きみを知った日

【R18】牧藤はじめて物語。出会ったり致したりします。全4話 [ 1話目:5,899文字/2019-07-09 ]

1.

 痺れるように、鮮烈だった。
 動きの硬い選手たちの隙間を縫って、スピードに乗った小柄な体躯が飛び込んでくる。まっすぐこちらを向いた造作は少女めいていながら、大きな瞳の奥にギラギラとした光を湛えていた。心臓を射抜かれたような、このインパクトはなんだ。
「……っ!?」
 反応が遅れた、否、動きを読めなかったのか。しなやかな風が身体の脇を抜けていく。
(巧いっ!)
 やられた、振り返るまでもなくそう確信していた。
「牧が抜かれた!」「まじかっ!」
 海南ベンチの動揺の声。小気味良い踏切と、ボールがゴールを通る音。
「藤真ぁ! 決めたァ!」「やった、すっげえ!!」
 そして翔陽側の歓声とが牧の鼓膜を震わせ、しかしそれすらすぐに意識の外に追いやられる。
「っしゃあ!」
 藤真と呼ばれた少年は拳を握ってこちらを顧みると、瞳を細めて挑発的に笑った。つい先ほど交代で入った、周囲と比べて随分と小柄で華奢ではあるが、強い存在感のある、華やかな毒を感じさせる男だった。
 チームメイトが牧の背中を叩く。
「あいつも一年だってよ、牧。練習試合だからって手ェ抜いてんなよ」
「ああ……もちろんだ」
 今日の練習試合は両校の一、二年によるトライアル的なもので、牧もその重要性は理解しているし、手を抜いたつもりはなかった。翔陽にもいいポイントガードが入ったようだと試合前に聞いたが、藤真のことだろう。牧は確信とともに口元を歪め、愉快だと言わんばかりに微笑した。
 藤真の入った翔陽は、全く別のチームのようだった。レギュラーも固まっていないこの時期の試合、チームワークが心もとないのはお互い様だ。それでも皆が藤真に期待を寄せ、彼の投入によってこの試合に勝てるかもしれないと思い始めたことで、チーム全体の動きが良くなった。勝つことにはフィジカルのみでなくメンタルも非常に重要だ、牧は若くしてそれをよく知っていた。
 牧が肌で感じるものとそう遠くないことを考えながら、海南の監督である高頭はトレードマークの扇子を扇いだ。
 翔陽の勢いは感じるものの、そう簡単に逆転を許しては海南ではない。チームを鼓舞する藤真の存在に、牧もまた闘志を煽られ調子を上げていく。練習試合、さらに互いに一年同士とは思えないハイレベルなプレイに、チームメイトもギャラリーも大いに湧いていた。
(二人とも、随分と楽しそうにプレイするもんだ)
 まるで大きな子供だ、いや年齢的にはまさしく子供か、と高頭は頷きながら顎を掻いた。
(無論、遊びに来たわけではないのだがね)

「ありがとうございました!」
 試合終了の挨拶をするや否や、藤真は大袈裟に息を吐いて体育館の床にへたり込んだ。さほど暑い日ではなかったが、すっかり汗だくだ。
「おい藤真、大丈夫か?」
 すぐ隣に立っていた長身の黒縁眼鏡の一年──花形が慌てて屈み込む。
「大丈夫、疲れただけだ。少し休ませてくれ」
 無理もないと頷くと、花形は友人のことを気にしつつも体育館の片付けに加わる。
 翔陽サイドが軒並み絶望するほど、牧はシンプルに強かった。飛び抜けて上背があるわけではなかったが、鍛え上げられた肉体は彼を実際よりも大きく、立ちはだかる壁のように見せていた。見掛け倒しなどではないパワーと巧さもあり、弱点らしい弱点が見えない。藤真はそれに対して唯一渡り合っていたように見えた。気が強いようでいて無性に庇護欲を掻き立てる、この友人の試合での強さに、花形は正直なところ驚いていた。

