幻日

【R18】三年夏の湘北戦後〜藤真の誕生日を含む夏休みの話。非公式の藤真の誕生日設定をお借りしています。全5話(ナンバリングは0〜4) [ 1話目:12,010文字/2019-08-14 ]

1.

 インターハイ予選・翔陽対湘北戦のその日の夜。家族のいる家に電話を掛けるには、少し遅い時間なのかもしれなかった。
 しかし、と牧は電話の受話器を手にし、今日二回目になる番号を入れる。
『はい、藤真です』
 電話口の声は一回目と同じ女性のもので、おそらく藤真の姉だ。
「あ、もしもし牧ですが」
『ああ、健司なら今日は帰らないみたいですよ』
「えっ? 帰らない!?」
 普段の牧を知るものなら珍しいと感じる程度に、声に明確に動揺が滲む。
 一度目の電話を掛けるのにも相当躊躇したのだ。さすがにそっとしておくべきかとも思ったが、この時点での藤真の敗北は牧にとっても非常に衝撃的で──どうしても様子が気になったし、声が聞きたいと思ってしまった。藤真だって、誰かと話したほうが気が紛れるかもしれない。迷惑ならば好きなだけ罵声を浴びせてくれればいい。それがエゴイズムに近いものであると察しながらも、彼の存在に触れたい衝動のほうが優ってしまった。
 そうして帰宅しているであろう時間に電話を掛けたのだが、まだ帰っていないと伝えられ、しばらく経っても折り返しもないものだから、今こうして二度目の電話を掛けているというわけだ。
 不穏な気配に身構える牧を、続く姉の言葉が打ちのめす。
『ええ、花形さんと一緒にいるって』
「!! そ、そうですか……夜分遅くに失礼しました……」
『いえいえ〜』
 ごく軽やかな姉の言葉に心底狼狽えながら電話を切ると、牧はよろよろとベッドに倒れ込んで眉間に皺を寄せた。
 藤真の姉は、しばしば弟宛てに電話を掛けてくる牧のことを翔陽の部員だと思っている。そのため簡単に花形の名前を出したのだろうが、問題は藤真の行動だ。敗戦のあとで心身ともに参っているだろうに、自分の家にも帰らずに花形の家に泊まるというのか。それは藤真に、いや彼らにとって普通のことなのだろうか。
(いや待て、落ち着け俺)
 泊まるのではなく『一緒にいる』と言っていたような気がする。どちらにしろ帰らないなら同じだろうし、姉の様子からして家族公認のようだった。
「……」
 わかっている、おかしいのは自分のほうだ。今日のことで多大なショックを受けているであろう藤真と、その気持ちを一番分かち合えるのは彼のチームメイトに違いないのだ。副主将の花形と一緒にいることに、一体何の疑問があるというのか。
(俺より花形なのか……)
 当たり前だ、物事に区別をつけろ、そう言って冷ややかな視線を投げてほしい。しかし連絡が取れないことにはそれも叶わない。

 翌日の夜に電話を掛けたときにも姉が出て、まだ帰っていない、帰りは遅くなる、と言われた。折り返し連絡が欲しいと伝え、その日は二度目の電話はしなかった。
 次の日も、その次の日も同じで、藤真からの連絡は一向になかった。
 今日も話せなかったらいっそ直接翔陽へ出向こうか。そう考えながらすっかり指が覚えてしまった藤真家の番号をプッシュする。
『はい、藤真です』
 いつもと同じ文言ではあるが、落ち着いた、大人の女性の声だった。母親だろう。
「牧と申しますが、健司くんは帰ってますか?」
『……牧さん? って、バスケの海南大附属の牧さんでしょう?』
「はい」
 姉と違って、母親のほうは息子の部活動に関心を持っているようだ。藤真が家族にどれだけ具体的な話をしているのかは知らないが、これまでの大会の翔陽関連の記事に目を通していれば、海南や牧といった名前はよく目にするもののはずだ。
『健司は今、ナイーブになってるから、あんまり電話を掛けてきたりとかは』
 言葉を選ぶように話す母親の背後から『いや待て! 出る!』と馴染みのある声が聞こえた。
『もしもし牧!?』
「おお藤真か! なんだ、やっぱり居たんじゃないか」
 連日遅くまで練習している可能性もなくはなかったが、大方居留守だろうと思っていた。なにしろ折り返しの連絡をしてこないのだから、完全に故意に避けている。
『やっぱりってなんだよ、ていうかなんの用だよ』
「どうしてるのかと思って」
『は???』
「しばらく会ってないし、折り返しの電話もよこさないから気になってた」
『だって別にオレは話したいことないし』
 藤真の声は、いかにも不機嫌に地を這うようだ。
「会いたいんだ。いつ会える?」
 ──ガチャッ!!
