3−1.
一月。冬休みの翔陽バスケ部の練習中に、闖入者があった。
「たのもー!」
開け放たれた体育館の扉の外で仁王立ちする人物に、近辺にいた部員の視線が一気に集中する。気持ちよく晴れてはいるが外の気温は低い。前を開けたアウターから覗く制服と、見覚えのある顔立ちに、口々に声が上がる。
「ん、なんだ? 海南……?」
「清田! 海南の清田だ!」
「清田だって!?」
常勝・海南で一年ながらレギュラーに定着した清田は、インターハイ、国体、ウインターカップを経てすっかり名の知れた存在となっていた。心地よい注目とざわめきに、得意げに仰け反る。
「はっはっ、キミ達、天才が珍しいかね? なんならサインしようか?」
「えー? 牧のサインなら欲しいけどなあ」
「なにっ!」
「だよな、将来牧がプロになったとき、学生時代のサインとか超レアもん!」
「シッケイな! 俺だってなあ!? つーかキミら、意外とミーハーだな?」
翔陽の学校自体のイメージとしてよく言われるのは、おとなしくて真面目、保守的、ということだった。だからこそ藤真の存在はセンセーショナルだったのだと、牧から熱く語って聞かされた記憶がある。
「おれらエンジョイ勢なんで!」
「いわば応援団っす!」
朗らかにそう語る、おそらくは自分と同じ一年に、清田は嘆かわしいといわんばかりに額を押さえた。
「はぁ、なんと向上心のない!」
「でもバスケは好きなんで!」
「うち部活入るの必須だしなあ?」
「海南みたいに体罰で退部に追い込むとかも許されてないし」
「オイッ! んなモンねーから! てかウチの印象おかしくね!?」
体罰並みにきつい練習はなくもなかったかもしれないが、それはひとまず置いておく。
「……まあいい。つまりここは控え組の練習ゾーンだから藤真さんはいない、と……?」
清田の目的は一年のモブと世間話をすることではなかった。藤真は大柄ではないものの、遠目にも目立つ外見をしている。見えないのならここにはいないのだろうと、そう結論づけたとき
「おいそこっ! なーにサボってんだっ!」
凛とした声が響くと、校舎に続くと思しき方向から、制服にロング丈のブルゾンを羽織った藤真が大股で歩いてくる。
「藤真さんだっ!」
「こ、これはサボりじゃなくてっ!」
(こいつらやべえな、怒鳴られてるのにちょっと嬉しそうにしてやがる)
「なんだ、誰かいるのか?」
怪訝な声に対しアピールするように、清田は大きく腕を振って声を張り上げた。
「チューッス! お邪魔してまっす!」
気を遣った一年の部員が藤真の視界を空けるように避け、ようやくふたりは対面する。
「清田! どうした? 牧のお遣いか?」
(そりゃ俺が直接藤真さんに用があるなんては思わないよな)
清田の目的は、藤真と親しくなって将来の楽しい大学生活に備えることだ。彼はこれを牧と同じ思想だと未だ思い込んでいる。牧に藤真を紹介してほしいと言ったら、牧のみでなく部室中から不穏な空気を感じたので、自ら乗り込んできたというわけだ。とはいえどうやって切りだそうか──
「いやぁそれがですね! 実は折り入ってお話しが!」
「……そうか。じゃ場所変えるか。外から玄関に回っててくれるか? 靴がそっちだから。ちょっと外出るって伝えてから行くから、ゆっくり歩いてでいい」
特に理由も問われずに承諾されてしまい、清田は拍子抜けしながらも、これ幸いと元気よく返事をした。
「了解っす!」
そして翔陽校舎の玄関のほうへとダッシュする。
「いや、走んなくていいってば……」
藤真は清田が牧からの用事でここに来たものだと思っている。それも、あの場では口にできない内容の。思い当たる節はなかったが、そう立て込んでいる時期でもないので、少し席を外す程度は問題ないと判断したのだった。
