3.
牧の部屋の玄関に入ると、靴箱の上に小さなツリーが置いてあった。仕舞い忘れているわけではなく、今日のために敢えて置いているのだろう。まめな男だと思う。ツリーを見つめて動きを止めていると、後ろから抱き竦められた。
「寒かったな」
「うん……でも」
こうして抱き締められてるとあったかいよ、と言いたいところだったが、藤真は思わず笑ってしまった。
「雪が付いてて抱き締められてもあんまりあったかくないから、とりあえず脱ごうぜ」
「そ、そうだな、すまん」
「別に謝ることじゃない」
アウターを脱いで、示されたハンガーに掛けると、藤真はバッグの中から色付きのビニール袋を取り出した。
「あのさ、一応クリスマスだから、プレゼントがあるんだ」
プレゼントを贈る約束はしていなかった。たまたま面白いものをみつけたので、タイミング的にクリスマスプレゼントとすれば丁度いいかというくらいの乗りだ。
「!! 俺もあるんだ。ちょっと待っててくれ」
「じゃあプレゼント交換だなっ!」
忙しいだろうと思って期待はしていなかったが、何か用意してくれていたならそれは嬉しいことだ。にこやかに待つ藤真とは対照的に、プレゼントであろう黒い包みを持ってきた牧は浮かない顔をしている。
「なんでちょっと凹んでんだよ」
「いや……お前がプレゼント用意してると思ってなくて、大したもんじゃないからちょっと後悔してきた……」
表情だけでなく、動作もひどく自信なさげだ。牧でもこんな風になることもあるのだなと、どこか冷静に、不思議な気分でそれを眺め──意地悪く笑った。そんな風に言われたら、余計に気になるではないか。
「オレだって大したもんじゃねーんだから気にすんな。包装もしてないしな。オラ、受け取れ」
雑貨屋で買ったときの袋に入ったままのそれを、敢えて乱暴に押し付けた。
「ありがとう。……じゃあ、これ、受け取ってくれ」
牧が差し出したものは、赤いリボンの巻かれた黒い包みで、受け取ったときに中に箱が入っている感触があった。
「ありがと! なにかな〜」
「これは、入浴剤か? いや、これは……!」
「ローション風呂のもと。湯船に入れるとローションになるらしいぜ」
「なんという……!」
牧は痛み入った様子で目を伏せ、弛む口元を手で覆い隠した。想像しただけでいやらしく、大変画期的なアイテムではないか。
「お前って、ローション好きじゃん?」
「必要だから使ってるだけだ。だが、これは素晴らしいもんだな……!」
牧は表情を明るくして、爛々と目を輝かせている。至極わかりやすい反応に、藤真も満足げに頷いた。
「おう。丁度寒いし一緒に入ろうぜ。……てかこれテープ貼りすぎだろ! こんなにしなくても」
藤真はまだ牧からのプレゼントを開封できていなかった。リボンは簡単に解けたが、その下の包みはちょうど藤真が渡したようなしっかりした素材のビニール袋で、中身のサイズに合わせて畳まれ、太く透明なテープで妙に念入りに封印されているのだ。
どうにか袋の口を開け、中から細長い箱を取り出すと、今度は藤真が口元を覆う番だった。
「ぶっ、お前っ、さあ……」
「前に電話したとき、持ってないって言ってただろう」
藤真の目はパッケージの窓越しに見える勇姿に釘付けだ。
それは猛り勃つ男性器の姿をした張形(ディルド)だった。ご丁寧にも牧を彷彿とさせる褐色をしている。牧の肌の色はサーフィンによる日焼けかと思われたのだが、地黒も強いようで、冬場の今でも充分に色黒だし、局部の色素も濃かった。
「これを、オレに、使えって?」
「今月みたいに殆ど会えないときだってあるだろう。そんなときはこれを俺だと思って……」
戸惑いと気恥ずかしさとで、唇の端がにやけるように吊り上がってしまう。手放しで喜びはしないが、興味は津々だ。
箱を開け、中からシリコン製の張形を取り出す。根元には陰嚢もあり、その裏には壁や床に固定するための吸盤が付いている。血管や皺まで刻まれたリアルな造形をまじまじ眺め、表面を押し、ぐにぐにと握ってみる。
