蜜月カルテ

【R18】高三のハロウィンで藤真女装エロ。1話:コスプレH、2話:交際一年の振り返り(きみを知った日前提)全2話。 [ 2話目:4,104文字/2019-10-26 ]

2.

 バスルームを出ると洗濯機の回る音がしていた。服を着込んで部屋に戻ると、ベッドから汚れたシーツは剥ぎ取られ、牧はソファに掛けてテレビを見ていた。藤真はその隣に腰を下ろし、ローテーブルの上から飴玉を一つ取って、個装を開けて口に放り込む。
「引っ越したら、コインランドリーみたいな、シーツ乾燥までできるでかい洗濯機が欲しいな。欲しくない?」
 藤真の口から、歯に飴玉が当たる小さな音と、甘い香りがする。
 引っ越し。シンプルに削ぎ落とされた言葉に、牧は戸惑いと照れくささと喜びとに一挙に襲われながら、ごく短く応えた。
「……欲しいな」
 高校を出たら二人で一緒に住もうと約束したのは、今年の夏の終わりのことだ。藤真は了承してくれたものの、あれから話を切りだしてはこなかったから、彼の口から具体的な話題が出たことは牧にとって感動的ですらあった。
「牧? どうした?」
 ふと思ったことを口にしただけの藤真は、牧の感慨など知る由もない。
「なあ藤真。付き合い始めたの、去年の今ぐらいだったな」
「なにお前、ちゃんと覚えてんじゃん。意外」
 今まで何も言い出さなかったから、忘れているか、また間違えて覚えているのかと思っていた。牧の唇に自らの唇を重ね、口の中の飴玉を押し込む。
「好きじゃない味だったからあげる」
「……十月の最後の日曜だった」
「いや〜、一年もったなー」
「なんだその言い方は。すぐ別れるつもりだったみたいじゃないか」
「オレは別にそういうつもりじゃなかったけど」
 なんともないように言われた言葉の一端が、小さな違和感を帯びて引っ掛かる。『オレは』とはどういうことか。
「俺だって、すぐ終わるつもりなんかじゃなかったぞ」
 藤真は牧に向けていた顔を正面に向け、中空を眺める。
「うーん、なんかね……」
 置いて行かれそうな気がしていた。
 去年の夏も、今年の夏も、自分は望むものを得られなかった。泥の中でもがき続けながら、その横を悠々と過ぎていく牧に向けたものは、羨望と、おそらくは寂寥感だった。
 牧は何食わぬ顔をして、彼だけのスピードで進んでいく。
 一度染み付いてしまったイメージは簡単には消えない。そうしてまた距離を離され、やがて摂理のように関係が終わるのかもしれないという想像は、そう突飛なものでもなかったと思う。もともと楽観的な性格ではなかったものが、二年の夏のアクシデント以降、悲観的な方向に寄っている自覚もあった。
「……いろいろ、忙しかったし」
「ああ。お前のほうが忙しかっただろう。監督になったばっかりで」
「そっちの実情よく知らないから、『ほうが』かどうかはわかんない。……でもさ、春休みとかまあまあ時間あったのに、なんであんな余裕ない時期から付き合いだしたんだろって、自分の行動を謎に思ってたんだけど」
「余裕がなかったからだろう」
 当然のような顔でさらりと言われ、拍子抜けしてしまった。
「あ、わかる?」
「わかるさ。参ってるときは却ってじっとしてられない。……そういうことじゃないか?」
「牧もそういうのあるんだ?」
 意外なことだった。それに対して安心感が湧いてしまうのは、性根が悪いのだろうか。
「まあ、あの時点でお前の行動をそう思ってたわけじゃないが」
「うん。突撃おうちデート、ただの思いつきのつもりだったけど。その思いつきがあのとき発生したのにも、理由があったのかもなーとか、割と最近思った」
「理由というか、きっかけというか?」
「……疲れてたんだろうね」
 チームメイトのことは信頼していたが、それとは違う場所が欲しかったのかもしれない。あるいは、可能性があると知って、牧のことを引き寄せたかったのかもしれない。
「そして疲れた羽根を休めに俺のところへ舞い降りた」
 何やら感じ入っている様子の牧に、藤真は顰め面を作って手の十本の指を鉤形に曲げ、モンスターが子供を脅すような仕草をした。
「休むはずがそこはセックス地獄!」
「天国って言ってくれ」
「嫌じゃないぜ? オレも好きだけどさ、セックス天国って言葉は人としてダメじゃね?」
 牧の言葉に、不健全で退廃的で、まるでこの世にそれしか愉しみがない人間のようなイメージを抱いてしまい、藤真はにわかに困惑する。
「そうか? まあ、あと会える日が結構限られてたから、日割り計算したら言うほどやってないと思うぞ」
「日割り計算する意味がわかんなすぎる。……毎日顔見るようになったら、却って回数減るかもよ」
「なんでだ?」
 牧は身を乗り出した。単純に不思議に思ったのだ。
「久々だから燃えるとか、来週のデート楽しみだな〜みたいなのがなくなるわけじゃん。一緒に住んで毎日会ってたら」
「一緒に住んでたってデートに出掛けるのは楽しみだろう。いや、お前むしろそういう風に思っててくれたのか?」
 一年付き合ってもまだ意外だと感じることが残っているとは。牧は相好を崩す。
「はぁ? お前まさか、オレの口から出ることが全部本心だと思ってる?」
「そうは思ってないが」
