針の城

2.

 あの夜は死に際の夢ではなく、ゼロはレオンの臣下として暗夜王城に暮らしていた。
 最下層の貧民街の出身であること、盗賊団に所属しており、城に盗みに入った他にも様々な罪を犯してきたことはレオンには明かしてある。
 問い質されたわけではなかった。事実を隠し、例えば盗賊団に利用されていただけだと言うこともできた。しかし、そうする気にはなれなかった。
 レオンのことを、尊い存在だと心から感じている。王族の血に縛られるわけではないと思う。実際に彼と接して得たものだ。彼を騙したままで傍に居ることはできないと感じた。真実を知ってやはり打ち捨てられるのなら、それでも仕方がないと思った。
 しかし、レオンはゼロの話を聞いても決心を曲げなかった。
『城に入った賊って時点で罪人だったし、僕はそれを知ってお前を選んだ。他の犯罪だって、お前が、偶然お前に与えられた境遇の中で生きるための手段だったんでしょ』
『偶然?』
『お前は貧民街に生まれることを自分で選んだの? 違うよね。僕が王子なのも、貴族が貴族なのも同じ。ただの偶然。そこに貴賎なんてない』
 ゼロの中にある王族貴族のものとは思えない言葉だった。実情を知らないからそう言えるのだ、と思わないわけでもない。しかしレオンがそう考えるからこそ自分は救われたのだろうし、その手を拒絶したいわけでもなかったから、反論することなく頷いた。
 城に勤める兵士には地下街出身の人間も多いらしく、ゼロについても地下街からの志願兵という形で処理したようだ。ただ、最下層の出身であることや犯罪について、特に城に侵入したことについては固く口止めされた。
『地下街出身は本当だから問題ないよ。多くを語らないことは嘘を吐くこととは違うんだし』
 好感の持てる考え方だ。

「ゼロ、紅茶を淹れて。二人分だよ」
 小さな主に命じられ、ゼロはすっかり慣れた様子でそれに従う。
 レオンの命令があるからこそだろうが、メイド達は新入りのゼロに親切に接し、身の回りのことについて教えた。教育を受けてこなかっただけで頭が悪いわけではないゼロは、それらをすぐに習得していった。
「臣下って、召使いのことだとは思いませんでしたよ、レオン様」
 レオンが持ってきたのか、丸テーブルの上には箱に入った菓子が置いてある。それを挟むようにして、レオンの前と、その向かいの席に紅茶を並べた。
「僕だってそういうつもりじゃないんだけどね。ま、平和でいいんじゃない」
「誰か来るんですか?」
「お前の分だよ。そこに座って。お菓子を貰ったから食べよう」
「はい? なんで俺に?」
 ゼロは面食らってレオンを見つめた。レオンもまた、不思議そうな顔でゼロを見返す。
「一緒に食べたいから」
「臣下ってのは、一体……」
 この王城には糧も嗜好品も溢れていて、人に分け与えることを惜しいとも思わないのだろう。僅かな糧を巡って殺し合った貧民街での生活が、断片的に思い出される。
 それにしても、王族と臣下が一緒の卓に着いて同じ器から菓子を摘むことは許されるものなのだろうか。上流階級の常識など知る由もないし、命じられたのだから従うべきなのだろうと、ゼロはレオンに向き合う席に着いた。
 レオンはそれを見て満足げに笑い、焼き菓子を一つ摘んだ。
「僕もそろそろ、臣下の一人や二人持ちなさいって言われてさ。でも、他の人間が連れてくるやつは、なんだか信用できなくて」
 カップの持ち手を弄っていたゼロは、苦い顔をしてレオンを見遣る。
「おかしいでしょう王子様? だからって、盗人を信用できるっていうんですか?」
 頭脳明晰で教養も豊かな王子。そのはずが、どうにも時々発想が飛躍しすぎて心配になる。