その様子を眺めているだけで、牧はすでに自分の買い物に満足していた。
「お前の、もうちょっとでかくねえ?」
「わ、わかるのかっ? 藤真?」
藤真の発言に牧は照れながら返し、
「そりゃあ、まあ……?」
藤真もまた照れながら答えた。頬を染め、初々しく、可憐ですらある表情を浮かべる、その手にはしっかりと男根が握られている。堪らない光景に、牧の股間がギュンギュン疼く。
「ジャストなサイズはなさそうだったし、やたらでかいやつで慣れて、俺のが物足りなくなると困るからな」
「……いろいろ考えてんだな」
袋の中にはまだ何か入っていた。続いて取り出したものは小さなボトル──アナル用のローションのボトルだった。
「ああ、うん、そうだよね……」
「ディルドだけじゃ使えないからな」
牧は力強く言うと大らかな表情で笑った。よほど張形を使ってほしいのか、単に思いやりに溢れているのか。自分で自分のためにそれを買ったかというと非常に微妙なところなので、反応こそ控えめにしてしまったが、プレゼントとしてはありがたいのかもしれなかった。
見落としそうになったが、袋の底には小さな封筒が残っていた。クリスマスのメッセージカードかと思ったが、それにしては重みがある。開けると中から鍵が出てきた。
「うちの合鍵だ」
「!!」
「近くに寄ることがあったら、勝手に家に入ってていいぞ」
「いや、帰ったら他人がいるかもとか、気が休まる場所がねーじゃん」
藤真は目を瞬いた。照れているわけではなく、率直にそう思うのだ。
「そうか? 藤真がいるかもって思いながら家に帰るの楽しいと思うが」
「帰ったらセックスできるかもって? 勝手に上がり込んで、なんか悪いことしてるかもよ?」
「悪いこと? オナニーとかか?」
藤真は憮然として閉口したが、牧は気づかない様子で続ける。
「別に俺は悪いこととは思ってないが、『こんなにして、いけない子だな』みたいなのあるだろう」
「いやなにそれ、知らないし」
少し会わない間に妄想力が逞しくなったらしい牧に、藤真はすげなく言い放つ。
「それか裸にエプロンでいて、ごはん? お風呂? それとも」
「お風呂! しょうもないこと言ってないで、寒くならないうちに風呂入ろうぜ」
暖房を入れたばかりの室温はまだ低かったが、外を歩いて帰ってきてすぐなので体感は暖かい。脱衣所に向かおうとする藤真の腕を、牧は後ろから掴んで引き止めた。
「これ使うんだろう? 湯船に湯を溜めてからのほうがいいんじゃないか?」
これ、と言って藤真から貰った入浴剤の袋を示す。
「体洗ってるうちに溜まるだろ」
「それもそうか」
藤真の言葉に納得したのと、いい加減に触れ合いたいのとで、あっさり頷いて脱衣所へと移動した。服を脱ぎながら、互いにすでに昂ぶっていることを視界の端に捉えて密かにほくそ笑み、二人でいそいそと浴室に入る。
牧は浴槽用の蛇口をひねり、勢いよく湯を出した。
「とりあえず普通に溜めていいんだよな」
「うん。お湯溜めてからこれを混ぜる」
入浴剤のパッケージをシャンプーなどの傍らに置くと、張形が目に入った。
「こいつも持ってきたのかよ」
「使い方をレクチャーしようと思って」
「んなもんわかるだろっ!」
「本当か?」
牧の目がいやらしく細められ、藤真は自らの失言に気づく。
「と、とりあえず頭洗おうぜ……てか、泊まるつもりしてたのにシャンプー忘れたなー」
「そこにあるの使って構わんが、俺のだと合わないかもな」
「んーまあ大丈夫だろ」
少し風が吹けば柔らかに靡く藤真の髪と、硬くしっかりとした牧の髪質が違うことは明らかだったが、今日のところは借りることにする。シャワールームの要領で、各々立ったまま髪を洗った。
「ふう」
トリートメントを流し、俯けた顔を上げながら前髪を後ろに撫で付けた藤真を、牧は待ちくたびれたとばかりに背後から抱き締める。なんともなしに、ほとんど吐息のような呻き声が漏れた。
「あぁ……藤真、あったかいな……」
