それからずっと、おれたちは

2.

「牧……?」
 裸足の足の指でおそるおそる牧の股間に触ると、想像した通りのじっとりした感触に、自分で自分の眉間にシワが寄るのがわかった。
「おい、牧ってば!」
 このまま足に体重を乗せて踏んづけてやろうかと思いながら声を荒げると、牧は「うーん」と呑気に呻いて眠そうに目を瞬かせた。
「お、藤真、おはよう。なんだ、モーニング足コキサービスか?」
「お前さあ……」
「ん……んんっ!?」
 牧は首を前に折って自分の股間を見つめると、おずおずとスラックスの中に──たぶんパンツの中まで手を突っ込んで眉を寄せた。
「すまん、夢精した」
「中学生かよっ!」
「……三十七だ。うん、それで藤真は三十八だよな?」
「ああ? ついこの前三十八になったな」
 牧は不思議そうな顔でオレを見つめて、安心したように笑った。寝ぼけてるんだろう。夢精だけなら怒るようなことじゃないだろうが、呑んで帰ってとっ散らかした床の上にスーツのまんま寝て夢精、って状況には呆れたっていいだろう。
 普段なら勝手に部屋に入ったりしないけど、昨日の夜は飲んで帰るから先に寝てていいって言われてて、大人しく先に寝て。朝起きたら牧の部屋のドアが半開きだったから、そりゃまあ様子見に覗くくらいするよな。
「それで、なんなんだよ、このありさまは」
 床の上には本やらなにやら散らかっている。牧がズボンを気にする仕草をしたが、もう手遅れだろう。オレはとりあえず自分の疑問を晴らすことにする。
 牧は照れくさそうに、でも嬉しそうに口もとに笑みを浮かべた。
「飲み会で昔の話が出て、懐かしくなって、アルバム見ながら寝落ちしたんだな。おかげで十七のときのお前の夢を見たぞ」
「それで夢精?」
「ああ、初々しくてものすごくかわいかったんだ」
 にこにことして、さも楽しげな牧の態度がなんとなく気に食わなくて、衝動的に腹を踏んづけていた。
「うぐっ!」
 筋肉に覆われた硬い腹だ、どうってことないだろ。股間じゃないだけ有情だと思ってほしい。
「悪かったな、古くさくてかわいくなくて」
「そんなこと言ってないだろう。今のお前もかわいいし、いやどっちかといえば綺麗だな。すごくセクシーで素敵だ。若いお前はそりゃ抜群にかわいかったが、今の俺には今のお前が一番だ」
「……寝起きでそんな饒舌なの、すごいね」
「本心だからな」
 確かに、試合中の打算以外で平然とウソつくようなやつじゃないのはよく知ってんだけど、今がいいって言いながら昔のオレで夢精してんだから説得力はない。情けない状況のくせに、ズボンの股間を気にしながらダンディに笑うのが憎たらしいようでいて憎めなくて、自然とため息が出た。
「……シャワー浴びてきていいか?」
「うん、行ってきな」

 オレは自室の机に向かって、牧の部屋から拝借してきたアルバムを眺めていた。牧の部屋に置いてるくらいだから、オレがこれを見たのは結構久々だ。
 開きっぱなしのまま牧が寝落ちしてたのは、夢に見たらしい高校生のころのページ。バスケ関係で撮られたのとか、オレが個人的に盗撮されたやつとか、写真そのものは結構多い。高二から付き合ってたものの、お互いの立場上カップルっぽい写真は少ない。
(若いつっても、ちょっと子供すぎねえかな……いや……)
 オレってこんなだったっけ? ってくらい、自分で言うのもナンだが、昔こういうボーイッシュアイドルいたようなって感じの美少女顔だ。女顔とか言われてたのは下らねえ悪口だと思ってたんだが、割と事実だったのかもしれない。そしてバスケ部の中とか、牧の隣に並んでたりすると余計にそれが際立つ。
(オレって年とって顔伸びたのか!? いや、輪郭が丸いからそう見えるのか)
 机の上に置きっぱなしになってるミラーで自分の顔をチラ見する。そう痩せたつもりはないんだが、今って結構頬が痩けたんだな。あと今は斜めに分けてる前髪を、全部下ろしてたからもあるだろう。女っぽく見られるのが嫌だったわりに、短くしても前髪は下ろしたまんまで、スポーツ刈りとか坊主みたいにまではしたことがなかった。まあだって、そういうのはシュミじゃなかったし。
 昔の友達と会うと、だいたいオレと牧は「昔と変わってない」って爆笑されるんだが、主に牧のせいだと思う。実年齢を言うと驚かれることは多いものの、オレはしっかり年食ってるんだ。
(で、そりゃまあ、牧は若い子のほうがいいわなー……?)
