それからずっと、おれたちは 3

3.

 二〇十五年四月一日、早朝。
「藤真! 結婚しよう!!」
「ばっか今日エイプリルフールだろ。もっと面白いウソつけよ」
 朝っぱらから妙にテンションの高い牧を、オレは動物にやるみたいに「しっしっ」てして追い払おうとする。個人的に認識してるうちで一番くだらねー行事だと思ってるんで、対応もそれなりになるってもんだ。
「おっ、四月一日ってそうか。いや嘘なんかじゃないぞ。ほら、これ読んでみろ!」
 牧が突きつけてきた新聞の紙面の文字を、目に入ったまま読み上げる。
「パートナーシップ、証明……?」
 そして見出しは〝LGBTカップル公認へ〟と続く。東京都渋谷区でパートナーシップ証明制度が施行されるというニュースだった。
「なあ、まだガキだった俺たちが一緒に暮らし始めたころ、よく通ってた渋谷だ。運命を感じないか!?」
 ふたり暮らしの始まった大学時代、住んでたのは世田谷区で、通学で渋谷駅を使ってたのはオレだけだが、牧だって当時は若者だったんで、ふたりで渋谷を歩くことは多かった。
「って、具体的にどういう……」
「書いてあるだろう、ちゃんと読んでくれ」
 簡単にまとめると、自治体が同性カップルに対し、ふたりのパートナーシップを婚姻と同等であると承認し、証明書を発行する制度。本当の結婚と全く同じってわけじゃなく、あくまで自治体の条例ではあるが、それなりに後ろ盾になるものみたいだ。
「婚姻と、同等……」
「というわけで、結婚しよう」
 牧はにこにこ、キラキラとした一切の曇りのない笑顔で言い放つ。プロポーズってほどの重さはない。まあ、二十年以上も付き合ってきてたらそんなもんかもしれない。
「別にオレ、結婚したいなんて思ったこと……」
「できないって思ってたからだろう。できるっていうなら俺はしたいぞ。いつか別れるつもりで今まで一緒にいたわけじゃないんだ」
「そりゃあ、そうだけど……別に、今の状態で特に困ってることないし……」
「これから困ることが発生するかもしれない。お前よく言うじゃないか、なにが起こるかわかんないって」
「それ言われるとなあ」
「なんなんだ、なにが懸念なんだ? ムードが足りなかったか?」
「ムードは別にいらないけど……」
 そういや昔一緒に住もうって言われたときもムードなかったな。まあそれはいいとして、懸念って言われてしまうと特にはない。ただ、さっき言われた通り、男同士で長く一緒にいて、結婚なんて他人ごととしか思ってなかったし、願望もなかったから、急に言われても戸惑うって感じだ。
「これ、渋谷限定の話だろ?」
「ああ。だから渋谷に引っ越そう」
「渋谷に住むとこなんてあんのかよ?」
「いくらでもあるだろう、センター街に住もうっていうんじゃないんだ。嫌なのか? それならそう言ってくれ」
 そうなんだよな。そう。オレは嫌なら嫌って言うほうだ。
「嫌では、ない……」
「なんだ、じゃあ決まりじゃないか!」
「戸惑ってる」
「……そうか。そうだよな。じゃあ、少し考えてみてくれ。引っ越しも必要だし、まだ証明書は貰えないようだし、そう急ぐことでもない」
 牧は少し消沈したみたいだったが、あくまで穏やかに言った。前に家を買うって言われたのを拒否ったときは見たことないくらい凹んでたから、ちょっとは安心してるようだ。……そうだな、家のこと言いだしたあたりから、牧はその手のこと考えてたんだろう。世間で言う、結婚みたいなこと。それで牧は心の準備だけはある状態だったから、今回のニュースに迷わず飛びついたってわけだ。だけどオレは違った。けど──
「牧、本当にいいのか? 取り返しつかなくなるんじゃ?」
「ああ、いいさ。一体なにを取り返すっていうんだ?」
 牧の目は見守るみたいに優しい。そうだな、オレは一体なにをおそれてるっていうんだろう。
「……そうだね。いいよ。パートナーの証明を受けよう」
 牧は大きく目を瞠って、それからみるみる破顔する。がばっ! って音が聞こえたくらい、オレは思いきり抱きすくめられていた。
「藤真……! ありがとう!! もう離さないぞ!!」
「ありがとうはおかしくね?」
「そうか? まあものすごく嬉しいってことだ!」
 痛いし暑苦しいけど、こんなに喜んでるならまあこのままでいいかな。
 牧が『考えてみてくれ』って言ってから、正直考えてはなかった。嫌じゃない。牧とは一緒にいたい。断る理由なんてない。必要なのは、ほんの少しの覚悟だけだった。
 牧みたいにはしゃぐテンションにならないのは、結婚に憧れがなかったからだろう。男同士ってのももちろんだが、男女でも離婚する夫婦なんていくらでもいるじゃんかって思ってて。だけど、牧がしたいっていうなら付き合ってやってもいいなって感じたんだ。

 制度ができるって決まっただけで、施行はまだ先だ。引っ越しもしなきゃいけないし、互いに仕事もあるってんで、意思が決まったからって早々に動けるわけじゃなかった。そのうち、世田谷区でも似たような取り組みを検討してるって話が耳に入って、じゃあそれを待ってから渋谷か世田谷か決めようってことになった。住むところとしては学生時代に暮らした世田谷のほうが馴染みがあるし、その制度のほかにも気にするべきところはあるんじゃないかって、ふたりで話して。
 結果、オレたちは学生のとき以来で世田谷区に舞い戻ることになった。宣誓書を出しに行く日、牧は朝から、いや前日から様子がおかしくて、オレはずっとそれを面白がってた。「今日がオレたちの新しい記念日になるのかな」って言ったらめちゃめちゃ嬉しそうにしてて、オレは自分が結婚する実感ってよりは、牧はそれでこんな幸せそうな顔するんだって、そっちのほうで胸がいっぱいになって、少し感動してしまった。まあ、決断してよかったなってことだ。
 オレが四十一歳、牧は四十歳のときだった。

 パートナーの宣誓をしたからって、日常が特に変わるわけじゃない。外では人並みに働いて、家では相変わらずしょうもないことで笑ったり機嫌悪くしたりして、大きな事件なんて起こらず、なにごともなく年とってくのかなーって思ってた。ああ、ちょっと大きめのことといえば、牧の強い押しに負けてマンションを買ってしまった。ある程度間取りとかに口出しできる、セミオーダータイプだ。

 五年後、二〇二〇年。
 外ではウイルス感染症が流行して、今夏に予定されてた東京オリンピックはひとまず延期、オレは平日なのに仕事に行けずに家にいる。連日こんな感じなんですっかりだらしなくなっちまって、今日起きた時間は朝の十時半だった。
「おはよ〜」
 自分の部屋を出て、居間のソファに座ってた牧に後ろから声を掛ける。
「おう、おはよう」
 牧はこっちを振り返ってちょっと照れたみたいに言った。家にいる割にちゃんとした格好してんなって思ったら、肩の向こうにノートパソコンが見えて、さらにその画面の中で気まずそうに笑ってる人が見えた。
「!!」
(居間でリモート会議すんなつっただろ!)
 オレはバシンと牧の背中を叩いて、そそくさとトイレに逃げた。トイレの音とか聞こえないもんだろうか。ドア閉めてたら平気か。

 居間にいるわけにいかないんで部屋に戻って、ちょっとスマホ弄って、タブレットで動画見て。それぞれの部屋にテレビを置いたら居間に来なくなるだろうって、牧が昔断固反対した名残で未だにテレビはないけど、もはやそれでも暇しない時代なんだよな。ベッドに転がってしばらくだらだらしてたら、部屋のドアがノックされた。
「藤真、仕事終わったぞ。遊ぼう」
「もう!?」
(遊ぼうって! 犬かよ!)
 牧の言葉と、リングコン──直径三十センチほどのリング状のゲームコントローラー──をアピールする仕草に、声と脳内とで別々のツッコミを入れていた。
「ああ、会議終わったからな」
「会議しか仕事ないんだ」
「今日はな」
 それでも会社にいればなにかしらやってるんだろうが、在宅勤務となれば余った時間はまあ遊ぶわな。それすらしてないオレがどうこう言えることでもないんだが。