 ルビーの瞳が、ゼロの目を真っ直ぐに見返して射抜く。眩暈がした。
「できるよ」
 迷いのない言葉に、意識を絡め取られる感覚に危機感を抱く。魔法とは、魔道書がなくても使えるものなのだろうか。逃げるように、カップの中に視線を落とす。
「……簡単に人を信用しすぎですよ」
「そんなことないと思うけど」
「俺は貧民街の極悪人で」
「僕に塵にされる寸前だった」
「……はい」
 ゼロは観念し、ようやく紅茶を一口啜る。
 レオンの下について彼に従っていくことに異存はない。自分が一体何を恐れているのか、自分でもよくわからないままに、棘のある言葉が口から出ていた。
「レオン様は、俺なんかにも優しくしてくれますね」
「別に。一人じゃ食べきれないし」
 レオンはさほど減っていない焼き菓子を見遣り、もう一つ摘んだ。
「王族貴族の方々は、家来には残飯でも食わせとけって思ってるものかと」
「ゼロさ、思ってたんだけど、言っていい?」
「なんです?」
「お前ものすごく卑屈だよね」
 あまりにも率直な言葉に、紅茶を吹きそうになる。
「だから言ってるじゃないですか。そもそも卑しいんです、俺は。そういう生まれなんで。王子様にはわからないと思いますけど」
「お前の生活の詳しいことは知らないけど、気持ちまでわからないわけじゃないと思う」
「へえ。恵まれた王子様でも、羨望とか、嫉妬とか、わかるんですか?」
 ゼロは躍起になってしまっていた。無礼だろうかとはもはや考えていない。
「よくわかってるよ。王族だからって点では羨望だろうけど、僕の母親は妾だからね。妾の子のくせに自分より偉いのが気に入らないって貴族もいるし。この城には何人もの王子と王女がいて、その中にも順列があって。でも、絶対的なのは第一王子だけ。僕はあの人を羨んで、妬んでる……かもしれない」
 怒りもせずに粛々と語るレオンに、ゼロは居心地の悪さと羞恥を感じた。
「劣等感ですか?」
 不快であろうことを語らせ、申し訳ないと思いながら、またそんなことを口走る。素養がないのだと思う。嫌われて捨てられるのも時間の問題だ。
「そうだよ」
「チラ見しただけですが、第一王子って、結構歳離れてますよね。あっちは大人に近く見えて、あなたはまだ子供に近い。比べたってしょうがないですよ。気にしすぎです」
 慰めようと思ったわけではなく、それはゼロの率直な感想だった。体の大きさも随分と違うのに、妬みも何もあったものではないと思う。
「でも僕は、あの人を追い越さないと……」
 レオンの表情が初めて明確に曇った。他人の困る顔を見て愉しむというゼロの性癖は、誰を相手にでも等しく適用されるわけではない。溜め息を吐いた。自分に対してだ。
「ヘンな事を聞いてしまいましたね。すみませんでした」
「いいよ。なんかすっきりしたし」
 自分を取り巻く状況も、密かな燻りも、城の中の人間に零すわけにはいかない。しかしゼロにならば言っても許されるような気がした。予想外のところに突っ込んでくるから、戸惑うこともあるが彼と話すのは楽しい。冗談のセンスについてはまだ理解できないが。
「それに、僕のこと知って欲しいしね」
 何でもないことのように言ってカップに口を付ける。その落ち着き払った態度にさえ、ゼロの内心は掻き乱される。
「お菓子、全然減ってない。食べないの?」
 不躾なことを言って弱みを引き出し、自分は逃げてばかりいるしょうもない男になお、この王子は食べ物を分け与えようとする。惨めで仕方がなかった。
「……食べません」
 それをありがたいと素直に享受することさえできない。なぜなのか。住む世界が違いすぎるのだと思う。
「なんで? 甘いもの嫌い?」
「嫌いです」
「そっか」
「それだけですか?」
「何が?」
「俺はあなたの善意をムダにした」
