四月一日。

付き合ってない状態からのエイプリルフールの牧藤。 [ 6,069文字/2021-04-01 ]

 高校一年から二年に上がる前の春休みのある日。練習前の朝っぱら、桜の道で、牧は待っていた。
「お、牧じゃん」
 昔からそうらしいんだが、牧は異様にフットワークが軽くて、いつどこにいけば誰に会いやすいとか、他校の生徒についても心得てる。オレについてはオレ個人ってより翔陽の練習の予定によるから、余計わかりやすいんだろう。そういうやつだって知ってるから、ものすごい驚きはない。ひさびさに会ったから、ちょっと嬉しいなって感じだ。ライバル同士みたいに言われることもあるが、たぶんオレらは普通にほどほどに友達って関係だと思う。少なくとも喧嘩沙汰とか険悪なことはない。
「おはよ。どうした?」
「藤真。ふたりきりで、話したいことがあってな。……それにここは、桜がすごく綺麗だ」
「あー……?」
 桜なんて春になればそこらへんに咲いてると思うが、確かにここは見事な桜並木だ。って、母親が言ってた。正直花にはあんまり興味ない。それより話のほうが気になる。
「なんだよ、話って」
「それがな……」
 牧は声のトーンを落とし、オレの手首を引いて街道の脇に──大きな桜の木の下に連れて行く。それから、弱い風にひらひら落ちる桜の花びらに、くすぐったそうに目を細めた。牧って、バスケしてないときはのんびりしてるっつうか、いかついくせに優しい顔するんだよな。たぶん、得するタイプだと思う。オレと逆で。そんな呑気な感想を抱いてたら
「俺は実は、不治の病なんだ」
「は? ふじ……?」
 マンガみたいに目をパチパチさせながら、ふじまだけに? とかワケわかんない返しが頭の中に浮かんだが、牧が続けるほうが早かった。
「先天的なもんで、遺伝子の成長、つまり老化が早すぎるって病気だ。俺はよく老け顔って言われるが、事実お前たちより老けてるんだ」
「はー……?」
 老け顔じゃなくて本当に老けてるんだ? じゃあしょうがねえな? てか、じゃあ、牧に対して老け顔とか言うのはただの茶化し以上の無神経なやつってことでは……
「昨日病院に行ってきてな、余命があと二年って言われた」
「はあ???」
 さっきから、聞き慣れないっつうか、日常的じゃない言葉ばっかり出てくるんで、こいつがなにを言ってるのかよくわかんなくなってくる。オレは理解が早いって褒められるほうなんだが。
「いや、なに言ってんだ?」
「余命。残りの寿命って意味だ。それがあと二年」
「は……?」
 目眩みたいに、目の前も頭の中もぐるぐるして、まっしろになった。二年で死ぬって? わかるけどわかんねえ。いきなりそんなこと言われても困る。牧はどんな顔してるだろう。知ってるようでまだ全然知らない、黒くてでかい図体と老け顔を見てるつもりが、薄ピンクの花びらがひらひら落ちてるのばっかりが目についた。妙に喉が乾いて、焼けるように熱かった。
「んな、わけねーじゃん……」
 だってこれから高二になって、高三になって、お前は海南の主将になって……いやそれは二年以内だからOKなのか。OKじゃねえよ。牧はうんうん満足げに頷いてる。ああ、テレビで見たことある。余命宣告された人って、かえって落ち着いてるんだよな。
「藤真、今日は四月一日だ」
「つまり、再来年の四月一日までってこと……?」
(ん?)
 頭なんて働いてないんで、ただ二年後の日付を呟いたら、なんか引っ掛かった。目線を上げてみると、牧はにこにこ笑っている。終わりを悟ったような穏やかな、ってのじゃない。にっこにこの嬉しそうな笑顔だ。
「藤真。四月一日って、なんの日だか知ってるか?」
「っ!!」
 オレは思わず牧の腹めがけてパンチをしたが、パシッと乾いた音を立てて、あっさり止められてしまった。オレの拳なんて包み込まれるくらいのでっかい手のひら。いちいちむかつくやつだ。オレは握り拳を思いきり自分のほうに取り戻す。
 そう、今日は四月一日。エイプリルフールっつうくだらねえ行事の日だった。
「ははっ、すまんすまん。そんなに怒るとは思わなかった」
 いかにも『引っ掛かった!』みたいな感じで楽しげな牧に対して、オレの機嫌はすこぶる悪い。最悪だ。これ以上は乗ってやるもんかって、怒りと一緒に声のトーンも落ち着けるようつとめる。
「……つまり、病気はウソってわけな」
「おう、もちろん。このとおり健康だぞ」
 言って二の腕に力こぶを作って見せてくる。
「このとおりって言われても、老け顔なのは事実だしな」
 余命とか言われる前のくだりは普通に納得してたもんな。そういう事情なのかって。
「まあ、ともかく安心してくれ」
 安心ってなんだよ? はあ、むかつくわ〜。
「お前、なんだろ……意外と常識がねえのな」
「常識?」
「せめてもっと面白いウソつけよ。五億円当たったからオレになんか買ってくれるとか」
「それは……五億円は無理だが、値段によっては嘘にもならないんじゃないか?」
「あ?」
「そうだ藤真、お詫びにジュースを買ってやろう。なにがいい?」
 牧の視線の先には赤い自販機が見える。あくまで悠々としてる感じに、本気でイライラする。逆撫でされるっていうんだろうか。でもキレるのはいかにも乗せられたって感じでむかつくから我慢する。
「いらねえよ、練習前だし。……てか、お前も練習なんだろ。とっとと行けよ、シッシッ」
 犬を追っ払うみたいにして、オレは牧を置いて早足で学校への道に戻る。
「藤真! 今日はあんまり人の言うこと信じるんじゃないぞ!」
(うっざ。オレの周りにはそんなくだらねえ遊びで喜んでるやつなんていねえっつの)
 オレがエイプリルフールにすぐ気づかなかったのも、そういう習慣の中で生きてきてないからで。……って思ってたんだが、部活に行ったら下らないウソをたくさん浴びた。みんな案外しょうもないんだな。

