プラン 2

2.

「久しぶりだな、藤真」
「一週間ぶりだろ?」
 待ち合わせの改札の前で、穏やかな表情の牧にそう返したものの、今日のことを待ちわびていたのは藤真も同じだった。もはや単なる他校の知人ではないのだ。
 まだあまり知らない駅の周辺を見回していると、腕をつつかれ進行方向を示された。どことなくぎこちない動作をいじらしく感じたが、部活の仲間にするようにふざけて腕にしがみつくことはできなかった。遠慮か緊張か、あるいは今の二人の関係への過剰な意識なのかもしれなかった。
「月曜に電話したきりだ」
 駅の周辺はそれなりに店が出て賑わっている。藤真の興味を惹くものがあるかはわからないが『その辺ぶらぶらして食事して』という予定の通りに歩くことにする。
「そうだな。日曜なんてあのあと帰ってから電話したのに。どうしたんだよ、全然電話してこなくなって」
「どうしたというか、月曜に今日の予定を決めてから、連絡する用事がなかった」
 藤真は声を上げて笑った。
「そうそう、電話してきやすいようにと思って予定決めないで帰ったのにさ、月曜に即電話して時間まで決めてんのウケる」
「早く決めてしまったほうがいいと思ったんだが、わざとだったのか」
「まー用事なんてなくても電話してきても別にいいんだけど。姉がうざいんだよな。とっとと家出て行かねーかな」
「仲悪いのか?」
「仲は普通だと思うけど、あいつも夜電話使いたがるからさ。日曜途中で邪魔入ったのもそうだし」
「だからって出て行けとは」
「そういう話があったんだよ。男と同棲するとかしないとか、言ってること変わるから、どっちなんだよって多分親も思ってる。それに電話がオレのになったらいくらでもスケベ電話ができるぜ」
「スケベ電話」
「どんな格好してるの? パンツに手入れてみてどうなってるか教えて? とかそういうやつ。お前絶対好きだろ」
「!! 絶対って判断は一体どこからきたんだ……」
「日曜ちょっとそんな感じだったじゃん。面白そうだけど今の環境じゃキケンなんだよなー。おっ、この店入っていい?」
 狼狽える牧は藤真に腕を引かれるまま、通りに見つけた靴屋へ連れられて行った。

 しばらく散策し、のんびりと食事を摂って、牧のマンションへと赴く。
「この辺てそんなに海南近くなくねえ? お前のために部屋借りたわけじゃないのか?」
「電車ですぐだぞ」
「それはわかるけど」
 電車が必要ない距離に住んだほうが楽だったのではないかと言いたかった。
「気分転換に歩いたりもする」
「歩く距離じゃなくね?」
「走るときもある」
「……もういいや」
「会話を諦めないでくれ。あんまり学校近すぎても溜まり場にされて落ち着かないぞって」
「親御さんが?」
「……誰だったかな。絡みが多いのはあと伯父だが」
「なんかお前の親類の人って、考え方がエロいな」
「別にそんなことはないと思うぞ。……多分」
 部屋に入ると、先週と同じくソファを勧められて腰を下ろした。丁寧にもローテーブルの上には適当につまめるような菓子が用意されている。
 特に見たいわけでもないがテレビをつけ、道中で買った飲み物を口にして、それでも落ち着かずに部屋の中をぐるりと見回す。
「どうした?」
「ううん。……シャワー借りようかな」
「シャワーか。いいぞ!」
「一人で入りたい」
「そ、そうか……」
 牧が明らかに消沈したので、つい吹き出してしまった。
「二人だと時間食うし。すぐ済ませるからさ」
 そそくさとシャワーを浴びて、腰にバスタオルを巻いた格好で居室に戻ると、ソファに座っていた牧が跳ねるように立ち上がり、入れ替わりに部屋から出て行こうとする。
「牧?」
「俺もシャワーを浴びてくる」
「ええ? 別にいらないだろ」
 事情も違うし、オレは牧の体べろべろ舐めないし、とは言わずに擦れ違う牧の手首を掴んだ。
「……」
 藤真の体から、よく知った石鹸のにおいがした。顧みると視線が交わり、ぐらりと世界が歪む。目眩に似た衝動でキスをすると、薄い唇はミントの味で、牧は弾かれるように顔を離した。
「だめだだめだ、そんなの」
 重い鎖を引き千切るかのように手首を取り戻し、浴室へ向かう。
(歯も磨いてたのか。いつの間に)
 シャワーを浴びていると思っていた間なのだろうが、涼しい顔をしていろいろと準備しているものだ──そう考えると、体に熱いものが奔った。ごく普通の友人同士のように靴屋やCDショップを回っている間、または食事のとき、藤真もまた自分と同じように、これからのことを考えていたのだろうか。股間が痛い。早くシャワーを浴びてしまおう。

「うーーん……」
 藤真は仕方なさそうに呻きながら一人ベッドに潜り込んだ。シャワーを浴びているうちに密かにテンションが上がっていたから、そのまま雪崩れ込みたかったのだが、気勢を削がれた形だ。
