ままごと

【R18】いちゃいちゃしています。二年生の一月〜二月くらいの話 [ 14,198文字/2019-07-27 ]

「牧って、料理するんだ」
 夕方から夜のころに落ち合い、立ち寄りたい場所があれば寄り、お茶や食事をして牧の部屋へ、というのが二人のよくあるデートだった。十代の健康な男子二人、密室に辿り着けば交際相手と致したいことは決まっていて、目的以外はろくに目に入らなかったから、藤真がキッチンを注視したのは初めてのことだった。それなりに調理器具が置いてあり、使っていない雰囲気ではない。
「たまにな。簡単なものしか作らんが」
「すごいじゃん。牧の手料理食べてみたいな」
 藤真が朗らかに笑えば牧がこれを断れるはずもなく、少し困ったような照れたような様子で頷くしかなかった。
「構わないが、ほんとに大したもんじゃないぞ。焼きそばとか、野菜炒めとか、チャーハンとか」
 要は炒め物系である。それに冷凍食品の惣菜と、必要ならば白飯やインスタントの味噌汁を付けて完成だ。凝ったものは外に食べに行くことにしている。
「焼きソバ好き」
「ああ、じゃあ今度のときな」
 快諾する牧に対し、藤真は密かに「しまった」と思っていた。よく知った女の声が脳裏に響く。
『あんたは甘え癖がついてる』
 藤真と似た顔立ちをした、姉の言葉だった。そんなことはないと否定したものの、長年その顔で生きてるから自覚がないだけで、日頃から息をするように人に甘えているのだ、というのが彼女の持論だ。
『オレと似てる顔のやつに言われたくないんだけど』
『似てるから言ってるんでしょ、気をつけなさいよって』
 当時交際していた男に言われたものらしく、八つ当たりにしか聞こえなかったのだが、一応アドバイスのつもりだったようだ。
(こういうことか、な……)
 牧は自分と同じ高校生で、忙しく部活動に励みながらも一人暮らしをしている。そんな彼から手料理をご馳走になろうなど、あまりに図々しいのではないか。それらを一切考えずに食べてみたいと言ってしまったことに、姉の言葉が被ってくる。
(でも牧は嫌そうじゃないからいいんじゃ? むしろ嬉しそうだ)
 でもなー、と藤真は小さく唸ってしまう。
「どうした?」
「いや。……牧はなんでも一人でできてすごいな。スーパー高校生だ」
 牧は不思議な思いで目を瞬く。藤真のほうこそ、プレイングマネージャーの負担はいち選手の比ではないと思うのだが──以前その手の話をしたとき、「企業秘密だ」「バスケ以外のオレのことを知りたいんだろ?」とはぐらかされたのだった。軽い調子ではあったものの、あれは拒絶だったと思う。以来、本人が言い出さない限りは突っ込まないことにしていた。
「別に、自分一人の範囲だけだし、気分転換にもなるしな」
(つまりそこにオレが加わったら、やっぱり負担増じゃねーか)
 藤真は自然と唇を尖らせて、牧は自然とそこにキスをしていた。
「な、なに?」
「え? だめだったのか?」
「ううん、いいけど」
 顔を見合わせ笑い合う。愉しく野蛮な夜が始まる。

 次に牧の部屋を訪れると、キッチンの風景は少し変わっていた。
「ここ、テーブル置いたんだな」
「ああ、がらんとしてたからな。ちょうどよくなった」
 間取り図上はダイニングキッチンとされていたが、牧が居室で食事を摂っていたため、しばらくは〝妙に空きスペースの広いキッチン〟となっていた。そこに二人用のテーブルと椅子を置いたことを、牧はさも隙間を埋めるためかのように言ったが、そんな理由ではないだろう。
(また……なんとなく責任を感じるような……)
 どう考えても自分の発言が発端だった。牧は生活費に困っている風は全くないし──追求したことはないがおそらくは逆だ──藤真がテーブルを欲しがったわけでもないのだから、気にすることでもないのかもしれないが。
 夕食は食べてこなかった。前に話していた手料理をご馳走になるためだ。二人掛けのソファに一人で体を横にして、テレビを眺めながら調理を待つ。炒め物をする音とにおいの流れてくる、のんびりとした時間の中で、不思議な気分になっていた。
(なんかオレ、ここに住んでるみたいだな)
 まだ数えるほどしか訪れたことがなく、そう長時間滞在するわけでもない。しかし妙に落ち着くというか、安心するというか。
(いやそれ、牧が言ってたんだっけ?)
