1.
喜多川祐介は奇妙な男だ。
「ユースケがいれば、予告状もハッタリが効いたものになるぜ?」
新たな仲間の加入を喜ぶモルガナの言葉に、怪盗団のリーダー・来栖暁は軽口で応えた。
「男ばかりだ…」
内心では祐介を歓迎している。しかしたまには軽口も吐いてみたくなる。彼はそういう男だった。
杏や竜司が突っ込むよりも早く切り返したのは、当の祐介だ。
「ならば、女装でもするか?」
整った面は冗談粧す風でもなく、真っ直ぐに暁を見つめている。
一同は顔を見合わせた。
「真顔やめて……」
少し前から感じていたことだが、祐介は独特のテンポと感覚を持っている。
人より感性が秀でているせいなのだろうか。
***
夜、閉店後のルブランを訪れる者があった。
「すみません、今日はもう閉店で」
(ドアの札、CLOSEDにしてたはずだけど……)
落ちた眼鏡の位置を直しながら、洗い物のシンクから顔を上げる。店の入り口に立つのはモデルのようなすらりとした長身。喜多川祐介だ。
「どうした、こんな時間に……っていうか、こんな時間だからだな」
暁は時計を見遣り、しょうがないなと小さく笑った。
祐介は多少変わってはいるが、真面目で素直な人間だった。出会ったころの険悪な空気が嘘のように、今では二人は親しい友人と呼べる関係だ。そして怪盗団の同胞でもある。
「うむ、終電を逃してしまった。歩いて帰るにも、こう時間が遅いとな」
ここに来るまでにも暫く歩いたのだろう。祐介は抱えていたバッグとスケッチブックを入り口に一番近いソファ席に置き、自分もトサリと腰を下ろした。ゆっくりと『サユリ』を眺められる、彼の特等席だ。
「泊まっていけ。今日モルガナ居ないし」
「家出か?」
「雨の時期が終わったから、外で寝るのが気持ちいいんだと。と、俺が夜に屋根裏で人に会うことが多くなってきたのを気にしてるみたいだ」
祐介は腕を組み、神妙な面持ちで頷いた。
「ふむ……夜な夜な女を連れ込んでいる、と。なるほど居合わせたくはないな」
「誤解を招く表現はやめろ」
確かに協力関係にある人間を招くことはあるが、如何わしいことはしていない──はずだ。
(まあ、祐介にだって見られたら不味いところはあるけどな、川上先生とか)
「照れることはない。年頃だからな」
「お前も同じだろ、なんでオッサン臭いんだよ……コーヒー淹れる?」
「いや、眠れなくなると困る。コーヒーはまた今度にしよう」
「そうか。じゃあ」
水を飲むかと尋ねる前に、祐介は悠々と言った。
「カレーが食べたい」
「えっ」
今からカレーを作れというのか。終電後のこの時間に。
「カレー、食べたくないのか?」
「……わかった、作ろう」
残りは明日の朝食べるのでも悪くはないか、と台所に立つ。
祐介にはつい食べ物を与えたくなってしまう。アジトに置いているスナック菓子だって、祐介のために余計に買ってあるのだ。
(祐介は美味そうに食べるから作り甲斐があるし。多分、それだけ)
「お待たせ」
祐介に一人前、自分の分は少量だけよそって彼の向かいに座る。
「おお、これはありがたい。……いただきます」
祐介は笑みを浮かべると、律儀に手を合わせて一礼した。
大きめに、しかし整った形に一口分をすくって頬張る。
「ああ……こんなに美味いカレーは今まで食べたことがない。新たな着想が生まれそうだ……」
多少大袈裟すぎるが、喜ばれて悪い気はしない。暁は笑う。
「でもそれ、この前も聞いた気がする」
「フフ、空腹は最高のスパイスだな」
「……そうだね」
作った人間に対する褒め言葉ではないが、なぜだか愉快だ。
「で、今日は、デッサンに熱中しすぎたとか?」
「風景をデッサンした後、星を眺めながら考え事をしていた」
「考え事?」
「まあ、いつもの絵のことだな。絵についてゆっくりと考える、良い時間を過ごせた」
「終電の時間に気付ければな」
「うむ……」
二人は屋根裏部屋に移動する。
祐介が腰掛けたソファの隣に、暁もすかさず腰を下ろした。
