針の城

レオンとゼロの出会い編超捏造。ゼロとカミラの支援ではゼロは妾戦争関係のこと知らないっぽいんですが、そのことを失念して書いてました。その段階からのifということで。 [ 1話目:5,358文字/2015-08-27 ]

1.

 月を見つけた。
 閉ざされた夜に輝く、唯一の

「逃がさないよ」
 高圧的な、おそらくは子供の声と共に、背後から青白い光が差す。自然には有り得ないそれに危険を察知し、フードを被った男は咄嗟に飛び退きながら体を反転させた。
 ──ヴン……!
 耳元に虫の羽音のような空気の振動と、得体の知れない圧力を感じる。
 手を遣ると、フードの耳元とマントの一部が灰のようにぼろりと崩れ落ちた。元の場所に居れば自分は一体どうなっていたのか。良い結果は想像できない。
「勘違いしないで。わざと外したんだからね」
 自信に満ちた声の主は、美しい少年だった。魔道の燐光によって青白く照らし出され、本来の色彩はわからないが、柔らかに靡く淡い色の髪に、白い肌。瞳は血のように深い赤色に見える。闇の中にぼうっと浮かび上がる姿は天使だとか、悪魔だとか、何にせよ異質なものに感じられた。
 足が竦む。影を、縫い止められたかのようだった。
 貧民街出身のこの男は、畏怖という言葉をまだ知らない。
 こちらを向いた指先に、力を帯びた光が収束する。薄い唇の端が僅かに釣り上がる。冷酷、妖艶、まるで子供らしくない表情が、その神秘性を際立たせる。
 断罪者。
 漠然とそう感じた。今まで悪足掻きばかりして醜く生きてきたが、死ぬときは案外こんなものなのかもしれない。
 男は、この暗夜城に忍び込んだ賊のうちの一人だった。仲間に裏切られ、囮として置き去りにされたものの、警備兵からはなんとか逃げ果せた。事前の調べて空き部屋とわかっていたこの場所に一時身を隠そうとしたところ、想定外の追跡者に見つかってしまった。
(いつから、勘違いしてたんだろうな)
 築いたと思い込んでいた足場は簡単に壊れた。行き場を失い流れついただけ、自分のために他人を利用しただけ、皆同じこと、お互い様。あの塵溜めのような街には〝仲間〟も〝居場所〟も最初から存在しなかった。
(馬鹿だな、本当に)
 親にさえ捨てられた身だ、同じ場所に寄り集まっただけの他人にとっては一層取るに足らないものだったろうに。いつしか自覚なく、信頼して、裏切られた。
「何か言いたいことはないの?」
「……殺してくれ」
 剣が床に転がる、乾いた音が響く。跪く。目を閉じる。
 長くない人生だったろうが、もう充分だとも思う。惜しいものはない。もう何もない。
「……」
 少年は跪く男に歩み寄り、垂れた頭に手を翳し──半ば布切れのようになったフードを脱がせた。
 柔らかに波打つ銀髪がふわりと溢れ落ちる。
 おずおずと上げられた男の顔を眺める。褐色の肌、青い瞳、片目は潰れているのだろうか。見慣れない、不思議な色彩だと思う。年齢は自分よりは明らかに上だが、まだ少年と呼べる範疇であろう。
「お前の仲間たちはもう逃げたみたいだよ。置き去りだね」
 少年の身体から発せられていたようだった燐光は消え、今は魔法で作り出された光源が二人の周囲を照らしている。少し前に見た断罪者の姿よりも随分と柔らかな印象で、本のページをパラパラと弄ぶ仕草は、子供じみてはいるが優雅だった。
 男は少年を見上げ、何か言いたげに唇を動かしては閉じる、ということを繰り返していた。頭は思考できるほどには働かず、ただ目の前の情報だけを捉えて処理していた。
「ま、奴らのほとんどを逃がしてしまったんだから、こっちもまんまと嵌められたわけだけど」
「……」
「命乞いしないの? 僕に人なんて殺せないって思ってる?」
 少年は黙り込む男を怪訝な顔で見つめた。自分の罪を忘れ、下らない条件と引き換えに見苦しく命乞いをする人間を何人も見てきたが、この男はそれをしない。奇妙だ。
 男は抑揚の少ない調子でぼそぼそと言った。
「そっちこそ、なんで殺さないんだ。哀れみか」
「……なんでだろうね」
 少なくとも、哀れだとは感じていない。喩え彼が裏切られたのだとしても、それは悪事を働いた当然の報いだ。
「しっ、誰か来る」
 少年は咄嗟に男を物入れの中に押し込んで扉を閉める。それから僅か後のことだ。
「レオン様? 一体そこで何を」
 少年──レオンが作り出した光を見咎めてだろう、何人かの警備兵が部屋に入ってきた。男は狭苦しい物入れの中で、息を殺して聞き耳を立てる。
(レオン……)
 暗夜王国の王子の中に、その名前があったはずだ。同名の別人ということもあり得るだろうが、丁寧な呼ばれ方から高い身分であることは確かであろう。
「それはこっちの台詞。こんな夜中に騒がしいから、どうしたのかと思ってさ」
「賊が侵入したのですよ。まったく、忌々しい」
 警備兵長に訊くまでもなく、レオンは騒動について察知していた。幼い頃から魔道の天才と言われる多感な少年は、夜には特に過敏になる。
 盗賊退治に協力しようと思ったわけではない。ただ、眠れない苛立ちからあまり人の来ない廊下を歩いていると、不審な男がこの部屋に入っていくところを目撃しただけだった。
「レオン様は、怪しい者は見掛けませんでしたか?」
「見なかったよ。眠れなくて散歩してただけだしね」
「そうですか。……レオン様の身に何事もなかったなら良いのです。しかし、あまり夜遅くに歩き回るのは感心しませんな」
 警備兵長は忌々しげに言った。彼の立場からすれば、失態の場に王族に居合わされたというばつの悪さがある。加えてこの男は、レオンに対して良い心証を持っていなかった。
 暗夜国王ガロンの子は、第一子のマークスの他は妾の子供だ。王城勤めの貴族の中には妾の子供らには敬意を持たない者も多いのだ。
 しかし、レオンも自分の位地については自覚している。
「厳重に警備されてるはずのこの城の中が、そんなに危ないって? ……ま、賊も出たし、幽霊も出るかもしれないしね」
「幽霊?」
「忘れたの? この部屋、アナスタシア……だっけ。何番目かの王女が死んだ部屋」
 含みを持たせて薄く笑うレオンに、警備兵長は顔を顰めた。気味の悪い子供だ、とは以前から思っていることだ。
「……そんなこともありましたかね。とにかく、早くお休みになってください。私たちは警備を続けますので」

