2.
お店と仕事についてあれこれ説明を受けて、メイドの二人が各テーブルをチェックしてるのを手持ち無沙汰に眺めてるうち、お店のオープンの時間になった。MIAっちょが芝居掛かった動作でドアを開けると、外で待ってたらしいお客さんが入ってくる。
「お帰りなさいませご主人様!」
バニー一同、もちろんオレも、声を揃えてお出迎えだ。今は系列店のほうにいるマスターの趣味で、アキバ系のノリを雑に取り入れたんでこういう挨拶をしてるらしい。
オープン待ちのお客さんは二人組かと思ったら、一人×二組だった。常連みたいで、他の三人とめいめい挨拶しながら席に案内されていく。一人が歩きながらオレをガン見した。
「あれ? 新しい子?」
「マコっちのヘルプで今日限定! 激レア!」
ウェイターの仕事以外はニコニコしてればいいよ、喋りたきゃ喋ってもいいけど、って言われてたから、オレはとびきりの美人スマイルをした。
「すっげえ美形! どっから連れてきた!? ジュニアとかじゃない!?」
ジュニアのイントネーションから、某大手男性アイドル事務所の予備軍のことなんだろうってわかった。
「ジュニアがこんなとこいるわけないでしょ〜?」
「はは、まあそりゃそうか!」
こんなとこって言っちゃうんだ、って思ったけど、適当に愛想笑いをしてやり過ごした。
お客さんはまったり増えて、時間制限もあるんでそれなりにはけて。オレは注文したそうな人がいれば聞きに行ったり、タツミさんからお酒やら軽食受け取って運んでったり、ビールサーバーからビール汲んだり、灰皿替えたり、話し掛けられたらふわふわ笑って助けを待ったり。まあまあついていけてるんじゃないか?
やたら見られるのとか見た目いじられるのは慣れてるし、人見知りはしない方だけど、初対面のお客さんと談笑するってのはやっぱり勝手を知らないときびしいと思う。まず話題がわからない。別にそこまで求められてないし、今日だけのヘルプなんで余計なことはしないでおく。
マコトが言ってた通り性的なサービスはなさげだけど、チェキっていう一緒にポラロイドカメラで写真を撮れるサービスがあって、一枚千円。誰がポラ一枚に千円出すんだよって思ってたけど、MIAっちょはちょくちょくご指名されていた。オレは名札に『チェキNG』ていうシールを貼ってて、時々名札見られて「あぁ〜……」って、察したみたいな反応されてる。
安いとはいえない飲食代にプラスで席代が掛かる、この店に結構人が入ってるのは個人的には不思議だ。カウンター周りに人がいない時、タツミさんに聞いてみた。
「結構お客さんくるんですね。メイドってやっぱり人気なんだ」
「いや、メイドタイプが二人入ってるのは珍しいのよ。一応バニーボーイの店だからね。MIAっちょは普段別の曜日で、今日は代役で臨時。それでマコっちの代役がキャスト内で確保できなくてキミに来てもらったってわけ」
「なるほど」
「お客さんはね、うち系列店がいくつかあって。こういうのじゃないガチ目のサービスする店でさ」
「ガチめ」
「そこの順番待ちの時間潰しが結構いる。うちのスタンプ貯めたらあっちでオマケがあるからさ。まあほんとにウチ目当てにしてくれる人もいるけどね」
そんな会話をしてた、すぐ次に入ってきたお客が問題だった。
──カランカラン
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
入り口に向かって丁重にお辞儀をして頭を上げ、オレは硬直した。
「ま…」
き。続く一文字は咄嗟に飲み込んでた。
あっちもオレをガン見してて、相変わらず色黒の老け顔をした、気持ち厚めの唇が小さく動いた。藤真、って呟いたんだと思う。
スーツ姿のおじさん三人組(一人は若いおじさん)は、麗華さんが奥の方のテーブルに案内していった。オレがたびたび避難してるカウンターからは見えない位置の席。12卓か。
常連さんの相手が一段落したらしいMIAっちょが擦り寄ってきて小声で言った。
「もしかして:知り合い」
MIAっちょの仕事ぶりを見ながら、よく気がつくもんだな〜なんて感心してたんだけど、まあさすがに目ざとい。
「う、うん、まあ……」
あれは完全に牧だった。ただでさえ人違いするような見た目じゃないし、オレはあいつの体格なんて絶対見間違わないし、明らかにオレに反応してたし。
「敵?」
「え?」
「嫌いな人?」
「そういうわけじゃない。ただ、この格好で会うとは……」
「この店に来てる時点で同類だ! キニスンナ!」
「あー……なるほど……?」
ていうか牧ってそうだったのか?
