にゃんにゃん日和

 ──ピンポーン、ピンポピンポン、ピンポーン♪
 ときは深夜、日付が変わったころだ。こんな時間にインターホンを連打する者など、大学のバスケ部の新歓から未だ帰ってきていない同居人のほか思いつかなかった。
 慌てて玄関に走ってドアを開けた牧の胸に、ひと回り小さな体がなだれ込んで凭れる。ぐりぐりと頭を押しつけられるたび、茶色の髪がさらさら流れた。予想通りのかわいい恋人だったが、牧の意識はその背後に立つ長身の男に注がれる。
「! 花が…」
「牧! たらいま!」
 空気を読まない酔っぱらいが能天気な声を上げ、それを送り届けてくれたらしい花形はそそくさと立ち去ってしまった。牧は腕を伸ばしてドアの鍵を閉める。
「おかえり。藤真、やっぱり酔ってるな……」
 こちらを見上げる顔は赤く、丸く愛くるしい瞳は笑みを含んで楽しげだ。具合が悪いよりはましなのかもしれないが、一切の警戒心を失っているかのような様子に、ひどく落ち着かない気分にさせられる。
「飲みすぎるなって言ったのに」
「しょーがねーらろ新歓なんらから。オレはうまく回避したほうらぜ。素直に飲まされたやつは外でゲロ吐いてしんでた」
 大学一年はまだ未成年ではあるが、慣習として歓送迎会の類では当然のように飲酒が行われている。そして運動部のノリといえば牧にも想像がつくことで、酒に酔った藤真が悪いとは到底言えるものではなく、溜め息を吐くことしかできなかった。
 牧は体質的に酒に強いようで、気分はよくなるものの、ひどく泥酔して明らかに常時と違う様子になるほどのことはない。しかし藤真は違う。色素の薄い肌はすぐにうっすらと染まり、日頃のような言葉での武装を失い、箸が転んでもおかしいようなありさまで──非常に愛らしいのだ。いろいろな意味で心配でしかなかった。
「んっ、おい藤真っ、なんだ!?」
 藤真は牧の厚い胸に顔を埋めていたかと思うと、鷲掴んで揉み始めた。
「牧ってけっこーおっぱいでかいよな。Cくらいあるんじゃね?」
「カップサイズのことはわからんが、多分ないと思うぞ……ていうかなんでそんな話に……」
 そうは言ったが、酔っているために話に脈略がないのだろうとも思っていた。素面の状態で酔っぱらいに接することには慣れているつもりだ。
 藤真のように乳首の性感が発達しているわけではないとはいえ、胸を揉まれているとやはり妙な気分になってくる。牧は感触から極力意識を逸らすように、頭の隅にあった疑問を口にした。
「そうだ、なんで花形が?」
「それ! オレもふしぎなんらぁ。センパイに送ってもらってたら、いつのまにか花形とすりかわってた!」
 藤真はさも不思議だと言わんばかりに目を丸くしている。思春期どころではない、五歳児くらいの反応ではないだろうか。
 見事東大への受験に合格し、駒場キャンパスに通う花形の行動範囲は藤真とも近いようだった。偶然か必然かはわからないが、意識の定かでない状態で知らない人間と一緒にいる藤真を見つけ、保護してくれたのだろう。
「電話くれたら迎えに行くって言ったろう」
「え〜いいよ、そんな子供みたいな」
 一体どの口が言うのかと思うが、藤真は素知らぬ顔でなおも牧の胸を──胸筋を押している。
「藤真、なんなんださっきから。まさか他のやつにもこんなことしてないだろうな?」
「するわけねーじゃん! オレはフンベツある人間らぞ、牧らからしてんのに、牧はオレのこと信用してねーんらな! もういいっ!」
 回らない呂律でつらつら棒読みして、牧の体を両手で突き放そうとする。が、牧はびくともせずに、自分の方がふらついて後ろに仰け反ってしまった。
「わわっ」
 牧はそれを想像していたかのように藤真の背中を支え、抱き寄せて胸に閉じ込める。
「信用してないわけじゃなくて心配してるんだ。とりあえずベッドに行くか」
 眠そうにする藤真の肩を抱え、2LDKのうちの自分の部屋に連れていくと、二人で体を縺れ合わせながらベッドになだれ込んだ。藤真は目を細め、やはり牧の胸をこぶしでぎゅうぎゅうと押す。不意に、目の前が開けたような気がした。
(これは、猫のふみふみ……!)
