メタモルフォーゼ

 聖なる夜に響く天使の歌声。
 黒く艶やかな和毛の下、白い顔貌は穏やかな自信と慈愛に満ち、透明な音色とともに虹色の光の翼を広げる。
 讃美歌独唱・観月はじめ。声と音感、言語への感性、立ち居振る舞い、自らを信じる力──嫉妬もさせないほどに彼は〝本物〟で、二年目の抜擢に異を唱える者はいなかった。
(観月さん……)
 観月の立つ内陣にそう遠くない席で、不二裕太は歌声に聞き惚れながら熱心な視線を送っていた。昨年はわけもわからず感動したものだったが、今年は明確な感慨がある。
(素晴らしいな……俺の観月さん……)
 見事に歌い上げ、深く礼をした観月に送られる拍手のなかで、裕太もまた誇らしい気分に浸る。なぜか、とはもはや思わない。
 ゆっくりと顔を上げた観月の、黒い瞳の光に射抜かれる。
(目が合った!!)
 聴衆のなかから確かにこちらを見据え、そして思わせぶりに微笑した。すぐに離れてしまったが、胸の高鳴りは収まらない。
 品行方正、才色兼備、潔癖で神経質。観月に対する他者からのイメージといえばそんなものだろう。そう思うほど誰にも言えない優越感が込み上げる。──ふたりは今夜、一緒に過ごす約束をしていた。
(俺だけが知ってる、俺だけの観月さん……)

 イブの学校行事が終わると恋人たちの時間がやってくる。門限と規則に縛られた寮生活のなかで育まれた、半ば公然の秘密だった。
 裕太はプレゼントの包みを抱えて隣の観月の部屋に滑り込む。
「観月さん、メリークリスマス!」
「んふっ、まだ少し早いですよ」
「そういう観月さんはずいぶん気が早いですね?」
 観月はワインレッドのガウンを着ていた。シャワー上がりすぐに会うとこの格好をしていることがあって、つまり、素肌の胸もとが覗くとおりガウンの下は裸だ。深い赤に白い肌が艶かしい。
「もう、部屋の外には出ませんし……部屋は暖かいので」
 実際にそのとおりなのかもしれないが、妙にいいわけめいて聞こえて愛おしい。イブの夜、ディナーも終えたこの時間にふたりきりで会って、行き着く先など目に見えている。無論裕太もそのつもりだ。
「クリスマスで赤なの、サンタさんみたいですね」
 今日初めて目にしたわけでもない、もともとの持ちものだとは知っているが、どうにも浮かれてニヤけてしまう。今すぐ抱きしめたい気分だがぐっとこらえる。
「そうそう、ボクからのプレゼントです。これ」
 観月は机の上に用意していたプレゼントの包みを裕太に差し出す。
「ありがとうございます」
 形状と大きさから、本だろうかと思う。薔薇の織り柄の赤いリボンが掛けられていて、観月自身が包装したのかと思うとそれだけで嬉しかった。
「お、俺はこれ……」
 裕太のプレゼントは店でラッピングしてもらったものだ。とたんに気後れするが、プレゼント交換をしようという約束だったのだ、渡さないわけにもいかない。おずおずと包みを差し出す。
 約束などなくとも贈り物はするつもりだった。お年玉をはたいてロマンチックな──恋人らしいものを用意するつもりだったが、観月から「お互いの負担にならないように高いものはやめましょう」と提案され、選択肢が狭まってしまった。しかし、自分の感覚で高価なものを買ったとて観月が気に入るかどうかは難しいところだったろうから、無難な展開に持っていかれたのかもしれない。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
 リボンをほどき、中を見た裕太は目を瞬いた。中には恋人のイメージとはほど遠い、来年の手帳にノート、ハサミ、ボールペンなどの文房具。
「ちょっと嫌な顔しましたね?」
「するわけないですっ!!」
 嫌ではない。決して。ただ、裕太の中のクリスマスプレゼントのイメージと違ってしまったというだけだ。
「左利き用の文房具です。結構評判いいようですよ」
「へえ、いろいろあるんだなぁ……ボールペンってなにが違うんですか? ボールの回転が逆とか?」
「おや、知ってたんですか?」
「え、いや、適当っす……」
 観月は意外そうに目を瞬き、裕太も似たような表情で頭をかく。テニスの調子で言ってみただけだった。
「逆なのは回転ではないですけどね。右利きの人間がペンを左から右に引くのに対して、左利きでは押して書くので詰まったり掠れたりしやすいようです。それが改善されてるとか」
「へぇ〜!」
 世の中には右利き向きの道具が多いことは裕太も承知していて、多少不便でも〝そういうもの〟だと思い込んでいた。諦めていたとも言える。左利き専用のものがあるなど思いもしなかったから、それを見つけてくる観月はやはりすごいと思う。いまや愛しい、かわいらしい恋人ではあるのだが、尊敬の対象であることもやはり変わらない。使ってみるのが楽しみだ。
「それを使って、ボクがいなくなってもちゃんと勉強してくださいね」
「そんな、いなくなるなんて!」
 事実、あと三ヶ月も経たずに観月は中学を卒業する。多くの生徒と同じく、ルドルフの高等部に進むと聞いているが──
「すぐそばにいますよ」
「それは、そうですけど……」
 隣の部屋にいる今と、校舎も建物も違う高校の寮とではわけが違うと思う。少なくとも一年の間はそう頻繁には会えないだろう。週末には家に帰りたい思いもあり、今から悩ましかった。
「それを使うたび、ボクのこと思いだすでしょ」
(そんなの、よけい恋しくなるじゃないですか!)
