牧と藤真の三年の夏は、数々の波乱とともに過ぎた。
九月には彼らが〝冬の選抜〟と呼んだウインターカップの神奈川県予選が行われ、この年も海南が勝ち進んだ。その本戦を目前にした、十一月のことだ。
『すまん藤真、風邪ひいちまった。明日のデートは無しだ』
「風邪!? だっっせぇ! 自己管理がなってねえな!」
『……そうだな。体は丈夫だと思ってたんだが……』
反射的に軽口の調子で言った藤真だったが、返る声の弱々しさに眉根を寄せた。これまでに聞いたことがないくらい、非常に消沈した様子だ。体調も悪いのだろうが、ウインターカップまでそう遠くない時期のせいもあるかもしれない。大会が迫るなか体調を崩したとなれば、少なくとも自分なら自己嫌悪に陥ると思う。
「なに、いつから?」
『周りで風邪が流行ってて、少し前からうつったり治ったりと引きずってる』
「無理して練習出てるせいだろ。ちょっと完全に休んで治したほうがいい」
大会を意識しながら練習に出ないのは牧にとって辛いことだろうが、充分な休息がなければ体力も回復せず、治ってもまたすぐに風邪に罹ってしまうだろう。
『なんか、医者みたいだな』
「ダテに監督やってねえよ。熱は?」
『今日は調子悪くて、三十八度あった。薬は飲んだし寝れば治るだろうが、さすがに明日は』
落ち着いて話しているようだが、やはり落ち込んでいる様子が窺える。
「よし、仕方ねえから明日お見舞いに行ってやるよ」
『いい、うつると困るだろう』
「大丈夫、オレ風邪の抗体持ってるし」
『なんだそりゃ。そんなもん』
「いいから気にすんなって!」
牧の言葉に被せるように言いきって、電話の受話器を置いた。
第一声を聞いた後には、オレらを負かして勝ち進んだくせに風邪なんてひきやがって、だらしねえ、たるんでるんじゃねーのか、と軽口を続けるつもりだった。しかし弱りきった牧の声を聞くうち、そんな気はすっかり失せてしまった。
体が弱れば心も弱くなる。藤真にも身に覚えのあることだ。それから、牧が参っているという状況は非常に珍しい気がしたのだが、今までは自分たちの──翔陽のことで精一杯で、単に気づかなかったところもあるのかもしれない。
(ま、たまにはオレのほうが大人ぶったっていいじゃん?)
◇
風邪の抗体などあるはずもないので、しっかりとマスクをして、途中のドラッグストアで必要そうなものを買った袋をぶら下げ、藤真は牧の部屋のインターホンを押した。
──ピンポーン、ピンポーン
「牧ー、来たぞー」
合鍵は持っているが、牧が居ることがわかっていながら勝手に上がるのもどうかと、一応声を掛けた。しかし眠っているのか、反応がないので結局合鍵を使って部屋に入ることにする。
しばらく調子が悪いような言い方だったから、散らかっていることも覚悟していたが、玄関もダイニングキッチンも前に来たときとそう変わらず片付いていた。
ひと安心したのもつかの間、居室のドアを開けると、目に飛び込んできた光景に思わず悲鳴のような声を上げていた。
「牧っ!!」
腰にバスタオルを巻いただけの裸の体が、ベッドの掛け布団の上にうつぶせに倒れ込んでいる。どう見ても意識を失った風だ。藤真はぞっとしながら、がっしりとした肩を乱暴に揺さぶった。
「ばっ、おいっ、牧起きろ!」
「う、うん……ふじ…藤真!? もうそんな時間か!」
「時間とかどうでもいいだろっ! なんて格好で寝てんだ!」
部屋の中は暖かいとはいえ、風邪をひいている人間の服装ではない、というか服を着ていない。チェストから牧の寝間着と下着を適当に持ってきて投げつける。
「オラ、とっとと服着ろ!」
牧はのろのろとした動作で体を起こしながら、不思議そうに藤真を見上げ、言おうとしたこととは違う言葉を口にしていた。
「マスクしてるの初めて見た」
「風邪うつんないためにしてきたんだから、外さないからな」
顔が見たいと言われても困るので予防線を張っておく。しかし牧の発言は予想外のものだった。
