さかしまな恋人

「藤真監督を見にきたのか?」
 自らをそう呼んだ通り、今しがた翔陽の試合が行われたばかりの会場だというのに、藤真は制服のワイシャツとスラックスの上に翔陽バスケ部のジャンパーを羽織っている。対する牧は海南の制服姿だ。愉しげに上がった整った眉は、しかし牧が口を開くや怪訝な様子で眉間に寄っていた。
「いや……」
「いや!?」
「相手の学校のことも気になって」
 牧は自分のように天邪鬼を言う性質ではないと知っている。以前など、まだ今ほど親しくなってもいなかったのに『藤真を見にきた』だの照れもせず言い放っていたのだ、少し前に監督の時間を終えた藤真は、すこぶる面白くないと顔に書いて言った。
「どっちにしろお前は新人戦出ねーじゃん」
「いいだろう別に。試合を見るのが好きなんだ」
「珍しいくらい素っ気ねーな」
 俯くと目に掛かるくらいの前髪の間から、怪しむような、勘繰るような瞳が覗いている。愛らしい印象を抱かせる仕業に懐柔されそうになりながら、牧は頭を掻いた。海南も似たような方針ではあるが、新人戦に藤真が選手として出場しないことはわかっていた。そして監督としてベンチに座る彼を見ていたいかと問われれば、興味と物寂しさの半々といったところだ。
 こちらを覗き込む瞳が細められ、小ぶりな唇に柔らかな笑みが浮かぶ。自らの容姿が、その表情が相手にもたらす影響を心得たうえで藤真がそれを為すのだとよく知っているから、牧は憮然として唇を引き結んだ。警戒しているのだ。
「牧クン、このあとのご予定は?」
「学校に戻って練習だ」
「つれねーな。ま、海南は選抜あるしな」
 それもあるし、そもそも別の日に夜のデートを予定している。これは藤真のお遊びの悪ふざけに違いないのだ。
「お前だって学校に戻ってなんかあるんじゃないのか、監督よ」
「あるよ。今日のダメ出しとか自主練とか」
 反省点の洗い出しは主に自分に対してで、自主練は自分も他の選手も両方だ。
「まあ、先に帰ってろって言ってあるから、少し帰りが遅くなるくらいなら平気」
「俺は平気じゃない」
 にこりと笑った顔貌から目を逸らし、牧は歯切れ悪く呟いた。言葉の淀みを掬われたのか、単に気にしなかっただけか、藤真は牧の袖をちょんと引っ張って離した。移動を促すときの癖だった。
「トイレ寄ってこうぜ」
 返事を聞かずに歩き出した藤真のあとを、トイレくらいならいいかと付いて行く。体育館のトイレを無視したのは混んでいるためだろうが、それにしても藤真が迷いなく歩くのが不思議だった。ここは翔陽でも海南でもない、試合会場になっている別の高校だ。
「詳しいな?」
「知り合いがいて、何回か来たことあって」
 白く真新しい別棟の渡り廊下を歩くと、人気のない男子トイレに辿り着いた。牧の前を歩いていた藤真はくるりと牧の背後に回り、広い背中を個室に押し込む。
「おいっ!?」
 そして自分も一緒に入って鍵を掛け、牧の胸に思い切り抱きついた。牧はその直前、藤真の口元に笑みを見た気がしていた。
 しー、と息で言いながら唇の前に指を立てる、仕草と表情に言葉は失せてしまった。人差し指を握り、拳ごと手の中に包んで胸元まで下ろし、唇を重ねる。藤真の鼻から息が漏れて頬をくすぐった。笑ったのだと思う。
 目を閉じて柔らかな感触に沈み、背中に腕を回して体を密着させる、ごく穏やかな接触に、心臓が暴れるように高鳴り、沸き立った血が身体中を激しく循環する。二人の総意かのように触れ合う舌先はねっとりと絡み合い、キスよりも先の行為を連想させた。
「っ……!」
 股間を撫で上げられると、牧は仰け反って唇を離した。
「おいっ、お前なにを」
 外に人の気配はない。試合会場の体育館からも離れた場所だが、それでも極力声を潜めた。
「なにって、こんな風にして、他になんかあるのかよ?」
 藤真は牧のズボンの前を寛げ、下着越しにでもしっかりと感触を伝えるように硬い隆起を執拗に撫でた。
「あっ、おいっ、よせっ…」