 思い切り電話を切られてしまったが、藤真の存在を確認できたせいか、案外とショックはなかった。気が変わってしまわないうちにと、間髪入れずに掛け直す。事態を深刻に捉えたらしい母親を遮ったくらいだから、重症ではないだろうし、あからさまな不機嫌も消沈しているよりはずっと安心できた。何度かのコールのあとだった。
『はい、藤真です』
「藤真、いきなり切るんじゃない」
『お前ナメてんの? まだ予選中だろ? 次の相手』
 湘北だ。他でもない、翔陽が番狂わせと言われた敗北を喫した相手だった。
「あいつらを甘くみてるわけじゃない。翔陽を倒したチームだからな」
 ──ガチャッ!!
 言った途端に切られてしまい、思わず吹き出しながら掛け直す。からかうつもりではないのだ。ただあまりに素直で子供じみた反応を示すものだから、つい愛しくなってしまった。目の前にいれば迷わず抱き締めている。
「藤真。練習が忙しくたって、お前に会うのは負担なんかじゃないんだ。逆に薬になるっていうか、気力が湧くっていうか」
『気合い入れるためにやらせろって?』
「そんなつもりじゃない」
『お前さ、オレがお前のこと応援してるとでも思ってんのか?』
 きっと今、藤真はとても意地の悪い顔をしているだろう。そして彼の言う通り、どちらかといえば敵なのかもしれなかった。しかし言うしかないではないか。
「思ってるさ」
『オレの写真でヌいてろバーーーカ!』
 ──ガチャッ!!
「……」
 不貞腐れているのはわかるが、あまりの言われように少し泣きそうになってしまった。しかし電話は掛け直さなければならない。
『しつこい』
「予選が終わったあとならいいだろう? 会いたいんだ。写真じゃなくて」
『……しょーがねーな』
 さほど迷う様子もなく承諾をもらえたことに安心しつつ、予選の最終日の次の日曜に会う約束を取り付けて電話を切った。これで決勝リーグにも気掛かりなく臨めるというものだ。

 インターホンを鳴らすよりも先に、ドアが開いて牧が顔を覗かせた。
「久しぶりだな、藤真」
 驚いたのは出迎えられた藤真のほうだったが、牧もなんとなく驚いたような顔をしていた。玄関に入ると手首を掴まえられ、まだ靴も脱いでいない状態で抱き竦められる。
「会いたかった」
「…っ!」
 口を開いたところで、それを塞ぐように唇を重ねられ、舌を押し込まれていた。戯れるように表面を触れ合わせ、更に求めるように舌の裏に潜り込む。水の滴る音が二人の隙間から零れ、高い鼻から漏れた生温い呼気が頬を撫でた。柔らかな感触の底の攻撃的な衝動には惹かれないこともなかったが、外の熱気を帯びたドアに背中を押し付けられると途端に理性が跳ね戻った。牧の胸を思い切り押し返す。
「そんなにやりてーのかよ。もう玄関に布団とローションとか置いとけば」
 体を縛る腕を振りほどいて一歩進み、ようやく靴を脱いで部屋に上がる。
「別に本当に置けって意味じゃないからな」
 少しずれているところのある男のために、一応付け加えておいた。
「藤真」
「少し涼ませろ」
 屋内に入った時点で外より涼しくはあったが、勝手知ったるとばかりにエアコンのある居間を目指す。牧は細く長く息を吐き、冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。ソファに座る藤真の前のローテーブルにグラスを置き、そのまま床に膝をついて相手を見上げる。
「誤解してるようだが、俺は会いたいとやりたいを同じ意味で使ってるわけじゃない。お前が嫌ならしない」
