幻日 4

4.

 〝高校時代の神奈川バスケ繋がり〟というファジーな飲み会に牧が参加する気になったのは、花形も参加すると藤真から聞いたためだった。
 会の半ば、トイレに立った花形が出てくるのを待ち構えて店の外へと誘った。話があるとだけ言えば、花形は素直に付いてきた。
「変なことを訊くようだが……高校のとき、藤真のことをどう思ってたんだ?」
 花形は動じる様子もなく、すげなく言った。
「どうと言われても。藤真は俺たちの監督でキャプテンだった。信頼していたさ」
 牧は花形について、藤真の口から聞いてごく個人的な情報まで知っていたが、当の本人とはあまり接したことがなかった。そして残念ながら花形は人との距離感を測るタイプのようで、求めるものに辿り着くにはこちらから切り込むしかなさそうだ。
「藤真から、えらく親しくしてると聞いてた」
「副主将だったからな。クラスも三年間一緒だったし、家も比較的行き来しやすいところにあった」
「俺と藤真が一緒に住んでることについて、藤真からなんて聞いてるんだ」
 花形は疎ましげに眉をぴくりと動かし、牧は内心ほくそえむ。彼に嫌われたところでどうということもない。あまりない機会だろうから、引っ掛かっている点をなだらかにしてしまいたかった。
「ルームシェアの皮を被った同棲だと聞いている」
 藤真がストレートに打ち明けていたことへの驚きはあるものの、それきり口を噤んだ花形の言葉には物足りなさを感じた。聞かれたことに答えるだけの態度はおそらく話したくない意思表示で、柔のセンターと呼ばれてはいたが、今纏う雰囲気は柔らかいとは言えない。藤真の話に登場する限りはお人好しで優しい男のはずだったが、相手によるのだろう。
「それについて、なんか思ったりしないのか。藤真のことが心配とか」
「藤真が決めたことだ。俺が介入するところじゃない」
 花形がちらりと腕時計を見た。いつまで話を続けるのかと暗に言われているが無視する。
「藤真の意思がすべて?」
「そうだ。だからもしあいつが俺に助けを求めることがあれば、俺は喜んで受け入れる。お前と暮らしていようが関係ない。あいつの望むままに応じるつもりだ」
「助け?」
 牧は思い掛けず怪訝な顔になる。
「別にお前を悪いものだと思ってるわけじゃない。藤真は気難しいから、なにかの拍子に機嫌を悪くすることもあるかもしれない」
 それはその通りだと、牧も納得して頷く。
「……だからせいぜい、そうならないようにしてやってくれ。あいつは繊細そうに見えて図太いようでいて、結局繊細なんだ。強がりを言いながら誰より責任を感じてるような真面目なやつだ。言葉はあいつの武装で、口数が多いときほど弱ってる。……高校のときみたいに参るようなことは、もう起こらなければいいと思ってるが」
 口調こそ落ち着いているものの、花形の言葉に熱がこもったと感じた。彼が藤真の内面を語ることに対して嫉妬は生まれなかった。むしろ牧は安堵していた。
(愛されてたんだな、藤真……)
 大切なものが大切に守られてきたことを、純粋に嬉しく感じている。なぜだかじっとしていられないような気分で、花形に礼を述べたいくらいだったが、さすがにおかしいだろうから控える。
「お前ら、なにコソコソやってんだよ」
「藤真」
 花形は声色を柔らかくして闖入者の名を呼び、
「めざといな」
 牧はそれを敏感に察知しながら軽口を叩く。
「視野が広いって言ってくれ。で、二人でなにを」
「少し酔ったから涼んでた」
 花形は充分に涼しげな顔で言った。
「牧と二人で?」
「偶然会ったんだ。もう戻ろうと思ってた」
 そして牧と藤真を残し、そそくさと店の入り口に向かってしまう。
「おい、探しに来てやったオレを置いて行くな」
 藤真は花形のあとを追おうとするが、思い切り腕を引かれ、牧の胸に抱き込まれていた。いかにも不満を示すように眉を顰める。
「牧、そんなのは帰ってからにしろ」
 花形にこそ明かしているものの、牧との関係を他の者にみだりに話す気はないのだ。こんなところで堂々とくっつかれては困る。
「帰ったらお前、酔っ払ってるんじゃないか?」
「たまの機会なんだから、少しくらい酔ったっていいだろ」
「少しならな。やっぱり懐かしいやつらと会えたのは嬉しいか?」
 牧の行動と言葉とを突き合わせ、藤真は煙たそうな顔をする。
「お前さ、もしかしてまためんどくせーこと考えてる? 誰かとやってるかもとか」
 牧と花形という取り合わせには覚えがあった。そう昔の話でもない。しかし牧は首を横に振る。
「もうそんなことは思わない。今一番お前と一緒にいるのは俺だ。これからは俺が誰よりお前を愛していくんだ」
「……!?」
 藤真は一瞬言葉を忘れ、顔を真っ赤にして俯き、牧の肩口に額を押し付けた。
「お前こそ酔ってんだろ、いきなりうさんくさい言葉吐いて」
「うさんくさいか? まあ、そのうち信じてもらえたらいい」
 ちらりと盗み見た牧の表情は包み込むように優しい。聞き慣れない言葉が現れたきっかけも理由もわからないまま、感情だけが暴走して心臓を蹴飛ばしている。
「そのうちじゃねーだろ。どうにかしてすぐ信じさせろ」
 怒ったような口調で言いながら、ぎゅうぎゅう抱きついてはちらちら見上げてくるのが堪らなく愛らしくて、誰も来ないだろうとキスしてしまった。
「──なんか、戻る気しなくなったな。このままばっくれるか」
 少し前には久々の仲間との再会を喜んでいたはずなのに、すでにどうでもよくなったように言うものだから、牧は思わず笑ってしまった。
「ひどいやつだな」
「うるせー。待っててやるからこっから二人分の会費払ってきて、とっととお持ち帰りしやがれ」
 言いながら、自分の財布を牧に押し付ける。
「ああ、ちゃんと待ってろよ」
 店に戻って行く牧の後ろ姿を眺め、建物の壁に背中を向けて、ゆっくりその場にしゃがみ込む。
(引き止められて長引かなきゃいいけど)
 黙って待っているのは苦手だと昔から思っていた。
 大学に進み、環境が変わって、それは以前より緩和されたと思う。やはりあまり得意ではないし、時間の経過に対する感覚が鈍化したのだとすれば、喜ばしいとは思えなかったけれど。
「……」
 意外と星が見えるなと空を見上げたところで、すぐに黒い人影に遮られてしまった。
「お待たせ、帰ろうか」
 差し出された手を躊躇なく掴んで立ち上がる。
 道しるべは必要なかった。
 二人の日々は終わらない。

<了>

幻日 3

3.

 待ち合わせの駅は浴衣姿の人々で混み合っていた。違う場所を指定するべきだったかと辺りを見回すと、簡単に藤真の姿を見つけることができた。まず思い切り目が合って、こちらに向かって軽く手を挙げて見せた清爽な笑顔に意識を持っていかれ、人の波を乗り越えて近くまで行くと、改めてその姿に感嘆の声を上げた。
「藤真! 浴衣だな……!」
 そして藤真をちらちら見ながら話している女子二人組との間に割って入るように立ちはだかる。
「おう。花火大会デートだからな!」
 浴衣の袖を掴んで見せてくる、子供のような仕草がまた堪らない。ともすれば日本人離れして見える容貌だが、柔和な雰囲気に浴衣はよく似合っていた。青みの掛かったグレーに縞の入った浴衣は女子のそれのような華やかな印象ではないが、涼しげで艶やかだ。
「浴衣着てくるんなら、教えてくれてたらよかったじゃないか」
 一方の牧はといえば、そんな発想にも至らず、ラフなシャツにハーフパンツというごく普通の出で立ちで来てしまった。
「浴衣持ってるのか?」
「いや、ない」
「だろ。うちは家族全員分あるからさ。でも着る機会ってほとんどなくて。……とりあえず歩こうぜ。ここ人が多すぎ」
「ああ」
 歩きながら、藤真が嬉しそうに右手を見せてくる。
「指輪してきたぜ。左だとなんか慣れなくて右手にしたけど」
 牧は面食らった。藤真のことだから、思わせぶりにしてなかなかつけてくれないのではないかと思っていたし、相手がいるアピールのためならば、二人一緒にいる今指輪をつける必要はないはずだった。慌ててポケットから揃いの指輪を取り出し、自らの左手に嵌める。
「お、俺もあるぞ……!」
「おいっ! 今しただろ!」
「俺だけしててお前がしてなかったら悲しいからな」
「オレを信じろよな、まったく。……お前だけ指輪してて、オレがしてない状態だと、不倫みたいに見えるのかな。男同士だから見えないか」
「不倫……」
 牧は眉根を寄せる。むしろ男同士のこの取り合わせはどう見えるのだろうか。かたやサラリーマンにも間違えられる風貌で、かたや浴衣姿の美少年。指輪の問題ではない気もする。
 そんな恋人の様子を気にも留めず、藤真は指輪を嵌めた互いの手を近づけて眺め、満足げに微笑した。
「すげえ。カップルみたい」
「カップルだぞ」
 牧は咄嗟に口から飛び出した自らの言葉に赤面する。夜にばかり会っていた時期もあるし、ラブホテルにも行った。大人びた玩具で遊んだこともある。やることはやってきたはずなのに、ひどく初々しい響きに、なぜだか狼狽えてしまう。藤真は小さく笑った。
「ふ。そうだね」
 日ごろこの駅を利用しない人々の目指す先は皆同じで、二人もそのぽつぽつとした列に混ざって歩いて行く。人が多いといっても有名かつ混雑する部類の花火大会の比ではなく、近くを歩く人との間隔が充分に取れる程度のものだ。
「有名なとこの花火も昔行ったけど、人がすごすぎて疲れて、もういいやってなったな。もっとばらければいいのにって。このくらいならいいな」
「やっぱり評判いいところに行きたいんじゃないか? 頻繁に行くもんでもないだろうし」
「まあ、わかんなくはないけど」
 子供の時分には、花火が見たくて花火大会に行くのだと思っていた。しかし今は、それだけではないと知っている。手を繋ぎ、あるいは暑い中でも身を寄せて歩くカップルたちの目的は、二人での体験や共に過ごす時間であるはずだ。もう二度とは訪れない、高校生活最後の夏休み、牧を誘った理由もそんなものだった。
「……藤真」
「なに?」
「手を、繋いでもいいだろうか」
 ぎこちない声色に藤真は盛大に吹き出し、自分から牧の手を握った。
「……!! い、いいのか?」
「やりたい放題ヤってるくせに、なんでいきなり童貞みたいになるんだよ」
「いや、やっぱり外だとお前は嫌だろうかと……」
 しっかりと指を絡めて握った手の甲を、牧の指が確かめるように撫でてくるのがくすぐったくて愛しい。
「状況によるけど、今は暗いしなんとなく平気かな。そう他人のこと見てないだろうし、麻痺してんのかもしれないけど、見られたって慣れてるし」
「赤の他人じゃなくて、お前を知ってるやつがいたら?」
 藤真の返答に納得しなかったわけではない。さして深い意味のない会話のつもりだった。
「それもまあ別に……オレは〝海南の牧のオンナ〟だからな」
「? どういう意味だ?」
「オレがお前と付き合ってる、ヤってるってのは昔つまんねーネタとしてよく言われてたことで、今更花火大会で見たくらいの話じゃ大して盛り上がんないと思う」
 牧は絶句する。
「俺はそんな話、聞いたことなかったぞ」
「誰もお前に喧嘩なんて売りたくないだろ」
 手を握る牧の力が強くなった。余計なことを言ってしまったと、藤真は自分に溜め息をつく。
「俺のせいか?」
「違うよ」
 牧が他校生にしては親しげにしてきたのは事実だが、そんな相手は他にもいるし、品のない揶揄の数々はその現場を目撃されて生まれたものでもない。
「一年でレギュラー獲ったときは監督とヤってる説あったし、オレのことがむかつくだけなんだろ」
 把握している事実を語っただけのつもりではあるが、牧は渋い顔になってしまった。覗き込んで笑い掛け、明るい声を作る。
「昔のことだから、もうそんなやつらはオレの周りにはいないからな。お前のほうこそ知り合いに目撃されてるかもよ」
「俺は別に構わない。むしろ見せびらかしたいくらいだ」
「見せびらかすってなんだよ、自慢げかよ」
 藤真は可笑しそうに笑うが、対する牧はさも不思議そうな顔をする。
「ああ、自慢したいぞ? お前は最高だからな」
「えー、なんか褒め方が雑じゃねえ? なんだよ最高って」
 不満げに唇を尖らせる、そんな些細な表情も含めてのことだ。
「仕方ないだろう、いいと思うところがたくさんあるんだ。帰ったらひとつずつ教えてやろうか」
「帰ったらって、完全にエロいことじゃねーか!」
「それはどうかな」
 話しながら歩いているうちに会場に到着し、二人は適当な場所を見つけて腰を下ろした。
「はー」
「疲れたか?」
 藤真がこの程度で疲れるわけもないのだが、咄嗟にそんな言葉が出てしまった。
「そうでもないけど。下駄なんて履いてこなくてよかった」
 藤真の履き物は底の平らなビーチサンダルだった。しかしそれよりも、普段と同じように脚を開いて座るせいで、裾がはだけているほうが気になった。
「藤真、いつもと違うの着てるんだから気を遣え」
「えー?」
 大真面目な顔で窘められると面白くなって、わざとがばりと脚を開く。
「おいっ」
 浴衣を着た男が胡座をかく絵面は通常はおかしいものではないが、今の藤真の様相は少し違っていた。どうもあまりしっかり着付けられていなかった様子の浴衣は、簡単に裾が割れてしまい、牧の角度から太腿の内側が覗けるほどだった。牧は裾を合わせようとするが、藤真は意地悪い顔で笑うだけだ。
「別に、オレの脚とかパンツとか見て喜ぶのなんてお前くらいじゃん?」
「そんなわけないだろうっ」
 過去に投げ掛けられたらしい下卑た言葉を、藤真は単純な揶揄としか捉えていないのだろうか。牧にはそうは思えなかった。そしてパンツと言われたせいだろうが、ふと藤真の下着の端が目に入る。グレーのボクサーパンツだ。
「……ん?」
 既視感のある風情に、まだ閉じていた裾の上のほうまで思わずめくって凝視してしまう。
「これ、俺がやったやつか?」
「そうだよ。この時点で気づくとはさすがパンツにこだわる男。穿き心地いいなこれ」
 取るに足らない雑談だったが、牧の愛用している下着は穿き心地がいいとか、いやそんなに変わらないだろうとか言い合って、未着用のものを強引に押し付けられたのだった。
「なんだ、言ってくれたらもっとプレゼントしたのに」
 そう言われると思ったので今まで口にしたことはなかったし、牧に会うときに穿いてきたこともなかった。
「なんでそうなるんだよ。パンツくらい自分で買うっつーの」
 牧はこちらに物を買い与えようとする傾向がある。飲み物や菓子類くらいなら気にしないが、形の残るものとなると気が引けた。親類が過剰に小遣いやお年玉を寄越すので貯まって使い道がないのだと言うが、それならば牧のために貯めておくべきだろうと藤真は常々思っていた。
「今ちょっと涼しいバージョンが出てるぞ」
「涼しいパンツって腹冷えそうじゃね?」
 無理矢理渡したものではあるが、使ってもらえているとは嬉しいことだ。牧は上機嫌で藤真の股ぐらを眺めている。今の状況をすっかり忘れているようだ。
「あのさー、脚出して座ってるより、こんなとこで男のパンツ覗いてるやつのほうがよっぽどやばいと思うんだけど」
「!! そ、そうだな」
 牧は慌てて藤真の裾を直し、誰にともなく居住まいを正した。