「おい、お前がそこに座ったら(俺が横になれないだろう)」
「知ってる」
いつかのやり取りを思い出しながら、暁は背凭れに寄り掛かって天を仰いだ。古いソファが軋む。
「はぁ〜あ。今日も疲れた」
「その、すまんな。突然」
「そういう意味じゃない。度々こういうのがあるなら、布団1セット用意しとくかな」
以前祐介が泊まったときにもこのソファで寝てもらったのだった。
「気を使わなくていい。まあ布団派なのは確かだが」
「考えとく」
「……暁。お前には、本当に世話になっているな」
妙に改まった言葉に、暁は仰け反らせていた上体を起こして隣を見る。細い指を華奢な顎に当てる、祐介の横顔は神妙な表情だ。
「別に、大したことしてないだろ」
「いいや、俺はひどく助かっている。だから、お前が喜ぶようなことをしてやりたい」
「喜ぶ……」
祐介は大真面目な顔でこちらを見つめている。
整って、どこか憂いを帯びて、所謂イケメンというよりは美形と呼ぶほうがしっくりくる。
(この状況、女だったら勘違いするかもよ。そんなことは、祐介は考えてないんだろうけど)
彼が大袈裟なのは今に始まったことではない。話を聞いてやろう。
「……例えば?」
真剣な表情を変えないまま、真っ直ぐに暁を見据えて、祐介は言った。
「女装はどうだろう?」
「……」
理解が追い付かない。思わず黙り込んでしまった。
「いや、それ、なんで? 前も言ってたけど、なんで女装!?」
祐介は変人なので仕方がない──果たしてそういう問題なのだろうか。
「駄目か!?」
「駄目、ていうか……人の趣味を否定はしないけど……」
暁はもごもごと口籠る。
祐介は理解したとでも言うように頷いた。
「お前の趣味ではないということだな。ではやめておこう。そろそろ寝るか」
隣に暁がいることには構わず、ソファの肘置きに身体を凭れさせる。
「いや、いやいや! 解決した風にして寝るな!」
自分から爆弾を取り出して、投げっぱなしで寝るとは何という男か。
祐介は暁に上腕を引かれるまま、面倒そうに姿勢を直した。
「……なんだ」
「もしかして、祐介もメイドデリバリーとか怪しげなバイトをしてるとか」
「メイド? お前はそういうものが好きなのか? そういえば竜司からもその手の話を聞いたな」
「いや! それには込み入った事情が」
余計なことを口走ってしまった。
「ふむ、バイトか。なるほど」
狼狽える暁を無視して、祐介はブツブツと呟きながら取り出したスマートフォンを弄る。
「夜の短時間で高時給……これなら絵を描く時間も充分……」
嫌な予感がしてスマートフォンを取り上げる。画面には、如何わしい求人ポータルサイトが表示されていた。
「いけません! 怪しいバイトはリーダー権限で禁止!」
「えーーーっ……」
祐介の声は静かに、しかしはっきりと抗議の意思を含んでいる。
「だいたいこれ、未成年不可だろ。バイトするならコンビニとか健全なのにしてくれ」
メイドは冗談としても、祐介のルックスがあれば夜の仕事など引く手数多であろう。しかし彼は、頭は悪くないが人擦れしていなさすぎる。悪い想像しかできない。
「ううむ、コンビニは拘束時間の割に時給が」
(うーん……)
暁は額に手をやって小さく唸った。何度も思い返すことだが、祐介は少し変わっている。それは彼の個性だし、そんな彼の言動の全てを追求していてはキリがない。
とはいえ先ほどの遣り取りから、看過できない危うさを感じて仕方がないのだ。
「あのさ、祐介」
「なんだ」
「なんで、女装をするだなんて言い出した?」
「姿だけでも女の方が、お前も張り合いがあるだろうかと思ってな。屋根裏に連れ込むのだって、そのほうが格好がつくだろう」
祐介の表情は大真面目だ。本気なのだろう。しかし暁の聞きたいことは違った。
「そういう意味じゃなくて、俺が引っ掛かってるのは、祐介にとって女装は身近だったのかってことだ。俺だったら、人を喜ばせるために女装しようなんて思い付かない。