 オレと牧とは好みのタイプが違う。牧と付き合ってから気づいたことだが、オレはたぶん年上っぽい見た目? 雰囲気? が好きだ。だけど牧はかわいさと気の強さがマッチしてる感じの子が好みだったはずで、今となっては三十八歳のおっさん(オレ)よりは当然若い子のほうが、かわいいっていう点で好みに合致するだろう。オレだって、別に性的な目線でじゃないが、若くて元気な子は「かわいいな」とは思うし。同時に「若けえなぁ」って、なんだか疲れた気分にもなるんだけど。
 それに若いほうが性欲あって、ガツガツ牧のこと求めるんだろうしさ。
 チリチリ、ジリジリ、なんだか嫌な感じにイライラしてくる。
 ふと自分の右手に──なんも着けてないままの右手の薬指に目がいって、机の引き出しから取り出した二つの指輪を重ねて着けた。付き合って十年経った誕生日に貰ったやつと、この前の二十年経った誕生日に貰ったやつ。重ねて着けれるようにって、今回のは細いの選んだんだって。おっさんのくせによく考えてるよな。
 もう一つ。三つ目の指輪を取り出して、指先に挟んで窓の光にかざす。すっかりくすんだり凹んだりしちまってる、二十年も前の指輪。付き合ってから初めての、高三の誕生日に貰ったやつだ。
 大学生のとき、初めてできた彼女へのプレゼントに悩んでる友達が『最初で指輪は重いって聞くからネックレスがいいかな』とか言ってて、オレは初めての誕生日に指輪を贈ってきた牧を思って笑っちまったもんだった。
 オレとしてはこれも気に入ってるんだが、着けてると牧が子供っぽいだのおもちゃみたいだの、もっといいやつ買ってやるだのってうるせーから、二つ目を貰ってすぐに着けなくなった。ペアリングだったのに、牧があんまり着けてなかったってのもある。
(いいじゃん、ちょっと安っぽくてかわいい指輪……)
『大人になったんだからそれなりのものを贈りたいし、お前にも身に着けてほしい』
 たぶんそれを言われたときは指輪を貶されたってくらいのイラ立ちだったんだけど、今だとまたちょっと違うように感じる。
(年食ったオレには、高校生のときに貰った指輪は似合わないってことなんだよな)
 そりゃそうだ。当たり前。オレは見た目しっかり老けていってるって、さっき自分で思ったばかりじゃねえか。
(こんなんじゃ、そのうち愛想尽かされるな)
 多少のワガママも気まぐれも、許されてたのは昔のオレがかわいかったからだ。オレは自分の見た目を揶揄されるの好きじゃないとか言いながら、存分に利用してたもんな。だって、損するだけじゃ損だし。
(二十年かぁ)
 長いな。オレたちが初めて出会った年齢より、もっと経ってるんだ。あんまりにも長すぎる。その間、もしオレと一緒にいなかったらあいつはなにしてただろう。子供は作ってただろうな。牧の実家みたいな優しくて賑やかな家庭を築くんだろうって、簡単に想像できる。……いや、別に今からだって遅くはないだろ。牧ならイケる。若い女つかまえてさ。うん、やっぱワガママ許すにも若いかわいい子のほうがいいよな。元の地点に戻った。