 体の自由を奪われているでもなし、止めさせようと思えばどうにでもできるはずだ。しかし牧はそれをしない。藤真は心底愉快な気分で牧の前にしゃがみ、窮屈そうな下着をずり下ろした。頭をもたげた男根が待ちわびていたかのように、そして自らの大きさと重さを誇示するようにこぼれ出す。地黒もあって色濃く黒光りし、裏筋と太い血管を浮き立たせる逞しいそれを目前にして、藤真は明確な興奮を自覚していた。
(なんだろう。どうしてこんなに……)
 手指で根元を支え、目の前に聳え立つ男根と牧の顔とを同じ視界に入れて眺める。それとは逆の光景を見ているであろう牧が唾を飲む音が聞こえた。
「藤真……」
 清楚ですらある微笑と醜い欲望の対比に、どうにかなりそうなくらいに興奮していた。こんなところで、よくないことだ、やめてくれ──そう頭で弱く呟きながら、肉体は相反し期待に震える。藤真はにこりと笑い、上品な桜色の唇から赤々とした舌を覗かせ、ねっとりと裏筋を舐め上げた。
「っ…! あぁ…」
 先端を咥え込まれると思わず声が漏れた。暖かく濡れた粘膜で包み込み、甘えるように舌を絡めていたかと思うと、尖らせた舌先で敏感な先端部を執拗に嬲る。緩急をつけて与えられる快楽は、それ自体が藤真に似ていると思った。
「っ……」
 荒々しく呼吸しながら、小さな頭を手のひらに包んで愛おしげに撫でる。さらさらと指をこぼれる柔らかな髪も、伏せた睫毛も清廉な印象でありながら、その儚い唇は爛れた欲望をさも旨そうにしゃぶっている。淫らで浅ましく、堪らなく魅力的だ。
 ちゅぱ、とわざとらしくいやらしい音を立てて唇を離し、藤真は得意げに笑った。
「オレも結構フェラ上手くなったんじゃないか?」
「……こんなところで試さなくたっていいだろう」
 色素の薄い瞳から、ねぶるような視線が絡みつく。
「すげー、全然説得力ないんだけど」
 そしてうっとりと目を細め、期待にその身を震わせる逞しい幹を愛おしむように手の中に捕まえ、音を立てて何度もキスをした。牧は堪らず呟く。
「藤真……挿れたい」
「お口にな」
 藤真は意地悪く笑い、再びそれを口腔へ導いた。最後までする気なら無理にでもホテルに連れて行ったし、こんなところでただの穴になってやるつもりもない。明確に絶頂へ導くよう、手と口を使ってピストンの動作をする。唾液と体液の入り混じったものがしきりに下品な水音を立てた。
「あぁ……藤真……」
 大きな手は優しい仕草で傲慢に、藤真の頭を固定して、腰を動かし口腔を犯す。
「ンッ、んぅ、んぐ…」
 敏感な喉奥に亀頭を擦り付けられ、えずきそうになりながら、藤真は異様とさえ感じる興奮の只中にいた。中学時代の初めてのセックスにだってこんな感覚はなかったと思う。相手が男だからなのか、牧だからなのか──つまりこれは背徳感なのだろうか。
 唇を窄め、夢中で舌を使い、口淫に耽る。牧が音を上げるまでに、そう長くは掛からなかった。
「っ…出る……藤真、出すぞ…!」
「うん…」
 くぐもった肯定の呻きに、ボルテージは最高潮に上り詰める。
「ッ……!」
 体の中心から迸る強烈な快感の中、長い睫毛の烟る瞳が苦しげに細められながら微笑して、白い喉は嚥下の音を立てる。健気だ。居た堪れない。ただひたすらに愛おしい。
(藤真……好きだ……)
 強くそう感じながら、あまりに即物的すぎる気がして、この場で声にすることはできなかった。

 定められた学区によって通うだけの公立の中学にも柄はある。土地柄もあれば、校風や伝統によるものもあるだろう。例えば和光中は不良校とされていて、実際は善良で無害な生徒のほうが多いのだが、「あの和光中の」と枕詞がつけばまず不良生徒のことだった。
 藤真の通っていた中学にもそういった柄、色は存在していた。中学時代の当人の知るところではなかったが、高校に進んで他校出身の者から聞いた評判は、遠慮がちには「進んでる」あけすけな言葉では「チャラい」「やりまくってるって聞いた」というものだった。
