家族写真

「猫カフェに行きたい」の続き。大学生(同棲)牧藤が牧の実家に行く話。家族について捏造過多。 [ 15,359文字/2020-05-26 ]

(うーんどうしよ、やっぱジャケット……)
 自室のクローゼットの前でうんうん唸っていると、ノックの音ののち、ドア越しに牧の声が聞こえた。
「藤真? なにしてるんだ?」
「んー? 用あるなら入っていいぜ」
 藤真はドアを振り返り横柄に声を張り上げただけで、再びクローゼットに向き直る。後方でドアの開く音がして、牧が近づいてくる気配があった。
「藤真」
「なに?」
「いや……」
 用があるのかと問われると、特には無いのだ。夕食後、いつもは居間でテレビを見ながらのんびりしている時間に、藤真がソファから離れたきり戻らないので様子を見にきただけだった。
「服の整理中か?」
 クローゼットの扉が大きく開いて、ベッドの上にも服が散らか──並べられている。
「明日着るもん考えてんだよ」
「なんだ、俺の親に会うのに緊張してるのか?」
 愛いやつめ、と牧は思いきり表情を緩めた。明日は藤真を連れて、東京都内にある牧の実家に行く予定になっている。
「緊張っつーか、だって今までは制服があったしさ。一応監督だったんで、大人のひとに与える印象は結構気にしてんだぜ、オレ」
「だとしても、うちの親にとってはお前は〝子供の友達〟だ。堅苦しく考えるこたない。俺がこういう格好でうろうろしてた家なんだから」
 牧は自分の着ているラフな部屋着を引っ張って見せる。
「それにうちの親はお前のこと知ってて、印象はいいはずだぞ」
「はぁ? お前、一体オレのことなんて話してんだよ?」
 怪訝な顔で返してしまったが、直接会ったことのない状態でも同居の許しは貰っているのだ。牧が高校のときから一人暮らしをしていたことは大きいだろうが、少なくともそう悪いようには思われていないのかもしれない。
「バスケのために家を出て神奈川に行ってたわけだから、そりゃバスケ関係の報告はする。翔陽に同じポジのライバルがいて楽しくやってるってくらいの話だが、新聞記事とか雑誌とか送ってたから顔は知ってる」
「ふーん……」
 直感的に、それだけとは思えなかったが、追求しても仕方がないので気にしないことにする。それより明日の服装だ。
「猫がいるんだ、爪は切ってるだろうが、引っ掛かって困る服はやめといたほうがいいぞ」
「あー」
「レースとかな」
「そんなん持ってねえ」
「あとそうだな、ヒマはここに紐がついてる服好きだぞ」
 おとなしいが遊び好きな飼い猫のことを思い浮かべながら、牧は両の人差し指で鎖骨を指した。パーカーなどのフードから出ている紐のことだ。
(猫の好みじゃなくて親御さんの好みを教えてほしいんだが)
 とは思うが、口に出すのはなんとなく癪な気がする。妙な風に拡大解釈されても面倒だ。
「下は薄いのじゃなくて、ジーンズとかがいいだろうな」
「……」
 猫と遊ぶのに適した服装を、穏やかかつ満足げな表情で提案する牧をじっと眺め、ふと時計の指す時間に目を止めた。
「あれもう始まってるんじゃね」
「ん?」
「お前の好きなドラマ」
「!! すまん戻る、今回いいとこなんだ。服は別になんでもいいと思うぞ!」
「へーい」
 テレビのある居間に慌てて戻っていく牧を一瞥し、ベッドの上に散乱した衣服を眺める。
(……ジャケパーにしとくか)
 牧が去ってからさほど掛からずに、薄手のプルオーバーのパーカーにジャケット、そして綺麗めのジーンズをチョイスした。

 牧の実家の所在地は東京都内の高級住宅街だった。日ごろ通う渋谷のように雑然としておらず、緑が多く、都会的でありながらものんびりとした空気が漂い、牧がこの街で育ったのだと言われればなるほどと納得できる風情だ。数えていたわけではないが、先ほどから外車ばかり見かける気がする。
(牧の家、普通の家とか言ってたけど、ここの中での普通って意味だろうな……)
 高校のとき、牧が学生寮に入ることを親が渋ったという話もなんとなく理解できるような気がした。だからといって一人暮らしならば安心なのかという疑問はあるが。
 藤真がキョロキョロと周辺を見回しながら歩いていると、かたわらで牧が苦笑した。
「家しかないようなとこだが」
「え、ああ、うん、住宅地だもんな」
 公園のように見える広々とした敷地も、きっとどこかの庭なのだろう。恐ろしい限りだが、牧にとってはよく見慣れた、退屈な風景なのかもしれない。
「お父さん、次男だからってこの前言ってたけど、長男と次男ってそんな違うもんか?」
 牧の実家に行くことを決めた日の会話だ。そのときには追求しなかったが、ふと思いだすと気になった。藤真の認知では、長男は家で最初に生まれた男子、ただそれだけだ。
「長男の伯父はじいさまの家を継ぐ。親父は実家を出てここに自分の家を建てた」
「なるほど……? 自分の家のほうがよくねえ? つまり次男のほうってこと」
「そこは人それぞれなんじゃないか? なんつうか、財産とかは圧倒的にあっちなんだし」
「あー……でもオレは気ままなほうがいいかな」
 言いつつ、ごく普通の家に生まれて財産のことなど考えたこともなかったような自分とは、いろいろと違う世界なのだろうとも思う。
「……牧のお父さんて、なにやってるひと?」
「グループの会社のうちの一つを見てる」
「社長ってこと?」
「まあ、そうだな」
 牧は簡単に答えただけで、それ以上説明しようとはしなかった。自分を積極的に実家に連れて行こうとするくらいだから、親子仲が悪いことはないだろうが──単純に、あまり好きな話題ではないのかもしれない。
(見た目イジリみたいに、金持ちイジリみたいなのもあるんだろうか。……ってもこの辺に住んでる人間ってみんな金持ちだよな)
 そのグループというのもきっと牧の〝じいさま〟のものなのだろう、などと想像しているうち、牧が立ち止まった。
「ここだ」
「おお……」
 予想通りだった。
(やっぱり! この辺基準では普通なのかもしれないけど、オレ基準では豪邸な家!!)
