若葉のキオク

 緑のにおいがする、と思った。春の陽に鮮やかに晒される青葉を視界に認めたのはそれからだ。風の冷たい日は空気が澄んでいるから、瑣末なことも潰えずに届くのかもしれない。
 桜並木も真新しい制服も浮ついたようだったから、始まりのイメージは少し経った今ごろのほうが却って強い。そうして当然のように彼のことを考えていたのだ。
「藤真!」
 道すがら入った書店の一角にまさしくその姿を見つけ、牧は驚愕を隠さず声を上げていた。
「お、牧だ」
 対照的に、藤真は想像通りといった様子で満足げに微笑する。
「ちょっと用事の帰りで、ちょうどこの近く通ってさ、本屋あったよなーって。発売日だし」
 言いながら、手にしたバスケットボール専門誌を牧に翳して見せる。
「ああ、俺もそれ」
 牧は同じ本を手に取り藤真を見て、目を瞬き、大真面目な顔をして更にじっと藤真を見つめた。
「藤真、これって運命なんじゃないか?」
 去年のちょうど今ごろにも、特に翔陽や藤真の家の近くではないこの本屋で、二人は出逢っているのだ。しかし藤真は軽く鼻で笑った。
「お前、ここの本屋って通り道なんじゃねーの」
「ああ、よく来る」
「なら、なんも運命じゃねーじゃん」
「そうかな……」
 場所は牧の行動圏内で、二人が自由にしている時間帯にそう大差はない。偶然ではあるが、ありえない確率でもないだろう。
「なんか意外とそういうもんじゃね? 世間は狭いっつーか」
 会計をする藤真のすぐ後ろに並び、同じ本を買って本屋を出た。こちらを顧みた大きな瞳が、試すように愉しげに細められる。
「さて、次はなんでしょう?」
「近くの公園で1on1をしたな」
 日ごろ思い出すようなことではなかったが、去年と同じ状況のせいで迷わず答えが出た。
「今、時間あるか?」
「もちろん」

「っはー! やばい、本気になっちった」
 藤真はベンチに掛け、背もたれに体を預けてまだ青い空を仰いだ。濡れた肌が冷めた空気に撫でられて気持ちいい。
 屈託のない、幼い印象の笑顔が眩しくて、牧は思わず目を細める。
(好きだ。藤真)
 シンプルで、しかし強烈な実感が胸を締め付ける。懐かしい感触だ。彼と出会うよりずっと昔、ごく幼い時分に感じたことのある、極めて純粋で独善的な好意に近いのかもしれなかった。
「……久しぶりだな、二人でバスケしたのは」
「だな。春休み結構会ってたのに意外と。久々で超楽しかった」
「今度またバスケデートするか?」
 牧は藤真の隣に腰を下ろし、その視界に入って目を合わせるように顔を覗き込む。藤真は釣られて首を傾げた。無意識のその動作が、牧の心臓に多大な衝撃を与えたことを当人が知る由はない。
「デートなのかな、それって」
 自分で〝意外〟と言ったことに対して、自身の言葉で納得してしまった。春休みはいかにもデートらしい過ごし方ばかり考えていたために、バスケをしに行こうとはならなかったのだ。
「あと、今度ってもそろそろ忙しいんじゃね?」
「まだそうでも……まあ、一年にとってはすでに地獄かもしれんな」
「出た、ブラック部活。ホネのあるやつはいそう?」
 牧は藤真を見据え、にやりと笑った。
「練習を見に来るといい。歓迎するぞ。皆にも紹介したい」
「なんの紹介だよ」
「そっちはどうなんだ?」
 三年になり、二人ともそれぞれの部の主将となっていたが、藤真の役割はそれだけではない。
「結局オレが続投になったから、一年めちゃくちゃ少なかったらって心配してたけど、去年の頭より多かったっていう……」
 藤真は渋い顔をしている。心中を想像しつつも、牧は穏やかに笑った。
「部員が多いなら良かったじゃないか。選手兼監督・藤真健司。他校からもすごい人気らしいな?」
 高校生にして監督、しかもこの容姿となれば話題性は充分すぎた。
「ん〜〜……ウチは体育館だって充分足りてるし、バスケしたい! てのがあるんならエンジョイ組が増えるのは全然いいんだけどさ。応援も力だし」
 バスケット自体にはほとんど興味がない、ミーハーな外野が増えることを憂えているのだろう。浮かない様子の横顔も綺麗だ。正面を見据えていた瞳が、不意にこちらを向いた。
「なに? 別にもうオレの顔なんて珍しくねーだろ」
「夜とか、部屋の中とかばっかりだった」
 私的に会うときはどうしてもそうなってしまうし、日ごろ顔を合わせるのも室内競技の場が主だから、明るい自然光の下で藤真をまじまじと眺める機会はそう多くはなかったはずだ。その割に、彼に対して陽の光のイメージがあるのが不思議だった。去年も1on1のあと、まさしくこのベンチに掛けて、同じことを思ったかもしれない。

 無遠慮に藤真を見つめる視界の中に、黄色に黒い網目模様のアゲハチョウが飛び込んできた。ステンドグラスのように繊細で力強い紋様を持つ蝶は、美しさと激しさを兼ね備え、藤真によく似合うと思ったのだが──言わなくてよかったかもしれない。
「げえ! でっかい蝶!」
 当の本人は嫌悪感を露わにして、蝶を手で追い払う動作をしている。
「蝶、嫌いなのか? 虫が駄目とか?」
「別に虫は好きでも嫌いでもないけど」
「なら嫌がらなくたっていいじゃないか」
「お前『ちびっ蚊ブーン』の歌知らねーのかよ」
「知らないな。なんだそりゃあ?」
「まじで!? もしかして『子犬のプルー』も知らねえの!?」
「知らないな」
「まじかよ! お前やっぱ歳……」
「テレビの歌か? 歌ってくれたらわかるかもしれない」

「なにニヤニヤしてんだよ」
「ニコニコしてるんだ。去年のこと思い出してた」
 そして案外と覚えていた旋律を鼻唄でなぞる。藤真は怪訝な顔をしたのち、思い出したかのように「ああ」と呻き、また怪訝な顔をした。どこか間違っていたのかもしれない。
 じき二人の間に、ひらひらと頼りなさげな動きで、モンシロチョウが飛んできた。
「うっそ。牧、虫を呼ぶ周波数出せるんじゃねーの」
「やっぱり運命なんじゃないか?」
「アゲハ蝶ならワンチャンあったな。でも牧には白い蝶のほうが似合うと思う」
「え? そ、そうか?」
 藤真の口からそんなことを言われるとは全く想像していなかったから、可笑しいくらいに戸惑いが表に出てしまう。しかし決して悪い気分ではない。
「それじゃあ、花なら?」
 当然のように問うてきた牧を、藤真は目を瞬いて見返す。蝶とくれば花、牧の摂理ではそうなのだろう。
「……チューリップかな」
「色は? 紫か?」
「だっさ!」
「ださいとかいうな、海南カラーだぞ」
「だからじゃん。色は黄色とかオレンジがいいかな……ふっ」
 言葉の最後には、呆れたように吹き出していた。
「どうした?」
「男になんの花が似合うとか、ねーよって自分で思った」
「そうか? いいんじゃないか?」
「お前の感性が伝染ってきたのかも」
「一年も付き合えば写るもんもあるだろう。夫婦が似てくるのってそういうことかもしれないな!」
「オイッ!」
 幸せそうに目を細めた牧の二の腕を、藤真は咄嗟にツッコミの要領で叩いていた。
「一年も付き合ってない。半年くらいだ」
「そうだったか? 去年の今ごろもこうやってデートしてたじゃないか。じゃあさっきから俺はなにに運命を感じてるっていうんだ?」
 藤真は目を据わらせて額を押さえた。
「去年のはただ偶然会っただけ、別にデートじゃなかった。頼りねー記憶だな」
 確かに、思い返せば初めて体を重ねたのは藤真が監督になったよりあとだから、去年の秋だ。
「……そうか。まあ、お前のことは元々好きだったからな」
 表情一つ変えずにさらりと言い放った牧に、藤真は長い息を吐いて脚を組み、自らの膝に頬杖をついて牧とは逆のほうへ顔を向けた。面映さはごく小さな苛立ちに似ている。
「またそういうこと恥ずかしげもなく言う」
「好きなものを好きって言ってなにが恥ずかしいんだ。一目惚れだったかもしれないな」
「えー、それはなんか萎える」
「なんでだ?」
「一目惚れとか完全見た目じゃん」
 小さく唇を尖らす、愛らしい仕草に心をぎゅっと摘まれて、牧の持論は一層揺るがなくなる。
「見た目は大事だろう。人間は情報の何パーセントを視覚から得てるんだぞ」
「何パーセントなんだよ、そこ雑にしたらダメだろ」
「それに野生の動物がつがいになるときだって、あれは一目惚れなんじゃないか?」
「お前は野生の動物なのかよ」
「じゃあ人間らしくいく。見た目ってのは、美人かどうかって意味じゃない。顔には表情がある。性格も考えも見た目に滲み出てる。こっちに向けてる感情だって見た目からある程度わかる」
 意図して表情を作るなど、自分より藤真のほうがよほどしていることだと思う。さすがに全てが無自覚なわけではないだろう。
「まあ、ねえ。それは否定できないけど」
「あとはなんだろうな。雰囲気とか、フェロモンだな」
「お前やっぱ野生動物なんじゃね?」
「お前が好いててくれるなら動物でもなんでもいい」
「っは……!」
 疑問も不安もないような口調から、穏やかな自信を感じて、かなわないなと思った。
「そうだね」
 牧の穏やかで優しい目がこちらを見ている。表情に感情が滲み出て、その底に彼の想いが見えた気がした。
「……好きだよ、牧」
 牧の瞳がスゥと細くなり、体がこちらに傾いてくる。

 ──パァンッ!

 乾いた派手な音がして、牧は鋭い衝撃の走った頬を反射的に手で押さえていた。藤真から平手打ちを食らったのだ。さほど痛くはなかったが、単純に驚いて目を丸くする。
「まだなにもしてないじゃないか」
「まだって、やっぱりする気満々じゃねーか! さすがにこの場所ではナイぞ」
 だって、さっきのは完全にキスする流れだったじゃないか、とは怒られそうなので言わない。
「場所が違ったら、していいのか?」
 藤真は朗らかに、あくまで爽やかに笑むと、跳ねるように立ち上がった。そしてまだ座ったままの牧を顧みて猫のように目を細める。
「それじゃ、お前ん家に行くか。……この展開は去年の春にはなかっただろ?」
 言うと牧の返答を待たず、迷う素振りもなく歩き出した。
「ああ……確かに」
 家まで行けばキスだけでは済まないと思うのだが、いいのだろうか。
 到底白日には晒せないものを抱きながら、藤真を追ってまだ明るい春空の下を急ぐ。

ハニー・バニー 4

4.

 あれからしばらくして、オレは再び牧と会っていた。場所は二人ともアクセスしやすいからってまた新宿。店はファミレスだし外もまだ明るくて、前回みたいじゃない健全な雰囲気だ。
 理由は前回のデート詐欺になったお金を返したいためだったけど、牧はその分が入った茶封筒を受け取らず、テーブルの上を滑らせてオレの方へ返して来た。
「別にいいんだ。生活の足しにしてくれ」
 やばい、オレ貧乏キャラだと思われてる。
「いや、金に困ってるわけじゃないんだ。バイトに入ったのは人助けっていうか……」
 そりゃバイトで臨時収入があったら嬉しいくらいは思ったけど、騙し取ろうなんて思ってなかったし。もう一度牧の方に封筒をやったけど、やっぱりこっちに返されてしまった。まあ、牧からしたらどうでもいいくらいの額なんだろうしな。オレ的には額面の問題じゃないんだけど。
「今後困ることがあったら、あんなとこでバイトするより俺に相談してくれ」
「いや、ほんと大丈夫だからな?」
 なんかすげー心配されてる。この調子じゃオレが身体売ってると思い込んだときも、さぞかしいろんな妄想をしたんだろう。身体売ってなくてよかったってのは、その辺もあるのかもしれない。
「あのさ、もしかして、昔好きだった子に金を貸すシチュとかで興奮してない?」
「少ししてる。が、お前のことは『昔好きだった』わけじゃないぞ」
 オレは自分の顔がぶす〜っとしていくのを実感してた。わざとじゃない。自然にそうなってくのがわかる。
「お前性癖歪んでるよ。身体売ったと思って萌えたってのもよく考えたら変態な気がするし」
「萌えとかじゃない。お前の性的なことを想像してしまったというか……」
 牧は照れたみたいに目線を落として逸らした。きっと今もヘンなこと考えてるんだろう。
「まあとにかく、もうあの店のバイトはしないから」
 キャストはいい人だったし仕事内容も牧たちの件以外はラクで、割りのいいバイトって感じではあったけど、地味に顔を知られてるとこのあるオレはやっぱりやめといたほうがいいんだろうって実感した。
「そうか。それがいいな。……チェキ撮りたかったな」
「は???」
「ウサギの耳、よく似合ってた。昔お前のことウサギに似てるって思ったんだ」
 ちょっといいやつ風なこと言ってから頭おかしいこと言い出すのはやめたほうがいいと思った。しかもすごい優しい顔で笑って。いや似合うのは自分でも思ったけど、もうちょっと下心を隠せっていうか。
「……やっぱまたバイトしに行こうかな」
「それはやめてくれ。いかがわしいサービスがなくたってやっぱり心配だ」
「心配、なあ」
 なんで牧がオレのこと心配するっていうんだろう。理由はわかってるような、わかりたくないような。なんとなく会話が途切れて、ドリンクの氷の音なんかがしてたのはそう長い時間じゃなかったと思う。
「藤真。お前の気持ちが聞きたい」
「え……なに、気持ちって」
 牧は真剣な顔でこっちを見てる。もうこのままドリンク飲みきって解散したかったって思ってた程度に、牧が言いたいことに察しがつかないわけじゃなかった。牧の手が動く気配があったから、オレはテーブルの上に載せてた手を慌てて自分の膝に持っていった。
「昔のことじゃない。俺はお前のことが好きだ。この前帰った後もずっと考えてた。でも気持ちは変わらなかった。ただの衝動じゃなかった」
 こわいくらいの牧の目から視線を外して首あたりを見てた。それって、答えを出さなきゃいけないことなんだろうか。
「……わかんない。ちょっと考えさせて」
「どのくらい待てばいい?」
「え」
「どうして答えたくないんだ?」
 そうだね、そう。前回ラブホで無理やりされそうになったし、帰り際にキスまでされて、なのにオレから呼び出したりしてるんだから、そりゃあ当然脈アリだって思うだろう。嫌なら嫌って言えばいいだけだ。
「わかんない。嫌いじゃないよ……」
 ああ、お前が好きになったオレって多分こんなじゃなかったと思う。テーブルの上に牧の拳が握られてる。顔を見ることはやっぱりできなかった。怖いんだろう。見透かされるみたいで。
「そんな急に言われたって。考えたことなかったし」
 嘘だった。
 身体売ってるとかのやりとりで泣いてしまったのはなんでだろうって、まず考えた。落ち着いてしまえば簡単なことで、あいつに対しては『なに言われても、どう思われてもどうでもいい』なんて思えなかったからだ。
 昔接してた時間はそう長くなかったけど、きっとシンパシーみたいなもの感じてたし、オレは自覚以上にあの状況に──牧と並んで称されることに歓びを感じてたのかもしれない。追い越したかったのが本当だけど。結局、変な意味でなく、好きだったんだろう。
 認められたいと思ってたのに、嫌な奴らと同じ目で見られてたのかと思ったら、惨めな気持ちにもなる。
「じゃあ、考えておいてくれ。すぐじゃなくていい。また今度会う時に教えてほしい」
「うん……」
 牧が少し寂しそうな顔したような気がしたけど、オレは曖昧に頷くしかできなかった。
 会計は茶封筒の中から払ったものの、結局牧は残りも受け取らなかったからオレのものになってしまった。まあ、デートしたのはしたんだから別にいい……んだろうか。

