蜜月

R18ネッド×エミル。行為に慣れてきたり余計なこと考えたりオーベルフェに向かったり [ 10,078文字/2018-05-27 ]

 首筋、胸元、腋窩、脇腹。舌を這わせ、指先を遊ばせるたび高い声を上げて体が揺れる。若い肉体は粘膜ばかりでなくどこも敏感で、一際感じる場所を見つければ自分の行いを、存在を認められたかのような満足感が込み上げる。
 初めこそ罪悪感や戸惑いも強かったものの、自らの欲に溺れるよりエミルの求めに応じる意識が強くなれば後ろめたさは消え、近頃はエミルに尽くすことに悦びを感じるようになっていた。自分は孤独を好む性分だと思っていたが、実際は極めて従属的な性質なのだろうと──もう随分と長いこと城に勤めてきて、随分と今更な実感を抱く。
 元来探究は好きな性格だから、あれから密かに本などで知識を得たし、エミルから誘いがあるたびに実践と新たな発見を得ることに努めた。無論いつまでも落ち着いていられるわけでもなく、結局は自らも快楽を貪るのだから、探究も奉仕も自分を納得させる理由づけでしかないのかもしれなかった。
「んっ…あんっ♡」
 膚の感触を味わい、骨の形を確かめるように体をなぞりながら、目の前に突き出した桜色の乳首に吸い付く。口に含み、甘く歯を立て、舌先で転がせば立ち上がり硬さを増した。唇を離すと艶やかに赤く色付き、乳輪全体がふっくらと腫れ上がって存在感を誇示していた。そのさまになお煽られ誘われるように、再びくちづけしきりにそこを苛める。
「ん、もぅ、そこばっか♡」
「嫌ですか?」
「嫌じゃないけど、さぁ……んっ♡」
 仕上げのように音を立てて乳首にキスをして、愛らしい腹部を舌と鼻先でなぞり、臍にまで舌を差し込む。
「ぁんっ、そこ、やっ」
 念入りに体を洗ったつもりではいるが、予想外の箇所を執拗に舐められると途端に不安で、無性に恥ずかしくなる。
「でも、感じてるんじゃないですか?」
「んんっ、もうっ…♡」
 ちゅばちゅばと音を立てながら、ネッドはそれを唇に見立ててキスをしているようだった。照れくさく、もどかしくて、しかし愛しいとも思える。
「ネッドさ、舐めるの好きだよね」
「……若が気持ちよさそうにするからですよ」
 実際、義務と思ってそうしているわけでもない。食べてしまいたいくらいかわいいという表現をしきりに思い出しながら没頭してしまうのだから、つまりエミルの言う通りなのだ。ネッドの心情的なものもあり、組み敷いて体を繋げるよりもこうして戯れているほうが好みかもしれなかった。
 臍から下腹へと唇を添わせていくと、エミルが身構えるのがわかる。淡い色をした若い猛りは反り返るほどにそそり立ち、形の良い先端部を潤ませている。ネッドは目を細めてそれを見つめ、頬を擦り寄せるようにしてエミルの脚の付け根に舌を這わせた。
「ぁんっ、あっ…」
 強く舌を突き立て、骨の窪みをなぞり、焦らすように舐め回しながら、体を震わせ落ち着きなく脚を動かすエミルの反応を愉しんだ。
「ふぁっ、あ♡」
 陰嚢を口に含み、柔らかな輪郭を舌の上で愛でるように転がし、弱く吸う。エミルは愛らしく悶えながら声を上げる。もはや愛しくてならない陰茎に唇を添わせ、ねっとりと張り付くように舌を這わせて先端部まで舐め上げ、口に含んだ。
「ひゃあっ……!」
 根元近くまで咥え込むように喉の奥まで押し込んでやると、エミルは一際よく反応する。
「あ、うぅっ…♡」
 深くエミルを受け容れる満足感と、不自由な呼吸に頭が軽くなっていく感覚とに陶酔する。ともすれば飛びそうになる意識を、敏感な喉奥をエミルの肉棒で抉り、擦り付ける刺激で保つ。
 柔らかな場所にエミルの存在を強烈に感じながら、エミルが感じていることも実感できる、ネッドはその感触に快楽を見出し、夢中で顔を上下させた。
「んぁっ、んんっ…♡ ぁっやだっ出るっ……!」
 頭を押し返されて顔を上げると、喉奥まで咥えこんでいた先端が、唇との間に重く垂れる粘性の強い糸を引いた。
 見上げればしきりに上下する胸の向こうに見える顔はすっかり赤く、潤んだ瞳は逃げるように向こうを向いた。いじらしい。胸の奥の、自分でも理解できないところをくすぐられるようで、ネッドは再びエミルの性器を口に含む。エミルの抵抗はなかった。
