恋人カレはミス翔陽

【R18】⚠️藤真の後天性女体化。過去の猥談などを含みます。牧藤は付き合っていない状態からで、エロはほぼ女体化状態ですが、ラストはBLエンド。全5話 [ 4話目:16,046文字/2021-08-25 ]

4.

『藤真、今度の休みは映画を見に行こうか』
「は?」
『映画は嫌いか? ならどこに行きたい?』
「あのー、オレが女体化してお前と会うのがなんのためかって忘れてる?」
『もちろんわかってるが、練習休みだから時間があるって、この前話しただろう。ホテル取って耐久プレイチャレンジするか?』
「それは無理、オレ死んじゃう。やってるときって男ばっか頑張ってると思うじゃん? 女しんどいわ」
 相手が牧だからかもしれない、とも思う。
『そうなのか。痛かったり、つらいようだったら言ってくれ』
「そういう意味じゃねえよ。で、なんの映画見に行くんだよ?」

 数日後。
(これって、たぶん一般的にはデートだよなあ……)
 ショッピングモールを歩きながら、藤真は向かいから来る男女二人組を凝視した。まったく知らない人間ではあるが、おそらくカップルだろうし、ならばデートだと考えるのは自然なことだと思う。そして、今の自分と牧の状況もおそらく同様だ。
「今日、天気よくてよかったな」
「そーだね」
(ここも映画も屋内だから、関係ない気がするけど)
 セックスだけでは時間を持て余すので映画を見に行くことになったが、さらにその前に牧の買い物に付き合うことになっていた。
(本当の援助交際って、たぶんこういうのでもお小遣い貰うんだよな。おっさんってそんなのに金払うのか、無駄なことすんな……)
 無論、牧に小遣いをせびるつもりはない。藤真には特に買いたいものはなかったが、時間があるのは確かだったので、拒否する理由もなかった。モールの中をしばらく歩くと、牧が一つの店舗の前で足を止める。
「ここなんてどうだ?」
 店先のディスプレイは若い女性用の服だが、店の中には──やはり女性用のものしか置いていないように見える。看板や店名の雰囲気からしてそうだ。
「どうって、ここレディースじゃんか。……あ!?」
 何かに気づいた藤真と、にこりと笑った牧と、ふたりの視線がバチリと出会った。
「いつも制服ってのもアレじゃないか?」
「なんだよアレって。一時的に女になってるだけなんだから、服なんて買っても大して着る機会ないぜ?」
「気にするな、俺の買い物だ。金は俺が払う」
「は〜……お前、将来援助交際おじさんになりそう」
 少し前に想像したとおりの無駄遣いを、まさか身をもって体験することになるとは。
「年下が好きって思ったことはないぞ」
「援交おじさんだって、十七のときは同じ年ごろの女子が好きだったんじゃね? 知らねえけど」
「なんにせよ、俺が私服でお前が制服っていうのも妙だろう」
「あ〜? まあ、そうかなあ……」
 ふたりとも制服姿でさえ同級生には見えないのだから、私服と制服ならばなおさらだろう。援助交際に見えたとしても、藤真は特に困らないが、牧としては都合が悪いこともあるかもしれない。
「いらっしゃいませ♪ どうぞ中も見ていってくださいね〜♪」
 納得しかけたところで店員が出てきたので、藤真はそれ以上何も言わずに店内に入った。牧も続く。
「藤真はどういうのが好きなんだ?」
「どうって、動きやすいのが好きだけど。あ、アシックスの今度出るバッシュ好き」
「買ってやろうか?」
「いらねえし。お前の趣味の着せ替えなんだからお前が選べよ」
「そうか? ……お、こういうのいいんじゃないか?」
 牧が示したマネキンは、ミディアムヘアにエンジ色のベレー帽をかぶり、温かみのあるアイボリー色の、ケーブル編みのニットワンピースを着ていた。ワンピースの丈は短く、裾からチャコールグレーのショートパンツが覗いている。マネキンの髪型のせいもあって、藤真が着用している姿も容易に想像できた。
「これ、中は短パンだろう? 動きやすくていいんじゃないか」
「短パンて! おっさんじゃん!」
「短パンじゃないか、ほら」
 牧がワンピースをめくってみると、ウール系の素材のショートパンツが現れる。
「女のそういうのはショートパンツとかホットパンツとか言うだろ」
「ご試着なさいますか?」
 会話の切れ目を狙っていたかのように、すかさず店員の声が割り込む。聞かれていたのかと、牧はにわかに羞恥に苛まれた。
「どうする? 藤真は着てみたいもんはないのか?」
「ない。サイズ大丈夫だったらこれでいいよ」
 藤真としては初めに牧に言ったとおり、女の私服が欲しいとは思わないし、レディースアパレルの用語に疎いため店員とも絡みたくない。変なことを口走らないうちに買い物を済ませて店から脱出したかった。
「サイズですね〜、お客様でしたらこちらで大丈夫だと思いますよ〜。パンツと合わせていただけば、背の高い方でも気にならないと思いますし」
(まあ、金払うの牧だしいっか!)