 藤真は感情を載せない表情でふいと目を逸らし、麦茶のグラスに手を伸ばす。それを口元に運び透明なガラスの淵に唇を付け、傾けて濡らす。小さく喉が動いて、グラスが唇を離れる。長い睫毛の下で遠くを見つめるようだった瞳が、気怠げにこちらを向いた。
「会いたい会いたいって、牧ってそういう感じだったっけ? なんかあった?」
 思わず溜め息が漏れた。
「こっちのセリフだ」
 電話で煽られたように、景気づけに抱きたいなどと思って呼んだわけではないのだ。
「あの日……湘北戦の日の夜、家に帰らなかったんだろう。どこ行ってたんだ」
 ずっと引っ掛かっていた。あれから電話には出ないし、出たとしても家族のいる家では話しづらいこともあるだろうから、会って話をしたかったのだ。無論、単純に顔を見て一緒に過ごしたいと思っていたところもある。
「それ、お前に言う必要あるか?」
 藤真は明確に面白くなさそうな様子で、冷めた視線を投げる。
 あの日、牧から最初の電話があったとき、藤真はすでに自宅にいた。電話に出た姉からその名を聞いて、まず驚いたが、ネガティブな感情しか湧かなかったので帰宅していないことにしてもらった。牧も試合の結果は知っていただろうに、一体どういうつもりで連絡をしてきたのか。人を馬鹿にするような男ではないと知っているが、瀕死の傷を更に深く抉られるようでしかなかった。
 弱り果ててベッドに体を投げ出していると、思考が巡ってふつふつと怒りが湧いてきた。その日の試合への思い、牧への怒り、様々な感情が渦巻いて出口を探していると感じ、花形を誘った。彼はどんなときだって自分のことを拒絶しない。
「お姉さんが電話に出て、花形と一緒にいて帰らないって言われた」
「知ってるならそれでいいじゃんか。……てか、その遠回しな聞き方するの、すげー気持ち悪いんだけど」
 牧は神妙な面持ちでこちらを見ている。心配、不安──彼の思うところを探ろうとするうち、一つの下らない可能性に辿り着く。
「傷の舐め合い。お互い慰め合ってたんだよ。花形、初めは嫌がってたくせに入れたらすぐノリノリになって、すげー激しくて腹に響くみたいでさ。もっとオレの声聞きたいとかいうから、我慢できなくていっぱい声出しちゃった。久々だったしすげー気持ちよかった」
「……」
 牧は呆然とした様子で動きを止めている。藤真は確信を深めながら続けた。
「朝まで寝かせないとかいってたくせに結局二人とも寝落ちしてさ。でも花形が腕時計にアラームセットしてたから時間オーバーになんなくて済んで」
 手首を強く掴まれ、牧の影に覆われたと思うや、キスで言葉をせき止められていた。ソファに肩を押し付けられ、乱暴に貪られる感触から、すぐに顔を背けて逃れる。
「それしかないのかよ、お前」
「藤真……」
 返す言葉がなかった。しかし他にどうしたらいいのかわからないのだ。
「詳しく聞きたくないのか? なに歌ったとか」
「歌った……?」
 相変わらずの牧の表情を認めて、藤真は盛大に吹き出した。
「花形を無理やり誘って、朝までカラオケ行ってたんだよ。深夜のテンションで二人ともおかしくなって、めちゃくちゃに叫んで歌って泣いた。そのうち寝てたけどな。起きたらすげースッキリしてて、次の日は眠かったけど落ち着いてたな」
「……」
 安心したとも言い難く、ただひたすらに困惑しながら、牧は居心地悪く藤真を解放し、二人掛けのソファの空いているほうに座る。藤真の唇は綺麗な弧を描き、目も優しげに細められてはいるものの、瞳は冷め切って笑ってはいなかった。
「ウソじゃん、さっきの。お前にとっては結局会うのはやるってことなんだろ。だから花形とだってヘンな風に勘違いするんだ」