 それをいたく実感するのはもう少し先のことだ。
「裕太君のプレゼントは……」
「ぁあっ……」
 思わず情けない声が出てしまった。
「今開けないほうがいいですか?」
「いえ、今開けてください……」
 むしろそうでないと困る。しかし、観月からのプレゼントに真面目に感心した直後なので、非常にいたたまれない気分だ。
「これは……」
 裕太のプレゼントの包みを開けると、中から現れたのは白いレースの──ベビードールだった。ひらりと、揃いのショーツが床に落ちる。無論女性ものだ。
「み、観月さんに、絶対似合うと、思って……」
 購入時にはそう信じて疑わず、楽しい妄想しか起こらなかったのだが、今になって途端に恐ろしくなってきた。
(おかしいな、観月さんに喜んでほしかったはずなのに、完全に俺の私利私欲じゃないか!?)
「君、気が早いどころでなく、これを買ったときからずっと不埒なこと考えてたんですね」
 不埒なことなど暇さえあれば考えているが、それはひとまず黙っておく。
「たまたま見かけて、天使のランジェリーっていうから、観月さんに似合うと思って。ほら、背中に羽根が付いてるんですよ」
 肩ひもの背中側に、レースと刺繍による羽根のモチーフを重ねて作られた翼が付いている。観月が着ればたいそう似合うだろう──思いだしてきた。売り場の煽りを見て、これしかない! と衝動買いに近い感覚で購入したのだった。
「君にはいつまでボクが天使に見えてるんです?」
「ずっとですよ! ずっと。それに、今日は満場一致で天使でしたし。……あの、嫌だったら着なくて大丈夫なので」
「嫌なんて言ってないでしょ。嬉しいですよ、君がボクへの欲求を抑えられず、お小遣いをはたいてこれを買ったのかと考えると、非常に愉快で──興奮します」
 目を細め、薄い唇を弧にして、ねっとりと絡みつくように、意地悪く笑う。縛られ締め上げられる感覚に裕太は歓喜の身震いをする。
(俺も、興奮しちゃうな……)
 窮屈さがたまらない。自分はマゾヒストなのだろうか、とは観月と付き合うようになってからたびたび思うことだ。
「さて、じゃあプレゼント本体をいただくために着替えましょうかね」
 観月はランジェリーを抱えたままベッドの上に乗って天蓋の薔薇柄のカーテンを閉める。ベッド自体は寮に備え付けのものだが、ベッドスカートと天蓋を後付けしており、裕太たちの部屋のベッドと同じものには見えなかった。
(プレゼント、本体……)
 ごくりと喉が鳴る。観月が聞けば、はしたないと言いながらやはり思わせぶりに微笑したことだろう。カーテンの間から白く細い腕が伸び、ワインレッドのガウンを裕太に放り投げる。
「!!」
 反射的に受け止め、そこに残った温もりに顔を埋めて深く息を吸う。甘い花の香りにめまいがする、その感覚のなかに裕太は観月自身を体感する。
 潔癖症と思われた観月だが、行為に対しては肯定的だった。ためらいや恥じらいはあるが、人並みのものだと思う。裕太が危惧したような明らかな拒絶ではなかった。
「裕太君、開けていいですよ」
 すなわち開けろという命令だ。裕太がカーテンを開けると、ベッドの上に、白いベビードールを着用した観月が正座してこちらを向いていた。行儀よく、両の手は太腿の──股間の上に揃えられている。
「あぁ……!!」
 思わず声が出た。観月としては無意識というか、習慣なのだろうが、裕太は観月が正座する姿を非常に気に入っていた。ただでさえ華奢な体がいっそう小柄に見えて視覚的にも愛しいし、何の影響かわからないが、折目正しい正座姿には従順で清楚な嫁という印象もあった。素直にそれを言うと正座をしてくれなくなりそうな気がして、直接伝えたことはない。
 嗜好品のランジェリーのため、胸も含め全体が透ける薄布とレースでできていて、体の前を留めるいくつかのリボンをほどくと前方が大きく開くようになっている。正座の姿勢のためにセクシーなデザインがあまり目立たず、短い裾もふわりと広がって、いやらしさより愛らしさが際立って見えた。
「観月さん……! 観月さん……!!」
 妄想以上のかわいい、愛しい恋人に、なんと賛辞を贈ればいいのか。裕太が感動により語彙を失うのは珍しいことではない。観月は不思議にも思わず問い返す。
「天使に見えますか?」
「見えます!!」
「天使にいかがわしいことをしようなんて、裕太君はバチ当たりですね」
「俺は無宗教ですから。バチなんてないから大丈夫です!」
(でも、そう言われたらそのとおりだな?)
