四茶抄

1.お大事に

 昼の明るい光の射し込む屋根裏部屋に、穏やかな物腰の少年が二人。
「皆で勉強したから、今回のテストは良さそうだ」
 暁は眼鏡の奥の瞳を機嫌良く細める。喜ばしいのはテストの結果ではない。
「そうか、よかった」
 祐介は淡々と応え、断わりもなくベッドの上に腰掛ける。暁はその隣にぴたりとくっつき、細い背中から骨ばった脇腹へと腕を回す。
 彼らはそういった──特別な関係だった。
 腕の感触を無視するように努めながら、祐介が口を開く。
「今日は、話があってな」
「話? 何?」
 暁は眼鏡を外して祐介の顔を覗き込み、ちゅ、と唇に軽いキスをした。本当に話を聞く気があるのだろうか。
「暁、何か良いことでもあったのか?」
「何で?」
「妙に、嬉しそうなのでな」
 暁はパチパチと目を瞬かせる。眼鏡のない、そして怪盗の姿でもない彼の素顔は普段より幼い印象だ。
「そりゃあ、祐介に会えたら嬉しいよ? テストもやっと終わったんだし」
 秀尽はテスト期間長すぎる、もっと圧縮してくれていいのに、と続くのを聞き流しながら、祐介は俯き奥歯を噛んだ。
 自分に会うだけでそんなに嬉しいと言ってくれるのか、否、無論その先の展開への期待も多分に含まれていることだろう。それらを思うと、大変に言い出しにくい。
「祐介? で、話って何だ?」
 難しい顔をしているな、とは思った。しかし彼に対しては考えるより直接訊く方が早いと、いい加減学習している。
 微かに眉を寄せたなだらかな額に指で触れる。髪の一房を指先で遊ぶ。早く話を終わらせてその先にいきたくて仕方がない、といった様子だ。
(会って話すよりチャットで済ませるべきだったか……)
「話、しないのか?」
 暁は祐介のニットの端を捲り、その中に頭を突っ込んだ。
「くふっ! 暁、くすぐったいぞ」
 すー、はー、深く呼吸する音が聞こえて、祐介は膨らんだニットの中を怪訝に見遣った。
「暁?」
「祐介のにおい、久しぶりだ」
「……匂うか?」
「くさいとかじゃない。でも、祐介のにおいっていうのがある」
「そうなのか……」
 神妙な面持ちの祐介を見上げ、暁は少し考えるように目を瞬いた。そして探るように言う。
「祐介、今日は、したくない?」
「その、実は……暫くできない」
「えっ…」
 大きな表情の変化ではないが、驚きと、幾ばくかの落胆が見えた気がする。不甲斐ない。本当に情けないことだ。祐介は自己嫌悪に陥っていた。
「どっか、怪我したとか?」
 祐介はもぞもぞと座り直しながら、視線を泳がせ、照れるような、苦しいような、なんとも言えない表情をする。
「怪我、というか……察してくれ」
「ざっくりしすぎだろ! ……ええと、つまりストレートなところ?」
「うむ」
「……痔、とか?」
「……」
 肩を落として項垂れ、不幸のどん底のような暗い表情になってしまった祐介の背中を、暁はぽんぽんとさする。
「そんな落ち込むなって、重い病気じゃなくて良かったよ! てかそれって割と俺のせいなんじゃ」
「そんなことはない。暁から無理矢理にされたと感じたことはなかった。とにかく、治るまでは本番は無理だ」
「そうか、わかった」
 言って暁は祐介のズボンのジッパーを下ろした。
「おいっ!? わかっていないだろう!」
「わかってるって、挿れなきゃ大丈夫だろ?」
「むぅ、まあ、それはそうなのだが……んっ」
 祐介のまだ撓垂れたものを口に含み、柔らかな感触を舌の上で弄ぶ。
 キスや軽い触れ合いだけで形を変えるさまには大層興奮させられてきたが、たまにはこうして欲求を引き出すのも悪くない。
「暁、おい」
 くしゃりと暁の髪を掴んだきり、祐介の息が深く、荒くなる。しばらく相手に触れられなかった、触れたかったのは互いに同じことで、年頃の少年がその気になるのはあまりに簡単だった。
 口の中のものがぐっと大きく硬くなる。暁は顔を上げてニヤリと笑う。
「嫌? やめとこうか?」
「……!」
 愉しむような視線に、頬が、耳が、一層熱くなる。あさましい欲望はもはや無視できるものではなかったが、だからといって言葉も出ない。
「ごめん。嘘」
 拒絶がないのも反応だ。暁からしてみれば、それで充分すぎた。機嫌よく自らの前を寛げ、ベッドの上に向かい合わせに座って腰を摺り寄せる。暁のものも興奮し、既に形を変えていた。
 手の中に二人分の欲望を捉え、上からローションを垂らす。薄く張り詰めた皮膚をゆっくりと伝うそれを眺め、視線を祐介に移した。恥じらいにか、瞳は伏せた睫毛に烟って逸らされる。うつむくのと一緒に、艶やかな前髪が一房ぱらりと落ちた。
 艶やかな光景だ。男にこんな気持ちを抱くなど、彼と出会うまで思いもよらなかった。
「祐介、やらし…」
「お互い様だ」
 暁は濡れた手指で二人の性器を包んで撫でた。明確に上下させるわけではない。全体を濡らして滑らせるように、そしてその感触を愉しむように。
 そこに少し冷たい、細い指が絡みつく。
「祐介…」
「いやらしいか?」
「いい…」
 呼吸混じりに呟き薄い唇を塞いだ。
 心は見えないし、言葉はときどき難しい。
 態度と体はいつでも正直だから好きだ。
「ん……」
 舌を絡め、離し、唇を甘く噛みながら、祐介の指と絡めた指でぐちぐちと性器を愛撫する。手の中を濡れて滑る感触がいやらしく、敏感な場所に感じる脈動と熱はくすぐったくて愛しい。
「あ、ふっ……」
 緩慢な快感を愉しみながら、祐介の薄手のニットの上から見て取れる小さな突起に噛み付いた。
「んっ! あぁ、こらっ…」
 責めるつもりではないのだが、祐介の身体はいやらしいと思う。だからこれは至ってまともな衝動なのだ、とニットを捲り、今度は直接乳首に吸いついた。
「あふっ…」
「っ……!?」
 暁は痺れるような快感に、大きく体を震わせた。祐介の指が、先端の敏感な場所を辿っている。前髪の隙間から見上げた、桜色の唇が弧を描いている。
(お互い様、ね……)
 座った体勢から、いつしかベッドの上に転がっていた。抱き合って体温に溺れ、下半身を扱き合っては「もう少しこのままいよう」と適当なところで止める。
 快感は欲しい。しかしいつまでもこうしていたい。暖かく濡れた感触に沈んで、互いの他に何も感じずにいたい。
 明日も明後日も、会おうと思えば会える。それでもなぜだか終わりを迎えるのが惜しくて、寂しくて仕方ないのだ。
 緩慢な愛撫と停滞を繰り返すうち、暁の腰に脚の絡みつく感触があった。
「暁……その、多分、大丈夫だと思う」
「何が」
「挿入」
「っ…!」
 ぐらぐらする頭を横に振って、暁は強い口調で言った。
「だめだ! そんなことしたらいつまでも治らないだろ…」
 自分自身にも言い聞かせるように。しかし、祐介の行動はあまりに愛しすぎた。
「そ、そうだな、すまん」
「俺もダメ」
「?」
 祐介に自分のものを握らせ、自分は祐介に同じようにする。
「一緒にイこ、祐介」
「ああ…」

