ふたりぐらし 2

2.

 東京都世田谷区某所の賃貸マンション。個別の部屋が二つに、ひと繋がりになったリビング・ダイニング・キッチンというオーソドックスな2LDKの物件を、牧と藤真は契約した。複数人で住むことを想定されたつくりのため、バス・トイレは別で洗面所もある。牧の希望だったカウンターキッチンではないものの、角部屋で日当たり良好な三階であることなど、諸々の条件から決定したものだった。
 まだ何もない、がらんどうな居間を、藤真はひとり見渡す。不動産屋の担当者と牧と三人で内見に来たときよりも、ずっと広く見えた。
「藤真」
「牧。さすがに今日はスーツじゃねえんだな」
 藤真は声のほうを──居間から廊下に続くドアを振り返り、愉快そうに笑った。不動産屋に物件を探しに行ったときの牧がスーツ姿だったためだ。気合を入れたとか、嘗められないようにだとかよくわからないことを言っていたが、その甲斐あってか店員の対応は丁寧だった気がする。最初のアンケートにしっかりと年齢は書いていたのだが。
「今日は引っ越しの作業があるからな」
「つっても、重いもの運ぶのは引っ越し屋だろ? ベッドだって組み立てサービス付きだし」
「それより、ちゃんと鍵を掛けてくれ」
「あ?」
 牧はいかにもよろしくないと言いたげに眉を顰めている。
「無用心だろう」
 藤真もあえて牧と同じように眉を顰める。理解できないというアピールだ。
「別に、オレがいるし、盗られるもんなんてまだないし、お前がすぐ来るって思ってたからじゃんか」
「……とにかく、今度から気をつけてくれ」
「はいはい」
 牧はおおらかなようでいて意外と神経質なところがある。たいてい藤真にとっては些細なことで、あまり共感はできないのだが、意地を張るようなことでもないだろうと頷いた。
「しっかし、ほんとになんもねえなー」
 藤真はあらためて見たままを呟いた。彼にとっては初めての引越しだ。
「お前がいる」
「ん?」
 牧は藤真の手を取ると、包み込むように握った。
「なにもない部屋に藤真と俺がいて、これから新しい生活が始まるんだ。わくわくする」
「ワクワクて……」
 牧の晴れやかで穏やかな笑顔を見ると無性に照れくさくなって、「あんまり言わなくねえ?」と小さく口籠もる。牧は不思議そうな顔をした。
「なんだ、お前は楽しみじゃないのか?」
「……オレはなんか、ヘンな感じ」
 大学進学にあたってはふたりともスポーツ推薦を受け、昨年のうちに合格をもらっていた。それから部屋の場所や条件、どういう家具を置きたいなど話し合い、不動産屋や(藤真は遠慮したのだが)家具屋にも一緒に行った。親に相談することもあったが、基本的にはふたりでことを進めてきて、今日までにいくらでも時間はあった。それでもどこか現実味がないと感じてしまう。
「や、別に嫌って意味じゃなくて」
「嫌じゃないならいい。……お前は親もとを離れるわけだしな」
「あー、そういうのもあるかな」
 牧と一緒に暮らすことと、家族から離れて自分で家事などをして生活していくことと。経験のないことが重なって、手探りの感覚なのだと思う。牧は高校時代から一人暮らしだったから、その点の心配はしていないのだろう。
 ──ピンポーン
 インターホンの音がした。予定通り、牧の部屋に置く新しいベッドが届いたようだ。彼の強い願望だったダブルベッドである。男二人暮らしの家にそれはいかがなものかと藤真は思ったのだが、牧の持ちものに口を出すことでもないかと黙っていた。もともと牧が使っていたセミダブルのベッドは藤真が貰うことになっている。じきに引越し業者が運んでくるだろう。
『俺が使ってたベッドをこれからお前が使うのか! なんだかドキドキするな』
『なにそれこわ、やっぱり貰うのやめようかな……』
『すまん、気にしないでくれ。ベッド自体は汚れてないし、マットレスは新しいの買うからな』
『いやマットレスくらい自分で買うし』
 そんなやり取りもあったが、牧のベッドは使わないなら処分するしかないこと、藤真の実家の部屋にベッドを置いたままにできることから、結局藤真が譲り受けることになったのだった。

 ベッドの配送業者が帰ったあと、藤真は牧の部屋を覗いて思わず笑う。
「この部屋、ベッド置いて終わりじゃんかっ!」
 もともとあまり広くはない部屋にダブルベッドを置いたものだから、残りのスペースはごく限られたものになってしまった。部屋とベッドの寸法は確認済みだった牧も、実際設置してみての圧迫感には少し戸惑ってしまう。
「……まあ、いいんじゃないか、ラブホみたいで」
「うん、思った」
「テレビとテーブルとソファは居間にいくし、あとは小さいタンスとベッドの横のあれだけだから大丈夫だろう」
 あれ、と言いながら両の指で四角を作る。ベッドのサイドテーブルのことだった。
「机は相変わらずないんだな」
「置けないだろう?」
「初めから置く気なかっただろ」
「だって、家で勉強なんてしなくないか? いや、テーブルはあるんだし、問題ないだろう」
「オレはちゃんと勉強してたぜ?」
(監督の勉強だけど)
 テスト前の勉強については主に花形のところで済ませていたので、もはや自室の机は無くてもそう困らないのかもしれない。一応、引越しの荷物には含めたが。

 牧の旧居からきたベッドと新しいマットレスと、積み上げられた段ボールに囲まれて、藤真は途方に暮れていた。
(くそぅ、どっから手をつければいいんだ……!?)