 裕太の境遇はともかくとして、恋人を天使にたとえる表現は珍しくはないと思う。そして恋人は愛しいものではあるが、欲の対象でもある。
 観月のいでたちを可愛らしいと感じながら、裕太は今にも破裂しそうな欲求を抱えて対峙していた。聖なる夜に、無茶とも思える欲求を受け入れてくれたことへの喜びももちろんあるだろうが、禁忌──いけないことをする、きれいなものを汚す、その背徳感が魅力的なのだろうとも感じる。
「たとえバチが当たったって……」
(俺は、好きになったひとのことが好きだ)
 欲望にギラギラと輝く瞳を向けられ、観月は陶酔に目を細める。彼の瞳が自分だけに向けられる状況が好きだ。彼の中に確かに自分の領域があることを嬉しく感じる。人から執着されることには慣れているつもりだったが、裕太は特別だ。なぜか、と考えたこともあったが、野暮に思えて思考を止めた。
 日ごろ着るものに他人から意見されることは好まないが、特別な日の営みに戯れに付き合ってやる程度の遊び心はある。無論、相手が彼だからではあると思う。
「観月さん、メリークリスマス……」
 大真面目な顔で、取ってつけたように言われて思わず笑った、唇の隙間は即座に裕太の唇に塞がれていた。
 儀式でも愛情表現でもなくただ貪るように無遠慮に立ち入る舌が、観月の舌を絡め取る。
「っ、ん…!」
 手慣れてはいないが躊躇もなく、ひたすら欲望に忠実に、裕太は観月の口腔内を味わう。この欲を受け入れ許容する存在を愛で、撫で回すように、舌乳頭を擦り合わせ、唾液を啜り、柔らかな唇を食む。
「んんっ、むっ…♡」
 呻きは快楽に濡れてはいたが、観月にとって単純な快感ではなかった。敏感な唇と舌に受ける、軟体動物を彷彿とさせる感触は悪感を喚び、背筋をぞわぞわと震わせる被虐的な愉悦に陥れる。
 裕太は観月の細い顎をしっかりつかまえて固定し、観月の唇を犯すように舌を出し入れする。顔に触れる柔らかな前髪も愛しく、舌の表面に観月の前歯の先端が擦れることにも感じ、丁寧に堪能しながら口腔を犯す。
 唇を離すと、充血して赤みの差した唇が白い肌と衣装に映えて、天使とは言いがたい妖艶なコントラストを見せる。
「あぁ……観月さん……」
 薄布越しに、肋骨から胸へと体の側面を撫で上げる。自らの着せた衣装に焦らされる心地で、透けて見える乳首を眺めながら、そこにはまだ触れない。
 貪られていた、蹂躙される側だった唇が妖艶に微笑する。
「ずいぶん余裕がないようですね、裕太君。
「だって……! 久しぶりなんですよ。しばらく忙しかったし、俺も観月さんに負担掛けたくなかったので」
「負担にならない範囲でなら、相手してあげるつもりだったんですけどねぇ」
「そんな、いまさら……」
 知っていたところで、結局我慢していた気がする。恋人との行為に関して、自制がきく自信はなかった。
「君が用意してくれた衣装ですよ。さあ、もっとよく見て」
 観月は膝立ちになって後ろを向き、裕太に背中を見せた。一瞬見えた股間の膨らみに目が釘付けになったが、その注意はすぐに別のところに向く。
(かわいいお尻……!)