 ほどなくして花火が始まった。口笛のような音、破裂の音に続いて光の花弁が視野一面を埋め尽くす。まるで伸びた火の粉がこちらへ向かってくるようで、手を伸ばせば届きそうだ。自然とどよめきのような歓声が沸き起こり、藤真も感心した様子で呟く。
「へー。結構すげーな」
 赤、青、緑など、様々な色の花が咲くと、それに照らされ浮かび上がる藤真の横顔もとりどりに染まる。穏やかな表情が微かに憂いを帯びているように見えるのは、浴衣の与える印象なのだろうか。牧の視線は花火より藤真のほうへ向いてしまっていた。
「オレ、ちゃんと花火見たの久々かも」
「そうなのか?」
「しょっちゅうやってるだろ。だから、ああまたやってるなーって流す感じになって」
 周囲に弱い照明があるため、夜とはいえ視覚はある程度確保されていて、大きく隙間のできた藤真の衿元から、白い胸が覗いて見えた。裾ばかり気にしているうち、衿の合わせが緩んでしまったようだ。
 体育や部活の着替えの際に男の肌に興味を示したことはないし、その状況ならばおそらく相手が藤真でも平然としていられると思う。しかし今は何かが違っていて、非常に不埒な気分でそこに目を惹かれてしまう。胸から視線を逸らせば白い脚が露わになっていて、落ち着くところがない。
 空には菊や牡丹が花を開いては消え、光の滝が流れ、あるいは柳のように垂れる。
 打ち上げの音と歓声を聞けばそちらを見遣り、また藤真の顔を見て、胸と脚を盗み見て、我慢できなくなって裾を直し。花火大会とはこんなにせわしないものだったろうか。
 短い破裂音とともに、次々に花火が打ち上がる。それらは花というより光の柱となって、暗灰色の夜空を、そして目を瞠る二人の横顔を明るく照らす。盛大で華やかなスターマインに終わりを感じながら、ふと隣を見ると互いに目が合って、二人のどちらともなく顔を寄せて唇を重ねていた。まだ続く炸裂の音に耳を塞がれ、瞑った目に感じる光は強くはなかった。ただ互いの感触に沈むように、辺りが静かになるまでそうしていた。
「……終わりかな。よかったなー、花火!」
「ああ、そうだな……」
 ゆうに半分以上は藤真のなにかしらを見ていたような気もするが、花火も見ていたのだから同意の言葉も嘘ではないだろう。帰路に就きはじめる周囲に倣って立ち上がると、牧は藤真の姿を認めて苦笑した。
「浴衣がガバガバになってるぞ。直していったほうがいい」
 花火の最中に覗いていた通り、胸元が大きく開き、裾も斜めに乱れてしまっている。
「ほんとだ。牧がやたら裾引っ張ったから」
「俺は直してやったんだ」
 裾や衿を引いたところでどうにもならないようだったので、一からやり直したほうがよいだろうと、道の端に寄り、人の歩く側に背を向けて帯をほどいた。
「……」
「どうした?」
「これさ、閉じる向きで死人になるんだよな。どっちだっけ」
「今までどっちだったんだ?」
「覚えてない」
 なんで覚えてないんだと呆れたものの、言われてみれば牧にもどちらだったか思い出せない。
「右前とか言わないか?」
「前ってなんだよ」
「前は前だろう」
「右が上ってこと?」
 言い合いながらもたついていると、背後から藤真の肩を叩くものがあった。
「ちょっとあなた、大丈夫?」
 着物のようにきっちりと浴衣を着た年上の女性だった。藤真の知り合いではなく、牧も知らないようだ。
「浴衣、着られなくなったんじゃないの?」
「あ、ええ、その通りで……」
 いたたまれない様子で言ったのは牧のほうだった。夫婦なのか、連れらしき男性が二歩ほど離れた場所で待っている。
「ちょっと貸してね」
 言うと夫人はてきぱきと藤真に浴衣を着せつけ、旅館の寝起きのようなだらしない姿から、見違えるような艶姿に生まれ変わらせた。
「おお、綺麗になったな藤真!」
「ラクに着るのも悪くはないけど、あんまりだらしないのはね」
「ありがとうございます!」
 体育会系の二人の声を揃えた折り目正しい挨拶と、特に浴衣の少年の爽やかな微笑に、夫人は思わず扇子で口元を覆った。
「あらあらいいのよ、そんな」
「おい、そろそろ……」
 連れの男からすれば面白くないことだろう。少しばかり申し訳ない気持ちになりつつ、気をつけてねと言って去っていった夫人に二人で会釈をした。
 少し歩くと同じ夫人がまた浴衣姿の、今度は女子をなにやら助けている。
「……着付けの先生とかなのかな」
「そうかもな」
「でもピシっとしたから、食事寄っても恥ずかしくないな!」
「そうだな。最初よりちゃんとしてるんじゃないか?」
「でー、軽く食べて帰って、シャワー浴びて、セックスする!」
「それは言わなくていいだろう」
「しないのかよ?」
「しないわけないだろう!」
 むきになったように声を上げてしまい、一気に顔が熱くなった。即座に藤真の手が頬に触れて、にやりと意地の悪い笑みが覗き込んでくる。
「暑いなー、牧?」
「ああ、お前の手は気持ちいいな」
 頬に触れた手に自分の手を重ね、そこから外して下ろしたあともそのまま握っていた。

 部屋に帰り着くや、牧はいそいそとバスルームへ向かおうとする藤真の手首を掴まえた。
「そのままでしたい」
「ええ? 結構汗かいたけど」
「気にしない」
 腰に腕を回して見下ろすと、再び緩み始めた衿元から覗く平らな胸元がやはり魅力的だ。
「浴衣のままがいいって?」
「浴衣デートの醍醐味じゃないか」
「エロいの見すぎなんじゃねーの。……お前がいいなら、オレは別にいいけど」