「藤真? 眠いのか?」
 キッチンから部屋を覗くとソファに座っている姿が見えなかったので、寝ているのかと様子を見に来ると、藤真は目をうとうとさせていた。
「……ううん?」
 牧を見るや目をぱちぱちさせながら起き上がり、腕を上に伸ばして軽く背伸びをする。牧はその姿に猫を連想していた。と、藤真がハッとしたような顔を向けてくる。
「牧、エプロンしてる!」
「ああ、そりゃあ、料理をしたからな」
 何の変哲もない黒のエプロンなのだが、藤真の驚きように思わず笑ってしまった。常より更に大きく丸くなった瞳に、今度はウサギやリスを連想してしまい、思わず抱き締めたくなったが、調理の直後でエプロンが汚れているだろうからと我慢した。
「へー、レアだな、牧のエプロン……」
「別にそこまでレアじゃない。晩飯できたぞ」
「おー!」
 キッチンに行くと、ダイニングテーブルにはすでに二人分の夕食が置かれていた。焼きそば、サラダ、春巻き。水滴のついたグラスの麦茶。自らが用意したそれらを改めて眺め、牧は思わず呟いていた。
「……なんか色味がないっつうか、地味だな……」
 サラダ以外が見事に茶色系に纏まっているのだ。色味など日頃は全く気にしないし、今日だとて藤真に見せる直前まではなんとも思わなかったのだが、急に不安になってしまった。牧にとっては珍しい感覚だ。しかしそれも杞憂に終わる。
「すげえ、ちゃんと具が入ってる! おかずもある!」
 藤真は弾けるような笑顔を浮かべて席に着いた。
「どういう褒め方なんだ」
 しかし無理にフォローしている風でもない。安心はするが、少し不思議でもある。
「うち、具の入ってない焼きそばやラーメンを作る女がいるんだよ」
 まあそんなのはいいから食おうぜ。いただきます。と箸を手にする藤真に頷きながら、牧には話の続きもどうでもいいとは思えなかった。
「お姉さんか?」
 偶然だが一度会ったことがある。藤真だと思って声を掛けたら完全に女性だったので、髪型の時点で気づかなかった自分に対しても含め、大変困惑したものだった。
「うん」
 藤真はどうでもいいように頷き、あっうまい、具もたくさん入ってるし! など言いつつ焼きそばを食べている。そんなに具に飢えているのだろうか。正直なところ、自分だけのときはもっとシンプルだ。今日は少し頑張っておいてよかったと思う。
「いいんじゃないか? かわいいお姉さんじゃないか」
「よくねーし。なんでもかわいいで片付けんなよ。だからあいつ調子に乗るんだ」
 言ったきり、藤真は口を噤む。姉について自分で吐いた言葉が、予期せず自分の胸に突き刺さっていた。否、外見について調子に乗ったことなどなく、むしろ迷惑してきたくらいだ。ただ、傍目にはどう思われてきただろうかと今ふと思う。そして、言葉には必ずしも思慮は伴わないのだと、戸惑いとともに身をもって実感している。
 いわば藤真が自身の言葉に傷ついている状態だったが、牧は牧で自分の発言のせいだろうかと密かに焦っていた。柄にもなく、日和見的な台詞を絞り出す。
「……まあ、家族がいるのは楽しいじゃないか」
「楽しいなんて感じたことないけど。実際一人で暮らしたら変わるのかもな」
 料理、洗濯、掃除。朝も自力で起きる。楽しいかどうかというより、ひたすら大変そうだ。
「いや、うーん……牧って偉いな」
「寮にいるやつらも大差ないんじゃないか? 料理だって毎日するわけじゃないし」
「あー、そうなのか。実家が楽なだけか」
 なるほどな、あんまり聞いたことなかった、花形も実家だし、など口にしつつ藤真は箸を動かしている。不機嫌の様子はとりあえず見えなくなった。
「でも俺は一人暮らしにしてよかったと思ってる」
「へえ?」
 想像がつかないわけではなかったが、牧の口から続きを聞きたかったので、短く相槌を打つだけにした。
「お前と……まあ、いろいろと。寮だと無理だったからな」
「いろいろな! よかったな、一人暮らし選んどいて!」
「ああ、大正解だった」
 牧は大真面目な顔でしみじみと言い切り、深く頷いた。それが無性に可笑しくて、藤真は口を閉じたまま吹き出し笑いをして俯き、盛大に肩を揺らした。口にほとんど物が入っていないときでよかったと思う。しばらくそうして笑っている藤真を、牧はさも不思議そうに眺めていた。
「前から思ってたが、藤真の笑いのツボがわからん」
「お前が自分の面白さを自覚してないんだろ」