 藤真は牧とは違って実家からの引越しだ。こまごまとしたものについては必要になってから取りに行くなり宅配で送るという選択肢もあったのだが、何度も行き来するのも面倒だと感じ、引越し業者を使った通常の引越しにした。しかし、選択を誤ったかもしれない。
 とりあえず窓にカーテンは取り付けた。それから段ボール箱の開封だが、どの箱に何が入っているのかわからない。本の箱は明らかに重くて小さいのでわかるが──というか、なぜこんなに箱があるのだろう。ひとりの部屋にこんなに物が必要だったろうか。
(オレって、引っ越し苦手だったんだな。初めて知った)
 手近な箱を開けると、バスタオルが入っていた。母親が詰めたものだ。引越し先で新しく買えばいいと思っていたが、今日これから買いに出るのは面倒だったかもしれない。
(で、バスタオルって普通どこにしまうんだよ……つうか、パジャマとお風呂セットを発掘しないと困るよな)
「藤真、なんか手伝うか?」
 開けっぱなしにしていた部屋のドアから、牧が顔を覗かせた。
「え、自分のほうをやれよ」
「俺の部屋は終わった」
「もう!?」
「あんまり物ないからな。……これだと寝るまでに片付かないんじゃないか? そうだ、今日は俺の部屋で寝たらどうだ?」
 牧はにこにことして、さも名案だと言わんばかりだ。一方藤真は顔を顰める。
「えー、今日ヤる気しない。そんな暇あるなら部屋片付けるし」
「やらなくたっていいじゃないか。ダブルベッドだぞ、一緒に寝ても狭くないんだ」
 無理やり行為に及ぶようなことはない男だ。単純に、新しいベッドにふたりで寝てみたいというだけだろう。藤真のベッドの上には、収納場所に困ったものがとりあえず並べて置いてある。
「……じゃあ気が向いたら」
「で、そろそろ晩メシにしないか?」
「え? うわまじだ」
 藤真は牧の腕時計を見て目を瞬いた。今後は当番制で自炊などもしていく予定だが、今日は忙しいかもしれないから外食か出前にしよう、とは以前から決めていたことだ。
「外を散策するには明るいときのほうがいいだろうから、今日は宅配ピザなんてどうだ?」
 牧は手に持っていたチラシを藤真の目の前に広げた。
「……いいけど、牧っぽくねえな」
「そ、そうか?」
 以前一緒にハンバーガーを食べたとき、ファーストフードはあまり食べないと言っていた。時間帯や、知り合いに遭遇したくないという事情もあり、ふたりでの食事は比較的大人の客が多い店が主だった。
「うん。でも、いんじゃね? ドリンクはジンジャーエールな」
「嫌いじゃないならよかった。……俺はずっと、お前と一緒に宅配ピザを食ってみたかったんだ」
「なんっっだそりゃ」
 妙に切々とした語り口の牧に、ごく素直な反応を返す。
「量的にはいけるんだが、食べ終わったあとのもたれる感じがよくないっつうか……ひとりで食うもんじゃねえなと思ったことがある」
「あー、お前あんまり悪いアブラ摂らねえもんな」
 悪いかどうかはピザの内容にもよるだろうが、あくまで藤真の主観だ。体を作るために栄養価を気にしているというよりは、元々の食事の好みによるものだと聞いたことがあった。
「さあ、好きなの選んでくれ」
「あいよ」
 注文するものを決めると、牧は居間に電話を掛けに行き、藤真は荷ほどきを再開した。少しすると牧が「手伝おうか」と再びやってきたが、変なものが出てきても困るので追い返した。

