共鳴と共生

『あのさ、祐介と話したいんだけど』
 竜司からの個人チャットの文面を、暁は何度も見返して首を傾げた。なぜ祐介でなくこちらに送ってきたのか。
『送り先間違えてないか?』
『え、暁だよな。ビビらせんなよ』
 送信先ミスではないようだが、いまいち意図がわからない。
『なんで俺?』
『祐介と仲いいだろ。俺、あいつと二人きりってあんまねーから、なんかきまずい。祐介だって、俺からいきなり呼び出し食らっても謎じゃね? んで、祐介を呼び出したついでにお前も同席して話を聞いて欲しい』
 祐介と付き合っていることは竜司には明かしていないが、仲が良いことについては否定できない。それは良いとして、竜司がわざわざ改まって話したいことというのが単純に気になる。最近の出来事には、特段思い当たることはない。もしやまたメイドルッキンパーティのようなしょうもない集まりを思いついたのだろうか。
『何の話をするつもりだ?』
『あー……』
 答えに迷っているようで、次のメッセージまでには少し間があった。
『事前に言っといたほういいわな』

 気重になりながら竜司からの用件を伝えると、祐介の返事は気の抜けるくらいあっさりしたものだった。そそくさと日程を調整し、三人は馴染みのファミレスに集合していた。
 四人席の奥側に暁、その隣に竜司、二人の向かいに祐介、と着席する。
「さ、今日は俺の奢りだぜ!」
「ドリンクバーだけどな」
 暁がぼそりと言うと、祐介は静かに笑った。
「ありがたいことだ」
 メニューを広げ、それぞれ食事を注文する。
 竜司はキョロキョロと、落ち着かない様子で言った。
「俺ドリンク持ってくるわ! 何にする?」
「一人で三人分か? 俺も行こう」
「おう、そうだな」
 今日の会合のメイン二人がこぞって席を立ち、暁が一人残されてしまった。
(二人して、緊張してるのか)
 祐介については何も考えていないだけのような気もする。
(ていうか、ドリンク何がいいって言ってないけど……)
 少しすると、ホット用のカップを持った祐介と、透明なグラスを二つ持った竜司が戻ってきた。
「ほい、スプライト」
「サンキュ」
 竜司の定番チョイスといえば炭酸だ。竜司はコーラ、祐介は暖かいお茶にしたようだ。
「本当は、湯呑みでいただきたいところだが」
「ドリンクバーでこだわるなって!」
 着席し、各々飲み物に口を付ける。落ち着いた仕草で茶を啜った祐介は、ふっ、と一息ついて竜司を見据えた。
「で、話とは?」
 斑目のことだとは祐介も伝え聞いている。嫌だったら断っても良いとも。
 チャットでその名前を見た瞬間動悸がして、そんな自分に苦笑が漏れた。何を言われるのか、多少不安ではあったが断る気はしなかった。
 怪盗団の扱う事件としての斑目の件は片付いても、祐介の中には整理しきれないものが滞留していた。それは水を入れた水槽の底の砂のように、普段はさほど意識することはないが、少し掻き混ぜられると途端に視界全体を覆って霞ませる。
 個人的な問題だと思っているから、自分からはこの話を皆に──いくら暁が優しくても──持ち掛ける気はしなかったが、相手から切り出されるのなら別だ。良い機会だと思う。竜司からというのも、率直に興味があった。
「お、おう……」
 竜司は居住まいを正し、わざとらしく咳払いをした。
「その、なんつーか、謝りたいんだよ。俺、あんまり周りを見ねーで物を言っちまうっていうか……大体後になってから『あれ?』って気付くんだけどさ」
 わしわしと金髪の頭を掻く。話すことは決めてきたはずなのに、なかなか丁度良い言葉が出てこない。蒸し返すことで祐介に嫌な思いをさせないだろうかと、気にするところもなくはない。
「怪盗団のターゲット探しのたびに俺、あいつを犯罪者呼ばわりしてたんだよな。『メメントスの小物じゃなくて斑目みてーな犯罪者をやっつけよう』とか、そんな感じなこと言ってたと思う。でもいつだったか、祐介がなんか微妙なカオしたかなって気付いてさ」
「……」
 祐介はカップの中に視線を落として沈黙する。否定はできない。しかし肯定の言葉を口にするのも憚られる。
「鴨志田にはめっちゃ私情入ってたから別モンとして、俺にとっては斑目の件からが人助けって感じだったし、パレスであいつがその……祐介の母親について言ったことが本気でクソだなって思ってさ。正直俺には着想とか詐欺とかってよりも、そっちなんだよ」