 後ろ姿の下半身には装飾が少ないぶん、細い腰と、Tバックに近いショーツを穿いた小ぶりな尻の形がはっきりと透けて見えた。思わず撫で上げると、振り返った観月にぎろりと睨まれてしまった。
「ンッ! ちょっと、この衣装のポイントはどこだと思ってるんですか!?」
「……背中の羽根……です……」
 可愛らしい背中の羽根は、案外と存在感があり、観月によく似合っている。背筋から腰へと緩やかな曲線が伸び、まろやかな臀部の膨らみに回帰する。小さくはあるが、観月の体のなかではいちばん肉がある箇所ではないだろうか。衣装の裾から手を忍ばせると、しっとりした肌の感触に指が沈んだ。
「はっ、ぁん♡ 君はっまた尻をっ」
「本能ですよこれは! しょうがないんですっ!!」
 言いながら、半ばやけになって後ろから抱きついた。華奢な体を両の腕で掻き抱き、ほっそりとした首筋に鼻を寄せて深い呼吸を繰り返す。意識から追い出していた下半身が、衣服越しではあるが観月の体に圧迫されてビンビンと自己主張していた。
「裕太君」
「はい」
「君も脱いで」
「……はいっ!!」
 観月の着替えの間に脱いでおくべきだったろうかと思いながら、裕太は後ろを向いて、いそいそ衣服を脱ぎ捨てる。元気よく反り返ったそれを観月の目前に晒すことにいまだに恥ずかしさはあるが、それを遥かに超越する興奮があった。この状況で拒絶はされないと、知っているせいではある。
「ふふっ……」
 観月はそれを認めて満足げに微笑する。裕太が自分に執着して起こる心身の変化だと思うと、欲望を露わに掲げた姿がたまらなく愛しかった。そして、それが自らにもたらす愉悦も知っている。
「こっちに来て、立って」
「はい」
 言われるまま、裕太はベッドに座る観月の前に立ちはだかる。勃起した自らの性器の至近距離に観月の顔がある。観月に性器を突きつけている。その光景だけで、触れられもせずに強烈な快感が迸った。上を向いた鈴口から、先走りの雫がねっとりと糸を引いて滴り落ちる。微笑う観月の息が掛かって少し冷たい。
「君、いつもこんなでしたっけ?」
「ッッ!」
 白く細い指先が愉しげに鈴口をなぞり、裕太のものが応えるようにどくんと脈打つ。裕太は知っている。ここからは多少鈍感になることが必要だ。
 血管を浮き立たせ、よだれを垂らしていきり勃つ、美しいとは言えない男根に、白い指が絡みつく。淡い桜色の唇が寄り添うと、花弁の隙間から覗いた赤い舌が、根もとから這いのぼるように陰茎を舐め上げる。
「あぁっ……」
 長いまつ毛の下の瞳は挑発的に裕太を見上げ、舌先は小刻みに動いて雁首を刺激し、唇は音を立ててそこに吸いつく。
「あ゛っ、ぁ……!」
 裕太は口をつぐんで視線を逸らす。性器への刺激はまだおとなしいが、視覚に受ける淫猥さは計り知れない。あまり見入っているとすぐに果ててしまいそうだ。
「裕太。ちゃんとボクを見て」
「は、い……っ」
 観月は笑みの形の口を大きく開き、スプーンのように丸めた舌を見せながら裕太を迎え入れる。どんなフィクションよりも淫靡で官能的な現実に気が遠くなる。
「っ、あ、あぁ……っ!」
 裏筋を撫でられ、口内の柔らかな粘膜に包まれながら、亀頭部は深く喉奥にまで呑み込まれる。男根の根元までも、観月は咥え込んでいた。喉奥を開けばよいのだと、観月は造作もないように言ったが、顔の小ささと相まって異様な光景だ。
「ふぁっ、あっ!」
 呑み込まれた先端を締めつけられると、たまらず声が出た。そうしながら、観月の顔がゆっくりと前後する。根もとから先端まで余すところない愛撫を繰り返される、強烈な快感に裕太はびくびくと体を痙攣させた。
「っく…!」
「ん、んぐっ、んっ…♡」
 ジュポジュポと派手に聞こえる卑猥な挿入音に、観月の高い呻きが混ざる。観月は喉の奥を亀頭で撫でられると感じるのだと言う。
 潔癖だと思っていた。最初は手を握ることにさえ躊躇した相手は、非常に敏感な触覚と享楽的な性癖を備えていた。初めのうちは戸惑いと──軽い失望めいたものもあったかもしれない。しかしそんなものはすぐに消え去り、裕太もまた同じ蜜を啜っていた。
「っ、うぁっ、みづきさっ…」
 喉奥の快感。相手を支配する愉悦。息苦しさに鈍る思考もまた好いと、観月は行為に没頭する。
「出るっ…! っふ、うぅぅっ…!!」
 喉奥からずるりと引き出されながら、裕太は観月の口腔内に勢いよく射精する。観月はそれを受け止め、丁寧に吸い出し飲み下した。
「あ、あぁ……」
 言語を発する唇を、観月の大切な器官である喉を犯し、そして精液で潤す。肉体への快楽だけでなく、倒錯的な感覚が裕太を打ちのめす。しばし陶然としていたが、射精の快感が引いて急激な沈静状態が訪れると、ふと不安がよぎった。