「病院には行った?」
「金がない。それに粘膜などすぐ治るだろう……と思っていたのだが、意外と治らなくて参っているところだ」
「じゃあちゃんと病院行こう。これは二人の問題だから、治療費は俺が出す」
 祐介はむっつりとして溜め息を吐いた。
「そう言われそうな気がしたが……何でもかんでもお前の世話になるわけにはいかん」
 カレーやコーヒーやじゃがりこは良くてなぜそこだけ遠慮するのか、疑問ではあったが、彼なりにいろいろとあるのだろう。
「なら俺の金じゃなくて怪盗団の金を使おう。祐介も一緒に稼いだものなんだから問題ないだろ?」
「それは怪盗団の皆のために使われるべきで、俺の尻の問題に使うものではない」
「祐介の尻の問題は怪盗団全体の問題」
「公私混同が過ぎるぞ、リーダー」
 呆れ顔で、そして至極正論で返されてしまった。武器や防具の調達の際、祐介には常に最新で最高級の装備を、他の皆は所持金と相談してそれなりに──とやっていたことが知られたら怒られそうだ。大体、回避とカウンターって噛み合ってなくないか。
「何をぶつぶつ言っている」
「そうだ、タダで診てくれそうな医者を知ってる」
 近くの診療所の女医を思い浮かべて言った。難病を治療する名医なのだから、痔くらいなんとかなるだろう。祐介には無料かのように言ったが、埋め合わせは後でするつもりだ。
 それに、大事な祐介の尻だ。変態の肛門科医よりは女医に見せるほうがまだ心穏やかでいられる。
「医者に診せるだと? ただの痔だぞ? いい、薬を買う金くらい自分でなんとかする」
(ていうか、薬くらい買ってやるんだけどなー)