 悩んだことなんて、昔のほうがずっと多かった。だけど昔は時間が限られすぎてて、立ち止まってなんていられない気がしたし、みんなのためって義務感もあって突っ走るしかなかった。一応、あのころのオレなりに考えてはいたつもりだけどさ。
 今は昔よりずっと時間があって、オレはたぶんオレだけのためにいて、正解を示してくれる成績や勝ち負けもなくて、だから不安になるのかもしれない。勝手なもんだ。
 ──コン、コン。
「藤真、入っていいか?」
 牧だ。まあ牧しかいないんだけど、そういや今日はオレが朝ごはん当番だから呼びに来たのかもしれない。
「ダメ」
「怒ってるのか?」
「なんでオレが怒る必要があるって思うんだよ、お前、なんかオレに悪いことしたのか?」
「え、いや、うーん……」
 ドアの向こうから、いかにも弱ったような声がする。本当にオレに悪いことをしたって思ってるみたいだ。ドアを開けてやる。
「おお、藤真」
 牧は家で過ごすときの服装に着替えていた。
「別にさ、ズボン汚したのは、あれは牧の持ちもんだからオレが怒る筋合いじゃねえだろ」
 牧はきまり悪そうに首の後ろあたりを掻く。
「そう……だな」
 オレは目を逆三角にして牧を見た。
「なに、ほかに悪いことしたのかよ? 昨日の飲み会でとか?」
「いや、それはないぞ。……だがお前、なんか怒ってるだろう?」
「……」
 オレは思わず唇を尖らせていた。昔はかわいいと思ってワザとやってたのが、いつの間にか癖になっちまったやつだ。姉に指摘されて気づいたんだが、もうそうそう直らない。
 その唇に牧は軽くキスをして、オレをぎゅっと抱きしめてきた。よくやるやつなんだが、なんかこれもお互いおっさんなの思うときついな。オレは牧の胸を思いきり押し返してドアを閉めた。
「おい、藤真っ!」
「なにが悪いのかもわかんねーのに謝ってんじゃねえよ!」
 ドアに背中をくっつけてその場に座り込む。別に牧は悪くない。オレが勝手にむかついてるだけだ。牧の態度は『理由はわからんが藤真が機嫌悪いからとりあえず謝っとこう』ってことなんだろう。それが気に食わない。なんか心広いみたいな態度取られてるのが、よくわかんないけどすげーしんどい。
(オレはもう、牧とは釣り合わないんだ)
 昔のことまでは否定しない。バスケでいい感じにやりあってた時代だってあったし、牧はオレがイイんだ、好きなんだって言ったし──昔はな。だけど今は違う。もうバスケはしてないし、牧は精悍に年をとっていくのに、オレはどんどんかわいくなくなって、確実に価値を失っていく。今はまだセクシーだとか言ってられても、もっと、もっと年食ったらさ?
