四月一日。

 高校一年から二年に上がる前の春休みのある日。練習前の朝っぱら、桜の道で、牧は待っていた。
「お、牧じゃん」
 昔からそうらしいんだが、牧は異様にフットワークが軽くて、いつどこにいけば誰に会いやすいとか、他校の生徒についても心得てる。オレについてはオレ個人ってより翔陽の練習の予定によるから、余計わかりやすいんだろう。そういうやつだって知ってるから、ものすごい驚きはない。ひさびさに会ったから、ちょっと嬉しいなって感じだ。ライバル同士みたいに言われることもあるが、たぶんオレらは普通にほどほどに友達って関係だと思う。少なくとも喧嘩沙汰とか険悪なことはない。
「おはよ。どうした?」
「藤真。ふたりきりで、話したいことがあってな。……それにここは、桜がすごく綺麗だ」
「あー……?」
 桜なんて春になればそこらへんに咲いてると思うが、確かにここは見事な桜並木だ。って、母親が言ってた。正直花にはあんまり興味ない。それより話のほうが気になる。
「なんだよ、話って」
「それがな……」
 牧は声のトーンを落とし、オレの手首を引いて街道の脇に──大きな桜の木の下に連れて行く。それから、弱い風にひらひら落ちる桜の花びらに、くすぐったそうに目を細めた。牧って、バスケしてないときはのんびりしてるっつうか、いかついくせに優しい顔するんだよな。たぶん、得するタイプだと思う。オレと逆で。そんな呑気な感想を抱いてたら
「俺は実は、不治の病なんだ」
「は? ふじ……?」
 マンガみたいに目をパチパチさせながら、ふじまだけに? とかワケわかんない返しが頭の中に浮かんだが、牧が続けるほうが早かった。
「先天的なもんで、遺伝子の成長、つまり老化が早すぎるって病気だ。俺はよく老け顔って言われるが、事実お前たちより老けてるんだ」
「はー……?」
 老け顔じゃなくて本当に老けてるんだ? じゃあしょうがねえな? てか、じゃあ、牧に対して老け顔とか言うのはただの茶化し以上の無神経なやつってことでは……
「昨日病院に行ってきてな、余命があと二年って言われた」
「はあ???」
 さっきから、聞き慣れないっつうか、日常的じゃない言葉ばっかり出てくるんで、こいつがなにを言ってるのかよくわかんなくなってくる。オレは理解が早いって褒められるほうなんだが。
「いや、なに言ってんだ?」
「余命。残りの寿命って意味だ。それがあと二年」
「は……?」
 目眩みたいに、目の前も頭の中もぐるぐるして、まっしろになった。二年で死ぬって? わかるけどわかんねえ。いきなりそんなこと言われても困る。牧はどんな顔してるだろう。知ってるようでまだ全然知らない、黒くてでかい図体と老け顔を見てるつもりが、薄ピンクの花びらがひらひら落ちてるのばっかりが目についた。妙に喉が乾いて、焼けるように熱かった。
「んな、わけねーじゃん……」
 だってこれから高二になって、高三になって、お前は海南の主将になって……いやそれは二年以内だからOKなのか。OKじゃねえよ。牧はうんうん満足げに頷いてる。ああ、テレビで見たことある。余命宣告された人って、かえって落ち着いてるんだよな。
「藤真、今日は四月一日だ」
「つまり、再来年の四月一日までってこと……?」
(ん?)
 頭なんて働いてないんで、ただ二年後の日付を呟いたら、なんか引っ掛かった。目線を上げてみると、牧はにこにこ笑っている。終わりを悟ったような穏やかな、ってのじゃない。にっこにこの嬉しそうな笑顔だ。
「藤真。四月一日って、なんの日だか知ってるか?」
「っ!!」
 オレは思わず牧の腹めがけてパンチをしたが、パシッと乾いた音を立てて、あっさり止められてしまった。オレの拳なんて包み込まれるくらいのでっかい手のひら。いちいちむかつくやつだ。オレは握り拳を思いきり自分のほうに取り戻す。
 そう、今日は四月一日。エイプリルフールっつうくだらねえ行事の日だった。
「ははっ、すまんすまん。そんなに怒るとは思わなかった」
 いかにも『引っ掛かった!』みたいな感じで楽しげな牧に対して、オレの機嫌はすこぶる悪い。最悪だ。これ以上は乗ってやるもんかって、怒りと一緒に声のトーンも落ち着けるようつとめる。
「……つまり、病気はウソってわけな」
「おう、もちろん。このとおり健康だぞ」
 言って二の腕に力こぶを作って見せてくる。
「このとおりって言われても、老け顔なのは事実だしな」
 余命とか言われる前のくだりは普通に納得してたもんな。そういう事情なのかって。
「まあ、ともかく安心してくれ」
 安心ってなんだよ? はあ、むかつくわ〜。
「お前、なんだろ……意外と常識がねえのな」
「常識?」
「せめてもっと面白いウソつけよ。五億円当たったからオレになんか買ってくれるとか」
「それは……五億円は無理だが、値段によっては嘘にもならないんじゃないか?」
「あ?」
「そうだ藤真、お詫びにジュースを買ってやろう。なにがいい?」
 牧の視線の先には赤い自販機が見える。あくまで悠々としてる感じに、本気でイライラする。逆撫でされるっていうんだろうか。でもキレるのはいかにも乗せられたって感じでむかつくから我慢する。
「いらねえよ、練習前だし。……てか、お前も練習なんだろ。とっとと行けよ、シッシッ」
 犬を追っ払うみたいにして、オレは牧を置いて早足で学校への道に戻る。
「藤真! 今日はあんまり人の言うこと信じるんじゃないぞ!」
(うっざ。オレの周りにはそんなくだらねえ遊びで喜んでるやつなんていねえっつの)
 オレがエイプリルフールにすぐ気づかなかったのも、そういう習慣の中で生きてきてないからで。……って思ってたんだが、部活に行ったら下らないウソをたくさん浴びた。みんな案外しょうもないんだな。

 部活中はなんだかんだで忘れ去ってたが、夜ベッドに入って目を閉じると、今朝のことをふつふつと思いだしてしまった。牧ってでかいし黒いしおっさんみたいだけどいいやつで、なんていうか紳士的? 珍しいくらい嫌味のないやつだなって思ってた。オレって自動的に目立つみたいで、めんどくさい目に遭いやすいんだが、牧はそういうのなかった。金持ちだって聞いたことあって、育ちがいいってこういう感じかなって思ってたりした。
 バスケ以外のとこでは天然だけど、それでも常識がないってまで感じたことは正直なくて。あらためて今朝のこと思いだすと、なんかすげー違和感がある。
(いくら自分だからって、死ぬのをネタにするか?)
 そういうやつもいるとは思うけど、牧が? って感じだ。
 別にオレ固有のもんじゃないと思うけど「バカ! アホ! しね!」みたいなのはちょっと乱暴な悪口セットっていうか、殺意なんてなく言ったりするじゃんか。まあ今はそうそう言わないけど、子供のときのクセっていうか。それが牧の前で出ちゃったことがあって、そしたら牧に真顔で説教されたんだよな。冗談でも、そんな気がなくても軽々しく言う言葉じゃないだろうって。そんなやつがウソのネタで余命とか言うか? ていう。
(……本当に、ウソなのかな)
 ぞっとした。考えられない、思考がガチガチに固まって止まるって感覚。いや、いやいや、ウソに決まってる。あんなにむかつくくらい体が強いやつが、あと二年で死ぬわけがない。いや、でも牧が高校生離れしてるのは確かで、やたら体が強いのも遺伝子が異常だからでは? みたいな──

 昨日は考えてるうちに眠ってしまった。夢を見た気がするけど覚えてない。とりあえず最低に寝覚めが悪い。全部あいつのせいだ。
「なあ花形、めちゃめちゃ健康なのに早死にする遺伝子の病気って知ってる?」
 花形は少しだけ沈黙して、メガネの真ん中を指でクイっと上げた。考えてるときのクセだ。
「長く生きるのが難しい生まれつきの病気ってのはあるだろうが……」
「それって、何歳くらいまで?」
「調べてみないとわからんが、たいてい子供じゃないのか? 藤真の話だと、健康ってのが気になるな」
「いや、大丈夫、ねえよな! うん!」
 真面目に調べる必要なんてない、ただのエイプリルフールのウソだ。長生きできないんならやっぱりそれなりに療養とかしてるだろうし、そうだ、だいたい余命二年ってのもどうなんだ? 一年とか、半年とか、もっと短いイメージがあるんだが。いやオレの中のイメージだけだけど……まあいいや、調べるほどのことでもねえ。やっぱりウソだな! ウソ!
 あーーむかつく。ムダに脳みそ消耗した。

 翌年の四月一日も、牧はそこで待っていた。
「おはよう、藤真」
「おはよ」
 オレは思いきりわざとらしく顔を顰めて見せた。一年前のこと、日ごろから思い返すようなことじゃなかったが、同じシチュエーションで待ちぶせされてたら思いだすなってほうが無理だ。
「そんな顔しないでくれ」
 するっつうの。で、今年の悪趣味なウソはなんなんだよ?
「桜の下に行く?」
「ああ」
 ふたりして、去年みたいに、道の端の桜の下に移動した。去年と同じ木かどうかは知らないけど。オレは疑わしさ全開で牧を見る。当たり前だ。牧は少しだけ困ったように笑うと、ゆっくり深呼吸をして言った。
「藤真、俺は、お前のことが好きだ」
「……!!」
 思いきり牧のほっぺたをビンタしようとしたが、あえなく手首を掴まれて止められちまった。顔が熱い。怒りと、羞恥心だと思う。だって、これは侮辱だ。
(去年のあれはウソだ。だから今年のこれもウソ)
 よくわかんないけど、悔しいって思った。去年は押し留めた怒りが、強い感情の流れと一緒に口から出そうだった。だけど我慢して、手を思いきり振り払うだけにした。牧の思い通りになってやるのが嫌で嫌で仕方なかったから。
「お前、ほんとにウソのセンスがねえんだな」
 ウソのセンスってなんだよって自分でも思うけど。
「……そうか?」
「そうだよ。なにが楽しいんだよ、こんな下らねえこと」
「そんなに怒るとは思わなかった」
「っは……」
 去年も似たようなこと言ってた気がする。でも、表情は全然違うな。なんつーか。なんて顔してんだ? 情けねえ。お前のせいだろ。
(……ふむ)
「そうだ。それじゃあオレもウソをついてやる。……来年の四月一日も、オレはここに来る」
 オレはそう言いきると、ダッシュで学校に向かった。
「藤真っ……!」
 振り返ってなんてやらない。今年、これから三年になるんだから、来年はもう翔陽には通ってない。つまり、意図しない限りここには立ち寄らない。それは牧にもわかってるはずだ。

 さらに翌年の四月一日。大学生活のスタートを目前に控えた春休みのただ中、桜の道を見渡しても、牧の姿はなかった。
 自分の来た方向から、こっち側だったかなーって道の端の桜に沿って歩くと、すぐにその姿を見つけることができた。
「……!!」
 桜の根もとに座り込んで、牧が目を閉じて眠っている……一瞬ゾッとしたが、ほんとに寝てるだけみたいだ。足音がしてたのか、すぐに牧の体がぴくりと動いた。
「牧」
「ああ、藤真……! 会えてよかった。時間の指定がなかったから、行き違いにならないように早めから待ってたんだ」
 牧は眠そうな様子も見せずに勢いよく立ち上がると、上半身をひねりながら腕を伸ばすストレッチをした。ズボンにくっついた花びらやら草やらをはらうのに腰を曲げたとき、頭のてっぺんにも桜の花びらがくっついてるのがちょっと面白かったけど言わなかった。
「死んでねえじゃん。ウソつき」
 最初のエイプリルフールから二年。あのとき牧が口にした余命は、今日でおしまいだ。「ああ、あれは嘘だからな。だが、その……」
 わかってても、オレは言わない。言うもんか。
「去年のは、嘘じゃなかった。本心だったんだ」
「なんだよその自分ルール、都合よすぎんだろ。……いや、今日だって四月一日なんだ、ウソじゃないってのが今年のウソかもな?」
 牧は困ったように頭を掻いた。
「ややこしいな」
「そっちから始めたことだろ」
「もう、エイプリルフールは終わりにしよう。これからはウソなんて言わない」
 牧は一拍置いて、厚い胸をさすって深呼吸した。真剣な目がじっとオレを見つめる。
「藤真、俺はお前が好きだ。……もちろん、恋愛的な意味で」
「ああ……」
 知ってたよ。去年の今日より、もっと前から気づいてた。だからエイプリルフールなんかに言われたのがめちゃくちゃむかついたし、ショックだった。あれからしばらく、まじで結構牧のこと嫌いになってた。
 どうせ雑誌かなんかで『エイプリルフールならフられても冗談にできるからその後も友達でいられる』みたいなしょうもねえネタを見たんだろ。それでオレのことどうにかできると思ったのか? って考えたらいい印象なんてねえよな。まあ、死ぬとかヘンなウソついてた時点で、牧ってオレが思ってるより案外セコいのかもしれない。
「藤真。返事を聞かせてくれ」
「一応、念のため聞いとくけど、死なないよな?」
「ああ、もちろんだとも!」
「なら、いいや。オレもお前が好きだよ、牧」
 だって、今日わざわざここに来たって時点で、答えは決まってただろ。ふたりとも。
「……!!」
 目を見開いて驚いた、だけど喜んでんだろうなって顔が近づいてきて、被さって、重なる。窮屈なハグと押し付けられる鼻と儀式みたいなキスを少しの間だけ許して──思いきり押し返した。
「藤真?」
「藤真? じゃねんだよ、こんな朝っぱらの道端で!」
「ああ、そうだな、すまん。じゃあどっか移動しようか」
「っふっ!」
 思わず吹き出してしまった。
「ん、どうした?」
「いやー、別に……」
 なんかさ、すげえ、なんだろう、平常心になるのが早すぎるっていうか、移動ってつまりいちゃいちゃできる場所に? とか思ったらツボってしまった。やっぱ下手なウソ考えるより、普通にしてるのが一番面白いよ、お前は。 
「それとも、もうちょっと桜を見てくか?」
「いいよ、いらない。花とか興味ないし」
 桜の花びらと比べるにはずいぶんと濃い色をした、牧の唇を見つめる。あったかくて、柔らかくて、きもちいい、厚い唇。……いちゃいちゃしたいのはオレのほうだった。

 その日の晩、牧からさっそくうちに電話が掛かってきた。昼間、番号を交換したんだ。
「藤真、今テレビでやってたんだが、イギリスでは四月二日は『トゥルーエイプリル』っていって」
「もうそういうのいいだろっ!」
 ──ガチャッ!
 容赦なくガチャ切りした。なんつーか、もともとそういうの好きだったんだろうか、あいつ。意外なのもあるし、懲りねえなっつうのもあるし。
 ──プルルル、プルルル……
 はあ、ってため息つきながらも電話に出てしまう。オレって付き合いいいだろう。告白やりなおしの猶予だって丸一年も与えてやったしな。
 牧は今日、キス以上のことはしてこなかった。健全におウチに帰る流れで正直ズッコケそうになったんだが、まあ、あんまり意地汚いと思われたくもないし? オレはまたしばらく、牧のスロースタートに付き合う羽目になるのかもしれない。

