ダラテン

2.

『四時? なんか半端な時間だな。別に大丈夫だけど』
「少し前だとお茶の時間だからか、予約が埋まっててな」
 十二月二十九日、少し遅めのクリスマスデートの当日は、昼間のうちから格別に寒い日だった。
「藤真……! 耳当てしてるんだな!」
 待ち合わせの場所で藤真を見つけた牧は、開口一番、感想とも呼べない事実を呟いていた。
「だって今日、夜なんてめちゃくちゃ寒いぜ、きっと」
 コートとマフラーはいつものことだが、今日はふかふかの耳当てまで追加されて──非常に愛らしいと思うのだが、言ったら外してしまうだろうかと黙っておいた。
 二人が足を運んだ先は、豪奢ではなくあくまで洒落た雰囲気の、白い壁の洋風の外観の建物。最近人気のフルーツタルトの店だ。予約するような大層なとこじゃなくてよかったのに、と事前の電話で思っていたことも忘れ、店内でショーケースを目にした藤真は瞳を輝かせた。
「おぉ……!」
 円形の土台に、あるものは赤く輝くイチゴを整然と敷き詰め、またあるものは瑞々しい白い半月形の果実を花弁のように戴いている。隣を見れば黄色やオレンジ色の果実をふんだんに載せたものや、クリームやチョコレートで愛らしく飾られたものもある。多くが自然のままの姿を残したそれらは、美しいながらに食欲をそそるものだった。藤真は胸の下で牧に向かって親指を立てる。
「すげーいいじゃん。テンション上がった」
 その割に口調が静かなのは、騒がしくする店ではないように思えたためだ。
「なんだ、テンション低かったのか?」
「そういうわけじゃないけど」
 嫌だったわけではないが、甘いものが格別に好きというわけでもないため、単に牧について来たという感覚で、頭の中は夜のことで一杯だった。しかし今や、すっかりフルーツタルトに心を奪われている。
 席に案内されると、早速メニューを凝視した。
「イチゴ惹かれるけど、ベタな気がするんだよな〜」
 一面に並べられた鮮やかな赤は否応なく魅力的で、特別なときに食べるケーキに乗っているものという幼いころからのイメージも相まって、惹かれるのと同時に、面白みには欠ける気がする。
「洋ナシのこの写真がすげーうまそうなんだけど、洋ナシ? って思わねえ? 普段食べないから、どんなんだっけみたいな。やっぱイチゴかなー」
 真剣に悩んでいる藤真の様子が微笑ましく感じられ、牧は自然と穏やかな笑みを浮かべていた。
「イチゴが好きなのか?」
「違うし。季節のフルーツってやつもいいし、クルミもうまそう」
「一切れこのくらいだろう? 別に一つに絞らなくてもいいんじゃないか」
 このくらいと牧が手で示したサイズは怪しいものだったが、確かに大きくはなさそうだし、ケーキのように嵩もないから、ボリュームはさほどでもないだろう。しかしこのような洒落た店でいくつも頼むものだろうかと思ったとき、たまたま目に入った女子二人組のテーブルには明らかに二人分以上のタルトがあった。
「よし、二つ頼も」
「二つでいいのか? 九十分あるんだぞ?」
「いや、席がマックス九十分ってだけで、スイーツバイキングと違うんだからな? あ、柿もイメージなくて気になるよなーあとティラミスもあるし。でもここはフルーツ系じゃねえかなあ」
「俺は三ついくぞ」
「えー、じゃオレも三つにする」
 二人で分け合おうと言って、各々違うものを選んで紅茶と一緒に注文した。
 ショーケースやメニューに夢中になっていたときには気にしなかったが、落ち着いてくると周囲の客のことが気になりだした。女同士や男女のカップルは見えるが、男同士で来ているものは少なくともここからは見えない。深く考えずに、言葉が口からこぼれていた。
「オレ、女装してくればよかったかな」
「……そういう趣味があるのか?」
「ねーよ。だって、他に男同士の客なんていないし」
 牧は不思議そうな顔をしている。
「嫌だったか?」
「別に」
 牧が細かいことを気にする性格ではないことはとうに知っている。そして日にちはずれているが一応クリスマスデートという名目なのだから、それなりの店であることは想像できたはずだった。牧のことを悪いというつもりはない。