濡れた肌のしっとりとした感触とともに、藤真の体温がダイレクトに伝わってくる。洗いたての髪から自分と同じシャンプーのにおいがすると、彼が自分のものになったかのようで、堪らない幸福感が込み上げた。色黒の太い腕の巻きつく白い体はとても綺麗で儚いものに見えて、それが自らの腕の中に捕らえられていることに、興奮するのと同時になぜだか切ない気分にもなった。早急に快楽を貪りたい獰猛な衝動と、じっくりと温もりを味わっていたい穏やかな欲求とで、牧の内心は非常に混沌としていた。
「久しぶりだね」
藤真が体を反転させてこちらを向く。掻き上げた前髪はいくらかは横に落ちていたが、それでも普段は隠されている眉と目元がすっかり露わになって、恐ろしいほど整って見える。睫毛の烟る瞳を細め、微笑する表情に誘われて、吸い寄せられるようにその唇にキスをしていた。道中で短いキスはしたものの、この感触も随分と久しぶりだ。
「んっ……」
互いに唇を吸い、戯れるように舌を触れ合わせ絡める。自分たちの行為を確認するように、何度も音を立てて唇を重ねながら、擦り寄せた下腹部では上を向いた二人の男根がぴたりと寄り添っていた。それもまた堪らなく愛おしくて、牧は唇を離してもまだ腰を押し付け、互いの腹の間で仲睦まじくする二人の分身を眺めていた。満足げな表情に、藤真は吹き出しながら提案する。
「寒くなんないうちに体洗おうぜ」
「泡タイムだな!」
楽しげに言って、ボディタオルにソープを盛大に泡立てる牧はまるで少年のようだ。
「……お前が男子寮入んなくてよかったって、ちょっと思った」
「こういうことできないからか?」
白い体を軽く擦って泡を載せていきながら、牧は不思議そうに藤真を見返す。
「寮の風呂って共同だろ? なんかお前って、ホモに襲われそう」
ときどき妙に可愛らしいところを出すから、とは言わないでおく。
「そんっなことは……」
牧は軽く狼狽えながら、それよりもっと恐ろしい可能性に思い当たる。
「そんなこと言い出したら、藤真だってそうだろう」
「オレはホモにはそんなにモテねえよ? その担当はお前だろ」
「そんな担当になった覚えはっ…むぅ…」
キスで言葉を奪われると、会話の内容などすぐにどうでもよくなってしまった。藤真は顔が小さいから口も小さい。唇で、舌で触れる儚い感触が堪らなく愛らしく、そして美味に感じられ、飽きもせずに唇を食んでいた。
泡でするすると滑る体を抱き締め、胸を、腹を、擦り寄せながら、至るところを手指で撫で回す。藤真もまた同じようにしてくるのが愛おしい。
「あぁっ…」
大きな両手が左右の尻肉を掴み、明確に快感を与えるようにいやらしく揉みしだくと、藤真はまんまと声を上げて身を捩った。
「んっ、あんっ」
指は体の中心に迫っていき、たっぷりと泡を纏って肉の狭間をなぞる。まだきゅっと閉じた窄まりは、触れるたびに求めるように波打って、じきに牧の指を呑み込んでしまった。
「ふぁ、あ…!」
藤真は逞しい首にしがみつき、指を動かすたびに堪らない様子で声を漏らして牧の鼓膜に快感を与える。
(やっぱり本物がいいな……)
万能なはずの妄想も、目の前で実際に見せつけられる媚態と、肌に直接感じる感触とは比べるまでもなかった。しかし欲求は飽くことを知らない。
牧はしばらく放っていた張形を手にして、藤真に見せつけるように振った。シリコンの竿がしなって揺れる。
「んなもん見せつけられたって、別に見慣れてるし……」
そのはずであるし、相手はただのゴムの塊だとも思っているのだが、頬や胸にぴたぴたとくっつけられると、無性に気恥ずかしく、ひどく卑猥な気持ちになった。
「ぁっ!」
張形の先端を乳首に押し付けて小刻みに揺らされる。繊細さに欠ける感触ではあるが、視覚的な興奮は大きかった。
牧は改めてボディソープを手に取り、張形を扱くように洗って、二人の体の泡と一緒にシャワーで洗い流した。
「藤真、あーん」