「マスクで顔隠してると、目もとの綺麗さがものすごく際立つな」
「……あー、ブスでも美人に見えるってやつな」
「美人はもっと美人に見えるぞ」
「てか、とっとと服着ろよ!」
「そうだ藤真、なんでそんなに怒ってるんだ?」
ついマスクに気を取られてしまったが、そもそもそれを言おうと思ったのだ。
「風邪ひいてるくせに裸で寝てるやつがいたら、怒りたくなると思うんだけど?」
加えて自分の立場を理解していないかのようなのんびりとした調子だ、苛立つのも仕方ないだろうと、藤真は秀眉を吊り上げた。
「仕方ないだろう、寝ちまったもんは」
牧はあくまで悠々と、藤真の怪訝な視線の先──自らの腰のバスタオルに目を落とす。
「ただの朝勃ちだ、気にするな。……気になるようなら鎮めてくれてもいいぞ」
バスタオルをめくろうとすると、藤真の視線が恐ろしく冷ややかなものになったので、大人しくパンツを穿いて服を着込んでいく。
「普通、熱あるとき風呂入るか?」
「お前が来るんだ、何が起こってもいいように綺麗にしておかないと」
そう思って荒れていた部屋も急いで片付け、ゴミ出しもしたし、シャワーを浴びて髭も剃った。その結果、風呂上がりに力尽きて倒れたのだ。
「看病に来たんだから、それ以上のことは起こらねえよ!?」
まるで返事をするかのようなタイミングで、牧の腹からギュウウと苦しげな音がした。
(タイミングいいやつ……)
藤真は脱力し、ふっと息を漏らして苦笑した。案外元気そうなことへの安心感と、倒れている牧の姿を見たとき、一瞬ではあるが、本気で焦り心配した気持ちの行きどころのなさと。
「今日なんか食った?」
「まだなんも」
「お粥あるけど食べる? 食べたくない?」
「食べたい」
即答だった。空腹なのは確かだが、もしそうでなかったとしても、藤真が何か用意してくれると言うなら迷わず食べたい。「オッケー」と軽い調子で頷いた天使はキッチンに消えたが数分後、電子レンジの音がして、おそらくは粥の入った器をトレーに載せて戻ってきた。
「できたぜ」
「熱そうだな」
牧はいかにも期待した様子で湯気の立ち昇る器と藤真を交互に見るばかりで、差し出したトレーを受け取ろうとしない。望みはわかっている、今日のところは優しくしてやろう。
「仕方ねえなぁ。今咳したら殺すからな」
藤真はまんざらでもない様子でマスクを顎の下にずらすと、粥をすくったレンゲにフーフーと息を吹き掛け、牧の口もとに持っていく。
雲間から太陽が覗いたようだと眩しげに藤真の顔を眺めながら、牧は嬉しそうにそれを口に含んだが、即座に眉間に皺を寄せた。
「はっ…! 熱っっ! ……も、もうちょっと冷ましてほしいな」
「わがまま〜」
言葉とは裏腹に振る舞いはごく素直なもので、今度は四回息を吹いて食べさせた。
「うん……ちょうどいい」
牧は目を細め、満足げに頷く。
「んじゃもういっちょ」
「ああ……うまい……」
牧があまりにしみじみと言うものだから、藤真は思わず笑ってしまった。
「どんだけ腹減ってたんだよ」
さらにひとくち、牧の口に運んでやる。
「いや、腹も減ってたが……」
それだけではない。なんともないように藤真と会話してはいるものの、体調が悪いのは事実で、常にはない体の怠さと、頭に熱気を帯びたもやが掛かったような感覚がある。そうして弱っているときに藤真に優しくされていることが、非常に滲みているのだ。至福と言っていい。
「そろそろいいだろ」
藤真はマスクを元に戻し、顔の下半分を再び隠してしまう。
(マスクの藤真もこれはこれで……なんとなくドキドキするな……)
牧は満足げな様子で器とレンゲを受け取り、残りは自分で平らげた。藤真はそれを見届け、空になった食器をキッチンに置きに行くと、水を入れたグラスを持って牧のそばに戻る。
「薬飲んどけ、あと体温も測っとくか」
ローテーブルの上に出しっぱなしの薬と体温計を目で示す。
「ん」