 リングフィットネス・アドベンチャー、通称リングフィットは最近人気のテレビゲームで、体の動きを認識する機能を搭載した専用コントローラーを使い、冒険しながらフィットネスができるという代物だ。テレビでもよくCMを打ってる。
『最近どこも景気悪くて、儲かってるのはゲーム会社くらいらしいぞ』
 大真面目な顔で言いながらリングフィットとゲーム機本体を買ってきた牧に、言いわけしなくていいのに! ってツボって笑ってしまった。
 牧はテレビゲームが好きじゃない。理由は簡単、下手だから、面白さを感じるとこまでいけないんだ。そしてゲームの上手い花形に嫉妬してた。大学のときの話だ。だが体を使ってゲームをするリングフィットは、牧も好成績を出せて面白いようで、すっかりハマってる。
「どれにしようかな」
 牧がミニゲームを選んでるのを、オレはソファに凭れて見守る。
「パラシュートやって」
「藤真パラシュート好きだな。スカイダイビングしてみたいとか?」
「いいや?」
 プレイしてるときの牧の動きとか反応が面白いからだよ、とは内緒にしてる。牧は休日に出かける予定を入れたがるタイプだから、こうやってダラダラ家で過ごしてるのって意外と新鮮で悪くない。不穏なニュースが多いのとは裏腹に、家の中の時間はのどかだ。
 ちなみにこのゲームには一人プレイモードしかないんだが、牧は二人で遊べると思って二つ買ってきたんで、一個は花形家にあげた。品薄で買えてなかったんだって感謝されたが、牧は一体どういうルートでこれを手に入れたんだろう。
「……花形、大丈夫かな」
「お前、またそれか? 花形は感染症じゃないだろう」
「でも内科は内科だし、病院いるしさぁ」
 花形は神経内科のお医者サマだ。詳しいことは知らないが、オレたちが遊んでるときにも働いてるのは確かで、食事に誘って労ってやるのも今はためらうような状況で。まあ、そのうちことが収まったらなんかご馳走してやろう。
「しっかし、生きてるうちにいろいろ起こるもんだな〜」
 青春はいつの間にか終わって、仕事ももう変わんないだろうし、余生って歳じゃないけど、もうそんなに新しいことはないんじゃないかと思ってた。だけどたとえオレたちが変わんなくても、人がいれば世間があって、世間が変わればやっぱりオレらにも影響はあるんだよな。
「そうだな。一緒にいられてよかった」
「ん?」
 話が噛み合ってないんじゃないかって聞き返す。
「会いたくたって気安く移動できない状況なんだから、離れてたら心配じゃないか」
「あー……」
 オレと牧が密とか気にしないで一緒にいるのって、家族だからなんだよな。昔は別々のチームでバスケやってるだけだったのに。いまさらだけど、不思議な気分だ。
「これからだって、きっといろいろあるぞ」
「あるかな。いいことだといいな」
「今は〝病めるとき〟だから、次は〝健やかなるとき〟がくる」
「えー、あれそういう意味ではなくねえ?」
 結婚式の牧師の誓いの言葉だ。もちろんオレらは式なんて挙げてないが、ちょっとした真似ごとはした。牧ってそういうの好きそうだろ。でもあれって、一体誰に誓ってるんだろうな。相手に対してか?
 病めるときも、健やかなるときも、富めるときも、貧しきときも、

 それからずっと、おれたちは <了>

それからずっと、おれたちは 2

2.

「牧……?」
 裸足の足の指でおそるおそる牧の股間に触ると、想像した通りのじっとりした感触に、自分で自分の眉間にシワが寄るのがわかった。
「おい、牧ってば!」
 このまま足に体重を乗せて踏んづけてやろうかと思いながら声を荒げると、牧は「うーん」と呑気に呻いて眠そうに目を瞬かせた。
「お、藤真、おはよう。なんだ、モーニング足コキサービスか?」
「お前さあ……」
「ん……んんっ!?」
 牧は首を前に折って自分の股間を見つめると、おずおずとスラックスの中に──たぶんパンツの中まで手を突っ込んで眉を寄せた。
「すまん、夢精した」
「中学生かよっ!」
「……三十七だ。うん、それで藤真は三十八だよな?」
「ああ? ついこの前三十八になったな」
 牧は不思議そうな顔でオレを見つめて、安心したように笑った。寝ぼけてるんだろう。夢精だけなら怒るようなことじゃないだろうが、呑んで帰ってとっ散らかした床の上にスーツのまんま寝て夢精、って状況には呆れたっていいだろう。
 普段なら勝手に部屋に入ったりしないけど、昨日の夜は飲んで帰るから先に寝てていいって言われてて、大人しく先に寝て。朝起きたら牧の部屋のドアが半開きだったから、そりゃまあ様子見に覗くくらいするよな。
「それで、なんなんだよ、このありさまは」
 床の上には本やらなにやら散らかっている。牧がズボンを気にする仕草をしたが、もう手遅れだろう。オレはとりあえず自分の疑問を晴らすことにする。
 牧は照れくさそうに、でも嬉しそうに口もとに笑みを浮かべた。
「飲み会で昔の話が出て、懐かしくなって、アルバム見ながら寝落ちしたんだな。おかげで十七のときのお前の夢を見たぞ」
「それで夢精?」
「ああ、初々しくてものすごくかわいかったんだ」
 にこにことして、さも楽しげな牧の態度がなんとなく気に食わなくて、衝動的に腹を踏んづけていた。
「うぐっ!」
 筋肉に覆われた硬い腹だ、どうってことないだろ。股間じゃないだけ有情だと思ってほしい。
「悪かったな、古くさくてかわいくなくて」
「そんなこと言ってないだろう。今のお前もかわいいし、いやどっちかといえば綺麗だな。すごくセクシーで素敵だ。若いお前はそりゃ抜群にかわいかったが、今の俺には今のお前が一番だ」
「……寝起きでそんな饒舌なの、すごいね」
「本心だからな」
 確かに、試合中の打算以外で平然とウソつくようなやつじゃないのはよく知ってんだけど、今がいいって言いながら昔のオレで夢精してんだから説得力はない。情けない状況のくせに、ズボンの股間を気にしながらダンディに笑うのが憎たらしいようでいて憎めなくて、自然とため息が出た。
「……シャワー浴びてきていいか?」
「うん、行ってきな」

