恋愛をしてみたい

3.

『すまん。あれは間違いだ。悪かった。忘れてくれ』
 文面通りに忘れることができれば、どれだけ楽だったか。
 あまりに刺激的だったのだ。肌の感触、彼のにおい、呼吸、視線、熱。それらを思い起こすと身体の内奥が疼き、あられもない気持ちになってしまう。
 いけないことだとは思っている。しかし、止められないのだ。
「っく……」
 息が荒らぎ、シャワーの水音に混ざって堪えきれない声が漏れる。
『あれは間違いだ』
 いっそ彼に失望できれば、どれだけ良かったか。
 昔からなぜかよく隣にいたのは、わざわざ会いに来ていたのは。
『忘れてくれ』
 その時々のグラディオの顔が、言葉が、フラッシュバックする。
 想い出は甘く重く、苦しい。
「ぁ……」
 恋愛は人を豊かにするという。豊かさとは一体なんだろう。自分は何も知らなかったのだと思い知る。
(こんな惨めな気持ちは初めてだ)
 丸めた背中にシャワーの湯を浴びながらうずくまり、滑る手の中を慰め震えていた。

 ノクトが帰宅するまでにはまだ少し時間がありそうだ、とイグニスはふと目に留まった公園のベンチに腰掛ける。
 余裕があるからといって無駄に時間を潰そうとする性質でもなかったのだが──出口の見えない問題を抱えて、疲れている自覚はある。
 手を繋いで歩く母子の長い影を、なんともなしに目で追っていた。
 幼いノクトがひどく寂しそうに見えて胸が締め付けられるようで、身分の違いを知りながらも寄り添い手を握り、彼の母親のような存在になりたいと願った。
(俺だって自分の母親の記憶はろくになかったのにな)
 恋も愛もろくにわからず、ただ理想の姿をした張りぼてを目指していたのかもしれない。空虚を実感し、唖然とする。
「こーんばんは!」
 高く陽気な声の、間延びした挨拶が頭上から降ってくる。イグニスに親しげに話し掛ける人間など限られていた。
「ああ……プロンプトか」
 プロンプト・アージェンタム。一般家庭の出身で、ノクトと親しくなったのは高校からと聞いているが、付き合いが短い割にノクトが非常に気を許しているため、イグニスも彼なりに親しみを感じている少年だ。
「買い物の帰り? 休憩?」
「まあ、そんなところだ」
 プロンプトは断りもなくイグニスの隣に座る。
「イグニスも、疲れることあるんだね」
「?」
「なんか俺、イグニスってなんでもできる超人みたいに思ってたからさ、こう、疲れたみたいに遠く見つめてる姿なんて意外で」
 新しい発見だとでもいうように、プロンプトの声はどこか楽しげだ。傍目にも疲れているように見えるのかと思うと苦々しい気持ちになるが、口調が優しいためか嫌味な感じはしない。純粋なのだろうと思う。
「……」
「ノクトが心配してたよ。イグニスの様子が変だって」
「ノクトが……そうだな、こんなことでは」
 柔らかな声が、硬質な声の語尾を遮る。
「でもね俺は、俺はノクトと、イグニスと出会ってそんなに長くはないけどさ、シャキっとしてるイグニスしか見たことなかったから、たまにはそういうのもあるんじゃない、別にいいんじゃないのって、思っちゃうけどね」
 力の抜けた、というと言葉が悪いかもしれないが、リラックスした調子でありながら気遣いの感じられる言葉から、ノクトが彼を側に置く理由がなんとなくわかるような気がした。
「……」
 彼になら。しょうもない話ではあるが、彼なら聞いてくれそうな気がする。
「変なことを、聞いてもいいだろうか?」
「なにそれ面白そう! 聞く聞く!」
 プロンプトが身を乗り出したので、都合が良いと声を潜める。
「……プロンプトは、恋愛をしたことがあるか?」
 いわばそれは現在のイグニスの弱みだ。ノクトの友人とはいえそんなものを他人に明かすことなど、冷静な状態の彼ならばしなかっただろう。
 プロンプトは目を瞠る。
「おおっと! そこきちゃいますか!」
 おどけた調子で大袈裟に手振りをするプロンプトとは対照的に、イグニスの口調は静かだ。
「嫌なら話さなくていい」
「嫌じゃないよ。ただ、恋愛をしたことあるかっていうとないから、話せないんだな〜。一方的な恋ならあるんだけどね」
「一方的な、恋……」
 機械のようにプロンプトの言葉を反芻する。
「はっ! まさかイグニスが元気ないのって恋わずらい!?」
 イグニスは視線を前方に落とし、静かに首を横に振った。
「……わからない。恋とはどういうものなのか。今まで興味を持ったことがなかったからな」
「うんん。そっか、確かにイグニスは忙しそうだもんね」
 ノクトと一緒にいる時間が長くなれば、てきぱきと彼の世話を焼くイグニスを見掛ける機会も自然と多くなる。ノクトの家事をこなし、勉強もしつつ、何やら城での仕事もあるらしい。それでいて身嗜みはいつも完璧だ。一体いつ寝ているのか、やはり超人か、などと思っていたが、効率を下げないために睡眠はしっかりとっていると言う。
