ユニフォームや制服姿でなくとも、彼の姿は不思議と目に飛び込んでくる。確かに多少目立つ容姿はしているだろうが、それだけではない、独特の存在感があるのだと思う。
「よう藤真、なんだその荷物は?」
友人という言葉は少し違うと感じるが、『俺たちは似てる気がする』と言ったら変な顔をされてしまった。ラベルのないままの存在は、今日は両の手にひとつずつ大きな紙袋を提げている。
「あれ、牧。なんでこんなとこに」
「なんでってこたぁない、たまたまだが」
藤真に出会うなどとは思っていなかったので、むしろ牧のほうが聞き返したいくらいだった。紙袋の中には、リボンなどでラッピングされた小さな箱がいくつも入っているようだ。
「今日バレンタインなの忘れてて。学校にちょうどいい袋があって助かった」
「それ全部チョコか。さすがだな」
藤真に女子ファンが多いことはもちろん知っているが、具体的な物量を見ると圧倒されてしまう。
「部活のやつらにも配ったんだけどな。お前は?」
学校の鞄しか持っていない様子の牧を、藤真は不思議そうに見る。
「後輩から義理チョコをもらったんで、その場で食った」
「その場で?」
「みんなにって感じでもらったんで、みんなで食った」
「ああ、そういう……嘘だ、本命チョコとか隠してんだろ。別に興味ねえけどさ」
「本当にそれだけだ」
「うっっそ。海南地方って女住んでねえのかよ」
そんな地名ではないのだが、ひとまず置いておく。
「住んでないことはないと思うが」
「ふぅん。じゃあ見る目がねえんだな。……そうだな、ちょうどいいや、なんか持ってけよ」
藤真は左手の紙袋を持ち上げ、牧の目前まで差し出した。
「お前がもらったもんだろう」
包装されているだろうに、チョコの香りが鼻腔をくすぐる。冷たい空気と甘ったるい香りに、むっつりとした藤真の表情が不思議と融け合って見える。見据える瞳に胸の底で何か弾かれて、そこから温かな──熱いものがじわじわと湧き出し、体じゅうに広がるようだった。
「いらねーならいいけど」
「いや! せっかくだからもらおう」
近くのベンチにふたりで掛けて紙袋の中を漁る。「手作りはちょっとなぁ、悪いけどこええよな」と言う藤真に頷きながら言葉は耳をすり抜けて、藤真の頭の輪郭を、さらさら揺れる淡い色の髪を眺めていた。実際はアグレッシブな男で、監督として厳しく振る舞っていることも知っているが、それでも彼は甘そうに見える。チョコよりはハチミツやマーマレードのほうがイメージに合うが、と考えていると、パッと花が開いたかのような笑みがこちらを向いた。
「これいんじゃね。牧っぽい」
「!! そうか? じゃあそれもらうか」
「あとは?」
「ひとつで充分だ」
チッと小さな舌打ちが聞こえる。
「もっと持ってけよ。まあいいや、オレが牧を太らせたとか言われても困るしな。それじゃ」
藤真は紙袋を引き寄せると、牧の返答も待たずそそくさと立ち去ってしまった。
「ああ……」
(まだ、忙しいんだろうか)
あまりに素早い撤収に、引き止めるどころか礼も言えなかった。すぐに見えなくなった藤真の背中から、渡されたチョコの箱に視線を移動する。紙袋の上の方に覗いていた可愛らしい包装のものではなく、茶色系統のシックな箱に紺色のリボンが掛かっている。洋酒を使ったチョコのようだ。
(俺っぽい、か……)
イメージはどうであれ、『牧っぽい』と思って選んで渡してくれた。それが無性に嬉しい。振り返れば、義理チョコしかもらっていないと言ったやりとりの中にも彼の優しさが滲み出ていたと思う。
(藤真はやっぱりいいやつだ)
〝顔人気〟だのと言って、彼を正当に評価しない人間も知っている。牧にはとうてい理解できないことだった。
(顔なんて、いいに越したことねぇだろう。なあ)
チョコの包みを抱え、上機嫌で歩いていると、またもや見知った顔に出会う。人の行き交う中でも頭ひとつ飛び出て見えて、どうにも見間違いようのない容姿だ──と、相手も全く同じことを思っていた。
「お、牧さん。嬉しそうっすね、バレンタインチョコですね」
仙道もまた、嫌でも今日の行事を思い知らされるほうだから、牧のそれがチョコだと一目でわかった。試合の外で牧が穏やかな表情を浮かべることも、見慣れはしないが一応知っている。しかし次の言葉には顔を引き攣らせた。
「おう、いいだろう。藤真からもらったんだ」
「へ、え〜……そりゃ、よかった……?」
貰いすぎたチョコのお裾分けだと考えるのが普通だろうが、さも嬉しそうに、にこやかにチョコを掲げる牧の様子からすると、そうではないのかもしれない。チョコの包みも絶妙に渋いし、牧のために藤真が用意して渡したということなのだろうか。
(そうだとして、それはおおっぴらに俺に報告することなんです……?)
突っ込みたいような、突っ込んではいけないような。藤真は第三者に報告されるとは思っていないのではないかと考えると、非常に複雑な気分だ。
「ホワイトデーのお返しを考えておかないとな。仙道はお返しはするのか?」
「ごく一部っすね。全員はちょっと」
女子へのお返しのアドバイスならばできるかもしれないが、この展開では──
「藤真の好きなもんとか、知らねえか?」
ほら来た! 仙道は内心ため息をつく。
「俺が牧さんより藤真さんについて詳しいと思います?」
「お前は微妙に図々しいところがあるから、もしかしてと思って」
(あんたに言われたくないですよ! いや、この人は図々しいじゃなくて図太いかな)
目上への礼儀というよりは単に彼の性分として、あくまでポーカーフェイスを保って返す。
「そういうのは花形さんがいちばん詳しいんじゃないですか」
「花形か。あいつ話しづれぇんだよなぁ」
「でもたぶん、藤真さんに辿り着くには越えなきゃいけない壁ですよ」
いろんな意味で、と頭の中で付け加える。わからなくはないが、牧でも苦手意識を抱く人間がいるのかと思うと少し面白い。
「越えるしかないのか? 避ける手もあるんじゃねえか?」
「どっちでもいいですけど、穏便にいってくださいね」
「そうだな。三月ってあっちはまだ忙しいんだろうか」
「ていうかもう卒業してますよね? 三月十四日って」
「!! そうか! なんてタイミングなんだホワイトデー、卒業後に会う口実の行事じゃねえか!」
「……寒いんでもう帰りますね。それじゃ」
「おう、ありがとう!」
なぜか感謝されてしまった。応えるように手をひらひらさせて歩き出す。仰いだ空は灰色だった。
(大変だなぁ……)
ふたりの関係の実際のところは知らないが、牧がいわゆる天然であることは察している。具体的に何が起こると思うわけでもないが、なんとなく藤真のことが心配になってしまった。
(藤真さんて、見た目の割に苦労するタイプって感じなんだよなぁ。俺みたいに)
いやいや、関係ない、こっちだって大変なんだと頭を振って、自らのホワイトデーに想いを馳せる。