 弱い明かりの中、ベッドのヘッドボードに背中を預けるしどけない和装の姿は、頼りなさげで儚いものに見えた。首筋も、布の合わせから覗く胸元も脚も、見慣れたものでありながらひどく艶やかで新鮮な印象だ。
 牧はそそくさと衣服を脱ぎ捨てると藤真の隣に寄り添い、唇に軽いキスを何度も繰り返しながら胸に手を滑らせる。一度汗をかいた肌は乾いた手のひらに吸い付くような感触を与え、外の熱気を思い出させるようだった。
 浴衣の中に褐色の手が潜り込んで蠢く光景はひどく背徳的で、常とは趣の異なる興奮を牧に与える。心臓をざわめかせ、股間を疼かせながら小さな突起に触れると、藤真は淡く息を吐き、もぞりと身を捩りながら膝を立てた。褐色の手は浴衣の裾の切れ目を開き、露わにした白い脚を、膝から太腿へと撫で上げる。藤真は長い睫毛を伏せて牧にしなだれ、すっかり身を委ねている。普段は行為に対して積極的なほうだが、彼もまたいつもとは違う気分になっているようだ。
 緩く握った手指を控えめに飾るリングは牧が贈ったもので、今指先が触れたこの下着も同様だ。いつも至るところで意地を張るのに、今日の藤真はひどくしおらしく可愛らしい。
 思えば海に行った日も至って素直で、スキンシップにも積極的に応えてくれた。場所柄開放的になったせいだと思っていたが、真意はわからない。
 その翌日、一人きりになった部屋で、おかしいくらいに絶望的な気分になったことを今でも思い出せる。
 最後の花火が終わったあとの、形容しがたい寂寥感が不意に蘇った。
「藤真……」
 美しい思い出はまだ要らない。
 ずっと燻っていた言葉が口から零れていた。
「高校出たら、一緒に住まないか?」
「……えっ!?」
 藤真は驚きと疑問の入り混じった声を上げる。しっとりとした気分も一瞬で失せ、思考が混沌として、牧の言葉の意味はわかるようで理解できていない。
「ごめん、もう一度言ってくれ」
「東京の大学に進んで、一人暮らしするつもりだって言ってただろう。なら、一緒に住まないか?」
 以前そんな話をしたとき、牧は海南大ではなく東京の深体大に進む予定であること、そうなれば東京に引っ越すだろうということも聞いていた。そして二人とも一つのシンプルな可能性を意識しながら、そこには頑なに触れずにきたのだった──つい、今しがたまでは。
 さすがに聞き違う余地はなく、意味もしっかり理解できる。しかしどうしても指摘したいことがあった。
「お前、ムードとかタイミングとか考えないのかよ……」
 本来なら告げられた内容に対して反応するところだろうが、状況に対する話題の飛躍のインパクトが強すぎる。
「この前、指輪渡したときに言おうかと思ってたんだ」
「そうだよ! それならわかる。なんで言わなかったんだよ」
 不満げに、今まで申し出がなかったことを咎めるかのように、とは果たして牧は気づかない。
「指輪渡しただけで緊張したし、途端に怖くなってだな……」
「牧でも怖いとか思うことあるんだ?」
 意外そうな目を向けてくる藤真に、牧は苦笑しながら頷いた。
「そりゃああるさ。いくらでもある。……あれからずっと考えてた。進路が確定するまで引っ張ろうかとも思ったんだが、お前のこと絶対手放したくないって、今、咄嗟に思って」
 ときに視線を横に逸らし、照れた様子も見せながら、浴衣の衿に突っ込んだままになっていた手の指を動かし、薄い皮膚の感触を探る。
「返事は、すぐにはできないか?」
「お前、だから……なんなんだよこの状況は……」
 少し硬い指は撫でるどころでなく敏感なところを摘み上げていて、落ち着いて考えられる状況などではない。
「お前の返事を聞きたいが、早くやりたいって状況だ」
 硬くなった突起を指先で潰し、しきりに捏ね回す。
「ぁんっ…、もうっ! いいよ、一緒に住んでやる! それまでに破局してなかったらな!」
 軽口のような調子だが、自棄ではなかった。口には出さなかったものの、藤真も想像しなかったことではないのだ。牧がそうしたいと言うなら、断る理由はなかった。
「本当か……! よかった、もちろん破局なんてさせない」
 しっかりと藤真の体を抱き締め、真摯な口調で言ったかと思えば、手は下肢に伸びて太腿をまさぐっている。
「あ、んっ…!」
(忙しいやつ……)
 慌ただしく決まった少しだけ先の未来について浸るより、肉体は即物的な刺激を欲しているようだ。互いに同じことではあった。
「藤真……! 嬉しいぞ、俺は……!」
 牧は静かに、しかし力強く呟くと、白い太腿の覗く浴衣の裾に頭を突っ込み、藤真の下着をずり下ろして半勃ちの性器を口に含んだ。
「っ…!」
 柔らかく可愛らしい感触はすぐに失せ、それは体積を増し、頭をもたげて牧の口腔内で存在を主張する。相手が男であることを明確に示されながらも、藤真の欲求をストレートに示すそれが愛しくて堪らず、夢中で舌を這わせ舐めずった。
「んっ、あぁっ、うンっ…」
 こらえるような細い声を漏らしながら、腰は更なる快楽を求めるように浮いて、頭を挟み込んだ太腿の内側はしきりにぴくぴくと痙攣している。牧はいじらしい反応を悦んで意気揚々と口淫に耽り、ときおり顔を離してはその姿を眺めた。ふしだらに浴衣を乱した麗人の白い体の中心に、血肉を感じさせる色の欲望の象徴がそそり立っている。美しいとは言いがたいであろうその姿に、しかし心は躍り、惹かれてやまない。
(藤真、お前も俺と同じなんだよな……?)
 ときにつれないことを言ったとて、他人にみだりに見せない場所を晒し、触れることを許し、そしてことの続きを待ちわびているのだ。自らの下半身の一点にひときわの熱が集まったと感じ、思わず喉が鳴った。
 上体を伸ばして唇を求めると、藤真も応えるように顔を傾けてくれた。見た目には特に小さいとも薄いとも思わない形のよい唇だが、重ねた感触は儚げで、牧はその全体を包むかのように吸い付き、味わうように舌を這わせた。
「んっ、む……」
 食物を摂取する器官を密着させ、呼気を、唾液を混ぜ合わせながら粘膜を撫で回される。強く求められ、喰らわれる感覚に陥りながらも、性器への直接的な刺激が止んだせいか、藤真の頭の底にはどこか落ち着いた思惟が漂っていた。
(卒業したら、牧と一緒に……)
 力強い腕が、熱い体温が、筋肉の弾力が体を包む。そんな日々が刹那の戯れ、あるいは逃避などではなく日常になる。一体いつまで続く関係なのか──飽きられるか、互いに都合が悪くなるか、卒業とともに消滅するのかと、とりとめもなく頭に浮かべてきた可能性がひとまず消えた。
(日常……)
 何の変哲もない言葉がひどく漠然としたものに感じられ、地に足がつかないような、覚束ない感覚に襲われる。
「はっ、んっ……!」
 冷たく濡れた感触が柔らかな窄まりを撫でた。驚き収縮した粘膜は潤滑剤を絡めた指を簡単に呑み込んで、藤真の意識も目前の行為に引き戻される。
 牧は丁寧に内部を探り、拡げていきながら、空いている手で藤真の一方の太腿を持ち上げた。浴衣の裾から伸びる白い脚と、指を呑み込む陰部とに目を細める。
「ああ、いいな、いい……」
「なに、鑑賞?」
「ああ……素敵だ。浴衣……」
 牧は嬉しそうに言って唇に控えめな笑みを乗せる。藤真は満足げに目を細め、内部を撫でる指の感触に低く喘ぎながら天井を仰いだ。
(牧って、やっぱりかわいい)
 今のような関係としてではないが、その存在は初対面のときから強く意識していた。そのうち純粋に、純朴に──包み隠さず示された好意の数々に、初めは優越感を抱いていたものの、いつの間にかそれだけではなくなっていた。自分もそれに応えたいし伝えたいのだと察するまでに、そう時間は掛からなかった。
「あぅっ、あぁっ…んっ、牧…っ」
 秘所は三本もの指を呑み込んで、感じる場所を刺激されるたびに大きく収縮して淫猥な音を立てる。しばらく鑑賞していたいと思っていたはずが、求めるように名前を呼ばれると耐えられず、牧は藤真の耳に顔を寄せた。
「上になってくれるか? お前の姿がよく見えるように」
 低い声が、湿った息が敏感な耳元を撫でる。舌で耳のふちをなぞられ食まれると、ざわりと全身が総毛立ち、血が沸騰するようだった。
「ふ……いいよ」
 藤真は微笑し、二人の位置を入れ替えるために体を横にずらす。牧は猛る性器を自らの手で上下に撫でながらベッドに仰向けになった。濡らしているのだろうが、いかにも待ち構えるようでなんとも卑猥な動作だ。牧の腰の上に跨り、自ら腰を摺り寄せそれを体内に導いていく。
「あぁ……」
 色も高さも違う二人の声が同じ音で重なって、思わず顔を見合わせて笑った。
「っん…ふっ……」
 男の目で見ても圧倒されるサイズの男根は、充分に慣らされた体でもそう容易く受け容れきれるものではない。ゆっくりと腰を落とし、味わうように咥え込んでいく。
「あぁ、あっ……」
 臀部が牧の体に触れるまで挿入し、深く息を吐く。牧はその腰を両手で掴まえ、下に──自らの腰に強く押し付けた。
「ぅあっ!」
 限界と思ったところから更に深くを突かれ、声が押し出されるように漏れた。褐色の手は柔らかな太腿を愛しげに撫で上げながら、落ちてくる浴衣の裾をすっかり左右に開いて藤真の下半身を露わにする。
「力抜いて、体重掛けていいぞ」
「う、うん……」
 優しいようで、非情な要求だった。脚の力を抜くと牧の先端部が体の最奥を撫でるが、ともすればそこを突き抜けて更に奥を暴かれてしまいそうな、非常に落ち着かない感覚に襲われる。しかし不安だけでなく興味も期待も綯い交ぜになっているから、恐る恐るも従ってしまう。二人での初めてのことについては、いつだってそうだった気がする。
「ぅ、あぁ……」
 白い太腿に爪を立てる藤真の両の手を、大きな褐色の手が包み、交互に指を組み合わせてしっかり握る。藤真の右手と牧の左手に、揃いの銀の光が小さく煌めいた。
「藤真……」
 藤真は俯いたまま、視線だけを向ける。
「これからも、よろしく」
 ふっ、と小さく吹き出したが、返答までに沈黙はなかった。
「とりあえず大学の四年間はな」
「ああ……」
 藤真の設定する条件や期限そのものに、さほど深い意味はない。限られた機会で少しずつ察してきたことだが、意地を張る性質であることと──信じて裏切られることを怖れているのかもしれない、だからあらかじめ終点を想定するのではないか。牧はそう感じていた。
 そんな不安もいずれ払拭してやれるだろうかと思いながら、指を絡めたままの藤真の右手を引き寄せ、白く滑らかな甲にキスをした。

 ベッドを激しく軋ませながら、褐色の腹が一定の調子で波打ち、申し訳程度に布を纏った白く細い肢体がしきりにその上を跳ねる。
「んくっ、んっ、あぐっ、あぁっ…」
 握り合ったままの両の手と穿たれた器官とで体重の多くを支える深い結合に、苦しげに喘ぐ声は確かな快楽の色に染まっていた。
 溺れるような行為だった。ただでさえ湿った空気に熱い呼気が混ざり、空調の涼しさはもはや感じない。二人の体の内も外もじっとり濡れて、まるで離れたがらないように張り付き、二つの身体の間で湿気と粘性を帯びた音を止めどなく立てている。
「ふじま……いいのか?」
「ぅぐっ、んぁっ…んっ…」
「なあっ…気持ちいいか?」
 臓腑を揺さぶられ体内を掻き乱される荒々しい快楽の中、優しい問い掛けにも厳しい詰問にも聞こえるそれに、どうにか声を絞り出す。
「ぁんっ、いっ……はぁっ…まきっ…いいっ……」
「そうか……俺もだ」
 安心したように白い歯を見せた、口元は穏やかだが穿つものは相変わらず傲慢で、それでいて手指はしっかりと藤真の体を支えている。そのどれもが牧の本質だった。

幻日 2

2.