「観月さん、こんなことして喉悪くならないんですか?」
「もう大一番は済んだでしょう」
 今日の讃美歌独唱のことだ。そのために観月は忙しいなかボイストレーニングもしていた。
「でも……」
「嫌なんですか?」
「嫌じゃないですけどっ! 俺は観月さんの歌本当にすごくて好きなので、喉大丈夫なのかって、ちょっと気になっただけです」
「歌は好きですけど、ただの趣味ですよ。ボクが満足に歌えると思えばそれでいいです」
 〝ただの趣味〟という言葉がらしくない卑下のように聞こえて、思わず言い返したくなったが抑えた。裕太は音楽に明るくはないが、同年代で観月ほどの歌唱をする人間は他に知らない。テレビで歌番組など見ていても、歌唱力では若いアイドルなどは及びもつかないと感じる。
 何人かでラウンジのテレビでアイドルの歌番組を見ていたとき、通りかかった観月は立ち止まって少し眺めただけで立ち去ってしまった。音楽の好みが合わなかったのだろうと、そのときは気にしなかったが、今は奇妙に引っ掛かる。
 観月の父親は現役の演歌歌手だ。隠されてこそいないが、紅茶や薔薇やテニスについての饒舌さと比べると、父親の話題は極端に少ない。観月の精神構造が自分と同じとは思わないものの、一時期兄へのコンプレックスに悩まされた裕太としては、観月本人が語る以上には触れられない領域だった。
「大丈夫ですよ。君は無理矢理乱暴にするなんてしないでしょう」
「そうですけど……」
 棘のないやんわりとした微笑に、バリアを張られたと裕太は察する。それはそれで、きっと構わないのだと思う。少なくとも今は。
(いつか、もっと観月さんのことわかれるのかな……)
「裕太君。満足してしまいました?」
 細い指がベビードールの裾をいじる。裕太は導かれるようにそこに視線をやり、柔らかそうな太腿と、レースの陰に隠された脚の間を凝視する。性懲りもなく、腹の底に熱いものが作られていく気がした。
(俺、すごく余計なこと考えてしまった……!)
 こんなに愛らしい格好をしてくれた観月を目の前にして、だ。裕太はぶんぶんと首を横に振る。
「観月さんが満足するまで、俺も満足しませんっ!」
「なんだか、ヘンな言いかたですね?」
(そ、そうかな……?)
 自分ではそうおかしいとは感じなかったが、観月が首を傾げて笑うのが愛らしいのでどうでもよくなった。
「観月さん! 好きです……!!」
「あぁ……」
 それだけの単純な言葉が、なぜこんなに心地よく響くのか。陶酔の喘ぎはキスに呑まれて消えた。
 好意もそうではないものも含め、人から執着されることなど珍しくはない。しかし裕太はあまりに純粋で一途だ。観月には裕太のことを誰よりも深く知っている自負があった。
(君の愚直はボクを酔わせる)
 押し崩されてベッドに投げ出した体を、裕太の手が薄布越しに撫でる。年齢としては子供だが、その手の感触は大人に近いものだと思う。いつの間にか、身長も二センチも伸びて──
「ッ!」
 薄布は見た目に反し、敏感な観月の肌を強く刺激する。高価なものはやめようと釘を刺した。小遣いで買える程度のものだ、それなりの布地なのだろう。
「ぁんっ…!」
 布越しに乳首を擦り、捻り上げられると体が弓なりに大きく反った。まだ触れられていない下半身がじっとりと熱を帯びて疼く。自らの浅ましさにめまいがするが、それもまた愉悦の一端だ。
「観月さん、いつもより興奮してます?」
 新しい遊びを見つけた子供のように、裕太の目がきらりと光る。純粋さはときに残酷だ。観月はただ身を委ねる。
「君の、気のせいでしょう……」
「そうかな」
「あ、んっ……痛い」
「痛かったですか? すみません」
 裕太は驚き、観月に触れる手を宙に浮かせた。多少意地悪を言ってみたくなっても、実際に不快感を与えたいわけではないのだ。
「布が、痛いので」
 観月は胸下に結ばれたリボンを自らほどいていき、ベビードールの前を開く。行き場を無くしていた裕太の手をつかまえ、露わにした腹部に置く。
「直接触ってください」
「はい……!」
 微かに汗ばみ、じっとりと吸いつく柔肌が裕太を煽る。誘う微笑に吸い寄せられるように顔を寄せ、戯れるような軽いキスを繰り返す。突き放し、手繰り寄せて、手のひらの上で弄ばれながら何度も恋に突き落とされる。
 傷つけぬように慎重に、しかし裕太の欲求の赴くままに、腹、胸、脇の下、太腿──薄布の下に潜り込み、柔らかで敏感な肌を直接愛撫されていく。
(君になら)
 触れられてもいいと思った。