「嫌いならしょうがないよ」
 生活が違う。感覚が違う。それだけのことだと認められない。自分は本当に矮小な人間だ。嫌になる。
「じゃあ、お前は何なら好き?」
「……俺の好きなものなんて、どうでもいいでしょう」
 少し前なら金と答えていたかもしれない。今は何なのだろうか。執着を失うというのも、今までにない不思議な感覚だ。
「どうでもいいことなんて訊かないよ」
「……」
 沈黙を破るように、部屋のドアがノックされた。
「失礼します、レオン様──」
 母親からの呼び出しだと、メイドが告げる。
「えぇ?」
 レオンは面倒そうにしながらも部屋を出て行った。
 ゼロは深く息を吐く。
 自分に興味があるのだと、あの夜レオンは言った。
 動物を飼うことと、変わらないレベルなのだろうと思う。手を差し出すことも、糧を与えることも、野良犬を手懐ける程度の。いや、かつての知り合いには、鼠を可愛がっていた者がいた。
 そういった偏屈な人間も、確かにいるということだ。王子ともなれば、普通のペットには飽きてしまったのかもしれない。
 焼き菓子に手を伸ばし、口に放り込む。
『だからって、盗人を信用できるっていうんですか?』
『できるよ』
 会話の一端を反芻する。少年の顔を、真っ直ぐな瞳を、あの時感じたものを思い出す。口の中の塊がぐずりと崩れて形を失う。甘い。視界が滲む。
(何を考えてる。俺はペットだ)
 そんなものを必要とするほどに、寂しい子供なのかもしれない。年上ばかりの周囲の人間は皆が皆レオンに傅く。兄弟とも親しいようには聞こえなかったし、母親は子供を呼びつけるのにもメイドを使う。
 ゼロには物心ついたときから両親はいなかったが、一般的な親子の姿がわからないわけではない。レオンの口から聞く限りでは、彼ら母子には妙な距離があるように思えた。ゼロが未だレオンの母親に会ったことがないというのがその最たるところだ。
 もう一つ、焼き菓子を口に押し込む。
 レオンが戻ったら、甘いものは嫌いではないと訂正しよう。

 広間では、王族貴族たちのパーティーが行われている。
 何かの祝い事なのかとレオンに訊ねたところ、特に理由はないが定例行事なのだという。本当に違う世界に来てしまったのだなと、行き交う人々を眺めながら思う。
 レオンは母親と共にパーティに参加しており、ゼロは暇つぶしと実益を兼ねて会場横の廊下で人間観察をしていた。
 来賓関係者の胸章をつけているため、特に不審に見られることはない。同じように主を待つ従者らしき人間は、他にも散見された。
 ガロン王は好色家で、何人もの妃がいると聞く。この会場に男を連れずに入っていく婦人方のどれだけが該当するのかと、下衆な思いを巡らせる。
 ただ、当のガロン王は今日のこの会には参加していないらしい。数年前にとある王妃が死亡して以来豹変してしまい、遊宴に姿を現す機会も減った、とはレオンの談である。
 老いぼれ、子供連れ、悪趣味──当然ながら、皆上等の衣装を着て健康そうな容貌をしている。世の中には、こういった種類の人間もいることは知っていた。今更憤りも何もない。ただ、自分が彼らとごく近い位置にいるのがやはり不思議だった。
 しばらくそうしていると、レオンがこちらに歩いてくるのが見えた。襟と袖にふんだんにフリルを寄せたブラウスに、繊細な金糸刺繍の施された黒いジャケットを羽織った姿は、まさしく王子然としている。
「キレイな御人形さんが、俺なんかに何の用で?」
 単なる軽口のつもりだったが、レオンが明らかに傷ついたような顔をしたことに気付くと、甚く動揺するのがわかった。本当に自分は懲りないと思う。
「ちょっと、疲れちゃってさ。こんな服だって、もう脱いでしまいたいよ」