 部活中はなんだかんだで忘れ去ってたが、夜ベッドに入って目を閉じると、今朝のことをふつふつと思いだしてしまった。牧ってでかいし黒いしおっさんみたいだけどいいやつで、なんていうか紳士的? 珍しいくらい嫌味のないやつだなって思ってた。オレって自動的に目立つみたいで、めんどくさい目に遭いやすいんだが、牧はそういうのなかった。金持ちだって聞いたことあって、育ちがいいってこういう感じかなって思ってたりした。
 バスケ以外のとこでは天然だけど、それでも常識がないってまで感じたことは正直なくて。あらためて今朝のこと思いだすと、なんかすげー違和感がある。
(いくら自分だからって、死ぬのをネタにするか?)
 そういうやつもいるとは思うけど、牧が? って感じだ。
 別にオレ固有のもんじゃないと思うけど「バカ! アホ! しね!」みたいなのはちょっと乱暴な悪口セットっていうか、殺意なんてなく言ったりするじゃんか。まあ今はそうそう言わないけど、子供のときのクセっていうか。それが牧の前で出ちゃったことがあって、そしたら牧に真顔で説教されたんだよな。冗談でも、そんな気がなくても軽々しく言う言葉じゃないだろうって。そんなやつがウソのネタで余命とか言うか? ていう。
(……本当に、ウソなのかな)
 ぞっとした。考えられない、思考がガチガチに固まって止まるって感覚。いや、いやいや、ウソに決まってる。あんなにむかつくくらい体が強いやつが、あと二年で死ぬわけがない。いや、でも牧が高校生離れしてるのは確かで、やたら体が強いのも遺伝子が異常だからでは? みたいな──