「じゃあ、このマネキンが着てるニットとショートパンツ試着お願いします」
「かしこまりました♪」
「藤真、ベレー帽もいるんじゃないか?」
「は? なんでよ」
「あと、短パンの中にタイツを穿いてるといいな。それからブーツだな」
「タイツは試着はできないんですが、お品物としてはあちらになりますね。それからブーツですね〜……ブーツはこちらいかがでしょう?」
 早くここから立ち去りたい。店員の持ってくるものに無条件で頷きたい気分になりつつ、まだ藤真は冷静だった。
「あ、ヒールないのがいいです……」
「それでしたらこちらとか」
 店員の提案は、キャメル色のスエードのロングブーツだった。デザイン的な希望は特にないため、底が平らだと見るや頷いた。
「アッハイ、それでお願いします!」
 そうして試着室に案内され、マネキンが着ていたショートパンツとニットワンピにそそくさと着替える。
(おっ、結構似合うじゃーん。ていうか誰でも似合うんじゃねえかな、これ)
 もとよりルーズなデザインのニットは、サイズ的にも問題なさそうだ。まんざらでもない気分でベレー帽をかぶると、一気に可愛らしさが上昇した。
(我ながらかわいいじゃねえか……さすがミス翔陽……)
 試着室のドアを開けると、用意されていたブーツを履いて完成だ。
「わぁ〜♪ お客様、とってもよくお似合いです! かわいい〜」
「藤真、いいな! 制服もいいが、私服もすごくいい……!」
「オレの私服ってか、お前の趣味だけどな」
「サイズもちょうどよさそうですね♪」
「じゃあ、これ全部買います。……でいいよな? 藤真」
「おう、いいつっただろ」
 牧は頷くと、店員になにやら平らな四角いパッケージを渡した。
「じゃあ、このタイツとさっきのと一緒にお会計お願いします」
 どうやら、藤真が着替えている間にタイツを選んでいたらしい。褒めるつもりはまったくないが、なかなか豪胆な男だと感心してしまう。
「服このまま着て行ってもいいですか?」
「えっ」
「もちろんです♪ 値札を切りますので、お手数ですが一度脱いでいただきますね」
「は〜い……」
 牧は最初からそのつもりだったのだろう。抗う気もせず、藤真は試着室の中へ戻った。
(なんか、もう疲れたな……)
 あくまで女装として衣服まわりを提案されることには不本意ながら慣れているのだが、何も知らない女性店員に対して女として振る舞うと思うと緊張するものだった。牧が何を言いだすかわからないのも拍車をかけていたと思う。
 最終的に、タイツまで含めて購入したものに試着室で着替え、もともと着ていた制服風の服とローファーはショッパーに入れてもらってなぜか牧が持っている。
「ありがとうございました〜♪」
「ありがとうございました!」
「どうも……」
(なんか……気まずくてもうこの店来れない……来る必要ねえけど……)
 ショッピングモールの中を少し歩くと、牧がどことなくそわそわした様子で休憩用のベンチを指した。
「ちょっと休憩しようか」
「いいけど」
「……実はさっき、これも買ったんだ」
 牧はショッパーから小さな包みを取り出し、さらにその中から取り出したものを藤真の目の前に翳した。
「ネックレス」
 シンプルな印象のシルバーのネックレスで、トップのプレートには〝F〟の文字が型抜きされている。
「フジ子のFか!」
「藤真のFだ。……胸もとが寂しいかと思って」
(胸もとが寂しいとか、そんなん気にするタイプかこいつ?)
「安物で申し訳ないが」
「お前、買ったそばから安物呼ばわりすんなよ」
 真顔の牧に、なんとなく吹き出してしまった。
「事実なんだからよくないか? 言わないほうがいいもんなのか?」
 牧としては、プレゼントならもう少し高価なものを贈りたいという思いがあるのだが、ふたりはまだその土台に乗っていないという自覚もある。ただ、ちょうど入った店にイニシャルのネックレスがあったので、このくらいなら受け取ってもらえるだろうかと衝動買いしたものだった。
「まあいいや、じゃあつけてくれよ」
「ああ……」
 牧はネックレスの留め具を外すと、大真面目な顔で藤真と向き合い、チェーンの端を持った両手を彼の首の後ろに回す。藤真は唇を引き結んで牧をじっと見つめる。
「……」
「……難しいな」
 きわめて真剣な牧の顔と、後ろでカチカチ鳴るばかりでなかなか繋がらない様子のチェーンに、藤真は耐えきれず吹き出した。
「……ふっ!」
「笑わないでくれ、慣れてないんだ」
「だって。後ろからつければいいのに」
「!! そうだな、気づかなかった。……慣れてないから」
「はいはい。わかったからつけて」
 藤真は牧に首の後ろを見せるよう、斜めに座って首をひねり、ウィッグの髪を左右にかき分けた。
