魔性

「レオン様、こんなに濡らして……すぐに俺がヨくしてあげますから、まずその邪魔な衣服を脱ぎましょうか」
「まず部屋に戻って、でしょ」
 雨に濡れて帰ってきたレオンを、城の入り口でゼロが出迎える。その際の会話を傍らで聞いていたハロルドは、激しく顔を顰めた。
 ゼロの意味深な言い回しは、彼と接したことのある人間ならば大抵は耳にしたことがあるものだ。ゼロと交流があると自負しているハロルドは、その理由まで直接聞いて知っていた。
 ゼロは気に入らない相手を困らせるために、或いは必要以上に自分に近付かせないために、卑猥な方向性の言葉遣いをする。臆病なのだと思う。
 しかし、ゼロの命を救い居場所まで与えたレオンにそういった態度を取るのは不自然だった。今日たまたまというわけではない。以前にもゼロがレオンに妖しげなことを囁いているのを聞いたことがある。

「ゼロくん」
 用事が済んだ様子のゼロを、城塞の廊下で捕まえる。ゼロは怪訝な表情をしたが、大人しくハロルドに付いて人気のない場所に移動した。
 ゼロにとってのハロルドの心証は、察しの良すぎるお節介な男。できれば関わりたくないのだが、放って置いて好き勝手なことを口外されるのも避けたかった。
「……なんだよ」
「君は人と距離を取りたいとき、相手を嫌がらせるためにああいった話し方をするのだと思っていた。前に話したときには、それで納得したつもりだった。……だが、さっきのレオン様への態度。君はレオン様を嫌がらせようとしているのか?」
 ゼロはさも面倒そうに息を吐く。
「そんなわけがないだろう。どのみちお前には関係のないことだ」
「いや、大いにある。レオン様はエリーゼ様の兄上だ。私がレオン様を気に掛けることには正義がある」
「押し付けられる正義なんて迷惑でしかない。誰にでもそうなら、改めたほうがいいと思うぜ。……ま、納得しないと思うから話してやるが、俺とレオン様の付き合いは長い。レオン様はもう慣れ切っているから、俺の言葉に動揺などしない。つまり、嫌がっていないし、お前が心配する必要もないってことだ」
 もういいだろ、とばかりにゼロは立ち去ろうとする。しかしハロルドは納得できない。
「いや、やはりおかしい」
「しつこい男は嫌われるぜ?」
「レオン様が嫌がらないとわかっているなら、そんな話し方をする必要はないではないか。君だって楽しくないはずだ」
 頭の固い男だ。見た目通りではある。
「レオン様とのお話はとても愉しいが?」
「つまり君は、レオン様に対しては、嫌がる反応見たさではなく、自分が言いたいから、という理由で卑猥な言葉を使っているのだな」
「……」
 まずい。実のところその通りなのだが、レオンの立場を思えば二人の関係を知られるわけにはいかない。どうする。
「そうだが、悪いのか? レオン様がお悦びになるんだ。別にいいだろう?」
 開き直ることにした。自分がこの手の話をしたところで、誰も本当のことだとは思わないのだ。少なくとも、過去にゼロが接してきた人間はそうだった。
「……そう開き直られてしまうと。今度は、君たちの顔が近すぎるのが気になるという話になってくるぞ」
「羨ましいのか?」
「違う。つまり君がそういう志向なのかと……いや、志向は自由なのだが、みだりに見せつけるものではないということだ」
 雲行きが怪しくなってきた。少し、悪あがきをする。
「あれは、レオン様から魔力を頂いているのだ」
「なんと?」
「レオン様は魔導の天才。その呼気に触れることで、俺は魔力と魔法防御を高めている。近いうちに転職して杖を使えるようにするつもりだ」
「なるほど。君の相棒のオーディンくんも魔法が得意だしな。魔法職にはそんな秘密があったとは!」
 完全に出任せだったのだが、ゼロの適正とオーディンの職業とも相まって、意外にも信じてもらえたようだ。
「しかし、さすがに私がエリーゼ様にあやかるのは問題がありすぎるな」
「理解したようだな。とにかく、お前はエリーゼ様の臣下。俺はレオン様の私兵。首を突っ込んでくる必要はない」
 ハロルドは大げさに片方の眉を動かした。
「ふむ……納得しかけていたのだが。どうも君は、私がレオン様のことを詮索するのを、過剰に嫌がっているようだね。やはり何か、知られたくない秘密でもあるのかね?」
(この男……ただのお節介野郎かと思っていたが……)
 ハロルドはゼロの視線に、これまでの彼には見られなかったものを感じていた。
 ギロリとした眼光の下に、冴えて冷めきった青色。そこには本気の殺意が見える。
 今のゼロと比べると普段の彼はまるで別人のように穏やかだ。レオンに拾われて生まれ変わったつもり、と以前話していたことを思い出す。
 ハロルドは肩を竦めた。
「すまないね。公務の範囲での情報収集のつもりが、どうやら君の領域に踏み込み過ぎたようだ。せっかく仲良くなれたのにまた淫語バリアを張られても困るので、このくらいにしておこう」
 簡単な仕草で殺意を受け流すのは、ハロルドもまた歴戦の戦士であるためだった。
「勘違いするな。俺たちは仲良くなんてない」
「そうかな。ま、私にはそのケはないが、そういうところでの差別はしないから安心してくれたまえ。無論、今日聞いたことも誰にも言わない」
 ハロルドは無駄に爽やかに笑って去っていった。
「チッ……」
 苛々する。ああいった人間は一番苦手だ。自分が何もかも知ったような顔をして、言いたいことだけ言って──実際、それが的を射ている。