「お待たせ。行くか」
藤真は体育館で見たままの格好に鞄を肩に掛けて出てきた。それに続いて歩きながら、清田はおずおずと口を開く。
「えと、呼んどいて申し訳ないんですけど、ほんとによかったんで……?」
瞬発力と勢いこそあるものの、根は素直な少年だ。玄関の前で藤真を待っているうち、なんとなく冷静になってしまったのだった。
「うん、別にオレただの監督だし……あ、試合の監督って意味じゃなくて、見張り番的な意味の監督な。あと今日は一志……ほかの三年も来てくれてるから任してきた」
「花形さんは?」
牧ほど翔陽のことを気にしているわけではなかったが、花形はよく藤真と一緒にいることに加えて、なぜか牧が苦手そうにしているのが非常に印象的で、自然と頭に浮かんだ。
藤真は清田に横顔を向けると、スゥと目を細めた。表情から何かを読み取るよりも、恐ろしく睫毛が長いことに気を引かれる。
「あいつはバスケ部出禁だから」
「ええっ!? ケンカでもしたんすか!?」
「受験で忙しいくせに様子を見に来ようとしやがるから、合格するまで出禁にした。オレにはその権限があるからな」
「落ちたらどうするんすか!」
「だから落ちないように頑張るんだろ」
「す、スパルタ……」
綺麗な顔をして──そう、こうしてあらためて見ると、藤真はかっこいい、男前、というよりはひたすらに綺麗な顔をしている。世の女子たちはこういうのがいいのか? 系統的には女子寄りだから、隣に並ばないほうがいいのでは? もっとこう、男らしい男に目を向けて……など意識を飛ばしている横で、藤真の話は続く。
「あいつ、ほんとはもっとゴリゴリの進学校から東大行く予定だったんだよ」
「はい?」
「そういうおウチの子だから。でもバスケしたくて、それでそこそこバスケが強くてまあまあ進学もいけそうな翔陽にしたんだって」
「あー……」
確かに、海南から東大を目指すのはほぼ不可能なことだ。牧のように空気を読まな──マイペースな人間もいるにはいるが、大半が海南大に進む。
「で、誰も予想してなかったこととはいえ、高校生監督の補佐としてめちゃくちゃ忙しい三年生を過ごす」
「ああー……」
無表情に近いその表情から読み取れる要素は決してポジティブなものではなく、さすがの清田も余計なことは言えずに曖昧に相槌を打った。
「だからもう出禁」
「ふっ……激しいっすね!」
不貞腐れたような口調とその表現に、思わず吹き出してしまった。花形のことは藤真の手下というか下僕というか、目下の立場のように思っていたのだが、実際は藤真もずいぶんと気にかけているようだ。
「そこ、入るぞ」
「へっ?」
翔陽近辺の地理について清田はほとんど知らないため、藤真の話を聞きながらただついてきただけだ。店の選択に注文などないつもりだったが、しかし藤真が示したそれにはさすがに面食らう。
「か、カラオケ!?」
「オレが払うから気にすんな」
「いや、そういうことじゃなくて……」
人見知りをする性質ではないし、さほど知らない相手がいたとしても、多人数でなら躊躇はしないと思う。しかしこれから親しくなろうという相手と、いきなりふたりきりでカラオケとは。藤真は清田の様子など気にせず店内に入ってしまう。
(意外と強引なんだな。まあ、翔陽を仕切ってんだからそんなもんか……ん?)
視界の端に女子の小さな集団が見えた。五、六人はいるだろうか。それが細波のようにざわめきながら、ちらちらとこちらを見ている。店内を見遣ると、ガラスのドア越しに不愉快そうな藤真と目が合った。最初から印象を悪くしてはいけないと、清田も慌てて店内に入る。
外でこそ戸惑ったものの、カラオケ自体は好きだ。個室に入ってしまえば自ずとテンションは上がった。
(こういうのは一年からだよな!)