「どういうつもりだ、王子サマ」
 身を隠していた物入れから引っ張り出されての第一声であった。
「レオンだよ。僕の名前。お前は?」
「……ゼロ」
「ゼロ。不思議な響きだね」
「不思議なのはあんたのほうだぜ、王子サマ」
 ゼロはレオンをまじまじと見つめる。少しだけ吊り上がった目が涼しげな、上品かつ愛らしい少年だ。今はそれを人ならぬものとは感じていないが、不可思議で未知のものであることには変わりなかった。
「レオンだってば。ねえ、ゼロ?」
 名前を呼ばれた、それだけのことでひどく狼狽えていると自覚する。過去、貴族連中からは汚れものを見るような視線を向けられた記憶しかない。何も感じなかったわけではないが、自分は〝そういうもの〟なのだと納得もしていた。一方、親しげに名前を呼んでくる彼は──子供だから、まだいろいろと理解していないのかもしれない。
 しかし、次にレオンはゼロを混乱の淵に突き落とす。
「決めた。お前を僕の臣下にする」
「……???」
 にこりと笑った、その言葉が本当に理解できなかった。聞き間違いかと思ったほどだ。
「臣下。わからない? 部下とか、家来とか、そういうもの」
「単語の意味はわかってる。ただ、あんたの発言の意味がわからん」
「お前を僕の傍に置くってことだよ」
 レオンはごく簡単なことのようにさらりと言う。やはり理解に苦しむゼロは表情を強張らせる。
「……それは、なんだ、告白か?」
「は?」
「あ、いや……」
 自分で言った言葉に、自分で気恥ずかしくなってしまう。おかしい、調子が出ない。貧民街にはこんなに綺麗な子供はいなかった。だから、きっと、そのせいだ。そう思うことにする。
「……血の匂いがする」
 唐突かつ物騒な言葉ではあったが、不思議とこの美しい少年に似合ってもいる、とゼロは感じた。
「怪我をしてるね」
「擦り傷だが」
 レオンは物入れの中をごそごそと漁って杖を取り出した。
「まだ覚えてる、かな。そこに座って」
 ゼロは指し示されるままに寝台に腰掛ける。座面は想像したものより遥かに柔らかく、沈み込む身体に少し戸惑ってしまった。
「誘ってるのか? マセてるんだな」
 何か喋っていないと居心地が悪い。レオンはそんなゼロの言葉を完全に無視して杖に集中する。ぽうっと暖かな光が灯り、ゼロの身体を包み、傷を癒していく。
「お優しいことで」
「でも、哀れみではないと思うよ」
「え?」
「ちょっと前、話してたでしょ。お前を殺さなかった理由」
「あー……」
 そんな事も言ったか、と思う。少し前の話だろうに、どうにも展開がめまぐるしいと感じる。疲れているのかもしれない。
「お前に興味があるんだ」
 真っ直ぐに瞳を見て言われ、ゼロはドキリとしながら視線を落とした。外見こそ十歳にも満たない風だが、レオンは言葉や態度が妙に大人びている。そのアンバランスさに、なぜだか心臓がざわめく。軽口を叩く気が失せたのは、相手を戸惑わせるより自分が足元を掬われることを恐れたせいだ。
「命乞いをしない人間なんて初めて見た。それどころか殺せだなんて」
「そんなに……」
 違和感に、ゼロは眉を顰める。
「何?」
「そんなに言うほど人間の死に際を見てきたっていうのか?」
「そうだよ。全部僕がやったわけじゃないけど」
「あんたみたいな、幼い……王子が」
 表情も変えずに答えるレオンに、ゼロは尚更奇妙なものを感じていた。少ない物資や食料を巡っての殺し合いとは無縁と思える王子が、なぜ、何のためにその小さな手を汚してきたというのか。
「見た目はそうかもしれない。でも僕はもう、一人で何でもできるからね。あの人みたいに周りに構ってもらわなくたっていいし、王子っていっても、マークス王子のほかは……こんな話は、まだいいかな」
 レオンの言葉の大半は、今のゼロには理解できなかった。ただ、一人で何でもできるという言葉に、一刻前に見た神々しいとさえ思える少年の姿が頭を過った。虚栄ではないのだろうと思う。しかし、漠然とした歪みも感じる。
「とにかくね、殺せって、お前が僕に言ったんだよ。預けられた命をどうしようと僕の自由でしょ。だからお前を僕の臣下にする」
「まあ……それもそう、か……?」
 納得はできないが、死ぬことまで覚悟した後で彼を拒絶する理由もなかった。
 ゼロは恵まれた人間をそれだけで嫌忌するきらいがある。しかしそれがレオンに対しては湧いていなかった。一目見た瞬間から、彼は特別すぎたのかもしれない。理解不能な美しい生物への戸惑いと──ああ、興味とは、こういうことか。レオンの言葉の一端にだけは同意することができる。
「いいぜ。あんたの臣下になろう、王子サマ」
「レオン。レオン様って呼んで」
 間髪入れずに正す。王子とばかり呼ばれるのは、実はあまり気分が良くない。
「レ、レオン……様」
「うん。期待してるよ、ゼロ」
 何かむず痒い、しかし悪くはない感触に戸惑うゼロの内心など知る由もなく、レオンはふぁあと欠伸をした。
 意外に子供っぽい仕草だと感じたが、年相応であろうとすぐに思い直す。彼には概念を揺るがされて仕方がない。
「あとは明日にしようか。今日はとりあえずこの部屋で寝て。僕が魔法を使ったから兵士が来たってだけで、普段はこんなとこ僕くらいしか来ないからさ。……逃げようなんて思わないことだよ。まだお伺いは立ててないから、不審者と思われて殺されたってしょうがないんだからね」