 オレは自室の机に向かって、牧の部屋から拝借してきたアルバムを眺めていた。牧の部屋に置いてるくらいだから、オレがこれを見たのは結構久々だ。
 開きっぱなしのまま牧が寝落ちしてたのは、夢に見たらしい高校生のころのページ。バスケ関係で撮られたのとか、オレが個人的に盗撮されたやつとか、写真そのものは結構多い。高二から付き合ってたものの、お互いの立場上カップルっぽい写真は少ない。
(若いつっても、ちょっと子供すぎねえかな……いや……)
 オレってこんなだったっけ? ってくらい、自分で言うのもナンだが、昔こういうボーイッシュアイドルいたようなって感じの美少女顔だ。女顔とか言われてたのは下らねえ悪口だと思ってたんだが、割と事実だったのかもしれない。そしてバスケ部の中とか、牧の隣に並んでたりすると余計にそれが際立つ。
(オレって年とって顔伸びたのか!? いや、輪郭が丸いからそう見えるのか)
 机の上に置きっぱなしになってるミラーで自分の顔をチラ見する。そう痩せたつもりはないんだが、今って結構頬が痩けたんだな。あと今は斜めに分けてる前髪を、全部下ろしてたからもあるだろう。女っぽく見られるのが嫌だったわりに、短くしても前髪は下ろしたまんまで、スポーツ刈りとか坊主みたいにまではしたことがなかった。まあだって、そういうのはシュミじゃなかったし。
 昔の友達と会うと、だいたいオレと牧は「昔と変わってない」って爆笑されるんだが、主に牧のせいだと思う。実年齢を言うと驚かれることは多いものの、オレはしっかり年食ってるんだ。
(で、そりゃまあ、牧は若い子のほうがいいわなー……?)
 オレと牧とは好みのタイプが違う。牧と付き合ってから気づいたことだが、オレはたぶん年上っぽい見た目? 雰囲気? が好きだ。だけど牧はかわいさと気の強さがマッチしてる感じの子が好みだったはずで、今となっては三十八歳のおっさん(オレ)よりは当然若い子のほうが、かわいいっていう点で好みに合致するだろう。オレだって、別に性的な目線でじゃないが、若くて元気な子は「かわいいな」とは思うし。同時に「若けえなぁ」って、なんだか疲れた気分にもなるんだけど。
 それに若いほうが性欲あって、ガツガツ牧のこと求めるんだろうしさ。
 チリチリ、ジリジリ、なんだか嫌な感じにイライラしてくる。
 ふと自分の右手に──なんも着けてないままの右手の薬指に目がいって、机の引き出しから取り出した二つの指輪を重ねて着けた。付き合って十年経った誕生日に貰ったやつと、この前の二十年経った誕生日に貰ったやつ。重ねて着けれるようにって、今回のは細いの選んだんだって。おっさんのくせによく考えてるよな。
 もう一つ。三つ目の指輪を取り出して、指先に挟んで窓の光にかざす。すっかりくすんだり凹んだりしちまってる、二十年も前の指輪。付き合ってから初めての、高三の誕生日に貰ったやつだ。
 大学生のとき、初めてできた彼女へのプレゼントに悩んでる友達が『最初で指輪は重いって聞くからネックレスがいいかな』とか言ってて、オレは初めての誕生日に指輪を贈ってきた牧を思って笑っちまったもんだった。
 オレとしてはこれも気に入ってるんだが、着けてると牧が子供っぽいだのおもちゃみたいだの、もっといいやつ買ってやるだのってうるせーから、二つ目を貰ってすぐに着けなくなった。ペアリングだったのに、牧があんまり着けてなかったってのもある。
(いいじゃん、ちょっと安っぽくてかわいい指輪……)
『大人になったんだからそれなりのものを贈りたいし、お前にも身に着けてほしい』
 たぶんそれを言われたときは指輪を貶されたってくらいのイラ立ちだったんだけど、今だとまたちょっと違うように感じる。
(年食ったオレには、高校生のときに貰った指輪は似合わないってことなんだよな)
 そりゃそうだ。当たり前。オレは見た目しっかり老けていってるって、さっき自分で思ったばかりじゃねえか。
(こんなんじゃ、そのうち愛想尽かされるな)
 多少のワガママも気まぐれも、許されてたのは昔のオレがかわいかったからだ。オレは自分の見た目を揶揄されるの好きじゃないとか言いながら、存分に利用してたもんな。だって、損するだけじゃ損だし。
(二十年かぁ)
 長いな。オレたちが初めて出会った年齢より、もっと経ってるんだ。あんまりにも長すぎる。その間、もしオレと一緒にいなかったらあいつはなにしてただろう。子供は作ってただろうな。牧の実家みたいな優しくて賑やかな家庭を築くんだろうって、簡単に想像できる。……いや、別に今からだって遅くはないだろ。牧ならイケる。若い女つかまえてさ。うん、やっぱワガママ許すにも若いかわいい子のほうがいいよな。元の地点に戻った。
 悩んだことなんて、昔のほうがずっと多かった。だけど昔は時間が限られすぎてて、立ち止まってなんていられない気がしたし、みんなのためって義務感もあって突っ走るしかなかった。一応、あのころのオレなりに考えてはいたつもりだけどさ。
 今は昔よりずっと時間があって、オレはたぶんオレだけのためにいて、正解を示してくれる成績や勝ち負けもなくて、だから不安になるのかもしれない。勝手なもんだ。
 ──コン、コン。
「藤真、入っていいか?」
 牧だ。まあ牧しかいないんだけど、そういや今日はオレが朝ごはん当番だから呼びに来たのかもしれない。
「ダメ」
「怒ってるのか?」
「なんでオレが怒る必要があるって思うんだよ、お前、なんかオレに悪いことしたのか?」
「え、いや、うーん……」
 ドアの向こうから、いかにも弱ったような声がする。本当にオレに悪いことをしたって思ってるみたいだ。ドアを開けてやる。
「おお、藤真」
 牧は家で過ごすときの服装に着替えていた。
「別にさ、ズボン汚したのは、あれは牧の持ちもんだからオレが怒る筋合いじゃねえだろ」
 牧はきまり悪そうに首の後ろあたりを掻く。
「そう……だな」
 オレは目を逆三角にして牧を見た。
「なに、ほかに悪いことしたのかよ? 昨日の飲み会でとか?」
「いや、それはないぞ。……だがお前、なんか怒ってるだろう?」
「……」
 オレは思わず唇を尖らせていた。昔はかわいいと思ってワザとやってたのが、いつの間にか癖になっちまったやつだ。姉に指摘されて気づいたんだが、もうそうそう直らない。
 その唇に牧は軽くキスをして、オレをぎゅっと抱きしめてきた。よくやるやつなんだが、なんかこれもお互いおっさんなの思うときついな。オレは牧の胸を思いきり押し返してドアを閉めた。
「おい、藤真っ!」
「なにが悪いのかもわかんねーのに謝ってんじゃねえよ!」
 ドアに背中をくっつけてその場に座り込む。別に牧は悪くない。オレが勝手にむかついてるだけだ。牧の態度は『理由はわからんが藤真が機嫌悪いからとりあえず謝っとこう』ってことなんだろう。それが気に食わない。なんか心広いみたいな態度取られてるのが、よくわかんないけどすげーしんどい。
(オレはもう、牧とは釣り合わないんだ)
 昔のことまでは否定しない。バスケでいい感じにやりあってた時代だってあったし、牧はオレがイイんだ、好きなんだって言ったし──昔はな。だけど今は違う。もうバスケはしてないし、牧は精悍に年をとっていくのに、オレはどんどんかわいくなくなって、確実に価値を失っていく。今はまだセクシーだとか言ってられても、もっと、もっと年食ったらさ?
『今の俺には今のお前がいい』
 それは今ここに昔のオレがいないからだ。今と昔のオレが同時にいたらお前だってきっと。
(夢の中で昔のオレに会ったって、嬉しそうにしてたじゃんか)
 昔の自分に嫉妬するなんて、あまりにも下らないのはわかってる。で、だから、別にオレじゃなくたって、ほかの若くてかわいい子でいいんじゃないかって話だ。牧はもう惰性でオレと付き合ってるだけだろう。
「藤真。そうだな、ズボンのことじゃないんなら、俺が昔のお前の夢を見て夢精したことが単純に気持ち悪かったとか……」
「ブフッ!」
 真面目に鬱々と考えてたのに、すごく申し訳なさそうにそんなこと言うもんだから、思わず吹き出してしまった。
 オレが勝手に拗らせてるだけだから、牧にわかるわけもない。ドアを開けてやる。
「オレだって男なんだから、男の生理現象をきもいなんて思わねえよ」
「じゃあなんでだ? あ、そういえばお前アルバム持っていっただろう。大事なアルバムを汚しそうだったから怒ってるのか?」
「大事なのはお前にとってだろ。オレには関係ねえし」
 オレは牧を部屋の入り口に置きっぱなしにして、ベッドに潜って壁のほうを向く。怒ってる理由は言いたくないし、朝ごはん作るのもめんどくさい──牧に対してなにしたっていいと思ってるわけじゃない。そのうち心広いふりもできなくなって、呆れるなり怒るなりするだろうって、それを待ってるのかもしれなかった。
「……もしかして、やっぱり俺が夢で十七のお前とやっちまったことを怒ってるのか?」
 無視しようかと思ってたんだが、いかにも言いづらそうに、申し訳なさそうに告げられたことがしょうもなすぎて、思わず声を上げてしまった。
「夢ん中のできごとなんて知らねーしっ!」
 言われなきゃ知るわけないし、夢精ってくらいだからある程度想像もできるし。そんで結局、オレのイライラの原因が割とそこだったりするのが一番しょうもない。
「……夢に見るほど若い子が好きなんだ」
「若い子ったって、お前だぞ?」
 牧が覗き込んでこようとするから、頭からタオルケットを被ってガードする。
「アルバムなんて毎日見るもんじゃないんだ。久々に見て懐かしいなって思ったまま眠ったから夢に出てきた、そんなにおかしいことか?」
 たぶんオレのほうがおかしいんだろうって、薄々感づいてたりはする。だけど。
「別に、夢を見たのが悪いって話じゃない」
 布越しに、大きな手が頭を撫でる。懐かしいような、落ち着く感覚って思ってしまうのがちょっと腹立つ。
「藤真、俺は昔も今も、お前のことが好きだ」
 オレはその言葉を拒否するみたいに、語尾に被せて言った。
「よくわかんない理由で勝手に機嫌悪くなってるおっさんにさ、お前いつまで付き合ってるつもりなんだよ」
「今初めてのことでもない。いつまでだって付き合う」
 昔はオレだってかわいかったから許せたはずだ。だけど今は違うだろ。
「オレもうお前が思ってるほどかわいくも綺麗でもないよ。お前老眼入ってきてんだよ」
「俺がそう思ってるんだからいいじゃないか。それに、お前がおっさんなら俺だっておっさんだろう」
「お前は昔からおっさんなんだから関係ねえだろ」
 たぶん、牧にはいまいち伝わってないと思う。オレは若いときから自分の見てくれがいいこと自覚してたし、だから牧がオレを好きって言うのにもある程度納得してた。それが年とって劣化していくって事実になにも感じないほど呑気じゃない。
「お前がなんにそんなに意地になってるのか、俺にはよくわからん」
 お前はあくまで『俺が好きなんだからいいじゃないか』って言うんだろう。それも想像はできるんだけど。
「……そんなの、昔からそうだろ」
 オレの気持ちはお前にはわからない。昔から。高校のときから、ずっとそうだった。
「だが俺は、それも含めてお前のことが好きだ。全部思い通りになる相手なんて退屈だって、お前だって思ってるんじゃないか?」
「それは……」
 ちょっと感覚ズレてるとか、ワケわかんないとか思うときは確かにあって、でもそれでケンカするよりは、面白い、楽しいって感じることのほうがたぶんずっと多くて、だからオレたちは長いこと一緒にいるんだろう。少なくとも、飽きたとか退屈だとか感じたことはオレはなくて。だから。だからこそ、老けてかわいくなくなって、このままじゃいられなくなるかもって、不安になったわけで──
(ああ、結局オレは不安なのか)
 しょーもねえな。自分に対して萎えきった気分で目を閉じたが、タオルケットを剥ぎ取られて無理やり仰向けにさせられたら、目を閉じてるのも逆に恥ずかしくてすぐに開けた。牧は真面目な顔をしてたが、口もとには笑みの気配もある。
「なあ藤真、いいじゃないか。俺たちはこれからも、ふたりで一緒に年をとっていくんだ」
 なにが『いいじゃないか』なんだろう。あと、勝手に決めやがって問いかけですらねえ。紳士なようでいて、ポイントポイントで傲慢なんだよな。
「じゃあさ、今すぐオレのこと抱ける?」
 なにが『じゃあ』なんだろう。自分で言っときながらもうよくわかんなかった。
「もちろん」