「別に冗談のつもりじゃないぞ」
「それはわかるけど。心の底から言ってる感じにツボったんだよ」
「……やっぱりよくわからん」
 別にわかんなくていいよ、と言ってから少しの間は食べることのほうに集中した。家で食べているにしては随分ゆっくりしてしまった、と牧も倣う。
「ごちそうさまでした」
「おそまつさまでした」
 丁寧に手を合わせて会釈され、牧も同じように返し、なんともなしに二人して笑い合った。
「なんかいいな、こういうのも」
「そうだな」
 今思ったままのことを藤真の口から言われて、牧は穏やかな表情で頷いた。自分の家で藤真が当たり前のように寛いで笑っている、のんびりとした時間に少し胸の詰まるような幸せな気分になりながら、なぜか穏やかでない衝動が湧き上がってくるのは、単純に彼の肉体が若いからだ。
「そうだ、次のときはオレがなんか作ろっか」
「藤真、料理するのか?」
 これまでの会話からして想像はつくが、一応聞いておく。
「やればできると思う。大丈夫、そう不味いものは作らないって、多分」
「そうか、じゃあ楽しみにしておく」

 昔からかわいいとか、女の子みたいだ、と言われる子供だった。
 幼い時分に近所の大人から言われたそれらに悪意などなかっただろうが、いつぞやからひどく不快に感じるようになって、姉とその友達と一緒にしていたままごとや人形遊びをやめた。ちょっとした持ち物の色や、そこに張り付いているキャラクターの造形、〝女っぽいこと〟に過剰に拒絶反応を示すようになり、親が料理している台所にも近寄らなくなった。
 大きな声ではっきり話す、近所の上級生が使う汚い言葉を積極的に使ってみる、男子としか遊ばない、遊びは外で体を動かすことが中心。顔の造形そのものは変わらずとも、快活な少年期には女子と間違われることはすっかりなくなっていた。
 高校で強豪のバスケットボール部に入り、一般的な基準では小柄ではない藤真が「小さくてかわいい」と見られるようになったのは誤算だったし、悪意を込めた揶揄として容姿について言われるようになるとも思わなかった。本気で取り組みたいと強豪校に進むほどバスケットにのめり込んでいたこと、チームメイトの同級生は軒並み好ましい人間だったこともあり、いつしか雑音として処理できるようになる程度のものではあったが。
「えっ……あんた、なにしてんの」
 藤真家の長女は、台所に馴染まない後ろ姿を見るや声を上げた。
「料理」
「なんで!?」
「気分転換」
 訝しげに弟の手元を覗き込むと、まな板の上に不揃いに切られた野菜が並んでいる。
「まさか、新しい彼女のためとか言わないよね。あんたがそんなことしないと気を引けない相手なんて、絶対続かないんだからね」
 弟がちょくちょく〝友達の家〟に入り浸り、夕食を外で済ませたり、ときには早朝に帰宅してきたりすることについて、姉は完全に交際相手がいると踏んでいた。なにしろ以前は〝花形のとこ〟と明言していたというのに、相手の名前を告げなくなったのだ。
「ないな、料理しない女とか無理」
 料理はするし、ついでに男だが、そこまで話す必要もないだろう。弟はさも鬱陶しいと言わんばかりに姉を無視して調理を続ける。
「ふーーん。まあいっけど」
 たとえ同じ言葉であっても、そこに込められたニュアンスは相手と状況によって全く異なる。それは十二分にわかっているのだから、もう少し世界を広げてみるべきかもしれない──結構な思惟の末、当日のメニューも無事決定した。

「よし、今日はオレが晩メシを作るぞ!」
 美人は三日で飽きると聞いたことがあるが、おそらく嘘だ。腰に手を当てて堂々と言い放つ、自信に満ち溢れた笑顔などいつまでだって見飽きないと思う。そして今日は服装もいつもと少し違うのだ。
「……」
「なに?」
「エプロン、似合うな」
 牧が調理のときに使う黒いエプロンを、今日は藤真が身に着けている。布地一つ被せただけではあるのだが、非常に新鮮で──牧は胸がむず痒いような満足感の只中にいた。
「家に白いのあったんだけど、忘れてきたんだよな」
「いや、俺のもんを着てるってのがなんかいい……」
 大真面目に言ってしまって、耳がカッと熱くなるのがわかった。幸い色黒のため、顔が赤くなったようには見えないだろう。それはそれとして、白も見てみたいとは思う。
「あー、なんかお前そういうの好きだよな。じゃあ今度牧のパンツ穿いちゃお」