 牧との関係について、自分が翔陽の監督兼任の立場にあって、彼がライバル校の選手であることについては多少気にしたが、性別への抵抗感はほとんどなかったはずだった。
(無かったんじゃなくて、意識してなかっただけ、か……)
 これまでの外出については、男性の客も普通に目立つような店だったから、実際の関係がどうであれ、自分たちもあくまで友人同士に見えていただろうと思う。今だとて、甘いもの好きの友人同士にも見えるのかもしれない。
 しかし藤真の実感の中では、今二人はカップルとしてここに存在していた。牧との関係をごく自然なもののように受け入れながらも、恋愛もセックスも男女の間のものだというこれまでの価値観まで覆ったわけではなかったから、自分が男としてここに存在していることに、引け目を感じているのだと思う。
 少しすると、紅茶のポットとカップを運んできた女性店員が、藤真を見てにこやかに笑った。
「男性のお客様もよくいらっしゃいますよ。甘いものがお好きな方って多いですし」
(聞こえてたんだ……)
 藤真は背中に汗を掻きながら、できるだけ自然な笑顔を作った。
「へえ、そうなんですね」
「そうだぞ藤真」
 なぜか偉そうにしだした牧にジト目を送り、入り口のショーケースの中を思い出す。
「まあ確かに、ここは知ってたら来たくなるよな」
 今日は牧のところに泊まる予定なので叶わないが、機会があればまた立ち寄って、家に何か買って帰ろうかと思うくらいだ。
「ごゆっくりなさっていってくださいね」
 ほどなくしてタルトが運ばれてくると、藤真は静かに歓喜の声を上げた。
「おぉ〜! うまそう! どれからいくかなー、の前にまず分けるか」
「別に半分じゃなくてもいいぞ。気に入ったのあれば多めに取っても」
「いいんだよ、そういうのは」
 〝男と女のように〟気を遣われたような気がして、反射的に拒絶を口にしていたが、おそらく牧に他意はないだろうとも同時に思っていた。苦々しい思いでタルトを半分に切り分けていたが、一口頬張ればそんなことは簡単に忘れてしまった。
「ん〜! うまーい!」
 クリームは甘すぎずさっぱりしていて、あくまで果実本来の味と香りが口の中に広がる。香ばしいベースとの相性も絶妙だった。
「ああ、こっちもうまいぞ。藤真……」
 牧は藤真を見遣り言葉を途切る。銀色のフォークの上に、赤いフルーツのタルトがひとかけら。ゆっくりと運ばれた先では淡い花弁のような唇が綻び、鮮やかな色彩を含んで笑みの形に結ばれる。リラックスした表情はいつもより少し幼いくらいだが、不意に覗いた舌にどきりとさせられる。素敵な光景だ。ずっと見ていたいほどに。
 藤真がふと気づくと、牧の手はすっかり止まってしまっていた。
「牧、どうした? もしかして甘いもん苦手?」
 フルーツが主体のものばかり頼んだので、さほど甘ったるいわけでもないと思うが。藤真は不思議そうに牧を見つめる。
「いや、食べてるぞ? ……なんか、楽しいなと思ってた」
「楽しい? おいしいんだろ?」
「まあ、そうだが」
 洒落た内装のカフェスペースで、藤真が嬉しそうに甘いものを食べている。それを眺めているのが楽しいのだ──と当人に説明しても理解はされない気がしたので、黙ってタルトを口に含んだ。
 張りのある果実から、瑞々しい甘酸っぱさが溢れて広がる。それうまいよなー、と言った藤真に、口を動かしながら無言で頷いた。
(藤真、俺は本当にお前のことが好きなんだ)
 いっそ言葉にしてしまいたい衝動に駆られながら、この場所ではやめておいたほうがいいだろうと思い留まる。
 会えなかった間、藤真のことを考えながら自慰行為に耽ったあと、一体彼に何を求めているのかと考え込むことがあった。何のために会いたいのか、結局は性欲の解消なのかと思うと、同意があるのはわかっていても何故だか虚しくなった。
 しかし違った。一緒にいるだけで、肌に触れなくともこんなにも満たされた気分になれる。
「ほんとに楽しそうに食べてんね。不思議」
 紅茶を飲み、タルトを食べ、ウインターカップの話などをしながら過ごすうち、藤真が呟いた。
「……あのさ、これ意外と重くね?」
「思った。見掛けよりあるな」