『今の俺には今のお前がいい』
 それは今ここに昔のオレがいないからだ。今と昔のオレが同時にいたらお前だってきっと。
(夢の中で昔のオレに会ったって、嬉しそうにしてたじゃんか)
 昔の自分に嫉妬するなんて、あまりにも下らないのはわかってる。で、だから、別にオレじゃなくたって、ほかの若くてかわいい子でいいんじゃないかって話だ。牧はもう惰性でオレと付き合ってるだけだろう。
「藤真。そうだな、ズボンのことじゃないんなら、俺が昔のお前の夢を見て夢精したことが単純に気持ち悪かったとか……」
「ブフッ!」
 真面目に鬱々と考えてたのに、すごく申し訳なさそうにそんなこと言うもんだから、思わず吹き出してしまった。
 オレが勝手に拗らせてるだけだから、牧にわかるわけもない。ドアを開けてやる。
「オレだって男なんだから、男の生理現象をきもいなんて思わねえよ」
「じゃあなんでだ? あ、そういえばお前アルバム持っていっただろう。大事なアルバムを汚しそうだったから怒ってるのか?」
「大事なのはお前にとってだろ。オレには関係ねえし」
 オレは牧を部屋の入り口に置きっぱなしにして、ベッドに潜って壁のほうを向く。怒ってる理由は言いたくないし、朝ごはん作るのもめんどくさい──牧に対してなにしたっていいと思ってるわけじゃない。そのうち心広いふりもできなくなって、呆れるなり怒るなりするだろうって、それを待ってるのかもしれなかった。
「……もしかして、やっぱり俺が夢で十七のお前とやっちまったことを怒ってるのか?」
 無視しようかと思ってたんだが、いかにも言いづらそうに、申し訳なさそうに告げられたことがしょうもなすぎて、思わず声を上げてしまった。
「夢ん中のできごとなんて知らねーしっ!」
 言われなきゃ知るわけないし、夢精ってくらいだからある程度想像もできるし。そんで結局、オレのイライラの原因が割とそこだったりするのが一番しょうもない。
「……夢に見るほど若い子が好きなんだ」
「若い子ったって、お前だぞ?」
 牧が覗き込んでこようとするから、頭からタオルケットを被ってガードする。
「アルバムなんて毎日見るもんじゃないんだ。久々に見て懐かしいなって思ったまま眠ったから夢に出てきた、そんなにおかしいことか?」
 たぶんオレのほうがおかしいんだろうって、薄々感づいてたりはする。だけど。
「別に、夢を見たのが悪いって話じゃない」
 布越しに、大きな手が頭を撫でる。懐かしいような、落ち着く感覚って思ってしまうのがちょっと腹立つ。
「藤真、俺は昔も今も、お前のことが好きだ」
 オレはその言葉を拒否するみたいに、語尾に被せて言った。
「よくわかんない理由で勝手に機嫌悪くなってるおっさんにさ、お前いつまで付き合ってるつもりなんだよ」
「今初めてのことでもない。いつまでだって付き合う」
 昔はオレだってかわいかったから許せたはずだ。だけど今は違うだろ。
「オレもうお前が思ってるほどかわいくも綺麗でもないよ。お前老眼入ってきてんだよ」
「俺がそう思ってるんだからいいじゃないか。それに、お前がおっさんなら俺だっておっさんだろう」
「お前は昔からおっさんなんだから関係ねえだろ」
 たぶん、牧にはいまいち伝わってないと思う。オレは若いときから自分の見てくれがいいこと自覚してたし、だから牧がオレを好きって言うのにもある程度納得してた。それが年とって劣化していくって事実になにも感じないほど呑気じゃない。
「お前がなんにそんなに意地になってるのか、俺にはよくわからん」
 お前はあくまで『俺が好きなんだからいいじゃないか』って言うんだろう。それも想像はできるんだけど。
「……そんなの、昔からそうだろ」
 オレの気持ちはお前にはわからない。昔から。高校のときから、ずっとそうだった。
「だが俺は、それも含めてお前のことが好きだ。全部思い通りになる相手なんて退屈だって、お前だって思ってるんじゃないか?」
「それは……」
 ちょっと感覚ズレてるとか、ワケわかんないとか思うときは確かにあって、でもそれでケンカするよりは、面白い、楽しいって感じることのほうがたぶんずっと多くて、だからオレたちは長いこと一緒にいるんだろう。少なくとも、飽きたとか退屈だとか感じたことはオレはなくて。だから。だからこそ、老けてかわいくなくなって、このままじゃいられなくなるかもって、不安になったわけで──