 昨日は考えてるうちに眠ってしまった。夢を見た気がするけど覚えてない。とりあえず最低に寝覚めが悪い。全部あいつのせいだ。
「なあ花形、めちゃめちゃ健康なのに早死にする遺伝子の病気って知ってる?」
 花形は少しだけ沈黙して、メガネの真ん中を指でクイっと上げた。考えてるときのクセだ。
「長く生きるのが難しい生まれつきの病気ってのはあるだろうが……」
「それって、何歳くらいまで?」
「調べてみないとわからんが、たいてい子供じゃないのか? 藤真の話だと、健康ってのが気になるな」
「いや、大丈夫、ねえよな! うん!」
 真面目に調べる必要なんてない、ただのエイプリルフールのウソだ。長生きできないんならやっぱりそれなりに療養とかしてるだろうし、そうだ、だいたい余命二年ってのもどうなんだ? 一年とか、半年とか、もっと短いイメージがあるんだが。いやオレの中のイメージだけだけど……まあいいや、調べるほどのことでもねえ。やっぱりウソだな! ウソ!
 あーーむかつく。ムダに脳みそ消耗した。

 翌年の四月一日も、牧はそこで待っていた。
「おはよう、藤真」
「おはよ」
 オレは思いきりわざとらしく顔を顰めて見せた。一年前のこと、日ごろから思い返すようなことじゃなかったが、同じシチュエーションで待ちぶせされてたら思いだすなってほうが無理だ。
「そんな顔しないでくれ」
 するっつうの。で、今年の悪趣味なウソはなんなんだよ?
「桜の下に行く?」
「ああ」
 ふたりして、去年みたいに、道の端の桜の下に移動した。去年と同じ木かどうかは知らないけど。オレは疑わしさ全開で牧を見る。当たり前だ。牧は少しだけ困ったように笑うと、ゆっくり深呼吸をして言った。
「藤真、俺は、お前のことが好きだ」
「……!!」
 思いきり牧のほっぺたをビンタしようとしたが、あえなく手首を掴まれて止められちまった。顔が熱い。怒りと、羞恥心だと思う。だって、これは侮辱だ。
(去年のあれはウソだ。だから今年のこれもウソ)
 よくわかんないけど、悔しいって思った。去年は押し留めた怒りが、強い感情の流れと一緒に口から出そうだった。だけど我慢して、手を思いきり振り払うだけにした。牧の思い通りになってやるのが嫌で嫌で仕方なかったから。
「お前、ほんとにウソのセンスがねえんだな」
 ウソのセンスってなんだよって自分でも思うけど。
「……そうか?」
「そうだよ。なにが楽しいんだよ、こんな下らねえこと」
「そんなに怒るとは思わなかった」
「っは……」
 去年も似たようなこと言ってた気がする。でも、表情は全然違うな。なんつーか。なんて顔してんだ? 情けねえ。お前のせいだろ。
(……ふむ)
「そうだ。それじゃあオレもウソをついてやる。……来年の四月一日も、オレはここに来る」
 オレはそう言いきると、ダッシュで学校に向かった。
「藤真っ……!」
 振り返ってなんてやらない。今年、これから三年になるんだから、来年はもう翔陽には通ってない。つまり、意図しない限りここには立ち寄らない。それは牧にもわかってるはずだ。

