恋人カレはミス翔陽

1.

(今年もまたミス翔陽に輝いてしまった……)
 記念品として押しつけられた女装アイテム一式が入った紙袋をぶらさげ、藤真は暗澹たる思いで帰路についていた。
 ミス翔陽コンテスト。翔陽高校の文化祭で伝統的に行われている、男子生徒による女装のミスコンである。学校の色とでも言おうか、生徒たちに代々根づいた従順で真面目な気質のため、お笑い仮装大会のようにはならず、至極真面目に美少女男子高校生を誕生させるべく取り組まれている行事だった。
 二年前、藤真は一年にしてミス翔陽に輝いた。かわいいとは言われ慣れていたし、女装せずとも性別を間違われた経験もあるので、当人としても驚きはしない結果だった。じき校内外での人気も加わり、二年次と今年と、結局三連覇してしまったのだった。
(オレが高校生活で一番結果出したのって、実はミスコンかも……)
 順位としては事実そうなるのだが、否、と藤真は首を振る。
(文化祭の出し物よりは、さすがに全国行った二年の夏のが上だろ!?)
 しかしそのときの最後の試合は、特に藤真には『やりきった』とは言いがたいもので、思い返すだに苦い気分になる。
(は〜……オレって、女に生まれたほうが人生イージーモードだったかも)
 男の身では揶揄の対象になり得る中性的な容姿も、女に生まれていれば賞賛しかされなかったはずだ──など考えながら路肩を歩くが、自らの性別について重く深く悩んでいるわけでもない。ミス翔陽三連覇を成し遂げてしまったことへの、自虐のようなものだ。
(女バスだったら、あいつもいなかったわけで……)
 白と紫のユニフォームを纏った、引き締まった褐色の体躯と精悍な横顔が自然と目に浮かぶ。高校バスケの活動の中で、藤真の前に何度も立ちはだかった男。海南の牧紳一だ。「実力は拮抗しているが見た目は正反対だ」という第三者の言葉に、悪意はないと知りつつ無性に不愉快だったことを覚えている。
「……?」
 視線を感じた、気がした。強い違和感のほうを見遣ると、住宅の合間に切り取られたように残された小さな林の中に、これまた小さな祠と狐の像が見える。
「……???」
 藤真の自宅からそう遠くない、日々通っている道だ。祠の存在も昔から知っている、いわば見慣れたものだった。それに対していまさら何が気になったというのか、自分の感覚を不思議に思いながらも、何ごともなく帰宅した。
 
 翌日の月曜は文化祭の閉幕式、後片付け、清掃を終えると解散という日程だった。部活動は部によりけりだが、文化祭のために土日も休まず学校に出ていることから、バスケ部については自由参加の自主練とした。
 三年生にとって最後の大会だったウインターカップ予選は、海南との直接対決に敗れて終わった。その時点で三年は基本的には引退し、主将も藤真から伊藤に代替わりしたが、今年度中は監督不在のため、藤真は新人戦が終わるまで監督として参加することになっている。とはいえ伊藤に慣れてほしいこともあり、練習に付きっきりという状態は避けるようにしていた。
 帰る前に部活動を覗きに行くと、後輩たちから「ミス三連覇おめでとうございます」「藤真さんスゲー綺麗でした!」「藤真先輩はやっぱり神です」などなど、あまり嬉しくない賞賛を浴びてしまった。今日は部に立ち寄らずに帰るべきだったかもしれない。伊藤と少し話し、特に問題はないと言うのでそそくさと退散した。
 日の短い十一月ではあるが、いつもよりだいぶ早い帰宅のため、外はまだ明るい。学校から離れて人気が減り、自宅にほど近くなってきたころ、背後から男の声がした。
「藤真くん」
「……あ?」
 敵意のない、穏やかな声色に聞き覚えはない。振り返ると、翔陽の制服姿の男子生徒が立っていた。色白で黒髪、背はさほど高くなく体格は華奢。眉は女のように細く、切れ長の目が涼しげな印象を与える。
(すげー、しょうゆ顔)
 歌舞伎役者の家系にいそうな顔、というのが第一印象だ。動物のキツネを連想させる趣きの男子生徒に、翔陽の制服は似合っているとは言いがたい。見覚えはないものの、同校の生徒ということもあり立ち止まる。
「ミス翔陽おめでとう」
「……ありがとう」
 自然と愛想笑いを浮かべたのは見知らぬファンからの声援に慣れきっているせいだが、相手が翔陽の制服姿であることが、藤真を奇妙な気分にさせる。
(こんなヤツいたか……?)
