スターダスト

大学生で同棲している牧藤の七夕の話 [ 6,076文字/2021-07-09 ]

 ──ピンポーン
「はいよー……うわっ!?」
 散歩だか買い物だかに行っていた牧が戻ったのだろうと、迷いなくドアを開けた藤真の目に飛び込んできたのは、わさわさと音を立てる細長い植物だった。全長二メートルは超えるであろうそれを抱えた同居人に、訝しげな視線を送る。
「なんだよそれ」
「七夕の笹をもらってきた」
「なんで?」
「なんでって、願いごと書いて吊るすだろう。知らないのか?」
「知ってるけど……」
 その風習を知らないわけではないし、近所の商店街にアーチのように立ててあるのも最近目にしたばかりだ。小学生のときにクラスごとの笹を学校に飾った記憶もある。ただ、それを家で行う発想は藤真にはなかった。
(うちでやってなかったってだけで、割と普通なのか?)
「ベランダに飾ろう」
 牧は当然の顔で、右手に笹を、左手には買い物してきたレジ袋を持ったままリビングへと向かう。笹の葉がパラパラ落ちて、足あとのように床を散らかした。
「あ〜あ〜」
(やっぱりあんまり普通でもない気がする……)
「おーい藤真、手伝ってくれ」
「は〜い」
 まあいいかと牧のもとへ行き、掃き出し窓を開けてやる。買い物袋から出てきた緑色のビニールひもを使って、ベランダの手すりに笹を括りつけるのを手伝った。
「このくらい縛っとけば大丈夫だろう。今年の七夕は晴れって予報だったが、夜も雨降らないといいな」
「うん……」
「どうした?」
「七夕なんて、しばらく気にしたことなかった」
「俺も久しぶりだ、高校のときはそんな余裕なかったからな。材料を買ってきたから、一緒に飾りつけを作ろう」
 買い物袋をガサガサ鳴らして至極楽しげにする牧の顔を、藤真はなんとも不思議な気分で見返す。
(今日用事ないかって聞いてきてたの、これのためだったのか)
「嫌か?」
「ううん。嫌じゃないけど」
 あまり、いやまったく想像していなかったことで、少し戸惑っただけだ。

「折り紙も、色画用紙もあるからな。自由に使ってくれ」
 ダイニングテーブルの上に色とりどりの紙とハサミやテープを並べると、牧は満足げに頷いた。
「自由にって言われても、たぶん小学生以来だからなー……なんだ、作りかたの説明書があるんじゃんか。あー、あったこんなの!」
 〝親子でつくろう! カンタン七夕かざり〟という手作り感のあるリーフレットを眺めると、ほとんど埋没していた記憶もうっすら蘇る。
「おーし、じゃあまずちょうちんを作ってみるか。谷折り、山折りとかあったわ懐かし〜」
 リーフレットを睨みながら、慎重に紙に切り込みを入れていく──が、向かいから熱い視線を感じて非常に落ち着かない。
「……なんだよ?」
「藤真が折り紙してるところ初めて見た」
 大真面目な顔でそう言い放った男に、呆れるやら面白いやらで思わず吹き出してしまった。
「お前がしろって言ったんじゃんか。見てないでお前も作れよ」
「ああ、そうだったな」
 牧は黄色の折り紙を折っては開き、また折って開く。その動作には、明確な意図があるように見える。
(うん、オレも牧が折り紙してるの初めて見た)
 いまさら大柄とも老け顔とも思わないほどに見慣れた姿だが、小さな折り紙の端を慎重に合わせていくさまは新鮮で、不覚にも可愛らしく感じられた。
「……で、それは何を作ってるんだ?」
