ホワイトデーの白日

「牧さん! よかったみっけた!」
 明るい日差しとは裏腹に、冬のままの空気の昼休み。聞き慣れた声の気配に振り返ると、制服姿の後輩がこちらに駆けて来る。
「おお清田、おはよう」
「おはようございます、もう昼ですけど。で、はいこれ!」
 手提げの紙袋を掲げて押し付けられながら、牧は軽いデジャヴを感じていた。
「なんだ?」
「チョコっすよ、昨日バレンタインだったじゃないですか」
「お前から?」
「違いますって! 牧さん近寄りにくいとか、どこにいるかわかんなくて捕まらないとかって、女の子たちから俺が預かってたんです」
「そうだったのか。手間をかけさせたな」
「たいしたことねえっす。それじゃ失礼します!」
「ああ。ありがとう」
 思い返せば、去年も神からこうしてチョコを託されていた。さほど興味のある行事ではなかったため、すっかり忘れていた。
(藤真に言ったこと、嘘になっちまったが……まあいいか)
 昨日藤真に出会った時点でこのチョコを受け取っていたら、藤真からチョコをもらうことはできなかっただろう。もらいすぎて持て余したチョコを、いわば処理するために渡されただけだ。それはわかっているつもりだが、昨日のことは特別な出来事として強く印象に残っている。
 偶然に、ひさびさに藤真と出会えたこと。ライバルとは言えなくなってしまった彼とまっすぐ向き合ったときの、不思議と新鮮な感覚。
 バレンタインにチョコをもらったのだから、ホワイトデーにはお返しを贈るものだ。基本的に礼儀正しい男は、なんの疑問も抱かずにそう考え、そして卒業後にもう一度面会する機会を得て浮かれていた。なぜ嬉しいのかとまでは考えていない。
 今日清田から渡されたぶんについては、贈り主は直接の知人ではないはずだ。応援の気持ちとしてありがたく受け取っておくことにする。

 三月十四日、ホワイトデー当日。牧は百貨店の紙袋を携えて藤真の自宅へ向かっていた。食べものの好き嫌いは特にないと人づてに聞いたので、百貨店で焼菓子を買った。無難すぎるかとは思ったが牧も口にしたことがあり美味いとわかっていたし、家族でつまんでもらってもいいだろうと考えてのことだ。
 髪は久しぶりにオールバックにした。下ろしているほうが評判がいいとも聞くが、やはりこのほうが気合が入ると感じる。それにもう高校生ではないのだから、高校生らしく見えなくても問題ないだろう。
 これまで藤真の自宅に行ったことはないが、選手兼監督という立場だった彼の連絡先を手に入れるのは難しいことではなかった。似たような風景の住宅地が続くが、住所さえわかれば目的地に辿り着ける、後輩から言わせれば〝たぐい稀な散歩スキル〟が備わっているらしいので、あまり心配はしていない。
(次のT字路を曲がったところだな)
 そう認識したまさにその角の民家の塀から、見知った長身の頭部が飛び出して見えた。
(花形……!!)
 思わず電柱の影に身を隠してしまった。花形の家の住所は知らないが、藤真と非常に親しかったようだし、近所に住んでいるのかもしれない。
 盗み見た花形の視線は、こちらにはいっさい向いていなかった。おそらく、道を曲がって来ることはないだろう。そう確信しつつもう一度様子を伺った牧は、こちらに目もくれずに歩いて行ったふたりの姿にうちひしがれ、思わずその場に崩れ落ちた。
(花形……! やはり倒さねばならなかったか……!!)
 花形の隣には女装した藤真がいた。花形と一緒にいると、藤真は実際より小柄で華奢に見えるのだったが、今日は服装のせいか体型まで女性的な印象を与えた。
 物騒な言葉を頭に浮かべながら、牧は奮起とは程遠く脱力していた。彼らが親しいことは知っている。一緒に遊びに行くだけならわかる。しかし女装だ、いったいどういうことなのだろう。
(藤真はホワイトデーのお返しとして花形のために女装を……? いや逆か? んん?)
 道の端に片膝をつき、うなだれながら混乱していると、驚いたような声がした。
「牧!? どうしたんだよ、具合悪いのか!?」
「ん? あぁ、藤真? どうなってんだ……?」
 聞き覚えのある声に、見覚えのある顔。いつものボーイッシュな──男の服装の藤真だ。
「こっちが聞きたいんだけど。大丈夫なのかよ」
 道行く人の視線も感じ、牧は立ち上がって軽く膝を払う。
「ああ、体調が悪いとかじゃないんだが……お前さっき、花形と一緒に出掛けて行かなかったか?」
「それたぶん姉だけど。髪はこんな短かったのかよ? 服は?」
 藤真は当然のことのように言いながら自らの髪を指す。
「髪は肩くらいだったな。女性の服装をしてた」
「んじゃオレじゃねえだろうがっ!」
「髪の色が一緒だったし、顔が似てたんだ。そっくりだった。それにお前、文化祭でメイド喫茶をやってたって聞いたぞ」
 ものすごく興味があったのだが、あいにく練習試合が入っていて行くことはできなかった。
「んなもん学校行事だし、部の宣伝のために仕方なくやっただけだ。普段からするわけねえだろ」
 自分が日ごろから女装をする男だと海南の中で思われていたのならたいへん遺憾だが、悲しい気分になりたくはないので、単に牧が天然ボケなのだと思うことにする。
「そうだったのか。びっくりした」
「びっくりして腰抜かしてたって?」
「まあ、そんなとこだな。……今日はホワイトデーのお返しを渡しに来たんだ。入れ違いでお前が出掛けて行ったら、そりゃショックも受けるだろう」
「しかも女装してな。……ありがと。別によかったのに」
 藤真は牧から百貨店の袋を受け取る。中を見る前からすでに高そうだと思ってしまった。
「なんかのついでで寄ったとか?」
「いや、これを渡しに」
「それだけのために?」
「送るのもまわりくどいし、正直暇だからな」
「はは! 四月まであと半月あんのにもう暇なのかよ。……じ、じゃあ、親いないから、家上がる? それともどっか行く?」
「なんも考えてなかったから、少し上がらせてもらうかな」
 バレンタインデーから時間はひと月あったが、『お返しを渡さなければ!』と思うばかりで、その後については特に考えていなかった。そもそも藤真が家にいるかどうかも確認していない。牧は勝敗のある競技以外では感覚的に行動する性分で、それが周囲から〝天然〟と認識される所以でもあった。
「お邪魔します」
「ふっつーの家だけどな。牧の家ってでかいんだろ?」
「実家はまあ、そうなのかもしれないな」
「そこ適当に座っといて。コーヒーでいい?」
「ああ。……ありがとう」
 これは嬉しい誤算だ。藤真がコーヒーを入れてくれるというのだ、喫茶店などよりよほど特別感がある。ダイニングテーブルの席について待っていると、ほどなくしてホットコーヒーが出された。藤真は牧の向かいの席に座る。
「ミルクと砂糖は適当に使ってくれ。……これお菓子だよな? 開けていい?」
「ああ」
 藤真は牧からのお返しの箱をあらためてまじまじと見る。
(こんなちゃんとしてなくていいのに)
 牧の実家は裕福だと聞いたことがあるので、感覚が違う部分もあるのかもしれない。ホワイトデーのお返しの品には意味があって、キャンディは「あなたが好きです」マシュマロは「あなたが嫌いです」、クッキーなら「友達のままで」となるのは有名な話だろう。
(クッキーか? これ……まあ、そうだよなって思うけど)
 箱の様子からキャンディとは思えないまま開けてみると、個包装のフィナンシェやマドレーヌなどの詰め合わせだった。
「これは……」
「焼き菓子だぞ」
(焼き菓子って、クッキーの仲間ってことかな。でもこれはどっちかというとケーキだよな)
「どうした? 嫌いだったか?」
 不思議そうな牧の顔を見返して、思わず小さな笑いが漏れた。変に意識していた自分に対して呆れたのだと思う。おそらく牧はシンプルにお返しのお菓子をくれただけで、ホワイトデー特有の意味など気にしてはいないだろう。
「ううん。いろいろあって目移りするな。お前も食えよ」
「ああ。じゃあいただくかな」
 藤真はフィナンシェを一つ取り、袋を破いてひとくち齧る。
「うま! なにこれめちゃくちゃうめえ!」
「それはフィナンシェだな」
「んなことはわかってるけど……」
 フィナンシェを初めて食べたわけではないのだが、記憶にあるものより遥かに美味く、そして見た目がシンプルなぶん衝撃的で、「高い菓子って高いだけのことはあるんだな!」と言いたくなったが控えた。
「ああ。ひさびさに食ったがうまいな。コーヒーともよく合う」
 想定外の美味さに一時は浮かれたものの、牧の穏やかな笑みを認めると途端に情けなくなってきた。
「お前は天然だからなんとも思わないんだろうけど、男同士でバレンタインとかホワイトデーとかやってんの、本当はおかしいんだぜ」
「お菓子だからおかしい、か?」
「……」
「……すまん。俺は別におかしいとも思わねえが」
 藤真の言葉は唐突で不自然なものに感じられた。そして彼の表情だ。プライベートで接したことは多くはなかったが、ずっと見て来たのだ、原因こそわからないが、迷いやためらいは簡単に見て取れる。男女でするべきイベントだ、といわれればそうなのかもしれないが──
「別に、いいんじゃねえか? 単に好きな人に贈り物する日ってことで」
 言ってしまってから、牧は自分の言葉にハッとして目を見開いた。寝覚めの良い朝のような、爽やかな気分だ。自覚はないが、口もとには笑みが浮かんでいる。
「!!」
「そうだな、俺はお前が好きだったんだ」
 もっと一緒にバスケをしたかったし、仲良くなりたかった。海南に入ればよかったのにと言って怒られたこともある。しかし、ごく単純に〝好きだ〟と認識したことはなかった。不思議なことだが、彼を評価する理由に困らなかったぶん、気持ちに向き合う機会がなかったのだと思う。
「だから、それがっ!」
 藤真は苛立った様子で声を荒げる。牧は藤真の強く握り締めて白くなった指を見て、ふたたび視線を顔に戻す。
「男と女じゃないからか?」
「……!」
 少し俯けた顔から、大きな瞳がこちらを見上げ、おそらく睨みつけているのだが、本人が思っているほど恐くはない。むしろ愛らしいくらいだ。チョコの紙袋を差し出してきたときも、こんな顔をしていたかもしれない。
 つまり藤真の言うのは男女の間にあるべき好意で、出どころがどうであれ、そういうつもりでバレンタインの日にチョコをくれたのだ。いっぽう牧はそこまで考えたわけではなかった。藤真にチョコをもらって嬉しいと感じた。ホワイトデーにまた会えると思って浮かれた。そこには感情しかなかった。藤真のようにおかしいなどと考えたことはなかった。
「藤真、お前は考えすぎだ。たぶん、いつも。……どっちかが嫌がってるならしょうがねえが、俺たちはそうじゃないだろう。チョコもらって嬉しかったし、お返しを口実にまた会えるって思ったから、お前がいるかどうかも知らねえのに今日ここに来た。そしてお前は俺を家に上げた」
「牧は、なんも考えてなさすぎ」
 藤真は少しだけ怒っているような、困っているような──照れているように見えてしまうのは、自惚れなのだろうか。牧は自らの優位を確信する。
「好きだって感じるのに、考えることなんてあるか?」
「だって……」
 牧はずるい。話し合っているようで、力押しの暴力と変わらないと思う。
 彼が自分を好きだと実際に口にしたことに、実はあまり驚きはなかった。バレンタインに会えたことも、今日の再会も言葉も嬉しいものだった。しかし今は、拒絶されたほうがよかったと感じている。
「だって、男同士なんて、普通じゃない」
 自分の言葉に、その同調圧力的な嫌悪感に、自ら顔を顰めていた。
「そうだな。俺もお前を普通だとは思わん。そんなつまらんもんじゃない、お前は特別だ。だから俺はお前を見つけられた」
「なんだよそれ、意味わかんねえ」
「お前は普通になりたいのか?」
「!」
 『普通にしなさい』と言われたことがある。小学生のときだ。特段悪いことをした記憶はないから、原因は忘れてしまったが、生まれつきの茶色の髪も、左利きも、呑み込みが早いことさえ、かの教諭にとっては普通ではなかったようだ。他の場面でも、目立つだのなにかと特別視されることがあって、その言葉が子供の時分からずっと染み付いていた。
 高校に入ってからは、苦労もあったが昔感じた息苦しさはなかった。やればやっただけ認められたし協力も得られた。そのぶん、満足な結果を出せなかったのは悔しかったが、周囲が懸念したほど自らの立場を厭ってはいなかった。そう考えると、牧との間柄にだけ〝普通〟を求めるのはなぜなのか、という気がしてくる。
「藤真。俺たちは普通じゃなくて特別だ。それでいいじゃねえか」
「お前は……」
 将来のこととか考えないんだな。いいって思えるのなんて、たぶん今だけだよ。喉から出かかった言葉を呑み込んでしまうほど、余裕を含んだ大人びた笑みは、絶望的に魅力的だった。
「……オレのこと、なんも知らないくせに」
「昔、俺のこの髪型変かなって聞いたら、『気に入ってるならいいんじゃね』って言ってくれたよな。お前はそういうやつなんだ」
「いや、全然わかんねーんだけど……」
「まあ、確かにあんまり知らないのは事実だな。だから……教えてほしい」
 大きな褐色の手が、白い拳を包み込む。恵まれた体格をしているとは幾度も思ったが、こんなに手の大きさと彼の肌色を実感したのははじめてだった。体温が上昇する。顔が熱い。
「……冬でも黒いんだな」
「夏よりは白くなってると思うが、地黒だから全身黒いぞ。見るか?」
「はっ!? おまっなに言ってんだよ展開早すぎるだろっ! いくら人いないからって!!」
 顔を真っ赤にして慌てふためく藤真の反応を、牧は不思議に思って目を瞬いたが、すぐに意図を理解して満面の笑みを浮かべる。
「そういう意味じゃなかったんだが、お前がそのつもりなら望むところだ」
「ッ!? 人を試すようなことを言うんじゃねえ! むかつくおっさんだな!」
 試したつもりじゃなかったんだが、とは言わずに席を立ち、藤真の椅子の横に移動して肩に手を置く。
「でもお前は、おっさんみたいな俺のこと好きだろう?」
「はっ……!!」
 藤真は赤い顔で眉を吊り上げ、勢いよく立ち上がって牧の横をすり抜けていこうとする。牧は藤真の腕を思い切り掴んだ。
「おい、どこ行くんだ」
「オレの部屋。……お前も来たいなら」
「行く!」
 言い切らないうちの即答がおかしくて笑ってしまいながら、藤真は牧の腕を引くようにして自室へ向かった。
 
 
 

<了>

バレンタインの幻惑

 ユニフォームや制服姿でなくとも、彼の姿は不思議と目に飛び込んでくる。確かに多少目立つ容姿はしているだろうが、それだけではない、独特の存在感があるのだと思う。
「よう藤真、なんだその荷物は?」
 友人という言葉は少し違うと感じるが、『俺たちは似てる気がする』と言ったら変な顔をされてしまった。ラベルのないままの存在は、今日は両の手にひとつずつ大きな紙袋を提げている。
「あれ、牧。なんでこんなとこに」
「なんでってこたぁない、たまたまだが」
 藤真に出会うなどとは思っていなかったので、むしろ牧のほうが聞き返したいくらいだった。紙袋の中には、リボンなどでラッピングされた小さな箱がいくつも入っているようだ。
「今日バレンタインなの忘れてて。学校にちょうどいい袋があって助かった」
「それ全部チョコか。さすがだな」
 藤真に女子ファンが多いことはもちろん知っているが、具体的な物量を見ると圧倒されてしまう。
「部活のやつらにも配ったんだけどな。お前は?」
 学校の鞄しか持っていない様子の牧を、藤真は不思議そうに見る。
「後輩から義理チョコをもらったんで、その場で食った」
「その場で?」
「みんなにって感じでもらったんで、みんなで食った」
「ああ、そういう……嘘だ、本命チョコとか隠してんだろ。別に興味ねえけどさ」
「本当にそれだけだ」
「うっっそ。海南地方って女住んでねえのかよ」
 そんな地名ではないのだが、ひとまず置いておく。
「住んでないことはないと思うが」
「ふぅん。じゃあ見る目がねえんだな。……そうだな、ちょうどいいや、なんか持ってけよ」
 藤真は左手の紙袋を持ち上げ、牧の目前まで差し出した。
「お前がもらったもんだろう」
 包装されているだろうに、チョコの香りが鼻腔をくすぐる。冷たい空気と甘ったるい香りに、むっつりとした藤真の表情が不思議と融け合って見える。見据える瞳に胸の底で何か弾かれて、そこから温かな──熱いものがじわじわと湧き出し、体じゅうに広がるようだった。
「いらねーならいいけど」
「いや! せっかくだからもらおう」
 近くのベンチにふたりで掛けて紙袋の中を漁る。「手作りはちょっとなぁ、悪いけどこええよな」と言う藤真に頷きながら言葉は耳をすり抜けて、藤真の頭の輪郭を、さらさら揺れる淡い色の髪を眺めていた。実際はアグレッシブな男で、監督として厳しく振る舞っていることも知っているが、それでも彼は甘そうに見える。チョコよりはハチミツやマーマレードのほうがイメージに合うが、と考えていると、パッと花が開いたかのような笑みがこちらを向いた。
「これいんじゃね。牧っぽい」
「!! そうか? じゃあそれもらうか」
「あとは?」
「ひとつで充分だ」
 チッと小さな舌打ちが聞こえる。
「もっと持ってけよ。まあいいや、オレが牧を太らせたとか言われても困るしな。それじゃ」
 藤真は紙袋を引き寄せると、牧の返答も待たずそそくさと立ち去ってしまった。
「ああ……」
(まだ、忙しいんだろうか)
 あまりに素早い撤収に、引き止めるどころか礼も言えなかった。すぐに見えなくなった藤真の背中から、渡されたチョコの箱に視線を移動する。紙袋の上の方に覗いていた可愛らしい包装のものではなく、茶色系統のシックな箱に紺色のリボンが掛かっている。洋酒を使ったチョコのようだ。
(俺っぽい、か……)
 イメージはどうであれ、『牧っぽい』と思って選んで渡してくれた。それが無性に嬉しい。振り返れば、義理チョコしかもらっていないと言ったやりとりの中にも彼の優しさが滲み出ていたと思う。
(藤真はやっぱりいいやつだ)
 〝顔人気〟だのと言って、彼を正当に評価しない人間も知っている。牧にはとうてい理解できないことだった。
(顔なんて、いいに越したことねぇだろう。なあ)
 チョコの包みを抱え、上機嫌で歩いていると、またもや見知った顔に出会う。人の行き交う中でも頭ひとつ飛び出て見えて、どうにも見間違いようのない容姿だ──と、相手も全く同じことを思っていた。
「お、牧さん。嬉しそうっすね、バレンタインチョコですね」
 仙道もまた、嫌でも今日の行事を思い知らされるほうだから、牧のそれがチョコだと一目でわかった。試合の外で牧が穏やかな表情を浮かべることも、見慣れはしないが一応知っている。しかし次の言葉には顔を引き攣らせた。
「おう、いいだろう。藤真からもらったんだ」
「へ、え〜……そりゃ、よかった……?」
 貰いすぎたチョコのお裾分けだと考えるのが普通だろうが、さも嬉しそうに、にこやかにチョコを掲げる牧の様子からすると、そうではないのかもしれない。チョコの包みも絶妙に渋いし、牧のために藤真が用意して渡したということなのだろうか。
(そうだとして、それはおおっぴらに俺に報告することなんです……?)
 突っ込みたいような、突っ込んではいけないような。藤真は第三者に報告されるとは思っていないのではないかと考えると、非常に複雑な気分だ。
「ホワイトデーのお返しを考えておかないとな。仙道はお返しはするのか?」
「ごく一部っすね。全員はちょっと」
 女子へのお返しのアドバイスならばできるかもしれないが、この展開では──
「藤真の好きなもんとか、知らねえか?」
 ほら来た! 仙道は内心ため息をつく。
「俺が牧さんより藤真さんについて詳しいと思います?」
「お前は微妙に図々しいところがあるから、もしかしてと思って」
(あんたに言われたくないですよ! いや、この人は図々しいじゃなくて図太いかな)
 目上への礼儀というよりは単に彼の性分として、あくまでポーカーフェイスを保って返す。
「そういうのは花形さんがいちばん詳しいんじゃないですか」
「花形か。あいつ話しづれぇんだよなぁ」
「でもたぶん、藤真さんに辿り着くには越えなきゃいけない壁ですよ」
 いろんな意味で、と頭の中で付け加える。わからなくはないが、牧でも苦手意識を抱く人間がいるのかと思うと少し面白い。
「越えるしかないのか? 避ける手もあるんじゃねえか?」
「どっちでもいいですけど、穏便にいってくださいね」
「そうだな。三月ってあっちはまだ忙しいんだろうか」
「ていうかもう卒業してますよね? 三月十四日って」
「!! そうか! なんてタイミングなんだホワイトデー、卒業後に会う口実の行事じゃねえか!」
「……寒いんでもう帰りますね。それじゃ」
「おう、ありがとう!」
 なぜか感謝されてしまった。応えるように手をひらひらさせて歩き出す。仰いだ空は灰色だった。
(大変だなぁ……)
 ふたりの関係の実際のところは知らないが、牧がいわゆる天然であることは察している。具体的に何が起こると思うわけでもないが、なんとなく藤真のことが心配になってしまった。
(藤真さんて、見た目の割に苦労するタイプって感じなんだよなぁ。俺みたいに)
 いやいや、関係ない、こっちだって大変なんだと頭を振って、自らのホワイトデーに想いを馳せる。
 
 
 

Snacc in Hollow night 3

3.

「はぁっ、あ……♡」
 牧の下に組み敷かれ精を注がれながら、悪魔は満足げに目を細め、精悍な色黒の頬を手袋越しの指先で撫でた。
「お前、見上げた精気だな」
「性器?」
 でかいだのタフだのと前にも言われたことがあったが、付き合いはじめでもなし、いまさらで少し奇妙だ。
「なあお前、オレの眷属にならねえか?」
「けんぞく?」
 最中はもちろん冷静ではなかった。しかし波が落ち着いた今は、藤真の言動を不思議に感じる。日ごろの藤真は牧の寸劇に適当に付き合う程度で、そう混み入ったストーリーは作らない。
「オレのモノになるってこと」
「!! 結婚ってことか!?」
「さあ? 人間の結婚についてよく知らねえからなあ」
 牧にとってそれは願ってもないことで、落ち着きかけた頭が再び沸騰しそうになったが、いやまて、と理性が警鐘を鳴らす。藤真はエイプリルフールの告白だとか、真面目な話を冗談に混ぜ込むことは嫌いだったはずだ。もし本当に結婚に近い状態を望んでいるなら、これほど嬉しいことはないのだが、『将来どうなるなんて、仕事も決めてない状態で言えねえだろ』とすげなく返された記憶があるだけだ。
「……眷属になると、俺はどうなるんだ?」
「オレのモノになる。ずっと一緒にいられる」
 迷わず言って意味ありげに笑う、口もとに覗く牙を、いつもよりシャープな印象の目尻を凝視する。よくできたコスプレだとばかり思っていたものに、急激な違和感が生まれた。体の下から伸びた細い尻尾の先が、ゆっくりとゆらめいている。一体どうなっているのだろう、静かに混乱しながら、ひとまず頭の上に浮かんだ言葉を発した。
「悪魔との契約にしちゃあ……まるで、いいことしかないみたいだな」
「悪魔が悪いモンだって言いだしたのは、残された側の人間だからな。契約した本人は現実のしがらみもなんも捨ててずっと快楽の中なんだから、幸せだと思うぜ?」
 言葉を考えて選ぶ様子もなく、あまりに当然のように言ってのける、金色の瞳を見返す。これは本当に藤真なのだろうか。今まで疑いもしなかったことに、背筋が寒くなる。
「お前、一体……? 藤真……?」
 頬に触れ、尖った耳に触れる。本来の耳の上に作りものを付けているにしては小ぶりに思え、人の肌のように柔らかく、体温も感じる。
「なぁ、どうすんだよ? オレと一緒にいたくねえのか……?」
 甘い囁きが、得体の知れない恐怖とともに強烈な渇望を引き摺り出す。視線に縛られたかのように、目が離せない。
 ──ガタッ!
「な、なんだお前っ!?」
 物音と聞き覚えのある声に、永劫にも感じられた甘美な呪縛が途切れる。
 牧は声の方を──部屋の入り口を見やって驚愕する。そこには同じく驚愕の表情をした普段着のままの藤真と、ヴァンパイアのコスプレをした自分がいた。
 藤真──普段着の藤真は目を剥き口をあぐあぐさせながら、かたわらのヴァンパイアを睨みつける。
「お、おま、お前はっ!?!?」
 睨まれたほうは苦々しい顔をしつつも、いたって落ち着いて藤真を見返した。
「……まあ、お菓子でも食べながら話そうか」

「話し合っ……は!? なに、誰!?」
 ケーキの皿とフォークを用意しながら、藤真はぶつぶつ呟いては頭を横に振る、ということを繰り返している。
「だ、大丈夫か? 藤真」
 心配そうに覗き込んだ普段着姿の牧を、藤真はキッと睨む。妙に平然としているのが気に入らないが、飲み込めない事態への八つ当たりもあった。
「ドッペルゲンガー見たら死ぬっていうの、わかる気がする」
「おい、やめてくれ」
「ひとりきりだったら気が狂ったんだって絶望してたかも」
 だがしかし、牧も藤真も同じものを見ているということはこれは現実なのだ。
「……なんでケーキ四つ買ったんだよ」
 しかもちょうど四つだ。何も信じられない気分になっている藤真には、牧はあらかじめこのことを知っていたのではないかと思えた。
「二つだと寂しいかと思って、なんとなく」
「だよな」
 そう言われると、それ以上疑う気もしなかった。牧はそういうところのある男だ。日ごろ二人でしか使わないダイニングテーブルにだって、なんとなくで椅子が四つ置いてあるくらいだ。
 ダイニングテーブルに横並びに座って待っている、悪魔の藤真とヴァンパイアの牧の前にケーキの皿とフォークを置いてやる。ふたりは目を輝かせる。
「ケーキだ!!!」
「おお……!」
 それに向かい合う二つの席にもケーキの皿を置いて、藤真はむっつりとした表情で着席した。自分の偽物(?)の顔は見ていたくないので、悪魔の藤真の向かいに牧、ヴァンパイアの牧の向かいに藤真という配置だ。
「うまーっ!」
「ああ、うまいな」
 勝手に食べ始めている二人を一瞥し、藤真は大きな舌打ちをして自らのケーキにフォークを突き立てた。苛立つ藤真を横目で見つつ、牧にはそう悪いようには思えなかった。うまそうにケーキを食べているふたりの姿はまるで自分と藤真だ。微笑ましくさえある。
「……それで、君たちはいったい何者なんだ?」
「悪魔とヴァンパイアで〜す」
 軽い調子で言ってケタケタ笑う悪魔の藤真を、人間の藤真はフォークを握りしめて睨みつける。牧が話を進めるしかなさそうだ。
「どっから、なにしに来たんだ」
「なにしに来たじゃねえだろ、ハロウィンをやってオレらを呼び出してるのは人間だ」
「まあ、それは確かに……」
 日本では仮装をしてお菓子を配ったり貰ったりする日になってしまっているが、本来は先祖の霊を迎えるための祭りであることは牧も藤真も知っている。
「普段は魔界にいる。ハロウィンのときだけ人間界に出てくる」
「人間のお菓子はうまいからな!」
 小さな牙と角を持つ、悪魔の藤真は牧の目にはやはりとてもキュートに見える。牧は口もとを緩める。
「そうかそうか、おみやげにお菓子持ってくといい。藤真、なんか買い置きとかないのか?」
 藤真は牧を睨むとさも不機嫌そうに舌打ちをして、キッチンに買い置きの菓子を探しに行く。
「はぁ……」
 キッチンカウンターの扉を開け、深くため息をつく。悪魔だの魔界だの、普通は信じられることではないが、あのふたりは自分たちに似すぎている。確かに少し雰囲気が違うと感じた瞬間もあったが、抱き合っても行為にいたっても、仮装をした牧だとしか思えなかったのだ。生き写しの人間が、しかもふたりセットで現れるなど、人外の──霊的な現象だと考えるのが一番納得できるような気がした。
 安売りのときに買ったきり置いていた菓子の箱と袋を持って、三人の歓談するテーブルへ戻る。
「んじゃあ、これやるからもう一生出てくんなよ」
「やべっチョコパイじゃん! これ酔うけど超うまいんだぜ!」
「箱ごともらっていいのか!?」
「……いいけど」
 信じられないことがいっぺんに起こって無性に腹が立っていたが、悪魔とヴァンパイアの喜びようと見ると、怒る気も失せてくる。牧のようににこやかに穏やかに接する気はしない。ひたすら疲労感に襲われている。
「和菓子は食える?」
 もう一つの袋は小さな和菓子の詰め合わせだ。安くなってただの言って牧が買ってきたものだ。菓子類はふたり思い思いに買ってくるため、すぐには食べられず置いておかれることがあった。
「おっすげえレアじゃん! 用意いいな人間!」
「ありがたいことだな」
「あとは、ハロウィンの菓子の残りもなんか袋に入れて持って帰るといい」
 始終なごやかな雰囲気の牧に、藤真は深くため息をつく。見た目が同じなら悪魔でもどうでもいいのかと言いたくなったが、自分がヴァンパイアの牧としたことを思うと何も言えない。
「そういや、なんでお前らはオレたちにそっくりなんだよ。もしかして、変身してるとか」
「知らねえのかよ、世の中には同じ顔のやつが三人いるって」
「ええー……」
 確かに聞いたことはあるが、他人のそら似程度の話なのではないだろうか。
「それにオレは十万十九歳だ。お前らが勝手に似て生まれてきたんだろ」
「あっ、そ……」
 自分と同じ顔でふざけた答えが帰ってくると、それ以上追求する気も失せて、投げやりに相槌を打った。