 彼は藤真のことを『藤真くん』と呼んだ。つまり同級生ということだ。他の学年ならまだしも、これほど印象的な容貌の男が三年間同学年にいて、まったく見覚えがないということがあるのだろうか。
(いやー、まあ、普通にあるか? 見た感じ文化部系だから、部活のときには遭遇しないだろうし)
「お祝いってわけでもないんだけど、これをぜひ君にと思って」
 不思議そうな藤真の目の前に、小さなガラス瓶が現れる。中にはピンクと白の縞模様の、おそらくキャンディが何粒か。相手の男女を問わず、差し入れとして菓子類を貰うことにも慣れていたが、これもやはり少し奇妙だ。リボンもラッピングも、ありがちな添付の手紙も見当たらないし、小瓶に市販品のようなラベルもない。
「……ありがとう」
 しかし藤真は素直にそれを受け取った。相手の意図がどうであれ、それが一番穏便なのだとよく知っている。ありがたく食べるにしても、捨てるにしても、当人の知らないところで密かに行えばいい。
(こいつ化粧映えする系の顔だから、実は昨日のミスコンにいたとか? オレに恨みを抱いて嫌がらせとして怪しげなキャンディを──)
 ミスコン三連覇特有の発想から発生した妄想を遮るように、静かな声は、しかし異様なインパクトで藤真の耳に響いた。
「それ、女体化キャンディっていうんだ」
「……は? なんつった?」
「女体。食べると女の子の体になるキャンディなんだよ」
(こいつ……激マズか毒物か知らねえが、それでオレがこのキャンディを食いたくなると思ってんのか? 頭がよくなるとか逞しくなるとか、ウソつくにしてももっと普通なやつあるだろ!?)
 恨みを買った可能性よりも、この男のその発想がショックで、愛想のいい返しができない。
「……なんでお前がそんなもん持ってんだよ」
「そりゃあ、開発者だからね。ああ、自己紹介をしてなかったね。僕はコザキ。コザキヨウイチ。翔陽の化学部員だよ」
「科学部が、女体キャンディを開発? んなわけあるか」
「君、僕らの活動を知ってるの?」
「知らないけど……」
 入学後すぐに一切の迷いなくバスケ部に入部した藤真は、活動内容どころか科学部の存在すら知らなかった。とはいえ女体化など、高校の科学部の研究としてとうてい信じられるものではない。
「信じられないみたいだね。まあ、無理もないか。君にあげたものだけど、一個もらっていい?」
 コザキは藤真の反応も想定内といった様子で、藤真の手にある小瓶を指差す。高校生らしからぬ落ち着きには(こいつ、本当に薬を開発するような天才だったりするかも……?)と思わされなくもない。
「お、おう……」
 藤真は素直にコザキに瓶を渡した。差し入れに対するお約束対応として受け取っただけで、怪しさしかないキャンディを欲しいとも惜しいとも思わない。コザキは蓋を開けて瓶を傾け、手のひらにキャンディを一粒転がす。
「待った!」
 藤真は瓶を取り返すと、自らの手のひらにキャンディを一つ取り出した。コザキのキャンディを指でつまんで瓶に戻し、交換に自分のキャンディを渡す。
「疑り深いな。全部一緒だから、どれでも大丈夫だよ」
 コザキは言うと、藤真から渡されたキャンディを躊躇なく口に放り込んだ。
「……」
「……」
 コザキはキャンディを舐め、藤真はじっとそれを見つめる。
「……これ、効果出るの全部舐めきってからなんだけど、時間大丈夫?」
「今日早いし、全然平気」
 最後まで見届けなくては毒見にもならないではないか。そう思って頷いたものの、道の端で立ち尽くして待つのも不自然に思えた。
「……場所変えるか。近くに公園がある」

 公園のベンチに二人横並びに座り、藤真は肉の薄い頬のキャンディの膨らみを見つめ、それから退屈そうに傾く太陽に視線を移す。