「おう……」
 藤真のうなじなどいくらでも目にする機会があったはずだが、妙に色っぽく見える。隠されていたところから現れるものというのは、たぶんに魅力的なのだろう。触れたい衝動を抑え、ネックレスの小さな金具をなんとか連結させる。
「できた」
「おー。どうよ?」
 藤真はネックレスのトップの位置を直しながら、牧のほうへ向き直る。視線と頭を上下させて藤真を見る、牧の口もとに穏やかな微笑が浮かぶ。
「ああ、いい感じだ……うん。いいな、タイツの透け具合もちょうどいい」
(あんまり言いたくねえが、まじでおっさん趣味だな)
 ただ、牧が純粋に浮かれている様子は面白くもあった。
「へ〜、神奈川の帝王って、こういうコが好みなんだね」
「な、な、なんだと!?」
「お前の女の趣味とか全然聞いたことなかったなって。まー、興味なかったけど」
(女の趣味と言われると、少し違うような気もするんだが……)
 牧としては、今の髪型の藤真がそれを着たら可愛いだろうと思ったし、実際に可愛かった、ただそれだけなのだ。
「それを言われたら、藤真の女子の好みも聞いたことないな。ファンが来ても適当にあしらってる印象しかない」
 売り言葉に買い言葉ではないのだが、つい呼応するようにそんなことを言ってしまった。しかし、実際はあまり聞きたい話でもない。どんな女性のタイプを言われようと、自分とかけ離れていることは明白だ。
「適当とか言うな、丁寧に対応してるだろ。……好みとか、あんま考えたことないな。まあかわいいって思えて、めんどくさくないのがいいな」
「めんどくさくない、とは……」
「真面目にバスケやりたくて、女と付き合うのがめんどくさくなったんだよ。だから別れた」
「なるほど」
「お前もそんなもんなんじゃねえの」
 真面目そうな牧が破局する理由として、最も簡単に思いつくのがそれだった。もしくは、少し感覚がずれていると感じるところがあるので、そこが許容できなかったこともあり得るかもしれない。
「やっぱりバスケのほうが大事だったから、時間が取れなくなっていったのは事実だな。そのうち相手のほうから別れ話を切りだされちまった」
「一緒じゃんか」
「違う。めんどくさいなんて思わなかった」
「めんどくさいじゃないなら、どうでもよかったんだろ。別れ話されて、お前は反論したのかよ?」
「いや……」
「やっぱどうでもよかったんじゃん。余計悪い」
「……まあ、昔のことだ」
 ふたりともが似たような感覚を持っているなら、むしろうまくいくのではないだろうか。そう口に出したくて仕方がなかったが、なんとかこらえた。
「さて、そろそろ映画に行くか」

 上映後、ロビーに出た藤真には、映画の感想より真っ先に言いたいことがあった。
「あのさ、手握るタイプの映画じゃなくね!?」
「藤真がこの映画がいいって言ったんじゃないか」
「見たいのあるかって、お前が聞いてきたからじゃんか。あ〜、なるほどね、ロマンチックな恋愛映画とか見ながら手を握りたかったわけね」
 買い物といいアクセサリーのプレゼントといい、しばらく彼女のいない牧が、デートのようなことをしたくなったのだろうと思う。映画も同じ意図だったのだろうが、そうとは知らない藤真が選んだものは危機と戦うアクション映画だった。そして、牧は気にせず自らの目的を遂行した。
「どっちにしろ手を握れたからOKだ」
「雰囲気とか、気にしねえのかよ……」
「一応ラブシーンあったからいいんじゃないか?」
「ラブシーンって言うのかあれ? 死ぬかもしれない状況でやるやつ、洋画あるあるじゃん」
「ロマンチックじゃないか。死んでもいいから一つになりたいっていう」
「違うだろ。あれは吊り橋効果とか、生存本能がどうのこうのってやつ。たぶん帰ったあと付き合い始めるけど、絶対すぐ別れると思う」
「なんだかんだ理由をつけてとりあえずお色気シーンを入れたいんだろう、外人も」
「まー、そうなんだろうね」
 でも面白かったね、など話しながら街中を歩いて行くと、ひときわ賑やかな店の前で牧が立ち止まった。ゲームセンターだ。その店頭の、ぬいぐるみの積まれたクレーンゲーム機を、牧は渋い表情で見つめる。
「……」
「牧ってゲーセンとか行くんだ?」
 意外だった。イメージもないし、藤真の感覚ではゲームセンターに入り浸るほどの時間はないように思えたからだ。
「いや、人の付き合いで入ったことしかない。だが、あれが気になって」
 牧の見るゲーム筐体の中を、藤真も見遣る。何かのキャラクターなのだろうか、茶色のクマ、白いクマ、ピンクのクマが積み上げられていた。
「気になるならやってけば?」