(ああ、結局オレは不安なのか)
 しょーもねえな。自分に対して萎えきった気分で目を閉じたが、タオルケットを剥ぎ取られて無理やり仰向けにさせられたら、目を閉じてるのも逆に恥ずかしくてすぐに開けた。牧は真面目な顔をしてたが、口もとには笑みの気配もある。
「なあ藤真、いいじゃないか。俺たちはこれからも、ふたりで一緒に年をとっていくんだ」
 なにが『いいじゃないか』なんだろう。あと、勝手に決めやがって問いかけですらねえ。紳士なようでいて、ポイントポイントで傲慢なんだよな。
「じゃあさ、今すぐオレのこと抱ける?」
 なにが『じゃあ』なんだろう。自分で言っときながらもうよくわかんなかった。
「もちろん」

 俺の部屋にはダブルベッドを置いてるが、藤真の部屋はセミダブルだ。昔、ふたり暮らしをはじめたときからそうで、特に不便がなかったんで引越しに合わせてベッドを買い換えたときにもそのままのサイズにした。当然、ベッドの広い俺の部屋でやることが多かったから、朝っぱらから藤真の部屋でなんて、ものすごくレアなことだ。
 だが、単純に喜べる状況じゃない。誘ってるのは言葉だけで、藤真が乗り気なようには全然見えなかった。しかし抱けって言われたら抱くしかないわけで──そんな頭の底とは裏腹に、キスして抱きしめて、ベッドの中で藤真のにおいと体温に包まれると、すぐに下半身は元気になった。
「朝っぱらなのに」
 藤真が呆れたように呟いたんで、俺も思わず笑っちまった。
「さっき出したのにな」
 もはや条件反射みたいなもんなんだろう。ふたりして、ふざけて縺れるみたいにしながら服を脱がせ合ってさっさと裸になる。お互い慣れたもんだ。
 ほっそりとした頬に、憂えるような微笑が浮かぶ。昔から、ときたまそんな顔をすることはあったが、今のほうがきっとずっとさまになってる。
 藤真は昔より痩せた。体重が減った自体は聞いてたが、意外なくらい鮮明に残ってる夢の中の姿と比べると、目に見えて納得してしまう。
「ぁ……」
 筋の浮き出した白い首を甘噛みすると、天を仰いだ顎のラインも昔よりシャープになったかもしれない。日々見てて気づかなかったことを、あの夢のおかげで発見するって感覚は新鮮だが、だからって若いほうがよかったと思うわけじゃない。藤真はどうして妙な誤解に囚われてるんだ。
「んっ!」
 首回りが敏感なのは昔から変わらなくて、いや、昔より感じやすいかもしれない。震えながら背けた横顔に、長い前髪が掛かってすごく艶っぽい。
 いつだったか、前髪全部あるのと分けてるのとどっちがいいって聞かれて、どっちでもいいって言ったら怒られたことを覚えてる。本当にどっちもいいと思ったからそう言ったんだが。
 白くて平らな胸に、昔より色濃くなった乳首が目を引く。淡いピンクもかわいいもんだったが、今の色は生々しくてエロくて、率直に言って非常にそそる。待ちわびるようにぷっくり屹立するそこに、俺は遠慮なく吸いついた。
「あぁっ、んっ…!」
 肉のついた乳房がなくたって、乳首を吸いたくなるのはたぶん本能なんだと思う。舌に当たるかわいい感触を転がしたり、弱く歯を立てるたび、藤真は敏感に反応して高い声を上げる。俺がやたらいじったせいで目覚めたんだって、恨み言みたいに言われたこともあるが、俺はそれを聞いてから藤真の乳首のことがますます好きになった。
「あんっ、んっ…」
 手繰るように、急かすように、藤真の手が俺の背中から腰へと移動する。それ以上は、俺が藤真の胸に顔をくっつけてる位置関係のせいで届かないだろう。戯れるような仕草に確実に誘われながら、俺は顔を上げて藤真を見返す。
「んん?」
 どうした? って言ったつもりの俺に応えるように、藤真は膝を使って俺の股間を撫で上げて、目を細めて色っぽく笑った。妖艶って、まさにこういうことだろう。ぐりぐりといじめられる箇所から頭のてっぺんに、ビリビリ電撃が走る。
(お前だって朝っぱらから、ずいぶんやる気じゃないか……?)