 裕太の告白を観月に受け入れさせたものは、理性よりも感情よりも浅ましく汚らわしい欲求だったと思う。無論それだけではない。しかし決め手はそれだった。
 抱きしめられた。キスをされた。嫌ではなかった。心地よかった。彼とならその先までも行けると、未知の罪の先まで行ってみたいと思えた。
「観月さん……すごい……」
 男性器を想定していない女性用のショーツ、それも布地の少ないセクシーなデザインのものだ。勃起した観月の性器は収まっていられず、斜め上を向いて押さえ付けられながら、その頭をショーツの腰ゴムの上に覗かせていた。
「めちゃくちゃやらしいですよ」
 裕太は顔を下に向けたままそれを凝視する。観月のことを言いながら自分の顔もだらしなく緩んでいる自覚があり、顔を上げることができなかった。観月の体は色っぽい。平らな胸も、小さな尻も、男性器を見てもその感想は変わらなかった。
「君が着せたんでしょう」
「それは、そうですけど」
(あぁ、俺のためにこんな格好……)
 案外と大胆なことも知っているが、それでも日ごろの観月を思うと興奮しすぎて頭がおかしくなりそうだ。
「んっ…♡」
 ショーツの上から陰茎の形を確かめるようにスリスリと撫でる。剥き出しの先端には触れない、もったいつけるような動作は観月というより自分に対してだった。
 硬さ、ボリューム感ともに愛おしくて、ショーツ越しに横向きに陰茎を喰み、めいっぱい堪能するように深い呼吸を繰り返す。
「ちょっ、と……」
(観月さん、ちょっと引いてる?)
 嫌がらせをしたいわけではないのだが、それにすら興奮してしまう。
「いいにおいがします。観月さんが興奮してるときのにおい」
 風呂上がりのにおいとは違う、微かだが観月の体臭なのだろうと思う。裕太には甘く蠱惑的な香りと感じられた。
 戒めを解いてやるように、ショーツをずり下ろし陰茎を引っ張り出す。陰嚢だけが綺麗にショーツに収まっていて、淫猥な茎の下のふっくらとした小さな膨らみが無性に可愛らしく見え、指先でやわやわと愛でる。
「ぁんっ♡」
 淡いピンク色の亀頭にキスをして、唇で包み込みながら口に含むと、キャンディを舐めるように執拗に舌を絡めて愛撫した。
「ん、んっ…♡」
 高い声が上がり、観月の腰が小さく跳ねる。観月が感じていると思えば無論嬉しかったが、奉仕の意識よりも好物のスイーツを味わうように、裕太は夢中でそれにしゃぶりついていた。
 観月を真似してできる限り深くまで咥えてみたが、先端が喉を掠っただけでえずいてしまい、喉奥に収めることはできなかった。
「ケホッ」
(俺も観月さんのをいっぱいまで呑めたら、興奮するだろうなぁ。……やっぱり観月さんって、めちゃくちゃエロい……)
 白い肌に白いレースの衣装ではあるが、状況はとても清楚とは言えず、逆にぬらりと濡れた観月の性器や乳首の色を際立たせ、いっそう卑猥に見せる。
(ああ、ほんとエロいな、なんなんだろうこの人は……)
 好きになったきっかけは、恩人だとか、観月の在り方が好きだとか、決して不純なものではなかったと思う。しかしこうして不純な目で見ても完璧に好みでしかなく、頭を抱えたくなった。これ以上鑑賞して愉しむこらえ性は裕太にはない。
 観月の膝裏に手を入れて膝を立てさせる。陰茎を露出させ、陰嚢だけをショーツで覆われた股間を見ると荒い息が漏れた。
 尻の割れ目を覆う、ほとんど紐のような部分をずらして指を忍ばせると、観月の細い指が裕太の視界を泳いだ。
「これ、脱がして……」
「!! はい」
 ふしだらな下着姿は非常に情欲的だが、観月の提案もまた魅力的で──それよりも先に進みたい思いが強く、裕太は落ち着かない手つきでショーツを取り去る。
 下半身を抱え上げると、性器と陰部が完全に晒される。白い衣装と肌の色のなかで、そこだけが生々しい肉の色をして裕太のさまざまな欲を煽った。今すぐそこに自らのものを押し込みたかったが、そうもいかない。
 焦らされる心地で、たっぷりと潤滑剤を使って指を挿入する。
「っんっ…♡」
 慎重に、しかし確実に、中をほぐし潤していく。観月のそこはすでにアナルセックスの快感を知っており、今日は気分が盛り上がっていることもあって、すぐに裕太の指に吸いつくようになった。
「あぁっ、んんっ…♡」
 潤滑剤を継ぎ足し、二本の指でピストンすると、強請るような甘い声が上がる。内部もまた求めるように大きくうねり、裕太の指を奥まで引き込もうとする。淫靡な感触に股間が疼く。内奥を拡げるように指をぐるりと回すと、ぐちゅりといやらしい水音がした。
「くンっ♡」
「観月さん、やっぱ今日いつもより敏感ですよ」
「君が焦らしすぎなんです……!」
(観月さん、焦れてたのか!!)