「っ…♡」
 喉に押し付け、押し込めて、唇と喉奥で締め付けながらピストンする。
「あ゛っ…♡ それ、すご、あふぁあ♡ あっ、あ、あぁぁっ♡」
 エミルは仰け反り腰を浮かせ、やがて自ら腰を動かす。張り詰めて今にも弾けそうな猛りで喉奥を叩かれる、強く求められている実感に、ネッドの体の中心もまた痛いほどに疼いていた。
「あんっ、あ、ダメっ、出っ…♡ あっ……!」
 達する寸前で拒絶しようとしたものの間に合わず、ネッドの頭を押し返しながら射精してしまった。勢いよく飛び出した精液はネッドを直撃して、顔を、髪を汚す。
「わ〜〜っ! ネッドごめんっ!」
「いえ……大丈夫です……」
 ネッドは至って落ち着いた様子で、口周りに付着した精液を舌で舐め取り、顔に付いたものを手指で拭ってそれもまた舐めた。いつもより濃厚なエミルの匂いに包まれていて、なんとも言い難い良い気分なのだが、顔に掛けられて嬉しかったとも言い出せず、慌てるエミルに顔や髪を拭われるままになっていた。
「……ふう。いつも思うけどさ、ネッドのフェラすごいよね? 口どうなってんの? 舌かな?」
 最中は賑やかなエミルであっても、射精すれば一旦は落ち着く。急に我に返ったような調子で言いながら、ネッドの口をこじ開けて中を覗き込んだ。
「あがが。別に普通の口と舌だと思いますよ」
「されてるときどうなってるのかよくわかんないんだけど、ネッド口の奥行き? が深すぎない? もしかして僕のが短いだけ?」
 一方エミルの口にはネッドの質量はどうやっても受け入れ難い。がんばっているつもりではあるのだが。
「いえ、充分ご立派かと……口というより、喉で受け入れているというか」
「喉!? オエッてなんない?」
 エミルは信じられないといった様子で目を見開く。
「全くないことはないですけど、割と平気なんですよね。吐き慣れてるせいで反射が鈍いのかもしれません」
「なにそれ、吐くのに慣れなんてあるの!? 不健康すぎだろ!」
「まあいいじゃないですか、役に立ってるんですから」
「いいのかなぁ〜……まあいいか♪ それじゃ休憩おわり♪」
 案外と真面目で律儀なエミルは、お付きのこともしっかり満足させないと納得しない性分だった。ネッドに擦り寄り、下腹部で半勃ちにまで落ち着いていたものを握り込む。
「僕もやってみよ♪」
 意気揚々と上体を倒し、ネッドのものを喉奥まで思い切り咥え込み──
「オエッ!」
 盛大にえずいた。

 別の日。
「あっあ、あぁっ♡ しゅごっ♡ あぁああ〜♡♡♡」
 頭を引っ込めて萎れたままの男性器をふるふると震わせ、粘性の少ない体液を漏らしながら、エミルは何度目かわからない絶頂の波に身を委ねた。
「あふっ♡ あんっ♡ ネッドのちんぽきもちいすぎて♡ 僕メスイキしっぱなしのメスプリンスになっちゃった♡♡♡」
 とろんとさせた瞳を潤ませ、微かに笑んだような表情で──幸せそうに声を上げるエミルを見ていると、もっと悦ばせてやりたくなる。この状態では通常の男性の射精後のような鎮静状態が訪れないことも知っている。
 ネッドは体を繋げたまま、正常位の形で抱えていた脚の片方を下ろし、仰向けだったエミルの体を横に向ける。
「あぐっ♡」
 ぐるりと内奥を抉られ、エミルは思わず声を上げた。肉杭はゆっくりと抜け、再び奥まで進み、常とは違った角度から中を擦られ、エミルは新鮮な快感に震えた。
「あ゛っ! 深いぃ♡ おっおっ おぉ…♡」
「まだレポートできます?」
 ぐっと深く挿入して、なお腰を押しつけながら、ネッドは目を細める。
「んふっ♡ 僕のナカの一番奥に♡ ネッドの先っぽがキスしてる♡ おおぉっ…♡」
「そう…若の中、吸い付いてくるみたいで……やらしい身体ですね」
「おまえがしたんだぞ♪ あっ、あんっ♡ あぁっ♡」
 味わうように腰を回して搔き乱し、やがて抽送を再開する。柔らかな部分をネッドの欲望に抉られ、激しく撫で上げられる感触に、エミルもいよいよ言葉を失う。
「あんっあ♡ おおおぉ♡」