 チームメイトから受け取ったタオルで汗を拭う藤真に、歩み寄って来る者があった。床に落ちた薄い影を辿るように目線を上げると、見慣れないバスケットシューズ、筋肉質な浅黒い脚、黄色と紫のラインの入った白のユニフォームが順に視界に入る。これは海南の──
「よう、お疲れ。楽しかった」
 予想通り、牧だった。おおよそ高校生には見えない落ち着いた面立ちに、湛えた笑みと言葉からそこはかとない余裕を感じて、藤真は眉間に皺を寄せたがその口元は笑っていた。
「ほんとに疲れた。一年だろ? 一体なに食ったらそうなるんだよ」
 花形にもまるで同じ台詞を言ったことがあるが、牧については食べ物や遺伝だけではないように思えた。ウェイトトレーニングでもしていそうな見事な肉体だ。
 座り込んだままこちらを仰ぎ、愛らしい外見には不似合いな、いかにも男子然とした、横柄ですらある口調で言った藤真に、牧は不思議そうに返す。
「肉とか?」
「そういうことじゃねーよ」
「?」
 愉快そうにカラカラ笑い、ぐるりと辺りを見回し、再びこちらを見上げた藤真の動作に、リスの類の小動物を想像する。
「すぐ帰る? あっちで少し話さないか? 牧くん?」
 藤真の視線の先には、中庭に向かって開け放たれた白い扉があった。初対面の対戦相手から親しげにされることの少なかった牧は、意外な申し出に驚きつつも口元を緩める。ここは翔陽の体育館だ。皆長居はしないだろうが、多少の時間はあるだろう。
「そうしよう。あと、呼び捨てでいい」
「じゃあ行こうか、牧」

「はー……」
 扉を出ると、藤真はコンクリートの階段に座り込んだ。外から体育館の中へと吹き込む風が、汗を掻いた体に清々しく心地よい。牧も倣って隣に腰を下ろす。一回りも大きさの違う、二つの背中が横に並んだ。
「話ってのは?」
 牧は隣を見遣り、思わず動きを止めた。体育館の中が特に暗いとも感じなかったが、明るい陽の光の下で、藤真の肌色は随分と白く見える。肌だけでなく髪の色も明るいために、全体に柔らかい印象になるのだろう。曲げた膝に肘を乗せ頬杖をついて、長い睫毛の下、色素の薄い瞳が気怠げにこちらを見た。
「ん?」
 瞳だけだったものが、顔ごとこちらを向いて不思議そうに瞬きをする。試合中はそれどころではなかったが、中性的に整った顔貌は誰が見ても美少年と呼ぶであろうもので、ハーフかクォーターか、少しばかり日本人離れした印象も受けた。
「牧って、ハーフかなんか?」
 今自分が思っていた通りのことを藤真の口から聞いて、牧は面食らう。思えば、自分も言われないことではなかったのだった。
「ガタイがいいし、色が黒くて、髪も茶色。あと、年より上に見える」
「日本人だぞ。色は地黒と日焼けだ。体は鍛えてるからな」
「そうなんだ」
 言ったきり藤真は正面を向き、ゆっくりと目を瞬いた。
「聞きたかったことはそれなのか?」
 別にそれでも構わなかったが、妙な男だとは思う。
「そういうわけじゃないけど。なんか、陽に当たったら眠くなってきた……」
 藤真は膝を抱え、自らの二の腕に頬を寄せて、首を傾げながら牧を見つめた。瞳はいかにも眠そうにとろんとしている。彼は自分に女性ファンが多いこと、特に〝かわいい〟と言われることを厭わしく思い、警戒しているのだが、相手が男と思うと無防備になるふしがあった。
 なんとなく不健全というか、退廃的というか、あまりよろしくない気配を感じて、牧は少年から目を逸らし正面を見据えた。
「そうだ、牧って中学は神奈川じゃないだろ」
「ああ、東京から。監督じきじきに声を掛けてもらってな」
「だよな。お前みたいなのが県内にいたら知らないわけないと思った。じゃあ、寮暮らしか」
 海南の寮や牧の私生活に特別興味があるわけではない。ただの雑談だ。適当に時間を潰して涼みながら──ライバル校との交流を盾に、体育館の片付けをやり過ごしたいだけだった。まだあまり真面目でない翔陽のホープの気まぐれに、牧は巻き込まれたに過ぎない。
「いや、一人暮らしだ」
「は? 高校生で? 下宿とかでもなく?」
「ああ。やっぱり珍しいのか?」
「知らないけど、身近で聞いたことないぞ。なんで? 寮が汚いとか?」
 牧は苦笑した。友人に連れられて海南の男子寮に行ったときのことを思い出すと、少なくとも藤真はあの場所には馴染まないように思えた。
「親が学生のころ、寮でいい思いをしなかったらしい。それで部屋借りてやるからって。俺はどっちでも構わなかったんだが、一人のほうが落ち着くだろうかと」
「へえ、オレは絶対無理だな。朝起きれなそう」
 高校生離れしたプレイをする男は、外見も、そして生活ぶりまでも高校生離れしているのか。藤真は大雑把に納得しながらうんうんと頷いた。
 と、二人の頭上から声が降ってくる。
「おい牧、そろそろ行くぞ」
「あ、はい!」
 海南の二年生だ。牧は慌てて立ち上がり、藤真もゆるゆると立ち上がる。
「それじゃ、また」
「ああ、引き止めて悪かったな」
 一旦言葉を切り、思い出したかのように続ける。
「牧、次のときはオレが勝つからな。ちゃんとレギュラー獲れよ」
 眠気が覚めたのか、その面にはコートの上で見せた挑発的な微笑が浮かんでいた。牧もまた、応じるように不敵に笑って頷く。
「そっちこそ」 