(無視してとっとと帰ればよかったかも)
 瓶の中のキャンディが、さほど美味そうに見えたわけでもない。わざわざ毒見をさせずとも、信用できないなら持ち帰って捨てればよかったのだ。
(女体化なんて頭おかしいこと言うから……)
 結果的に興味を惹かれてしまったのだから自分の負けかもしれないとも思う。
(てか、素で自分のこと僕って呼ぶやつなんて実在したんだな。初めて会った)
 そんなことを考えていると、コザキが苦しげにうめきだした。
「んぐっ! はぁッ……!」
 一方の手で喉を押さえ、もう一方の腕で上半身を抱えるようにして、ベンチに座ったまま前屈の姿勢になる。
「おいっ、大丈夫か!? ……おい!?」
 救急車を呼ぶべきだろうか。コザキが自らの体を抱えて震えていたのは、しかし藤真がそれを考えた数秒の間だけだった。
「っ……ふぅ。無事、女になったよ」
 なんともないように体を起こし、藤真に向けられた顔は、少し前となんら変わっていなかった。涼しげに整った、純日本人的な顔だ。
「別に、なんも変わってねえじゃねえか」
 声は高くなったような気もするが、初対面で聞き慣れた声でもないため、気のせいかもしれないし、器用に女の声真似をしているのかもしれない。
「見てくれ、胸が膨らんでる」
「あ……」
 コザキがジャケットを左右に広げて見せた、ワイシャツの胸には確かに男にはない膨らみがある。しかし、そんなものは昨日の藤真にだってあった。
「なんか詰めてんだろ」
 コザキのジャケットの中をまじまじ見たのは今が初めてだ。元から用意していたのかもしれないし、苦しんでいるふりをして体を折っているときに仕込んだのかもしれない。
「直接見るかい?」
「えっ」
「大丈夫だよ、元は男なんだし」
 コザキは躊躇せずシャツのボタンを上から外していく。ほどなくして白い肌と、さほど大きくはないが明らかな女の乳房が現れた。
「!?!?!?」
 視線を上下させ、コザキの顔と胸を何度も見比べる。相撲取りのように太っているわけでもなし、むしろ痩せ型の男の胸に、あるはずのないものがついている。信じられない藤真は、仮装用の作り物の胸部を想定しながらそれを鷲掴んだ。
 ──むにゅっ
 柔らかい。それに、指のめりこんだ根本からしっかりとコザキの胸にくっついている。藤真は慌てて手を離し、覚えのないわけではない感触を振り払うように、大袈裟に手を振った。
「えっ、なに、きもっ!」
「君、ひどいな。まあ、ミス翔陽から見たらそうだろうね」
 コザキは特に非難する調子でもなく淡々と言って、シャツのボタンを閉めていく。
「ごめんて、そういうつもりじゃない。……じゃあ、下も?」
 藤真はコザキのズボンの股間を指差した。
「うん。見るかい?」
「えっ、いや、それはいいかな……」
 大浴場で男の全裸を見てもなんとも思わないし、同意がある状況で女の裸を拒むほど藤真は初心ではない。しかし公園で初対面の人間の陰部を見るかと問われれば拒否したかった。
「信じてくれたってことだね」
「……たぶん」
 そもそも彼とは今日が初対面だ。実はもともと女子で、男の制服を着ているだけということはないだろうか。自分でも無茶苦茶なことを考えているとは思う。しかし、女体化キャンディだなんてもっと無茶苦茶だ。
 納得しきらない藤真をよそに、コザキは饒舌だ。
「女体化の効果は一日。朝使おうが夕方使おうがその日限り、寝て起きたら終わり」
「終わりって? 男に戻るってことか?」
「そうだよ。じゃなきゃ僕だって簡単にキャンディ舐めたりしないよ」
「そりゃそうか。何時間経ったら終わりじゃなくて、寝て起きたら終わりなんだな」