 新宿駅東口近辺は今日も人が多すぎる。どっからこんなに湧いてくるんだって思って、オレたちだってここに住んでるわけじゃないんだからこの人混みの原因の一つなんだって答えを見つけてしまった。
 さすがに明るいからこの前みたいに袖は掴まないけど、オレは牧とはぐれないように距離を近く取って歩いてた。
 牧が何も話さないから、オレはつい思い出してしまう。
 会いたかったって言われた。好きだって言われた。
 抱き締められた体の熱さを覚えてる。
 押し付けられた衝動は同じモノを持ってる分だけ難解に感じたけど、後から思えばそう嫌悪感もなくて、すぐ慣れるんじゃないかって思えた。
 オレに何事もなかったって知って、牧は良かったって笑ってた。オレはお前を騙して傷つけるようなひどいことをしたのに、今日もお前はオレを好きだって言った。

 牧。オレもお前のことが好きだよ。

 どうして言えないんだろう。
 お前に投げた言葉とまるで同じことを、自分に対して思ってるからだ。いつからそうだったのか、知るのがこわい。お前に優しくされて嬉しかったのはどうして。お前と対峙したかったのはなんで。自分が一番大事にしてきたものを、自分の手で汚してしまいそうで怯えてる。
 今度会う時って、いつなんだろう。
 駅構内を足早に行く人々を、オレは個々人とは認識できない。失くし物をすれば見つける自信は持てない。
「それじゃ……」
「待て」
 改札前で離れて行こうとする牧の袖を、思わず掴んでいた。
「お前はどこいくんだよ? 電車乗らないのか?」
 この前だってそうだった。改札通らないでどこ行ったんだろうって思った程度に、オレは牧のこと気にしてた。
「俺はJRじゃないから」
「ああ……」
 なんとなくそうかなって見当はつけてたんだった。言うこと言ったって感じで離れていく牧の体。こっちの連絡先も聞かないで、「またね」も言わないままで。
 オレは牧の腕を強く引っ張って胸に頭を寄せた。
「どうした? 具合悪いのか?」
 オレが固まってると、牧はオレの肩を抱えて、通行の邪魔にならないように端っこに連れて行く。例のごとくオレが壁側だ。
「……帰りたくなくなった」
 牧は不思議そうな顔でこっちを見てる。頬が熱い。雑音が多くて小声でおしゃべりできる感じじゃないけど、大声で言えることじゃないから、オレは思い切り牧の首を引き寄せて唇を塞いだ。重ねるだけだけど、結構しっかりめのキスだったと思う。
「っ…! おい、こんな人が多いところで」
「誰も見てないんだろ?」
 牧が狼狽えてるのが気持ちよくて、オレは少し前まで不安だったくせに妙に強気になって、やらしい笑みを浮かべた。
 牧が言い出したことだった。チラ見していくやつがいたって、誰もオレたちのことなんて知らない、ただの少し変わった背景に過ぎない。だから誰も見てないのと同じ。
 それと多分牧の影になって、オレの姿なんて向こうからよく見えてない。こうやって抱き付いたって──応えるみたいに、牧の腕がオレの背中を抱えた。具合悪いわけじゃないのに、ほんとにくらくらしてくる。
「もうすぐ暗くなる」
「え?」
「今日会うの、明るい時間のうちで、明るい店ならいいって言ったのはお前だ。暗いとこで一緒に居るのに心配事があるからだろう」
 そういえばそんなことも言ったっけ。そうだよ。もう一度襲われたら、オレはちゃんとお前のこと拒否れるかわからない。
「大丈夫。……もう、どうなってもいいって思ってる」
 改札とは逆方向に、牧はオレの手を引いて歩き出す。夜の街がありふれた二人のことを口を開けて待ってる。
 オレがウサギに見えるっていうなら、お前は一体なんなんだろうね。

<了>

ハニー・バニー 3

3.