綺麗な顔に、その唇に雁首を押し付ける絵面だけで堪らないものがある。自分のものではここまで至近距離では見られない。
藤真は挑発的に微笑すると、見せつけるようにいやらしく舌を絡めてそれを口に含む。牧の喉が大きく鳴った。気分よく唇を窄めると、張形はピストン運動をしたり、口腔内を掻き回したりなど好き勝手に動き回る。
「んんっ…」
藤真も興奮しないわけではないが、あくまでお遊びに付き合ってやっているという気構えだ。牧がこの営みを眺めて非常に興奮していることがわかるので、満足感はあった。
気が済んだのか、口の中から張形が抜けていく。
「藤真、俺のも…っ」
鬼気迫るように言った牧自身は、もはやはちきれんばかりになっていた。
「最初からそうすりゃいいのに」
藤真は牧の前に膝をつき、大きく口を開けてそれを頬張る。作り物とは全く違う、牧の肌の感触と熱と脈動を、口腔と舌とで感じると、やはりひときわ興奮した。
牧は張形と藤真の顔との2ショットがすっかり気に入ってしまったようで、しきりにそれで頬を撫でてくる。
「なに? 3P願望?」
「ええっ!? いや、そんなつもりは……全く…ッ」
ただ視覚的に好いと思ってしていただけだったので、他の登場人物を出してこられると狼狽えてしまう。それから男性器越しの藤真の上目遣いの破壊力にやられ、再び咥え込まれると口唇での奉仕に低く喘いだ。
「あぁ…藤真……っ」
藤真は左手で牧の陰茎の根元を支え、顔を前後させてピストンの動作をしながら、突きつけられたままの張形を右手で握った。口に含めば違いは明確だが、握ったサイズ感はまさしくそれで、手を上下させて扱くと、偽物だとわかっていても興奮してしまう。
「やべー、ほんとに二人とやってる気分になるなこれ。こいつ誰だろう。紳二?」
藤真は張形を凝視して言った。
「シンジ?」
牧が不思議そうに聞き返す。
「牧紳一と紳二」
藤真は牧の股間に聳えるものと、張形とを順に指して言った。
「そういうことか! 紳二も健司のこと好きって言ってるぞ!」
牧は藤真の頬にぐいぐいと張形を押し付ける。
「クッソうぜえ〜〜!!」
ふざけ合ってゲラゲラと笑っているうち、浴槽から湯があふれ出して二人の足に熱いくらいの感触を与えた。
「おい、もういいんじゃね? ぶち込むぞ!」
促されて入浴剤のパッケージを手にした牧は、思い切り眉間に皺を寄せた。
「いや、お湯は浴槽の三分の一って書いてあるぞ。減らそう」
事前に気づいてよかったところではあるが、パッケージの説明書きを読む牧の顔がとても同級生には見えなくて、申し訳ないが少し笑ってしまった。
「お湯そんなもん? まあ二人で入ったら増えるか」
湯桶で浴槽から湯を掻き出しながら、ついでに互いの体に浴びせた。
「よし、いざ投入!」
浴槽全体に行き渡るよう、円を描きながら白い入浴剤を注ぐ。柚子のよい香りが漂った。
「そして手早く掻き混ぜます、と。牧はそっち側半分な。混ぜろーっ!」
二人横並びで浴槽に向かって床に膝をつき、湯の中に腕を突っ込んで、藤真の号令に合わせて思い切り掻き混ぜる。
「はっ……これ、意外と疲れる……」
「そうか? 余裕じゃないか?」
「もちろん余裕だけど???」
そんなことを言い合いながら混ぜていると、浴槽内の抵抗がだんだんと強く、重くなっていき、ついには突っ込んだ腕から糸を引くほどの、半透明に白く濁った粘液になった。
「すげー、ほんとにローションになった」
「できたな、入ろう」
粘性の湯を手に掬い取っては湯面に垂らして遊んでいる藤真を尻目に、牧はそそくさと立ち上がって浴槽に足を入れた。いかにも待ちきれないといった様子だ。
「滑んないようにな」
牧の今年度の公式戦は全て終わっているとはいえ、こんなところで怪我をしては堪らない。注意深く浴槽に腰を下ろし、外見年齢相応の声を上げた。
「゛あ〜〜……」
「おいおっさん、気にしてんのかしてねーのかどっちなんだよ」
牧はローションの湯を掬って自らの肩や胸に浴びせると、頬を染めながら、真剣な面持ちで藤真を見つめた。