体育の牧先生

 牧の部屋の前に立ち尽くし、藤真は物憂げな顔で首を左右に振った。手の中にはじっとりと嫌な汗が滲むが、裏腹に脚の間はスースー寒い。
(こんな……)
 ふう、と一つ息を吐く。こんな格好までして、いまさら躊躇しても仕方がないではないか。元は自分が悪いのだし、早く終わらせてしまおう。
 意を決して目の前のドアをノックする。
 ──コン、コン
「失礼します」
「おお、藤真か! 来たか……!」
 すぐそこで待ち構えていたかのように、即座にドアが開いた。牧は藤真の頭の天辺から足の先まで、何度も視線を行き来させながら満足げに頷く。
「うん、いいな、すごくいい……!!」
 久しぶりのコスチュームプレイで藤真に渡した衣装は、女子高校生の制服だった。白いボディにグレーのセーラー襟に黄色のスカーフ。超ミニのプリーツスカートから伸びた直線的な脚に、彼らの高校時代にはなかったルーズソックスが、いかにもコスプレらしくて可愛らしい。
(まじかよ……そのメガネ、もう度が合ってないんじゃねえの)
 牧の服装は、体育教師のつもりなのだろう。日常でもたまに掛けている眼鏡に、襟を立てた白いポロシャツ、裾が窄まったジャージのパンツ。紐の付いたホイッスルを首に掛けている。
 いたってにこやかな牧から、藤真は居心地の悪い気分で目をそらす。
 女顔の自覚は昔からあるので、女装は別に構わない。実年齢より若く見える、三十代には見えないともよく言われる。だがしかし、女子高生には到底見えないと思うのだ。鏡に映した自分の姿は、化粧こそしていないものの、『店のイベントで無理してるキャバ嬢』のようだった。
(牧、自分が老け顔だから、基準がおかしいのかな……まあ、萎えられなくてよかったってことにしとこ)
 そもそもこの衣装は牧のセレクトだ。結果、牧が萌えようが萎えようが藤真が気にすることではないのかもしれないが、あまり惨めな気分にはなりたくない。
「よく似合ってるぞ、藤真。写メ撮れないのが残念だ」
「うぐっ!」
 牧の携帯電話は、今彼らの手もとにはない。洗濯当番だった藤真が、ポケットに携帯電話が入ったままの牧の服をそのまま洗濯してしまうという、単純だが致命的なミスの結果だった。藤真が気乗りのしないコスプレを受け入れざるを得なかった理由でもある。
(牧、やっぱり怒ってるんじゃ)
 そもそもポケットに入れっぱなしだったのが悪かったと、牧は表面上は怒っていない様子だった。しかし、洗濯機に入れる前に少し確認すれば気づいたろうし、結果的に牧は今非常に困っているはずだ。性格的にも仕事的にも、彼は自分よりずっと顔が広い。携帯電話のアドレス帳は重要なものだったに違いない。
「藤真」
 牧に掴まれた藤真の両肩が、大袈裟に跳ね上がる。
「どうして最近体育の授業に出ないんだ? このままじゃ単位足りないぞ」
「え」
 毎度のことではあるが、牧はコスチュームプレイに寸劇を挟みたがる割に、事前にストーリーの打ち合わせをしようとしない。そして藤真は求められればそれなりのものを返したいと思う性分だった。
(ええと、体育を休む理由……)
「ちょっと、生理がきつくて」
「嘘をつくんじゃない。男の子に生理なんてないだろう」
(女子制服なのに男なのかよ! こいつの世界観一生わかんねえ)
 確かに制服の中の体は完全に男なのだが──牧は自らの設定や言動に一切の疑問を抱かずに藤真を見返す。
「どっか体の調子が悪いのか? 先生が見てやろう。ちょっとここに座りなさい」
 キャスター付きの椅子をデスクから引き、藤真のほうに向けて回転させる。藤真は素直に椅子に腰を下ろし、牧はその正面に膝をつく。
 見えそうで見えないスカートの中からあえて目をそらし、藤真の上着の裾をめくり上げる。ごくりと、自らの嚥下の音がひどく大きく聞こえた。
 白く平らな胸板の上に、ミントグリーンと白の細いボーダー柄の三角ブラが、貼り付くように載っている。布の面積は小さいが、藤真の胸を覆うには充分のようだ。
 平坦な胸から、贅肉はないがくびれというほどの変化もない胴体を、目を細めて眺める。
(ずん胴……いい……)
 思わず息が漏れた。人の好みは変わるものだ。昔はゴージャスでグラマラスな外国人女性こそがセクシーだと感じていた、否、思い込んでいたが、藤真と出会って新しい世界に目覚めた。今は平坦で敏感なこの肉体こそが、愛らしく、そしていじらしく感じられてならない。
 首を前に伸ばし、かわいらしいへそに音を立ててキスをすると、何か堪らなくなってそのまま腹に頬擦りをした。くすぐったいのか、藤真は少し笑ったようだった。
「っふ、先生?」
 見上げると、ブラジャーのボーダー柄が、その下に隠した突起に持ち上げられ、僅かに歪んでいる。
「藤真、持って」
「はぁい」
 めくり上げていた上着の裾をそのままの形で藤真に持たせ、牧は小さな突起をブラジャーの上から指でつつく。
「はっ…♡」
 期待するような声とともに、藤真の体がぴくんと震える。カップの無い、薄い布越しにくるくると弄りまわすうち、硬くぷっくりとした感触が存在感を増していく。
「ん、ぅ…」
 藤真は乳首が非常に敏感だ。堪えるように、もじもじと太腿を擦り合わせる仕草もまた愛らしい。
「あ…♡」
 小さな角の立ったブラジャーを上にずらすと、パステルカラーの世界にくすんだ薄茶色の乳首が現れる。
(ああ、やらしいな、なんてエロい体なんだ……)
 牧は自らの見立てに喉を鳴らした。愛らしいが年齢不相応なセーラー服、二次元的な下着、そこから現れる成熟した肉体とのギャップ。想像以上だ。非常に興奮する。引き寄せられるようにキスをして吸い付き、小さいがはっきりとした輪郭を示す乳頭を舌先で転がすように撫でまわす。
「っ、あっ、せんせっ…んんっ♡」
 ちゅぱ、と音を立てて唇を離すと、吸われていた乳輪全体がほのかに赤く腫れて、なおも誘うようだった。
「敏感だな。ずいぶん使い込んでるみたいだ」
(お前のせいだろっ!)
「緊張してるのか……いや、運動不足でこってるんじゃないか?」
「ち、乳首が?」
「ああ。コリコリしてる」
「あッ! やめっ、あぁ、あッ……♡」
 会話としては非常に馬鹿馬鹿しいのだが、しかし歯の先で、あるいは爪の先で両の乳首を虐められると、藤真は何も言い返せなくなってしまう。一度火をつけられると本当にそこは敏感で、直接触れられていない男性器や、体の内奥までも疼かせた。
「少し、リラックスしたほうがいいな。マッサージしてやろう。立って後ろ向いて、机に手をついて」
 藤真は言われるままに椅子から立ち上がり、机の上に両の手のひらをついた。自然と上体が前に倒れ、尻を突き出す格好になる。
 牧は少し体をずらしただけで、床に膝をついたまま藤真を──短いスカートから覗く、ブラと揃いのショーツに包まれた尻を見上げる。日ごろ特別意識することはないが、昔からの刷り込みで、スカートの中を見ることは非常に背徳感があって興奮するものだった。
「っっ…!」
 褐色の手が剥き出しの太ももを掴まえ、柔らかな感触を愉しむように指を波打たせる。藤真の体もまた、応えるように仰け反った。
 太ももから尻へと撫で上げながら、無遠慮にスカートをめくり上げると、脂肪が薄くボリューム感に乏しい尻に、ショーツの淡いボーダー柄が浅く曲線を描いている。両の手で包める程度のサイズ感にもはや愛着のようなものを感じながら、牧はするすると撫でまわす。
「ぅんっ♡」
「敏感だな」
 誘うように揺れる腰からショーツをずり下ろし、愛らしい双丘をもみしだく。肉が引っ張られるたび、浅い谷間にぷくりと浮いた肉の蕾が晒される。すぐにでも股間の熱いものを押し込みたい衝動に駆られながら、牧は尻肉を左右に割り開き、そこにキスするように唇を重ねた。
「ふぁっ!」
 藤真には牧の姿は見えていないものの、何をされているかはわかる。暖かく湿った粘膜が触れ合っていたかと思うと、やがて軟体生物のような舌が表面を撫でるように這いずった。
「あっんっ、やだっ…!」
「嫌だって? こんなに舐めたくなるようなアナルしてるくせに?」
「あぁっ…♡」
 ぴちゃぴちゃと音を立てながら、ごく浅い部分を濡らしほぐすように舌が蠢く。心理的な抵抗感があるのは事実なのだが、これまでの経験の中ですっかり思い知ってしまった快楽の気配を無視することもできず、つい甘い声が漏れる。
 ちゅぱと音を立てて暖かな唇と息の感触が離れると、今度は冷たいものがぬるりと尻の割れ目を伝った。
「ひゃっ!」
 思わず身を竦めると、背後から不穏な振動音が聞こえる。
 ──ヴィィィィ……
「なにっ…はぅっ!」
 想像はついたものの、後ろを振り返るより先に、振動するローターを肛門に押し付けられ、思わず気の抜けた声が漏れた。
「マッサージ器」
「ん、なっ…あぁっ♡」
 冷たいローションで滑るそこに、少し力を入れて押し付けると、つるんとした楕円形のピンクローターは、藤真の態度に反して簡単に呑み込まれていってしまう。
「あぁ、んっ…♡」
「ほら藤真、もっと楽にして、リラックス」
 言いながら、入り口がぴたりと閉じるほどまでにローターを指で押し込む。大袈裟だった振動音は肉に阻まれ、くぐもってごく弱くなった。
「あぁっ、あぁぁっ…♡」
 中のうねりを伝えるように、閉じた蕾から伸びた細いコードが蠢くのがなんともいやらしい。単調な振動に浸るように目を閉じた藤真は、次に訪れた感触に身を強張らせる。
「二つもっ……!?」
 ローターを一つ咥え込んだそこに、再び同じものがあてがわれているのだ。
「いまさら清純ぶったって無駄だぞ。藤真のここが食いしん坊なこと、先生はよく知ってるんだからな」
 一つならいいような言い草に笑ってしまいそうになりながら、牧は容赦なく二つ目のローターを押し込む。
「っあぁっ…!」
「落とすなよ」
 同様に奥まで押し込み、きゅっと口を閉じた様を確認して、大食らいの小さな尻を両側からぺちぺちと叩く。
「はぅっ♡」
 下ろしていたショーツを元通りに上げ、藤真の背中側の腰ゴムにローターのリモコンを挟むと、牧は自らの成したことに対し満足げに微笑んだ。
「それじゃあ座って」
「座っ……く、うぅッ……」
 立っている状態でも充分に詰まっている感覚だったローターが、椅子に腰を下ろすと内壁に押されて敏感な箇所をいっそう刺激した。ごく単調な振動ではあるが、中での快感を知ってしまっている藤真の体は、それを無視することができない。堪らず太ももや脚をもぞもぞ動かすが、それもまた内部にうねりを与え、快楽を増幅させるだけだった。
「藤真」
「ふぁッ…」
 身体じゅうが敏感になって、肩に置かれた手にも、耳を掠める息にも感じてしまう。
「補習のテキストだ」
「エロ本じゃねえか!」
 机の上に置かれた冊子を見て、思わず声を荒げてしまった。成年向けのゲイ雑誌だが、いわゆるオカズ目的というよりも、興味本位と情報収集のために買ってみたものだ。
「藤真には、高校生向けの内容じゃつまんないだろう?」
 牧が表紙をめくると、ぴったりとしたビキニパンツ一枚の、筋肉質な男のグラビアがあらわれた。藤真の視線は逆三角形の胸筋から引き締まった腹、そしてくっきりと形が出てしまっている股間の膨らみに釘付けになった。
 牧の手がすでに切り開かれている袋とじの内側を開くと、修正こそ入っているが、立派に勃起したものをいやらしく下着から露出させた男の写真があらわれる。
「っっ…!」
 それを見た瞬間、内部がひときわ敏感になったかのように感じた。体の芯が疼き、血が沸き、じわりと全身に汗が滲む。
(こんなの、ちんぽのことしか考えれなくなるっ……!)
 平常時は無闇に男の裸にエロスを感じたりなどしない。しかし今は全く平常ではない。乳首や肛門をいじられ続けると、明確に自分の中の常識が狂っていくと感じる。女になりたいわけではないと思うが、体がメスの快楽を求めてしまう。もっと気持ちよくなりたい。プラスチックの玩具ではなく、雄の肉棒でかき回して、女のように犯してほしい。
「もっと、強いほうがいいか」
 牧の手が藤真の腰を──ローターのリモコンを探ると、藤真の体が大きく跳ねる。
「ひゃぁっ! あんっ、あぁ、んっ、うぅっ…♡」
「気持ちいいのか?」
「あぅ、だめ、これっ…♡」
「だめじゃないだろう?」
 頬を染め、呼吸を乱して目をとろんとさせて──陰部に玩具を詰められて、卑猥な写真に興奮している。卑しくいやらしい姿が、愛しくて堪らない。
「ん、ここになんか隠してるな?」
「ぁっ…♡」
 股間の一部が不自然に浮いたスカートをめくると、勃起した藤真の性器がショーツを押し除けるように頭を出して、先端からねっとりと糸を引く先走りを滴らせていた。
「お前、ケツにローター入れられて男の裸を見ながらカウパーだらだら垂らしてるのか。なんてスケベなんだ」
「そんなの、普通みんななるしっ!」
 藤真は股間を隠そうともせずに、触ってほしいと言わんばかりに胸を張り、腰を突き出している。無意識なのだろうか。素直にしゃぶりついて蜜を啜りたい衝動に駆られながら、牧はまだ抗って、意地悪い風に濡れた先端部を指先で軽く弾いた。
「ひゃっ」
「そんなことないと思うがな。で、藤真はどういうのが好きなんだ?」
 引き続きページをめくろうとする牧の手首に、藤真の手指が絡みつく。掴むよりも、もっとずっと繊細で淫靡な感触だった。
「先生、オレ、先生のおちんぽがいいな……」
「……!!」
 見上げてくる、ねだる視線に、今度は抗えずにキスをしていた。
「んっ、ぅ…♡」
 感じているのだろう、抱きしめた体がときおり小さく震えている。本当は自らの体を使って犯したくて仕方がないのだが、それも惜しいような気がして道具を使って引き伸ばしている。願望が宿ったかのように、牧の舌は執拗に藤真の舌を絡め取り、唾液を滴らせながら口腔を撫でまわす。
「ぷはっ…」
「ベッドに……」
 言いながらすでに藤真の肩を抱え、牧の体はベッドのほうを向いていた。
「はい♡」
 姿勢の変化で感じるのか、ベッドの上に座らせたときも藤真は声を漏らしていた。
「……あっ、んっ…♡ せんせー、これ、いつまで」
 甘えたような声を出して、いかにも抜きたいというように、太腿の内側に覗くローターのコードを指でいじっている。
「そうだな……」
 言いかけて、牧は唐突に落ち着きを取り戻す。
(待てよ、これはきっと罠だ。藤真はとっとと本番に行って、このプレイを終わらせたいんだろう。大丈夫、俺はスロースターターだからな、そんな誘惑には乗らんぞ)
 藤真のミスにそう怒っているわけではないのだが、せっかくの機会なので限界まで愉しませてもらうことにする。
「いや、まだだ」
 明確なプランもないまま、藤真の脚を折り曲げてベッドの上に置く。
「っ、パンツ見えっ…」
「パンツどころじゃないな」
 もう一方も同じくしてベッドの上でM字開脚させると、短いスカートが大袈裟にめくれ上がって藤真の下半身を晒す。ショーツの上に陰茎を露出させ、下からはローターの細いコードを覗かせた姿は、淫らの極みだった。
(ああ、エロいな、本当にエロい、最高だな)
 しみじみと見入るが、しかし欲望はとどまるところを知らない。
(だが、もっとエロいところが見たい)
「……そうだな、まず、一発射精してみようか」
「しゃせい?」
 知らないはずがないのだが、藤真はいかにも愛らしく首を傾げてみせる。
「そうだぞ。いつもしてるだろう? こうして、チンポ握って扱いて」
 牧は藤真の手に陰茎を握らせ、それを自らの手で包み込んで上下させた。
「ひあっ、あぁっ、んっ! ぁん、やめっ、やぁっ♡」
 ぴくん、ぴくんと腰が跳ねるのとは別に、ときおり全身がぶるりと震えるのは、挿入されたままのローターに感じているのかもしれない。
「あっ、あぁぁっ…!」
「ん?」
 喘ぎ声に混じる振動音が大きくなったような気がしていると、ショーツの穴からころんとローターが一つ落ちて、ベッドの上に跳ねた。
「だめだろう、勝手に出しちゃ」
 牧はべっとり湿った藤真のショーツを取り去ると、太ももを持ち上げ、吐き出されたローターを再びそこに押し付ける。藤真の体温によってか、ローターが暖かいのがひどく印象的だった。
「うぅっ、あ、ぁっ♡」
 容易くローターを咥え、ひくひくと収縮するさまは、喜んでいるようにさえ見えた。三分の二程度まで押し込み、口からピンク色が突き出た状態で指を離すと、ゆっくりと肉壁に押し出されて排出される。その様子が気に入って、入り口付近で浅くピストンさせるように、ローターを出し入れする動作を繰り返した。
「ああぁっ、あんっ、それやばっ…♡」
「気持ちいい?」
「きもちっ…♡ ひ、あぁっ♡」
「奥に入ってるのと、入り口のとどっちがいい?」
「んンッ♡ どっちもっ…!」
 藤真はすっかり後ろの感触を愉しんでいるようで、竿を扱く手の動作はごく緩慢なものになっていた。牧は苦笑に似た笑みを漏らす。もういいだろう。
「そうか。じゃあ先生がどっちも突いてやろうな」
 ズボンと下着を一緒に脱いで、ベッドの下に放り捨てる。戒められるように身を屈めていたものが、ようやく自由を得てのびのびと首をもたげた。
 藤真と目が合うとなぜか思い切りそらされて、思わず笑ってしまった。
 ベッドの上に乗り上げ、よそよそしく下を向いている藤真の前に立ちはだかって腰にそびえるものを突きつける。
「濡らしてくれ」
「んー……」
 藤真は正座から脛を外側に崩した、いわゆる〝女の子座り〟のような格好で、恥ずかしそうにこちらを見上げると、照れたようににこりと笑った。演技なのか、気分がよくなってフワフワしているだけなのかよくわからないが、どちらでもいいと思えた。牧の男根を両手で捕まえると、その形状と大きさをあらためて確認するように撫でまわす。
「先生のほうが、エロ本のよりでかいんじゃない?」
「っ…ふ、どうだろうな。だが、お前がエロいからこうなったんだぞ」
 急かすように腰を前に突き出すと、藤真は小さく笑ってそれを頬張った。
「おお……」
 ときおり呻くような声を漏らしながら、整った顔貌が、愛らしい唇が、黒ずんだ男根を嬉しそうに、さも美味であるかのように舐めずり、しゃぶっている。それだけで幸せになれるのだから単純なものだと思うが──
(いや、好きな相手が嬉しそうにチンポをしゃぶってくれるんだぞ……?)
 やはり特別なことのようにも思えた。
「はぁっ…」
 たっぷりとした唾液と体液の入り混じったものが、大きく張り出した亀頭と桜色の唇とに銀の糸を引く。もの欲しげに見上げてくる瞳が、子猫のようだと思った。
「よし、じゃあ次はスクワットだ」
「スクワット?」
 牧はベッドの上に脚を伸ばして座ると、濡れて鈍く光る男根のそそり立つ、自らの腰を示す。
「こっちに来て、ここに跨って」
「ッ…!」
 牧の言わんとすることを察すると、体の芯がきゅうと締まり、浅い位置に挿入されていたローターが体外に押し出された。
「あァッ…♡」
 振動するローターをゆっくりと放出する快感に、藤真は大きく身震いしたが、しかし奥に咥え込んだもう一つはまだ出てこないようだ。
「もう一個は俺が抜いてやろう」
 藤真はベッドの上を跳ねるローターのスイッチを止め、いかにも待ち構える格好の牧の腰を跨ぐ。スクワットと言われたので、膝を立てて股を開き、牧の上にしゃがむ形だ。
 着衣の意味をなしていない短すぎるスカートの下から、淫らに濡れた男性器がにょきりと生えて、下の口からはローターの細いコードが垂れている。
 愛らしくはあるがセーラー服に対しては大人びた顔貌に、いくばくかの恥じらいと、それ以上の期待とが見て取れる。
「ああ……」
(最高に下品だな、藤真、最高だ……)
 どういった感情なのか、もはや自分でもわからなかったが、牧は唇の端を歪めながら、ローターのコードを軽く引く。
「すげえ食いついて離さないぞ。そんなに気に入ったのか?」
「違う、勝手に奥に行った」
「そうか? じゃあ力抜いて」
 細いコードにさほどの強度があるようには思えない。ほどほどの力で何度か引くと、閉じていた口がひくひくと震えだし、
「ン、出るっ! あぁッあぁ…♡」
 大きな収縮と上ずった声とともに、ローターをつるりと吐き出した。牧はそれを拳の中に捕まえる。
「産まれたてホカホカだ」
 藤真の中の温度だと思うと、その暖かさにさえ興奮した。
「さて、先生が支えてやるから、ここに腰を落として……」
 牧は上体を後ろに倒し、傾けた枕に頭を預けると、自らの陰茎の根もとを指で支え「ここに」とアピールする。
 藤真は待ちわびていたかのように躊躇なく、亀頭を何度か尻の割れ目に擦り付けると、自らの内に呑み込んでいった。
「あぁっ、んんンッ…♡」
 肌に馴染む感触と密度が、入り口も奥も、玩具では満たされなかった部分もみっちりと埋めている。牧の体温と生々しい脈動とに浸るように結合部を押し付けると、先端部に最奥を撫でられて、くすぐったいような幸福感が湧いてくる。
「気持ちいいのか?」
「うん……ちんぽ、すごい……♡」
 自らのものを挿入して心地良さそうにしているさまは、とても愛おしく好ましいのだが、牧ももう我慢ができなくなっていた。悠長に鑑賞する余裕などなく、藤真の右手を自らの左手で、藤真の左手を自らの右手でそれぞれ握る。
「スクワットだ。支えてやるから、腰を上げて」
「はぁい」
 藤真は目を細めて笑い、手の指を絡めてしっかりと握り返すと、ゆっくり腰を持ち上げた。
「んんっ…♡」
「下ろして」
「おぉッ♡」
「繰り返して」
「はっ、あっ、あぁっ、んッ♡」
 慣らすような動作から、藤真はすぐに調子を掴んだように、一定のリズムで体を動かす。
 パンパンと肌がぶつかる音は軽快だが、うねる内部は濃厚に絡みつくように牧を扱き上げる。濡れそぼった陰茎がしきりに上下に頭を振って涎を垂らすさまが、きわめて卑猥で目に快感だ。
 藤真の動作に合わせ、ベッドのスプリングを使って牧も下から突き上げる。
「はっ♡ あっ、あんっ、止まんないっっ♡」
 肛門に男の性器を出し挿れされながら歓喜の声を上げる、あさましい姿が愛おしく、愛らしく感じられて堪らない。
「いいぞっ、その調子だ、新陳代謝上げてけッ!」
「あぅっ♡ ちんちん代謝っ♡ アガっちゃ、あぁッ♡  あぁアァッ♡♡♡」
 やがて高く弱々しい声を上げながら、藤真は勢いなく射精した。牧の突き上げる動作に押し出されるように、ビュ、ビュッと少しずつ吐き出される精液が、牧の胸を生ぬるく濡らしていく。
「はぁ、あぁっ…ぁっ……♡」
 貫かれた箇所をヒクつかせ、だらしなく口の端を緩め、余韻に浸る藤真に鞭打つように、下から思い切り突き上げる。
「あ゛ぅっ♡」
「先生がいいって言うまでだ」
「ふぁあい…♡ おぁっ、あぁっ、あんっ♡」
 藤真は動作を再開すると、すぐに甘い声を上げた。上下運動ばかりでなく、中を抉り、含んだ男根の全体を味わうように、妖艶に腰を使う。射精したきりだらんとして、常時の大きさに戻った性器は、体液を滴らせながらしなやかに揺れていた。中だけで感じているのだ。
「エロいやつだな……ほんとに……」
 だがそうさせたのは自分だ。そう実感すると堪らない満足感と、愛おしさと──幸福感に襲われる。
(誰にも渡さない)
(ずっと一緒にいよう)
 両の手をしっかりと握り、夢中で腰を振りながら、状況とは無関係な言葉まで頭に浮かぶ。頭の働くような情況ではなかった。犯し、煽られ、追い上げられていく。
「っくぅ、あぐっ、あぁっ…♡」
「藤真、いくぞ」
「あんっ、あぁ、いいよ…♡」
 蕩けるように甘い声に弾かれたように、牧の辛抱は決壊する。
「っ、藤真、ふじまッ……!!」
「あ、あァ、ぁ……♡ 出てる、中……♡」
 弾け飛ぶ快楽の中、そう喘ぎながらも動作を止めない藤真に搾り取られる心地で、牧は小さく笑った。
「っふ……」
 貪欲な肉体はいまだ快楽を求め、肉棒に食らいつくように痙攣している。食らわれるほうもまた、精魂尽き果てるには遠い。むしろ体内で新たな欲望が作られ、さらに溜め込まれていく気さえする。
「──それじゃあ、次はマット運動だ。向こうを向いて」
「んぅっ……♡」
 力が抜けて重く感じる持ち上げ、藤真は牧の上から退くと、言われた通りに背中を向ける。
 牧は起き上がり、背後から藤真を抱きしめると、そのまま押し崩すようにのしかかった。
「わわっ」
 ベッドに胸を押しつけ、腰を前に折った勢いで、中に出されていた精液が陰部から下品な音を立てて噴き出す。
 セーラー服姿でベッドに伏せ、剥き出しの尻から白濁を垂れ流す乱れきった光景に、牧は目を細めた。
「最近の高校生はケツから射精するのか? 器用だな」
「おぉっ、あぁっ…♡」
 もはや迷いも焦らしもしない。何か言おうとした藤真の言葉を後ろから塞ぐように、いきり立ったままの男根を再び挿入する。
「っんッ! これマット運動じゃなっ、あぐっ、あぁッ♡」
 最奥を掻き回すように腰を振れば、抗議の声も簡単に甘い喘ぎに変わる。快楽に弱いところもまた愛おしいと思う。
「まあいいじゃないか、後ろから突かれるの好きだろう?」
「んぉっ♡ あ゛ぁっ、あぁンッ♡」
 いっそう密着した肉体が容赦なく打ち付けられ、開いた体の最奥を抉る。擦れ合う局部の感触のみでなく、変態的な状況で荒々しく求められる実感に、藤真は甘い被虐の海に溺れていく。
「っ、あぁァっ、好きッ…!!」
「ああ、俺も大好きだ、藤真……ッ!」