 藤真の一家四人が暮らす家が建ったよりもあとにできた新しい中学で、垢抜けたデザインの制服と縛りの少ない校則、伝統のなさも相まって奔放な気風となっていったものだった。我が子の生まれつきの髪色を指導されることを嫌っていた母親は、それがないだけで満足していた様子だった。
 母校の評判がどうであれ、藤真はごく平均的で優良な生徒だった──つもりだった。高校一年のオリエンテーション合宿の就寝時、彼女はいるか、経験があるかという話題になったとき、まったく無邪気に「童貞ってなんで? 中学行ってなかったのか?」と言って大顰蹙を買い、部屋中から枕の雨が降り注いだことは忘れていない。花形が身を呈して庇ってくれたことも一応覚えている。
 普通に過ごしているうちに当たり前に彼女ができ、通過儀礼かのように行為もした。皆そんなものだろうと思っていたし、それについて今更思い出せるほどの感慨はない。人並みに性欲も興味もあったろうが、いわゆる童貞の同級生たちが抱く幻想も嫉妬も過剰な反応としか思えなかった。
(牧、遅せえな……)
 今日は牧の最寄りではなく、二人がアクセスしやすい場所に目星をつけて待ち合わせている。手持ち無沙汰で髪を弄ると、一年のときは大分短くしていたと思い出す。出身中学を言うと大抵「わかる」と言われたのが嫌で、スポーツマンらしい外見にしようと試みたのだが、短いままを保つのが思ったより面倒で、すぐに伸ばし気味になってしまった。そのうち〝翔陽のルーキー〟としての話題が遥かに多くなり、中学のことは部活が弱かった程度の話しか出なくなっていった。
「藤真、すまん、待ったか?」
「全然?」
 さほど暇とも感じなかったので反射的にそう言ってしまったが、待たなかったわけでもなかった。妙に模範的な返答をした自分に思わず笑ってしまった。
「どうした、なんかおかしいか?」
「いや。……行こうか」
 日の入りの早い季節、空はとうに暗かったが、人々の行き交う道はまだ活気もあって明るい。曲線的な黒い街灯が暖色を灯すレンガ壁の通りには、小規模な飲食店がいくつも立ち並んでいた。
「今日の店ってなに系?」
「肉系だな。スペイン風の、なんて言ったか」
「スペイン? パスタとか?」
「それはイタリアじゃないか?」
「まあとりあえず肉ってことだな!」
 非常に大雑把に納得しながら、赤いドアとワイン樽が特徴的な店先に辿り着く。手書きの黒板によると肉とワインを推しているようだ。中に入ると、落ち着いた照明の店内はバーのような雰囲気で、焼肉店のような騒がしい印象はなかった。予約の名前を告げるとテーブル席に案内され、ドリンクとフードのメニューを渡される。店員が去ると藤真はさも愉快そうに笑った。
「ドリンクメニュー、思っきし酒のページ出されたな」
「ワインをウリにしてる店だからじゃないか? 」
「……どうだろね」
 牧が未成年に見えないためだろうと思ったが、彼にとって日常的なことならばいちいち気に留めないかもしれないとも思った。
「おすすめのワインと一緒に食ったら、肉がもっと旨くなるのかな」
「藤真、だめだぞ」
「わかってるって、ただのソボクな疑問。オレ、酒なんて飲まないし」
 未成年なのだから世間的には当然のことだが、牧は意外そうに目を瞬く。
「全然飲まないのか?」
「正月に親戚に勧められても拒否るくらいに飲まないな。味がまずいし。えーとじゃあグレープフルーツジュース」
 店員を呼び、とりあえずドリンクのみを注文する。牧は烏龍茶にした。
「なんで? 飲みそうに見える?」
「いや、酒というより、なんだ、ませてるというか……」
 ああ、と藤真は納得したように呟いた。そして目を据わらせる。
「お前さあ、言葉のセレクトまでおっさんみたいなんだけど」
「そ、そうか? なんて言うべきなんだ?」
「真面目な生徒のつもりだったから、酒タバコやってるやつは避けてた。エロいことは周りみんなしてたし、別に悪いことじゃないと思ってたから成り行きで。……中学の話な。翔陽はお上品だから。牧は? 飲みそうな言い方だけど」
「自分からは飲まないな。親戚が集まるような場だと勧められるが」