「おい藤真、これやばいぞ。お前も早くこい」
「へーい。向きはどうがいいんだろ?」
向き合うか背中を向けるかしかないだろうが、藤真は決して広くはない浴槽を眺めた。
「普通にこっち向きでいいだろう」
「普通とか言うほど風呂でエッチなことしてきてないからな〜」
「いや、別に、俺だってないぞ……」
藤真は滑らないようにと慎重に浴槽に入り、促されるまま牧に向き合って太腿の上に座った。牧は自らの腰を前に出し、座る姿勢を浅くすると、藤真の体を抱き寄せる。
「あーまじだ、やばい……」
藤真は思わず牧にしがみつくように抱きついた。ひときわ敏感な性器だけでなく、ローションを纏った互いの肌が擦れる感触が想像以上に卑猥で、全身が性感帯になったかのようだった。
「すげーエロい!」
「な。藤真のプレゼントめちゃくちゃエロいな」
「お前だって! てか、プレゼント交換がローションバスとディルドなのひどくねえ?」
ひどいと言いつつ嫌がった様子ではなく、いたって愉しげに笑う。
「俺たちってやっぱりお似合いなんじゃないか?」
「男子って、やることしか考えてなーい!」
藤真は裏声の手前の高い声で、芝居掛かって言った。
「……なんか今日は妙に女子ネタを引っ張ってないか?」
「そうかな?」
意図したものではなかったが、言われてみればその通りだった。気にしていないと言いながら、しっかりと気にしていたのかもしれない。逞しい首筋に額を寄せるように凭れ掛かると、牧は肩に湯を掛けてくれた。暖かくて気持ちがいい。
「女子って、下ネタ嫌いなやつとか、デートしといてやらせないやつとかいるじゃん。あれ、オレ意味わかんなかったんだ。同じようにやりたいもんだと思ってたから」
「藤真を相手にしといて、そんな女子がいるのか?」
「いたんだなーこれが。でも女には男が読むような実写のエロ本って存在しねーよなって気づいたら、なんか納得した。そこまでエロに興味ないっつーか、別モンなんだろうなって」
「そうだな……言われてみれば、そういう本は見たことないな」
「な。えーとだから、なんだろう? 別に女がどうって言いたいんじゃなくて、だからオレたちがしてることはむしろ合理的なんじゃないか? ってことだ」
ちゃぷんと水が滴る音がして、牧の暖かな手がぬるりと肩を、背中を撫でる。淫らな感触に皮膚が、そして体の芯が震えた。
「間違っては、いないのかもしれんが……」
「部活の邪魔もしないしな!」
イブの夜にまさしく牧の頭にも過ぎったことだったから、否定はできない。しかし牧は首を横に振る。
「それは確かだが、俺は合理性とか都合がいいとか、そういうことだけでお前と付き合ってるわけじゃない」
食事のとき、光の道で、雪空の下で、ただ彼がそこにいれば幸せだと感じていた。闘争も勝利も性的快楽もない時間の中に、確かな悦びがあった。伝えたいことはたくさんあるはずなのに、あまりに単純な言葉しか出てこない。
「俺はお前が好きだから──」
まだ開き掛けていた唇を、薄い唇で塞がれていた。続く言葉は思い浮かんでいなかったから、悪くはなかったのかもしれない。唇を吸われ、舌を押し込まれながら滑る肌を撫で回されると、落ち着き掛けた興奮はいともたやすく体と意識の表層に蘇った。
藤真は牧の手を捕まえると、そのまま自分の後ろに持って行き、体を洗っていたときにされていたように、尻の肉を掴ませた。
「なら、とっととやろうぜ」
「ああ……」
逃れられない衝動に抗わず、牧は藤真の体を愛撫する。薄い肉の感触を愉しみ、藤真の感じるところを探るように、硬い指の皮膚を押し付けながら、肌のいたるところに触れていった。
「んっ、うぅっ…!」
キスをして、唇を舐め回しながら尻を掴み、湯の中で陰部を晒すように尻肉を外側に開く。そのまま何度も指を出し入れして暖かなローションを体内に送り、丁寧に襞を確かめながら、じっくりとほぐしていく。
「あぅ、あぁっ…」