「うん。寝てるときって、休んでるようだけどいろんな細胞が活発に働いて、身体の機能を回復させようとするんだ。その働きの中で、性別も元に戻っちゃうんだよね」
「あー。なるほど」
 確かに寝るとリセットされるしな、と極めて大雑把に納得する。
「他に質問は?」
「え、特にない……かな」
「そっか。じゃあ僕は帰るよ。じゃあね!」
「あ、おいっ」
 コザキはぴょんと飛び退くように立ち上がると、ひらりと手を振って小走りに立ち去ってしまった。文化部然とした男の舞うように軽やかな所作を、藤真は呆気に取られて見送る。
(なんでオレにこんなもんを? って質問するんだった)
 手の中の小瓶が透き通った音を立てる。中身は思ったより少なかったようで、残りは四粒だ。

 もしも自分が女だったら──それは単なる〝もしも〟の空想でしかなく、願望というレベルで考えたことなどなかったはずだ。しかし、いざ手段を入手すると俄然興味は膨らんで、自然と早足になっていた。自覚はないが、バスケ部主将を伊藤に交代してからというもの、藤真は暇を持て余し刺激に飢えていたのだった。
 帰宅して二階の自分の部屋に入ると、着替えもせずにキャンディを口に放り込む。懐かしい感じのする、甘酸っぱいイチゴ味が口の中に広がった。
(寝れば戻るっていうなら、せっかくだから試してみたいじゃん?)
 誰にともなく頭の中でいいわけをしながら、舌で執拗にキャンディを舐め溶かしていく。
(明日、あいつが男に戻ってるの見てからのほうがよかったかも……)
 にわかに襲った不安を、首を横に振って追い払う。
(いやいや、元に戻れなくなるんならさすがに自分で食わねえだろ。大丈夫だって!)
「うっ……!」
 じき、体が熱く、胸と腹の奥底が疼くように鈍く痛みだした。
(これか〜!)
 ベンチに座るコザキの仕草を思いだし、なんとなく納得しながらベッドに転がり体を丸める。苦しい。体の中で、明らかに何かが起こっている。怪我はあれど病気はしたことのない藤真には、どこがどう痛いとも形容しがたい感覚だったが、コザキが毒見をしてくれたおかげでさほど不安はなかった。
「……?」
 気の遠くなるような感覚から体を起こすと、すぐに自らの肉体の違和感に気づく。
「!!」
 ワイシャツの下の胸は隆起して、股間に長年あったはずのものの存在は確認できない。胸はともかく、これはなかなか衝撃的だ。
(失って気づく大切さ、みたいな歌あったよな……)
 想定外の喪失感にうろたえつつ、何もない股間をズボン越しにさする。下腹部から脚の間、そして腰を下ろすベッドの上に指先が辿り着くまでに、遮るものは何もない。何もないのに敏感なようで、無視しきれない奇妙な感覚にきょろきょろと周囲を見回す。自分の部屋だ、もちろん誰もいない。
(自分のカラダなんだから、普通見るよな。やましいことなんてない)
 ジャケットを脱ぎ、そわそわと落ち着かない気分で、シャツのボタンを下まで全部外す。平らなはずの胸には、やはり二つの膨らみが──女の乳房が発生していた。恥じらいでも興奮でもなくひたすらに奇妙な気分で、両の手でそれを掴んで揉んでみる。柔らかい、が
(胸小さっ! どうせならもっとデカくしてくれたらいいのに)
 ベッドから移動してクローゼットを開け、扉の内側に付いた姿見に自らを映してみる。細身の女の体に、よく知った頭部がついている。
(うーん……)
 正直なところ、自分の女装姿はかわいいと思うのだが、現在の姿についてはそう思えなかった。あまりに見慣れた顔と髪型と、見知らぬ女体とのキメラのように感じられる。
(ま、そのうち見慣れるか。てか背縮んだか? 痩せた? いや太った?)
