ふたりぐらし

大学進学に合わせて同棲しようという牧藤が不動産屋に行ったり引っ越ししたりする話。1話のみモブ視点。全2話 [ 1話目:4,142文字/2020-09-28 ]

1.

 就職・入学シーズンを前にした一月下旬、賃貸物件を扱う不動産屋はすでに繁忙期といっていい時期で、今日も午前中から客が訪れていた。
 只野茂夫《ただのしげお》、二十七歳。不動産営業五年目。真面目が取り柄だ。新たな客だと見るや、立ち上がってにこやかに挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
 入店してきたのは長身の男二人組だった。隣席で客の対応をしていた女性社員が不自然に動きを止めてそちらを凝視したが、無視して只野が応対に行く。
 ひとりは色黒でがっしりとした体格の、眼鏡を掛けたスーツ姿の男。後ろに撫でつけた茶色の髪、高い鼻と厚い唇などから、外国の血が入っていそうにも見えた。年齢は一見では判断しがたいが、二十代後半から三十代だろうか。姿勢がよいせいか、非常に堂々として見える。
(このひと……何者なんだ……?)
 謎のオーラがあるというか、普通のサラリーマンのようには見えず、ドラマや芝居にでも出てきそうな風貌だ。
 もうひとりは、顔だけならば女性にも見えるような若い男。一転して肌は白く、染めたものとは違って見える色素の薄い髪色と長い睫毛が、やはり日本人離れして見えた。只野はミーハーな女性的な感性は持ち合わせていないつもりだが、それでも〝美少年とはこういうこと〟と納得してしまうような風貌だ。年齢的には春から大学進学といったところだろうが、隣の男とのツーショットから想像するところは、東京で活動を始めるモデルかアイドルと、その事務所の人間だ。
 何にせよ、犯罪のにおいがしないのであれば物件を紹介するだけだ。只野は営業スマイルを浮かべる。
「どのようなご用件でしょうか?」
 口を開いたのはアイドルのほうだった。
「春から大学に行くので、この辺で住む部屋を探してて」
 正面から見つめられると、その気が全くなくとも見惚れてしまうような、完璧な美形だ。付き添いの男が続いて言う。
「ふたりで住むんです。ルームシェアってやつで」
「……ではお手数ですが、こちらにご記入をお願いできますか?」
 待ち合い用の席を示し、アンケート用紙とボールペンを渡す。希望の部屋の条件をおおまかに記入してもらうためのものだ。
 いったん事務所の奥に戻ると、同僚の女子が声を潜めて話しかけてくる。
「只野さん、お客さん対応代わろうか?」
「……ん、なんで?」
 想像がつかないわけではなかったが、あくまで素っ気なく返すと、相手は黙り込んでしまった。
 しかしルームシェアとは、あのふたりは一体どういう関係なのだろう。あくまで仕事だ、余計なことは口にはしない。しかし考えてしまう程度は仕方がないと思う。女性アイドルならば間違いなくいかがわしい想像をしたところだった。いや、二人用の部屋といっても必ずしも二人で住むとは限らないだろう。事務所の人間の名義で契約するのも珍しくはないことだ。
 店頭に戻るとアイドルと目が合った。アンケートを書き終えたのだろう。用紙を受け取りに行き、接客用のカウンターを示す。
「ありがとうございます。それではあちらのお席にお願いします」
 言いつつ、ざっと内容を確認する。まず名前は藤真健司・十八歳と、牧紳一・十七歳。
(……?)
 顔と名前は一致しないが、スーツの男は年齢を書き間違えているようだ。実際は二十七か八なのかもしれない。同年代にしては落ち着いて見えるが、さすがに三十八歳ではないだろう。冷やかしには見えないので、契約にまで話が進むようならあらためて確認しよう。
 ふたりが着席するのを確認し、カウンターを挟んで只野も席に着く。
「ええと、藤真健司さん」
「はい」
 アイドルが返事をする。
「と、牧紳一さん」
「はい」
 こちらはスーツの男。自称十七歳。
「入居されるのはおふたり、ということでよろしいですか?」
「はい」
「間取りは2LDKで、場所はこの近辺がいい、と」
 話しながら、手もとの端末に物件の検索条件を打ち込んでいく。下調べをしてきたのか、希望家賃には相場のちょうど中央の金額が書かれている。藤真が頷いた。
「はい。ふたりの学校の間がちょうどいいなって言ってて」
「学校はどちらなんですか?」
「青学と深体大です。なので田園都市線で……」
「なるほど、それならまさにこの辺が中間地点ですよね」
 机上に置いてある東京の路線図の一部を指でなぞる。最寄りと呼べる駅は一つではないが、その二校ならば言われた通り田園都市線を使うのがいいだろう。最寄駅は桜新町と渋谷、間は三駅だ。
 おそらく藤真は青学に進むのだろう。牧のほうは、体育大学と言われると納得できる体躯だが、講師か何かだろうか。だからスーツなのかもしれない。
(先生と生徒が同居するのか? いや、他校だし男同士だし、もともと友達同士ってことならあり得るのか……)
 牧が嬉々として口を開く。
「一緒に住もうって言ったのは学校決まる前だったから、実際直通だってわかったときすごく驚いたんだよな!」
 藤真は迷惑そうに牧を見返した。
「オレは別にそんなに……だってこの辺、学校多いだろ」