「カエルだ。後ろを押すと跳ねるぞ」
 尻にあたる部分を得意げに指で押すと、三角の頭をしたカエルがささやかに跳ねた。
「カエルを、七夕の笹に吊るすのか?」
「ひもを付ければなんだって吊るせるだろう」
「自由だな」
 早々に次の作品に取り掛かる牧を視界の端に残しながら、藤真も自分の作業に戻る。
「できたぞ、定番の網飾りだ」「今ビリっていったけど破けたんじゃね」「いってない。気のせいだ」
「できた! ブサイクな鶴!」「……本当にブサイクだな。なんでそんなことに」「突然変異」
「星を折ろう」「それはもう星形に切ったほうが早くね?」
「ちんぽの折り紙ってないのかな」「折れないことはないだろうが……笹に吊るしたいか?」「吊るしたい! 上向けて! 吊るしたくない?」
 ああだこうだと言いながら工作するのは思いのほか楽しいもので、藤真も積極的に余計なものを作るようになっていた。
「そうだ、あれがないじゃないか、輪っかの繋がったやつ」
「おー、そういえば」
 紫と黄緑の折り紙を手にした牧を見て、藤真は苦笑した。
(いつまでその色にこだわってんだよ)
 紫と緑は海南と翔陽のチームカラーだった。二人が母校に関わることはもはやなくなっていたが、牧はいまだにそれを気に入っているようで、その手のカラーリングの品物を見つけるたびに『ちょうど紫と緑があったぞ』と揃いで買ってくる。輪飾りの色選びも偶然ではないだろう。
「じゃあオレは金と銀で作るかな」
「──楽しいな」
「意外とね」
「同棲ってやっぱりいいもんだ」
(同棲してよかったこと:恋人と折り紙で遊んで楽しかった、ってか? いや、意外とアリだな。好感度は絶対高いわ)
「どうした? 黙り込んで」
「お前の天然の社交スキルに感心してた」
「?」
 確かに、離れて暮らしていて、たまのデートで折り紙や工作はそうそうしないだろう。そしてデートとも特別とも呼べないような日常の中で、相手の新たな表情を知っていく。
(付き合ってただけじゃ、まだ大して知らなかったんだよな。たぶんお互い)
 藤真にとってそれは今のところポジティブなもので、一緒に住む前に危惧した落胆などはない。しかし、果たして牧はどうだろう。
「飾りはもう充分だろう。短冊を書くか」
 牧は薄い黄色の色画用紙を細長く折って切り、テーブルの上に並べた。
「願いごとか。どうすっかなー」
「俺はあっちで書いてくる」
 自らが並べた短冊を何枚か手に取ると、牧はソファのほうを見遣った。書きものには適さないだろうが、一応あちらにもテーブルはある。
「なんで?」
「願いごとは人に見えないようにしないといけないだろう」
「そんなルールだったっけ?」
 商店街の笹の短冊とかめちゃくちゃ見えてたけど、と思ったが、特にこだわりもないのでそれ以上は言わなかった。
(まあ、確かに見られてないほうが書きやすいか。それにしても……)
 いざ願いごとと言われると思いつかないものだった。子供のころならばパイロットだのケーキ屋さんだの、当時の〝夢の職業〟を書いたかもしれない。去年の七月といえば、地区予選に敗れたあとだったが──
(いや、バスケ以外だな。猫を飼いた……いやいや、あんなこと言ってあいつオレの短冊見るかもしれないから、無理すればいけるようなことはちょっと)
 そう考えてしまうと難易度は跳ね上がった。いっそ普通に買えそうな欲しいものを書くのはどうだろう。
(七夕はサンタさんじゃねーから!)