 広い庭があり、門から玄関まで少し距離があるのが、いかにもといった感じだ。
 牧は門柱のインターホンを押し、「俺だ。藤真を連れてきた」と告げて中へ進んでいく。
(俺だ、だって!)
 自分の家の門のインターホンなど押した記憶がない。牧の容姿とも相まって、ドラマででも見たような光景に、少し緊張してしまう。
(こりゃうちはシルバニアファミリーだな)
 奥に見える家は、立派ではあるが屋敷と呼ぶほどものものしくはなく、藤真のごく主観的な感想としては〝イマ風の豪邸〟だった。
(東京だからな。芸能人のお宅訪問〜みたいな、土地とかも合わせてクソ高いみたいな……)
 何気なく見ていたテレビ番組のことを思いだしながら、目指す家のドアを見ていると、玄関先に女性が出てきた。
「母親だ」
 着物が似合いそうな、日本人然とした華奢で上品な雰囲気だが、優しげな目もとが牧に似ていると思う。
「ただいま」
「こんにちはー」
「藤真くんね。はじめまして」
「は、はじめまして……すみません、ご挨拶が遅くなって」
 牧の母親は穏やかに微笑した。
「いいのよ、うちも都合つけにくい時期だったし、全然気にしなくて」
「そうだぞ藤真」
(お前が言うのかよ)
 思わず牧を見遣ったがいったん口をつぐみ、手土産の紙袋を差し出す。
「これ、お菓子なんですけどよかったら」
「あらあら、ありがとうね。どうぞ、お上がりになって」
 玄関に入り、靴を脱いで上がると、右手側の部屋のドアからガタガタと音がした。
「にゃー! にゃー!」
 ドアに嵌められた磨りガラスの向こうに、黒い前足の裏をぺたりと付けて、外に出せといわんばかりに立ち上がっている、猫のシルエットが見える。もちろん猫よりも牧の親への挨拶がメインのつもりでいるが、思わず笑ってしまった。
「猫いるっ、外出たいのかな?」
 牧がドアを開けると、薄いミルクティー色の長い被毛をして、体の先端と顔の中心に焦げ茶のポイントをつけたずんぐりとした猫が、青い瞳をまんまるに見開いて藤真を凝視する。猫はいかにも驚いたように口をあんぐり開けて牙を覗かせると、部屋の奥にドタドタと走り去ってしまった。
「っはは! 猫ってあんな顔するんだな!」
 マンガみたい、とさも愉快そうに声を上げた藤真に、室内から近づいてきた人物が言った。
「人見知りしたんだろうな。すぐ慣れると思うが」
「!!」
 これは見るからに牧の──
「親父だ」
 牧の目もとは母親だと思ったが、全体の印象としては父親の遺伝子が強いように見える。色黒のせいが大きいだろう。特に大柄ではないが姿勢はよく、立ち姿が堂々としている。髪は後ろに撫でつけ、スクエア形の眼鏡を掛けていた。
「藤真です。はじめまして」
 爽やかに微笑した完璧な美少年に、父親は目を瞬き口もとを緩める。女だろうが男だろうが、外見はよいに越したことはないというのが彼の感覚だ。知ってはいたが、自分の息子と同級生にはとても見えず、ふたりが並んで立っているとそこはかとなく面白い。
「これは失礼、はじめまして。紳一がお世話になってるようだね」
「いえそんな、全然……」
 家事は分担しているので、日常生活でどちらかに特に負担が掛かっていることはないはずだが、デートとなればもっぱら牧の奢りだった。彼のポリシーによるものだが、〝同居している友人〟として挨拶に来た立場で口にできるはずもない。
「まあ座ってくれ」
 父親がソファを示すと、母親が口を開いた。
「こっちでお話するの? 応接間じゃなくて?」
 藤真は小さく肩をすくめる。
(ヒエ、応接間とかあるんだ……)
「あっ、そうだった。紳一がいきなり居間に入ってくるからだぞ」
「自分ちなんだから当たり前だろう。別にこっちでいいんじゃないか? テレビもあるし」
「そうだな、お客様はお客様だが、楽にしてほしいしこっちでやろう」
「それじゃ、こちらにコーヒーお出ししますね」
 母親が立ち去ると、父親はあらためてソファを勧めた。