「そりゃそうだが」
 ふたりのやり取りに全く興味がないわけではないが、仕事が進まないのは困る。只野は躊躇いつつ口を開く。
「ええと……」
「あっ、すみません。三茶にこだわるわけじゃないんで、だいたいこの辺でいい部屋があればって感じです」
「こちらのエリアはやはり学生さんに人気ですので、賃貸物件自体は多いんですが、2LDKご希望ですとある程度絞られてしまいますね」
 東京都内の賃貸物件の需要は圧倒的に単身者向けの部屋だ。当然、間取りもワンルームから1DK程度が多くなる。部屋数のほかにアンケートに書かれた条件は、駅近、バス・トイレ別、エアコン、二階以上──ありがちなものだったが、その次の項目に目を止める。
「駐車場をご希望なんですね」
 牧が頷いた。
「はい。車を一台置く予定です」
「家賃のご予算にプラスして駐車場代、という形になってもよろしいですか?」
「もちろんです。というか、家賃もオーバーしてもいいので、よさそうな部屋があれば見せてください」
 この男がそう言うのなら平気なのだろうと、根拠もなく信じてしまうような風情だ。しかしその腕を藤真が小突く。
「やめろよ、家賃一応折半なんだから」
「別に、ちょうど折半になってるかどうかなんて言わなきゃわからないだろう」
「いや、なんかやだ。家賃は折半。駐車場はそっちもち」
「……それですとこのあたりですかね」
 出力した間取り図をふたりの前に置くと、身を乗り出した牧が眉間に皺を寄せた。
「部屋狭くないか?」
「こんなもんじゃね?」
「比較的最近の物件ですとこんな感じですね。木造のアパートでもよろしければこういうのも」
「おお、広いじゃん。でも木造って音響くらしいよな」
「音は鉄筋に比べますと、そうですねえ」
「音が聞こえるのはいかんな」
「あと部屋が和室っつうか畳なの微妙」
 よくあるやり取りではある。只野は別の間取り図を差し出す。
「洋室で広めですと……一室の広さはそう変わりませんが、三部屋あるタイプ」
「三部屋?」
「持ちものが多い方ですと、物置というか、コレクション用の部屋にされる方もいますね。もちろんお客さんを呼んだとき用でも」
「おっ、いいじゃん」
「藤真、なんかコレクションしてるのか? 初耳だな」
「ちげーよ、花形を泊める用」
「駄目だ、そんなの! 必要ないだろう!」
 いかにもけしからんと言わんばかりの全否定だった。
「じゃあ仙道とか、ノブくんとか」
「却下。三部屋なんて必要ない、2LDKでお願いします」
「だいたい、自分の部屋なんて着替えして寝るくらいなんだから、そこまで広い必要なくねえ?」
「それもそうだなあ、居間もあることだし……」
「はい、それですとこの辺ですかねー」
 ああだこうだと話しながら、築年数や駅からの距離など、条件を多少変えながら物件を提案していく。いろいろ見せるうち、考えが纏まってきたようだ。
「これいいんじゃね?」
「悪くはないが……」
「なにが気にいらないんだっけ?」
「キッチンの台が壁際にくっついてる」
「どうでもよくねえ? ほかの条件は全部いい感じなんだから、それは諦めろ」
「まあ、なあ……そうだ、あと藤真あれだろう、ウォシュレット!」
「っ!!」
 藤真は顔を赤くして思いきり牧の上腕を叩く。布越しだというのにバシンといい音がした。牧のほうは慣れたことかのように、ごく落ち着いた動作で藤真を見返す。大人の余裕だ。
「なんで叩くんだ、大事だって言ってたじゃないか」
「大事だけど、そんなに勢いよくアピールするんじゃねえ!」
 温水洗浄便座を物件の条件にされること自体は気に留めることではないが、ただ藤真の反応が過剰なのが気になった。いや、気にしないことにしよう。
「……この物件は温水洗浄ですし、そうでない物件でもご自身でご用意いただけますので……」
「そうか! よかったな藤真!」
「だからうるせーってば。あと一応、洗濯機のところドラム式のは置けますか?」
「えーっと……はい。大丈夫ですよ」
 その後、ピックアップされた物件にふたりを案内している間じゅう、その会話から垣間見える関係性が気になって仕方がなかった。
「いい感じのとこでサクッと決まるといいな〜」
「そうか? 俺は何度でもいいぞ」
「はあ?」
「ふたりの新居だ、慎重に決めないと。それに、楽しいじゃないか」
「こっちはまだ暇じゃないんだぜ?」
 年上の大人の男が可愛らしい少年のことをいたく気に入っていて、少年はごく素っ気なくそれをあしらっている。そこはかとなく親密な空気だ。そして、初めはものものしいと感じた牧が、非常に穏やかで柔らかな笑みを浮かべるのが印象的だった。おそらく、藤真と一緒にいるせいだろう。すっかり骨抜きだ。
(これは……近ごろ流行りのBLってやつなんだろうか……)
 それは女性の間でフィクションとして流行しているだけのもので、実際の同性愛の事情とはあまり関係ないのだが、只野の知るところではない。
(女の子に飽きちゃったとか……?)
 一物ありそうな紳士と美少年アイドル。そんな世界もあるのかもしれない。とりあえず、自分に関係ない話ならば偏見はないつもりだ。
(温水洗浄便座……)
 気にしてはいけない。仕事をしよう。

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