 人間誰しも一日の時間は平等だ。イグニスはその分、年頃の普通の男子学生のように友達と遊んだり、恋愛をしたりという時間が極端に少ないのだろう。想像するのは簡単なことだった。
「恋のはじめはその人のこと考えたら浮かれた気持ちになるけど、もうちょっとしたらそれよりずっと悲しくてどんよりした気分になる。俺はね。自分なんかには手が届かないんだって、気付いちゃうからさ」
 陽気に見える少年の正直な告白に、翠の視線は密かに泳ぐ。今のイグニスの情況の中に、思い当たるふしが、ないことはない。
「手が届かないなんてことは、ないんじゃないか」
 これはプロンプトに向けての言葉だ。自分に対してそう思えるほど自惚れてはいないはずだ。
「そりゃ、イグニスみたいになんでもできたらね?」
「そんなことはない。……多分もう、相手がいるんだ」
 恋人がいると、グラディオから直接聞いたことはない。しかし俗に噂されていることも事実だろうと思う。一緒にいるときに彼の電話から女の声が聞こえていたことがあるし、寄り添って歩く後ろ姿も見たことがある。あんな男、女性のほうが放って置かないのではないかと実感としても思う。
「ああ……なるほどね。でもさ結婚してなきゃアリじゃない? だってイグニスなんだよ!」
「……」
 プロンプトにとってイグニスは完璧な男だからそんな言い草になってしまうのだが、当人とすれば黙り込むしかない。プロンプトは特に気にしない様子で続ける。
「まあでも、イグニスにも難しいことなんだって思ったら俺の恋も叶わなくてもしょうがないかもってちょっと元気出たよ。性格悪いかな?」
 イグニスは首を横に振る。
「叶わないなんて思ったら、叶うものも終わってしまう」
 この言葉は誰に向けたものなのか。自分は一体グラディオとどうなりたいというのか。
「はは、そうだね。お互いがんばろうね」
 ぽん、と背中を叩かれ、鬱々とした思考も断ち切られる。
「イグニスが元気ない理由は、ノクトに言わない方いい……よね。原因わかったら安心するとは思うんだけど……」
「そうだな。黙っておいてくれると助かる」
「じゃあそうしとく。プライベートなことだからね!」
「ありがとう」
「どういたしまして! ふふっなんだか嬉しいな〜俺、イグニスの相談に乗っちゃった!」
 イグニスと秘密の話をしたんだよと、ノクトに言いふらしたい気もしたが、何を話したのかと追求されるに決まっているので黙っているしかない。本当に秘密の話ということだ。
「……あのさ」
 プロンプトは一瞬だけ躊躇うように眉を顰めた後、口元に手を当て、イグニスに顔を寄せて声を潜めた。
「ないと思ってるんだけど、念のため聞いといていい?」
「なんだ?」
「イグニスの恋の相手って、ノクトだったり……」
「? それはないな」
「だよねー! よかった! んじゃねぇ〜!」
 プロンプトはパァッと表情を明るくすると軽やかに立ち上がり、ひらりと手を振りながら踊るように立ち去ってしまった。
 穏やかな表情でそれを見送り、痩身の影が視界から消えると、再び眉間に縦皺を刻む。
(これは恋愛ではなく、恋……か……)
 恋だ愛だのに興味を持ったのはごく最近のことで、それがどういうものなのかもよくわからないまま、相談相手である友人に劣情を抱いてしまった。正確には、教えられたとか、気付かされたというべきかもしれない。夕日を逆光にして、大きな体躯の黒い影が目の前に現れる。
「イグニス」
「……!?」
 妄想から描き出した幻像かと思ったそれに名前を呼ばれて、ようやく実際にグラディオが目の前にいるのだと理解する。未だその目を見ることが恐ろしくて、厚い胸板にぼんやりと視線を据える。
「時間、あるか? 話をしたいんだ」
 あのメールだけでは納得できない。ノクトやプロンプトに心配を掛けているままではまずいし、直接話し合うべきだろう、とはつい数分前に考えたばかりだ。
 この後はノクトの部屋に行くつもりだったが特に約束していたわけではない。時間は取れる。しかし、話をするといったところでイグニスの考えは全く纏まっていなかった。
「……」
「二人きりが嫌なら、どこか店に入ろう」
 周りに人がいれば間違いは起きないから、と言いたいのだろう。心臓が締め付けられる。呼吸が苦しい。
「今日が無理なら──」
「いや。これから、うちで話をしよう。静かな場所の方が話しやすい」
 心の準備も何もあったものではなかったが、日を改めたところで苦悶の日が多少伸びるだけだと思った。二人きりになることへの気まずさも確かにあるが、内容が内容だ、落ち着いて話をしたい。