「あの人たち、よく来る?」
「MIAが入ってる時は見たことないなぁ」
「ここのお店は初めてらしいわよ。タツミさん、注文」
麗華さんは三人分のガチ目のお酒の名前を読み上げる。ビールとかカクテルじゃないやつのロックとかストレート。ていうか牧はオレとタメなわけで、まだ──まあ、見た目は違和感ないんだけど。
麗華さんはMIAっちょからなにやら耳打ちされて、それからオレに小声で言った。
「ケンジくんはあっち側行かなくていいから。この辺のお客さんを見てて」
要するに、あらぬ格好で知人に出くわしてしまったオレに気を遣ってくれてるんだ。ありがたく厚意に甘えることにする。
そうしてつつがなく勤務続行、のはずが。お店は混んでくるわ、12卓の注文ペースが妙に早いわ、オレはお客とお喋りできなくて度々二人に助けてもらってるわ、で、すこぶる回ってない。
察しはいい方なんですぐに気付いてしまった。オレのカバーしてる範囲が少なすぎる。二人は常連の相手だってあるし、カウンター周りはタツミさんだって見てるんだし。
カウンターに出されて置かれたままになってた12卓行きのお酒を、オレは自分のトレーに乗せた。
「あの。オレ、別に大丈夫なんで、12卓行ってきます」
タツミさんに言うと、GOOD! て感じで親指を立ててくれた。
お酒を持っていくと、おじさんの一人が「おお、やっと来てくれたね紳一くん!」って言ったのが聞こえた。こいつやっぱ牧紳一なんだよな、って改めて思ったけど、牧を見ることはなんとなくできなかった。目が合ったら気まずいし。
ていうかオレを呼ぶためにやたら注文してたんだろうか、さっきのおじさんの言い草。
「いやあ、すごい美形だね。お店で一番じゃない?」
「そんなことないです……」
このおっさん。無神経っつーか、もうちょっと褒め方があるだろっつーか、キャスト同士でカドが立つとか思わねーのかな。あと、素顔は知らないにしても、キャラ作り込んでどんなお客ともお喋りしてる他のキャストがオレより下とは思えなかった。
「かわいいねえ、ウサギちゃん。しっぽを見せてくれるかい?」
「はあ……」
容姿を褒められるのなんて慣れてるし、他のお客さんは大丈夫だったけど、このおっさんはなんかやだな、気持ち悪い。でもオレだって自分の立場くらいわかってるから、後ろを向いてスラックスにくっついてるしっぽを見せて、再び前に向き直る。
「あ〜〜ッ、いいね! 腰が細くて、お尻がキュッと小さく締まっててさ。なんか運動やってた? あ、バスケとかかな? 色白いしね。華奢に見えるけど脱いだら意外と筋肉あるでしょ」
「……」
バスケは牧からの連想なんだろうけど、なんか本気で気持ち悪くてオレはもう愛想も振りまけなかった。
「ケンジくん……か」
おっさんの手がオレの手の甲に伸びようとするのを、褐色の大きな手が止めた。
「やめてやってください。嫌がってます」
「おおっ、そうか、すまんね!」
おっさんは戯けた調子で笑いながら謝ってくる。全然すまないと思ってない感じだ。そしてやっぱり牧はいいやつだ。
「ありがとう……ございます」
ようやく牧を見たら思い切り目が合ってしまった。確かに牧だけど、店の照明のせいか、久々だからそんな気がするだけか、視線が鋭いっていうか、少し怖い印象だった。おっさんに怒ってるのかもしれない。
カウンターに戻るとMIAっちょが寄ってきて「お疲れ、ムリスンナ、やっぱ12卓は私が見るわ」ってぼそぼそ言った。