 外に出ると、牧はもうそこで待ってた。
「おうっ、牧……」
「お疲れ」
「お、おつかれ……」
 牧が目を逸らすもんだから、オレもなんとなく気まずい感じになってぼそっと喋った。それだけのやりとりで牧が歩き出したんで、慌てて付いて歩く。
「……うん、バスケの練習よりよっぽど疲れた。気疲れかな。一緒にいた人たちは?」
「次の店に行った。系列店らしい」
「お前は次行かなくていいのかよ」
「付き合いで連れて来られただけだ、俺のリクエストってわけじゃない」
「へえ。じゃあ、こういう、なに? 男とお喋りする店みたいなのは、行ったことなかったんだ?」
「ないな。初めてだ」
 口を開けば全然普通に言葉が出たし、牧もごく普通の感じで答えてたから、オレはすっかり安心していた。
「てかその格好なに? 付き合いって?」
 牧はスーツにネクタイ姿だった。海南の制服だってそんな感じだったけど、今はお互い大学生だ、スーツなんてそうそう着ない。
「親族のやってる会社に関わっていてな」
「なにそれ、こわっ」
「名前と役職があるだけだ。別に怖い会社じゃないし、よくあることだと思うぞ」
「へ、へぇ〜……?」
 正直よくわかんなかったけど、やっぱりこわいから突っ込まないことにした。
 今歩いてる路地は暗くて、駅前みたいに人で溢れてるわけじゃないけど、酔っ払いが好き勝手に歩くんでなかなか歩きにくい。あとなんだか外国人が多くて、あんまりいい印象は受けない場所だ。
 牧の歩きが早いってわけでもないだろうけど、どうにも歩き慣れないオレは、置いて行かれないように一生懸命広い背中を追ってた。
 最近は夜はもう寒いと思ってたけど、ここの空気は生暖かくて湿ってる感じがする。それからなんとなく臭い。建物が多くて風の通り道が少ないせいで、こんなに空気が淀んでるんだろうか。
 不意に牧が手首を掴んできた。
「っ……!?」
「はぐれそうだ」
「……なんだろうね。なんか、すげー歩きにくくて」
 牧の言うことを否定しきれなかったから、オレはそのまま手を引かれて歩いた。安心したみたいに感じたのは、つまり何かしら不安だったんだろう。何に対してかはよくわかんないけど。
 周りの景色も目に入ってるようで入ってなくて、建物や店よりは人が気になってた。大きい通りにいたような客引きとかは全然いなくて、代わりに職質されてる人がいた。あと黒い車、パトカー、消防車、救急車……勝手なイメージだけど、夜の新宿って感じだ。
 そのうち牧が足を止めた建物を、オレは凝視した。そういえば、どこに行くとか全然聞いてなかったんだ。
「えーと……ホテル?」
 ビジネスホテルじゃなくてラブホだと思う、これは。ていうかこの界隈きっと全部そうだ。
「この辺使ったことないから詳しくないんだ。どっかいいところ知ってるか?」
「えっ? いや、えっ?」
 オレは混乱した。そして理解した。牧はオレをからかってるんだ。もしくは天然。部屋に入ったらきっとなんてことなく、近況報告とか昔話とかがはじまるんだろう。
「ううん、ここで大丈夫」
 それにざわざわ騒がしい食べ物屋とかよりホテルの部屋の中の方が静かで話しやすいと思う。なんか妙に疲れてるしゆっくりしたい。
 中に入ると、牧は暗転ばっかりのパネルの中から点灯しているところを押した。部屋を選んだみたいだ。暗くなってるのが使用中ってことは、結構埋まってる。
 ラブホ来たのって実は初めてだ。いくらオレの顔が良くたって、高校の時ってとてもそれどころじゃなかったし。ていうか高校生ってラブホ入れるんだっけ?
 エレベーターに乗って、牧の後について入った部屋は我慢できないほどじゃないけど少しタバコ臭かった。あと狭い感じがした。
「狭いな……」
 牧も同じに思ったみたいでボヤいてる。けどさすがにベッドは大きくて、オレは吸い込まれるようにそこにダイブした。
 ──ばたっ!
「痛って……」
 ベッドのマット? が硬くて、イメージしたみたいに体が弾まなかった。
「なんかすごい音がしたぞ。……こういう感じなんだな、安いホテルって」
 牧は辺りを見回して、シクったな〜みたいな感じに頭を掻いてる。なんか珍しい仕草だなって思ったけど、オレは言うほどこいつのこと知らないんだった。大学生にしてどっかの会社の役職についてるらしいセレブだから、きっと日頃はお高いホテルを使うんだろう。
 牧はまあしょうがないな、とかボヤきながらジャケットをハンガーに掛けてネクタイを外してる。オレも上着を脱いでソファの方に放った。
「は〜〜」
 思ったより硬いベッドだったけど、そういうもんって思えばそこまで不満はなくて、オレはうつ伏せになって、両腕を横に伸ばしてくつろいだ。いやほんと、バスケの練習の方がずっと運動量あるんだけどな。自由に動き回れないのが却って疲れるのかもしれない。
 軋む音がして、ベッドのマットが沈んで体がぶれる。咄嗟に顔を上げて振り返ると、背中から伸し掛られて、思い切り顎を捕まえられて口を塞がれていた。
「んーっ!?」
 重い! 苦しい! それにキスされて──この状況、牧はオレとヤる気だ!? まじでそういう気でラブホだったんだ!?
 そう悟ったところで、もがくばかりでどうにもできない。体勢も悪いだろうし、相手が牧じゃあ力で敵わないのはよく知ってる。
 牧はオレの口を食べるみたいに、がっつくみたいにキスをして、容赦なく口の中に舌を突っ込んで掻き回したり、オレの舌を吸ったりしてくる。
 ぞわぞわする。いやだ。怖い。なんで。牧がオレの全然知らないものに変わってしまったみたいで、なぜだか涙が出そうになった。
「ん、んぅっ…!」
 牧の手はオレの腹、脇腹、と下りていって、尻を撫でたり掴んだりしだした。あのおっさんのこと窘めてながら、お前だってそういうつもりだったんじゃないか。
「っ…!!」
 その手つきがものすごくやらしくて、いや、たぶん尻なんて揉まれたら誰だって感じるだろう。体は反応して危ない感じになってきてるし、ズボン越しだけど尻の割れ目に硬いモノがぐいぐいと擦り付けられてる。ズボン履いてなかったらもう突っ込まれてるんじゃないだろうか。
「んんーッ!!」
 火事場の馬鹿力っていうのか、本気でヤバイって思ったらキスから顔を背けることができて、オレは声を絞り出した。
「牧ッ! やめろっ!」
「照れてるのか?」
 顔なんて見えなかったけど、牧は甘い声で言って、オレをぎゅうと抱き締めてきた。すごい力だ。あと牧の体温が熱い。興奮してるからってことなんだろうか。
「照れてないっ! 嫌なんだ、放してくれ……!」
「……そうか! すまん」
 牧は意外なほど素直に、跳ねるようにオレの上を退いた。
「シャワーを浴びてくる」
 そして風呂場と思しきほうへ行ってしまった。
「……」
 どうも、シャワーを浴びてないから嫌だっていう風にとったみたいだ。違う、そうじゃない。オレは呆然とした。
 なんで牧がオレを押し倒すんだ。何考えてるんだあいつ。
「……いや……」
 ちょっと落ち着いてきたら、むしろ牧の行動は当たり前のような気がしてきた。お持ち帰りしてきた子がラブホのベッドで寝てたら、多分普通は襲うよな。男同士ってことに関しては、事前にソッチ系の店で会ってて、オレは拒否権がありながらOKして付いてきたわけで……。
 うん。そりゃヤるだろう。
 天然はオレのほうだった。自分のやらかした行動に、壁に思い切り頭を打ち付けたくなった。それには嫌な思い出があるから絶対しないけど。
 疲れてるのかな。いや、牧を信用してた結果だ。仕事関係の付き合いだっていうから、結局あいつもホモだなんて思わなかったんだ。
 どうが正しいにしたってオレは牧とヤる気なんてなかったから、上着を羽織りカバンを背負っていそいそと部屋の出口に向かった。
 ドアのレバーを掴んでガチャガチャやるけど開かない。押しても引いても開かない。鍵が掛かってる? 閉じ込められ……?
「何してるんだ、藤真」
「ひっ!?」
 後ろから牧の声がして、オレはショック死するんじゃないかってくらいびびってしまった。
「すまん、驚かせたか」
 そんなの謝らなくていいから! 見た目にわかるくらいびびってたのかと思うと恥ずかしくて、あとバスローブ姿の牧の腰に思い切り盛り上がってるものが目に入ってしまって、一旦振り返ったオレは慌ててドアの方を向き直した。
「タバコくさいの苦手で、ちょっと、外でたくて」
 こじつけだった。確かに匂いはあるけど我慢できないほどじゃないし、オレはちょっと前までベッドに寝そべってくつろいでたんだ。それにこの格好、思い切りカバン背負って『ちょっと外でたくて』もないだろうとは思ってる。
「そうか……」
 牧は頭を掻いたのか、横目だからよくわかんないけど、多分参ってるような考えてるようなアクションをして、オレをその場に置いて部屋に戻ってしまった。
「……」
 さすがにオレがヤる気ないのに気付いたろうし、帰りたきゃ帰れって意味なのかな。それにしてもドアが開かないんだが。もしかして決まった時間になるまで開かないんだろうか。往生際悪くドアをガチャガチャやってたけど、ずっと玄関に座り込んで待ってるのもなんか、って思って部屋に戻ることにした。
 怖さも気まずさもあるけど、牧は無理矢理ヤる気はないみたいだから多分大丈夫。それどころかオレが帰ろうとしても怒りもしなかった。
 牧はソファに座って、冷蔵庫に入ってたのか缶ビールを飲みながら項垂れてる。まあそりゃ凹むよな。だってオレが同意してラブホについてきたと思ってて、ヤる気満々でシャワー浴びたんだもん。
 オレは行き場に困って、またベッドに戻った。ソファじゃ牧の隣になるし、もうヤる気ないの知ってるんだから、ベッドに座ったくらいで襲ってはこないだろう。
「牧。なんか、ごめん……」
 オレも悪かったと思ってるよ。迂闊だった。牧のことを天然だと思ってたら、いつの間にか自分が天然になってた。なんでかっていうと
「お前がオレとヤりたいだなんて思いもしなかった」
 そう口に出して言うと、やっぱりおかしいのは牧のほうのような気がしてきた。どうしてそんな気になったんだ。
「藤真、ラブホテルがどういう場所か知ってるか?」
「そりゃ知ってるけど」
「知ってて部屋まで来た」
「う、うん、だからごめんって。冗談かと思ったんだよ。お前にそういうケがあるなんて思わなかったし。……ていうかそうだよ! なんなんだよお前は!」
 オレが悪かったって思うのと、いや牧がおかしいんだろって思うのが交互に沸いてきて忙しい。牧は力のない目でこっちを見てるけど、脱力してるのはこっちだ。
「お前、オレのことをそういう目で見てたんだな」
 高校の時、一年にして強豪校のレギュラーを勝ち取ったオレへの嫉妬はすごいもんだった。プレイのことでは難癖つけにくいから外見のほうにいって、女みたいな顔とか、男に体売ってるの見たとか、そういう系のやつ。すぐ慣れたっていうか、くだらねーって思うくらいでガチで悩むまでじゃなかったんだけど、鬱陶しくて不快感はあって。
 でも牧は絶対そんなこと言わなかった。まあ、牧にはオレを言葉で下げる必要なんて全くないからってのもあったろうけど。
 だけど、つまり悪口じゃなくて本気でそういう風に見てたってことなんだろうか。それってすげーショックで、なんだか、悲しくなってくる。
「オレとヤりたいとか、思ってたんだ……」
 お前は完璧なオレのライバルだったはずなのに。オレがイビられてちょっと凹んでたとき、さりげなく気を遣ってくれたりしたの、いいやつだって思ってたのに、そういうの全部下心だったのかって思えてくる。オレの美しい青春を返してくれ。悲しくて、悔しくて、言葉の最後が弱くなる。
「そんなに嫌か?」
「……は?」
「ああいう店で働いて、おっさんどもに身体を売るのは平気なのに、俺とは」
 ──バチンッ!!
 オレは牧のところに大股で歩いて牧の頬をひっぱたいていた。左手だ。利き手でだ。
 視界が歪んで頰に熱いものが伝った。あんまり馴染みのある感触じゃないけどすぐやばいって思って、オレは玄関に走って部屋のドアをガチャガチャやった。やっぱり開かない。
「藤真!」
「なん…で……」
 いろんなものに対する「なんで」だった。あんまり情けなくて、その場に膝をついて崩れ落ちてしまった。
 オレはあんまり泣かない方だと思う。人と比べたことなんてないけど、欠伸とかしょうがないやつ以外で泣いた記憶は高校のバスケ部のお別れ会と、三年のインターハイが強く記憶に残ってるくらいだ。それをこんなところで、こんなしょうもないことで上書きされるなんて無性に腹が立って、それで余計に涙が出てくるような気がした。そもそもオレはなんで泣いてるんだろう。何がこんなに悲しいのか、悔しいのか。
「そのドアなら精算しないと開かない」
 牧が後ろでなんか言ってる。知らねーよそんなこと。ていうか
「ラブホのシステムも知らないオレがカラダを売ってるわけないだろう!!!」
 なんてかっこわるいキレ方なんだろう、しかも半分涙声で。
「売ってないのか……?」
「売ってねえよ」
 こんなの、昔よく言われたクソしょうもねー悪口で、どうってことなかったはずなのに、なんでこんなに胸が痛くて涙が出るのか、意味がわかんなかった。
「そうなのか、よかった……」
 オレはこんなに惨めな気持ちなのに、牧は安心したみたいな感じでそんなこと言ってる。むかつくやつ。オレはドアの下に座り込んだまま、ドアを見つめたまんまで言った。
「お前もあいつらと同じだったんだな」
「あいつらとは?」
「オレが枕だとか体売ってるとか、くだらねー話で盛り上がってたやつら」
「高校の時の話なら、ただの中傷だとしか思ってなかった。見た目がいいのも苦労があるんだなって思ってたくらいだ。今日のことなら、あの店で会ったことが全てだ」
「……オレは大学の友達の穴埋めで、今日初めて入ったんだって、聞いてない? それにあの店は性的なサービスはしてない」
 アフターデートはあるけど。
「ヘルプだとは聞いた。だがあの店じゃない別のところで、似たような……もっと過激なことをしてるんだろうと思った。同行者に煽られたのもあるし、高校時代聞いたことの影響もあるだろうな。でも、そうじゃないんなら良かった」
 何言ってんだこいつ。声には出さなかったけど、もうそんな気持ちしか湧かない。急にいいやつぶったって無駄だ。オレの中でお前の株は大暴落したんだ。
「よかったんだ? ラブホまで連れ込んだあげくヤれなかったのに」
「ああ。……安心した」
「オレが誰とヤってたって、お前に関係ねーじゃん」
「……まあ、実際お前が好んでそういうことしてるなら、俺には何も言えることじゃないんだろうな」
「そうだよ。オレたちって、勝手に周りからセット扱いされてただけのただの知り合いなんだよ」
「そうか……友達まではなってなかったか」
「……そうだよ」
 なんかヘンな感じ。牧が消沈してるみたいな調子だから、オレが悪者みたいじゃねーか。
「高校のうちにもっと……友達になりたかったな」
 なに恥ずかしいこと言い出してんだ。こっちのほうが恥ずかしくて顔が熱くなってくる。よくわかんない。しんどい。胸の辺りがモヤモヤする。オレはうなだれて、ドアにこつんと頭をぶつけた。
「友達はセックスしないよ」
「……そうだな」
「早くドアを開けてくれ」
「ああ。着替えてくるからちょっと待ってくれ」
 ずっとドア見てたから忘れてたけど、そういや牧ってバスローブのままか。オレとヤりたいばっかりに。いや、まだ解決してないぞ。
「売ってると思ったからって、買いたいと思うのが理解できない。結局お前は高校の時からオレのこと」
「言っただろう。高校の時は友達だと思ってた。誰が何を言ってたって、そういう対象として意識したことなんてなかった。だが、あの店でお前を見て」
 ちょっといかがわしい風な店にいたからって、そんな突然そうなるもんなんだろうか。
「いや……違うな。大学入ってから、高校の時みたいにお前の名前を聞かなくなってた。なんか物足りないように感じるのはそれなんだろうなって、お前のこと思いだしたりしてた」
 オレもそう。全然名前が聞こえなくなって、でも牧の存在は消えなかった。
「昔のこととか、今はどうしてるんだろうとか。もちろん、大学のこともバスケやってることも知ってるが、そういうことじゃなくて……会いたいと思ってた」
「ううん……」
 なんとも言えない呻きみたいな返事をしてしまったのは、実際オレの頭の中がそんなだからだ。ショックだ、見損なったって思ったのに、オレのこと思い出してて会いたかったって言われたらなんだか嬉しくて、やっぱり嫌いになれないっても思ってる。大して仲良かったわけでもないのにな。
「それで今日だ。場所柄とか、バイトの衣装とか、連れに言われたこととか、まあいろんな要素のせいで、お前が金と引き換えにいかがわしいことをさせてるって思い込んでしまった。ショックだった。大事なものを汚されたみたいな、喪失感っていうか、茫然っていうか……だが、興奮もした。それでお前のこと好きだって自覚したんだ」
「!?!???」
 オレはその場でフリーズしてた。牧の言葉が続かないから後ろを見たら、そこにはもう誰もいなかった。部屋に戻って着替えてるんだろう。
 なんだかすげー複雑な気分だ。言ってることは理解できなくはない。あのセクハラおっさんが変なこと言ったんだろうって想像もつく。ショック受けたとこからヤる気になったのだって、あいつはメンタルも強いしなって妙な納得感がある。でもさらっと好きだなんて言われて、オレは一体、どういう反応したらいいんだろう……。
 少し待ってるとしっかりとスーツを着込んだ牧が戻ってきて、精算機に金を入れてる。
「……ネクタイは?」
「持ってる」
 思いのほか普通の会話をして、オレはようやくラブホの部屋から脱出した。ドアを閉めながら、牧は戸惑うみたいに、ちょっと不思議そうにオレを見た。
「なに?」
「逃げないのかと思って」
「別にもう何も起こらないだろ?」
 ラブホの密室の中で、バスローブ姿になってすら何もしてこなかったやつに、路上で犯される想像をするほどオレの頭はめちゃくちゃじゃない。なんだかんだ思ったけど、結局、牧はいいやつのままだった。
「嫌じゃないのか。一緒に居て」
「別に。あんまりめんどくさいこと言ってると嫌になるかもしれないけど」
 牧はコートの上で帝王とか呼ばれてた感じとは違って、素の時は穏やかで、ちょっとずれてるけど案外普通だったって印象がある。多分、今もごく普通の発想として、オレに嫌がられてるんじゃないかって心配してるんだろう。そりゃそうだよな、押し倒したし告白までしたんだ。
 こ、告白……? だめだ、頭が働かない。

 部屋にそんなに長居はしなかったはずだけど、ラストオーダーで店を出たんで時間はそれなりだった。相変わらず外はオレみたいな物知らないガキには嫌な雰囲気で、オレは牧とはぐれないようにくっついて歩いた。来た時みたいに牧から手首を掴んでこないのは、そりゃヤる気満々だったときと拒否られた後との違いだよな。オレは自分から牧の袖を掴んだ。牧は驚いた様子でオレを見る。
「歩きにくくて、はぐれそうだから」
 本当のことだ。もうこいつ相手に恥ずかしいとかどうだっていいんだ、長いものには巻かれる。ちょっと違うかもしれないけど。
 新宿駅が近付いたら祭りでもやってんのかよってくらい一気に人が増えて、それはそれではぐれそうだったからオレは相変わらず牧の袖を掴んで歩いてた。酔っ払いが多くて誰も他人のことなんて見てやしないし、オレもそんなに周りのこと気にしてられないような、すごく落ち着かない気分だった。
 人の渋滞の中、改札に向かって進んでるうち不意に気付いた。その気がないくせに牧にデート代とホテル代払わせたのって完全に詐欺じゃんか。バイト代が入ったら返さなきゃ。周りはいろんな音がしててうるさいんで、オレは牧の腕を引っ張って背伸びして、耳元に言った。
「牧、連絡先教えて」
「えっ!? あ、ああ」
 牧はすげー驚いた様子で、オレの手を引いて端の方に寄ってった。人波の中、通り道のど真ん中に立ち止まってられないからな。オレも納得して従った。
 牧はオレを壁際に寄せて、自分は人が歩く側に立った。近いなって思うくらいだから、そんなに通行の邪魔にはなってないはずだけど、それでも牧の背中にはときどき人がぶつかっていって、なんだかこえーなってオレはちょっと引いてしまった。
 牧はスーツの内ポケットから取り出した手帳に電話番号を書くと、そのページを破って折り畳み、オレの手に持たせて──そのまま手を握ってキスをしてきた。
「っ……!!?」
 ラブホでされたみたいじゃない、唇を重ねるだけのキスだった。オレは唖然として牧を見た。驚きすぎて感情はあんまり付いて来てなかった。
「お前、なに、こんな人が多いところで……」
「誰も見てない。見てたとしても気に留めない」
「ああ……?」
 そうかもしれない。ただの駅の構内にこんなにもたくさんの人間がいて、ただただ足早に流れて行く。さっき牧にぶつかっていったやつだって障害物に掠ったくらいにしか思ってないだろうし、オレがいかがわしいバイトをしようが、牧が会社の役員だろうが、そんなのはこの場所にいる殆どの人間にはどうでもいいことで、ただ自分たちの目的地を目指すだけだ。
 オレはオレの世界の中心人物だけど、それと同時にこの人混みの中の一員でしかないんだって、なんだか唐突に気付いてしまった。それは牧も同じことで、オレたちはもう、周りから双璧とか言われてた〝特別な二人〟じゃないんだ。
「それじゃあ、また」
「あ、うん、また……」
 牧の姿が遠ざかる。群衆の一部になって雑踏に紛れて消える。オレも同じように、人の流れに乗って改札を通って帰路へのホームを目指した。
 何かぽっかり穴の空いたような気持ちと、どっか引き攣れてるみたいな感じがしながら、手の中のメモを失くさないように上着の内ポケットにしまった。

ハニー・バニー 2

2.