 藤真は高校を卒業して以来、牧と同棲しているが、花形との友人関係も長く続いていて、難解なこと、特に電子機器関連については深く考えずに花形を頼ることにしていた。適材適所である。
 当然のごとく、牧の携帯電話を洗濯したあとにも真っ先に花形に連絡をした。確実ではないと言っていたものの、考えがあるようだったので藁にも縋る思いで牧の携帯電話を託して一晩──いや、正確にはもっと早かった。一通りのことを終えた藤真が眠り込んで翌朝起きると、無事牧の携帯電話が起動した、データも残っているようだとの報告が藤真の携帯に入っていた。藤真は自らの携帯電話を握りしめてガッツポーズをとる。携帯の水没すなわち死、というのが世間での通説であった。
(はぁぁ〜天才! さすがオレが見込んだ男! 正直抱かれてもいい……!!)
 花形がそのような気配を見せたことはなく、藤真にもその気はない。牧との生活を続けるうち、価値観が若干歪んでしまったゆえの思考だった。

 さっそくふたりで花形のところへ携帯電話を受け取りに行き、その足で携帯電話ショップに行って機種変更をした。データが生きていたとしてもそのまま使い続けるのは怖いので、どちらにしても新しいものに買い換えよう、とは昨日時点で決めていたことだった。ついでに連絡先のデータを業者が預かってくれる『電話帳お預かりサービス』にも加入しておいた。
 帰宅した藤真は、牧の新しい携帯電話を物珍しげに手の中で弄ぶ。
「これがウワサのスマートフォンかー」
 少し前にアメリカから入ってきて、日本でも話題になり、じわじわと増えてきているタイプのものだ。アルミとガラスで覆われたごくシンプルな一枚板の形状は、これまでの〝コンパクトな電話機〟とは全く異なるものだった。
「……なんか、弱そう」
「弱そう?」
「前が全部ガラスで剥き出しだから。落としたら終わりじゃね」
「強化ガラスらしいから、そう簡単には割れないんじゃないか? まあ、なんかあったらまた愉しませてもらうから気にするな」
 にやりと笑った牧に対し、藤真はうさんくさいと言わんばかりに眉を顰める。
「……セーラー服好き?」
「セーラー服を着てる三十代の藤真が見たかった」
「なんだそりゃ。屈折してんな」
 そうは思うが、満足げな牧の顔を見ていると嘘とも思えない。
「そうか? この年で高校生と付き合いたいとか言いだすより健全じゃないか?」
「あー、この前高校生が何人かで歩いてるの見掛けたけど、だいぶ子供って感じだったな。そんな自覚なかったけど、オレもあんなだったのかな」
「俺だってきっと、周りから言われてたほどは老けてなかったと思うぞ」
(いやそれはどうだろうな……オレは昔から年上っぽいのが好きだったと思う。『ぽい』のが)
「俺も藤真も、変わんないようでいて、いろいろ変わっていくもんだ」
 藤真の思いなど知る由もなく、のんびりとした口調で呟いた牧に、なんとなく笑ってしまった。
「そうだね」
 昔、牧のスピードに、自分はついていけないと感じたことがある。置いていかれる感覚ばかりがあって、双璧という言葉を疎ましく感じていた。しかし今はもうない。
(今はたぶん、一緒に歩いているもんな)
 そして変化を感じないほどゆっくりとした速度で、これからもふたりとも変わっていくのだろう。
「藤真、こうするとカメラモードになってな」
「おお」
「ここを押すとインカメラってのになって」
「こっちが写ってんじゃん。すげえ」
 パシャッ!
「おいっ! 勝手に撮ってんじゃねえ!」
「いいじゃないか。びっくりしてる、かわいい顔だ」
「なんでもかわいいって言うやつに言われても嬉しくねぇんだわ」
 そうは言ったがそれ以上牧の行動を咎めることもせず、スマートフォンの画面を辿々しくなぞる指を、微笑ましく眺めていた。

DREAMON DREAMER 各話コメント

同人誌「DREAMON DREAMER」に収録した話について、一冊目同様に余談など。全話読了前提で書いています。特に重要な情報はありません。

全般(収録作について)

1本目が記憶喪失ネタでのカップル成立、2本目〜9本目は成立後の話ですが、カップル成立話としては前作収録の「きみを知った日」のほうが脳内ベースです。つまり1本目のみパラレルです。
が、続きもので読んでもそんなに違和感はないかなと思って時系列として収録しました。
どんな成立でも結局多分ずっと牧藤は一緒にいるな〜、と思っているところがあります。
「ラブファントム」ほか数本収録予定があったのですが、ページ数の都合と他の話との関連が強くないので外れました。またの機会に。
 

DREAMON DREAMER(タイトル)

固有名詞というよりは普通の表現だと思いますが、一応元ネタとしては前作同様GOATBEDの曲名「DREAMON DREAMER」です。表記は「DREAM ON DREAMER」とする予定でしたが、タイトルの配置の都合もあり曲名ままの綴りになりました。
小説というより表紙絵のイメージというか、あまり深い意味はないです。雰囲気です。
 

その表情の理由を教えて(2020/05/10)

記憶喪失ネタです。同人定番の〝ネタ〟というイメージが強いかと思いますが、タイトルの「その表情」は原作での藤真登場時の牧の表情のつもりだったり、割と原作由来の要素の多い話です。
私にしては〝双璧〟連呼している話なのはわざとというか、たまにはそういうのも書いてみようみたいな感じです。「きみを知った日」ではあまりそういう意識はなかったので。

「きみを知った日」では二年の十月から付き合っていて、この話では二年の一月時点でまだ付き合っていませんが、キャラの設定や解釈は同じです。
なので、牧が語ってるエピソードや回想はそのままあちらのふたりのことです。
国体合宿で特別なことはなかったというのは言葉を濁してるのではなく実際そうで、ふたりは自然と仲良くなったイメージでいます。
藤真が監督になった時点で『同じ位置には立ってられない』と言っているのも、前の本の中のどこかでふわーと書いていたつもりのことで、監督になった時点で藤真の実感の中では双璧というものは終わっています。(牧の中では続いている)
双璧については呪縛という話が記憶のある元の藤真の答えなんですが、時系列の都合でこちらは本には収録できませんでした。

記憶喪失の藤真は視点的には(牧、藤真以外の)第三者であるというのが、記憶喪失ネタを書く面白さじゃないかなと感じました。
 

ポラロイド遊戯(2020/02/11、10/15)

発端は「二月だからバレンタインの話を何か」と書いたものでしたが、バレンタインとホワイトデー特有のネタはあまり思いつかなかったので、前から書きたかったエロ写真撮影に持っていきました。
付き合って割とすぐの時点で玩具とか使ってみたいというのは、マンネリなわけじゃなくて興味と性欲が強すぎるせいです。早熟なんですふたりとも。
 

MASK(2020/12/21)

少しあとにマスクが不足したり必須になったりするとはもちろん想像しておらず、「ベタなネタを書こう、風邪の看病ネタ!」というものすごく単純な動機で書きました。それと〝マスク着用で顔を隠してのエロ配信〟がモチーフです。時代的にネット配信はないので牧はAVを想像しています。
ポラロイド遊戯の初めのほうでインフルエンザが流行ってると言ってて、その次に収録のこの話で牧が風邪引いてるのがなんか繋がってしまったような感じですが、たまたまです。
 

ノブくんの冒険(2020/04/06)

あけすけに言うと「狙った話」です。牧藤のまわりで清田が動き回ってる話って好まれる傾向に見えるなと思って。pixivの感じでは実際その通りだった気がします。
ただ、ウケ狙い目的だけで好みでないものを書けるほど器用ではないので、発端がそうというだけで、内容は割と普通に自分の牧藤の話です。
清田が歌ってるultra soulは年代もっとあとですが、代わりにいい感じの歌を思いつかなかったのでそのままにしました。
 

ふたりぐらし(2020/09/28)

Web掲載時は気が向いたタイミングでエピソードを書いて、キャプションなど小説外のところに所在地などの説明を書いていましたが、一冊の本にするなら小説の中で書かないとなーとずっと思っていて。読み返すとノブくんの冒険でもそれなりには説明入ってましたけどね。

特に前半は説明がメインでふたりの心情は重要ではないのでモブ視点にしてみましたが、そのせいで退屈なような気がしてしまって、珍しいくらい書くのがしんどかったです。(作業中そういう思いがあったというだけで、最終的には自分内OKになったので公開とかしています)
完全なモブの視点の二次創作は自分の趣味ではないんだろうなと思いました。
 

家族写真(2020/01/11、04/06)

モブと同じくオリキャラも加減が難しくて苦手なほうなんですが、牧さんの家族と思うとそんなに悩まなかったです。
ほのぼのというか、特に事件のない話ですが、家族周りの設定はふたりの将来の妨げにならないことを意識して考えました。ペットは犬派でも猫派でもどっちでもないのがいいなと思ってどっちもいることにしました。
お金持ち度合いは書いてる通りですが、東京の高級住宅街が実家なら普通に外車乗りそうじゃないですか? という感じで(カレンダーのイラストで左ハンドルの車に乗っているところから)
牧さんの将来もギラギラのタワマンみたいな感じではなくて、都内の住宅街で割とのんびり暮らしてるってイメージです。
あとの収録作の「それからずっと〜」が去年の秋くらいからネタがあったので、そこに持っていこうとしてこのタイトルにしました。
 

夏果て(2020/08/29)

お題箱にいただいて描いた絵からできた話ですが、キャラ設定はいつも通りなのと、作中時期的にちょうどよかったので飛び込み気味に収録作になりました。藤真がめんどくさい回。
打ち上げ花火は二回も書いたので次は手持ち花火とか線香花火だな、など思っています。
 

きみがいて誰もいない(2020/06/21)

「大人になっても一緒にいる」「牧は藤真に自由でいてほしい」くらいのことを書きたかった話だと思います。
日常なので、のんびり淡々としてしまうのは仕方ないのですが、話としては起伏がないので、書いていてちょっと不安になりますね。
 

それからずっと、おれたちは(2020/08/14)

特に誕生日のエピソードではないんですが、一応藤真の誕生日を意識しつつ書いたものです。
夢オチ援助交際から30代の牧藤にいって、それから現実のパートナー制度云々の話にいく流れは去年の時点からありました。大学の位置的に、住んでたの世田谷区だろうなあと思ったら書かずにいられなかった。そのあたり駆け足というか列挙みたいになっているのは、書きたくなったときにまた別途お話を書けばいいかなと思っています。
ラストの自粛してるところは今年ならではの話になりました。こういうのも同人らしくていいかなと。
牧藤は(今も)ずっと一緒にいるんだよ!!! というのが書けたのでとりあえず満足です。

最後までお読みいただきありがとうございました!

ポラロイド遊戯 4

4.

「藤真」
「ん、なんだよその箱」
 居間に入ってきた牧は、貰いものの菓子かタオルでも入っていたような黒い箱を大切そうに抱えていた。藤真の目線からは、箱の上に熨斗紙が貼ってあるように見える。
「終活箱を作ったんだ。この前テレビでやってただろう」
「……あ?」
 終活。人生の終わりのための活動として、先日テレビで特集していたことは藤真も覚えている。自分が死んだあと、残った家族や子供が困らないように不要なものを処分しておくだのの内容で、『終活箱』には火葬のときに一緒に燃やしてほしいものをまとめておくらしい。〝墓場まで持っていく〟ということだろう。特に番組内容に興味があったわけではなく、ただテレビをつけっ放しにしていて耳に入ってきただけだったのだが──藤真は眉を顰める。ふたりとも若いとは言えない年齢ではあるものの、終活など意識するのはもっと上の年齢層のはずだ。そういえば牧は、少し前に健康診断に行っていなかっただろうか。
「……なにお前、変な病気でも見つかったのかよ?」
「いや? 至って健康だったぞ。内臓は若いし、目も意外と悪くなってなかった」
「じゃあそんなもん必要ねえだろ、なんだよ終活って、くだらねえ」
「ちょうどいいサイズの黒い箱があったから」
「箱基準かよっ!」
 牧の手にある箱をあらためて見ると、熨斗紙と思ったものは、白い紙に牧が筆ペンで『終活箱』と書いて貼ったものだった。それだけなのだが、飾り気のない白黒がいかにも葬式めいて見えて、藤真は険しい顔をする。
「藤真、お前昔よく、いつなにが起こるかわからないって」
「昔はそうだとしても、今はもうなんもねえだろ」
 牧としては生命保険に入ることや、災害時のための保存食を置いておくことと大差ないレベルのつもりだったのだが、藤真はすっかりそっぽを向いてしまった。
「……で、オレにそれを預かっとけって?」
「いや、まだ手もとに置いておきたいから、死ぬ直前までは俺が持ってようと思う」
「じゃあなんで今持ってきたんだよ!?」
「え? いい感じにまとまったなあって……まあ、存在だけ覚えといてくれりゃいい」
「あいよ。多分寝て起きたら忘れてるわ」
「藤真。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「怒ってねーしっ!」

 黒い箱の一番下に隠すように仕舞った、表紙の擦れた小さなアルバム。硬い表紙のしっかりとした装丁のものではなく、写真は貼らずにポケットに収納していくタイプのものだ。
 内容は若気のいたり。限られた逢瀬の時間を生き急ぐように、背伸びした快楽を追求していた、ふたりとも青かったころの思い出だ。書棚のアルバムには決して入れることのできない、これらのポラロイド写真のことを、藤真は果たして覚えているだろうか。
 密かに眺めるばかりで日光になど晒すことのなかった写真は、経過した年月の割には綺麗なものだった。印画面よりも、余白の部分に残った指の型のほうが気になるくらいだ。
 いつの日かこれを見つけた藤真はどんな顔をするだろう──それを考えると楽しくて仕方がないのだから、自分は藤真が信じているほど善人ではないと思う。

ポラロイド遊戯 3

3.