 ゼロは苦笑した。
「いけませんよ、そんなこと俺の前で言っちゃ」
「?」
「なんでもないです」
 と、ゼロはドレスを着た婦人がこちらに近付いてくるのを目に留める。一目で双子と分かる、身なりの良い少年を二人連れている。レオンより多少年上だろうか。
「ご機嫌よう、レオン王子」
「ごきげんよう」
「今日は、お母様は?」
「来てますよ。会場の中で話し込んでます。僕は少し休憩を」
 婦人とレオンが話している間、ゼロは双子の少年から痛いほどの視線を感じていた。おそらく、好意的でない傾向の。卑猥な冗談の一つでも言ってやりたいところだったが、さすがに場をわきまえて我慢する。
 見返してやると、素知らぬ顔で目を逸らされた。父親の姿が見えないところからして、彼らもガロンの子供なのだろうか。
「──それでは、また後ほど」
 三人の姿が小さくなると、レオンはゼロを見上げた。
「ヴィクトル王子と、ヴァレリー王子。一応、僕の兄に当たるみたい」
「やっぱり双子で?」
「うん。二人で一つみたいに、いつも一緒にいるね。彼らを見てると、別々の母親から生まれたきょうだいたちって、半分同じ血が入ってるだけの、ただの他人なんだなって思う」

「レオン様、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
 通り掛かった夫妻がレオンに軽く挨拶をする。レオンも応じる。
 夫妻は挨拶だけでその場を離れたが、これではレオンの気も休まりそうにない。
「少し、外に行きますか?」
「うん。そうしようかな」
 柔らかな表情で笑う、レオンに釣られて口元を緩めながら、ゼロはその態度に違和感も感じていた。
(外に行きたかったなら、最初からそう言えばいいのに)
 些細なことではある。
 廊下から外へ通じる出口へ歩こうとすると、女の声がした。
「レオン、こんなところにいたのね」
 レオンに良く似た顔立ちの、彼の母親だ。淡い金色の髪を結い上げ、細く白い首筋を露わにして、レオンほどの子供がいるとは思えないほどに若く見える。整ってはいるがどことなく近寄り難いと感じさせる美貌は、硝子細工を思わせた。
「召使いなんかと話してないで早く戻って。ご挨拶させたい方がいるの」
 レオンはぴくりと眉を動かしてゼロの手を握った。柔らかに絡み付く感触に、ゼロは驚き硬直する。
「召使いじゃない。ゼロは友達だよ」
 ゼロは一層戸惑い、母親はその顔貌に嫌悪感を隠さない。
 レオンの唇が微かに満足げに歪んだことを、ゼロは見逃さなかった。
「レオン? やめてちょうだい、こんなところでふざけるのは」
 母親の背後に、恰幅の良い中年の男の姿が見える。
「ははは、まだ男の子同士で遊ぶほうが楽しい年頃かもしれませんね。そして、レオン王子はとてもお優しい」
 男に向かってにこりと微笑み掛ける、レオンはまるで天使のようだった。懐いているのだろうか。ゼロは出処のわからない焦燥感に駆られる。
「うちにも、その子とちょうど同じくらいの男の子が居ますよ。次の機会にご紹介致しますね」
 レオンを見据え、眩しげに目を細めて穏やかに笑う男に、ゼロは無性に嫌なものを感じた。反射的に、レオンに握られるままだった手を握り返していた。
「……!」
 レオンの意識は握られた手に集中する。大きくて、少し硬い、褐色の肌の、まだよく知らない手。否、母親の白い手の感触だって、そもそも自分はろくに知らない。
 母親の言葉も男の言葉もまともに頭に入っていなかったが、どうせいつもの当たり障りのない挨拶だろうと思う。
 早く会場に戻るようにと言い付け、母親は男と共に行ってしまった。
 レオンの視線の先に気付き、ゼロは慌てて手を離す。
