虧月

【死ネタ注意】一応二人としてはハピエンのつもりなのですが、というのはメリバになるんでしょうか。暗夜ED後(結構後)想定。 [ 4,842文字/2015-09-22 ]

「ゼロ。お前には伝えておくよ。……僕はもう、長くない」
「レオン様……?」
 あまりに唐突な、主君からの告白に、頭が真っ白になった。嘘だと、悪い冗談だと言って笑って欲しかった。
 不穏な言葉に似合わない穏やかな表情が、ゼロの中に漠然とした絶望を生む。
「ど、どういうことですか……何か……病気とか……」
 うまく喋れない。自分でも情けないくらいに声が震える。
「大丈夫。伝染るものじゃないから」
 そんなことを心配しているわけではない、と言おうとして、続くレオンの言葉に口を噤んだ。
「引き続き僕の傍で、僕のことを手伝って欲しい」
「……かしこまりました」

 その後少し話をしたが、薬で治る病ではなく、レオンの体質的なものなのだという。寿命に個人差があることと大差無いのだと言った、主君の微笑が途端に果敢なく見えた。
 レオンが白く柔らかく弱々しいものなのだという妄想に、若い時分はよく囚われたものだった。何言ってるのと笑いながら、彼はこの汚れた手を掴み、意外としっかりとした身体に触れさせ確かめさせたのだ。
(嘘だって言ってくれ……今度はレオン様の妄想なんだって……)
 沈む気分に追い打ちを掛けるように、外は雨だった。
 それでも部屋の中でじっとしているよりはと、ゼロは一人訓練場の的の前に立って弓を構える。
 雨の重さまで考慮して放った最初の矢は、的のほぼ中央を捉えた。
「……」
 神や聖霊に愛された人間は、長くは生きられないと聞いたことがある。
(何が神だ……俺の神は……)
 次の矢は中心部を大きく外れ、的の端に当たった。何が悪かったのかと考えるほどの落ち着きは既にない。
(俺の……、俺は……!!)
 的に当たろうが、当たるまいが、もはやどうでもよかった。何かしていないとおかしくなってしまいそうで、雨の中、無心で矢を放ち続けた。
(レオン様……)
 多量に用意した練習用の矢が底を突くまで射ち、がくりとその場に膝を折る。
(レオン様……っ!)
 生温い雨が、いくつもの筋になって褐色の頬を濡らす。
 自分には不釣り合いだと、神や天使のような特別な存在なのだと、レオンと出会った日から何度も実感してきた。美しい日々がゼロに重く伸し掛かる。
 医者の判断による通常の病とは違う、とレオンは言った。いわば根拠など何もないのだ。いくら彼の感覚が優れていようが、単なる思い違いということだって充分にあり得るのではないか。人は誰しも間違いを起こすものだ、と言ったのは当のレオンだ。

 レオンは実年齢より大分若く見えるものの、もはや二人ともいい大人だ。身体を繋ぐ関係は少年時代から今も続いているが、レオンの欲求が年相応に落ち着いたせいもあって、昔ほどの頻度ではなくなっていた。
「ゼロ。おいで」
 招かれるままに主君の寝台を軋ませながら、臣下は緋色の瞳を覗き込む。
「レオン様……お身体に障るのでは?」
「そこは『おカラダに触りますよ』じゃないの? 僕、そんなに死にそうに見える?」
 白皙の青年は、昔と変わらぬ笑みで意地悪く言う。まるで終わりが予見されているなどとは思えないように。
「全然、そんな風には見えませんよ」
 ゼロは迷いなく言い放った。
「ただ、この前あんなことを言われたので気にしてるってだけです」
 本当は嘘なんでしょう、とまでは言えなかった。──否定されるのが、恐ろしかったから。
「まだ大丈夫だよ。それに、したら死ぬとか、しなかったら生き延びるとか、そういうのじゃないからさ。だったらしたいようにしたほうがいいよね」
「……」
 難しい顔をするゼロの両の頬に、痛くない程度にピタンと音を立てて、両の手のひらを当てる。
 じっとこちらを見上げてくる、主君の顔貌は愛らしいが表情は読めない。
「やっぱり、言わないほうが良かったかな。でも、いきなり居なくなったらお前だっていろいろ困るだろうし……」
 くすりと、レオンは小さく笑った。
「違うね。僕は、お前のために告げたんじゃない。僕のため。僕が、僕の終わりを知ってて欲しかったんだ。お前には……」
 青い瞳が零れ落ちそうなほどに見開かれたが、それはすぐに見えなくなってしまった。大きく開かれた広い胸に、抱き竦められたせいだ。
 主君の言葉は衝撃的だった。ここ数日、自分ばかりが不幸に襲われたような気がしていたが、それを告げた当人の心境を考えたことがあったか。こんなにも長く、そして彼の近くに居続けることを許された臣下は自分だけだ。そこにあるのは寛容ではない。まごうことなき信頼だ。だからこそ、彼は伝えてくれたのではないのか。身勝手に悲しみを募らせた日々を、恥じ入ることしかできない。
 レオンはゼロの背中に腕を回し、子供をあやすように上下させた。
「……ごめんね、ゼロ」
「違う、違います、レオン様……あなたは何も、悪くない……」
 無様に声が震える。せめて主君の前で涙は流さずにいたいと思いながら、既に視界は滲んでいた。
「ゼロ。いいよ、泣いて」
「……」
 臣下は悪あがきするように、主君を胸に閉じ込めたまま頭を振る。
「僕のために、泣いて。」
「……!」
 抗えない。否、抗うことなど望んでもいない。生涯唯一絶対の主の、そして自らの望むままに、ゼロは止め処なく涙を流した。