牧は素直に薬を飲むと、体温計を胸もとから服の中に入れ、腋の下に挟みながら言った。
「藤真知ってるか? フランス人は尻の穴で体温測るらしいぞ」
「で、牧は実はフランス人だからケツに体温計突っ込んでほしいって?」
「そういうわけじゃない」
「じゃあ言うなよ」
下らない話をしていると、さほど経たずに体温計の電子音が鳴る。
「三十七度三分。三十八度ないと全然楽な感じするな」
牧はいかにも楽観的に言ったが、藤真は首を横に振る。
「そうやって油断するから治んねーんだろ。微熱があるんだから大人しくしとけ」
「微熱って言葉、なんかやらしいな……」
藤真は何も聞かなかったかのようにキッチンへ行って戻ってくると、冷たい水で濡らしたタオルを牧の額に載せ、満足げに笑った。
「よし、だいぶ看病感出たな!」
得意げな藤真が非常に可愛らしく思えて、病んでいるはずの牧も楽しくなってきてしまう。
「看病って、他になにすればいいんだ? 部屋も片付いてるし、体拭くとか? 風呂入ったんだからいらねえよな」
牧は大真面目な顔で首を横に振った。
「いや、体拭いてくれ」
「なんで?」
「人間は寝てるときコップ一杯分の汗をかくんだぞ」
「なにさっきから、雑学おじさんみたいな。絶対エロ目的だろ。まあいいや、病人だから優しくしてやるよ」
「ハロウィンのときのナース服が洗って取ってあるんだが」
「着ねえよ! ったく、調子乗りやがって。だいたいあれ使い捨てじゃね? あんなペラペラの嘘くさい」
「なに言ってるんだ、嘘くさいほうがエロいじゃないか」
「わざとだったのかよ……」
雰囲気があれば細かいことは気にしないのかと思っていたが、逆にこだわりだったらしい。まあいいや、と小さくぼやいて藤真は何度目かのキッチンに歩いた。
体を拭くために湯で濡らして絞ったタオルを持って戻ると、牧は上半身裸になっていた。
「……拭かれる気満々だな」
「ああ、拭いてくれ」
「顔は自分で拭いときな」
タオルを渡し、エアコンの温度を少し上げる。牧は顔を拭きながら気持ちよさそうに呻いた。
「あ゛〜……!」
「おっさん……」
タオルを取り返し、首から胸、腹へと、褐色の肌の、美しく引き締まった筋肉の隆起を堪能しながら、大切な彫像でも磨くように丁寧に拭いていく。手指の先から肩に掛けても同じようにした。清拭の正しい順序も方法も知らないので、思いついたままだ。
「ああ、気持ちいいな」
藤真の想像した通り、下心由来の提案ではあったのだが、清涼感があって想像以上に気持ちのいいものだった。そして多少辿々しくても、藤真が甲斐甲斐しく自分の世話を焼いている状況が嬉しい。一方的に面倒を掛けたい思いなど普段はないのだが、今日くらいは許してほしい。
「人がいるっていい……」
「風邪くらいならいいけど、倒れても誰も気づかないもんな、一人暮らし。案外やばいな」
「でも春からは俺もひとりじゃなくなるから安心だ」
高校を出たあとはふたりとも東京の大学に進むことになっている。利便性もあるし、当然私的な理由もあって、ふたりで一緒に住もうかと初めて話をしたのは夏の終わりのころだった。
幸せそうに目を細める牧とは打って変わって、藤真は表情を動かさず、素っ気なく言った。
「そうだな、とりあえずは」
「とりあえず!?」
「いいと思ってたのに、一緒に暮らしたらゲンメツとか結構あるらしいぜ」
「脅すのはやめてくれ、俺は病人なんだぞ」
病は気からというのは本当だと思う。牧は体調の急激な悪化を感じてぶるっと身震いし、額のタオルを押さえた。
(むしろオレのほうが幻滅されないか心配なんだが。お育ちが違いそうっていうか)
藤真は牧の腕を持ち上げて腋の下を拭く。
「そこは別にいいんじゃないか?」
「いいわけねーだろ。……もしや、恥ずかしがってる?」
機嫌をよくし、執拗に牧の腋窩をタオルで拭き、そして凝視した。
「そんなに見ないでくれ」
牧は恥じらって強引に腕を下ろしてしまった。
「ちんぽは見せつけてくるくせに?」