「仰向けに寝てくれ」
「あいよ」
 藤真が彼シャツに下着姿のままベッドに仰向けになると、牧はサイドテーブルの上に置かれた袋から何かを取り出した。ピンクの豹柄のファーでできた、リング状のものが二つ。女性が髪を纏めるシュシュのようにも見える。
「なにそれ」
「手錠だ。ふかふかで痛くないぞ」
 よく見るとファーから金属のパーツが飛び出していて、互いに鎖で繋がっている。手首に当たる部分をファーで覆った手錠だった。
「ダッッセ」
 藤真はわざとらしく顔を顰める。男性用のセクシー下着の話題が出たときは唐突に感じたが、つまりはこういったアイテムを扱う店に買い物に行ったのだろう。今日のために。
「そうか? かわいいじゃないか、ぬいぐるみみたいで」
「お前さぁ、『かわいいといえばピンク』っておっさんの発想らしいぜ?」
「いいだろう別に、俺のための写真に写すんだ」
「そりゃそうだけど……てかお前はこれで萌えるのかよ」
 ぶつぶつ言いながらも抵抗はしない。藤真の両手首は褐色の大きな手に包まれると頭上に纏められ、ベッドのヘッドボードのパイプに手錠で固定されてしまう。牧は満足げに目を細める。
「ああ、よく似合ってる。お遊び感がいいな。嬉し恥ずかしってやつだ。あんまりハードなやつだと女優が気の毒になって抜けなくないか?」
「……健全な十七歳にAVへの意見を求めんなよ」
 実際にハードなものを借りるなりして見たことがあるのだろうか。確かに、牧ならば外見で年齢指定に引っ掛かることはないだろう。
「十七か……まだ十七なのに、こんないけないこと覚えて……」
 眉根を寄せつつ口もとは緩んでいるという複雑な表情を浮かべながら、牧は藤真のシャツのボタンを外していく。シャツの中から少しずつ現われていく白い肌に目を引かれ、欲情を煽られて仕方がない。今初めての感覚でもなかったが、バスケットの練習や試合中にはほとんど意識しない分だけ不思議だった。
「お前だって一緒だろっ!」
「写真じゃなくて、ビデオ回してインタビューから撮りたかったな」
 牧が言わんとすることを、あまりわかりたくないと思いながらも、藤真は会話の流れから察してしまう。
「AVの最初のインタ? あのいらねー時間?」
 インタビューやドキュメンタリー風映像など、出演者の設定などを明らかにしていくパートだ。アダルトビデオは友人から回ってきたものを何度か見たことがあるが、前置きの映像についてはビデオの収録時間に対する嵩増しのようにしか感じなかった。
「いらなくないだろう、お前、いきなりエロシーンだけ見て感情移入できるのか?」
「いやAVに感情移入する必要あるか!?」
「俺は好きになった相手としかセックスしないぞ」
 真顔でそう返されて、黙ってしまった。現実ではそうだとして、アダルトビデオにまで適用するのかという話なのだが、おそらく平行線だろう。
「ああ……いいな……」
 腕を縛り上げられ、シャツの前を開いて胸を露わにした藤真の姿に、牧は感嘆の息を漏らす。窮地といえる状況にありながら、視線はどこか反抗的なのがまた堪らない。
 頬を撫で、背けられた顎を捕まえて、半ば強引にキスをした。噛みつくように、そこから深く穿つように。
「んっむ…ッ」
 長いキスから逃れるように、藤真は強くかぶりを振って顔を横に向けた。
「写真」
「ああ、そうだったな」
 赤く潤んだ唇も、気怠げな視線も──堪らないと何度思えば気が済むのだろう。藤真に促されるようにカメラを手にし、顔のアップか、いや拘束されているとわかるように腕も入れよう、それから肌の覗く胸もとも。素人なりに狙いを定めてシャッターを切った。
 排出された写真をろくに見もせずサイドテーブルに置くと、ベッドの上に膝をつき、藤真の体を跨いで乗り上げる。長い睫毛が影を落とす、色素の薄い瞳がまっすぐこちらを見つめる。表情は読めない。
 喉もとをくすぐり、鼓動を確かめるように胸の中心に置いた手のひらを、ゆっくりと腹部へ下降させていく。白く滑らかな肌の上に褐色の無骨な手が這うさまは、いつ見ても背徳的でそそられるものだったが、あいにく片手でカメラを扱えそうにはなく、撮影することは叶わなかった。
 迷うような、焦れたような手つきで下着を取り去ると、性器は緩慢に頭を擡げはじめた半勃ちの状態だった。そこにじっと注がれていた視線が、再び藤真の顔まで戻る。
「……撮って、いいんだよな?」
 いかにもお伺いを立てるといった様子の牧を、藤真は軽く笑い飛ばす。
「ああ。約束したからな」
 牧はコートの上では強引だが、根は優しく紳士的な、性善説の体現者のような男だ。しかしというか、だからというか、藤真は彼を掻き立てたくなってしまう。頭の上で、チャリ、と手錠を鳴らした。
「なんだっていいぜ。これからなにをされたって、オレはお前に抵抗できないんだ」
 牧の喉が鳴る。体を起こすとカメラを構え、ゆっくりとした動作で写真を二枚撮った。きっと今度は下半身までも写されてしまっただろう、そう思うと無性に興奮した。
(オレって、実は露出狂なんだろうか……)
 片膝を立てて体の外側に傾けると、面白いように牧の視線がそこに向いた。手が太腿に伸びると見ると、動作を咎めるかのように言う。
「手錠だけじゃないんだろ、買ってきたもん」
 そして煽るように笑った。
「ああ、そうだな……」
 物理的な形勢など意味を成さないかのような藤真の調子に、意思を絡め取られる錯覚とともに、ズボンの中で張り詰めた股間が痛いくらいに疼く。今の藤真は少し、試合中の彼と似ているのかもしれなかった。その意のままにと、牧はサイドテーブルの袋に手を伸ばす。
 取り出したものは、ピンク色の卵形のローターだった。プラスチックのつるんとした本体から、細いコードが伸びてコントローラー部分に繋がっている。卑猥な本や映像でよく見かけるタイプのものだ。
「こういうの、使ったことあるか?」
「にゃい」
「俺もない」
「ねえのかよ!」
 牧の様子がいかにも余裕ありげだったものだから、思わず突っ込まずにはいられなかった。
「初体験だ」
 牧はにやりといやらしい笑みを浮かべ、コントローラーのダイヤルを回す。卵形の本体が小刻みに振動し、想像よりずっと大きなモーター音が場を満たした。
(体験するのはオレだけどな)
 いかにも愉しげに頬にローターを撫でつけると、虫が這うかのようにじりじり下降させていき、乳首の先に当てる。
「ふぁっ! ん、んンっ…!」
「藤真、乳首感じるもんな」
 横から、上から、嬉々としてローターを押しつけたり離したりしながら、いじらしく身を捩る藤真の反応を愉しむ。
 薄紅の乳首は白い肌の上で、小さいながらにその存在を強く主張している。誘われるように、牧はもう一方の乳首に厚い唇を寄せた。音を立てて吸われ、舌先と歯を使って執拗にねぶられ転がされると、藤真も堪らず体を跳ねさせる。
「ひゃっ! あっあっ…! ぁんっ…」
 名残惜しい様子でちゅっちゅと何度も乳首に吸いつきながらも、牧は顔を上げた。乳房は大きいほうがセクシーだとずっと思っていたが、平らで敏感な胸というのも愛らしくていいものだ。
 再び肌の上にローターを這わせる。メリハリの少ない平坦な肉体に、愛らしい臍、細い腰。薄い茂みの下で、天を仰いだ性器は先端に淫靡な肉の色を覗かせている。牧は迷わずそこにローターを当てた。
「あ゛ぁっ!!」
 ぴくりと腰が跳ね、その拍子に動いた性器が責めから逃れる形になってしまう。そうはさせまいと、大きな右手の中に亀頭部とローターとを一緒に包むように握り込んだ。
「イっ、あっ、あぁあッ!」
 敏感な先端部に対し、初めは痛いくらいだったローターの振動も、じき体液が滲み出てくると、簡単に快感に変わった。単純かつ機械的に与えられ続ける刺激に、恥ずかしいくらいにびくびくと腰が跳ねてしまう。
 牧は右手をそのままにしながら、左手で藤真の右の太腿を持ち上げ、白い尻肉の間に露わになった窄まりに舌を這わせる。入り口を舌先でなぞり回し、肉輪にキスをするように唇を合わせ、唾液とともに舌を押し込む。
「あぅっ、あっ、やめっ…んぅっ、ううっ…」
 くちづけられた箇所が熱い。高い鼻が股ぐらを撫でている。前への刺激に比べればささやかな感触だったが、あらぬところを舐められているという事実が、藤真の中にまだ残った理性を撹乱し興奮させる。
「あ゛っ、あぁっあ! 出ちゃっ…!」
 自らの意志とは無関係に射精に導かれそうになる危機感からわずかでも逃れるよう、藤真は腰を引いて胸を反らせる。もうじき達しようかというところで、牧は藤真の性器を解放した。
「っふっ…!」
「お前は普通に出すんじゃ満足しないもんな」
 赤い顔をして、潤んだ瞳で睨みつけられたところで痛快でしかない。あらためて脚を持ち上げ腰を抱え、振動するローターを濡れた陰部に当てがう。
「うあっ、ぁ──っ!」
 唾液を垂らして少し押し込むと、それはつるりと内部に吸い込まれてしまった。ローターを含んで口を開けていた肉の輪は徐々に窄まり、やがてほとんど閉じてピンク色の細いコードを垂らすだけになる。
「すごいな、自分から呑み込んでったぞ」
「う、うぅ……」
 恥じらって脚を閉じようとするのを押さえつけ、筋を浮き立たせて反り返る竿に、音を立てて何度もキスをする。脚の間からは、しきりにくぐもった音がしていた。
「そうだ、写真だな」
 行為に夢中になるあまり、本来の目的を忘れるところだった。牧は藤真の膝を立てて脚をM字に開かせると、初めの遠慮など忘れ去ったかのようにカメラを向けた。玩具を呑み込んだ陰部、勃起した性器、その向こうに藤真の顔が覗くようにフレームに収めてシャッターを切る。
(これあれだ、恥ずかしい写真撮られて『誰かに言ったらバラ撒くからな』って脅迫されて泥沼になるやつ……ほんとにあるんだ……)
 不健全な漫画で読んだ覚えのある展開を思いだしながら、しかし藤真は脚を閉じることもなく、されるままになっていた。牧が非道なことをする人間ではないと知っているせいもあるだろうし、それに何より
(ドキドキするんだ)
 到底人には言えない、おそらくあまり普通ではないこと。しかし確かに自分がその中に身を置いているという実感。それは藤真に多大な興奮と愉悦をもたらしていた。
(たぶん学校の誰も、オレがこんなことになってるなんて思わない)
 今日ほどのことでなくとも、牧との夜のデートはいつも──いや、突き詰めれば牧と付き合っていること自体がそうなのだと思う。
(たぶん、だから、お前じゃなきゃいけなかった)
「う、んぅ……」
 気分は高まっていたが、一点に据えられた単調な振動は、藤真の体を悦ばせるには足りなくなっていた。
「まだあるぞ」
 牧は再びサイドテーブルの袋に手を伸ばす。取り出したものは、やはりピンク色の、ぽこぽことした玉が細長く連なった形状のバイブだった。
「…!」
 牧が持ち手部分のスイッチを入れると、シリコン製の上部がうねうねと波打ちながら回転する。いかにも卑猥な形状と動作とに、藤真は息を呑んだ。
「今度はこれを挿れてやるからな」
「っ…!!」
 ローターを含んだままの内部が一瞬でぎゅんと窄まって、思わず達しそうになってしまった。ドクドク心臓が跳ねて、いっそう体が反応しているのが自分でもわかる。羞恥心や抵抗感もあるが、快楽への興味と期待のほうが遥かに上回っていた。
 牧は藤真の股ぐらを覗き込み、ローターのコードを引く。
「すげえ奥まで入ってないか?」
 しっかりと咥え込まれているようで、軽く引いた程度では出てこない。
「お前が挿れたんだろっ」
「勝手に入ったんだ。……取れなくなったらどうする?」
「ぶっころす」
「威勢がいいな。力抜いとけ」
「うぅっ……ぁっ!」
 コードを思いきり引かれると、食いついていた粘膜が引き剥がされ、熱い感触が一気に体外に抜けていった。
「おお、産まれた」
 秘所が一瞬大きく拡がり、卵が産まれるかのようにローターが飛び出したのが面白く、牧はもう一度それを中に戻そうと、ヒクつく入り口に押しつける。
「おいっ、こらっ!」
「ん、やっぱりこっちがいいのか。待ってろ」
 藤真に軽く蹴りを入れられると大人しく引き下がり、物欲しげなそこを露わに上に向けるよう腰を抱え直す。アナル用のローションを注ぎながら、スイッチを入れたバイブを窄まりに押しつけ、その回転で淫肉の門を掘り進めるように挿入していく。
「ふぁっあんっ、あァッ…!」
 小ぶりで愛らしい尻の狭間に、まるで自ら望むかのように、ピンクの球状の隆起をひとつ、またひとつと呑み込んでいく、粘膜の淫猥な収縮から目が離せない。藤真も牧も、もはやそこを排泄器官ではなく性器として認識していた。
「入ったぞ」
「ん、ぅう…」
「写真だな」
 締めつけがきついのか、バイブから手を離すと持ち手の部分がぐりぐりと回転してしまう。滑稽だが、ひどくいやらしくも見えた。牧はそのままの状態を写真に撮り、意地悪いつもりで笑う。
「お前がこんなことになってるなんて、誰も思わないだろうな」
「んぅ、ふっ…」
 藤真は恥じらうように身を捩ったが、少し笑ったようにも見えた。
 バイブを途中まで引き出し、凹凸を咥え込ませた状態も一枚写真に収めておく。シャッターの音に感じたかのように、大きく体が波打った。
「んぅん、あぁっ…」
「いいのか?」
 カメラを置き、藤真の尻から生えてのたうつバイブの持ち手を捕まえて、ゆっくりと押し込んでやる。
「はあっ、あぁっあ♡」
 指では届かない、腹の奥深くをぐるぐると掻き回される、未知の感覚に頭の中まで掻き混ぜられるようだった。
「ぅあっ、アッ、あぁあンッ…!」
 目いっぱいまで挿入され、引き抜かれる、ゆっくりとした抽送の動作のたび、ぽこぽことした表面が内壁を擦る。雄としてのセックスでは知り得なかった、底知れぬ快楽に襲われながら、藤真は堪らず高い声を漏らす。
「っあ、あァっ、やぁっ…♡」
 戯れ合う言葉も捨て、甘えるように悶える藤真は堪らなく愛らしくて愛しい。牧は抜き挿しの動作を早めたり緩めたりしながら、しばしその反応を愉しんだ。
「ふむ……」
 思いだしたように、ローターを手にしてスイッチを入れると性器の根元に当てる。先端から滴り伝った体液が、豊潤にそこを濡らしていた。
「はっ…」
 張り出した裏筋に沿わせるように、徐々にローターを上に──先端部に近づけていく。
「アッ、あ、無理、むっ、あぁァ〜ッ!!」
 初めにしたように雁首にローターを押しつけて握り込み、もう一方の手はバイブをピストンさせる。藤真は悲鳴に近い声を上げ、思いきり仰け反った。手錠を繋いだベッドのフレームから、ガチガチと鋭い金属音がする。
「ひゃあっんっ! それ、はぁっ…♡ アッ、んあ゛ぁッ♡」
 世界が裏返る。セックスとはどういうことだろう。男とはなんなのだろう。体の外側と内側の敏感なところを同時に弄り回され続け、体が、頭がおかしくなりそうだった。
「ア──ッ……!」
 達した、と思った。しかしそれは訪れていなかった。
 性器は絶頂寸前でローターの責めから解放され、体内を掻き回していたバイブもスイッチを切られ、抜き取られてしまう。
「う、んっ…、まき……?」
 快楽の余韻に震える体を持て余す、藤真の蕩ける視界の中で、牧は手早く服を脱ぎ捨てた。腰に聳える立派な男根を認めると、皮膚から一気に汗が噴出し、体の奥がきゅうと切なく疼く。
 急くような手つきでローションを撫でつけられ、ぬらりと貪欲な光を帯びた肉棒が、もの寂しそうにしていた下の口に押しつけられる。
「あっ♡ あ゛ぁッ!」
 執拗に弄ばれ、充分にほぐれていたつもりだったが、そこに挿入するために作られた玩具と、牧の男性の質量とはまったく異なるものだった。
(来るっ…!)
 粘膜の狭間を拡げながら押し込まれる感触に、内臓を押し上げられる苦しさとともに、えも言われぬ興奮が沸き起こる。傲慢に内奥へ進む怒張に敏感な箇所を擦られ、藤真は歓喜に仰け反った。
「んひぃっ…♡」
「なんだ、いいのか?」
 熱くうねり吸いつく感触に、牧はすっかり藤真に求められている気になって、容赦なく腰を動かす。肌のぶつかる音は、ねっとりとした粘性を帯びていた。
「っは、あぁっ、んうぅっ…!」
 牧の本能を集約した、がちがちの巨根が的確に前立腺を突いてくる。藤真が音を上げるのはすぐだった。
「ふぁっ、あぁっ、ひあぁあぁッ…!!」
 高く細い声を上げ、白い体がベッドの上に弓形に反る。いじらしく天を仰ぐ性器が大きく震え、小さな口からビュッと少量の白濁を噴き出す。牧の突き上げる動作に押し出されるように、藤真は何度か断続的に射精した。
「いあぁっ、あ……」
 出るものがなくなっても達しきった感覚は訪れず、ただ自らの内に埋まった男の感触が愛しくて堪らない。
「まだいけるだろう?」
 奥を撫でるように腰を押しつけると、藤真が何か言いたげに唇を動かした。
「ん……」
「ん?」
「写真。撮って、オレにもちょうだい」
「ああ……」
 牧は深くため息をつき、微かに苦味を帯びて笑むと、体を繋げたまま、精液に汚れた藤真の姿、密着するふたりの腹部、少し体を引いてあられもない結合部などを写真に収める。元は牧が希望した写真撮影だったが、もはや行為のほうが魅力的で、藤真に焦らされているかのような心地だった。一方の藤真は機嫌よさそうに目を細めている。
「もういいか?」
「いいよ」
 なぜか藤真の許しを得てからカメラをサイドテーブルに置くと、両の腕で細い腰を抱え、抽送の動作を再開した。
「はぁっ、あぁんっ…」
 しかし牧はさほど経たないうちに動きを止めてしまう。無言のまま、藤真の手首を拘束する手錠を外した。
「ん、なんで?」
「いいじゃないか、もう充分だ」
 玩具で遊んでいたときは確かに楽しかったのだが、藤真の自由を奪った状態でのセックスは一方的すぎると感じてしまった。できるだけ卑猥な写真を撮りたくてアダルトビデオの真似ごとを思いついただけで、牧は本来嗜虐的な性向は持ち合わせていないのだ。
「じゃあ、今度はオレが撮ってやろっか」
 サイドテーブルに伸びた藤真の手は、カメラに届く前に牧の大きな手のひらに捕らえられ、逞しい首の後ろに巻きつけられてしまった。もう一方の手も同様だ。
「っふ……」
 思わず笑ってしまいながら、牧の首にぎゅうとしがみつく。「ああ……」と牧が小さく呻いた。
 繋げた局部だけではない、密着させた肌全体で相手の体温を感じると、駆り立てる興奮だけではない、熱く心地よい波に包まれるようだった。
 目眩がする。
 玩具を使った行為は過激で不道徳的で愉しいものだった。しかしこうして他人の肉や温度や体液、あるいは呼気に身を浸しているほうが、いっそう業が深いような気もする。

 事後、藤真はベッドの中で気怠げに天井を眺め、牧は体を起こしてサイドテーブルの上の写真の束をぼんやりと見ていた。
 藤真は牧の広い背中にしなだれるように抱きつき、猫撫で声を上げる。
「なーあ?」
「ん、な、なんだ?」
 行為を終えてすぐのタイミングで藤真から甘えてくるのは珍しいことだった。牧はつい身構えてしまう。
「お前、近いうちに変な死にかたすんなよ」
「な、なんだそりゃあ?」
 牧は狼狽えた。藤真の言っている意味がわからない。今日のことについて実は怒っていて、これは遠回しな殺害予告なのだろうか。
「お前がなんかで死んで家宅捜索されたとき、その写真が出てきたらオレがやべーじゃん」
「ああ……まあ、当分死ぬ予定はないから大丈夫だと思うが……すげえことを心配するんだな」
 心配してもらえているのなら喜ぶべきなのだろうか。藤真は少し気難しいところがあるとは思っていたが、こう突飛なことを言いだすタイプだとは思わなかった。
「でさ、将来お前がオレにむかつくことがあったら、その写真で脅迫とかするといい」
 牧が顧みた、藤真はにこやかに笑っていた。作り笑いだろう。しかし発言の意図はわからない。牧は眉を顰めた。
「そんなことしない」
「お前はいつまでもオレより上だからって?」
「そうは言ってない。ただ、脅迫なんてするわけない。そういうつもりで写真が欲しかったわけじゃない」
「どうかな……」
 不思議そうな牧の顔から目を逸らし、藤真は広い背中に頭を擦りつけるように寄り掛かった。
「信じられないか?」
 藤真は沈黙したのち、言葉を、自らの意図をも探すようにゆっくりと唇を動かす。
「別に、信じたいなんて思ってない……と、思う」
「なんだって?」
「例えばもしかしてお前が悪人だとしたって、オレは構わないんだ」
 おそらくそんなことはないのだろうけれど、と感情が言葉を否定する。しかし事実として、藤真はまだ牧のことをそれほど知らない。ふたりが一緒にいた時間など、互いのチームメイトとは比べるまでもなく短い。
 牧は体ごと藤真のほうを向いて訝しげな顔をした。藤真はそれを受け流すように、曖昧な微笑に似た表情をする。
「性格いいヤツだなって思ったくらいで、男とセックスなんてするかよ」
「じゃあ、なんで」
「ドキドキしたから」
 そう言って、はにかむように笑った表情がひどく幼く愛しくて、唇をついばむようにキスをしていた。
「ああ……」
 興味を抱き、親しくなったきっかけも理由もいくらでも探せるが、あの日、あのとき、ふたりを突き動かしたものは、それだけだったのかもしれない。

ポラロイド遊戯 2

2.