「忘れものはないか?」
「ない!」
 悪魔たちに土産のお菓子を持たせ、親切に忘れものの確認までする牧に、藤真は眉間に縦皺を寄せる。悪魔はそれを見て意地悪く笑う。
「人間はすぐ見た目老けるんだから、そういうのやめたほうがいいぜ」
「うるせえ!」
 悪魔は続いて牧を見据える。
「……で、お前はオレと一緒に来なくていいのかよ?」
「な、なに勝手なことっ」
「ああ。俺には藤真がいるからな」
 牧は迷わず答えて藤真の肩を抱く。一時は言葉に惑わされたものの、目前の悪魔が藤真とは別人だと判明した今、この生活を捨てて彼についていく理由はない。
「ふーん。まあいっか、それじゃまた来年」
「一生来んなつっただろ!!」
 半ば追い出すように部屋のドアを閉め、間髪入れずに鍵をかける。ドア越しにヴァンパイアが「ふたり仲良くな!」と言ったのが聞こえた。
(あいつ、じゃあオレに手出してんじゃねえよ!)
「……俺たちって、魔界でも付き合ってるんだな」
 牧が満足げにうんうん頷くのを、藤真はじっとりとした目で睨みつける。
「本当にそう思うのかよ? あの悪魔、思っきし浮気してたじゃねえか。絶対牧だけじゃねえだろ」
 決定的な瞬間を目撃されてしまっている牧は、あまりないくらいに眉を八の字にして背中に多量の汗を掻く。
「そこはまあ、悪魔だから仕方ないんじゃないか? ……しかしな藤真、俺はあれが藤真のコスプレだと信じて疑わなかったから一発やっちまったのであって、それは浮気とは言わないと思うんだ」
「一発?」
「い、いや二発だったかな? だがな藤真、俺はまだまだできるぞ! 今日はお前が満足するまで寝ないつもりだ」
 大きな両手で肩を掴み、大真面目に見つめてくる牧を、藤真は軽くいなすようにふいと顔を背ける。
「……いやいいから。普通に寝てくれ」
「お、怒ってるのか? だってな、あの悪魔、ほぼ藤真だったぞ?」
「わかってるってば。だから、いいって言ってんじゃん」
「本当か? そんなこと言って、実は怒ってるんじゃ」
 悪魔たちがいたときは不機嫌を隠そうとしなかったというのに、妙にあっさりとした態度が牧には逆に恐怖に思えた。
「別に、ただ疲れてるからやりたくないだけだけど。……そうだな、じゃあ、なんもしないけど一緒に寝るか。また変なもんが沸いて出ても困るし」
「!! そ、そうだな。そういうのもいいよな」
 藤真は内心逃げるように、浴室の前の脱衣所に入ってピシャリと扉を閉めた。服を脱ぎ、シャワーを浴びながら考える。牧の言うことがわからないわけではない。自分だとて、あれが牧だと思っていたからこそ行為にいたったのだ、浮気だとは思わない。
 しかし、心は平穏無事とは言いがたい。なぜなのか。
(寝る前に、実はオレもあいつとヤッちゃったんだ、って一応言っとくか──)
 罪悪感からの懺悔というよりは、牧にも自分と同じモヤモヤを味わってほしいという思いからだ。
(悪魔ほどじゃねえけど、オレってやっぱ結構性格悪いのかも)

 翌年のハロウィンの日。牧が帰宅すると玄関のドアにニンニクがぶら下がっていて、中に入ると部屋の隅に塩が盛られていた。リビングでテレビを見ていた藤真に、怪訝な顔で問う。
「藤真、なんだあのニンニクと塩」
「魔除け」
「あれじゃあ、死者が帰って来られなくてハロウィンにならないんじゃねえか?」
「日本にはお盆があるんだから、ハロウィンはただのコスプレ祭りでいいんだ。それとも、オレより例の悪魔のほうがよかったって?」
 藤真は眉を寄せ、牧に疑惑の目を向ける。
「そんなこと言ってないだろう」
 ただ、もう間違いは起こさないにしても、またあのふたりに会えたら楽しいのではないかと牧は思っていた。ふたりの関係についても非常に興味がある。と、インターホンが鳴った。
 ──ピンポーン
「おっ、誰か来たぞ」
「げっ! まじかよ」
 妙に嬉々として、相手を確認しようともせず出迎えに行く牧に、藤真も続く。
 牧がドアを開けると、玄関がまばゆい光に包まれた。
「トリック・オア・トリート!」
「は……」
「天使!! 同じ顔の三人目か!!」
 ふたりの目の前に現れたのは、白いひらひらした衣装を纏い、背中に翼と後光を背負った、ふたりと瓜二つの天使二人組だった。
「帰ってくれ」
 藤真は冷静に冷酷に言い放ち、牧の前に割り込んで思いきりドアを閉めて鍵をかけた。
「おい、閉めるな! 隣人を自分のように愛せ!!」
「お菓子を出せ! 神と和解せよ!」
「うるせー! うちは仏教だ!!」
 ドア越しに文句を言う天使たちに藤真もドア越しに返し、牧の腕を引いてリビングに戻る。
「うちって仏教なのか?」
「どうでもいいだろっ!」
「しかし、俺たちは魔界でも天界でも一緒にいるんだな」
「……な。どうなってんだろうな世の中」
 魔界だの天界だのが日常会話に出てくる自体あり得ないと思うのだが、実際に遭遇してしまったのだから仕方がない。
「まあなんにせよ、人間の俺には人間のお前が一番だ」
「ほんとかな……」
 疑わしそうに言いつつ、口もとに差し出された焼き菓子に噛みつく。ほろりとほどけた甘みに、唇は素直にほころんだ。
 
 
 
<了> 

Snacc in Hollow night 2

2.

「トリック・オア・トリート!」
「ッ!! ……なんだ牧か、脅かすなよ」
 今日さんざん聞いたセリフだったが、帰りの道端でいきなり言われたらそりゃ驚くよな。ここは街灯があってまだ明るいけど、暗がりでもし人違いしたら不審者じゃねえか。
「お前、家で待ってんじゃなかったのかよ?」
 思いきりびびっちまった恥ずかしさを紛らわすように、目の前に現れた見知った顔を睨みつけて、そのままじっと見つめてしまった。
 ありていに言えば、よくあるヴァンパイアのコスプレだ。襟の立ったマントに、中世ヨーロッパって感じのジャケットとスラックスにひらひらのブラウス。ちょうどいいサイズなせいか老け顔のせいか、コスプレの割に安っぽく見えなくてすげー本物っぽい。髪はオールバックにしてて、尖った耳をつけて、目にカラコンまで入れてる。明るい茶色っつうか、黄色っつうか、金色か? あんまり言わないが、牧って老け顔なだけで正直顔はいいと思う。色素の薄い、鋭い印象の目の色はよく似合ってて、見つめられるとドキッとしてしまう。今年は妙に気合い入ってんな。しかし、似合うは似合うんだが、ヴァンパイアって太陽が苦手なはずなのに色黒なのがウケるな。
「お菓子は持ってないのか?」
「あ? だから、お前が買っといて家で待ってるって話だったじゃねえか」
 確かそういう話だったはずだが、牧はお菓子を用意せずにコスプレしてここでオレをまちぶせてた。普通に帰り道だからまちぶせ自体はできるだろうが……テレビ見てたか、ぼうっとしててちゃんと話聞いてなかったのか? まあ、オレは別にいい。どっちかっていうと、行事の形式にこだわるのは牧のほうだったはずだ。
 牧は顔を近づけて、オレの口もとで高い鼻をフンフンさせた。
「甘いにおいがする」
 よく見ると犬歯にキバが付いてる。ドラキュラの仮装のキバって、もっと不自然に前歯全体が浮いてる感じのイメージだったが、最近のはよくできてるんだな。
「学校でお菓子配ってるやつらがいたからな。別に大したもんは食ってねえけど……あ」
 そのときの残りがあったと思いだして、ジャンパーのポケットに手を突っ込む。すげえ寒いってわけでもないが、最近はこの薄手のジャンパーを前開けっぱなしで雑に羽織ってる。
 オレはひとくちサイズの個包装のチョコを取り出して牧に渡した。
「ほい。ハッピーハロウィン」
「おぉ……! いただこう!」
 牧は妙に嬉しそうにそれを受け取ると、やっぱり嬉しそうに頬張った。
「……?」
 いや、ノリの悪いやつじゃねえから、オレから受け取ったチョコを不味そうには食わないだろうが、それにしてもなんとなく不思議なんだよな。役作りだろうか。牧はコスチュームプレイのとき、AVみたいな設定とか寸劇入れるのが好きだから。
「オレも食おうっと」
 ポケットには同じのがいくつか入ってるから、オレもチョコを取り出して口の中に放った。
 牧は口をむぐむぐ動かしてたが、食い終わったのか唇をぺろりと舐めてこっちをじっと見てくる。
「あに、足りないって?」
 まだポケットに残ってた、たぶん同じチョコを渡す。
 追加のチョコを頬張ると、牧は鼻で深く呼吸をした。大きく……荒く? 荒い呼吸を、鎮めようとしてるみたいにも聞こえた。
「……チョコは媚薬だ」
「あ?」
 バレンタインのころにそんな話題を見かけた気もしたが、そんなんだったらいろんなとこで発情してることになるよなって、ただの宣伝のネタだと思って真面目に考えてはなかった。だけど牧はぐっと体を寄せて、片腕で力強くオレの体を抱いて
「っ……!!」
 唇を奪うって感じでキスをした。香水だろうか、チョコだけじゃない、もっと深い甘いにおいがしてるようで、強く吸われる息苦しさと相まってくらくらする。厚い唇に食われてる感じにはいつも興奮するが、鼻先の冷たさにハッとして胸を押し返す。
「お前、なにっ……!」
「いいじゃないか、今日はハロウィンだ」
 大真面目に、当然みたいにそう言った。暗くて表情ははっきり見えないが、声の調子からわかる。それからオレは、ちょっとズレてるこの男の言いたいことを適当に解釈して呑み込む能力も身につけていた。
(ハロウィンの夜だから、仮装してキスしてるカップルがいたって誰も気にしねーってことか?)
 オレは牧の顔を見返して、それからその横に大袈裟に広がって立ってるマントの襟を見た。確かに、牧に覆い隠される体勢でいちゃついてるぶんは、通りすがりには男同士かどうかもわかんないかもしれないな。……オレが騒ぎさえしなければ。
 そうこうしてる間にも牧はオレの脇腹やら腰やら尻やら触ってきて、もう一度キスしようとしてくる。
「やめいっ!」
 思いきり顔を背けて抵抗と拒絶をアピールしたオレの目に、寄り添いながらふらふらとそこの公園に入っていくカップルの姿が見えた。酔っ払ってるのかもしれない。牧は不思議そうにそれを見てる。
「あっちにはなにがあるんだ?」
「公園」
 子供が遊ぶ公園じゃなくて、昼間は大人がくつろいでたり、ちょっとしたデートスポットにもなってるような広い公園だ。この辺はラブホがないから、夜中になればそういうことしてるやつもいるっていう──
「楽しそうだな! 人間って、公園でデートするんだろう」
「う、うん……?」
 ハロウィンに紛れて人間界に出てきたヴァンパイア、って設定かな。手首をぐいぐい引っ張られて連れてかれると、なんとなく『まあいいか』って気分になって公園に来てしまった。公園デートってのもひさびさっつうか。高校のとき、偶然を装ってそんな風にしたこともあったけど、一緒に住んでからはないかもしれない。牧って金持ってるから、休みの日はなんか食いに行こうとかちょっと遠く行こうとかなりがちで、バスケットゴールもない公園でのんびりってのはあんまりない。
 ベンチに座ってるカップルの後ろを通りすぎながら、女のほうが頭にでっかいリボンを乗っけてるのを見て思いだす。
「そういや、オレまだコスプレしてないけど」
「そのままでいい。すごくかわいい」
「!?」
 なんで? って思ったのと同時に、不覚にもときめいてしまった。別に、かわいいとか言われたいわけじゃねえけど、顔を合わせるのが日常になってから、あらためてそう言われると照れるっつうか。
 そのまま公園の中を歩いてくと、枝を広げる木の横に、空いてるベンチがぽつんとひとつある。
「ちょうどいいな」
(なにに!?)
 思いつつも、促されるままふたりでベンチに座った。ちょっと離れたところに街灯があって、濃い影の落ちる牧の横顔は、コスプレのせいもあってなんだかミステリアスで、いつもとは別人みたいに見えた。こいつはそうなんだ、日ごろ思ってる以上に堀りが深いから、結構いろんなふうに見える。
 牧の大きな手がオレの手の甲を包むように握る。大人びた笑みを浮かべた顔が近づいてきて──唇を塞いだ。
「……!」
 夜で近くに人気はないつっても、ここは公園だ。公衆の場所だし、壁で遮られてるわけでもない外の空間だ。〝やばい〟って、心臓がドクドクいったが、しかしオレは抵抗しなかった。たぶん大丈夫、こんなの学生カップルにはよくあることで、騒ぎなんて起こらない。よくわかんないけどそんな気がした。初めてのあぶない体験への興味もあっただろう。
 あぶないっつえば、オレたちは高校生のときから付き合ってたから、バレたらいろいろやばかったと思う。どっちかっていうと立場的にはオレのほうだな。互いにそう思ってたから、参考に読んだBLみたいに体育倉庫や更衣室なんかではやらなくて、牧の部屋やラブホで慎ましくやってた。
 だが今は大学生だし、過去の立場なんてもう関係ないんじゃねえか? ここは学校とかでもないし、合意でイチャイチャするくらい別にいいはずだ。牧もそう思ってるんだろう。
「んぅっ」
 舌の先に牧のキバが触れるのに、なんだか感じてしまった。牧は機嫌をよくしたのか、オレの舌を吸っては弱く歯を立てて撫でるってことを繰り返してる。
「ん、ん……♡」
 オレはまんまと感じて、パンツの中で股間を硬くしていた。こう、牧から迫ってくるほうが多いかもしれないが、結局はオレもいいって思って受け容れてるわけで、お互いさまなんだよな。
 牧のでかい手のひらがシャツ越しに胸を触る。脈が早いってバレそうで恥ずかしいが、妙に落ち着く感触でもあった。それからその手でシャツのボタンをいくつか開ける。スゥと冷たい外気に触れた首筋は、すぐに牧の厚い唇と舌で撫で回された。
「っ、ぁ…」
 口以外の体にキスするのも舐めるのも、そこまで珍しいことじゃないが、なんだか今日は執拗だ。……いや、うん、ピンときた。
「やたら首舐めてくるのって、ヴァンパイアだから?」
 確かヴァンパイアは首筋を噛むもんな。普段着のオレに妙に萌えてるのもその設定のせいかもしれない。ヴァンパイア×非力な人間。
「……! ああ、そうだな……」
「オレのこと噛みたい?」
「それは……! それはダメだ」
「噛まれたら、ヴァンパイアになるんだっけ?」
 ヴァンパイアとかドラキュラの話って、なんとなく知ってるようでいて実は正しいこと知らない。牧はちゃんと知ってるんだろうか。
「ヴァンパイアのしもべになる。しもべは自分の意思を失い、全く別の存在になる。……俺が好きになった人間は、俺のものになるのと同時にいなくなる」
 牧はしみじみと、さも悲しそうに言った。元ネタは映画だか漫画だか知らねえが、やたら感情移入してるようだ。
「ヴァンパイアって、なんか破綻してる生き物なんだな。じゃあ、オレを噛みたくても我慢しないとな」
「それはもちろん……」
 牧はオレの首筋に頭を擦り寄せながら、シャツ越しに腹を撫でて、オレのズボンの前をいじる。
「で、エロいことして気を紛らわすって?」
「ああ、そのとおりだ」
 ズボンの前を開けて、パンツの上からオレのモノを掴んでスルスル撫でる。オレの体もすっかりその気で、パンツに手を突っ込まれても抵抗できない。
「んっ」
 席を立ってオレの前に来た牧は、ひざの間に体を割り込ませてしゃがむと、オレのズボンとパンツをずり下ろして、硬くなったちんぽを咥え込んだ。
「ぁ……!」
 オレは喉の奥でごく小さく叫んだだけで、口をつぐんで身を強張らせる。手は牧のマントの肩部分を掴んでるが、抵抗ってほどの力は入ってなかった。
「っ、ンッ…」
 ちゅぱ、じゅぱ、やらしい音を立ててしゃぶられながら、オレはベンチの背もたれにのけぞって上を見る。黒い木の葉っぱの間に藍色の空と星が見えて、ほんとに外でされてるんだって実感する。誰か来たらどうしよう、いや誰もこないって。でももし誰かに見られたら……?
「はぁッ♡」
 フェラが気持ちいいのはあるが、この状況にもすげー興奮してると思う。こんな願望、抱いたことなかったと思うけど……。そのうち牧はオレの右脚を持ち上げ、右だけ靴とズボンとパンツを脱がせてベンチの上に載せさせた。左脚は膝あたりにズボンやらが溜まってる状態だ。脱がされた脚と、なによりケツやら股が寒かったが、それもすぐに意識の外に追いやられる。
「ぁっ」
 牧はちんぽを握りながら太ももの内側にキスしたり、にゅるにゅる舌を這わせたりしてたが
「ッッ!!!」
 じきオレの尻の割れ目を、穴をべろりと舐め上げた。上の口と下の口でキスして、そこをこじ開けるように舌をびちびち蠢かせながら埋め込んでいく。
「あぁっ、ぁ…♡」
 まじかよ! って思ってるはずなのに、思わず浮ついた声を漏らしてた。穴を舐められるのは、普通に家とかでされるのも恥ずかしい。もちろん、特に牧と一緒に住んでからはいつも綺麗にしてるつもりだが、それにしたってやっぱりイメージはある。だけどもう、ただの排泄器官じゃなくてセックスのための場所になってるのも事実で──ちんぽを扱かれながら穴を、中を舐められてるのがたまらなく気持ちよくて、体の奥がきゅんと疼いた。
「んくッ♡ あっ、あぁっ、アッ…♡♡♡」
 よだれとローションかなんかですっかり濡らされて、そこは牧の指に掻き回されてヌチュクチュやらしい音をさせてる。硬い節を感じさせる牧の指が擦れるのは気持ちいいが、もっと気持ちいいものも知ってる。
「牧、たぶん、もう……」
 自分でも可笑しいくらい辿々しく言うと、カッと顔が熱くなった。一応、恥じらいなんだろう、たぶん。だってこれで、完全にオレも同意したことになったわけだし。
「あぁ……」
 腰を上げた牧がズボンの前をごそごそやる。熱くて硬くてぶっといモノが、オレの尻に押しつけられた。
「ぁ…♡」
 思わず間抜けな声が出て、自分でもちょっと引く。だけどもう、それが欲しくてたまんなかった。
「挿れるぞ」
「ああ……」
 焦らすように割れ目に擦りつけられるのを、望むところだと首を縦に振る。体に押し込まれるモノの圧に、慌てて手で口を塞いでのけぞった。
「っく、んんン……!」
「あぁ、すごいな……」
 静かにつぶやいた牧を見返すと、光の当たりかたでか、いつもより色素の薄い瞳がぎらりと光ったように見えた。野生的っていうんだろうか。もっとベストな言葉もありそうだったが、とにかくそれはすごくセクシーで、オレはもうされるがままだった。直接言ったことはないが、オレって実は牧の老けモード(大人っぽい格好)にかなり燃えるみたいだ。たまにそういう格好でやるとき思う。

「ん、んふっ、ぅっ…♡」
 繋がったままキスされて、シャツをはだいて胸や腹を撫で回されて。冷たい空気と夜空の下でやってんのがなんだか愉快になってきて、そのうち自分で右脚を掴んで開いて、がっつり受け容れ体勢になっていた。ヴァンパイア姿の牧にがんがん犯されながらちんぽ扱かれて、気持ちよすぎて頭がおかしくなりそうだ。
「あ゛ぅ、あっ、あンッ…やばっ、出るッ♡」
「いいぞ……俺もだ……」
「あぅっ、んッ、ンン──!!」
 ぶつけられる熱量が強く激しくなって、咄嗟に手の甲を噛んで口を塞いだ。声を抑えても体は止まらなくて、牧のモノに押し出されるみたいに途切れ途切れに射精していた。
「ん゛ぅ、んん、ん……♡」
 頭が真っ白で、ふわふわして、くらくらして、あったかくて──牧もほとんど一緒にイッたみたいで、痛いくらいにオレを抱いたまま、首筋に顔を埋めてフーフー粗く息をしてる。正直苦しいけど、好きな時間だ。
 ケツの奥が熱くてじゅぐじゅぐしてる。中出しされてる自体にすげえ感じるってわけじゃないが、たまんない満足感がある。軽々しくすることじゃないって思ってるから、特別感があるんだろう。
 幸せなのかもしれなかった余韻が引いてくと、空気の冷たさと一緒に急激に現実が戻ってきた。上を見れば木、空。もし誰かいたらと思うと恐ろしくて、辺りを見回す気にはなれない。
「まだ足りないんじゃないか?」
「う、うるせえ!」
 硬いまんまの牧のに、中が食らいついてるのがわかる。中出しされたあとの二発目……って思うと惹かれないこともないが、オレにはもう戻ってきた理性があるんだ。
「帰ったらいくらでもできるだろうがっ!」
「そうか……!」
 牧はものすごく聞きわけよく腰を引いた。でっかいモノがずるりと抜けていく。そのまま強引にされたらされたで別によかったんだが……とか思いつつ、渡されたハンカチを尻に当てた。なんだか柔らかくて高そうなハンカチだが、中出ししてきたのは牧なんだからしょうがないよな。
 尻と股を気が済むまで拭って、パンツとズボンをちゃんと穿いて靴も履く。身じたくできたと見ると、牧は間髪入れずに言った。
「それじゃあ、帰ろうか」
「……」
 こいつは、手前のちんぽでボディブローされることのダメージをわかってねえんだよな。やってる最中は気持ちよさが勝ってるが、事後は正直だいぶダルい。萎縮されても嫌だから、あんまりストレートに言ったことはなかったと思う。
「う〜、ん……」
 やってるときの体勢が少しきつかったのもあって、オレは動きたくないのをごまかすみたいに牧に抱きついた。
「疲れたのか?」
「別に……」
 牧は急かすでもなくオレを抱き返して、よしよしって感じで背中を撫でた。ちょっと悪いことしたとか思ってんだろうか。なんか、やっぱ好きだな〜ってしみじみしちまって、もう少しの間、そうやってふたりで抱き合っていた。
 
 
 

Snacc in Hollow night 1

1.

 オレンジ色のカボチャ、魔女とコウモリのシルエット、Happy Halloweenの文字がいたるところで目に入る、今日はハロウィン当日だ。
 季節を感じさせるイベントは好きだ。実家のころは弟と妹がいるのもあって家族でなにかしらやってたが、中学に上がるとバスケやってる時間がぐっと多くなって、高校時代は季節の行事からはほとんど遠ざかってた。景色の移り変わりなんかは感じてたが、時間の流れが早かったっつうか、いつもどっかしら急いでたと思う。こうしてのんびりした気分で街を眺めるってのは懐かしい感覚だ。
 大学生活もはたから思われてるほど暇じゃないんだが、高校のころよりはずいぶん余裕があって、藤真と一緒に住んでるってのがなによりでかい。毎日会えるし、予定を合わせるのだって簡単だ。
 藤真は夕方まで大学の用事だっていうんで、俺は適当に散歩してハロウィンの詰め合わせお菓子とカボチャのケーキを買って、今は家に帰る途中だ。家に着いて、藤真も帰ってきたらそりゃあ愉しいことをする予定だが、外ではあまり具体的に考えないほうがいい気がする。
 まだ日の落ちきっていない、見慣れた住宅街を歩いてると、妙に唐突な印象で目の前に人影が躍り出た。
「トリック・オア・トリート!」
「うおっ、……藤真……!!」
 取り落としそうになった手荷物を握る拳に、自然と力が入る。体じゅうの血が一瞬で沸いた気がした。
 現れたのは、セクシーでキュートな小悪魔姿の藤真だった。黒のエナメルで統一した衣装は、小さな三角ブラとホットパンツ、ひじ上手袋にひざ上のブーツ。手足が覆われてるぶんだけ、平らな胸と白い腹が際立って見えた。頭の上には小さな黒い、少し曲がったツノが二つ。手の込んだことに耳の先が尖ってて、目はカラコンでいつもより淡く、金色に近い色をしてる。表情を作ってるのか、カラコンのシャープな印象のせいか、目尻が少しツリ上がって見えた。
 サプライズってやつだな。予定外の登場をしたこいびとを見据えると、嬉しさとやらしさの混じったニヤけ顔になっちまうのが自分でわかる。
「待っててくれたのか。すごく……嬉しいんだが、風邪ひきそうだな」
 目のやり場に困りつつも案外冷静に、俺は自分が着てたブルゾンを脱いで藤真の白い肩に掛けた。コスプレで練り歩いてる人間はちらほら見かけたが、これはさすがにあんまり人に見せたくない。もう結構寒いから、普通に風邪も心配だ。
「ん? ……おお、あったかいな」
 藤真は一瞬不思議そうな顔をしたが、納得したようにニコッと笑った。口から覗いた犬歯がキバみたいに尖って、小悪魔なのに無邪気っぽくてすごくチャーミングだ。ずいぶん気合いが入ったコスプレだと感心するやら、不思議なくらいのかわいさに射抜かれるやらで内心忙しい。もちろん普段の感じもいいんだが、なんだろうな、やっぱりコスプレって新鮮でいい。きっと藤真もそう思って張り切ったんだろう。
「落とすから、ちゃんと袖通して」
 マントみたいにくるまってるのもかわいいんだが、危なっかしいからな。藤真は平均より華奢ってわけじゃないんだろうが、半裸に近い状態で俺の服を羽織ってると小柄でかわいく見える。彼シャツみたいな……所有感みたいな、そういう満足感もあるだろうな。でもこの格好ならカジュアルなブルゾンじゃなくて毛皮のほうが似合うかもしれない。黒いツヤツヤのゴージャスな毛皮を着せて、リムジンの中で──
「トリック・オア・トリート!」
「ん?」
 藤真は出会い頭のセリフをまた言って、黒いエナメルに包まれた指を鉤型に曲げた。がおーって感じだな。恐くはなくて、かわいさしかない。
「お菓子くれ!」
 ハロウィンは合法的にコスプレできる日って感じで、藤真はお菓子はそこまで楽しみにしてなかったと思うが。〝お菓子大好き小悪魔〟っていう設定なのかもしれないな。俺は手に持ったお菓子の袋を持ち上げて鳴らす。
「買ってきたから、家に帰って一緒に食べよう」
「おう、じゃあ早く家に行こうぜ!」
 無邪気な笑顔を浮かべて擦り寄られると、なんだか下腹を撫で上げられて誘われてるような心地だった。藤真、演技派だとは思ってたが、今日はなんかすごいな。子供っぽさとセクシーが同居してる。メイクについては、同じ大学にタレント関係やらメイク担当志望やらいろいろいるって聞いたことがあるから、そういう友達によるものかもしれない。……大学の用事って、もしかしてそういうことか?
 外でコスプレしてるくらい乗り気なら、手を繋いでも許されるんじゃねえか? 無性にそう思えて手袋越しに藤真の手を握った。
「!」
 藤真は拒否せず、それどころか指を絡めてきた。冷たく張り付くような感触が新鮮で、肌同士が触れてるわけでもないのに妙にやらしく感じる。見返すとセクシーに微笑して……今日は藤真が大胆なんだと思ってたが、もしかして俺が興奮しすぎなだけなのか? 帰ったらのんびりお菓子なんて食ってられるだろうかと思いながら、藤真の手を引いて帰り道を急ぐ。

「おいっ!」
 家に着くと、藤真がブーツを履いたまま上がろうとするんで思わず声をあげちまった。藤真は不思議そうな顔で、片足を上げたままの格好で止まってる。なんだ、俺がおかしいのか? いくら短時間しか履いてなくたって、外を歩いてきた靴でそのまま家には上がらないだろう。潔癖症とかじゃなくて、日本人的なだけだと思う。……しかし、そうだな、この小悪魔のコスプレはロングブーツも込みで成立してるってのもよくわかる。俺だって、できればこのままの藤真とエロいことをしたい。
「ちょっと待っててくれ」
 俺はダッシュで(ってほどの距離じゃないが)ダイニングテーブルの上に買ったもんを置いて、キッチンから濡らしたふきんを持ってくる。
「足上げて」
 泥道を歩いてきたわけでもないから、拭いとけば靴脱がなくてもいいだろう。藤真は言われるままに足を持ち上げて、堂々とした態度で靴の裏を拭かれている。ふてぶてしい藤真ってのは、翔陽時代はそういうイメージのときもあったが、家ではあんまり見ない気がしてなんとなく面白い。
「……よし、もう大丈夫だ」
「ヨシ!」
 藤真は一直線にダイニングテーブルに歩いていく。そういえばお菓子大好きな設定だったか。いや、腹が減ってるのか? 今まで気づいてなかったが、ホットパンツの尻の上から、鞭みたいにしなる黒い尻尾が伸びて、歩くのと一緒にふわふわ揺れてる。どういう仕組みになってんだろうな。しっぽの先っぽはハートが逆さまになったみたいな形をしてる。
 藤真は椅子に座ると、買い物袋の中からオレンジのカボチャの顔がプリントされたパッケージを取り出した。外装がハロウィン仕様なだけで、中身は普通に売られてる個包装の菓子を詰め合わせたもののはずだ。
 藤真は嬉々とした様子で、バリッと豪快にそれを開けた、というか破いた。パッケージが裂けて中の個装の菓子が多少散らばったが、まったく気にしない様子でひとつを開けて食べ始める。
「……」
 藤真らしくなくて面食らってしまった。残った菓子をまとめておきにくいような開け方とか、普段の藤真なら嫌がって怒るんだが。なんだろうな、キャラづくりに目覚めたんだろうか。藤真の向かいの席に掛けて観察すると、なんだか動物みたいな印象で一生懸命にチョコを食ってる。
「うまいか?」
「うまい!」
 ちょっとした違和感も、はじけるような笑顔を見たらどうでもよくなってしまった。
「そうか、よかった。好きなだけ食べるといい」
 ものを食ってるときに無防備だってのは、人間でも動物でもなんでもそうだろうが、小悪魔も同じみたいだ。俺の上着を羽織ったままで、子供みたいに目を輝かせながらモグモグ口を動かしてる藤真はものすごくかわいい。
「……」
 甘いにおいをさせながらお菓子を頬張る藤真をしばらく微笑ましい気分で眺めていたが──相手が子供や動物なら微笑ましいだけで終わるんだが、俺たちは付き合ってる。当然、発生してしまう欲求があった。
「俺も欲しいな」
「あ? 人間はお菓子をくれる係じゃねえのかよ」
 人間、って言うのは、藤真だけコスプレをしてて俺が普段のままってのが気に食わないのかもしれない。そもそも藤真の行動が予定外だったせいなんだが。藤真は「しょうがねえなあ」とか言ってお菓子の個装のいくつかをこっちに寄越すが、俺は立ち上がって藤真の横に行く。
「……俺はお菓子よりイタズラがいいな」
 顎を掴まえて上を向かせると、金色の瞳がまっすぐに見返してくる。野生的な猫みたいな印象と、でかい上着と唇の端に付いたチョコのあざとさがアンバランスで、だがこれこそが藤真の魅力だとも思える。放っておけない。もっと知りたい。少し懐かしい感覚に、
ごくりと大きく喉が鳴った。吸い寄せられるように、身を屈めて唇を食む。
「ん……!」
 甘ったるい唇に吸いつきながら、柔らかな口の中を夢中で舐め回すと、体の底からムクムクと欲望が湧いてはっきりと形を作る。いつもはないキバの先が舌に触れて、少し不思議な感じもあったが、気を散らすほどじゃなかった。
 もう一方の手で首筋と、エナメル越しの平らな胸から露出した腹を撫でる。柔らかな肌は想像と違って冷たくはなく、しっとりとして手のひらに吸いつくようだ。藤真の体全体が大きく波打ったかと思うと、結構な力で胸を押し返されて顔を離した。
「ンッ、ふふっ……しょうがねえなあ」
 目を細めて唇を舐める仕草は小悪魔的ではあったが、ほんのり赤い頬ととろんとした目つきは酔っ払ってるときみたいにも見えた。