「海に行きたい」
 来たる八月十五日、盆休みの只中の藤真の誕生日は、運よく二人とも丸一日時間を使える日だった。どうして過ごそうかという話し合いのうち、藤真の口から出た言葉に、牧は意外だと言わんばかりに目を瞬く。
「海とか、あんまり興味ないのかと思ってたな」
「そんなこと言ったっけ? なんかさ、誕生日っぽさは別にいいから、夏休みっぽいことしたいなって。でも牧には特別感ないよな」
 じゃあ却下かなと再び頬杖をついた藤真に、牧は首を横に振った。
「いいんじゃないか? 俺もここしばらくは行けてないし、ボード無しならなおさらだ」
「そうか! じゃあ決まりだな。持ち物リストを作ろうぜ」
 輝くような笑みを浮かべた藤真に、釣られて牧も笑顔になる。考えてみれば、去年の藤真は夏休みを楽しむような気分ではなかったかもしれない。今更掘り返す気もしなかったが、それを思えば『夏休みっぽいこと』というリクエストももっともに思えた。
「……なにが必要なのかよくわかんねーからお前が作れよ」
 早々に音を上げて紙とペンを押し付けてきた恋人が心底可愛らしい、穏やかな夏の日だ。

 気の遠くなるようなひたすらの青に、細く掠れた雲が塗り残しのように白く残っている。八月の陽射しも陸の上で浴びるほど暴力的ではなかったが、体を包む黄色に反射して、目が痛いほどに世界が明るく見えた。
 水の音は穏やかで、潮のにおいに微かに甘い香りが混ざっている。濡れた体に太陽の暖かさと揺れが心地よく、藤真は長い睫毛に烟る瞳を細めた。
 大人一人が寝られる程度のマット型の黄色いフロートの上に寝そべって、藤真は海に浮かんでいた。自称・保護者枠として傍らに牧がついている。牧が立って肩が少し水面に出る程度の場所で、浜にはいくらでも見える家族連れやカップルは付近にはいない。
 淡い髪の輪郭と睫毛の先が日影に金色に透けている。花の上の蝶が羽根を動かすような、ゆっくりとしたまばたきの動作を──その横顔を、いつまででも眺めていられる気がしながらも、牧は声を発した。
「眠いのか?」
 ぱち、ぱち、瞬きのリズムが明確に変わり、色素の薄い瞳がこちらを向いた。
 もう随分と見慣れた容姿のはずだが、些細な動作の一つ一つに密かにどきりとしてしまうのが我がことながら滑稽だった。今日は全てが輝いている。
「ううん? ……気持ちよくて。牧はそうしてて飽きないか?」
 牧のほうに顔を向けると、逆光のせいでいつもより黒く見える相手から、ココナッツの甘い香りが漂ってくる。彼の体に塗ったサンオイルのもので、「サーファーのにおいだ!」と言って浜でひとしきりはしゃいだものだった。
「全然飽きないな」
 藤真はふと、海に入る前に話していたことを思い出す。
「実際、保護者には見えないよな? いくらなんでも」
 初対面に近いときこそインパクトはあったが、もうすっかり見慣れてしまって、牧が客観的に何歳程度に見えるものなのかいまいちわからなかった。ただ、自分と比べれば随分年上に見えるであろうことは想像できる。
「仮にお前を十六として、俺が三十四なら無くもないんじゃないか?」
 十八歳になった当日には無粋な仮定だが、牧ばかりでなく藤真もまた年齢不詳だった。中性的な顔立ちは幼いと見られることもあったし、着るものによっては性別も間違われるくらいで、それでいて一般的には長身の部類であるため、やはり不詳とするのがしっくりくるように牧には思えた。
「あー、意外とあるな。チャラくて若い感じの三十四な。でも年の差があったって親子には見えないだろ。色とか違うし」
「だからまあ、保護者だな」
 言ってから、無性に不安になってきた。
「俺、悪いやつに見えてないだろうか」
「なんだよそれ」
 藤真は呑気に笑ったが、牧は至って神妙な面持ちだ。
「いや、割と恐がられることがあるから、お前なんて連れてたら」
「なに? 買春とか?」
「!!!」
「大丈夫だろ、昼間に堂々と海に遊びに来てんだから」
 実情は知らないものの、藤真のイメージするその関係は夜に人目を憚って食事やホテルに行くようなものだったから、ごく軽い調子で言った。
 しかし牧は非常にショックを受けていた。自分たちがどう見えるかという話ではない。藤真の意思にかかわらず、彼にならば金を出したい人間などいくらでもいるだろう。気づいてしまうと、とても落ち着いてはいられなかった。
「なんなんだよ、急にめちゃくちゃ心配そうな顔して。そんなん気にしてたら二人でどこも行けないだろ」
 牧は鬼気迫る表情で藤真を見据える。藤真は仰向けの体勢から、思わず肘をついて上体を起こしかけた。
「藤真は俺のだ」
 牧は言い放つと、身を乗り出して藤真を抱き締める。体がぐらりと後ろに傾いた。
「うおいっ!?」
 ──バシャン!
 鋭い水音とともに、塞がった耳元がごぼごぼ音を立てる。薄ら青い視界の中で、藤真は咄嗟に腕をばたつかせて水面に浮上し、ぶはっと思い切り息を吐いた。
「お前っ! いきなりなにすんだ!」
「すまん、落ちるとは思わなかった」
「はあ!? 普通落ちるだろ!」
「いや……」
 牧の様子を見るに、どうも本当に落とす気ではなかったようだ。少し考えてみると、なんとも面白くない想像に辿り着く。
「サーファーだったらあのくらいバランス取って耐えれるって?」
「いや……どうなんだろうな。こういうものは俺も扱い慣れてないんだ」
 牧は決まり悪そうにフロートマットを示した。
「まあ、海に来てるんだから水に落ちたっていいじゃないか」
「そうなんだけどさ。……てか、オレって牧のだったのか?」
「駄目か?」
 藤真を多情だと思うわけではない。しかし基本的に人目を引いて好意を抱かれやすい容姿をしているのだから、心配するくらいは許してほしいと思う。
「オレはオレのだ」
 牧が唐突にそれを言い出した理由は藤真にはよくわからなかったが、とりあえず権利は主張しておく。
「そうか、それはそうだな。じゃあ二番目を俺にしてくれ」
「えー。オレ今家族に養われてる身だし」
「じゃあお父さんとお母さんとお姉さんの次でいいぞ。他に家族はいないか?」
 藤真は牧の顔をじっと見つめて瞳を光らせた。
「お前、きっと疲れてるから変なこと言い出すんだ。今度はお前がこれに乗れよ」
 言いながらフロートを押し付けてくる。嫌な予感がするが、従うしかないだろう。
 黄色いフロートの上に仰向けになり、不安げな瞳を向けてくる牧に、藤真は満足げに笑う。
「やっぱ色黒いほうが海似合うよなー。ちょうどエロい感じにテカってるし」
「オイルのせいだろう」
 そうしてにこにことして牧を眺めていたかと思えば
「えいっ!」
 ──バシャーン!
 フロートの片側を下から思い切り押し上げて転覆させ、牧を海に投げ出した。
「ゲホッ!」
 想像できていた展開ではあったが、ちょうど話そうとしたところだったので、口に水が入ってしまった。藤真はこちらに目もくれず、フロートもそこに置き去りのまま、沖のほうへ泳いで行ってしまう。
「……ふ」
 一人取り残されて、なぜだか笑ってしまった。こうして子供のように戯れること自体も楽しいのかもしれなかったが、おそらく相手が藤真だからだ。

 悠々と泳ぎながら後ろを振り返ると、黄色のフロートが凄まじい速さでこちらに近づいてくる。実際には、それを牽引しながら泳ぐ牧だ。
「えっ……」
 戸惑いながらしばし泳いだが、すぐに追いつかれてしまった。
「それ持って追いつくのかよ。こわっ」
「あんまり沖のほうに行くんじゃない。帰るのが大変になるぞ」
「はーい」
 もう底に足が付かない深さだ。藤真は体を休めるようにフロートにしがみつく。向こう側にいる牧も同じようにした。長方形のフロートの短辺を挟んで、二人が互い違いに向き合う格好だ。
「この辺、全然人いないな」
 牧の言った通り、ある程度泳げないと戻るのが困難になる場所のせいで、女性や子供がおらず、よってその付き添いもいない。藤真は特別に泳ぎが得意というわけではなかったが、運動神経と体力があるため、人並み以上には泳ぐことができた。
「これ、二人で寝れる大きさがあるとよかったのにな」
 藤真は黄色いフロートを見つめて言った。海の家でレンタルしていたものだが、今使っている一人用の他は随分と大掛かりなサイズのものしか置いていなかったのだ。
「もう借りられちまったのかもしれないな。そんなに数置いてないだろうし。……いや、二人並んで寝るのは無理だが、重なった状態なら乗れるぞ」
 口元にいやらしい笑みを浮かべた牧に、藤真はあからさまに嫌な顔を作る。
「オレ、お前と合体した状態で溺れて救助されるとか、死ぬしかないんだけど」
「公共の海で合体なんてするわけないだろう」
「でも重なって寝たらするだろ、お前は」
「……するだろうな」
 ふふっと声を漏らして楽しそうに笑った牧に目を据わらせて、海中でその下半身へ脚を伸ばして探り、見つけてしまった硬い感触に藤真はますます顔を険しくした。
「お前さあ」
「触らないでくれ。収まるものも収まらなくなる」
「……そうだね」
「そう嫌がるな。カップルでいたら普通なるだろう」
「カップル……まあね」
 外見に年の差があるように見えようが、バスケットのライバル校に所属していようが、男同士だろうが、二人の関係がそうであることは間違いなかった。むしろベッドの上でならば、牧の素直で大袈裟な反応は喜ばしいものなのだが──藤真は首を横に振った。余計なことを考えると、牧のことを言えない状態になってしまいそうだ。
「……これさー、さっきから回ってないか?」
 二人の凭れ掛かっているフロートのことだ。藤真は脚で水を掻いて、彼に対して前方に進もうとする。向かい側にいる牧も同じようにすると、二人の進みたい方向が逆なものだから、フロートの中心を軸にして水の上でぐるりと回転してしまうのだ。
「回ってるな」
 二人して一生懸命脚をばたつかせ、ぐるぐるとその場で回るうち、不意に藤真が吹き出した。
「ふっ……なんだこりゃ」
「新しい海の遊び」
 水の中での運動は想像以上に体力を使うようで、藤真はほどなくして動作をやめてフロートに抱きついた。はあ、と大きく一息吐いて、海と空と太陽と、眩しいのか目を細めている牧とを順に視認していく。
「たのしー。……?」
 自分で呟いた言葉に、藤真は自ら疑問符を付けた。
「どうした?」
「なんかさ、これに掴まって浮いてたくらいで、すげー面白いことがあったわけじゃないと思うんだけど」
 胸がむずむずする。牧も同じ気持ちでいるだろうかと、唐突に不安になって言葉を切った。視線を落とした黄色の上を、褐色の手が這って、白い手指を捕まえる。交互に指を組み合わせてみてもマーブルのように異なる色が並ぶだけで、溶けて混ざり合うことはない。しかし堪らなく愛しい光景だと思った。
「なんとなくたのしいような気がする」
「俺も同じだ」
 牧の言葉を聞くと安堵して、藤真は組んだ手の指で牧の手の甲を撫でた。バスケットボールもセックスもなく、さほどの会話もしていなかったが、退屈とも思わず、まだ日も高いというのに、この時間が過ぎることを惜しいとさえ感じている。理由はわかっていた。
「どうしてだろうね」
 肘をついて凭れながら、藤真が目を細めて笑う。睫毛の先に微かに水滴が付いているのか、笑顔がきらきら光っていた。
「どうしてなんだ?」
 頭の中に、一つの言葉を浮かべながら──藤真の発するものはそれとは違う響きをしているかもしれないが、そこに込められた確かな甘さを想像しながら、牧は問うた。藤真は小さく肩を揺らして笑う。
「耳貸せ」
 向かい合わせの状態で顔を近づけ、唇を重ねたい衝動を抑えて藤真に耳を向ける。藤真は牧の耳に唇を寄せ──かぷりと噛みついた。
「!!」
 予想しなかった感触に、牧は弾かれたように身を引く。顔が熱い。驚いた顔が可笑しいのか、藤真は声を上げて笑っている。
「それならこうだ」
 牧は藤真の二の腕を掴まえて引き寄せ、思い切り身を乗り出して、悪戯する唇を塞いだ。
 夏の海のにおいは、甘いにおいだった。