 ネッドの動きに合わせ、自らも腰を振り身を捩りながら、再び強烈な快楽の奔流に堕ちていく。
「んっんんんっ♡ あぐっ、あぁっ♡」
 激しく腰を打ち付けられるたび、既に一度体内に放たれたネッドの精液がじゅぱじゅぱと下品な音を立て、一層興奮を煽った。
「あひっ♡ あぁっ♡ またきちゃう♡ あ゛ああぁ〜っ♡♡♡」
「私も…」
「いいよ♡ あぁんっ♡ あ゛あっ♡ しゅき♡ 僕中出しされるのぉっ♡ お゛ぉおっ♡」
 エミルは譫言のように言いながら、体の内から波のように押し寄せる強烈な快楽の中で、体の最奥に精液を注ぎ込まれる興奮に打ち震えた。

「はー、気持ちよかった♪」
 事後、晴れ晴れと笑うエミルの傍らに、ネッドはぐったりと体を横たえていた。
「若、いつも元気ですねえ……」
 最中は良いのだ。エミルを満足させることを考えながら、自分もしっかり愉しみ夢中になって、余計なことは気にならない。しかし事を終えて興奮が鎮まると、もともと体力のない肉体にどっと疲れが押し寄せる。
「うん、精子注がれると精力みなぎるってかんじする♪」
「はっ! 私、精力を吸われて……!?」
「そうかも。まぁいいじゃないかそのうち復活するんだし♪」
 本当にそうだろうか、そのうち使い果たして枯れたりしないだろうか──自分の想像にぞっとして、ネッドは口を噤んだ。
 ネッドは長らく、健康な男性にある程度の性欲をほとんど意識せずに生きてきた。呪術にしか興味を抱けないという、それ自体が呪いであるかのような性癖のためだったが、やがてエミルによって打ち破られて今に至る。
 今だとてその衝動は随分と弱いが、先ほどの想像を恐れるのは雄としての矜持ではなく、求めに応じられなくなればエミルのそばにいられなくなるように思うためだった。
「今日もたっぷり種付けされたし、そのうち赤ちゃんできちゃうかも♪」
 エミルは楽しげに笑い、自らの下腹部をぺちぺちと叩く。
「できるわけないでしょ」
 即答で否定した、このときはまだいつもの下らない会話としか思わなかった。
「そうかなあ? 僕ら精霊族なんだから、もしかしたら不思議な力で子供が生まれるかもしれないじゃないか♪」
「精霊族も人間も動物も雌の腹から子が生まれるわけで、確実にないと思いますね」
 言い切ってしまってから、自分の言葉に引っ掛かるものを感じて付け足した。
「……子供、欲しいんですか?」
「できたらおもしろいよね♪」
 エミルはいつもと変わらぬ調子で無邪気に笑う。恨み言でも無念でもないだろう、そこに他意がないことはわかっているはずなのだが──
「……」
 小さな棘はみるみるうちに大きな杭になって心臓に穴を開ける。
 エミルの子供。大層愛らしく、本人同様一族全てから愛される太陽のような存在になるだろう。
「しかし私といる限り、それは叶わないんですよ」
 ネッドは知識だけは蓄えているものの、視野は広くなく思い込みが激しい性質だった。例えばここでエミルが自分と関係を持ちながら妻を娶り子を成す可能性については思い至らない。
「ん? なにネッド、辛気くさい顔して」
「いつも通りです」
「いいや、ぶちぶち余計なこと考えてる顔だね」
 長らく一緒にいるから、エミルもネッドの性格は心得ている。彼はエミルが気にも留めないようなことを気にして、一人で考え思い込みを深めては勝手に落ち込むのだ。
「若。私はあなたを縛りたくはないんです」
「なんの話だよ?」
「もし本当に子供が欲しいなら──」
「あーもうっ、めんどくさいな! ただのもしも話じゃないか、庭掘って温泉が出たらみたいなさ?」
「そうでしょうか?」
 運に任せるような話ではない。二人が離れ、エミルがその気になれば簡単に叶うはずで、エミルが望むことならば自分も異論はない──そう思いたいが非常に息苦しく、身体が疲れている以上に具合が悪く感じられた。
「私は構いませんよ。……若のしたいように、して欲しいので……落ち着いて、よく考えてみてください」
「はあ!?」
 ネッドは重い体を持ち上げ、覚束ない動作で、脱ぎ捨てていた寝間着を身に着けていく。そしてそれきり何も言わず、ふらついて体を揺らしながら立ち去ってしまった。