 言った途端、赦しが出たとばかりに小銭を投入していて笑ってしまった。
 藤真には興味のないものだったし、小さなぬいぐるみだ、ゲームに慣れていなければ普通に買ったほうが安いこともあるだろう。しかし、ゲームに集中しはじめた男の気を削ぐほど野暮ではない。
 牧は鋭い視線でぬいぐるみとクレーンを睨みつけ、慎重に狙いを定めて横へ、そして奥へとクレーンを移動させて見守る。位置は悪くないように思えたが、アームの爪がぬいぐるみの頭から出ている紐を掠めただけだった。
「あぁっ! 惜しいな!」
「いや全然惜しくなかったよ」
 藤真の言葉を聞いているのかいないのか、牧は引き続き硬貨を投入する。今度は別の、横たわっているクマを狙ったようだが、うまく掴めずに失敗してしまった。
「……なかなか、難しいもんだな」
「あのピンク取れそうじゃね?」
「茶色が欲しい」
「あっそ」
 みたびの挑戦も失敗に終わったが、惜しいと言えるものだったと思う。
「ぬおお……なんという……」
「もうやめといたら?」
「いや、もうわかった。理解した」
「ほんとかよ」
 半信半疑のまま見守っていると、クレーンのアームが茶色のクマの首をがっしりと挟み込む。釣り上げられたクマは、そのまま危なげなく景品ダクトまで運ばれていった。
「よーし、よしよし!」
「おめ! なかなかうまいじゃん」
「よし! 次は白だな」
「まだやんのかよ」
 その後何度かのチャレンジを経て、無事白いクマも景品取り出し口から顔を出した。牧はやり遂げたような満足げな顔で、白いクマを藤真に差し出す。
「じゃあ、これは藤真に」
「オレ? 別に、感性まで女子になってるわけじゃないんだけど」
「クマは強くて凶暴な動物だ。男の子が持って悪いことはないだろう」
(そう言われても、このクマはかわいいクマだろうがよ)
「もしかして茶色のほうがよかったか?」
「どっちでもいいわっ!」
「そうだな……じゃあ、藤真は茶色を持っててくれ」
「わかった。……一応、ありがと」
「ああ……!!」

 夜は通例どおり牧の部屋だ。今日の藤真は一刻も早くシャワーを浴びたかった。慣れないタイツとブーツで足が蒸れているように思えたし、ウィッグの上に帽子をかぶった頭部にも熱が籠っている気がする。
「あ〜、シャワー浴びても頭洗えねえんだよな」
「シャンプーとか使っていいぞ。ドライヤーもある」
「ウィッグつけ直すのが地味にめんどくせえんだよ」
「別に、つけなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「ショートヘアもいいと思うぞ」
 藤真としてはミディアムヘアのウィッグを装着してこその女装でありミス翔陽だったため、牧の提案は意外なものだった。しかし、牧がそう言うのなら頑なにこだわろうとも思わない。
「……お前が平気なんだったら、じゃあいっか。シャワー浴びるから、しっしっ」
 裸を見せるのは平気だが、着替えやウィッグを外した直後の姿はあまりに無防備すぎて、見せたいものではなかった。牧を追い払うと、藤真はウィッグを外し服を脱いで浴室に入る。遠慮なく牧のシャンプーとトリートメントを借りて、頭からシャワーを浴びた。
(はぁ〜、すっきりした!)
 帽子とウィッグの中は思った以上に通気性が悪かったようで、シャンプーのあとは非常に爽やかな気分だった。
(ちょっとおっさんみたいなにおいがするけど……)
 それはあくまで藤真の抱いたイメージであって、牧が特に中年男性向けのものを使っているわけではない。藤真の好みがメンズというよりユニセックスに寄っているのだったが、自覚はなかった。
 浴室から出ると、体を拭いてバスローブを羽織り、頭からタオルをかぶってわしゃわしゃ拭きながら居室の中を覗く。
「牧。上がった。ドライヤー借りる。その間にお前もシャワー入ったらちょうどいいんじゃね」
「おお、そうだな」
 牧は飛び跳ねるように立ち上がり、大股で脱衣所へ歩いて洗面台の端に置かれたドライヤーを指す。
「これ、ドライヤーな」
「見りゃわかるっつの」
 すれ違いざま、藤真の髪からよく知ったにおいがして、たまらず抱きしめてしまった。
「んっ、なに?」
 タオル越しに深く息を吸うと、藤真から自分と同じにおいがするのだ。考えるより感じたままに、華奢な顎を捕まえ、こちらを向かせて唇を塞いだ。
「ん〜っ……」
 初回は嫌がったキスも、すっかり行為の一部として受け容れたようで、、漏れる声が甘ったるい。そうしたままバスローブ越しに胸を掴むと、思い切り押し返されてしまった。
「じゃーま。髪乾かすつってんだろ」
「そ、そうだったな。すまん」
(拒否りかたまでかわいいんだが? 演技なのか、素なのか……?)