 藤真は積極的だった。ベッドの前で服を脱いでるときはせっつくように手伝おうとしてきたし、俺がベッドに乗るとごく当たり前みたいに腰の上に跨がってきた。小悪魔モードってことなんだろう。
「藤真……」
 たまんなくて、なんとなくつぶやいたきり続きは出てこなかった。別に普段の藤真が特に消極的だってわけじゃないが、ここまでノリノリなのは割と珍しいと思う。
 ブーツとホットパンツを穿いたままで脚を開いた格好で跨がってるんで、タイトなエナメルの間に白い太ももがむっちりと強調されて見えた。その股間の前にビンビンになって立ちはだかる俺の相棒に、手袋に包まれたままの細い指が触れた。
「っ…!」
「めちゃめちゃ発情してるじゃねえか、人間」
 まるでそれを非難するみたいに唇の端を釣り上げて言って、雑な手つきで俺のちんぽを弄り回す。
(藤真、そういう感じもできるんだな……!)
 いつもとは全然違う感じに、不覚というか意外というか、俺はめちゃくちゃ興奮していた。物好きな心理テストでSかMかって判断するようなのがあるが、俺はあれは間違ってると思う。なんでどっちかに決めないといけないんだ? 好きな相手とだったら、どっちだって愉しいじゃないか。
 藤真は頭を垂れて、尖らせた舌の先から俺の先っぽめがけてねっとりとした唾液の雫を垂らすと、手袋のままでそれを扱いた。
「おぉっ……」
 体温を感じない無機質な感触が絡みつくのにも、視覚的にも、なんか無性にみなぎってどんどん金玉がパンパンになっていくような気がした。
 藤真は見せつけるように舌先で唇を舐めて、目を細めて笑う。
「それじゃあいただくか」
 ゆっくりとホットパンツのジッパーを下ろすと、迷いのない手捌きでホットパンツと下着を一緒に脱いでいく。黒くしなやかな指先が下穿きを連れて、白い太ももから人形的な印象の脚を撫でるように通過してそれを脱ぎ捨てる。俺は綺麗なストリップでも見てるような気分で(実際見たことないんだが)その光景に見惚れていた。
 姿勢を直してあらためてこっちに向いた藤真の、露わになった性器は半勃ちって感じでまだ下を向いてたが、それはそれでエロいと思う。なにより、腕と脚と乳首を隠してるのに下半身が丸出しってのが、そこが強調されて見えてものすごくエロい。実は小悪魔じゃなくて淫魔のコスプレなんじゃないだろうか。
 藤真は股を開いて俺の腰の上にしゃがみ、すっかり待ちわびてわなないてる俺の息子にもう一度たっぷりヨダレを垂らすと、体の中心に──尻の穴に向かって導くように、先っぽを宛てがって擦りつけた。そうして細い腰をしならせ、ゆっくりと俺を呑み込んでいく。
「おぉっ…」
「っく、ふぅっン…♡」
 藤真の白い肌の、ちょっとくすんだそこが黒くて太いちんぽを受け挿れていくところはいつ見ても最高だ。俺はそれをじっくりと、いやらしく見守る。しかし、いくら慣れてるったって、ツバつけただけで尻にちんぽが入るのか? コスチュームに着替える前から準備万端にしてたってことなんだろうか!?!?
 その設定だけでオカズにできそうなくらい、考えるとものすごくエロいんだが、根もとまでずっぷりと咥えて身震いされると考えてもいられなくなる。
「っ、すっげ…♡」
 目を細め、ニッとキバを剥いて笑い、自らの手で自分の性器を愛撫して喘ぐ。
「あぁ、んっ…」
 藤真が感じてのけぞると、中もうねって、きゅうと締まって吸い付くみたいだった。ものすごくエロい感触で、ため息に思わず声が混じる。酔っ払ってんじゃないかって感じもするが、小悪魔キャラとして大胆になってるんだろうか。どっちにしろ望むところだ。
 左手で性器を、右手で太ももの内側をまさぐってるその体の中心に深く打ち込むように、俺はぐっと腰を持ち上げる。
「ぅあッ♡」
「今日はずいぶん大胆なんだな」
 あまり大きな動作じゃないが、内部を味わいながら、腰を回すように動かしてやる。
「んふっ、だって、チョコなんて食わすからっ♡ あぁッ♡」
 よくわからんが、そういうキャラ設定なんだろう。俺は持ち上げてた腰を下ろし、また突き上げて、ベッドの反動を使って上下に揺さぶる。
「んぉっ、あっ♡ んんっ、あぁ〜ッ♡」
 藤真もそれに合わせて腰を振る。ズボズボと尻穴にちんぽを出入りさせながら、辿々しく自らの性器を刺激してあられもなく喘ぎ、乱れる姿に俺はなんの疑問も抱かずにのめり込んだ。もっと藤真をよがらせようとすると、それがそのまま俺の快感になる。こんなに愉しいことがあるか? 
「んくっ、あんっ、ぁあぅッ!」
 藤真はのけぞって後ろに手をついて、ガクガク、ビクビクと細い腰を震わせてる。平らな胸から腹への曲線がきれいだ。掘られてるケツ穴は丸見えで、その上でぶるんぶるん揺れるちんぽが無性にかわいくて愛しい。顔とか性格とか、そんな話じゃないんだ。もう全部、全部が好きで止められない。
 パンパンと体を打ち付ける音、それに合わせて囀るみたいな藤真の声の間隔が、徐々に早くなっていく。
 俺は夢中で快感の沼地を泳ぎ突き進み、藤真の中に思いのたけを吐き出した。
「はっ、あんっ、出てるぅっ、あぁッ……♡♡♡」
 
 
 

恋人カレはミス翔陽 5

5.

 ニットワンピ、ショートパンツにタイツ、ベレー帽とイニシャルのネックレス。前回のデートで牧に買ってもらったものをベッドの上に広げて眺める。今日も着ていってやれば、きっと喜ぶだろう。藤真の口もとに、無意識に笑みが浮かぶ。
 見つめれば照れ、抱きつけば体ごと喜ぶ。ストイックな試合巧者とは打って変わって、牧は非常にシンプルな男だった。試合外での人となりについて、穏やかでマイペースだとは知っていたが、それともまた違った印象だ。
 いつしか帝王と呼ばれていた、牧の絶対的な強さは誰よりも知っているつもりだ。そんな男の弱点を見つけた気分で、優越感を抱いてしまうのはおそらく屈折しているのだろう。
(しっかし、ひさびさのデートで浮かれたにしても、相手はオレだぞ?)
 アクセサリーを安物と言っていたし、牧にとっては些細な買い物なのかもしれないが、それにしても不思議な男だ。
(天然ってことなんだろうか……)
 まだ着替えていないだけで、藤真はすでにキャンディを食べ終え、女の体になっている。今日で最後だと伝えたら、牧はどんな反応を示すだろう。残念がるのだろうか。善良な人間を騙しているような、ばつの悪さを感じなくもない。
(まあ、仕方ねえよな。オレはもともと男だし、女体化の説明は初っぱなにしたんだから、回数限定って想像もできたはずだし……)
 あれからバスケ部の三年生にも聞いてみたが、とうとうコザキを見つけることはできなかった。藤真としても、期間限定で女性の体験をしただけと納得したつもりだった。
 しかし、いざ最後のデートの日となると非常に落ち着かない。牧にはどう切り出せばいいだろう。行為の前か後か。悔いなく過ごせるように、出会い頭に告げてしまったほうがいいかもしれない。その後はきっと、ふたりきりで会うことなどなくなるのだろう。ざわざわと不安に襲われ、胸が締めつけられように苦しくなるのは、ブラジャーをつけている影響だろうか。そんなことを考えていると、家の電話が鳴った。今は家に藤真しかおらず、声も変わってしまっているので少し放っておいたが、なかなか切れないので仕方なく取りにいく。
「はい、藤真です」
『牧と申しますが、健司くんはいますか』
「オレだけど」
『おお、藤真だったか! すまん! 急用が入って、会えなくなった』
「は?」
 高い声で、ただ一文字だけを返す。藤真にとって口癖のようなものではあったが、常とは異なり頭の中が真っ白で、それしか言葉が出てこなかった。
『実家から呼ばれちまって、無視するわけにもいかない用事でな。残念だが、また今度にしよう』
「……そっか。まあ、家のことならしょうがないよな」
 ひどくショックを受けながら、淡々と返しているのが自分でも不思議だ。
『その声、もうキャンディを食ったんだな。……すまん、埋め合わせは必ずするから、くれぐれも危ないことはしないようにな。それじゃあ、また』
 牧は急いでいるようで、藤真の返事を待たずに電話を切ってしまった。藤真は呆然として受話器を置く。
(また、とかもうねえし……)
 今日で最後にする。それで納得したつもりだったが、まさか機会が不意にされるとは思っていなかった。もう牧と会えない。貰った服を着て見せることもない。非常な空虚感に襲われ、それを上書きするかのように、ふつふつと怒りが湧いてきた。
(もっと早くわかってたら、キャンディ使わなくて済んだのに)
 キャンディさえ残っていれば、単純に延期でよかったのだ。しかしそれは叶わない。
 そして実家からの急な呼び出しということならば、もっと早くに連絡しろというのも無理な話だろう。牧はいい加減な人間ではないはずだ。腹を立てる自分が狭量なのだろうが、〝また〟がないのも事実で、苛立ちのやり場がない。
(結局一回しか着なかったじゃんか。無駄遣い……)
 ベッドの上を眺めると、少し前の自分が考えていたことが馬鹿馬鹿しく、虚しく感じられ、服を下敷きにするのも気にせずベッドに転がった。
「はー……」
 イライラする。肩透かしを食らったような、騙されたような気分にさえなっている自分に戸惑う。実家の用事なら仕方ないではないかと、何度も同じことを頭の中で繰り返している。何がそんなに気に入らないのか、自分はそんなに物分かりが悪かったろうかと、自らを納得させる答えをぐるぐると探す。
 身じろぎすると、肩甲骨が硬いものを踏んだ。手を入れて引っ張り出すと、ネックレスのプレート部分だった。それを顔の上にぶら下げるように翳し、相変わらずベッドのヘッドボードに置いてある茶色のクマを見上げる。
(なんでこんなもん寄越したんだよ……)
 私設ファンクラブとやらの会長から、贈りものをするなら何が嬉しいかと問われたとき、どうしてもというなら手作りでない食べ物がいいと話したことを不意に思いだす。よく知りもしない人間から、形に残る物品を貰うのは苦手だ。相手が善意であるほどに扱いに困る。顔のついたぬいぐるみなどはことさらだ。
(どういうつもりなんだよ。もう会えないっつうのに)
 クマを手の中につかまえて親指で腹を押す。鳴きはしないが、体を折り曲げてうんうんと頷いているように見える。
 ひどく気分が沈んで、何もする気が起きない。もとより他の予定などなかった。ぼうっとしながらクマの体を揉んでいるうち、瞼が重く落ちてくる。

「……はっ!?」
 がばりと飛び起きて時計を見る。一瞬早朝かと思ったものの、どうやら夕方で、体はまだ女のままだ。
(あっぶね〜! 牧のせいで寝て休み潰すとこだった!)
 眠りに落ちる前はすっかり消沈していたのだが、寝起きと相まってむかむかしてきて、じっとしていられない気分になってしまった。牧との予定が潰れたからといって、なぜ大人しく寝ていなければならないのだろう(勝手に眠ったのだが)。
 そもそも当初の目的は、知らない人間と援助交際をすることだった。それを牧が妨害したのだ。最後の女体化の機会だ、初心に戻ろうではないか。体の下に敷いていた服を見て、にやりとほくそ笑む。
(あいつから貰ったもんを着て援助交際してやろ!)
 牧は藤真の行動を止めたがっていた。それをふまえれば、牧から貰ったものを身につけて援助交際に臨むことは素晴らしい名案に思えた。
 意気揚揚と私服一式に着替えていつものウィッグを被り、ネックレスをつけて頭の上にベレー帽を載せる。愛らしいミス翔陽・私服バージョンの完成だ。制服ではないので、ラブホテルにも入れるだろう。
 やはり牧から貰ったひまわりを付けたバッグとブーツを抱えて部屋を抜けだし、出かける旨を書いたメモを下駄箱の上に置いて、夜の街へと向かう。
(……しかし、制服じゃなくても援交希望ってわかるもんなのか?)
 藤真のイメージとしては、援助交際とは女子高生と中年男性の間で行われるものだった。私服姿でいて、果たして声をかけられるのだろうか。
(まー、花つけてりゃわかるだろ。たぶん。オレは牧みたいに年齢不明じゃねえし)
 最初のときはさほど経たずに声をかけられたので、場所は間違っていないだろう。そのとき出会った男から名刺を貰ったが、それも牧に取り上げられたままだ。正確には、興味を失っていて今まで忘れていたのだが。
(あいつ、オレの邪魔したあげく逃げやがって。なんなんだよいつもいつも、オレの前に出てきて……)
(援交がうまくいったら、牧に報告してやろうっと)
 そうすれば牧の鼻を明かすことができる気がして、俄然やる気になって足早に目的地を目指す。
 以前声をかけられた場所からそう遠くないところで、早くも藤真に声をかけるものがあった。
「お姉さん」
「はいっ?」
 振り返ると、背広を着た小太りの中年の男だった。垂れた目尻が一見人のよさそうな印象を与える。白髪染めが抜けたのであろう、部分的に明るい黄褐色になった頭髪は、藤真にとってあまり好ましいものではなかった。
「かわいいねえ、どうしたの、そんな花なんてつけて」
(普通、女が花の飾りつけてるくらいでつっこんでこねえよな。ということは、つまり、そういうことなんだよな)
「ええと、ちょっと……暇で……」
 第一声になんと答えるべきなのか、前回も困ったものだったが相変わらず何も考えていなかった。選手兼監督を務めた藤真に対し、理知的で聡明というイメージを抱く者もいるが、それはあくまで監督としての一面だ。牧にオンオフがあるのと同様に、校外での彼は至って普通の、多少擦れた高校生なのである。
「彼氏いないの? いるよねえ、そんなかわいいんだから。ケンカしたの?」
 ニタニタ笑う男の視線が纏わりついて、怖気が走ると感じてしまった。
(オレとエロいことしたいやつが話しかけてくるんだから、やらしい顔してたって当たり前だろ……)
「まあいいや、おっちゃんとごはん行くかい?」
 口もとから黄ばんだ歯が覗き、深く染みついたようなタバコのにおいが弱い風に乗って漂ってくる。会話をしている時点ではさほど気になるものでもないが、それ以上の行為に至ることを想像すると、辛い気持ちになってしまった。
「え、と……ご、ごめんなさいっ!」
「あら、残念」
 男の言葉を背中に聞きながら、藤真は小走りにその場から駆けだして角を曲がった。
(……ふう。別に、悪人に見えたわけじゃねえけど。買われる側だって、選んでいいはずだよな?)
 実際に援助交際をしている友人がいるわけではないので、細かいことはわからない。ただ、同じ年ごろの女子たち(の一部)が遊びのように行っていることという認識であるため、危険なことをしている自覚は相変わらずなかった。
(どの辺にいれば声かけられやすいとか、あんのかな……暇そうにしてるほうがいいんだろうけど)
 大通りから折れた、あまり往来の見えない通りに差しかかると、ガードレールの内側に腰掛けるようにして待ちぼうけている様子の女が見えた。
「!」
 一人ならば気にしないところだが、ミニスカートを履いて脚を出した女が複数人同じようにしている。これは偶然ではないはずだ。同じ並びに藤真も混ざることにした。
(ミニスカ……やっぱり性的な服装をするんだよな。制服だってミニスカだし。タイツにショートパンツって、オレ健全すぎねえか?)
 服装についての懸念はあったものの、ほどなくして男から声をかけられる。
「こんばんは」
「!! こんばんは」
 身長は低く小太りで、おとなしそうな顔立ちの男。漂う雰囲気はインドア系統なのだが、リュックサックを背負い、迷彩柄のベストとたくさんの大きなポケットのついたパンツが浮き立って見えて印象的だ。
(ううーん? おっさんって年齢でもなさそうな?)
「っきゅう! かわいい! お姉さんミュウたんに似てるね! めるめるモAチームのミュウたん!」
 感動を表しているのか、男はぴょんと飛び跳ねて体をくねらせ、早口にまくし立てた。
(えっこわ、よくわかんねーけどいろいろ無理……)
「ミュウたん、あっいけねっデュフッ! お姉さん、僕どうですか!!」
「ご、ごめんなさい……」
「……!! そう、ですか……さよなら……」
「さよなら……」
 男は顔をこわばらせ、心底からショックを受けた様子で肩を落として去っていった。
(なんか、悪いことしたかな……でもなに言ってんのかわかんない人はちょっと……)
 少しするとまた男の早口が聞こえてきた。見遣ると、同じ並びにいる別の女と話している。
(別にオレは悪いことしてなかったわ。そうだよな、あっちだってやれれば誰だっていいんだ。ミュウたん似じゃなくたって)
 男はぴょこぴょこと飛び跳ねていたかと思うと、女と手を繋いで歩いていった。
(まじか〜。あれアリなのかよ……まあ、金払ってくれて、犯罪者みたいじゃなかったら別にいいって感じか……)
 あらためて見ると、女たちは女子高校生よりもっと大人のように見える。きっといろいろと事情があるのだろう。自分は特に金に困っていないために相手を選んでしまうのかもしれない、そう考えて一人納得する。
 少しすると、また別の男に声をかけられた。一見ごく普通の男に見えたが、口もとに張り付いた笑みと、その割にどんよりと曇った目に思わず身を引いてしまう。
(なんか……えぐい腕時計してるわりによさそうに見えないのはなんなんだろ……)
 男は事業をやっているだのと言っていたが、やはりキスをしたり行為に至ると想像すると抵抗を感じてしまい、頭を下げて断った。
「ごめんなさい」
「はっ……そうですか」
 男は神経質な嘲笑のような表情を浮かべたものの、それ以上は何も言わずに藤真の前から立ち去った。
(いや、めちゃくちゃ感じ悪りぃな。拒否ってよかった!)
 傍目に見れば、こんなところに立って男を品定めし拒否し続ける藤真も十二分に感じが悪いのだが、当人の知るところではない。男の行方を見ていると、次に声をかけた女とやはり成立したようだった。
(……ナンパでもなくて路上にいる女を金で買おうっていうんだから、どっかしらアレな男なんだよな、たぶん。女側もそういうつもりでここで待ってるわけで……)
 自分にはそこまでの覚悟はない。援助交際とはもっと華やかで簡単なものだと想像していたのだが──場所が悪いのかもしれない。もう少し人通りのあるところに移動することにした。ナンパだのキャッチだのを横目に見て歩きながら、つい牧のことを考えてしまう。
(牧って実は、めちゃくちゃレベル高いんじゃねえか? 老けてるだけで不細工でもねえし)
 体は逞しく強いし、一物も立派だし、性格も悪くないと思うし、金も持っている。
(なんなんだよあいつ、やべえな……)
 同年代の女子生徒からの人気で言えば、レベルが高いと評した牧よりも藤真のほうが遥かに優っている。しかし今の彼の心境は、場違いな売れ残りでしかないのである。
(せめて最初のあの人また来ねえかな。あの人がいちばんまともだった気がする。牧に名刺奪われたけど……あーむかつくわあいつ! ほんとなんなんだ)
 初めて女体化してこの街に来た日、最初に声をかけて来た男のことを思い返す。長く話したわけでもなく、人となりなどわからないのだが、牧に不意にされた機会だと思うと好人物だったかのように虚像が作られていく。
「あっ……?」
 思わず声が出てしまった。ちょうど思い出していた人物と、よく似た男の姿を見つけた。しかし男は別の女を連れていて、一瞬こちらを見たような気もしたが、特に反応を示さず歩いて行ってしまった。
 女はやはり脚を出した服を着ていて、胸は大きいように見えたが、黒いアイシャドウが変に目立って、正直なところ自分よりかわいいとは思えなかった。
(……誰でもいいって、そういうことなんだよな)
 現実を見せつけられた心地で、急激に意気消沈してしまった。帰ろうかという思いが生じ始めたとき、若い男が行く手を塞ぐように話し掛けてきた。
「お姉さん、男探してんの?」
「えっ……と」
(なんだこの人、普通のナンパか?)
 長髪というには短いのかもしれないが、茶色に染めた髪を跳ねさせた、季節の割に日焼けした男だった。今日これまでに接した男たちとは違って体格もよく、服装も若者然としていて、女を買うタイプには思えなかった。
「さっきからこの辺ウロウロしてんの、見てたんだよ」
 男は藤真のバッグのひまわりを指差す。本能的に、関わらないほうがいいと感じた。
「……すみません、急いでるんで」
 早足で離れようとするが、男の歩幅のほうが大きい。
「出会い喫茶って知ってる? 座ってお菓子食べたり漫画読んだりしながら男を待ってられるんだよ。今ならオープン記念で女性無料! 男からは入場料取るから、立ちんぼより変なやつも来ないと思うよ」
「うーーん、と……」
 そも、女の体で男とセックスをするというのが当初の目的なので、厳密に援助交際でなくとも構わないのだ。どうせ予定はないのだから、出会い喫茶とやらを体験するのも悪くはないのかもしれない。しかし、店の中に入ってしまったら牧は自分を見つけられなくなる。
(え? いや……)
 藤真は自らの思考に戸惑いうろたえた。自分は、牧を待っているのだろうか。
「ねえお姉さん、どうすんの?」
 藤真が口を開く前に、別の男の声が割って入った。
「ちょっと、すみません!」
 思いきり振り返ったが、そこにいたのは見知らぬ中年の男だった。スラックスとベストの上にアウターを羽織った、牧とは似ても似つかないスマートな男。バッグにつけたひまわりを凝視し、それからまじまじとこちらの身なりを観察するのがわかる。
(牧じゃない。牧は来ない。実家に戻ってるって、わかってるんじゃんか……)
「一緒に来ていただけますか?」
(もう、いいや。こっちの人について行こう)
「……はい」
「チッ」
 出会い喫茶の客引きは大きな舌打ちをして離れていった。

「っ!?」
 意識が覚めると、まず窮屈な体勢の苦しさに顔を顰めた。手脚が思うように動かせない。徐々に自らの状態を理解していくと、大きな瞳を驚愕に見開く。
 藤真は一糸まとわぬ姿で拘束されていた。手首は頭の後ろに纏められて柱のようなものに括られ、両の太ももは首の後ろに渡されたベルトと繋がれて体の前に持ち上げられ、強制的にM字に開かされて、陰部をまざまざと晒している。
「お目覚めみたいだな」
「っ!」
 状況を理解しきれていないせいで、人の存在にも気づいておらず、思いきり体を震わせてしまった。藤真は困惑と抗議の表情を浮かべ、いかにも軽薄そうな柄シャツの男を見遣る。
「なんで、こんなっ……」
「いろんなこと教えてほしいって言ったろ?」
「ひっ!」
 暗がりから伸びた別の男の腕が、桜色の乳首を摘み上げる。乱暴につねりひねり上げる動作に快感は生まれず、ただ恐怖だけが募った。
「痛いぃっ!」
「おいおい、女の子には優しくしなきゃだめだろ? こう……」
 唾液で濡れた男の指が、微かに肉びらを覗かせる秘裂に触れる。
「いやぁっ!」
 硬い皮膚をした無骨な指が、じっとりと湿った柔肉の色と感触を楽しみながら、何度も割れ目をなぞる。
「はんっ! 嫌っ、あぁっ…くっ…!」
 不本意なこととはいえ、開かれたまま固定された脚を閉じることもできず、敏感な箇所への刺激に耐えきれず声が漏れる。
「嫌じゃねえだろ? 自分からついて来といて」
 ヴィィィィィ──男の指の間で、楕円形のローターが大袈裟な音を立てて震える。陰核に押しつけられると、拘束された体が大きく跳ねた。
「あぁ〜ッ! あっ、あぁッあっ…♡」
「なあ? ほら、全然嫌がってねえじゃねえか」
「はぅっ! っくっ、ウゥッ…♡」
 女陰の至るところをローターで撫で回されるうち、膣口は求めるように収縮し、竦み上がっていた体はだらしなく愛液を吐き出す。
「へへっ、口では嫌がってもカラダは正直じゃねえか」
「ぁっ! やぁっ! あぁぁっ…!」
 陰核を刺激する位置にローターをガムテープで貼り付けて固定されてしまうと、たまらず悶絶する。スイッチが入ったかのように、乳首、太もも、いたるところを弄り回す男の手に感じてしまう。
「金が欲しいんだろ? たっぷり稼がせてやるからよ」
 部屋のドアが開くと、何人もの男が入ってきて藤真の拘束されるベッドを取り囲む。みな一様に股間を隆起させ、中には早々に性器を露出させて自慰行為を始めるものもいた。
「んなっ!? そんなっ……」
「じゃあまず俺から!」
 男はじゅるりと涎を啜り、覚束ない手つきでズボンのベルトを外す。
「やぁっ! 嫌だっ! 助けて牧──!!」
(藤真……!!)
 不吉な妄想を打ち消すように頭を振って、牧は夜の街を駆ける。藤真は誰にも似ていない。日ごろならば見間違いようがないというのに、今日は彼と似通って見える女性が妙に目に留まる。
 思っていたより早く用事が済んだため、藤真の家に電話をしたが、出かけてしまって夜遅くまで戻らないと言われた。それだけの情報だったが、牧には悪い予感がして仕方がなかった。──と、上着の懐でポケットベルが震えた。
「!!」
 メッセージを確認し、目的地まで全力で走る。準備中の札の下がった店のドアを勢いよく開けると、カウンターに座る藤真の姿が目に飛び込んできた。
「藤真! よかった……!」
「牧……」
 かまびすしい音を立てたドアベルに、カウンター内の店主は整った眉根を思いきり寄せて不快感を示す。
「ちょっと、乱暴にしないでくれる?」
 赤く塗った唇と顎のホクロが印象的な、凄味のある美人だ。鼻が高く掘りの深い、はっきりとした顔立ちは、日本人離れしているという以前に見覚えのあるものだった。
「す、すみません。……さあ藤真、早く行こう」
「え、うん……」
 牧に腕を引かれ、藤真は戸惑いながらも席を立って飲みかけの烏龍茶のグラスを返す。
「ありがとうございました」
「ありがとう、ママ」
「いいえ、お礼はシゲちゃんに……あら、どっか行っちゃったわ」
「今度会ったらお礼しておきます。それじゃあ」
「はいよ、またね」
 慌ただしく店外に連れ出され、藤真は怪訝な顔で牧を見る。知っている顔に再会した安心感よりも、疑問のほうが先に出た。
「用事じゃなかったのかよ」
「聞いてないのか? 大したことなくて、思ってたより早く済んだんだ」
 待たされている間に藤真が得た情報といえば、店のママと呼ばれた人物が牧の親類であること、出会い喫茶に誘われていたときに声を掛けてきた男が店員のシゲちゃんだということくらいだ。
「大したことって?」
「ばあさまが倒れた、頭打った大変だ! って呼ばれて見舞いに行ったんだ」
「……大変じゃん」
 倒れた家族の見舞いと女体化した友人とのデートならば、前者を選ぶことはきわめて正しいと思う。腹を立てていた自分が情けなくなる。
「実際は転んで膝の骨をやって、頭は軽くぶつけただけだった。わざと大袈裟に言って身内を呼びつけたんだ。人騒がせなばあさまだよ。そのあとも久しぶりに会った伯父さんやらに捕まって……」
「みんなに会いたかったんじゃね」
「そうなんだろうが、膝の見舞いなら今日じゃなくたってよかったんだ。危うくお前を危ない目に遭わせるところだった」
 藤真は大真面目な顔の牧をまじまじと見つめ、店を出ても掴まれたままの手首を見た。
「いつまで掴んでんだよ」
 牧は藤真の言わんとするところを察したのか一瞬固まると、手首を掴むのをやめて手を握った。
「おいっ!」
「いいじゃないか、もとは今日もデートの予定だったんだ。なんか食いに行こう」
 牧はさらりと言うと、人の行き交う通りに歩きだす。デートはともかくとして、夕食どきなのは確かだ。藤真は手を振りほどかないまでも握り返さないまま、ただ牧について歩いた。