 持病のあった祐介の母親が発作を起こした時、斑目はすぐに助けを呼ばずに見殺しにしたと言う。
 竜司は感情を抑えた調子で続ける。
「だから、奴のことは極悪人だと思ってた。俺の家族は母親しかいねーし、俺は単純な性格してるからな」
 短気で単純、絵のモデルとして特に惹かれない、という第一印象だった竜司に対して、祐介の心がぐっと寄ったのは彼に父親がおらず、そのために苦労したという話を聞いてからだった。竜司に負けず劣らず自分も単純だと思う。
 祐介は口を開き掛けて、不意に通路側に向いた暁の視線の先を追った。店員がこちらに料理を運んでくるようだ。先に口を開いたのは竜司だった。
「おっ、やっと来たか」
「うむ」
「お待たせいたしました」
 三人は申し合わせたように無言になって、ポークソテー、ハンバーグセット、鶏竜田揚げ定食(味噌汁付き)を各々の目前に受け取った。カチャカチャと小さな音を立て、フォークや紙ナプキンをカトラリーケースから手元に持っていく。
「いただきます」
 箸を手にした祐介が礼儀正しく言うのに倣うように、二人もいただきますを言って料理に手を付ける。
「……えっと、どこまでいったっけ?」
「竜司は単純な性格してるって話」
 暁は間髪入れずに言った。茶化すつもりではなく、竜司の言葉を繰り返しただけだ。彼の話には暁も同感で、母親の件は本当に惨いと思っている。ただ、蒸し返したところで何が変わるわけでもないし、何より祐介を傷付けては、と思ってその話を二人でしたことはなかった。
 自分が触れ難いところに竜司が突っ込んで行く顛末を、興味深く待っている。自分はおそらく、祐介が思っているほど優しい男ではない。
「そうだ、俺には怒りしかねーけど、祐介はあいつの話題に怒るんじゃなくて困ったような反応するときがあるよな、あんなひでー奴なのに、なんでかなって考えたんだよ」
 祐介はゆっくりと首を横に振った。
「竜司は何も間違ったことは言っていない。斑目は罪人だ。奴は多くの弟子たちを苦しめ、芸術を侮辱した。パレスでの俺の憤りも本心だ。お前たちには感謝しかない」
「まあ聞けって。お前はゲージュツ家だから、そうやって綺麗にまとめたいのかもしれねーけどよ」
「そういうわけでは」
 祐介が何と言おうが自分の言いたいことは言いたい。今日はそのためにわざわざ集合してもらったのだ。
「パレスの中での気持ちは本心だろうけど、現実で考えてることだって嘘ばっかりじゃねえだろ。なんつうか、俺がどうかは知らねーけど、お前ら見てると怪盗モード? パレスにいるときは少し性格変わってる感じがするんだよな」
「なんと……」
 祐介は小さく驚嘆の声を上げる。確かに、暁や真に対してはそれを強く感じていた。自覚はないが、自分も例外ではないのだろう。
「アイツだって、祐介にとっては一緒に暮らした親みたいなもんだったんだろ。俺は自分に被せて母親のことでブチ切れちまってたけど、祐介は母親のことはあんま覚えてなくて、斑目に育てられた記憶のほうがあって、だから恩義恩義って言うのかって、なんか唐突に気付いたっつーか……」
 竜司は自分の父親に対してポジティブな記憶を持っていないし、昔の斑目がどういう人間だったのかも知らない。しかし〝ただ一人の親〟と思えば印象は大分変わる。初めのうち、祐介が頑なに斑目を守ろうとしていたことについても、合点がいくような気がした。
「俺が言いたいこと言ってるだけだから、これが正しいとかは思ってねーよ。家族の形なんて人それぞれでいいだろ、部外者が定規持って知ったような口聞くんじゃねーってのは、俺自身がよく思ってきたことで、お前が奴を憎むんでも嫌いになれないんでも、どっちだってお前が決めればいいだけのことで」
 ゴクリと、大きく喉を鳴らしてコーラを呷る。
「だからなつまり、今まで無神経なこと言ってたかもしんねーから、ごめんな! ってだけだ、よっしゃ俺も食うわ!」
 竜司はフォークでハンバーグを切りながら、大きく口を開けて早いペースで食べ始める。
「そんなに慌てなくても」
 竜司はまだ殆ど食べることができていなかったが、暁も祐介も話に聞き入ってしまって、ろくに食事は進んでいなかった。竜司なりの、照れ隠しなのかもしれない。
 祐介の視線はハンバーグしか見ていない竜司から、自然と暁の方へ向けられる。
「暁、お前はどう思う?」
 祐介は子供のように目を瞬いた。暁は俄かに沈黙する。信頼されている、祐介に影響を与えてしまう自覚があるからこそ、軽率なことは言えない。