 鏡に向き合った感じでは、おそらく身長は少し縮んでいる。腰にくびれができて細くなったように見えるが、逆に今までなかった箇所に肉が増えている気もしてよくわからない。
(んでやっぱ胸小せえな、乳首はでかくなったけど)
 手に収まってしまう乳房に物足りなさを感じつつも、物珍しさからしばらく触っていた。柔らかく、感触はよいはずだが、思いのほか楽しくない。
(自分の胸じゃ、さすがにドキドキしねえもんな)
 部活動に打ち込みたくて別れてしまったが、中学生のころは彼女がいたし、行為もあった。特に大人びていたとか、素行が悪かったつもりではなく、藤真の周辺は皆そうだったので、普通のことだと思っていた。
 当時は女子の体、特に豊満な胸は素晴らしく魅力的なものだと思っていたが、好きだったのはおそらく胸そのものではなかったのだ。自分の体にそれが発生したところで、同じ気持ちは生まれそうになかった。
(あんまり感じないし……)
 乳首が敏感なことはわかるし、触っていると何やらむずむずしてくるのだが、快感として捉えるにはまだ至らない。
(さて)
 なんとなく抵抗はあるが、下半身も確認しなければならないだろう。スラックスの前を開け、下着と一緒に掴んでひと思いに下ろす。
「うわっ!」
 鏡に映った下半身に驚き、発した自分の声にまた驚いて慌てて口をつぐんだ。
(ちんちんがなくなって股が割れてる!! 声も女っぽくなってる!)
 頭の中で何度も「ウワーウワー」と騒ぐ。大騒ぎだ。女の局部を見られて嬉しいだのエロいだのという感想はいっさいなく、ただ猛烈な戸惑いと虚無感に襲われていた。
(ちんぽが無いなんて、ヘンな感じ……)
 スレンダーで均整のとれた、モデルのような美しい女体なのだが、いかんせん今の藤真は客観的な評価を下せる状態ではない。
 明確な目的はなく現状確認の意味合いで、おずおずと股間に手を伸ばして触れてみる。
「んっ」
 何もない、〝無〟のように思えた外陰部の皮膚はひどく柔らかく敏感で、途端に藤真の興味を引いた。胸に触れたときとは違う、明らかな性感の気配だ。
(別に、自分のだしな……?)
 薄い皮膚をふにふにと撫でまわし、割れ目の間にそっと指を沿わせる。じっとりと湿った陰部を観察するように探るうち、明確な快感を生む場所にたどり着く。
(あっ、これ、気持ちい……)
 知らなかったわけではないのだ。ただ、いくら自分のものとはいえ、真っ先にそこに触れてしまうことには遠慮と照れがあった。
 恥裂の奥に身を隠していた陰核は、触れるたびにぷっくりと隆起して、藤真の身にも覚えのある、甘く痺れるような快楽をもたらす。
「んっ、ん♡」
 指先で弾くように小刻みに愛撫するうち、膣口からたっぷりと滲み出た愛液が指にまとわりつき、なおさらそこを敏感にする。指に触れる粘膜の感触も、くちゅくちゅと聞こえる音もたまらなくいやらしい。
(クリトリスは女のちんぽって話、ほんとだったんだ……)
 空いた右手で胸をまさぐる。硬くなり、はっきりと輪郭をあらわにした乳首をつまみ、弄りまわすと、今度はいくらか感じるようだった。
 左手の指は、陰核と膣口とをもどかしげに行き来している。
(じ、自分のカラダだしっ!)
 もう何度目になるかわからない文句を唱えながら、右手を胸から股間に持っていく。
(入るかな……)
 左手で陰核を触りながら、右手の中指で膣口を掘るように弄る。充分すぎるほどに濡れたそこは、ひくりと収縮しながら指を受け入れてしまった。
「っ、ぁっ…!」
 思わずこぼれる高い声を、喉の奥に飲み込む。あまり声を出してはさすがにまずい。挿入した指を蠢かせ、熱く柔らかな内部を探る。
(気持ちいいような、あんまり感じないような……指だからか?)