 ほどなくして見つけたイタリアンレストランに入り、案内されたテーブル席に向かい合って着席する。オーダーを取った店員が去っていくと、牧は藤真を見据えて目を細めた。
「やっぱりいいな」
「うん?」
 優しい顔だ。試合中には見ないが、牧はときおりこういった表情をする。なぜだか胸が痛んだ。
「服、着て来てくれて嬉しい。すごく……かわいい」
「……そう」
 躊躇いがちに、照れたように笑う牧に対し、『お前に見せるために着て来たんじゃない』とはとても言えなかった。
「お前を見つけられてよかった」
 オレも会いたかった、会えてよかった。確かにそう感じたことを自覚しつつも、意固地が邪魔をして言うことができない。
「……最初のとき行こうとしてた身内の店って、あの店?」
 シゲちゃんとやらに連れていかれ、藤真が待たされていた店のことだ。初めて藤真が女体化して援助交際に臨んだとき、この街で偶然出会った牧はそう言っていた。
「ああ」
「ママって、牧の本当のママ?」
「んなわけないだろう。あれは叔父だ。親父の弟」
「あー、やっぱり男の人だったのか」
「見てわかんなかったか?」
「いやー……」
 かわいい男がいるならゴツい女だっているだろう、とは言わずに言葉を濁す。牧に似て顔立ちが日本人離れしているので、体格の良い外国人の女性のようにも見えたのだ。
「ママもばあさまに呼ばれてたから、病院で会って一緒に帰ってきたんだ。でお前の家に電話したら出かけたっていうから、嫌な予感がして店の人を借りて一緒に探してもらってた」
「ふうん。店員さんのカンがよくて、よかったな」
 牧は苦笑する。
「……そうだな。あと、初めてポケベルが有効活用された気がする」
 言いながら、上着の懐からポケットベルを取り出して見せた。
「なにお前、女子高生みたいなもん持って」
「藤真は? ポケベル」
「持ってない。そんなまどろっこしいので部活の連絡とか送られても困るし」
 外見こそ今どきの若者だが、高校に入ってからは部活動ばかりで過ごしてきたため、そういったものには興味を持たずにきた。牧も同様だと思っていたので、少し意外だ。
「そうだな。俺もそう思ってるんだが、親から持たされてて」
「うわっ! 坊ちゃんじゃん!」
「まあ、今回はこれのおかげですぐに店に戻れたからよかった。……お、来たな」
 料理が運ばれてきてからは、ふたりとも口数少なく食事をした。食事のときは食べることが優先だ、特に不自然なことではないのだが、藤真はときおり手を止めて考えてしまう。路上で知り合った男と、こうして食事をすること、その後一緒に過ごすということ。自分がしようとして、できなかったこと。
(牧って、やっぱりイケてる。老けてるだけで不細工じゃないし、体型もいいし、その気になれば女なんてすぐ見つかるよな。だからたぶん、将来も援助交際なんてしないと思う……)
 前回のデートでの発言を撤回し、そんな男と一緒にいることに誇らしい気分になったが、すぐに自己嫌悪に陥った。
「うまいな」
「うん。おいしい」
 世辞ではなく美味い料理だった。考えごとをしながら食べるのは、少しもったいないと思うほどに。

「じゃあ、うちに行くか」
「……うん」
 牧は当然のように手を握ってきたが、藤真は相変わらずそれを握り返せない。
 紆余曲折あったが、当初からの目的は果たされる。それでいいではないか。もやもやとして、切り替えられずにいる自分に苛立ちが募る。
 街中は賑やかで、話すにはどうしても声を張る必要があるため、会話が少なくても特に気にはならなかった。
 電車に乗って牧の住むマンションの最寄り駅で降りると、一気に人が減った。そこから目的地へと歩く、夜の住宅地付近は人通りもまばらで、さすがに沈黙が気になった。
「藤真、怒ってるのか? 遊びに行けなかったの、残念だったな。また今度……」
「今度なんてもうないよ」
「それは……」
「キャンディ、もう無いんだ。今日ので最後だった。女体化しちまったのになんもしないでいるなんてもったいないと思って、援交しにきた」
「!! そうだったのか」
 キャンディはもう無い。つまりふたりでこうして会う機会もないと言ったつもりなのだが、牧の反応はあっさりとしたものだ。
(別に牧は、オレにこだわる必要ないもんな。ただ都合がよかったってだけで……けど、オレは)
「だから、今度なんてもうないんだ」
 恐ろしい、触れてはいけないものに辿りついてしまいそうで、それきり口をつぐんだ。吐き出せないものが胸に支えて溜まっていく。
「別に、女体化しなくたっていいんじゃないか?」
「女装しろって?」
「いつものままでいい」
「……」
 牧は何もわかっていない──いや、牧は友達だ。初めての夜に彼はそう言っていた。自分が牧に求めるものがおかしいだけなのだ。行き場のない熱があふれ、瞳からこぼれる。
「藤真……泣いてるのか?」
 どうして。牧には困惑しかなかったが、手を繋ぎ体が触れるほどの距離で歩いているのだ、藤真が震えていることはわかる。外は暗いが、街灯の明かりに白い頬を伝う光が見えた気がした。
「だって、男に戻ったら、もうこんなの無理じゃんか」
「!!」
 牧は今まで抑えに抑えてきたものが弾き飛ばされたような心地で、藤真のことを抱きしめていた。
「なにっ……」
 咄嗟に声を上げたが、牧の体を押し返すことはできなかった。強い腕が心地よくて、広く厚い胸に顔を埋めたい衝動に駆られながら、あらがってただ俯いていた。
 牧は道の端に体を寄せながら、藤真に言い聞かせるように静かに語りだす。
「藤真、聞いてくれ。……俺は、こうなる前からお前のことが好きだった。恋愛的な意味でだ。だから、お前が他の男とやるなんて絶対嫌だった」
「……は? なにそれホモじゃん。きっしょ」
 震える声の、自らの言葉が胸に刺さって涙が止まらない。子供のようにぐすんと啜り上げた息に、いっそうみじめな気分になる。
「男でも女でも、お前のことが好きだってだけだ。そんなにおかしいことだとは、俺は思わない」
 言葉こそ拒絶を示していたが、牧にはそれが藤真の本心だとは思えなかった。自分に都合のいい思い込みでしかないかもしれない、そう思っていたことが真実めいて迫り上がってくる。
「お前だって、同じなんじゃないのか? 女になったからって、中身は藤真のままのはずだ」
「そんなこと、急に言われたってわかんない……」
 わがままを言うつもりではなく、藤真は本当に混乱していた。泣いたせいか思考が感情に引きずられ、落ち着いていない自覚もあった。少し、時間がほしいと思う。
「……とりあえず、うちに来るよな?」
「ここまで来といて、んなこと聞くんじゃねえ」

 牧の部屋に上がると、藤真のほうから牧に抱きついた。
「藤真……」
 抱き合う体が求め合っている。しかしそれは、あくまで男女の形をしているからではないのか。
 くちびるを塞がれ、舌を絡め合う。知り合いとのキスなど気まずくて嫌だと思っていたのに、腹の底から甘い疼きが湧き上がり、苦い思いを忘れさせるようだった。
 帽子を取り、ウィッグを外し、服を脱がされていく。正体を暴かれていく感覚はあるが、しかし現れる肉体は女の形で、本来の自分のものではない。
「藤真。好きだ。ずっと前から俺は……」
 優しくて熱い目がこちらを見ている。力強い腕で獲物を捕らえ、獰猛な雄の象徴を押しつけてくる。雌の肉体はそれを求め、欲している。
「本当に?」
(オレは本当にちゃんと、牧のことが好きなのかな……)

「……?」
 暖かくて心地よいが、ずっしりと重たい布団だ。そう思いながら、体のけだるさからしばらくは目を閉じていた。じき、ぼやける視界が明るくはっきりしていくと、褐色の腕が体に回され、牧に背中を抱かれているのだと把握する。
「!!」
 カーテンから日が差し込んで、お手本のようにチュンチュンと雀の鳴き声が聞こえる。夜のうちに帰るつもりだったのだが、女体化時の眠気に耐えきれず眠り込んでしまったようだ。牧を起こさないよう、大きく体を動かすことは避けたが、それでも自分の体が男に戻っていることはわかる。胸は平坦で、股間には男性ならではの存在も感じる。
(男の背中なんて抱いて、気づかないでのうのうと寝てやがって……)
 間抜けな寝顔でも見てやるかと振り返ると、牧と思いきり目が合ってしまった。
「おはよう」
「お、おはよう!? 起きてたのかよ」
「ああ。起こしたら悪いかと思って」
「別にいいのに」
 困惑しつつ、ほどかれる気配のない牧の腕から体を引き剥がすように上体を起こした。
「おら、男に戻ったぜ」
 平らな胸を思いきり張って牧に見せつける。
「ああ、そうだな」
「かわいいフジ子はもういねえ」
「……そうかな」
 その言い草があまりに可愛らしくて、牧は思わず笑ってしまった。大して変わっていないと教えたら、傷つけてしまうのだろうか。
「どっちでもいいんだ。昨日も言ったとおり、男の時点からお前のことが好きだったんだから」
「……本当かよ?」
 牧に嘘をつく利点はないと思うし、援助交際を妨害してきたことにも合点がいく。しかし抱かれたのはあくまで女としてだ。告白を聞いたあとも、それがずっと引っかかっていた。
「ああ、本当だとも」
 牧は藤真の腰を抱き、シーツの中で朝勃ちしている性器を捕まえる。
「あっ!!」
 緩慢に首をもたげていたものに一気に血が集まる感覚があって、顔が燃えるほど熱くなる。女の裸を見せる以上の恥ずかしさだ。
「おいバカ、よせって!」
 牧の腕を掴むが抑止力にはならないようで、大きな手は形を確かめるようにそれを緩く握り、やわやわと撫でる。
「いまさらじゃないか?」
 牧はシーツを押しのけながら、それを口に咥え込んだ。
「くぁっ! あっ、ウソ、ぁっ……」
 初めて見た、いや正確にはまだまともに見てすらいない藤真の本来の姿が愛おしくて、口の中のものを夢中で舐めまわしていた。
「っく、あぁっ…」
 敏感な亀頭も柔らかな陰嚢も低い喘ぎ声も、知らないようでよく知っている。体の形など、牧にはやはり些細なこととしか思えなかった。
「っあ、やば、出るからっ──ぅくッ…!」
 言葉では拒否していてもその感触は男の体にやはり魅力的で、藤真は形ばかりの抵抗を示しながら牧の口の中で果てた。牧は喉を鳴らしてそれを飲み下す。
 名残惜しそうになおもそこに吸いつくのを、さすがに力ずくで引き剥がしてシーツで隠す。
「……信じらんねー、男のちんぽなんて舐めて」
「好きなら舐めたくなるもんだ。……お前だって舐めてくれた」
「それは、オレが女になってたからでっ!」
 藤真は赤面する。確かにあのときは女の行為として臨んだつもりだったが、自分が相手を選んでいたことを思い知った今では、気の利いた反論ができない。
 牧は藤真の手を取り、低い位置から彼を見上げる。
「好きだ、藤真。信じてくれ」
「……胸ないけど」
「すごく好みだ」
「ちんぽ生えてるけど」
「ちんぽが嫌いな男はいない」
「まんこないけど」
「穴なら他にもある」
「本気で言ってる!?」
「もちろん、お前が嫌ならしない」
 牧が自分に恋愛的な好意を抱いていた。ここまでされて嘘だとは思わないが、いまだに実感がない。覚悟もなく、戸惑いしかない。しかし頭の中に抵抗感があるだけで、牧に嫌悪感などないのだ。
 体は確かに女になっていた。だが、それだけだったのだと思う。女体化しても藤真のままだと、花形も牧も同様のことを言っていた。そのうえで花形は友人である藤真を抱かず、牧は抱いた。
 最初は誰でもいいと思っていた。しかし違った。夜の街を彷徨いながら、自分は牧を待っていた。
 牧は体を起こし、藤真と正面から向き合って言った。
「藤真、お前の気持ちを聞かせてくれ」
「……!」
 こわい。言いたくない。恥ずかしい──喉の奥に詰まって、言葉が出てこない。誰のためでもない、何の義務も背負わない自分のための意思表示が、こんなに恐ろしいことだとは知らなかった。
「言いたくない?」
 ぎゅうと抱きついて牧の胸に顔を埋めた、藤真からは見えなかったが、牧は穏やかに笑っていた。返事を言葉で聞ければそれは嬉しいが、聞かなくとも十分に伝わっている。
「……好き」
「ん? もう一回」
 聞こえなかったのだろうか。目線を上げると、にこにこと楽しげな牧と目が合った。わざとだ、咄嗟にそう直感して眉を吊り上げる。
「ん? じゃねえよハゲ! もう二度と言わねえ!!」
 腕を回していた広い背中をバチンと叩き、思いきり体を離した。
「ハゲじゃないだろう。よく見てくれ」
 牧は藤真の体を掴まえ強引に抱き寄せる。牧と比べれば華奢ではあるが、しなやかな筋肉のついた、しっかりした男の体だ。女の状態も庇護欲をかき立てて愛らしかったが、このくらいのほうが安心感があっていい。よく知っている藤真の姿だ。訝しげな視線も今は心地いい。
「将来ハゲるかもよ」
「見届けてくれるか?」
「ウザッ」
 藤真はそう言ったきり、どさりとベッドに体を沈めた。柔らかな髪を、頬を手の甲で撫でると、それだけでたまらなく幸せな気分になる。勝利の興奮とも、セックスの快楽とも違う、静かで穏やかな愉悦に浸る。
「今日、午後から練習なんだが、休みたくなってきた……」
「ふざけんな、ちゃんと行け! オレらに勝っといてしょぼい結果で終わったら承知しねえからな。……なにヘラヘラ笑ってんだよ」
「やっぱり俺たち、うまくいきそうだ」

「手ぶらでいいって言ったのに、高そうなもん買ってきて」
 藤真は牧の持つ高級デパートの手提げ袋を見て眉を顰めた。
「いいじゃないか、はじめてのご挨拶なんだ。うちの親もついてくるっていうのを、俺は全力で止めたんだぞ。そしたらせめて手土産を持っていけって」
「それは大掛かりすぎるな。大学生の男二人が一人暮らしするって、そんな大袈裟なことか?」
「ふたり暮らしだ。まあ一応未成年だし、親にとっては子供なんだろうしな」
 とても子供には見えない横顔を眺め、藤真は意味ありげな笑みを浮かべる。
「叔父さんには、アドバイスしてもらったほうがいいこともあるかもな?」
 男同士での交際は続き、春からの大学進学に際して東京に部屋を借りて同居することになった。牧は同棲だと言って憚らないが、表向きは友人同士のルームシェアとして、一応すでに口頭での了承は得ている。
(大丈夫かな)
 藤真の実感としてはあまりに早い展開で、気持ちがついてきていない部分もあったが、それぞれの通う大学の位置関係やら、ふたり暮らしの利便性やらを牧から熱く語られるうちに折れてしまった。
(まあ、面白そうだからいっか──)
「ん……?」
「どうした? 藤真」
 藤真の視線を追うと、切り残された小さな林の中に、稲荷のほこらがひっそりと佇んでいるのが見える。
「あとで油揚げでもお供えしてくか」
「なんだ? なんかの神様なのか?」
「稲荷神社なんだから、キツネの神様だろ」
(男同士なんてどう考えてもイージーモードじゃねえけど、男に生まれてこいつに出会えてよかったかもって……報告しなくても、お見通しかもしれないけどな)
 
 
 
<了>

恋人カレはミス翔陽 4

4.

『藤真、今度の休みは映画を見に行こうか』
「は?」
『映画は嫌いか? ならどこに行きたい?』
「あのー、オレが女体化してお前と会うのがなんのためかって忘れてる?」
『もちろんわかってるが、練習休みだから時間があるって、この前話しただろう。ホテル取って耐久プレイチャレンジするか?』
「それは無理、オレ死んじゃう。やってるときって男ばっか頑張ってると思うじゃん? 女しんどいわ」
 相手が牧だからかもしれない、とも思う。
『そうなのか。痛かったり、つらいようだったら言ってくれ』
「そういう意味じゃねえよ。で、なんの映画見に行くんだよ?」

 数日後。
(これって、たぶん一般的にはデートだよなあ……)
 ショッピングモールを歩きながら、藤真は向かいから来る男女二人組を凝視した。まったく知らない人間ではあるが、おそらくカップルだろうし、ならばデートだと考えるのは自然なことだと思う。そして、今の自分と牧の状況もおそらく同様だ。
「今日、天気よくてよかったな」
「そーだね」
(ここも映画も屋内だから、関係ない気がするけど)
 セックスだけでは時間を持て余すので映画を見に行くことになったが、さらにその前に牧の買い物に付き合うことになっていた。
(本当の援助交際って、たぶんこういうのでもお小遣い貰うんだよな。おっさんってそんなのに金払うのか、無駄なことすんな……)
 無論、牧に小遣いをせびるつもりはない。藤真には特に買いたいものはなかったが、時間があるのは確かだったので、拒否する理由もなかった。モールの中をしばらく歩くと、牧が一つの店舗の前で足を止める。
「ここなんてどうだ?」
 店先のディスプレイは若い女性用の服だが、店の中には──やはり女性用のものしか置いていないように見える。看板や店名の雰囲気からしてそうだ。
「どうって、ここレディースじゃんか。……あ!?」
 何かに気づいた藤真と、にこりと笑った牧と、ふたりの視線がバチリと出会った。
「いつも制服ってのもアレじゃないか?」
「なんだよアレって。一時的に女になってるだけなんだから、服なんて買っても大して着る機会ないぜ?」
「気にするな、俺の買い物だ。金は俺が払う」
「は〜……お前、将来援助交際おじさんになりそう」
 少し前に想像したとおりの無駄遣いを、まさか身をもって体験することになるとは。
「年下が好きって思ったことはないぞ」
「援交おじさんだって、十七のときは同じ年ごろの女子が好きだったんじゃね? 知らねえけど」
「なんにせよ、俺が私服でお前が制服っていうのも妙だろう」
「あ〜? まあ、そうかなあ……」
 ふたりとも制服姿でさえ同級生には見えないのだから、私服と制服ならばなおさらだろう。援助交際に見えたとしても、藤真は特に困らないが、牧としては都合が悪いこともあるかもしれない。
「いらっしゃいませ♪ どうぞ中も見ていってくださいね〜♪」
 納得しかけたところで店員が出てきたので、藤真はそれ以上何も言わずに店内に入った。牧も続く。
「藤真はどういうのが好きなんだ?」
「どうって、動きやすいのが好きだけど。あ、アシックスの今度出るバッシュ好き」
「買ってやろうか?」
「いらねえし。お前の趣味の着せ替えなんだからお前が選べよ」
「そうか? ……お、こういうのいいんじゃないか?」
 牧が示したマネキンは、ミディアムヘアにエンジ色のベレー帽をかぶり、温かみのあるアイボリー色の、ケーブル編みのニットワンピースを着ていた。ワンピースの丈は短く、裾からチャコールグレーのショートパンツが覗いている。マネキンの髪型のせいもあって、藤真が着用している姿も容易に想像できた。
「これ、中は短パンだろう? 動きやすくていいんじゃないか」
「短パンて! おっさんじゃん!」
「短パンじゃないか、ほら」
 牧がワンピースをめくってみると、ウール系の素材のショートパンツが現れる。
「女のそういうのはショートパンツとかホットパンツとか言うだろ」
「ご試着なさいますか?」
 会話の切れ目を狙っていたかのように、すかさず店員の声が割り込む。聞かれていたのかと、牧はにわかに羞恥に苛まれた。
「どうする? 藤真は着てみたいもんはないのか?」
「ない。サイズ大丈夫だったらこれでいいよ」
 藤真としては初めに牧に言ったとおり、女の私服が欲しいとは思わないし、レディースアパレルの用語に疎いため店員とも絡みたくない。変なことを口走らないうちに買い物を済ませて店から脱出したかった。
「サイズですね〜、お客様でしたらこちらで大丈夫だと思いますよ〜。パンツと合わせていただけば、背の高い方でも気にならないと思いますし」
(まあ、金払うの牧だしいっか!)
「じゃあ、このマネキンが着てるニットとショートパンツ試着お願いします」
「かしこまりました♪」
「藤真、ベレー帽もいるんじゃないか?」
「は? なんでよ」
「あと、短パンの中にタイツを穿いてるといいな。それからブーツだな」
「タイツは試着はできないんですが、お品物としてはあちらになりますね。それからブーツですね〜……ブーツはこちらいかがでしょう?」
 早くここから立ち去りたい。店員の持ってくるものに無条件で頷きたい気分になりつつ、まだ藤真は冷静だった。
「あ、ヒールないのがいいです……」
「それでしたらこちらとか」
 店員の提案は、キャメル色のスエードのロングブーツだった。デザイン的な希望は特にないため、底が平らだと見るや頷いた。
「アッハイ、それでお願いします!」
 そうして試着室に案内され、マネキンが着ていたショートパンツとニットワンピにそそくさと着替える。
(おっ、結構似合うじゃーん。ていうか誰でも似合うんじゃねえかな、これ)
 もとよりルーズなデザインのニットは、サイズ的にも問題なさそうだ。まんざらでもない気分でベレー帽をかぶると、一気に可愛らしさが上昇した。
(我ながらかわいいじゃねえか……さすがミス翔陽……)
 試着室のドアを開けると、用意されていたブーツを履いて完成だ。
「わぁ〜♪ お客様、とってもよくお似合いです! かわいい〜」
「藤真、いいな! 制服もいいが、私服もすごくいい……!」
「オレの私服ってか、お前の趣味だけどな」
「サイズもちょうどよさそうですね♪」
「じゃあ、これ全部買います。……でいいよな? 藤真」
「おう、いいつっただろ」
 牧は頷くと、店員になにやら平らな四角いパッケージを渡した。
「じゃあ、このタイツとさっきのと一緒にお会計お願いします」
 どうやら、藤真が着替えている間にタイツを選んでいたらしい。褒めるつもりはまったくないが、なかなか豪胆な男だと感心してしまう。
「服このまま着て行ってもいいですか?」
「えっ」
「もちろんです♪ 値札を切りますので、お手数ですが一度脱いでいただきますね」
「は〜い……」
 牧は最初からそのつもりだったのだろう。抗う気もせず、藤真は試着室の中へ戻った。
(なんか、もう疲れたな……)
 あくまで女装として衣服まわりを提案されることには不本意ながら慣れているのだが、何も知らない女性店員に対して女として振る舞うと思うと緊張するものだった。牧が何を言いだすかわからないのも拍車をかけていたと思う。
 最終的に、タイツまで含めて購入したものに試着室で着替え、もともと着ていた制服風の服とローファーはショッパーに入れてもらってなぜか牧が持っている。
「ありがとうございました〜♪」
「ありがとうございました!」
「どうも……」
(なんか……気まずくてもうこの店来れない……来る必要ねえけど……)
 ショッピングモールの中を少し歩くと、牧がどことなくそわそわした様子で休憩用のベンチを指した。
「ちょっと休憩しようか」
「いいけど」
「……実はさっき、これも買ったんだ」
 牧はショッパーから小さな包みを取り出し、さらにその中から取り出したものを藤真の目の前に翳した。
「ネックレス」
 シンプルな印象のシルバーのネックレスで、トップのプレートには〝F〟の文字が型抜きされている。
「フジ子のFか!」
「藤真のFだ。……胸もとが寂しいかと思って」
(胸もとが寂しいとか、そんなん気にするタイプかこいつ?)
「安物で申し訳ないが」
「お前、買ったそばから安物呼ばわりすんなよ」
 真顔の牧に、なんとなく吹き出してしまった。
「事実なんだからよくないか? 言わないほうがいいもんなのか?」
 牧としては、プレゼントならもう少し高価なものを贈りたいという思いがあるのだが、ふたりはまだその土台に乗っていないという自覚もある。ただ、ちょうど入った店にイニシャルのネックレスがあったので、このくらいなら受け取ってもらえるだろうかと衝動買いしたものだった。
「まあいいや、じゃあつけてくれよ」
「ああ……」
 牧はネックレスの留め具を外すと、大真面目な顔で藤真と向き合い、チェーンの端を持った両手を彼の首の後ろに回す。藤真は唇を引き結んで牧をじっと見つめる。
「……」
「……難しいな」
 きわめて真剣な牧の顔と、後ろでカチカチ鳴るばかりでなかなか繋がらない様子のチェーンに、藤真は耐えきれず吹き出した。
「……ふっ!」
「笑わないでくれ、慣れてないんだ」
「だって。後ろからつければいいのに」
「!! そうだな、気づかなかった。……慣れてないから」
「はいはい。わかったからつけて」
 藤真は牧に首の後ろを見せるよう、斜めに座って首をひねり、ウィッグの髪を左右にかき分けた。
「おう……」
 藤真のうなじなどいくらでも目にする機会があったはずだが、妙に色っぽく見える。隠されていたところから現れるものというのは、たぶんに魅力的なのだろう。触れたい衝動を抑え、ネックレスの小さな金具をなんとか連結させる。
「できた」
「おー。どうよ?」
 藤真はネックレスのトップの位置を直しながら、牧のほうへ向き直る。視線と頭を上下させて藤真を見る、牧の口もとに穏やかな微笑が浮かぶ。
「ああ、いい感じだ……うん。いいな、タイツの透け具合もちょうどいい」
(あんまり言いたくねえが、まじでおっさん趣味だな)
 ただ、牧が純粋に浮かれている様子は面白くもあった。
「へ〜、神奈川の帝王って、こういうコが好みなんだね」
「な、な、なんだと!?」
「お前の女の趣味とか全然聞いたことなかったなって。まー、興味なかったけど」
(女の趣味と言われると、少し違うような気もするんだが……)
 牧としては、今の髪型の藤真がそれを着たら可愛いだろうと思ったし、実際に可愛かった、ただそれだけなのだ。
「それを言われたら、藤真の女子の好みも聞いたことないな。ファンが来ても適当にあしらってる印象しかない」
 売り言葉に買い言葉ではないのだが、つい呼応するようにそんなことを言ってしまった。しかし、実際はあまり聞きたい話でもない。どんな女性のタイプを言われようと、自分とかけ離れていることは明白だ。
「適当とか言うな、丁寧に対応してるだろ。……好みとか、あんま考えたことないな。まあかわいいって思えて、めんどくさくないのがいいな」
「めんどくさくない、とは……」
「真面目にバスケやりたくて、女と付き合うのがめんどくさくなったんだよ。だから別れた」
「なるほど」
「お前もそんなもんなんじゃねえの」
 真面目そうな牧が破局する理由として、最も簡単に思いつくのがそれだった。もしくは、少し感覚がずれていると感じるところがあるので、そこが許容できなかったこともあり得るかもしれない。
「やっぱりバスケのほうが大事だったから、時間が取れなくなっていったのは事実だな。そのうち相手のほうから別れ話を切りだされちまった」
「一緒じゃんか」
「違う。めんどくさいなんて思わなかった」
「めんどくさいじゃないなら、どうでもよかったんだろ。別れ話されて、お前は反論したのかよ?」
「いや……」
「やっぱどうでもよかったんじゃん。余計悪い」
「……まあ、昔のことだ」
 ふたりともが似たような感覚を持っているなら、むしろうまくいくのではないだろうか。そう口に出したくて仕方がなかったが、なんとかこらえた。
「さて、そろそろ映画に行くか」

 上映後、ロビーに出た藤真には、映画の感想より真っ先に言いたいことがあった。
「あのさ、手握るタイプの映画じゃなくね!?」
「藤真がこの映画がいいって言ったんじゃないか」
「見たいのあるかって、お前が聞いてきたからじゃんか。あ〜、なるほどね、ロマンチックな恋愛映画とか見ながら手を握りたかったわけね」
 買い物といいアクセサリーのプレゼントといい、しばらく彼女のいない牧が、デートのようなことをしたくなったのだろうと思う。映画も同じ意図だったのだろうが、そうとは知らない藤真が選んだものは危機と戦うアクション映画だった。そして、牧は気にせず自らの目的を遂行した。
「どっちにしろ手を握れたからOKだ」
「雰囲気とか、気にしねえのかよ……」
「一応ラブシーンあったからいいんじゃないか?」
「ラブシーンって言うのかあれ? 死ぬかもしれない状況でやるやつ、洋画あるあるじゃん」
「ロマンチックじゃないか。死んでもいいから一つになりたいっていう」
「違うだろ。あれは吊り橋効果とか、生存本能がどうのこうのってやつ。たぶん帰ったあと付き合い始めるけど、絶対すぐ別れると思う」
「なんだかんだ理由をつけてとりあえずお色気シーンを入れたいんだろう、外人も」
「まー、そうなんだろうね」
 でも面白かったね、など話しながら街中を歩いて行くと、ひときわ賑やかな店の前で牧が立ち止まった。ゲームセンターだ。その店頭の、ぬいぐるみの積まれたクレーンゲーム機を、牧は渋い表情で見つめる。
「……」
「牧ってゲーセンとか行くんだ?」
 意外だった。イメージもないし、藤真の感覚ではゲームセンターに入り浸るほどの時間はないように思えたからだ。
「いや、人の付き合いで入ったことしかない。だが、あれが気になって」
 牧の見るゲーム筐体の中を、藤真も見遣る。何かのキャラクターなのだろうか、茶色のクマ、白いクマ、ピンクのクマが積み上げられていた。
「気になるならやってけば?」
 言った途端、赦しが出たとばかりに小銭を投入していて笑ってしまった。
 藤真には興味のないものだったし、小さなぬいぐるみだ、ゲームに慣れていなければ普通に買ったほうが安いこともあるだろう。しかし、ゲームに集中しはじめた男の気を削ぐほど野暮ではない。
 牧は鋭い視線でぬいぐるみとクレーンを睨みつけ、慎重に狙いを定めて横へ、そして奥へとクレーンを移動させて見守る。位置は悪くないように思えたが、アームの爪がぬいぐるみの頭から出ている紐を掠めただけだった。
「あぁっ! 惜しいな!」
「いや全然惜しくなかったよ」
 藤真の言葉を聞いているのかいないのか、牧は引き続き硬貨を投入する。今度は別の、横たわっているクマを狙ったようだが、うまく掴めずに失敗してしまった。
「……なかなか、難しいもんだな」
「あのピンク取れそうじゃね?」
「茶色が欲しい」
「あっそ」
 みたびの挑戦も失敗に終わったが、惜しいと言えるものだったと思う。
「ぬおお……なんという……」
「もうやめといたら?」
「いや、もうわかった。理解した」
「ほんとかよ」
 半信半疑のまま見守っていると、クレーンのアームが茶色のクマの首をがっしりと挟み込む。釣り上げられたクマは、そのまま危なげなく景品ダクトまで運ばれていった。
「よーし、よしよし!」
「おめ! なかなかうまいじゃん」
「よし! 次は白だな」
「まだやんのかよ」
 その後何度かのチャレンジを経て、無事白いクマも景品取り出し口から顔を出した。牧はやり遂げたような満足げな顔で、白いクマを藤真に差し出す。
「じゃあ、これは藤真に」
「オレ? 別に、感性まで女子になってるわけじゃないんだけど」
「クマは強くて凶暴な動物だ。男の子が持って悪いことはないだろう」
(そう言われても、このクマはかわいいクマだろうがよ)
「もしかして茶色のほうがよかったか?」
「どっちでもいいわっ!」
「そうだな……じゃあ、藤真は茶色を持っててくれ」
「わかった。……一応、ありがと」
「ああ……!!」