 さらに翌年の四月一日。大学生活のスタートを目前に控えた春休みのただ中、桜の道を見渡しても、牧の姿はなかった。
 自分の来た方向から、こっち側だったかなーって道の端の桜に沿って歩くと、すぐにその姿を見つけることができた。
「……!!」
 桜の根もとに座り込んで、牧が目を閉じて眠っている……一瞬ゾッとしたが、ほんとに寝てるだけみたいだ。足音がしてたのか、すぐに牧の体がぴくりと動いた。
「牧」
「ああ、藤真……! 会えてよかった。時間の指定がなかったから、行き違いにならないように早めから待ってたんだ」
 牧は眠そうな様子も見せずに勢いよく立ち上がると、上半身をひねりながら腕を伸ばすストレッチをした。ズボンにくっついた花びらやら草やらをはらうのに腰を曲げたとき、頭のてっぺんにも桜の花びらがくっついてるのがちょっと面白かったけど言わなかった。
「死んでねえじゃん。ウソつき」
 最初のエイプリルフールから二年。あのとき牧が口にした余命は、今日でおしまいだ。「ああ、あれは嘘だからな。だが、その……」
 わかってても、オレは言わない。言うもんか。
「去年のは、嘘じゃなかった。本心だったんだ」
「なんだよその自分ルール、都合よすぎんだろ。……いや、今日だって四月一日なんだ、ウソじゃないってのが今年のウソかもな?」
 牧は困ったように頭を掻いた。
「ややこしいな」
「そっちから始めたことだろ」
「もう、エイプリルフールは終わりにしよう。これからはウソなんて言わない」
 牧は一拍置いて、厚い胸をさすって深呼吸した。真剣な目がじっとオレを見つめる。
「藤真、俺はお前が好きだ。……もちろん、恋愛的な意味で」
「ああ……」
 知ってたよ。去年の今日より、もっと前から気づいてた。だからエイプリルフールなんかに言われたのがめちゃくちゃむかついたし、ショックだった。あれからしばらく、まじで結構牧のこと嫌いになってた。
 どうせ雑誌かなんかで『エイプリルフールならフられても冗談にできるからその後も友達でいられる』みたいなしょうもねえネタを見たんだろ。それでオレのことどうにかできると思ったのか? って考えたらいい印象なんてねえよな。まあ、死ぬとかヘンなウソついてた時点で、牧ってオレが思ってるより案外セコいのかもしれない。
「藤真。返事を聞かせてくれ」
「一応、念のため聞いとくけど、死なないよな?」
「ああ、もちろんだとも!」
「なら、いいや。オレもお前が好きだよ、牧」
 だって、今日わざわざここに来たって時点で、答えは決まってただろ。ふたりとも。
「……!!」
 目を見開いて驚いた、だけど喜んでんだろうなって顔が近づいてきて、被さって、重なる。窮屈なハグと押し付けられる鼻と儀式みたいなキスを少しの間だけ許して──思いきり押し返した。
「藤真?」
「藤真? じゃねんだよ、こんな朝っぱらの道端で!」
「ああ、そうだな、すまん。じゃあどっか移動しようか」
「っふっ!」
 思わず吹き出してしまった。
「ん、どうした?」
「いやー、別に……」
 なんかさ、すげえ、なんだろう、平常心になるのが早すぎるっていうか、移動ってつまりいちゃいちゃできる場所に? とか思ったらツボってしまった。やっぱ下手なウソ考えるより、普通にしてるのが一番面白いよ、お前は。 
「それとも、もうちょっと桜を見てくか?」
「いいよ、いらない。花とか興味ないし」
 桜の花びらと比べるにはずいぶんと濃い色をした、牧の唇を見つめる。あったかくて、柔らかくて、きもちいい、厚い唇。……いちゃいちゃしたいのはオレのほうだった。

 その日の晩、牧からさっそくうちに電話が掛かってきた。昼間、番号を交換したんだ。
「藤真、今テレビでやってたんだが、イギリスでは四月二日は『トゥルーエイプリル』っていって」
「もうそういうのいいだろっ!」
 ──ガチャッ!
 容赦なくガチャ切りした。なんつーか、もともとそういうの好きだったんだろうか、あいつ。意外なのもあるし、懲りねえなっつうのもあるし。
 ──プルルル、プルルル……
 はあ、ってため息つきながらも電話に出てしまう。オレって付き合いいいだろう。告白やりなおしの猶予だって丸一年も与えてやったしな。
 牧は今日、キス以上のことはしてこなかった。健全におウチに帰る流れで正直ズッコケそうになったんだが、まあ、あんまり意地汚いと思われたくもないし? オレはまたしばらく、牧のスロースタートに付き合う羽目になるのかもしれない。

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