 夕食は牧の部屋でゆっくりすることに決めていたし、日中からつまみ食いをしていて夜をきっちり食べたい感じでもないと話し合って、寿司とケーキを買って帰った。今日のことを決めるとき、牧はホールの誕生日ケーキにロウソクを立てようと提案したが、四人家族でも余すのに二人では無理だし、カットされたケーキが何種類かあるほうがいいと藤真が却下した。
 ダイニングのテーブルに着くと、牧は改まった調子で言った。
「誕生日おめでとう、藤真」
「ありがと」
 今朝出会い頭にも言われたし、誕生日自体さほど嬉しいとも思わなくなっていたので、大袈裟なように感じられてなんとなく笑ってしまう。
「プレゼントがあるんだ」
「!! いらないって言ったけど」
「聞いてなかった。まあせっかくだし受け取ってくれ」
 平然と言い返すあたり、聞いていて無視したのだろう。牧らしいとは思う。片手に収まるほどの小さな箱をどことなくぞんざいな動作で差し出され、藤真は両の手でそれを受け取った。箱のサイズと形状から中身を想像することは難しくはなく、中を見ないまま家に持ち帰ったら牧はどんな反応をするだろうと一瞬思ったものの、そこは乗ってやることにする。
「開けていい?」
「ああ」
 リボンの付いた包装を解いて小箱を開けると、ビロードに覆われたケースが入っている。それを取り出して更に開くと、シンプルな装飾のシルバーリングが現れた。
「指輪……」
 予想通りではあるが、恋人からの指輪というプレゼントを実際に目の当たりにすると、思った以上に嬉しいような、恥ずかしいような、くすぐったいような──ほとんど顔に出さないまでも、藤真の内心は非常に忙しい状態になっていた。
「前に話してたことあっただろう。女子に寄ってこられるのが面倒なら、相手がいるアピールで指輪をしたらどうだって」
「ああ、言ってたな」
 翔陽は校則が厳しく、貰ったところで指輪は着けられないから意味がない、というような結論に至ったはずだ。
「少し早いが、プレゼントを渡すタイミングとしてはちょうどいいと思ってな」
 牧の言葉で思い出した。高校のうちは着けられないから、卒業が近くなったらと話した記憶がある。藤真は手の甲を上に向けた左手を牧の目の前に突き出し、ケースに入ったままの指輪を右手で返した。牧は不思議そうに目を瞬く。
「はめてくれ。よくあるだろ」
 牧が俯く直前、緩んだ唇を噛んだのが見えた。照れているのだろう。藤真は心底愉快な気分で牧にケースを押し付ける。牧は「ああ、わかってる」などと呟きながらそれを受け取り、リングを取り出した。差し出された左手を掴むと、リングの外周を挟んだ褐色の指が大袈裟に震えてぶれる。
「う……」
 試合の高揚を伴わない純粋な緊張は珍しいもので、多分に牧を戸惑わせた。何を誓ったわけでもない、単なる魔除けの指輪だとは思っているのだが。
「落とすなよ」
 二人きりでいるときには珍しいほどに、牧は大真面目な顔をしている。微笑ましさからつい笑ってしまいそうになるが、ふざける場面でもないだろうと噛み殺した。
「わかってる……」
 しっかりと目を凝らし、慎重に指輪を運ぶと、藤真の白い左手の薬指に、それはスッと綺麗に嵌まった。
「おー、サイズぴったりじゃん」
 藤真は自らのもとに取り戻した左手の甲を満足げに眺め、くるりと翻して牧に向けると、顔の横に掲げてにこりと笑った。芸能人の結婚会見でよく見掛ける仕草だが、さまになってしまうのが恐ろしい。
「寝てる間にちゃんと測ったからな」
「なにそれこわっ! ……そうだ、お前のは?」
「あるぞ」
 牧はポケットを探り、テーブルの下でごそごそやると、藤真の前に左手を翳した。薬指には見覚えのあるデザインのシルバーリングが嵌められている。
「お揃いだな!」
 牧の手の横に自分の手を翳し、藤真は子供のように笑った。
「休み明け、学校にしてこうかな」
「厳しいんじゃなかったのか?」
「うん。だからしない」
 比較的おとなしいと言われる翔陽の校内でも、髪の色や服装、装飾品について指導されている生徒を見掛けることはある。生徒指導の常套句は『高校生らしくしなさい、大人になってからいくらでも好きにしなさい』であって、後半については藤真も同意していたのだが、違反生徒の気持ちも少しわかるような気がしてしまった。
(大人になってからじゃなくて、今したいんだよな)
 とはいえ、藤真の場合は立場が立場なので実際にするわけにはいかない。憂えるように視線を落とし、再び取り戻した左手の薬指のリングに唇を寄せた。
 美しい光景に見入る牧を、淡い色の瞳がちらりと見遣り、唇は愉しげな笑みを形作る。
「試合でさ、シュート決めて指輪にキスするのよくね? もちろん海南戦で」
「残念ながらそれは無理だ。俺が全部止めるからな」
 次に唇は不満げに尖る。
「誕生日だぞ。リップサービスくらいしてみろ」
「ベッドの上でいくらでもしてやる」
 指輪を嵌めることに緊張しきっていた男が平然と言ってのけたことに呆れ、藤真はあからさまに視線を逸らした。
「それは別にいいや……ていうかいい加減食おうぜ」

 翌朝目を覚ますと、隣に寝ているはずの藤真はいなかった。
「……藤真?」
 昨日も今日も休みだから泊まっていくとあらかじめ話していて、一緒に眠りについたのだ。夢だったのだろうか。
(いや……いやいや)
 そんなはずがない。昨日のことが実際は起こっていなかったなど──絶望的な気持ちになりながらのろのろと起き上がり、ベッドサイドやテーブルの上を見るが、書き置きはないようだ。ふと目を落としたくず箱の中に昨夜の痕跡があって、にわかに救われた気持ちになった。
 しかし浴室にもトイレにも藤真はいないようだ。玄関を見ると靴がない。帰ってしまったのだろうか。呆然として玄関のドアを眺めていると、ガチャガチャと鍵を開ける音がして、なんともないような顔をした藤真が現れた。
「おうっ……おはよう。なに、お出迎え?」
 手にはコンビニで買い物したのであろう袋を提げている。
「おはよう。起こして構わないから、ひと声掛けてから行ってくれ」
 あまり機嫌の良さそうな様子でない牧に、藤真もまた眉根を寄せて返す。
「寝かしといてやろうっていう思いやりじゃんか」
「なら書き置きくらいしていけ」
「ちょっと近所のコンビニ行くだけなのに?」
「そうだ」
 藤真は納得できないような表情で部屋に上がったが、すぐにどうでもよくなったようで、次に牧を見たときには平時の顔をしていた。
「ごはん買ってきた」
 ダイニングテーブルの上にコンビニ袋をがさつにひっくり返し、中身をばら撒く。
「パンだな」
「パンだった。好きなの取れよ」
 言われるままパンと飲み物を取ると、藤真は残った中から好みを取って、そのまま椅子に座ってもそもそと朝食を摂り始めた。牧は着席すると頬杖をつき、珍しい動物でも観察するような気持ちでそれを眺める。
 まだどことなく眠そうな顔をして、髪にも寝癖がついたままだ。早朝にコンビニに行く程度ではさほど身だしなみも整えないのだろうが、自分だけのもののように感じていたごく私的な格好を案外簡単に外に晒すのだなと、身勝手な口惜しさが湧いた。
「なに?」
「別に、なんでも。……これは?」
 ばら撒かれた中にあった薄い冊子を手に取る。近隣の花火大会のガイドのようだ。
「花火見に行かないか? すぐじゃなくてもいいし、どっか都合いい日で」
「ああ、いいな」
 牧は引き結んでいた口元を緩めて冊子をめくった。
「もう今のうちに予定決めときたい。オレ今日は家の用事があるから、午後には帰るからさ」
「そうだったな。……ならやっぱり起こしてくれればよかったんだ」
「どうせまたすぐ会うだろ。牧ってときどきヘンなとこにこだわるよな」
 牧は仕方なさそうに息を吐く。
「居ると思ってるもんがいきなり消えてたら、心配するだろう」
「海の泡になる的な? ……まあいいや、じゃあ今度から叩き起こす」
 藤真は深く考えていないようだが、牧は実際に背筋が寒くなる光景を見たのだ。
 去年の夏のことだ。衝撃的だった。自分の視界の中で、しかし決して手出しのできない領域で、大切なものが壊されるかもしれなかった。
 思えばあのときすでに、藤真に対して特別な想いを抱いていたのだろう。それが具体的な形を得るのは、もう少しだけあとのことだった。

幻日 1

1.

 インターハイ予選・翔陽対湘北戦のその日の夜。家族のいる家に電話を掛けるには、少し遅い時間なのかもしれなかった。
 しかし、と牧は電話の受話器を手にし、今日二回目になる番号を入れる。
『はい、藤真です』
 電話口の声は一回目と同じ女性のもので、おそらく藤真の姉だ。
「あ、もしもし牧ですが」
『ああ、健司なら今日は帰らないみたいですよ』
「えっ? 帰らない!?」
 普段の牧を知るものなら珍しいと感じる程度に、声に明確に動揺が滲む。
 一度目の電話を掛けるのにも相当躊躇したのだ。さすがにそっとしておくべきかとも思ったが、この時点での藤真の敗北は牧にとっても非常に衝撃的で──どうしても様子が気になったし、声が聞きたいと思ってしまった。藤真だって、誰かと話したほうが気が紛れるかもしれない。迷惑ならば好きなだけ罵声を浴びせてくれればいい。それがエゴイズムに近いものであると察しながらも、彼の存在に触れたい衝動のほうが優ってしまった。
 そうして帰宅しているであろう時間に電話を掛けたのだが、まだ帰っていないと伝えられ、しばらく経っても折り返しもないものだから、今こうして二度目の電話を掛けているというわけだ。
 不穏な気配に身構える牧を、続く姉の言葉が打ちのめす。
『ええ、花形さんと一緒にいるって』
「!! そ、そうですか……夜分遅くに失礼しました……」
『いえいえ〜』
 ごく軽やかな姉の言葉に心底狼狽えながら電話を切ると、牧はよろよろとベッドに倒れ込んで眉間に皺を寄せた。
 藤真の姉は、しばしば弟宛てに電話を掛けてくる牧のことを翔陽の部員だと思っている。そのため簡単に花形の名前を出したのだろうが、問題は藤真の行動だ。敗戦のあとで心身ともに参っているだろうに、自分の家にも帰らずに花形の家に泊まるというのか。それは藤真に、いや彼らにとって普通のことなのだろうか。
(いや待て、落ち着け俺)
 泊まるのではなく『一緒にいる』と言っていたような気がする。どちらにしろ帰らないなら同じだろうし、姉の様子からして家族公認のようだった。
「……」
 わかっている、おかしいのは自分のほうだ。今日のことで多大なショックを受けているであろう藤真と、その気持ちを一番分かち合えるのは彼のチームメイトに違いないのだ。副主将の花形と一緒にいることに、一体何の疑問があるというのか。
(俺より花形なのか……)
 当たり前だ、物事に区別をつけろ、そう言って冷ややかな視線を投げてほしい。しかし連絡が取れないことにはそれも叶わない。