「……」
「おいっ! ちょっとイイかもみたいな顔すんな! そこは拒否れ!!」
「いや、穿き心地いいからお薦めする……」
「はいはい。できたら呼ぶからあっちで待っててくれ」
 あっちと言いながら居室のドアを指で差す。
「そ、そうか……?」
 料理をする藤真を眺めていたかったのだが、なんとなく逆らわないほうがいい気がして、大人しく部屋に戻った。
 テレビを眺めるが、内容が全く入ってこない。自室で過ごすうちでこんなに落ち着かない時間が他にあったろうか。待っている時間は長いように思えたが、いつまでも同じ番組が続いているので実際はさほど経っていないのだろう。それに、凝ったものを作れるような器具もないはずだ。やはりキッチンに居ればよかった。あまりない機会だろうにもったいない──そんなことを思っていたときだった。
「牧、できたぞ」
 すっ飛んで行きたい気分だったが、誰に取り繕うでもなく平静を装って歩いた。藤真に作れそうなものと、漂う香りからメニューは想像できたが、テーブルの上にはまだ飲み物しかない。
「おまたせ!」
 勢いよく目の前に置かれた皿の上を見ると、牧は目を見開いて動きを止めた。
「ふ、ふじま、これ…これは一体……」
「オムライスだ。嫌いなものないって前言ってただろ」
「ああ、ああそうだ。いや違うんだ」
 そんなことは見ればわかる。黄色くて、少し豪快な姿をした男らしいオムライスだ。問題は上に掛かっているケチャップだった。牧はつい口角の上がる口元を手で押さえる。
「LOVEって書いてある……」
「おう、LOVEって書いたからな」
 藤真は照れもせずに言って朗らかに笑った。人の好みがそれぞれあろうが、きっと誰しもが綺麗だと評価して好感を抱くであろう、天使のごとき笑みだった。
「ふ、ふじま……一体なにが……?」
 牧は動転した。状況が理解できない。オムライスという時点で可愛らしいのだが、更にこんなことをするなんて。藤真と親しいからこそ──日頃外野から〝かわいい〟と評されることを嫌っていると知っているからこそ、戸惑うしかなかった。
「なに、引いた?」
「い、いや、すごくいいと思うぞ!!」
 牧は静かに、しかし力強く言った。つい驚いてしまったが、藤真が柄にもなく、自分のために愛などと刻んでくれたのかと思うと、じわじわと嬉しさと愛しさが込み上げてくる。
「そっか、ならよかった」
 文字のない普通のオムライスを自分の席に置き、藤真は満足げに着席する。
 料理としてクオリティの高いものは作れないだろうが、あまりに無難でもつまらない。いっそ可愛い方向に振り切るというのは一つの賭けだった。興醒めされる可能性だって考えたのだ。しかし結局「牧なら大丈夫だろう」という結論に至った。彼はロマンチストで、カップルらしいことが大好きなようなのだ。そして──その結果が今の牧の様子である。
「おい、早く食えよ。冷めるぞ」
「え? ああ……」
 返事は上の空だ、食べるのがもったいないなどと思っているのだろう。かわいいやつだと藤真は笑う。
「そんなの、また書いてやるからさ」
 言って、食卓に持ってきていたケチャップでLOVEの文字を塗り潰した。
「なんとぉーッ!?」
「あっはっはっは!!」
 牧の驚きようが可笑しくて、藤真はまるで顔に似合わぬ調子で手を叩き、豪快に笑った。
「おら、早く食え!」
「いただきます……うん、うまい……」
 可愛すぎる恋人の作ってくれたオムライスはそれだけで美味ではあったが、ケチャップが妙に舌に染みて、少しだけ涙が出そうだった。

(あー面白かった)
 藤真は満足しながらシンクの洗い物に向かった。家族全員の分となるとげんなりするが、二人分ならばどうということはなさそうだ。ゴム手袋を嵌め、水を流し、スポンジに洗剤を出して、ふと頭を過ることがあった。
(……牧を、オレのままごと遊びに付き合わせてるんじゃないだろうか)
 牧はいつも歓迎してくれる。忙しい中わざわざ会いに来てくれて嬉しいと。しかしそれは違う。
(オレは別に献身的じゃないと思う)
 少なくとも牧との関係については。気分転換をしたいとき、そしてもちろん時間が取れるときに連絡しているだけで、おそらく、牧が想像するほど激務に殺されているわけではない。立場があろうがいち生徒が活動できる時間は限られていて、選手と監督を兼ねるからといって単純に稼働量が二倍になっているわけではないのだ。