 お店と仕事についてあれこれ説明を受けて、メイドの二人が各テーブルをチェックしてるのを手持ち無沙汰に眺めてるうち、お店のオープンの時間になった。MIAっちょが芝居掛かった動作でドアを開けると、外で待ってたらしいお客さんが入ってくる。
「お帰りなさいませご主人様!」
 バニー一同、もちろんオレも、声を揃えてお出迎えだ。今は系列店のほうにいるマスターの趣味で、アキバ系のノリを雑に取り入れたんでこういう挨拶をしてるらしい。
 オープン待ちのお客さんは二人組かと思ったら、一人×二組だった。常連みたいで、他の三人とめいめい挨拶しながら席に案内されていく。一人が歩きながらオレをガン見した。
「あれ? 新しい子?」
「マコっちのヘルプで今日限定! 激レア!」
 ウェイターの仕事以外はニコニコしてればいいよ、喋りたきゃ喋ってもいいけど、って言われてたから、オレはとびきりの美人スマイルをした。
「すっげえ美形! どっから連れてきた!? ジュニアとかじゃない!?」
 ジュニアのイントネーションから、某大手男性アイドル事務所の予備軍のことなんだろうってわかった。
「ジュニアがこんなとこいるわけないでしょ〜?」
「はは、まあそりゃそうか!」
 こんなとこって言っちゃうんだ、って思ったけど、適当に愛想笑いをしてやり過ごした。

 お客さんはまったり増えて、時間制限もあるんでそれなりにはけて。オレは注文したそうな人がいれば聞きに行ったり、タツミさんからお酒やら軽食受け取って運んでったり、ビールサーバーからビール汲んだり、灰皿替えたり、話し掛けられたらふわふわ笑って助けを待ったり。まあまあついていけてるんじゃないか?
 やたら見られるのとか見た目いじられるのは慣れてるし、人見知りはしない方だけど、初対面のお客さんと談笑するってのはやっぱり勝手を知らないときびしいと思う。まず話題がわからない。別にそこまで求められてないし、今日だけのヘルプなんで余計なことはしないでおく。
 マコトが言ってた通り性的なサービスはなさげだけど、チェキっていう一緒にポラロイドカメラで写真を撮れるサービスがあって、一枚千円。誰がポラ一枚に千円出すんだよって思ってたけど、MIAっちょはちょくちょくご指名されていた。オレは名札に『チェキNG』ていうシールを貼ってて、時々名札見られて「あぁ〜……」って、察したみたいな反応されてる。
 安いとはいえない飲食代にプラスで席代が掛かる、この店に結構人が入ってるのは個人的には不思議だ。カウンター周りに人がいない時、タツミさんに聞いてみた。
「結構お客さんくるんですね。メイドってやっぱり人気なんだ」
「いや、メイドタイプが二人入ってるのは珍しいのよ。一応バニーボーイの店だからね。MIAっちょは普段別の曜日で、今日は代役で臨時。それでマコっちの代役がキャスト内で確保できなくてキミに来てもらったってわけ」
「なるほど」
「お客さんはね、うち系列店がいくつかあって。こういうのじゃないガチ目のサービスする店でさ」
「ガチめ」
「そこの順番待ちの時間潰しが結構いる。うちのスタンプ貯めたらあっちでオマケがあるからさ。まあほんとにウチ目当てにしてくれる人もいるけどね」
 そんな会話をしてた、すぐ次に入ってきたお客が問題だった。
 ──カランカラン
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
 入り口に向かって丁重にお辞儀をして頭を上げ、オレは硬直した。
「ま…」
 き。続く一文字は咄嗟に飲み込んでた。
 あっちもオレをガン見してて、相変わらず色黒の老け顔をした、気持ち厚めの唇が小さく動いた。藤真、って呟いたんだと思う。
 スーツ姿のおじさん三人組(一人は若いおじさん)は、麗華さんが奥の方のテーブルに案内していった。オレがたびたび避難してるカウンターからは見えない位置の席。12卓か。
 常連さんの相手が一段落したらしいMIAっちょが擦り寄ってきて小声で言った。
「もしかして:知り合い」
 MIAっちょの仕事ぶりを見ながら、よく気がつくもんだな〜なんて感心してたんだけど、まあさすがに目ざとい。
「う、うん、まあ……」
 あれは完全に牧だった。ただでさえ人違いするような見た目じゃないし、オレはあいつの体格なんて絶対見間違わないし、明らかにオレに反応してたし。
「敵?」
「え?」
「嫌いな人?」
「そういうわけじゃない。ただ、この格好で会うとは……」
「この店に来てる時点で同類だ! キニスンナ!」
「あー……なるほど……?」
 ていうか牧ってそうだったのか?
「あの人たち、よく来る?」
「MIAが入ってる時は見たことないなぁ」
「ここのお店は初めてらしいわよ。タツミさん、注文」
 麗華さんは三人分のガチ目のお酒の名前を読み上げる。ビールとかカクテルじゃないやつのロックとかストレート。ていうか牧はオレとタメなわけで、まだ──まあ、見た目は違和感ないんだけど。
 麗華さんはMIAっちょからなにやら耳打ちされて、それからオレに小声で言った。
「ケンジくんはあっち側行かなくていいから。この辺のお客さんを見てて」
 要するに、あらぬ格好で知人に出くわしてしまったオレに気を遣ってくれてるんだ。ありがたく厚意に甘えることにする。
 そうしてつつがなく勤務続行、のはずが。お店は混んでくるわ、12卓の注文ペースが妙に早いわ、オレはお客とお喋りできなくて度々二人に助けてもらってるわ、で、すこぶる回ってない。
 察しはいい方なんですぐに気付いてしまった。オレのカバーしてる範囲が少なすぎる。二人は常連の相手だってあるし、カウンター周りはタツミさんだって見てるんだし。
 カウンターに出されて置かれたままになってた12卓行きのお酒を、オレは自分のトレーに乗せた。
「あの。オレ、別に大丈夫なんで、12卓行ってきます」
 タツミさんに言うと、GOOD! て感じで親指を立ててくれた。
 お酒を持っていくと、おじさんの一人が「おお、やっと来てくれたね紳一くん!」って言ったのが聞こえた。こいつやっぱ牧紳一なんだよな、って改めて思ったけど、牧を見ることはなんとなくできなかった。目が合ったら気まずいし。
 ていうかオレを呼ぶためにやたら注文してたんだろうか、さっきのおじさんの言い草。
「いやあ、すごい美形だね。お店で一番じゃない?」
「そんなことないです……」
 このおっさん。無神経っつーか、もうちょっと褒め方があるだろっつーか、キャスト同士でカドが立つとか思わねーのかな。あと、素顔は知らないにしても、キャラ作り込んでどんなお客ともお喋りしてる他のキャストがオレより下とは思えなかった。
「かわいいねえ、ウサギちゃん。しっぽを見せてくれるかい?」
「はあ……」
 容姿を褒められるのなんて慣れてるし、他のお客さんは大丈夫だったけど、このおっさんはなんかやだな、気持ち悪い。でもオレだって自分の立場くらいわかってるから、後ろを向いてスラックスにくっついてるしっぽを見せて、再び前に向き直る。
「あ〜〜ッ、いいね!  腰が細くて、お尻がキュッと小さく締まっててさ。なんか運動やってた? あ、バスケとかかな? 色白いしね。華奢に見えるけど脱いだら意外と筋肉あるでしょ」
「……」
 バスケは牧からの連想なんだろうけど、なんか本気で気持ち悪くてオレはもう愛想も振りまけなかった。
「ケンジくん……か」
 おっさんの手がオレの手の甲に伸びようとするのを、褐色の大きな手が止めた。
「やめてやってください。嫌がってます」
「おおっ、そうか、すまんね!」
 おっさんは戯けた調子で笑いながら謝ってくる。全然すまないと思ってない感じだ。そしてやっぱり牧はいいやつだ。
「ありがとう……ございます」
 ようやく牧を見たら思い切り目が合ってしまった。確かに牧だけど、店の照明のせいか、久々だからそんな気がするだけか、視線が鋭いっていうか、少し怖い印象だった。おっさんに怒ってるのかもしれない。
 カウンターに戻るとMIAっちょが寄ってきて「お疲れ、ムリスンナ、やっぱ12卓は私が見るわ」ってぼそぼそ言った。
「うん。ありがとう」
 オレは素直に頷いた。牧が止めなかったらあの感じ多分耐えられなかったし、あのおっさんとの関係は知らないけど、目上の人なんだろうから人間関係が悪くなっても困る。

 それから少しずつ人が減って、オレも手前側の卓ばっかり担当して、平和に時が経過していく──と思ってたら事件が起きた。
「ケンジくん、ちょっと」
 麗華さんはオレを引っ張ってロッカールームに連れて行くと、口の横に手を添えて小声で言った。
「アフターって、説明したの覚えてる? 聞き流していいよって言ったとこだけど」
 一応覚えてる。アフターデート、お店終わった後のキャストとデートできるかもしれないっていう、この店のぼったくりシステムだ。まずただのコピー紙の申し込み用紙の購入に二千円。それで申し込んでも目当ての相手が拒否れば成立しないし、成立したらしたで追加でお金が掛かる。デートするだけだからエロいサービスも保証されてないっていう、誰が利用するのか謎なシステムだ。金が有り余ってて目当ての子がいればアリなんだろうか。でもこっちの拒否権の方が強いんだぜ? 発端はキャストの出待ちを追い払うためだったとかなんとか。
「実は、ケンジくんにアフターご指名があって」
 無理って言おうとした口の動きを遮るみたいに麗華さんが続ける。
「マコっちからも聞いてるしNGなのは承知してる。断って全然構わないんだけど、知り合いみたいだから一応確認しとこうと思って」
「し、しりあい……」
 嫌な予感っていうか。変に心臓がバクバクして、頭の弱そうな喋り方になってしまった。
「12卓の三人の中で一番若い人。ガタイ良くて色黒で泣きぼくろの人なんだけど」
 牧じゃねーか! 一体なに考えてんだ!
 いやそういえば牧の実家は金持ちだって風の噂に聞いたことがある。多分俺らとは感覚が違ってて、金持ちの道楽ってやつなんだろう。
「ケンジくんが拒否ったとは言わないから。お店側で、ヘルプの子は紹介してないんですって言うようにするから、それは安心して」
「いえ……請けます」
「マジで!? ほんとに!? お金困ってるなら貸すけど!?」
 麗華さんの驚き具合から「アフターなんてキャストも大体スルーしてるよ」って言われたのが本当なんだろうってわかる。請けるとバイト代に上乗せがあるらしいけど、それが目当てなわけじゃなかった。
「あいつ、知り合いっていうか、結構仲良くて。こういうとこで会うと思わなかったのと、一緒にいたおっさんは嫌だったけど……」
「あー、あっちはひどかったね。まぁ、そうか、じゃあほんとにOKしていいのね?」
「はい」
 オレは頷いた。頷いてしまった。
 別に牧とデートしたいって思ってるわけじゃない。牧だってそうだと思う。
 オレたちには昔ほど接する機会はなくなってて、今日だって結構久々に会った。
 オレは街で牧を見掛けたら、彼女と一緒とかじゃない限り声掛けると思う。そのくらいには親しかったはずだ。牧もそんな感じで、ちょうどよさそうな店のシステムを使ってお喋りしようってだけだろう。そうでもしないとオレはあのテーブルに近付かなくなってたし、金持ちだから金は惜しくないはずだし。
 アフターのあるオレはラストオーダーの時間でお役御免になり、みんなより少し早く着替えて裏口から店を出た。帰り際、MIAっちょに「がんばれ〜」とか言われてしまった。完全に誤解されてる。

ハニー・バニー 1

1.