 反論はできなかった。藤真はわざと紛らわしいように言葉を選んで話していたものの、牧が心をざわつかせたのはそれを聞くより前──あの日の二度目の電話の時点からのことだ。
「……心配しただけだ」
 藤真は眉を潜める。牧に悪気などないことはわかっている。むしろ逆だろう。しかし去年の秋から付き合ってきて、何を今更とも思う。
「ウチの部員のことなんて気にしてたらキリないだろ。よそのことは知らないけど、多分他よりオレと花形の仕事が多い分は絡みも多いだろうし。帰るのめんどくさくて泊まることだってあるし、どっちの家の人もオレらの立場を知ってる。心配する要素なんてなんもない」
 おずおずと牧の手が伸びて藤真の右手を掴む。覆い被せ、徐々に指を絡めて隙間を埋めていく。
「お前のことが好きなんだ」
「はっ……」
 会話が成立していない。ごり押しにもほどがある。しかし牧のその言葉には弱いという自覚もあり、ぼうっと熱を帯び始める頭で、そうか、好きだからなのか──と納得しそうになってしまう。
(牧はずるい。そしてオレはちょろい……)
 半ば強引に抱き寄せられて、二人の密度が一気に高くなる。冷房の効いた部屋の中で、牧の体温は魅力的ではあったが、振り切るように体ごと背けた。
「わざわざ言う必要ないと思ってたけど、めんどくせーから一応言っとく。オレは好きなやつだからって全部ぶちまけなきゃいけないとは思ってないし、話す内容も相手も選ぶ。お前がいいってこともあるし、花形じゃなきゃいけないことだってある」
 藤真は以前からそうだった。近しい間柄になっても一部の領域には触れることを良しとせず、その方向や範囲を相手によって区別している。その差異は信頼の度合いではなく、彼との関係性の違いによるものだと、わかってはいるつもりなのだが。
 向けられた背中を抱いて、うなじに顔を埋め、恋人の熱とにおいを帯びた空気を肺に送る。
「ああ、そうだな。……今更それに、不満なんてないはずなんだが」
「切り分けができてないんだろ。性別での区別ができないから」
「……そうかもしれない」
 言ってしまってから、いや、と首を横に振った。藤真に対する花形の存在を懸念したことは初めてではないが、今回不安を募らせたことには明確に原因があった。
「藤真、どうして電話を無視し続けたんだ。花形と一緒にいるって聞いてから連絡取れてなかったんだから、そりゃ心配だってするだろう」
「そんなの、出たくなかったからに決まってんだろ。まだ試合残ってるくせにのうのうと電話してきやがって、それでお前の声聞いてオレが慰められるとでも思ったのか? ……ま、神奈川王者にはオレの気持ちなんてわかんないよな、彼氏ヅラして花形とのこと疑ってたくらいだし」
 迷いも躊躇もなく、棘のある言葉が口をついて出ていた。ソファから立ち上がり、俯いて下唇を噛んだ、表情は牧からは見えない。
 ずっと苛立っていた。呑気に電話を掛けてくるところからも、鷹揚としたいつも通りの牧が想像できて、会って顔を合わせれば今のように──今より更に醜い言葉を吐いていたと思う。牧の試合が立て込んでいるうちに会いたくなかったのは、そのせいもあった。
「……すまなかった」
 あの日コートの上で涙を流す藤真の姿を見ていながら、同日の帰宅時点で吹っ切れていると思ったわけではなかったし、軽い気持ちで電話を掛けたつもりでもない。
(俺だってショックだったんだ、が……)
 しかしそんなものは押し付けにすぎないのだ。「オレの気持ちなんてわかんないよな」と言われてしまった、その通りだったのだろうと思う。