「すまんね、どうぞ座ってくれ」
 テレビのほうを向くように、長いソファと一人掛けのソファがL字に置かれている。長いソファの奥側に牧、その隣に藤真が座り、それを見届けてから一人掛けのソファに父親が腰を下ろした。
「いやあ、全然初めての気がしないんだけどねえ」
「そうなんですか?」
「紳一からよく聞いてたし、雑誌も見てたからね。双璧とかいってさあ、モデルさんかアイドルかみたいな子と一緒に写ってるから、紳一のやつ、ドラマのエキストラにでも応募したのかと思ったよ」
(想像力豊かだな)
 父親は機嫌よさそうに、饒舌に続ける。
「神奈川いいよねえ、湘南は昔から大好きなんだけど、最近特にトレンディだよね!」
「海がお好きとか?」
 色黒の男に対するイメージもあるが、県外の人間が特に湘南と言うならやはり海だろう。
「ああ、船持ってるんだ」
「ひぇ〜」
 金持ち〜、とは喉の奥に呑み込んだ。
「今度乗せてあげようか」
「やめてくれ、親父」
「え、なんで? いいじゃん船乗りたい」
「な、船乗りたいよな。ほら、藤真くんだってこう言ってるじゃないか」
「なんとなくいやらしいんだ、親父は」
「久しぶりに帰ってきたと思ったら、親に向かってやらしいとはなんだ」
 直後、牧は何かに気づいた様子で立ち上がり、どこかへ行ってしまった。都合が悪くなったのだろうか。
「家はどっちのほうなんだっけ?」
「横浜のほうです」
「横浜か! シュウマイおいしいよねえ!」
 さほども置かずに牧が戻ってきた。腕には先ほど逃げて行った猫を、赤ん坊のように背中を下にして抱えている。
「藤真、ほら」
(今めちゃ話し中じゃんかっ)
 そうは思いつつも、渡される猫をそのままの格好で腕に受け取った。もこもことしてまるでぬいぐるみのようだが、ずっしりと重く存在感がある。猫はおとなしいもので、胸の前でこげ茶色の手を折り曲げ、不思議そうな丸い目で、じっと藤真を見上げている。
「なにこれ、かっわ……」
 女子のように何でも『カワイイ』と言う性質ではないつもりだが、思わず声が漏れた。
「ヒマだぞ」
「ぬいぐるみみたい」
「生きてるぞ」
 それを主張するかのように、太い尻尾がぱた、ぱた、と左右に動く。ヒマラヤンの姿は本かテレビか何かで知っていたが、実際に見て触れてみると、愛らしさを追求したぬいぐるみのような外見に、しっかりと生命が宿っているという事実が、至極不思議に感じられた。
「うん。あったかい」
 思えば、小動物をこうして抱いたことはなかったかもしれない。厚い被毛越しにもじわりと猫の体温が伝わってきて、無性に幸せな気分になる。
「藤真くんは猫が好きなんだって?」
「ええ、まあ人並みに……」
(ほらー、親父さんに変に勘違いされてるじゃねーかっ!)
 もちろん嫌いではないのだが、にこやかな父親の顔を見るのがなんとなくやるせない。ちらりと牧に目を遣るが、牧は「ん?」と不思議そうに藤真を見返すだけだった。
 母親がソファの前のテーブルに三人分のコーヒーを並べると、藤真の腕の中で猫がもぞもぞと身じろぎをした。腕を緩めて膝の上に乗せると、くるんと体を裏返して藤真に向きなおり、パーカーのフードから出ている紐に不思議そうに手を伸ばす。獲物など到底捕まえられないような、のんびりとした動作に笑ってしまう。
「っふ、おとなしい猫だな〜」
 藤真と猫との接点など、たまに野良猫に遭遇するくらいのものだったから、猫といえば警戒心が強く、人間の姿を見れば逃げ出すようなイメージだったのだ。
「おとなしい種類だって聞くし、ヒマは人間より偉いつもりだからな」
「なんだ、偉いのか、おまえ」
「ン?」
 ヒマはまるで会話をするかのように短く唸り、藤真を見上げた。
「意外とな。本名はキャメロット・なんとか〜っていうんだぞ」
「なんだよ、本名って」
「血統書に書いてる名前だ」
(ウッ、どんどん金持ち要素が出てくる……!)
