2.
「くそう勝たなきゃ……勝たなきゃ意味がないんだ!! そのためにボクらはわざわざ地方から集められたのに!! 結果だけがすべてなんだよ!!」
フェンスにしがみついた、細い背中が泣いてるみたいに震えてる。観月さんがここまで声を荒げて、感情的に打ちひしがれる姿なんて初めてだ。激情って言葉が頭に浮かぶ。
俺はそれを妙に落ち着いた気持ちで眺めてた。観月さんが俺にしたことを兄貴から諭されて、少し──冷めたのかもしれない。
このひとにとっては試合の内容より結果こそがすべてだった。俺の腕に負担が掛かる技を、そうと知りながら使わせていた。善良な天使なんかじゃなくて、自分の目的のために俺に親切にしてくれただけだった。個人の感情も私利私欲もある、普通のひとだった。おかしいって言われるかもしれないけど、俺は前よりもっと、観月さんのことが好きになっていた。
高嶺の花みたいに感じてたものが、ぐっと近く、この手が届くところまで落ちてきたみたいな。ある意味、憧れは死んでしまったのかもしれない。前とは少し違う気持ちなのかもしれない。とにかく心がざわざわして、状況に合わないのはわかってるけど、観月さんのことかわいいって思ってしまっていた。痛々しくてかわいそうでかわいくて、誰もいなかったら背中を抱いて慰めてあげたかった。
俺だって負けたのは悔しいし、申しわけないと思ってる。
俺は兄貴に勝ちたかった。観月さんはチームを勝たせたかった。同じものを見てるようで、俺たちの視線は交わってなかったのかもしれない。たぶん、だから今俺は同調でも共感でもない、ただの俺の視点で観月さんを見てる。俺はもう、今までみたいに観月さんには従えない。だけどこれからもここにいたいから、伝えなきゃいけなかった。
帰りじたくをしてる観月さん(と赤澤部長)のそばに歩み寄る。
「観月さん、今までありがとうございました」
「裕太、お前まさか、うちを出ていくんじゃないだろうな」
そんなわけない。っていうか、赤澤部長は観月さんの思惑を前から知ってたんだろうなって、この感じでなんとなくわかってしまった。
観月さんに告白したあの日、観月さんの気持ちも考えるべきだったって思ったけど、結局俺はなんもわかってなかったんだよな。赤澤部長のほうが、もう少し観月さんのことを理解してるのかもしれない。胸がチリつく。
観月さんにとって俺は、ただの操りやすいガキだったのか? けど、使えないやつなんて操ろうと思わないだろ。あのとき声かけてくれたのは、観月さんが俺を認めてくれたからだ。
「いいえ、ここまで来れたのは観月さんのおかげです。感謝してます」
新しい居場所も、ここまで成長できたのも。兄貴はあの技のことでキレてたようだけど、正直俺はなんともなってないからいまいち実感がない。
「それに、勝ちにこだわるのって、俺、悪いとは思いません」
特に俺たちは特待生としてルドルフにいるわけだし、楽しいだけのテニスなら大会以外でやればいい。顔を狙えとかあんまりなことには従えないけどな。
「ただこれからは、もう少し自分の力で戦ってみたいです」
あの技についてだって、俺が観月さんを盲信しすぎてたからなんの疑問も抱かなかったとこもあるだろうし。だからこれから全部は従わない。自分でも考えながら、観月さんの力になりたい。
「観月さん、いいですか?」
「……そうか、わかった」
「ありがとうございます! コンソレーション、必ず勝ちます!」
意外と立ち直りは早いのか、観月さんは「んふふ」っていつもみたいに笑って赤澤部長と一緒に歩いて行ってしまった。ついて行こうとする足が止まる。
(あの告白は、無効だよな……)
結局俺も観月さんも、チームも青学に負けちまったし。答えくらい聞きたいって思うけど、いい想像がぜんぜんできない。