 食べきれないほどではないが、密度が高いというのか、サイズから想像できる以上のボリュームを感じた。
「普通のケーキを上からこう圧縮したよりまだある気がする。チーズとかいかなくてよかった」
「そうだな。ちょうどよかったくらいか」
 日頃の食事よりものんびり食べているせいもあったかもしれない。全て食べ終わり、少し休憩して席を立つころには、入店からしっかり九十分近くになっていた。会計を済ませて外に出ると、時間的には夕方だがすっかり暗く、通りの木々には電飾が輝いていた。
「もうクリスマス終わってんのにな」
 どちらかといえば年末だ。イルミネーションに飾られた通りと、向こうに見える光のアーチに向かって歩いていくカップルたちの後ろ姿を眺めて呟いた。
「ここは冬の間はしばらくこうだったはずだ。少し歩いて晩飯どうするか考えよう」
「うん」
 タルトの店が十六時からになってしまった時点で、夕食の店を予約するのはやめておいた。腹の具合もあるし、カレンダー上は平日の夜だから、予約なしでも入れるだろうと思ったのだ。
 通りには若者が多く、特にカップルがよく目についた。二人の前を歩くのは、手を繋いで体を寄せ合って歩く男女のカップルだ。男が特別大柄なわけではないが、女が華奢で小柄なため、体格の差が際立っている。
(こういう感じ、牧もかわいいって思うのかな。守ってあげたいとか)
 傍らの牧を見遣ると目が合ってしまい、思わず逸らした。身長差も体格差もあるとはいっても男女ほどの差はない。自分がかわいいだの言われることには〝男なのに〟という枕詞がつくか、あるいは単なる揶揄であって、女のような絶対的なものは持ち合わせていないと思っている。
 歩きながら、男がぐっと背中を丸め、女の頬にキスをした。女は男の肩を押し返して突き放したが、本気の拒絶ではなく、戯れ合っているだけだと一見してわかる。
(牧、あんなの好きそう。オレは牧からああいう体験を奪ったのかな)
 あの店も、この道もきっと今のために牧が選んだものだ。今はバスケットを中心にしていて暇がないのだろうが、女子の機嫌を取ることだって彼になら造作もないだろうと思う。
(オレは無理なんだよな。相手の好みとか、機嫌とか伺うなんて。部活のためなら少しは気にするけど、プライベートじゃ無理。……ま、クリスマスなんてこの先いくらでもあるか)
 冷える夜だ。頬も鼻の頭も冷たくて、鼻の奥がツンと痛んだ。
「綺麗だな、藤真」
「うん?」
「綺麗だ」
 目を細め、包み込むように微笑する牧のバックに、滲んだ光の粒がいくつも重なって見えて、ドラマのカメラワークのようだった。
「……うん」
 心臓を掴まれたように、目を離せずに頷いた、肌に外気の冷たさはない。不思議な感覚だった。
 牧は自分を喜ばせようとしてここに連れてきたわけではないかもしれない。おそらく彼の自己満足で、だからこんなに優しい顔をしている。傲慢かもしれないが、そう考えると少し落ち着いた気分になった。
「藤真」
「なに?」
「俺はお前が女だったらよかったって思ったことなんてないぞ」
「……そうなんだ?」
「そもそもお前が女だったら、俺たちは出会ってなかっただろう」
「うーん……?」
 そういうことではないような気がするのだが、そういうことなのだろうか。お茶をした店内で、今前方のカップルを眺めて、一体自分が何にモヤモヤしていたのか、よくわからなくなってきた。
「てか、別にもういいし」
 大抵の感情は時間の経過とともに落ち着くものだし、牧に対して怒っていたわけではないのだから、放っておいてもよかったのだ。前にもこんなことはあった気がする。良く言えば律儀だし、悪く言えば融通がきかない。
「藤真、こっちだ」
 何かに思い当たった様子の牧に腕を引かれるまま、脇の路地に入った。少し外れただけだというのに、メイン通りとは打って変わって薄暗く人気もない。
「ま……!!」
 声を発しようとしたまさにそのとき、ぎゅうと体を抱き竦められ、唇を唇で塞がれていた。一瞬硬直したものの、すぐさま力一杯胸を押し返して突き放す。
「暗いし、家の近くでもないし、別に平気じゃないか?」
 全く悪びれた風もなく言って、笑いながら腰に腕を回してくる牧をキッと睨みつける。頬が赤くなっている実感があるが、この暗がりで牧には見えているだろうか。