「怪盗団の仕事としては、もう済んだことだ。斑目の罪は法で裁かれる。その上であの人をどう思おうが、祐介の自由だ」
 嘘だった。竜司の話が理解できないわけではない。しかし暁は斑目を決して良い風には思えないから、祐介が斑目のことを気にするたび複雑な気分になる。
 幼い頃から斑目に育てられた祐介は、ごく限定的な環境しか知らなかったのではないか。自らを守るために、無意識にそこに適合しただけではないのか。
 暁にとって──恐らく一般的な高校生にとってありきたりな遊びに対して、祐介が「新しい経験をした」「また着想の幅が広がった」と喜んだことがあった。暁はそれを上辺では一緒に喜びながら、心の底は彼の育った環境に対して鬱々として仕方がなかった。
 祐介の礼儀正しさや義理堅さ、素直なところ、のびやかな性格。暁の想像は、単なる邪推なのかもしれない。母親の件、そして盗作という悪行はあれど、子供の祐介は案外とまともに育てられていたのかもしれない。
 わからない。祐介から幼少期の全容を聞いたことは、未だないのだ。結局は暁も竜司と同じく──ベクトルは逆ではあるが──祐介に感情移入しているだけに過ぎない。
「自由、か。お前がそう言ってくれると、救われる気がする」
 祐介は目を伏せながらも、穏やかな表情で言った。そして視線を上げ、手と口を動かしながら二人の遣り取りをチラチラ気にしていた竜司を見据える。
「無論、竜司に対してもだ。おそらくお前が感じた通り……俺はやはり、斑目のことを憎みきれない。そのことで、怪盗団を裏切っているような気がしていた」
「まあなんだ、似たような? 似てねーかもだけど、勝手にいろいろ想像しちまったってだけだ。絶対ありえねーけど、もし自分の親がなんかやらかしたら、俺も多分、間違いだって庇うかなって、思っちまったし」
「ありがとう、竜司、暁。俺は本当に良い仲間を持った」
 一言一言を嚙み締めるようにゆっくりと紡ぎ、祐介は頷いた。竜司の共感を、本当に喜んでいるのだろう。
 真摯に感謝を伝える祐介に対して、自分はどうだ。上辺だけ話を合わせて、当事者でもないのに斑目を許せない。
(痛いよな……)
 参っている。けれどまだ普段通りに振る舞えると思う。
「竜司、いろいろ考えてたんだな」
「あ? 何も考えてねーように見えるってか?」
 祐介はカラカラ笑う。
「考えたというよりは、感じたんじゃないか?」
「おー、そう、そゆこと……いや、褒めてるようでやっぱりバカにしてねーか?」
「そんなことはない。感性は芸術家の財産だ」
「まじか、んじゃ将来ゲージュツ家目指すかな」
 二人が笑っているから、暁も「あはは」と声を上げた。しかし何だか面白くない。竜司に祐介を取られるなどとは思っていない。自分が完全に賛同しきれない方向で、恐らくこの場が纏まってしまうことに対してだ。
「でも、もし斑目が戻ってきて、また祐介の弱みに漬け込むようなことをするなら別だ」
 大人気ない自覚はある。わざわざこんなことを言わなくてもいいだろうに、と思いつつ黙っていられなかった。
「改心したんだし、大丈夫じゃね?」
 竜司は至って軽い口調だ。祐介は同意するように頷き、真っ直ぐに暁を見つめた。
「そう信じているが……なに、また俺が迷うことがあったらお前が正してくれるだろう?」
「ああ。……そうだな」
 賛同しきれなくても、良いのかもしれない。ある程度俯瞰的であるほうが、彼を守ってやれるのかもしれない。祐介はそのことを察して言っているのだろうか。
(はい、二人の世界なー)
 見飽きたといわんばかりに、竜司は残りのコーラを呷って上を向く。今に始まったことではない。斑目を改心させたうえ度々宿や食事を提供している暁に、祐介が懐くことに疑問はなかった。どちらかというと、暁の面倒見の良さのほうが不思議だ。
「……そういやさ、前から思ってたんだけど。祐介が描かれたあの絵がオタカラってことは、斑目はやっぱお前のこと大事には思ってたんじゃねえかな」
「……」
 今度は暁が黙り、ひたすら飲み物を飲む。竜司のように炭酸を一気飲みできないものだから、結構な量が残っていた。
「歪みって言葉は、邪悪、とは違うよなーって、竜司君なりに思ったわけよ。実際どうなのかわかんねーけどな!」
「ふ、そうだな……捉え方も、いろいろあるものだ」
 大きな表情の変化ではないが、祐介は確かに嬉しそうに見える。少し苦しいが、良かったのだろう、と暁は思う。どんなに信頼を得ていようが、自分には今日の竜司のような発想は湧かなかったし、祐介が積極的に話すこともなかっただろうと思うのだ。