 傍らに眠るレオンの手首に、ふと手指を添えてみる。
 毎日のように顔を合わせているため、日々実感するものではなかったが、レオンは随分痩せたと思う。
 大泣きしたあの日から、覚悟はしていたつもりだが、いよいよレオンの言葉が間違いなどではないのだと思い知らされる。
 若い頃ほどではないにしろ、あの日以来同衾が多くなった。体のことは気になるが、求められれば応じるしかなかった。
 意に反して、或いは義務として応じているわけではない。誘われると、歯止めが利かなくなるのだ。
 レオンは最近とみに色気を増したと思う。愛らしさよりも退廃的な妖しさ、危うさが色濃くなったように思えるのは、彼に迫るものに関係があるのだろうか。

◇ 

 日々が過ぎ、レオンの衰弱は如実なものとなっていた。
「お前はいつか、僕がお前の世界のはじまりだって言ったね。大袈裟すぎるって、そのとき僕は思ったんだけど……」
 ゼロは主君の横たわる寝台の傍らに跪き、細い声を聞き漏らさないようにと耳を傾ける。
「でもね、今ならわかるよ。今、お前がここに居てくれて良かったって思ってる」
 穏やかに微笑する、静謐な表情は、近く終わりが来ると告げたときと良く似ていた。
「ゼロ。僕の世界はお前で終わる」
「レオン様? 何を言い出すんです」
 弱りきった主君の前でくらい、冷静で在りたいと思っていた。しかしそれは、脆くも崩れ去ろうとしている。主君の言葉はあまりに不吉だった。
 傲慢な主君は、臣下の問いには答えない。
「ゼロ。キスを頂戴」
 ゼロはレオンの手をそっと握り、自らの元へ引き寄せた。レオンは小さく首を振る。
「違う。唇にだよ」
「……」
「おかしい? こんなこと言うの、子供の頃以来かもしれないよね」
 好意を見せているのに手を出してくれなかったあの頃の、甘く苦しい感覚が蘇る。苦痛というわけではない。二人の世界の美しい思い出だ。
 弱く笑う薄い唇に、重ねた唇が震える。舌を差し伸ばしてきたのはレオンのほうだった。ゼロはおずおずとそれを受け入れ、絡め取り、愛撫する。
「ん…」
 ちゅ、と小さな音を立てて唇が離れた。離したのはゼロだ。弱い呼吸が痛々しくて、長いキスには耐えられないのではないかと思えて。
 潤んだ瞳が、不服そうに見上げてくる。
「足りないよ。僕にキスを教えたのはお前なんだから、ちゃんとして」
 そんなに可愛らしいことを言わないで欲しい。これ以上、心を奪わないで欲しい。
「ね。……ゼロ、もう一度、キスして。僕を、愛して……」
 囁くような声で、しかしはっきりと、愛しい人がそう望んでいる。何を躊躇することがあるというのか。
「勿論。愛しています、レオン様……」
 滲む視界を閉ざしながら、ゼロは再びレオンにくちづけた。緩慢な動作で頬に触れた細い手に自らの手を重ね、その感触をしっかりと感じながら。