 俺の部屋にはダブルベッドを置いてるが、藤真の部屋はセミダブルだ。昔、ふたり暮らしをはじめたときからそうで、特に不便がなかったんで引越しに合わせてベッドを買い換えたときにもそのままのサイズにした。当然、ベッドの広い俺の部屋でやることが多かったから、朝っぱらから藤真の部屋でなんて、ものすごくレアなことだ。
 だが、単純に喜べる状況じゃない。誘ってるのは言葉だけで、藤真が乗り気なようには全然見えなかった。しかし抱けって言われたら抱くしかないわけで──そんな頭の底とは裏腹に、キスして抱きしめて、ベッドの中で藤真のにおいと体温に包まれると、すぐに下半身は元気になった。
「朝っぱらなのに」
 藤真が呆れたように呟いたんで、俺も思わず笑っちまった。
「さっき出したのにな」
 もはや条件反射みたいなもんなんだろう。ふたりして、ふざけて縺れるみたいにしながら服を脱がせ合ってさっさと裸になる。お互い慣れたもんだ。
 ほっそりとした頬に、憂えるような微笑が浮かぶ。昔から、ときたまそんな顔をすることはあったが、今のほうがきっとずっとさまになってる。
 藤真は昔より痩せた。体重が減った自体は聞いてたが、意外なくらい鮮明に残ってる夢の中の姿と比べると、目に見えて納得してしまう。
「ぁ……」
 筋の浮き出した白い首を甘噛みすると、天を仰いだ顎のラインも昔よりシャープになったかもしれない。日々見てて気づかなかったことを、あの夢のおかげで発見するって感覚は新鮮だが、だからって若いほうがよかったと思うわけじゃない。藤真はどうして妙な誤解に囚われてるんだ。
「んっ!」
 首回りが敏感なのは昔から変わらなくて、いや、昔より感じやすいかもしれない。震えながら背けた横顔に、長い前髪が掛かってすごく艶っぽい。
 いつだったか、前髪全部あるのと分けてるのとどっちがいいって聞かれて、どっちでもいいって言ったら怒られたことを覚えてる。本当にどっちもいいと思ったからそう言ったんだが。
 白くて平らな胸に、昔より色濃くなった乳首が目を引く。淡いピンクもかわいいもんだったが、今の色は生々しくてエロくて、率直に言って非常にそそる。待ちわびるようにぷっくり屹立するそこに、俺は遠慮なく吸いついた。
「あぁっ、んっ…!」
 肉のついた乳房がなくたって、乳首を吸いたくなるのはたぶん本能なんだと思う。舌に当たるかわいい感触を転がしたり、弱く歯を立てるたび、藤真は敏感に反応して高い声を上げる。俺がやたらいじったせいで目覚めたんだって、恨み言みたいに言われたこともあるが、俺はそれを聞いてから藤真の乳首のことがますます好きになった。
「あんっ、んっ…」
 手繰るように、急かすように、藤真の手が俺の背中から腰へと移動する。それ以上は、俺が藤真の胸に顔をくっつけてる位置関係のせいで届かないだろう。戯れるような仕草に確実に誘われながら、俺は顔を上げて藤真を見返す。
「んん?」
 どうした? って言ったつもりの俺に応えるように、藤真は膝を使って俺の股間を撫で上げて、目を細めて色っぽく笑った。妖艶って、まさにこういうことだろう。ぐりぐりといじめられる箇所から頭のてっぺんに、ビリビリ電撃が走る。
(お前だって朝っぱらから、ずいぶんやる気じゃないか……?)
 機嫌がいい日だって朝からすることなんてまずないのに、と呑気な考えが頭をよぎったが、すぐに打ち消した。むしろ今は機嫌悪くした直後だから、尋常じゃないってことだろう。
 お望みどおり先に進むかと、両の膝を立てさせ、M字に開かせてその中心に顔を埋める。乳首と同じく、昔より色を濃くしたそれを愛しく感じながら、口に含んでしゃぶり、舐め回す。
「んんっ、はぁっ……」
 これが真っ当に使われてないとは、世の女性にとって損害なんじゃないかとも思うが、俺は藤真が思うほど心の広い人間じゃないから、誰かに譲り渡してやる気は毛頭ない。
 昔より筋肉が落ちてほっそりとした脚を抱え上げる。形のいい亀頭も、俺の唾液でぬらぬら光る竿も、そこからぶら下がった玉も、その奥に控える、性器になった肛門も、全部むしゃぶりつきたいくらいに魅力的だ。そそられるのもあるし、愛着もある。もちろん賛辞のつもりだが、ストレートに口にすると藤真が明らかに引くんで、あまり言わないようにはしてる。
「っん…」
 少しだけ縦に伸びた窄まりに、たっぷりと唾液を落として指をねじ込むと、ふたりの体液の湿度だけでじっとりと密着する感触が卑猥で愛しい。指にまとわりつく強い抵抗感が、否応なしに俺を期待させる。
「はーっ……はぁっ……」
 ローションを含ませてほぐしていくと、打って変わって内に引き込むようなうねりが生まれる。ごくりと、自分の大きな嚥下の音がよそよそしく聞こえた。行為に慣れきったそこは、準備が整うまでにそう長い時間を要さない。ああ、本当にエロい体だ。
「挿れるぞ」
 頷くのを確認してコンドームに右手を伸ばすと、同じことを考えたらしい藤真の左手とぶつかった。俺はなんだか妙に堪らない気分になって、その手をぎゅっと捕まえる。
 そのまま、思いだしたように藤真の右手を見遣ると、俺の贈ったリングが二つ重ねて嵌められていた。本気で怒ってたわけじゃない、やっぱりちょっと拗ねてただけだって安心しながら、揃いのリングをつけた自分の左手でその手を握る。色の違う指を絡めるとリングが寄り添うって光景が、特別な感じがして大好きだった。食事のとき、対面に座ると鏡の向こうみたいに同じほうの手で箸を動かしてる、そんな些細なことにも昔は感動したもんだって不意に思いだす。愛おしさの遣り場に困って、唇に深くキスをした。
「ん、ぅん……牧?」
「ああ、すまん」
 疑問の声は、挿れるっていったきりキスしてたせいだろう。それか、ゴムつけないのかってことかもしれない。どっちにしてもかわいい。
 あらためてコンドームの個装をひとつ取り、手早く装着して藤真の陰部になすりつける。ごく薄いゴム越しに、藤真の熱とうねりがほとんどストレートに伝わる。昔のは厚くて、いかにもつけてる感があって嫌いだったとか、妙に昔のことばかり思いだすのもあの夢のせいなんだろう。
「いくぞ」
「うぅっ、あぁぁっ……!」
 体を進めると、そこはすっかり俺の形を覚えてるみたいに馴染んで食らいついて、ずっぽりと呑み込んでしまう。まだ一応藤真の様子を気にしてた、頭の奥までずぶずぶと欲望に侵されていくみたいだった。
「ああ……藤真、好きだ、ずっと……」
 慰めじゃない。ただ実感があるだけだ。即物的だとか、やりたいだけかと冷やかされたこともあるが、堪らなく好きだって感じたら抱きたくなるし、そうして抱いたらまた際限なく好きだって実感がこみ上げてくる。少なくとも、俺の心と体はそういう風にできてる。
「本当に?」
「ああ……」
 少し伏し目がち、なにか心配してるんだろうか。だが俺はそんな表情だって大好きなんだ。だって、誰にでも見せるもんじゃないだろう?
 馴染む体。互いの望む通りに進む、よく知ったセックス。そこから生まれる飽くことのない快感と満足感。それは昔か今かじゃなくて、ずっと一緒にいる俺たちの間だからこそあるもんじゃないか──そう藤真に言ってやればよかったのかもしれない。しかし頭は働かなくて、舌先は戯れることに夢中になっていた。