「そ、そうなんだ、どうりでかわいいとおもった……」
 牧が得意げに頷く。
「ああ、赤ちゃんのときに俺が選んだからな。こいつが一番かわいいって」
「同じ種類でそんなに違うもん?」
「全然違うぞ」
 きっぱりと言い放った息子に続いて、父親が口を開く。
「ヒマラヤンはペルシャの仲間だから、スタンダードもペルシャと同じ。わかるかな、ちょっと潰れた感じで、鼻が短くてブルドッグみたいな顔」
 藤真はこくこくと首を縦に振った。確かにペルシャ猫と言われると、ふかふかの白い毛に覆われた、むっつりとした不機嫌そうな顔立ちが思い浮かぶ。しかしヒマはそれとは違って、丸くはあるが目尻の上がった目に、スッと伸びた鼻筋をしている。ブルドッグ系統の〝ぶさかわ〟ではなく、素直に愛らしい顔立ちだ。
(てかペルシャねこって金持ちキャラの膝の上にいるやつじゃねえか……たぬきみたいな色してるから油断したぜ……)
「スタンダードっていうのは」
「キャットショーでの評価の基準っていうのかな。いいヒマラヤンの基準みたいなもんだ。ヒマはペルシャよりシャムの顔立ちが強いから、ショーに出すタイプじゃない、ペットタイプのヒマラヤンだね」
「キャットショー……!」
 ヒマはいたって無邪気にパーカーの紐を引っ張っている。にわかに緊張しながら慎重に背中を撫でると、手触りが高貴な気がしたが、完全に気のせいである。
 牧は父親を見遣り、いささかムッとした様子で口を開く。
「そんなのどうでもいいだろう。ショーで優勝してるヒマラヤンより絶対ヒマのほうがかわいい」
 贔屓目というよりは、好みの問題だった。父親はヒマとそれを抱く藤真と牧を見比べ、含みのある笑みを浮かべる。
「お前は昔から面食いだものな〜……」
「へえ?」
 藤真はヒマを落とさないように抱えながら、思わず身を乗り出す。非常に興味深い話題だ。
「こいつの昔の彼女の話とか、聞いたことあるかい?」
「彼女いたってくらいしか」
「おい、いいだろうそんな話は」
 藤真は意地の悪い顔で牧を見遣る。
「なんだよ、聞かれたら困るのかよ?」
「そういうわけじゃないが……」
 やましいことはないつもりだが、親が何を言いだすかはわからないし、藤真の地雷だってどこにあるか未だに把握しきれていないのだから、積極的にしたいとは思わない話題だ。
「お話聞きたいでーす!」
 弾むように言った藤真の見事な笑顔が、さらに牧に追い打ちをかける。
(藤真、なんなんだそれは、猫かぶってるのか? お前、なんで……)
 父親は機嫌よく頷く。
「いや、そう面白い話じゃないんだがね。幼稚園のころから、かわいい子しか家に連れてきたことがないんだ」
「幼稚園!」
「最初はたまたまだと思ったが、まあそのうち気づくよね。ガキのくせにしっかり顔で選んでやがるなって。タイプまであるんだ」
 ふー、と牧がわざとらしく大きく長いため息を吐いたが、藤真は気にも留めない。
「どんなタイプなんですか?」
「元気でちょっと気が強そうな子かな。おとなしい子のほうが家に連れてきやすそうなのにね」
「誘拐犯みたいなことを言わないでくれ。一緒に遊んで楽しいタイプだったってだけだ」
 藤真が笑いながら口を開く。
「かわいい子と遊んだほうが楽しいもんな!」
「それは……なくはない」
「認めるのかよ」
「絶対じゃないだろうが、かわいい子って気が強いっつうか、ちょっとワガママなこと多くないか? それがな、見た目のかわいさと奔放さが合わさって、すごくかわいく感じるっつうか……あ、いや、すまん」
「なんだよ、なんで今謝ったんだよ、おい!?」
「気にするな」
 しみじみと語った牧に対し、暗にわがままと言われた形の藤真は頬を膨らませて不貞腐れる。ふたりの様子を観察するように眺め、父親は目を細めてコーヒーをひとくち飲んだ。
「……藤真くんは、めちゃくちゃモテただろう!」
「いえ、普通くらいです、たぶん」
 藤真にしてはずいぶんと曖昧な返答だった。中学時代は周りより飛び抜けて浮いていたとは思わない。翔陽バスケ部のレギュラーに定着すると、他校の女子からも騒がれるようになったが、暇と興味のなさから女子とは付き合わなかったので、なんとも言いがたい気がしたのだ。
「そうだ、藤真はどうなんだ?」
「なにが?」
「好きな女子のタイプ」
 牧は意趣返しのつもりなのか、にやりと笑う。しかし藤真は全く動じず、目を細め唇の端を吊り上げる。
「なに、そんなこと聞きたいのかよ?」
「いや……せっかくだからと思って……」
 意味ありげな藤真の表情を見ていると、聞かないほうがいい内容なのだろうかと思えてきて、牧は口調を弱くした。
「あんまり考えたことないな。たぶん、自分からいったことないから、告られてからOKかどうか考える感じ」
 父親は低く笑った。苦笑に近かったかもしれない。
「藤真くん、それは普通じゃないね。立派にモテモテだよ」
