1.
大学に入ってすぐの講義の後だった。
「ふじまくんって背が高くてかっこいいね! モデルか何か?」
そうだ、オレは一般的には背は高いほうで、本来はかわいい系じゃなくてかっこいい系なんだ。真っ当な評価に思わず振り返ると、そこにいたのは小柄な男子生徒だった。髪は少し長めで茶色、生え際が少しだけ黒いから染めてるってわかる。大学ではまったく珍しいもんじゃない。華奢な肩幅と、割に幼い顔立ちのせいか小動物系の印象があって、まさしくかわいい系の男子ってやつだった。あんまり好きな表現じゃないが、そう感じてしまったんだから仕方ない。高校でバスケ部絡みの多かったオレにとっては珍しいタイプだった。
「バスケやってるから。その中じゃ背は高くない方だな」
「そうなんだ。体育系ってコワいイメージだったけど、バスケは爽やか系なんだね!」
「いや、うーん、まあ……」
そうでもなかった。たぶん上位のほうは彼のイメージ通り、体のでかいゴツいやつが多くて、だからオレなんかは嘗められやすい。けど、初対面の相手にわざわざそんなことを説明する気もしない。
「君、名前は?」
「マコト。仁澤(にざわ)マコト。さっきの講義できみの後ろの席にいたんだよ。見えてなかったかもしれないけど」
自虐ネタみたいなのは反応に困るからやめてほしい。けど、でかいやつや運動してそうなやつを自然と目で追ってたから、正直、見えてなかったってのは正解だった。眼中になかったっていうか。さすがに言わないけど。
そのうちマコトの友人らしき生徒が現れて、彼との初対面はそれだけの会話で終わった。
あれから半年。マコトとは顔を合わせれば他愛ない会話をするくらいで、特別に親しいってわけでもない、ごく普通のクラスメイトって感じだった。だからこの申し出にはすごく驚いた。
「ふじまくん! 1回だけでいいんだけど、おれの代わりにバイト入れない!?」
人気のない場所に連れて来られたと思ったら、目の前で手を合わせて頭まで下げられてしまった。
「えっ……いつ? バスケもあるんだけど」
聞きたいことはたくさんあったが、まずはそこからだ。いやどうだろう、とりあえず予想してない展開だったから、あんまり頭は回ってなかった。マコトは手帳を取り出してオレの目の前に突きつける。
「この日! の夜! 17時か18時くらいから入れるといいんだけど、予定ある!?」
鬼気迫る、ってまでじゃないのかもしれないけど、マコトはなかなか切羽詰まってる様子だ。そしてオレには予定ってほどの予定はなかった。バスケがあるから世間一般の大学生のイメージほど暇じゃないけど、高校の時が忙しかった分、ときどき手持ち無沙汰を感じるくらいに余暇も心の余裕もある。
けど、思えば『予定がある』って言って断ってもよかったんだよな。オレはちょっとズルさが足りないところがあるって、そういえば高校の時に言われたっけ。そう知らない相手からの唐突な依頼に、単純に興味があったってのもあるだろう。
「どういうバイト? ていうかなんでオレに?」
「まずバイト内容はウェイター。お酒と軽食を出すバーラウンジだけど、おれの代わりのふじまくんがやることは注文とるのと、できたものをお客さんのところに運ぶだけ。ふじまくんに頼んだのは見た目がいいからと、正直、めちゃめちゃ知ってるやつには知られたくないことってあるじゃん?」
健全なスポーツ青少年のオレにもなんとなく想像がついてしまった。あんまり関わらないほうがいい気配がする。
「でね、あと、恵まれてるやつって基本的にいいやつっていうか、人の足を引っ張る必要がないっていうか、信用できる人間だと思ってて」
基本的に同意だけど、かつてのチームメイトより先に牧の顔が浮かんでしまってなんだか狼狽える。まあでも、チームメイトとは利害が一致してて、牧はいわばオレの敵で、立場上はイヤな奴で、それでも「こいついいやつなんだな」って思った記憶があるんだから、相当いいやつには違いないはずだ。
「ふじまくんは多分そういうやつだっておれは直感したんだ」
オレが牧みたいだって? って一瞬思ったけど、違う。信用に足る人間かって話だ。身近なやつには知られたくないとかなんとかって、つまり。
