ボーイズ・ラブ

 すっかり体に馴染み、居心地のよくなったソファで寛ぎながら、藤真は部屋の主を見上げてふと思い出したかのように言った。
「牧ってさ、昔ゲイの先輩と付き合ってたって言ってたじゃん?」
「別に付き合ってはないぞ」
 牧は藤真の隣に腰を下ろしながら、次に何を切り出されるのかと微かに身構える。初めてその話をしたときには大して突っ込まれなかったはずだが、藤真はソファの肘掛けに頬杖をつき、疑惑ありげな目をこちらに向けている。
「割り切りでやったのな」
「まあ、そうだな」
 すでに終わったことだったし、過去に他の誰かと交際関係があったのは藤真も同じだ。引け目などないはずだが、牧は藤真から責め立てられているような気分になっていた。
「他には? 男」
「お前だけだ」
「じゃあ、付き合ったりやったりはしてないけどゲイの友達がいるとか」
 眉を顰めた藤真に、牧もまるで似たような表情をして返す。
「なんなんだ、一体なにを気にしてるんだお前は」
「だって、なんか牧ってやたらホモセックスに詳しい気がする」
 見慣れてもなお綺麗だと思える顔貌に、大真面目な表情を載せて言われた内容に、思わず脱力してしまった。
「……そりゃあまあ、お前とするときに困らないようにと思って、予習してるからな」
「予習? そんなのどうやって」
「その手の雑誌を買って」
「ああ! なる!」
「アナルだけに」
「しね!!!」
「物騒なことを言うんじゃない」
 藤真の唇の両横を親指と人差し指で軽く挟んで咎めると、唇がひよこのように前に突き出て愛らしかったが、すぐに手で払われてしまった。
「オレも雑誌買ったことあるんだ。お前と最初にやってから、ちゃんと知らないのどうかと思って」
「なんだ、一緒じゃないか。その割に初々しい反応をすることがあるような……」
 最初のときは藤真から誘ってきたようなものだったから、男とも初めてではないのだろうと思って先に進んだところがある。途中で勘付いたものの、同意はあったし、それを気にして行為を止められるような状況でもなかった。
「気になるページだけ読んですぐ捨てたから、そんなにいろいろ見てないんだよな」
 ゲイ雑誌を買ってはみたものの、グラビアなどを見ても興奮しないどころか気分が滅入ってしまい、気になった記事と読者コーナーを読んだくらいでそっと閉じてしまったのだった。
「なんてことを。もったいない」
「そうなんだよな。めちゃくちゃ勇気出して買ったんだから、もっと大事にすればよかったってあとで思った。でもそのときは部屋に時限爆弾があるみたいで、すげー落ち着かなくてさ」
「そんな、そこまでか? ……まあ、家族と住んでればそうなのかもしれないな」
「とにかく、先輩とはもう繋がってないってことでいいんだな!」
 藤真は光の粒子が見えるかのような晴れやかな笑顔を浮かべ、牧は足をすくわれた気分になっていた。行為の知識についての話題かと思ったが、結局は先輩とのことを気にしていたのだろうか。それはもしかして、嫉妬というものなのだろうか。
(藤真が、俺に?)
 逆ならいくらでもあるだろうが、どうにも想像しがたい。至極不思議だ。
「あのな藤真、俺は特に男が好きってわけじゃなくて」
「あれだろ? 『男とか女じゃなくてお前のことが好きなんだ!』てやつ」
「なんで先に言うんだ……」
 結構な気合いを入れてほとんど同じことを言おうとしていたから、藤真にごく軽い調子で先回りされて、盛大に肩透かしを食らった気分だ。
「BLあるある」
「ビーエル?」
「ボーイズラブ、女子が読むホモの漫画。家にあったの読んで、それもあって男同士のやりかた自体は知ってたんだよな。いろいろぼんやりしてたけど」
「そんな漫画があるのか。……だが、本当のことだ。男だからどうこうとかじゃない」
 藤真は怪訝に目を細める。
「いいように言ったって、ただ性別に見境ないってことじゃんか。かわいくてお前好みのプレイをする子が出てきたらわかんねーだろ」
「そんな人間はもう出てこない」
「言い切るのかよ」
「ああ。そのポジションはもう埋まってるしな」
 牧はからかうようでも照れるようでもなく、さらりと言い放ち、藤真の髪を撫でる。
 迷いがないのは彼の強さの一つだと思う。羨ましさと苛立たしさが綯い交ぜになった気分で藤真は言った。
「……ま、オレだって、お前みたいなのとはもう出会わないと思ってるよ。出会ってたまるかって感じ」
「なんだか俺のことが嫌みたいな言い方だな」
「嫌に決まってんだろ、いつもいつも立ち塞がってきやがって。しかもそれでオレのこと好きとか、すげーむかつく!」
 嫌そうな顔を作ってベッと舌を出した、いかにも芝居掛かった表情が非常に愛らしく、心臓を鷲掴みにされた心地だった。おそらく、こういうところが嫌がられるのだろうとは思いつつ、衝動に素直に藤真の腰を抱いた。
「むかつくじゃなくて、ムラつくの間違いじゃないか?」
 顔を覗き込むと、そっぽを向かれてしまった。
「お前って、ほんとおっさん」
「おっさんだとボーイズラブはできないか?」
「別にいいんじゃね? サラリーマンとか出てきてた気がする」
 牧は藤真の顎を捕まえ、強引に唇を重ねる。性欲のにおいのするキスに、抵抗のポーズは弱々しく消えた。

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