 夜は通例どおり牧の部屋だ。今日の藤真は一刻も早くシャワーを浴びたかった。慣れないタイツとブーツで足が蒸れているように思えたし、ウィッグの上に帽子をかぶった頭部にも熱が籠っている気がする。
「あ〜、シャワー浴びても頭洗えねえんだよな」
「シャンプーとか使っていいぞ。ドライヤーもある」
「ウィッグつけ直すのが地味にめんどくせえんだよ」
「別に、つけなくてもいいんじゃないか?」
「え?」
「ショートヘアもいいと思うぞ」
 藤真としてはミディアムヘアのウィッグを装着してこその女装でありミス翔陽だったため、牧の提案は意外なものだった。しかし、牧がそう言うのなら頑なにこだわろうとも思わない。
「……お前が平気なんだったら、じゃあいっか。シャワー浴びるから、しっしっ」
 裸を見せるのは平気だが、着替えやウィッグを外した直後の姿はあまりに無防備すぎて、見せたいものではなかった。牧を追い払うと、藤真はウィッグを外し服を脱いで浴室に入る。遠慮なく牧のシャンプーとトリートメントを借りて、頭からシャワーを浴びた。
(はぁ〜、すっきりした!)
 帽子とウィッグの中は思った以上に通気性が悪かったようで、シャンプーのあとは非常に爽やかな気分だった。
(ちょっとおっさんみたいなにおいがするけど……)
 それはあくまで藤真の抱いたイメージであって、牧が特に中年男性向けのものを使っているわけではない。藤真の好みがメンズというよりユニセックスに寄っているのだったが、自覚はなかった。
 浴室から出ると、体を拭いてバスローブを羽織り、頭からタオルをかぶってわしゃわしゃ拭きながら居室の中を覗く。
「牧。上がった。ドライヤー借りる。その間にお前もシャワー入ったらちょうどいいんじゃね」
「おお、そうだな」
 牧は飛び跳ねるように立ち上がり、大股で脱衣所へ歩いて洗面台の端に置かれたドライヤーを指す。
「これ、ドライヤーな」
「見りゃわかるっつの」
 すれ違いざま、藤真の髪からよく知ったにおいがして、たまらず抱きしめてしまった。
「んっ、なに?」
 タオル越しに深く息を吸うと、藤真から自分と同じにおいがするのだ。考えるより感じたままに、華奢な顎を捕まえ、こちらを向かせて唇を塞いだ。
「ん〜っ……」
 初回は嫌がったキスも、すっかり行為の一部として受け容れたようで、、漏れる声が甘ったるい。そうしたままバスローブ越しに胸を掴むと、思い切り押し返されてしまった。
「じゃーま。髪乾かすつってんだろ」
「そ、そうだったな。すまん」
(拒否りかたまでかわいいんだが? 演技なのか、素なのか……?)
 きっと素だ。自然体の姿を見せてくれているのに違いない。都合のよい解釈を作りながら手早く服を脱ぎ、シャワーを浴びた。

 髪を乾かし終えた藤真がベッドに掛けて待っていると、まもなく牧も戻ってきた。藤真の視線は腰のバスタオルの下の隆起に、牧の視線は藤真の頭部にいく。本来の彼のものである、見るからにサラサラとした和毛だ。襟足は短いだろうが、目の上ほどの長さのやや重めの前髪は、やはり愛らしい印象だった。
「短いの、ひさしぶりに見た」
「そうかぁ? ……そうかも」
 思えば翔陽祭以来、牧と会う日は決まってウィッグをつけていた。冷静になると、我がことながらどうかと思う。
「いいな……」
 隣に牧が腰を下ろすと、ギシリとベッドの軋む音がひどく大袈裟に聞こえた。熱を帯びた視線を、藤真は怪訝に見返す。
「なに。ショートのほうが好きって?」
「ああ……いや。髪型で人を好きになるかどうかは決まらないと思う」
「うん? まあ、そうかも?」
 じゃあなんなんだよ、やたらジロジロ見て、などぼやいていると、牧はベッドの下から黒いビニール袋を引っ張り出した。
「実は今日は、これを着てほしいんだ」
 袋の中から白いふわふわしたものを取り出し、藤真に渡す。
「はっ……」
 受け取った瞬間になんとなくわかったのだが、広げて「やっぱり」と戸惑いと恥じらいの入り混じった引き攣った笑みが浮かぶ。それは白い半透明のシフォンとレースでできた、前開きのベビードールだった。一緒にたたまれていたショーツがひらりと落ちる。
「なんか今日、妙にコスプレづいてんな」
「私服を買ったのはコスプレのつもりじゃなかったんだが。……まあ、せっかくだからな」
「そうね、せっかくだからね」
 なんとも言いがたい反応をしつつも、藤真もまんざらではなかった。女体化と女装をして援助交際に繰り出し、そして男との性行為に至った時点で、一線は越えているようなものだ。こういったものを身につけたい願望はなかったが、プレイの一環と思えば拒否感もなかった。前回、突き詰めるだの勉強熱心だのと話したので、そのせいもあるかもしれない。
 ショーツを手に取ると、思わず声をあげる。
「出たっ! 穴あきパンツ!!」
 ベビードールと揃いの白いレースでできたそれは、全体的にはショーツの形をしているが股部分の布のない、プレイ用のランジェリーだった。
「オープンクロッチショーツっていうらしい。めちゃくちゃ気になる存在じゃないか?」
「うん。なんか通販チラシみたいなやつに載ってて、誰が買うんだろって謎に思ってたけど、こういうやつが買うのか……」
「きっとみんな買ってるさ。言わないだけで」
「そうかな……それにしても、これ、お前が買ってきたんだよな」
「アダルトショップに乗り込んで、わざわざ普通のパンツを買うやつがいるか? いや、いない」
「反語」
「店に入るまでのハードルは少しあったが、入ってしまえば吹っ切れるもんだ」
「まあわかる」
「というわけで、それを着てほしい」
 そう言ったきり、牧は無言で熱い視線を送ってくる。気圧されるくらいの熱量だ。
「……いいけど、こっち見んな」
「わかった」
 牧は藤真から顔を背け、藤真はベッドの上を牧の背中側に移動して、速やかに着替えた。
(うわっ……)
 自分で自分の姿を客観的に眺めることはできないのだが、それでもなかなかいやらしいのではないだろうか。羽根のように前の開いたベビードールから、局部がピンポイントに露出したショーツが覗いている。恥丘の割れ目から尻の割れ目全体が露出していて、下着としての実用性はやはり皆無に思えた。着ているだけで興奮してしまい、早く行為に移りたくて仕方がない。牧の広い背中に、一瞬躊躇したのち声をかけた。
「着た」
 振り返る動作のキレのよさに、思わず笑ってしまった。
「おぉ……いい……!! 天使みたいだ」
 牧は低く感嘆の唸りを上げる。清楚な白いシフォンとレースは全体に色素の淡い藤真によく似合っていた。ショーツに包まれた下半身から、一部分だけ覗く局部が非常に目を引いて、全裸よりも大胆かついやらしく感じられる。
「お前の天使のイメージって……」
 白くてひらひらしていれば天使なのだろうとは思う。キリスト教徒でもないだろうし、深い意味はないだろう。
「あと、これをつけてくれ」
 そう言って渡されたものは、白い猫耳のついたカチューシャだった。外側は毛足の短い白いファーで、耳の内側部分はピンク色になっている。
「まだあんのかよ。てか猫耳つけたら天使じゃねえじゃん」
「いいじゃないか、せっかくだ」
「さっきからせっかく、せっかくて……まあいいけど」
 セールだからと言って、いらないものまで無理矢理買ってくる家族のことを思いだしてしまった。文句は言ったが、局部を露出させたショーツまで着用しながら猫耳カチューシャを拒絶する気もせず、大人しく装着する。
「おお、白も似合うな! 藤真にはトラネコが似合うかと思ったんだが、服が白だから耳も白にしたんだ」
「どうでもいい〜」
「それからまだあって」
「一気に出せ!」
「しっぽだ」
「あ」
 牧の手にあるものを認めると、藤真はさすがに赤面する。耳と揃いの白いしっぽだが、その根もとにはいったんくびれてまた膨らんだ形のプラグが付いていた。どうやって使うものなのか、さすがに想像できる。
「しっぽも付けていいよな?」
 いちいち聞かないでほしいと思う。拒否すれば、牧は引き下がるのだろうか。
「……こんな格好して、いまさらしっぽくらい拒否るかよ」
 牧の口もとに明確に笑みが浮かぶ。あまり彼のイメージにはなかった──少し緩んでいやらしいと感じる笑みだった。
「じゃあ、四つん這いになってくれ」
(くっ、まあしょうがねえ、今のオレはかわいいネコちゃんだし……)
 言われたとおり、ベッドに手と膝をついて獣のように四つん這いになる。
「ほらよ」
 牧が藤真の背後に回ると、ベビードールの裾がめくれ上がり、小ぶりな尻が覗いている。大胆なスリットのせいで、尻の割れ目がレースで飾られ強調されて見え、白い肌の中心の、淡く色づいた肛門に目が釘づけになる。脚の間に覗く丸みを帯びた外陰部の膨らみは、男性の陰嚢に似ているとも感じた。
(俺が阻止しなかったら、知らないおっさんにこんな姿を見せてたんだろうか……)
 想いを成就させたわけではないのだから、自分だとてそれと同じ立場ではあるのだ。淫らで無防備な姿を晒す想い人に複雑な気分になりながら会陰部に触れると、滲み出ていた愛液にぬるりと指先が滑り、暖かな沼地のような膣口に落ち込む。
「あっ♡」
「相変わらずエロいな、もうこんなに濡れて」
「若いから潤ってんだろ!」
 年を取ると枯れるという表現は聞いたことがあるが、果たしてそういう意味なのだろうか。ゼリーのような卑猥な感触を楽しみながら、その源泉である膣口から女芯へと線を結ぶよう指を行き来させる。そのたび小さく上がる声と、ぴくんと跳ねる尻が愛らしい。
「あっ、んッ♡ 早くしっぽつけろっ!」
「せっかちだな」
 牧は藤真の内部に指を挿入して掻き回したり、プラグを差し込んだりしていたかと思うと、濡れた指を肛門に突き立てた。
「ひんっ!? お前、なにっ!」
 たっぷりとまとわせた愛液のぬめりを使い、ズ、ズズ、と少しずつ指が入ってくる。女性器への挿入とは違う、いっそう閉ざされたものを開かれていく感触と、これまで経験したことのない羞恥心とに、頭がおかしくなりそうだった。
「おいっ! そっち尻の穴!」
「しっぽはこっちだろう」
「まじかよ!?」
 過去には女子との交際があり、行為にも至っていたが、あくまで中学生の知識での、ごくノーマルなものだった。当然のような牧の口調に、自分の世界が狭かっただけなのだと即座に理解する。
 牧が指を引き抜くと、尻に冷たく濡れた感触があり、そして再び指を挿入された。ローションか何かを使われたのだろう。
「くぁっ! ヘンタイッ!」
 節くれ立った指が狭い内部を探るたび、背筋がゾクゾクして、期待に似た感覚が腹の底にくすぶる。本来いじられるべきではない場所だと思うと、なおさら興奮が増した。
 じき指が抜けると、プラグを押しつけられる。もとより肛門に挿入するために作られたそれは、濡らされほぐされた肛門につるりと呑み込まれてしまう。
「あぁぁっ!」
 痛くはない。ただ異物感と、それ以上に排泄口を弄られ異物を挿入されている羞恥心が凄まじい。屈辱と言っていいかもしれない。それでも抵抗や強い拒絶をしないのは、虐げる意図ではなく、あくまで快楽を追求するためのプレイとして行われているのだろうと思えるためだった。
「……あぁ……いいな、かわいい白ネコだ」
 尻から直接白いしっぽを生やした姿に、その下に覗く薄紅色の粘膜に、牧は満足げに目を細める。
「はっ、あんっ♡」
 ぺちぺちと尻の両側を叩かれると、そう強い刺激ではないだろうに中に振動が伝わり、無視できない感触を生み出す。
「二穴責めなんて、女のときじゃないとできないからな」
「お、お前なんなんだよ、ほんとに高校生かよ!?」
「十七歳ってのは、一生でいちばん性欲が強いらしいぞ」
「性欲が強いのと変態なのは別だろ!」
(牧のこと、老け顔だけど意外とフツーの高校生でいいヤツ、て思ってたけど違ったな。たぶんおっさん並み以上に変態……)
「でも、気持ちいいだろう?」
 牧はしっぽの根もとを親指と人差し指で掴み、内奥を抉るイメージで、プラグを抜かない程度にぐりぐりと動かした。
「はっ♡ あッ…気持ちいいわけっ♡」
「粘膜ってのは全部性感帯らしい。つまり尻で感じるのも別に普通のことだ」
「感じてねえしっ!」
「そうかな……」
 牧はしっぽを横に避けると背後から大陰唇を左右に開き、鮮やかな肉色の淫花に口づけた。
「あっ…♡」
 滴る蜜を啜り、舌を差し込み蠢かせながら指先は柔らかな恥丘をまさぐり、やがて女芯に触れる。
「ぁんッ!」
 非常に敏感になっているようで、それだけで腰が跳ねた。勃起してツンと尖り、自己の存在を主張するそれを、掠めるようにごく弱く指先ではじきながら、舌で膣口を愛撫する。
「あ、あっ…はぁっ…♡」
 藤真は弓なりにのけぞり、しきりに体を小さく跳ねさせる。陰核が弱いことはわかっていたが、悔しいことに、肛門に挿入されていることにも感じていた。二つの穴を同時に責められるなど、想像しただけで子宮が疼く。舌ではなくもっと長大なものを求め、自然と尻を後ろに突き出していた。
「ひっ、あぁっ♡ あぁぁぁっ…!!」
 極まったかのような高く細い声が上がると、差し込んだ舌がきゅうと締めつけられ、腰ががくがく震える。肛門が収縮し、しっぽの根もとがぴくぴくと動いて、いかにも牧を誘うようだ。
「あ…♡」
 快楽の余韻も去らないうちに、背後にえも言われぬ圧を感じる。膣口から陰核にかけて、亀頭部を擦りつけて往復する動作に焦らされてたまらなくて、猫のように尻を振った。
 獰猛な剛直が、淫唇を押し広げ、欲心まる出しの体を串刺しにしていく。
「うぁっ、あ、ぁぁぁッ…♡」
 のけぞりながら、鳴くように声を上げるさまが、頭の猫耳もあいまって本当に獣のようだ。下腹部が尻に触れるまで押しつけると、ふたりともにこれまでより深く繋がっている実感があった。
「すご。深い……」
「わかるか?」
「うん……」
 膣への挿入によって内壁が押し上げられ、プラグが肛門を刺激しているのがたまらなく気持ちいいのだが、さすがに口に出すことはできなかった。
「動くぞ」
 長いストロークで、ゆっくりと抽送を始める。
「う、あぁっ…」
「ああ……中で擦れてるな」
 粘膜の壁を隔てたプラグの存在は牧にも感じられていた。それ自体が快楽というよりも、藤真に対して変態的な行為をしている実感に煽られる。焦らすように、味わうように緩慢に動作していたが、すぐに辛抱が効かなくなってピストンのペースも上がった。
 パン、パンと体を打ちつける乾いた音に合わせて、リズムよく嬌声が上がる。
「おっ、あっ、あぁっあ…♡」
 膣奥深くへの刺激もたまらないが、プラグを挿入された肛門が熱く疼き、快感を増幅しているようだった。
(やばっ、尻も感じるし、ちんぽとプラグが擦れて、こんなのッ…♡♡♡)
 愛液をあふれさせ、絡みつく淫肉を引き剥がしながら行われる打擲の音は、粘性の水音を含んだ卑猥なものに変わっていく。
「あぐっ、あんっ、はっ、あんッ♡」
 薄布越しに乳首を摘むと、ひときわ大きく体が跳ねた。コリコリとした感触を指先で愛ながら行為を続ける。
「あんっ♡ やぁ、んッ♡」
 直接の快感も、曲線的な体を眺めるのも好い。猫耳のついた後ろ頭も無性に愛らしく感じられたが、やはり顔が見たいと感じて動きを止めた。
「ん……まき?」
 ねだるようにこちらを振り返る藤真に苦笑しながら体を引き、彼の体内に埋めていたものを取り出す。ふたりの性器から滲み出た体液が、ねっとりと絡み合って糸を引いた。
「仰向けになってくれ」
「体位チェンジか!」
 藤真は素直に仰向けになって膝を立てた。白いレースのショーツのスリットから、まだ穴が空いたように開いたままの淫花が覗く。摩擦によって赤々と充血したそれは非常にい淫靡で蠱惑的で、牧は鑑賞もそこそこに再び身を沈める。
「んんっ…あぁぁっ♡♡♡」
 藤真は待ちわびていたかのように歓喜の声を上げた。反らされた喉と恍惚とした表情から察することはできたが、それでも聞かずにはいられなかった。
「気持ちいいのか?」
「いい! サイコー♡」
「コスプレが好き?」
「そういうわけじゃないと思う」
 答えながら、挿入した男根をきゅ、きゅっと締めつけてくるのはわざとなのだろうか。
「しっぽが気に入った?」
「……さあ……」
 明確に答えず視線をそらす、その仕草が可愛らしすぎて衝動のままにキスをした。
「んむ、ぅ…」
 舌を押し込んで絡め、吸って弱く歯を立て、唇を食む。赤く充血した半開きの唇に彼の性器の色がよぎって何度も舐め回した。
 さほど大きくない胸は、柔らかさもあって仰向けに寝ると扁平に広がりあまり隆起を感じさせない。ぷくりと膨れて薄布を持ち上げる乳首を布越しに転がすように撫でると、藤真の体が大きくうねり、柔壁がきゅんきゅんと締まってふたりの密度を上げる。
「ぁっ、んっ…」
 快楽に震えるまつ毛の下で、陶然とした瞳が牧を見上げる。いじらしくきまぐれで、悪戯好きのかわいい子猫。赤く染まった頬も、潤んだ唇も非常に扇情的だ。もう一度キスをしたい衝動に気づいて拒むかのように、藤真の唇が小さく動く。
「なあ、早く……」
「ああ……」
 プラグに拒絶を示していたことなどすっかり忘れた様子の甘い声に、牧は抗うすべもなく腰を引いた。
「んっ、あぁっあ…♡」
 陰唇が開き、浅黒い肉棒に吸いついたピンク色の肉襞がめくれ上がって覗く。白いランジェリーとの対比で、充血した粘膜の色があさましく強調されて見えた。痴態を晒しながら、藤真はのけ反り目を細め、さも気持ちよさそうに喘ぐ。
「藤真……」
 続く言葉は出なかった。とろんとした瞳の藤真と、腰を抱えて離さない女の陰部と、快楽の気配に気が遠くなる。
「牧?」
 彼に恋をして、自分が望んだのは、果たしてこんなことだったろうか──そう頭に過ったのは一瞬だ。呼ばれるままに体を進めればあえなく快楽の波にさらわれ、呑み込まれていくほかなかった。

 キャンディを使った日の夜は異様なまでに眠くなり、夢も見ずにぐっすりと眠ることができた。三度目ともなると偶然ではなく、キャンディのせいのように思える。睡眠時に肉体の性別が元に戻る働きが行われているという説明は受けていたので、納得ではあった。
「う〜〜……ん」
 ベッドの上で、まだ眠そうに伸びをした藤真の目に、真っ先に飛び込んできたものは茶色のクマのぬいぐるみだった。昨日ゲームセンターで牧からもらったものを、置き場所に困ってベッドのヘッドボードの棚に置いたのだった。どこかとぼけた顔をした茶色のクマから牧の顔が思い浮かぶのは、それをくれた人物だからというだけではないだろう。
(茶色のクマと白いクマって、牧とオレ的な意味だったとか……?)
 牧の意図はそのとおりなのだが、藤真当人としては自らのことを白い生き物に例える感覚がないため、いまいち確信できない。
(で、牧がオレのクマを持って、オレが牧のクマを? どういうつもりなんだ? おみやげ?)
 不思議な気持ちで見つめた、クマはただ黙って微笑みに似た表情を浮かべているだけだ。
(まー、意外と普通に面白かったかも。牧とバスケ絡まないで遊ぶなんてなかったもんな)
 そして昨日の変態的な行為を思いだし赤面する。性器は朝勃ちという以上に反応している気がするし、それになにより体の内側がむずむずとする感覚に、どうしたらいいかわからなくなる。男としての自慰行為では、その欲求を完全に解消できないことは知っている。昨日のキャンディは三つ目だったから、残りは一つだ。
(コザキのとこに行って、追加のキャンディを貰お)
 藤真は迷いもなく、自然にそう考えていた。頼んでもいないのに押しつけられたようなものだ、欲しいと言えば貰えるだろう。

 その日の放課後、藤真はさっそく特別教室のある別棟へ向かった。同じクラスに科学部の生徒はいなかったものの、科学部の部室は別棟の第二実験室だということはわかった。藤真たち運動部にとっては、一部の授業の教室移動でしか訪れない場所だ。
 部活の時間が始まったばかりのせいか、実験室のドアは開いていた。
「失礼します」
 辛気くさい実験室には不似合いな──と部員たちには感じられた──爽やかな美貌に、室内の面々は騒然とした。
(藤真!?)
(バスケ部の藤真がなんでこんなところに!?)
(授業の忘れ物かな!?)
「はい! な、なんでしょう!?」
 おとなしい文化部員たちにとって、光の存在である運動部は自分たちとは別世界に住む近寄りがたい存在だった。バスケ部の選手兼監督の藤真ともなればその最上位に位置するのだが、当の藤真にはもちろんそこまでの自覚はなく、妙にあらたまった生徒の三年の校章を見て不思議に思うだけだった。
「コザキいるか?」
「え、誰だって?」
「コザキだよ。コザキヨウイチ。文化祭の次の日に話したんだけど」
「な、名前間違ってないかい?」
「佐々木ならいるけど……」
「大崎とか?」
 科学部一同は困惑して顔を見合わせる。正直な反応だった。ただでさえ話すのに緊張するような相手の、のたまう名前にはまったく覚えがない。
「ちげえよ、コザキだ。絶対そう聞いた。キツネっぽい顔のやつで、オレにキャンディをくれたやつ」
「……悪いけど、そんな部員はいないよ。キツネっぽいやつも思い浮かばない」
「じゃあコザキじゃなくていいからキャンディを出せ」
 藤真は残り一つだけのキャンディが入った小瓶を部員たちに見せつけて、カラカラと振った。
「キャンディって、誰か知ってるか?」
「いいや?」
 非常に珍しい来客に、最初のうちは遠慮もあったものの、思い違いを完全に信じ込んでいる相手に付き合い続けても仕方がない。運動部ってやっぱり脳筋なんだろうな、と納得しないこともなかった。
「悪いけど、キャンディもコザキも誰も知らないみたいだ。藤真くんて、たまに迷惑なファンがいるんだろ? そういうのじゃないのか?」
 藤真はいわゆる〝空気が読める〟と言われるタイプだった。部員たちの困惑ぶりを見るに、嘘をついていたり、何か隠しているようには見えない。そしてあらためて部室内を見ると、ここでキャンディを作っているとも思えなかった。
「……そっか。なんか、すまなかったな」
「いや、こっちこそ力になれなくてごめん」
 どうにも納得のいかない気分のまま、藤真は科学部の部室をあとにした。
(コザキ……あいつ、何者なんだ?)
 先ほど話した科学部の三年は、名前こそ知らないものの、まだ見覚えがあるような気がした。クラスも部活動も違っても、朝礼や集会などで視界に入ることくらいはあるだろう。しかしコザキにはそれすらなかったと、あのときも不思議に感じたのだ。
(もしくは〜〜裏科学部みたいなのがあるとか?)
 もしそうだとしても、手掛かりがないのだからどうしようもない。
(いや、そもそもなんでオレはキャンディ補充しようとしてるんだ? 貰ったぶん食い終わりで、それでいいじゃねえか)
 女の体になって、女としてのセックスを体験した。想像以上に深く危うい快感は、失うには惜しいと思うほどだったが、しかしこの先ずっと女として生活していきたいと思うわけではない。やはり男の状態こそが自分の体だと感じるし、この体でまだまだやりたいことだってある。
(バスケ、とか……)
 牧の姿が脳裏をよぎる。あと一回。それで女としてのセックスも、個人的に牧と会うのも終わりだ。瓶の中の寂しげなキャンディに、なぜだか胸が詰まると感じていた。
 
 
 

恋人カレはミス翔陽 3

3.

 耳触りのよいジャズの流れる、落ち着いた雰囲気の店内。常連客たちの中、カウンター席に座る牧は、琥珀色の液体の入ったグラスを傾け涼しげな音を鳴らすと、厚い唇を重々しく開いた。
「ずっと好きだったひとと、ついにやってしまった……」
「ウワァオ! おめでとう!!」
「よかったじゃん! お赤飯炊く?」
「赤飯じゃなくない? カルピス? ぎゃはは!」
「お下品〜〜!」
「いまさら〜〜!」
「ママ、カルピスサワー全員分!」
「はいよ。紳一はカルピスソーダね」
 品はないものの、彼を祝福しようといっせいに賑わう周囲とは対照的に、その中心にいる牧の表情は暗い。
「……の割に、嬉しそうじゃないわね。うまくできなかったとか?」
「告白はしてないんです」
「ええっ! ちょっとなにそれアンタ、無理矢理やったの!?」
「それはダメよぉ、強気で押してけとは言ったことあるけど、そういう意味じゃないのよ?」
「無理矢理ではないんです。やるのに合意はしてて。要はあいつは誰でもよかったって状態で……」
 隣席の常連客が、整った眉を思いきり顰める。
「誰でもよかったって? 自暴自棄になってたってこと?」
「本命くんとケンカしちゃったとか?」
「いいじゃんいいじゃん、そのまま奪っちゃえ」
「本命かと思ってたやつは消えました。それはよかったんですけど」
「じゃあもう、いっぱい愛して満足させて告るだけじゃない。その子の事情は知らないけどさ、それでダメならしゃーないってことよ」
「だいたい、紳ちゃんとやっといて〝誰でもいい〟はないわよ。汚ったねえおっさんとやってりゃ信じるけど」
「つまりは脈アリってこと! ほら辛気くさいカオしない!」
「飲みもの揃ったわね。みんなグラスを持て!! ……コホン、えー、それでは、紳一くんの青くディープな海への船出を祝って、乾杯!」
「カンパ〜イ!!」
「ようこそ〝こちら側〟へ〜♡」
「ヒュ〜!!」
 カルピスソーダをあおり、盛り上がる一同に対して愛想笑いを浮かべたものの、牧の内心は晴れなかった。本当は誰でもよくはなかったかもしれない。自分はあの時点では確かに藤真に許容されていた。その視点を得られたのはよかったと思う。しかし
(〝そちら側〟に、いけたとは言い切れないんだよな、これが……)
 詳しく語ることのできなかった藤真の事情というものが大きな問題だった。彼は女の体を得たからこそ男とのセックスを試みただけで、同性愛者ではないはずだ。ただの行為の相手としては認められても、男同士としての恋愛感情を告げれば拒絶されるかもしれない。キャンディがどれだけあるのかは聞いていないが、女の彼と会える時間は限られているはずだ。その間に、ふたりの関係を進展させることが果たしてできるのだろうか。

 衝撃的な体験だった。「気持ちよかった」で片づけるには軽すぎる、苦悶や悶絶や圧倒といった言葉が想起される状況の中で、それでも確かに体の内側から見出した悦楽。まだぼんやりとしたそれを、もっとはっきりと、明確に味わいたい。理解を深めてさらなる高みに昇りたい。性的なことに限った話ではなく、勉強でもスポーツでも同様で「わかっているからおもしろい」「うまくできるようになりたい」という、藤真の中に自然と存在する欲求だった。
(むむっ)
 部屋着のスウェットの股ぐらに発生した隆起に、藤真は怪訝な目を向ける。回想する行為の中での自分は女だが、それに対して今示す反応は男のものであることが、なんとも奇妙に感じられた。
(まあ、これしかないから当たり前なんだけど)
 ズボンと下着を下ろし、自らの性器をあらわにする。よく見慣れた、十八年間苦楽をともにした相棒だ。陰毛の様子は女のときとあまり変わらないかもしれない。根もとを辿るよう、指を下降させていく。
(やっぱりクリのとこから生えてるよな)
 しかしその下には割れ目も穴もなく、柔らかな陰嚢がぶら下がっている。
(不思議だな〜。中出しされた精子はどこいったんだろうな)
 無論、行為のあとは風呂場を借りてよく体を洗ったが、牧の性器と精液は指やシャワーでは洗い流せないところまで到達していたはずだ。
 精悍な印象の褐色の肌に、広く厚い胸、無駄な肉のない引き締まった腹筋。その下に〝そびえる〟という表現があまりにも似合う男根。おぼろげながらに思いだすと、体の内奥、腹の底がもやもやとして、落ち着かない気分になり、行為の快感までも蘇るようだ。欲求にあらがわず、藤真は緩慢に性器を愛撫しはじめた。それだけでは違うと感じ、牧の手を、彼の行動を思い返しながらシャツの下から手を突っ込み、腹や胸を撫でていく。
「はっ…」
 女のときよりずいぶんと小さく感じる乳首を摘むと、微かに痺れるような快感があった。自慰行為で自らの胸に触れたことは初めてで、ささやかな罪悪感に苛まれるのと同時に、興奮も自覚していた。
「っんッ…」
 この股ぐらに顔を埋めた牧を思いだしながら、唾液を垂らしてぬめりを増した性器を、小刻みに手指を動かしながら扱いていく。
 自分の感じるところは自分がいちばんよくわかっている。ポイント、強さ、早さ。ストレスなくそこに辿りつくことのできる、最短距離を知っている。
「ッッ……!!」
 白いスパークのイメージとともに、頭の天辺まで突き抜けるような快感が奔り、そして開放感とともに、体全体が至福に包まれる。そんな状態でも手は反射的にティッシュ箱からティッシュをむしり取り、精液をこぼさず受け止めていた。
「ふー……」
 意識が徐々に覚めていくと、ひどく味気なく、もの足りないように感じてしまった。これは一人で延々と繰り返すシュート練習に似ているのかもしれない。成功の繰り返しには達成感はあるものの、それだけだ。変化がない。つまり新鮮な喜びは生まれない。完全に思いどおりにならなくとも、相手がいるほうが自分には好いと感じる。
 そしていっそう落ち着くと、急激に自己嫌悪に陥ってしまった。
(オレ、牧で抜いたってやつ……?)
 情けない気分で落ち込みながら、ティッシュで性器や手指を拭い、なにごともなかったかのようにズボンを上げて頭を横に振る。
(いやいや、違うだろ。ああ、なんか違うよな)
 牧との実際の行為、そのときの快楽を思いだして興奮することは、セクシーな女優のグラビアに欲情し興奮することとは少し違うと思う。そういうことにした。牧の裸に欲情したつもりなどないのだ。あんな逞しく、無駄のない肉体──
(恵まれすぎてるよな。なんなんだよあいつ)
 自らが恵まれていないとは思わないが、牧とは方向性が違うというか、正直なところ、彼をうらめしく、羨ましく思う要素はいくつもあった。
(ちんぽまででかいとは……)
 男性器は大きいほうがいい、小さいと格好が悪いという価値観は誰に教えられるともなく藤真が持っているものだった。少なくとも、自分の仲間うちの男は皆そういった感覚ではないかと思う。
(あんまりちゃんと見えなかったから、今度ちゃんと見せてもらお)
 これは男としての興味なのか、それとも女としての性欲が残っているのだろうか。
(でも、女は男が思ってるほどちんぽのこと好きじゃないって聞いたこともあるんだよな)
 海南との試合の機会がもうないのは、ある意味よかったのかもしれない。肉体の性別が変わり、また戻っても自我や記憶は確かにそのままで、そして今しがたの行為だ。男の姿で面と向かって牧と対峙したとき、果たして平常心で、不健全なことを考えずにいられるのか、そら恐ろしかった。