「そうですか? でも二股とかしたことないですよ」
「それは素晴らしいことだね!」
 牧が困惑したようにふたりを見る。
「いや、別に普通なんじゃないのか……?」
「まあ、部活も忙しかったろうしね」
「そうなんですよ〜!」
 それはその通りなのだろうが、やはり愛想のよい藤真にはなんともいえず落ち着かない気分になる。日ごろ自分に対してそんな態度はしないし、自分の親ではあるが、藤真と中年男という絵面はなんとなく嫌だ。
「なんかヒマがおっぱい揉んでくるんだけど。お前に似たんじゃね」
 牧の内心など知らず、藤真は小声で問うた。ヒマはごろごろと喉を鳴らしながら、二本の前足を交互に動かして藤真の胸を押している。
「ふみふみじゃないか、藤真だって前やってきただろう」
「は? 知らねえよ」
 以前、部活の歓迎会で酔っ払って帰宅した藤真が似たようなことをしてきたのだが、酔っていて覚えていないようだ。
「甘えてるんだよ。すっかり藤真くんのことが気に入ったみたいだ」
「え〜! おまえ、オレに甘えてるのか〜!」
 ヒマは今にも眠ってしまいそうに目を細めながら、ゆっくりとした動作を繰り返している。見た目にも愛らしい動作だが、理由を知ると俄然愛しくなってしまった。
「オレ、この子と結婚しようかなっ」
「おっいいね、そしたら藤真くんうちの子だな!」
「あら、うちの子になる? 今お部屋ひとつ空いてるのよ」
 いつの間にか居間に来ていた母親もにこやかに同意する。牧はとんでもないと首を振った。
「やめてくれ! それは俺の部屋だし、藤真は俺と住んでるし、ヒマはもうおっさんじゃないか」
「ヒマってオスなんだ。かわいいおっさん!」
 キラキラと少女漫画の効果の見えるような笑顔を浮かべてヒマの耳の間に鼻先を寄せる、藤真を一同凝視する。作り笑いなどではない、彼の本物の笑顔はやはり強力だ。
「うーん、いいな、美少年と猫。保険のCMができそうだ」
(ペット保険とか……?)
 藤真が首を傾げて見遣ると、父親はにこりと笑う。
「大切なひとのために、とか言ってな」
「ああ、そんなの、保険の一つや二つ契約しちまうな」
 牧は感じ入ったようにしみじみと、ゆっくり首を横に振る。自分に何かあったときに、藤真に何かを残せるように、もう少し年をとったら本気で考えてみようか。
「……」
 そうしてぼうっと藤真を見つめる息子の姿をさらに見つめる父親の視線に、牧が気づくまでにそうは掛からなかった。
「そうだ藤真、俺の部屋に行こう。ヒマ持ったままでいいから」
「え、なんで?」
「そうだぞ紳一、なんで?」
「いいじゃないか、藤真を案内したいんだ。ほら」
 牧に腕を引いて急かされ、藤真は立ち上がったが、ためらうように父親を顧みる。
「いいよ、行ってきなさい」
 そうしておとなしい猫を抱いたまま、牧のあとに続いて二階の一室に足を踏み入れた。
「あったか!」
「日当たりいいからな、この部屋」
 日当たりのいい子供部屋で、両親にからかわれるかのような先ほどのやり取りを思いだすと、いかにも牧が愛されていたのだと感じられて、微笑ましい気分になる。藤真は口もとを優しげに緩めながら、片付いた、片付きすぎた部屋の中をぐるりと見回した。
「……でも、なんにもないな」
 机と椅子とベッド、本棚などの大型の家具はあるが、生活感のある小物は置かれていない。ベッドの布団とシーツが白く真新しく見えるのが印象的だった。
「高校に行くときでだいたい持ってっちまったからな。漫画本は残ってるぞ」
「いや、」
 牧は藤真の返事を聞く前に部屋の奥にある本棚へと歩く。藤真は拒否しかけたものの、牧がどんな本を読むのか気になって、ヒマをベッドの上に置いてそちらへ歩み寄った。
「ううーむ、なるほど……」
 藤真は笑いを押し殺した不自然な真顔をして、本棚に向かって腕組みをする。実家を出る前ならば中学生までに買ったもののはずだが、少年らしいといえそうな本はなく、青年誌系というのか、歴史ものやサラリーマンもののような硬派なタイトルが多く見える。
「一応聞くけど、お前の趣味?」
「伯父から貰ったのもあるし、自分で買ったのもあるぞ」
(らしいっちゃらしいけど、牧はもうちょいメルヘン路線かと思ったんだけどな)
「エロ漫画とかねえのかよ」
「そこにある課長シリーズはなかなかエロいと思うが……まあエロ本は実写派だな」
「そうだったな」
 そして、さすがに無人にする部屋に置きっ放しというわけにもいかず、処分するなり持って行くなりしたのだろう。藤真はしゃがみこんで一番下の段を物色していたが、じき興味を失ったように立ち上がる。
「なんだ、読まないのか?」
「だって長そうなのしかないし」
 巻数順にずらりと並んだコミックスは壮観だが、よほど時間を余していない限り、初めから読んでみる気にはなれないものだった。