 箱ティッシュを毟り、てきぱきと各々の体の後始末をする、ふたりとも無言なことに事前のやり取りは関係ない。いつものことだ。
「俺だって、おっさんになったんだ」
「お前は昔からじゃんか」
「昔は賢者タイムなんて感じなかった。はじめて気づいたときはショックだったな。お前に嫌われるかと思った」
「んなの、昔が異常だっただけだ」
 藤真は丸めたティッシュをゴミ箱に放ると、足のほうに溜まっていたタオルケットを引っぱって体に掛け、俺に背中を向けて裸のままの体を丸めた。
 俺は体と腕を伸ばして藤真の机からアルバムを取り、枕の位置に広げる。ベッドに肘をつくようにうつぶせになって、タオルケットの中に体を入れると、藤真の背中に俺の二の腕がくっついて愛しい。
「まだいる気なのかよ」
「一緒にアルバム見よう」
「なんだよ一緒にって、部屋でひとりで見ろよ」
「藤真はアルバム嫌いか?」
「嫌いってわけじゃないけど、そんなに興味ない」
「まあ、俺だって昨日久々に見たくらいだが」
 藤真の後頭部を視界の端に入れながら、続きのページをめくっていく。高校時代が終わって、大学生だ。ツーショットじゃなくて、それぞれの大学の友人らと写ってる写真が多いページだった。昔はなんとも思わなかったが、今見るとずいぶんむさ苦しい深体大と、いかにも賑やかな若者らしい空気が伝わってくる青学と、全然雰囲気が違うもんだな。藤真なんてすぐ有名になって周りが騒がしくなるんじゃないかって心配したら、『ああいうとこ入るとオレはそこまで目立たないから大丈夫』だの言われたのを覚えてる。試合のときはしっかり黄色い声援が上がってたが。
 次のページに現れた大判の写真に、俺は思わず声を漏らした。
「親父もお袋も、若えなあ……」
 はじめて藤真を連れて実家に行ったとき、帰りぎわに撮った家族とペットの集合写真だ。
 藤真が寝返りを打ってアルバムを覗く。
「本当。牧の弟も妹も子どもだし、ヒマも金太もカメ吉もいるし」
「な、アルバムっていいもんだろう」
「この写真はいい写真だからな。当時は『なんで?』って思ったけど」
「家族写真、か」
 後日郵送されてきた写真に同封されてた一筆だけの手紙には、親父の字で『新しい家族写真ができたので送ります』とあって、それを見た藤真は『部外者が混ざってるじゃねーか!』って笑ってたっけな。
「……牧、今からならまだ、子供つくってもいいんじゃない」
「あぁ?」
 俺は思いきり怪訝な顔と声を出してしまった。子供が欲しいと思わないのかと聞かれたことは前にもあって、俺の答えはいつも同じだったが、今日はまた強引にきたな。
「三十七。子供がハタチになって五十七。まだオッケーだろ」
「俺は子供が欲しいなんて思ったことは今まで一度もないぞ」
「嫌いではないだろ? 人生一度きりなんだから、試してみたら」
「……子供が嫌いだって言えば納得するのか?」
 藤真はまた寝返って、少し前みたいに壁のほうを向いてしまった。
 俺が惚れた相手が女性だったなら、好きになったその先のこととして、子供を考えることもあったかもしれない。だが実際俺が好きなのは藤真だ。それだけで終わる話だと俺は思ってる。
 動物の交尾は生殖行動だろうが、人間は違う。だから避妊具ってものが存在してる。俺は別に子孫を残したくてセックスするわけじゃない。藤真だってそうなんじゃないのか。
 昔より骨の線の見える、白い背中を包むように腕を回し、少し伸びた襟足に額をすり寄せる。
「一度きりならなおさら、俺はずっとお前と恋人同士でいたい。それでこれからも一緒に思い出を増やしていくんだ」
「……一緒に」
「ああ。俺と、お前と一緒に」
「……ちゃんと考えた?」
「もちろん。ちゃんと考えて答えてるぞ」
「……オレって、ちょくちょくめんどくさい感じになるよな」
「飽きなくていい」
 全部俺の確かな本心だ。だがきっと、心だけじゃ不安になることもあるんだろう。理解しないわけじゃない。指輪や生半可なもので繋ぎ止められるとも思ってない。
 そう考えて、賃貸住宅じゃなくてふたりで暮らすマンションを買おうって提案したことがある。名案だと思ったし、俺の心はすっかり〝ふたりのための家〟に旅立ってたんだが、あっさり拒否されてしまった。ショックだった。ものすごく落ち込んだ。藤真が言うには、近くに変なやつが住んでたときに、買っちまってたら引っ越して終わりってわけにはいかないだろ、とのことだ。売るなり貸し出すなりどうにでもできるとは思ったが、それを提案してなお拒否されたら立ちなおれないような気がしたんでその場は大人しく引き下がった。
 じゃあほかに、どうすればいいだろう。ずっと一緒にいる。追いかけてる夢なんてない。ふらっといなくなったりなんてしない。そう藤真が信じられる方法だ。
 男女なら結婚なんだろう。同性同士では養子縁組をするって方法があるのは知ってる。公的に家族になれるわけだが、当然、ふたりの戸籍上の関係は親子になってしまう。法的な保護や経済的なメリットはあるようだが、俺の目的はそういうことじゃなくて藤真を納得させることで、その視点で考えると、望みは薄いように感じる。先入観なんだろうが、親子って関係が俺の気持ちと乖離してるのもあって、具体的に切りだしたことはなかった。
 なんか、いい方法はないもんだろうか──腕の中で、藤真が低く唸った。
「う〜……ハラ減ったな」
「朝まだ食ってないからな」
 朝っぱらからがんばったせいで忘れてたが、寝起きの失態のあと、シャワーから上がってしばらくしても藤真がリビングに出てこなかったから、こりゃ機嫌損ねたなって部屋に様子を見に来たんだった。
「! そうだった。しかもオレが朝当番」
「俺が作るか?」
「なんでだよ、いいからそういうの。でもシャワー浴びてからな」

