暁闇

「でも、僕はやっぱり、この暗夜王国の王子なんだ」
 天蓋の森でカムイとまみえたのち、彷徨の末に辿り着いた、それがレオンの真実だった。
 水晶球に導かれ、変わり果てた父王の姿とカムイの『成すべきこと』を見た。それでも生まれ育った暗夜を捨てることはできなかった。戻るべき場所は、この王城でしかないと思った。
 カムイとはもう闘わない。彼らの行く手は遮らない。但し、協力もしない。
 ただ、武運を祈るくらいは許してほしい。
(また、ね……)
 上階へと進むカムイ達の背中が視界から完全に消えるまで、レオンはじっとその場に佇んでいた。

 ふっと、張り詰めていたものが途切れたように、レオンは小さく息を吐く。
「おい、お前たち。いい加減、隠れてないで出てこい」
 中空に声を投げ掛けると、待ちわびていたかのように二つの人影が躍り出た。
「いやらしいな……レオン様。見てないようで、しっかり見ていたんですか」
「ふっ……仕方ないな。我が闇の波動は隠そうとしても溢れ出てくるものらしい……」
 ゼロとオーディン。レオン直属の臣下だ。
「はぁ……お前たち、頼むからそういう妙な言動ばかりするなよ。みっともない臣下を持つと、恥をかくのは僕なんだからな?」
 ああ、なんだかひどく懐かしい感じだ。レオンは飽くまでペースを変えない二人に不服を表すジェスチャーをしながら、心のどこかで安堵もしていた。
「ええっ!? 恥とはなんですか! レオン様、訳の分からない水晶を持って無限渓谷に行ったきり帰ってこないから、谷の奥底に潜む魔獣にその精神を食われ、悠久の闇の中を彷徨われているのかと……」
「は?」
 言葉遣いもさることながら、オーディンはいつも物事を大袈裟に捉える。もう子供でもないのにたかだか一週間離れていたくらいで──とは、内心レオン自身に向けたものでもあった。
「心配だった、ってことですよ」
 いつもは意地悪く笑うゼロも、今ばかりは神妙な面持ちだ。
「俺も……すごーく心配でした……」
 本当に元気がない様子だ、と珍しがって見つめていると、その物憂げな顔がずいっと急激に大きくなった。
「わわっ! 近い近い、顔が近い! 離れろ、ゼロ!」
 顔も近いが身体も近い。上体を仰け反らせ今にも押し倒されんばかりになりながら、レオンは慌ててゼロの胸を押し返す。
「……ご命令とあらば」
 言葉だけは従順に、しかし態度にはどこか不服を滲ませて、ゼロはレオンから体を離した。

 久しぶりに戻った私室のドアを閉めるや否や、レオンは呼吸を奪われる。
「んむっ…!」
 息苦しさの外側で、カチリと鍵の掛かる音がした。
 ドアを背にしてゼロの腕に閉じ込められながら、深く唇を重ねる。唇を吸われ、舌を受け入れ、辿々しく絡める。柔らかで刺激的な感触は局所的なものでありながら、身体中に拡がって二人の体温を上昇させた。
 弱く胸を押され、唇だけを解放する。掴まえた肩は離さない。
「っはぁ…」
 レオンは深く息を吐き、性急すぎる行動に抗議した。
「ねえ、少しは我慢できないの?」
 薄紅の頬、吸われて赤くなった唇、睨みつけてくる瞳もみずみずしく潤んでいる。
(レオン様、そう婀娜っぽく怒られましても)
 よからぬ衝動を煽るだけだった。
「我慢なら一週間もしましたよ。それに、さっきだってお預けを食らった」
「当たり前だ! オーディンの目の前で、他にも誰が来るかわからない場所で、あんなに顔を近付けて」
 制止しなければキスまでされていたかもしれない。相変わらず困った男だ。
 ゼロは悪びれた風もなくにやりと笑う。
「さっきのは今日の分です。これは昨日の」
「む〜〜!!」
 再び唇を重ねるが、抵抗のつもりか、レオンは頑なに歯を食い縛ってゼロの舌の侵入を許さない。ゼロは大袈裟に肩を竦める。
「では、一昨日のは、こうにしましょうか」
 レオンの耳の縁を舌先でねっとりとなぞり、甘く噛み付いた。
「あっ……」
 ぴくん、と腕の中の身体が震える。
「良かった、いつもの耳の弱いレオン様ですね」
 生温い息が耳に触れる。低く柔らかな声が鼓膜を撫でる。一度火が点いてしまうと、そんな些細な感触さえ快感に昇華される。
「だ、誰のせいでそうなったと」
「レオン様がいやらしいせいです」
「いやらしいのはお前だっ!」
 冷静さを失って声を荒げるのは自覚があるせいに他ならない。
 ああ、かわいい、かわいい、愛しい我が主。あなたに触れられなかった時間がどれだけ辛かったか、どれだけ心配したか──とは今は言わない。
「一昨々日の分」
 法衣の襟をめくり、僅かに露出した首筋に顔を埋めて舌を這わせる。
「ゼロ……」
 こんな状況のときに、とは思う。しかし弱い声に、もはや抵抗の意思はなかった。
「一週間ぶりなのは、僕だって同じなんだからね?」
「レオン様……」
 言葉が、視線が、ゆるゆると背中に回される腕が。いじらしく愛おしすぎて、ゼロはそれ以上の言葉を失う。ただ黙って、主の身体を抱き上げた。