 きっと素だ。自然体の姿を見せてくれているのに違いない。都合のよい解釈を作りながら手早く服を脱ぎ、シャワーを浴びた。

 髪を乾かし終えた藤真がベッドに掛けて待っていると、まもなく牧も戻ってきた。藤真の視線は腰のバスタオルの下の隆起に、牧の視線は藤真の頭部にいく。本来の彼のものである、見るからにサラサラとした和毛だ。襟足は短いだろうが、目の上ほどの長さのやや重めの前髪は、やはり愛らしい印象だった。
「短いの、ひさしぶりに見た」
「そうかぁ? ……そうかも」
 思えば翔陽祭以来、牧と会う日は決まってウィッグをつけていた。冷静になると、我がことながらどうかと思う。
「いいな……」
 隣に牧が腰を下ろすと、ギシリとベッドの軋む音がひどく大袈裟に聞こえた。熱を帯びた視線を、藤真は怪訝に見返す。
「なに。ショートのほうが好きって?」
「ああ……いや。髪型で人を好きになるかどうかは決まらないと思う」
「うん? まあ、そうかも?」
 じゃあなんなんだよ、やたらジロジロ見て、などぼやいていると、牧はベッドの下から黒いビニール袋を引っ張り出した。
「実は今日は、これを着てほしいんだ」
 袋の中から白いふわふわしたものを取り出し、藤真に渡す。
「はっ……」
 受け取った瞬間になんとなくわかったのだが、広げて「やっぱり」と戸惑いと恥じらいの入り混じった引き攣った笑みが浮かぶ。それは白い半透明のシフォンとレースでできた、前開きのベビードールだった。一緒にたたまれていたショーツがひらりと落ちる。
「なんか今日、妙にコスプレづいてんな」
「私服を買ったのはコスプレのつもりじゃなかったんだが。……まあ、せっかくだからな」
「そうね、せっかくだからね」
 なんとも言いがたい反応をしつつも、藤真もまんざらではなかった。女体化と女装をして援助交際に繰り出し、そして男との性行為に至った時点で、一線は越えているようなものだ。こういったものを身につけたい願望はなかったが、プレイの一環と思えば拒否感もなかった。前回、突き詰めるだの勉強熱心だのと話したので、そのせいもあるかもしれない。
 ショーツを手に取ると、思わず声をあげる。
「出たっ! 穴あきパンツ!!」
 ベビードールと揃いの白いレースでできたそれは、全体的にはショーツの形をしているが股部分の布のない、プレイ用のランジェリーだった。
「オープンクロッチショーツっていうらしい。めちゃくちゃ気になる存在じゃないか?」
「うん。なんか通販チラシみたいなやつに載ってて、誰が買うんだろって謎に思ってたけど、こういうやつが買うのか……」
「きっとみんな買ってるさ。言わないだけで」
「そうかな……それにしても、これ、お前が買ってきたんだよな」
「アダルトショップに乗り込んで、わざわざ普通のパンツを買うやつがいるか? いや、いない」
「反語」
「店に入るまでのハードルは少しあったが、入ってしまえば吹っ切れるもんだ」
「まあわかる」
「というわけで、それを着てほしい」
 そう言ったきり、牧は無言で熱い視線を送ってくる。気圧されるくらいの熱量だ。
「……いいけど、こっち見んな」
「わかった」
 牧は藤真から顔を背け、藤真はベッドの上を牧の背中側に移動して、速やかに着替えた。
(うわっ……)
 自分で自分の姿を客観的に眺めることはできないのだが、それでもなかなかいやらしいのではないだろうか。羽根のように前の開いたベビードールから、局部がピンポイントに露出したショーツが覗いている。恥丘の割れ目から尻の割れ目全体が露出していて、下着としての実用性はやはり皆無に思えた。着ているだけで興奮してしまい、早く行為に移りたくて仕方がない。牧の広い背中に、一瞬躊躇したのち声をかけた。
「着た」
 振り返る動作のキレのよさに、思わず笑ってしまった。
「おぉ……いい……!! 天使みたいだ」
 牧は低く感嘆の唸りを上げる。清楚な白いシフォンとレースは全体に色素の淡い藤真によく似合っていた。ショーツに包まれた下半身から、一部分だけ覗く局部が非常に目を引いて、全裸よりも大胆かついやらしく感じられる。
「お前の天使のイメージって……」
 白くてひらひらしていれば天使なのだろうとは思う。キリスト教徒でもないだろうし、深い意味はないだろう。
「あと、これをつけてくれ」
 そう言って渡されたものは、白い猫耳のついたカチューシャだった。外側は毛足の短い白いファーで、耳の内側部分はピンク色になっている。
「まだあんのかよ。てか猫耳つけたら天使じゃねえじゃん」
「いいじゃないか、せっかくだ」
「さっきからせっかく、せっかくて……まあいいけど」
 セールだからと言って、いらないものまで無理矢理買ってくる家族のことを思いだしてしまった。文句は言ったが、局部を露出させたショーツまで着用しながら猫耳カチューシャを拒絶する気もせず、大人しく装着する。
「おお、白も似合うな! 藤真にはトラネコが似合うかと思ったんだが、服が白だから耳も白にしたんだ」
「どうでもいい〜」
「それからまだあって」
「一気に出せ!」
「しっぽだ」
「あ」
 牧の手にあるものを認めると、藤真はさすがに赤面する。耳と揃いの白いしっぽだが、その根もとにはいったんくびれてまた膨らんだ形のプラグが付いていた。どうやって使うものなのか、さすがに想像できる。
「しっぽも付けていいよな?」