「とは言ったが……」
 暁と別れた後、祐介は武見内科医院の前に立ち尽くしていた。
 気は進まないが、暁が薦める医者ならば、と思ったところもある。
(内科とあるが……痔は外科では? 体の内側だから内科か?)
「何? 君、患者? ……あなた、どこかで」
 後ろから声を掛けられ振り返ると、パンク風の格好をしたショートボブの女だった。暁に聞いた特徴のままだ、彼女が武見に違いない。以前、おそらくルブランでも見掛けたことがある。
「来栖暁の友人だ」
「彼か。何か聞いてきたわけ?」
 武見は医院のドアに診療中のプレートを出しつつ投げ遣りに問うた。
「その……金がなくても、診てくれるかもしれないと……」
「ったく、人を何だと思って……ま、私の興味を惹くような病状ならね?」
 ちらりと見遣った、長身の少年は後ろめたいことでもあるように伏せた目を泳がせる。
「……いや、やめておこう。技術には相応の対価が支払われるべきだ」
 まだ診せる覚悟はできていなかったし、暁の知人とはいえやはり無料というのはさすがに気が引けた。踵を返すと、服の裾を引っ張られた。
「あなた、ちゃんと食べてる?」
「忘れてなければ」
「病状は?」
「……それは……」
「そうね、中に入って」
 ぐいぐいと引っ張られて診療室に通されてしまった。やる気がなさそうな割に押しの強い女だ、と若干無礼な感想を抱く。
「で、症状は?」
 何でもない、と言ったところで帰してもらえそうにない。そもそもは自分から足を運んだのだから、何も迷うことはあるまい。
 祐介はそれでも迷いながら口を開いた。
「……痔だ」
「……」
 相手は医者だ、さすがに笑いはしないが、それでも面食らった様子はある。
(無理だ、耐えられない、消えよう)
「時間を取らせてすまなかったな」
 淡々と言って立ち上がった少年の細い手首を、武見は慌てて掴む。専門外だったことと、若者には珍しいと感じて黙ってしまっただけだ。
「待ちなさいって。痔だって立派な病気なのよ。ほら、そこに寝る」
「だが断る!」
 細くは見えても男だ、拒絶の意思を明確にした祐介は、武見が腕を引いた程度ではびくともしない。
「お尻から血が出たから痔だって思い込んでるだけでしょ? ちゃんと検査したら違う病気だった、ってこともあるのよ?」
「いや、間違いなく痔だ。思い当たるふしがあるからな」
「……」
 大真面目に言う美しい少年に、具体的なことは問い質さないほうが良いような気がしてしまった。女の勘だろうか。
「ま、いいわ。今回は薬だけ出しとく。他にも気になる症状が出るようだったら早めに受診なさいね? うちに来いとは言わないからさ」
 専門にこだわらず〝町のお医者さん〟としてやっていく覚悟も最近はできてきた。丁度良さそうな薬を見繕い、小さな紙袋に入れて少年の前に出す。
「すまない。金は今度持ってくる」
「いいわよ、私が勝手にしてることだし。……そうね、後でモルモット君に身体で払ってもらうわ」
「モル?」
「来栖君のこと」
「身体で払う……だと……!?」
「大丈夫? ものすごい顔してるけど、安定剤出しとく?」
「いや、平気だ……」
 少年は額を押さえ、ふらふらと出て行ってしまった。本当に大丈夫なのだろうか。
(痔の原因として思い当たるフシ……)
 それに先ほどの剣幕、とまで考えて武見は首を左右に振った。
(患者のプライバシーを勘ぐるなんて、悪趣味よ。やめやめ)

 その日の夜、そろそろ診療所を閉めようかというところで暁が訪ねてきた。
「今日、君のお友達が来たわ」
「え?」
「名前聞かなかったけど、細くて、モデルみたいな綺麗な子」
「ああ、祐介、結局来たんですね」
 暁は安心したような表情をした──ように、武見には見えた。
「知ってるの? 彼の病状」
「ええ。聞いてます」
 表情一つ変えずに言い放つ暁を、怪訝に見返す。
「見せるの嫌がったから、薬だけ出した」
「いくらですか?」
「え? 君も痔なの?」
「そうじゃなくて、あいつ、金持ってなかったでしょう。だからその分を今払います」
 さも当然のように言って財布を取り出す、君たちどういうオトモダチなの、とは思ったが言わなかった。
「……じゃ診察料込み2000円で」
 自分の気まぐれなので代金は要らないと言おうかとも思ったが、このほうが後腐れがなくて良いだろう。体で払ってもらって後々彼に知れたら面倒なことになりそうだ。
「……同い年くらい?」
「同級生です。違う学校ですけど」
「ふぅん」
 何を言っても介入しすぎる気がしたのでそれきりにして、「今日はもう終わり」と聞かせるようにデスクの引き出しを閉めた。
「何かあったらまたどうぞ」
 心なしか広く見える背中を見送って、気怠く溜息を吐く。
(恋愛は自由だけど、もうちょっと勘ぐられないように振る舞ったほうがいいんじゃない? 性少年)

 顛末を知らない祐介は、服のポケットや鞄の底から、部屋中を掻き回して金を探していた。
(暁が身体で払わされる前に、耳を揃えて金を払わなくては)
 あの女医はなかなか積極的だと見た。それに痔が治るまでは暁と本番を致せない。自分には暁を満たしてやることはできないのだ。
(すまん暁、俺が不甲斐ないばかりに……!)
 祐介が絶望的な気持ちで床に転がった頃、暁からのチャットメッセージが届くのだった。

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