幻日

【R18】三年夏の湘北戦後〜藤真の誕生日を含む夏休みの話。非公式の藤真の誕生日設定をお借りしています。全5話(ナンバリングは0〜4) [ 0話目:3,126文字/2019-08-14 ]

0.

「牧、来月の予定教えといてくれ。特に試合とかならこのマーカーで」
 突き付けられたスケジュール帳とマーカーを、牧は素直に受け取った。試合を見に来てくれるつもりなのだろうか。こそばゆいような嬉しさが込み上げたが、甘い展望は即座に否定される。
「前の日とか会わないようにするからさ」
「そっちか。俺は別に構わないんだが」
 肩透かしを食らったようではあるが、藤真らしくもあった。彼はときに強引に自分の意見や希望を通すが、その範囲について明確な線引きをしている。
「構わなくねえよ。サッカーの代表だったか、大会の期間中セックス禁止とかあるらしいぜ」
「国によって違うんじゃないか? 俺は奥さんや彼女同伴で選手村に入ってるって記事を読んだぞ」
「はいはい。あとこっちのペンで○と×を付けてくれ」
 練習試合も部活以外の予定もたかが知れているから、その日を潰すのはすぐだった。次は藤真と会っていい日に丸を付けるのだが、以前願望を込めて残りの全部に丸を付けて返したら、真面目にやれと怒られたことがある。むしろ藤真のほうが忙しくしているだろうから、彼の都合のいいときに連絡してくれればと思うのだが、それはお気に召さなくなったらしい。
『電話で声聞いたら、どうにかして時間の都合つけたくなるだろ。それってあんまりしたくない気がして』
 互いに優先すべきものがあるのだから、節度を持とうということだ。それにも同意はするが、なにより『声を聞いたら会いたくなる』と暗に言われたのだ、従うほかないではないか。もっとも、以前のようにそのときどきに連絡して会うことも、全くなくなったわけではなかった。

 牧は親の名義のマンションに一人暮らしをしていて、藤真は実家住まいだ。特定の場所で待ち合わせるのではない場合、藤真が牧の家に赴くことになる。今日もそうだった。
 少し前から降り出した雨は瞬く間に強くなり、今は土砂降りの豪雨だ。約束した時間は一応あるが、特に店や場所を予約しているわけではない。天気の様子を見て時間をずらして来るよう伝えようと、牧は藤真の家に電話をするが、もう出掛けたと言われてしまった。
 手帳に予定を付けるようになってからかどうかは忘れてしまったが、藤真は決めた予定を潰すことを好まない。雨が降っている分、早めに出発してしまったのかもしれない。せめて駅まで迎えに行こうと、藤真が到着するであろう時間に合わせて家を出た。
 外はまだ土砂降りの雨で、排水が追いつかずに水の膜ができたアスファルトの上が白く烟っている。風がないのは幸いだが、雨音は喧しく、傘を差していても足元が飛沫に濡れるほどだ。気温は特に低くもないのだろうが、雨のせいで肌寒く感じる。
 駅に向かって歩いていると、途中で藤真に出会った。互いに傘で視界を遮りながら同じ道の同じ端を歩いていたから、見つけるというよりまさしく出会ったという趣だ。
「あれ、牧、なんで?」
 雑音があっても不思議と藤真の声は聞き取れる気がする。しかし相手も同じとは思わないから、牧は少し声を張って言った。
「迎えにきた」
「迎え? オレが傘持ってないならともかく、お前が無駄に濡れるってだけじゃん」
 へんなの、と可笑しそうに笑っている。その通りではある。牧は憮然として言った。
「気分の問題だ」
「意外と合理的じゃないんだよな、牧は。オンオフがある」
「そのまま返す。雨が弱まるまで待ったってよかったんだ。足濡れただろう」
 靴の中のつもりで言ったが、見れば膝下辺りから濡れてしまっている。
「乾かせばいい。……ああ、濡れたままで玄関上がるけど」
「そんなのはどうでもいい。お前が濡れてるのが」
「雨に濡れたからって死んだりしねーだろ。いつ時代だよ」
 それも確かなことで、今更藤真を虚弱と思うわけでもなく、自らの発言の理由を考えると、似たような言葉を繰り返してしまう。
「……気持ち的に、というか」
 ノイズのような雨の中、藤真は牧を見つめ、ぐっと上体を寄せると浅黒い頬に軽いキスをした。
「!!」
 傾けた傘から盛大に雨粒を落とし、余計に濡れてしまいながら、そそくさと元の二人の間隔を取り戻す。
「ほんとひっでー雨。普通の雨くらいだったら相合傘するのにな」
「……」
 油断できない。素っ気ないようでいて唐突に甘くなる、藤真のペースは未だ掴みきれていない。