 正直なところ、今の生活に不満はなかった。幸せと言うのは大仰な気がするが、少なくとも不幸ではなく、日々はそれなりに忙しく楽しい。ならば自分には何も願いが、願望がないのだろうか。
(今の感じが、ずっと続けばいいような気がしてる)
(でもオレたちはまだ学生で、この先変わらないことなんて、たぶんないと思ってて)
 絶望も失望も後悔も、遠い記憶ではない。信じて期待するだけ傷つくのだと知っている。道端で人に踏みにじられる花なら、はじめから咲かないほうがよかったのではないか、そんなふうに思ったこともある。
(何をメンヘラってんだオレは。ただの年中行事だ、適当でいいんだよ)
 そうして一枚の短冊にでかでかと『大金持ちになりたい』と書いた。
(嘘ではないよな。金はあるほうがいいに決まってるし)
「いや……」
 大金持ちの短冊をたたんで千切ってゴミ箱に捨て、テーブルの上にまだ残っている白紙の短冊に、藤真は難しい顔つきでペンを走らせた。
(こんなもんかな)
 見えないようにと言われていたので、テーブルの上に短冊を裏返して牧のほうを振り返る。牧はとうに書き終わった様子で、ソファの背もたれに寄り掛かってテレビを眺めていたが、藤真の視線に気づくとこちらに戻ってくる。
「書けたか?」
「うん。大人になって願いごととか、意外と思いつかなかったけどなんとか」
「無欲なんだな」
「そういうわけじゃないと思うけど」
(願いごとが叶わないのが嫌だから書けないとか、我ながらめんどくさくて言えねえ……)
「それじゃあ、ひもを付けて笹に吊るそう」

 夜。空気は湿気ているが、天気は持った。灰色に煙る雨雲も今はなく、藍色の空に星が輝いている。
 牧は目を細めてそれを眺め、一人ベランダで缶ビールをあおる。ぬるい外気のまとわりつく感触とは対照的に、冷えた炭酸の喉ごしが爽快で美味かった。
 かたわら、昼間作った笹飾りが弱い風にサラサラと涼しげな音を立てる。外は暗いが、部屋からの明かりでその姿はしっかり確認できる。思い思いのモチーフとふたりの願いをぶら下げたそれは、牧の目に無性に愛らしく愛しいものとして映った。
(抱きしめたいくらいだ)
 さすがにそれはしないが、と再びビールの缶を傾けると、背後でカラカラと引き戸の開く音がした。風呂上がりの甘く清潔な香りが鼻腔を撫でる。
「牧」
「お、上がったか。見てみろ、星がきれいだぞ」
「ほし……」
 藤真は牧の隣に並ぶと、言われるままに天を見上げた。夜空に散った星が物珍しく感じられるのは、梅雨どきで雨が続いていたせいだろうか。そもそも星を眺めて何かを思う余裕など、ずいぶんとなかったような気がする。
(きれい、か……)
 ちらりと覗き見た、牧の表情は穏やかだ。
そこから迷いなく発せられた言葉を、頭の中に反芻する。確かに星はきれいだ、異議はない。しかし胸の底が少し、煮えるように苦しい。
 きれいだのかわいいだのといった感覚は女子のもので、男のものではない──そう思ったのは小学生のときか、もっと前だったろうか。女の子に間違われたり、かわいいと言われることを極端に嫌っていた子供の藤真は、それらの言葉を意図的に忌避するようになっていった。今はほとんど気にしなくなったつもりだが、それでもまだどこかにこびりついているのだろう。だから牧の無為の言葉が、こんなにも刺さるのだ。
 ただ勝ちたいだけではなかった。虚勢など必要としない彼の在りかたが、ずっと羨ましかったのだと思う。
(くだらない……)
 藤真は牧の手から缶ビールを取ってふたくちほど飲み、またその手の中に戻す。藤真の思量など知るよしもない牧は、ただ微笑ましい気分になって頬を緩めた。
「いい七夕の夜だ。織姫と彦星もきっと喜んでる」
「くっさ!」
 牧の素直さは好ましいものの、自分はここまで純粋にはなれないだろうなと、藤真は苦笑する。
「ロマンチックじゃないか。離ればなれの恋人って、ちょっと昔の俺たちみたいで」
「ねえわー」
「ロミオとジュリエットのほうがよかったか?」
「オレのことメンヘラ女だって言いたいのかよ?」
「そんなこと言ってないだろう」
 それに別にあれはメンヘラの話でもなかったと思うが──とまでは続けずに、今度は牧がビールを飲んだ。
「でもさ、一年越しに会ったらきっとやりまくりだよな」
「……だろうな」
「ミルキーウェイって実はそういう意味なんじゃね。白濁的な」
「母乳じゃなかったか? 織姫の母乳」
「そっちか。まあどっちにしろやってるな」
 正しい逸話を知る人間がこの場にいないため、ふたりはいかにも納得した顔でうんうん頷いた。
「……でも実際はさ、一年も放っておかれたら他の相手作ってるよな」
「藤真は、そうなのか?」
「そうじゃね? 家族でもないのに、まる一年会えない相手にこだわる必要あるか? いや、そういう状況なったことねーけど」
 確かに、藤真であれば引く手あまただろう。まして男同士で、将来の約束もできないまま縛り合うことなど、果たしてできるだろうか。
「……そうだな。気をつける」
「なんだよ、どっか行く予定でもあんのかよ」
 藤真の声が、明確に不快感を帯びる。
「それはないが」
「だったら変なこと言うんじゃねえ」
 牧の手から缶を奪い、ふいと正面を向いてビールをあおった。缶は戻らず、視線はそのまま空の上、唇の先は少しだけ尖っている。機嫌を損ねてしまったようだ。
(藤真……!)