ごく当然のようにそう考え、迷いなく歌本から得意の曲を探しだして入力する。藤真に歌本を差し出そうとするが、藤真はドリンクとフードのメニューを見ていた。
「食えないもんある?」
「ないっす!」
「飲みものは?」
「メロンソーダで!」
「よし」
藤真がリモコンからフードを注文している間にイントロが始まった。原曲とはどこか違う感じのする、妙に軽い音のイントロだ。カラオケにはよくあることである。
「どれだけがんばりゃいい〜♪ だれかのためなの♪」
「……」
ほぼ牧のせいな気はするが、どっしりとして落ち着いた印象の海南の中で、清田のひととなりについては〝一年のうるせーやつ〟という程度の認識だった。しかし伊達にうるさいわけではないようだ。腹からしっかりと声が出ていて、音程も非常に安定して、率直に言って上手い。選曲も声質に合っていると思う。
初めはただ聞いていたものの、曲のノリも相まって、途中からは藤真も合いの手を入れていた。そうしつつ、運ばれてきたドリンクとフードを受け取りテーブルに並べる。
「一番大事なひとがホラ、いつでもあなたを見てッアイキャンテッ♪」
なかなか店に入ってこなかった割に、すっかり清田オンステージといった様相で、手振りや指差しなども交えてくる。花形はマニアックな洋楽ばかりでヒット曲系は歌わないので、非常に新鮮で楽しい。
「しゅーくーふくがっ欲しいのならぁ♪ 底なーしのペイン 迎えてあげましょぉ〜♪」
「……」
選曲に他意はないはずだ。清田の調子からしていつものお約束というか、得意の曲なのだろう。しかし何か、上手いだけに沁みてしまう。
「そしてぇはーばたーくウルトラソウッ!」「「ハイッ!!」」
「イエーッ!」
「ヒュ〜!」
満足げな清田に、藤真も口笛と拍手で賛辞を送る。どさりとソファに腰を下ろしてメロンソーダをあおった清田は、カラオケ受信機の表示を見て目を瞬いた。
「……ふぅ。あれ、藤真さんまだ入れてないんすか?」
「うん。別に歌うために入ったわけじゃないから」
藤真は先ほどまでと打って変わって落ち着いた面持ちで、当然のように言い放った。
「はいっ!? じゃあなんで!?」
「女がついてきてたの気づいてなかった?」
「あ、あれやっぱそうでしたか。たまたま行き先が同じなのかと」
「あいつらほんとしょうもねーんだよ、カフェとかだと盗み聞きされるんだ」
「まじっすか! ファンこえー!」
モテるのは羨ましいことだと単純に考えていたが、そういうたぐいのファンならば遠慮したいところだ。
「うん。でも実害ないから警察にも届けられないし。というわけでお近くのお手軽な個室」
「先に言ってくださいよ! 俺熱唱しちまってめちゃくちゃ勘違い野郎じゃないですか!!」
「あはは。でも上手かったよ。まあ食って」
「あざっす!」
テーブルに並べられた唐揚げやフライドポテトなどの軽食を頬張りながら、なんともなしに藤真の顔を見る。色素の薄い睫毛が烟るようで、あらためて綺麗な顔立ちだ。
選手兼監督という肩書きとその容姿、黄色い声援を送る女子ファン、尊敬する主将が妙に彼に入れ込んでいること──などなどから、当初の印象は決してよいとは言えないものだった。
国体合宿で一緒になると、目を見開き大きく口を開け、派手な身振りで指示を飛ばすさまなど、いかにも体育会系というか、自分たちと同じ人種なのだと思えて、一方的に感じていた壁のようなものはだいぶ薄くなった。
しかしこうして落ち着いた状態でまじまじと眺めると、やはり異質なものに見える。
(すげえ、ハーフとかのモデルみてー……顔にボールぶつけたりしたら、さっきのファンに呪われるかも……)
「で、牧はなんだって?」
全く疑う様子もなく覗き込んでくる、うさぎのような丸い目に、清田はにわかにたじろぎつつも勢いよく言った。
「牧さんじゃなくて、俺が藤真さんに用事があるんですっ!」
「は? なんで? なんの?」
「そりゃあ、藤真さんとお近づきになりたくて!」
「???」
藤真は怪訝な顔をして、まじまじと清田を見つめる。
(これは同棲を直前にして、牧がオレを試してるってことか……?)