 テレビを眺めていると、ほどなくして牧が戻ってきた。腰に巻いたバスタオルの下で主張する、男の象徴の存在感があまりに強烈で、藤真は顔を赤くして寝返りを打つ。
 すっかり灯った火は、そんな仕草にも簡単に煽られる。牧は藤真の隣に体を滑り込ませた。
「藤真、こっち向いてくれ」
 向こうを向いたままの顔を、上から覗き込みながら言った。
「ヤダ」
「どうして?」
「どうしても」
 理由などなかった。ただ言葉遊びをしているだけだ。
「顔が見たい」
「やっぱり顔?」
「いや、全部好きだ。全部見たい」
 藤真は案外と素直に仰向けになって顔を見せた。整った無表情の中に、こちらを試すような、疑うような気配が見える。外で見るときの快活な印象とは違う、そんな顔も魅力的だと思う。
「全部? まだあんまり知らないのに、全部好きなんて言えるのか?」
 枕の下端に腕を沿わせて腕枕を試みると、藤真は素直に頭を上げて、そして牧の腕の上に下ろした。つれない言葉と裏腹の態度に心臓と下腹部とを刺激されながら、牧は自信ありげに唇の端を釣り上げた。
「言えるさ。今よりもっとお前のこと知らなかったときから、俺はお前のことが好きだった」
「どういう意味?」
 わからないわけではなかった。むしろ理解できるからこそ、もっと聞きたかった。
「俺たちがこうなったのは先週の日曜からだ。当然新鮮なもんもあるが、世界がガラッと変わった感じでもない。お前について知ってることと感じるものの範囲が広がっただけで、ずっと同じだったような気がする。だからこの先だってきっと同じだ」
 藤真のことが気になるのは、ライバルであることに加え、共に強豪校で一年からレギュラーを獲り、揃って双璧と呼ばれることへの親近感からだと思っていた。それも間違いではないだろうが、それだけではなかったということだ。
 牧の頬に、肩口に、額や鼻先を寄せて戯れながら、藤真は目を細めた。
(本当に? 牧。もしオレがあんまりコートに立てなくなっても、お前は今までと変わんないみたいにオレを見てるかな)
 試合に出る機会が減れば、牧に追いつくことは一層難しくなる。彼の目に適うプレイヤーでいられなくなれば、彼の視界から自分は簡単に消えるだろう──二人の関係が、コート上だけのものであったなら。
 ゆっくり降りる目蓋と長い睫毛に誘われるように、牧は藤真に鼻先を寄せ、顔を傾けて唇を重ねた。初めは慈しむようにそっと触れ、徐々に交わりを深くして粘膜を合わせ、舌を突き挿れる。
(でも、もうこうなっちゃったから、関係ないかもしれないな)
 舌先で応えるように牧の舌を撫でる。牧は鼻から熱い息を漏らしながらそれを絡め取る。互いに互いを食んでいると感じると、こそばゆい嬉しさとともに体の中心が疼いた。
「んんっ…」
 思わず声が漏れるほど強い力で抱き締められ、肌が隙間なく密着すると、牧の熱い体温が移ってくるようだった。互いの腹に押し付け合った硬い感触が堪らない、と感じたのは藤真だけではないようで、牧の大きな手が二人分の昂りを掴まえて緩慢に撫でた。
「っ……牧ってやっぱエロいよな」
 与えられる感触に息を乱しながら、優しげな形をした目の中の獰猛な光に心臓を震わせる。微かに笑んで見える少し厚い唇も、目の下のほくろも、大人びて色っぽいと思う。
「お前に言われたくないな」
「ええ? オレは清いだろ。ローションなんて使ったことなかったし。てかなんであんなの常備してんだよ」
 前回も気になったところだった。あの日急に家に押し掛けられて、事前に準備などできなかったはずだ。
 牧はナイトテーブルの引き出しからローションの小さなボトルを取り出し、二人の体を覆う布団を半ば投げるように向こうへ折り返した。体を露わにされた藤真は、局部を陰にするよう膝を立ててごく小さな抵抗を示す。
 傾けられたボトルの口から、色黒の手のひらの上に強い粘性の液体がゆっくり、ねっとりと流れ出る。牧は藤真の膝を外側に開き、その手で藤真の昂りを掴まえた。
「ンッ…!?」
 ぬめり纏わりつくローションの感触は先走りとは全く異なって、ひどく卑猥なものだった。握った拳の中を滑って逃げる男根の凹凸を牧が愛おしむたび、藤真の体は強烈な快感に跳ねる。
「ぅあっ、ぁんっ…!」
 周囲が言うほど、牧は藤真のことを女のようだとは思わない。女より男の体が好きだと思ったこともない。しかしもはや手の中のものが愛しくて堪らず、しきりに上下に扱いて刺激する。
「あっ、あぁっ、あっ…! んっ、牧、やめっ…」
 体を折って手首にしがみつく、愛らしい動作に行為を止めた。頬は薄紅に染まり、俯けた前髪の隙間から長い睫毛と上目の瞳が様子を伺うように覗く。やめろと言うなら誘うような顔はしないでほしい。