そのうち兄貴に声をかけられて、家に帰りたくなるように姑息なアピールをされた。淳先輩が外泊届けを出しておいてくれるって言うんで、先輩の好意を無駄にするのも悪いし、今日はひさびさに家に帰ることにした。
◇
『ずっとうちに戻ってきてもいいのに』なんて冗談っぽく(たぶん本気で)兄貴に言われたけど、もちろんそんな気はない。ひさびさに家で晩メシ食べて、一晩寝て起きても俺の気持ちは変わってなかった。
早くルドルフに戻って、コンソレーションのために特訓しないと。あの観月さんの姿を思いだすと強くそう感じた。きっとみんなも同じだろう。
できる限りやったつもりだったが、氷帝戦でも俺たちは勝つことができなかった。青学のときと同じく、赤澤部長と金田のペアだけは白星。テニス部は観月さんに支配されてるってほかの部から言われてるけど、やっぱり伊達に部長なわけじゃないんだ。
悔しいけどいい経験になった、なんて思えるのはたぶん俺が二年だからで、日ごろ口数多い柳沢先輩も、観月さんもずっと黙り込んでた。赤澤部長は正直鈍感なんだと思うけど、こういうとき頼もしいのも確かで。堂々としてみんなに声かける姿にすごく感心してしまった。
赤澤先輩を部長に推したのも、ダブルスに起用したのも観月さんだ。チームとしては勝てなかったけど、観月さんがすごいのはやっぱり間違いない。青学と氷帝と当たるなんて運が悪すぎた、組み合わせ次第でもっと先に進めたんじゃないか──って、俺は言う立場じゃないし、そういう雰囲気でもない気がして黙ってた。
寮での夕食の時間、いつも観月さんがいる席は空いていた。
「観月さんは?」
「部屋で食べるって」
「あいつ相当凹んでるだーね」
「俺、呼びに行ってみます」
「きっとひとりで考えたいことがあるだーね。そっとしとくだーね」
「裕太はいなかったけど、青学戦のあともそうだったんだよ。でも次の朝にはケロッとしてたから平気じゃないかな」
「そう、だったんですか……」
そんな話、知らなかった。俺は家に帰ってラズベリーパイを食べて……兄貴と姉貴はうざかったけど、呑気に過ごしてた。負けたけど試合のあとは清々しい気分だったし。
「観月さん、そんなに思い詰めてたんですね」
「そりゃあ、あいつは自分で選手をスカウトして、自分でデータ集めてシナリオ作ってオーダー作って」
「勝ちたければ従え! って煽ってね」
「そこまでしてもらって勝てなくて、俺は観月さんが悪いなんて思いません」
「そうなんだーね。けど、観月はきっと『結果を出せなかった』って凹んでるだーね」
青学戦のときも結果だけがすべてだって言ってた。確かに補強組っていうくらいだから、勝つために集められたメンバーだろうけど、そんなに思い詰める必要あるんだろうか。
「観月さん、誰かに怒られるんですか?」
結果を出すことを、誰かに強いられてるみたいな……?
「さあ。あんまり突っ込んだことは聞いてないだーね。ただ、なんの目標もなしにただ東京に行きたい! ってわがままで実家を出てきたわけではないだーね。田舎の親は、まだ中学生のひとり息子を、そんな簡単に外に出さないだーね。あんまり言いたかないが、近所にお泊り感覚の裕太とは違うだーね」
「……」
「裕太、怒っただーね?」
「観月さんて、ひとりっ子じゃないですよね?」
ひとりっ子は柳沢先輩のほうだ。
「! お姉さんはいても、男の子ひとりだからひとり息子だーね!」
そういうもんか。まあ、俺はまさにふらっと家帰ってたばっかりだから、言い返すことはできない。観月さんや柳沢先輩にはそんなの無理なはずで。……うん、家族がどうこうって、ぜんぜん考えたことなかったな。柳沢先輩が言ったとおり、簡単に帰れる距離だし。
観月さんの家族は、観月さんに帰ってきてほしい……のかな、やっぱり。結果が出せなかったら連れ戻すとか?