 機嫌がいい日だって朝からすることなんてまずないのに、と呑気な考えが頭をよぎったが、すぐに打ち消した。むしろ今は機嫌悪くした直後だから、尋常じゃないってことだろう。
 お望みどおり先に進むかと、両の膝を立てさせ、M字に開かせてその中心に顔を埋める。乳首と同じく、昔より色を濃くしたそれを愛しく感じながら、口に含んでしゃぶり、舐め回す。
「んんっ、はぁっ……」
 これが真っ当に使われてないとは、世の女性にとって損害なんじゃないかとも思うが、俺は藤真が思うほど心の広い人間じゃないから、誰かに譲り渡してやる気は毛頭ない。
 昔より筋肉が落ちてほっそりとした脚を抱え上げる。形のいい亀頭も、俺の唾液でぬらぬら光る竿も、そこからぶら下がった玉も、その奥に控える、性器になった肛門も、全部むしゃぶりつきたいくらいに魅力的だ。そそられるのもあるし、愛着もある。もちろん賛辞のつもりだが、ストレートに口にすると藤真が明らかに引くんで、あまり言わないようにはしてる。
「っん…」
 少しだけ縦に伸びた窄まりに、たっぷりと唾液を落として指をねじ込むと、ふたりの体液の湿度だけでじっとりと密着する感触が卑猥で愛しい。指にまとわりつく強い抵抗感が、否応なしに俺を期待させる。
「はーっ……はぁっ……」
 ローションを含ませてほぐしていくと、打って変わって内に引き込むようなうねりが生まれる。ごくりと、自分の大きな嚥下の音がよそよそしく聞こえた。行為に慣れきったそこは、準備が整うまでにそう長い時間を要さない。ああ、本当にエロい体だ。
「挿れるぞ」
 頷くのを確認してコンドームに右手を伸ばすと、同じことを考えたらしい藤真の左手とぶつかった。俺はなんだか妙に堪らない気分になって、その手をぎゅっと捕まえる。
 そのまま、思いだしたように藤真の右手を見遣ると、俺の贈ったリングが二つ重ねて嵌められていた。本気で怒ってたわけじゃない、やっぱりちょっと拗ねてただけだって安心しながら、揃いのリングをつけた自分の左手でその手を握る。色の違う指を絡めるとリングが寄り添うって光景が、特別な感じがして大好きだった。食事のとき、対面に座ると鏡の向こうみたいに同じほうの手で箸を動かしてる、そんな些細なことにも昔は感動したもんだって不意に思いだす。愛おしさの遣り場に困って、唇に深くキスをした。
「ん、ぅん……牧?」
「ああ、すまん」
 疑問の声は、挿れるっていったきりキスしてたせいだろう。それか、ゴムつけないのかってことかもしれない。どっちにしてもかわいい。
 あらためてコンドームの個装をひとつ取り、手早く装着して藤真の陰部になすりつける。ごく薄いゴム越しに、藤真の熱とうねりがほとんどストレートに伝わる。昔のは厚くて、いかにもつけてる感があって嫌いだったとか、妙に昔のことばかり思いだすのもあの夢のせいなんだろう。
「いくぞ」
「うぅっ、あぁぁっ……!」
 体を進めると、そこはすっかり俺の形を覚えてるみたいに馴染んで食らいついて、ずっぽりと呑み込んでしまう。まだ一応藤真の様子を気にしてた、頭の奥までずぶずぶと欲望に侵されていくみたいだった。
「ああ……藤真、好きだ、ずっと……」
 慰めじゃない。ただ実感があるだけだ。即物的だとか、やりたいだけかと冷やかされたこともあるが、堪らなく好きだって感じたら抱きたくなるし、そうして抱いたらまた際限なく好きだって実感がこみ上げてくる。少なくとも、俺の心と体はそういう風にできてる。
「本当に?」
「ああ……」
 少し伏し目がち、なにか心配してるんだろうか。だが俺はそんな表情だって大好きなんだ。だって、誰にでも見せるもんじゃないだろう?