 ひと月後。
 牧の部屋を訪れた藤真は、長方形の包みを差し出されていた。清楚な白いリボンが印象的だ。
「気に入ってもらえるといいんだが……」
 期待と不安の入り混じった、幼いとも感じられる表情は、コートの上の牧からはあまり想像されないものだった。〝特別〟を向けられている実感に、藤真は満足げに微笑を作る。
(やっぱ牧っておもしろ)
 ホワイトデーのお返しが気に入れば卑猥な写真を撮らせてやると、先月約束したことはもちろん覚えている。しかしそのために牧がはりきっているのかと思うと、馬鹿にするつもりではないのだが、どうにも笑えてしまう。
「サンキュ。開けていい?」
「ああ、もちろんだ」
 ダイニングテーブルの上に包みを置くと、ポラロイドカメラが視界に入ったが、あえて無視してリボンと包装紙を取り去った。中から現れた、フランス語らしき外国語の書かれた箱は、質感といいデザインといい、シンプルながらそこはかとなく上品で洒落た雰囲気だ。
(なんとなく、お高そうな……)
 蓋と薄紙を開くと、中には個包装された綺麗なパステルカラーが並んでいた。ピンク、薄紫、黄色、黄緑、茶色、とりどりだ。
(石鹸? じゃねえか、さすがに)
 よく見ると、二つの円形の生地の間にクリームのようなものが挟まっている。
(カラフルなモナカ的な?)
「ホワイトデーのお返しって、意味が設定されてるだろう。マカロンは『特別に大切な人へ』だそうだ」
「マカロン」
 聞いたことはあるような気がしたが、マカロニやマロニーと頭の中で混ざっているだけかもしれない。とりあえず藤真には馴染みのないものだった。
「またえらいオシャレなもんを……」
「嫌いだったか?」
 藤真は大袈裟なくらいに首を横に振った。好き嫌いという話ではない。記憶のうちではおそらく食べたことがないのだ。
(上流階級のお菓子かな……なんとなくネーミングもそんな感じするし)
「食っていい?」
「ああ、もちろん」
 見た目からチョコ味が想像できる茶色を食べてみることにする。小さなリボンのついた個装からマカロンを取り出して、ひとくち齧った。サクッと軽い外側の歯触りから、次にしっとり、もっちりとした予想外の感触が訪れる。新食感だった。同時に、アーモンドの風味とチョコレートの深い甘みが口腔内に広がる。藤真は目を瞠った。
「なにこれうまっ!」
 綺麗ではあるが、パステルカラーが作りもののように見えてしまい、正直なところあまり美味しそうには見えなかったのだ。
「チョコ味のマカロンだな」
「うまい」
 石鹸などと思ってしまったことを心の中で反省しながら、素材の味を意識しつつ咀嚼する。味への細かいこだわりはないほうだと思っているが、うまいものはうまい。
「気に入ったならよかった。……食ってるとこ撮ってもいいか?」
「おう。んじゃもう一個持っとくか」
 藤真はピンク色のマカロンを取り出す。牧がポラロイドカメラを向けると、食べかけのチョコ味を口もとに、もう一つを頬の横に持っていき、愛らしく上目気味のカメラ目線を決めた。
「ッ……!」
 あまりに完璧にフレームに収まったその姿に、牧は衝撃的な気分でシャッターを押した。じき、ジーと音を立てながら、カメラの前面下部からゆっくりと写真が排出される。
「おー、出た出た」
 藤真は仕上がりを待ちきれない様子で、徐々に鮮明になる印画面を凝視している。
「……藤真お前、えらい写真慣れしてるんだな」
「え、なんで? 知らなかった?」
 確かに先月貰ったポラロイド写真も粒揃いだったが、カメラ越しに一瞬で被写体モードになるさまを目の当たりにして感心してしまった。
「いや、なんだろうな……たまに雑誌に載ってる写真と違うっつうか」
「バスケ雑誌で愛想振り撒くなんて、ただの勘違い野郎じゃん」
「そういうもんか……」
 プロとかアイドルとかいう言葉が頭に浮かんだが、怒られそうなので口には出さなかった。藤真はチョコ味のマカロンを齧りながら、牧の前に箱を押し出す。
「なあこれめちゃうまいぜ。お前も食えよ」
「お前へのお返しじゃないか、俺はいい」
「遠慮すんなって」
「それじゃあ少し貰うか」
 牧は立ち上がり藤真の前で身を屈めると、ちゅっと音を立てて唇を吸った。
「むっ……!」
「ああ、うまいな」
 そう言ってにやりと笑う。
(イタリア人かよ)
 イタリア人の知り合いがいるわけではない。単なるイメージだ。
「……なあ、これって流行ってるのか?」
「どうだろうな。特に流行りって話は聞かないが」
「じゃあきっとそのうち流行るな。流行先取りだ」
 今度はピンクのマカロンを齧る。駄菓子によくあるような香料の味ではなく、しっかりと苺の味がした。
「牧って、女子にモテそうだよな」
「なんだ、いきなり」
「いや、なんとなく」
 そうは言ったが、なんとなくでもなかった。藤真はパステルカラーに浮かれる趣味ではないものの、プレゼントとして牧が考えて選んだものであろうことはわかる。気遣いを感じれば嬉しいものだし、かわいいものが好きな女子などはもっと素直に喜ぶだろうと想像できた。
「藤真みたいにキャーキャー騒がれたことはないぞ」
「ああ、そういうんじゃなくて……」
 モテるという言葉は少し違ったかもしれない。その後のケアというのだろうか。甲斐性というものかもしれない。
「相手のこと考えてるって感じがする」
 牧は不思議そうに目を瞬く。
「つまり、お返しを気に入ってくれたってことか?」
「え? ああ、うん、そうだな」
「そうか、それならよかった……!!」
 牧が本当に嬉しそうに笑ったので、藤真も釣られて笑ってしまった。感心したせいで遠回しな言いかたになってしまったが、マカロンは文句なく美味しかったし、そして一つ賢くもなった。家に持ち帰ったら姉や母親に見せびらかしたいくらいだったが、今日はバレンタインデーではなくホワイトデーだ、やめておいたほうがいいかもしれない。
「じゃあ約束の……」
「エロ写真だろ、いいぜ」
「よし、ちょっと待っててくれ」
 太腿の横に下げられた牧の拳が密かにガッツポーズをしたことに、藤真は気づいてほくそ笑む。一旦部屋に引っ込んで、白いシャツを持って戻ってきた牧を、ダイニングテーブルの椅子に掛けたまま、にやにやと見上げた。
「なんだ?」
「いや、残念な男だなーと思って」
「なんだと!?」
「だって、(バスケができて、金持ってて、性格よくて、女にも気を遣えそうな感じなのに)ホモだなんて」
「俺はお前が好きなだけでホモのつもりはないし、ホモだとしたって別に残念ではないだろう」
「いやぁ、女側からしたら損失じゃね?」
 自分で言っておきながら、なぜ女の立場で考えているのかはよくわからなかった。
「そっくりそのまま返す。ともかく、これに着替えてくれ」
 渡されたものは、男もののワイシャツ一枚のみだ。
「着替えろっていうか、脱げっていうか?」
 意図を察してしまうあたり、染まってきているのかもしれない。そもそもの目的がそういう写真だ、卑猥な設定など望むところである。藤真は上を全て脱ぎ、ワイシャツの袖に素肌の腕を通す。
「これお前の? サイズでかくねえ?」
「俺のだが。袖の長さで合わそうとすると動いたときに窮屈になるんで、少し長いのかもしれないな」
「あー、お前、体厚いもんな」
 肩幅も、横から見たときの厚みも安定感もある。牧の姿をじろじろと眺めながら、上背はあるが牧と比べるとずっと細い印象の花形の体躯を思いだしていた。
「これ前は……閉めるんだよな。胸もとはちょい開けて」
「ああ……いいな……」
 オーバーサイズのシャツをラフに着て、ズボンを脱いで脚を露わにする。いわゆる〝彼シャツ〟である。牧がすでに少し前のめりなのが面白い。
「パンツは穿いといたほうよさげだな。女ならいけたかもしれねーけど」
 シャツは大きいとはいえ、漫画で見かけた彼シャツの女子ほど大袈裟なサイズ感ではない。男性である都合、シャツの裾から体の一部が覗いてしまうのは、セクシーというより笑いの要素のように思えた。
「せっかくだから下着も見てみたんだが、男もんのエロ下着ってなんかアレでな……」
 何がせっかくなのかとは思ったが、それより『なんかアレ』のほうが気になってしまった。
「アレって?」
「なんつうか、えぐいというかギャグっぽいというか……」
「ブーメランパンツとか、Tバックとか?」
 あまり考えたことはなかったが、とりあえず思いついたものを言ってみる。
「いや、もっとすごかった。メッシュ素材だったり、竿カバーみたいだったり、紐だったり……俺はまだそこまではいけない」
 ありありと目に浮かぶ、というわけではなかったが、少し聞いただけでも着用してみたいとは思えなかった。
「おう、いかなくていいと思うぜ……女だったらレースとかになるんだろうけど、男はやりようがねえよな」
「今回のテーマは別に女装じゃないしな」
「なんだよ今回って」
「まあ、気にしないでくれ。……うん、シンプルイズベストだな。まず一枚撮ろう」
 牧は藤真の彼シャツ姿をあらためて眺めると深く頷き、カメラを手にして距離を取った。
「一枚って? 立ったまま?」
「ああ、とりあえず全身が一枚ほしい」
「ポーズは?」
「自然体で」
(彼シャツの自然体とか習ってねーわ)
 とは思いつつ、それとなく視線を横にそらして物憂げに立ち尽くしてみる。
「おー、いいな、北欧のモデルみたいだ」
(まじかよ)
 牧は不慣れな手つきでカメラを構え、シャッターを押す。焦らすかのような間を置いて、出てきた写真を見ると、満足げに頷いた。
「ああ、すごくいい感じだ。じゃあ次、キッチンに向かって立とうか」
「はいよ、カントク」
 牧の口調が微妙におじさん化していることには触れず、藤真は少し移動してキッチンのシンクの前に立った。
「それからこれを持って」
 牧が冷蔵庫から取り出して渡してきたものは、ナスとキュウリだった。仕様もない意図が透けすぎていて、藤真は呆れた笑いを浮かべながら、それを二本並べて調理台の上に置く。
「包丁でちょん切ればいい?」
「恐ろしいことを言うんじゃない。こう、今日はどっちかなみたいな、悩ましげな感じで……」
 牧は手指で何かを握るような、扱くような動作をする。
「くっだらねぇ〜。お前、そういうのが好きなんだ?」
「定番じゃないか? それに、想像が膨らむシチュエーションは好きだ」
「想像ねえ」
 そもそも、彼シャツ一枚でナスとキュウリを持ってキッチン台に向かうというのはどういうシチュエーションなのか。牧の想像力には、この状況の不自然さが気にならないのだろうか。
「想像……」
 藤真はナスとキュウリを片手ずつに握り、眉を顰める。
「これ、紫と緑なの狙った?」
「ん? いや、そういうつもりじゃなかったが、言われてみればそうだな」
 紫のナスと緑のキュウリ。色味はだいぶ濃いが、海南と翔陽のイメージカラーだ。手の中に握り込んだものを、藤真は目を据わらせて凝視する。
「つまりこれは……牧VS花形……」
「なにがVSなんだ!? お前、まさか花形とそういう!」
「はあ? 気持ち悪りぃこと言うなよ」
 少し前ならば牧に対しても同じ反応だっただろうが、あまり考えないことにしておく。
「でも実際花形のは長いぜ」
「見たことあるのか?」
「こっちだって泊まり合宿とかあるからな。初めてのとき、思わず三度見した」
「……」
 つまり、翔陽の部員たちはみな藤真と寝泊まりして、おそらく一緒に風呂に入ったこともある。これまで考えもしなかった。彼らは藤真を崇拝している。きっと裸も寝起きの顔も、役得とばかりに目に焼きつけていただろう。自分の知らないところでそんなことが起こっていたとは──想像したら悲しくなってきた。
「キュウリはやめよう。ナスだな、藤真、お前にはナスが似合う」
「ナス似合うって、褒めてなくねえ?」
「ほら、写真撮るぞ。ナス握って」
「へーい」
 やる気がなさそうに返事をしたものの、モデルを務めるのは約束だ。両手で握ったナスの先端を口のそばまで持っていき、熱を込めて見つめる。
「そう! いい!」
(やっぱり残念なやつ……)
 握った手からナスを長く飛び出させてみたり、頬に寄せてカメラに視線を遣ったり、唇を沿わせてみたり。牧が満足するまで〝藤真とナス〟の撮影会は続いた。
「よぉーし、よし、いい画が撮れた。じゃあ次はベッドに行こうか!」
 大して広い部屋でもなかろうに、大袈裟な手振りで移動を促す牧に笑ってしまいながら、藤真は素直にベッドの前に歩く。

ポラロイド遊戯 1

1.

 四角く囲んで閉じ込めた、笑顔の輪郭は僅かにぶれて、白ずんだ空は黄ばんでいた。
 烟る睫毛の視線の先、写真の向こうには彼の私的な時間があるのだろう。
 それはおそらく彼らしか知ることのない、非日常的な。

「藤真、あのな、頼みがあるんだ」
 いかにもあらたまった調子の牧に、藤真も自然と居住まいを正す。
「なんだよ?」
「怒らないで聞いてほしい」
「もったいつけないで言え」
「なんかもう怒ってないか?」
「めんどくせーこと言ってるとほんとに怒るぞ」
 藤真に気圧されるように、牧はおずおずと口を開く。
「……バレンタインチョコが欲しい」
 照れくさそうに言って視線を逸らした相手を、藤真はぽかんとして見つめた。
「そんなこと?」
 ふたりは少し前から付き合っていて、体も繋いだ関係だ。牧は初めから積極的だったし、そういう状況になってしまえば迷いも見せなかった。それがバレンタインチョコを要望することには妙に躊躇しているというのが、藤真にはどうにも不思議に感じられた。それに──
「そんなの、言われなくたって用意するつもりだったけど」
「本当なのか!?」
 さも驚いた様子の牧に、藤真は訝しげに眉根を寄せて目を細める。
「オレって、そんな甲斐性なさそうに見えるのか?」
「そういうわけじゃないんだが。バレンタインって、女子から男子に贈る日だろう」
「……ああ?」
 藤真は特に疑問を抱いていなかったのだが、言われてみればそうだ。
「んまあ、だってヤってるときのポジがそうだから、そういうもんかなっていうか」
 自分の中での性別の自覚は男だが、事実として牧との行為のときの位置というか役割は女側だ。女顔と言われるのは嬉しいことではないが、全否定する気にならない程度に自覚もある。
「そうなのか。お前が嫌じゃないんならよかった」
 牧は安心したように口もとを緩めた。気を遣っていたのだろう。女扱いするなだのと牧に話したことはなかったと記憶しているが、どこかから何か耳に入ったのかもしれない。
「なんだろ、お前がオレを悪い意味で女扱いとかしないのはわかってるから、あんま気にしなくて大丈夫だぜ。たぶんその辺気にしてるくらいなら、まず告られたときに殴ってるし」

「ハッピーバレンタイン!」
 目の前に差し出された小さな手提げの紙袋を、牧は相好を崩しながら受け取った。
「おお、待ってたぞ、ありがとう……! 手作りかな?」
「んなわけねーじゃん、今インフル流行ってんのに手作りとか危ねえ」
「チョコからインフルエンザはうつらないだろう」
「わかんねーよ? ともかく店のやつなら安心、安全!」
 白い紙袋の中から、鮮やかな水彩で風景の描かれた外国製のチョコのパッケージが現れる。
「綺麗だな」
「チョコのブランドとか全然わかんねーけど、とりあえず外国のチョコって美味いじゃん?」
 そう思ってデパートのブランドチョコの売り場に行ったのだ。当然女性ばかりだったが、同年代の女子の群がる若者向けの店よりは気分的にだいぶましに思えた。牧はプレゼントの値段など気にしないかもしれないが、多少の意地もなくはなかった。
 箱の中には、ひとくちサイズのチョコが仕切られて並んでいた。花、葉っぱ、鮮やかな赤いハート、チョコ二個分はありそうなミツバチなど、目にも楽しい。
「藤真……! かわいいな、ハチさん……!」
 縞模様の体にローストアーモンドの羽根をつけて、愛嬌のある顔で見上げてくる赤い鼻のミツバチと見つめ合い、牧は感極まったように言った。
「おう、かわいいだろ。ハチさんはハチミツ味だ。試食したら美味かったからそれにした」
 加えて、牧は可愛らしいものが好きな気がして選んだのだが、どうやら正解だったようだ。自分の思惑通りにことが進むのが何より嬉しい藤真は、満足げにうんうん頷く。
「こっちはハチの巣かな」
 牧はしげしげとチョコを眺めていたが、じきに箱を閉じてしまった。
「食わないのかよ?」
「藤真が選んでくれたチョコだ。もったいなくて食べられない」
「食え!」
「日々少しずつ食べる」
「……まあ、そう簡単に腐らないと思うけど、早めに食えよ……」
 牧が喜びそうなところで手作りも考えたのだが、味と、やはり衛生面が気になってやめた。買ったものでこの調子ならば、正しい判断だったと思う。
「売り場のおねえさん、『最近は友チョコ流行ってますもんね〜』って言いながら絶対頭ン中でホモチョコって思ってたぜ」
「なんだ、感じ悪い人だったのか?」
「ううん? すごくにこやかだったぜ、女はホモに優しいからな」
 優しくされるうえ無用に言い寄られることもないと考えれば、決して悪くはなかった。今のような立場でなければ、もう少しオープンにしていたかもしれない。
「そうだ、チョコだけだとつまんないと思って、これ」
 藤真は洋形の白い封筒を差し出す。
「おっ、ラブレターか?」
 箱の隙間からチョコのにおいを嗅いで深呼吸していた牧は、目を輝かせてそれを受け取った。手紙にしては重い。取ってつけたようなハートのシールにまんまとときめきながら封を開けると、中から何枚かのポラロイド写真が出てきた。
「こ、これは……!」
 写っているのはいずれも藤真ひとりだけで、制服や私服、部屋着でくつろぎながらこちらに意味ありげな視線を向け、あるいはセクシーに微笑している。
「焼き増しできないから綺麗に使えよ」
 そして写真の外の藤真もまた、思わせぶりに艶やかに微笑む。ファンの女子が聞けば幻滅するであろう、いわゆる下ネタ会話もいくらでもしてきた仲だ。藤真の態度と言葉から、その言わんとするところを想像するのは簡単なことだった。
「使……あ、あぁ、そうだな、助かる。ありがとう……!」
 牧はにやけて歪みそうになる唇を必死で平静の形に保ち、コクコク頷く。藤真は猫のように瞳を細めた。
「どれがいい? 写真」
「ん? どれもいいが……」
「やっぱこのベッドにいるやつ?」
「そうだな……だがあえてこっちの、制服で勉強してる姿で抜くっていうのもまた……いや、抜くとは言ってないぞ」
 慌ててぶんぶん首を振る牧を、藤真は腹を抱えて笑った。
「なんだよその無意味な嘘は。……ほんとはもっとあからさまにエロいの撮りたかったんだけど、自分で撮るの意外と難しくて無理でさ」
「よく撮れてるぞ?」
「それは花形に撮ってもらったからな」
「うっ、そ、そうなのか……」
 あまり聞きたくなかったが、聞かなければそれはそれで撮影者のことが気になったのかもしれない。牧は苦しげに呻き俯いたものの、すぐに弾かれたように顔を上げた。
「そうだ、じゃあ俺が撮ってやろうか」
「それはオレになんの得があるんだよ」
「ドキドキするじゃないか」
 しょうもないことを、迷いも惑いもなく言ってのけるところには少しだけ感心してしまう。藤真は迷う素振りをしてから頷いた。
「……それじゃあ、ホワイトデーのお返しが気に入ったら撮らせてやろうかな」
「本当か! よし、めちゃくちゃ気合い入れるぞ!! カメラもこっちで用意しておくからな!」
「えっ、あ、いや、あんまり大袈裟だったり高級すぎたら引くからな! オレに丁度いいくらいのやつにしろよ、てか普通にお菓子類でいいから!」
 なんとなく突っ込んではいないのだが、牧の実家は裕福なようで、一緒にいて育ちや金銭感覚の違いを感じることもままあった。下手に煽ると高額なプレゼントを用意しかねない。
(別にうち貧乏じゃないはずだけど、オレってなんか小市民だなって、牧といると思う……)
「難しいことを言うんだな。……いや、気持ちが大事だもんな。わかった、よさそうなもん探しておく」
 それはそれとして、と牧は藤真の肩を抱き、戯れるように鼻先をすり寄せると、柔らかな唇を味わった。チョコはデザートだ。まずはメインディッシュをいただこう。

ふたりぐらし 2

2.