「見られるとか、そういうことじゃなくて……」
 確かにそれも気にしないわけではないのだが、藤真の危機感はまた別のところにあった。
「じゃあ、なんなんだ?」
 あまりに久々の接触に、キスだけで体が反応してしまいそうだったのだ。いつもは先に反応を示す牧のことを、至極愉快な気分で眺めていたのだが──いや、彼はそんなことには慣れきっているから平然としているのかもしれない。牧のコートの裾に手を突っ込んでみたくなったが、こんなところで襲われると困るので我慢する。
「……牧。オレ、あんまり腹減ってないんだ」
「少し時間が悪かったな」
「そういうつもりじゃない。お前の最寄りまで帰って、そこらへんで軽く済まそうぜ」
 牧としては、せっかく賑やかなところに出てきたので、食事もここで済ませていきたい気持ちもあった。しかし時間的にも空腹度的にも、藤真の提案通りにするほうがよさそうだ。駄目押しのように手に指を絡められると、もはや断る道はなく、迷わずその手を握った。
「そうだな。じゃあ、帰るか」
 駅に向かうために明るい通りへ戻ると、藤真の手はごくさりげない動作で逃げていった。寂しいことだが、仕方ないだろう。
 文字通り寄り道をしていたから、前方を歩くカップルは先ほどまでとは違う二人になっていた。互いの腰を抱き合って歩く男女に対し、今の藤真が抱く感想はごくシンプルだ。
(女って、興奮してもあからさまに形が変わるもんがなくていいよな。前歩いてる男は平気なのかな……)

 マフラーを外し、耳当てを首に掛けた格好で電車に乗ると、車内には明確に某ファーストフード店のフライドポテトのにおいが充満していた。ちょうど目に入った小太りの男がまさしくその袋を持っているので間違いないだろう。
(たまにいるんだよな、なんでマックで買ってから電車乗るのか謎なんだけど)
 一方の牧はにおいの出どころに気づかなかったようで、思ったままを口にしていた。
「なんか、すげえ食いもんのにおいがしてるな」
 さほど大きな声ではなかったが、静かな車両内には充分で、藤真の視界の端で件の男が明確に挙動不審になっていた。藤真は慌てて牧の腕を小突く。
「車両変えよう」
 ポテトのにおいも気にならなくはなかったが、苦痛というほどではない。どちらかというと、牧が余計なことを言うのを危惧したところが大きかった。
「そうだな」
 電車の中は混んではいなかったが、席に座れるほど空いてもいなかった。二つ隣の車両に移動して、藤真はドア横に、座席の端の仕切りに背を預けるように立ち、牧は藤真の横顔を見るように通路側に立った。
「お前さ、知らない人から見たら結構いかついから気をつけたほういいよ」
「なにがだ?」
「さっきの」
「俺は事実を言っただけじゃないか?」
「まあそりゃ、そうなんだけどさぁ」
 どちらかといえば文句のように聞こえたし、件の男は絡まれるのではないかと気が気でなかっただろう。
「……そうだ、ハンバーガーとか嫌い?」
「あんまり食わないが、嫌いじゃないぞ」
「じゃあ夜ハンバーガーにしよう。さっきので食いたくなった」
「そうだな、たまにはそういうのもいいか」
 二駅ほど進んだろうか。二人が降りるのはまだ先だが、藤真は逆側のドアから見える次の駅のホームを凝視した。
「駅にめちゃめちゃ人いるんだけど。ここそんな混むとこだっけ?」
「なんたら線が止まってて、振替輸送……」
 牧がドア上の電光掲示を読んでいるうちに、ホームで燻っていた人々が雪崩のように乗り込んでくる。
「うわ、やばっ」
「……っと!」
 押し込まれてよろめいた人に思い切りぶつかられながら、牧はドアに手をついてひたすら藤真を庇うようにしていた。おかげで藤真は押し潰されることはなかったが、牧の胸が藤真の体に触れるほどに二人の距離は近くなっていて、藤真が横を向いていなければなかなか気まずい状態になっていたかもしれない。
「大丈夫か?」
「うん……」
 囁く息が耳に掛かって、思わず赤面する。周囲に人がいると思うと、余計に興奮するのはなぜなのだろう。
(興奮とかっ! ヘンなこと考えたら絶対ダメだからな!)