 藤真はローテーブルを後ろに押してソファの前を広くすると、牧の前に膝をついて上体を前に乗り出し、目の前の腰を抱えた。
「おい?」
「お前は無神経なやつで、オレはめんどくさいやつだった。このことはそれでおしまい」
 顔を見せないままでつらつらと言って、牧のズボンの前を寛げると、引っ張り出した性器を口に含む。
「藤真っ…」
 舌を使い口の中で少し撫で回しただけで、柔らかな膚はみるみる硬くなって体積を増し、口腔内を窮屈にした。上目を遣ってぶつかった瞳に、戸惑いはあっても拒絶はない。藤真は塞がれた唇の端を微かに釣り上げた。
 唾液を伝わせて全体を潤し、根元を手指で扱きながら、口内の先端部分をゆるゆると舌で愛撫する。低い呻き、乱れる息、舌を滑らす塩気と脈動と、ときおり震えながら頭を撫でる大きな手。あまりにわかりやすい欲求に気分がよくなって、少し前の苛立ちも失せていくようだった。言葉も気持ちも縺れ噛み合わなくても、いつだって体は素直だ。
「もうガチガチだ」
 小さな唇と潤んだ性器の先端とに粘液が糸を引く。反り返り血管を浮き立たせる赤黒い性器は、傍らの整った顔貌に対してあまりに暴力的に見えた。しかし長い睫毛の縁取る瞳はうっとりと細められ、白い指が逞しい輪郭をなぞる。
「タイミングが最悪だったからイラついてたってだけで、オレだってお前と会ったらやることやりたいんだからな。そこは勘違いすんなよ」
「ああ……」
 藤真は品なくべろりと舌を出し、根元から裏筋を舐め上げ、見せつけるように先端部で舌先をちろちろと動かす。それがどんなに卑猥で魅力的に牧の目に映るか、知った上でそうしているのだ。まんまと劣情を煽られて大きく鳴った喉に、藤真は満足げに微笑し、張り出した亀頭部を再び咥え込んだ。
「っ…!」
「んっ、むっ…」
 太く逞しい男根に歯を立ててしまわないよう、大きく口を開けて受け容れる。鈴口、雁首、男性器の形をしっかり確かめるように舌を這わせるうち、藤真自身もひどく淫らな気分になって、股間に熱を抱えていた。
 えずく寸前まで呑み込んで亀頭で喉を擦り、唇の内側で茎を締め付け、吸い付きながら頭を上げては再び喉を突くように咥え込み──そうして顔を上下させる動作に合わせ、口に入りきらない根元を手指で扱く。
 牧の呼吸が獣のように荒くなって、大きな手は落ち着かない様子でしきりに髪を撫でる。更に深く穿とうとでもするように、腰が前にせり出した。
「んぐっ…!」
 その手は優しいようでありながら傲慢に、頭を包んで押さえつけ、明確にピストンを促す。求められるまま口淫に耽るうち、唾液と体液が混ざり合ってじゅぷじゅぷと卑猥な音を立てた。言葉を発する文化的な器官を犯されている実感と、薄い酸素に酩酊しながら、意識が半透明に白く霞んでいく。
「あぁっ……藤真、出るっ…ウッ…!」
 すっかり余裕を失った、情けない声が好きだった。藤真はうっとりと目を細め、口内に勢いよく注がれた生温い精液を躊躇なく飲み下す。陰嚢から陰茎へと絞り上げて残り汁を吸い出したのはほとんど無意識の行動で、ただ鼻から抜ける青臭さが好くて堪らなかった。
 体を前に傾けて深く息を吐いた牧を見上げ、「全部飲んだ」と舌を出して口の中を見せつける。淫らな仕草に、欲望を吐き出したばかりの箇所が再び疼きだしていた。
「渋ってたくせに、随分ノリノリじゃないか」
「玄関入って即ベロチューってのが嫌だっただけだ。犬かよ」
「犬は嫌いか? 藤真は猫だな。いや、ウサギかもしれない」
 気まぐれなところと構ってほしがりなところは猫だが、驚いたときなどに不意に見せる表情はウサギやリスの系統の小動物を彷彿とさせる。その顔を見るたびに思うので印象は強かった。