「これからも一緒に思い出を増やしていくんだ」
 牧の言動って、やっぱりどうも夢見がちだ。なんだけど、無謀とか身のほど知らずとかそういうんじゃなくて、例えばバスケやってたころなら、試合の中でものすごくストイックだなとか、引きぎわをわきまえてんなって感心したことは少なくない。まあ、それとこれとは別の領域なんだろうけど、不思議な男だなってのは長く一緒にいても未だに思うことだ。
(あー……)
 オレだって昔の牧のこと、たまに思いだしてんな。別に昔のほうがよかったとかじゃないけど。牧は昔から変わってないからな。

 思い出はなんのためにあるんだろう。

 この先どのくらい牧と一緒の景色があるのかな。たとえば死ぬ前に見る走馬灯のスライドはどんな風になってるだろう。
 大丈夫、別に病んでない。余命宣告も受けてない。ただ、誰かに残す思い出じゃなくて自分のための思い出ってのは、突き詰めればそういうことなんじゃないかって思いついちまっただけだ。

 牧を信じないわけじゃない。だけど絶対なんてないとも思ってる。置いてかれるかもしれない。いつか消えるかもしれない。可能性はなくはない。これは悲観じゃなくて、オレが昔から抱いてる保身だ。信じきって裏切られるよりなら、どっかに疑念を残しとこうっていう。
 オレも見た目が年食っただけで、中身は昔とそんなに変わってないんだろうな。牧のこと夢見がちって冷やかしながら、それが潰えるのをおそれてる。

それからずっと、おれたちは 1

1.

 鼻を撫でる潮のにおいを、頬にまとわりつくそよ風を、即座に懐かしいと認識していた。二色の青の境界には白い光線がキラキラ揺れて輝いて、波の音が穏やかで単調な反復を繰り返している。高校時代を過ごした、神奈川の海だ。
 夏の真っ昼間だが、ジャケットを着込んだスーツ姿にも暑さは感じない。履き慣れた黒い革靴が白い砂に不似合いで、少し居心地が悪かった。海水浴場からは離れてるんだろう、ほかに人はいない──と思ったところであまりに鮮烈に目に飛び込んだ少年の姿を、俺は思いきり凝視した。
(藤真……!?)
 俺は魚みたいに目を丸くして口をパクパクさせた。喉の奥が張りついて閉じたような感じで、咄嗟に声が出なかったんだ。
 あいつのことはずっと見てきてる、背格好や髪型が似てるなんて話じゃない。まだこっちに気づいてない、考え込むような、少し寂しげな横顔だってそうだ。格好は私服といえば私服だが、シンプルなTシャツとハーフパンツ姿はバスケの練習のときの感じだな。
 視線を感じたのか、藤真は俺に気づくと大袈裟に首をこっちに向けて目をまんまるにした。
「牧!?」
 近くまで駆け寄ってくると俺の顔をじいっと見て、頭のてっぺんから靴の爪先まで、舐めるように観察する。舐めるって思ったら一瞬ふしだらな気分になっちまった。俺と藤真はもう長くそういう関係だから別に大丈夫なんだが、しかしこの藤真は──
「……じゃないよなぁ。でもホクロまであるなんて、こんなにそっくりなことって」
 目の前の〝少年の藤真〟は、スーツを着て眼鏡を掛けた三十七歳の俺を見つめて、腕を組んで唸っている。いかにも理解できないって様子だが、俺だって同じだ。神奈川の海で藤真と出くわすことのなにがそんなにおかしいって、俺が今のままなのに藤真が高校生だってことだ。今は二〇十二年のはずだぞ!?
 高校生だって断定するのは、俺たちが出会ったのは高校のときで、それ以前のことは知らないんだから、見覚えがあるってことはそういうことだろう。それにしても、昔の藤真は……言ったら怒られるんだろうが、女の子みたいだ。
 額全体を覆うように下ろしたサラサラの前髪の下から、長い睫毛に飾られた大きな目が様子を窺うようにこっちを見てる。これがまた、陽の光を浴びると金色に透けるみたいですごく綺麗で、まあそれは今も一緒なんだが、かわいいって形容になるのは輪郭のせいだろうな。ほっぺたのラインに丸みがあって、今の俺が見慣れてるよりずっと子供って感じだ。藤真の〝作ってない〟豊かな表情と相まって幼く見えて、身長差は大袈裟には変わってないはずだが、なんだかずいぶん小柄に感じる。俺たちは高校のときから付き合ってたが、藤真は本当にこんなだったか? なんとなく罪悪感が湧いてきた。
「えと、牧紳一の親戚の方ですか?」
「いいや? そんなやつは知らないな、他人のそら似だろう」
 親戚じゃあないんでなにも考えずに否定しちまったが、親戚にしといたほうがよかったろうか。しかし昔から老け顔と言われてた俺だが、高校生のころは今よりはちゃんと若かったんだな。だから藤真は俺本人ではないと思って首傾げてるんだ。
「そら似……」
 熱心に視線を注いでくる藤真にキスしたくなったが、俺はこの藤真の恋人ではないはずだから一応我慢した。つうか、この藤真はもう俺と付き合ってるのか? これはいつの夏だ?
「世の中には、同じ顔の人間が三人いるっていうだろう」
「聞いたことはあるけど……」
「きみはこんなところでひとりで、なにしてるんだい」
 一瞬、左のこめかみを気にするように手を挙げかけた動作を俺は見逃さなかった。怪我したすぐあとのタイミングか。
「行くとこないんだ」
「部活は」
「休み」
「本当に?」
 藤真の表情が一瞬曇ったように見えたが、吹き抜けた風が長い前髪を乱して目もとを隠した。再びこっちに向いた瞳は悪戯する子猫みたいに、いや、小悪魔みたいに愉しげに笑んでいた。
「おじさんこそ、なんでスーツ着てこんなとこにいるんだよ。仕事サボってんじゃないの?」
 藤真は知らないおじさんにこんな顔をして妖しげなことを言うような高校生だったんだろうか。それとも俺が牧に似てると思ってなんだろうか。
「なんでって? そりゃあ……」
 俺にもわからなかった。なんでだ? 答えに詰まる俺を認めて、藤真は目を細めて笑う。
「おじさん暇なんだったらさ、オレと援交しない?」
「っは!? な、なんだと!?」
 エンコーと。援助交際と、聞こえた気がするんだが、きっと聞き間違いだと思う。本当はなんだろう。なんかそういう言葉あるか? 〝公園〟の若者言葉か?
「怒んないでよ、嫌ならいいよ」
 いかにもつまらなそうな顔をして、ふいとそっぽを向いて離れていこうとする藤真の手首を、咄嗟に掴まえて引いていた。
「待てっ! ふ、きみっ! 今一体なんてっ……!」
 藤真は掴まれた手首を見て、それから俺の顔を見て、愛らしく首を傾げる。わかるぞ、たぶんわざとだ。
「え、もしかして知らない? エンコー、援助交際。お小遣い貰う代わりにおじさんと遊んであげるっていう」
 探るような、大人びた視線が絡みつく。藤真はさすがに中学時代からモテてたらしく、高校時代にはませてたというか、すれてたというか、そういう感じだった記憶がある。顔の造形は幼くても表情は確かに俺の知る彼のものでもあって、そして藤真は俺の恋人で、だが今目の前にいる藤真は高校生で、俺は分別ある大人だ。俺は葛藤に打ち勝ってきっぱりと言い放った!
「それは立派な売春だし、きみは未成年じゃないか。そんなこと絶対に駄目だ!」
 藤真は不満げに眉を跳ね上げ唇を尖らせる。
「だから、嫌ならいいよって言ったじゃん」
 離れていこうとする体を、その腕を、俺はやっぱり捕まえてしまう。
「あ……」
 反射的なものだったから、思わず間の抜けた声が出てしまった。
「なんだよ、放せよ」
「ほかのおじさんと援助交際なんてするんじゃないぞ」
 素直にうんと頷く相手じゃないことは俺だってよく知ってる。なにしろ藤真だからな。
「関係ねえだろ」
 ただの強がりだ、実際は援助交際なんてしないだろう。……本当に、しないだろうか? 怪我で部活に出られなくて、自棄になってるかもしれない。もしくはなんか、金が必要な事情があるかもしれない。どっちにしろ、俺が今藤真を解放すれば、悪いおっさんと援助交際してしまう可能性はゼロではない。そして藤真は痴態を撮影されて脅され、闇のAV堕ち──
「いくら欲しい?」
 顔を寄せて低く囁くと、藤真の顔がパッと輝いた。
「おっ、話早いじゃん。いいね」
 天使みたいだ。つるんとした髪の毛に光の輪っかが見えてる。これからおっさんに春を売るつもりには到底見えない。涙が出そうだ。
「とりあえずなんか食い行こうよ」
「なにがいい? 寿司か?」
「肉!」
 太陽の下に咲く満面の笑みが、大輪のひまわりみたいだった。綺麗だな。くらくらする。空も青くて、明るくて──