 牧の実家には犬と猫と亀がいる。猫がクッションや人の体の柔らかい部分を前足でしきりに踏む行動は通称〝ふみふみ〟と呼ばれていた。今の藤真の仕草とよく似たそれは、子猫に返って甘えているものだといわれている。
「ふ、ふじま、なんだ、甘えてるのか? はっ、もしかして〝にゃんにゃん〟か!?」
 若者にとってはとうに死語である同衾の隠語を引っ張り出した、牧の声に自然と熱がこもる。ならばと手早く藤真のズボンの前を寛げ、緩んだウエストから手を突っ込んで下着越しに尻を掴んだ。胸を揉まれた仕返しとばかりに、機嫌よく揉みしだく。
「ふぁあっ!? 牧っ、ぁんっ! なにっ!?」
「なにじゃないだろう、お前から甘えてきたんだぞ」
「っん、てかここ牧の部屋じゃねーかっ! 連れ込みやがって!」
「俺はお前を寝かせてやろうとしてたんだぞ」
 今は状況が状況になってしまったが、勝手に藤真の部屋に入るのは悪いかと思って自分の部屋に連れてきただけで、もともとは不純な動機など一切なかったのだ。
「まあいいじゃないか藤真、にゃんにゃんしよう!」
「しねえし言葉が古いしっ!」
 藤真は全否定するように声を上げたかと思うと、牧の胸に顔を埋めてしまった。
「お前、言ってることとやってることが合ってないぞ……」
「すぴ〜」
(ね、寝た……なんだ、ただの酔っぱらいか……)
 本格的に眠ったのだろう。寝息のようなものとともに、ぐっと藤真の体が重くなった。朝までこのままではどこか痺れてしまいそうなので、のしかかっている体をそっと抱え、自分の隣に仰向けに寝かせる。
「ん……」
 小さく声がしたものの、起きたわけではないようだ。
「ふー、さて……」
 牧は藤真の穏やかな寝顔を見つめ、すっかりその気になっていた自分の股間を一瞥して部屋着のズボンと下着を下ろし、唾液で濡らした手の中でそれを慰め始める。一人での行為で特段声を出すわけでもなし、酔って寝ているのならばそうそう起きないだろうと踏んでのことだ。
(本物の藤真を眺めながらっていうのもなかなか乙なもんじゃないか……特権だな……)
 シコ、シコ──
(同棲したらオナニーなんてしないかと思ったが、意外とそうでもなかったな)
 高校時代はデートのたびにまぐわっていたが、会える機会が限られすぎていたせいだったと思う。日々一緒にいる今は、求める頻度が上がったせいもあり、拒否されることもそれなりにあった。行為によって藤真に掛かる負担が大きいことはわかるので、納得はしている。
 シコ、シコ、シコ、シコ──
 始めたときには多少やましい気持ちもあったのだが、それもすぐに興奮を助長するものになっていった。
(はぁ、はぁっ……藤真、俺は今、お前の寝顔を見ながらセンズリこいてるぞ……!)