「これやばい。すぐイキそ…」
「ああ。自分でするときすぐ終わるように使ってる」
「なんで? すぐ終わったらもったいないじゃん」
 藤真は股間から牧の手を剥がし、体を起こしながら問う。
「一人で時間掛けてると飽きてこないか?」
「どんだけ掛かるんだよ! 手コキが下手か、持久力があるか、オカズの選別が下手か……?」
 言いながら、持久力はありそうだと思ってしまった。
「別にいつもじゃない。そういうときもあるってだけだ。お前とならいつまででもやってられそうな気がするが」
「やめてオレ死んじゃう」
 藤真はローションのボトルを手にして牧の昂りの上に直接傾けた。ボトルの口から性器の先端部へと、透明な太い糸がゆっくり伸びる。自分でしたことに対して「ヤラシイ」と呟きながら、逞しい男根を掴まえて全体に粘液を広げていく。
「すげーヌルヌル」
「あぁ…」
 手のひらをくすぐり抉る感触と、濡れて光沢を帯び、ディテールを強調したそれが白い手の中を出入りする光景と、漏れ聞こえる牧の低い呻きとに、藤真もまた淫らな気分を煽られる。
「気持ちいい?」
「ああ。もっとこっちに来てくれ」
 牧は藤真と向き合い、座ったまま腰を擦り寄せようとする。
「……こうか!」
 藤真は牧の腰に脚を回し、性器を密着させるようにして抱きついた。牧の指が藤真の昂りをなぞると、藤真も負けじと同じようにしながらキスを仕掛ける。
「ん、むっ…」
 唇を舐め、誘い出した舌を尖らせた舌先で突き、あるいはキャンディのように舐め合いながら、下腹部では寄り添わせた二人の陰茎を藤真が握り、牧の手が更にそれを包んで、忙しなく上下させていた。
「ぅんっ、あっ、あぁっ…ぁ…!」
 濡れそぼった性器を扱く手の中が、じゅぷじゅぷと派手な音を立て始める。それは切羽詰まるように間隔を狭め激しくなっていき、うまく舌を動かせなくなったキスの隙間から唾液が溢れた。
「ぁっ、ああぁっ…! 出るっ…!」
 一方の手で性器を扱き、もう一方の腕で牧にしがみつきながら、藤真は大きく体を震わせた。鋭い快感が全身を駆け抜け、頭が真っ白になる。勢いよく吐き出された精液が二人の手の中と腹とを汚し、それに反応するかのように牧もまた達した。全て出し尽くすまで動きを止めない手の中で、二人の生温い精液が混ざり合う。
 申し合わせたかのように同じタイミングで深く息を吐き、停止していた頭が戻ってきたと意識すると、濃密な栗の花の匂いが鼻についた。
「うわぁ……」
 藤真は自分が撒いたものに対して、心底嫌そうにしながらティッシュに手を伸ばす。手や腹を拭っていると、牧に太腿を持ち上げられ、思わず後ろに倒れた。
「おいっ、牧?」
 牧は右手に溜まった精液やら体液の入り混じったものを藤真の秘部を濡らすように擦り付け、指を捩じ込んだ。
「ぅあっ…!」
 じっとりと閉ざされた内部を探るように指を動かしていたが引き抜き、ローションを纏わせて再度挿入する。何度か繰り返し、収縮によって粘液が滲み出すまでに満たしていく。
 感触を愉しみながら内部をほぐすうち、小さく声が上がり、もぞもぞと腰が蠢くようになる。
「んっ…そこ…っ」
「いいのか?」
 藤真は恥じらうように視線を揺らしたが、素直に頷いた。
「やっぱりお前こそエロいじゃないか」
 牧は嬉々として一点を集中的に攻撃する。
「あぅっ! あぁんっ…!」
 内奥から襲い来る、まだ慣れない快楽に体が跳ね上がる。藤真は過剰と思える自らの反応と、女のように裏返った声に顔を真っ赤にした。
「なんで、こんなっ…」
「この辺に前立腺ってのがあって」
「あぁっ、あん、やらぁ…!」
 反応が良好すぎて、説明したところで理解できなさそうだ。藤真が我を失ったように善がり喘ぐさまは非常に好いものだが、こちらの顔までだらしなく緩んでくるのが難点だと思う。顔など観察している余裕はなさそうではあるが。
「嫌じゃないだろう?」
「だって! ひぁっ、あんっ…!」
「だって、なに?」
 話を聞いてやろうかと指の動きを止める。藤真は落ち着けた声を取り戻すように何度か深く呼吸をし、牧の視線を捕まえると満足げに瞳を細めた。
「指だけなんて嫌だ。その気持ちいいトコ、牧ので突かれたらサイコーなんだろうなって」
「……!」
 牧の喉仏が大きく動き、獰猛な瞳が近づいてくる。藤真は深く貪るくちづけを従順に受け容れ、脚の間にしきりに昂りを押し付けられながら、満悦と興奮の入り混じった笑みを浮かべた。
 求めてほしい。翻弄されるより、するほうが好きだ。
 無遠慮に舌を押し込まれ、掻き回されるものだから、鼻での呼吸も苦しくなって、思い切り顔を背けた。
