垂れ下がったふくよかな頬に抗わずへの字に結んだ口に、上等な金の煙管をくわえ、紫煙を燻らす。
こじんまりとした、しかし豪奢な作りの部屋で胡座をかく男の名は、伊丹屋左平と言った。齢は五十半ば、仲間内では芝居通として知られている。いかにも高価そうで主張の強い着物と羽織は粋とは言い難かったが、恰幅の良い彼によく似合っていた。
「お待たせしましたね、申し訳ない」
漸く待ち人が来たか、と襖の方を見遣る。
「ほう、これは……」
知人が連れた女形の若衆を見るや、伊丹屋は感嘆の唸りを上げ、ごくりと唾を飲んだ。
何人もの色子を相手にしてきたが、稀に見る絶世の美形である。
髪を結い上げ、目元と唇に紅を引いてはいるが、作り込んだ化粧ではない。素材が良すぎるのだ。
抜けるように白い肌。涼しげな目元にすっと通った鼻筋、薄い唇、それらが完璧な按配で並んだ端正な顔立ちは、男装でも大層映えるように思えた。流し目の一つでもくれれば、たちまち売れっ子になるだろう。芝居小屋を営む友人が「きっと好みだから」と推してくる理由もわかる。
齢は少年と青年の中間に見え、なだらかな曲線を描く頬は女というより中性的だ。
「〝葵〟とお呼び下さい」
若衆は伊丹屋の正面に座り、恭しく頭を下げた。涼しげで落ち着いた声色も、顔に似合って美しい。
伊丹屋はへの字口が一文字になる程度まで口角を上げ、案内役の男に目配せをした。相手はこくりと頷き退出していく。
「さ、顔を上げて。もっとこっちへおいで」
「はい」
伊丹屋は機嫌良く笑って手招きをした。葵は微笑を浮かべて男に寄り添い、その盃に酒を注ぐ。
伊丹屋は酒を呷ると葵の細い顎を捉え、その顔貌をまじまじと覗き込んだ。
「葵、か……。舞台子と聞いたが、見掛けたことがないな。今日の舞台にも出ていなかっただろう」
評判の良い若衆が出演する芝居は好んで観劇している。これほど美しい者ならばそうそう忘れもしないだろうが、どう考えても葵を見たのは今が初めてだ。
葵は憂えるように目を伏せた。長い睫毛が影を落とす、そんな風情も目に快感だ。
「私がこの世界に入ったのは最近のことです。芝居は好きですが、なかなか芽が出ませんで……稽古のほかは、裏方仕事ばかりしております」
「そうなのか? 勿体ない」
葵の頭の天辺から、足の爪先までを舐めるように観察する。譬え芝居が大根だとしても、それを補って余りあるほどにこの男には価値がある気がした。
専業の陰間でも充分にやっていけそうではあるが、本人としては舞台に立ちたいのだろう。ならば、とよからぬ算段をして、伊丹屋はほくそ笑む。
「舞台に立つと、上がってしまいまして……」
葵は困惑したように視線を泳がせる。
若い女形は舞台に出ないときは例外なく男の相手をしているもので、当然堂々として男慣れした者が多い。飽きもせず彼らと遊び続けて来た伊丹屋の目に、葵の態度は非常に新鮮に映っていた。
「今も少し、緊張しております」
葵は恥ずかしそうにして、自らの胸に手を置く。
「どれ」
伊丹屋はその胸元にするりと手を入れた。
「あっ……」
「なるほど、鼓動が早い」
手のひらを滑らせて滑らかな感触を愉しむ。指先にはまだ柔らかな、小さな突起が触れると、ぴくりと身体が震えた。
「んっ」
もう一方の腕は、細い腰を抱いている。
「あ、の……」
震える指が太い手首に絡み付く。力なく抵抗の意志だけを示すそれに、伊丹屋は俄然情慾を煽られた。
「こっちに来たのが最近だって、そんななりをして初めてということはないだろう?」