 翌日の夜に電話を掛けたときにも姉が出て、まだ帰っていない、帰りは遅くなる、と言われた。折り返し連絡が欲しいと伝え、その日は二度目の電話はしなかった。
 次の日も、その次の日も同じで、藤真からの連絡は一向になかった。
 今日も話せなかったらいっそ直接翔陽へ出向こうか。そう考えながらすっかり指が覚えてしまった藤真家の番号をプッシュする。
『はい、藤真です』
 いつもと同じ文言ではあるが、落ち着いた、大人の女性の声だった。母親だろう。
「牧と申しますが、健司くんは帰ってますか?」
『……牧さん? って、バスケの海南大附属の牧さんでしょう?』
「はい」
 姉と違って、母親のほうは息子の部活動に関心を持っているようだ。藤真が家族にどれだけ具体的な話をしているのかは知らないが、これまでの大会の翔陽関連の記事に目を通していれば、海南や牧といった名前はよく目にするもののはずだ。
『健司は今、ナイーブになってるから、あんまり電話を掛けてきたりとかは』
 言葉を選ぶように話す母親の背後から『いや待て! 出る!』と馴染みのある声が聞こえた。
『もしもし牧!?』
「おお藤真か! なんだ、やっぱり居たんじゃないか」
 連日遅くまで練習している可能性もなくはなかったが、大方居留守だろうと思っていた。なにしろ折り返しの連絡をしてこないのだから、完全に故意に避けている。
『やっぱりってなんだよ、ていうかなんの用だよ』
「どうしてるのかと思って」
『は???』
「しばらく会ってないし、折り返しの電話もよこさないから気になってた」
『だって別にオレは話したいことないし』
 藤真の声は、いかにも不機嫌に地を這うようだ。
「会いたいんだ。いつ会える?」
 ──ガチャッ!!
 思い切り電話を切られてしまったが、藤真の存在を確認できたせいか、案外とショックはなかった。気が変わってしまわないうちにと、間髪入れずに掛け直す。事態を深刻に捉えたらしい母親を遮ったくらいだから、重症ではないだろうし、あからさまな不機嫌も消沈しているよりはずっと安心できた。何度かのコールのあとだった。
『はい、藤真です』
「藤真、いきなり切るんじゃない」
『お前ナメてんの? まだ予選中だろ? 次の相手』
 湘北だ。他でもない、翔陽が番狂わせと言われた敗北を喫した相手だった。
「あいつらを甘くみてるわけじゃない。翔陽を倒したチームだからな」
 ──ガチャッ!!
 言った途端に切られてしまい、思わず吹き出しながら掛け直す。からかうつもりではないのだ。ただあまりに素直で子供じみた反応を示すものだから、つい愛しくなってしまった。目の前にいれば迷わず抱き締めている。
「藤真。練習が忙しくたって、お前に会うのは負担なんかじゃないんだ。逆に薬になるっていうか、気力が湧くっていうか」
『気合い入れるためにやらせろって?』
「そんなつもりじゃない」
『お前さ、オレがお前のこと応援してるとでも思ってんのか?』
 きっと今、藤真はとても意地の悪い顔をしているだろう。そして彼の言う通り、どちらかといえば敵なのかもしれなかった。しかし言うしかないではないか。
「思ってるさ」
『オレの写真でヌいてろバーーーカ!』
 ──ガチャッ!!
「……」
 不貞腐れているのはわかるが、あまりの言われように少し泣きそうになってしまった。しかし電話は掛け直さなければならない。
『しつこい』
「予選が終わったあとならいいだろう? 会いたいんだ。写真じゃなくて」
『……しょーがねーな』
 さほど迷う様子もなく承諾をもらえたことに安心しつつ、予選の最終日の次の日曜に会う約束を取り付けて電話を切った。これで決勝リーグにも気掛かりなく臨めるというものだ。