「だよな! やっぱ親戚のおっさんって酒飲ませようとしてくるよなー法律違反だっつーの。てか食べ物頼もうぜ。肉、野菜、生ハム!」
 言いながら、フードメニューを開いて牧に差し出す。
「肉の部位、好きなのあるか? 盛り合わせもあるが」
「盛りにしとこうぜ。あとソーセージもいいな、でっかくてぶっといソーセージ♡」
「……うむ」
 余計なことを言ったら負けだと思いながら、牧は控えめに頷いた。
「お前だって好きじゃんか」
「そんなこと言ったかな……」
 多少品位に欠けるところもあるが、言い合いながらメニューを選ぶのは楽しいものだった。ドリンクを運んできた店員に食事を注文し、各々グラスを手にする。
「はい。じゃおつかれ〜」
「お疲れさん」
 グラスを軽く合わせると、透明な曲線の縁が澄んだいい音を立てた。休日とはいえしっかりと練習や諸々の雑務をこなしてきたから、言葉だけのことでもない。
「……はぁ〜っ」
 喉を鳴らして大きく息を吐いた藤真を、牧は微笑ましい気持ちで眺める。
「実際、疲れてるんじゃないのか?」
「まあ今は平気、別腹って感じ。一人で居てやることないほうが却ってだるい感じする」
「それはあるな。俺も今は全然疲れてないぞ」
「……それって、このあと頑張っちゃうぞ〜みたいな意味?」
「お望みなら」
 見慣れてもなお高校生らしくは見えない、余裕を含んだ笑顔から目を逸らし、藤真は細く長く息を吐いた。牧は斜め後ろをちらりと顧みる。
「カウンター席いいな」
「作ってるとこ見たいから?」
「いや、ああいうの」
 牧が視線で示した先には、体を寄せ合って座るカップルの後ろ姿が見える。
「オレ男の子なんですけど?」
「知ってる。お前を女だと思ったことはない」
 藤真はにわかに押し黙る。天然だと言って笑うこともあるが、牧の感覚はときおり不思議だ。ただ、気遣いも恥じらいも何もなくカップルのように振る舞いたいと言われたことは、なぜだか嬉しかった。熱くなった頬を冷ますように頬杖をつき、牧を上目で見つめる。
「さすがに外でああいうのしたいって言われたら拒否るけど」
 そしてテーブルの下で牧の脚に自分の脚を絡めた。
「ん、狭かったか? すまん」
「ちげーよ! お前、話の流れ」
「……ああ、そういうことか!」
 たまたまぶつかったわけではなく故意のボディタッチだったと気づいたものの、時すでに遅し、藤真の機嫌は損ねてしまったようだ。
「もういい、もうしないし」
「そんなこと言わないでくれ」
 バーニャカウダが運ばれてきたのを見て、藤真はテーブルの上に広げたままにしていたメニューを片付け始める。牧は楽しげに脚を伸ばし藤真の脚に絡めた。
(今すんなよ!)
「藤真、嫌いな野菜とかはないのか?」
 何食わぬ顔で聞いてくる牧を睨みつけ、不思議そうな店員に愛想笑いを送り──そんな調子で戯れ合いながら食事を楽しんだ。

「さて、肉欲を満たしたあとは……」
 店の外へ出ると、藤真は腹をさすり、猫のように目を細めて牧を見た。牧はすぐにでもキスしたい衝動を抑え、ただ体を寄せる。
「もっと肉欲を満たさないとな」
 歩くうちに賑わいは消え、街灯の光は青白く寒々しいものになり、間隔も広くなっていった。それでもぽつぽつと人が歩くのはこの先に目的があるからだ。
 じきにピンク、紫、青などの電光看板で照らされるばかりになった路地は、その光量とは裏腹に陰の印象ばかりを与える。身を寄せ合って歩くカップルは擦れ違う同類からなんともなしに目を逸らす。不干渉で私的な街だった。
「ドキドキする。しない?」
 愉しげに笑う、藤真の顔貌はピンクの光に照らされている。表情そのものは子供っぽいのかもしれなかったが、整った造形と今の二人の状況とがそこに大人びた色を加え、アンバランスな印象を与えた。それは非常に危うげで、だからこそ強く心を惹きつける。
「……する」
 ホテル街の路上でキスしている人間がいても誰も気に留めないのではないかと思ったが、もう少しの辛抱だ、と牧はぎこちない動作で顔を背けた。