「はぁっ…」
 溢れた唾液の筋を、牧の舌がべろりと舐め取り、背けられた横顔の、染まった頬より一層血の色をのぼらせる唇を、舌先で名残り惜しくなぞった。
「藤真……好きだ」
 免罪符のように呟いて藤真の脚を抱え、昂ぶるものを擦り付けて押し込む。
「あぁ、ぁっ…!」
 愛しいものと体を繋げる幸福感に、著しく思考が鈍る。眉を寄せ、閉じた目蓋を震わせながら掠れた叫びを上げる、苦悶の姿さえもはや扇情的で魅力的にしか感じられない。人工の愛液で満たされた内部が、押し込んだ欲望をぎゅうと抱き締め全身を愛撫する。受け容れられ求められている甘く蕩けそうな悦びと、彼を鳴かせ乱れさせたい凶暴な欲求とが、綯い交ぜになってわけがわからない。あまり長くは持たなそうだと感じながら、耳元に囁いた。
「望みどおりにしてやる」
 ねっとりと耳に舌を這わせて顔を離すと、腰を畝らせ内部を貪欲に味わいながら抽送を始める。
「あん、あぁっ、まき…」
「藤真、ふじま…」
 囁き呻くように何度も名前を呼んで、あるいは譫言のように好きだと唱えながら、衝動のままに求めた。音を立てて打ち付けられる体が上下して、ベッドのスプリングがしきりに軋む。
「あぁっ、んっ、はぁっ、ぁ…」
 快楽に震える長い睫毛の端を、小さな光の粒が飾っている。
 囀る唇に指を差し込むと、甘く噛み付いてくるさまが子猫のようだった。
 頭を振って乱れた髪の隙間から、こめかみの上辺りに赤く色づいた傷跡が覗いていた。色に煽られながらも確かに思い出した痛みに、そっと唇を押し付けて髪を撫で付ける。
「ん、まき…」
 何かを察したのか、あるいはただの偶然か、急かすように名を呼ばれて動作を再開した。胸の先を撫で、局部を手の中に遊ばせ言葉を奪って、白い海に深く沈んで溺れていく。

「次はいつ? 来週か?」
「次なー……てか、そっちはどうなんだよ? もうさ、ここが冬の選抜だろ」
 今日は十一月の初めの日曜だ。藤真は卓上カレンダーをめくり、翌月の下旬を指す。今年のウインターカップは十二月二十二日から二十八日までとなっており、例年通りというのも癪だが、神奈川からは海南が進んでいる。
「休みの日だって遅くまで練習してんだろ」
「待ち合わせがもう少し遅くてもよければ、今月はまだ大丈夫だと思う」
「夜だけって。カラダだけの関係すぎる……」
「やめておくか?」
 藤真は考える余地もないように首を横に振った。
「やめておかない。なんか、ある程度会わないと、お互い忙しいとかいって自然消滅しそう」
「そうだな……」
 明確な理由はないが、牧もそれは感じていた。だから次の予定だって今決めてしまおうとしているのだ。
「特別な場所に行かなくたって、とりあえず会って、ちょっとダラついてヤれればいいわけだし」
 牧は俯き口元を押さえている。
「照れてるのか? 別にいいだろ、オレは今日だってお前とヤることばっかり考えて来たんだ」
「いや、まあ、それはいいんだが。俺は時間さえ許せばもうちょっとちゃんとしたデートだってしたいと思ってるんだぞ」
「えー? 沖縄とか?」
 藤真は電話で言われたことを思い出しながら、あり得ないとでもいうように笑った。
「将来的にはそれもありだな」
「将来ねえ」
 適当な冗談としか捉えずに、さらりと受け流す。褐色の指がカレンダーの下端を指した。
「学校は冬休みだから、選抜が終わったら結構会えるんじゃないか?」
「てかさー、選抜がクリスマスだだかぶりなのなに? これ決めたやつクリスマスに恨みでもあるのかよ?」
 藤真はあからさまに嫌そうな顔を作った。そんな顔さえ魅力的だと思えるのは、彼の顔の造作の良さなのか、あるいは贔屓目なのだろうか。牧は笑ってしまいながら言った。
「冬休みの中で年末年始を避けたって感じじゃないのか? わからんが。……クリスマスも一緒にいてくれるつもりだったのか?」
「はぁ? そんなこと言ってねーし、家族で過ごすんだよ」
「家族で過ごすんなら選抜の日は関係なくないか? 試合を見に来てくれるのか?」
「うるせー!」
 こんな可愛らしい生き物は他にいない、心底からそう思いながら、自分に比べれば随分と細い体を抱き竦めた。なぜ今まで気づかなかったのかといえば、彼の断片しか知らなかったせいだろう。
「牧、苦しい。なんだよ?」
「選抜終わったあと、二十九日でもよければケーキ食べにいこうか」
「それクリスマスっていうか、もう年末じゃん」
 何やらツボに嵌まったらしく、藤真はケタケタ笑い始めた。
「年末にケーキ食べたっていいだろう」
 こじつけだって構わない、ただ二人だけの予定が欲しかった。そしてもっと教えてほしい。もう断片では満足できそうにないのだ。

プラン 1

1.