「ウサギよりなら猫がいいな。ウサギって喰われるやつじゃん」
「ウサギはかわいい顔して年中発情期なんだぞ」
「人間もそうだろ。……というわけで、オレのもしゃぶって♡」
 芝居掛かって言って立ち上がると、藤真のズボンの股ぐらもすっかり張り詰めていた。牧はそれを撫でると思わず緩みそうになった口元を引き締め、藤真を見上げる。
「ベッドに行こうか」
「はーい」
 行くというほどの距離でもなかった。間延びした返事とともにソファの横に一歩踏み出してベッドにダイブすると、藤真は仰向けの格好で行儀悪く脚を上げ、靴下を脱ぎ始める。
 時間を惜しむようにそそくさと全裸になった牧が横を見ると、藤真は白い腹を出して、寝ながらもたもたとシャツを脱ごうとしている。
「藤真……」
 思わず呟くと、淡い褐色の瞳がこちらを向いた。
「牧って脱ぐのがやたら早いよな。舞台の早着替えみたい」
「むしろお前の遅さが俺には理解できん」
「そんなの、脱がしてほしいからに決まってんじゃん」
 ごく当然のような言葉にも、甘えるような視線にも股間を刺激されて堪らない。男相手は自分が初めてだったというのが不思議なくらいだが、おそらく誰にでもこんな態度を取るわけではないのだろう。
 あくまで紳士的にと思いながら、猫をあやすように藤真の腹を撫でた。セックスを悪いことだと思う性分ではないのだが、藤真の白い肌の上を褐色の無骨な手が這う光景にはいつも背徳的な気分にさせられる。隠していたい、凶暴な雄の本性を煽られるかのようだった。
 まず望み通りにシャツを脱がせ、次いで窮屈そうなズボンと下着を下ろすと、興奮しきった淫茎がぴょこんと愛らしく顔を出す。包皮からすっかりと現れた肉色は滲み出た体液に濡れていて、室内の明るさにぬらりと光った。乾いた指が先端の割れ目を滑る。
「ぁっ…!」
「フェラでこんなになったのか? やらしいな……」
 一方の手で亀頭を弄り回しながら、もう一方の手で藤真の脚に纏わりつくものを全て取り去ってベッドの下に落とす。
「んっ、そうだよ…っ」
 牧は手の中のものを愛おしげに見つめ、頭を垂れると、味見をするように舌先で鈴口を掠めた。焦らしているつもりなのだろうか。藤真は牧の頭を掴まえ、股間にぐいと押し付けて深くまで咥え込ませる。
「オレだって、お前とやりたかったんだ」
(藤真……)
 上ずって震えた藤真の言葉を、現在の行為に対するだけのものとも思えずに頭の中に彷徨わせていたが、じきに呼吸が危うくなって、無理やり藤真の手を剥がし顔を上げた。
「おい、さすがにこれで窒息死するのは嫌だぞ」
「いいじゃん、腹上死」
「八十くらいになったらいいかもな」
「生涯現役だな。…ぁんっ!」
 押し付けられるのではなく、今度は牧の意志でそれを口に含んだ。包み、慈しむような柔らかな愛撫は心地よくはあるがもどかしく、藤真は小さく声を漏らしながら身を捩る。藤真から牧への施しとは対照的なものだった。
 先端も茎もたっぷりと唾液で濡れるほど愛でて、陰嚢までも舌を這わせ、柔らかな丸みを口に含んで緩慢に舌で転がす。恥じらうような、弱い喘ぎが愛しかった。
「っ……!」
 太腿を持ち上げて体を畳むと、陰嚢の後ろの会陰も、小ぶりな尻の谷間の窄まりもすっかり露わになってしまう。何度も体を重ね、もはや初心でないことはよく知っているが、それでも藤真の淡い肌色には無垢な印象があって、その中心で血肉と性を感じさせる器官はひときわ蠱惑的だった。