 場面は変わって、俺の行きつけの焼肉屋だ。そのうち藤真の行きつけにもなるだろう。藤真はトングをカチカチ鳴らしながら、爽やかに高校生らしく笑った。
「焼いてあげる!」
「焼きかたわかるのか?」
「わかんねーけど、焼くだけだろ?」
 そう言って網の真ん中に、同じ部位の肉を二枚並べる。
「確かに。楽しく食べればそれでいい」
 前にもこんな会話をしたような気がするが、この藤真はまだ知らないかもしれない。なんにせよ藤真が俺のために肉を焼いてくれるなんて、かわいげがあっていいもんだ。……いや、援助交際ってことを気にして振る舞ってるんだろうか。そう思っちまったら嫌な疑念が湧いてきた。聞いてみたいような、知らないほうがいいような。
「そうだ、おじさんのこと、なんて呼んだらいい?」
 上目で覗いてにこりと笑う。うん、かわいいな。だが作り笑いだな。……こういうの、慣れてるんだろうか。ああ、嫌だ、いやだ!!
「おじさーん?」
「ん、ああ、『おじさん』でいい」
 昔、十代のころ、ふたりとも同い年なのに焼肉や寿司でよく〝パパ〟と間違えられたな。懐かしいことだ。実際にそうなっちまうとは思いもよらなかったが。
「きみのことはなんて呼べば?」
「え? あ、うーん、じゃあ『藤真』で」
「なっ!?」
 おい、こういうのって、身元は隠すもんなんじゃないのか? いや知らんが、なんとなくそういうイメージがある。藤真がなにも考えてないとも思えないんだが……。
「なに? なんかヘンだった?」
「いや、別に。そうか、きみは藤真くんか……」
 そうだな、目の前にいるのは確かに藤真だ。だが、しかし、なぁ。
「呼び捨てでいいよ。お、焼けたっぽい。はい」
「ああ、ありがとう……藤真」
 舌にも唇にも、もうものすごく馴染みのある響きだ。藤真は照れくさそうに笑う。
「すごい、やっぱり声まで似てる」
「見た目が似てたら声帯も似てるから、声も似てるんじゃないか?」
 俺はものすごく適当なことを言った。