 道中グラディオは、本当は今日話をするつもりではなかったのだと言った。たまたまイグニスを見つけ、メールや電話ではまた先延ばしにしてしまいそうだったので、思い切って話を切り出したのだ、と。彼らしいと思った。むしろ、あれからメール一通だけというほうがらしくなかったのだと思う。
 ぽつり、ぽつりと言葉を交わしながら並んで歩く。こんなことも随分と久しぶりに思えて、ただ自分があの事を忘れ去るだけで元通りの関係に戻れるだろうにと思うと、夕日の色がセピアにくすんだ。

「その……この前は、すまなかった」
 イグニスが飲み物を出して向かいのソファに座るや否や、グラディオはテーブルに額が付きそうなほどに頭を下げた。イグニスは狼狽えながら首を横に振る。
「やめてくれ、そんな風にして欲しいなんて思ってない……」
「許してくれるか?」
「許すと、いうか……」
 そもそも怒っていたわけでもない。ただ、忘れろと言われたことがショックで、簡単な文面で告げられたそれを受け容れることもできずにいた。何か言い掛けては口を閉じるということを何度か繰り返すが何も出てこない。他に自分の気持ちに整理をつける方法も知らない。素直に言うしかないだろう。
「忘れられないんだ」
 いっそ直接切り捨てられれば諦められる気がする。そして何も知らなかった頃のように、ノクトのためだけに生きていくのだ。
「間違いだった、忘れてくれと、メールにあったが、俺は……」
 イグニスの声は上ずって震え、烟る睫毛の下の視線は泳ぎ、頬にはあの日のように血の色が差している。
 グラディオはこと色事について非常に感覚が鋭かった。天性のものだ。全てを聞かなくとも、今のイグニスの様子だけで察せられるところはある。
「あれから、お前のことばかり考えるようになってしまった。忘れなければと、思うほど……」
 身を乗り出して、眼鏡のフレームに遮られる表情を覗き込む。
「俺のこと? どういうこと?」
 声はひどく優しく聞こえるが、イグニスはゆるゆる首を振った。
「昔のこと、とか……」
「この前のことは?」
「……」
 イグニスは俯き、耳まで真っ赤にして黙り込んでしまう。ごくりと行儀悪く喉が鳴って、懲りないもんだとグラディオが浮かべた苦笑は自らに対してだった。
 いつかと同じように向かい合わせからイグニスの隣に移動して、赤い耳に唇を寄せる。
「忘れられないんだろ。……俺もだ」
 弾かれたように顔を上げたイグニスの目は見開かれ、瞳が零れ落ちてしまいそうだ。ああ、やっぱりかわいいな。つい笑ってしまう。
「間違いだなんていったのは、撤回する」
「それは、どういう……」
「意外と察しが悪いんだな?」
 自分はとっくに察しがついていながら、グラディオは意地悪く笑う。苛めたいわけではない。ただ、もっといろんな表情が見たいだけだ。
