3.
「ゼロ、お前の言ってたこと、正しいかもしれないよ」
「は……」
月明かりの差し込む闇の中、神妙な調子で言ったレオンに、ゼロは短く答えて真剣な眼差しを向ける。
「ヴィクトル王子の遣いから言伝があった。話をしたいから一人で来いってさ」
「……行くんですか」
「ああ。僕は〝ヴィクトル王子に〟会いに行く。一対一なら、何の問題もないだろう?」
レオンはゼロを見据え、綺麗に唇を歪めた。
今日の主は、初めて出会ったあの日の断罪者に似ている。
人気のない離宮の、祭壇のある広間で、双子の兄王子は待っていた。
黒いフードを被った小柄な体躯を部屋の入り口に認めると、満足げに目を細める。
「来たね、レオン王子」
「何なの? こんな夜中に」
暗幕の中から現れた、淡い金髪がさらりと踊った。
服務の時間はとうに過ぎている。レオンはブラウス、パンツ、ブーツという私服の軽装の上に、黒いローブを羽織り、その下には剣と魔道書を身に付けていた。
気怠げに答えるレオンを睨みつけ、ヴィクトルは剣を抜く。
レオンは嫌悪感を隠さない。
「野蛮だね、弟王子に剣を向けるなんて」
「黙れ。お前の母親のせいで、私の母上が恥をかいたのだ。いつもいつも、優しい母上はあの売女のせいで、心を患うほどに……! 決闘だ、お前も剣を抜け!」
感情を高ぶらせ捲し立てるヴィクトルと対照的に、レオンは冷ややかだ。
「は? なんで母親の問題で僕が戦わなきゃいけないわけ?」
「お前の親だろう!?」
「知らない、あんな人」
母親に対する他人行儀な態度が、ヴィクトルの神経を逆撫でする。
父親には殆ど構われなかった。弟は半身のようなもので、何より大切に思っているのはおそらく母親だ。同じ境遇ならば誰しもそうだと思っていた。しかしレオンは違うようだった。それを感じ取った時から、いけ好かないとは思っていたのだ。
愛する母のために、母に害をなす女の息子を殺す。王子であるレオンを失えば、その母親もここには居られなくなる。
「剣を抜け。本気で行くぞっ……!」
ヴィクトルは剣を構え、強く地面を蹴る。
「どうぞ」
レオンは静かな動作で手を胸の前に掲げ、魔法の盾を精製し攻撃を受け流す。
「くっ……!」
「お前の命令なんてきかない。僕は母親のためになんて戦わない。でも、殺されるわけにはいかないからね。いいよ、来て。〝一人で〟僕に勝てるのならね」
薄ら笑みを張り付かせたレオンの表情に寒気がした。視線が泳ぐ。
「何を探してるのかな。いや、〝誰を〟? 今日は片割れはいないの? 仲良しの。お兄さん? 弟? どっちでもいいけどさ」
ヴィクトルはいよいよ顔色を変えた。
「お、お前、ヴァレリーをどこにやったんだ!」
「はぁ? 本当に言い掛かりが好きだね。それに、すぐに取り乱す。こんな人が紛いなりにも兄だなんて恥ずかしいよ」
レオンの落ち着いた態度、そこから垣間見える余裕が、余計に兄王子を焦らせる。
「ヴァレリーをっ!」
取り乱して振り回されただけの刃を、レオンはひらりと躱して後ろに跳ぶ。ゆったりとしたローブが大きくひらめいて作り出した漆黒の、背後から唐突に人影が現れた、とヴィクトルの目には見えた。
現れた男──銀髪に眼帯の、レオンの従者が、肩に担いだ黒い塊をどさりと床に下ろす。
「お探しの弟君はコチラですか? ヴィクトル王子サマ」
「う、うぅ……」
芋虫のように転がされたのは、手足を縛られ猿轡を噛まされたヴァレリーだった。
「ヴァレリー! 貴様ら、卑怯なっ……!」
弟への仕打ちのせいもあるだろうが、ニヤニヤとさも愉しそうに嗤う男に、ヴィクトルは生理的な嫌悪感を抱いていた。地下街の出身だと聞いた。道理で、とは思う。
「あっはっはっは! 面白いことをおっしゃいますね王子サマ? これで二対二、恨みっこなしだ。……ちょっと可愛がってやったら、二人掛かりでレオン様をヤるつもりだったって吐いたぜ」
弟に駆け寄ろうとするヴィクトルに、ゼロは短剣を突きつける。
「それはちょっと、都合が良すぎるんじゃないですか?」
「黙れ! 王族同士の戦いに手を出すな、薄汚いドブネズミが!」
「ゼロ、下がれ」