 そんな仕草に、その裏にあるこころの動きに、心臓を掴まれくすぐられて堪らなくて、藤真の背中に腕を回して抱き寄せていた。
「……なに」
「いいにおいだ」
「別に、なんも変えてないけど」
 うなじや耳の後ろを、高い鼻先が掠めてくすぐったい。逃げるように頭を横に傾けるが、大きな手に顎を捕らわれてしまった。
「ん、むっ……!」
 乱暴ではないが少しだけ強引に、厚い唇に口を食まれる。強く吸われた舌に甘く歯を立てられる感触は、親愛のキスとは違うセックスのそれで、藤真は総毛立って思いきり顔を背けた。
「ッ!! なんなんだよ、いきなり」
「今度から、言ってからキスしたほうがいいか?」
「いちいち言うな、そんなの」
「難しいやつだな」
 キスこそ拒んだが牧の腕はほどかないまま、藤真の視線はビール缶のふちをなぞる。
「……牧って、なんでオレがよかったんだっけ」
 傲慢な問いだろうが、それは確かな事実でもあるはずだ。だからふたりはこうして一緒に暮らしている。
「なんでって、なんでだ?」
「だってオレ、結構口が悪いだろ。品がないっつうか。文化的なもんとか興味ないし」
 なにかと斜に構えたような捉えかたをしてしまう自覚もある。特段それを悪いとは思わずにきたが、たびたび育ちのよさをうかがわせる牧にとって好ましい人間かどうかは疑問だ。
「文化なんて、俺にもよくわからんが」
(いや、今の七夕の笹とか、季節のイベントごと好きじゃんかってことなんだが、通じなかったか)
 藤真が口を開くより先に、牧の言葉が続いた。
「興味の範囲が全部重なってる必要はないだろう。きっとそのほうが楽しい」
「……まあ、そう言われたらそうかも」
「特別口が悪いと思ったこともない」
「そうなんだ。ならよかった」
(ただ、藤真はそうして戦ってきたのかって勝手に思い入れをして)
「……俺が勝手に惚れたってだけだ」
「!?」
 牧が照れたように目をそらしたと認めると、藤真もとたんに照れくさくなって顔を背けた。頬が熱い。
「は、なに、いきなり……」
「どこがよかったのかって、お前が聞いてきたんじゃないか」
 色黒の大きな手が、白いこぶしを包むように握った。
 暖かく乾いた手のひらの感触に、汗ばんで冷めた自らの手を自覚させられて気恥ずかしい。
 くすぐったくて、落ち着かず、どこかに逃げ隠れてしまいたいような、しかしこのままいたいような。
(一緒に住んでてもまだ、こんな気持ちになるもんなんだな)
 手を取り戻そうと自らのほうへ引くと、牧の手も離れずついてくる。
「はなせ」
「取れなくなった」
「ウソつけ!」
 藤真は構わず体を反転させ、牧も連れられて部屋に戻って行く、背後で夜空に星が降る。
『ずっと一緒にいられますように』
『願いが叶いますように』
 漂白された想いはそれを仰ぎ、寄り添うように揺れていた。

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