 かといって全く結果を求められないわけでもないので若干の理不尽は感じるが、体が壊れては元も子もないから無理はするな、と周りからきつく言われている。
 大学でバスケットボールを続ける場合の話もすでに聞こえていて、そう遠い未来でもないのだろうが、高校での選手生活の充実にはあまり期待しないほうがいいのだろうと苦笑したものだった。
(今は今にしかないのに、大人にはわかんないのか、忘れてしまうのか)
 そう思ったところで、自分にとって牧がどんな存在か、彼とプレイする時間をどんなに待ち詫びていたかなど、ごく個人的な感情の問題でしかないのだともわかっている。
 監督として新たに学ぶことの楽しさ、結果に向かって進んでいけることの喜びもないわけではない。なによりバスケットボールと、今のチームメイトたちのことが好きだ──なにも、一人きりで背負っているわけではないのだ。周囲は至って協力的であるし、特に〝めんどくさいこと〟を進んで片付けてくれる相棒がいる。
『大丈夫、こういう役は好きだ』
『なんだそりゃ。花形ドMじゃん』
『ああ、そうかもな。だからもっといじめていいぞ』
 そんな軽口を叩き合ったことを不意に思い出す。
 ともかくこちらは大丈夫なのだが、問題は牧だ。海南の練習は厳しいと聞く。貴重な休息の時間を邪魔してしまっているかもしれない。それは本意ではないのだ。
(オレはいつだって万全のお前と当たって、それをブチ倒したいって思ってたんだ)
 もはや自分のほうが選手として万全とは言えなくなってしまったけれど。
 少し前まで、こんな現状は想像もしなかった。できるはずもない。自分が翔陽の監督になって、ライバルのはずだった牧と恋愛関係に至り、手料理を振る舞うとは──夢のようだと思う。全く突拍子もない、寝ているときに見る夢だ。
(だとしたら、いつかは覚めてしまうんだろうか)

 背中全体を温かいものに包まれるまで、近づく気配に気づきもしなかった。
「ん、牧どうした?」
 後ろから体を抱いてくる、体温は温かいというより熱い。洗い物の手が止まってしまっていたから、小言でも言いにきたのだろうか。
「デザートが欲しい」
「冷凍庫にアイスがあっただろ」
 言ってから、違うと察した。押し留め無理やり落ち着かせた風にしているが、牧の呼吸は荒い。脇腹を撫でる手のひらに静かに込められた力だってそうだ。
「あったかいのがいい」
 耳元にぼそりと言って、耳の形をなぞるように舌を這わせる。
「っっ!」
 藤真は肩を竦め、牧の顔と逆方向に頭を傾けて抵抗を示した。まだ笑っている余裕もある。
「ちょっと待ってろって」
「ああ、待ってる」
 牧は言いつつ、大きな両手で藤真の体の両脇を掴み、服の上からでも肉体の感触を確かめるかのように、じっくりと撫でた。
(オレ、しおらしくお前のコンディションとか気遣ってたんだけど……)
「洗い物、早く済ませてくれ」
 手を下降させ、腰を掴み、尻の横側、そして尻の肉を掴むように指を突き立てる。
「こらこらっ!」
 布越しであっても無視できない感触に、藤真は身を強張らせる。牧はエプロンの下に手を入れると、腰回り、太腿、その内側へと好き勝手に撫で回した。
「ん、ふっ…」
「なんだ、感じてるのか? 随分敏感だな」
「くすぐったいだけだっ!」
 そう言いつつも声はしっかり上ずって、顔と体の中心がジンジンと熱くなっていく。
 牧は床に膝をつき、藤真のズボンの前を寛げて、下着ともども思い切りずり下ろした。白く引き締まった小ぶりな尻に目を細める。
「うぉいっ!! 待つ気なんてないだろお前!」
 濡れたゴム手袋をしたままで牧の動作を咎めることもできず、藤真はスポンジを握りしめて声を震わせた。
「いい眺めだ」
 顧みながら送られる、軽蔑するような眼差しもむしろ心地よいとばかりに、牧は余裕で笑って藤真の尻にキスをした。
「ぁっ!」
 下半身を露出させられたこの状況で、怒ってみたところで間の抜けた印象しか与えないだろう。藤真は顔を赤くして奥歯を噛み締めた。
 尻の表面全体を舐めるがごとく、牧は何度も、何度も軽いキスを繰り返した。つれない風にするくせに、吸い付くたびに腰が揺れるものだから愛らしくて堪らない。尻肉を左右に割り開くと、露わになった窄まりが空気に晒されてひくりと蠢き、まるで誘っているようだ。伝うように視線を下降させると、脚の間にふっくらとした陰嚢がぶら下がっている。それら全てがひたすらに欲情を煽る卑猥な光景だった。男の体にもともと強い興味があったわけではない。そこに触れれば藤真がどのような反応を示すのか、すっかり知ってしまったゆえだ。