 十月下旬の日曜だった。他校の練習試合とはいえ、バスケットボールの試合会場で牧と藤真が出くわすことは、偶然とは言えない。少なくとも牧は、どこかでそれを期待していた。
「怪我は、もう大丈夫なのか?」
「お前こそ大丈夫か? 記憶失ってる? 選抜予選、一応対戦したんですけど?」
 呆れたように笑う顔も相変わらず抜群に綺麗で、安心とでも言おうか、心の隅の引っ掛かりが少しだけほぐれたような気がした。
 ウインターカップ予選のあとは国体出場などで忙しくしていたため、牧の実感としてはさほど長い月日は経過していなかったが、インターハイで藤真が負傷退場したのが七月末だったから、彼の反応も当然ではあった。
「藤真、これから忙しいか? よかったらお茶でも」
「大丈夫だけど、話すんなら静かなとこがいいな。……そうだ、お前の家はどうだ?」
 藤真の提案には驚いたが、彼が何かと注目を浴びやすいことも知っているので、特に迷わずに了承した。素っ気なくされることのほうが多かったから、思い掛けず懐かれたようで嬉しかったところもあった。このあとの展開のための藤真の思惑だったと気づいたのは後日のことだ。

「試してみるか? 具体的なこと」
「……やっちゃう?」
 藤真を自室に招き入れると、告白とは言いがたい曖昧な遣り取りを経て、ごく軽い言葉で体を重ねた。それまで彼に対して抱いたことのなかった欲求と感情が、ごく当然のもののように噴出し、戸惑いより自制心より、遥かに強い衝動に突き動かされて行動していたと思う。
(藤真が好きだ)
 もはやコートの上での振る舞いや、ひたむきで少し意地の悪い友人としてだけではない。顔のつくりも表情も、髪の色も肌の色も肉体そのものも、声も言葉も仕草も全部好きだと思った。愛しくて、愛らしくて──彼の柔らかい場所を蹂躙し制圧し、彼の中を自分で充したくて堪らなかった。濃密な時間だったと思う。
 想いに反して、交際の約束はごくシンプルなものだった。
「俺と、付き合ってくれ」
「いいよ。……よろしく」
 気の利いた言い回しを考えられるほうではないし、藤真も行為の直後で落ち着いてしまっていたためだろう。キスをして、穏やかな気分で抱き合ったり体を撫でたりしているうち、再び催してしまい、もう一度体を繋いだ。気怠げに呻いた藤真の視線が置き時計の時間を確認したのが、妙に印象に残っている。

「次はいつ会える?」
 シャワーを浴び、脱衣所で服まで着込んで戻ってきた藤真に、本当は家に帰したくないくらいの気分で問い掛けた。藤真はナイトテーブルの上の卓上カレンダーを眺める。
「来週の日曜かな。っても練習とかあるから会えるの夕方くらいだけど、海南もそんなもんだろ?」
「そうだな。土曜は?」
「土曜はもうちょっと遅くなりそうなんだよな。お前が土曜のほうがいいならそれでもいいけど」
「……それじゃあ、日曜にするか」
 両日という選択肢は藤真にはなさそうなので、比較的時間の取りやすそうな日曜にした。それから連絡先を交換し、日々の練習の終わる時間や、家に戻っている時間などを教え合った。練習の拘束時間は海南のほうが長いが、今の藤真は用事が多く、帰宅する時間は大差ないようだ。
「じゃあ帰るな。また」
 玄関で靴を履く藤真の隣で、牧もまた自分の靴に足を突っ込む。
「駅まで送っていく」
「え? 方向わかるし大丈夫だと思うけど」
「まあ気にするな」
 道中の目印になるものや、少し行ったところにスーパーがあるだの、ドラッグストアがあるだのと説明しながら歩いていると、なぜか笑われてしまった。
「お前ってマメなんだな」
「そりゃあ、また来てほしいからな」
「ああ……そう。そうなるだろうね」
 涼しい顔をしていた藤真の頬が微かに染まり、それを認めた牧も途端に照れくさくなってしまった。どこにスイッチがあるか、よくわからないものだと思う。
「駅から電話してくれたら迎えに行くが」
「さすがにこのくらいの道覚えるって」

 相手が近くにいると、話すことに意識を遣れる分だけ落ち着くのかもしれなかった。牧と別れたあとは始終頭がふわふわして浮ついた気持ちで、それは家に帰り着いても治まらなかった。
 部活動のために予定より帰りが遅くなるのはよくあることだったから、いちいち事情は追求されない。自分の分だけ残してあった夕食を食べ、そそくさと浴室へ向かう。
(オレ、今日何回風呂入るんだろ)
 牧のところで体は過剰なくらい洗ったものの、頭までは洗わなかったので、入らないわけにもいかない。服を脱いで浴室に入り、シャワーと鏡を目にすると、途端に牧と一緒にシャワーを浴びたことを思い出した。白い腹に褐色の腕が巻きつき身体中を撫で回す。首の後ろに柔らかい唇と熱い息の感触があって、尻には硬いものが押し付けられていた。
「う……」