「……はっ、ヒマが超寝てる」
 ベッドのほうを見ると、ヒマは腹を天井に向けて背筋を伸ばし、前足を体の横に下ろして、綺麗な仰向けの姿勢で寝ていた。
「人間みたいな寝かたするんだな。オレも寝よーっと」
 藤真はベッドの奥側に寝ているヒマの隣に、添い寝するように横になる。
「よくそんな格好で寝てる。猫背っていうが、猫も背骨まっすぐのほうが気持ちいいんだろうな」
「猫って動物臭くないんだな。洗ってるからか? いいにおいする」
 ふんふんと、ヒマの額に鼻を近づけてにおいを嗅ぐ、それだけの動作がなぜだか無性に愛おしく、温かなものが込み上げる。
「ほとんど洗ってないと思うが。なんのにおいだ?」
「わたあめみたい」
「わたあめのにおいってなんだ、知らないぞそんなの」
 牧はベッドの上に片膝を乗せ、一人と一匹に体を覆い被せるように向こうに手をついて、藤真の髪に鼻先を突っ込んだ。
「おい、オレを嗅いでどうすんだよ、ヒマを」
「紳一、」
「うおおーっ!?」
 突然背後から聞こえた女の──母親の声に、牧は反射的にベッドから飛びのいて藤真から体を離していた。
「大きな声出さないでよ、体育館じゃないんだから。おやつとお茶を持ってきたわよ」
「そんなの頼んでないだろうっ、つうか、勝手に入らないでくれっ!」
「ノックしたじゃない」
「返事してからにしてくれって、昔から言ってるだろうっ……!」
「ここに置いておくわね」
 母親は全く動じる様子を見せず、昔の牧の勉強机の上に飲みものとお菓子をトレーごと置いた。
「食べたら金(きん)ちゃんのお散歩に行ってきてちょうだい」
 牧家に飼われている、ゴールデン・レトリバーの金太郎のことだ。
「藤真がいるのにか?」
「だって、リビングにいたくなくてここでゴロゴロしてるんでしょう?」
「……まあ、そうだな、天気もいいしな」
 犬の散歩は好きだが、藤真と一緒となればなお楽しいことだろう。犬を放していい広い公園があるから、フリスビーを持って──など考えていると、藤真の押し殺した笑い声が聞こえた。
「なんだ、なにがおかしいんだ」
「ううん? とりあえずおやつ食べようぜ」

 犬の散歩に行こうと庭に出ると、牧が思いだしたように言った。
「そうだ、カメ吉も見ていくか」
「ネーミングセンスが一貫してんな」
「わかりやすくて覚えやすいのがいいじゃないか」
 庭に水槽を置いているのだろうかと牧について歩くと、低木や丈の高い草の陰に、丸い石で囲まれ、上にネットの張られた小さな池が見えた。
「あれだ」
 池の中には赤と白の模様の大きな金魚が泳いでおり、点々と置かれた石の上に、三十センチほどありそうな亀が甲羅を干すようにくつろいでいる。
「でかっ! これお祭りのカメかよ?」
「ああ、ちゃんと飼えば長生きするって話だぞ」
「……カメ吉はミドリガメの勝ち組だな。金持ちの家でちゃんと飼われて、専用の池まであって長生きして……」
 途端に元気のなくなった声でつぶやいた、藤真の表情は深い憂いを帯びている。
「どうしたんだ藤真、急に」
「なんでもない。犬の散歩に行こうぜ」
 風に乗ってにおいが流れていくのか、声が聞こえているのか、犬小屋が見えないうちから犬の鳴き声が聞こえていた。じき、イメージ通りの淡いゴールドの被毛をした金太郎の姿が見える。
「ワン、ワン!」
「おう、久しぶりだな」
「ワン!」
 金太郎は高く短く吠えると、尻尾を振り回しながら後ろ足で立ち、牧に抱きつくかのように凭れ掛かった。
「こっちもでっか!」
 体は大きいが目は優しく、口角が上がっていかにも嬉しそうな表情に見えるため、恐怖感は湧かない。
「ゴールデンの平均くらいだと思うぞ。たぶん」
 牧は金太郎の前足を地面に下ろし、軽く周囲を見回すと、唐突に藤真に抱きついた。
「っ!? おいっ、なにすんだっ!」
 藤真は慌てて牧の胸を押し返すが、牧はなおも藤真の体に手のひらを擦りつけるように触った。
「俺のにおいを藤真にうつしておけば、金太だってすぐ慣れるだろう」
「んな単純な」
「金太、おすわり。……ほら、試しに頭撫でてみろ。たぶん噛まないから」
「たぶんてっ」
 おずおずと金太郎の頭を撫でていると、低く軽快な歌声が聞こえてくる。
「あーる日金太が歩いているとっ♪ 美しいお姫様が逃げてきたっ♪」
 声から想像はできたものの、牧の父親だった。曲調はカントリー調というのだろうか。藤真たちのかたわらに来て、陽気に歌いながら体を揺らす。
「金太守〜って♪ きんたまも〜って♪」
「ぶはっ!」
 どうしても男性器の一部の俗称を思い浮かべてしまう文字列に、藤真は思わず吹き出した。
「おっ、藤真くんもやっぱりこういうの好きだよな! 男の子だもんな!」
「親父っ! 変な歌を歌わないでくれっ!」
「変な歌とはなにごとだ、つボイ先生は天才だぞ」
「藤真、早く行くぞ」