 付近のホテルならどこも大差はないだろうと思いつつ、それでも比較的外観の新しいところを選んで入り、室内写真の掲載されたパネルの前に立ち止まる。幸い、いくつか空室があるようだ。
「どの部屋がいい?」
「なんでもいいよ」
 藤真はろくに見る気がないようだ。照れているのだろうか。牧の目には各部屋にさほどの差があるようには見えず、気の逸る中で間違い探しをしたくもなかったので、適当に上の階の部屋を選んだ。フロントに休憩と告げて鍵を受け取り、エレベーターに乗り込む。
「……」
「……」
 なんとなく二人とも沈黙してしまいながら目的の部屋に辿り着く。牧が部屋のドアを開けると、先に室内に進んだ藤真が声を上げた。
「うわっ……牧……」
 室内には至る所に鏡が設置されていた。特に大きくて目に付くのはベッドのすぐ横の壁だろうか。広い部屋ではなく、キングサイズのベッドと鏡の間にさほどの距離はない。
「こんな部屋だったのか。気づかなかった」
「部屋選んだの牧じゃんか」
「写真だとどれも同じように見えたんだ」
「ほんとかよ。まあラブホだし、いつもと違っていいけどさ」
 アウターを脱いでハンガーに掛けると、二人並んで鏡の前に立ち、映し出される姿をじっと見つめる。そして顔を見合わせた。
「二人並んでる感じ見るのって、意外とレアじゃねえ?」
 傍目にはいくらでもあるだろうが、当人達がそれを目にする機会ということだ。
「ああ。試合中の写真なんかはあるが」
「大体動いてるときのだしな」
 牧は藤真の腰に腕を回して抱き寄せる。自分より小柄で細身だとは思っていたものの、客観的に見比べると想像以上に華奢に見えた。
「お前、思ってたより小さいな。身長サバ読んでないか?」
「うるせー。デカいやつがデカすぎるから地味に感じるだけで、六センチの差って結構だぞ。そんで体重十三キロ違ってそのぶんのガタイだぜ、そりゃ小さくも見えるだろ」
「おお、俺の身長体重なんて覚えててくれたんだな」
 牧は照れくささと嬉しさとで相好を崩す。藤真はにわかに頬を染めた。
「べ、別にお前だけじゃなくて海南の選手全員チェックしたし!」
「藤真、頭小さいな」
 頭を傾けて寄せながら、自分の顔が規格外に大きいわけではないという思いも込めて言った。
「今気づいたのかよ」
「いや、俺の手がでかいせいかと」
「まあ、それもあるだろうな」
 大きな褐色の手が小さな顎を捕まえると、目を細めた牧の顔が近づいてくる。釣られて閉ざした瞳を、横に向けて開くと、鏡の中で思い切り目が合って、二人揃って笑ってしまった。
「エロへの好奇心を抑えられない二人であった」
 言いつつ藤真は牧に抱きついたり、胸に顔を埋めてみたりしている。自らの視点で見る姿ももちろん好いのだが、鏡に映る〝二人〟の姿は違った興奮を煽るものだった。牧は堪らず藤真をベッドの上に押し崩す。
「うおっ!」
 自らの下で溺れるようにもがく体を抱き竦め、改めて鏡を見る。身長がわからなくなった状態では藤真はなおさら小柄に見えたし、外見年齢についても自分で狼狽えるほどで、いい大人が年の離れた少年にいかがわしいことをしようとしているようにしか見えない。
「俺、お前に手を出してよかったんだろうか……」
「はぁ?」
「思いのほか犯罪っぽいというか……夜中一緒に歩いてたら職務質問されそうだ」
「男だから平気じゃね? 女子だったら援交に見えそうだけど」
 男子高校生を買いたい大人だっているだろうし、自分の姿を見てから物を言ってはどうかと思ったが、口には出さなかった。
「今日カバンにローション入ってるからな……」
「職質やべーな。帰り警官いたらダッシュで逃げようぜ」
「いや、それは余計怪しいと思うぞ」
 牧は藤真の体を転がし、うつ伏せにして伸し掛かり、なおも鑑賞に耽っているようだ。
「なに、犯罪臭に萎えた?」
「いや……むしろ興奮する……」
 言いつつ藤真の太腿を撫で上げ、布越しにではあるがしっかりと尻肉を掴んだ。
「っ…! 悪いやつ」
 笑ってしまいながら後ろを振り返ると、噛み付くように唇を塞がれた。