「牧、あの子となに話してたんだよ」
 翔陽からの帰り道、先輩の一人に二の腕を小突かれた。あの子とは藤真のことだろうが、突っ込まれるとは思っていなかったので、牧は思わず目を瞬いた。
「そうそう、俺が見に行ったときなんて、二人見つめ合ってたぜ」
「俺が行ったときはなんか熱血な話をしてたよな」
 最後に言ったのは牧を迎えに来た二年だ。確かにあのときだけは試合の話になったが、他は他愛のない雑談だったから、牧は唸ってしまう。結局藤真は何が言いたかったのか。
「なんだよ難しい顔して」
「いえ。中学がどこだったとか、ありがちな雑談です」
「藤真は県内勢? 一年、知ってるやついる?」
「覚えてないっすねえ。まあ中学だと強い学校じゃなかったのかも」
「俺、大会のとき、なんか妙に可愛い子がいたっていう記憶だけあるな。髪もやっぱ茶色くて。女子マネかと思ったら選手だったという」
「あー、正直かわいかったな。翔陽の奴らみんなデカいのに小さかったし」
「汗掻いてるとこちょっとエロいと思った」
「正直抱ける」
 同級生なのか先輩なのか、途中から把握してはいなかったが、好き勝手に語られる無礼な話題に牧は眉間に深い皺を刻み、苦々しい顔をした。同じコートに立つプレイヤーに対して、あまりに無礼で下品な話題だ。
「おい牧、冗談だぜ?」
 さすがに周囲も牧の様子に気づき、話題は自然と他のことに移っていった。

 牧と藤真が顔を合わせる機会は、二人が全く想像しなかったほどに多かった。
 県でトップを争うライバル校の、同じポジションの一年として、初対面の日以来互いに意識はしていた。しかし試合中以外は敵対心もなかったから、他校の試合などで相手の姿を見つければ、どちらともなく声を掛けた。じき、地域のバスケットボール誌で互いのコメントを目にすることや、二人セットで取材を受ける機会も発生した。友人と呼べるかは微妙なところだが、もはやただの知人と言えない程度には互いのことを知っていた。