 いちいち聞かないでほしいと思う。拒否すれば、牧は引き下がるのだろうか。
「……こんな格好して、いまさらしっぽくらい拒否るかよ」
 牧の口もとに明確に笑みが浮かぶ。あまり彼のイメージにはなかった──少し緩んでいやらしいと感じる笑みだった。
「じゃあ、四つん這いになってくれ」
(くっ、まあしょうがねえ、今のオレはかわいいネコちゃんだし……)
 言われたとおり、ベッドに手と膝をついて獣のように四つん這いになる。
「ほらよ」
 牧が藤真の背後に回ると、ベビードールの裾がめくれ上がり、小ぶりな尻が覗いている。大胆なスリットのせいで、尻の割れ目がレースで飾られ強調されて見え、白い肌の中心の、淡く色づいた肛門に目が釘づけになる。脚の間に覗く丸みを帯びた外陰部の膨らみは、男性の陰嚢に似ているとも感じた。
(俺が阻止しなかったら、知らないおっさんにこんな姿を見せてたんだろうか……)
 想いを成就させたわけではないのだから、自分だとてそれと同じ立場ではあるのだ。淫らで無防備な姿を晒す想い人に複雑な気分になりながら会陰部に触れると、滲み出ていた愛液にぬるりと指先が滑り、暖かな沼地のような膣口に落ち込む。
「あっ♡」
「相変わらずエロいな、もうこんなに濡れて」
「若いから潤ってんだろ!」
 年を取ると枯れるという表現は聞いたことがあるが、果たしてそういう意味なのだろうか。ゼリーのような卑猥な感触を楽しみながら、その源泉である膣口から女芯へと線を結ぶよう指を行き来させる。そのたび小さく上がる声と、ぴくんと跳ねる尻が愛らしい。
「あっ、んッ♡ 早くしっぽつけろっ!」
「せっかちだな」
 牧は藤真の内部に指を挿入して掻き回したり、プラグを差し込んだりしていたかと思うと、濡れた指を肛門に突き立てた。
「ひんっ!? お前、なにっ!」
 たっぷりとまとわせた愛液のぬめりを使い、ズ、ズズ、と少しずつ指が入ってくる。女性器への挿入とは違う、いっそう閉ざされたものを開かれていく感触と、これまで経験したことのない羞恥心とに、頭がおかしくなりそうだった。
「おいっ! そっち尻の穴!」
「しっぽはこっちだろう」
「まじかよ!?」
 過去には女子との交際があり、行為にも至っていたが、あくまで中学生の知識での、ごくノーマルなものだった。当然のような牧の口調に、自分の世界が狭かっただけなのだと即座に理解する。
 牧が指を引き抜くと、尻に冷たく濡れた感触があり、そして再び指を挿入された。ローションか何かを使われたのだろう。
「くぁっ! ヘンタイッ!」
 節くれ立った指が狭い内部を探るたび、背筋がゾクゾクして、期待に似た感覚が腹の底にくすぶる。本来いじられるべきではない場所だと思うと、なおさら興奮が増した。
 じき指が抜けると、プラグを押しつけられる。もとより肛門に挿入するために作られたそれは、濡らされほぐされた肛門につるりと呑み込まれてしまう。
「あぁぁっ!」
 痛くはない。ただ異物感と、それ以上に排泄口を弄られ異物を挿入されている羞恥心が凄まじい。屈辱と言っていいかもしれない。それでも抵抗や強い拒絶をしないのは、虐げる意図ではなく、あくまで快楽を追求するためのプレイとして行われているのだろうと思えるためだった。
「……あぁ……いいな、かわいい白ネコだ」
 尻から直接白いしっぽを生やした姿に、その下に覗く薄紅色の粘膜に、牧は満足げに目を細める。
「はっ、あんっ♡」
 ぺちぺちと尻の両側を叩かれると、そう強い刺激ではないだろうに中に振動が伝わり、無視できない感触を生み出す。
「二穴責めなんて、女のときじゃないとできないからな」
「お、お前なんなんだよ、ほんとに高校生かよ!?」
「十七歳ってのは、一生でいちばん性欲が強いらしいぞ」
「性欲が強いのと変態なのは別だろ!」
(牧のこと、老け顔だけど意外とフツーの高校生でいいヤツ、て思ってたけど違ったな。たぶんおっさん並み以上に変態……)
「でも、気持ちいいだろう?」
 牧はしっぽの根もとを親指と人差し指で掴み、内奥を抉るイメージで、プラグを抜かない程度にぐりぐりと動かした。
「はっ♡ あッ…気持ちいいわけっ♡」
「粘膜ってのは全部性感帯らしい。つまり尻で感じるのも別に普通のことだ」
「感じてねえしっ!」
「そうかな……」
 牧はしっぽを横に避けると背後から大陰唇を左右に開き、鮮やかな肉色の淫花に口づけた。
「あっ…♡」
 滴る蜜を啜り、舌を差し込み蠢かせながら指先は柔らかな恥丘をまさぐり、やがて女芯に触れる。
「ぁんッ!」
 非常に敏感になっているようで、それだけで腰が跳ねた。勃起してツンと尖り、自己の存在を主張するそれを、掠めるようにごく弱く指先ではじきながら、舌で膣口を愛撫する。
「あ、あっ…はぁっ…♡」
 藤真は弓なりにのけぞり、しきりに体を小さく跳ねさせる。陰核が弱いことはわかっていたが、悔しいことに、肛門に挿入されていることにも感じていた。二つの穴を同時に責められるなど、想像しただけで子宮が疼く。舌ではなくもっと長大なものを求め、自然と尻を後ろに突き出していた。
「ひっ、あぁっ♡ あぁぁぁっ…!!」
 極まったかのような高く細い声が上がると、差し込んだ舌がきゅうと締めつけられ、腰ががくがく震える。肛門が収縮し、しっぽの根もとがぴくぴくと動いて、いかにも牧を誘うようだ。
「あ…♡」