 尻の丸みを手のひらに包み、柔らかな肌に押し付けた両の親指を外側に開くと、中心に集まった襞が拡がってピンク色の粘膜が覗く。牧はさも愛しげに目を細め、その表面をくすぐり撫でるように舌の腹を行き来させた。
「あぅっ、ぁんっ…!」
 ひくり、ひくりと淫らに収縮するそこに、誘われるまま舌先を尖らせて思い切りねじ込む。ぎゅうとそれを締め付けながら、体全体が大きく波打った。
「んっ、やだ、それキライ……」
「俺は好きだ」
 舌を抜いたのは喋るためでしかなく、止めるつもりはなかった。ことが起こると思えば──二人で約束して会うときには、藤真はしっかりと体を綺麗にしてくる。ならば唾液も汗も前も後ろも大差ないというのが牧の感覚だ。もちろん、あらぬところに顔や口を寄せることへの興奮もある。
 目一杯唾液を絡ませた舌を再び差し込み、締め付ける弾力に抗うようにぐにぐにと中を掻き回してほぐし潤していく。そうしながら前を撫で上げると、堪らない様子で高い声が上がった。
「ぁんっ! あ、あぁっ、んぅうっ…!」
 声も息もすっかり熱を帯び、淫部はしきりに蠢いて、舌を掴まえ奥へと引き込もうとする。残念ながらそう長い舌は持ち合わせていないので、名残惜しくも引き抜くと、物足りないとでもいうように波打ったのが、いかにも卑猥だった。
 潤滑剤を取り出して性急に指に纏わせ、唾液で濡れた秘所に軽く突き立てると、自ら食いつくかのように呑み込んでしまう。
「藤真……」
 散々すげないことを言ったくせに、体はすっかり快楽を知って──思い出して、こんなにも求めているのだ。愛らしくて、愛しくて堪らなかった。
 魅力的な感触ではあったが、互いに早く先に進みたがっているとも感じて、遊ぶよりも目的に集中することにする。指で襞の一枚一枚を撫で拡げ、丁寧に潤し、じっくりと慣らしていく。じき、肉質の弾力は三本もの指を含み、愛液のように潤滑剤を滴らせながらいやらしい水音を立てた。
「藤真、挿れていいか?」
 ぐちぐちと指を動かしながら、上体を前に倒し、首を伸ばして藤真の耳元に囁く。くすぐったさと照れくささとで、藤真は身を竦めながら小さく頷いた。
「ぅん…」
 執拗に陰部を掻き回されていながら、今更拒絶するはずもないだろうに、妙に律儀に問うてくる男のことが愛しくて少し憎たらしくて、胸の奥が締め付けられるように疼いた。急くような動作で指が抜かれ、怒張があてがわれる。
「挿れるぞ」
「ッ、うぅ、あぁぁぁっ…!」
 充分に慣らされていてもそのボリュームは圧倒的で、強引に押し入ってくる熱の塊に藤真は苦悶の表情を浮かべる。張り出した男性の形にゆっくりと、しかし容赦なく抉られていきながら、それがもたらす快楽を思い起こし、体の奥底が疼いた。
「あぁ、牧……」
「久しぶりだな」
 その身の全てを藤真の中に収め、暖かく、窮屈に吸い付くような至上の感触に包まれながら、牧は深く息を吐いて藤真に顔を寄せた。自分を受け容れたあと、眉根を寄せて、少し辛そうにしながら、それでも微笑するいじらしい表情が、堪らなく好きだ。
「うん……そうだね」
 覗き込んでくる深い瞳を見返しながら、ようやく牧と向き合ったような気がしていた。口を開けば不平や戯れ言が出たし、それを物理的に塞がれれば目を閉じた。一体どんな顔をして牧に会えばいいのかと、あの日からずっと思い続けていた。
 しかし今は、軽く触れるようなキスを何度も落とされながら、ただ目を細めるだけでいる。首に腕を回して肌の密度を上げると、繋がった部分も牧の肌も燃えるように熱いのに、優しく温かなものが胸を伝うようで不思議だった。
 牧が首筋に額を埋めてくる。硬い髪が肌を撫でる感触も久しぶりだ。
「藤真……」