 つまり、とっととセックスをしたいと観月も思っているということだ。感動とともに軽く達しそうになったがこらえた。このままでは、次に進んでも耐えられる気がしない。
「それは、気づかなくてすみませんでした」
 自分は研究熱心なほうだと思う。もうすっかり覚えてしまった、観月の感じる場所を挿入した指で押し上げる。
「あンッ!」
 高い声が上がり、大きく体が跳ねる。男性器ではなく、体の内で感じているというのが本当にエロティックで愛しい。ゆっくりとした指の動作で、引き続きそこを攻める。
「あぁっ…♡ そこっ、そんなッ♡ ダメッ!」
 びくびくと腰を震わせながら手首をぎゅっとつかまれて、裕太もたまらず動作を止める。
 指を引き抜き、手早くコンドームを着けると、求めるように収縮するそこに押しつける。
「んっ! うぅうっ…♡」
 押し拡げられる肉の輪が、少しずつ裕太の欲望を呑み込んでいく。細い腰と白い体に対して暴力的にすら見える光景が、観月の許容の証に思えて愛しくてならなかった。
「あぁ……観月さん……」
 そこは暖かく窮屈で、しかし確かに裕太を受け容れている。交際を始めて半年以上が経つが、愛しい人と深く繋がることへの感動は潰えない。
「裕太くん」
 喚び声に応えるように体を前に倒し、愛らしく微笑する唇を食む。互いに粘膜を啜り、ちゅ、ちゅと零れる派手な音に酔いながら、溺れるような呼吸を繰り返す。
「ん、ふっ…」
 まつ毛が触れ合う距離で呼気も唾液もどちらのものかわからなくなりながら、焦ったさと口惜しさのなかで戯れ合っていた。
「裕太」
「あぁ……」
 促されたのか許されたのか、判断できなかったがどちらでもかまわない。声に応じるように、裕太は体を動かす。観月の感じる箇所を意識的に突くように腰を使うと、蕩けるような甘い声が上がった。
「あぁんっ♡ あぁっ、ゆ、たっ…♡」
 囀りながら、観月の腕が裕太の首に絡みつく。
「はぁっ……みづきさんッ…」
 求めに応じるように、観月を満足させられるように、自らの欲望のままに、乱れる体を愛撫し犯す。
 観月にはそぐわない行為だと、許されない欲求だと思っていた。しかし違った。縛りつけて翻弄しては至上の悦びをくれる肉体の内奥まで、観月は観月そのものだった。
「観月さん…っ! 好き……好きですっ、ずっと好きだ……!」
「ゆうた…」
 恍惚とした目で呟きながら、ふたりの調子が上がっていく。

 幼い日、父親の歌手としての仕事について行ったときのことだ。いきさつは忘れてしまったが、観月は父親を待ちながら歌っていた。オーディションに来たわけではない。誰に聞かせようとしたわけでもなく、退屈なので歌っていた、ただそれだけだった。
「お歌、上手だね」
「ありがとうございます!」
 茶色のサングラスの中年の男。父親の仕事相手だ。名前も肩書きも知らないが、ここまでのやり取りを見ていれば子供の観月にもその程度はわかった。つまり警戒すべき〝知らない人〟ではない。
「はじめくん、だっけ。君も将来歌手になりたい?」
「……なりたいです!」
 花の綻ぶような笑みだった。親類以外のプロに歌を認められたと理解しての、心からのものだ。
「いいよ、君を歌手にしてあげる。おじさんとお友達になろうか」
 差し出された手を躊躇なく握り、観月は男について歩いた。
「ちょっと、トイレに寄っていいかい」
「はい」
 手を引いて広い個室に連れ込まれ、ようやく身の危険を感じたが遅かった。男の背後のロックの音にそこはかとない怖気がつく。
「あ、の……」
 日ごろ警戒心はないほうではなかった。小鳥を罠に嵌める程度の狡猾さもあった。しかし観月はこの男のことを父親の知人だと認めて油断しきっていた。
 その後のシーンはあまり鮮明ではない。肌に触れる、硬く乾いた男の手の感触は覚えている。思いきり悲鳴を上げて助けを求めたとき、その先に起こることを想像したわけではなかった。知らない人間に見られることに、触れられることに、単純に生理的な嫌悪感があった。耐えられなかった。本能的な恐怖だったと思う。
 すぐに駆けつけた父親に、「トイレに行きたいって迷子になってたから連れてきてやったんだよ。子供を仕事に連れてきて目を離すなよ」と横暴に言い放っていたことが忘れられない。その場はショックで何も言えず、父とふたりきりになったときに伝えようとしたが「わかってる。何も言わなくていい。俺が悪かった」と言われてしまった。