「藤真、ピザ届いたぞ」
「ああ、今行く」
 荷物は全て片付いてはいないが、今日使いたいものや下着は見つけたので上出来だろう。
 見慣れた家具の置かれた、まだ見慣れない居間へ行くと、ダイニングテーブルの上に蓋を閉じたままのピザとフライドポテト、ナゲット、サラダ、飲みものが並べられていた。サラダを頼んでいるのは牧らしいと思う。そして当の牧は、この上なくにこやかに藤真を待っていた。
「……なに?」
 なぜそんなに嬉しそうなのか。今日はずっと機嫌がいいようなので、いまさらではあったが、藤真は椅子に掛けて牧を見返す。
「俺たちの新しい住所に、ちゃんとピザが届いたんだ」
「お、おう……」
 新築のマンションでもなし、配達区域内ならば──住所を伝え間違えていなければ届くに決まっているのだが、牧の実感の問題なのだろう。なんとなくわかるような、やはりわからないような気分でピザの箱を開けると、熱気とともにトマトとチーズのよい香りが立ち昇った。藤真にとっては宅配ピザは特に珍しいものでもなかったが、向かいに座る牧を含めたこの光景は、ひどく特別なもののように感じる。
『お前がいる』
 引越し作業の前の、何もない部屋での言葉を唐突に思いだし、急激に顔に血が上る気がした。牧に感化されてしまったのだろうか。
「うまそうだな」
「うん。……いただきます」
「ああ。いただきます」
 食卓をともにする相手は家族ではなく、ピザを取り合う手は翔陽の部員のものでもない。フルーツトマトの甘酸っぱさが、新鮮に口の中に広がった。
「あ、これうま」
「ああ……そうだな」
 それだけの会話で、ふたりとも顔を見合わせて笑ってしまった。
「なんだよ」
「なんでもないさ」
 ただ嬉しくて、そしてまだ照れくさいのだ。
「──ああ、そうだ藤真、ひさしぶりに、一緒に風呂に入らないか?」
「はっ? なんでだよ」
「新居の一番風呂だぞ」
「一番風呂とか、今まで生きてて気にしたことなかったけど。おっさんかよ」
 牧だとて、ここ三年は一人暮らしだったのだから、気にしていたわけがないと思う。藤真は目を据わらせ、意地悪く唇の端を吊り上げ、そして緩めた。
「まあいいや。じゃあ入っとくかな一番風呂」
 どうせそのあと一緒に寝るんだしな、とまでは言わないでおく。
 こうして彼らの長い長いふたり暮らしが始まった。

ふたりぐらし 1

1.

 就職・入学シーズンを前にした一月下旬、賃貸物件を扱う不動産屋はすでに繁忙期といっていい時期で、今日も午前中から客が訪れていた。
 只野茂夫《ただのしげお》、二十七歳。不動産営業五年目。真面目が取り柄だ。新たな客だと見るや、立ち上がってにこやかに挨拶をする。
「いらっしゃいませ」
 入店してきたのは長身の男二人組だった。隣席で客の対応をしていた女性社員が不自然に動きを止めてそちらを凝視したが、無視して只野が応対に行く。
 ひとりは色黒でがっしりとした体格の、眼鏡を掛けたスーツ姿の男。後ろに撫でつけた茶色の髪、高い鼻と厚い唇などから、外国の血が入っていそうにも見えた。年齢は一見では判断しがたいが、二十代後半から三十代だろうか。姿勢がよいせいか、非常に堂々として見える。
(このひと……何者なんだ……?)