 東京都世田谷区某所の賃貸マンション。個別の部屋が二つに、ひと繋がりになったリビング・ダイニング・キッチンというオーソドックスな2LDKの物件を、牧と藤真は契約した。複数人で住むことを想定されたつくりのため、バス・トイレは別で洗面所もある。牧の希望だったカウンターキッチンではないものの、角部屋で日当たり良好な三階であることなど、諸々の条件から決定したものだった。
 まだ何もない、がらんどうな居間を、藤真はひとり見渡す。不動産屋の担当者と牧と三人で内見に来たときよりも、ずっと広く見えた。
「藤真」
「牧。さすがに今日はスーツじゃねえんだな」
 藤真は声のほうを──居間から廊下に続くドアを振り返り、愉快そうに笑った。不動産屋に物件を探しに行ったときの牧がスーツ姿だったためだ。気合を入れたとか、嘗められないようにだとかよくわからないことを言っていたが、その甲斐あってか店員の対応は丁寧だった気がする。最初のアンケートにしっかりと年齢は書いていたのだが。
「今日は引っ越しの作業があるからな」
「つっても、重いもの運ぶのは引っ越し屋だろ? ベッドだって組み立てサービス付きだし」
「それより、ちゃんと鍵を掛けてくれ」
「あ?」
 牧はいかにもよろしくないと言いたげに眉を顰めている。
「無用心だろう」
 藤真もあえて牧と同じように眉を顰める。理解できないというアピールだ。
「別に、オレがいるし、盗られるもんなんてまだないし、お前がすぐ来るって思ってたからじゃんか」
「……とにかく、今度から気をつけてくれ」
「はいはい」
 牧はおおらかなようでいて意外と神経質なところがある。たいてい藤真にとっては些細なことで、あまり共感はできないのだが、意地を張るようなことでもないだろうと頷いた。
「しっかし、ほんとになんもねえなー」
 藤真はあらためて見たままを呟いた。彼にとっては初めての引越しだ。
「お前がいる」
「ん?」
 牧は藤真の手を取ると、包み込むように握った。
「なにもない部屋に藤真と俺がいて、これから新しい生活が始まるんだ。わくわくする」
「ワクワクて……」
 牧の晴れやかで穏やかな笑顔を見ると無性に照れくさくなって、「あんまり言わなくねえ?」と小さく口籠もる。牧は不思議そうな顔をした。
「なんだ、お前は楽しみじゃないのか?」
「……オレはなんか、ヘンな感じ」
 大学進学にあたってはふたりともスポーツ推薦を受け、昨年のうちに合格をもらっていた。それから部屋の場所や条件、どういう家具を置きたいなど話し合い、不動産屋や(藤真は遠慮したのだが)家具屋にも一緒に行った。親に相談することもあったが、基本的にはふたりでことを進めてきて、今日までにいくらでも時間はあった。それでもどこか現実味がないと感じてしまう。
「や、別に嫌って意味じゃなくて」
「嫌じゃないならいい。……お前は親もとを離れるわけだしな」
「あー、そういうのもあるかな」
 牧と一緒に暮らすことと、家族から離れて自分で家事などをして生活していくことと。経験のないことが重なって、手探りの感覚なのだと思う。牧は高校時代から一人暮らしだったから、その点の心配はしていないのだろう。
 ──ピンポーン
 インターホンの音がした。予定通り、牧の部屋に置く新しいベッドが届いたようだ。彼の強い願望だったダブルベッドである。男二人暮らしの家にそれはいかがなものかと藤真は思ったのだが、牧の持ちものに口を出すことでもないかと黙っていた。もともと牧が使っていたセミダブルのベッドは藤真が貰うことになっている。じきに引越し業者が運んでくるだろう。
『俺が使ってたベッドをこれからお前が使うのか! なんだかドキドキするな』
『なにそれこわ、やっぱり貰うのやめようかな……』
『すまん、気にしないでくれ。ベッド自体は汚れてないし、マットレスは新しいの買うからな』
『いやマットレスくらい自分で買うし』
 そんなやり取りもあったが、牧のベッドは使わないなら処分するしかないこと、藤真の実家の部屋にベッドを置いたままにできることから、結局藤真が譲り受けることになったのだった。

 ベッドの配送業者が帰ったあと、藤真は牧の部屋を覗いて思わず笑う。
「この部屋、ベッド置いて終わりじゃんかっ!」
 もともとあまり広くはない部屋にダブルベッドを置いたものだから、残りのスペースはごく限られたものになってしまった。部屋とベッドの寸法は確認済みだった牧も、実際設置してみての圧迫感には少し戸惑ってしまう。
「……まあ、いいんじゃないか、ラブホみたいで」
「うん、思った」
「テレビとテーブルとソファは居間にいくし、あとは小さいタンスとベッドの横のあれだけだから大丈夫だろう」
 あれ、と言いながら両の指で四角を作る。ベッドのサイドテーブルのことだった。
「机は相変わらずないんだな」
「置けないだろう?」
「初めから置く気なかっただろ」
「だって、家で勉強なんてしなくないか? いや、テーブルはあるんだし、問題ないだろう」
「オレはちゃんと勉強してたぜ?」
(監督の勉強だけど)
 テスト前の勉強については主に花形のところで済ませていたので、もはや自室の机は無くてもそう困らないのかもしれない。一応、引越しの荷物には含めたが。

 牧の旧居からきたベッドと新しいマットレスと、積み上げられた段ボールに囲まれて、藤真は途方に暮れていた。
(くそぅ、どっから手をつければいいんだ……!?)
 藤真は牧とは違って実家からの引越しだ。こまごまとしたものについては必要になってから取りに行くなり宅配で送るという選択肢もあったのだが、何度も行き来するのも面倒だと感じ、引越し業者を使った通常の引越しにした。しかし、選択を誤ったかもしれない。
 とりあえず窓にカーテンは取り付けた。それから段ボール箱の開封だが、どの箱に何が入っているのかわからない。本の箱は明らかに重くて小さいのでわかるが──というか、なぜこんなに箱があるのだろう。ひとりの部屋にこんなに物が必要だったろうか。
(オレって、引っ越し苦手だったんだな。初めて知った)
 手近な箱を開けると、バスタオルが入っていた。母親が詰めたものだ。引越し先で新しく買えばいいと思っていたが、今日これから買いに出るのは面倒だったかもしれない。
(で、バスタオルって普通どこにしまうんだよ……つうか、パジャマとお風呂セットを発掘しないと困るよな)
「藤真、なんか手伝うか?」
 開けっぱなしにしていた部屋のドアから、牧が顔を覗かせた。
「え、自分のほうをやれよ」
「俺の部屋は終わった」
「もう!?」
「あんまり物ないからな。……これだと寝るまでに片付かないんじゃないか? そうだ、今日は俺の部屋で寝たらどうだ?」
 牧はにこにことして、さも名案だと言わんばかりだ。一方藤真は顔を顰める。
「えー、今日ヤる気しない。そんな暇あるなら部屋片付けるし」
「やらなくたっていいじゃないか。ダブルベッドだぞ、一緒に寝ても狭くないんだ」
 無理やり行為に及ぶようなことはない男だ。単純に、新しいベッドにふたりで寝てみたいというだけだろう。藤真のベッドの上には、収納場所に困ったものがとりあえず並べて置いてある。
「……じゃあ気が向いたら」
「で、そろそろ晩メシにしないか?」
「え? うわまじだ」
 藤真は牧の腕時計を見て目を瞬いた。今後は当番制で自炊などもしていく予定だが、今日は忙しいかもしれないから外食か出前にしよう、とは以前から決めていたことだ。
「外を散策するには明るいときのほうがいいだろうから、今日は宅配ピザなんてどうだ?」
 牧は手に持っていたチラシを藤真の目の前に広げた。
「……いいけど、牧っぽくねえな」
「そ、そうか?」
 以前一緒にハンバーガーを食べたとき、ファーストフードはあまり食べないと言っていた。時間帯や、知り合いに遭遇したくないという事情もあり、ふたりでの食事は比較的大人の客が多い店が主だった。
「うん。でも、いんじゃね? ドリンクはジンジャーエールな」
「嫌いじゃないならよかった。……俺はずっと、お前と一緒に宅配ピザを食ってみたかったんだ」
「なんっっだそりゃ」
 妙に切々とした語り口の牧に、ごく素直な反応を返す。
「量的にはいけるんだが、食べ終わったあとのもたれる感じがよくないっつうか……ひとりで食うもんじゃねえなと思ったことがある」
「あー、お前あんまり悪いアブラ摂らねえもんな」
 悪いかどうかはピザの内容にもよるだろうが、あくまで藤真の主観だ。体を作るために栄養価を気にしているというよりは、元々の食事の好みによるものだと聞いたことがあった。
「さあ、好きなの選んでくれ」
「あいよ」
 注文するものを決めると、牧は居間に電話を掛けに行き、藤真は荷ほどきを再開した。少しすると牧が「手伝おうか」と再びやってきたが、変なものが出てきても困るので追い返した。

「藤真、ピザ届いたぞ」
「ああ、今行く」
 荷物は全て片付いてはいないが、今日使いたいものや下着は見つけたので上出来だろう。
 見慣れた家具の置かれた、まだ見慣れない居間へ行くと、ダイニングテーブルの上に蓋を閉じたままのピザとフライドポテト、ナゲット、サラダ、飲みものが並べられていた。サラダを頼んでいるのは牧らしいと思う。そして当の牧は、この上なくにこやかに藤真を待っていた。
「……なに?」
 なぜそんなに嬉しそうなのか。今日はずっと機嫌がいいようなので、いまさらではあったが、藤真は椅子に掛けて牧を見返す。
「俺たちの新しい住所に、ちゃんとピザが届いたんだ」
「お、おう……」
 新築のマンションでもなし、配達区域内ならば──住所を伝え間違えていなければ届くに決まっているのだが、牧の実感の問題なのだろう。なんとなくわかるような、やはりわからないような気分でピザの箱を開けると、熱気とともにトマトとチーズのよい香りが立ち昇った。藤真にとっては宅配ピザは特に珍しいものでもなかったが、向かいに座る牧を含めたこの光景は、ひどく特別なもののように感じる。
『お前がいる』
 引越し作業の前の、何もない部屋での言葉を唐突に思いだし、急激に顔に血が上る気がした。牧に感化されてしまったのだろうか。
「うまそうだな」
「うん。……いただきます」
「ああ。いただきます」
 食卓をともにする相手は家族ではなく、ピザを取り合う手は翔陽の部員のものでもない。フルーツトマトの甘酸っぱさが、新鮮に口の中に広がった。
「あ、これうま」
「ああ……そうだな」
 それだけの会話で、ふたりとも顔を見合わせて笑ってしまった。
「なんだよ」
「なんでもないさ」
 ただ嬉しくて、そしてまだ照れくさいのだ。
「──ああ、そうだ藤真、ひさしぶりに、一緒に風呂に入らないか?」
「はっ? なんでだよ」
「新居の一番風呂だぞ」
「一番風呂とか、今まで生きてて気にしたことなかったけど。おっさんかよ」
 牧だとて、ここ三年は一人暮らしだったのだから、気にしていたわけがないと思う。藤真は目を据わらせ、意地悪く唇の端を吊り上げ、そして緩めた。
「まあいいや。じゃあ入っとくかな一番風呂」
 どうせそのあと一緒に寝るんだしな、とまでは言わないでおく。
 こうして彼らの長い長いふたり暮らしが始まった。

ふたりぐらし 1

1.

 就職・入学シーズンを前にした一月下旬、賃貸物件を扱う不動産屋はすでに繁忙期といっていい時期で、今日も午前中から客が訪れていた。
 只野茂夫《ただのしげお》、二十七歳。不動産営業五年目。真面目が取り柄だ。新たな客だと見るや、立ち上がってにこやかに挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
 入店してきたのは長身の男二人組だった。隣席で客の対応をしていた女性社員が不自然に動きを止めてそちらを凝視したが、無視して只野が応対に行く。
 ひとりは色黒でがっしりとした体格の、眼鏡を掛けたスーツ姿の男。後ろに撫でつけた茶色の髪、高い鼻と厚い唇などから、外国の血が入っていそうにも見えた。年齢は一見では判断しがたいが、二十代後半から三十代だろうか。姿勢がよいせいか、非常に堂々として見える。
(このひと……何者なんだ……?)
 謎のオーラがあるというか、普通のサラリーマンのようには見えず、ドラマや芝居にでも出てきそうな風貌だ。
 もうひとりは、顔だけならば女性にも見えるような若い男。一転して肌は白く、染めたものとは違って見える色素の薄い髪色と長い睫毛が、やはり日本人離れして見えた。只野はミーハーな女性的な感性は持ち合わせていないつもりだが、それでも〝美少年とはこういうこと〟と納得してしまうような風貌だ。年齢的には春から大学進学といったところだろうが、隣の男とのツーショットから想像するところは、東京で活動を始めるモデルかアイドルと、その事務所の人間だ。
 何にせよ、犯罪のにおいがしないのであれば物件を紹介するだけだ。只野は営業スマイルを浮かべる。
「どのようなご用件でしょうか?」
 口を開いたのはアイドルのほうだった。
「春から大学に行くので、この辺で住む部屋を探してて」
 正面から見つめられると、その気が全くなくとも見惚れてしまうような、完璧な美形だ。付き添いの男が続いて言う。
「ふたりで住むんです。ルームシェアってやつで」
「……ではお手数ですが、こちらにご記入をお願いできますか?」
 待ち合い用の席を示し、アンケート用紙とボールペンを渡す。希望の部屋の条件をおおまかに記入してもらうためのものだ。
 いったん事務所の奥に戻ると、同僚の女子が声を潜めて話しかけてくる。
「只野さん、お客さん対応代わろうか?」
「……ん、なんで?」
 想像がつかないわけではなかったが、あくまで素っ気なく返すと、相手は黙り込んでしまった。
 しかしルームシェアとは、あのふたりは一体どういう関係なのだろう。あくまで仕事だ、余計なことは口にはしない。しかし考えてしまう程度は仕方がないと思う。女性アイドルならば間違いなくいかがわしい想像をしたところだった。いや、二人用の部屋といっても必ずしも二人で住むとは限らないだろう。事務所の人間の名義で契約するのも珍しくはないことだ。
 店頭に戻るとアイドルと目が合った。アンケートを書き終えたのだろう。用紙を受け取りに行き、接客用のカウンターを示す。
「ありがとうございます。それではあちらのお席にお願いします」
 言いつつ、ざっと内容を確認する。まず名前は藤真健司・十八歳と、牧紳一・十七歳。
(……?)
 顔と名前は一致しないが、スーツの男は年齢を書き間違えているようだ。実際は二十七か八なのかもしれない。同年代にしては落ち着いて見えるが、さすがに三十八歳ではないだろう。冷やかしには見えないので、契約にまで話が進むようならあらためて確認しよう。
 ふたりが着席するのを確認し、カウンターを挟んで只野も席に着く。
「ええと、藤真健司さん」
「はい」
 アイドルが返事をする。
「と、牧紳一さん」
「はい」
 こちらはスーツの男。自称十七歳。
「入居されるのはおふたり、ということでよろしいですか?」
「はい」
「間取りは2LDKで、場所はこの近辺がいい、と」
 話しながら、手もとの端末に物件の検索条件を打ち込んでいく。下調べをしてきたのか、希望家賃には相場のちょうど中央の金額が書かれている。藤真が頷いた。
「はい。ふたりの学校の間がちょうどいいなって言ってて」
「学校はどちらなんですか?」
「青学と深体大です。なので田園都市線で……」
「なるほど、それならまさにこの辺が中間地点ですよね」
 机上に置いてある東京の路線図の一部を指でなぞる。最寄りと呼べる駅は一つではないが、その二校ならば言われた通り田園都市線を使うのがいいだろう。最寄駅は桜新町と渋谷、間は三駅だ。
 おそらく藤真は青学に進むのだろう。牧のほうは、体育大学と言われると納得できる体躯だが、講師か何かだろうか。だからスーツなのかもしれない。
(先生と生徒が同居するのか? いや、他校だし男同士だし、もともと友達同士ってことならあり得るのか……)
 牧が嬉々として口を開く。
「一緒に住もうって言ったのは学校決まる前だったから、実際直通だってわかったときすごく驚いたんだよな!」
 藤真は迷惑そうに牧を見返した。
「オレは別にそんなに……だってこの辺、学校多いだろ」
「そりゃそうだが」
 ふたりのやり取りに全く興味がないわけではないが、仕事が進まないのは困る。只野は躊躇いつつ口を開く。
「ええと……」
「あっ、すみません。三茶にこだわるわけじゃないんで、だいたいこの辺でいい部屋があればって感じです」
「こちらのエリアはやはり学生さんに人気ですので、賃貸物件自体は多いんですが、2LDKご希望ですとある程度絞られてしまいますね」
 東京都内の賃貸物件の需要は圧倒的に単身者向けの部屋だ。当然、間取りもワンルームから1DK程度が多くなる。部屋数のほかにアンケートに書かれた条件は、駅近、バス・トイレ別、エアコン、二階以上──ありがちなものだったが、その次の項目に目を止める。
「駐車場をご希望なんですね」
 牧が頷いた。
「はい。車を一台置く予定です」
「家賃のご予算にプラスして駐車場代、という形になってもよろしいですか?」
「もちろんです。というか、家賃もオーバーしてもいいので、よさそうな部屋があれば見せてください」
 この男がそう言うのなら平気なのだろうと、根拠もなく信じてしまうような風情だ。しかしその腕を藤真が小突く。
「やめろよ、家賃一応折半なんだから」
「別に、ちょうど折半になってるかどうかなんて言わなきゃわからないだろう」
「いや、なんかやだ。家賃は折半。駐車場はそっちもち」
「……それですとこのあたりですかね」
 出力した間取り図をふたりの前に置くと、身を乗り出した牧が眉間に皺を寄せた。
「部屋狭くないか?」
「こんなもんじゃね?」
「比較的最近の物件ですとこんな感じですね。木造のアパートでもよろしければこういうのも」
「おお、広いじゃん。でも木造って音響くらしいよな」
「音は鉄筋に比べますと、そうですねえ」
「音が聞こえるのはいかんな」
「あと部屋が和室っつうか畳なの微妙」
 よくあるやり取りではある。只野は別の間取り図を差し出す。
「洋室で広めですと……一室の広さはそう変わりませんが、三部屋あるタイプ」
「三部屋?」
「持ちものが多い方ですと、物置というか、コレクション用の部屋にされる方もいますね。もちろんお客さんを呼んだとき用でも」
「おっ、いいじゃん」
「藤真、なんかコレクションしてるのか? 初耳だな」
「ちげーよ、花形を泊める用」
「駄目だ、そんなの! 必要ないだろう!」
 いかにもけしからんと言わんばかりの全否定だった。
「じゃあ仙道とか、ノブくんとか」
「却下。三部屋なんて必要ない、2LDKでお願いします」
「だいたい、自分の部屋なんて着替えして寝るくらいなんだから、そこまで広い必要なくねえ?」
「それもそうだなあ、居間もあることだし……」
「はい、それですとこの辺ですかねー」
 ああだこうだと話しながら、築年数や駅からの距離など、条件を多少変えながら物件を提案していく。いろいろ見せるうち、考えが纏まってきたようだ。
「これいいんじゃね?」
「悪くはないが……」
「なにが気にいらないんだっけ?」
「キッチンの台が壁際にくっついてる」
「どうでもよくねえ? ほかの条件は全部いい感じなんだから、それは諦めろ」
「まあ、なあ……そうだ、あと藤真あれだろう、ウォシュレット!」
「っ!!」
 藤真は顔を赤くして思いきり牧の上腕を叩く。布越しだというのにバシンといい音がした。牧のほうは慣れたことかのように、ごく落ち着いた動作で藤真を見返す。大人の余裕だ。
「なんで叩くんだ、大事だって言ってたじゃないか」
「大事だけど、そんなに勢いよくアピールするんじゃねえ!」
 温水洗浄便座を物件の条件にされること自体は気に留めることではないが、ただ藤真の反応が過剰なのが気になった。いや、気にしないことにしよう。
「……この物件は温水洗浄ですし、そうでない物件でもご自身でご用意いただけますので……」
「そうか! よかったな藤真!」
「だからうるせーってば。あと一応、洗濯機のところドラム式のは置けますか?」
「えーっと……はい。大丈夫ですよ」
 その後、ピックアップされた物件にふたりを案内している間じゅう、その会話から垣間見える関係性が気になって仕方がなかった。
「いい感じのとこでサクッと決まるといいな〜」
「そうか? 俺は何度でもいいぞ」
「はあ?」
「ふたりの新居だ、慎重に決めないと。それに、楽しいじゃないか」
「こっちはまだ暇じゃないんだぜ?」
 年上の大人の男が可愛らしい少年のことをいたく気に入っていて、少年はごく素っ気なくそれをあしらっている。そこはかとなく親密な空気だ。そして、初めはものものしいと感じた牧が、非常に穏やかで柔らかな笑みを浮かべるのが印象的だった。おそらく、藤真と一緒にいるせいだろう。すっかり骨抜きだ。
(これは……近ごろ流行りのBLってやつなんだろうか……)
 それは女性の間でフィクションとして流行しているだけのもので、実際の同性愛の事情とはあまり関係ないのだが、只野の知るところではない。
(女の子に飽きちゃったとか……?)
 一物ありそうな紳士と美少年アイドル。そんな世界もあるのかもしれない。とりあえず、自分に関係ない話ならば偏見はないつもりだ。
(温水洗浄便座……)
 気にしてはいけない。仕事をしよう。