どうしても〝清田は牧の命令で自分に会いにきた〟という部分が覆せないために、現在の状況から考えて、そう結論づけた。
付き合ってる時点は平気でも、一緒に暮らすと相手の合わない部分が見えて、不仲になるカップルもいるようだ──と、以前牧に話したことがある。藤真としては単なる雑談のつもりで、危惧するとすれば牧の育ちのよさに対してだったのだが、牧にとっての憂いごとは少し違ったらしい。
(こいつで? オレがこいつに言い寄られたら浮気するかもって? くだらねえ! だいたいオレを試そうってのが気に食わねえ! よし、そっちがそのつもりなら)
「……えと、藤真さん?」
組んだ膝の上に肘を乗せ、前傾姿勢で頬杖をついて上目遣い気味に見つめてくる藤真は、綺麗というより愛らしい印象だった。しかし明るく健全なものではなく、どこかあやしげな雰囲気だ。何やら考えていた様子の表情の、唇がニッと弧を描いた。妖艶という言葉こそ頭に浮かばなかったものの、清田は途端に落ち着かないものを感じ、言いたいことも決めないまま声を上げる。
「あ、あのっ」
「わかった。でも、オレはキミのことまだよく知らないんだよね」
「ええっ!? 合宿で一緒だったじゃないすか!!」
そんなに印象に残らなかったのだろうか。素直にショックだ。
「そうだけどさ。じゃあうちの長谷川一志知ってる?」
「え、ああ、知ってますけど……?」
代表でも一緒だったし、翔陽のレギュラー陣のことは牧に仕込まれたので知っている。髪を逆立てている割には無口でおとなしい、よくわからないキャラの男だ。
「一志のこと好き?」
「知らねっすよそんなこと!」
「そういうこと。オレもキミのことそんくらいしか知らないんだってば。だからさ、お近づきにっていうなら、オレがキミを好きになるようなとこに連れてってよ」
「好きにっ!?」
(えっ、あっ? なんだコレ! 顔がよすぎてドキドキしてきた! 顔がいいってすげえ!!)
クールな監督風と、熱血キャプテン風のときがあることは知っていたが、今の表情は甘く、しかし危険な毒を含んだようで──小悪魔風とはこういう表情なのかもしれない。
(ん……?)
自らの感慨の中に、何か引っ掛かったような気がしながらも、今の清田には深く考える余裕はなかった。
「ええと、藤真さんが、俺を、す、好きになる……」
「うん。だって、遊びのセンスが合わないやつとはお近づきになれないだろ」
「そ、そりゃそうっすよね……」
(どうしよう、このひとどういう場所が好きなんだ? 女の子がいる場所? それは勝手に湧くから興味ないか? いや待て、落ち着こう、牧さんならどうする?)
清田はメロンソーダをあおった。炭酸が喉を通る感触に、頭も冴えたのだろうか。
(そうか叙々苑か! 無理!!!)
「別に無理しなくていいぜ?」
「えっいや、全然無理じゃないっす!」
今しがた頭に浮かべた言葉を自ら否定しながら、皿に残っていた唐揚げを頬張る。
難しい顔でむぐむぐ頬を動かす清田を眺めながら、藤真は子供のころに飼っていたハムスターのことを思いだしていた。
(落ち着かねーやつ。おもしろ)
「じゃあどっか連れてってよ。カラオケ飽きちゃった」
「わ、わかりました!」
行き先は決まらないものの、いかにも部屋を出たい様子で鞄を引き寄せた藤真を見て、清田は慌ててグラスを空にした。
「お残ししない主義か。結構いいじゃん」
「あざっす!」
ごく軽い賛辞と自分だけに向けられる柔らかな微笑に対して、素直に嬉しいと感じてしまった。
(やばい、こわい、俺の心が翔陽になっていく……!?)
3−2.
もともと天気のいい日ではあったが、室内が薄暗かった反動で外はひときわ明るく見えた。ごく弱い風にも流される色素の薄い髪を、陽の光が金色に透かしている。ただそれだけのことが、至極特別な光景のように見えていた。カラオケ店に入る前にも藤真の姿は見ていたはずなのだが、まるで世界が変わってしまったかのようだ。不思議なものだ。
「なに?」
「い、いや、髪って地毛なんです?」
深く考えたわけではない、何か話したほうがいいだろうかと咄嗟に絞り出した質問だった。藤真もまた、なんともないように答える。
「そうだよ。どっち行く?」
「じゃああっちで!」
「オーケー」
どこに藤真を連れて行くべきか、案すらも出てこなかったが、とりあえず歩くことにした。先輩というものは答えの正しさより返事の早さを評価するのだという、清田の経験に基づく行動だ。そもそも翔陽の近辺に詳しくない清田に行き先を決めさせるというのは横暴なのだが、今の彼にそこまで考える余裕はない。
幸い、勘で示した方向は賑わっている。藤真の興味を引く店もきっと見つかるだろう。
(だといいなっ……と)
そうして少し歩くと、清田は異変に気づいた。
(な、なんか、いいにおいの風が吹いてくる……!)
