それからずっと、おれたちは

3.

 二〇十五年四月一日、早朝。
「藤真! 結婚しよう!!」
「ばっか今日エイプリルフールだろ。もっと面白いウソつけよ」
 朝っぱらから妙にテンションの高い牧を、オレは動物にやるみたいに「しっしっ」てして追い払おうとする。個人的に認識してるうちで一番くだらねー行事だと思ってるんで、対応もそれなりになるってもんだ。
「おっ、四月一日ってそうか。いや嘘なんかじゃないぞ。ほら、これ読んでみろ!」
 牧が突きつけてきた新聞の紙面の文字を、目に入ったまま読み上げる。
「パートナーシップ、証明……?」
 そして見出しは〝LGBTカップル公認へ〟と続く。東京都渋谷区でパートナーシップ証明制度が施行されるというニュースだった。
「なあ、まだガキだった俺たちが一緒に暮らし始めたころ、よく通ってた渋谷だ。運命を感じないか!?」
 ふたり暮らしの始まった大学時代、住んでたのは世田谷区で、通学で渋谷駅を使ってたのはオレだけだが、牧だって当時は若者だったんで、ふたりで渋谷を歩くことは多かった。
「って、具体的にどういう……」
「書いてあるだろう、ちゃんと読んでくれ」
 簡単にまとめると、自治体が同性カップルに対し、ふたりのパートナーシップを婚姻と同等であると承認し、証明書を発行する制度。本当の結婚と全く同じってわけじゃなく、あくまで自治体の条例ではあるが、それなりに後ろ盾になるものみたいだ。
「婚姻と、同等……」
「というわけで、結婚しよう」
 牧はにこにこ、キラキラとした一切の曇りのない笑顔で言い放つ。プロポーズってほどの重さはない。まあ、二十年以上も付き合ってきてたらそんなもんかもしれない。
「別にオレ、結婚したいなんて思ったこと……」
「できないって思ってたからだろう。できるっていうなら俺はしたいぞ。いつか別れるつもりで今まで一緒にいたわけじゃないんだ」
「そりゃあ、そうだけど……別に、今の状態で特に困ってることないし……」
「これから困ることが発生するかもしれない。お前よく言うじゃないか、なにが起こるかわかんないって」
「それ言われるとなあ」
「なんなんだ、なにが懸念なんだ? ムードが足りなかったか?」
「ムードは別にいらないけど……」
 そういや昔一緒に住もうって言われたときもムードなかったな。まあそれはいいとして、懸念って言われてしまうと特にはない。ただ、さっき言われた通り、男同士で長く一緒にいて、結婚なんて他人ごととしか思ってなかったし、願望もなかったから、急に言われても戸惑うって感じだ。
「これ、渋谷限定の話だろ?」
「ああ。だから渋谷に引っ越そう」
「渋谷に住むとこなんてあんのかよ?」
「いくらでもあるだろう、センター街に住もうっていうんじゃないんだ。嫌なのか? それならそう言ってくれ」
 そうなんだよな。そう。オレは嫌なら嫌って言うほうだ。
「嫌では、ない……」
「なんだ、じゃあ決まりじゃないか!」
「戸惑ってる」
「……そうか。そうだよな。じゃあ、少し考えてみてくれ。引っ越しも必要だし、まだ証明書は貰えないようだし、そう急ぐことでもない」
 牧は少し消沈したみたいだったが、あくまで穏やかに言った。前に家を買うって言われたのを拒否ったときは見たことないくらい凹んでたから、ちょっとは安心してるようだ。……そうだな、家のこと言いだしたあたりから、牧はその手のこと考えてたんだろう。世間で言う、結婚みたいなこと。それで牧は心の準備だけはある状態だったから、今回のニュースに迷わず飛びついたってわけだ。だけどオレは違った。けど──
「牧、本当にいいのか? 取り返しつかなくなるんじゃ?」
「ああ、いいさ。一体なにを取り返すっていうんだ?」
 牧の目は見守るみたいに優しい。そうだな、オレは一体なにをおそれてるっていうんだろう。
「……そうだね。いいよ。パートナーの証明を受けよう」
 牧は大きく目を瞠って、それからみるみる破顔する。がばっ! って音が聞こえたくらい、オレは思いきり抱きすくめられていた。
「藤真……! ありがとう!! もう離さないぞ!!」
「ありがとうはおかしくね?」
「そうか? まあものすごく嬉しいってことだ!」
 痛いし暑苦しいけど、こんなに喜んでるならまあこのままでいいかな。
 牧が『考えてみてくれ』って言ってから、正直考えてはなかった。嫌じゃない。牧とは一緒にいたい。断る理由なんてない。必要なのは、ほんの少しの覚悟だけだった。
 牧みたいにはしゃぐテンションにならないのは、結婚に憧れがなかったからだろう。男同士ってのももちろんだが、男女でも離婚する夫婦なんていくらでもいるじゃんかって思ってて。だけど、牧がしたいっていうなら付き合ってやってもいいなって感じたんだ。