「ああ、それはむしろ見てほしい……」
「まだ早えーよ、背中拭くから裏返って」
ズボンを下ろそうとした牧の手を掴んで咎め、うつぶせになるよう促す。
「裏がえる……」
牧は額のタオルをサイドテーブルに置き、のろのろと藤真に背中を向けた。
広い背中に、藤真は白いタオルを滑らせる。無防備に向けられるそれに、つい抱きつきたくなってしまうが、その先の展開が簡単に想像できるのでやめておく。
「よし、上半身終わり」
言うや否や牧は仰向けに姿勢を戻し、促してもいないのにズボンを脱ぎ捨てた。わかっていたことだが、体の中心は盛大にテントを張っている。あえてそれに一切のコメントをせず、藤真は牧の膝を立てさせ、太腿から膝、脛、足と拭いていった。
藤真が牧に奉仕している格好ではあるが、体を投げ出してされるがままになっている牧の様子がそこはかとなく愛らしく感じられ、案外と楽しい。
「よし、下半身も終わり!」
「パンツの中がまだだぞ」
「オレはそういうサービスをしに来たわけじゃない」
「腋の下を拭いて股間を拭かないのはおかしい」
牧は真面目な顔で、いかにも正論だと言わんばかりだ。確かにそうなのだが、牧の目的もよくわかっている。藤真は渋々といった体で頷いた。
「チッ、仕方ねえ」
窮屈そうにしているボクサーパンツを脱がすと、自由を奪われていた男根が、不調とは思えない様子で元気よくそびえ立つ。見慣れたものとはいえ──否、だからこそ、そんな状態を見せつけられて不埒なことを考えるなというのも無理な話だった。
「拭くっつってもなあ……」
下着に覆われていた下腹部と、太腿の内側から脚の付け根を普通に拭き、陰嚢をタオルに包んでやわやわと撫でる。続いて陰茎をタオルに包んでみたものの、それを握った手を上下させるしか思いつかなかった。
「ああ、藤真……大胆だな……」
「お前が拭けって言ったんだろ!」
ちらちらと牧の様子を窺いながら、どうしたものかとタオル越しの亀頭部を手のひらでくるくる撫でる。決して薄くない布越しにも牧の熱が伝わってくるようだ。
「藤真、服脱いで、こっちに尻を向けて俺を跨げ」
「はっ? なんでっ!?」
「そんな嫌がらなくたっていいだろう。この前だって、お前が上になってシックスナインしたじゃないか」
「いや、お前体調は……」
「だからじゃないか。俺が寝たままでもエロいことができるように、顔騎(がんき)みたいにしてほしい」
「顔騎言うなっ、通じねーからっ!」
「通じてるじゃないか。病は気からっていうだろう、お前がサービスしてくれたらきっとすぐ元気になる」
「元気になるのは下半身だろ」
「男の健康は下半身からだぞ」
「なんなんだよさっきから……」
仕方なさそうにしながらも、藤真は素直に服を脱ぎ始める。
「ふ、藤真……!」
自分で要望しておきながら、こうもあっさり受け容れてもらえるとは思っていなかった。今日の藤真は本当に優しい。天使だと思う。
「ソックスは何色だ?」
「グレー」
「そうか、なら脱いでいいぞ」
「お前さあ、その歳で白ソックスフェチなのなんでなんだよ?」
「好みに年齢は関係ないだろう」
「……パンツも脱ぐんだよな?」
「当たり前だ」
「マスクは外さねえよ?」
「ああ、わかってる」
藤真は衣服も下着も靴下も脱いで、マスク以外は全裸になった。さすがにおかしい格好ではないかと思ったが、マスクを外して風邪がうつっても困る。牧からは顔が見えない体勢になるのだ、さほど気にすることでもないだろう。
「よっ……と」
リクエスト通り、牧に尻を向ける格好でベッドに乗ると、牧が体を上にずらしたため、藤真の顔は牧の股間よりもう少し下の位置になった。
(どのみち今日はマスクがあるから舐められねえし……)
タオルの掛かったままの性器を再び手の中に弄ぶ。
牧は枕に肩甲骨を乗せるようにして頭を上げ、藤真の尻と股ぐらを背後から至近距離で眺める格好だ。白く小ぶりで可愛らしい、ふたつの小山の狭間に、恥じらうように閉ざされた蕾が見える。そのまま割れ目に視線を沿わせて下へいくと、ふっくらと愛らしい陰嚢がぶら下がっていた。