 ゼロと別れて廊下を歩いていると、ガシャン、ガシャン、とよく知った重々しい音が聞こえてきた。
 音の出所へ近付くと、彼の同僚の重装歩兵が、両手に持った鉄の重りを上下させながら、階段で昇降運動をしていた。
「エルフィくん。こんなところでトレーニングかい。ああ、外はまだ雨のようだね」
「そうなのよ、雨水で鎧を重くしてみるのもいいかと思ったけれど、錆びても困るし……」
 エルフィは動作を止めず、いつも通りのおっとりとした口調で、息も乱さずに話す。恐ろしい女だ。敵でなくて良かったとよく思う。
「そ、そうだな。それに、身体を鍛えたって風邪に強くなるわけでもないだろうし。くれぐれも無理はしないように」
「そういえば、エリーゼ様が、あなたがゼロをどこかへ連れて行くのを見たそうだけど……あの人、変わっているわよね」
「いや。交流してみると、彼はなかなかかわいい男なんだよ」
「えっ……ハロルド、あなた、ホモだったの? まあ、私は別にそれでもいいけど……」
 エルフィは基本的にエリーゼにしか興味がない。この「それでもいい」は、「どうでもいい」の意である。
「違う違う。年長者としてね。彼は擦れた風ではいるけど、生まれのせいで素直じゃないだけのかわいい若者なんだ」
「ふうん……まあ、彼が擦れてようがいまいが、エリーゼ様にヘンな言葉を教えたら私が擦り潰すわ……」
 大真面目な顔で殺意も感じさせず言い放つエルフィに、ハロルドは顔を青くした。
 魅力的な主君は臣下を歪めてしまうものなのかもしれない。
(すまんなゼロくん、私は君たちのことばかり気にしていたが、身近にもっと重めの案件があったようだ……)
 今度ゼロに会ったら、エリーゼへの接し方について忠告しておこうと思う。

「ゼロ、最近あまりやらしいこと言わなくなったね」
「そうですか?」
 ゼロは今まで、自分が多少のことを言っても誰も真に受けないと思っていた。「例の悪質な冗談」と捉えられるだけであろう、と。そう思うからこそ、レオンに対しては敢えて本心からの卑猥な物言いをしていた。しかし先日のハロルドとの会話で、レオンのことを思うならばそれも控えたほうが良いかと考え直したのだ。
「ま、外ではそのほうがいいんだけどさ。……子供のときみたいに手を繋いで歩くわけにもいかないし、普通の主従に見えるようになっちゃうね」
「……レオン様?」
 淡々と、素っ気ない口調で言われた言葉は、しかしゼロには衝撃的だった。
 確かに、まだレオンが子供といえる年齢だった頃、人前で手を繋いだことがあった。レオンから手を握ってきたと記憶している。元盗賊のゼロへの風当たりを緩和するためにそうしてくれたものと思っていたのだが。
「全部をおおっぴらにするわけにはいかないけど、『妙に仲良いね』って言われたら嬉しくない?」
「えっ……う、嬉しいです……けど……」
 迷惑だと言いながら卑猥な言葉と近すぎる距離を許してきたのは、周囲に見せつけるためだとでもいうのだろうか。
「だよね。暴かれるわけにはいかないけど、僕らには秘密があるんだよって仄めかしたくなる感じ」
 レオンは目を細めて微笑した。妖艶とか、魔性という言葉が頭を過る。
「レオン様……あなたという方は……」
 ゼロは狼狽えた。頬が熱い。
 困らせるどころか、手のひらの上で転がされていたようだ。
 おそらくは、彼と出会ったあの日あの瞬間からずっと。
 そして願わくは、これからも。

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