 急ぎの課題を思い出したと言う祐介を先に帰らせて、暁と竜司はもう少しゆっくりしていくことにした。二杯目のドリンクを持った暁が席に戻ると、竜司がニヤリと笑う。
「暁。お前はさ、斑目のこと嫌いだろ」
「え?」
「わかるって。顔も声もなんとなく不機嫌」
「……そうか?」
 表に出ているとは思っていなかったので、単純に驚いてしまった。祐介が言ったように竜司の感覚が鋭いのか、あまり考えたくはないが自分がわかりやすいのか。
「でも俺の話最後まで聞いてくれて、祐介にも祐介次第だなんて言って、いやーほんとできたリーダーだわ!」
 気付かれているのなら、不機嫌を隠す必要もない。暁は愛想なく言った。
「……おだててるつもりか?」
「そう怒んなって。多分、育った環境の違いってのは、お前が思ってる以上にデカい。祐介の気持ちはなんとなくわかる気もするけど、春が割に平気そうに見えるのは正直全然わかんねーし……」
 それを言われてしまうと何とも言い返せない。幼い時分から刷り込まれた感覚はなかなか覆らないのだろう、そう想像するのが精一杯だ。
「なんかさ。子供の頃に拾って宝物にした石ころを、他人が『そんなもん無価値だ、捨てちまえ』って言う必要ってあんのかなって。それが爆弾だっつうんなら別だけどよ」
「……なるほどね。竜司って、時々確変するよな」
「なあ、俺スゲーいいこと言ってね? 冷静なのはいいんだけどよ、もっと手放しで褒めてくれてもよくね?」
「褒めてるけど?」
「チッ、まーいいや。今度ルブラン行ったらコーヒー作ってくれよ。ミルクと砂糖入れてな」
「五百円だ」
「世知辛え」
 竜司に対してそこまで腹を立てているわけではない。単に軽口を叩きやすい相手というだけだ。
 祐介が置いていこうとした金は彼のポケットに再び捻じ込んだから、三人分を竜司と二人で割り勘にして解散した。

 ルブランへ帰る道すがら、チャットが届く。竜司だろうかと思ったが、祐介だった。
『暁、今日はありがとう。お前には、あまり面白い話ではなかったかもしれないな』
 祐介にも見透かされていたのだろうか──というよりも、竜司に気付かれて祐介に気付かれないわけがなかった。当たり障りなく返すことにする。
『祐介と斑目の話には興味あるから、同席できてよかった』
『暁。俺はお前を信頼している。俺とは違う感覚を持っていながら、俺のことを見捨てないでいてくれることに、心から感謝している』
 以前にも似たようなことを言われた気がする。同じ思いを共有できる友人も大切だが、自分に求めるものはそれとはまた違う、と。
『祐介が気を悪くしてないのなら、よかった』

 主婦風の二人組がルブランから出て行くのを見送って店内に入ると、他に客はいなかった。テーブル席には飲み終わった二人分のカップが置いてある。
「ただいま」
「おう、おかえり。ったくさっきのおばちゃん達、嫁姑問題だなんだって、そういう話はファミレスでやれってんだよ」
「他にお客は?」
「いねーけどよ、店の雰囲気ってもんがあるんだ。若造にはまだわからんかもしれんがな」
「なるほど」
 暁は気のない返事をして屋根裏に上がり、ベッドに転がってスマートフォンを弄る。惣次郎に言われた単語が、妙に頭に引っ掛かる。
(嫁姑問題、と……)
 検索してみると、発表小町という投稿サイトが出てきた。「配偶者のことは好きだが、相手の親のことがどうしても好きになれない」「夫が義母の味方ばかりして困る」「姑が家のことに口出ししすぎる」などなど、様々な悩みや愚痴が書き込まれている。
(皆、大変なんだな)
 書き込みを読んでいるうちに、なぜだか胸がスッとして、穏やかな気持ちになってきた。安心感なのだろうか。
 竜司に不機嫌に接してしまったことが途端に申し訳なくなって、メッセージを送った。
『今日は感じ悪くてすまなかった。俺もそのうち、割り切れるようになると思う』
 まだ当分無理だろうけど、とは書かないでおく。
 祐介のことは好きだ。しかし祐介の大事にするもの全てを好きになれるわけでもないし、自分の勝手で捨てさせることもできない。
 それで良いのかもしれない。祐介が言うように、二人は別個の人間として求め合っているのだから。

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