「まーきっ♪ やりたかった♡」
 待ち合わせの駅前で背後からぎゅうと抱きつかれた、瞬間に相手が誰かはわかっていた。肩が跳ねるのと同時に、男性器まで上を向いてしまいそうな危うい心地で振り返る。
「藤真! ……大胆だな」
 つい先週にも会った、ウィッグをつけて女子高生風の服装をした、女体化状態の藤真だ。前回は突き放した様子だったので、心変わりに戸惑うが、悪くはない。むしろ嬉しいことだ。できれば、やりたかったではなく会いたかったと言ってほしかったなと思う。
「いいじゃん男と女なんだから、ちゃんとカップルに見えるはずだぜ」
 意味深にこちらを見上げる、上目遣いの微笑の求心力に、そのまま引き寄せられてキスをしたくなったが、嫌がられるとショックなのでこらえた。
 そして牧は本来ならば、男の藤真と男同士でカップルの関係になることを望んでいた。藤真の言葉はなかなか胸に刺さるのだが、当の本人は知る由もなく、積極的に体を寄せ、胸を押しつけてくる。
「おいっ、藤真」
「わぁお、勃った? なあ、これだけで?」
 藤真は下腹部を押しつけ、そこにある硬く熱を帯びたものを確認する。愛らしく、意地の悪い笑みだ。つまり、一週間を経て自分のことが恋しくなったわけではなく、初めからこうした悪巧みをしていたのだろう。
「いいじゃないか、健康だってことだ」
「健全ではねえけどな」
(いたずら好きな、子猫みたいだな)
 無邪気な中に痺れるような毒を含んだ、至極魅力的な人物。それが彼の第一印象だった。二年、三年へと上がるにつれて急激に大人びて落ち着いていったように見えたが、おそらくはそうした振る舞いを身につけただけだったのだろう。今の彼は、ほとんど第一印象のままだ。──唯一、肉体の性別を除いては。
(性別なんて関係ない、って本当にあるんだな)
 そういった言説を目にしたとき、自らを同性愛者と認めたくないためのいいわけのように感じたのだが、誤解だったかもしれないと思う。
「男の体って不便だよなー。まあいいや、メシ食いにいこうぜ」
 どこかへ遊びに行こうかとも話していたのだが、ふたりの時間の都合もあり、今日のところは夕食を食べて牧の家に籠るだけにした。出会い頭からこの調子では、デート的な道中を盛り込んでいれば生殺しだっただろうから、これでよかったのかもしれない。

 メニューを見て少しだけ迷う表情、これにしようかなと伸ばされた左手の人差し指、前髪の下から覗く淡く長いまつ毛。愛らしい丸い瞳。些細な動作が、不思議なくらいに新鮮な印象で胸をくすぐる。
 惹かれたのは見た目からではなかったと思うし、少なくともバスケットボールの試合の場では不埒な目で彼を見ることはなかった。牧は人からオンオフがあるとよく言われるが、藤真に対してもそうだったのだと思う。
 グラスを持つ手も、箸を持つ手も左。藤真が左利きだということはもちろん知っているが、対面して食事をすると自分と鏡合わせのように動作するのが、特別なことに感じて無性にいとおしい。牧の想いなど知らない藤真は、熱心な視線に訝しげな視線を絡める。
「お前、こっち見過ぎ」
「え?」
「エロいこと考えてるとか?」
 藤真は赤い舌を覗かせて箸の先をぺろりと舐めると、目を細めて意味ありげに笑った。
「食事中にそんなこと考えない」
 そのつもりなのだが、どこでそんな表情の作りかたを覚えるのかと考えると、なんだか落ち着かない気分になってくる。藤真のせいだ、自分ではまだそんなことを考えるつもりはなかったのだ。
「じゃあ、なに、まだオレの食ってるとこが珍しいって?」
「そんなところだ。それに、向かい合って食ってたら普通見るだろう」
「そうかな……」
 ウサギやネコなど、愛玩動物が食事をしているところはつい眺めてしまうものだ。藤真をペットと同列に置くわけではないが、観察したくなる理由としては似たようなものだと思う。
(素直に言っても大丈夫だったんだろうか、もしかして)
 ミス翔陽コンテストに出ているときの藤真を思いだすと、女装をしているときの容姿への賞賛は、ストレートに賛辞として受け止めている様子だった。自ら援助交際に赴いたことだって、女としての外見に自信があったからこそだろう。
「……かわいいなと、思って」
 驚いた様子で丸く開いた目をぱちぱちまばたく。長いまつ毛から音がしそうだ。やはり言わないほうがよかったろうか。牧は頬が熱くなっていくと自覚する。
 懸念は、次の言葉と表情とに簡単に吹き飛んだ。
「牧、お前は素直でいいやつだな!」
 射抜かれた、と感じた。曇りない満面の笑みは真夏の太陽の下に力強く咲く花のようで、周囲には光の粒子が発生し、牧まで釣られて笑顔にしてしまうパワーのあるものだった。
「別に、見たままを言っただけだ」
 顔では笑いながら、牧は強烈な罪悪感に苛まれる。藤真は牧が男として彼を好きなのだとは知らない。嘘をついているようなものだ。
 とはいえ、不用意に告白してこの関係を終わらせるわけにもいかない。思いを隠し通せば、最悪でもキャンディを使いきらせ、藤真の援助交際を阻止することはできるだろう。先週の出会いは正真正銘の偶然だったから、本当に運がよかったと思う。

 食事を終えると、予定どおり牧の部屋へ移動した。玄関で靴を脱ぐ藤真を眺めながら、アダルトな漫画のように背後から抱きついて襲う妄想をしたが、妄想だけで終わらせた。
「シャワー借りるな」
 当然のようにそう言った藤真のために、バスローブとタオルはすでに用意してある。
(いかにも、やるためだけに来たって感じだな……まあ、そのとおりなんだが……)
 いつかこの部屋で、もっと普通に藤真がくつろぐ日が来ればいいと思う。初めてそんな妄想を頭に浮かんでから、はや二年近くが経とうとしているのか。初めは普通の友人として、仲よくなりたかっただけだったと思うのだが──
 シャワーの音が止み、バスローブ姿の藤真が部屋に入ってくると、前回同様入れ違いでシャワーを浴びに行く。
 ほどなくして部屋に戻ると、藤真はやはりベッドに入って、こちらに背を向けて待っていた。近づいて声をかけようとした瞬間、勢いよく寝返りをうつ。
「うおっ」
 思わず声が出てしまった。くつくつ笑う藤真の視線が、思いきり股間に注がれるのがわかる。
「やば。もうやる気マックスじゃん」
「それは……」
「健康だもんな。おいで」
 言いながら藤真は体を起こす。牧がベッドに上がると、腹につきそうなほど上を向き、太い血管を浮き立たせた色黒の男根に、白い指が伸びた。完全に大きくなった状態ではあるが、触れられるとどくどくと血がそこに集まって、さらに膨張してはち切れてしまいそうに思えた。
「ピクピクしてる」
「……お前のは、しないのか」
「するけど、他人のってちゃんと見たことないじゃんか」
 愛撫ではなくあくまで観察するようにそれを掴まえて撫でる、藤真の目は性欲というより、無邪気な好奇心に満ちているように見える。今日の待ち合わせ場所での積極的な態度といい、意図を感じずにいられない。
「舐めてやろうか」
「!!」
「嫌ならしないけど」
「いや! 嫌じゃない。ぜひ舐めてくれ」
 牧は慌てて首を横に振った。突然の申し出に驚いて黙ってしまったものの、これを拒絶できるほど無欲ではない。
 藤真は陰茎の根もとを指で支え、上目遣いに牧を見上げると、愛らしい舌を出して根もとから先端へと舐め上げる。
「っ…!」
 その感触にさほどの快感が伴ったわけではなかったが、非常な興奮に、達してしまえる錯覚までした。
 桜色の可憐な唇が、先走りにぬらりと光る亀頭にそっと触れて咥え込む。
「あぁ……」
 愛らしい見た目のとおりの柔らかく暖かい口の中に、辿々しい舌の動きに、自我がとろけていくように感じた。
「ふっ…!」
 じき舌先が細かく、素早く動き、裏筋からカリ首を舐め回した。同じ男であるせいか、動作がこなれていない割に刺激してくる場所は的確で、たまらず低い声が漏れる。
 頬に掛かる髪を手指ですくって顔をあらわにし、口唇奉仕するさまを鑑賞する。長いまつ毛を伏せ、その綺麗な顔で唇で、美しいとは言いがたい男根をしゃぶっている、背徳的な光景に目眩がするほどの興奮と悦びに襲われる。
(好きだ、藤真……)
 腰が自然と前後に動くと、猫のような目がこちらを見上げ、口もとが微かに笑った気がした。藤真はピストンのイメージで、牧の腰に合わせて頭を動かしながら、敏感な亀頭部を舌先でねぶり回す。
「っ! はぁっ…」
 舌の速度を変える。吸いながら舐める。上顎に当てる。喉の奥まで押し込んでみる。大袈裟な声こそないが、牧の反応が変わるのが面白く、藤真は夢中で口淫に耽った。彼の弱点をつかまえ、操っているような満足感もある。獣のように息を荒くした男から、口に男性器を出し入れされている──男の自我があればこそ異様に感じられる行動にも、このうえなく興奮していた。
「…ッ! おいっ、藤真っ…!」
 藤真は動きを止めて顔を上げる。離れた唇と男根との間に体液がねっとりと糸を引き、重く垂れ落ちた。
「にゃに」
「その……出るから、もういい」
「いいよ、出して。一発で萎えるタイプじゃねえのはわかってんだし」
「そうか。じゃあ……」
 なけなしの遠慮は簡単に覆り、再び藤真の口の中に導かれると、牧はさほども経たずに絶頂を迎えた。
「あぁっ…藤真ッ……!!」
 射精の瞬間、男は知性を失うものだ。まだ気持ちを通わせてはいない、売春の代替行為でしかないことなど吹き飛んで、牧はただ至福の坩堝の中にいた。
「んっ、ぐっ…!」
 口腔内に勢いよく注がれた精液を、無様にならないように飲み下すのに必死で、味わう余裕はなかった。ただ、舌の上に浅く残った味と鼻から抜けた匂いは〝いかにも〟と感じる代物だった。旨くはないが、牧を絶頂させた満足感はある。うつむけていた顔を上げ、べろりと舌を出して牧に口の中を見せた。
「!! ……無理しなくてよかったんだが」
 藤真が精液を飲み下したと確認すると、顔と股間が同時にぼうっと燃え上がる。
「無理してねえし」
 明らかな強がりも藤真らしいと感じられて、胸がくすぐられる心地だった。しかし、どうにも気になることがある。
「藤真……その、どういう心境の変化でフェラを」
「変化って?」
「自分ではしたことないって言ってたじゃないか」
「オレから女に対してだろ。今のオレは女なんだから、男に対してフェラはする」
「……そういうもんか」
 つまり藤真は〝女体化したので女のセックスを体験する〟という彼の目的のために、女の行為の一環としてフェラチオをしただけだ。そこに感情が──恋愛感情が伴っているかもしれないと期待してしまうのは、おそらく軽率なのだろう。
「なんだよ変な顔して。お前だって男のくせに、もともと男のオレに勃起してんだから、同罪だろ」
「同罪、か……」
 魅力的な響きではあるが、それは違うと思う。牧はむしろ、前回〝女になった藤真〟にごく自然に興奮して行為を完遂できたことに、内心安堵していた。恋愛的・性的に意識したきっかけは一昨年の翔陽祭の女装姿だったが、藤真のことは男としか思ったことがなく、そのうえで好きだと自覚している。いずれにせよ、気持ちを告げないまま体を結んだのだから、罪ではあるのかもしれない。
「なんかさ、せっかくなら突き詰めなきゃっていうか、もっと知りたいって思う。オレ、割となんでもそんな感じなんだけど。……ヘンかな?」
「変じゃないさ。勉強熱心だもんな、お前は」
 おそらく彼の性分なのだろう。藤真が翔陽の監督を兼任することになってしばらくのち、少し話したときにもそんな調子のことを言っていたと思う。大変だが新しいことを学ぶのは楽しい、せっかくの機会だから、と。そしてアブレッシブなプレイヤー、ミス翔陽の姿、クールに振る舞う監督の姿、と知っていくたび彼にのめり込んでいった。彼の作為と無為の境界を知りたい。
(退屈させて、経験豊富な本物のおじさんがいい、とか言われないようにしないとな……)
「というわけで、男と女のお勉強をしようぜ!」
 藤真は牧の首に腕を回すと、ぐいと引き寄せてキスをした。
「っ!!」
 そのままふたりで雪崩れるようにベッドに倒れる。
「っはは! お前、攻められると意外と弱い?」
 藤真はさも愉快そうに笑った。いったい自分はどんな顔をしているだろう。……あまり、格好のつかない顔だとは思う。見えないように、目を閉じてキスをした。
「ん、ぅ…」
 藤真の腰から尻へと手のひらを滑らせて鷲掴む。女になっても、小ぶりな愛らしい印象の尻だ。
「んんっ!」
 両手で揉みしだきながらもう少し指を伸ばすと、柔らかな秘所からはすでにたっぷりと愛液が滲み出していた。尻の割れ目に沿って指を這わせていくと、底無し沼に沈むように、ずぶずぶと指が入り込んでしまう。
「ぁ、あっ…」
「すげえ濡れてる。フェラして興奮したのか?」
「オレだって健康だからなっ…あっ、んッ♡」
 指をぐるりと回したり、曲げ伸ばしをして、とろけそうな蜜襞の感触を味わう。果てたばかりだというのに、すぐにでもそこに自らの分身を押し込みたくなっているのだから、欲深いものだと思う。
「なあ、罪と蜜って、似てると思わないか?」
「はっ? なに言ってっ、あぁあッ…♡」
 牧は素早く迷いのない動作で体を起こし藤真の脚をM字に開かせると、淫らに開かれた花弁にくちづけ、蜜を啜り女芯を愛撫した。
 
 
 

恋人カレはミス翔陽 2

2.

 その一角は、すでに〝夜〟の色を帯びていた。
 夏場ならまだ部活動中の時間だったし、そうでなくとも選手兼監督として優等生でいなければならなかった藤真が立ち寄るような場所ではない。今だとて、実質引退状態だから羽目を外してよい、と思っているわけでもなかった。
(けど、翔陽バスケ部の藤真健司は男子高校生だろ?)
 オーバーサイズのニットを着て制服風のプリーツスカートを短く見せ、栗色のミディアムヘアをなびかせて歩く藤真の姿は、誰がどう見ても女子高校生だ。自覚は薄かったが、身長が縮み、体型も華奢になったことで、いっそう自然な女子の姿になっていた。
 今の藤真は服装だけでなく、肉体も完全に女になっている。つまり、藤真健司とは顔が似ているだけの別の存在ということだ。無論、積極的に問題を起こす気はないが、もし何かあったとしても、他人のそら似として逃れられるはずだ。たとえ家族だとて──むしろ家族だからこそ、この体を見て『うちの息子だ』とは言えないだろう。
 援助交際について、よろしくないとされていることは知っている。しかし、所詮高校生の藤真個人の感覚としては『同意してれば別にいんじゃね?』という程度のものだった。
「こんばんは」
「へいっ!?」
 背後から男に声をかけられ、驚いて妙な返事をしてしまった。カッと顔が赤くなる。
(ファンとか観客はぜんぜん平気なんだが……)
 振り向くと、きっちりとしたスーツ姿の中年の男だった。三十代後半から四十代だろうか。顔は普通で、体型は崩れておらずスマートに見える。
 藤真が男を眺めているとき、男もまた藤真の姿を観察していた。舐めるような、と相手に悟られない程度の視線で、しかし確実に吟味する。
 化粧はほとんどしておらず、顔だちそのものがバランスよく整っている。長いまつ毛の烟る大きな瞳はウサギのような印象で、美しいというよりはまだ可愛らしいと感じさせた。色素は淡く、はっきりした目鼻だちだが堀りは深くなく、日本人の感覚で素直に好ましいと感じられる容貌だ。
「お綺麗ですね」
「あ、ありがとうございます」
「その花も、かわいいですね」
「あ、はい! そうなんです。これ……」
 男の視線の先にある、バッグの持ち手に付けたひまわりをアピールするように指でいじる。花の飾りは援助交際の目印だと聞いている。だから藤真はこれを付けてきたし、男もそれに触れたのだろう。
(こっからどう話を持ってけばいいんだよ!)
 上目でちらりと覗き見たつもりが、思いきり目が合ってしまった。男の唇が弧を描く。
「お食事でも、いかがですか?」
「は、はい! ええと……」
(きたーっ! って思わず返事しちまったけど、本当にこの人でいいのか? まあいいか、いいよな? 汚くないし、貧乏にも見えないし)
 見ず知らずの人間との取引だ。詳しいわけではないが、約束を反故にして金を払わない、暴力を振るうなどの話も聞かないわけではない。藤真は女のセックスを体験したいだけで、金は目的ではないのだが、トラブルを避けるためには信用できそうな人物のほうがいいだろう。
「ご希望は?」
 男は自らの体に隠すようにして、胸の高さで親指と人差し指で金を表すジェスチャーをした。希望の金額ということだろう。そこに、二人のどちらのものでもない声がかかった。
「藤真?」
 ごく近くに同姓の別人が居合わせるような、ありふれた苗字ではない。声に聞き覚えがあったせいもあり、思わずそちらに顔を向ける。
「牧!? あっ」
 藤真健司とはよく似た別人として振る舞おうと、少し前に考えていたことをすっかり忘れ、相手の名前まで呼んでしまった。しらばっくれることはできないだろう。
(こいつがめっちゃわかりやすい見た目してるのが悪い!)
 ジャケットを羽織った大人びた──実年齢相応ではないが、彼の容貌には似合ってしまう──私服姿だったが、体格も肌の色も顔の特徴も、服装が変わった程度では見間違いようのない容姿だと思う。
「藤真、やっぱり藤真じゃないか。なにしてんだ、こんなところで。その人は? 知り合いか?」
 間髪入れずに問いを続ける牧からは、怒りとも違うだろうが、張り詰めたものを感じる。試合外では穏やかな人間だとばかり思っていたので、藤真は意外なものを見た気分だった。
「お友達のようですね。私、こういう者です。ご興味持たれましたらこちらにご連絡ください」
 男はふところから名刺を取り出して藤真に渡すと、牧を一瞥して立ち去ってしまった。
「あ……」
 男の行った方向へ踏み出そうとした藤真を咎めるように、牧が前に立ちはだかる。
「それ、持っててくれたんだな」
 牧の視線の先は、藤真のバッグに付けたひまわりだった。
「あ〜。別に、かさばるもんじゃねえからな」
 面倒なやつに遭遇してしまった、あからさまにそんな態度をとっているつもりだが、牧には伝わらないかもしれない。自分に都合のいいことしか察しないタイプの男だとは、前々から思っていた。
「名刺にはなんて?」
 声に不信感を隠さない牧に(なんだこいつ)と思いながら、藤真は名刺に視線を落とす。
「ぅおっ、モデル事務所だって。やべえ、女のオレってやっぱりイケてるんだな!」
 身長があるため、女装の際に『モデルみたい』とは言われ慣れている。藤真は納得の表情で笑ったが、牧に名刺を取り上げられてしまった。
「名刺に書いてることが、全部本当だと思うか?」
 牧は街の明かりに透かすかのように名刺を掲げ、訝しげな顔をする。
「あ?」
「本当だとしてもなんのモデルだ? いかがわしいやつかもしれないぞ」
「別にどうだっていいだろ、モデルなんてなる気ねえし」
 言葉は事実で、藤真は女体化した自分への評価に満足していただけだった。興をそがれたと感じ、牧から顔を背ける。名刺を返そうとせずポケットにしまったことが横目に見えて、意外な気持ちになっていた。コートの上ではときに傲慢で貪欲だが、コートの外ではいたって紳士的な男だと思っていたのだ。
(牧ってこういうやつだっけ? まあ、実はあんまり知らないもんな)
「ところでお前、普段からそういう格好をしてるのか?」
 近づいて顔を見れば藤真だが、遠目には女子高生にしか見えず、体つきも常とは違う今の彼(彼女)を、通りすがりに「藤真だ」と判断できる友人知人は基本的にはいないはずだった。しかし牧はつい昨日、ミス翔陽に輝いた藤真の姿を見たばかりだ。牧が一年のときから翔陽祭を見に来ているらしいことは藤真も知っていた。
「してるわけねえだろ」
「じゃあ、なんで今はしてるんだ」
「別にいいだろ、早くどっか行けよ」
「俺がここに居たら困るのか?」
「困るに決まってんだろ!」
「どうして」
 援助交際など言えるわけがない、と思っていたのだが
(オレがなにしてようが、牧に怒られる筋合いはなくね?)
 開き直りに辿りついてしまった。
「ナンパ待ちしてんだよ」
「なっ……!?」
「男と一緒にいて声かけてくる男なんて普通いねえだろ、さっきのお前くらいしか」
 牧は声を潜める。
「まさか、援助交際か?」
「……なんだ、そんな言葉知ってるんだな。そうだよ」
「金に困ってるなら貸せるが?」
「金じゃねえよ。オジサンとデートしたいんだよ」
 牧は「フーッ」と音が聞こえるくらい強く息を吐いた。そして額に指を当て、眉間に皺を寄せて硬直してしまう。どうやらうろたえているようだ。これはなかなか面白い。藤真はにわかに愉快な気分になる。
「お前、そういう……なんだ、性癖は人それぞれだな。ああ、それは否定しない。だが援助交際なんて絶対だめだ」
「いいじゃねえか別に、利害一致してんだから」
「いいわけないだろう、店みたいに誰か守ってくれるわけじゃないんだぞ。騙されたり、変な薬を使われたり、殺されたりするかもしれない」
「んな大袈裟な。そしてお前はいったい何者なんだよ……」
 店とは風俗店のことなのだろう。真面目なイメージの牧が、援助交際を止めようとすること自体は意外ではないのだが、高校生の諭しかたには思えなかった。見た目に反して、中身は案外と普通で善良な高校生だと思っていたのだが、思い違いだったかもしれない。
「大袈裟じゃないぞ。女のふりしてデートして、お前は相手を騙そうとしてるじゃないか。騙されたって気づいたら、相手は怒るに決まってる」
「大丈夫だって、バレねえから」
 今は肉体まで完全に女性になっている。ばれようがないのだが、しかし牧はそれを知らない。
(ふむ……)
 簡単に牧を追い払えそうにないと思うと、花形に拒否されてから失せていた欲求が蘇ってきた。自分の体が女になっているということ、この嘘のような事実と秘密を誰かに知らせたい。男の身で男と援助交際をしようとしていると思い込まれ続けるのも癪だった。
「確かに見た目じゃわからんが、脱がせば一発で──なっ!?」
 藤真は牧の手首を掴み、自らの胸に押しつける。そこにある柔らかな感触に、牧は言葉を失う。
「バレようがねえんだよ。今のオレは女体化してっから」
「にょたいか?」
「女子のカラダになってるってこと。手の下にあるものはなんでしょう?」
 戸惑うようなぎこちない動作で、乳房を包むように握ってくるのがおかしくて、そして少しばかり興奮も覚える。
「……よくできた詰めものだな」
「オレ、声高くなってない?」
「思ってた。裏声か? 器用だな」
「背が縮んでると思わない?」
「……」
 日々顔を合わせるわけではなくとも、違和感は感じていた。藤真の目線はこんなに下だったろうか。女装であればヒールで身長が高くなることはあるだろうが、普段より低くなることはありえない。いつもと場所柄も服装も違うせいで、そう感じられるのだろうと思っていたが──
「気のせいだ」
「ならいいや」
「待て」
 立ち去ろうとする藤真の細い手首を、牧の大きな手がしっかりと捕まえる。簡単に振りほどけるものでないことを、藤真はよく知っていた。
「本当なのか?」
 信じがたいことではあるが、援助交際で女装が暴かれる可能性を、藤真が危惧しないとも思えない。女装少年が好きな相手と待ち合わせているのだというのなら、納得するしかなかったのだが。
「本当だよ」
 藤真は胸に当てていた牧の手を掴み、股間に持っていく。
「おいっ?」
 手のひらの撫でた、スカート越しの股ぐらはなだらかだった。脚の間に隠していることもなくはないだろうが、この場で指を差し込む気になるほど放胆ではない。
「見たい?」
 愛らしい肉食獣を彷彿とさせる、煽るような、強い自信に満ちた表情は少女というより少年で、確かに藤真のものだ。まだ初対面に近いくらいのとき、強烈に印象に残ったことを覚えている。プレイに惹かれたのか、彼という人間自身に惹かれたのか、今となっては非常に曖昧だ。
「……晩メシ、まだだろう。なんか食いに行かないか?」
「なにそれ、援助交際みたいじゃん」
 援助交際を咎めたときとは打って変わって勢いをなくした口調に、藤真は至極愉快な気分になって、声を上げて笑った。

 牧から高級焼肉だの回らない寿司だのを提案されるのを退けて、二人はファミリーレストランのボックス席で食事をしていた。
 きつね色のとんかつを齧って嬉しそうな顔をした、藤真の口もとから軽やかな音がする。
「揚げたてうめえ〜〜……なに、もっと女らしいもん食えって?」
「いや。お前がもの食ってるとこ珍しいなと思って」
「そうかぁ?」
 言われてみれば、その存在を強く意識してきた割に、面と向かって食事をしたことはなかったかもしれない。部活動繋がりというだけの他校生なのだから、当然といえば当然だった。
 食事をしながら、翔陽の科学部員にキャンディを貰ったこと、一晩眠れば男の体に戻ることを説明した。
「一夜限り、って、シンデレラみたいだな」
「ぶっ!」
 大真面目な顔でしみじみと呟いた牧に、思わず吹き出してしまった。
「どうした?」
「いや。よくわかんねーノリのやつだと思って」
「? それにしても、寝れば元に戻るってのも不思議なもんだな」
「そうか? 寝ればいろいろリセットされるんじゃん?」
「……それもそうか。寝ればリセットされるもんな」
 牧も藤真も地頭は悪くないのだが、いかんせん体育会系だった。ぐっすり眠れば体は休まるものなのである。藤真は近所のコンビニに行ってくる程度の、軽い口調で続ける。
「んで、せっかく女子になったんだから、この機会に女のセックスを体験しとこうと思って」
「お前、自分の体をそんな軽いノリで」
「牧って童貞じゃねえだろ?」
 今まで牧とこういった話題をしたことはなかったが、ここに来るまでのやり取りからそう思えた。
「まあ、そうだが」
「相手はどうなったんだよ」
「どういう意味だ?」
「そのときだけやるだけやって、今は付き合ってないだろ。オレとなにが違うっていうんだよ」
 牧は眉を顰める。
「結果的に続かなかったのと、最初から誰でもいいのは全然違うだろう」
「そうかな。なんにせよオレはすぐ男に戻るんだし、一発限りで切れるほうが都合いいだろ。むしろそうじゃないと困るっつうか」
 牧の大人びたまなざしが、まじまじとこちらを見つめてくる。一見落ち着いているようでいて、どこか浮ついた表情の真意を、藤真ははかりかねる。言葉をたぐるように、厚い唇が動いた。
「……誰でもいいんなら、俺でもいいんじゃないか?」
「あ?」
 純日本人らしからぬ起伏のある、眉の奥のまぶたの下で、牧の視線が泳いでいる。
(えーっ、と……)
 藤真もまた、牧の発言を即座に呑み込めずにいた。
「友達が危ないことをしようとしてるのを、見ないふりはできない。……俺が相手になろう」
(牧とオレって、友達だったのか)
 それは素直に予想外だったが、本題はそちらではないこともわかっている。途端、体じゅうから汗が噴き出すと感じた。
「ええ? お前、なに言ってんだよ……」
 そうは言ったが、では自分はどういうつもりでここにいるのだろう。自らの肉体に起こったことを、自分だけの秘密にしてはいられず、牧に見せようと思った。見せるだけで終わらせるつもりだったか? 花形とはその先まで進もうと試みたが、しかし牧に対して花形と同等の気安さはない。
「誰でもいいんだろう?」
(確かに、誰でもいいんだったら牧でもいいってことになるけど。こいつには『知り合いだから気まずい』って感覚はねえのかな……)
 藤真は牧を凝視したまま固まってしまった。少し前まで、牧のほうがためらいを見せていたのだが、なぜだか状況が逆転している。
(……ないか。こいつ細かいこと気にしないっぽいし。牧もしばらく女とやってなくて、すぐ元に戻るオレとなら後腐れなくてちょうどいいって思ったんだろうな)
 相手を探していた街中で牧が言った、薬物だの殺しだのは大袈裟だと思ったものの、何ごともないとは言い切れない。藤真としても、リスクは少ないほうがよかった。
「金なら払える。俺は困ってないから、気にしなくていい」
「……ご飯とホテル代だけでいいよ、さすがに同級生だし、もともと金目当てでもねえし」
 目を伏せて、了承を明確に伝えないながらに言葉を探す藤真に、牧の返答は素早い。
「制服でラブホは入れないんじゃないか?」
「そうなのか。まあ、これ本物の制服じゃねえけど……」
 援助交際といえば制服姿のイメージだったので疑問に思わなかったが、では他の少女たちはいったいどうしているのだろう。藤真が疑問を口にする前に、牧が言った。
「少し遠いが、うちにしよう」
「一人暮らしだっけ」
「ああ」
「なんだよ高校生で一人暮らしって、マンガかよ」
 牧は高校から一人暮らしをしていて、実家は東京の裕福な家だと噂に聞いたことはあった。しかし、それだけだ。食事する姿を珍しいと感じ、友人の自覚がなかった程度に、互いの個人的な情報は知らない。三年間、その存在を強烈に意識してきたつもりだったから、意外な気分だ。
「高校生で監督やってたやつに言われたくはないな」