「でも、新しめの学校で都大会ベスト8ってじゅうぶん結果出てますよね?」
「おう、そうだーね! 田舎のベスト8と違うんだから、観月は心配しすぎだーね」
「じゃあ、観月さんにそう教えてあげなきゃ」
「明日ね。今日はそっとしといたほういいんじゃない」
「だーね」
よくわかんないけど、ふたりしてそう言うんだったらそうなんだろう。本当は観月さんは今ここにいて、みんなの言葉を聞いてたらよかった気がするけど。
柳沢先輩はなんとなくわかってるオーラ出してたし、また俺だけがわかってないのか? もやもやする俺の隣で、ノムタク先輩はひたすら携帯のゲームのリセマラをしていた。
夕食後、部屋に戻るとベッドの上で観月さんのことを考えてた──つもりだったけど、いつの間にか寝てたみたいだ。試合で疲れたからかな。寝て起きたって感覚の割に時間は早くて、日付も変わってなかった。
なにげなく窓の外に目をやると、観月さんが歩いてるのが見えた。街灯はあっても暗いなか、後ろ姿だけど、髪の感じと背格好から確信する。なにしに、どこに、なんて考える前に俺は外に飛び出していた。
窓から見たあたりまで早足で行くと、その先に見知った華奢な後ろ姿を見つける。どうするとも考えず出てきたから、とりあえず気づかれないように、建物の壁や塀にくっつくようにしてそろそろあとをつけた。
校舎からは遠くない場所だけど、日曜の夜の今、このあたりには寮の人間くらいしかいないだろう。それも、普通はみんな自室にいるような時間だ。敷地外に出るには許可がいるけど、校内の施設には行ける……はず? その辺は俺より観月さんがずっと詳しい。
観月さんは教会に入っていった。夜でも、誰もいなくても明かりだけはついてるんだって聞いたことがある。
「……」
俺は教会の入り口に立ち尽くした。ここから教壇へは一直線だから、ドアを開ければ完全に俺のことがバレてしまう。
観月さんはなにしにここに来たんだ? ひとりで考えたいこともあるだろうって、先輩たちの言葉が頭をよぎる。でも夕食から今まで時間はあったし。兄貴の弟扱いに悩んでたとき、誰にも言えずにいたのを救ってくれたのは観月さんだ。ひとりで思い詰めるのがそんなにいいことだとは、俺にはやっぱり思えなかった。
俺はなんかあれば観月さんに指示を仰いだ。観月さんはいつでも最善の答えをくれた。だけど観月さんは困ったとき、誰に相談するんだろう。今までは〝なんでもできる特別なひと〟って思って考えもしなかったけど、俺はもう、観月さんも普通のひとだって知ってる。だけどきっと頼る相手がいないから、ひとりで部屋に閉じこもって考えて──無性に悲しくなって、考えもまとまらないまま教会のドアを押し開けていた。
真正面、長い中央通路の先のステンドグラスから弱い光がそそぐ講壇の前に、観月さんの細い背中があった。おごそかっていうか、なんとなく、クリスマス礼拝のときの姿を思いだす。
小さく見える観月さんが、ゆっくりこっちを振り返る。俺は観月さんのところに駆け寄る。
「観月さん……」
「裕太君。教会に用事ですか?」
観月さんは少し驚いた様子だったけど、口調は淡々としていた。ワックスをつけてない髪はふわふわした印象で、無表情なのと相まってなんとなく不安な気持ちになる。見慣れて気にしなくなってたけど、いつもはもっと強い、思惑があるような目をしてる。長いまつげが淡い光に照らされて目もとに影を落としてる。いつもの華やかさとは違う、神秘的で、陰鬱ともいえる雰囲気。
「観月さんが教会に入ってくのが見えて」
「なんの用ですか?」
「用っていうか……」
「用もないのにつけてきたんですか?」
「用がなくたって、会いたいと思ってもいいじゃないですか」
ここまでのなにも考えてない行動の原理って、たぶんそれだけだ。凹んでるなら励ましたいとかもあるけど、まず俺は観月さんに会いたかった。見つけたから声かけたかった。そんなに不審がって問い詰められることだろうか。
「……これからの三年と、残していく君たちのために、ボクにはまだやるべきことがあります。けれど、今ここで君に伝えられることはまだありません。少し、時間をください」
どうしてそんなこと言うんだろう。都大会は終わって、部活の時間でもないのに、そんな連絡事項みたいなこと。引きずってきた悲しさが膨れ上がる。
テニスのこと、学校のこと、俺はたくさん観月さんを頼ってきたけど、観月さんの能力だけを目当てにしたわけじゃない。最初のころは話しかける口実ができて喜んでたし、慣れてきたら必要なくても部屋に入り浸ってた。それ以外の時間だって、寮で一緒に暮らしてきて、俺は、俺は──
「観月さん。俺はやっぱりあなたのことが好きです」
「……」
「青学戦の前に言ってたこと。観月さんの答えをまだ聞いてません」
「はっ……」
嘲笑、なのかな。うつむきがちに長い前髪が掛かって、目の表情は見えないけど、口の端が笑ってる。
「君は本当にバカなんだな。ボクが君を利用してただけだって、まだ理解しないのか」
「観月さんにバカだって言われるのを、否定はできませんけど。俺は、観月さんが利用しようと思うくらいの能力を持っててよかったと思ってます。そのおかげでここにいられるんだから。……それに、関係ないんですよ。利用とか、勝ち負けとか。俺が観月さんを好きって気持ちとは、関係ないです」