 インターホンを鳴らすよりも先に、ドアが開いて牧が顔を覗かせた。
「久しぶりだな、藤真」
 驚いたのは出迎えられた藤真のほうだったが、牧もなんとなく驚いたような顔をしていた。玄関に入ると手首を掴まえられ、まだ靴も脱いでいない状態で抱き竦められる。
「会いたかった」
「…っ!」
 口を開いたところで、それを塞ぐように唇を重ねられ、舌を押し込まれていた。戯れるように表面を触れ合わせ、更に求めるように舌の裏に潜り込む。水の滴る音が二人の隙間から零れ、高い鼻から漏れた生温い呼気が頬を撫でた。柔らかな感触の底の攻撃的な衝動には惹かれないこともなかったが、外の熱気を帯びたドアに背中を押し付けられると途端に理性が跳ね戻った。牧の胸を思い切り押し返す。
「そんなにやりてーのかよ。もう玄関に布団とローションとか置いとけば」
 体を縛る腕を振りほどいて一歩進み、ようやく靴を脱いで部屋に上がる。
「別に本当に置けって意味じゃないからな」
 少しずれているところのある男のために、一応付け加えておいた。
「藤真」
「少し涼ませろ」
 屋内に入った時点で外より涼しくはあったが、勝手知ったるとばかりにエアコンのある居間を目指す。牧は細く長く息を吐き、冷蔵庫から麦茶を出してグラスに注いだ。ソファに座る藤真の前のローテーブルにグラスを置き、そのまま床に膝をついて相手を見上げる。
「誤解してるようだが、俺は会いたいとやりたいを同じ意味で使ってるわけじゃない。お前が嫌ならしない」
 藤真は感情を載せない表情でふいと目を逸らし、麦茶のグラスに手を伸ばす。それを口元に運び透明なガラスの淵に唇を付け、傾けて濡らす。小さく喉が動いて、グラスが唇を離れる。長い睫毛の下で遠くを見つめるようだった瞳が、気怠げにこちらを向いた。
「会いたい会いたいって、牧ってそういう感じだったっけ? なんかあった?」
 思わず溜め息が漏れた。
「こっちのセリフだ」
 電話で煽られたように、景気づけに抱きたいなどと思って呼んだわけではないのだ。
「あの日……湘北戦の日の夜、家に帰らなかったんだろう。どこ行ってたんだ」
 ずっと引っ掛かっていた。あれから電話には出ないし、出たとしても家族のいる家では話しづらいこともあるだろうから、会って話をしたかったのだ。無論、単純に顔を見て一緒に過ごしたいと思っていたところもある。
「それ、お前に言う必要あるか?」
 藤真は明確に面白くなさそうな様子で、冷めた視線を投げる。
 あの日、牧から最初の電話があったとき、藤真はすでに自宅にいた。電話に出た姉からその名を聞いて、まず驚いたが、ネガティブな感情しか湧かなかったので帰宅していないことにしてもらった。牧も試合の結果は知っていただろうに、一体どういうつもりで連絡をしてきたのか。人を馬鹿にするような男ではないと知っているが、瀕死の傷を更に深く抉られるようでしかなかった。
 弱り果ててベッドに体を投げ出していると、思考が巡ってふつふつと怒りが湧いてきた。その日の試合への思い、牧への怒り、様々な感情が渦巻いて出口を探していると感じ、花形を誘った。彼はどんなときだって自分のことを拒絶しない。
「お姉さんが電話に出て、花形と一緒にいて帰らないって言われた」
「知ってるならそれでいいじゃんか。……てか、その遠回しな聞き方するの、すげー気持ち悪いんだけど」
 牧は神妙な面持ちでこちらを見ている。心配、不安──彼の思うところを探ろうとするうち、一つの下らない可能性に辿り着く。
「傷の舐め合い。お互い慰め合ってたんだよ。花形、初めは嫌がってたくせに入れたらすぐノリノリになって、すげー激しくて腹に響くみたいでさ。もっとオレの声聞きたいとかいうから、我慢できなくていっぱい声出しちゃった。久々だったしすげー気持ちよかった」
「……」
 牧は呆然とした様子で動きを止めている。藤真は確信を深めながら続けた。
「朝まで寝かせないとかいってたくせに結局二人とも寝落ちしてさ。でも花形が腕時計にアラームセットしてたから時間オーバーになんなくて済んで」
 手首を強く掴まれ、牧の影に覆われたと思うや、キスで言葉をせき止められていた。ソファに肩を押し付けられ、乱暴に貪られる感触から、すぐに顔を背けて逃れる。
「それしかないのかよ、お前」
「藤真……」
 返す言葉がなかった。しかし他にどうしたらいいのかわからないのだ。
「詳しく聞きたくないのか? なに歌ったとか」
「歌った……?」
 相変わらずの牧の表情を認めて、藤真は盛大に吹き出した。
「花形を無理やり誘って、朝までカラオケ行ってたんだよ。深夜のテンションで二人ともおかしくなって、めちゃくちゃに叫んで歌って泣いた。そのうち寝てたけどな。起きたらすげースッキリしてて、次の日は眠かったけど落ち着いてたな」
「……」
 安心したとも言い難く、ただひたすらに困惑しながら、牧は居心地悪く藤真を解放し、二人掛けのソファの空いているほうに座る。藤真の唇は綺麗な弧を描き、目も優しげに細められてはいるものの、瞳は冷め切って笑ってはいなかった。
「ウソじゃん、さっきの。お前にとっては結局会うのはやるってことなんだろ。だから花形とだってヘンな風に勘違いするんだ」
 反論はできなかった。藤真はわざと紛らわしいように言葉を選んで話していたものの、牧が心をざわつかせたのはそれを聞くより前──あの日の二度目の電話の時点からのことだ。
「……心配しただけだ」
 藤真は眉を潜める。牧に悪気などないことはわかっている。むしろ逆だろう。しかし去年の秋から付き合ってきて、何を今更とも思う。
「ウチの部員のことなんて気にしてたらキリないだろ。よそのことは知らないけど、多分他よりオレと花形の仕事が多い分は絡みも多いだろうし。帰るのめんどくさくて泊まることだってあるし、どっちの家の人もオレらの立場を知ってる。心配する要素なんてなんもない」
 おずおずと牧の手が伸びて藤真の右手を掴む。覆い被せ、徐々に指を絡めて隙間を埋めていく。
「お前のことが好きなんだ」
「はっ……」
 会話が成立していない。ごり押しにもほどがある。しかし牧のその言葉には弱いという自覚もあり、ぼうっと熱を帯び始める頭で、そうか、好きだからなのか──と納得しそうになってしまう。
(牧はずるい。そしてオレはちょろい……)
 半ば強引に抱き寄せられて、二人の密度が一気に高くなる。冷房の効いた部屋の中で、牧の体温は魅力的ではあったが、振り切るように体ごと背けた。
「わざわざ言う必要ないと思ってたけど、めんどくせーから一応言っとく。オレは好きなやつだからって全部ぶちまけなきゃいけないとは思ってないし、話す内容も相手も選ぶ。お前がいいってこともあるし、花形じゃなきゃいけないことだってある」
 藤真は以前からそうだった。近しい間柄になっても一部の領域には触れることを良しとせず、その方向や範囲を相手によって区別している。その差異は信頼の度合いではなく、彼との関係性の違いによるものだと、わかってはいるつもりなのだが。
 向けられた背中を抱いて、うなじに顔を埋め、恋人の熱とにおいを帯びた空気を肺に送る。
「ああ、そうだな。……今更それに、不満なんてないはずなんだが」
「切り分けができてないんだろ。性別での区別ができないから」
「……そうかもしれない」
 言ってしまってから、いや、と首を横に振った。藤真に対する花形の存在を懸念したことは初めてではないが、今回不安を募らせたことには明確に原因があった。
「藤真、どうして電話を無視し続けたんだ。花形と一緒にいるって聞いてから連絡取れてなかったんだから、そりゃ心配だってするだろう」
「そんなの、出たくなかったからに決まってんだろ。まだ試合残ってるくせにのうのうと電話してきやがって、それでお前の声聞いてオレが慰められるとでも思ったのか? ……ま、神奈川王者にはオレの気持ちなんてわかんないよな、彼氏ヅラして花形とのこと疑ってたくらいだし」
 迷いも躊躇もなく、棘のある言葉が口をついて出ていた。ソファから立ち上がり、俯いて下唇を噛んだ、表情は牧からは見えない。
 ずっと苛立っていた。呑気に電話を掛けてくるところからも、鷹揚としたいつも通りの牧が想像できて、会って顔を合わせれば今のように──今より更に醜い言葉を吐いていたと思う。牧の試合が立て込んでいるうちに会いたくなかったのは、そのせいもあった。
「……すまなかった」
 あの日コートの上で涙を流す藤真の姿を見ていながら、同日の帰宅時点で吹っ切れていると思ったわけではなかったし、軽い気持ちで電話を掛けたつもりでもない。
(俺だってショックだったんだ、が……)
 しかしそんなものは押し付けにすぎないのだ。「オレの気持ちなんてわかんないよな」と言われてしまった、その通りだったのだろうと思う。
 藤真はローテーブルを後ろに押してソファの前を広くすると、牧の前に膝をついて上体を前に乗り出し、目の前の腰を抱えた。
「おい?」
「お前は無神経なやつで、オレはめんどくさいやつだった。このことはそれでおしまい」
 顔を見せないままでつらつらと言って、牧のズボンの前を寛げると、引っ張り出した性器を口に含む。
「藤真っ…」
 舌を使い口の中で少し撫で回しただけで、柔らかな膚はみるみる硬くなって体積を増し、口腔内を窮屈にした。上目を遣ってぶつかった瞳に、戸惑いはあっても拒絶はない。藤真は塞がれた唇の端を微かに釣り上げた。
 唾液を伝わせて全体を潤し、根元を手指で扱きながら、口内の先端部分をゆるゆると舌で愛撫する。低い呻き、乱れる息、舌を滑らす塩気と脈動と、ときおり震えながら頭を撫でる大きな手。あまりにわかりやすい欲求に気分がよくなって、少し前の苛立ちも失せていくようだった。言葉も気持ちも縺れ噛み合わなくても、いつだって体は素直だ。
「もうガチガチだ」
 小さな唇と潤んだ性器の先端とに粘液が糸を引く。反り返り血管を浮き立たせる赤黒い性器は、傍らの整った顔貌に対してあまりに暴力的に見えた。しかし長い睫毛の縁取る瞳はうっとりと細められ、白い指が逞しい輪郭をなぞる。
「タイミングが最悪だったからイラついてたってだけで、オレだってお前と会ったらやることやりたいんだからな。そこは勘違いすんなよ」
「ああ……」
 藤真は品なくべろりと舌を出し、根元から裏筋を舐め上げ、見せつけるように先端部で舌先をちろちろと動かす。それがどんなに卑猥で魅力的に牧の目に映るか、知った上でそうしているのだ。まんまと劣情を煽られて大きく鳴った喉に、藤真は満足げに微笑し、張り出した亀頭部を再び咥え込んだ。
「っ…!」
「んっ、むっ…」
 太く逞しい男根に歯を立ててしまわないよう、大きく口を開けて受け容れる。鈴口、雁首、男性器の形をしっかり確かめるように舌を這わせるうち、藤真自身もひどく淫らな気分になって、股間に熱を抱えていた。
 えずく寸前まで呑み込んで亀頭で喉を擦り、唇の内側で茎を締め付け、吸い付きながら頭を上げては再び喉を突くように咥え込み──そうして顔を上下させる動作に合わせ、口に入りきらない根元を手指で扱く。
 牧の呼吸が獣のように荒くなって、大きな手は落ち着かない様子でしきりに髪を撫でる。更に深く穿とうとでもするように、腰が前にせり出した。
「んぐっ…!」
 その手は優しいようでありながら傲慢に、頭を包んで押さえつけ、明確にピストンを促す。求められるまま口淫に耽るうち、唾液と体液が混ざり合ってじゅぷじゅぷと卑猥な音を立てた。言葉を発する文化的な器官を犯されている実感と、薄い酸素に酩酊しながら、意識が半透明に白く霞んでいく。
「あぁっ……藤真、出るっ…ウッ…!」
 すっかり余裕を失った、情けない声が好きだった。藤真はうっとりと目を細め、口内に勢いよく注がれた生温い精液を躊躇なく飲み下す。陰嚢から陰茎へと絞り上げて残り汁を吸い出したのはほとんど無意識の行動で、ただ鼻から抜ける青臭さが好くて堪らなかった。
 体を前に傾けて深く息を吐いた牧を見上げ、「全部飲んだ」と舌を出して口の中を見せつける。淫らな仕草に、欲望を吐き出したばかりの箇所が再び疼きだしていた。
「渋ってたくせに、随分ノリノリじゃないか」
「玄関入って即ベロチューってのが嫌だっただけだ。犬かよ」
「犬は嫌いか? 藤真は猫だな。いや、ウサギかもしれない」
 気まぐれなところと構ってほしがりなところは猫だが、驚いたときなどに不意に見せる表情はウサギやリスの系統の小動物を彷彿とさせる。その顔を見るたびに思うので印象は強かった。
「ウサギよりなら猫がいいな。ウサギって喰われるやつじゃん」
「ウサギはかわいい顔して年中発情期なんだぞ」
「人間もそうだろ。……というわけで、オレのもしゃぶって♡」
 芝居掛かって言って立ち上がると、藤真のズボンの股ぐらもすっかり張り詰めていた。牧はそれを撫でると思わず緩みそうになった口元を引き締め、藤真を見上げる。
「ベッドに行こうか」
「はーい」
 行くというほどの距離でもなかった。間延びした返事とともにソファの横に一歩踏み出してベッドにダイブすると、藤真は仰向けの格好で行儀悪く脚を上げ、靴下を脱ぎ始める。
 時間を惜しむようにそそくさと全裸になった牧が横を見ると、藤真は白い腹を出して、寝ながらもたもたとシャツを脱ごうとしている。
「藤真……」
 思わず呟くと、淡い褐色の瞳がこちらを向いた。
「牧って脱ぐのがやたら早いよな。舞台の早着替えみたい」
「むしろお前の遅さが俺には理解できん」
「そんなの、脱がしてほしいからに決まってんじゃん」
 ごく当然のような言葉にも、甘えるような視線にも股間を刺激されて堪らない。男相手は自分が初めてだったというのが不思議なくらいだが、おそらく誰にでもこんな態度を取るわけではないのだろう。
 あくまで紳士的にと思いながら、猫をあやすように藤真の腹を撫でた。セックスを悪いことだと思う性分ではないのだが、藤真の白い肌の上を褐色の無骨な手が這う光景にはいつも背徳的な気分にさせられる。隠していたい、凶暴な雄の本性を煽られるかのようだった。
 まず望み通りにシャツを脱がせ、次いで窮屈そうなズボンと下着を下ろすと、興奮しきった淫茎がぴょこんと愛らしく顔を出す。包皮からすっかりと現れた肉色は滲み出た体液に濡れていて、室内の明るさにぬらりと光った。乾いた指が先端の割れ目を滑る。
「ぁっ…!」
「フェラでこんなになったのか? やらしいな……」
 一方の手で亀頭を弄り回しながら、もう一方の手で藤真の脚に纏わりつくものを全て取り去ってベッドの下に落とす。
「んっ、そうだよ…っ」
 牧は手の中のものを愛おしげに見つめ、頭を垂れると、味見をするように舌先で鈴口を掠めた。焦らしているつもりなのだろうか。藤真は牧の頭を掴まえ、股間にぐいと押し付けて深くまで咥え込ませる。
「オレだって、お前とやりたかったんだ」
(藤真……)
 上ずって震えた藤真の言葉を、現在の行為に対するだけのものとも思えずに頭の中に彷徨わせていたが、じきに呼吸が危うくなって、無理やり藤真の手を剥がし顔を上げた。
「おい、さすがにこれで窒息死するのは嫌だぞ」
「いいじゃん、腹上死」
「八十くらいになったらいいかもな」
「生涯現役だな。…ぁんっ!」
 押し付けられるのではなく、今度は牧の意志でそれを口に含んだ。包み、慈しむような柔らかな愛撫は心地よくはあるがもどかしく、藤真は小さく声を漏らしながら身を捩る。藤真から牧への施しとは対照的なものだった。
 先端も茎もたっぷりと唾液で濡れるほど愛でて、陰嚢までも舌を這わせ、柔らかな丸みを口に含んで緩慢に舌で転がす。恥じらうような、弱い喘ぎが愛しかった。
「っ……!」
 太腿を持ち上げて体を畳むと、陰嚢の後ろの会陰も、小ぶりな尻の谷間の窄まりもすっかり露わになってしまう。何度も体を重ね、もはや初心でないことはよく知っているが、それでも藤真の淡い肌色には無垢な印象があって、その中心で血肉と性を感じさせる器官はひときわ蠱惑的だった。
 尻の丸みを手のひらに包み、柔らかな肌に押し付けた両の親指を外側に開くと、中心に集まった襞が拡がってピンク色の粘膜が覗く。牧はさも愛しげに目を細め、その表面をくすぐり撫でるように舌の腹を行き来させた。
「あぅっ、ぁんっ…!」
 ひくり、ひくりと淫らに収縮するそこに、誘われるまま舌先を尖らせて思い切りねじ込む。ぎゅうとそれを締め付けながら、体全体が大きく波打った。
「んっ、やだ、それキライ……」
「俺は好きだ」
 舌を抜いたのは喋るためでしかなく、止めるつもりはなかった。ことが起こると思えば──二人で約束して会うときには、藤真はしっかりと体を綺麗にしてくる。ならば唾液も汗も前も後ろも大差ないというのが牧の感覚だ。もちろん、あらぬところに顔や口を寄せることへの興奮もある。
 目一杯唾液を絡ませた舌を再び差し込み、締め付ける弾力に抗うようにぐにぐにと中を掻き回してほぐし潤していく。そうしながら前を撫で上げると、堪らない様子で高い声が上がった。
「ぁんっ! あ、あぁっ、んぅうっ…!」
 声も息もすっかり熱を帯び、淫部はしきりに蠢いて、舌を掴まえ奥へと引き込もうとする。残念ながらそう長い舌は持ち合わせていないので、名残惜しくも引き抜くと、物足りないとでもいうように波打ったのが、いかにも卑猥だった。
 潤滑剤を取り出して性急に指に纏わせ、唾液で濡れた秘所に軽く突き立てると、自ら食いつくかのように呑み込んでしまう。
「藤真……」
 散々すげないことを言ったくせに、体はすっかり快楽を知って──思い出して、こんなにも求めているのだ。愛らしくて、愛しくて堪らなかった。
 魅力的な感触ではあったが、互いに早く先に進みたがっているとも感じて、遊ぶよりも目的に集中することにする。指で襞の一枚一枚を撫で拡げ、丁寧に潤し、じっくりと慣らしていく。じき、肉質の弾力は三本もの指を含み、愛液のように潤滑剤を滴らせながらいやらしい水音を立てた。
「藤真、挿れていいか?」
 ぐちぐちと指を動かしながら、上体を前に倒し、首を伸ばして藤真の耳元に囁く。くすぐったさと照れくささとで、藤真は身を竦めながら小さく頷いた。
「ぅん…」
 執拗に陰部を掻き回されていながら、今更拒絶するはずもないだろうに、妙に律儀に問うてくる男のことが愛しくて少し憎たらしくて、胸の奥が締め付けられるように疼いた。急くような動作で指が抜かれ、怒張があてがわれる。
「挿れるぞ」
「ッ、うぅ、あぁぁぁっ…!」
 充分に慣らされていてもそのボリュームは圧倒的で、強引に押し入ってくる熱の塊に藤真は苦悶の表情を浮かべる。張り出した男性の形にゆっくりと、しかし容赦なく抉られていきながら、それがもたらす快楽を思い起こし、体の奥底が疼いた。
「あぁ、牧……」
「久しぶりだな」
 その身の全てを藤真の中に収め、暖かく、窮屈に吸い付くような至上の感触に包まれながら、牧は深く息を吐いて藤真に顔を寄せた。自分を受け容れたあと、眉根を寄せて、少し辛そうにしながら、それでも微笑するいじらしい表情が、堪らなく好きだ。
「うん……そうだね」
 覗き込んでくる深い瞳を見返しながら、ようやく牧と向き合ったような気がしていた。口を開けば不平や戯れ言が出たし、それを物理的に塞がれれば目を閉じた。一体どんな顔をして牧に会えばいいのかと、あの日からずっと思い続けていた。
 しかし今は、軽く触れるようなキスを何度も落とされながら、ただ目を細めるだけでいる。首に腕を回して肌の密度を上げると、繋がった部分も牧の肌も燃えるように熱いのに、優しく温かなものが胸を伝うようで不思議だった。
 牧が首筋に額を埋めてくる。硬い髪が肌を撫でる感触も久しぶりだ。
「藤真……」
 恥じらいなのか、「やたら耳の近くで喋られてもかえって聞き取りづらい」と教えてもその癖は直らないようだった。次に続く言葉も、なんとなく想像できてしまう。
「好きだ」
 耳に直接吹き込まれた響きをじっくりと味わうように、藤真は目を細め、中空を眺めて、牧の髪に指を絡めた。
「オレも。……好き」
 言いたいことを言い終えて唇を塞がれると、じんじんと疼く肉体とは裏腹に、妙に安心した気持ちで目を閉じた。
 舌先で撫で合い、背中に指を遊ばせて、体を繋げたまま一つの塊のようになりながら、ずっとこうしていたいなどと思ったはずなのに、その時間は決して長くはなく、どちらともなく焦れて腰を揺らめかせていた。