 一人になった部屋で、ゼロは考える。
 今まで、生きるためならば何でもしてきた。売れるものは何でも売った。どんな人間の言うことでも聞いた。この手も身体も汚れきっている。そこまでして、あの塵溜めのような街で、生きることに執着していた。
 それが、仲間に裏切られたと理解した瞬間に全てどうでもよくなってしまった。不思議だった。自分の前に現れた、明らかに城の人間と見える身綺麗な少年に、地面を這って媚び諂うことだってできたはずなのだ。今までならば確実にそうしていた。
 怒り、悔しさ、悲しみ、何かに執着する感情が、あの時は一切失せていた。絶望と諦めしかなかった。
 そしてきっと、彼になら殺されても構わないと感じていた。いっそ終わらせて欲しいと。
「ああ……」
 誰に聞かせるでもなく、何か納得したかのように、低く唸った。
 終わったのかもしれない。今までの生活は終わり、自分はあの時あの場所で死んだのかもしれない。レオンの手によって、望み通りに、殺されたのかもしれない。
 美しい少年だった。少しの間、薄暗い部屋に居ただけだというのに、目の前に簡単にその像を描くことができる。真っ直ぐな背筋をして、指先の動きまでも優美で、けぶるような長い睫毛の下の、視線はどこか憂いを帯びて──
 期待などしない。王族にとって下層の人間の生き死になど取るに足らないことに違いないのだ。興味本位で拾われただけ、飽きれば棄てられる、それだけのものだと思っていれば良い。
 もしくはこれは死に際に見ている夢なのかもしれない。
『期待してるよ、ゼロ』
 綺麗な唇が自分の名前を呼んで満足げに微笑する。
 幸せな夢だ。

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