 その後も少しずつ人が乗ってきて、電車が空くことはなく、藤真はほとんど牧に抱かれながら残りの時間を過ごした。
(こんなとこで抱き合うなんて……いや、不可抗力だし、抱き〝合って〟はないし……)
 二人とも冬の服装の上にコートを着ているから、密着しても体温は感じない。しかしそのため、体に圧が掛かるたびに布団に包まれるようで、満員電車だというのに心地よく、抱きつきたくなってしまうほどだった。ぼそぼそと会話もしたが、内容は覚えていない。「混んでる」「まだ乗ってくる」とかそんなものだったと思う。
 目的地に着き、ホームに降りるや藤真は声を上げた。
「はー! 空気がうまい!」
「災難だったな」
「ほんとにそう思ってる?」
「お前に痴漢行為をしなかったことを褒めてほしい」
「いやもう最後らへん知らない人だったら痴漢だったと思うけど……」
 この駅の周辺も決して寂れているわけではないのだが、移動前の賑わいと満員電車の混雑との反動で、随分と静かに感じられた。冬の夜のイメージには、この静けさの方が近いと藤真は思う。
「あのポテトの人、混む前に降りれたかなあ」
「そうだな。ちょっと気になるな」
 他愛のない話をしながら少し歩くと、赤地に黄色のMの看板が目に入った。
「あったぞ、ハンバーガー」
「いや、あっちにしよう」
 藤真の指差すほうを見ると、もう少し先に、緑に白色のMが見えていた。
「緑だからか?」
 緑は翔陽のカラーだ。しかし藤真は首を横に振る。
「マックよりモスのほうが大体静かだから」
「騒がしいのは苦手か?」
「特にそうってわけじゃないけど、相手とか、話す内容による。周りがうるさいとこっちも声張るだろ」
「そうか! よし、じゃあ静かなほうで内緒の話をしような」
「あんまりな話は外ではしないけどな!?」

 レジで少し待ったものの、二階の飲食スペースは予想通り人がまばらだった。窓際のカウンター席の一番端に藤真が、その隣に牧が陣取って、各々ハンバーガーを齧る。タルトを食べて「フルーツの本来の味!」など言い合っていたが、若い舌には濃い味付けのファーストフードもやはり旨いものだった。
「藤真、ポテトじゃないんだな」
「うん。オニオンリングにした」
「っ……!」
 オニオンリングを一つ手に取り、その穴からこちらを覗いてきた藤真の仕草があまりに愛らしくて、牧は思わず絶句する。
(天使だ、天使の輪っかだ……)
 口をあくあくと動かしている牧の様子から、食べたいのだろうかと、藤真は牧のほうにオニオンリングの袋の口を向けた。
「いいよ。お食べ」
「ありがとう……」
 牧はオニオンリングを一つ取り、珍しいものでも見るようにまじまじと眺め、リングに向かって照れたように笑ってから口に放り込んだ。
「あんまりハンバーガー食わないって言ってたの、カロリーとか成分とか気にしてるやつ?」
「そういうわけじゃない。普通に定食か麺類でも食ったほうが腹が膨れないか?」
「あー、食事って思ったらそうかも。オレは帰りにちょっと寄って食って、家でもまた食うからな」
 牧は一人暮らしだからと考えて、海南バスケ部の面々はほとんどが寮暮らしだと聞いたことを思い出す。
「もしかして、あんまり友達とかとメシ行かない?」
「……あんまり、行かないな」
「えー! なにそれ寂し〜!」
 大袈裟に驚く藤真に対して、牧はごく当たり前の顔で応える。
「練習のあとだぞ? 大した時間もないし、気にしたことなかったな」
「まあそれもそうなんだろうけど」
 牧は黙り込み、テーブルの上に広げたドリンクとサイドメニュー、手に持った食べ掛けのハンバーガー、隣に座る藤真を順繰りに見ると、はっとしたように言った。