「んっ……」
 唇を、舌を、音を立てて吸われると、一気に体温が上昇したと感じる。しかし深く繋がるには体勢が悪い。もどかしい思いが伝わったのか、牧は顔を離して強く息を吐くと、勢いよく体を起こしてシャツを脱いだ。
 藤真も起き上がり、ベッドの上に座り込んだ格好で上衣から脱ぎ始める。ほどなくして、背後から褐色の腕が伸び、裸の上半身に巻きついた。藤真は前を寛げただけで下は脱いでいない状態だったが、牧はすでに一糸纏わぬ姿になっているようだ。
 白い胸を、腹を、褐色の手が這い回る。藤真は鏡の中に視線を釘付けて、息を乱し身を捩った。
「牧の肌色って、やっぱりエロい……」
「エロいのはお前のほうだろう?」
 牧は藤真の下着の中に手を突っ込み、ボトムをずり下ろして、形を主張し始めたものを引っ張り出す。下着の腰ゴムの上に竿だけ露出させた状態で、しきりにそれを弄ばれるものだから、藤真は顔を赤くして鏡の中の牧を睨みつけた。
「ちゃんと脱がせろ!」
 吐き捨てるように言って、残りの衣服を自ら脱ぎ捨てる。
「いい脱ぎっぷりだ」
 牧は藤真の耳元に呟き、耳の端をべろりと舐めた。
「んっ…!」
 それから首筋、肩へと軽いキスと舌での愛撫を繰り返す。無論視線は鏡の中だ。自分で為していることながら、背徳的で至極魅力的な光景だった。藤真が顔を背けながら視線を鏡に向けているのもまた堪らない。
「っ…お前の舌、エロい……」
「舌か?」
 ベッと、色気なくただ舌を出して見せる。
「いや、舐めてる顔かも……ふぁあんっ!」
 望み通りに首筋を舐めてやりながら、すでにツンと上を向いている胸の突起を両方一緒に摘まみ上げた。指先を素早く動かし、小刻みに刺激を与える。
「あんっ、あっ! 手つき、やらしっ…」
「お前こそ、こんなに乳首立てて」
「お前が触るからだろっ!」
 一方の手はそのままに、もう一方の手が股間に伸びた。
「ンっ…!」
「えらく興奮してるな?」
 すっかり濡れて涎を垂らす柔らかな先端部を、手のひらでぐりぐりと押し潰すように撫でる。
「あ゛っ、あぁ、だめっ…」
「お前はいつもそういうこと言って」
「あんっ、あ、あっ!」
 体液を塗り広げ、濡らされた性器を容赦なく扱かれて、藤真はしきりに体を震わせる。
「やだっ、すぐ、イッ…」
「イッていいぞ? 何度だってイかせてやる」
 しきりに首を横に振って手首を押さえつける、仕草が愛らしいのでひとまず止めてやる。
「それじゃあ、こっちだな」
 藤真の脚を後ろから抱え上げ、鏡の前に大股開きにさせる。脚の間の窄まりまでありありと晒され、藤真は真っ赤にした顔を思い切り背けた。
「せっかくだから見とけ」
 すっかり慣れた仕草で、自らの手にたっぷりとローションを垂らす。
「なにがせっかくっ! あぁっ…」
 嫌がるように声を上げても、陰茎から陰嚢へと濡らした手で撫でさすればさも快さそうに啼き、会陰から入り口に指を添えれば途端に大人しくなってしまう。しおらしくいじらしい態度が愛しくて堪らない。快楽の予感に震える、陰部の中心に指を突き立て呑み込ませていく。
「っあ……」
「ほら、脚持って……そう」
 藤真の手を掴み太腿を抱えさせ、根元まで押し込んだ指で内部を濡らし、ほぐすように探った。
「はぁっ…ぁっ…」
 自ら脚を押さえ、快感に目を細める妖美な横顔に煽られながら、藤真の体の前側に指を曲げる動作を繰り返す。
「ぅあっ! あんっ、それ、だめッ…」
「さっきから、ダメなところばっかりじゃないか」
「だって! あ゛っ! あぁぁっ、んぁぁぁっ…!」
 指が抜かれたかと思うや、二本に増やして挿入され、執拗にそこを犯すようにぐちぐちと掻き回される。内奥から起こる快感に、藤真は大きく仰け反って何度も体を跳ねさせながら、堪らず逃れるように腰を浮かせた。大きく揺れる性器の先端から、先走りの雫がねっとりと糸を引いて垂れ落ちる。鏡に映る姿態は、牧の目には快楽に善がり狂うようにしか見えなかった。
「お前、自分だけ愉しくなって……」