(サクッとお持ち帰りされてしまった。こいつ、実は夜の帝王なんじゃね)
 牧の斜め後ろについて知らない道を歩きながら、忘れていた疑問を思いだす。
「そういや、牧はなんであんなとこにいたんだよ?」
「身内のやってる店に行く途中だった」
「ふーん……」
(大人みたいな格好して、酒でも飲む気だったのかな。まあ、オレは牧のことなんて口うるさく言わねえけど)
 どことなく育ちのよさを感じさせる牧の風情と、彼と出会った飲み屋街のイメージは噛み合わなかったが、中にはそういった事業をやっている親族もいるということなのだろう。
 自らの隣、半歩ほど前を歩く牧を見やる。暗がりの街灯に照らされ浮かび上がる横顔は、精悍で落ち着いていて──顔のつくりだけでなく雰囲気まで大人のようで、藤真の中にあるイメージとは違うものに見える。
(知ってるけど知らない人、て感じ……)
「どうした?」
「ううん。練習終わるの早くね? 今日海南は普通に授業だろ」
「月曜はこんなもんだ。自主練やってるやつらもいるが」
「あー。昨日も学校だったから曜日の感覚なくなってた。牧はあんまり自主練しない派か」
 海南と牧の練習内容について、あまり詳しく聞いたことはなかった。特に監督を兼任するようになってからは、影響を受けたくない思いもあった。
「大会が近くなればみっちりやる。そのために今のうちに用事を済ませておこうと思ってな」
 用事とはつまり、身内の店に行くことだったはずだ。その途中だったと聞いたばかりだ。
「用事、済んでねえじゃん」
「また今度でいい。お前の援助交際を止めることのほうが大事だ」
「別に、ほっといてくれてよかったんだけど」
「いいわけないだろう」
 途中、飲みものを買おうと言ってコンビニに寄った。藤真は店内に入ってすぐ、牧の目が泳いでいると気づく。
「藤真、飲みものとか、食いたいもんとかあったら持ってきていいぞ。一緒に買う」
「お前は? いったいなにを探してんだよ」
「なにって、そりゃあ……」
 意地の悪い笑みを堪えた藤真の視線と、居心地の悪そうな牧の視線が、揃ってコンビニの棚の一角を示す。綿棒や絆創膏などの並びに、コンドームの箱が見える。
 藤真は口の横に手を添えて、いかにも耳打ちするように背伸びする。牧はそちらに顔を傾けた。
「ナマでやっていいぜ」
「いや、それはだめだろう!」
「声でけえよ。言ったろ、寝て起きたら男に戻ってるって。つまり妊娠しねえんだから、そのままでOKってことだ。まぁ、ゴムつけてやるのが好きっていうなら止めねえけど」
「好きというか、普通つけるだろう? だが、そうだな、まだ家にあったような気も……」
「いいわけしなくていいのに」
 藤真だとて、さほど多くない経験の中で避妊をしなかったことはない。しかし〝ナマでやると気持ちいい〟という噂はよく聞くもので、この機会に試さない手はないと思ったのだ。それは牧も同じで、必要ないのなら頑なにこだわろうとは思わなかった。

 買いものを済ませてしばらく歩くと、牧の暮らすというマンションに着いた。大きな建物ではないが、比較的新しく綺麗に見える。
「お邪魔しま〜す。へえ、ここが牧くんのおうちなのね!」
 言いながら、キョロキョロとわざとらしくあたりを見回す。間取りとしては1Kまたは1DKとされるものだろう。玄関からキッチンにかけてはあまり物がなく、さほど広くはないものの、がらんとした印象だ。
「なんだ、その口調は」
「女っぽくして盛り上げてやろうと思って」
「そんなことされたって、見た目が藤真なんだから違和感しかないぞ」
「そういうもんか」
 体が女になっても藤真だと、花形も似たようなことを言っていたかと思いだす。
「まあ、入ってくれ。急なことでなんも用意してないが」
 牧に続いて居室に入ると、大きなベッド、テレビ、バスケットボール雑誌などが目に入ったが、割に整然とした印象だった。
「片づいてんな」
「散らかる要素がなくないか? 飯食って、時間あればテレビ見て、あと寝るってくらいで」
「そっか」
「……」
 それきりふたりとも黙ってしまった。緊張感や気まずさは自然と伝わってしまうものだ。人の感情の機微に敏感な藤真となればなおさらである。
(お前が連れてきたんだからリードしろよ、帝王!)
 仕方ねえなと、藤真は一つ息を吐く。
「シャワー借りていい?」
 ことを進めたいというアピールでもあったが、女の身で体を触らせると思うと、そこまで汗をかいていなくても体を洗っておきたい気がした。
「あ、ああ。こっちだ。──タオルとかは用意しておくから、入っててくれ」
「はいよ」
 居室を出てすぐにある洗面脱衣所まで律儀に藤真を案内すると、牧は背中を向けて立ち去ってしまった。
(あいつ、自分から相手になるって言いだしたくせに恥ずかしがってんのか)
 大人びた風貌には不似合いな反応に思えたが、試合外の彼を思えば理性を失って襲ってくるようにも思えない。
(それでどうやって中学のとき彼女ができたんだ? めちゃくちゃ積極的な女だったのかな。まあ、どうでもいいけど……)
 気になるような、知りたくないような、微妙な心境になりつつ服を脱ぐ。ウィッグは着け直すのが面倒なのでそのままにした。
 浴室に入り体を洗い始めると、緊張なのか興奮しているのか乳首が立っていて、自分の手指で掠めるだけでもいくらか感じた。
(なんで……?)
 入念に洗わなければと股間に手を持っていくと、ぬるりと滑るゼリーのような感触があった。
(あれっ、ずっと濡れてる? やる前だから濡れてきた? ……牧で? オレが?)
 信じがたい気持ちで、泡を載せた指を沿わせてそこを洗う。洗っても洗っても体液が滲み出て、じき腹の底がもやもやとして、自らの指での刺激も無視できなくなってくる。
「っ、はっ…♡」
(いつまで洗えばいいんだよ!)
 戸惑いつつも気が済むまで体を洗って浴室から出ると、かたわらのワゴンにバスタオルとバスローブが用意してあった。
(バスローブ使ってる高校生なんているんだ。さすが金持ち)
 体を拭き、せっかくなのでバスローブを着て部屋に戻ると、牧の視線が胸もとにいくのがわかった。谷間が覗くほどのボリュームではないが、膨らみはわかるはずだ。牧が大股でこちらに近づいてくる──が、通り過ぎてしまった。
「俺もシャワー」
 それだけつぶやいて部屋を出て行く。
(別にいいのに)
 牧のベッドに潜り込み、壁のほうへ体を向けてしばらく待つ。さほど経たずに浴室のドアの音が聞こえて、牧が上がったことがわかった。部屋に戻ってきたとわかっても、なんとなくそのまま壁を見ていた。ぎしりと、ベッドが大きく軋み、藤真の目線の下に牧の褐色の腕が現れる。牧はバスローブは着ていないようだ。
「本当に、いいんだな」
「当たり前だろ。なんのためにここまできたと思ってっ……!」
 言いきる前に、覆いかぶさるように抱きすくめられていた。逞しい腕と厚い胸に体をがっしりと縛られる。熱い体温とともに漂う石鹸の香りを体臭のように感じて、引きずられるように自らの体温も上昇するのがわかった。
 牧の手が頬から顎をすっぽりと包み込む。大きな手だとは思っていたが、実際に触れられると想像以上だ──呑気な感想を抱いていると、ぐいと斜め上を向かされ、唇を塞がれていた。
「んむぅっ!」
 厚い唇に食まれるように吸われ、舌を押し込まれる。ざらつく粘膜の凹凸を擦りつけられる、些細な感触に、足のつま先から痺れが走り、見知らぬ子宮が疼くと感じた。
「っっ…」
 強引で柔らかな感触が絡みつき、全身の血が沸騰する。呼吸を奪う深いキスに、目眩がした。背後に硬いものが当たっていると気づくと、戸惑いと怖気と、胸騒ぎのようなものを感じてしまった。
 少しの間されるままになっていたが、ふと我にかえり、厚い胸を力いっぱい押し返す。
「ぷはっ……! おいっ、なにキスしてんだよ!」
「なにって、お前はやるときにキスしないのか?」
「そりゃするけど」
「じゃあ、いいじゃないか」
「んむっ!」
(こいつ、気まずいとかほんとにねえんだな!)
 体ごと牧のほうを向かされ、ふたたび唇を塞がれながら、人間このくらいの無神経さが必要なのかもしれないと、変に感心してしまった。
 唇を重ねては離し、また重ねながら、大きな手がバスローブ越しに胸をまさぐっていたが、面倒になったのか、バスローブの合わせを思いきり両手ではだいた。強引な所作に藤真は身をすくめ、牧の目はあらわになった胸に釘づけになる。そこにはやや控えめではあるが形のよい、ふっくらとしたふたつの半球体が存在し、頂きの桜色が特に牧の目を引いた。
「本当に、女になってるんだな」
「おう、見て驚け!」
 藤真は体を起こして膝立ちになると、脱げかけたバスローブをひと思いに脱ぎ捨て、牧の眼前に裸の女体を晒した。
 真っ先に目がいってしまった、栗色の陰毛の薄く茂る恥丘の下に、男の象徴はない。
 白くきめ細かな肌は元からの印象通りだが、華奢ながらしっかりとメリハリのある曲線で構成された肉体は女性そのものだった。部活動や試合中の薄着の姿を見たことがあれば、その変化は明白だ。
「……きれいな体だな」
 飾らない感嘆の声に、藤真は素直に得意げな笑みを浮かべる。
「だろ? まったく、花形のやつ」
「は、花形にも見せたのか!?」
「おう。でもあいつ、ブス専だからオレに興味ないって」
「そ、そうだったのか。どうりで……」
「さ、あんなヤツのことなんて忘れてヤろうぜ」
 藤真はふたたびベッドに寝ると、牧の両手を引いて自らの胸の上に置く。牧は低く唸るような声を上げた。
「おお……柔らかい……」
 筋ばった褐色の手が、白い乳房をそっと包み、マシュマロのような柔らかな感触を愉しむ。少し硬い指先が、乳頭を押し潰し、転がすように愛撫した。
「ぁっ…」
(やばっ、やっぱ他のやつに触られると感じる……)
 感触ももちろんあるが、牧の褐色の肌色と自分の白い胸との対比が視覚的にいやらしいと感じる。
(AV男優みたい……)
「んっ、あんっ」
 硬く立ち上がり、ふっくらとした丸い輪郭をあらわにした乳首に、牧は衝動のまま吸いつく。
「ひゃっ!」
 ちゅぱ、じゅぱと音を立てて吸われると、快感と恥ずかしさとで股が熱くなった。
(牧がおっぱい吸ってるっ……!)
 戸惑いと興味が入り混じりながら観察していると、牧の視線がこちらを向いたので、慌てて目を逸らした。
「な、なに見てんだよ!」
「どういう反応してるかって、相手の顔は見たいだろう。お前だって俺を見てたじゃないか」
「そりゃ、そうだけどっ」
「嫌なら目をつぶってろ」
(そうだよな、目をつぶっちまえば、知らないおっさんと同じ……)
 ぎゅっと目を閉じると、乳首に吸いつく柔らかで厚みのある感触に、牧の唇のイメージが重なる。胸の間に当たる鼻先にも、やはり彼の高い鼻を想起した。
(目つぶってもめっちゃ牧!!)
 意識が触感に集中してしまう危うさから、すぐに目を開いて顔を横に背けた。
 乳房を揉み、乳頭に歯を立て舌でねぶっていたかと思うと、胸と胸の間に顔を押しつけて挟み、においを嗅ぐように深く息を吸う。女としての行為を体験したいとは言ったものの、自我は男のままで、しかも相手は牧だ。非常にいたたまれなく恥ずかしいのだが、拒絶する気もしなかった。
 桜色だった乳首が、吸われて赤く充血している。その向こうに、満足げに瞳を細める牧の顔が見える。
「かわいい胸だ」
「もっとでかいのがよかった」
「ちょうどいいんじゃないか? 似合ってる」
「なんかむかつくわ」
 牧はくびれたウエスト、その少し下に位置するへそ、下腹部へと軽いキスを落とし、柔らかな茂みを撫でる。
「あっ、んっ」
 そこは想像以上に敏感なようで、それだけで腹が跳ねてしまって恥ずかしい。注視されていることがわかるのでなおさらだ。
「ガン見かよ」
「お前だって、同じ状況なら見るだろう?」
 藤真の両の膝を持ち上げて立てさせ、外側に開かせると白桃のような秘裂が割れて、淡いピンク色の花唇が愛らしく覗く。小ぶりだがふっくらとした大陰唇に指の腹で触れると、肉というよりゼリーのような柔らかさで、左右に割り開くとみずみずしく潤んだ肉色の粘膜があらわになった。上方には、若い肉芽がぷくりと頭を出している。牧の目にそれは芳醇な果実のように映り、思わず舌なめずりをしたが、顔を背けている藤真がそれを認めることはなかった。
(あ゛〜〜! オレ、牧にマンコ見られてる……オレのじゃないけどやっぱりオレのだから恥ずかしい……!)
 空気に晒された体の内側に、牧の荒い鼻息がかかって少し冷たい。藤真は身をこわばらせるが、抵抗感より期待のほうが遥かに勝っていた。
 牧は膣口から上方へと、線を描くようにゆっくりと指の腹を往復させる。とろりとまとわりつく蜜液が、「もっと奥に」と誘っているようだった。
「あっ、んっ♡」
「すげえ濡れてるぞ、藤真」
「べ、別に普通だろ、これからやるところなんだから」
「そうか? 見られて興奮してるように見えるが。ああ、垂れてきた」
 滴りこぼれ落ちそうになる蜜を、牧はそこに唇を付けてじゅるりと啜る。清涼感のある石鹸の香りから、薄い甘みが口腔内に広がる。
「ひゃっ!?」
 なおも滲み出る愛液を舌の腹ですくい、包み撫でつけるように優しく舐め上げ、突き出た肉芽を舌先で弾く。
「ぁんっ!」
 ペロペロ、ピチャピチャと音を立てて同じ動作を繰り返すうち、藤真は無意識にいっそう大きく脚を開いていた。
「あんっ、あッ、あぁあっ♡」
 たっぷりとした唾液と愛液で濡らされた陰核を上下に小刻みに舐められると、堪らず腰が浮いた。恥ずかしくて堪らないのだが、単純明快な快感を拒絶することができない。
「あぁんっ、やだぁ、ヘンタイッ!」
 ちゅぱ、と音を立てて牧の口が離れる。
「変態とはなんだ。お前だってするだろう?」
 藤真の恋愛事情について具体的に聞いたことはなかったが、これまでの言い草からして未経験とは思えなかった。
「しねえよ。そんなとこ舐めたことない」
「フェラは?」
「好き」
 牧は信じられない気持ちで目を見開く。
「お前、自分がフェラしてもらうくせにクンニはしないのか!? なんて傲慢なやつだ……!」
 わざと藤真を煽るつもりではなく、本心からの反応だった。
「傲慢なんて大袈裟だろ、舐めてほしいって言われたことねえし」
「それが傲慢だっていうんじゃないか。よく濡らさないと痛いらしいし、好きなら舐めたくなるもんじゃないのか? ……まあ、お前のはもう充分濡れてるようだが」
 淡い色も、花弁のような綺麗な肉襞もまだ何も知らないようなのに、裂け目に指を沿わせて少し押し込むと、自ら意志を持っているかのように簡単に呑み込んでしまう。
「あぁっ、ん…♡」
 藤真はもぞりと体を波打たせる。節のある、少し硬い男の指は自分のものとは違って存在感があり、非常に興奮を煽った。
 内部を探るように掻き回しながら、牧はふたたび女陰にくちづける。
「あっ、あ、あんっ、やら、あぁ〜ッ♡」
 舌で弾き扱くような動作から、陰核を吸いながら上下左右に舐める動作にシフトすると、藤真の反応はいっそう大きくなった。しきりに細い声を上げながら、ねだるように腰を浮かせるさまが愛らしくてたまらない。奉仕というよりは自らの欲求に忠実に、牧は執拗に同じ責めを繰り返し、早熟な淫花を貪る。
「あぁっ、だめ、もぉッ──♡♡♡」
 牧の顔に股ぐらを押しつけ、背を弓なりに反らしながら、藤真は声にならない悲鳴を上げてガクガクと腰を震わせた。絶頂を感じながらも、指を含んだままの入り口の奥がきゅうと切なくなるような、不思議な感覚に襲われる。
 牧は指を抜いて体を起こすと、誘うようにひくひくと蠢く柔肉に、張り裂けんばかりになった自らの昂りを押しつけた。
 色素の薄い肌は興奮と刺激によって赤々とした血の色を伺わせていたが、太い血管を浮き立たせた赤黒い剛直に対して、随分と愛らしく幼いものに見えた。
「!!」
 その腰に聳えるものの姿を初めて認め、藤真は固まった。全貌が見えているわけではないが、それは牧の体格相応という以上に太く長く、立派なものに見える。擦り合わされた陰部に、強烈な威圧感があった。
(こいつどこまで完璧なんだよ、帝王ってそういう……?)
「どうした?」
「……地黒なんだね」
 牧の色黒が日焼けによるものならば、下着の中はもっと色白であるはずだ──動揺からか、関心の中心とは異なることを口走っていた。
「よく言われる」
「オ、オレたぶん処女だと思うけど、そんなの入るかな?」
「大丈夫だろう、子供が出てくる場所だぞ」
「それはそうだけど、なんか違わね? ぁんっ」
 牧は腰を動かし、押しつけていた陰茎を誇示するように上下させて擦りつける。柔らかな肉襞は逞しい肉棒に押しのけられて分たれ、豊満な亀頭と背伸びした若芽がキスをする。潤滑のベールがふたりの間でくちゅくちゅと音を立て、いっそう淫らな気分にさせた。
「あっ、あッ♡」
(クリに亀頭が擦れてすげーエロい!!)
「……男同士だったら兜合わせだな」
「変なこと言うなっ、今は女だ」
「あんっ、うぅっ♡」
 すっかり敏感になった淫部はそれだけの刺激にも感じてしまうが、しかしとうてい満足ではなかった。もどかしい、早く次に進んでほしい、そんな思いが通じたかのようだった。
「挿れるぞ」
 藤真の愛液にまみれ、自らもよだれを垂らす獰猛な肉棒が、ゆっくりと、しかし容赦なく押し込まれていく。
「はぁっ、ぅあ、あぁぁっ…!」
 熱い。鈍い痛みと強い圧力とともに、メリメリと肉が引き裂かれていくようで、藤真は思わず苦悶の声を上げる。藤真自身も性器が充分に濡れていることは感じていたし、牧の動作は慎重だったと思う。それでもまだほぼ未開の秘所に収められるには、その質量はあまりに膨大だった。牧がその全てを沈めて下腹部を押しつけると、内臓が押し上げられ、体が潰されると感じた。苦しい。全身から汗が噴き出し、じっとりと濡れている。
「大丈夫か?」
「うん」
 大丈夫かどうかと考えて返事をしたわけではなかった。女としての行為を完遂するにはここは耐えなければならないと思った、ただそれだけだ。牧を相手にしてギブアップするわけにはいかないという思いは、根底にあったかもしれない。
「すげえ締まってる」
 歯を見せて笑った、牧の顔が近づいてきて唇と視界を塞いだ。彼を残酷だと感じたのは初めてではなかったかもしれない。
「ん、うぅっ…」
 串刺しにされたまま、好き勝手に唇を吸われ、乳房を弄ばれる。内壁のジンジンと熱く痛む感覚は鈍り、新たな感触がもやもや渦巻いていく。
 陰核に触れられると、それは明確な快感になった。
「はぁッ♡」
 苦悶とは違う、明らかな嬌声に気をよくして、牧はしきりに陰核を愛撫する。とろみをまとわせ、刺激を与えすぎないようにしながら、指先で弾き扱く。
「あんっ、あぁっ、そこっ、はっ」
 恥じらいながら強がる表情も、それが苦悶と快楽に歪むさまも、初めて見るものだったが、よく知る藤真のものだと思える。
 小さな口を目一杯開いて男の欲望を頬張る淫唇が、陰核亀頭を撫でるたびに食らいついてくる藤真の性器が、高い声とともに跳ねる腰が、いじらしく、愛らしくてたまらない。本来彼には存在しないその器官さえも、確かに藤真の一部であるように牧には感じられていた。
「いぁっ、あんッ、んあっ、あぁ〜ッ♡♡♡」
 陰核への刺激に腰が跳ねるたび、打ち込まれた肉杭に内奥を抉られる。初めは苦痛でしかなかったそれも今や快感を増幅させる要素になって、だらしない声が口からあふれて止まらない。
 陰核の快感は、男性器で感じるそれに似ている。加えて体の内側からも性感を与えられているのだから、耐えられるはずがないと思う。指などとは比べものにならない、傲慢な男の形をその身にいっそう感じるよう、細い腰が辿々しくうねる。
「ふぁっ、あんっ…」
 牧もまた、辛抱の限界だった。
「動くぞ」
「うぅっ♡」
 言葉になってはいなかったが了承と受け取り、牧は抽送を始める。儚げな肉襞の感触を味わうように、長いストロークでゆっくりと動作していたのは少しの間だけで、速度はすぐに上がっていった。
「あはっ、あっあぁっ、ぁっ…♡」
 熱い怒張に突かれ、内臓を揺さぶられる衝撃も、陰核に触れられていると容易に快楽に転化される。
「あぁんっ、だめぇ…!」
 ずちゅ、ぬちゅと卑猥な音を立てる性器と一緒に脳みそまで掻き混ぜられて、頭がおかしくなりそうだ。もうなっているかもしれない。男根を出し入れされるたびに悦んで女の声を上げ、牧の首にしがみつき、腰に脚を絡め、ねだるように自らの腰を揺らす。
「藤真っ、ふじまっ……」
(牧も興奮してる……まきが、オレに……)
 名前を呼ぶ声に、意識の底がくすぐられて胸が詰まる。藤真の体を抱えて懸命に腰を振る、表情は切羽詰まったようで、日ごろの余裕は消えていた。
(お前もそんな顔、することあるんだ)
 互いの呼気の混じった湿った空気に気が遠くなり、ふたたび何も考えられなくなっていく。そこから牧が音を上げるまでに、そう長くはかからなかった。
「ふじまっ、いくぞ、出すぞッ…!」
「あぁっ、あっあぁぁあっ……!!」
 自らの内深くに牧の情欲が爆ぜたと感じると、藤真もまた未知の愉悦の高みに上り詰めていく。

「ふーっ……」
 ふたりして示し合わせたように同時に息を吐いたものだから、思わず笑ってしまった。ぐったりと力なくもたれかかる牧の体の重みが、今は苦しくはなく心地よい。
(男に抱かれるって、あったかいんだな)
 牧も意外と汗をかいていると、遅まきながら気づきながら、ぼんやりと知らない天井を眺める。
 じき、牧が起き上がって腰を引く。深く穿たれていたものがずるりと抜けて、熱い感触だけが残っていた陰部から、生暖かい液体が流れ出る感触があった。見てはいないが、牧の精液だろう。
(オレ、男なのに中出しされちゃった……)
「……もし子供ができたら、責任取るからな」
「できねーっつってんだろ」
 精根尽きた心地で、反論の言葉にも力が入らない。
「藤真、疲れたのか?」
「は? こんなもんで疲れるわけねえだろ」
 明らかに疲れているのだが、定型句のようにそう口にしていた。深い意味はなく、牧に何か言われると一回は否定しておきたくなる性分なのだ。
「そうか。ならよかった」
 牧は藤真の片脚を抱え上げ、硬さを失っていない自らの性器を斜め下の角度から押しつける。濃厚な白濁にぬめりを増したそこは、抵抗するすべなくふたたび牧のものを咥え込まされてしまう。
「ぅああっんッ!」
(こいつっ……!)
「どうだ? さっきのとどっちがいい?」
 活力に満ちた男根をぐいぐいと奥に押し込みながら、藤真の内からあふれ出た自らの精液を指ですくい、充血した肉芽に塗り込むように愛撫する。
「う゛あっ、あぁっ♡ だからっ、そこはっ♡♡♡」
 雄臭い精液のにおいが鼻をついて頭脳を溶かす。もともと男であるゆえにその臭気に淫猥な気分になるのか、雌として肉体が反応しているのか、判別がつかなかった。

「あ゛〜っ……だりぃ。くそ眠い」
 藤真はベッドにしなだれながら、重く落ちるまぶたを持ち上げる。
「泊まってってくれてもいいんだが、明日も学校だもんな」
「帰るっつの。朝になったら男に戻ってるって言ってんだろ」
 こちらが疲労困憊だというのに、牧はむしろ事前より肌艶がよくなっている──というのはさすがに思い込みだろうが、飄々としているのが忌々しい。
「それは構わないんだが。女子の状態で夜に帰らせるほうが心配だ」
「まだ大した時間じゃねえだろ、今日は帰り早かったんだから」
 しかし、こうしてだらだらしていてはすぐに遅い時間になってしまうだろう。藤真はけだるい体に鞭打つように起き上がる。
「シャワー借りる」
「ああ」
 その後、牧がタクシーを呼ぶというのを意地で拒否して、それでも引き下がらない牧に駅まで送り届けられ、何事もなく家に帰り着いた。

 翌日の夜。「海南の牧さんから」と母親から電話を取り次がれると、藤真は自室に電話の子機を持ち込み、しっかりとドアを閉めた。
「もしもし?」
『藤真か。その声、男に戻ったんだな』
「だから、そうだって言ってたじゃんか」
 内心自分でも安堵していたが、昨日のことがあって牧と話すのが照れくさく、つい無愛想になってしまう。
『よかった』
「よかったって?」
『女のままだったら、一緒にバスケできないからな』
「おっ、ケンカ売られてる? うちの三年はもう試合ないんだが!?」
 藤真は眉を顰めた。牧も気まずくてつい意地の悪いことを言っているのだろうか。それではなぜ電話などしてきたのか。
『大学でもバスケするだろう?』
 それはそのつもりなのだが、牧と対戦することはおそらくないと思う。
「……オレ、東京の大学に行く予定だけど」
『俺もそうだ』
「は? なんで? 海南大じゃねえのかよ?」
『海南大に進むって、話したことあったか?』
「進路の話自体初めてしてると思うけど。じゃあなんで海南大附属高校に入ってんだよ」
 確かに、附属高校だからといって全員が海南大に進むわけではないことは知っているが、ならば牧がわざわざ実家を出て海南に通っている理由がわからない。
『バスケが強くて海の近くだ。俺にとっていい条件しかなかった』
「あっ……そ」
 そんな理由で!? と言いたくなったが、ごくのんびりとしているときの彼の風情を思うと、納得できる気もした。
『藤真。それで、その……キャンディは、まだあるのか?』
 電話の向こうで口ごもる牧の、真面目そうに戸惑った表情を想像して、藤真はにやりとほくそ笑む。
「なに、お前も女になりたくなった? やめといたほうがいんじゃね?」
『ああ、俺もやめといたほうがいいと思ってる』
「じゃあ、またフジ子とやりたくなった?」
『そういうわけじゃないんだが。またお前が援助交際しようとするんじゃないかと思って』
 どうにもいいわけじみて聞こえる牧の言葉に、思わず吹き出した藤真の鼻息が受話器に大きな音を立てた。
「そんなことしないから大丈夫だよ。って言ったらどうすんだよ」
『それは……信用できない……』
「正直に言え。フジ子とやりたいって」
『やりたいことは主目的じゃないんだ。俺は本当にお前が売春なんてするのが嫌で』
 それは牧の本心に迫る発言だったのだが、藤真はあくまで方便としか受け取らない。
「それで? つまり? なんのために電話してきたんだよ?」
『……次の月曜の夜、会えないか? キャンディを使って』
「最初からそう言えよ、ったく。……OK、暇だから相手してやる」
 部活動には干渉しすぎないようにしているし、友人たちは受験勉強だ。そして、牧に対しては思わせぶりなことを言ったが、援助交際が安全なものでないこともわかっている。加えて昨日の行為には非常に興奮したし、女としての快楽を、もっと知りたいと思ってしまった。断る理由はない。
『本当か! よかった。どっか行きたいところはあるか? 食いたいもんとか』
「大した時間ねえだろ? 主目的もあることだし──」
 ああだこうだと言い合いながら、月曜夜の待ち合わせの予定を決めた。
「──ところでオレ、お前に電話番号教えてたっけ?」
『中学の卒業アルバムを持ってる』
「なにそれこわっ」
 こわいと言った割に口調が軽いのは、藤真にとって珍しい経験ではないからだ。翔陽バスケ部に入り、神奈川期待の新人として雑誌に取り上げられたあと、家に直接ファンレターだのが届くようになった理由が、小遣い稼ぎのために中学校の卒業アルバムを売買する輩の存在だった。その年の卒業生の数と同じだけの部数が存在するのだ、何かの拍子に牧が入手することだってあるだろう。
(なんの拍子だよ……てか、誕生日知ってたのもそのせいか)
『うちの番号も教えておくから、なんかあったら電話してくれ』
「別になんもないと思うけど」
 そう言いつつも、一応牧の電話番号をメモしておいた。
 
 
 

恋人カレはミス翔陽 1

1.