ハッとした表情で藤真を見ると、ちょうど清田と同じ高さにある色素の薄い瞳が不思議そうに見返してくる。
「なに?」
(うっ、やっぱり顔面が強い……てか、今まで平気だったんだけどな……)
顔がいい男はにおいにも気を遣うのか。それはそうだろう。そうなのだろうが、日々汗水滴らしてトレーニングに励み、男子寮に寝泊まりする清田には忘れ去られていた感覚でもあった。なんというか、カルチャーショックを受けてしまう。大きな目がぱちぱち瞬くと、長い睫毛がばさばさ揺れて、いかにも華やかだ。
(これは……これが監督とか。そりゃ翔陽の連中もがんばるわ……)
翔陽バスケ部の奇妙な組織体系について、特に同級生である三年はどんな気持ちで藤真に命令されているのだろうかと考えたことがある。海南だとて主将の牧がチームメイトの三年に声を上げることは多々あるが、監督の命令とは質が違うと思う。そんな翔陽の三年を、情けないやつらだと密かに思ったこともある。彼らにプライドはないのかと。しかしそうではないのだろう。
(きっとあいつらもカントクの力になりたかったよな)
あいつらと脳内で無礼に呼んではいるが、翔陽の三年のことだ。海南とは異なり、ほとんどが受験を控える彼らが、ウインターカップのために部に残るのは珍しいことだと聞いていた。結果は予選で海南に敗れて終わったものの、試合のあとは翔陽のみならず、海南の三年の間にも奇妙な一体感とでも言おうか、不思議な空気が流れていたことを覚えている。
あのときだとて、藤真の〝指示だから〟というだけで三年の全員が残ったわけではなかっただろう。カラオケに入る前に聞いた花形の話題を思いだす。
「そうだ清田クン、仙道やっつけといてよ」
「ふぇっ!? あ呼び捨てでいいっすよ!」
真面目なことを考えていたところに呼び掛けられ、思わず変な声が出てしまった。
「仙道は言われなくても倒しますけど……嫌いなんすか?」
代表合宿でむしろ親しげにしていたような気がしたが、思い返せば仙道が付きまとっていただけだったかもしれない。そんな気がしてきた。
「いんや? なんとなく。そのほうが面白いかなーと思って」
藤真はあくまで品よく笑った。
(えっ、なんかこわっ)
「あー、でも海南が勝つのは面白くねーな」
「はっはっは、まあ見といてくださいよ、仙道も流川も桜木も、みーんな俺がブチ倒してやりますから!」
「お、そうだな。湘北は念入りにぶっころしといてくれ!」
(いやぁ、やっぱりこええ。めちゃくちゃ根に持ってるじゃねえか!)
それをとびきりの笑顔で言うのだから堪らない。天使のような、悪魔のような。
(牧さんがのめりこんじゃってんのも、なんとなくわかるかも……いや、んん?)
違う。牧は藤真が連れてくる女子を目当てにして仲よくしているはずだ。なにしろ牧は理想が高く、ナチュラルでショートカットで色白で、睫毛が長くて品がよくて小悪魔で、胸と尻がなくて活発で芯が強くてバスケが好きでボーイッシュな子が好きだから、充分にモテそうだというのにいつまでも彼女がいないのだ。
「!?!?!?」
(いや、いやいや!?)