 快楽の余韻も去らないうちに、背後にえも言われぬ圧を感じる。膣口から陰核にかけて、亀頭部を擦りつけて往復する動作に焦らされてたまらなくて、猫のように尻を振った。
 獰猛な剛直が、淫唇を押し広げ、欲心まる出しの体を串刺しにしていく。
「うぁっ、あ、ぁぁぁッ…♡」
 のけぞりながら、鳴くように声を上げるさまが、頭の猫耳もあいまって本当に獣のようだ。下腹部が尻に触れるまで押しつけると、ふたりともにこれまでより深く繋がっている実感があった。
「すご。深い……」
「わかるか?」
「うん……」
 膣への挿入によって内壁が押し上げられ、プラグが肛門を刺激しているのがたまらなく気持ちいいのだが、さすがに口に出すことはできなかった。
「動くぞ」
 長いストロークで、ゆっくりと抽送を始める。
「う、あぁっ…」
「ああ……中で擦れてるな」
 粘膜の壁を隔てたプラグの存在は牧にも感じられていた。それ自体が快楽というよりも、藤真に対して変態的な行為をしている実感に煽られる。焦らすように、味わうように緩慢に動作していたが、すぐに辛抱が効かなくなってピストンのペースも上がった。
 パン、パンと体を打ちつける乾いた音に合わせて、リズムよく嬌声が上がる。
「おっ、あっ、あぁっあ…♡」
 膣奥深くへの刺激もたまらないが、プラグを挿入された肛門が熱く疼き、快感を増幅しているようだった。
(やばっ、尻も感じるし、ちんぽとプラグが擦れて、こんなのッ…♡♡♡)
 愛液をあふれさせ、絡みつく淫肉を引き剥がしながら行われる打擲の音は、粘性の水音を含んだ卑猥なものに変わっていく。
「あぐっ、あんっ、はっ、あんッ♡」
 薄布越しに乳首を摘むと、ひときわ大きく体が跳ねた。コリコリとした感触を指先で愛ながら行為を続ける。
「あんっ♡ やぁ、んッ♡」
 直接の快感も、曲線的な体を眺めるのも好い。猫耳のついた後ろ頭も無性に愛らしく感じられたが、やはり顔が見たいと感じて動きを止めた。
「ん……まき?」
 ねだるようにこちらを振り返る藤真に苦笑しながら体を引き、彼の体内に埋めていたものを取り出す。ふたりの性器から滲み出た体液が、ねっとりと絡み合って糸を引いた。
「仰向けになってくれ」
「体位チェンジか!」
 藤真は素直に仰向けになって膝を立てた。白いレースのショーツのスリットから、まだ穴が空いたように開いたままの淫花が覗く。摩擦によって赤々と充血したそれは非常にい淫靡で蠱惑的で、牧は鑑賞もそこそこに再び身を沈める。
「んんっ…あぁぁっ♡♡♡」
 藤真は待ちわびていたかのように歓喜の声を上げた。反らされた喉と恍惚とした表情から察することはできたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「気持ちいいのか?」
「いい! サイコー♡」
「コスプレが好き?」
「そういうわけじゃないと思う」
 答えながら、挿入した男根をきゅ、きゅっと締めつけてくるのはわざとなのだろうか。
「しっぽが気に入った?」
「……さあ……」
 明確に答えず視線をそらす、その仕草が可愛らしすぎて衝動のままにキスをした。
「んむ、ぅ…」
 舌を押し込んで絡め、吸って弱く歯を立て、唇を食む。赤く充血した半開きの唇に彼の性器の色がよぎって何度も舐め回した。
 さほど大きくない胸は、柔らかさもあって仰向けに寝ると扁平に広がりあまり隆起を感じさせない。ぷくりと膨れて薄布を持ち上げる乳首を布越しに転がすように撫でると、藤真の体が大きくうねり、柔壁がきゅんきゅんと締まってふたりの密度を上げる。
「ぁっ、んっ…」
 快楽に震えるまつ毛の下で、陶然とした瞳が牧を見上げる。いじらしくきまぐれで、悪戯好きのかわいい子猫。赤く染まった頬も、潤んだ唇も非常に扇情的だ。もう一度キスをしたい衝動に気づいて拒むかのように、藤真の唇が小さく動く。
「なあ、早く……」
「ああ……」
 プラグに拒絶を示していたことなどすっかり忘れた様子の甘い声に、牧は抗うすべもなく腰を引いた。
「んっ、あぁっあ…♡」
 陰唇が開き、浅黒い肉棒に吸いついたピンク色の肉襞がめくれ上がって覗く。白いランジェリーとの対比で、充血した粘膜の色があさましく強調されて見えた。痴態を晒しながら、藤真はのけ反り目を細め、さも気持ちよさそうに喘ぐ。
「藤真……」
 続く言葉は出なかった。とろんとした瞳の藤真と、腰を抱えて離さない女の陰部と、快楽の気配に気が遠くなる。
「牧?」
 彼に恋をして、自分が望んだのは、果たしてこんなことだったろうか──そう頭に過ったのは一瞬だ。呼ばれるままに体を進めればあえなく快楽の波にさらわれ、呑み込まれていくほかなかった。

 キャンディを使った日の夜は異様なまでに眠くなり、夢も見ずにぐっすりと眠ることができた。三度目ともなると偶然ではなく、キャンディのせいのように思える。睡眠時に肉体の性別が元に戻る働きが行われているという説明は受けていたので、納得ではあった。
「う〜〜……ん」
 ベッドの上で、まだ眠そうに伸びをした藤真の目に、真っ先に飛び込んできたものは茶色のクマのぬいぐるみだった。昨日ゲームセンターで牧からもらったものを、置き場所に困ってベッドのヘッドボードの棚に置いたのだった。どこかとぼけた顔をした茶色のクマから牧の顔が思い浮かぶのは、それをくれた人物だからというだけではないだろう。
(茶色のクマと白いクマって、牧とオレ的な意味だったとか……?)