咎めるように言いながら、にやにやと唇に上る笑みを隠せない。
まだ境遇を問う段階ではないが、今まで色事とは無縁の場所で大切にされてきて、借金のかたにでも売られてしまったのかもしれない。慣れていないのならこの手で躾けてやるだけだ。とんだみつけものだった。
「ま、いい。強引にするのは好きでないのでな」
葵の懐から手を抜いて、再び盃を手にする。葵は着物を整える余裕も無く、伊丹屋に酒を注いだ。
伊丹屋は頷き、葵を見据え、盃を口元に運び
「おっとっと」
「っ……!?」
盃に唇が触れる寸前で器用に体勢を崩し、葵のなだらかな胸元に酒を零してしまった。
「おお、勿体ない勿体ない」
伊丹屋は葵の身体を押し崩し、音を立ててその胸元を啜る。
「あ、の、お酒なら、いくらでも……んっ」
胸を這う濡れた天鵞絨の感触に、葵は小さく震えた。
伊丹屋は丁寧に、執拗に酒を舐め取りながら、若々しい肌の感触を愉しんだ。
「甘い……いい酒だ」
盃にどれほどの酒が入っていたのかというほどにしつこく舐めずり、やがて薄紅の小さな突起を唇に捕らえる。
「あんっ」
強く吸い、舌先でねぶるとそれはすぐに硬くなった。弱く歯を立てると辛抱できないようで、弱く声を上げるのがなんとも愛らしい。触れて欲しいとでも言うように、脚が開いてしまっている。
「いかんなあ、女形がだらしなく脚を開いては……」
咎めるように言いつつ口元を緩め、膝頭から太腿の内側へと手を滑り込ませる。
「んっ」
柔らかな皮膚を味わうように、肉の厚い手のひらがゆっくりと行き来する。指先は脚の付け根の内側にまで触れながら、焦らすようにその先には進まない。
「ふふ、敏感だな。どうして欲しいか言ってみなさい」
薄い唇が震える。その頬は化粧ではなく彼自身の内に燻る熱によって、淡紅に染まっていた。
「あまり、意地悪をなさらないでください……」
いじらしい返事に、伊丹屋は唇の端を吊り上げる。
「苛めて欲しいか、愛い奴め!」
「あぁっ……!」
鼻息を荒くして、いよいよ葵の上に伸し掛かった。声こそ上げるが、青年に抵抗の素振りはない。自分の立場を理解しているのだ。
「んっ……」
薄く柔らかな唇を吸い、甘く噛んで味わう。
歯列を割って唾液を送り込みながら、小さな舌を絡め取り弄んだ。
「ん、むぅ……っ」
手練た男の口吸いは若い男の身体を簡単に昂らせる。身体の中心の強ばりを下着越しに握り込まれると、漏れる声は強請るように甘く上ずるのだった。
「はぁっ……あ、んっ……」
伊丹屋はすっかり葵に夢中になって、首筋に、胸に、と唇を落としていく。
弱く喘ぎながら天井の一点を見つけていた葵は、不意に鋭く瞳を光らせると、自らに貼り付く男の身体を力一杯押し返し、突き飛ばした。
「!?」
予想外の力に伊丹屋が声を発するより早く、天井からその背後に現れた黒い影が、太い首筋に小さな刃物を突き立てていた。
確実に急所を貫いた一撃により、伊丹屋は断末魔も上げずに事切れる。
前のめりに倒れ伏した伊丹屋の背後から現れた黒装束の、頭部を覆う黒い頭巾から赤毛が一房零れていた。葵は見咎めるように整った眉をぴくりと動かしたが、すぐに視線を黒装束の持つ包みに動かす。
紫色の布の包みの中には、巻物が二本。
頭巾から覗く三白眼を見つめ返し、無言で頷いた。
◇
藍色の帳の下に鮮やかな赤い花が咲き、密やかな夜は俄に喧噪に包まれる。