「っ…はぁっ」
 身体を重ね、指先を絡め、解き、互いの体液を啜る。
 室内の唯一の光源であるサイドボードの灯が、歪な一つの影を石壁に映していた。
 息遣い、肌の擦れる音、ベッドの軋む音。
「ゼロ…」
 そして主の甘い声。今日はいつになく沢山名前を呼んでくれている、と感じるのは気のせいではないだろう。
 レオンはゼロの居場所だ。離れていた間、主の無事が心配で、恋しくて仕方がなかった。信頼されていないから共に連れて行かれなかったのかとも考えた。
 しかし今は、主もまた一人で不安だったのではないかと思っている。こんなに感じて、こんなに情熱的に求めてくるのだから、きっと。
「レオン様。そんなに、締め付けないで下さい」
 ゼロは苦笑した。ただでさえ小さなレオンの身体の内で締め上げられ、腰にしっかりと脚まで回されて。大変に愛おしいのだが、これでは動くこともままならない。生殺しのようで、おかしくなりそうだ。
「だっ…て……」
「束縛するタイプですね」
「どっちが…! ぁんっ!」
 ゼロはレオンの呼吸を読んで身体を退き、再び突き上げる。それを繰り返しながら、徐々に一定の間隔を掴んでいく。
「んくっ…ゼロ、ゼロ……」
 華奢な身体は獰猛な肉杭に穿たれ揺さぶられながら、尚それを求めるようにうねり、愛らしく鳴いた。
(レオン様、レオン様……俺のレオン様)
 名前を呼ぶ声に応えるように唱えるが、声にはしない。もっとレオンの声を聞きたい。
「あっ…!」
 細い腰の上で踊る性器を手の中に捉えると、それはすっかり先走りで濡れそぼっていた。レオンに快楽を与えるというよりも単純にその感触を愉しみながら、ゼロはそれを弄ぶ。
「ん、やっ」
 敏感なところを抉られ、包み込まれて、自分でもおかしいと感じるくらいに身体が大きく跳ねてしまう。
 前後からの刺激に頭の中がぐちゃぐちゃになる。人間的な思考能力が溶けて、消えて、ただ快楽を享受するだけのモノになっていく。こんな姿、彼にしか見せない。
「あ、あっ…ゼロ、んっ……」
 守りたい。虐めたい。よろこばせたい。
 全部あなたのせい。全部あなたのおかげ。
「も、むり…いっ…」
 ゼロは唇の端を吊り上げて笑い、レオンの性器の根元をきつく握り込む。
「嫌ですよ、レオン様、一人でイッちゃ……」
「うぅ…」
「俺のこと、置いて行っては……」
 あなたが全てだから。
「一緒にイきましょうね、レオン様……」

 灯りの燃え尽きた真っ暗な部屋の中で、二人はなおその身を寄せ合っていた。平熱は、ゼロのほうが僅かだけ高い。
「レオン様」
「……なんだい」
 分厚い石造りの城塞の一部屋だ、誰に聞こえる会話でもない。それでも二人はどちらともなく声を潜める。彼らの許されざる関係がそうさせるのかもしれなかった。
「俺はかつて、この身に代えてもあなたをお守りすると誓いました。しかしそれは、あなたのお傍に居られなければかなわない。そしてあなたが付いて来るなと言えば、俺はそれに従うしかない……」
 天蓋の森での一件の後、レオンが今日まで姿を消していたことについてだ。
「それは……ごめん」
 長い睫毛を伏せるレオンの表情が、闇の中でも簡単に想像できてしまって、ゼロは苦笑した。自分は何度似たようなことを言って主を困らせるのかと。
「いえ、俺こそすみません。今のは俺の我儘ですね。俺は、レオン様が必要としてくださるときにそこに在ればいいだけなのに」
「ゼロ……」
「でも、俺は、あなたがいなければ……」
「食いっぱぐれちゃう」
「そういう意味では」
「わかってる」
 ゼロの言葉に即座に被せるように言って、レオンは密かに笑った。
「今回は事情が特殊だっただけで、お前のことはもちろん信頼してるよ。臣下として……ううん、普通はただの臣下とこんなことしないよね」
 能力的なことは無論として、他の人間とは違って友人のようにも接してくれるところが好きだ。ときどき刺激的な意地悪をしてくるところも気に入っている。
 しかしレオンは何よりゼロの根底にある弱さに──彼が自分を拠り所としていることに、強く魅かれていた。
(お前はいつも僕を見てるもんね)
 レオンは子供にでもするようにゼロの頭を撫でる。ゼロはレオンの肩口に額を埋める。
「ねえ、ゼロ……」
 神妙な口ぶりに、ゼロは黙ってレオンを見上げる。明かりはない。何も見えない。それでもゼロはレオンを見上げる。
「カムイ達は、父上のところへ向かった」
 噛みしめるように、ゆっくりと、言葉を続ける。
「……僕もこの先、どうなるかわからないよ」
 どうやらレオンは、カムイ達の動きによってこの国の現状が大きく変わると想像しているようだった。しかし、ゼロに迷いはない。
「レオン様が暗夜の王子であっても、なくても……俺にとっては、何も変わりません」
 背中に置かれたレオンの指が、ぴくりと動いた。しかしそれだけだ。言葉はない。
 ゼロは続ける。
「俺が仕えているのは暗夜の王子ではなく、レオン様という一人の人間です。お許し頂ける限り、ご一緒させて頂きますよ」
 今までだって、ゼロの行動原理は国民のためでも軍のためでもなかった。結果的にレオンのためになるかどうか、それだけだ。
「そっか……」
 ふふ、とレオンは小さく笑う。
 今もなお、事態は刻々と変化しているだろう。夜明けの予感に不安は消えない。しかし心細さは消えた。
「ありがと」
 細い腕に少しだけ力を込め、愚直な臣下を抱き締め直す。
 瞳から溢れた熱は、濡れた舌先に掬われて消えた。

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