 牧の意図はそのとおりなのだが、藤真当人としては自らのことを白い生き物に例える感覚がないため、いまいち確信できない。
(で、牧がオレのクマを持って、オレが牧のクマを? どういうつもりなんだ? おみやげ?)
 不思議な気持ちで見つめた、クマはただ黙って微笑みに似た表情を浮かべているだけだ。
(まー、意外と普通に面白かったかも。牧とバスケ絡まないで遊ぶなんてなかったもんな)
 そして昨日の変態的な行為を思いだし赤面する。性器は朝勃ちという以上に反応している気がするし、それになにより体の内側がむずむずとする感覚に、どうしたらいいかわからなくなる。男としての自慰行為では、その欲求を完全に解消できないことは知っている。昨日のキャンディは三つ目だったから、残りは一つだ。
(コザキのとこに行って、追加のキャンディを貰お)
 藤真は迷いもなく、自然にそう考えていた。頼んでもいないのに押しつけられたようなものだ、欲しいと言えば貰えるだろう。

 その日の放課後、藤真はさっそく特別教室のある別棟へ向かった。同じクラスに科学部の生徒はいなかったものの、科学部の部室は別棟の第二実験室だということはわかった。藤真たち運動部にとっては、一部の授業の教室移動でしか訪れない場所だ。
 部活の時間が始まったばかりのせいか、実験室のドアは開いていた。
「失礼します」
 辛気くさい実験室には不似合いな──と部員たちには感じられた──爽やかな美貌に、室内の面々は騒然とした。
(藤真!?)
(バスケ部の藤真がなんでこんなところに!?)
(授業の忘れ物かな!?)
「はい! な、なんでしょう!?」
 おとなしい文化部員たちにとって、光の存在である運動部は自分たちとは別世界に住む近寄りがたい存在だった。バスケ部の選手兼監督の藤真ともなればその最上位に位置するのだが、当の藤真にはもちろんそこまでの自覚はなく、妙にあらたまった生徒の三年の校章を見て不思議に思うだけだった。
「コザキいるか?」
「え、誰だって?」
「コザキだよ。コザキヨウイチ。文化祭の次の日に話したんだけど」
「な、名前間違ってないかい?」
「佐々木ならいるけど……」
「大崎とか?」
 科学部一同は困惑して顔を見合わせる。正直な反応だった。ただでさえ話すのに緊張するような相手の、のたまう名前にはまったく覚えがない。
「ちげえよ、コザキだ。絶対そう聞いた。キツネっぽい顔のやつで、オレにキャンディをくれたやつ」
「……悪いけど、そんな部員はいないよ。キツネっぽいやつも思い浮かばない」
「じゃあコザキじゃなくていいからキャンディを出せ」
 藤真は残り一つだけのキャンディが入った小瓶を部員たちに見せつけて、カラカラと振った。
「キャンディって、誰か知ってるか?」
「いいや?」
 非常に珍しい来客に、最初のうちは遠慮もあったものの、思い違いを完全に信じ込んでいる相手に付き合い続けても仕方がない。運動部ってやっぱり脳筋なんだろうな、と納得しないこともなかった。
「悪いけど、キャンディもコザキも誰も知らないみたいだ。藤真くんて、たまに迷惑なファンがいるんだろ? そういうのじゃないのか?」
 藤真はいわゆる〝空気が読める〟と言われるタイプだった。部員たちの困惑ぶりを見るに、嘘をついていたり、何か隠しているようには見えない。そしてあらためて部室内を見ると、ここでキャンディを作っているとも思えなかった。
「……そっか。なんか、すまなかったな」
「いや、こっちこそ力になれなくてごめん」
 どうにも納得のいかない気分のまま、藤真は科学部の部室をあとにした。
(コザキ……あいつ、何者なんだ?)
 先ほど話した科学部の三年は、名前こそ知らないものの、まだ見覚えがあるような気がした。クラスも部活動も違っても、朝礼や集会などで視界に入ることくらいはあるだろう。しかしコザキにはそれすらなかったと、あのときも不思議に感じたのだ。
(もしくは〜〜裏科学部みたいなのがあるとか?)
 もしそうだとしても、手掛かりがないのだからどうしようもない。
(いや、そもそもなんでオレはキャンディ補充しようとしてるんだ? 貰ったぶん食い終わりで、それでいいじゃねえか)
 女の体になって、女としてのセックスを体験した。想像以上に深く危うい快感は、失うには惜しいと思うほどだったが、しかしこの先ずっと女として生活していきたいと思うわけではない。やはり男の状態こそが自分の体だと感じるし、この体でまだまだやりたいことだってある。
(バスケ、とか……)
 牧の姿が脳裏をよぎる。あと一回。それで女としてのセックスも、個人的に牧と会うのも終わりだ。瓶の中の寂しげなキャンディに、なぜだか胸が詰まると感じていた。
 
 
 

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