 指の動きを止めても求めるように入り口は痙攣し、全体がうねるように収縮して指を締め付けてくる。牧もそろそろ自らの衝動を無視できなくなっていた。
「ならとっとと挿れやがれ…!」
「ああ、そうするか」
 指を抜いてもそこは小さく口を開けたままで、続く快楽を待ちわびているかのようだった。牧は揚々とそこに昂りを押し当てる。その凶悪な大きさに、藤真は思わず首を反らせて声を上げた。
「ぁ、そんなん無理っ…!」
「お前、言動に一貫性がなさすぎるぞ」
 言葉こそ落ち着いている風だが、牧ももう限界だった。お喋りには付き合っていられないと、容赦なくそれを押し付け藤真の腰を沈めさせる。
「ひっ…! あぁ、あぁぁあっ…!」
「ほら、入ったじゃないか。見てみろ」
 繋がった箇所が灼けるように熱い。鏡の中で牧に抱えられる体は自覚よりもずっと細く頼りない印象で、それに対し随分と太いもので貫かれていた。あらぬ場所を信じられないほどに拡げて男の性器を呑み込んでいる、異様な光景に気が遠くなるが、興奮しているのもまた事実だった。
「ひゃあっ、んっ…!」
 褐色の手が背後から伸びていやらしく乳首を弄る。小さく体が跳ねると、戒めのように結合部に甘い痺れが走った。
「あぁっ、んぅ……」
 体を撫で回され、じっとしていられずにもぞもぞ身を捩るうち、内部に緩慢な快楽が生まれる。
「藤真、動けるか?」
 藤真は促されるまま、ゆっくりと体を持ち上げていく。
「あ、あぁ……」
 浅ましくM字に開いた白い脚の間から、色黒の男根が徐々にその長大な姿を現し、再び呑み込まれていく。
「すごいな、こんなの入って」
 牧は鏡を眺めながら、男根を咥え込む肉輪を愛おしげに指でなぞり、会陰を辿って陰嚢から裏筋へと、線を引くように指を這わせ、藤真の陰茎を握り込んで扱いた。
「んっ! ぁんっ、あぁ、やぁっ…」
 藤真は文字通り腰が砕けるといった様子で牧の上に座り込んでしまいながら、さも堪らないように高く喘いだ。
「藤真、動け」
 牧もベッドのスプリングを使って腰を揺らすが、そう大きな動きができる体勢でもない。藤真は牧にペースを合わせるように体を揺らした。
「あぐっ、あぁっ! あぁんっ…」
 鏡の中で、獰猛に張り詰めた男の性器が──牧の欲求が、自らの陰部をずぶずぶと出入りしている。視覚からもたらされる興奮は多大なもので、藤真は体の内と外から同時に犯されている感覚に陥りながら、夢中で腰を振った。体も、心も甘い疼きに支配されていく。
「そう……」
 淫らに体を揺らして喘ぐ恋人の姿を眺めながら、牧は極まった調子で息を吐いた。一方の手は藤真の動作を助けるように支え、もう一方ではあえかな体を愛撫する。
「あぅっ、あんっ、やっ…あぁっ…」
 下から突き上げる動作が早く、激しくなり、牧の手が明確に意思を持って前を扱いた。藤真は悲鳴のように声を上げる。
「あぁーっ! イッ…あぁっあぁぁっ…!」
 そして弱々しく喘ぎながら精液を吐き出した。収縮する粘膜に縛り上げられながら、牧もまた藤真の中で絶頂を迎えていた。
「あぁん……あぁ……っ」
 しきりに陰部を痙攣させながら、体から失せないままの快楽の余韻に細く声を漏らしていると、繋がったままの腰に逞しい腕が回され、背後から軽く耳を食まれる。
「ん…」
「バックでしようか」
 飽き足りない様子の牧に笑ってしまいながら頷いた。
 意地のように体を繋げたままで体勢を変え、鏡のほうに頭を向けて後背位の格好になり、二人はもうしばし愛し合った。

「牧は別に、オレと付き合う必要なかったよな」
 あまりに唐突なことに思わず吹き出してしまう、という状態に陥りそうになりながら、牧は傍らに横たわる藤真の首筋に額を寄せて顔を隠した。内容としては全く笑えるものではない。思考を落ち着けるための働きなのかもしれなかった。
「……いきなり、なんてことを言うんだ。機嫌損ねるようなことしたか?」
「ううん? そのまんま。必要なかっただろうなって思ったから。思わない?」