 大学に入ってすぐの講義の後だった。
「ふじまくんって背が高くてかっこいいね! モデルか何か?」
 そうだ、オレは一般的には背は高いほうで、本来はかわいい系じゃなくてかっこいい系なんだ。真っ当な評価に思わず振り返ると、そこにいたのは小柄な男子生徒だった。髪は少し長めで茶色、生え際が少しだけ黒いから染めてるってわかる。大学ではまったく珍しいもんじゃない。華奢な肩幅と、割に幼い顔立ちのせいか小動物系の印象があって、まさしくかわいい系の男子ってやつだった。あんまり好きな表現じゃないが、そう感じてしまったんだから仕方ない。高校でバスケ部絡みの多かったオレにとっては珍しいタイプだった。
「バスケやってるから。その中じゃ背は高くない方だな」
「そうなんだ。体育系ってコワいイメージだったけど、バスケは爽やか系なんだね!」
「いや、うーん、まあ……」
 そうでもなかった。たぶん上位のほうは彼のイメージ通り、体のでかいゴツいやつが多くて、だからオレなんかは嘗められやすい。けど、初対面の相手にわざわざそんなことを説明する気もしない。
「君、名前は?」
「マコト。仁澤(にざわ)マコト。さっきの講義できみの後ろの席にいたんだよ。見えてなかったかもしれないけど」
 自虐ネタみたいなのは反応に困るからやめてほしい。けど、でかいやつや運動してそうなやつを自然と目で追ってたから、正直、見えてなかったってのは正解だった。眼中になかったっていうか。さすがに言わないけど。
 そのうちマコトの友人らしき生徒が現れて、彼との初対面はそれだけの会話で終わった。

 あれから半年。マコトとは顔を合わせれば他愛ない会話をするくらいで、特別に親しいってわけでもない、ごく普通のクラスメイトって感じだった。だからこの申し出にはすごく驚いた。
「ふじまくん! 1回だけでいいんだけど、おれの代わりにバイト入れない!?」
 人気のない場所に連れて来られたと思ったら、目の前で手を合わせて頭まで下げられてしまった。
「えっ……いつ? バスケもあるんだけど」
 聞きたいことはたくさんあったが、まずはそこからだ。いやどうだろう、とりあえず予想してない展開だったから、あんまり頭は回ってなかった。マコトは手帳を取り出してオレの目の前に突きつける。
「この日! の夜! 17時か18時くらいから入れるといいんだけど、予定ある!?」
 鬼気迫る、ってまでじゃないのかもしれないけど、マコトはなかなか切羽詰まってる様子だ。そしてオレには予定ってほどの予定はなかった。バスケがあるから世間一般の大学生のイメージほど暇じゃないけど、高校の時が忙しかった分、ときどき手持ち無沙汰を感じるくらいに余暇も心の余裕もある。
 けど、思えば『予定がある』って言って断ってもよかったんだよな。オレはちょっとズルさが足りないところがあるって、そういえば高校の時に言われたっけ。そう知らない相手からの唐突な依頼に、単純に興味があったってのもあるだろう。
「どういうバイト? ていうかなんでオレに?」
「まずバイト内容はウェイター。お酒と軽食を出すバーラウンジだけど、おれの代わりのふじまくんがやることは注文とるのと、できたものをお客さんのところに運ぶだけ。ふじまくんに頼んだのは見た目がいいからと、正直、めちゃめちゃ知ってるやつには知られたくないことってあるじゃん?」
 健全なスポーツ青少年のオレにもなんとなく想像がついてしまった。あんまり関わらないほうがいい気配がする。
「でね、あと、恵まれてるやつって基本的にいいやつっていうか、人の足を引っ張る必要がないっていうか、信用できる人間だと思ってて」
 基本的に同意だけど、かつてのチームメイトより先に牧の顔が浮かんでしまってなんだか狼狽える。まあでも、チームメイトとは利害が一致してて、牧はいわばオレの敵で、立場上はイヤな奴で、それでも「こいついいやつなんだな」って思った記憶があるんだから、相当いいやつには違いないはずだ。
「ふじまくんは多分そういうやつだっておれは直感したんだ」
 オレが牧みたいだって? って一瞬思ったけど、違う。信用に足る人間かって話だ。身近なやつには知られたくないとかなんとかって、つまり。
「風俗ってやつ?」
「ぶっちゃけそっち系ではある。でもあくまで仕事はウェイターだよ。お客さんに話し掛けられることくらいはあるけどお触り厳禁だし、そこは安心してほしい。コンセプトカフェってわかる?」
「あー、聞いたことあるかも……」

 クラスメイトとの会話から久々に牧のこと思いだしたのが数日前。
 高校の時は学校として〝打倒海南〟ていうのがあって、それがオレの世代とポジション的に〝打倒牧〟になったのはごく当然のことで、オレはしょっちゅう牧のことを考えてた。
 今思えば、周りからしてそうだったんだ。双璧とかいってセットにして煽るんだから、意識するなってほうが無理だよな。牧もそうだったのかもしれない。試合会場なんかで顔を合わせるたび「あっ牧だ」「お、藤真か」って、互いのこと大して知らないのに知り合いみたいになってた。目立つからすぐわかったとか、二人して同じこと言って。
 火花バチバチのいがみ合いみたいにならなかったのはなんだろうな。単に性格かもしれない。あとは出身中学のガラは結構出るよなって花形と話した記憶があるけど、牧がどこ中出身かすらオレは知らない。
 けどそれも高校時代までのことだ。オレもあいつもそれぞれ大学でバスケを続けてるものの、もう神奈川県内だけの世界じゃないから、セット扱いにされることも、牧の名前が自動的にオレの耳に入ることもなくなっていた。
 牧の流れで思いだした。若い頃のことを〝美しい思い出〟にするのっておっさんになってからのことだと思ってたけど、高校でのバスケ関係について、オレは既にそういう思いを抱いてしまってる。
 一概に今より昔が良かったって思うわけじゃない。プレイに打ち込むなら絶対に今の環境の方がいい。ちゃんとした監督もいるしな。
 高校の時は、正直ネガティブな思いを抱えることもあった。でも、だからその分、たくさんの味方たちの存在が本当に大きくて。重さっていうふうに感じたこともあるけど、そのおかげでオレはあの場に留まっていられたっていうか。結果のこと言われるとちょっと痛いけど、オレは最高のチームで最高の体験ができたと思ってる。
 本当はみんなを勝たせたかったけど……ってお別れ会で言ったらみんな号泣して、でもそれは勝てなかったことへの悔し涙じゃないんだって伝わってきて、オレも泣いてしまった。みんな同じ気持ちでいてくれたんだって嬉しさと、もうこのときは終わるんだって寂しさと。
 大人になって年を取っても、高校でのことは絶対忘れないんだろうって思ってる。
 そんな〝美しい思い出〟の中の、牧も重要な登場人物の一人だった。同じ一年からレギュラーで、同じポジションで、文句のつけようがないくらい強くて、だけどオレだってもう一歩! ってところまではいけてたはずで。あいつとコートの上で向き合うのが、やっぱり一番、なんだろう、興奮する? 盛り上がる? ちょうどいい言葉が今思い付かない。とにかく特別だったんだ。目標だったし、愉しみでもあった。
 今もお互いバスケやってるのに思い出って言ってるのは昔とは環境が変わったからで、オレの今の目標は牧じゃなくてレギュラーに定着することだし、きっと牧だって牧なりに別のものを見てるんだろう。あのときって本当にあのときにしかなかったんだって、なんだか感傷的な気分になってしまった。

 さて、あんまり昔じゃない昔のことを回想してたら着いてしまった。新宿三丁目駅。
 オレは結局マコトの頼みを引き受けることにした。そのバイト先の一番の最寄駅がここ、のはず。新宿駅東口からも歩けるって言われたけど、素直に店に近い方にした。
 新宿駅ほどじゃないにしても、駅の近辺は結構な混み具合だった。それがバイト先の地図を見ながら歩いてるうち一気に閑散としだして、みんな一体どっから湧いてどこに消えたのかって不思議になる。
 前の方を歩いてるのは、男同士のカップルみたいだった。二丁目はそういうところだとして、三丁目ならセーフでは? って思ってたけど、近いんだから結局そうなるか。別に気にしないって思ったから引き受けたんだけどさ。
 自分がそうなりたいかどうかは別として、偏見はないつもりだ。なぜか男に告られたことが複数回あるから、おおっぴらにしてないだけで潜在的には結構多いんだと思ってる。
「おっ」
 思わず声が出た。少し先の店先に、頭にウサギの耳をつけた、ベストにスラックス姿のボーイの姿が見えた。引っ張り出した看板にライトを点けると、店の中に戻ってく。あの店だ。
 早足で近付いて見ると、看板には〝ハニー・バニー〟という店名と、どっかで見たことあるようなウサギの横顔のイラストが描いてある。これ大丈夫なのかな、パク……いや、たまにあるよなこういうの。気にしないことにしよう。
 時間は約束の17時より少し前。準備中の札が掛かったドアを押すと、カランカランとベルが鳴って、店内のウサギたちの目が一斉にオレを見た。
 その中で一番手前側にいた女の子がタタタッと走ってくる。メイドみたいな黒い膝上のワンピースにエプロンをして、茶金髪の巻き髪の頭の上にあるのはウサギの耳。これがこの店のコンセプト。マコト曰く〝バニーボーイのいる店〟だそうだ。
「すみませぇん、まだ準備中で!」
「マコト君の代理の藤真って言います」
「あぁ! はいはいようこそ! へえ〜ほんとにヤバいイケメンだ!」
「ヤバいって……」
 悪い意味じゃないんだろうってのはわかるけど、どういう説明をされてたのかちょっと気になる。
「だからちょっとくらいミスってもやさしくしてね! ってマコっちに言われたのよ。うち基本忙しくないし、大丈夫だと思ってるけどね」
「はい、がんばります……」
 ミスとか言われたら途端に不安になってきた。難しい仕事じゃないとは聞いてるけど、自慢じゃないがオレにはバイトの経験なんてない。文化祭の模擬店でウェイターみたいなことやったくらいだ。監督の経験ならあるんだけどな。
「そんなかしこまんないで大丈夫よ、タメ口でぜんぜんいいし! アタシは麗華(レイカ)。キミもこの名札にお店で呼ばれる名前を書いてね」
 胸に付けたにんじん型の名札を指しながら、オレにも同じものを渡してくる。名前、源氏名ってやつか、どうしよう。別にケンジでいいや。雑に考えながら、気になってたことを聞いてみる。
「バニーボーイって聞いてたけど、女の子もいるんですね」
「男の娘(コ)で〜す☆」
「あっ……なるほど……」
 言われてみれば男が裏声で作ってるって感じの声だけど、女性でもこういう声の人はいるよなって絶妙なラインだった。
「で、着替えはこっちで──」
 麗華さんに連れられて、店の奥のロッカー室で貸与の制服を受け取った。背中の空いたベスト(カマーベストって言うらしい)、ウサギのしっぽのついた細身のスラックス、蝶ネクタイ、ウサギの耳。ワイシャツと革靴は持参。サイズは事前に伝えてたからピッタリだ。制服についてマコトから聞いたときは戸惑ったけど、服装自体は普通のボーイだっていうのと、店員全員そうだから恥ずかしくないよって言われて、そんなもんかって思ってしまった。
 姿見に映すと、うん、まあ一人でこの格好で駅前にいろって言われたら無理だけど、意外と平気なもんだ。ていうかオレってウサギの耳似合うな。今まで生きてきて初めて知った。
「あらぁ〜似合う! かわいい! 不思議の国から出てきたみたい!」
 ああ、今の麗華さんはちょっと男っていうか、オネエって感じだったな。あとその例えの方が不思議だと思った。
「それじゃ、今日の他のキャストを紹介するわね」
 カウンターにいるのは調理とお酒作るの担当のタツミさん。さっき店先に看板を出してたボーイスタイルの人だ。オレが見てもでかいと思うほど背があって、バラエティ番組でよく喋ってる男性アイドルみたいな2枚目半の感じのお兄さん。
 それと、オレと入れ違いにロッカー室に入って行って今出てきた、黒髪ぱっつん前髪のツインテールのメイドウサギ、きっと男の娘なんだろう。名前は──
「エム、アイ、エー?」
「ミアだよ! エムアイエーはないわ!!」
「ああ……」
 MIAと書かれた名札をそのまま読んだら怒られてしまった。
「ミアちゃん」
「ミアっちょ!」
「はあ……」
 名札を改めて見ると、確かに〝MIAっちょ〟って書いてあった。心の底からめんどくさいと思ったけど、ここでは先輩なんだし、今日だけなんだから我慢しよう。