「いい……」
「変態っ…! ふぁっ!」
 尻の谷間に鼻を突っ込まれ、会陰部を舌で強く押されると、上ずった声が漏れて腰が浮いた。
「あっあ、やだって…!」
 性感帯の間の敏感な場所を責められ続けるうち、前は熱を帯びて首をもたげ、後ろは更なる刺激を求めて内奥から疼いてしまう。もはや洗い物どころではなく、両の手はシンクの淵をギッと握ってしがみついている。
「はっ…!」
 粘液を纏わせた指が臀裂をなぞり、入り口をくすぐって体内に潜り込む。指は探るように蠢き、性急に、しかし確実に内部を潤しほぐしていく。もはや慣れた行為だ、この先に待ち受ける快楽も知っている。抵抗の言葉は出なかった。
 いじらしい反応だ。牧はほくそ笑みながらローションを足して、指を二本に増やす。
「う……」
 挿入した指を曲げて体の前側へと押す、マッサージのような動作を繰り返すうち、高い声とともに藤真の体が大きく波打った。
「あぁっ! んっ、そこ、い、やっ…」
 嫌と言いながら、収縮する淫部は自ら指を深くに咥え込んでいくようだ。目の前で可愛らしく揺れる尻に何度もキスをして、舌を這わせながら、牧は容赦なくそこを責め続ける。
「あぅっ、あ゛っ! あぁぁぁっ…!」
 シンクの縁に腕を突っ張り、頭を垂れて嗚咽のような嬌声を漏らしながら、性器の先からは透明な体液がしきりに滴っている。すっかり敏感になった肉体は、指での刺激だけで歓喜に咽びくずおれてしまいそうだ──それでは困る、と牧は指を引き抜く。ちゅ、と愛らしい水音がした。
「愉しそうだな? 藤真」
「お、お前がやらしいからっ…!」
 背後で牧が立ち上がる気配があった。ジッパーの音に身を強張らせていると、すぐさま尻肉を掴まれ、狭間に熱く硬いものが擦り付けられる。
「挿れるぞ」
 言いながらすでに先端は突き立てられていて、返事を待つ気などないようだった。
「ぅあっ! あぁぁぁっ…!」
 肉杭は濡れた粘膜を押し拡げ、擦りながら内部を満たしていく。何度経験しても堪らなく興奮する感触に、藤真は声を上げて仰け反った。ゆっくりと、しかし確実に奥に進み、最奥まで挿入されてなお腰を押し付けられ、力の抜けていた体全体を押し上げられる。
「ぅぐっ…!」
 牧は藤真の苦しげな呻きにすら興奮しながら愛おしげに下腹部を撫で、腰周りを確かめるように両の手で掴み、内部の感触を味わうように腰を畝らせ掻き回す。
「ん、くっ…」
「藤真」
 顔を覗き込むように体を傾けて、振り返ったところで唇を塞いだ。柔らかな皮膚を浅く重ねながら、貪欲に、半ば強引に舌先を縺れ合わせる。応えてくれることが、ただ愛しかった。
「っ…、はぁっ…」
 強く抱き締めて頸に鼻先を埋め、恋人のにおいと体温に浸るように何度か深く呼吸をする。しかしもはや穏やかではいられない。
「ふじま……好きだ……」
 ほとんど吐息のように呟き、ゆっくりと抽送を始める。
「あっ…まき…っ」
 言葉の続きも紡げずに、ただ自らの体を支えるしかできなかった。牧が言葉で、動作で自分を求めている。実感は麻薬となって脳を侵し、内臓を押し上げる圧迫感もすぐに蕩ける快楽に変わっていく。
「あっ、あぁっ…んんっ…!」
 体の内がきゅんきゅんと疼いて牧を求めている。緩やかな行為がもどかしく、自然と尻を突き出して腰を揺らしていた。
「まき…」
 牧は苦笑した。すぐに終わってしまわないようにと緩慢に動作しているのだが、一言名前を呼ばれるだけで辛抱できなくなる。余裕が欲しい、とは毎度感じることだ。崩れてしまいそうな体を抱き締め、抽送の速度を上げる。
「あふっ、あぁっ、あんっ…!」
「いいのか? 藤真っ…」
 常時とは違う、優しく震えるような声色から牧の興奮も感じて取れて、藤真は一層堪らない気持ちで頷いた。
「ぅ、うん…っ」
 愛おしむように首筋に舌を這わせ、甘く噛み付いて、獣のように交接する。体を打ち付ける音が強く、激しくなるのに共鳴するように、細い嬌声がしきりに上がった。
「あっ、ぁんっ、あっぁぁっ…!」
 深く、激しく突かれるほどに性感帯を擦られ震わされ、体の内から起こった強烈な快感の波が全身を支配していく。頭の中は真っ白で、ただ身に受ける感触が、それを与えるものが、愛おしくて仕方がなかった。