「ああ……いい眺めだ……」
うっとりしたような声とともに、敏感な箇所に熱く湿った息を感じ、藤真は身をすくめる。行為の際に幾度も見られている場所ではあるが、凝視されるとやはり恥ずかしい。
「お前、熱でキマってんのかよ?」
「そんなことないと思うぞ」
「じゃあもう本格的にガチホモだな」
「いまさらじゃないか?」
「いや、顔が好きとかはまだ納得するけど、男の股を見て喜んでるのはっ…ぁんっ!」
両の手で左右の太腿から尻へと撫で上げると、敏感に反応して白い体が波打つ。
「お前は尻も玉もセクシーでかわいいぞ」
大きな手で双丘を掴まえ、明確に快楽をもたらすように、指先をいやらしく蠢かせながら揉みしだく。
「はぁっ、んっ…んぅっ…」
悶えながら、細い腰が揺れるのが堪らない。誘っているようにしか見えなかった。蠱惑的な陰部に、鼻先に体温を感じるまで顔を近づけ、ふんふんと鼻を鳴らす。
「っ! やだっぁっ…!」
牧の動作の意味を理解して、藤真は赤面する。牧の手は相変わらず下肢を動き回っている。
「藤真、石鹸のにおいがするな。ちゃんとヤる気だったんじゃないか」
「お、オレの体臭はせっけんのにおいなんだよ、知らねーのかよっ」
「それは……確かにそんな気も……」
藤真の希望もあって、基本的に体を綺麗にしてから行為にいたるため、あまり体臭を感じたことはなかった。それでも、藤真も自分と同じにおいがするのかと知って密かに嬉しくなった事象もあるのだが、当人からは歓迎されない話題に思えるので黙っておく。
尻肉を両横に割り開き、露わになった秘所に唇を押しつけ、音を立てて何度も吸いつく軽いキスをした。
「あっ! やだっ、あんっ…!」
すっかり熱を帯びた体は、些細な刺激にも敏感に感じてしまう。大胆な行為への羞恥心もあるだろう。牧はそこを空気に晒し、ぴちゃぴちゃと音を立てて舌の腹で撫で回す。粘膜が誘うように蠢いた。
「ふあ、ぁあっ…、やめっ…」
尖らせた舌を突き立てると、ひくりと収縮して求めるように舌を引き込む。体と裏腹な言葉もまた愛おしかった。唾液を送り込みながらぐっと奥まで舌を差し込み、弾力の強い肉の狭間をぐにぐにと好き勝手に蠢かせ、濡らし、ほぐしていく。あるいは音を立ててキスをして、さも旨いもののように啜った。
「あぅ、あぁっ、ばかぁ…」
藤真はもはやタオルを取り去って、牧の陰茎を直接手指で扱き、撫で回していた。ただ、状況の恥ずかしさと自由のきかない体勢から、牧にそう明確な快感は与えられていない気がしていた。
牧がサイドテーブルに手を伸ばしている気配を察すると、ほどなくして陰部に細い先端部が差し込まれ、潤滑ゼリーが注がれる。この先の展開が決まってしまったようなものだった。
「あんっ、牧っ……!」
ごつごつとした節を感じさせる指が入ってきて、舌のような覚束ないものではない、明確な摩擦の感触を与えながらそこを慣らしていく。粘性の強い、いやらしい水音がしきりに聞こえていた。
「あぅっ、あっ…」
(看病に来ただけなのに……)
そうは思うが、内部を掻き混ぜほぐされていく感触も、しきりに尻にキスされることにも敏感に感じてしまう。若い肉体は直接的な快楽に抗えず、さらなる刺激を求めて期待に震えていた。
「なあ藤真、物足りないんじゃないのか?」
牧は愉しげに目を細める。指を抜き、尻肉を左右に開いて拡げた陰部は、赤く色づいて物欲しそうにひくひくと震え、よだれを垂らしている。
「ああっ、もうっ…!」
牧も、そして自分も本当に仕方ないとは思うのだが、互いに同意し合っている状態で、快楽への誘惑を跳ね除けることなど不可能だった。
藤真は牧の上からいったん退くと、体を反転させて牧と向き合い、その腰を跨いだ。ニッと満足げに笑った相手を睨みつけて、サイドテーブルの棚からコンドームを掴み取り、興奮しきった牧の陰茎に被せる。もはや躊躇する意味もない。逞しい肉杭の根元を支えて腰を落とし、濡れた淫部に何度か擦りつけ、自らの内に導いていく。