夏果て

「もうすぐ夏が終わるって思うと、なんとなく寂しい気分になるよな」
 一年ぶりの浴衣に腕を通しながら、薄い唇に何の意図もなく乗せた言葉に、正解など設定したつもりはなかった。
「そうか? ……そうだな、来年の夏まで、夏の遊びはできなくなるしな」
 しかし牧の返答に、明確に『違う』と感じてしまった。『そういうことじゃねえんだよ、お前ってやっぱズレてんな』と、常ならば軽く笑い飛ばす程度のことだったろうが、今日はなぜか、それができなかった。
(ああ、そっか……こいつはオレとは違うもんな)
 何か、いや、正体もわかってはいるのだ。小さな棘が胸に突き刺さり、引っ掛かって抜けず、表情を作れない無表情が顔に張りつく。
(だからオレは、どこまでお前に話していいもんだか)
 わからなくなる。神奈川の双璧と呼ばれたのは高校時代のことで、ふたりとも東京の大学に進んで二年にもなった今、そのたぐいの言い回しを使ったり、ふたりを関連づけて話そうとするのは、神奈川時代の知り合いくらいだった。男友達と同居していて、その相手が深体大の牧だと言えば興味を示す者もいたが、単に牧がよく知られているせいと、女を連れ込めないだの、実は女と住んでるだのといった下卑た話のネタになる程度のことだ。
 つまり、現在のふたりの客観的な関係性は、昔ほど繊細なものではない。そう実感しているゆえに、藤真は高校時代の──当時はあえて話題にしなかったことを、不意に話してみたくなる。
(……なんで?)
 終わったことだ。いまさら他者からの助言を欲するわけではない。こぼしたいだけの愚痴のようなもので、今一番身近にいるのが牧だというだけのことだ。そうして口を開きかけては、しかし牧はきっと忌憚ない意見を述べるだろう、自分は性懲りもなく苛立ったり傷ついたりするかもしれない、そう思いいたって口をつぐんだ。ちょうど今のように。
「帯、やってやろうか」
「……ん? ああ、うん」
 浴衣を羽織ったきり動きを止めていた藤真の眼前に、穏やかに笑んだ牧の顔が現れる。これからふたりで浴衣を着て、近場の夏祭りに行く予定だ。まだ前も全開にしている藤真とは違って、牧は腰ひもを結ぶまでは自分でできたようだった。
「ほら、藤真、前を押さえててくれ」
「うん」
 藤真はテーブルの上に置いた〝ゆかたの着付けガイド〟を脇目に見ながら、身ごろの上下を気にしつつ浴衣の襟を重ねて押さえる。牧は藤真の腰に腰ひもをぐるぐると回し、前で結んで留めた。続いて帯だ。ガイドの通りに細く折って藤真の体に巻きつけ、後ろで結んでやる。
「……こんなもんか?」
 女性の大きなリボン結びの後ろ姿は容易に想像できるが、男性の帯結びの形は意外なほど印象になく、おかしくはないと思うが、本当に合っているのかどうかは少し不安だ。
「まあ、歩いてて取れなきゃいんじゃね?」
 軽い調子の藤真に対し、絶対に大丈夫だと言いきる自信はなかったが、昨年も持ったのでなんとかなるだろう。
 昨年は日程の都合で夏祭りには行かなかったが、別の場所で行われた花火大会を、やはりふたりで浴衣を着て見に行った。その前の年、高校三年の夏の花火大会では藤真のみ浴衣で牧は普段着という失態を演じてしまったので、はりきって浴衣を用意したのだ。
「じゃあ、今度はオレが結ぶ番だな」
 近場で行われる祭りだ、花火が上がるらしいが、ほかはさほど特別なこともないだろう。そうは思いながらも、ささやかで穏やかで、しかし非日常的な触れ合いが、否応なく気分を盛り上げる。

 支度の間にバラバラと大きな音を立てて降ってきた雨は、少し様子を見ているとサッと上がっていった。この季節には珍しくない通り雨だ。
「雨、止んでよかったな」
 群青の空の向こうに薄くたなびく夕焼けは、赤みが強く、燃えるような色をしている。対照的に涼やかな趣きの恋人を見据え、牧は満足げに目を細めた。部屋の中で着付けをしあっていたときには、客観的に見られていなかったのだと思う。
 首が細く肩幅もあまり広くない藤真に、浴衣はよく似合った。体に沿わない袖のラインのせいか体躯が華奢にも見えて、愛らしい印象だ。ユニフォームや普段のTシャツ姿より肌の露出がないのに色っぽく感じてしまうのは、余計なことを考えすぎなのだろうか。
「うん、ちょうどよかった。涼しいし」
 雨に冷めた空気はひんやりとして気持ちよく、夏の夕方特有の生暖かさを感じさせない。石のにおいなのか、土のにおいなのか、雨上がりのにおいは藤真が東京に越してきてから好きになったもののひとつだった。
「うっかりすると足が濡れそうだな」
 履きものはふたりとも雪駄だ。
「濡れてもすぐ乾くだろ」
 だから逆にちょうどいいな、などと他愛のない話をしながら祭りの会場に向かって歩く。
「……なんでちょっと笑ってんの」
「ん? 怒ってたほうがいいか?」
「ふはっ! やべえそれウケる、ムダに通行人威嚇して歩く牧」
 藤真が普段より印象を柔らかくするのとは対照的に、浴衣を着た牧は日ごろよりいっそう堂々として見えた。貫禄があると言えば、案外繊細な彼は傷ついてしまうかもしれない。不機嫌そうな顔をして歩いていたなら、さぞかし不穏な空気になることだろう。
「そんなのが面白いのか? しかしさすがになあ……」
 牧はあたりを見回す仕草をする。周囲には、同じように祭りに向かっているらしきカップルや友人連れが見える。
「ウソウソ、善良な市民をおびやかすなよ!」
 藤真は軽く笑うと、ぽんと牧の肩を叩いた。
 なんの気兼ねもなく浮かれた気分でいられる夏の休日は、藤真にはずいぶんと久しぶりのもののように感じられて、少しばかり落ち着かない。
 高校のときは単純に忙しかったうえ、二、三年については精神的な余裕もなかったと思う。やりたくてやっていたことだったから、ほかの遊びをしたいとはほとんど思わなかったが、まれにある全く練習をしない休日には、妙な罪悪感に駆られたものだった。
 大学だとて暇というほどではないが、高校よりはずいぶんと時間に余裕ができた。環境に慣れた二年目ともなればなおさらだ。そして何より、牧と都合も合わせやすい。

 八月下旬、日の落ちるのは想像以上に早く、さほど長い道のりではなかったが、祭りの気配を感じるころにはすっかり暗くなっていた。
 通りは灯火で飾られ、スピーカーから聞こえる祭囃子と、おしゃべりをしながら歩く人々、屋台の呼び込みとでざわざわ賑やかだ。しかし、穏やかな騒がしさだとも感じる。日ごろ通う渋谷や、たまに足を運ぶ新宿にある、せわしなさや人の〝圧〟のようなものはない。
「東京の祭りも、うちのほうとあんまり変わんないんだな」
「このあたりだとな。比較的近くに住んでる人間が多いんだろうし」
(確かに、オレらが住んでるのだって特に大都会! って感じでもないフツーの住宅地だしな)
「興味あるなら、浅草とかあっちのほうの祭りなら全然違うと思うぞ」
「いいよ、そんなに興味ない。てか、飲みもの買おうぜ」
 藤真はドリンクを売る屋台を目で示した。外に出てすぐは想像より涼しかったものの、少し歩いた今は肌に纏わりつくような暑さを感じる。ドリンクの缶や瓶の浸かった、氷水を張ったスタンド式のクーラーボックスは、いかにも涼しげで魅力的だ。
「ああ。なんにする?」
「んなの、ビールに決まってんじゃん!」
「……決まってるか?」
 そんな話は初めて聞いた。なにしろ藤真が合法的に酒を飲める年齢になったのはつい最近のことで、牧にいたってはまだ未成年だ。まあいいかとぼやきながら、藤真の缶ビールと、自分用に瓶入りのラムネを買った。心地よい笑い声が耳を撫でる。
「別に、お前も酒飲んだって誰もなんも言わねーと思うけど」
 見た目的な意味で、とは心の中だけで付け加える。それに、部活の飲み会で断りきれずに酒を飲んでいることだって知っている。
「必要がなけりゃ飲まない。それに、ラムネって祭りのときくらいしか見なくないか?」
「あーそっか、ラムネいいな。つぎ飲みたくなったらそうしよっかな」
 牧は空いているテーブルに淡い水色のラムネ瓶を置くと、キャップから取り外した部品を使い、飲み口を塞ぐビー玉を思いきり押し込んだ。ブシュッという開栓音とほぼ同時に、ビー玉が鋭く透き通った音を立てて瓶のくびれに落ちる。シュワーと小さな音とともに、瓶の中を気泡が昇っていくのが見た目にも爽やかだ。
 藤真も自分の缶のプルタブを引く。こちらもまたいい音がした。ふたりして、口もとには愉しげな弧を置いている。
「んじゃおつかれー」
「おう、おつかれ」
 もちろんどちらも疲れてなどいなかったが、定型句のようなものだ。すぐに歩くつもりだったから、ふたりともその場に立ったまま、缶ビールとラムネ瓶を合わせて音の出ない乾杯をする。
 藤真は缶に口をつけると、炭酸入りのジュースを飲むのと大差ない調子でゴクゴク喉を鳴らし、大きく息を吐いた。
「ぷはーっ! まずい!」
「まずいのかよ」
 爽やかに言い放たれた言葉に、思わず笑ってしまった。
「ビールって、味は別にうまくなくねえ?」
 ならば無理して飲まなくていいのでは、と牧が言うより早く、藤真の言葉が続く。
「でもなんとなく飲みたいって感じがする。のどごしかな」
 自覚は薄いが、二十歳を越えたからには酒を飲まなくては、という思いもなくはない。飲みかけの缶を牧の口もとに差し出すが、腕ごと押し返されてしまった。
「俺はいい」
「ノリわるっ、外だから?」
「そうだな……」
 藤真は一瞬怪訝な顔を作ったが、すぐに表情を戻して言う。
「んじゃ、そっちひとくちちょーだい」
「ん? ラムネがよかったなら交換でもいいが……」
「そういう意味じゃねーよ。もういいや、じゃあいらね」
 藤真は小さく舌を出して不愉快をアピールするが、牧の目にはそんな表情も愛らしく映ってしまう。家だったらその唇を塞いで舌を吸っている、と想像しかけて頭を横に振った。
 藤真はふいと顔を背け、見せつけるように缶ビールをあおって勝手に歩きだす。
「おい、藤真っ……!」
 牧は大股で藤真に追いついて隣を歩く。ビールを断ったことには、藤真が酒を飲むなら自分は素面でいるべきだと思ったところが大きい。藤真は酒に強くないのだ。加えて、傍目には友人同士の飲みもののシェアでしかなくとも、牧にとってはデートだ。外で堂々と間接キスをするのは照れくさいと感じてしまった。
 しかし、ひとくち程度ならもらっておけばよかったかもしれない。そうすれば藤真の機嫌を損ねることもなかっただろう。
(俺もまだまだだな)
 近くの屋台から香ばしいにおいが漂ってくる。この状況をあまり放置しないほうがいいように思えたこともあり、とりあえず提案してみる。
「藤真、いろんな屋台があるな。なんか食うか?」
「えー? うーん……おっ、肉棒が売ってんじゃん!」
「にっ!?」
 驚きながら藤真の視線の先を見ると、フランクフルトの屋台だった。のれんには〝ジャンボフランク〟とある。
「藤真、そういう言いかたは……」
「いいだろ、通じてんだから。ジャンボだって。ジャンボな肉棒!」
 藤真はなぜだかその言い回しを気に入ってしまったらしい。牧は誰か聞いていやしないかと周囲の様子を窺いたいような、やめておいたほうがいいような、至極複雑な気分だった。
「じゃあ買ってくるから、ちょっとここで待っててくれ」
 藤真にラムネ瓶を預けて屋台から少し離れた場所に残し、急ぎフランクフルトを買いに行く。屋台のそばで肉棒だの言われるのはさすがに気まずいと感じてのことだが、牧が財布を持っていること自体はいつものデートと同じだ。フランクフルトを二本購入し、戻って藤真に渡すと、ぱぁっと花が開いたような、晴れやかな笑みが返ってくる。本当に、本当に愛らしい、周囲の空気まで輝かせる、夏のひまわりのような笑顔だった。
「わぁ〜、でかい! オレぶっとい肉棒大好き!」
「藤真……」
 藤真は溜息をつく牧の様子などお構いなしにフランクフルトにかぶりつく。
「はふっ、熱いっ、汁がっ……♡」
「藤真、酔ってるのか?」
 やや前傾の姿勢でフランクフルトを齧りながら、藤真はさも面白くなさそうに、視線だけを牧に向ける。
「ちょっとビール飲んだくらいで酔うかよ。てかお前ってそんなんだっけ? 家で食ってるときとか、普通に下ネタ言ってくんじゃん」
「それは家だからだ」
「あっそ。外ヅラがよろしいんですね」
 藤真に言われたくはないと思ったが、さすがに口には出さなかった。歯を見せた藤真ががぶりと噛みついた口もとで、フランクフルトの皮がパリっといい音を立てる。熱い肉汁が染み出て旨いのだが、藤真の言葉を思いだすと股間が痛くなるような気もして、牧は眉間に皺を寄せた。
 大胆な表現に戸惑ったのは、品よく見られたいと思ってではない。藤真の言った通り、男しかいない場なら下ネタも気にしないほうだが、なぜだか今日は妙に意識してしまうのだ。缶ビールを勧められたときも同じだった。私的で性的な興奮を刺激されるシーンを、その中にある恋人の姿を、傍目に触れさせたくないと感じる。いつもとは違う印象の、柔和な色香の漂う藤真が、自分以外から不埒な目で見られることが心配なのだと思う。
 近くにあった車止めの柵に腰掛けてフランクフルトを食べ、串を捨てて少し歩くと、浴衣姿のカップルらしき男女が声を掛けてきた。
「あれ、藤真じゃん」
「わぁ〜藤真くん、浴衣似合うねー!」
 華やいだ声を上げてにこにこと笑う彼女に対し、男は明確に気疎い顔になる。牧は一瞬で状況を察した。
(そりゃそうだ)
 藤真が美人なのは確かだが、隣にいる浴衣姿の彼女にそんな反応をされては、男はたまったものではないだろう。
「おお、鈴木とカナちゃん。やっぱ女子の浴衣は映えるなー」
 世辞のつもりではない、素直な感想だった。華やかな浴衣に、メイクも髪型も合うように考えているのだろう。自分がそれを待たされる側と考えると面倒でしかないが、他人ごととして見ている分には感心する。
「ほんと? わぁ〜浴衣着てきてよかった〜♡」
 鈴木は後悔していた。特に藤真を呼び止めたかったわけではないのだ。人並みの中でも目立つ、いかつい浴衣姿の男に目を止めたら隣に友人を見つけて、思わずその名を呟いてしまった。黙っていればこの状況は回避できたかもしれない──が、やはり目立つ二人組なので、彼女のほうが気づいていたかもしれない。
「藤真、大学の友達か?」
「うん。バスケ部じゃないけど」
「藤真は同居人と一緒なんだな」
 以前にも藤真と一緒にいるのを見かけて聞いたことがあった。立派な体格と日本人離れした容貌だけでも充分だったが、さらに藤真と(自分とも)同級生というのが衝撃的でよく覚えている。
「うん」
 鈴木の横で、カナは目を丸くする。
「へえ〜、友達とルームシェアって、同級生かと思ってたよ。おとなのひとだったんだね」
 興味津々といった様子だが、この展開は牧にも、そして鈴木にも嬉しくないものだ。ならば、と牧は口を開く。
「……藤真、そろそろ行くか」
「おっ、そうだな藤真、引き止めてすまなかったな、じゃあな!」
 早々に話題を畳もうとするふたりを見て、藤真はさも愉快そうにニヤニヤと笑ったが、抗わずその場を離れることにする。それぞれのペアは逆方向に歩いたが、女子のよく通る声は牧と藤真の耳に届いていた。
「同居人のひと、どういう繋がりのひとなんだろ? 知ってる?」
 藤真は牧を見遣って小さく笑う。
「ぷっ、おっさんに見えるってよ」
「いまさら、慣れてることだ」
「どういう関係のひとに見えるんだろうな?」
「さあ……」
「お前は、どう見えたらいいと思うんだよ?」
「んー? 『あのふたり、バスケやってるひとかな』とか」
「頭ん中バスケでいっぱいかよ、ねーわ」
 ふたりにとっては身近なものでも、今の日本ではそこまで浸透しきったスポーツでないことは牧も重々承知している。だからこその、願望のようなものだった。
「……なんか、ちょっと食うと余計ハラ減る現象あるよな。なんなんだろうなこれ」
「普通に晩飯どきだしな。なんか食おうか、なにがいい?」
 藤真は近くの屋台に目を止める。
「んーじゃあたこ焼き」
「あれはひとり分か? 二パックいるかな」
「一個でいいだろ、いろいろ食ってこうぜ」
「飲みもんは?」
「まだある」
 とりあえずたこ焼き一パックと、その隣の屋台でじゃがバター、牧は新しいドリンクを買って、ちょうど空いたテーブルに陣取った。
「おお〜、祭りっぽい!」
 藤真は嬉々としてたこ焼きのパックを開けると、一つに楊枝を突き刺した。
「はい牧、あーん♡」
「!?」
 唇の前にまで持ってこられたそれを、牧は考える暇もなく口で受け取って咀嚼する。熱い。口の中も、それから顔も。
「オレにもあーんして♡」
 最後まで口の中に残っていたタコを妙な音を立てて飲み下し、牧は顔を険しくする。普段の外食ではこんなことはしないのだ。
「どういうつもりなんだ? 藤真」
「どうって、祭りだし」
「なんなんだその理屈は」
「嫌ならいいけど。お前今日、ノリ悪すぎ」
「嫌じゃないが、そういうのは家でだな……」
「はいはい」
 藤真はじろじろと、いかにも胡散臭いといった目で牧を見る。もともとシャイな男ならば納得もするが、牧はそうではなかったはずだ。カップルだらけの店に男二人で入ったのも、クリスマスのイルミネーションの中を歩いたのも、花火大会で手を繋いだのも、思えば高校生のときだった。
(付き合って三年目じゃ、もう飽きられてんのかな)
「藤真、芋もうまいぞ」
 牧は藤真の内心など知る由もなく、穏やかな表情でじゃがバターを勧めてくる。
「うん。……うまい」
 屋台のじゃがバターはひときわ旨い。それは確かなのだが、気分的にはどうにも煮えきらなくて気持ちが悪い。藤真は缶の中に残っていたぬるいビールを全部あおった。
 その場での食事を終えると、二本目の缶ビールを買い、「ビールにはやきとりだ!」と知ったようなことを言ってやきとりを買って食べた。ビールの味は相変わらず不味かった。
 次はどうしようかと歩いていると、若い女に声を掛けられる。
「すみませぇん♡」
「男性おふたりなんですかぁ?」
 浴衣姿の若い女二人組。アップにした髪の明るさに対して、黒く長いつけ睫毛には迫力さえ感じる。藤真はあからさまに面倒そうに返す。
「そうだけど」
「ウチらもちょうど女子ふたりなんですけどぉ〜♡」
「そうなんだ、でもオレらデート中だからごめんね! バイバイ!」
 藤真はにこりと笑って牧の腰を抱くと、密着させた体を押してふたりから離れていく。逆ナンパなど珍しくもない。それだけで終わっていれば何も言うつもりはなかったのだが、背中の向こうでかん高い声が上がった。
「はぁア? ないわー!」
「うっざ、調子乗りすぎ! 面白いと思ってんのかよ、つまんねーんだよ!」
 最近はこんな女性もいるのか、嘆かわしいことだ、と年齢不相応な感想を抱いて首を振る牧のかたわら、藤真は振り返って思いきり叫んだ。
「うるせえブーーース!!」
 そして舌打ちと、ひとが愛想よくしてやれば調子に乗りやがって、というぼやきが続く。キャーだのひどいだの言う女の声が遠ざかっていくが、自業自得だろう。
「……激しいな」
 藤真にアグレッシブな面もあることはよく知っているが、女子のファンには愛想よく接する姿ばかり見てきたので、少し面食らってしまった。
「なに、引いた?」
「いや……まあ、お前もいろいろ大変なんだろうなと思った」
 相手の態度もあるだろうが、やはり酔っているのだろう。女の気配が失せても藤真が離れる様子はなく、半身は相変わらずぴったりと密着している。ふざけているだけにしては、凭れてくる体が重い。よくよく見れば頬には赤みがさして、目はとろんと垂れている。体を擦り寄せたことと角度のせいで胸もとが大きく開いて見えて、気になって仕方がない。じっくりと見ていたいような、見てはいけないような落ち着かない気分で、夜の明かりの中でもひときわ白い胸をちらちら盗み見ていた。
(この辺にホテルは……あっても今日は満室のような……)
 おとなしく家まで我慢するのが最善のようだ。となると、あまりくっついてもらわないほうが助かる。
「藤真、大丈夫か? 少し座って休むか?」
「なんで」
「酔ってるだろう」
「酔ってねえよ」
 酔っている人間おなじみのセリフを言って、藤真はぎゅうと牧に抱きついた。半身どころでなく完全に抱き合う形だ。
「おい、藤真っ!」
 牧は藤真を抱えて道の端に移動する。覗き込んだ藤真の顔は相変わらず赤いが、長い睫毛の下の瞳は明確な意思を持って、妖しげに牧を見返す。
「いいじゃん別に、酔っ払いがふざけあってるようにしか見えねえよ」
「俺はそういうふうには思ってない」
 牧は責めるような、甘えるような視線から逃れるように顔を背ける。
「はあ?」
 どういう意味だ。つまり、牧はこれをカップルの接触と認識したうえで拒否しているのだ。なおさら悪い。
(昔は違った)
 しかし、今日は初めからそうだったのかもしれない。なんだか自分ばかりが浮かれていたような気がして、急激に悲しく、そして馬鹿馬鹿しくなってしまった。
「帰る」
 呟いて押し返した牧の体はびくともせず、その反動で藤真の体だけがふらふらと歩きだす。
「おいっ……!」
 牧が咄嗟に藤真の袖の端を捕まえたのと同時に、遠くで籠もった破裂の音が聞こえた。
「花火だ」
 周囲の人間が一斉に空を見上げる。夜空に次々に咲いた花は、海辺の花火大会で見るような、大きく近くに感じるものではなかったが、祭りに来た人々を喜ばせるには充分で、ほうぼうで小さな歓声が上がった。
 帰ると言った藤真も足を止めていた。光の滴を、それが落下しながら描く線のひとつひとつを凝視していると、空が落ちてくる錯覚に襲われる。足もとの覚束ない感覚に、思わず空に伸ばしかけて引っ込めた手を、大きな手が後ろから包んで握った。
「……!」
 牧は藤真の腰に腕を回すような格好のまま、花火が終わるまで無言で寄り添っていた。
「よし、帰るか」
 帰り道では、ずっと手を繋いでいた。
(拒否ってたくせに、どういうつもりなんだろ、変なの)
 牧は何も話そうとしない。月明かりの縁取る、高い鼻梁をした特徴的な横顔がこちらを向くと感じて、藤真は慌てて目を逸らす。手を振りほどく気になれないのが、少し悔しかった。

