──ガタンゴトン、ガタンゴトン
冗長な車輪の音に掻き消され、傍らの寝息は聞こえない。ただ凭れられた肩から伝わる呼吸のリズムが、ゆったりとした時を刻んでいた。
そちらに顔を向けても、預けられた頭が見えるだけで寝顔までは伺えない。それでも穏やかな顔をしているのだろうと思う。もう随分と見慣れているから。
(でも、頭の上までは見慣れてないか)
もう少し視線を向こうへ遣れば、ガラス越しの青灰色の空に、随分と長閑な景色が輪郭を溶かし流れていく。建物は少ないが、木や緑が茂るわけでもない。畑だろうか。
(東京から、まだそんなに離れてないのに)
それは錯覚か、あるいは願望だったかもしれない。景色を見たいかと窓側に座らせた祐介は、とうに飽きて眠っている。
二人がボックスシートに隣り合って座るだけで、この車両に他に乗客は居ない。
途中で停車した駅でも誰も乗ってくることはなかった。
常と違う時間に紛れ込んでしまったようだと言っては近隣の住民に悪いだろうが、しばらく都会の人混みに揉まれていた身には不可思議な感覚だった。
乗り換えを嫌って各駅停車を選んだが、この区間では快速が並走しており大半の人間がそちらを利用する。そして今は混み合う時間でもない。それだけのことではある。
──ガタンゴトン、ガタンゴトン
旅というほど遠くはないが、一人で潰すには長い時間だ。
祐介はまだ眠っている。そろそろ肩が重くなってきた。スナック菓子でも開ければ起きるかと考えたが、止めておく。
他愛ない話、難解な芸術の話、彼の感性による話、チャットの話題の蒸し返し。特に議題を設定しなくても、話しているとあっという間に時間が過ぎる。一方、退屈な時間は長い。
だから今は、このままで良いのだ。
スマホの画面を開いたが、バッテリーを気にしてすぐ閉じた。
変わり映えのしない景色を見たところでここがどこなのか、具体的に地図とは結びつかない。
(前途ある若者だとか、歳をとって落ち着いたとか)
最近のテレビの話題であったか、どこかの飲食店で漏れ聞こえたものだったか、出どころさえどうでもいいような文句を不意に思い出す。
子供だからと蔑ろにされたくはないが、若さを過剰に評価されても困る。
(青臭いガキはそのうち死んで、俺は変わって、祐介も変わるの)
凭れ掛かる重みも生ぬるさも迷いも、いずれ成熟だとか呼ばれる形に変貌して消えてしまうのだろうか。
可能性は恐ろしい。いっそ前途などなくていい。
短い間に人の心に触れすぎたせいで、余計なことを考えてしまうのだと思う。
──ガタンゴトン、ガタンゴトン
アナウンスが次の停車駅を告げるたび「あと何駅」と頭の中でカウントしながら、目的地が近付くことに名残惜しさを感じていた。
今がひどく心地いいから、もうしばらく、できればずっとこうしていたい。
祐介はまだ起きない。気付かない振りを続ければこのままどこまでも行ける。
(どこまでもって、どこに)
(どこにも行きたくない)
座り込んでどこにも行かないで、何にも成らずに二人でいたい。
明るい未来も要らないから永遠に今が欲しい。
呼吸の調子も綺麗な頭の形も肩の重さも変わらないのに、ガラスの向こうは様変わりして、まもなく目的地へ着くとアナウンスが告げる。
少し前までもやもや巡っていた考えは睡眠時の夢のように霧散して、迷わず祐介の肩を揺らしていた。
「祐介、起きて。もうすぐだって」
「ん……なんだ、俺はずっと眠っていたのか?」
祐介は窓の外とスマホの時間を確認して、軽く抗議するような口調で言った。
「いつも思うけど、椅子で爆睡できるってすごいよね」
かと思えば一睡もせずに絵を描いていたりする。極端な男だ。
「起こしてくれれば良かった」
「景色が見たかった?」
「そうでもないが。眠りに落ちれば、時が過ぎるのは一瞬だからな……」
この電車から降りたところで、何かが大きく変わるわけでもない。
ただ安らかに切り取られた時間が終わって、喧しい日常に戻るだけのことだ。