「風俗ってやつ?」
「ぶっちゃけそっち系ではある。でもあくまで仕事はウェイターだよ。お客さんに話し掛けられることくらいはあるけどお触り厳禁だし、そこは安心してほしい。コンセプトカフェってわかる?」
「あー、聞いたことあるかも……」
◇
クラスメイトとの会話から久々に牧のこと思いだしたのが数日前。
高校の時は学校として〝打倒海南〟ていうのがあって、それがオレの世代とポジション的に〝打倒牧〟になったのはごく当然のことで、オレはしょっちゅう牧のことを考えてた。
今思えば、周りからしてそうだったんだ。双璧とかいってセットにして煽るんだから、意識するなってほうが無理だよな。牧もそうだったのかもしれない。試合会場なんかで顔を合わせるたび「あっ牧だ」「お、藤真か」って、互いのこと大して知らないのに知り合いみたいになってた。目立つからすぐわかったとか、二人して同じこと言って。
火花バチバチのいがみ合いみたいにならなかったのはなんだろうな。単に性格かもしれない。あとは出身中学のガラは結構出るよなって花形と話した記憶があるけど、牧がどこ中出身かすらオレは知らない。
けどそれも高校時代までのことだ。オレもあいつもそれぞれ大学でバスケを続けてるものの、もう神奈川県内だけの世界じゃないから、セット扱いにされることも、牧の名前が自動的にオレの耳に入ることもなくなっていた。
牧の流れで思いだした。若い頃のことを〝美しい思い出〟にするのっておっさんになってからのことだと思ってたけど、高校でのバスケ関係について、オレは既にそういう思いを抱いてしまってる。
一概に今より昔が良かったって思うわけじゃない。プレイに打ち込むなら絶対に今の環境の方がいい。ちゃんとした監督もいるしな。
高校の時は、正直ネガティブな思いを抱えることもあった。でも、だからその分、たくさんの味方たちの存在が本当に大きくて。重さっていうふうに感じたこともあるけど、そのおかげでオレはあの場に留まっていられたっていうか。結果のこと言われるとちょっと痛いけど、オレは最高のチームで最高の体験ができたと思ってる。
本当はみんなを勝たせたかったけど……ってお別れ会で言ったらみんな号泣して、でもそれは勝てなかったことへの悔し涙じゃないんだって伝わってきて、オレも泣いてしまった。みんな同じ気持ちでいてくれたんだって嬉しさと、もうこのときは終わるんだって寂しさと。
大人になって年を取っても、高校でのことは絶対忘れないんだろうって思ってる。
そんな〝美しい思い出〟の中の、牧も重要な登場人物の一人だった。同じ一年からレギュラーで、同じポジションで、文句のつけようがないくらい強くて、だけどオレだってもう一歩! ってところまではいけてたはずで。あいつとコートの上で向き合うのが、やっぱり一番、なんだろう、興奮する? 盛り上がる? ちょうどいい言葉が今思い付かない。とにかく特別だったんだ。目標だったし、愉しみでもあった。
今もお互いバスケやってるのに思い出って言ってるのは昔とは環境が変わったからで、オレの今の目標は牧じゃなくてレギュラーに定着することだし、きっと牧だって牧なりに別のものを見てるんだろう。あのときって本当にあのときにしかなかったんだって、なんだか感傷的な気分になってしまった。
さて、あんまり昔じゃない昔のことを回想してたら着いてしまった。新宿三丁目駅。
オレは結局マコトの頼みを引き受けることにした。そのバイト先の一番の最寄駅がここ、のはず。新宿駅東口からも歩けるって言われたけど、素直に店に近い方にした。
新宿駅ほどじゃないにしても、駅の近辺は結構な混み具合だった。それがバイト先の地図を見ながら歩いてるうち一気に閑散としだして、みんな一体どっから湧いてどこに消えたのかって不思議になる。
前の方を歩いてるのは、男同士のカップルみたいだった。二丁目はそういうところだとして、三丁目ならセーフでは? って思ってたけど、近いんだから結局そうなるか。別に気にしないって思ったから引き受けたんだけどさ。
自分がそうなりたいかどうかは別として、偏見はないつもりだ。なぜか男に告られたことが複数回あるから、おおっぴらにしてないだけで潜在的には結構多いんだと思ってる。