 しかしその状態で陰核を撫でると、興奮とともに快感が増して感じられた。
「はッ…♡」
 挿入した指を掻き回しながら、陰核への執拗な愛撫を続ける。快楽に体がとろけるイメージとともに、早熟な陰部がぬちゅ、くちゅと音を立てる。
(あっ、あぁっ、アッ……♡♡♡)
 声を殺し、頭の中で喘ぎながら、覚えたての自慰行為に没頭する。勃起して敏感になった肉芽に指先がかするだけで、強烈な快感が奔って体が跳ねた。
「くふっ…はぁっ♡ ンンッ♡」
 立っていられなくなって床に膝をついても、なお行為をやめられない。挿入する指を二本に増やし、しきりに出し挿れする。密度を増した内部の擦れる感触も好いが、それ以上にこの動作への興奮によって快感が増幅されていると思う。
「っく、ぅ…♡」
 押し殺した声を、存分に上げられたらどんなに気持ちいいだろう。体を出入りするものが女の指ではなく、逞しい男性器だったなら、いったいどれだけの感触が得られるのだろう。
(あぁっ! ちんぽっ…ちんぽ欲しいッ……!)
 できる限り奥へと指を押し込み、貪欲に快楽を求める。気の遠くなる恍惚の中、体は制御がきかないようにうねり震えているのに、手指はしっかりと意思を持って同じ動作を繰り返すのが我がことながら滑稽だった。逸楽の責め苦の中にとどまっていたいようにも、解放されたいようにも感じながら、指の動作が小刻みに早くなる。
「んクッ♡ はぁっ、ンッ……!!」
 体を二つに折り、唇を引き結んで悶絶しながら、快楽のさざ波に追われるように昇りつめていく。丸めた背中が、壊れた玩具のようにビクビクと痙攣していた。
「ふーっ……」
 開放感と気だるさに同時に襲われながら、藤真は深く長く息を吐く。
(イッた、のか……?)
 根元まで咥え込まれていた指を引き抜いて見ると、粘性の強い愛液がたっぷりと絡みつき、二本の指の間にねっとりと糸を引いた。
(うわっ、エッロ!)
 体の奥が、再びじゅわりと熱くなる。欲求に抗わず陰核に触れると、軽く擦っただけでおかしいくらいに体が跳ねた。強すぎる刺激に危機感を覚え、藤真はおとなしくティッシュに手を伸ばす。
 それでも続けたらどうなるのか、興味はあったが、自分でできるものではないとも感じた。女の体は敏感すぎて、そして終わりがわからない。
(自分だとやめちまうから、やっぱ男にヤられる必要があるんだろうな……)
 熱に浮かされたようにぼうっとする頭で納得しながら、指と股ぐらをティッシュで拭い、すっきりしない気分のまま男性ものの下着をつける。
(なんか落ち着かねえの、射精してないから賢者タイムが来ないんだな。たぶん)
 パジャマを着ようかと思ったが、時計を見るとまだ早いと思える時間だった。眠って朝になれば、男の体に戻ってしまう。一人密かに触れただけだなんてあまりにもの足りない。この重大な事実を誰かに教えたい。そしてあわよくば──
(女になったからには、やっぱエロいことしたいよな。男の子だもん!)
 真っ先に思い浮かんだ人物に、藤真は躊躇なく電話を掛ける。
「もし? 花形居たな? 今から家行くから、それじゃ」
『おい? 待っ』
 ガチャッ!