 事前の遣り取りとはあまり関係なく、事後の藤真は機嫌が悪いことが多かった。ならばいっそ言いづらいことも言いやすいと、牧はしっとり汗に湿った白い背中を撫で、頬を寄せる。
「試合、見に来てくれてたな」
「はあ〜?」
 予想以上の不貞腐れぶりに、思わず笑ってしまった。
「お前の姿を見掛けた」
「それ幻だよ、きっと禁断症状が出たんだな」
 よくポンポンとそんな出任せが思い浮かぶものだと、可笑しくなりながら頸に唇を落とす。
「仙道のポイントガードはお前の影響なんじゃないのか」
「お前はオレのこと好きすぎなんだよ。田岡監督の采配と仙道の力だろ。しかしほんと、仙道は大したやつだな」
 見に来ていないと言ったくせに、仙道を素直に褒めるところには少しばかり嫉妬しなくもない。もっとも、かの男への評価を否定する気もなかった。
「そうだな」
「でも勝ったのはお前と海南だった。おめでとう、神奈川MVP。全国も獲ってこいよ」
 想像もしなかった言葉に、牧は目を瞠って藤真の背中を抱き締め、肩口に額を埋める。
「ああ……ありがとう」
 ごく簡単に、そう呟くことしかできなかった。他に何を言っても野暮になると思った。
「からの、冬はウチがお前らを倒して全国に行く。これで完璧だな!」
「それには同意できないな」
 明るい声に眉を顰めつつも口元は笑って、牧は抱いた体に覆い被さり、勝手を言う唇を塞いだ。そのまま藤真をうつ伏せにして、耳のふちや首筋、肩に何度も唇で触れる。
「盆あたりは、翔陽も部活休みだろう? そしたら一緒に過ごそう。お前の都合が大丈夫なら、誕生日も」
「大丈夫だけど、牧にしちゃ気が早いな」
「早めに予約しておかないとな」
 他のやつに予定を取られる前に、とは喉の奥に飲み込んで、藤真の腹の下に腕を潜り込ませ、細い腰を持ち上げた。脚の間に、自らの下腹を擦り寄せる。
「牧? ……まじで?」
 呆れた様子ながら、抵抗はなかった。案外と寛容な恋人の柔らかな谷間に、牧は遠慮なく貪欲な昂りを撫で付ける。
「禁断症状が出てたんだ、取り戻さないと。なあ、いいだろう?」
 口では許可を請いながら、股間のものは意気揚々と再びそこに入ろうとしている。
「いいけどっ、ちゃんと──」
「わかってる」
 牧は慣れた動作で再び潤滑剤の容器を手にし、たっぷりと藤真の谷間に注ぐと、自らの男根をそこで扱くように擦り付けて濡らした。
「あっ、あんっ…」
 粘液が敏感な箇所を伝うだけでも堪らないというのに、しきりに入り口を擦る熱く硬い感触に焦らされて、つい求めるような声が漏れてしまう。
「あぁぁあっ…!」
 挿入されてしまえば中はまだ弛緩してねっとりと濡れていて、肉茎の動作に対して簡単に反応を示し、中毒症患者を存分に悦ばせるのだった。

幻日 0

0.

「牧、来月の予定教えといてくれ。特に試合とかならこのマーカーで」
 突き付けられたスケジュール帳とマーカーを、牧は素直に受け取った。試合を見に来てくれるつもりなのだろうか。こそばゆいような嬉しさが込み上げたが、甘い展望は即座に否定される。
「前の日とか会わないようにするからさ」
「そっちか。俺は別に構わないんだが」
 肩透かしを食らったようではあるが、藤真らしくもあった。彼はときに強引に自分の意見や希望を通すが、その範囲について明確な線引きをしている。
「構わなくねえよ。サッカーの代表だったか、大会の期間中セックス禁止とかあるらしいぜ」
「国によって違うんじゃないか? 俺は奥さんや彼女同伴で選手村に入ってるって記事を読んだぞ」
「はいはい。あとこっちのペンで○と×を付けてくれ」
 練習試合も部活以外の予定もたかが知れているから、その日を潰すのはすぐだった。次は藤真と会っていい日に丸を付けるのだが、以前願望を込めて残りの全部に丸を付けて返したら、真面目にやれと怒られたことがある。むしろ藤真のほうが忙しくしているだろうから、彼の都合のいいときに連絡してくれればと思うのだが、それはお気に召さなくなったらしい。
『電話で声聞いたら、どうにかして時間の都合つけたくなるだろ。それってあんまりしたくない気がして』
 互いに優先すべきものがあるのだから、節度を持とうということだ。それにも同意はするが、なにより『声を聞いたら会いたくなる』と暗に言われたのだ、従うほかないではないか。もっとも、以前のようにそのときどきに連絡して会うことも、全くなくなったわけではなかった。

 牧は親の名義のマンションに一人暮らしをしていて、藤真は実家住まいだ。特定の場所で待ち合わせるのではない場合、藤真が牧の家に赴くことになる。今日もそうだった。
 少し前から降り出した雨は瞬く間に強くなり、今は土砂降りの豪雨だ。約束した時間は一応あるが、特に店や場所を予約しているわけではない。天気の様子を見て時間をずらして来るよう伝えようと、牧は藤真の家に電話をするが、もう出掛けたと言われてしまった。
 手帳に予定を付けるようになってからかどうかは忘れてしまったが、藤真は決めた予定を潰すことを好まない。雨が降っている分、早めに出発してしまったのかもしれない。せめて駅まで迎えに行こうと、藤真が到着するであろう時間に合わせて家を出た。
 外はまだ土砂降りの雨で、排水が追いつかずに水の膜ができたアスファルトの上が白く烟っている。風がないのは幸いだが、雨音は喧しく、傘を差していても足元が飛沫に濡れるほどだ。気温は特に低くもないのだろうが、雨のせいで肌寒く感じる。
 駅に向かって歩いていると、途中で藤真に出会った。互いに傘で視界を遮りながら同じ道の同じ端を歩いていたから、見つけるというよりまさしく出会ったという趣だ。
「あれ、牧、なんで?」
 雑音があっても不思議と藤真の声は聞き取れる気がする。しかし相手も同じとは思わないから、牧は少し声を張って言った。
「迎えにきた」
「迎え? オレが傘持ってないならともかく、お前が無駄に濡れるってだけじゃん」
 へんなの、と可笑しそうに笑っている。その通りではある。牧は憮然として言った。
「気分の問題だ」
「意外と合理的じゃないんだよな、牧は。オンオフがある」
「そのまま返す。雨が弱まるまで待ったってよかったんだ。足濡れただろう」
 靴の中のつもりで言ったが、見れば膝下辺りから濡れてしまっている。
「乾かせばいい。……ああ、濡れたままで玄関上がるけど」
「そんなのはどうでもいい。お前が濡れてるのが」
「雨に濡れたからって死んだりしねーだろ。いつ時代だよ」
 それも確かなことで、今更藤真を虚弱と思うわけでもなく、自らの発言の理由を考えると、似たような言葉を繰り返してしまう。
「……気持ち的に、というか」
 ノイズのような雨の中、藤真は牧を見つめ、ぐっと上体を寄せると浅黒い頬に軽いキスをした。
「!!」
 傾けた傘から盛大に雨粒を落とし、余計に濡れてしまいながら、そそくさと元の二人の間隔を取り戻す。
「ほんとひっでー雨。普通の雨くらいだったら相合傘するのにな」
「……」
 油断できない。素っ気ないようでいて唐突に甘くなる、藤真のペースは未だ掴みきれていない。

「濡れたほかも湿気でべたべたするし、もうシャワー浴びるな」
 渡されたタオルで軽く全身と足を拭くと、藤真はすっかり勝手を知ったバスルームに入って行った。テレビを眺めながら待っていると、再び姿を現した藤真はバスタオルを腰に巻いただけの格好だった。
「服着るのめんどくせーし、このまましようぜ」
 返事も待たずにベッドに潜り込み、身に着けていたバスタオルを牧に向かって投げ、悪戯めかして笑う。
「会ってシャワー浴びて即やるとか、愛人みたいじゃねえ?」
「……愛人がいたことがないからわからん」
 とは言ったものの、愛人だって一緒に食事も会話もするだろうと思った。テレビドラマで見た記憶がある。藤真の上に身を乗り出してカーテンを閉めると、下から裸の白い腕が二本伸び、急かすように浅黒い首に絡み付いた。
 抗わず頭を垂れると、触れ合う柔らかな唇も鼻先も冷たくて、思わず藤真の顔の両側を両手のひらで包む。
「寒いんじゃないか?」
「だったら早くあっためろ」
 いかにも責めるような視線と言葉を投げ掛けられながら、身体中の血が沸き上がる。
「そうだな」
 早くこの熱を分け与えてやらなければ。牧は急ぎ服を脱ぎ捨て、藤真の隣に体を滑らせた。

 ひとしきり愛し合ったあとも、相変わらず雨音が聞こえていて、カーテンの端から覗いた外の景色は白んで溶けていた。
「まだかなり降ってる。止むの待ってたら来れなくなってた」
「それならそれで仕方ないだろう。来てくれるのはもちろん嬉しいが」
「ただの雨だろ。台風で電車止まってるとかならやめるけどさ」
「電車が動いてても台風ならやめとけ」
「……」
 藤真は不満げに視線を牧の顔から天井へと背け、牧は藤真の横顔を眺める格好になる。瞼を落として遠くを眺める、詩的な憂いの表情を目にするのは初めてではなかった。
「明日のオレは今日のオレじゃないし、来週のお前も今日のお前じゃない。よほどの無理じゃないんなら、先延ばしなんてしたくない」
 生き急ぐという言葉が頭に浮かんだが、藤真の言わんとすることに対して、果たして正しい自信はなかった。焦りという風でもない。もっと、ずっと落ち着いている。
 二人の思考はときに共鳴するものの、決して同化はしない。意図を勘ぐっても仕方がないと知っているから、牧は思ったままを言った。
「まるでどっか遠くにでも行っちまうみたいな言い方だ」
「そんな予定はないけど、予定してないことなんていくらでも起こる。だからできる限りは、できるうちにやらなきゃって思ってる」
(オレらが二人でいられるうちに)
 遠回しなのかストレートなのか、一体どちらにしたいのかと牧は苦笑する。
 去年の夏以降、藤真は選手兼監督となり、選手としての活動時間は減っている。その点では、二人はすでに半分くらいはそうなってしまったのかもしれない。しかし信じてほしいこともある。
「俺はここから消え失せるなんて考えたこともないぞ」
 藤真は微かに笑っただけだった。
『お前が考えてなくたって、この先どうなるかなんて誰にもわかんないよ』
 そう言われたような気がした。手帳の予定通りに行動しながら、埋まっていない部分についてはきっと何も確からしく思っていないのだろう。それは無計画ではなく諦観だと思う。まだ白く透き通った身体をしたさなぎのような彼が、これ以上傷つかないための。