「あぁあっ…んんっ…!」
「あぁ……藤真……」
藤真の肉壷に呑み込まれながら、牧はうっとりと、浸るように呟いた。体調のせいで頭がふわふわする覚束ない心地が、いつもとは少し異なる危うげな快感をもたらす。
先ほどまで(口先だけだが)嫌がっていたというのに、藤真は打って変わって積極的に快楽を求めるように、牧を咥え込んだまま腰をうねらせる。結合部から強烈な快感を与えられながらも、妖艶な動作と、マスクで顔の半分を覆った姿はどこかリアリティに欠け、卑猥な夢かアダルトビデオでも見ているような気分になっていた。
「あんっ、あぁっ、牧っ…」
体調の悪い牧を相手に長々と行為を続けるべきではないだろうから、戯れるより性急に終わらせてしまおう、というのが藤真の意図だ。
今までは会える日が限られていたことと、もちろん互いの欲求もあり、終わりを惜しむように長く行為を愉しむ傾向だった。しかし、あまりに忙しかった自分の役目ももうすぐ終わる。今にこだわらずとも、これからいくらでも機会はあるのだ。
「ふじま…」
牧の目つきはいつもの行為のときの獰猛なものとは違って、妙に穏やかだ。藤真は身を屈め、牧の顔を覗き込む。
「牧、気持ちい?」
「ああ、いいぞ、最高だ……」
いいのならそれでいいのだが、いつもと様子が違うのは熱のせいなのだろうか。そんな牧を相手にすることにもはや罪悪感もなく、藤真は貪欲に、そそり立つ男根を自らの感じるところに擦りつけ、体の内奥で快楽を貪った。
「牧、まきっ…あぁっ、あんっ…」
自慰行為を見られているようで恥ずかしくもあったが、牧も正気ではないようだし、ことが終わればきっと鮮明に覚えてはいないだろう。マスクのせいで息苦しく、ときおり軽い目眩のような状態が訪れるのが、いっそう陶酔感を煽った。
牧は手を伸ばし、藤真の胸を撫で、ツンと尖った乳首を指先で摘み上げる。
「ひゃっ! ぁんっ、それ、だめっ…♡」
指と爪の先でひねり、転がし、押し潰す。刺激を与えるたび、藤真の中がうねり、締まって、悦んでいるのがわかる。自らを縛る感触に浸りながら、夢中でそこを弄んだ。
(しかし藤真、どうして綺麗な顔を隠して……)
どうしてもなにも風邪の予防のためだが、今の牧は正気ではない。全裸にマスクのみを着用した姿は、牧の目には奇妙に背徳的で、卑猥なものとして映っていた。
(もしや身元を隠してエロいことをしなきゃならない、なにかワケありなのか? 藤真……!?)
朦朧とする頭に芽生えてしまった妄想は止まらない。牧はついにじっとしていられなくなり、腰を上下に動かした。
「藤真、あぁ、藤真ッ!」
「あふっ、ぁんっ! まきっ、すごっ…♡」
ベッドのスプリングを使って下から突き上げる動作が、控えめなものからだんだんと激しく、速くなっていく。ほどなくして、牧が音を上げた。
「藤真、だめだ、出るっ…」
「っん、あ、いいよ、牧っ、まき…!」
呼吸を合わせ、激しく体をぶつけながら、ふたりで快楽を作り育んで、やがて解放する。
「──ッ!!」
「あぁっ、あぁぁぁっ……♡」
牧はゴム越しにではあるが藤真の中に射精し、藤真はそれを感じ取ったように錯覚しながら、陶然と天井を仰ぎ、細い体を反らせてしきりに痙攣させた。至福だった。自分がここに来た目的などすっかり忘れ去り、動きを止めても何度も襲い来るかのような快楽の波に身をさらしながら、萎えた性器からさらさらとした体液を吐き出していた。
喘ぐような呼吸を繰り返す藤真のマスクが小さく膨らんで、萎んで、また膨らんで──牧はしばらくの間、それをぼんやりと眺めていた。
「ふーっ……」
絶頂の感覚が落ち着くと、藤真は細く長く息を吐き、牧のコンドームの端を押さえて自らの体を持ち上げた。慎重にそれを外し、端を縛ってゴミ箱に捨てる。牧の股間を拭いてやろうと、元は額に載っていたタオルを手にすると、次の瞬間には飛び起きた病人に抱きつかれ、体を巻き込むように抱えられてベッドに押し倒されていた。