清田の頭の中は混迷を極めていた。牧の好みのタイプの注文がやたら細かかったことも、過剰に藤真のことを気にする理由も、一緒に住もうとしていることも、そう結論づければ全てが腑に落ちる。しかし身近にそんな世界があるなど考えたこともなかった清田は、どうにも「まさか」と思ってしまい呑み込むことができずにいた。偏見よりもまだ遠い。テレビやフィクションの中のものという感覚なのだ。
「ん……」
清田を現実に引き戻すかのように、香ばしい、いいにおいがしてきた。鉄板焼きの店の看板が見えている。
「そうだ。お好み焼きとかどうすか?」
前に牧が藤真と一緒に食べに行ってよかったと話していたから、藤真も好きかもしれない。ふたりの関係を察しつつも認めきれてはいないため、清田は当初の目的を遂行することを選んだ。
「おっ、いいな」
店に向かって歩くうち、遠目にでも絶対に見間違うはずのない人影を見つけてしまった。
「あれっ」
「ま、牧さんっ!?」
清田が牧の命令で動いていると思っている藤真は「やっぱり」と唇を歪めて笑う。しかし実際は完全なる偶然だった。清田は面食らう。牧もこちらに気づいたようで、早足に近づいてくる。
「珍しい取り合わせだな、どうしたんだ?」
「どうって、これからノブくんと一緒にお好み焼きひっくり返すんだよ」
あくまでとぼけた様子の牧に対し、藤真は意地悪く笑うと、清田の手を握って見せつけた。清田は唐突なスキンシップに面食らう。
「はっ!???」
「なん……だと……お前たち、いつの間にそんなっ……!」
「し、知らなかったんですっ! すみませんっしたー!!!」
頭よりも感覚。これはやばい、本気の怒りだ、そう察するに余りあるものを感じて、清田は全力疾走で逃げ出していた。
「あいつ……! 紹介ってそういう意味だったのか! なんてやつだ!!」
「あれ〜……?」
清田に対して怒っている牧に、藤真は首を傾げる。これは牧の仕掛けたドッキリに嵌って清田の誘いに乗った自分が咎められる場面であるはずだ。どうも、事実は想像とは違うらしい。
「おい藤真、ノブくんってなんだ、どういうことなんだ!」
(やば、めんどくさいことになってきた)
よくわからないながら、とりあえず危機は回避しなければならない。藤真は天使のような笑みを浮かべた。
「別に、一年の相談に乗って、緊張ほぐしてやろうとしただけだよ。いいじゃねーかそんなん、そうだ、お好み焼きでも食って帰ろうぜ」
「藤真、お前はやっぱり年下に甘いんだな」
「はあ? 他校の一年に無意味に厳しいとか、人としてダメだろ。シゴキばっかの教えなんて、もう古いんだからな。……食わないんならいいや、帰ろっと」
踵を返すと、強い力で腕を掴まれる。
「待て、食いながら話を聞こう。そして今日はもんじゃだ」
「はああああぁ??? あんなん水っぽくて食った気しねえよ、ヘラでちまちま突くのも気にくわねえ。男ならガッツリお好み!」
「お前はまだもんじゃのことをなにも知らない。さあ来い、一緒に土手を築くんだ!」
「ええ〜〜……」
心底不満げな声を上げながら、藤真は店内に引きずられていった。
◇
「神さん……知ってたんすね、牧さんと藤真さんのこと」
「うん、まあね」
「なんか、うーん……世間って広いようで狭いんだなっつうか、まあ、セーヘキ的なことは別に自由って思ってんですけど……」
あまり介入したくないとは思いつつ、消沈している様子の清田を放ってもおけず、神は落ち着いた口調で返す。
「なに、幻滅した?」
「いやあ、そういうわけじゃないと思うんすけど。牧さんて、めちゃくちゃフリーダムなひとだったんだなあって……」
清田の視線の先には牧のロッカーがあり、そのすぐ隣の壁には藤真の写真の大きく載った雑誌のページが貼ってある。今回の件より前に牧本人に聞いたところ『見ると気合が入る』と言っていたので、〝打倒・藤真〟的な意味合いのものだと信じて疑っていなかったのだが──
「大物なんだなって思っちまいました」
「うん。あそこまであからさまにやられると、却って気づかないかもね……」
引退というならあれも早いうちに回収していってほしいものだと思う。海南の部室の壁に輝く藤真の笑顔。もはや当たり前のものになってしまった風景を、神は遠い目で眺めた。