冷めきって澄んだ声を聞き、ゼロは考えるよりも反射的に飛び退いていた。
青白い燐光がレオンの身体を包む。掲げた指の先から生まれた爆発的な熱量により球状に歪んだ空間が、ヴィクトルの身体を捕らえていた。
「ぁっ……!?」
驚いた顔で口を開けて息を吸ったきり、断末魔さえ上げずに少年の身体は崩壊して塵と化す。そこには亡骸も残らない。
「あんたには、命乞いの時間もやらない」
「うぅー……! うぅう……」
兄を失った悲しみの叫びなのだろうが、口を塞がれた状態では間抜けにしか聞こえない。
「今のは重力の魔法の応用。ごく細かな単位で比重を弄ってやれば、物は簡単に元の形を失う」
何の感情も同情も込めず、地面の石を見つめるのと変わらない視線でレオンは床に転がる塊を見る。
「正当防衛だよ? 僕はあんたたちに呼び出されて決闘を申し込まれた。だから僕は戦った」
「う……うっ……」
涙を流すヴァレリーに、レオンは心を動かされなかったわけではない。それが人だとかどこが顔だとか、もはや認識する気もないのだ。
「片割れ一人残ったって生きていけないよね。あんたたちはいつだって二人だったんだから」
レオンの指先に、淡く光が集まり始める。
「待ってください、レオン様」
ヴァレリーとレオンの間にゼロが立ち塞がる。レオンは怪訝な顔をしたが、ゼロの行動を咎めず指先の光を消した。
ゼロは屈み込み、ヴァレリーの身体を抱き起こす。
土埃と涙で汚れた顔が、一筋の光に期待の篭った眼差しを向ける。
「……っ!!」
その目は次の瞬間、絶望に見開かれていた。
掻き切られた喉がひゅうひゅうと音を立てる。
ゼロはヴァレリーのマントを使って器用に返り血を受け、それを死を待つのみとなった身体に被せた。
立ち上がり、短剣を捨て、レオンに向き直る。
「勝手な真似をして、申し訳ありません」
「へえ……」
作りものでない笑みが、自然と口元から溢れる。高揚している自覚はある。充分に詠唱せずに魔力を解放したせいか、立ち込める血の匂いのせいか。一番は、ゼロの行いに対してだろう。
「王族殺しの罪は重いよ?」
「構いません」
あなたのためならば。
「ふふ、嘘だよ。お前の情報のおかげで彼らを警戒することができたからね」
一歩、二歩、勿体つけるようにゆっくりと、ゼロに歩み寄る。
「本当にさ、下らないよね。あの人がどう足掻いたって、妾の子供が数を減らし合ったって、何も変わらないのに」
「もう、わかっただろう? お前がイメージしてた王子様とは違うと思うから、今日のお礼も込めて、最後に選ばせてあげる」
至近まで来て、ゼロの顔を仰ぐように覗き込む。
「ゼロ。お前は僕の眷族になれる?」
「もちろんです」
即答に近い早さで頷いたゼロに対して、レオンは思わず笑ってしまった。
「なにそれ、僕は強要する気じゃないんだよ、ちゃんと考えたの?」
「迷うことなどありません。俺はあなたに仕えたい」
「……」
真摯な言葉と瞳の光に、得体の知れない感触が込み上げる。
早く。早く、二人の儀式をしよう。
「眷族になるには、王族に伝わる儀式が必要で。お前に僕の血を少し舐めて欲しいんだ」
「血を?」
「血筋とか出自とか、そういう下らないものを、ここでは重く見るからさ。……面倒だし、そのままでいいよね」
レオンは袖を捲り、護身用のナイフを白い手首に当てた。ゼロに見せつけるように掲げ、浅く、しかし血が流れ出る程度に刃を立てる。
じわり、白磁に滲み出した鮮烈な赤色に、ゼロは跪く。
差し出されるまま、直接唇をつけてそれを啜った。
甘い。甘美な主の体液とまだ柔らかな肌の感触に、身体中を支配される、錯覚をする。
薄い皮膚に舌を這わせ、一滴も零さないようにと丁寧に舐め取る。ぴちゃりと、水音がした。
溶ける視線が絡み合う。唇から溢れる息が濡れている。
「足りないよね……?」
レオンはシャツの胸元を開き、白い胸に銀の刃を寄せる。
望まれるまま、或いは望むままに、ゼロはそれを賜り貪った。
◇
低く落ちた月の柔らかな輪廓に、影絵の城の尖塔が突き刺さる。
生ぬるい想いは、いつしか身体ごと絡め取られていた。
了