ボーイズ・ラブ

 すっかり体に馴染み、居心地のよくなったソファで寛ぎながら、藤真は部屋の主を見上げてふと思い出したかのように言った。
「牧ってさ、昔ゲイの先輩と付き合ってたって言ってたじゃん?」
「別に付き合ってはないぞ」
 牧は藤真の隣に腰を下ろしながら、次に何を切り出されるのかと微かに身構える。初めてその話をしたときには大して突っ込まれなかったはずだが、藤真はソファの肘掛けに頬杖をつき、疑惑ありげな目をこちらに向けている。
「割り切りでやったのな」
「まあ、そうだな」
 すでに終わったことだったし、過去に他の誰かと交際関係があったのは藤真も同じだ。引け目などないはずだが、牧は藤真から責め立てられているような気分になっていた。
「他には? 男」
「お前だけだ」
「じゃあ、付き合ったりやったりはしてないけどゲイの友達がいるとか」
 眉を顰めた藤真に、牧もまるで似たような表情をして返す。
「なんなんだ、一体なにを気にしてるんだお前は」
「だって、なんか牧ってやたらホモセックスに詳しい気がする」
 見慣れてもなお綺麗だと思える顔貌に、大真面目な表情を載せて言われた内容に、思わず脱力してしまった。
「……そりゃあまあ、お前とするときに困らないようにと思って、予習してるからな」
「予習? そんなのどうやって」
「その手の雑誌を買って」
「ああ! なる!」
「アナルだけに」
「しね!!!」
「物騒なことを言うんじゃない」
 藤真の唇の両横を親指と人差し指で軽く挟んで咎めると、唇がひよこのように前に突き出て愛らしかったが、すぐに手で払われてしまった。
「オレも雑誌買ったことあるんだ。お前と最初にやってから、ちゃんと知らないのどうかと思って」
「なんだ、一緒じゃないか。その割に初々しい反応をすることがあるような……」
 最初のときは藤真から誘ってきたようなものだったから、男とも初めてではないのだろうと思って先に進んだところがある。途中で勘付いたものの、同意はあったし、それを気にして行為を止められるような状況でもなかった。
「気になるページだけ読んですぐ捨てたから、そんなにいろいろ見てないんだよな」
 ゲイ雑誌を買ってはみたものの、グラビアなどを見ても興奮しないどころか気分が滅入ってしまい、気になった記事と読者コーナーを読んだくらいでそっと閉じてしまったのだった。
「なんてことを。もったいない」
「そうなんだよな。めちゃくちゃ勇気出して買ったんだから、もっと大事にすればよかったってあとで思った。でもそのときは部屋に時限爆弾があるみたいで、すげー落ち着かなくてさ」
「そんな、そこまでか? ……まあ、家族と住んでればそうなのかもしれないな」
「とにかく、先輩とはもう繋がってないってことでいいんだな!」
 藤真は光の粒子が見えるかのような晴れやかな笑顔を浮かべ、牧は足をすくわれた気分になっていた。行為の知識についての話題かと思ったが、結局は先輩とのことを気にしていたのだろうか。それはもしかして、嫉妬というものなのだろうか。
(藤真が、俺に?)
 逆ならいくらでもあるだろうが、どうにも想像しがたい。至極不思議だ。
「あのな藤真、俺は特に男が好きってわけじゃなくて」
「あれだろ? 『男とか女じゃなくてお前のことが好きなんだ!』てやつ」
「なんで先に言うんだ……」
 結構な気合いを入れてほとんど同じことを言おうとしていたから、藤真にごく軽い調子で先回りされて、盛大に肩透かしを食らった気分だ。
「BLあるある」
「ビーエル?」
「ボーイズラブ、女子が読むホモの漫画。家にあったの読んで、それもあって男同士のやりかた自体は知ってたんだよな。いろいろぼんやりしてたけど」
「そんな漫画があるのか。……だが、本当のことだ。男だからどうこうとかじゃない」
 藤真は怪訝に目を細める。
「いいように言ったって、ただ性別に見境ないってことじゃんか。かわいくてお前好みのプレイをする子が出てきたらわかんねーだろ」
「そんな人間はもう出てこない」
「言い切るのかよ」
「ああ。そのポジションはもう埋まってるしな」
 牧はからかうようでも照れるようでもなく、さらりと言い放ち、藤真の髪を撫でる。
 迷いがないのは彼の強さの一つだと思う。羨ましさと苛立たしさが綯い交ぜになった気分で藤真は言った。
「……ま、オレだって、お前みたいなのとはもう出会わないと思ってるよ。出会ってたまるかって感じ」
「なんだか俺のことが嫌みたいな言い方だな」
「嫌に決まってんだろ、いつもいつも立ち塞がってきやがって。しかもそれでオレのこと好きとか、すげーむかつく!」
 嫌そうな顔を作ってベッと舌を出した、いかにも芝居掛かった表情が非常に愛らしく、心臓を鷲掴みにされた心地だった。おそらく、こういうところが嫌がられるのだろうとは思いつつ、衝動に素直に藤真の腰を抱いた。
「むかつくじゃなくて、ムラつくの間違いじゃないか?」
 顔を覗き込むと、そっぽを向かれてしまった。
「お前って、ほんとおっさん」
「おっさんだとボーイズラブはできないか?」
「別にいいんじゃね? サラリーマンとか出てきてた気がする」
 牧は藤真の顎を捕まえ、強引に唇を重ねる。性欲のにおいのするキスに、抵抗のポーズは弱々しく消えた。

さかしまな恋人

「藤真監督を見にきたのか?」
 自らをそう呼んだ通り、今しがた翔陽の試合が行われたばかりの会場だというのに、藤真は制服のワイシャツとスラックスの上に翔陽バスケ部のジャンパーを羽織っている。対する牧は海南の制服姿だ。愉しげに上がった整った眉は、しかし牧が口を開くや怪訝な様子で眉間に寄っていた。
「いや……」
「いや!?」
「相手の学校のことも気になって」
 牧は自分のように天邪鬼を言う性質ではないと知っている。以前など、まだ今ほど親しくなってもいなかったのに『藤真を見にきた』だの照れもせず言い放っていたのだ、少し前に監督の時間を終えた藤真は、すこぶる面白くないと顔に書いて言った。
「どっちにしろお前は新人戦出ねーじゃん」
「いいだろう別に。試合を見るのが好きなんだ」
「珍しいくらい素っ気ねーな」
 俯くと目に掛かるくらいの前髪の間から、怪しむような、勘繰るような瞳が覗いている。愛らしい印象を抱かせる仕業に懐柔されそうになりながら、牧は頭を掻いた。海南も似たような方針ではあるが、新人戦に藤真が選手として出場しないことはわかっていた。そして監督としてベンチに座る彼を見ていたいかと問われれば、興味と物寂しさの半々といったところだ。
 こちらを覗き込む瞳が細められ、小ぶりな唇に柔らかな笑みが浮かぶ。自らの容姿が、その表情が相手にもたらす影響を心得たうえで藤真がそれを為すのだとよく知っているから、牧は憮然として唇を引き結んだ。警戒しているのだ。
「牧クン、このあとのご予定は?」
「学校に戻って練習だ」
「つれねーな。ま、海南は選抜あるしな」
 それもあるし、そもそも別の日に夜のデートを予定している。これは藤真のお遊びの悪ふざけに違いないのだ。
「お前だって学校に戻ってなんかあるんじゃないのか、監督よ」
「あるよ。今日のダメ出しとか自主練とか」
 反省点の洗い出しは主に自分に対してで、自主練は自分も他の選手も両方だ。
「まあ、先に帰ってろって言ってあるから、少し帰りが遅くなるくらいなら平気」
「俺は平気じゃない」
 にこりと笑った顔貌から目を逸らし、牧は歯切れ悪く呟いた。言葉の淀みを掬われたのか、単に気にしなかっただけか、藤真は牧の袖をちょんと引っ張って離した。移動を促すときの癖だった。
「トイレ寄ってこうぜ」
 返事を聞かずに歩き出した藤真のあとを、トイレくらいならいいかと付いて行く。体育館のトイレを無視したのは混んでいるためだろうが、それにしても藤真が迷いなく歩くのが不思議だった。ここは翔陽でも海南でもない、試合会場になっている別の高校だ。
「詳しいな?」
「知り合いがいて、何回か来たことあって」
 白く真新しい別棟の渡り廊下を歩くと、人気のない男子トイレに辿り着いた。牧の前を歩いていた藤真はくるりと牧の背後に回り、広い背中を個室に押し込む。
「おいっ!?」
 そして自分も一緒に入って鍵を掛け、牧の胸に思い切り抱きついた。牧はその直前、藤真の口元に笑みを見た気がしていた。
 しー、と息で言いながら唇の前に指を立てる、仕草と表情に言葉は失せてしまった。人差し指を握り、拳ごと手の中に包んで胸元まで下ろし、唇を重ねる。藤真の鼻から息が漏れて頬をくすぐった。笑ったのだと思う。
 目を閉じて柔らかな感触に沈み、背中に腕を回して体を密着させる、ごく穏やかな接触に、心臓が暴れるように高鳴り、沸き立った血が身体中を激しく循環する。二人の総意かのように触れ合う舌先はねっとりと絡み合い、キスよりも先の行為を連想させた。
「っ……!」
 股間を撫で上げられると、牧は仰け反って唇を離した。
「おいっ、お前なにを」
 外に人の気配はない。試合会場の体育館からも離れた場所だが、それでも極力声を潜めた。
「なにって、こんな風にして、他になんかあるのかよ?」
 藤真は牧のズボンの前を寛げ、下着越しにでもしっかりと感触を伝えるように硬い隆起を執拗に撫でた。
「あっ、おいっ、よせっ…」
 体の自由を奪われているでもなし、止めさせようと思えばどうにでもできるはずだ。しかし牧はそれをしない。藤真は心底愉快な気分で牧の前にしゃがみ、窮屈そうな下着をずり下ろした。頭をもたげた男根が待ちわびていたかのように、そして自らの大きさと重さを誇示するようにこぼれ出す。地黒もあって色濃く黒光りし、裏筋と太い血管を浮き立たせる逞しいそれを目前にして、藤真は明確な興奮を自覚していた。
(なんだろう。どうしてこんなに……)
 手指で根元を支え、目の前に聳え立つ男根と牧の顔とを同じ視界に入れて眺める。それとは逆の光景を見ているであろう牧が唾を飲む音が聞こえた。
「藤真……」
 清楚ですらある微笑と醜い欲望の対比に、どうにかなりそうなくらいに興奮していた。こんなところで、よくないことだ、やめてくれ──そう頭で弱く呟きながら、肉体は相反し期待に震える。藤真はにこりと笑い、上品な桜色の唇から赤々とした舌を覗かせ、ねっとりと裏筋を舐め上げた。
「っ…! あぁ…」
 先端を咥え込まれると思わず声が漏れた。暖かく濡れた粘膜で包み込み、甘えるように舌を絡めていたかと思うと、尖らせた舌先で敏感な先端部を執拗に嬲る。緩急をつけて与えられる快楽は、それ自体が藤真に似ていると思った。
「っ……」
 荒々しく呼吸しながら、小さな頭を手のひらに包んで愛おしげに撫でる。さらさらと指をこぼれる柔らかな髪も、伏せた睫毛も清廉な印象でありながら、その儚い唇は爛れた欲望をさも旨そうにしゃぶっている。淫らで浅ましく、堪らなく魅力的だ。
 ちゅぱ、とわざとらしくいやらしい音を立てて唇を離し、藤真は得意げに笑った。
「オレも結構フェラ上手くなったんじゃないか?」
「……こんなところで試さなくたっていいだろう」
 色素の薄い瞳から、ねぶるような視線が絡みつく。
「すげー、全然説得力ないんだけど」
 そしてうっとりと目を細め、期待にその身を震わせる逞しい幹を愛おしむように手の中に捕まえ、音を立てて何度もキスをした。牧は堪らず呟く。
「藤真……挿れたい」
「お口にな」
 藤真は意地悪く笑い、再びそれを口腔へ導いた。最後までする気なら無理にでもホテルに連れて行ったし、こんなところでただの穴になってやるつもりもない。明確に絶頂へ導くよう、手と口を使ってピストンの動作をする。唾液と体液の入り混じったものがしきりに下品な水音を立てた。
「あぁ……藤真……」
 大きな手は優しい仕草で傲慢に、藤真の頭を固定して、腰を動かし口腔を犯す。
「ンッ、んぅ、んぐ…」
 敏感な喉奥に亀頭を擦り付けられ、えずきそうになりながら、藤真は異様とさえ感じる興奮の只中にいた。中学時代の初めてのセックスにだってこんな感覚はなかったと思う。相手が男だからなのか、牧だからなのか──つまりこれは背徳感なのだろうか。
 唇を窄め、夢中で舌を使い、口淫に耽る。牧が音を上げるまでに、そう長くは掛からなかった。
「っ…出る……藤真、出すぞ…!」
「うん…」
 くぐもった肯定の呻きに、ボルテージは最高潮に上り詰める。
「ッ……!」
 体の中心から迸る強烈な快感の中、長い睫毛の烟る瞳が苦しげに細められながら微笑して、白い喉は嚥下の音を立てる。健気だ。居た堪れない。ただひたすらに愛おしい。
(藤真……好きだ……)
 強くそう感じながら、あまりに即物的すぎる気がして、この場で声にすることはできなかった。