 幸い本人が出たので、有無を言わさず要件のみを伝えて電話を切った。女装していこうかと一瞬思ったが、我に返って普段着のジーンズとパーカーに着替えた。

「なんかあったのか? 急に押しかけてきて」
 自らの部屋に藤真を迎え入れた花形は、訝しげにこそすれ、決して迷惑そうな様子ではない。いつもそうだった。そうして藤真の話を聞いたり、ストレス解消に付き合ってくれた。藤真は自分についてきてくれた翔陽の部員全員に感謝しているが、花形がいたからこそ選手兼監督としてやってこられたとも思っている。
 藤真は花形のことを完全に信頼しているし、花形もまた藤真のことを許し続けてきた。自らの肉体の秘密を花形に打ち明けることに、躊躇はなかった。むしろ彼しかいないとまで思った。
「あのな、実はオレ、女になったんだ」
「……それは」
 ついに掘られたのか? と言いそうになったがこらえた。もしそうだとしても、今の藤真は傷ついているようには見えないので、悪い意味合いの報告ではないだろう。女の声真似をする余裕があるくらいだ。
「どういう意味だ?」
 藤真は花形の手を取り、自らの胸を掴ませる。
「……なんか詰めてるのか? あと、背が縮んでないか?」
 女になったとはつまり、文化祭での女装がきっかけで、日ごろから女装する嗜好に目覚めたということだろうか。
「違うってば。まあ、見ないと信じらんねえよな」
 藤真は後ろを向いてパーカーとその中に着ていたシャツを脱ぐ。心なしか背中が華奢に見えるし、三年間同じ部にいて上半身の裸くらい見慣れたものなのに、わざわざ後ろを向くのも奇妙なことだった。
「オラ、よく見ろ! ジャーン!」
「……!?」
 花形に向き直り、効果音とともに腕を広げた、平らなはずの藤真の胸には、小ぶりだが形のよいふたつの膨らみがあった。花形はそれを凝視し身をこわばらせ、冷静を装って眼鏡のブリッジを指で押し上げる。
「特殊メイクか?」
「んなわけねえだろ。ほら、ホンモノの感触」
 藤真は花形の手を再び取り、直接自分の胸に触れさせる。
「むっ……!?」
 心なしか花形の顔が赤くなった気がする。とても面白い。
「おっぱい揉んでいいぜ♡ ほら両手で♡」
 もう一方の手も同じようにして胸を掴ませ、広い手の甲を上から包むようにして揉ませる。花形は眉を吊り上げ、目を据わらせて──おそらく非常に当惑しながら、少しの間されるままになっていた。
(やば、他人の手だとおっぱい感じるかも……)
 そう思ったところで、花形の手が離れていった。
「なんだ、本物の、胸……!?」
 顔を真っ赤にして眼鏡を直し、藤真の胸を一瞬見るが、慌てて目を逸らす。
(花形ってこんな反応するんだ。おもしろ)
「恥ずかしがるなよ、元は男同士なんだから」
「い、一体どうしてそんなカラダに……」
「科学部のコザキってやつ知ってる?」
「知らん」
「だよな。まあともかく翔陽には実は科学部があって、そこで開発してる女体化キャンディってのを貰って食って、女の体になったんだ」
 つっこみどころが多すぎて、どこから片付けるべきなのかわからない。
「お前、無防備にそんなものを……」
「無防備じゃねえよ。コザキ本人が食うのを見届けたんだ。で、寝て起きれば男に戻るって言うから興味本位で食ってみた」
「そんなことがにわかに信じられると思うか?」
「信じる信じないじゃねえだろ、実際女体化してんだから」
 もう一度花形の手を捕まえて胸を触らせようとするが、全力で拒否されてしまった。
「そうだ、お前童貞だろ? まんこ見せてやろうか!」
 爽やかで朗らかな笑顔はよく見慣れたもので、しかし声は女のように高く、その胸には女の乳房が生えている。これは悪い夢だ。疲れているのか、変なものを食べただろうか。花形は額を押さえた。
「いい、結構だ、悪いが帰ってくれないか……」
「なあなあ、ふじまんこって響きかわいくね?」
 しかし藤真は引き下がらず、猫のように体を寄せてくる。部活のストレッチのほうが密着度が高いくらいの接触だが、いかんせん状況が違いすぎる。花形は意識して無愛想な顔を作った。
「かわいくない」
「じゃあかわいくなくていいからセックスしようぜ」
 花形は明らかにうろたえ、藤真はいっそう愉快な気分になる。こんなに憔悴する花形の姿は初めて見たと思う。
「なんでそうなる……?」
「せっかく女の体になったんだから、女のセックスを体験してみたいじゃねえか」
 藤真はごく当然のようにそう言ってのける。
「なるほど、まったくわからん」
「お前も女になってみればわかるって。キャンディ一個やろうか?」
「いらん!」
「オレは女のセックスを体験して、お前は童貞卒業して。ウィンウィンだろ、なにが嫌なんだよ」
「別に俺は高野みたいに童貞コンプじゃないからな。誰だっていいわけじゃない」
「お前、ミス翔陽三連覇のオレで不足だっていうのか!?」
 藤真はさも信じられない、異常だとでも言いたげな目で花形を見る。花形としても、藤真が可愛らしくて美人であることは認めている。しかし彼は根本的にわかっていないと思う。
「美人度合いと好みは違う。俺にだって好みがある。お前は体が女になっただけで、完全に藤真じゃないか」
「まじかよ、お前、ブス専だったのかよ……」
 そんなことは一言も言っていないのだが、否定するのも面倒になって投げやりに答えた。
「そうなんだ、実はな。だからお前のことは抱けない。今日はもう帰ってくれ」
 帰ってというか、早くこの悪夢が覚めてほしいのだが──バカ、アホ、インポ、と呪詛のように呟く藤真に甲斐甲斐しく服を着せ、背中を押して玄関の外に出し、彼の自宅の方向に歩きだすまで見送った。

(なんだあいつ、オレのこと拒否りやがって! 一生童貞でいやがれ!)