 下半身に変調が現れたが、触れるのも癪な気がしてとりあえず無視した。明日の部活のことなどを考えながら髪を洗ったが、ボディタオルに泡を立てて体を擦るとやはり駄目だった。熱を抱き妙に敏感になってしまった体は、濡れた泡のするすると流れる感触にすら淫らな気分を煽られる。
(牧がオレのこと好きだっていうから、付き合ってやることにしたってだけで……)
 記憶を辿り、言葉を反芻すると胸がざわざわして、脳が甘く痺れるようだった。ぎらついた瞳を思い出すと体の内も外も疼いてどうしようもなくて、昂った性器を左手の中に捉えた。普段自分でするときよりも先端はひどく潤んでいて、すぐに達してしまいそうだ。手のひらのぬめりを全体に広げるように撫で付け、大きく少し硬い皮膚をした牧の手を思い出しながら、いつもより強く握り込んで上下に扱いた。
「はぁっ……」
 左手で性器を、右手で胸や体の各所を撫でながら、目を閉じて牧の手の感触、視線や声、縺れる舌と息苦しさを思い出す。浴槽に湯を張った浴室の熱気はそれといくらか似ていて、喉を反らせて口を僅かに開き、キスを待つように舌を覗かせた。しかし夢想するその感触は訪れない。
「ぁ…」
 熱い体温と圧迫感と、体の中に押し込まれた感触を思い出しながら、会陰を伝って秘部へと指を忍ばせる。
「んっ…!」
 少し痛みが残っていることと、まだ躊躇いもあり、中指の半ば程度で挿入を諦めてしまった。牧の指でされたような感覚は得られなかったが、それでも関節を曲げ伸ばしして粘膜を擦る感触には非常に興奮して、何度も大袈裟に体を震わせ、すぐに果ててしまった。
「ぅっ……!!」
 快感が突き抜け、目の前が白く弾ける。頭がくらくらする。酸素が薄い。それは確かに快楽だったが、求めたものとは違うとも感じた。
「……」
 射精による快感の奔流が過ぎ去ると、次第に虚しさと敗北感のようなものが込み上げてくる。
(はぁ……なんか腹立つ……)
 いつものことではある。牧との行為のあとにも確かにそれはあったが、比較的穏やかだった気もする。快楽の名残りとでも言おうか、体の中に暖かいものが滞留しているように感じていた。女のように抱かれる側になっていたから、常とは違う気分になったのかもしれない。
 女扱いされて嬉しかったことなど過去にないが、慣れたことでもあるので、二人の位置関係に文句はなかった。むしろ、あらぬ場所に男の欲望を受け容れる異様な行為に興奮しきっていた。
 心底気怠い気分で、吐き出したものを流し、滑る部分をよく洗う。
(のぼせる……)
 浴槽に浸かる気にはなれず、痕跡が残っていないか入念に確認して浴室を出た。
 体を拭いて寝巻きに着替え、バスタオルで大雑把に髪を拭きつつ、グラスに冷たい水を注いで一気飲みし、そのままの格好で二階の自室へ上がっていく。
 廊下に置いてある電話機を目にすると、牧と番号を交換したことを思い出した。
(牧もオレのこと……思い出してなかったらちょっとむかつくな)
 藤真家の電話機は一階に一つ、二階の廊下に一つと、コードレスの子機が姉の部屋にある。一般家庭のため番号は共通だ。二階の廊下の電話機は置き場所と線の長さから、そのまま藤真の部屋に移動させて使うことができた。
(これオレの部屋の電話にしていいんじゃないかな。……いや親が二階いるとき出るか)
 自分から掛けることはあっても、鳴っている電話を藤真が取ることはほとんどなかった。時間帯にもよるが、大抵は姉が真っ先に電話に出る。自室に子機を置きたがった理由でもあるが、交際相手からの電話を他の家族に取られるのが気まずいと感じているせいだった。
 電話機を部屋に入れ、牧の電話番号をメモした手帳を開き、番号をプッシュして、何度かの呼び出し音を聞いているうちに心臓が激しく高鳴り──思わず電話を切ってしまった。
「……」
(なかなか出なかったし、番号間違ってたんだろ。切って正解だったんだ)
 自らの行動を正当化していると、電話が鳴った。
「!?」
 跳ね上がるくらい驚き、身を強張らせながらも、2コール目の呼び出し音が鳴り終わる前には受話器を取っていた。
「はい、藤真です」
『お、藤真か?』
「牧! どうしたんだよ」
『今、うちに電話をしなかったか?』
「してないけど!?」
 咄嗟に嘘をついてしまった。考えてなどいない、反射的なものだ。
『そうか。誰だったんだろう』
 海南の誰かしらだと考えているのかもしれない。嘘をついたことを少し後悔しつつ、切られてしまわないよう話を振った。
「牧、今なにしてるんだ?」
『い、いや? 特にナニってこともないが? 藤真は?』
 そう言う割には前の電話に出なかったが、それを掛けたのは藤真でないことにしてしまったので追求できない。
「ご飯食べて風呂上がったとこ。まだ髪濡れてるくらい」
『服は着てるのか?』
 盛大に吹き出してしまった。電話の向こうでは大層聞き苦しいことになっているだろう。