 定められた学区によって通うだけの公立の中学にも柄はある。土地柄もあれば、校風や伝統によるものもあるだろう。例えば和光中は不良校とされていて、実際は善良で無害な生徒のほうが多いのだが、「あの和光中の」と枕詞がつけばまず不良生徒のことだった。
 藤真の通っていた中学にもそういった柄、色は存在していた。中学時代の当人の知るところではなかったが、高校に進んで他校出身の者から聞いた評判は、遠慮がちには「進んでる」あけすけな言葉では「チャラい」「やりまくってるって聞いた」というものだった。
 藤真の一家四人が暮らす家が建ったよりもあとにできた新しい中学で、垢抜けたデザインの制服と縛りの少ない校則、伝統のなさも相まって奔放な気風となっていったものだった。我が子の生まれつきの髪色を指導されることを嫌っていた母親は、それがないだけで満足していた様子だった。
 母校の評判がどうであれ、藤真はごく平均的で優良な生徒だった──つもりだった。高校一年のオリエンテーション合宿の就寝時、彼女はいるか、経験があるかという話題になったとき、まったく無邪気に「童貞ってなんで? 中学行ってなかったのか?」と言って大顰蹙を買い、部屋中から枕の雨が降り注いだことは忘れていない。花形が身を呈して庇ってくれたことも一応覚えている。
 普通に過ごしているうちに当たり前に彼女ができ、通過儀礼かのように行為もした。皆そんなものだろうと思っていたし、それについて今更思い出せるほどの感慨はない。人並みに性欲も興味もあったろうが、いわゆる童貞の同級生たちが抱く幻想も嫉妬も過剰な反応としか思えなかった。
(牧、遅せえな……)
 今日は牧の最寄りではなく、二人がアクセスしやすい場所に目星をつけて待ち合わせている。手持ち無沙汰で髪を弄ると、一年のときは大分短くしていたと思い出す。出身中学を言うと大抵「わかる」と言われたのが嫌で、スポーツマンらしい外見にしようと試みたのだが、短いままを保つのが思ったより面倒で、すぐに伸ばし気味になってしまった。そのうち〝翔陽のルーキー〟としての話題が遥かに多くなり、中学のことは部活が弱かった程度の話しか出なくなっていった。
「藤真、すまん、待ったか?」
「全然?」
 さほど暇とも感じなかったので反射的にそう言ってしまったが、待たなかったわけでもなかった。妙に模範的な返答をした自分に思わず笑ってしまった。
「どうした、なんかおかしいか?」
「いや。……行こうか」
 日の入りの早い季節、空はとうに暗かったが、人々の行き交う道はまだ活気もあって明るい。曲線的な黒い街灯が暖色を灯すレンガ壁の通りには、小規模な飲食店がいくつも立ち並んでいた。
「今日の店ってなに系?」
「肉系だな。スペイン風の、なんて言ったか」
「スペイン? パスタとか?」
「それはイタリアじゃないか?」
「まあとりあえず肉ってことだな!」
 非常に大雑把に納得しながら、赤いドアとワイン樽が特徴的な店先に辿り着く。手書きの黒板によると肉とワインを推しているようだ。中に入ると、落ち着いた照明の店内はバーのような雰囲気で、焼肉店のような騒がしい印象はなかった。予約の名前を告げるとテーブル席に案内され、ドリンクとフードのメニューを渡される。店員が去ると藤真はさも愉快そうに笑った。
「ドリンクメニュー、思っきし酒のページ出されたな」
「ワインをウリにしてる店だからじゃないか? 」
「……どうだろね」
 牧が未成年に見えないためだろうと思ったが、彼にとって日常的なことならばいちいち気に留めないかもしれないとも思った。
「おすすめのワインと一緒に食ったら、肉がもっと旨くなるのかな」
「藤真、だめだぞ」
「わかってるって、ただのソボクな疑問。オレ、酒なんて飲まないし」
 未成年なのだから世間的には当然のことだが、牧は意外そうに目を瞬く。
「全然飲まないのか?」
「正月に親戚に勧められても拒否るくらいに飲まないな。味がまずいし。えーとじゃあグレープフルーツジュース」
 店員を呼び、とりあえずドリンクのみを注文する。牧は烏龍茶にした。
「なんで? 飲みそうに見える?」
「いや、酒というより、なんだ、ませてるというか……」
 ああ、と藤真は納得したように呟いた。そして目を据わらせる。
「お前さあ、言葉のセレクトまでおっさんみたいなんだけど」
「そ、そうか? なんて言うべきなんだ?」
「真面目な生徒のつもりだったから、酒タバコやってるやつは避けてた。エロいことは周りみんなしてたし、別に悪いことじゃないと思ってたから成り行きで。……中学の話な。翔陽はお上品だから。牧は? 飲みそうな言い方だけど」
「自分からは飲まないな。親戚が集まるような場だと勧められるが」
「だよな! やっぱ親戚のおっさんって酒飲ませようとしてくるよなー法律違反だっつーの。てか食べ物頼もうぜ。肉、野菜、生ハム!」
 言いながら、フードメニューを開いて牧に差し出す。
「肉の部位、好きなのあるか? 盛り合わせもあるが」
「盛りにしとこうぜ。あとソーセージもいいな、でっかくてぶっといソーセージ♡」
「……うむ」
 余計なことを言ったら負けだと思いながら、牧は控えめに頷いた。
「お前だって好きじゃんか」
「そんなこと言ったかな……」
 多少品位に欠けるところもあるが、言い合いながらメニューを選ぶのは楽しいものだった。ドリンクを運んできた店員に食事を注文し、各々グラスを手にする。
「はい。じゃおつかれ〜」
「お疲れさん」
 グラスを軽く合わせると、透明な曲線の縁が澄んだいい音を立てた。休日とはいえしっかりと練習や諸々の雑務をこなしてきたから、言葉だけのことでもない。
「……はぁ〜っ」
 喉を鳴らして大きく息を吐いた藤真を、牧は微笑ましい気持ちで眺める。
「実際、疲れてるんじゃないのか?」
「まあ今は平気、別腹って感じ。一人で居てやることないほうが却ってだるい感じする」
「それはあるな。俺も今は全然疲れてないぞ」
「……それって、このあと頑張っちゃうぞ〜みたいな意味?」
「お望みなら」
 見慣れてもなお高校生らしくは見えない、余裕を含んだ笑顔から目を逸らし、藤真は細く長く息を吐いた。牧は斜め後ろをちらりと顧みる。
「カウンター席いいな」
「作ってるとこ見たいから?」
「いや、ああいうの」
 牧が視線で示した先には、体を寄せ合って座るカップルの後ろ姿が見える。
「オレ男の子なんですけど?」
「知ってる。お前を女だと思ったことはない」
 藤真はにわかに押し黙る。天然だと言って笑うこともあるが、牧の感覚はときおり不思議だ。ただ、気遣いも恥じらいも何もなくカップルのように振る舞いたいと言われたことは、なぜだか嬉しかった。熱くなった頬を冷ますように頬杖をつき、牧を上目で見つめる。
「さすがに外でああいうのしたいって言われたら拒否るけど」
 そしてテーブルの下で牧の脚に自分の脚を絡めた。
「ん、狭かったか? すまん」
「ちげーよ! お前、話の流れ」
「……ああ、そういうことか!」
 たまたまぶつかったわけではなく故意のボディタッチだったと気づいたものの、時すでに遅し、藤真の機嫌は損ねてしまったようだ。
「もういい、もうしないし」
「そんなこと言わないでくれ」
 バーニャカウダが運ばれてきたのを見て、藤真はテーブルの上に広げたままにしていたメニューを片付け始める。牧は楽しげに脚を伸ばし藤真の脚に絡めた。
(今すんなよ!)
「藤真、嫌いな野菜とかはないのか?」
 何食わぬ顔で聞いてくる牧を睨みつけ、不思議そうな店員に愛想笑いを送り──そんな調子で戯れ合いながら食事を楽しんだ。