 制度ができるって決まっただけで、施行はまだ先だ。引っ越しもしなきゃいけないし、互いに仕事もあるってんで、意思が決まったからって早々に動けるわけじゃなかった。そのうち、世田谷区でも似たような取り組みを検討してるって話が耳に入って、じゃあそれを待ってから渋谷か世田谷か決めようってことになった。住むところとしては学生時代に暮らした世田谷のほうが馴染みがあるし、その制度のほかにも気にするべきところはあるんじゃないかって、ふたりで話して。
 結果、オレたちは学生のとき以来で世田谷区に舞い戻ることになった。宣誓書を出しに行く日、牧は朝から、いや前日から様子がおかしくて、オレはずっとそれを面白がってた。「今日がオレたちの新しい記念日になるのかな」って言ったらめちゃめちゃ嬉しそうにしてて、オレは自分が結婚する実感ってよりは、牧はそれでこんな幸せそうな顔するんだって、そっちのほうで胸がいっぱいになって、少し感動してしまった。まあ、決断してよかったなってことだ。
 オレが四十一歳、牧は四十歳のときだった。

 パートナーの宣誓をしたからって、日常が特に変わるわけじゃない。外では人並みに働いて、家では相変わらずしょうもないことで笑ったり機嫌悪くしたりして、大きな事件なんて起こらず、なにごともなく年とってくのかなーって思ってた。ああ、ちょっと大きめのことといえば、牧の強い押しに負けてマンションを買ってしまった。ある程度間取りとかに口出しできる、セミオーダータイプだ。

 五年後、二〇二〇年。
 外ではウイルス感染症が流行して、今夏に予定されてた東京オリンピックはひとまず延期、オレは平日なのに仕事に行けずに家にいる。連日こんな感じなんですっかりだらしなくなっちまって、今日起きた時間は朝の十時半だった。
「おはよ〜」
 自分の部屋を出て、居間のソファに座ってた牧に後ろから声を掛ける。
「おう、おはよう」
 牧はこっちを振り返ってちょっと照れたみたいに言った。家にいる割にちゃんとした格好してんなって思ったら、肩の向こうにノートパソコンが見えて、さらにその画面の中で気まずそうに笑ってる人が見えた。
「!!」
(居間でリモート会議すんなつっただろ!)
 オレはバシンと牧の背中を叩いて、そそくさとトイレに逃げた。トイレの音とか聞こえないもんだろうか。ドア閉めてたら平気か。