「こういうことには、慣れてない。だが、俺は、たぶん」
 一旦はこちらを向いた顔はまた俯いて、辛そうに眉根を寄せて瞳を揺らす。羞恥からか怯えているのか、歯切れの悪い言葉は泣き出しそうに震えていた。
 心配になって、頬に手を添えて顔を覗き込む。嫌だとそっぽを向きながら大きな手のひらに顔を埋めるように擦り寄せる仕草は拒絶か許容かどちらのつもりなのか。いじらしくて、いとおしくて、体が動き出しそうになるのを懸命に堪えた。
 イグニスは恐る恐るといった調子でグラディオの拳に自らの手を重ね、すぅと目を細めてぽつりと言った。
「お前に、恋している」 
「イグニス……!」
 我慢できなかった。もう少し顔を見たいと思っていたはずが、ぎゅうと抱き竦めて胸に閉じ込めていた。一人でぐだぐだと考え混んでいたが、イグニスにそこまで言わせて今更疑う余地もない。
「俺も」
 辛抱できないとばかりに短く言って唇を重ねた。
 唇の裏側同士が擦れ合うほど深く押し付けられ、滑らかな粘膜同士が吸い付き融け合うようだった。ちゅぱ、と小さな音を立てて唇を離すと、名残惜しいと言わんばかりに唾液が糸を引いた。
「お前のことずっと気にしてたのは、そういうワケばかりじゃねえとは思うけど、この前のも間違いなんかじゃなくて、お前のことが欲しくなって」
 指先に細い顎を捉えて上を向かせ、レンズ越しの瞳を見つめる。濡れた唇に触れれば物欲しそうに微かに揺れたが、まだ与えるわけにはいかない。
「イグニス。俺と恋愛してみる?」
 声は飽くまで甘く鼓膜を撫でるのに、琥珀の瞳は獲物を定めた肉食獣のようにぎらぎらとしてイグニスを射抜く。心はとうに決まっていた。
 真っ直ぐにグラディオを見つめたまま頷いたイグニスに、肉厚の唇は尚も念押しのように揺らめいた。
「後悔しない?」
「……わからない。どうなるかなんて、俺にはわからないから……教えて欲しい」
「ああ……」
 喘ぐように呟き、再び深く唇を重ねた。もう躊躇いも迷いもない。さっきのようにすぐには解放してやらない。腕を回し、腹を擦り寄せ、記憶にこびりついた感触を上書きするように身体中に触れていく。
 イグニスのことを、快楽を得るための道具にはしたくない。あまり負担は掛けたくないから、気の長い話になるかもしれないが、抱き合うよろこびも気の遠くなるような快感も、望み通りに教えてやる。
「ん、む……」
 細い腰を抱き寄せ、小ぶりな尻を手の中に包み込むように鷲掴むと、波打つように体が震えた。特段変わった鍛え方もしていないはずだが男の割に起伏のある肉体の、女とは異なるしっかりとした存在感は、想像以上に扇情的だ。
 気長に行こうと思ったばかりだが、果たして自分にそこまでの堪え性があるのかどうかは疑問なところだった。