腹の中を暖かな粘液で満たされていく、形容しがたい快感ともどかしさとに藤真は身震いする。
「ね、もぅ…」
「そうだな」
すでに三本入っていた指を抜き、そこに昂りをあてがうと、促すより先に藤真の腰が沈む。
「んっ、あぁあっ、あぁっ…!」
小さな窄まりをめいっぱい拡げながら、大きく膨らんだ欲望が呑み込まれていく。体重が掛かる分も相まって深く身を抉られながら、熱く重い久々の感触に、藤真は目眩のような実感の中で天井を仰いだ。
濡れた内部は先端から根元までをずっぷりと咥え込み、牧を煽るかのように強い弾力で締め付ける。牧は深く息を吐き、藤真の手を握り、震える唇にキスをした。
「ん…」
陰部と手指と唇と──いたるところで繋がりながら暖かい粘液に浸っていると、体の外にあふれた体温を二人で共有しているような、不思議な一体感に包まれる。
しかしそれだけでは到底飽き足らない。
どちらともなく体を揺らすうち、次第に動作は大きくなり、藤真は牧にしがみつきながら腰を振り立て、最奥を突かれる歓喜に喘いでいた。
「あっ、あぁっ、んっ、はぁっ…」
白い体が快楽に仰け反ると、牧の眼前に差し出すように硬く尖った乳首が突きつけられる。遠慮なく吸い付き、愛らしい感触を舌と歯で虐めてやると、ひときわ高い声が上がった。
「ふぁっ、あぁっ、やぁっ…」
「嫌なわけないだろう?」
ときおり覚束なくなる藤真の動きを助けるように、あるいは自らの快楽を追求するように、褐色の力強い腕が細い腰をしっかりと抱えて揺さぶる。
「あふっ、あ、あぁっ、ひぁ、あぁんっ…!」
互いの敏感なところを刺激し合いながら、二人は混濁する快楽に溺れていった。
◇
浴槽の中でラストまで愉しんだのち、そのままの興奮を引き摺って、二人はベッドの上でもひとしきり愛し合った。
事後、シャワーを浴びて戻ってきた藤真の姿を見るや、牧は相好を崩した。パジャマというほどきちんとしたものではない、上下揃いのシンプルなスウェット──何の変哲もない、ごく見慣れた自分の寝間着なのだが、それを藤真が着ているとなれば話は別だ。オーバーサイズが非常に愛らしく、多少縒れているところさえ自然体で魅力的に見える。そしてなんといっても〝自分の服を藤真が着ている〟という事実が非常に堪らない。
「な、なんか藤真、うちに住んでるみたいだな……?」
にやける口元をしきりに落ち着かせながら言った、牧のそこはかとない喜びは、しかし藤真には理解されていないようだった。藤真はソファに座る牧の前を素通りして、もう寝たいと言うようにベッドを見遣り、面倒そうに牧を顧みる。
「はあ? 荷物になるからパジャマ持ってこなくていいつったの牧じゃん」
「そう、そうだな……ああ、シーツは替えたから寝て大丈夫だぞ」
頷いてベッドに潜り込む寸前、ナイトテーブルの上の天使のポストカードが目に留まった。前に来たときにはなかったはずだ。
「クリスマスだから?」
そう思ったので大して注目もせずに布団に入った。牧も続いて藤真に体を寄せる。
「それ、藤真に似てるって思ったんだ」
牧は満ち足りたような、ごく穏やかな表情で言ったが、藤真の態度はすげないものだった。
「……頭おかしい」
「そんな言い方しなくたっていいだろう」
濃密な時間を過ごしたあとでの全否定に、傷つくよりもずっこけるような気分だったが、すでに布団の中に入っていたため、実際にアクションすることはできなかった。
「だって。……おかしい。そんなの」
藤真が事後に冷たくなるのはいつものことだ。牧はさほど気にせず、あくまで持論を展開する。
「お前は天使の生まれ変わりかもしれない、って」
「オレは藤真家のお父さんとお母さんの精子と卵子から生まれたんですぅ〜残念でしたぁ〜!」
「そんなに嫌がらなくてもよくないか?」
乗ってくれとは言わないが、天使というのは一般的に褒め言葉だと思っているので、藤真がひたすら嫌そうにするのが不思議だった。
「なんかさ、お前は一体なにを見てんだ、って感じがしてくる」