 コートの上では帝王と呼ばれ、以外の場所ではのんびりとした大物感を醸す牧だが、ひとたび逸物を握ればそれに振り回されてしまう、いたいけな十八歳だった。天使のような寝顔で穏やかに眠る藤真を目前にしながら自慰に耽る背徳感に、無我夢中で手指を動かす。中性的な輪郭に、舐めれば甘そうな白い肌。桜色の愛らしい唇に、長い睫毛に縁取られた色素の薄い瞳──
「め……!?」
 目が、ばっちりと合っていた。寝ているはずの藤真とだ。つまり藤真は今起きているし、秘めやかなはずの行為も思い切り見られている。
「ふ、ふじまっ、違うんだっ!!」
 藤真は呆れた様子で顰め面をつくる。
「なにが違うんだよ、でっけーちんぽおっ勃てて。どうせお前はオレとやりたいために一緒に住んでんだもんな」
「そんなっ、それだけじゃないぞっ!」
 動揺のあまり、うまく言葉が出てこない。手の中に絶頂寸前のものを掴まえながら、何を言ったところで格好はつかないだろうが、それにしても無様だ。
「いいよ別に。オレもそうだし」
 藤真は静かな口調で言うと、気怠げに肘をついて体を持ち上げ、大きく口を開けて牧のものを頬張った。
「あ゛ぁっ……ふじま……!」
 もやもやとしたものを胸の内に抱えつつも快楽には抗えず、牧は気持ちよく藤真の口の中でフィニッシュを迎えてしまった。
「んぐっ……はぁっ……」
 ねっとりとした精液を飲み下し、苦しげに息を吐くと、藤真はぱたりと仰向けにベッドに倒れる。しばしばと、眠そうに目を瞬いた。
 牧は長く息を吐き、さらに何度か深呼吸をすると、横になって藤真の体に腕を回す。
「藤真。その、やりたいことは否定しないが、俺はお前とたくさん一緒にいたいと思ったから、一緒に住もうって言ったんだぞ」
「そうなんだ?」
 藤真は天井を眺めたまま、遠くを見るように目を細め、くすぐったそうに微笑した。たとえ「やりたいため」だとしても、そう悪いこととは思わない。互いに、他の相手を探すこともさほど難しくはないはずで、それでも敢えて男同士で求め合っている。執着のきっかけが何だったにせよ、紛うことなき恋愛だと思う。
 しかし肉欲とは別のところで求められているのならそれはそれで嬉しい。情熱的に抱き合う熱さとは違う、暖かで心地よいものに満たされていくようだった。
「そうだぞ、知らなかったのか?」
「う〜ん……」
 半端に寝て起きたせいか、大きなあくびが出てしまった。
 新歓の主な話題は初めのうちこそ新入りのバスケ歴などだったが、じきに趣旨を忘れた単なる飲み会となり、彼女(こいびと)の話題が中心になっていった。部活に勉強にと忙しすぎた高校時代の反動で、今の二年は皆大学に入ってこぞって彼女を作ったのだという。内容はバストのサイズやら、週に致す回数やら、その他諸々。
 馬鹿正直に話題に混ざるわけにもいかず、相手がいるものとして話を振られても『高校のときは忙しすぎたので』と濁すしかないことを、賑やかな宴会の場で寂しく感じていた。酔って思考回路が極端になっていたせいもあるが、お互いにもっと〝普通の相手〟を見つけたほうがよいのではと思ってしまったほどだ。
 しかし帰ってきてしばらく戯れていたら、やはり牧が好きだと思った。人の寝ている横で自涜に耽る姿さえ今思い出せばかわいらしい気がするのだから、なかなか重症だと思う。
「藤真、眠いのか? 寝てもいいぞ、もうなにもしない」
 厚い唇がこめかみに触れる。優しい感触だ。
「……牧、明日土曜だ。夜どっか食いに行こ」
「なにがいい? 肉?」
「にく!」
 元気よく即答し、ゆるく握りこぶしを作って牧の胸を撫でる。
「そしたらさぁ、そのあとにゃんにゃんしよっか」
「にゃんにゃん……! しよう……!」
 目を爛々と輝かせ、静かに、しかし力強く言った牧に、藤真は機嫌よく笑った。
(こいつのこんなの知ってんの、オレだけなんだろうな)
 わいわいと恋人の話題をするのも楽しそうではあったが、二人はまだまだ秘密の関係で──牧は自分だけのものでいい。
 くらくらする。甘く、生暖かく、穏やかな官能がさざ波のように身体じゅうに広がる。陶酔感、というのだと思う。なかなか酒が抜けないようだ。

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