「イグニス、甘やかしすぎだ、ちっとはノクトに注意しろ」
「そう思うなら、グラディオから言ったらどうなんだ?」
「お前から言わなきゃ意味ねえだろ!」
 二十歳児の教育方針を巡って、イグニスとグラディオが軽く口論になっている。これは定例行事のようなもので、口調こそツンツンしているが、喧嘩をしているわけではないことはいい加減プロンプトにも理解できていた。
「まーた家族会議はじまった。グラディオとイグニスって、ノクトのお父さんお母さんみたいだねぇ?」
 ところどころ間延びした口調で見たままの感想を述べると、ノクトは地面に付きそうなテンションで気怠げに言った。
「ねーーわ。おっさんは俺とイグニスの間に口挟みたいだけだからな」
「誰がおっさんじゃ」
「反応したやつがおっさんな。だいたい、俺はイグニスの唯一の欠点はグラディオと付き合ってることだと思ってるからな」
「ノ、ノクト!?」
 プロンプトは悲鳴に似た声を上げる。ノクトが二人に大切にされていることは重々承知だが、少し言い過ぎではないのかと、可哀想な一般人は青褪める。一方グラディオは顔を青黒くして声を震わせた。
「テメエ、自分の発言がイグニスにどんだけ影響与えるかわかって言ってんのか……!?」
 これは本当に深刻な問題なのだ。イグニスの気持ちはもちろん本物だと思っているが、しかし彼にとってノクトが別格の存在なのも覆らない事実だ。赤くなって怒るだけでは済まない。
「はー……王子は個人的な感想述べることも許されねえとかつれぇわ〜」
「いいんだノクト。俺たちだけのときくらい、私人として振舞って欲しい。グラディオの発言は少し傲慢だったな」
 ノクトへの優しい言葉とは裏腹に、こちらへ投げられた視線の冷たいこと。グラディオは逞しい肩を落とし、目に見える形で消沈してしまった。
「イ、イグニス……」
「だから俺も私人として言わせてもらうがノクト。俺の淡い初恋を、あまり悪いようには言わないでくれ」
「ブフーッ! ゲホッ! ゴホッ!!」
 丁度炭酸飲料を口に含んだところだったノクトは想定外の場所からのフックを受けて盛大に噎せ返る。
「あぁっノクト大丈夫!?」
「ッハ、きったねーなぁ王子様?」
「はぁ……」
 イグニスは態度の悪いグラディオを一瞥し、飲み物の飛び散ったノクトの服やらテーブルを布巾で拭う。元凶は自身の発言ではあるのだが。

 今日の宿泊はホテルだ。ノクトとプロンプトの二人に充てがわれた部屋に入るや、ノクトはだらしなくベッドに倒れ込んだ。
「はあああ。ないわ……」
 冗談めかすでもなく真顔で淡い初恋だのと吐かした側付に、今日の残りの体力を一気に持っていかれた気がする。
 グラディオとの交際が欠点だと言ったのは単なる軽口で、本気で非難するつもりはなかった。恋愛は自由だ。どうしてなんでも完璧にこなすイグニスがそこだけトチ狂った!? というのが、二人の関係を知ってしまったときのノクトの正直な感想ではあったが。
「イグニスってあんな大胆なこと言うんだね!」
 プロンプトが妙に楽しげなことが、ノクトのテンションを一層下降させる。
「俺、グラディオがめっちゃめっちゃ口説いて、イグニスが折れて付き合ってやってるみたいなイメージだったんだけど、そうでもねーのか……?」
「さぁ、どうだろね〜?」
 プロンプトはいつぞやかの秘密の話を思い出して口許を緩め、しかしハッとして眉を釣り上げた。
「ていうか二人きりなのにいつまでもイグニスの話してるのやめてくれない!?」
「はい、はい」
 わかっているのかいないのか、ノクトは空返事だ。
「はー。グラディオが拗ねる気持ちわかるよ」
「あ? なんでアイツの話になるんだよ」
 自分のベッドに入ってきながら別の男の名を呟いた恋人にノクトは不満げに唇を尖らせ、プロンプトはその幼い仕草に笑みをこぼした。

 もう一部屋ではイグニスがグラディオに軽く説教していたが、当の本人にはまったく堪えていないようだった。
「まったくグラディオ、大人気ないぞ」
「んー? ふふっ……」
 何しろ淡い初恋の相手なものだから、余裕の笑みなど浮かべている始末だ。イグニスは額を押さえて首を横に振る。
「楽しそうな気分を邪魔しては悪いから、今日は何もしないで寝ることにしよう」
「おいそりゃないぜハニー!」
 そそくさと寝てしまおうとするイグニスのベッドに慌てて潜り込み、照明を落とそうとする手首を捕まえて情熱的にキスをした。
「せっかく初々しい気持ち思い出したんだから、しっぽり愉しもうぜ?」
「あまり初々しくはない表現だが、まあ……」

 国内旅行の一日、それぞれの夜は更けていく。

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