「うん。ありがとう」
オレは素直に頷いた。牧が止めなかったらあの感じ多分耐えられなかったし、あのおっさんとの関係は知らないけど、目上の人なんだろうから人間関係が悪くなっても困る。
それから少しずつ人が減って、オレも手前側の卓ばっかり担当して、平和に時が経過していく──と思ってたら事件が起きた。
「ケンジくん、ちょっと」
麗華さんはオレを引っ張ってロッカールームに連れて行くと、口の横に手を添えて小声で言った。
「アフターって、説明したの覚えてる? 聞き流していいよって言ったとこだけど」
一応覚えてる。アフターデート、お店終わった後のキャストとデートできるかもしれないっていう、この店のぼったくりシステムだ。まずただのコピー紙の申し込み用紙の購入に二千円。それで申し込んでも目当ての相手が拒否れば成立しないし、成立したらしたで追加でお金が掛かる。デートするだけだからエロいサービスも保証されてないっていう、誰が利用するのか謎なシステムだ。金が有り余ってて目当ての子がいればアリなんだろうか。でもこっちの拒否権の方が強いんだぜ? 発端はキャストの出待ちを追い払うためだったとかなんとか。
「実は、ケンジくんにアフターご指名があって」
無理って言おうとした口の動きを遮るみたいに麗華さんが続ける。
「マコっちからも聞いてるしNGなのは承知してる。断って全然構わないんだけど、知り合いみたいだから一応確認しとこうと思って」
「し、しりあい……」
嫌な予感っていうか。変に心臓がバクバクして、頭の弱そうな喋り方になってしまった。
「12卓の三人の中で一番若い人。ガタイ良くて色黒で泣きぼくろの人なんだけど」
牧じゃねーか! 一体なに考えてんだ!
いやそういえば牧の実家は金持ちだって風の噂に聞いたことがある。多分俺らとは感覚が違ってて、金持ちの道楽ってやつなんだろう。
「ケンジくんが拒否ったとは言わないから。お店側で、ヘルプの子は紹介してないんですって言うようにするから、それは安心して」
「いえ……請けます」
「マジで!? ほんとに!? お金困ってるなら貸すけど!?」
麗華さんの驚き具合から「アフターなんてキャストも大体スルーしてるよ」って言われたのが本当なんだろうってわかる。請けるとバイト代に上乗せがあるらしいけど、それが目当てなわけじゃなかった。
「あいつ、知り合いっていうか、結構仲良くて。こういうとこで会うと思わなかったのと、一緒にいたおっさんは嫌だったけど……」
「あー、あっちはひどかったね。まぁ、そうか、じゃあほんとにOKしていいのね?」
「はい」
オレは頷いた。頷いてしまった。
別に牧とデートしたいって思ってるわけじゃない。牧だってそうだと思う。
オレたちには昔ほど接する機会はなくなってて、今日だって結構久々に会った。
オレは街で牧を見掛けたら、彼女と一緒とかじゃない限り声掛けると思う。そのくらいには親しかったはずだ。牧もそんな感じで、ちょうどよさそうな店のシステムを使ってお喋りしようってだけだろう。そうでもしないとオレはあのテーブルに近付かなくなってたし、金持ちだから金は惜しくないはずだし。
アフターのあるオレはラストオーダーの時間でお役御免になり、みんなより少し早く着替えて裏口から店を出た。帰り際、MIAっちょに「がんばれ〜」とか言われてしまった。完全に誤解されてる。