 強がっているときと悪態をついているときと本心とを、都合よく解釈するようにしている。牧はストレスを溜め込みにくい性質の持ち主だった。
「藤真の楽しみは、減るんだろうか? 一緒に住んだら……」
「なにいきなり弱気になってんだよ、めんどくせー」
 図太いかと思っていると意外と繊細だったりもする、牧のそのラインも藤真にはまだ把握しきれていない。そのうちわかるようになるのだろうか。
 藤真はさも仕方なさそうに言った。
「……一緒に住もうって言われたの、嬉しかったよ」
 牧は弾かれたように目を瞠り、藤真の体をぎゅうと抱き締める。藤真が嬉しいと言えば牧だって嬉しいのだ。
「痛い」
「すまん」
 謝りつつも嬉しそうに表情を和らげる牧に、藤真は照れくさいのと呆れるのとで溜め息をつく。
「お前さ、ほんと単純すぎない? まじ結婚詐欺とか気をつけろよ? だいたい一年も付き合ってない相手と同棲決めるとか軽率じゃね? もっと考えて行動したら?」
 愛らしい仔猫がミャーミャー鳴いている。茶色の柔らかな毛をしていて、撫でようとすると噛みついてくるが、それはいつも甘噛みで、きっと戯れついて遊んでいるだけなのだ。
「それを言うなら、お前だってあの時点で返事してくれたんだから同じだろう。それに、実質三年くらい付き合ってた感じじゃないか?」
「お前またそんなこと言ってんのかよ。実質とかねーから、付き合って一年だから。しっかりしろ」
 大して見てはいなかったが、テレビの映す番組がいつの間にか堅苦しいものになっていたので、藤真は適当にリモコンを弄ってチャンネルを変えた。
「でさ、いつ部屋を見に行くんだよ。来週とか? 物件巡り、姉についてったとき結構面白かったから行きたいんだ」
 牧は驚きに目を瞬いた。洗濯機のことといい、今日の藤真はすっかり同棲づいているようだ。交際一年の節目ということで、いろいろと思うところもあるのかもしれない。せっかく藤真がその気になってくれたというのに──牧は心底言いづらそうに口を開いた。
「来週は無理だ、俺はまだ大学確定じゃないんだ」
「えーっ!? なにしてんだよとっとと決めろよ! 深体大って言ってたろ、迷いだした?」
 藤真は盛大にブーイングをした。牧の志望校も、推薦の話があることも聞いていたし、自らはスポーツ推薦ですでに合格を貰っていたから、牧も決まっているものと思い込んでいたのだ。
「いや、希望先は変わってない。大学側の受付期間がまだなんだ」
「っても当確だろ? バスケの推薦でお前落とすとかありえねーし」
「だとしても、さすがに家を決めるのは……申し込み書類に不備がないとも限らないだろう」
「うわ、それ言われたらありそうな気がしてきた。お前たまにボケてるからさぁ、ちゃんとお父さんとお母さんに見てもらえよ」
「そのつもりだ。そういうわけだからもう少し待ってくれ」
 藤真は一瞬不服そうにしたものの、すぐに唇を緩やかな曲線にした。
「了解。楽しみだなー三茶」
「なんだ、もう住む場所を決めたのか?」
「え。だって、深体大の最寄り桜新町だろ。田園都市線で渋谷との間が三茶じゃん。……まあ間の三駅のどれでもいいんだけど、家次第かな」
 藤真の進学先は渋谷や表参道が最寄りとなる通称〝青学〟だ。それは知っているのだが、普段会話に出ない東京の路線名まで言われて、牧は目を瞬いた。
「なんだ、随分チェックしてるんだな」
「はあ? 別に、自分の進学先チェックするなんて当然だろ、お前みたいに呑気じゃねーんだよ」
 自分ばかり気が逸っているように思える今の状況は、あまり面白くない。藤真は目を据わらせたが、すぐに口元に意地の悪い笑みを浮かべた。
「花形も結構近くだぜ」
「……なんだって?」
「老人コントかよ」
 牧のとぼけ方が変に芝居掛かっていて、思わず声を上げて笑ってしまった。
「花形。あいつ東大受験するんだよ。で最寄りの駒場東大前駅ってのが渋谷から井の頭線で二駅」
 牧は苦々しい顔をした。直接の交流のほとんどない花形を、決して嫌うつもりではないのだが、彼はあまりに藤真と親しすぎる。難関大学の受験だ、合格するかどうかなどまだわからないだろう──そう言ってしまうのも酷な気がして、ただ口の中でガリリと音を立てた。
「なに? まだ飴食ってたのかよ?」
 牧に口移しで飴を渡したのはしばらく前のことだ。
「大事にしてたからあまり舐めないようにしてた」
「なんっっだそりゃ。へんなの」
 牧が少し消沈したように見えて、藤真はテーブルの上から飴を一つ取り、自らの口に含んだ。
「かわいそうだからもう一つあげる」
 そして牧の唇に自分の唇を重ね、舌で飴玉を押し込む。牧は飴を受け取りながら、藤真の体をがしりと抱いた。
「んんっ……」
 口の中から飴がなくなっても藤真は解放されず、しきりに唇を吸われ、器用な甘い舌で口腔内を蹂躙される。
(この味は好き)
 一緒に暮らすようになっても、日々は案外平穏ではないかもしれない。そう考えると、新鮮な感覚に胸が高鳴った。
(期待なんてしてない)
 しかしまだ少しだけ先の未来を、確かに待っているのだ。

<了>

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