ノブくんの冒険

1.

「牧さん、最近なんか楽しかったことってあります?」
 練習中は厳しい海南の主将だが、日ごろはごく穏やかな人物だ。とはいえ一年の分際で気安く世間話を振るのも清田くらいのものだった。
「最近か? 鉄板で自分でお好み焼きを焼いて食べる店あるだろう」
「あー、うまいっすよねえ」
 牧はじわりと喜びの滲み出すかのような、優しい笑みを浮かべた。そこまで美味かったのかと、清田は不思議そうに目を瞬く。
「この前藤真と一緒に行ったら、めちゃくちゃ楽しかった」
 まずお好み焼きかもんじゃ焼きかで揉め、お好み焼きと決まれば焼きそばの有無について激論を交わした。最終的にふたりで一緒にお好み焼きをひっくり返したときのことを思いだすと、今でも胸が熱くなる。人生の縮図だと思った。
「藤真って、翔陽のですよね?」
 牧はそのままの表情で頷く。清田は大きく口を開け、さも愉快そうに笑った。
「たはーっ、女っ気ねえなあ! でもそうっすよね! 我ら常勝・海南ですから! 仕方ねえ!」
 完璧に思える牧にだって、彼女はいない。自分と同じだ。清田はこの大人びた主将にいっそう親しみと愛着を深めた。
(いや、女っ気っていうかノブ、牧さんにとって藤真さんは完全に性の対象だから……ってものすごく言いたい……)
 自重しない先輩と無邪気な後輩を眺めながら、神は常と変わらぬ表情で口を引き結んだ。

「神さん! 聞いてくださいよ、昨日牧さんと図書館行ったんすよ!」
「……って、どっちの図書館?」
 海南の構内に図書館はあるが、清田が行きたがる場所ではないだろうし、さも面白いことがあったと言いたげな彼の表情にもそぐわない。だとすればつまり──
「俺が真面目なほうの図書館に行くと思います?」
「うん。まあ、そうなんだけど、牧さんもっていうから一応」
 清田の言うのは、図書館と彼らが呼んでいるだけの寮の一室──成年向け書籍の保管部屋のことだった。古紙回収の日に頂いてきたものや、どこからか拾ってきた綺麗な状態のものを部員たちで集め、共有し、一年の部員が代々管理している。寮暮らしの彼らの憩いの場でもあった。
「牧さんだって男子高校生っすよ! でもあのひと一人暮らしだからか、図書館で出くわしたことないってみんな言ってて。昨日ちょうど寮で会ったんで誘ってみたんです」
 目上にも物怖じしない、度胸のある後輩だとは思っていたが、牧にそんな話題まで積極的に振るのか。感心なのか心配なのかよくわからない感情が湧いてくる。
「まあ、牧さん自分でエロ本買っても、なんのお咎めもないだろうしね」
 ポーカーフェイスで呟いた神に対し、清田は瞳を輝かせて拳を握った。
「でも、久々だとか言ってたんで、過去利用したことはあるみたいっす!」
(ああ、なんか余計なこと言って話題に加担しちゃったな、どうしよう……)
 牧のことは尊敬しているが、清田のような過度な興味はないし、どちらかというと余計なことは知りたくない。しかし完全に〝話したいモード〟になってしまった様子の清田をここで追い払えば牧にとって都合の悪いことがほかの人間の耳に入ってしまうかもしれない。
「牧さん、胸にこだわりはなくて最近は無いくらいのほうが好きで、尻も小さいほうがいいって。思わず『ロリコンですか!?』って言ったら殴られました」
「あのひと身内に小さい子がいるとかで、そういうの地雷みたいだから気をつけたほうがいいよ」
「先に教えといてくださいよ! で、同い年くらいが好きらしいっす。でも牧さんとタメの女子が並んでても結局ロリコンに見えますよね」
「ノブ……」
 呆れたような、悲しげにも見えるような表情を浮かべた神に、清田は慌てて首を横に振る。
「言ってない! 言いませんよそんな失礼なこと! で、あとなんだっけな。俺、牧さんは黒髪ロングの清楚系か、イケイケの黒ギャルかどっちかな〜って思ってたんすけど、髪は自然のままなら色はこだわらなくて、ショートカットで肌は色白が好きらしいっす」
(日本人の自然のままの髪色は、だいたいは黒なんだけどね……)
 なんとなくこの先の展開が読めてきてしまった。神は密かに表情を暗くしたが、わざわざメモしたらしいものに視線を落とした清田は気づかない。
「睫毛が長くて、品のある顔立ちだけどちょっと小悪魔っぽいとこもあって、子猫みたいにきまぐれで繊細」
(藤真さんのことなんだろうなぁ……知らないけど……)
 そう言われればそういう雰囲気かもしれない、と思ってしまう自分が少し嫌になる。
「活発で芯が強くてバスケが好きで」
(藤真さんだ)
「ボーイッシュで」
(ボーイそのもの)
「あとエッチが好きな子!」
「……」
「以上が牧さんのタイプらしいっす。ちょっと盛りすぎだと思いません? そんな子そうそういませんよ、だから彼女できないんすよ! って思わず言っちまいましたよ」
(最後のそれはなんか、知りたくなかったというか……申し訳ない気がしてくるな……まあ藤真さんだって男子なんだから、そうなんだろうけど……)
「神さーん? 聞いてます?」
「ううん、まあ、うん……」
 聞かなかったことにしたかったが、しっかりと聞いてしまった。次に藤真を見かけたとき(牧さんのタイプのエッチが好きな子だ)と思ってしまう自信がある。嫌だ。気まずい。忘れたい。
「で、牧さんはあーだこーだ言ったあと、外田有紀ちゃん似のセーラー服の子が表紙になってるエロ本を借りて行きました!」
 神は額を押さえた。
「ノブ、ひとの性的な趣味はあんまり面白がって言いふらすもんじゃないよ」
「えっ!? えっと、別に悪く言うようなつもりじゃなかったんすけど……」
 誰々はこういう子がタイプだとか、あいつが好きそうだと思って拾ってきたエロ本が無事その手に渡ったようだとか、それらも立派なコミュニケーションであって、決してネガティブな意味合いのものでないことは神もわかっている。
 しかし牧の相手が藤真であることも知っているのだ。それは広めてよい話ではないはずだ。
「そうなんだろうけど、あんまりね。人によるっていうか」
 牧本人が暴露するのならばともかく、第三者の口から明かすようなことは──と考えて、果たして牧に隠す気はあるのかと疑問に思えてきた。
(信長にやたら具体的に話してるあたり、当ててもらえるの待ってるとか? いや、でもただ自覚がないだけの可能性も……)
「まーそうっすね、牧さんの好みは俺だけの秘密にしときます! で、牧さんの機嫌が悪いとき、フトコロで温めた有紀ちゃんのエロ本を差し出す、と」
「信長なのにあっためるほうなんだ」
「あれ? 違いましたっけ?」
「惜しいね」
 それから、そういう用途ならば翔陽の生徒から藤真の隠し撮り写真でも入手しておくほうが効果的だろうと思ったが、心に仕舞っておくことにした。

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