「あぁ、藤真、もういきそうだ……」
 耳元に余裕なく呟く声が好きだ。自分以外には聞かせないでほしいと思いながら、藤真は陶然と呟いた。
「いいよ、まき…っ、んっ、ぁんっ…!」
 言い終わらないうちに潰れそうなほどきつく抱き締められ、強く、激しく体を打ち付けられる。獰猛な肉杭が、容赦なく前立腺を抉った。
「うっ、あぁっ、出るっ! あ、あぁぁぁ…!」
 藤真は押し出されるようにとろとろと精液を吐き出しながら、自らの内に注がれるものの感触にも恍惚としていた。熱い。暖かい。愛おしい。幸福に堕ちていく。
「あぁ、あ…」
 力の抜けた体は、しかし倒れ込むことはなく逞しい腕に抱えられ、穿たれたままゆっくり腰を落としてキッチンの床に座り込む。立ち上がろうとしても力が入らないうえ、牧の腕が腰にしっかりと絡みついている。
「おかわり」
 顧みると間髪入れずに言われ、思わず笑ってしまった。想像できたことではある。着けたままだったゴム手袋を外し、シンクの上に放った。
「どうすればいい?」
「こっちを向いてくれ」
 藤真は膝下に溜まっていたズボンとパンツを取り去って一旦腰を上げる。ずるりと抜ける肉茎と、一緒に体内をゆっくりと降りてくる精液の感触に、思わず声が漏れた。
「あっ…」
「藤真?」
 膝立ちになり、体を反転させて牧と向かい合うと、まだ硬いままの牧のものを再び受け挿れる。内部に含んだままの精液がいやらしい音を立てて気分を煽った。牧は上体を後ろに倒して床に仰向けになる。
「中に出されるとすげー盛り上がるっていうか、今のだけでまたイきそうになっちった」
 微笑する表情が無邪気ですらあるのがそら恐ろしい。自由に動ける体勢だったなら、めちゃくちゃに突いてその顔を歪めさせていたかもしれない。
「……エプロン取ろうか」
 藤真は素直にエプロンを外した。男の腰に跨り、その怒張を深く咥え込んだ淫部を牧の目の前にまざまざと晒しながら、はにかむように笑っている。なんて愛らしい表情をするのだろう。状況との不一致に頭がおかしくなりそうだ。
「すげー汚しちゃった」
 悪戯をした子供のように言った藤真からエプロンを受け取り、液体が糸を引いて滴った裾をめくってみると、精液がべったりと付着していて、思わず口元がいやらしく緩んだ。
「ほう、これが藤真の……」
 布地に張り付いた粘性を愛おしげに指でなぞり、見せつけるように自らの口に含む。
「ばっ…! 牧ってほんとド変態!」
「お前だって飲んでくれるじゃないか」
「直飲みはいいんだよ新鮮だから。そいつらはもう死んでるだろ」
「精子の生死を問う……」
 頭に浮かんだままを呟いてしまって少し後悔した。
「牧がつまんないこと言うから萎えちゃった」
 藤真は牧に冷たい目を向けて言いながら、自らのしなだれた性器を指で弄る。手を伸ばして掴まえると、感触は柔らかくはあるが、先端はまだ濡れていた。指の腹を使い、虐めるように擦り上げてやる。
「あんっ♡ あっ、あぁっ…」
「もう少し前からじゃなかったか?」
「バレてたか。後ろで感じすぎてるとこうなるときがあって、つまり──」
 いかにも艶めかしく微笑して腰を揺らすと、ほどなくして息が乱れ、甘い声が混ざりだす。褐色の手は白い太腿を撫で、尻を掴み、その動作を助け促した。
 重力に縫い付けられて深く繋がりながら、貪欲な行為は続く。

「体が痛い」
 牧がシャワーから戻ると、ソファの肘掛けに体を預けた藤真がいかにも抗議するような目つきで見上げてきた。口にアイスのスプーンを咥え、手にはカップ入りのアイスを持っている。
「すまん、床はよくなかったな、床は」
 牧は藤真の隣に座り、背凭れの上に腕を置いた。藤真の体が肘掛け側に斜めに倒れているので、残念ながら肩を抱くようにはならない。
 しばらく騎乗位でするうち、牧のほうがもどかしくなって体の位置を入れ替えた。硬い床に寝かされての行為に、最中は藤真も興奮していたものの、終わってみれば──というわけだ。
「床NGな。あと洗い物ももうしてやらない」
 その前のことも含めて機嫌を損ねてしまったようだ。ただ、事後の藤真の機嫌が悪いのは恒例行事でもあるので、牧もそう深刻には捉えない。
「俺もアイス食べたいな」
「もういらないからあげる」