 不思議だね。子供みたいなんて、昨日のことみたいに思い出せるの
 お前と一緒にいた時間って、長いようで短かった。僕は幸せだったんだと思う。
 ありがとう。
 あいしてる。
 ゼロ。

 弱い、弱い息が、唇の中に消えた。
 頬に触れさせていた、力を無くした指をシーツの中に仕舞う。
「レオン様。眠ってしまったんですね」
 目を閉じて微笑するレオンを眺め、ゼロは声を震わせた。歯を食いしばり、涙を流し、それでも笑い返そうと唇を歪めた、壮絶な表情を見る者はこの部屋にはいなかった。
「大丈夫。俺が見張ってますから、ゆっくりお休みください……」

「起きてください、もうすぐお昼ですよ」
「……相変わらずお寝坊ですね、レオン様」
 血の気の失せたそれはまるで人形で、単なる寝姿でないことは明白だった。
 縋るように冷たい身体に腕を回す、ゼロの傍らには折れた杖が放られている。
「起きてくれないと、イタズラしちゃいますよ」
 触れれば壊れてしまいそうだと、この腕の中でぐずりと崩れてしまいそうだとかつて思った。今はおそらく本当にそうなってしまうと、もはや気付いてはいる。
「嘘ですよ。イタズラなんて、しませんから……起きて……」
『何もしないの? 思わせぶりなことを言ったくせに』
『お前って、案外奥手なんだね』
 脳裏に響くのは、執政者だった主君ではなく、いつしか恋人となった、私人としてのレオンの声ばかりだった。

 禍々しくも美しい漆黒の甲冑を着せ付けた主君を眺め、ゼロは満足げに笑った。着せ方も脱がせ方も、しっかりと心得ているのだ。
 冷たい甲冑の下のしなやかな肢体も、髑髏の兜の下の微笑も、自分だけに許され、委ねられたもの。それを両の腕で丁重に抱え、ゼロは水辺に立つ。この辺りは浅いが、底に段差があり途中から急激に深くなる湖だと聞いている。
「俺が腕力を鍛えたの、レオン様を抱き上げるためだったんですよ」
 ぱちゃり、ぴちゃり。水の中へと歩んで行く。
「あなたを癒すための杖は、役に立ちませんでしたけど…」
 闇夜を映す黒い水の中を、ひたすらに進む。
 次第に重くなる足元では、軽快な水音に代わり、水を掻く鈍い音がしていた。
「レオン様……恥ずかしがってるんだな。もうすぐ二人きりになれますから、そしたらたくさん声を聞かせてくださいね」
 楕円の月が見える。まだまだ遠くに、しかし、視線よりは下に。決して手の届かない、高い場所にあるはずのそれに、今なら辿り着けそうだ。
 しかし、それに対して昔ほどの興味は湧かなかった。最も尊いものは、今、この腕の中にある。それに比べれば何もかも些細なものなのだ。
 もう同じにはなれない体温も、二人を隔てる空気も何も。
「傍にいろって、レオン様が言ってくれたんですからね。嫌がったって、独りにはさせませんよ」
 胸の下まで水に浸かり、強い抵抗のために進んでいるのか、止まっているのか判断がつかなくなってきた頃だった。
「レオン様……!」
 唐突に足場が消え、均衡を失った二人の身体全体が水の中に沈む。
 視界が冷たい闇に覆われる。ごぼごぼと音を立てて耳が塞がり、体内に大量の水が入り込む。耐え難い苦しみに思考が飛ぶ。
 無意識にもがき暴れようとする身体を咎めるように、何か重いものが伸し掛かりゼロの自由を奪った。

(ああ……レオン様、か……)
 遠退き冷めていく意識の中でようやく、その身を戒めるものの正体を理解する。途中で逸れてしまわないようにと鎖を巻き付けて繋いだ、レオンの身体だ。
 まるで二人の行き先を知っているかのように、レオンはゼロを連れて水の底を進んでいく。
(カッコ悪いな、俺は。最後まであなたに導かれて)
 ゼロは笑った。
 笑った、つもりだ。
(いじらしいところもちょっと強引なところも、大好きですよ、レオン様。これからはずっと一緒です。ずーっと……)

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