 帰宅すると、藤真が先に玄関に入って照明を点けた。背後でドアロックの音が聞こえたかと思うと、即座に抱きすくめられていた。
「っ!!」
 押し殺してもなお荒い呼吸が耳を撫で、密着した体からは布越しにもじっとりと高い体温が伝わる。尻に当たる硬いものからは、ひときわの熱を感じた。
「なんだよ、帰った途端発情かよっ……んむっ!」
 顎を捕らえられ、顔だけ振り向かされる形で唇を塞がれる。舌を押し込んで絡め取る、貪るようなキスだった。くらくらする。まだ少し酒が残っているのだろう。体を抱え込まれて牧のほうを向かされると、厚い胸を押し返してささやかに抵抗を示した。
「途端? 俺はずっと我慢してたんだぞ。お前がくっついてくるから、気が気じゃなかった」
 当然のように言ってのける牧に、藤真は眉を跳ね上げて怪訝な顔をする。
「我慢? ずっとオレのこと拒否ってたくせに?」
「拒否なんてしてない。家でしようって言ったんじゃないか」
「じゃあ最初から出かけなくて、家でやってりゃよかったじゃん」
 このままでは喧嘩になってしまいそうだ。拗ねた調子の藤真に、牧はことさら穏やかな口調を意識して返す。
「どうしてそうなるんだ?」
「だってお前、昔はそんなじゃなかった」
「昔? デートか試合のときくらいしか会えなかったからだろう。だが今は違う。家でふたりきりで、ゆっくりいちゃいちゃできるじゃないか」
 高校のころはふたりとも今よりずっと忙しかったし、互いに目立つ立場だったから、ずいぶんと都合を考えたものだった。貴重なデートの機会はいつだって特別で、当然浮かれていただろう。今日のデートだとてもちろん楽しみだったが、昔と違うと言われれば違うかもしれない。しかし牧にはそれが悪いことだとは思えなかった。
「いちゃいちゃ……?」
 思ったまま口にした言葉だったが、あらためて藤真の口から聞くと途端に照れくさくなる。だが、はっきり言わなければ伝わらないこともあるだろう。
「ああ、藤真といちゃいちゃしたくて、ドキドキしてた」
「ふうん……」
 触れ合う体は熱いが、牧は強引にキスしたきり、それ以上先に進もうとはしない。こういうところは昔と同じだ。玄関で迫られることにも覚えはある。
「……じゃあ、いちゃいちゃしよっか」
 藤真は玄関の段差部分に腰を下ろすと、まだ雪駄を履いたまま土間に立ち尽くす牧の浴衣の裾を左右に大きく開く。
 わかりきっていたはずだが、下着越しにもくっきりと形を主張するものを目の当たりにすると、あらためて動揺を孕んだ興奮が起こり、自らの下半身まで疼いてくる。
 すりすりと音を立てて撫でると、汗だろうが、じっとりと湿っていた。下着を下ろし、こぼれ落ちるように現れた立派な男根を下から支えるように掴まえる。色黒の逞しい竿から、高く張り出した先端部に肉の色を見せ、ときおりピクンと脈打って、牧とはまた別の生命を持っているように思えた。
 男の体の仕組みはよく知っているつもりだが、牧が自分に対してこうなってしまうことは未だに少し不思議だ。嫌なわけではない。むしろ──
「ジャンボフランク……」
「あれより太いんじゃないか?」
「スーパージャンボフランク」
 まじまじと見つめて呟き、大きく口を開けて咥え込む。蒸れたようなにおいが鼻を抜けるが、先端を喉に押しつけるように、より奥へと導くとそれも感じなくなった。
(やっぱりオレ、こいつが好き)
「ンぐっ……」
 さほど経たないうちに、息が詰まって気が遠くなる。酩酊に似た感覚と嘔吐反射に逆らわず口から出すと、豊満な亀頭にねっとりとした唾液が糸を引いた。
「肉棒が好きとか、言ってたな」
「うん。すき」
 挑発的な笑みを作ると、ぴちゃぴちゃと音を立て、表面全体に舌を這わせて愛撫を施していく。ふざけて言ったつもりではなかった。これについては〝牧のためにしてやっている〟という感覚ばかりではなく、体の一部に過ぎないはずのそれそのものが、無性に愛しく感じられるのだ。無論、誰のものでも同じように思うわけではないだろう。
「ああ……藤真……」
 牧は一方的な奉仕を求めたつもりではなかったのだが、藤真がその気ならば拒否する手はない。帰宅直後の状態をためらわず咥えられることには、恥ずかしさと同時に妙な興奮があった。
「んむっ、んんっ」
 ときに苦しげに呻きながらも、まるでそれが美味であるかのように、音を立ててしゃぶりつく。喉奥と舌を使いながら、顔を前後させるピストンの動作を繰り返されるうち、牧はたまらず藤真の顔を引き剥がす。
「くっ、藤真っ……!」
「なに?」
「いや、出そうになったから……」
「いいよ、出して。飲みたい」
「!」
 妖艶に微笑して再び唇を寄せられると、もう咎めることはできなかった。髪を撫で、頭を包み、高みに昇るように自ら腰を振る。窄められた唇が、しきりにいやらしい水音を立てていた。
「っ、いくぞ……ッ!!」
 体が震え、強烈な快感が一本の鋭い線のように奔る。閉じ込めていた欲望は放たれ、吸い出されて、藤真の口内に受け止められる。身動きできないほどの充足感だった。
 藤真はべろりと舌を出し、受け止めた精液を見せつけると喉を鳴らして飲み下し、唇の端を吊り上げて笑う。牧の欲求は落ち着くどころか止めどなく湧き起こる。
「まだやれる?」
「当然だ」

 薄明るい部屋のベッドの上、浴衣を乱して肌の多くを露わにしながら、組み敷かれた白い肢体が艶かしく踊る。
「あっ、あんっ、んっ、うぅっ…」
 腰を抱え上げられ、大きく開かれた脚の間に、浅黒い男根がしきりに出入りする。肉の薄い体を暴力的なまでの体格差と質量で穿たれながら、藤真はそのたび苦悶に似た歓喜の声を上げた。
「んぅっ! あっ、あぁっ、あんっ…」
 その身に纏わりつく浴衣が、衣服というより動作を拘束するもののように見えて、日ごろは息を潜める牧の攻撃性と支配欲をしきりに煽る。
「お前だって、やりたかったんだろう?」
 動きを止めると、体を穿ったままで、ツンと尖った胸の突起をひねり上げて弄る。
「あンっ! ぅうっ、あぁっあ…」
 背を反らし、強請るように胸を突き出して悶えながら、秘部は大きくうねり、淫らに締めつけてくる。牧は求めるものを察しながらも与えず、とろとろとよだれを垂らす先端部を、指の腹を小刻みに動かして虐めた。
「ひんっ! あぅ、ああっ、そこ、やめっ…! んうぅっ…!」
 びくびくと痙攣するように腰を揺らし、拒絶のような言葉もすっかり快感に濡れている。いじらしくて、愛らしくて堪らない。
「はぁっ…あぁっ…ぅっ…」
 責める手を止めても快楽の余韻が残っているかのように、体はぴくり、ぴくりと震え、内奥はもの欲しそうに吸いついてくる。もうあまり余裕はない。
「動かすぞ」
「ぅあっ…!」
 返事をする前にすでに牧は体を引いていた。ひとつになったようだった粘膜が引き剥がされ抜けていく感触に、藤真は身震いする。
(ぞくぞくする……)
 行為には慣れているし、牧のこともいい加減よく知っているつもりだが、ときめきと恐怖と、自らの肉体への後ろめたさが綯い交ぜになったこの感覚は失せない。
「あぁっ、んっ、うぅ…んっ…」
 牧は何度かゆっくりと動作したのち、欲望のままに抽送の速度を上げていく。
「うぐっ、んっ、ぅあっ、んんッ!」
 波打つ体を押さえつけ、あるいは大きく開かせた脚の間に好き勝手に打ち込まれる自らの肌色。自分だけが見ることを許されている、極めてプライベートで、たまらなく卑猥な光景だ。
(藤真……藤真、好きだっ……!)
 あさはかだと言われようが、体が強く求めるたびに、自らの心をあらためて思い知らされる。パンパンと規則正しく肌がぶつかる音に、濡れた肉が擦れる音、乱れる息。肉体の受ける直接の快感を、視覚と聴覚とが増幅していく。
「藤真、いくぞ…ッ」
「っあっ、んっ…はぁっ、あっ、あぁーっ…!!」
 昇りつめ弾け飛ぶスパークの中で、あるいは体ごと意識をさらう波の中で、思考を失ったまま、ただ腕に抱えた、互いの存在を愛おしいとばかり感じていた。
「あっ……あぁ…っ…」
 藤真は潰れそうなほど強く抱かれながら、自らのうちに注がれた温かな感触と、どちらのものか判別できなくなった鼓動に浸る。熱い息が、大きな音を立ててしきりに耳を撫でていた。
「ふーっ……」
 牧はひときわ大きくため息をついて上体を起こす。しかし繋がれた下腹部は離さないまま、藤真の片足だけ持ち上げて体を横向きにひねらせ、体を交差させる角度でなおも腰を揺らした。
「あぅっ、んあっ…ぁんっ、んッ…!」
 ぐちゅ、ぐぽ、動くたびに粘性の音を立てる局部が悦び咽んで収縮し、自ら注いだ精液が愛液のように溢れ出る。牧はうっとりと息を吐いた。
「やらしいな、藤真……」
 現在の行為の主導権が牧にあったとしても、藤真が拒絶を示せないわけではない。しかしそれをしないのだ。身を乗り出して顔を覗き込むと、乙女のように染まった頬と、快楽に潤んだ瞳が微笑んだように見えた。
「……最高だ」
 呟いてくちづけると、それきり言葉を忘れたように、獣のように貪った。

 力の抜けた体で裸の温度を共有しながら、牧は藤真の背中を包むように抱く。
「なあ藤真。来年もまた、浴衣を着て祭りに行こう。そうしたら、楽しみなんじゃないか? 夏が終わったって」
「……なんの話だよ」
「祭りに行く前に言ってた」
「あー……」
 働かない頭で思いだす。夏の終わりは寂しいものだとか、言った気もしなくもない。
『そういうことじゃねえんだよ、お前ってやっぱズレてんな』
 言葉は出なかったが、いかにも名案だというように得意げな顔をしている牧を認めたら、それでいいような気がしてしまった。
「そうだね」
(次の夏が楽しみだとしたって、その夏の終わりにはまた同じように、オレは寂しい気分になってると思うんだけど)
 子供時代の、夏休みの終わる名残惜しさ。道端に増えていく蝉の死骸。高校のときに感じた焦りと絶望と空虚感。追いつけない逃げ水。印象的な光景と体験とが絡み合って作られた感情が、この季節には染みついている。夏は嫌いではないが、だから夏の終わりは嫌いだ。しかし、牧にそれを理解してもらおうとも今は思わない。
 男らしい無骨な輪郭をした頬に、なんともなしに触れようとして、ゆっくりと宙を掻いた白い指が、大きく暖かな手に包まれる。ふたりとも、今日の花火が上がった直後の光景を幻視していた。
「なあ藤真、明日の夜、たこ焼きでもいいか?」
「あ?」
 あまりに唐突に思えた話題に、間の抜けた声が出てしまった。牧は藤真の手を掴まえたまま、照れくさそうに視線を泳がせる。
「今日あんまり食えなかったから、明日ちゃんと食いたいと……」
「明日も夜店探しに行く?」
「違う。買ってきて家で食べるんだ」
「ふーん。たこ焼き好きなんだな」
 何か言いたげに手の甲を指で弄ってくる、牧の意図もわかってはいる。
(こいつといると、なんだかしんみりできねえなー……?)
 ふっと、唇から笑みを含んだ息が漏れる。
 夏が終われば秋がきて、蝉が死のうが人は明日の食事を考える。何も特別なことのない、当たり前の営みの端にしがみつくように、広い背中に腕を回した。