「濡れたほかも湿気でべたべたするし、もうシャワー浴びるな」
 渡されたタオルで軽く全身と足を拭くと、藤真はすっかり勝手を知ったバスルームに入って行った。テレビを眺めながら待っていると、再び姿を現した藤真はバスタオルを腰に巻いただけの格好だった。
「服着るのめんどくせーし、このまましようぜ」
 返事も待たずにベッドに潜り込み、身に着けていたバスタオルを牧に向かって投げ、悪戯めかして笑う。
「会ってシャワー浴びて即やるとか、愛人みたいじゃねえ?」
「……愛人がいたことがないからわからん」
 とは言ったものの、愛人だって一緒に食事も会話もするだろうと思った。テレビドラマで見た記憶がある。藤真の上に身を乗り出してカーテンを閉めると、下から裸の白い腕が二本伸び、急かすように浅黒い首に絡み付いた。
 抗わず頭を垂れると、触れ合う柔らかな唇も鼻先も冷たくて、思わず藤真の顔の両側を両手のひらで包む。
「寒いんじゃないか?」
「だったら早くあっためろ」
 いかにも責めるような視線と言葉を投げ掛けられながら、身体中の血が沸き上がる。
「そうだな」
 早くこの熱を分け与えてやらなければ。牧は急ぎ服を脱ぎ捨て、藤真の隣に体を滑らせた。

 ひとしきり愛し合ったあとも、相変わらず雨音が聞こえていて、カーテンの端から覗いた外の景色は白んで溶けていた。
「まだかなり降ってる。止むの待ってたら来れなくなってた」
「それならそれで仕方ないだろう。来てくれるのはもちろん嬉しいが」
「ただの雨だろ。台風で電車止まってるとかならやめるけどさ」
「電車が動いてても台風ならやめとけ」
「……」
 藤真は不満げに視線を牧の顔から天井へと背け、牧は藤真の横顔を眺める格好になる。瞼を落として遠くを眺める、詩的な憂いの表情を目にするのは初めてではなかった。
「明日のオレは今日のオレじゃないし、来週のお前も今日のお前じゃない。よほどの無理じゃないんなら、先延ばしなんてしたくない」
 生き急ぐという言葉が頭に浮かんだが、藤真の言わんとすることに対して、果たして正しい自信はなかった。焦りという風でもない。もっと、ずっと落ち着いている。
 二人の思考はときに共鳴するものの、決して同化はしない。意図を勘ぐっても仕方がないと知っているから、牧は思ったままを言った。
「まるでどっか遠くにでも行っちまうみたいな言い方だ」
「そんな予定はないけど、予定してないことなんていくらでも起こる。だからできる限りは、できるうちにやらなきゃって思ってる」
(オレらが二人でいられるうちに)
 遠回しなのかストレートなのか、一体どちらにしたいのかと牧は苦笑する。
 去年の夏以降、藤真は選手兼監督となり、選手としての活動時間は減っている。その点では、二人はすでに半分くらいはそうなってしまったのかもしれない。しかし信じてほしいこともある。
「俺はここから消え失せるなんて考えたこともないぞ」
 藤真は微かに笑っただけだった。
『お前が考えてなくたって、この先どうなるかなんて誰にもわかんないよ』
 そう言われたような気がした。手帳の予定通りに行動しながら、埋まっていない部分についてはきっと何も確からしく思っていないのだろう。それは無計画ではなく諦観だと思う。まだ白く透き通った身体をしたさなぎのような彼が、これ以上傷つかないための。

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