お前の近くには、それで喜ぶ人間がいたってことか?」
そんなことを暴いてどうするのかとまで、考えたわけではなかった。ただどうにも気になって、すっきりしないのだ。
「うむ。先…斑目の取引相手に、そういった嗜みの人間が何人かいたな」
「……」
冷めた横顔を見つめる、暁の膝の上に握った拳の中が、嫌な汗でじわりと濡れる。
嗜みとはどういうことなのか。祐介は何をさせられていたのか。追求すれば祐介は傷付くだろうか。どうということもないように、真顔で真実を話すのだろうか。
これはきっと次に否定される運命の、下衆な妄想に過ぎない。
「嗜み、って」
「少年を愛でる趣味だろうな」
「それって、祐介……」
感情を押し殺したような、掠れた声。俯いた暁の表情は、眼鏡に阻まれて祐介には伺い知れない。それでも、穏やかな心境でないことは明白だった。
「はっきり言おうか。俺は斑目の客の相手をしていた。性的なことだ」
「なんだよ、それ……!」
祐介の身体をソファに押し付けて揺さぶる、暁の瞳に今宿るのは明らかな
怒りだった。ギラギラと金色に揺らめいて、今にも〝力〟を解放しそうだ。
祐介は驚きに目を見開き、すぅと細め、そして微笑した。
「……美しいな。お前は」
溜め息混じりに言った、祐介の表情は、至って穏やかだ。
「何だと?」
「お前は静かな夜のようでいて、激しい炎のようでもあって……美しい人間だ、と感じている」
「今はそんな話じゃ」
「俺の過去だ」
「?」
「過去は消えないし変わらない。お前は俺の過去に共鳴して怒ってくれた。俺は今、そんなお前と共に居られることが嬉しい」
細く長い腕に誘われるまま、暁は薄い胸に額を押し付けた。
祐介にとっては過去でしかない。斑目は裁きを受ける。今更自分が憤ることではないのだと思う。それでも痛い。苦しくて仕方がない。泣きたい気持ちだ。
「祐介……お前、やっぱり変だ……」
「軽蔑したか?」
「違う……」
「俺は受け流して耐えていた。お前たちは正義感に駆られて行動し、俺を助けた。性分の違い、それだけだ」
ぽん、ぽん、と祐介の手が暁の背中を撫でる。
実際に辛い目に遭ったのは祐介だ。なぜ自分が悲しんで、慰められているのだろう。
「すまんな。お前がそれほどショックを受けるとは思わなかった。……やはり俺は、少しズレているようだ。本当は、お前を喜ばせたかったのにな」
ひどく疲れている。このまま眠ってしまいたい──衝動に抗って、暁は祐介に預けていた身体を起こした。
「いや、俺から突っ込んだことだ。それに、祐介のこと、知れて良かった」
***
畳敷きの広間の中心に、着物を着て唇に紅を引いた美しい少年が座らされている。それを取り囲むように、ニヤついた顔をした中年の男たちが胡座をかいている。
男たちは好き勝手に批評・批判をしながら少年の手足を引き、着物を剥ぎ取り、白い肌を蹂躙していく。力の無い指は震えながら、天から垂れる糸を手繰るように宙を掻く。
艶やかな黒髪の隙間から覗く瞳は、諦めの色をしてこちらを見ていた。
「祐介……!」
目を見開いて飛び起きた、景色は一転、いつもの埃っぽい屋根裏だ。
(夢、か……)
或いは、眠りに落ちる寸前の妄想だったか、どちらもさほど変わりはないのかもしれない。
あれから数日、夜になるたびに祐介のことを考えていた。
過ぎ去ったことだ、今の祐介は不幸じゃない、そんなことはわかっている。
どのように扱われ、どこまでのことをさせられていたのか。
奴隷のように手荒く扱われていたのか、或いは優しい人間もいただろうか。
そんな人間のことを、好きになることもあっただろうか。
最初は何歳だったのか。
どんな声を、どんな顔をしていただろう。
意外と愉しんでいたのだろうか。
身体を丸め、息を荒げ、粘つく手の中を慰める。
思惟は消費されるためだけの、下品な妄想だった。
『本当は、お前を喜ばせたかったのにな』
あの日の最後の祐介の言葉だ。
(お前は間違ってなかったよ、祐介)