「……あ、すみません」
「ん。別に、いいのに」

 寒い夜だった。
「ゼロ。これを開けられる?」
 小さな宝石箱と曲がった針金を差し出しながら、期待の篭った紅玉がゼロを見上げる。
「鍵、失くしたんですか?」
「そうじゃないんだけど……」
 針金を使って鍵穴の奥を探るゼロの指先に、レオンは真剣な眼差しを向ける。カチリと音がすると、開いたのかと尋ねるようにゼロの顔を見て瞬きする。
 年相応の子供らしい動作を素直に愛らしいと感じてしまい、ゼロは笑みを殺した。
 蓋を開けると、小箱は細く高い音色を奏で始めた。オルゴールだ。
「ゼロなら鍵がなくても開けられるのかなと思って」
 レオンは満足げに唇を緩めた。鍵開けなど大した芸当でもないのだが、彼にとっては珍しいらしい。それもまた面白いと思う。
「……今の立場であまり披露するもんじゃないのかもしれませんけどね」
「んー、そうかも」
「綺麗な箱ですね」
「昨日、廊下で母上と話してる時、お腹の丸いおじさんが来たでしょ。サヴォワ卿っていうんだけど、あの人はよく僕に物をくれるんだよね。これもそう」
 頭の薄い、鼻の下に髭を蓄えた、太った中年男のことを思い出す。ゼロが漠然と悪印象を抱いた男だ。
「ああ、あのハゲたおっさんですか」
「……っ!!」
 レオンは吹き出しそうになり、慌てて口を押さえた。
「そんなに面白かったですか? ハゲが?」
「っく、くく……やめてよ! 失礼でしょ!」
「仕方ないですよ、ハゲは事実なんですから」
「っ……やめて!」
 こんな風に笑うレオンは今までに見たことがない。ゼロは調子に乗って捲し立てた。人を喜ばせるのは好きだったかもしれない。ここに来る以前のことはもはやあまり覚えていないから、そんな気がする、というだけのことだが。
 レオンは俯いて口に手をやり、声を殺して笑っている。
「俺しかいないんだから、そんなに我慢しなくてもいいのに」
 ようやく落ち着いて、はー、と大きく息を吐く。
「我慢っていうか……だって、大口を開けて笑うなんて行儀が悪いよ」
 ゼロは難しい顔をした。単に育ちが違いすぎるだけなのかもしれないが、どうにもレオンの母親の姿が脳裏を過る。そう長い時間一緒にいたわけではないが、パーティ会場を離れるとあれこれとレオンに小言を言っていて、見ていて気分の良いものではなかった。
「俺はそうは思いませんけどね。折角かわいい顔してるんだから、素直に笑ったらもっともっとかわいいですよ」
「かわいいとか、嬉しくないんだよね。全然」
 照れ隠しのようでもない、素直に不愉快そうな態度だ。男の子に言うことでもないか、とは思う。
「そうですか? 見た目は良いに越したことはないですよ」
 事実だった。力も金もなくとも、外見さえ気に入られれば生き延びる方法はあるとゼロはよく知っている。
「そんなこと、お前に言われなくたって知ってるよ。だから母上だって僕の振る舞いにうるさく言ってくるわけだし」
「……そうでしたね。で、なんとか卿の話でしたっけ。率直に言って、俺はあのオッサンは嫌いですね。なんだか、とっても嫌な感じがします」
 レオンは少し躊躇う様子を見せたが、意を決したように言った。
「……僕もあの人のこと、あんまり好きじゃないんだよね。こんなの貰ってて悪いんだけどさ」
「へえ。昨日にこにこしてたから、てっきり懐いてるのかと」
「僕だってそのくらいはするよ。嫌だからって関わらないわけにいかない人もいるし、みんな自分のために誰かを利用してる。この城は地下街の上に建ってるんだし、ここで暮らすっていうのはそういうこと」