 自宅に向かって歩きながら、捨て台詞のように頭の中で叫んだが、おそらくそのとおりにはならないと思う。翔陽バスケ部において藤真の人気が飛び抜けていたのは事実だが、花形も結構な人気なのだ。一説には、藤真よりも〝重い〟ファンが多いとも言われている。少し前まで部活動、今は受験勉強で忙しくそれどころではないだろうが、大学に進めばすぐに彼女ができるだろう。なんとなく悲しくなってしまった。
(オレは男状態でもミス翔陽だったんだから、女になれば無敵のはずなんだが? まあ、花形がブス専だっていうならしょうがねえよな。……えー、じゃあ誰とやれっていうんだよ!)
 このまま何もせずに眠って男に戻るなど、すっかり火のついてしまった好奇心と藤真のプライドが許さない。面白くない気分で少し行くと、暗がりを歩く女子高校生の後ろ姿が視界に入った。スカートを短くして、肩から下げたサイドバッグに大きな花の飾りをつけている。鮮やかなオレンジ色の花に、目の前が開けた気がした。
(そうだ、援助交際!)
 近ごろ一部で話題になっている、カジュアルな売春である。藤真は単なる噂としてではなく、もう少し具体的な情報を中学時代の女友達から聞いて知っていた。ここからそう遠くない横浜の歓楽街の一角が援助交際前提の声かけスポットになっていること。援助交際目的の女子は、バッグや手首など見える場所に花の飾りをつけること。
 前方に見える女子が果たして本当にそういった目的かは不明だったが、そんなことはどうでもいいのだ。
 急ぎ自宅へ戻ると、男の格好をしているうちにと台所の母親に声をかける。
「お母さん、これから出かけるから、晩御飯いらない」
「あら、そうなの? ていうか声変じゃない?」
 多少声が高くとも、さすがに息子が娘になっているとは想像しないようだ。当然である。
「うん。なんかノド変なんだ。寝たら治ると思う」
 二階の自室へ上がると、あまり使わないものを適当に放り込んでいる収納ケースをかき回した。
「あった!」
 揚揚と引っ張り出したものは、ひまわりの造花のキーホルダーだった。花の大きさは八センチほどだろうか。バッグに付けていれば問題なく確認できるはずだ。
(いや〜、取っとくもんだな。冴えてるなオレ!)
 昨年の夏に、八月の誕生花だからと牧が唐突にくれたものだった。
『……なんで?』
『八月生まれだろう?』
『そりゃ、そうだけど』
 通りすがりに見かけてつい買ってしまっただの言っていた。ならば自分で持っていればいいのではと思ったが、かさばるものでもないので貰っておいたのだった。
(オレ、牧に誕生日の話なんてしたことあったっけ?)
 ともあれキーアイテムは見つけた。あとは女子高生の格好に着替えてそっと家を抜け出し、目的地に向かうのみだ。制服、ミディアムヘアのハーフウィッグ、簡単なメイク道具に下着──悲しいことに、女装一式は手もとに揃っているのだ。
 
 
 

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