 浴室から漏れるシャワーの音を聞きながら、俺はベッドの中で藤真を待っている。当然、裸だ。ホテルまでの道中は覚えてない。酒は飲んでないんだが、おかしいな。
「ふーっ……」
 細く長いため息は憂鬱のアピールだったが、それでも俺はこの場を離れることができずに待っている。
(だって、相手は藤真だぞ? 俺は藤真とずっと付き合ってるんだ、なにも悪いことなんてないだろう。いくら俺がおっさんで、藤真が未成年だとしたって。……いや、やっぱりそれはいかんような気がするな……ううむ……)
 相手が見ず知らずの高校生ならこんなのは絶対ありえないんだが、藤真だってことが事態をややこしくしてる。
 浴室のドアが開く音がした。ドキッとしながらも平静を装って待ってると、バスローブ姿の藤真が俺の隣に潜り込んでくる。裸の腕に触れるバスローブの感触と、馴染みのない石鹸のにおいがものすごくよそよそしい。
 俺が体を横に転がしてぴたりと藤真に寄り添うと、藤真は仰向けのまま、視線だけを逃がすように逸らした。照れてるんだろうか。不慣れっぽい……つまり、やっぱりこんなことは日常的にはしてないってことじゃないか? 俺は俄然元気になってくる。
「藤真、本当にいいのか?」
 ああ、最低だな。本当なら『こんなことはいけない!』って突き放さなきゃいけないだろうに、俺は悪い大人だ。
「そんな、ここまできてそんなこと言う?」
 藤真は言うと、ためらうような動作で俺のほうに頭を寄り添わせた。頬に触れる柔らかな髪の感触を、彼の甘える仕草を俺はよく知ってる。なにを迷うことがある?
「そうか、そうだな……」
 顎を掴まえ、顔を上向かせると長い睫毛がゆっくり降りる。
「っ……ん、むぅっ…」
 反応こそ初々しいものの、薄い皮膚の感触も、漏れる声もまるで藤真だ。俺のわずかばかりの罪悪感と自制心は簡単に崩れ去って、藤真の体からバスローブを剥ぎ取り、力一杯抱きしめていた。肉付きがいいってわけじゃないが、肌と筋肉には若々しい弾力があって、若い子をピチピチって表現するのはこういうことなんだろうなって変に感心してしまった。
 恥ずかしがらせるようにちゅっ、ちゅと音を立てて唇を吸って、白い首筋に舌を這わせる。若い体がぎこちなく波打って、大きく震えた。
「はっんっ」
「気持ちいい?」
「っ、くすぐったい…」
 はにかんだ笑みが、新鮮ながら懐かしい感触で胸の奥をぎゅっと摘む。肩口、鎖骨、平らな胸へと、唇を落として軽いキスを繰り返すたび、ごく弱い反応を示すのがいじらしくて堪らない。キスは好きだ。だが、体中にキスをしても痕はつけない。藤真の周囲を騒がせたくはなかった。……ああ、そうだな。俺たちの逢瀬はいつだって背徳的で刺激的だったが、ふたりしていつも互いの予定を気にしてた。ささやかな反逆を繰り返しながら、決して破滅は望んでなくて、優等生でいられるぎりぎりを探ってたんだ。
 下唇に、ツンと尖った愛らしい感触が触れる。
「あっ…」
 照明は少し落としてはいるが、白い肌にほんのり浮かぶ淡い色素は確認できる。初々しい、ピンク色の乳首だ。昔はこんなだったんだな。
「っ、んくっ…あっ…」
 ふたつの小さな突起を摘んだり、爪の先でかすったり、甘噛みしたり。好き勝手に弄り回すと、ときおり恥ずかしそうな声が漏れる。思いきり感じてくれるのもいいが、こういうのもかわいいもんだ。
 脇腹から腹へと、色黒の手が白い肌を味わうように撫でる。自分の手なんだが、こういうときはなんだかすごく他人ごとというか、卑猥な映像を見てるような気分で興奮してしまう。もちろん感触だってやらしいんだが、きっとふたりの肌のコントラストが、俺とお前は違うものなんだって、だがこうして触れることを許してるんだって、思い知らせるからなんだと思う。
 股間には、若々しい猛りが元気よく天を仰いでいた。
「興奮してるんだな」
「あ、当たり前だろっ、こんな状況なんだから」
 長年一緒に居続けて全然意識してなかったが、乳首と同じくこっちもそれなりに様変わりしたんだな。たぶん俺のほうもそうなんだろうが。
 ピンクのかわいい先っぽに音を立ててキスしながら、濡らした指を藤真の会陰部から尻の穴へと滑らせる。
「ひっ!」
 怯えたような困ったような顔で身を硬らせる藤真の様子はもうずいぶん見たことがないもんで、俺の中のよからぬ衝動がどんどこうるさく胸を叩いた。
「こっちも? 本当に大丈夫か?」
「だ、大丈夫、覚悟はできてる……」
 もちろん乱暴にする気はない。実際最初のときから割と円満というか、うまくできたんじゃないかと俺は思ってるんだが、藤真がどう感じてたのかはわからない。あいつはわがままなようでいて根っこの部分では結構気を遣うほうだからな。だが、今の俺なら昔よりうまくできるはずだ。というか、できないと困る。
 体を下にずらして藤真の股間と向き合い、たっぷり唾液を垂らして手の中で竿を遊ばせる。扱くたびに脈打つ感触も、元気がよくて若々しいって感じだ。
「あぁっ、んんっ…♡」
 藤真がいかにも気持ちよさそうに目を細めるんで、このままいかせてやりたいような気もしたが──空いているほうの手で太腿を持ち上げると、きゅっと閉じたかわいい蕾が怯えるように震えていた。いや、藤真の覚悟を無駄にしてはいけないな。そこにキスするように唇を合わせ、べろりと表面を舐める。
「ふぁっ…!」
 初めてだろうに、誘うように収縮してる。きっと素質があるんだろう。望み通りと、細く尖らせた舌を差し込んだ。
「っんっ!」
 唾液を送り、にゅぐにゅぐ舌をうねらせながら前を扱くと、ぎゅうと舌が締めつけられる。さすがにきついな。じっくりほぐしてやらないといけない。
 舌を抜いて視線を上げると、顔を真っ赤にした藤真と一瞬目が合って、即座に逸らされた。
「っふ……」
 なんとなく笑ってしまった。感情としてはなんなんだろうな、とりあえず罪悪感はない。ただ藤真のことがかわいくて、気持ちよくしてやりたいと思ってる。
 ローションをたっぷり指に絡め、唾液で少しだけ潤んだ入り口に突き立て、ゆっくり呑み込ませていく。
「っあ、あぁっ…」
 細い悲鳴みたいな声が上がる。慣れない感触のせいだろうが、指一本なら物理的には問題ないはずだ。藤真の意志じゃなくて体の反射なんだろうが、指への強い締めつけと押し返す弾力が、なんだか素直じゃないときの藤真みたいだと思った。
「あぅ、んっ、あぁっんっ…」
 じっくりと後ろを濡らしほぐしながら、イかない程度に前を扱いたり、しゃぶったりして、これは気持ちいいことなんだって感覚を植えつけていく。
「気持ちいいのか?」
「あんっ、んっ…」
 腰を浮かせて、顔を背けながらも、明確な拒絶は示さない。思う通りの反応を示す藤真がかわいくて堪らない。しばらくそうしていると、短く問うような声が上がった。
「っ、ねっ…」
「どうした?」
「ずっと、そうしてるね?」
「ん? ああ……」
 なんのことか一瞬わからなかったが、指より先に進めってことなんだろう。興味なのか意地なのか……うん、藤真はそういうとこあったな。
「そうだな」
 そろそろいいだろう。ヘッドボードに手を伸ばしてコンドームの個装を引っ張り出す。
「ゴムつけるんだ? 男同士なのに?」
「避妊具っていうが、避妊だけが目的じゃないんだぞ」
「そうなんだ」
 藤真はなんだか残念そうだ。まあ、若いころは性欲自体も強かったが〝できるだけエロいこと〟をしたいってのもあったもんな。俺は大人の矜恃を保ったってところか。
「うつぶせになって、腰を上げて」
「バックってこと?」
「ああ、それが一番楽なはずだからな」
「……」
 少し戸惑ったようだったが、それでも藤真は素直にうつぶせになって尻を掲げた。小ぶりで引き締まった尻に、きゅっと窄まったアナルに、ぷりっとした玉袋がぶら下がってる。いい眺めだ。
 白い小山の間に黒く猛る息子を擦りつける。つるんとしたこのかわいい尻にこれを突っ込むのかと思うと、異様な興奮でどうにかなっちまいそうだった。
「力抜いて」
 落ち着いていけ、と自分に唱えながら、小さな窄まりに先っぽを押しつけて押し込む。
「っく、ぅ……っ!」
 狭い肉の門を、じりじりと、ゆっくりと開きながら、体を貫いていく。慣らしたつもりだが、さすがにきつい。漏れ聞こえる声が辛そうなんで、前を扱いてやると、驚いたように震えた体と一緒にそこも収縮して、俺のモノをずるりと呑み込んでしまった。
「う、あぁあっ…!」
 藤真は枕の上に置いた腕にすっかり顔を埋めてしまっている。女のような極端な起伏はないが、背中から腰、尻へのなだらかなラインはやっぱり色っぽい。男の欲望を受け入れるには頼りないような、肉の薄い腰と細い太腿に堪らなく興奮するようになったのは、藤真のせいだったと思う。
「藤真、入ったぞ」
 下腹部を撫でると、俺のものを含んだそこがぼこんと腫れているような気がした。
「あ、うぅっ…」
「気持ちいいか?」
「ぅ、ん……」
 自己満足みたいに問いかけて、ゆっくりと体を引いて、また奥まで収めて。様子を窺うように動作していたが、そう長いことは耐えられずに、明確にピストン運動をはじめる。
「はっ、あぅっ、あぁっ……!」
 体をぶつける音と、歓喜とも苦悶ともつかない呻き声の中に、確かな響きをもってそれは鼓膜を揺らした。
「あっんっ……き……まきっ……」
「っ!! 藤真……!」
 お前、俺のことを考えてるんだな! 援助交際なんて言いだしたのも、俺が牧に似すぎてるからだったってことだ。止めるなんてとうにできない状態だったが、いよいよ歯止めが効かなくなる。
「うぐっ!」
 思いきり深くまで穿ってのし掛かり、いじらしい体を縛るように抱きしめ、伏せられた藤真の顔に頬をすり寄せる。
「こっち向いて」
 いかにもためらうように、重々しく顔が上がると、強引にその顎を掴まえて唇を奪った。
「んっ、むぅ…」
 それからはもう、夢中だった。俺は自分の恋人を抱くつもりで高校生の藤真を抱いて、藤真はおそらく彼の世界の高校生の俺を想って鳴いた。
 窮屈で刺激的な感触に連れて行かれるように、俺は自分の終わりを察して、藤真の前をしきりに扱く。
「ひぁっ、ァっ…!」
「藤真、いくぞッ…」
「あ、んっ、まきっ…! あ、あァぁぁッ……!!」

「彼のこと、好きなのか?」
「えっ? 彼って?」
「牧ってやつのこと」
「んなっ、そんなんじゃないしっ!」
 幸せそうに紅潮していた藤真の頬から、一気に血の気が引いて蒼白になる。
「おじさん、やっぱり牧の知り合いなんじゃ……」
「さあ、どうかな」
「このこと、牧には言わないで」
「なら、もう援助交際なんて絶対にするんじゃない。そして、彼に気持ちを伝えてやるといい。そしたらきっと彼は、一生きみのこと離したくないって思うはずだから」