 馴染む体。互いの望む通りに進む、よく知ったセックス。そこから生まれる飽くことのない快感と満足感。それは昔か今かじゃなくて、ずっと一緒にいる俺たちの間だからこそあるもんじゃないか──そう藤真に言ってやればよかったのかもしれない。しかし頭は働かなくて、舌先は戯れることに夢中になっていた。

 箱ティッシュを毟り、てきぱきと各々の体の後始末をする、ふたりとも無言なことに事前のやり取りは関係ない。いつものことだ。
「俺だって、おっさんになったんだ」
「お前は昔からじゃんか」
「昔は賢者タイムなんて感じなかった。はじめて気づいたときはショックだったな。お前に嫌われるかと思った」
「んなの、昔が異常だっただけだ」
 藤真は丸めたティッシュをゴミ箱に放ると、足のほうに溜まっていたタオルケットを引っぱって体に掛け、俺に背中を向けて裸のままの体を丸めた。
 俺は体と腕を伸ばして藤真の机からアルバムを取り、枕の位置に広げる。ベッドに肘をつくようにうつぶせになって、タオルケットの中に体を入れると、藤真の背中に俺の二の腕がくっついて愛しい。
「まだいる気なのかよ」
「一緒にアルバム見よう」
「なんだよ一緒にって、部屋でひとりで見ろよ」
「藤真はアルバム嫌いか?」
「嫌いってわけじゃないけど、そんなに興味ない」
「まあ、俺だって昨日久々に見たくらいだが」
 藤真の後頭部を視界の端に入れながら、続きのページをめくっていく。高校時代が終わって、大学生だ。ツーショットじゃなくて、それぞれの大学の友人らと写ってる写真が多いページだった。昔はなんとも思わなかったが、今見るとずいぶんむさ苦しい深体大と、いかにも賑やかな若者らしい空気が伝わってくる青学と、全然雰囲気が違うもんだな。藤真なんてすぐ有名になって周りが騒がしくなるんじゃないかって心配したら、『ああいうとこ入るとオレはそこまで目立たないから大丈夫』だの言われたのを覚えてる。試合のときはしっかり黄色い声援が上がってたが。
 次のページに現れた大判の写真に、俺は思わず声を漏らした。
「親父もお袋も、若えなあ……」
 はじめて藤真を連れて実家に行ったとき、帰りぎわに撮った家族とペットの集合写真だ。
 藤真が寝返りを打ってアルバムを覗く。
「本当。牧の弟も妹も子どもだし、ヒマも金太もカメ吉もいるし」
「な、アルバムっていいもんだろう」
「この写真はいい写真だからな。当時は『なんで?』って思ったけど」
「家族写真、か」
 後日郵送されてきた写真に同封されてた一筆だけの手紙には、親父の字で『新しい家族写真ができたので送ります』とあって、それを見た藤真は『部外者が混ざってるじゃねーか!』って笑ってたっけな。
「……牧、今からならまだ、子供つくってもいいんじゃない」
「あぁ?」
 俺は思いきり怪訝な顔と声を出してしまった。子供が欲しいと思わないのかと聞かれたことは前にもあって、俺の答えはいつも同じだったが、今日はまた強引にきたな。
「三十七。子供がハタチになって五十七。まだオッケーだろ」
「俺は子供が欲しいなんて思ったことは今まで一度もないぞ」
「嫌いではないだろ? 人生一度きりなんだから、試してみたら」
「……子供が嫌いだって言えば納得するのか?」
 藤真はまた寝返って、少し前みたいに壁のほうを向いてしまった。
 俺が惚れた相手が女性だったなら、好きになったその先のこととして、子供を考えることもあったかもしれない。だが実際俺が好きなのは藤真だ。それだけで終わる話だと俺は思ってる。
 動物の交尾は生殖行動だろうが、人間は違う。だから避妊具ってものが存在してる。俺は別に子孫を残したくてセックスするわけじゃない。藤真だってそうなんじゃないのか。
 昔より骨の線の見える、白い背中を包むように腕を回し、少し伸びた襟足に額をすり寄せる。