 何年も経ってから調べたところによると常習らしく、立場もあるので関係者は何も言えないそうだ。あのとき声が届く距離に父がいなければ、どうなっていたかわからない。

 シャワーブースで体を流しながら、そんなことを思い出したのは裕太との会話のせいだろう。ただの色褪せた記憶であって、痛みをともなってフラッシュバックするような、いわゆるトラウマとは違うと思う。潔癖症はあの件から露見したのかもしれなかったが、元来の性分だった気もする。歌うことはその後も好きなままだった。
 あのとき歌手になりたいと答えたのは、それを具体的に夢見ていたためではなかった。子供の時分は周囲から褒められること、望まれるままに人を喜ばせることを自らの幸福だと信じていたから、歌手になればもっと褒められるだろうと、単純にそう発想したと記憶している。
『うちの自慢の長男さぁ。めんこくて、賢くて、なんでもできる』
『テレビのあの子なんかより、はじめちゃんのほうがお歌が上手よ』
 心地よかった。家族が喜べば自分も嬉しかった。望まれるままにありたかった。その想いがいつしか呪いに変貌していたと自覚したのは、ごく最近のことだ。
(君とふたりきりの時間、ボクはボクでないようになれる……)
 純潔な体、秀でた喉、清廉であること。褒めそやされるものどもを汚すことがこれほど痛快だとは知らなかった。
 教会でのキス、就寝後の逢瀬、子供らしからぬ行為、罪なき犯罪の共有。狂おしく愛おしい時間だった。
『観月さん、ずっと好きだ……!』
 行為中の、うわ言のような告白を思いだす。
(どうして急に)
 ずっと好きだったという、過去からの話なのだろうか。もしくは天使に固執する彼の、変わらない天使像に対する変わらぬ愛の誓いのつもりだったのか。
(どうせ夢見がちなものに喩えるなら、儚く散るもののほうが好みなんですけどね、ボクは)
 鏡に映る、真っ白な肌が少しだけ恨めしい。即物的でこらえ性がないようでいて、裕太はこの身に触れるときにはいつも慎重だ。最中に多少色づく程度はあっても、残るような痕は残さない。
『ずっと好きだ』
(ボクは君を信じない)

 照明を落としきっていない部屋の中でも、裕太は案の定眠ってしまっていた。起こさないようにそっと横に身を滑らせ、天蓋のカーテンを閉める。そのまま眠るつもりで体を沈めると、肩に腕を回され抱きしめられた。
「……!!」
「俺も、シャワー浴びてきたほうがいいですか?」
 眠そうな声に思わず笑ってしまう。激しい感情の動きはなく、ただ甘く緩やかで少しだけ気だるい──愛しいとは、こういうことなのかもしれない。
「いいです、そのままで」
 差し出される腕に、望みのままに頭をもたれさせる。朝になれば決まって「腕が痺れた」というくせに、彼はここに泊まると確実にそうしたがるのだ。
 完全な暗闇で眠るのはふたりともあまり好まないので、カーテンの外側は薄明かりが点いたままだ。カーテンの薔薇の柄が幾分透けて見えて、味気ない天井より華やかで気に入っている。
「観月さん。俺、すげー幸せです」
 頭を動かしたくはなく、暗がりのせいもあって裕太の表情はわからない。しかし、笑っているような声色だった。
(ボクだって、君に変わらないでほしいと思ってる)
 観月は口を開きかけては閉じ、それを何度か繰り返す。
「ボクも……」
 小さく呟いたところで、寝息が聞こえて口をつぐんだ。

 幼いころ、望まれるままにあろうとしたのは子供としてごく普通のありようだったと思う。成長して自我が強くなり、自己自身の望みを抱くようになるのもまた自然なことだろう。代々土地に根差し農業を営む大家の長男であることと、生まれ持っての賢明さから、観月が家族と自らの望みの相違を自覚するのは周囲の友人たちよりもずっと早かった。
 十四歳でひとり親もとを離れ、聖ルドルフの仲間たちと出会い、U-17候補合宿、オーストラリアへの応援旅行とかけがえのない体験をいくつもした。たまたま聖ルドルフの関係者の目に止まった運もあったろうが、今ここにいるのは確かに自分の選択、自分の意志だ。
 小さな部屋に作った自分の世界。かたわらに眠る恋人。誰が用意したものでもない自らの選択。
(ボクは……ボクらは、どこまでいけるのかな。裕太)
 体を丸め、子供のような寝息に呼吸を合わせ、温もりに溺れて意識を沈めていく。薄明りの差す、薔薇色の繭の中で。
 
 
 

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