 自販機といくつかの机と椅子と、とってつけたような観葉植物の置かれた、休憩コーナーの一角だった。
「高校のバスケって、こういう感じなのか?」
 女性記者の取材から解放された藤真は、いかにも不愉快そうにどかりと椅子に腰掛けた。彼はバスケットの話ならば喜んで取材に応えたが、外見だの彼女だのといった話題を振られると途端に機嫌が悪くなる。今の取材もそうだった。
「地方誌らしいし、話題が少ないんだろう。よく知らんが」
 適当に相槌を打ちながら、牧は自販機に向き直った。
「バスケ関係ないじゃん。くだらねー」
「なんか飲むか?」
「コーラ」
 藤真は目を据わらせて、自販機のボタンを押す同輩の広い背中を眺めた。確かに高校生らしくはないが、牧だとて自分と並んでバスケ部のイケメン特集だのに取り沙汰されるほどに整った容貌をしている。それなのに、自分との環境の違いはなんだ。
 牧は写真で見ればいい男でも、実際対面すると威圧感があって恐いのだと、女子から聞いたことがある。海南そのものが恐いとも言っていた。だからキャーキャーうるさいファンはいないし、可愛いとも言われないし、おそらく男から嘗められることもないのだ。
 行儀悪く上体を机に伏せ、飲み物を買って戻ってきた牧を目だけで恨めしそうに見上げる。
「オレもいかつい見た目になりたかった」
 牧は淡い栗色の髪の流れる、中性的な顔貌の横にコーラの缶を滑らせた。
「別に、得することなんてないぞ」
 続けて「今のジト目可愛いな」と言おうとしたが殴られそうなのでやめて、「ファンが悲しむぞ」と言おうとしたがやはり怒られそうなのでこれもやめておいた。

 花形は一人、会場の廊下を歩いていた。一緒に試合を見に来た友人は、ライバル校のライバル選手と共に記者に攫われてしまった。自分も取材を受けたいと思うわけではないが、彼らとの格の違いを思い知らされるようで少し堪える。
(あいつらはレギュラー確定みたいなものだからな。俺もがんばらねば……)
 そんなことを思いつつ歩いていると、休憩コーナーによく知った姿を見つけた。
「藤真、こんなところに居たのか」
「おー、花形。おせーよ」
「もう帰ったのかと思ってた」
 牧の姿はない。こちらはすでに帰ったようだ。それから藤真を凝視する。
「珍しいな。アイスなんて食べて」
 そこに見える自販機で買ったのであろう、円筒状の棒アイスだ。彼が甘いものを比較的好むことは知っている。そして、人前では進んで食べようとしないことも。
「牧が買ってくれた」
 花形は脱力した。「知らないおじさんから食べ物をもらうんじゃない!」と言いたい気分だったが、牧のことは知らなくはないしおじさんでもない。
「お前、随分気に入られてるな……」
 わからないことではなかった。藤真は魅力的な人間だ、相手が他校生だとてそれは同じことだろう。それにしても少し目に余る気がする。
「オレが機嫌悪いからめんどくさくなったんだと思う」
 花形も藤真から取材の愚痴を聞かされたことはあった。今日もそんな調子だったのだろう。しかし、だからといって、単なる知り合いの機嫌を取る必要などないのだから、牧が藤真を気に入っていることには間違いはないのだ。
 心配だ。だいたい藤真もよくない。黙っていても人が寄ってくるのに、自分から牧に話し掛けに行ったりするから──花形はもはや藤真の保護者のような気持ちだった。
「……まあいいが、ヘンなことされそうになったら言えよ」
「なんだよ、変なことって?」
 わざととぼけているのだろうかと、花形は怪訝な顔で藤真を見つめる。藤真はすでに花形の言葉から興味を失って、食べ終わったアイスの棒をくず箱に投げ入れようと狙いを定めている。
「何事もないなら、それでいいさ」

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