 居間にいるわけにいかないんで部屋に戻って、ちょっとスマホ弄って、タブレットで動画見て。それぞれの部屋にテレビを置いたら居間に来なくなるだろうって、牧が昔断固反対した名残で未だにテレビはないけど、もはやそれでも暇しない時代なんだよな。ベッドに転がってしばらくだらだらしてたら、部屋のドアがノックされた。
「藤真、仕事終わったぞ。遊ぼう」
「もう!?」
(遊ぼうって! 犬かよ!)
 牧の言葉と、リングコン──直径三十センチほどのリング状のゲームコントローラー──をアピールする仕草に、声と脳内とで別々のツッコミを入れていた。
「ああ、会議終わったからな」
「会議しか仕事ないんだ」
「今日はな」
 それでも会社にいればなにかしらやってるんだろうが、在宅勤務となれば余った時間はまあ遊ぶわな。それすらしてないオレがどうこう言えることでもないんだが。

 リングフィットネス・アドベンチャー、通称リングフィットは最近人気のテレビゲームで、体の動きを認識する機能を搭載した専用コントローラーを使い、冒険しながらフィットネスができるという代物だ。テレビでもよくCMを打ってる。
『最近どこも景気悪くて、儲かってるのはゲーム会社くらいらしいぞ』
 大真面目な顔で言いながらリングフィットとゲーム機本体を買ってきた牧に、言いわけしなくていいのに! ってツボって笑ってしまった。
 牧はテレビゲームが好きじゃない。理由は簡単、下手だから、面白さを感じるとこまでいけないんだ。そしてゲームの上手い花形に嫉妬してた。大学のときの話だ。だが体を使ってゲームをするリングフィットは、牧も好成績を出せて面白いようで、すっかりハマってる。
「どれにしようかな」
 牧がミニゲームを選んでるのを、オレはソファに凭れて見守る。
「パラシュートやって」
「藤真パラシュート好きだな。スカイダイビングしてみたいとか?」
「いいや?」
 プレイしてるときの牧の動きとか反応が面白いからだよ、とは内緒にしてる。牧は休日に出かける予定を入れたがるタイプだから、こうやってダラダラ家で過ごしてるのって意外と新鮮で悪くない。不穏なニュースが多いのとは裏腹に、家の中の時間はのどかだ。
 ちなみにこのゲームには一人プレイモードしかないんだが、牧は二人で遊べると思って二つ買ってきたんで、一個は花形家にあげた。品薄で買えてなかったんだって感謝されたが、牧は一体どういうルートでこれを手に入れたんだろう。
「……花形、大丈夫かな」
「お前、またそれか? 花形は感染症じゃないだろう」
「でも内科は内科だし、病院いるしさぁ」
 花形は神経内科のお医者サマだ。詳しいことは知らないが、オレたちが遊んでるときにも働いてるのは確かで、食事に誘って労ってやるのも今はためらうような状況で。まあ、そのうちことが収まったらなんかご馳走してやろう。
「しっかし、生きてるうちにいろいろ起こるもんだな〜」
 青春はいつの間にか終わって、仕事ももう変わんないだろうし、余生って歳じゃないけど、もうそんなに新しいことはないんじゃないかと思ってた。だけどたとえオレたちが変わんなくても、人がいれば世間があって、世間が変わればやっぱりオレらにも影響はあるんだよな。
「そうだな。一緒にいられてよかった」
「ん?」
 話が噛み合ってないんじゃないかって聞き返す。
「会いたくたって気安く移動できない状況なんだから、離れてたら心配じゃないか」
「あー……」
 オレと牧が密とか気にしないで一緒にいるのって、家族だからなんだよな。昔は別々のチームでバスケやってるだけだったのに。いまさらだけど、不思議な気分だ。
「これからだって、きっといろいろあるぞ」
「あるかな。いいことだといいな」
「今は〝病めるとき〟だから、次は〝健やかなるとき〟がくる」
「えー、あれそういう意味ではなくねえ?」
 結婚式の牧師の誓いの言葉だ。もちろんオレらは式なんて挙げてないが、ちょっとした真似ごとはした。牧ってそういうの好きそうだろ。でもあれって、一体誰に誓ってるんだろうな。相手に対してか?
 病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、

 それからずっと、おれたちは <了>

Twitter