 恥じらいなのか、「やたら耳の近くで喋られてもかえって聞き取りづらい」と教えてもその癖は直らないようだった。次に続く言葉も、なんとなく想像できてしまう。
「好きだ」
 耳に直接吹き込まれた響きをじっくりと味わうように、藤真は目を細め、中空を眺めて、牧の髪に指を絡めた。
「オレも。……好き」
 言いたいことを言い終えて唇を塞がれると、じんじんと疼く肉体とは裏腹に、妙に安心した気持ちで目を閉じた。
 舌先で撫で合い、背中に指を遊ばせて、体を繋げたまま一つの塊のようになりながら、ずっとこうしていたいなどと思ったはずなのに、その時間は決して長くはなく、どちらともなく焦れて腰を揺らめかせていた。

 事前の遣り取りとはあまり関係なく、事後の藤真は機嫌が悪いことが多かった。ならばいっそ言いづらいことも言いやすいと、牧はしっとり汗に湿った白い背中を撫で、頬を寄せる。
「試合、見に来てくれてたな」
「はあ〜?」
 予想以上の不貞腐れぶりに、思わず笑ってしまった。
「お前の姿を見掛けた」
「それ幻だよ、きっと禁断症状が出たんだな」
 よくポンポンとそんな出任せが思い浮かぶものだと、可笑しくなりながら頸に唇を落とす。
「仙道のポイントガードはお前の影響なんじゃないのか」
「お前はオレのこと好きすぎなんだよ。田岡監督の采配と仙道の力だろ。しかしほんと、仙道は大したやつだな」
 見に来ていないと言ったくせに、仙道を素直に褒めるところには少しばかり嫉妬しなくもない。もっとも、かの男への評価を否定する気もなかった。
「そうだな」
「でも勝ったのはお前と海南だった。おめでとう、神奈川MVP。全国も獲ってこいよ」
 想像もしなかった言葉に、牧は目を瞠って藤真の背中を抱き締め、肩口に額を埋める。
「ああ……ありがとう」
 ごく簡単に、そう呟くことしかできなかった。他に何を言っても野暮になると思った。
「からの、冬はウチがお前らを倒して全国に行く。これで完璧だな!」
「それには同意できないな」
 明るい声に眉を顰めつつも口元は笑って、牧は抱いた体に覆い被さり、勝手を言う唇を塞いだ。そのまま藤真をうつ伏せにして、耳のふちや首筋、肩に何度も唇で触れる。
「盆あたりは、翔陽も部活休みだろう? そしたら一緒に過ごそう。お前の都合が大丈夫なら、誕生日も」
「大丈夫だけど、牧にしちゃ気が早いな」
「早めに予約しておかないとな」
 他のやつに予定を取られる前に、とは喉の奥に飲み込んで、藤真の腹の下に腕を潜り込ませ、細い腰を持ち上げた。脚の間に、自らの下腹を擦り寄せる。
「牧? ……まじで?」
 呆れた様子ながら、抵抗はなかった。案外と寛容な恋人の柔らかな谷間に、牧は遠慮なく貪欲な昂りを撫で付ける。
「禁断症状が出てたんだ、取り戻さないと。なあ、いいだろう?」
 口では許可を請いながら、股間のものは意気揚々と再びそこに入ろうとしている。
「いいけどっ、ちゃんと──」
「わかってる」
 牧は慣れた動作で再び潤滑剤の容器を手にし、たっぷりと藤真の谷間に注ぐと、自らの男根をそこで扱くように擦り付けて濡らした。
「あっ、あんっ…」
 粘液が敏感な箇所を伝うだけでも堪らないというのに、しきりに入り口を擦る熱く硬い感触に焦らされて、つい求めるような声が漏れてしまう。
「あぁぁあっ…!」
 挿入されてしまえば中はまだ弛緩してねっとりと濡れていて、肉茎の動作に対して簡単に反応を示し、中毒症患者を存分に悦ばせるのだった。

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