「一度きりならなおさら、俺はずっとお前と恋人同士でいたい。それでこれからも一緒に思い出を増やしていくんだ」
「……一緒に」
「ああ。俺と、お前と一緒に」
「……ちゃんと考えた?」
「もちろん。ちゃんと考えて答えてるぞ」
「……オレって、ちょくちょくめんどくさい感じになるよな」
「飽きなくていい」
 全部俺の確かな本心だ。だがきっと、心だけじゃ不安になることもあるんだろう。理解しないわけじゃない。指輪や生半可なもので繋ぎ止められるとも思ってない。
 そう考えて、賃貸住宅じゃなくてふたりで暮らすマンションを買おうって提案したことがある。名案だと思ったし、俺の心はすっかり〝ふたりのための家〟に旅立ってたんだが、あっさり拒否されてしまった。ショックだった。ものすごく落ち込んだ。藤真が言うには、近くに変なやつが住んでたときに、買っちまってたら引っ越して終わりってわけにはいかないだろ、とのことだ。売るなり貸し出すなりどうにでもできるとは思ったが、それを提案してなお拒否されたら立ちなおれないような気がしたんでその場は大人しく引き下がった。
 じゃあほかに、どうすればいいだろう。ずっと一緒にいる。追いかけてる夢なんてない。ふらっといなくなったりなんてしない。そう藤真が信じられる方法だ。
 男女なら結婚なんだろう。同性同士では養子縁組をするって方法があるのは知ってる。公的に家族になれるわけだが、当然、ふたりの戸籍上の関係は親子になってしまう。法的な保護や経済的なメリットはあるようだが、俺の目的はそういうことじゃなくて藤真を納得させることで、その視点で考えると、望みは薄いように感じる。先入観なんだろうが、親子って関係が俺の気持ちと乖離してるのもあって、具体的に切りだしたことはなかった。
 なんか、いい方法はないもんだろうか──腕の中で、藤真が低く唸った。
「う〜……ハラ減ったな」
「朝まだ食ってないからな」
 朝っぱらからがんばったせいで忘れてたが、寝起きの失態のあと、シャワーから上がってしばらくしても藤真がリビングに出てこなかったから、こりゃ機嫌損ねたなって部屋に様子を見に来たんだった。
「! そうだった。しかもオレが朝当番」
「俺が作るか?」
「なんでだよ、いいからそういうの。でもシャワー浴びてからな」

「これからも一緒に思い出を増やしていくんだ」
 牧の言動って、やっぱりどうも夢見がちだ。なんだけど、無謀とか身のほど知らずとかそういうんじゃなくて、例えばバスケやってたころなら、試合の中でものすごくストイックだなとか、引きぎわをわきまえてんなって感心したことは少なくない。まあ、それとこれとは別の領域なんだろうけど、不思議な男だなってのは長く一緒にいても未だに思うことだ。
(あー……)
 オレだって昔の牧のこと、たまに思いだしてんな。別に昔のほうがよかったとかじゃないけど。牧は昔から変わってないからな。

 思い出はなんのためにあるんだろう。

 この先どのくらい牧と一緒の景色があるのかな。たとえば死ぬ前に見る走馬灯のスライドはどんな風になってるだろう。
 大丈夫、別に病んでない。余命宣告も受けてない。ただ、誰かに残す思い出じゃなくて自分のための思い出ってのは、突き詰めればそういうことなんじゃないかって思いついちまっただけだ。

 牧を信じないわけじゃない。だけど絶対なんてないとも思ってる。置いてかれるかもしれない。いつか消えるかもしれない。可能性はなくはない。これは悲観じゃなくて、オレが昔から抱いてる保身だ。信じきって裏切られるよりなら、どっかに疑念を残しとこうっていう。
 オレも見た目が年食っただけで、中身は昔とそんなに変わってないんだろうな。牧のこと夢見がちって冷やかしながら、それが潰えるのをおそれてる。

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