 謎のオーラがあるというか、普通のサラリーマンのようには見えず、ドラマや芝居にでも出てきそうな風貌だ。
 もうひとりは、顔だけならば女性にも見えるような若い男。一転して肌は白く、染めたものとは違って見える色素の薄い髪色と長い睫毛が、やはり日本人離れして見えた。只野はミーハーな女性的な感性は持ち合わせていないつもりだが、それでも〝美少年とはこういうこと〟と納得してしまうような風貌だ。年齢的には春から大学進学といったところだろうが、隣の男とのツーショットから想像するところは、東京で活動を始めるモデルかアイドルと、その事務所の人間だ。
 何にせよ、犯罪のにおいがしないのであれば物件を紹介するだけだ。只野は営業スマイルを浮かべる。
「どのようなご用件でしょうか?」
 口を開いたのはアイドルのほうだった。
「春から大学に行くので、この辺で住む部屋を探してて」
 正面から見つめられると、その気が全くなくとも見惚れてしまうような、完璧な美形だ。付き添いの男が続いて言う。
「ふたりで住むんです。ルームシェアってやつで」
「……ではお手数ですが、こちらにご記入をお願いできますか?」
 待ち合い用の席を示し、アンケート用紙とボールペンを渡す。希望の部屋の条件をおおまかに記入してもらうためのものだ。
 いったん事務所の奥に戻ると、同僚の女子が声を潜めて話しかけてくる。
「只野さん、お客さん対応代わろうか?」
「……ん、なんで?」
 想像がつかないわけではなかったが、あくまで素っ気なく返すと、相手は黙り込んでしまった。
 しかしルームシェアとは、あのふたりは一体どういう関係なのだろう。あくまで仕事だ、余計なことは口にはしない。しかし考えてしまう程度は仕方がないと思う。女性アイドルならば間違いなくいかがわしい想像をしたところだった。いや、二人用の部屋といっても必ずしも二人で住むとは限らないだろう。事務所の人間の名義で契約するのも珍しくはないことだ。
 店頭に戻るとアイドルと目が合った。アンケートを書き終えたのだろう。用紙を受け取りに行き、接客用のカウンターを示す。
「ありがとうございます。それではあちらのお席にお願いします」
 言いつつ、ざっと内容を確認する。まず名前は藤真健司・十八歳と、牧紳一・十七歳。
(……?)
 顔と名前は一致しないが、スーツの男は年齢を書き間違えているようだ。実際は二十七か八なのかもしれない。同年代にしては落ち着いて見えるが、さすがに三十八歳ではないだろう。冷やかしには見えないので、契約にまで話が進むようならあらためて確認しよう。
 ふたりが着席するのを確認し、カウンターを挟んで只野も席に着く。
「ええと、藤真健司さん」
「はい」
 アイドルが返事をする。
「と、牧紳一さん」
「はい」
 こちらはスーツの男。自称十七歳。
「入居されるのはおふたり、ということでよろしいですか?」
「はい」
「間取りは2LDKで、場所はこの近辺がいい、と」
 話しながら、手もとの端末に物件の検索条件を打ち込んでいく。下調べをしてきたのか、希望家賃には相場のちょうど中央の金額が書かれている。藤真が頷いた。
「はい。ふたりの学校の間がちょうどいいなって言ってて」
「学校はどちらなんですか?」
「青学と深体大です。なので田園都市線で……」
「なるほど、それならまさにこの辺が中間地点ですよね」
 机上に置いてある東京の路線図の一部を指でなぞる。最寄りと呼べる駅は一つではないが、その二校ならば言われた通り田園都市線を使うのがいいだろう。最寄駅は桜新町と渋谷、間は三駅だ。
 おそらく藤真は青学に進むのだろう。牧のほうは、体育大学と言われると納得できる体躯だが、講師か何かだろうか。だからスーツなのかもしれない。
(先生と生徒が同居するのか? いや、他校だし男同士だし、もともと友達同士ってことならあり得るのか……)
 牧が嬉々として口を開く。
「一緒に住もうって言ったのは学校決まる前だったから、実際直通だってわかったときすごく驚いたんだよな!」
 藤真は迷惑そうに牧を見返した。
「オレは別にそんなに……だってこの辺、学校多いだろ」
「そりゃそうだが」
 ふたりのやり取りに全く興味がないわけではないが、仕事が進まないのは困る。只野は躊躇いつつ口を開く。
「ええと……」
「あっ、すみません。三茶にこだわるわけじゃないんで、だいたいこの辺でいい部屋があればって感じです」
「こちらのエリアはやはり学生さんに人気ですので、賃貸物件自体は多いんですが、2LDKご希望ですとある程度絞られてしまいますね」