火事場の火を小さく見下ろす小高い丘の、よく葉の茂った木の枝の上に、黒装束が身を潜めていた。腕には未だ〝葵〟の姿をした風間蒼月を抱えており、蒼月の手には今日の仕事の目的であった、布に包んだ巻物がある。
「任務、完了……ですね」
黒装束が頭巾を取ると、炎のように流れる赤毛が夜の風に靡いた。弟の風間火月である。
静かに呟いた蒼月の唇を、火月は噛み付くように奪った。ちゅうちゅう音がするほどに吸って、唇を離すと心底嫌そうに唾を吐く。
「ペッ、ペッ!! あーチクショウ!」
「痛いですよ、下手くそ」
「なっ!?」
「あの方のほうが、ずっと優しくしてくれましたよ」
暗がりの中で蒼月の顔をはっきりと見ることはできないが、至って落ち着いた口調からは、彼に葵の憂いも頬の赤みも残っていないであろうことが伺える。
「ったく、とんだ役者だぜ。兄貴は相手がおっさんだろーが誰だろうがかまやしねえんだよな」
「優しい人が好きです」
「悪かったな乱暴で」
「お前こそ、いい加減慣れたらどうなのです」
「あんなもん、慣れてたまるかってんだ」
「しかし今日は、随分早かったですね」
「おうよ! 俺は勘には自信があんだ。見直しただろ?」
蒼月が時間を稼ぐ間に、火月が巻物を見つけ出す。相手の性癖は調査済みだ、火月が探索に手間取れば、蒼月の身に危険が及ぶことはわかりきっていた。
もっとも、様々な任務をこなしてきた蒼月は、命に関わらぬ情事を〝危険〟とは見なさない。むしろ確実に時間を稼ぐための有効な手段だった。
だからこそ、火月は急がなくてはならなかったのだ。
「調子に乗るものではありませんよ。あの方ももう少しだったのに、おきの毒でしたねえ」
全く他人事のように言う、兄は心底意地が悪いと思う。敵には回したくない存在だ。
「へっ! ざまあみろ!」
火月は遠い火事場に向けて吐き捨てるように言って、木の枝を飛び降りた。
蒼月を抱いたまま、軽やかに着地する。
「火月」
「ん?」
腕の中の蒼月の顔が、月明かりに照らされる。唇に滲む紅が目に毒だったが、表情は優しく笑んでいるようだった。
「お見事でしたよ。……珍しく」
火月の頬に手を添えて導き、唇を重ねる。
「……うん」
深く交わらず、触れ合うだけで顔を離し、火月はぽつりとそれだけ呟いた。
「しかし、ここまで来てそう急がなくても」
結構な速度で駆ける弟の腕に抱かれたまま、蒼月は不思議そうに火月を見上げる。あの場所から離れればそう急ぐことはないから自分で歩く、と言っても聞かないのだ。
「うるせえや、兄貴のせいでムラムラきてんだ!」
自分から唇を吸ったときには怒りしかなかったが、蒼月から唇を寄せられると途端に座敷での姿が脳裏に蘇った。着物を乱し、頬を染め、甘く喘ぐ姿は演技とわかっていても堪らないものがある。
淫靡な光景を振り払うように、火月は強く頭を振った。
急ぐ必要がないといっても、じっくりと衝動を満たしているほどの時間はないのだ。
◇
「ちょっと野暮用があるんで、先に里に戻っててくれよ。すぐ追いつくからさ!」
合流した仲間に巻物の包みを投げると、火月は返事も聞かずに夜の闇に消えてしまった──蒼月を抱えたまま。
仲間達も彼らのことは知っているし、馬鹿正直な火月が嘘をつくとも思わないから心配はしない。その代わり、遠慮もしない。
「あいつ、蒼月と組むようになってから調子良さそうだなあ」
「鼻先に人参ぶら下げられた馬みたいなもんだな」
いやあれは猪だ、発情期のサルだろう、などと下世話な話に勤しむのだった。
<了>