(今年もまたミス翔陽に輝いてしまった……)
 記念品として押しつけられた女装アイテム一式が入った紙袋をぶらさげ、藤真は暗澹たる思いで帰路についていた。
 ミス翔陽コンテスト。翔陽高校の文化祭で伝統的に行われている、男子生徒による女装のミスコンである。学校の色とでも言おうか、生徒たちに代々根づいた従順で真面目な気質のため、お笑い仮装大会のようにはならず、至極真面目に美少女男子高校生を誕生させるべく取り組まれている行事だった。
 二年前、藤真は一年にしてミス翔陽に輝いた。かわいいとは言われ慣れていたし、女装せずとも性別を間違われた経験もあるので、当人としても驚きはしない結果だった。じき校内外での人気も加わり、二年次と今年と、結局三連覇してしまったのだった。
(オレが高校生活で一番結果出したのって、実はミスコンかも……)
 順位としては事実そうなるのだが、否、と藤真は首を振る。
(文化祭の出し物よりは、さすがに全国行った二年の夏のが上だろ!?)
 しかしそのときの最後の試合は、特に藤真には『やりきった』とは言いがたいもので、思い返すだに苦い気分になる。
(は〜……オレって、女に生まれたほうが人生イージーモードだったかも)
 男の身では揶揄の対象になり得る中性的な容姿も、女に生まれていれば賞賛しかされなかったはずだ──など考えながら路肩を歩くが、自らの性別について重く深く悩んでいるわけでもない。ミス翔陽三連覇を成し遂げてしまったことへの、自虐のようなものだ。
(女バスだったら、あいつもいなかったわけで……)
 白と紫のユニフォームを纏った、引き締まった褐色の体躯と精悍な横顔が自然と目に浮かぶ。高校バスケの活動の中で、藤真の前に何度も立ちはだかった男。海南の牧紳一だ。「実力は拮抗しているが見た目は正反対だ」という第三者の言葉に、悪意はないと知りつつ無性に不愉快だったことを覚えている。
「……?」
 視線を感じた、気がした。強い違和感のほうを見遣ると、住宅の合間に切り取られたように残された小さな林の中に、これまた小さな祠と狐の像が見える。
「……???」
 藤真の自宅からそう遠くない、日々通っている道だ。祠の存在も昔から知っている、いわば見慣れたものだった。それに対していまさら何が気になったというのか、自分の感覚を不思議に思いながらも、何ごともなく帰宅した。
 
 翌日の月曜は文化祭の閉幕式、後片付け、清掃を終えると解散という日程だった。部活動は部によりけりだが、文化祭のために土日も休まず学校に出ていることから、バスケ部については自由参加の自主練とした。
 三年生にとって最後の大会だったウインターカップ予選は、海南との直接対決に敗れて終わった。その時点で三年は基本的には引退し、主将も藤真から伊藤に代替わりしたが、今年度中は監督不在のため、藤真は新人戦が終わるまで監督として参加することになっている。とはいえ伊藤に慣れてほしいこともあり、練習に付きっきりという状態は避けるようにしていた。
 帰る前に部活動を覗きに行くと、後輩たちから「ミス三連覇おめでとうございます」「藤真さんスゲー綺麗でした!」「藤真先輩はやっぱり神です」などなど、あまり嬉しくない賞賛を浴びてしまった。今日は部に立ち寄らずに帰るべきだったかもしれない。伊藤と少し話し、特に問題はないと言うのでそそくさと退散した。
 日の短い十一月ではあるが、いつもよりだいぶ早い帰宅のため、外はまだ明るい。学校から離れて人気が減り、自宅にほど近くなってきたころ、背後から男の声がした。
「藤真くん」
「……あ?」
 敵意のない、穏やかな声色に聞き覚えはない。振り返ると、翔陽の制服姿の男子生徒が立っていた。色白で黒髪、背はさほど高くなく体格は華奢。眉は女のように細く、切れ長の目が涼しげな印象を与える。
(すげー、しょうゆ顔)
 歌舞伎役者の家系にいそうな顔、というのが第一印象だ。動物のキツネを連想させる趣きの男子生徒に、翔陽の制服は似合っているとは言いがたい。見覚えはないものの、同校の生徒ということもあり立ち止まる。
「ミス翔陽おめでとう」
「……ありがとう」
 自然と愛想笑いを浮かべたのは見知らぬファンからの声援に慣れきっているせいだが、相手が翔陽の制服姿であることが、藤真を奇妙な気分にさせる。
(こんなヤツいたか……?)
 彼は藤真のことを『藤真くん』と呼んだ。つまり同級生ということだ。他の学年ならまだしも、これほど印象的な容貌の男が三年間同学年にいて、まったく見覚えがないということがあるのだろうか。
(いやー、まあ、普通にあるか? 見た感じ文化部系だから、部活のときには遭遇しないだろうし)
「お祝いってわけでもないんだけど、これをぜひ君にと思って」
 不思議そうな藤真の目の前に、小さなガラス瓶が現れる。中にはピンクと白の縞模様の、おそらくキャンディが何粒か。相手の男女を問わず、差し入れとして菓子類を貰うことにも慣れていたが、これもやはり少し奇妙だ。リボンもラッピングも、ありがちな添付の手紙も見当たらないし、小瓶に市販品のようなラベルもない。
「……ありがとう」
 しかし藤真は素直にそれを受け取った。相手の意図がどうであれ、それが一番穏便なのだとよく知っている。ありがたく食べるにしても、捨てるにしても、当人の知らないところで密かに行えばいい。
(こいつ化粧映えする系の顔だから、実は昨日のミスコンにいたとか? オレに恨みを抱いて嫌がらせとして怪しげなキャンディを──)
 ミスコン三連覇特有の発想から発生した妄想を遮るように、静かな声は、しかし異様なインパクトで藤真の耳に響いた。
「それ、女体化キャンディっていうんだ」
「……は? なんつった?」
「女体。食べると女の子の体になるキャンディなんだよ」
(こいつ……激マズか毒物か知らねえが、それでオレがこのキャンディを食いたくなると思ってんのか? 頭がよくなるとか逞しくなるとか、ウソつくにしてももっと普通なやつあるだろ!?)
 恨みを買った可能性よりも、この男のその発想がショックで、愛想のいい返しができない。
「……なんでお前がそんなもん持ってんだよ」
「そりゃあ、開発者だからね。ああ、自己紹介をしてなかったね。僕はコザキ。コザキヨウイチ。翔陽の化学部員だよ」
「科学部が、女体キャンディを開発? んなわけあるか」
「君、僕らの活動を知ってるの?」
「知らないけど……」
 入学後すぐに一切の迷いなくバスケ部に入部した藤真は、活動内容どころか科学部の存在すら知らなかった。とはいえ女体化など、高校の科学部の研究としてとうてい信じられるものではない。
「信じられないみたいだね。まあ、無理もないか。君にあげたものだけど、一個もらっていい?」
 コザキは藤真の反応も想定内といった様子で、藤真の手にある小瓶を指差す。高校生らしからぬ落ち着きには(こいつ、本当に薬を開発するような天才だったりするかも……?)と思わされなくもない。
「お、おう……」
 藤真は素直にコザキに瓶を渡した。差し入れに対するお約束対応として受け取っただけで、怪しさしかないキャンディを欲しいとも惜しいとも思わない。コザキは蓋を開けて瓶を傾け、手のひらにキャンディを一粒転がす。
「待った!」
 藤真は瓶を取り返すと、自らの手のひらにキャンディを一つ取り出した。コザキのキャンディを指でつまんで瓶に戻し、交換に自分のキャンディを渡す。
「疑り深いな。全部一緒だから、どれでも大丈夫だよ」
 コザキは言うと、藤真から渡されたキャンディを躊躇なく口に放り込んだ。
「……」
「……」
 コザキはキャンディを舐め、藤真はじっとそれを見つめる。
「……これ、効果出るの全部舐めきってからなんだけど、時間大丈夫?」
「今日早いし、全然平気」
 最後まで見届けなくては毒見にもならないではないか。そう思って頷いたものの、道の端で立ち尽くして待つのも不自然に思えた。
「……場所変えるか。近くに公園がある」

 公園のベンチに二人横並びに座り、藤真は肉の薄い頬のキャンディの膨らみを見つめ、それから退屈そうに傾く太陽に視線を移す。
(無視してとっとと帰ればよかったかも)
 瓶の中のキャンディが、さほど美味そうに見えたわけでもない。わざわざ毒見をさせずとも、信用できないなら持ち帰って捨てればよかったのだ。
(女体化なんて頭おかしいこと言うから……)
 結果的に興味を惹かれてしまったのだから自分の負けかもしれないとも思う。
(てか、素で自分のこと僕って呼ぶやつなんて実在したんだな。初めて会った)
 そんなことを考えていると、コザキが苦しげにうめきだした。
「んぐっ! はぁッ……!」
 一方の手で喉を押さえ、もう一方の腕で上半身を抱えるようにして、ベンチに座ったまま前屈の姿勢になる。
「おいっ、大丈夫か!? ……おい!?」
 救急車を呼ぶべきだろうか。コザキが自らの体を抱えて震えていたのは、しかし藤真がそれを考えた数秒の間だけだった。
「っ……ふぅ。無事、女になったよ」
 なんともないように体を起こし、藤真に向けられた顔は、少し前となんら変わっていなかった。涼しげに整った、純日本人的な顔だ。
「別に、なんも変わってねえじゃねえか」
 声は高くなったような気もするが、初対面で聞き慣れた声でもないため、気のせいかもしれないし、器用に女の声真似をしているのかもしれない。
「見てくれ、胸が膨らんでる」
「あ……」
 コザキがジャケットを左右に広げて見せた、ワイシャツの胸には確かに男にはない膨らみがある。しかし、そんなものは昨日の藤真にだってあった。
「なんか詰めてんだろ」
 コザキのジャケットの中をまじまじ見たのは今が初めてだ。元から用意していたのかもしれないし、苦しんでいるふりをして体を折っているときに仕込んだのかもしれない。
「直接見るかい?」
「えっ」
「大丈夫だよ、元は男なんだし」
 コザキは躊躇せずシャツのボタンを上から外していく。ほどなくして白い肌と、さほど大きくはないが明らかな女の乳房が現れた。
「!?!?!?」
 視線を上下させ、コザキの顔と胸を何度も見比べる。相撲取りのように太っているわけでもなし、むしろ痩せ型の男の胸に、あるはずのないものがついている。信じられない藤真は、仮装用の作り物の胸部を想定しながらそれを鷲掴んだ。
 ──むにゅっ
 柔らかい。それに、指のめりこんだ根本からしっかりとコザキの胸にくっついている。藤真は慌てて手を離し、覚えのないわけではない感触を振り払うように、大袈裟に手を振った。
「えっ、なに、きもっ!」
「君、ひどいな。まあ、ミス翔陽から見たらそうだろうね」
 コザキは特に非難する調子でもなく淡々と言って、シャツのボタンを閉めていく。
「ごめんて、そういうつもりじゃない。……じゃあ、下も?」
 藤真はコザキのズボンの股間を指差した。
「うん。見るかい?」
「えっ、いや、それはいいかな……」
 大浴場で男の全裸を見てもなんとも思わないし、同意がある状況で女の裸を拒むほど藤真は初心ではない。しかし公園で初対面の人間の陰部を見るかと問われれば拒否したかった。
「信じてくれたってことだね」
「……たぶん」
 そもそも彼とは今日が初対面だ。実はもともと女子で、男の制服を着ているだけということはないだろうか。自分でも無茶苦茶なことを考えているとは思う。しかし、女体化キャンディだなんてもっと無茶苦茶だ。
 納得しきらない藤真をよそに、コザキは饒舌だ。
「女体化の効果は一日。朝使おうが夕方使おうがその日限り、寝て起きたら終わり」
「終わりって? 男に戻るってことか?」
「そうだよ。じゃなきゃ僕だって簡単にキャンディ舐めたりしないよ」
「そりゃそうか。何時間経ったら終わりじゃなくて、寝て起きたら終わりなんだな」
「うん。寝てるときって、休んでるようだけどいろんな細胞が活発に働いて、身体の機能を回復させようとするんだ。その働きの中で、性別も元に戻っちゃうんだよね」
「あー。なるほど」
 確かに寝るとリセットされるしな、と極めて大雑把に納得する。
「他に質問は?」
「え、特にない……かな」
「そっか。じゃあ僕は帰るよ。じゃあね!」
「あ、おいっ」
 コザキはぴょんと飛び退くように立ち上がると、ひらりと手を振って小走りに立ち去ってしまった。文化部然とした男の舞うように軽やかな所作を、藤真は呆気に取られて見送る。
(なんでオレにこんなもんを? って質問するんだった)
 手の中の小瓶が透き通った音を立てる。中身は思ったより少なかったようで、残りは四粒だ。

 もしも自分が女だったら──それは単なる〝もしも〟の空想でしかなく、願望というレベルで考えたことなどなかったはずだ。しかし、いざ手段を入手すると俄然興味は膨らんで、自然と早足になっていた。自覚はないが、バスケ部主将を伊藤に交代してからというもの、藤真は暇を持て余し刺激に飢えていたのだった。
 帰宅して二階の自分の部屋に入ると、着替えもせずにキャンディを口に放り込む。懐かしい感じのする、甘酸っぱいイチゴ味が口の中に広がった。
(寝れば戻るっていうなら、せっかくだから試してみたいじゃん?)
 誰にともなく頭の中でいいわけをしながら、舌で執拗にキャンディを舐め溶かしていく。
(明日、あいつが男に戻ってるの見てからのほうがよかったかも……)
 にわかに襲った不安を、首を横に振って追い払う。
(いやいや、元に戻れなくなるんならさすがに自分で食わねえだろ。大丈夫だって!)
「うっ……!」
 じき、体が熱く、胸と腹の奥底が疼くように鈍く痛みだした。
(これか〜!)
 ベンチに座るコザキの仕草を思いだし、なんとなく納得しながらベッドに転がり体を丸める。苦しい。体の中で、明らかに何かが起こっている。怪我はあれど病気はしたことのない藤真には、どこがどう痛いとも形容しがたい感覚だったが、コザキが毒見をしてくれたおかげでさほど不安はなかった。
「……?」
 気の遠くなるような感覚から体を起こすと、すぐに自らの肉体の違和感に気づく。
「!!」
 ワイシャツの下の胸は隆起して、股間に長年あったはずのものの存在は確認できない。胸はともかく、これはなかなか衝撃的だ。
(失って気づく大切さ、みたいな歌あったよな……)
 想定外の喪失感にうろたえつつ、何もない股間をズボン越しにさする。下腹部から脚の間、そして腰を下ろすベッドの上に指先が辿り着くまでに、遮るものは何もない。何もないのに敏感なようで、無視しきれない奇妙な感覚にきょろきょろと周囲を見回す。自分の部屋だ、もちろん誰もいない。
(自分のカラダなんだから、普通見るよな。やましいことなんてない)
 ジャケットを脱ぎ、そわそわと落ち着かない気分で、シャツのボタンを下まで全部外す。平らなはずの胸には、やはり二つの膨らみが──女の乳房が発生していた。恥じらいでも興奮でもなくひたすらに奇妙な気分で、両の手でそれを掴んで揉んでみる。柔らかい、が
(胸小さっ! どうせならもっとデカくしてくれたらいいのに)
 ベッドから移動してクローゼットを開け、扉の内側に付いた姿見に自らを映してみる。細身の女の体に、よく知った頭部がついている。
(うーん……)
 正直なところ、自分の女装姿はかわいいと思うのだが、現在の姿についてはそう思えなかった。あまりに見慣れた顔と髪型と、見知らぬ女体とのキメラのように感じられる。
(ま、そのうち見慣れるか。てか背縮んだか? 痩せた? いや太った?)
 鏡に向き合った感じでは、おそらく身長は少し縮んでいる。腰にくびれができて細くなったように見えるが、逆に今までなかった箇所に肉が増えている気もしてよくわからない。
(んでやっぱ胸小せえな、乳首はでかくなったけど)
 手に収まってしまう乳房に物足りなさを感じつつも、物珍しさからしばらく触っていた。柔らかく、感触はよいはずだが、思いのほか楽しくない。
(自分の胸じゃ、さすがにドキドキしねえもんな)
 部活動に打ち込みたくて別れてしまったが、中学生のころは彼女がいたし、行為もあった。特に大人びていたとか、素行が悪かったつもりではなく、藤真の周辺は皆そうだったので、普通のことだと思っていた。
 当時は女子の体、特に豊満な胸は素晴らしく魅力的なものだと思っていたが、好きだったのはおそらく胸そのものではなかったのだ。自分の体にそれが発生したところで、同じ気持ちは生まれそうになかった。
(あんまり感じないし……)
 乳首が敏感なことはわかるし、触っていると何やらむずむずしてくるのだが、快感として捉えるにはまだ至らない。
(さて)
 なんとなく抵抗はあるが、下半身も確認しなければならないだろう。スラックスの前を開け、下着と一緒に掴んでひと思いに下ろす。
「うわっ!」
 鏡に映った下半身に驚き、発した自分の声にまた驚いて慌てて口をつぐんだ。
(ちんちんがなくなって股が割れてる!! 声も女っぽくなってる!)
 頭の中で何度も「ウワーウワー」と騒ぐ。大騒ぎだ。女の局部を見られて嬉しいだのエロいだのという感想はいっさいなく、ただ猛烈な戸惑いと虚無感に襲われていた。
(ちんぽが無いなんて、ヘンな感じ……)
 スレンダーで均整のとれた、モデルのような美しい女体なのだが、いかんせん今の藤真は客観的な評価を下せる状態ではない。
 明確な目的はなく現状確認の意味合いで、おずおずと股間に手を伸ばして触れてみる。
「んっ」
 何もない、〝無〟のように思えた外陰部の皮膚はひどく柔らかく敏感で、途端に藤真の興味を引いた。胸に触れたときとは違う、明らかな性感の気配だ。
(別に、自分のだしな……?)
 薄い皮膚をふにふにと撫でまわし、割れ目の間にそっと指を沿わせる。じっとりと湿った陰部を観察するように探るうち、明確な快感を生む場所にたどり着く。
(あっ、これ、気持ちい……)
 知らなかったわけではないのだ。ただ、いくら自分のものとはいえ、真っ先にそこに触れてしまうことには遠慮と照れがあった。
 恥裂の奥に身を隠していた陰核は、触れるたびにぷっくりと隆起して、藤真の身にも覚えのある、甘く痺れるような快楽をもたらす。
「んっ、ん♡」
 指先で弾くように小刻みに愛撫するうち、膣口からたっぷりと滲み出た愛液が指にまとわりつき、なおさらそこを敏感にする。指に触れる粘膜の感触も、くちゅくちゅと聞こえる音もたまらなくいやらしい。
(クリトリスは女のちんぽって話、ほんとだったんだ……)
 空いた右手で胸をまさぐる。硬くなり、はっきりと輪郭をあらわにした乳首をつまみ、弄りまわすと、今度はいくらか感じるようだった。
 左手の指は、陰核と膣口とをもどかしげに行き来している。
(じ、自分のカラダだしっ!)
 もう何度目になるかわからない文句を唱えながら、右手を胸から股間に持っていく。
(入るかな……)
 左手で陰核を触りながら、右手の中指で膣口を掘るように弄る。充分すぎるほどに濡れたそこは、ひくりと収縮しながら指を受け入れてしまった。
「っ、ぁっ…!」
 思わずこぼれる高い声を、喉の奥に飲み込む。あまり声を出してはさすがにまずい。挿入した指を蠢かせ、熱く柔らかな内部を探る。
(気持ちいいような、あんまり感じないような……指だからか?)
 しかしその状態で陰核を撫でると、興奮とともに快感が増して感じられた。
「はッ…♡」
 挿入した指を掻き回しながら、陰核への執拗な愛撫を続ける。快楽に体がとろけるイメージとともに、早熟な陰部がぬちゅ、くちゅと音を立てる。
(あっ、あぁっ、アッ……♡♡♡)
 声を殺し、頭の中で喘ぎながら、覚えたての自慰行為に没頭する。勃起して敏感になった肉芽に指先がかするだけで、強烈な快感が奔って体が跳ねた。
「くふっ…はぁっ♡ ンンッ♡」
 立っていられなくなって床に膝をついても、なお行為をやめられない。挿入する指を二本に増やし、しきりに出し挿れする。密度を増した内部の擦れる感触も好いが、それ以上にこの動作への興奮によって快感が増幅されていると思う。
「っく、ぅ…♡」
 押し殺した声を、存分に上げられたらどんなに気持ちいいだろう。体を出入りするものが女の指ではなく、逞しい男性器だったなら、いったいどれだけの感触が得られるのだろう。
(あぁっ! ちんぽっ…ちんぽ欲しいッ……!)
 できる限り奥へと指を押し込み、貪欲に快楽を求める。気の遠くなる恍惚の中、体は制御がきかないようにうねり震えているのに、手指はしっかりと意思を持って同じ動作を繰り返すのが我がことながら滑稽だった。逸楽の責め苦の中にとどまっていたいようにも、解放されたいようにも感じながら、指の動作が小刻みに早くなる。
「んクッ♡ はぁっ、ンッ……!!」
 体を二つに折り、唇を引き結んで悶絶しながら、快楽のさざ波に追われるように昇りつめていく。丸めた背中が、壊れた玩具のようにビクビクと痙攣していた。
「ふーっ……」
 開放感と気だるさに同時に襲われながら、藤真は深く長く息を吐く。
(イッた、のか……?)
 根元まで咥え込まれていた指を引き抜いて見ると、粘性の強い愛液がたっぷりと絡みつき、二本の指の間にねっとりと糸を引いた。
(うわっ、エッロ!)
 体の奥が、再びじゅわりと熱くなる。欲求に抗わず陰核に触れると、軽く擦っただけでおかしいくらいに体が跳ねた。強すぎる刺激に危機感を覚え、藤真はおとなしくティッシュに手を伸ばす。
 それでも続けたらどうなるのか、興味はあったが、自分でできるものではないとも感じた。女の体は敏感すぎて、そして終わりがわからない。
(自分だとやめちまうから、やっぱ男にヤられる必要があるんだろうな……)
 熱に浮かされたようにぼうっとする頭で納得しながら、指と股ぐらをティッシュで拭い、すっきりしない気分のまま男性ものの下着をつける。
(なんか落ち着かねえの、射精してないから賢者タイムが来ないんだな。たぶん)
 パジャマを着ようかと思ったが、時計を見るとまだ早いと思える時間だった。眠って朝になれば、男の体に戻ってしまう。一人密かに触れただけだなんてあまりにもの足りない。この重大な事実を誰かに教えたい。そしてあわよくば──
(女になったからには、やっぱエロいことしたいよな。男の子だもん!)
 真っ先に思い浮かんだ人物に、藤真は躊躇なく電話を掛ける。
「もし? 花形居たな? 今から家行くから、それじゃ」
『おい? 待っ』
 ガチャッ!
 幸い本人が出たので、有無を言わさず要件のみを伝えて電話を切った。女装していこうかと一瞬思ったが、我に返って普段着のジーンズとパーカーに着替えた。

「なんかあったのか? 急に押しかけてきて」
 自らの部屋に藤真を迎え入れた花形は、訝しげにこそすれ、決して迷惑そうな様子ではない。いつもそうだった。そうして藤真の話を聞いたり、ストレス解消に付き合ってくれた。藤真は自分についてきてくれた翔陽の部員全員に感謝しているが、花形がいたからこそ選手兼監督としてやってこられたとも思っている。
 藤真は花形のことを完全に信頼しているし、花形もまた藤真のことを許し続けてきた。自らの肉体の秘密を花形に打ち明けることに、躊躇はなかった。むしろ彼しかいないとまで思った。
「あのな、実はオレ、女になったんだ」
「……それは」
 ついに掘られたのか? と言いそうになったがこらえた。もしそうだとしても、今の藤真は傷ついているようには見えないので、悪い意味合いの報告ではないだろう。女の声真似をする余裕があるくらいだ。
「どういう意味だ?」
 藤真は花形の手を取り、自らの胸を掴ませる。
「……なんか詰めてるのか? あと、背が縮んでないか?」
 女になったとはつまり、文化祭での女装がきっかけで、日ごろから女装する嗜好に目覚めたということだろうか。
「違うってば。まあ、見ないと信じらんねえよな」
 藤真は後ろを向いてパーカーとその中に着ていたシャツを脱ぐ。心なしか背中が華奢に見えるし、三年間同じ部にいて上半身の裸くらい見慣れたものなのに、わざわざ後ろを向くのも奇妙なことだった。
「オラ、よく見ろ! ジャーン!」
「……!?」
 花形に向き直り、効果音とともに腕を広げた、平らなはずの藤真の胸には、小ぶりだが形のよいふたつの膨らみがあった。花形はそれを凝視し身をこわばらせ、冷静を装って眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「特殊メイクか?」
「んなわけねえだろ。ほら、ホンモノの感触」
 藤真は花形の手を再び取り、直接自分の胸に触れさせる。
「むっ……!?」
 心なしか花形の顔が赤くなった気がする。とても面白い。
「おっぱい揉んでいいぜ♡ ほら両手で♡」
 もう一方の手も同じようにして胸を掴ませ、広い手の甲を上から包むようにして揉ませる。花形は眉を吊り上げ、目を据わらせて──おそらく非常に当惑しながら、少しの間されるままになっていた。
(やば、他人の手だとおっぱい感じるかも……)
 そう思ったところで、花形の手が離れていった。
「なんだ、本物の、胸……!?」
 顔を真っ赤にして眼鏡を直し、藤真の胸を一瞬見るが、慌てて目を逸らす。
(花形ってこんな反応するんだ。おもしろ)
「恥ずかしがるなよ、元は男同士なんだから」
「い、一体どうしてそんなカラダに……」
「科学部のコザキってやつ知ってる?」
「知らん」
「だよな。まあともかく翔陽には実は科学部があって、そこで開発してる女体化キャンディってのを貰って食って、女の体になったんだ」
 つっこみどころが多すぎて、どこから片付けるべきなのかわからない。
「お前、無防備にそんなものを……」
「無防備じゃねえよ。コザキ本人が食うのを見届けたんだ。で、寝て起きれば男に戻るって言うから興味本位で食ってみた」
「そんなことがにわかに信じられると思うか?」
「信じる信じないじゃねえだろ、実際女体化してんだから」
 もう一度花形の手を捕まえて胸を触らせようとするが、全力で拒否されてしまった。
「そうだ、お前童貞だろ? まんこ見せてやろうか!」
 爽やかで朗らかな笑顔はよく見慣れたもので、しかし声は女のように高く、その胸には女の乳房が生えている。これは悪い夢だ。疲れているのか、変なものを食べただろうか。花形は額を押さえた。
「いい、結構だ、悪いが帰ってくれないか……」
「なあなあ、ふじまんこって響きかわいくね?」
 しかし藤真は引き下がらず、猫のように体を寄せてくる。部活のストレッチのほうが密着度が高いくらいの接触だが、いかんせん状況が違いすぎる。花形は意識して無愛想な顔を作った。
「かわいくない」
「じゃあかわいくなくていいからセックスしようぜ」
 花形は明らかにうろたえ、藤真はいっそう愉快な気分になる。こんなに憔悴する花形の姿は初めて見たと思う。
「なんでそうなる……?」
「せっかく女の体になったんだから、女のセックスを体験してみたいじゃねえか」
 藤真はごく当然のようにそう言ってのける。
「なるほど、まったくわからん」
「お前も女になってみればわかるって。キャンディ一個やろうか?」
「いらん!」
「オレは女のセックスを体験して、お前は童貞卒業して。ウィンウィンだろ、なにが嫌なんだよ」
「別に俺は高野みたいに童貞コンプじゃないからな。誰だっていいわけじゃない」
「お前、ミス翔陽三連覇のオレで不足だっていうのか!?」
 藤真はさも信じられない、異常だとでも言いたげな目で花形を見る。花形としても、藤真が可愛らしくて美人であることは認めている。しかし彼は根本的にわかっていないと思う。
「美人度合いと好みは違う。俺にだって好みがある。お前は体が女になっただけで、完全に藤真じゃないか」
「まじかよ、お前、ブス専だったのかよ……」
 そんなことは一言も言っていないのだが、否定するのも面倒になって投げやりに答えた。
「そうなんだ、実はな。だからお前のことは抱けない。今日はもう帰ってくれ」
 帰ってというか、早くこの悪夢が覚めてほしいのだが──バカ、アホ、インポ、と呪詛のように呟く藤真に甲斐甲斐しく服を着せ、背中を押して玄関の外に出し、彼の自宅の方向に歩きだすまで見送った。

(なんだあいつ、オレのこと拒否りやがって! 一生童貞でいやがれ!)
 自宅に向かって歩きながら、捨て台詞のように頭の中で叫んだが、おそらくそのとおりにはならないと思う。翔陽バスケ部において藤真の人気が飛び抜けていたのは事実だが、花形も結構な人気なのだ。一説には、藤真よりも〝重い〟ファンが多いとも言われている。少し前まで部活動、今は受験勉強で忙しくそれどころではないだろうが、大学に進めばすぐに彼女ができるだろう。なんとなく悲しくなってしまった。
(オレは男状態でもミス翔陽だったんだから、女になれば無敵のはずなんだが? まあ、花形がブス専だっていうならしょうがねえよな。……えー、じゃあ誰とやれっていうんだよ!)
 このまま何もせずに眠って男に戻るなど、すっかり火のついてしまった好奇心と藤真のプライドが許さない。面白くない気分で少し行くと、暗がりを歩く女子高校生の後ろ姿が視界に入った。スカートを短くして、肩から下げたサイドバッグに大きな花の飾りをつけている。鮮やかなオレンジ色の花に、目の前が開けた気がした。
(そうだ、援助交際!)
 近ごろ一部で話題になっている、カジュアルな売春である。藤真は単なる噂としてではなく、もう少し具体的な情報を中学時代の女友達から聞いて知っていた。ここからそう遠くない横浜の歓楽街の一角が援助交際前提の声かけスポットになっていること。援助交際目的の女子は、バッグや手首など見える場所に花の飾りをつけること。
 前方に見える女子が果たして本当にそういった目的かは不明だったが、そんなことはどうでもいいのだ。
 急ぎ自宅へ戻ると、男の格好をしているうちにと台所の母親に声をかける。
「お母さん、これから出かけるから、晩御飯いらない」
「あら、そうなの? ていうか声変じゃない?」
 多少声が高くとも、さすがに息子が娘になっているとは想像しないようだ。当然である。
「うん。なんかノド変なんだ。寝たら治ると思う」
 二階の自室へ上がると、あまり使わないものを適当に放り込んでいる収納ケースをかき回した。
「あった!」
 揚揚と引っ張り出したものは、ひまわりの造花のキーホルダーだった。花の大きさは八センチほどだろうか。バッグに付けていれば問題なく確認できるはずだ。
(いや〜、取っとくもんだな。冴えてるなオレ!)
 昨年の夏に、八月の誕生花だからと牧が唐突にくれたものだった。
『……なんで?』
『八月生まれだろう?』
『そりゃ、そうだけど』
 通りすがりに見かけてつい買ってしまっただの言っていた。ならば自分で持っていればいいのではと思ったが、かさばるものでもないので貰っておいたのだった。
(オレ、牧に誕生日の話なんてしたことあったっけ?)
 ともあれキーアイテムは見つけた。あとは女子高生の格好に着替えてそっと家を抜け出し、目的地に向かうのみだ。制服、ミディアムヘアのハーフウィッグ、簡単なメイク道具に下着──悲しいことに、女装一式は手もとに揃っているのだ。