 オムライスの流れから、一口食べさせてくれるなどの可愛らしい行動を少なからず期待したが、半ば強引に残り全部を押し付けられてしまった。そしていかにも不愉快だというように顔を背けられてしまう。
「待てって言ったのに」
「すまん、我慢できなかったんだ。オムライスで盛り上がっちまって」
 藤真の顔がぱっと明るくなる。
「あはっ、あれよかっただろ? めちゃ喜んでたよな!」
 してやったりの顔だ。藤真にとって、自らの目論見が成功することは何よりの喜びなのだ。
「ああ。……しかしなんでまた。なんかあったのか?」
 かわいいとみなされる行動や要素を日頃意図的に避けているような男だ、牧の疑問はごく当然のものだった。
「別になんも?」
「買ってほしいもんがあるとか……」
 藤真は思い切り吹き出した。今アイスなど食べていなくてよかったと思う。
「なんだそりゃ、お前高校生だろ! おかしいだろ発想が!!」
 自分の容姿を茶化されることが嫌いなので、牧の外見年齢についてもあまり言わないようにしているつもりだ。しかし今の発言については「おっさんみたいなことを言うな」と叫びたかった。
「そうか? その、恋人……だからな。そういうのもアリなんじゃないか?」
「なにちょっと照れてんだよ。オレはお前になんか買ってもらおうなんて思ったことないぞ」
 強請ったといえば手料理くらいではないだろうか。付き合っていれば同年代でも軽い贈り物くらいはするだろうし、クリスマスに卑猥なプレゼント交換をしたことも記憶に新しい。しかし、牧の言う「買ってほしいものがあるから可愛く振舞う」というのは少し毛色が違うと思う。付き合い始めてからソファが二人掛けになり、ダイニングにテーブルと椅子が増えた実績がすでにあるのだから、発言には気をつけたほうがよさそうだ。
「おねだり……藤真、惹かれる響きだと思わないか?」
 なんとなく、甘えたような可愛らしい響きだと思う。いつもの藤真ならば嫌がりそうだが、今日はどうだろう。
「じゃあ今度ベッドの上でおねだりしようっと」
 牧は盛大にアイスを吹き出した。
「おいっ! 汚ねえ!」
「すまん、いやお前のせいだぞ、一体どうしたんだ今日は……」
 噴出してしまったものをティッシュで拭き取りながら、思わず藤真の可愛さに責任をなすりつけてしまった。
「鬱陶しいかな。嫌ならやめるけど」
「そんなことない、どんどんやってくれ。……ただ」
 途端、牧の表情が暗くなる。藤真も真面目な顔をして固唾を吞んだ。
「ただ?」
「俺以外の前ではしないでほしい」
「誰がするかよ!」
 藤真は全否定の調子で声を上げて笑った。誰にでも同じ態度で接するつもりなど毛頭ない。馬鹿にされるのも、望まぬ好意を向けられるのもどちらも御免だ。
「牧は特別。かわいいって言われても嫌じゃなくて、まあいいかなって思う」
「本当か? じゃあ沢山言っていいのか?」
 大人びた男の、子供のような言い草に、なんともなしに笑ってしまう。
「そういうことでもないかな。……とは別で、邪魔だったら言ってくれよ。家居すぎとかさ」
 洗い物をしながら考えていたことだ。牧が自分のために休息の時間を割いているのではないかと気になっていた。
「邪魔なわけないだろう。ずっと居てほしいと思ってるんだ」
 思わず言ってしまって、一気に血が上ってきたかのように顔が熱くなったが、相変わらず当人以外には見分けにくい顔色だ。
「……? うん、じゃあまた来るな」
 一瞬ぎこちなさも感じたものの、藤真はさほど気にせず返した。
(そうだな、今はまだ、このままで……)
 ずっと一緒にいてほしい。
 牧にとっては改めての告白にも等しい言葉だった。ただ、少し言葉が足りなかったろうし、なにより藤真はそこまで考えていないだろう。なし崩し的に始めた関係に、先の展望などなかったはずだ。それは自分も同じで、だからこそ日に日に重くなっていく感情に戸惑っている。
 まだ目標というほどの形も成せない、それはいわば夢だ。しかし到底遊びで終わらせたいものでもない、確かな願望でもある。
「あと、欲しいもん思いついたら言うんだぞ」
「だからそれはいいってば」
 やっぱり天然だ、と面白がって笑うのを「それは違う」とやんわり否定した。
 彼を縛るものが欲しい。これは幼稚で明確な思惑だ。

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