「うん……それじゃ」
「ああ、気をつけてね」
 藤真は父親に軽く会釈をして、金太郎に引っ張られるように先を行く牧を追う。家の門を出ると、冗談めかしてではあるが、牧を非難するような口調で言った。
「牧のお父さん、かわいそ〜」
「なにがだ?」
「久しぶりに帰ってきた子供に絡みたくて仕方ないのに、邪険にされてさ」
「なに言ってるんだ、絡まれてるのはお前じゃないか。しかも下品なことばっかり、あんなのセクハラだ」
 けしからんと言わんばかりに口をへの字にした横顔に対し、牧のほうがよほど過激なことをしてきたではないか、とは言わないでおいた。どちらにせよ、嫌ではないのでセクハラではない。
「別にオレ、お上品じゃないから気にしないけど?」
 父親が客人である自分に話しかけるのはある程度当然のことだ。そして、それを介して息子ともコミュニケーションを取りたがっていると藤真は感じたのだが──親の心子知らず、ということなのだろう。

 近所の〝犬の散歩ネットワーク〟の顔見知りと挨拶を交わす牧を(さすが社交的)と眺めつつ、きちんと信号待ちをする金太郎に感心しつつ歩くうち、大きな公園に着いた。金太郎もわかっているようで、敷地に入った途端に走り出す。それに引っ張られてふたりも走り出した。
「中学のときは、いつも俺が散歩してたんだっ」
「そりゃ体力もつくわっ!」
 ふたりにとってきついペースではなかったが、のんびりとおしゃべりをするのに適した状況とはいえない。人気も少ないので声を張ってぽつぽつ話しているうち、目的地である〝犬の広場〟に到着した。
 金太郎はパタパタ尻尾を振りながら、藤真の持つ手提げの紙袋の中に鼻先を突っ込み、フリスビーを咥えて引っ張り出す。牧を見上げる黒い瞳が、期待にきらきらと輝いていた。豊かな表情に、藤真も自然と笑顔になる。
「すげー嬉しそう」
「親父のやつ、あんまり遊んでやってないのか?」
「いやこれは親父さんはきついだろ」
 眉間に皺を寄せた牧に、呆れたようにつぶやいた。犬も人のことをよく見ているようなので、日ごろはこれほど走らないのかもしれないが。
 牧は受け取ったフリスビーを、金太郎の目の前に見せつけるようにゆっくりと振った。
「よーし、行くぞ、それっ!」
 掛け声とともに円盤が斜め上空へ飛び、金太郎もダッシュする。青い空を背景に綺麗に弧を描いたフリスビーを、大きな体躯の重さを感じさせない跳躍で見事にキャッチし、喜び勇んでこちらに駆け戻ってくる。
「おおーっ!」
「よーし、よしよし。藤真も褒めてやって、おやつをあげてくれ」
「ワン!」
「よーし、よしよし……」
 覚束ない手つきではあるが、牧がしていたように金太郎の頭や首回りを撫で、持参していた犬用のジャーキーを差し出す。金太郎は喜んでそれを頬張った。顔を合わせてからさほど経ってはいないが、褒めてくれておやつをくれる人間はともだちだ。
「今度は藤真が投げてみろ」
「えっ、シカトされたらショックだな……」
「大丈夫、俺のにおいがついてるじゃないか」
「なんかすげー、全然安心感ねえわ。……よしほら、いくぞ、それっ!」
 思いきってフリスビーを投げてみる。金太郎が一瞬躊躇したのは、投げる人間が違うせいか、左手で投げたせいだろうか。それでも駆け出してジャンプしたものの、高さが足りずにキャッチし損ねてしまった。
「惜しいな」
「……オレがフリスビー練習しなきゃだめかも」

 ひとしきり遊び、満足げにため息をつく金太郎を挟むようにして、ふたりも芝生に腰を下ろす。陽の光はまだ充分に明るいが、少し西に傾いていた。
「いやー、ほんといい子だな金太郎!」
「ワン!」
 初めはおそるおそるの雰囲気が見て取れた藤真もすっかり慣れたようで、太い首に抱きつくように腕を回す。ふたりの輪郭を、光の金色が淡く縁取っている。
「なんだよ?」
「カメラ持ってくればよかった」
「お前、普通に写真撮る趣味なんてねーじゃん」
「それは、そうなんだが……」
 藤真の言う通り、ポラロイドカメラで遊んだことがある程度で、日ごろコンパクトカメラを持ち歩く習慣はない。しかし、ヒマと一緒のときにも思ったのだ。単に〝藤真がかわいい犬猫と一緒にいる〟というだけではなく、高校時代は離れていたとはいえ、家族同然に暮らしてきたペットだ。彼らと藤真が仲睦まじくするさまに、藤真がいっそう近い存在になったと感じた。尊い光景だ。目に焼きつけるだけで終えるのは、あまりにもったいないような気がする。
 バスケットボールの試合や行事では誰かしらが写真を撮ってくれていたから、今まで自ら意識することはなかった。しかし、ふたりで過ごすときのために、カメラを持ち歩く癖をつけるのもいいかもしれない。
「そうだ、うちでもなんか飼うか? あのマンション、ペットOKだろう」
「うーん、いや……」