「別に俺はないものを見てるつもりじゃないが、勝手にそう思ってるってだけで、お前になにかを押し付けようとは思ってない」
最後の一言が、胸に鋭く突き刺さったようだった。冷たい刃物のような痛みは、しかし一瞬で暖かく甘い痺れに変わっていく。
夏以降、一時的にではあるが監督として、部員たちから信頼を得る必要があった。安心してついてきてもらうために、ある程度我を殺してでも、皆の理想の偶像に近づくように努めているつもりだ。それを押し付けなどとは思わない。自らの判断だ。
牧と二人で過ごす時間には、解放されている実感があった。打倒海南と言いながら彼と懇意にしている、ささやかな後ろめたさにも愉悦があった。単純に述べてしまえば息抜きだ。何をも演じる必要のない、ごくプライベートな時間──そんなときに天使だなんだと、存在しないものを求めるかのようなことを言われたものだから、つい苛立ってしまったのだと思う。
「……だいたい、天使の生まれ変わりってなんだよ? 天使って死ぬのか? 死んで天使になるんじゃねーの?」
「それもそうか。じゃあ、生まれ変わりじゃなくて、天から堕ちたんだな」
「堕落した天使、ダラテンだな!」
「いや、普通は堕天使って言わないか?」
怪訝な顔をした牧に、藤真は小さく唇を尖らせる。
「えー嫌だよ、そんな鎖とか薔薇とか絡まってそうなやつ。で、なにが原因で堕落したんだよ? 淫行?」
「そうだなあ、俺との淫行……」
「お前かよ!」
「前世の俺ってことにしよう」
「ひっでえ、B級映画にもなれないシナリオだな」
藤真は顔を顰めたが、その口元は笑っている。
「そうか? ロマンチックじゃないか?」
「そうだね、紳二登場とか超ロマンチックだった」
「忘れずに持って帰れよ。あいつと、鍵と」
「……そうだね」
互いに暇ではないのだから、時間の無駄がないよう、会うときには事前に約束しているはずだ。合鍵を使う機会など多くはないだろう。防犯上のことを思えば、使うかどうかわからない合鍵など人に渡さないほうがいいに決まっている。信用されているのか、単に無頓着なだけなのか。
「どうした? 不満か?」
「ううん? 嬉しかったよ、プレゼント。紳一に会えないときは紳二と仲よくしてるね」
天使だの言いつつプレゼントに張形を渡してくるあたり、夢を見ているというよりは、牧の天使像が壊れているだけのような気がしてきた。
「あと、めんどくせーこと言ってたかもしれないけど、今日楽しかったからまたどっか連れてって」
「!!」
機嫌悪そうにしていたかと思えば、なんと愛らしいことを言い出すのだろう。もちろん、時間さえ許せばどこにだって連れていくし、もっとちゃんとしたプレゼントだって贈りたい。それはいいのだが、心臓が跳ね上がったのと一緒に下半身まで元気を取り戻してしまった。
「んんんっ! 藤真、俺は今日はもう寝るつもりなんだぞ……!」
「オレだって寝るけど? じゃあおやすみ」
藤真はさも当然の顔でさらりと言うと、顎下まで掛け布団を引き、牧の肩に額を押し付けて目を閉じた。
「お、おやすみ……」
取り残された牧は強張った声で呟き、自分も寝ようとベッドライトを消灯して、悶々としながら自分と同じにおいのする藤真の髪に鼻先を寄せた。日頃はなんら意識しないようなものだが、藤真から香っているとなると途端に落ち着かない。
疲れたのか、単に寝付きのいいタイプなのか、藤真はすでに寝入っているようだ。初めて泊まる部屋で、隣に人がいても特に気にはならないらしい。
(はじめてのお泊まり……)
翌朝起きれば藤真の天使のような寝顔が朝日の中に輝いていて、二人はおはようのキスをして一緒に軽い朝食を食べ──などと妄想していると、プレゼントの張形をろくに使わなかったことを唐突に思い出した。
(……やりたいだけじゃない、やりたいだけじゃないんだ、また明日……)
やはり藤真の堕天の原因は自分だったのではないかと、牧は一人居た堪れない気持ちになりながら眠りに就いた。
<了>