「着てるけど。なにその変態のイタ電みたいな」
『すまん、そういう意味じゃない。風呂上がりのタイミングだったのかと思って』
「牧クンは? どんな格好してるんだい?」
 変態の電話のようにしたかったのだが、あまりうまくできていない気がする。
『……内緒だ』
「へえ〜〜? 言えないようなカッコしてるんだ? ほ〜〜?」
 面白くなってきたところで、部屋のドアをノックする者があった。
「ごめんちょっと待って。……なんだよ?」
 受話器を塞ぎながら部屋のドアを僅かに開けて覗く。姉だった。
「電話使いたいんだけど」
 姉の部屋にも電話はあるが、誰かが他の電話機を使っていれば回線は占有されてしまうのだ。藤真はわざと大きく舌打ちをした。無意識に出るほど染み付いたものではなく、不快感を表すときの故意のジェスチャーだ。
「あー、もうすぐ終わるから」
 面倒そうに手で追い払う仕草をしてドアを閉めた。
「もしもし牧? ええとなんだっけ?」
『いや……』
 牧は口籠る。藤真からの電話かと思ったから掛けただけで、特に用があったわけではない。
「あっそうだ。牧、オレが帰ったあとオレのこと思い出したりした?」
『……そりゃあ、まあ』
「エッチなことした?」
『……』
 会話が噛み合っているかは別として、牧はあまり言葉に詰まることはないほうだ。この電話での歯切れの悪さはどうにも気になる。しかし追求して遊んでいる時間はない。
「オレ、さっき牧のこと思い出してしちゃった。じゃあなおやすみ!」
 耳から遠ざけた受話器の向こうで牧が慌てている様子だったが、気にせず切った。姉に闖入されるかもしれない状況で続けたい話ではない。
 電話機を元の場所に戻してくると、急激に疲れが押し寄せてベッドに倒れ込んだ。じわじわと、不安と後悔の念に蝕まれていく。
(さっきの電話、引かれてたらどうしよう)
 流れで軽く行為に至ったことも、その最中の様子としても、牧は無知や奥手とは程遠かった。こちらが反応を示すのも嬉しいようだったし、あのくらいの発言で幻滅などされないだろう。そう思いたい。
 このまま眠ってしまいたかったが、まだ寝る時間ではないし、やるべきことはやらなければならない。洗面所に行き、ドライヤーを使って戻ってくると、鞄から今日の試合のメモと田岡から借りた本を取り出した。
 田岡は陵南の監督だ。翔陽の監督人事については他校のバスケ部でも話題になっていたようで、「練習試合だがよければ見にこないか」と今日の試合について声を掛けてきたのは田岡だった。挨拶に行くと、返すのはいつでもいいと言って、指導についてなどの本を貸してくれた。
 疲れもあっただろう。ベッドに潜って本を読んでいるうち、そう余計なことも考えずに眠り込んでいた。

 授業中は藤真にとって思索の時間で、牧について考えることも珍しくはなかった。一年のときから翔陽の目下のライバルは海南で、藤真にとっては同じポジションの牧だったのだ。しかし今日は方向性が違う。
(まさか牧が、オレのことそういう風に好きだったとは……)
 花形から仄めかされた時点では思いも寄らなかった程度に現実味のないことだった。昨日そのときには驚きや興奮といった強い感情が先行したが、今はごく落ち着いた気持ちだ。穏やかで暖かなものが、ささくれ立った部分を包み滑らかにするようで──決して悪い気分ではない。
 二人の接触は他校生の割に明らかに多く、藤真も好感を持たれていること自体には気づいていたし、疑問も抱かなかった。知らない人間が自分のことを知っていて、身勝手な好意を寄せている、そんな状況に慣れ切っていたから、牧が親しくしてくるのはむしろ自然なことだと感じていた。
 おそらく二人とも、互いへの興味や親近感を、色事めいたものとは思わずに育んでいた。それを藤真が無理矢理引き出してしまったのが昨日だ。
 男同士であることへの抵抗感はなかった。過去に告白されてきた経験からそうした嗜好の人間の存在も知っていたし、外見については言われ慣れている。
(まあだって、好きだからってオレが牧を掘りたいかっていうとそれはないし……)
 昨日から体が過敏になっている気がする。学校で下半身のことは考えないほうがよさそうだ。
(好きだからって? いや、牧がオレを好きなんだろ)
「藤真、なんかいいことでもあったのか?」
 部活のあと、活動の日誌を付けながら花形と話す時間を持つのは日課だった。
「なに、いきなり」
「なんとなく。一日機嫌よさそうだったから」
「めちゃくちゃ今更だなそれ?」
 藤真は眉を顰める。二人は同じクラスで、席替えがあっても身長の都合で花形はいつも一番後ろの席になるから、藤真も常にその前か隣に陣取っていた。部活のことなどを常に話せて都合がよいためだ。当然教室移動も昼休みも大抵一緒にいるというのに、一日機嫌がよさそうだったと部活の終わり際に言ってくるとはどういうことか。