 出会ったときから普通の子供ではなかった。強大な魔道の力と神秘性に慄いた。王族として教育された彼の聡明さに感心した。しかし、今感じるものはまた違う。自分のよく知る汚いものの一端を、別世界の王子であるはずの彼も確かに知っている。彼と自分の視界はさほど違わないのかもしれない。奇妙な感覚だった。
「あの人、娘を僕と結婚させたいんだって。まだ五つの子供なのに」
 年齢的にはレオンも十分に子供なのだが、とても笑う気にはなれなかった。
「そのために母上に気に入られたいようなんだけど、男の身から直接贈り物なんてすると〝角が立つ〟から僕にするんだ。そんな人は他にも沢山いるけどね」
 宝石箱に填め込まれた紫掛かった赤い宝石や豪奢過ぎない細工を見るに、ゼロには、それは決して適当に見繕っただけの代物には思えなかった。あの男が、母親というよりレオン自身に向けて贈ったものに思えてならないのだ。それも結局は彼の娘のためなのだろうし、何がこれほど引っ掛かっているのか、ゼロ自身にもまだわからないのだが──
「僕の価値っていうのは、そういうもの」
 衝撃だった。投げ遣りな口調が、無性に悲しかった。
「……まるで、自分に価値がないみたいな言い草ですね」
「そんなことは言ってない。父上を母上に繋ぎ留める価値。有力者の娘を貰って母上が後ろ盾を得るための価値。あっちからしたら、娘と引き換えに王族の一員になれるって価値。……連れてると見栄えがするって価値もあるみたいだよ」
 ゼロは狼狽する。そんな言葉を引き出したいわけではなかった。
「自分のことをそんな、売り捌かれるだけの物みたいに言わないでください」
 どの口が言うのかとは、自分でも思う。しかし黙ってはいられなかった。
「売り捌かれる、か。そうだね。僕が父上との……王族の子供じゃなかったら、母上は僕をどうしただろう。そもそも生まれてなかったのかもしれないけど」
「レオン様……」
 泥沼だ。フォローもできずに、レオンの口から酷いことをばかり言わせてしまう。人を困らせる話術はあっても救う術など知らないのだ。自己嫌悪と、おそらくは自分の過去への感傷とで、心臓がぞわぞわと打ち震える。
「あなたに付いてる、価値じゃなくて……あなた自身のことを、大事に思ってる人が、きっと、沢山います」
 聡い子供を諭す言葉など持ち合わせていない。それでもレオンの言葉を打ち消したかった。彼が自らを否定する姿を見ていると、なぜかひどく苦しくなる。
「どうしてそう思うの? 親にすら道具にされる僕を。血の繋がりのない人間が、親より僕を想うことなんてあるの?」
 ある、あります、と言いたかった。言えなかった。言ってはいけない気がした。痴がましく、許されない気がしていた。
「みんな、僕に王の血が入ってるから頭を下げてるだけだよ」
 レオンを取り巻く人間の思惑はおろか、その全容すらまだゼロは知らない。それでも、決してそんなことはないと思う。
(あなたはとても素敵な人なのに、どうして)
 ああ、そして自分はどうしてここにいるのだったか。
 追い詰められ、死に損なって、他でもない、彼に拾われたからだ。
「レオン様。あなたにたくさんの価値があることも、それを欲しがる人の存在も認めます。一方、俺には何の価値もない。それでも俺はあなたの傍にいる。……どうしてでしょうね」
「……お前の知識や能力が役に立つと思ったから」
「それだけですか? そんな確からしくないもののために、ならず者だった俺を傍に置いてるんですか?」
「……そうだよ」
 身体の外の空気が冷たい。鼻先が、指先が冷えている。
 すぐ傍らにぬくもりの気配を感じながら、触れる理由を見つけられずにいた。
(めんどくさいね。僕はいつも価値や理由を探して)

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