「……どうして、君は」
言葉の意図がわからない。俺を責めるってより、自問みたいにも聞こえた。観月さんが俺のコンプレックスを簡単に悟ったみたいに、俺にも観月さんの気持ちがわかればいいのに。
「──っ!?」
ただ細い肩の頼りなさだけが際立って見えて、なんだか泣きたいような気分で観月さんを抱きしめていた。わからなくたって、伝わるものもあるんじゃないか。祈りのようにそう思いながら。
観月さんの体は思った以上に細くて小さくて、俺の腕にすっぽり収まってしまう。かわいい。いとおしい。胸の奥がぎゅっとなる。この空間に不似合いな感情が押し寄せて、今まで考えてたこと全部吹っ飛びそうになる。柔らかいって感じたのは、頬に触れる髪のせいかもしれない。いいにおいがする。花のにおいっぽいけど、香水みたいな強いのじゃなくて、甘くて清潔感のある香り。肌から香るんだろうか。観月さんの肌……。
「裕太君……」
囁く声も甘くて、艶っぽくて──一気に血の巡りが早くなって、頭が爆発しそうだった。観月さんにそのつもりがあろうがなかろうが、俺にはそういうふうに聞こえてしまう。観月さんを慰めたかった、下心なんてなかったはずなのに、俺ってものすごく単純だ。
だけどこの気持ちは操られてなんかいない、俺の内から出てきたものだってことも強く感じる。
抱き返してはこないけど抵抗もなくて、観月さんはただ俺の腕の中にいる。密着させた体から、布ごしにじんわり体温が伝わる。深い呼吸をしきりに繰り返す胸の動きがわかる。当たり前の動作が特別で、尊くて、いとしくて、なんだかすごくたまらない気持ちだ。少し、呼吸が早いんじゃないだろうか。それは俺のほうかな。
「観月さん……大好きです」
声に出したら、自分の言葉に興奮したみたいにいっそう顔が熱くなった。
「……」
沈黙。答えはない。だけど拒絶もない。ふたりだけの教会、ステンドグラスの淡い光の下で、俺は観月さんを抱いている。作りものの世界に入り込んだみたいで、キリスト教徒でもないのに背徳的な気分で、だけど観月さんを放す気なんてしなくて。答えを待ってる状態なのに、ずっとこのままでいたいなんて思ってた。
「観月さん……」
なにを言おうとしたわけでもない。ただ呼びたかっただけだが、変に声がうわずってしまった。観月さんは鼻から息を漏らして小さく笑った。口癖みたいな、よくやる笑いかただ。
「……いいですよ。付き合ってあげても」
「え」
唐突かつシンプルな答えに耳を疑う。願望が幻聴として聞こえたんだろうか。
「聞こえなかったんならいいです」
「聞こえた! ちゃんと聞いてましたよ! 観月さんっ!!」
いまいち信じられないけど、どうやら俺は天使を手に入れたらしい。実感があるやらないやらよくわからないまま、ぎゅうぎゅうと観月さんを抱きしめる。
「痛っ、痛いです」
「すみません」
腕を緩め、密着より少し体を引いて、あらためて観月さんを見る。うつむいた顔に長い前髪が掛かって、伏し目がちって以外の表情はよくわからない。観月さん、本当にいいんですか? って聞き返したかったけど、否定されるのがこわくて黙ってた。
前髪の下で、くるりと動いた黒い光が俺を見つめる。観察するような、疑うような目。見透かされるにも、今の俺には嬉しい以外のなんもないけど、観月さんはなにを読み取るんだろう。
「観月さん……」
きれいな名前。自分の声にそう思いながら鼻先を寄せていく。観月さんは逃げない。自分の心臓の音をうるさいくらいに感じながら、目を閉じて、そのまま唇を重ねた。
「……!」
柔らかくしっとりした感触と、腹の底から電撃が突き抜けたような衝撃。気持ちいい。でも足りない。得体の知れない快感の形を探るように、顔の角度を変えて唇を吸う。掠る鼻先も柔らかな前髪も驚くほど長いまつげのはばたきも、全部、ぜんぶ愛しかった。キスってこんなに幸せなものなんだ。ふたつの顔の隙間からチュッとかわいい音がすると、俺はがぜん調子に乗って吸いついた。唇の間から舌先を押し込む。
「んっ、んむぅっ……!」
高く籠った声がしたかと思うと、思いきり肩を押し返されてしまった。
ピンクの頬に、ちょっと腫れたように見える赤い唇がものすごくかわいくて、衝動的に顔を近づける──が、思いきり顎をつかまれて横を向かされてしまった。
「もう、帰りましょう」
「……はい」
嫌われたかな。あんまりがっついたらダメだよな、うん、自分のことばっかじゃダメだ。
俺の体を突き放して出口に歩いて行く観月さんに、大股で追いついてぎゅっと手を握った。少し冷たくて滑らかな肌の感触のあとに華奢だけど骨張った存在感がきて、すごく観月さんって感じだ。両手で包んでもっと確かめたかったけど、さすがに気持ち悪いだろうと思ってやめておいた。
だって付き合ってるんだ、手は繋ぐだろう。外は暗いから、もし誰かに会ったってわかんないだろうし。
観月さんはまっすぐ前を向いたままの無表情で、手を握り返してこないけど、振り払いもしないで歩いてく。
「あ、あの、俺たちって本当に付き合っ……ですよね!?」
「なに言ってるのかわかりませんよ」
自分でもうまく言えなかったって思った。でもこれは肯定だ。観月さんが俺に遠慮する必要なんてないんだから、嫌なら普通に拒否るだろ。それが、今は俺と手を繋いで歩いてる。
俺は観月さんと付き合ってるし、手を繋いで歩いてる!!