「突っ込んだら機嫌悪くなるのかと思って」
「よくわかってんじゃん。……まあ、突っ込まれたって内緒だけどな」
「そうか」
 花形は穏やかな口調でそう言ったきり日誌に視線を戻してしまった。親しいと認めている人間が自分への興味を示さないという状況が、藤真は嫌いだ。
「気になんねーのかよ」
「ならないな。ポジティブなことで知らせたいことがあるなら、自分から言うだろう、お前は」
 ネガティブなことを押し隠そうとしているようなら追求しないことはないが、今の藤真の様子はそれとは違う。
「……そうだね」
 牧と付き合い始めたことを今花形に報せたいかと問われれば、答えはノーだ。悪いことではないのかもしれないし、花形も偏見は持たないような気はするが──そもそも昨日の藤真の行動のきっかけは花形の言葉だった。
(まじかよ。頭いいやつって怖いな……)
 何にせよ、暫定とはいえ監督の立場にありながらライバル校の選手と交際しているのはいかがなものかと思うので、当面は話す予定はない。
「でも藤真にいいことがあったんならよかったと思う」
「花形さー、ときどきいいやつすぎて意味わかんねーんだけど」
「そうか? お前は友達がきつそうにしてるのを見てるほうが楽しいのか?」
「例えが極端だ」
「だが、つまりそういうことだ」
(オレ、こいつとどうやって友達になったんだろう……)
 理屈くさくて、こちらの挑発にもほとんど乗らず、暖簾に腕押しというか、勢いをつけて暖簾に突っ込んだ体を受け止めてくれるような、そんな男だ。しかし誰にでも優しいわけではなく、正しいと思えば辛辣なことも容赦なく言う。好人物なのかと思えば、体裁より結果を求めるような狡さも持ち合わせている。
(どうってこともなかったんだよな。なんとなく自然に仲良くなってて。好きとかなんとかって、結構そんなもんなのかもしれない)

 夜、電話のコール音が鳴っていたかと思うとドアがノックされ、応じる前から姉の声が聞こえていた。
「健、バスケ部のマキさんって人から電話」
「!! ……ああ、なんだ、牧か」
 驚きに確かに入り混じった嬉しさを理由もなく押し殺し、さもどうでもよさそうに呟いて、保留のランプの点いた電話機を自分の部屋に引っ張り込んだ。
(バスケ部って。間違っちゃいないけど)
 まるで翔陽のバスケ部かのような言い方だ。海南と言ったところで、弟の部活動に興味のない姉にはよくわからないだろうが。
「もしもし? 牧?」
『おお、藤真か! 女の人が出たからびっくりした』
「姉。多分一番電話出るの姉だって言っといたじゃん」
『いや、昨日はお前が出たから……』
「昨日はな」
 牧に電話を掛けてみようとしてすぐに切って、電話機の前に居たためだ。それでも出るかどうか少し躊躇った。
「で、どうしたんだよ?」
『次の日曜のことを考えてみたんだが、一緒に行きたい場所が思いつかん』
「えー? てか昨日の今日だぞ。ちゃんと考えたのかよ?」
 次のデートのプランについて、昨日の時点では何も決めなかった。決まったら電話して教えてくれ、としておいたのだった。
『今日の授業中、一日中考えてたぞ』
「勉強しろよ学生」
 自分も似たような過ごし方をしていたことはすでに忘れている。
『会うのが夕方からってのが意外と時間がないっつうか、計画が立てにくい。正直一緒にいられればなんでもいいんだが』
「まあ、そうだなあ」
『たとえばな、がっつり時間が取れるなら、ディズニーランドとか、山とか、温泉とか、沖縄とか、いくらでもあるんだ』
「なんか旅行も混ざってるけど。山は嫌だな。てかディズニーとか好きなんだ?」
『デートって考えたら思い浮かんだ。お前ならきっとサマになる』
「サマねえ。まあいいや、多分ちょっとその辺ぶらぶらして食事してお前ん家行くくらいじゃん?帰り早い分には困らないしさ。食べるとこ見繕ってくれてたらいいよ」
『うち、か……』
 なんとなくではあるが、牧が照れているような気がした。電話では顔が見えないのが残念だ。
「嫌なら行かないけど?」
『いや、是非きてくれ』
 そしておそらく今は大真面目な顔をしている。思わず笑ってしまった。
「りょーかい」
『じゃあそれで決まりだな。待ち合わせは駅にしよう。時間は──』
 そうして次の日曜の予定を決めてしまってから、牧はおずおずと言った。
『ところで藤真、昨日のことなんだが……』
「昨日?」
『電話で言ってただろう。俺もお前のこと考えながらしてたんだ。じゃあおやすみ』
 捲し立てるように言われ、一方的に電話を切られてしまった。意趣返しというものだろうか。
(そっか、牧もオレのこと考えながら抜いてたか、やっぱそうなんだ……)
 口元がいやらしく歪んでくる。あまり人に見せたい顔はしていない自覚があった。