 藤真は一変して表情を曇らせる。魅力的な話ではあるのだが、重々しく首を横に振った。
「オレ、動物飼うの向いてないんだ」
「そうは思えんが」
「子供のとき、ハムスター飼ってたんだけど、いつもカゴの中にいてかわいそうだからって出してやったら、窓の隙間から外に逃げちまって……きっとネコかカラスにでも食われて……」
 あまり見たことがないくらいに、藤真は深く暗く沈み込んでしまった。無論、日ごろから気にしているようなことではないが、牧のペットたちと楽しく遊んだせいで、いたく思いだされてしまうのだ。牧は慌てる。
「こ、子供のころなら仕方ないんじゃないか? ハムスターだってきっと、最後に広い世界を見ることができて嬉しかっただろう」
「最期ね。やっぱ死んだよなーっ!」
 藤真はやけになったような口調で天を仰いだ。
「あ、いや、そういう意味じゃないぞ!? そもそも寿命が短いだろう、ハムスターって」
「いいよ、わかってる。もうほんと凹んでんのにさらに姉にブチギレられるしさー。……つうわけで、オレにはペットは飼えないんだ」
「ハムスターみたいなすごく小さい動物は、かえって飼うの難しいんじゃないか?」
 体力もなさそうだし、と続ける牧に、藤真は考える様子もなく首を横に振った。
「あと今そんなにペットに構ってる暇あるか? ふたり揃って家にいない日とかかわいそうだろ」
「まあ、それもそうか」
『家で暇してたら藤真に構ってるしな』『オレはペットなのかよ!』と頭の中でひとり漫才をして、牧は満足げに笑った。

 散歩を終えて牧の家に戻ると、玄関の土間に、脱がれた靴が増えていた。
「誰か来てる?」
「弟と妹だ」
「いやっ初めて聞いた!」
「そうだったか?」
 今まで付き合ってきて一度も聞いたことがなかったはずだし、なんとなく牧のことを〝お金持ちのひとりっ子〟と思い込んでいたために、明確に驚いた声が出てしまった。
(そういやひとりっ子ってあんまりキャプテン気質ではないか……な)
 海南を率いていた牧の頼もしい姿を思いだす。ふたりでいるときとは、またずいぶんと違った印象だった。
「休みの日だから、遊びに行ってたんだろうな」
 土間に立ったまま「じゃあそろそろ帰るか」などと話していると、母親が出てきて、牧と藤真も含めた人数分の夕食を作っているからと勧められてしまった。断るわけにもいかず、中学生の弟と小学生の妹にも軽く挨拶をして、少し早めの夕食をご馳走になった。
 その後なぜか牧の父親が写真を撮ろうと言いだしたので、玄関ホールにペットを含む牧家一同と藤真とで集合して記念写真を撮った。弟や妹はさぞかし不思議だったことだろう。
「藤真くん、写真できたら送るからね!」
 藤真に向かって親指を立てる父親と、それに応えるように親指を立てる、大人に対しては存外に愛想のいい藤真とを見比べ、牧はため息をついた。
「普通に俺に送ってくれ……」

 その後、泊まっていけと言われるのを主に牧が強く拒否して、今はふたりで帰路についている。藤真の手には、持っていったものとは違う土産ものの紙袋があった。
「なんかすまんな、鬱陶しい親で」
「全然?」
 文化の違いを感じてしまう面もあったが、さすがは牧が育った環境というか、穏やかで和やかな家族だった。牧はなおもぼやく。
「晩飯な、絶対断れなくするつもりで早めに用意してたぞ。普段あんな時間に食ったことない」
「いいじゃんか、美味しかったし、賑やかで子供のとき思いだした」
「子供のとき?」
「よその家で、友達何人かで晩御飯ご馳走になったりみたいな。……あと、嫌われてなさそうで安心した」
 挨拶が遅れ、ふたりで住みだしてから少し経ったタイミングでの対面になってしまったこともあり、気後れしていたのだ。
「そうだぞ、うちの親、お前のこと気に入ってるんだ」
「船乗せてくれるっていうの、本当かな? 社交辞令?」
 子供相手に社交辞令など言っても意味がないだろうし、特に車や船は進んで見せたがる性分のため、きっと父親は本気だと思う。牧としては気が重いことだ。
「……そんなに船乗りたいのか?」
「なんかお前、毎度極端じゃねえ? そんなにっていうか、迷惑じゃなくて乗せてくれるっていうなら乗りたいだろ」
 牧の感覚が理解できないというように、藤真は微かにだけ唇を尖らせる。見慣れた表情だが、やはり愛らしいものだ。
 今も昔も変わらない。
 体を交えても、一緒に住んでみても、未だ終わりなど見えない。平穏な日々の連なりに何度も線を描き重ね、少しずつはっきりとした輪郭を捉えていく、その営みを堪らなく愛おしく感じる。
(時間ができたら、船舶免許取るか……!)
 可愛いひとの多少のわがままに付き合うことが愉しいのもまた、昔から変わらないのだった。

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