たまんないな、ここが海か山だったら叫んでるところだ。好きだ。大好きだ。もう一度キスしたい、怒られるかな、外だし……。
「観月さん、これから観月さんの部屋に行ってもいいですか!?」
「今からですか? もうすぐ就寝時間ですよ、明日になさい」
観月さんは怪訝な顔で、迷う間もなしに言った。浮かれすぎだったか、って思ったものの
「はい! じゃあ明日!」
俺はやっぱり浮かれていた。だって、明日は──試合の次の日は部活は休みだ。観月さんとたくさん一緒にいられる。
もうすぐ寮に着いてしまうって思ったのが聞こえたみたいに、観月さんの手は俺の手のひらに儚い感触を残して逃げた。隣同士の部屋に帰るだけなのに、名残惜しくて仕方がない。寮に入ると俺は観月さんのすぐ後ろについて、こっそり腕とか腰にタッチしながら歩いてた。
「なんですか」
「なんとなく……」
触りたくなる。そんなに変なことじゃないと思うけど、不審そうな顔されたらなにも言えなかった。寮の中じゃ、バレたらまずいもんな。そうこうしてるうちに俺の部屋の前に着いてしまった。観月さんは一個奥だから、最後にこれだけ
「観月さん。おやすみなさい」
唇に触れるだけみたいなキスをして、逃げるように自分の部屋に入った。
閉めたドアにもたれかかり、深く息を吐く。
「はーっ……」
浮かれてて意識しなかったけど、ひとりになるとどっと疲れがきた。緊張かな。
「おう裕太、おかえり。どこ行ってたんだよ」
「あっ!? ノムタク先輩、いたんすか」
「そりゃいるよ、なんだよその反応は!」
だって、俺がうたた寝から起きたときにはいなかったんだ。
気まずい気分で自分のベッドに潜り込んで壁側を向く。まだ心臓がドキドキしてる。ほとんど衝動的に告白しちゃったけど、まさかOKしてもらえるとは。つまり、観月さんも実は俺のこと好きだったってことなのか? すごくありえない感じがして、不安で胃がむずむずするけど、観月さんは確かに俺の告白を受け入れて、ふたりは幸せなキスをして手を繋いで帰ってきて──
(これ、夢だったりしないよな?)
起きたらなにもなかったことになってそうで、寝るのがこわい。
寝たくないのと眠れないのとで携帯を見る。観月さんからのメッセージはない。おやすみなさいって直接言ったんだ、ほかに言うことなんてないだろう。
観月さん、かわいかったな。もうちょっと前までは、きれいなひと、尊敬するひとって感じだったのに。今はそれだけじゃなくてすげーかわいいって思う。腕の中でじっとしてるのが、臆病なうさぎかなんかみたいで。最初好きになったときはそうは思わなかったけど、でも違う面を知ってもそういう観月さんも好きだって思う。
いいにおいがして、柔らかな髪がくすぐったくて、薄い唇なのにむっちりしたエッチな感触で──
「ふー……」
勢いよく体を起こすと、布団が思った以上に大袈裟な音を立てた。
「裕太?」
「トイレっす」
共同生活は、楽しいけどこういうとき煩わしい。俺は部屋を出ると、フロアのトイレのいちばん奥の個室に籠った。
『裕太君』
「はぁっ……」
絡みつく声、淡いにおい、体温の低い手の感触。無表情に見えたの、恥ずかしがってたのかもしれないな。観月さん、もっと俺のこと見てほしい。
『本当はボクも君のこと……』
ピンクの頬、熟れたみたいな赤い唇。リップも嫌なくらい敏感な唇で、俺の、俺を、
「っく、うぅッ!」
観月さん、そんな目で見ないでくれ、観月さん──!!