 彼が事後に疲れているのはいつものことだし、夜遅かろうが自分の部屋に戻るのもいつも通りだ。しかし妙に後味が悪い。
「ネッド、今日は賢者タイムのひどいやつなのかな」
 自分と比べて行為の最中と後での落差が大きいこともよく知っているが、それにしても機嫌が悪かったような気がする。
(構いませんよ、だって。何が? 何を考えろっていうんだよ。ネッドはいつもそうだ、自分が正しいって思って勝手に決めつけてさ)
 事後の心地を邪魔されたようで面白くなくて、顔を顰め唇を尖らせて布団に潜り込む。
「……ス〜♪」
 運動の後は特に寝付きが良いのが救いだった。

 翌日、エミルは起き抜けから昨夜のことで悶々としながら予定をこなしていた。座学の担当がネッドでなかったのは良かったのか悪かったのか、時間が空いてもなんとなく自分から会いにいく気がせず、気分転換にと外へ出掛けることにする。
 公園には手を繋いで歩くカップルや、子供を連れた家族が多く目に付いた。特に目立つ格好をしてきたつもりもないがエミルに気付く者もいて、挨拶されれば返し、子供に手を振られれば同じようにして笑顔で見送った。
 親の手にぶら下がるようにして引き摺られて行く子供、仕方なさそうな顔をしながらも笑い合っている夫婦。
(僕らはあんな風にできないし、なれないんだ)
 幼い頃から見上げ続けてきた憧れを、長い年月を掛けてようやく手に入れた。それで充分満足していたし、足りないものがあるとは考えもしなかった。しかしネッドは違ったのかもしれない。

 夜、昨日の今日ではあるが、エミルは自室にネッドを呼びつけていた。ネッドにも思うところはあったのだろう、反応は素直なものだった。
 部屋を訪れたネッドを招き入れ、二人横並びでソファに腰掛ける。
「ネッドに言われて考えたんだけど……」
 ネッドは固唾を吞んだ。しおらしい様子のエミルにざわざわと不吉な予感がして堪らない。いたく短絡的な発言だったと夜中後悔して寝付けずにいたが、深夜にエミルの部屋に戻るわけにもいかず、あいにく今日は日中に顔を合わせるタイミングもなかった。
 以前から思ってはいたのだ。事後は思考を介さず迂闊なことを言いがちだから、あまり話さないほうが良いのだろうと。神妙な面持ちのエミルが発した言葉は、ネッドの想定外のものだった。
「僕、女の子に生まれればよかったな」
「……!?」
「ネッドもそう思うんだろ」
 エミルはふざけるようでもなく至って真剣な様子だ。ネッドはにわかに混乱しつつ声を絞り出す。
「な、何を言い出すんですか、私はそんなことまったく……」
「だって、そうしたら僕とネッドの子供ができるじゃないか」
「わ、私は別に、子供なんて欲しいと思いません……」
 ネッドは狼狽え、声を震わせる。ネッドにとってエミルこそが絶対で、エミルの望むことによっては彼のもとを去らねばならないだろうと考えていた。
 しかしエミルは違った。飽くまでネッドと共に在ることを考え、彼にしては非常に珍しい自己否定に近い発言にまで至った。自分の言葉が、態度がエミルにそうさせた。ネッドにとっては非常に衝撃的で──罪の意識さえ感じることだった。
「恋人みたいにお日さまの下でデートしたり……」
「一緒に出掛けてるでしょ?」
「おっぱいないし……」
「構いませんよ」
「おちんぽついてるし……」
「いいんじゃないですか?」
「じゃあおまえは僕の何が気に入らないっていうんだよ」
 エミルは眉を顰めて唇を尖らせる。
「だから……気に入らないところなんてないんですって……そういう意味ではなくて……」
 何と言えば誤解がないのだろうか。余計なことばかり言って、伝えたいことを伝えられず、エミルに余計な懸念を与えて。
「私は今の若に不満なんてないですし、その……好き……なので……」
 視線を泳がせながら言葉を探し出すネッドに、エミルの表情がぱぁっと明るくなる。
「ほんと? ほんとにほんと?」
「本当です」
「そっか♪ ん〜♪」
 言いながらエミルは体を寄せ、顎を上げて目を閉じた。ネッドは首を前へ折り、応えるようにくちづける。
「……じゃあさ、昨日機嫌悪くなったのは何? スーパー賢者タイム?」