「俺はもしかして、今すごく高校生らしい過ごし方をしてるんじゃないか……?」
 大真面目な表情で告げられた事実に、藤真は大きく口を開けて盛大に笑った。
「まじでっ! よかったじゃん! 制服じゃないのが惜しいな」
「ああ、よかった……高校生活のいい思い出ができた……」
「んな大袈裟な」
「翔陽のやつとは、よくメシ行くのか?」
 懸念も思惑もない、ただの会話の流れだった。
「まあ、ときどき。別にオレ一人でいろいろやってるわけじゃないから、他の部員と話したいことだってあるし、練習後だと腹減ってるから、じゃあなんか食いながら話すかって流れ」
 藤真の部内での立場は主将だけではない。相談できる仲間がいるならそれはよいことだと、詳細は知らないながらに牧も頷く。
「でもさ、部活の話したくて誘ったのに『あんまり部活のこと引き摺らなくてもいいんじゃないか』とか言うやつもいて。それじゃただのお食事会じゃん!」
「がんばりすぎるのを心配してるんじゃないか?」
「どうだろうな。オレに彼女ができたと思ってるみたいで、気分転換してこいみたいなこと言ってくる。童貞のくせに親かよって感じ。……童貞かなぁ? 多分そうだと思うんだけど」
 ぶつぶつとぼやきながらオニオンリングを齧り、ふと牧の顔を見て一旦口を噤む。
「……ごめん」
「どうした?」
「『私の前で他の女子の話しないでよ!』ってなってる女子みたいな顔してたから」
 藤真が言うと、牧は明らかな戸惑いを顔に浮かべた。
「そ、そうか? 俺は女子みたいな顔してたか……?」
「いや、ポイントは女子ってとこじゃねーけど!?」
 いまいち意図が通じなかったような気もするが、怒っていないのならいいだろう。そういうことにした。

 牧の家に向かって歩きながら、二人は自然と身を寄せ合っていた。
「駅前、今日は静かだったが、イブの夜には聖歌隊が居たんだ」
「へえ」
「お前のこと思い出してた」
「恋人みたいだね」
「恋人じゃなかったのか!?」
 藤真としてはただの軽口のつもりだったのだが、牧が本当に狼狽えた様子だったので、思わず声を上げて笑ってしまった。
「藤真……」
「ごめん」
 自分はあまり性格は良くないほうだと思う。特別悪くもないはずだが──いや、牧の性格が良すぎるのだ。
「あのさ、牧って、オレのどこがよかったんだ?」
 率直で純粋な疑問だった。
 人から好意を抱かれることには慣れている。しかし、相手が牧だと思うとやはり不思議なのだ。初めて聞いたときにも驚いたが、彼と接してその人柄を知ると謎は更に深まった。人は見た目とのギャップに弱い。恐く見られがちな牧の実際の性格を知って、好感を抱かない者はいないと思う。つまり、相手など他にいくらでもいたはずだ。
 牧は藤真の問いを心底不思議に思いながら目を瞬く。
「? どこって言われても困る。全部いいと思ってるぞ」
「オレはお前みたいな、いいやつじゃないよ」
「なんだ? 俺みたいって」
「お前ってめちゃめちゃ性格いいじゃん。怒らないし、バスケもできるし、欠点ってないと思う」
 牧はひたすら首を傾げた。性格など、自分ではごく普通だとしか思わない。
「普通に怒るし、ボケてるとか老け顔とかよく言われてるぞ」
「お前の天然はむしろ好評価ポイントだろ。ただの個性だ。顔は整ってんだからそのうち年齢の方が追いつく」
 牧は真剣な面持ちで、じっと藤真を見つめた。
「藤真こそ、完璧じゃないか」
 もともとそう感じていたが、こちらの性質を個性と言ってのけたことでますます好きになってしまった。無論、顔と年齢の相関についてもだ。
「えー? オレは結構アレだぜ? お前のことからかったりするじゃん」