「おっ」
思わず声が出た。少し先の店先に、頭にウサギの耳をつけた、ベストにスラックス姿のボーイの姿が見えた。引っ張り出した看板にライトを点けると、店の中に戻ってく。あの店だ。
早足で近付いて見ると、看板には〝ハニー・バニー〟という店名と、どっかで見たことあるようなウサギの横顔のイラストが描いてある。これ大丈夫なのかな、パク……いや、たまにあるよなこういうの。気にしないことにしよう。
時間は約束の17時より少し前。準備中の札が掛かったドアを押すと、カランカランとベルが鳴って、店内のウサギたちの目が一斉にオレを見た。
その中で一番手前側にいた女の子がタタタッと走ってくる。メイドみたいな黒い膝上のワンピースにエプロンをして、茶金髪の巻き髪の頭の上にあるのはウサギの耳。これがこの店のコンセプト。マコト曰く〝バニーボーイのいる店〟だそうだ。
「すみませぇん、まだ準備中で!」
「マコト君の代理の藤真って言います」
「あぁ! はいはいようこそ! へえ〜ほんとにヤバいイケメンだ!」
「ヤバいって……」
悪い意味じゃないんだろうってのはわかるけど、どういう説明をされてたのかちょっと気になる。
「だからちょっとくらいミスってもやさしくしてね! ってマコっちに言われたのよ。うち基本忙しくないし、大丈夫だと思ってるけどね」
「はい、がんばります……」
ミスとか言われたら途端に不安になってきた。難しい仕事じゃないとは聞いてるけど、自慢じゃないがオレにはバイトの経験なんてない。文化祭の模擬店でウェイターみたいなことやったくらいだ。監督の経験ならあるんだけどな。
「そんなかしこまんないで大丈夫よ、タメ口でぜんぜんいいし! アタシは麗華(レイカ)。キミもこの名札にお店で呼ばれる名前を書いてね」
胸に付けたにんじん型の名札を指しながら、オレにも同じものを渡してくる。名前、源氏名ってやつか、どうしよう。別にケンジでいいや。雑に考えながら、気になってたことを聞いてみる。
「バニーボーイって聞いてたけど、女の子もいるんですね」
「男の娘(コ)で〜す☆」
「あっ……なるほど……」
言われてみれば男が裏声で作ってるって感じの声だけど、女性でもこういう声の人はいるよなって絶妙なラインだった。
「で、着替えはこっちで──」
麗華さんに連れられて、店の奥のロッカー室で貸与の制服を受け取った。背中の空いたベスト(カマーベストって言うらしい)、ウサギのしっぽのついた細身のスラックス、蝶ネクタイ、ウサギの耳。ワイシャツと革靴は持参。サイズは事前に伝えてたからピッタリだ。制服についてマコトから聞いたときは戸惑ったけど、服装自体は普通のボーイだっていうのと、店員全員そうだから恥ずかしくないよって言われて、そんなもんかって思ってしまった。
姿見に映すと、うん、まあ一人でこの格好で駅前にいろって言われたら無理だけど、意外と平気なもんだ。ていうかオレってウサギの耳似合うな。今まで生きてきて初めて知った。
「あらぁ〜似合う! かわいい! 不思議の国から出てきたみたい!」
ああ、今の麗華さんはちょっと男っていうか、オネエって感じだったな。あとその例えの方が不思議だと思った。
「それじゃ、今日の他のキャストを紹介するわね」
カウンターにいるのは調理とお酒作るの担当のタツミさん。さっき店先に看板を出してたボーイスタイルの人だ。オレが見てもでかいと思うほど背があって、バラエティ番組でよく喋ってる男性アイドルみたいな2枚目半の感じのお兄さん。
それと、オレと入れ違いにロッカー室に入って行って今出てきた、黒髪ぱっつん前髪のツインテールのメイドウサギ、きっと男の娘なんだろう。名前は──
「エム、アイ、エー?」
「ミアだよ! エムアイエーはないわ!!」
「ああ……」
MIAと書かれた名札をそのまま読んだら怒られてしまった。
「ミアちゃん」
「ミアっちょ!」
「はあ……」
名札を改めて見ると、確かに〝MIAっちょ〟って書いてあった。心の底からめんどくさいと思ったけど、ここでは先輩なんだし、今日だけなんだから我慢しよう。