「まあ、そういうもんですかね……」
 それだけではないが、それもなくはない。何にせよエミルは現状の関係を変えることは考えていないようだ。解決として問題ないだろう。
「ならいいか♪ ……でもさ、なんかネッドは、昔から僕を突き放すよね」
 結ばれるわけにはいかないと言って告白を拒絶したあの頃から、ネッドの本質は変わっていないと思う。理解できないと感じることも多い。しかし到底嫌いにもなれない。
「突き放すというか……出会った頃も、随分経った今でも、どうしても若と私では釣り合わない気がするというだけです。あなたが特別なのは皆が認める、変えられない事実ですから」
「そりゃ僕が族長の子なのはどうしようもできないけどさ、僕はネッドが好きなんだから、ネッドはあんまり自分を卑下しないでほしいよ。それっておまえが僕の好きなものを否定してるってことなんだから」
「……!」
 頭を殴られたようだった。エミルが自らの性別や肉体について否定的な発言をすることを、ひどく悲しい気持ちで聞いていた。衝撃的だった。そんなことを言わないで欲しいと思った。それらの想いの底にあるものは、まさしく今エミルが言った通りのことに違いないのだ。
 納得できるかは微妙なところだが、理解できないわけではない。頷くしかなかった。
「……できるだけ、善処します」
「うん、してして♪」
 エミルはにこりと笑ってネッドに体を預けるが、見上げる表情は晴れない。
「……そうだな、じゃあまず、僕のことを名前で呼んでみてよ♪」
 ネッドは慌て、思わず声を上げる。
「ええっ!? そんな、ダメですって。何が『まず』なんですかっ」
「僕がいいって言ってるんだからダメじゃないだろ。ほら、エミルって! 可愛い名前♪」
「それは……可愛らしい……ですけど……」
 ネッドはもごもごと口籠る。長年〝若〟と呼んできたのだし、エミルのことを名前で呼ぶ者など彼の親族しか知らない。
「おまえ、さては僕の名前が嫌いなのか?」
 エミルは目を据わらせ、ネッドの襟ぐりを掴んで凄む。拒絶も誤魔化しも許してはくれなそうだ。
「なんでそうなるんですかっ! 違いますって……エ、エミ……」
「がんばれ! もう一声!」
 エミルは両の手のひらを口の横に当てて、わざとらしい応援の仕草をする。
「ル……」
「通して言ってみよう♪」
「エ、エミル……」
 小声で呟くようにではあったが、確かに発した音の連なりは不思議なくらい大きな存在感を持って耳に残り、甘く胸をくすぐるようだった。
「もう一度♪」
「エミル……」
 エミル本人によく似合う、愛らしくて明るい響きだ。慣れないせいかまだ照れくさいが、しかし口にするだけで心嬉しくなる。自分の知る術とは違う──まるで魔法のようだった。
「大きな声で♪」
「いや、それは必要ないでしょ!?」
 エミルは楽しげにカラカラ笑う。
「エ、ミ、て言うとさ、ネッドだって口が笑った形になるだろ? だからいっぱい僕の名前を呼んだらいいよ♪」

 数年後、二人は世界樹を臨む街・オーベルフェへと向かっていた。
 世界樹を守るという言い伝えのもとに生きている一族だ、彼らの里との実距離はさほどのものではない。一介の冒険者と変わらぬ程度の荷物を背負い、広い街道を歩きながら、エミルは明るい空を仰いだ。
「なんだか仕組まれてるっていうかイージーモードっていうか、あんまり冒険って感じしないな」
 現地には既に多数の同胞が潜伏している。二人は人間の冒険者として振る舞い、彼らとは別行動をとることになっているが、いざとなれば助けが入るとのことだった。
「いいじゃないですか。安全第一です」
「そりゃまあ、そうなんだけどさ」
 過去の出来事を忘れたわけではない。ネッドにそう言われてしまうと、エミルも強くは出られなかった。
「里の外に出られたことには変わりないんですし」
「だね♪」
 今回の派遣はエミルの我儘というわけではなく、族長直々の指名だった。二人旅ということに疑問と不安がないわけでもないが、族長だとてエミルを危険な目に遭わせる気はないはずだ。
(いや……どうだろう……)