「お前がなにを言いたいのか……」
「別にさ、日々適当に授業受けて、バスケやって、それだけで結構な時間になって、オナニーして、それだけで不満も暇もなかっただろ」
 牧は藤真の横顔を見る。藤真は天井を眺めていて、表情というほどのものは見えない。しかし牧の目には、どことなくもの寂しげに映った。
「確かに、特別不満はなかったろうな。ゼロの状態だ。それが今はプラスの状態になった。必要ないことなんてない」
「セックス好き?」
「お前のことが好きだ」
 牧の真摯な表情が視界に入り、徐々に近づいてきて唇が重なる。柔らかな肌を味わうだけの、優しいくちづけだった。
(なんでそんな、即答できるんだろう……)
 不思議に感じるものの、心地は良かった。体を横たえているのに、目眩がしてどこか覚束ないように思えて、牧の背中に腕を回した。
 牧との行為は刺激的で魅力的だ。のめり込んでいる自覚はある。しかしそれだけのために彼を求めたわけではないのだろうとも感じる。
「監督のオレはどうよ?」
「え?」
 話題の切り替わりが唐突なことも珍しくはないが、前の会話については解決したのだろうか。とりあえずは成り行きに任せることにする。
「この前、新人戦見にきてただろ」
「ああ……大したもんだって、高頭監督が言ってた」
 秀眉がぴくりと跳ね、長い睫毛の下の瞳が呆れた色で睨めつける。
「お前の感想聞いてんだけど。もういいや一生聞かない」
「す、すまん。そうだな、采配じゃなくてお前を見てて思ったことだが、雰囲気が違うっつうか、なんだかいい子にしてるなって思ってた」
 への字に結ばれていた口元が、穏やかに緩む。
「いい子か! なるほどな。結構ちゃんと見てんじゃん」
 そして快活な笑みを浮かべた。どうやら機嫌は直ったらしい。
「最近ちょっと意識してんだ、監督モードみたいなの。やっぱ監督って落ち着いてないと頼りないだろ。目指すところは〝クール〟だな」
 高校に入った当初に多少素行を気にしたことと似たような感覚だった。藤真は楽しげに続ける。
「それじゃあ、監督じゃないときは悪い子?」
「だろうな。この前のあれとか……これとか」
「ま、悪いことは愉しいからな!」
 機嫌よく牧の頬にキスをして、ベッドを抜け出して浴室へ歩いた。

 帰りの身支度をしながら、藤真が思い出したように言った。
「そうだ、十二月はもう会うのやめとこうぜ」
 ごく軽い調子の言葉に牧は目を瞠る。
「お前、今日はやたら話題が唐突だな? 一度もか? もう決めるのか? 都合つけられる日だってあるんじゃないか?」
 十二月下旬にはウインターカップが控えている。忙しくなるとは話したが、牧は全く会わないまでのつもりではなかった。牧の狼狽えように、藤真は声を上げて笑った。
「翔陽のカントクが海南のエースをたぶらかして練習を疎かにさせたら大問題だろ」
「別に少しくらい平気だと思うんだが……」
 しかし、藤真がそう決めてしまったのなら覆すことはできないだろう。
「こっちだってそれなり忙しいんだ。選抜終わったあとならいいけど」
「そりゃそうだろうが」
 そうかー、うーん、と牧は納得したような、できないような様子で唸っている。
(あー……なんかすごい。なんだろう? これ)
 性欲のようなストレートなものではない、むずむずと込み上げ胸の内に暖かく拡がる情動のままに、藤真は牧をぎゅうと抱き、慰めるように背中をさすった。
「日数ある感じしたって、結構あっという間だぜ」
「……まあ、そうなんだろうな」
 牧は藤真を見返しながら、どうにも聞き分けの悪い自分に苦笑した。
「よし、帰るか」
 藤真は軽やかに言って体を離し、牧は室内を一瞥して名残惜しくも歩き出す。
 精算機で支払いを済ませ、廊下へのドアを開きながらこちらを顧みた牧の唇に、藤真は掠めるだけのキスをした。
「いい子にして待ってる」
 たおやかな笑みの下に、野蛮な衝動を押し込めて。

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