「はっ!? 牧!?」
牧は有無を言わさず、生身の自らを藤真の中に再びねじ込む。
「おぅふっ……藤真っ……」
たかがゴム一枚のなんと厚かったことか。互いの秘密の場所が、隔てるものなく擦れ合う至上の感触に、思わず情けない声が漏れてしまった。
「わぁあっ!? ウソッ、一発目ゴムつけた意味っ!」
「大丈夫、大丈夫だから心配するな、俺に任せとけ、お前の面倒は俺が見るからっ……!」
「全然大丈夫そうじゃねえけどっ!? ひゃんっ♡」
牧はなおざりに藤真の乳首を摘みねじり上げながら、獣のように腰を使いだした。
「あぁ、藤真っ、ふじまッ…!」
「ぁんっ、まき、熱い…っ」
耳に息を吹き込まれ、名前を呼ばれながら強く抱きしめられると、互いの体温がひとつになるようだった。そして体内を直接抉る、傲慢な肉棒の感触だ。
(牧の生ちんぽ、熱いよぉッ…♡)
藤真はなすすべもなく──かどうかは怪しいところだったが、牧の勢いと強烈な快楽の気配に負け、もうしばらく好きにさせることにする。
◇
「っふぅ……!」
藤真の中に精を放った牧は、深く息を吐きながら、ぐったりと藤真に凭れた。
「藤真……すまん……」
「えっ!?」
藤真は耳を疑った。行為のあと、牧が沈んだ様子になるのは珍しいことだ。ふたりの行為は基本的に合意のものだし、謝罪らしき言葉があったとしても、もっとずっと軽い調子だった。
「お前がせっかく来てくれたのに、満足に相手できなくて……」
「いや大丈夫、充分相手されたし、むしろこれ以上されたら困るっつうか」
藤真の声が上ずる。牧に気を遣ったわけではない。事実だ。
萎れた牧のものが体を抜けていく。もう使わないであろうタオルで今度こそ牧の股間を拭き、垂れた精液がベッドを汚してしまう前に自分の尻に当てがった。
「お前は風邪がうつる危険をかえりみず看病しにきてくれたのに……俺はやらしいことばかり考えて我慢できなかった……」
牧はひどく落ち込んだ様子で藤真の肩に額を押しつけてくる。
「賢者タイムか? 珍しいな」
射精のあとに落ち込んだり苛立ったりする時間が訪れることは、藤真にとっては珍しくなかったが、牧にはあまりないことだった。ただ、自己処理したあとなど、全く起こらないわけではないらしいので、日ごろは強すぎる性欲に掻き消されているのだろうと藤真は思っている。
「そうかもしれない。単に体調悪いからだと思うが……」
「まあそう落ち込むなって。今日はもう休んで、体調整えて練習戻れよ」
藤真は穏やかに言って、牧の背中をぽんぽん撫でた。
「そう……そうなんだ。冬は絶対獲りたいから、練習を休みたくなかった」
「獲りたいじゃなくて、獲る! だろ? 常勝なんだから」
「ああ、そうだな。獲る……」
そしてお前に捧げるんだ、とは続けずに、ひとまず心の中に仕舞っておく。
ウインターカップを持ち帰って「俺たちの次に強かったのはお前たちだ」と藤真に伝えたい。あの日からずっとそんな想像をしている。そんなの嬉しくないと、ふざけているのかと怒られてしまうかもしれない。だから実際に伝えるかどうかはまだわからないが、想いは強くあって、絶対に勝ちたい、勝たなければならないと感じている。
冷たい手が額に触れた。
「しんどい?」
「え?」
「具合悪そうな顔してた……かな」
「ああ、いや」
行為のせいでどっと疲れたところはあるが、風邪の怠さはもはや感じない。柄にもなく、不慣れな感傷に浸ってしまっただけだ。
「高校最後の大会だ。しっかり治して、楽しんでこいよ」
(がんばれって、言わないんだな)
小さな引っ掛かりを感じながらも、藤真の言葉の真意を、その穏やかな微笑の意味を考えられる頭はなかった。
「大丈夫、俺の一番の愉しみは勝つことなんだ」
ただ眠りに落ちる寸前、そんな言葉が口から零れていた。