 ネッドはにわかに冷や汗を掻く。族長の人となりを深く知るわけではないが、把握しているだけでもエミルの親だと感じられる点はあり、つまり大胆というか──無遠慮に言えば、楽観的で大雑把なところがある。
 エミルも今まさに思い出していたことだが、過去、ネッドは里の外へ行こうとするエミルを追って負傷したことがあった。エミルは里の外に出たから魔物に遭ったと思っていたようだが、障壁を越えていればさすがに気づいたはずで、つまり実際は違った。
 後に聞いた話だが、エミルの前に立ちはだかった黒い獣は、不用意に里を抜ける者がいないようにと族長の配置した使い魔だったそうだ。あくまで脅しの目的であって、王族のエミルに危害を加えることは本来ないはずだが──と族長も首を傾げながらネッドに深く陳謝したものだった。
 魔物と遭遇してからの一連のことは明瞭に覚えてはいない。もしかしたら自分がエミルの前に出なければ魔物は攻撃してこなかったかもしれないし、あるいは自分が魔物に殺意を向けたから魔物もこちらを敵とみなしたのかもしれない。
(まあ、過ぎたことだな)
 ともあれ、ネッドの心は珍しく晴れ晴れとしていた。里の外に冒険に行くことはエミルの幼い頃からの望みだった。成長した当人の口からは聞かなくなったものの、ネッドの中にはずっと引っ掛かっていて、いつか叶って欲しいと思っていたのだ。今回ごく真っ当な任務として機会が訪れ、そして自分も同行していることを、素直に嬉しく感じている。
「オーベルフェに着いたら、ビクトルたちもいるんだね♪」
 そう遠くない別の街にいたビクトルも、緊急事態として少し前からオーベルフェに招集されていると聞いている。冒険らしくないとは言ったが、久々に顔を合わせる者もいると思えばそれはそれで楽しみだ。今まで城の中で土産話を聞くばかりだった場所に実際に赴いて、彼らの仕事を眺めるのもいいかもしれない。
「ええ……ですが……」
 ネッドは手の甲で二度、三度、隣を歩くエミルの腕を覆う防具に触れる。そして意を決して、グローブ越しのエミルの手を握った。エミルは驚いてこちらを見上げ、ばちばちと目を瞬いている。
「ここでは、まだ二人きりのはずですよ」
「えっうそ、ほんとだ! これデートじゃん!!」
 わぁ〜、とか、ふわ〜、とかよくわからない声を上げながら、エミルはネッドの指の間に指を絡め、それを組み直したり、繋いだ手をぶんぶん振ってみたり、彼なりに楽しんでいるようだ。その様子に、ネッドもまた穏やかで満ち足りた気持ちになる。
 エミルはもう忘れているかもしれない。それでも構わないと思う。自分の中には確かに残っている、かつて彼が口にした願望を、ささやかにでも形にしていければよいと思う。
(……自己満足、ですかね)
 向かいから人が来ても、後ろを歩く一団に追い抜かれても、二人はペースを変えず、のんびりと歩いて行った。

 ネッドがそばにいるのってもうすごく当たり前だったのに、なんだかとっても新鮮な気分だ。ここは安全な道らしいし、周りの景色だってすごく平和だけど、里を出て二人きりってだけで、想像以上にドキドキしてる。しかもお日さまの下で手を繋いでさ。
「オーベルフェ行くのやめて、このままディスティニーランドいきたいね♪」
 冒険は楽しみだよ。世界樹のことも気になるし、みんなにだって会いたい。だけどずっとこの道が終わらなきゃいいっても思ってる。
「何ですか? それ」
「楽しいところ! 夢の国なんだ♪」
「近くにあるんですか?」
「うーん近くはないかな〜〜」
 このまま二人でどっかに行きたい気分だけど、どこにも行かなくてもいい。何も変わらなくたっていいって思ってる。
「──? エミル?」
「ふぇ?」
 ネッドがなんか言って、呆れたみたいに笑ってる。全然聞いてなくてよくわかんなかったけど、なんだか僕も笑ってしまった。
 夜になるまでにはオーベルフェに着く予定になってる。不思議だね、昔はあんなに時が早く過ぎて欲しかったのに、今は日が沈まなきゃいいのにってまで思ってるんだ。
(引き寄せたあこがれが、この手から離れていかないように)

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