「別に嫌じゃないぞ」
「気分屋じゃねえ?」
 自覚は薄いが、よく言われるのでそうなのだろうと思う。部活のときには気をつけているが、それ以外では特に変える気はなかった。
「楽しくていい」
 藤真は呆れて長く息を吐いた。
「お前、心広すぎ。なんでも誰でも許せるんじゃね」
「そんなことないと思うぞ」
「えー? お前が許せないことなんてあるんだ。興味ある」
「卑劣なこととか」
「……まあ、そりゃそうなんだろうけど」
 そういう話じゃないんだけどな、と藤真はひとりごちて、なんともなしに顔を上に向ける。どんよりとした暗灰色の空に、星はまばらだった。思い出したように、牧が口を開く。
「理想が高すぎるって、言われたことがある」
「え?」
「俺の欠点」
「別に、釣り合う相手を求めるのは当たり前だろ。そんなのは選ばれなかったやつの言い草だ」
「そうだな……だからお前なのかもしれない」
「はあ!?」
 さらりと言って微かにだけ笑った牧とは対照的に、藤真は裏返る寸前の高さで声を上げてしまっていた。言葉を反芻するたびじわじわと顔が熱くなり、耳当てもマフラーも暑くて外したくなるくらいだったが、意地で固持する。
「お前、オレに夢を見過ぎだ」
 今否定したばかりの言葉だが、理想が高いということにも通じるのかもしれない。
「オレはさ、お前がオレのことを好きって状況に気分よくなってるだけなんだよ」
(オレが追い抜けないでいるお前が、オレを求めたってことに)
 それはとても浅ましいことではないだろうか。
「俺がお前を好きだと、お前は気分がいいんだろう? なんの問題があるんだ?」
 牧は不思議そうに首を傾げ、藤真の顔を覗き込む。
「うーん、いや、違くてさあ……」
 うまく伝えられない。何が違うのか、自分でもよくわからなくなってきた。
「藤真のことを好きになるやつなんて、いくらでもいるだろう。お前はその全部の好意を受け入れるのか?」
 藤真は迷わず首を横に振る。
「そんなの、迷惑だ」
「でも俺とはデートもセックスもっ…うぐっ!!」
「声でけーんだよバカ!」
 静かな夜の住宅街に牧のセックスコールが高らかに響いてしまったので、少し強めに腹にパンチを見舞った。牧は芝居掛かって体を前方に丸める。
「ふぅっ、なかなかいいパンチだった……ん?」
 鼻先に冷たい感触があったかと思うと、ちらちらと視野に白いものが混ざり始める。先に声を上げたのは藤真だった。
「雪!? どうりで寒いと思った」
「ホワイトクリスマスだな!」
 弾けるように笑った牧の表情が、その造形とは裏腹にごく無邪気な子供のように見えて、思わず口から言葉がこぼれる。
「やっぱり牧って……」
「なんだ? 単純だって?」
「違うよ」
 心が綺麗なんだ、と思った。しかしそのままではあまりに照れくさいので、どうにか格好をつけた言葉を探してみる。
「じゅん、じゅん……純朴?」
「それは言われたことなかったが、いい意味なら嬉しい」
 高校生が日常会話で口にする単語でもない。国語の授業で耳にしたくらいだと、当の藤真も思っていた。
 それきり時間が止まったように二人で空を見上げ、ゆっくりと螺旋を描くように舞い降りてくる白い花弁を眺めていた。
 正面に視線を戻すと、いつからそうだったのか、牧は恐いくらい真剣な目でじっとこちらを見ている。
「なに?」
「……綺麗だと、思って」
「オレに雪が積もっていくのが?」
「いや、そう言われるとなんか変な感じになるんだが。……すまん、寒いよな。早く帰ろう」

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