困るのか? 何故だ?」
 暁は髪の毛をくしゃりと掻いて、首を横に振る。
 あの淫猥な妄想の数々を、本人に見られて良いはずがない。
「教えてくれ、暁。お前の眼に俺はどう映っている?」
 しなやかな指に顎を捕らえられ、祐介の方を向かされる。
 微笑する彼にぞっとしながら、その手を振り払って逃げることはできなかった。動けなかった。
「俺はどんな姿で、どんな顔をしてる? いや……『何をしている』?」
 長い睫毛に縁取られた瞳はすべてを見透かしているかのように微笑う。
 既に確信しながら、それでも飽くまで問うというのか。拷問のようだった。
「……何だと、思う」
 無様に掠れる声で、そう絞り出すのがやっとだった。
 フッ、と祐介は鼻で笑った。
「意外と奥手なんだな」
 頬を撫でられる。目を細めた祐介の顔が近づく。
「祐……!」
 言葉は柔らかな唇に阻まれる。
 重ねるだけの軽いくちづけだったが、それでも祐介の意志を伝えるには充分だった。
「違うか? 暁」
「違わない……かもしれない」
 ひどく気まずい気分で祐介の手を追い払い、顔を背けた。
「フフ、ハハハ! 随分と弱気だな?」
「……お前は随分と楽しそうだ」
「何も、苛めたいわけではないのだが……そうだな、安心しているのかもしれない。お前が俺を拒絶するわけではないとわかったから」
「安心するようなことか? 俺は」
 綺麗なキスだけではない。もっともっと生々しいことを考えているというのに。
「暁。お前が何に怯えているのか、俺にはよくわからない。お前に求められたら、俺は嬉しい」
 祐介は席を立って暁の椅子の後ろに回る。
 背後から腕を回し、暁の身体を緩く抱いた。
「おい」
「互いに好意をもって抱き合うことが、そんなに悪いのか?」
(好意……?)
 青天の霹靂だった。
 拒否できない立場の祐介に斑目や大人たちが強いたことは紛れもない虐待だ。
 そこから自分の中に芽生えた劣情も、当然その類のものだと思っていた。自分も彼らと変わらないような気がしていた。
 しかし祐介はそれを好意だと言う。
「そう…なのか……」
 最初は赤の他人だった。それでも助けたいと思った。彼と一緒に過ごす時間は楽しかったし、彼が嬉しそうにすれば自分も嬉しかった。奇妙な彼のことを、もっと知りたいと思った。そしてやがて、卑猥な想像に辿り着いた。
 もしも相手が女性だったなら、それは好意だと──恋愛感情なのだと、もっと早くに納得できたのかもしれない。男を性の対象として見たことがなかったが故の、結局はそれも認知の問題なのだ。
 限定された環境で育った祐介の認知はある意味柔軟で、自分もまた彼を檻に閉じ込める側の存在だったのかもしれない。
「そうだ。悪く、ないな……」
 仰ぎ見ると、祐介は穏やかに微笑していた。
「良かった。……好きだ、暁」
 再び唇を重ねる。今度は、深く。
 心が、魂が叫んでいる。暁を欲しいと言っている。
 肉体の形などどうでもよいのだ。祐介の認知、祐介の世界にとっては。
「ああ。俺も……祐介」
 視線が絡み合う。鼓動が早い。頬が、耳朶が、冷めていた指先までも熱い。
「……泊まっていくだろ」
「モルガナは?」
「今日も帰らない。……お前から、連絡貰ってたから」

***

「暁」
「何?」
「お前の認知する俺の姿は、変わったのか?」
「え?」
「お前を悩ませていた元凶だろう」
「ああ……そうだな。変わったな」
「何に変わった?」
「言うわけないだろ」

「暁」
「まだあるのか」
「君に逢えて良かった」
「何で今? それに、変に改まって……なんだか別れの台詞みたいだ」
「思った時に、思ったことを言う。これから俺はそうすることにした」
「だから空気読めないって言われるんだ」
「嫌か?」
「……好きだよ」

 喜多川祐介は、奇妙で、愛すべき男だ。

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