 東京都内の賃貸物件の需要は圧倒的に単身者向けの部屋だ。当然、間取りもワンルームから1DK程度が多くなる。部屋数のほかにアンケートに書かれた条件は、駅近、バス・トイレ別、エアコン、二階以上──ありがちなものだったが、その次の項目に目を止める。
「駐車場をご希望なんですね」
 牧が頷いた。
「はい。車を一台置く予定です」
「家賃のご予算にプラスして駐車場代、という形になってもよろしいですか?」
「もちろんです。というか、家賃もオーバーしてもいいので、よさそうな部屋があれば見せてください」
 この男がそう言うのなら平気なのだろうと、根拠もなく信じてしまうような風情だ。しかしその腕を藤真が小突く。
「やめろよ、家賃一応折半なんだから」
「別に、ちょうど折半になってるかどうかなんて言わなきゃわからないだろう」
「いや、なんかやだ。家賃は折半。駐車場はそっちもち」
「……それですとこのあたりですかね」
 出力した間取り図をふたりの前に置くと、身を乗り出した牧が眉間に皺を寄せた。
「部屋狭くないか?」
「こんなもんじゃね?」
「比較的最近の物件ですとこんな感じですね。木造のアパートでもよろしければこういうのも」
「おお、広いじゃん。でも木造って音響くらしいよな」
「音は鉄筋に比べますと、そうですねえ」
「音が聞こえるのはいかんな」
「あと部屋が和室っつうか畳なの微妙」
 よくあるやり取りではある。只野は別の間取り図を差し出す。
「洋室で広めですと……一室の広さはそう変わりませんが、三部屋あるタイプ」
「三部屋?」
「持ちものが多い方ですと、物置というか、コレクション用の部屋にされる方もいますね。もちろんお客さんを呼んだとき用でも」
「おっ、いいじゃん」
「藤真、なんかコレクションしてるのか? 初耳だな」
「ちげーよ、花形を泊める用」
「駄目だ、そんなの! 必要ないだろう!」
 いかにもけしからんと言わんばかりの全否定だった。
「じゃあ仙道とか、ノブくんとか」
「却下。三部屋なんて必要ない、2LDKでお願いします」
「だいたい、自分の部屋なんて着替えして寝るくらいなんだから、そこまで広い必要なくねえ?」
「それもそうだなあ、居間もあることだし……」
「はい、それですとこの辺ですかねー」
 ああだこうだと話しながら、築年数や駅からの距離など、条件を多少変えながら物件を提案していく。いろいろ見せるうち、考えが纏まってきたようだ。
「これいいんじゃね?」
「悪くはないが……」
「なにが気にいらないんだっけ?」
「キッチンの台が壁際にくっついてる」
「どうでもよくねえ? ほかの条件は全部いい感じなんだから、それは諦めろ」
「まあ、なあ……そうだ、あと藤真あれだろう、ウォシュレット!」
「っ!!」
 藤真は顔を赤くして思いきり牧の上腕を叩く。布越しだというのにバシンといい音がした。牧のほうは慣れたことかのように、ごく落ち着いた動作で藤真を見返す。大人の余裕だ。
「なんで叩くんだ、大事だって言ってたじゃないか」
「大事だけど、そんなに勢いよくアピールするんじゃねえ!」
 温水洗浄便座を物件の条件にされること自体は気に留めることではないが、ただ藤真の反応が過剰なのが気になった。いや、気にしないことにしよう。
「……この物件は温水洗浄ですし、そうでない物件でもご自身でご用意いただけますので……」
「そうか! よかったな藤真!」
「だからうるせーってば。あと一応、洗濯機のところドラム式のは置けますか?」
「えーっと……はい。大丈夫ですよ」
 その後、ピックアップされた物件にふたりを案内している間じゅう、その会話から垣間見える関係性が気になって仕方がなかった。
「いい感じのとこでサクッと決まるといいな〜」
「そうか? 俺は何度でもいいぞ」
「はあ?」
「ふたりの新居だ、慎重に決めないと。それに、楽しいじゃないか」
「こっちはまだ暇じゃないんだぜ?」
 年上の大人の男が可愛らしい少年のことをいたく気に入っていて、少年はごく素っ気なくそれをあしらっている。そこはかとなく親密な空気だ。そして、初めはものものしいと感じた牧が、非常に穏やかで柔らかな笑みを浮かべるのが印象的だった。おそらく、藤真と一緒にいるせいだろう。すっかり骨抜きだ。
(これは……近ごろ流行りのBLってやつなんだろうか……)
 それは女性の間でフィクションとして流行しているだけのもので、実際の同性愛の事情とはあまり関係ないのだが、只野の知るところではない。
(女の子に飽きちゃったとか……?)
 一物ありそうな紳士と美少年アイドル。そんな世界もあるのかもしれない。とりあえず、自分に関係ない話ならば偏見はないつもりだ。
(温水洗浄便座……)
 気にしてはいけない。仕事をしよう。