「さて、肉欲を満たしたあとは……」
 店の外へ出ると、藤真は腹をさすり、猫のように目を細めて牧を見た。牧はすぐにでもキスしたい衝動を抑え、ただ体を寄せる。
「もっと肉欲を満たさないとな」
 歩くうちに賑わいは消え、街灯の光は青白く寒々しいものになり、間隔も広くなっていった。それでもぽつぽつと人が歩くのはこの先に目的があるからだ。
 じきにピンク、紫、青などの電光看板で照らされるばかりになった路地は、その光量とは裏腹に陰の印象ばかりを与える。身を寄せ合って歩くカップルは擦れ違う同類からなんともなしに目を逸らす。不干渉で私的な街だった。
「ドキドキする。しない?」
 愉しげに笑う、藤真の顔貌はピンクの光に照らされている。表情そのものは子供っぽいのかもしれなかったが、整った造形と今の二人の状況とがそこに大人びた色を加え、アンバランスな印象を与えた。それは非常に危うげで、だからこそ強く心を惹きつける。
「……する」
 ホテル街の路上でキスしている人間がいても誰も気に留めないのではないかと思ったが、もう少しの辛抱だ、と牧はぎこちない動作で顔を背けた。
 付近のホテルならどこも大差はないだろうと思いつつ、それでも比較的外観の新しいところを選んで入り、室内写真の掲載されたパネルの前に立ち止まる。幸い、いくつか空室があるようだ。
「どの部屋がいい?」
「なんでもいいよ」
 藤真はろくに見る気がないようだ。照れているのだろうか。牧の目には各部屋にさほどの差があるようには見えず、気の逸る中で間違い探しをしたくもなかったので、適当に上の階の部屋を選んだ。フロントに休憩と告げて鍵を受け取り、エレベーターに乗り込む。
「……」
「……」
 なんとなく二人とも沈黙してしまいながら目的の部屋に辿り着く。牧が部屋のドアを開けると、先に室内に進んだ藤真が声を上げた。
「うわっ……牧……」
 室内には至る所に鏡が設置されていた。特に大きくて目に付くのはベッドのすぐ横の壁だろうか。広い部屋ではなく、キングサイズのベッドと鏡の間にさほどの距離はない。
「こんな部屋だったのか。気づかなかった」
「部屋選んだの牧じゃんか」
「写真だとどれも同じように見えたんだ」
「ほんとかよ。まあラブホだし、いつもと違っていいけどさ」
 アウターを脱いでハンガーに掛けると、二人並んで鏡の前に立ち、映し出される姿をじっと見つめる。そして顔を見合わせた。
「二人並んでる感じ見るのって、意外とレアじゃねえ?」
 傍目にはいくらでもあるだろうが、当人達がそれを目にする機会ということだ。
「ああ。試合中の写真なんかはあるが」
「大体動いてるときのだしな」
 牧は藤真の腰に腕を回して抱き寄せる。自分より小柄で細身だとは思っていたものの、客観的に見比べると想像以上に華奢に見えた。
「お前、思ってたより小さいな。身長サバ読んでないか?」
「うるせー。デカいやつがデカすぎるから地味に感じるだけで、六センチの差って結構だぞ。そんで体重十三キロ違ってそのぶんのガタイだぜ、そりゃ小さくも見えるだろ」
「おお、俺の身長体重なんて覚えててくれたんだな」
 牧は照れくささと嬉しさとで相好を崩す。藤真はにわかに頬を染めた。
「べ、別にお前だけじゃなくて海南の選手全員チェックしたし!」
「藤真、頭小さいな」
 頭を傾けて寄せながら、自分の顔が規格外に大きいわけではないという思いも込めて言った。
「今気づいたのかよ」
「いや、俺の手がでかいせいかと」
「まあ、それもあるだろうな」
 大きな褐色の手が小さな顎を捕まえると、目を細めた牧の顔が近づいてくる。釣られて閉ざした瞳を、横に向けて開くと、鏡の中で思い切り目が合って、二人揃って笑ってしまった。
「エロへの好奇心を抑えられない二人であった」
 言いつつ藤真は牧に抱きついたり、胸に顔を埋めてみたりしている。自らの視点で見る姿ももちろん好いのだが、鏡に映る〝二人〟の姿は違った興奮を煽るものだった。牧は堪らず藤真をベッドの上に押し崩す。
「うおっ!」
 自らの下で溺れるようにもがく体を抱き竦め、改めて鏡を見る。身長がわからなくなった状態では藤真はなおさら小柄に見えたし、外見年齢についても自分で狼狽えるほどで、いい大人が年の離れた少年にいかがわしいことをしようとしているようにしか見えない。
「俺、お前に手を出してよかったんだろうか……」
「はぁ?」
「思いのほか犯罪っぽいというか……夜中一緒に歩いてたら職務質問されそうだ」
「男だから平気じゃね? 女子だったら援交に見えそうだけど」
 男子高校生を買いたい大人だっているだろうし、自分の姿を見てから物を言ってはどうかと思ったが、口には出さなかった。
「今日カバンにローション入ってるからな……」
「職質やべーな。帰り警官いたらダッシュで逃げようぜ」
「いや、それは余計怪しいと思うぞ」
 牧は藤真の体を転がし、うつ伏せにして伸し掛かり、なおも鑑賞に耽っているようだ。
「なに、犯罪臭に萎えた?」
「いや……むしろ興奮する……」
 言いつつ藤真の太腿を撫で上げ、布越しにではあるがしっかりと尻肉を掴んだ。
「っ…! 悪いやつ」
 笑ってしまいながら後ろを振り返ると、噛み付くように唇を塞がれた。
「んっ……」
 唇を、舌を、音を立てて吸われると、一気に体温が上昇したと感じる。しかし深く繋がるには体勢が悪い。もどかしい思いが伝わったのか、牧は顔を離して強く息を吐くと、勢いよく体を起こしてシャツを脱いだ。
 藤真も起き上がり、ベッドの上に座り込んだ格好で上衣から脱ぎ始める。ほどなくして、背後から褐色の腕が伸び、裸の上半身に巻きついた。藤真は前を寛げただけで下は脱いでいない状態だったが、牧はすでに一糸纏わぬ姿になっているようだ。
 白い胸を、腹を、褐色の手が這い回る。藤真は鏡の中に視線を釘付けて、息を乱し身を捩った。
「牧の肌色って、やっぱりエロい……」
「エロいのはお前のほうだろう?」
 牧は藤真の下着の中に手を突っ込み、ボトムをずり下ろして、形を主張し始めたものを引っ張り出す。下着の腰ゴムの上に竿だけ露出させた状態で、しきりにそれを弄ばれるものだから、藤真は顔を赤くして鏡の中の牧を睨みつけた。
「ちゃんと脱がせろ!」
 吐き捨てるように言って、残りの衣服を自ら脱ぎ捨てる。
「いい脱ぎっぷりだ」
 牧は藤真の耳元に呟き、耳の端をべろりと舐めた。
「んっ…!」
 それから首筋、肩へと軽いキスと舌での愛撫を繰り返す。無論視線は鏡の中だ。自分で為していることながら、背徳的で至極魅力的な光景だった。藤真が顔を背けながら視線を鏡に向けているのもまた堪らない。
「っ…お前の舌、エロい……」
「舌か?」
 ベッと、色気なくただ舌を出して見せる。
「いや、舐めてる顔かも……ふぁあんっ!」
 望み通りに首筋を舐めてやりながら、すでにツンと上を向いている胸の突起を両方一緒に摘まみ上げた。指先を素早く動かし、小刻みに刺激を与える。
「あんっ、あっ! 手つき、やらしっ…」
「お前こそ、こんなに乳首立てて」
「お前が触るからだろっ!」
 一方の手はそのままに、もう一方の手が股間に伸びた。
「ンっ…!」
「えらく興奮してるな?」
 すっかり濡れて涎を垂らす柔らかな先端部を、手のひらでぐりぐりと押し潰すように撫でる。
「あ゛っ、あぁ、だめっ…」
「お前はいつもそういうこと言って」
「あんっ、あ、あっ!」
 体液を塗り広げ、濡らされた性器を容赦なく扱かれて、藤真はしきりに体を震わせる。
「やだっ、すぐ、イッ…」
「イッていいぞ? 何度だってイかせてやる」
 しきりに首を横に振って手首を押さえつける、仕草が愛らしいのでひとまず止めてやる。
「それじゃあ、こっちだな」
 藤真の脚を後ろから抱え上げ、鏡の前に大股開きにさせる。脚の間の窄まりまでありありと晒され、藤真は真っ赤にした顔を思い切り背けた。
「せっかくだから見とけ」
 すっかり慣れた仕草で、自らの手にたっぷりとローションを垂らす。
「なにがせっかくっ! あぁっ…」
 嫌がるように声を上げても、陰茎から陰嚢へと濡らした手で撫でさすればさも快さそうに啼き、会陰から入り口に指を添えれば途端に大人しくなってしまう。しおらしくいじらしい態度が愛しくて堪らない。快楽の予感に震える、陰部の中心に指を突き立て呑み込ませていく。
「っあ……」
「ほら、脚持って……そう」
 藤真の手を掴み太腿を抱えさせ、根元まで押し込んだ指で内部を濡らし、ほぐすように探った。
「はぁっ…ぁっ…」
 自ら脚を押さえ、快感に目を細める妖美な横顔に煽られながら、藤真の体の前側に指を曲げる動作を繰り返す。
「ぅあっ! あんっ、それ、だめッ…」
「さっきから、ダメなところばっかりじゃないか」
「だって! あ゛っ! あぁぁっ、んぁぁぁっ…!」
 指が抜かれたかと思うや、二本に増やして挿入され、執拗にそこを犯すようにぐちぐちと掻き回される。内奥から起こる快感に、藤真は大きく仰け反って何度も体を跳ねさせながら、堪らず逃れるように腰を浮かせた。大きく揺れる性器の先端から、先走りの雫がねっとりと糸を引いて垂れ落ちる。鏡に映る姿態は、牧の目には快楽に善がり狂うようにしか見えなかった。
「お前、自分だけ愉しくなって……」
 指の動きを止めても求めるように入り口は痙攣し、全体がうねるように収縮して指を締め付けてくる。牧もそろそろ自らの衝動を無視できなくなっていた。
「ならとっとと挿れやがれ…!」
「ああ、そうするか」
 指を抜いてもそこは小さく口を開けたままで、続く快楽を待ちわびているかのようだった。牧は揚々とそこに昂りを押し当てる。その凶悪な大きさに、藤真は思わず首を反らせて声を上げた。
「ぁ、そんなん無理っ…!」
「お前、言動に一貫性がなさすぎるぞ」
 言葉こそ落ち着いている風だが、牧ももう限界だった。お喋りには付き合っていられないと、容赦なくそれを押し付け藤真の腰を沈めさせる。
「ひっ…! あぁ、あぁぁあっ…!」
「ほら、入ったじゃないか。見てみろ」
 繋がった箇所が灼けるように熱い。鏡の中で牧に抱えられる体は自覚よりもずっと細く頼りない印象で、それに対し随分と太いもので貫かれていた。あらぬ場所を信じられないほどに拡げて男の性器を呑み込んでいる、異様な光景に気が遠くなるが、興奮しているのもまた事実だった。
「ひゃあっ、んっ…!」
 褐色の手が背後から伸びていやらしく乳首を弄る。小さく体が跳ねると、戒めのように結合部に甘い痺れが走った。
「あぁっ、んぅ……」
 体を撫で回され、じっとしていられずにもぞもぞ身を捩るうち、内部に緩慢な快楽が生まれる。
「藤真、動けるか?」
 藤真は促されるまま、ゆっくりと体を持ち上げていく。
「あ、あぁ……」
 浅ましくM字に開いた白い脚の間から、色黒の男根が徐々にその長大な姿を現し、再び呑み込まれていく。
「すごいな、こんなの入って」
 牧は鏡を眺めながら、男根を咥え込む肉輪を愛おしげに指でなぞり、会陰を辿って陰嚢から裏筋へと、線を引くように指を這わせ、藤真の陰茎を握り込んで扱いた。
「んっ! ぁんっ、あぁ、やぁっ…」
 藤真は文字通り腰が砕けるといった様子で牧の上に座り込んでしまいながら、さも堪らないように高く喘いだ。
「藤真、動け」
 牧もベッドのスプリングを使って腰を揺らすが、そう大きな動きができる体勢でもない。藤真は牧にペースを合わせるように体を揺らした。
「あぐっ、あぁっ! あぁんっ…」
 鏡の中で、獰猛に張り詰めた男の性器が──牧の欲求が、自らの陰部をずぶずぶと出入りしている。視覚からもたらされる興奮は多大なもので、藤真は体の内と外から同時に犯されている感覚に陥りながら、夢中で腰を振った。体も、心も甘い疼きに支配されていく。
「そう……」
 淫らに体を揺らして喘ぐ恋人の姿を眺めながら、牧は極まった調子で息を吐いた。一方の手は藤真の動作を助けるように支え、もう一方ではあえかな体を愛撫する。
「あぅっ、あんっ、やっ…あぁっ…」
 下から突き上げる動作が早く、激しくなり、牧の手が明確に意思を持って前を扱いた。藤真は悲鳴のように声を上げる。
「あぁーっ! イッ…あぁっあぁぁっ…!」
 そして弱々しく喘ぎながら精液を吐き出した。収縮する粘膜に縛り上げられながら、牧もまた藤真の中で絶頂を迎えていた。
「あぁん……あぁ……っ」
 しきりに陰部を痙攣させながら、体から失せないままの快楽の余韻に細く声を漏らしていると、繋がったままの腰に逞しい腕が回され、背後から軽く耳を食まれる。
「ん…」
「バックでしようか」
 飽き足りない様子の牧に笑ってしまいながら頷いた。
 意地のように体を繋げたままで体勢を変え、鏡のほうに頭を向けて後背位の格好になり、二人はもうしばし愛し合った。

「牧は別に、オレと付き合う必要なかったよな」
 あまりに唐突なことに思わず吹き出してしまう、という状態に陥りそうになりながら、牧は傍らに横たわる藤真の首筋に額を寄せて顔を隠した。内容としては全く笑えるものではない。思考を落ち着けるための働きなのかもしれなかった。
「……いきなり、なんてことを言うんだ。機嫌損ねるようなことしたか?」
「ううん? そのまんま。必要なかっただろうなって思ったから。思わない?」
「お前がなにを言いたいのか……」
「別にさ、日々適当に授業受けて、バスケやって、それだけで結構な時間になって、オナニーして、それだけで不満も暇もなかっただろ」
 牧は藤真の横顔を見る。藤真は天井を眺めていて、表情というほどのものは見えない。しかし牧の目には、どことなくもの寂しげに映った。
「確かに、特別不満はなかったろうな。ゼロの状態だ。それが今はプラスの状態になった。必要ないことなんてない」
「セックス好き?」
「お前のことが好きだ」
 牧の真摯な表情が視界に入り、徐々に近づいてきて唇が重なる。柔らかな肌を味わうだけの、優しいくちづけだった。
(なんでそんな、即答できるんだろう……)
 不思議に感じるものの、心地は良かった。体を横たえているのに、目眩がしてどこか覚束ないように思えて、牧の背中に腕を回した。
 牧との行為は刺激的で魅力的だ。のめり込んでいる自覚はある。しかしそれだけのために彼を求めたわけではないのだろうとも感じる。
「監督のオレはどうよ?」
「え?」
 話題の切り替わりが唐突なことも珍しくはないが、前の会話については解決したのだろうか。とりあえずは成り行きに任せることにする。
「この前、新人戦見にきてただろ」
「ああ……大したもんだって、高頭監督が言ってた」
 秀眉がぴくりと跳ね、長い睫毛の下の瞳が呆れた色で睨めつける。
「お前の感想聞いてんだけど。もういいや一生聞かない」
「す、すまん。そうだな、采配じゃなくてお前を見てて思ったことだが、雰囲気が違うっつうか、なんだかいい子にしてるなって思ってた」
 への字に結ばれていた口元が、穏やかに緩む。
「いい子か! なるほどな。結構ちゃんと見てんじゃん」
 そして快活な笑みを浮かべた。どうやら機嫌は直ったらしい。
「最近ちょっと意識してんだ、監督モードみたいなの。やっぱ監督って落ち着いてないと頼りないだろ。目指すところは〝クール〟だな」
 高校に入った当初に多少素行を気にしたことと似たような感覚だった。藤真は楽しげに続ける。
「それじゃあ、監督じゃないときは悪い子?」
「だろうな。この前のあれとか……これとか」
「ま、悪いことは愉しいからな!」
 機嫌よく牧の頬にキスをして、ベッドを抜け出して浴室へ歩いた。

 帰りの身支度をしながら、藤真が思い出したように言った。
「そうだ、十二月はもう会うのやめとこうぜ」
 ごく軽い調子の言葉に牧は目を瞠る。
「お前、今日はやたら話題が唐突だな? 一度もか? もう決めるのか? 都合つけられる日だってあるんじゃないか?」
 十二月下旬にはウインターカップが控えている。忙しくなるとは話したが、牧は全く会わないまでのつもりではなかった。牧の狼狽えように、藤真は声を上げて笑った。
「翔陽のカントクが海南のエースをたぶらかして練習を疎かにさせたら大問題だろ」
「別に少しくらい平気だと思うんだが……」
 しかし、藤真がそう決めてしまったのなら覆すことはできないだろう。
「こっちだってそれなり忙しいんだ。選抜終わったあとならいいけど」
「そりゃそうだろうが」
 そうかー、うーん、と牧は納得したような、できないような様子で唸っている。
(あー……なんかすごい。なんだろう? これ)
 性欲のようなストレートなものではない、むずむずと込み上げ胸の内に暖かく拡がる情動のままに、藤真は牧をぎゅうと抱き、慰めるように背中をさすった。
「日数ある感じしたって、結構あっという間だぜ」
「……まあ、そうなんだろうな」
 牧は藤真を見返しながら、どうにも聞き分けの悪い自分に苦笑した。
「よし、帰るか」
 藤真は軽やかに言って体を離し、牧は室内を一瞥して名残惜しくも歩き出す。
 精算機で支払いを済ませ、廊下へのドアを開きながらこちらを顧みた牧の唇に、藤真は掠めるだけのキスをした。
「いい子にして待ってる」
 たおやかな笑みの下に、野蛮な衝動を押し込めて。

カップリングなりきり100の質問

配布元サイト様:http://bianca77.easter.ne.jp/

1 あなたの名前を教えてください
牧「牧紳一」
藤「藤真健司」

2 年齢は?
藤「17」
牧「17だ」
藤「タメ年!」
牧「念を押さなくてもいいだろう」

3 性別は?
牧「男以外に見えるんだろうか」
藤「男」

4 貴方の性格は?
牧「難しいな。おおらかとは言われる」
藤「気が強いって言われるけど、これ性格か?」

5 相手の性格は?
牧「かわいい性格をしてる」
藤「お前よく真顔でそんなこと言うね」
牧「いいだろう、カップルへの質問なんだから」
藤「牧の性格は天然だな」
牧「もうちょっとなんかないのか」
藤「鈍感、デリカシーがない」
牧「もう一声」
藤「面倒見がいい」
牧「うーん…」
藤「性欲がすごい」
牧「もう性格じゃないしやめよう」

6 二人の出会いはいつ?どこで?
藤「一年の時」
牧「翔陽との練習試合だな」

7 相手の第一印象は?
藤「こいつほんとに一年かよって思ったな。プレイも、見た目も」
牧「面白いやつがでてきたって思った。初対面が練習試合の中だから、第一印象ってのは大体プレイのことだな。見た目は第二印象くらいだ」

8 相手のどんなところが好き?
牧「見た目も性格も好きだぞ。あんまり突っ込んだこと言うと怒られそうだが、素っ気ないこと言いながら態度からかわいさが滲み出てるときとか最高だ」
藤「それわざと。お前が調子乗るのが面白いから遊んでるんだ」
牧「じゃあ、俺と遊んでくれるところに改めるか」
藤「お前〝と〟じゃなくてお前〝で〟な」
牧「藤真も質問に答えなきゃだめだぞ。相手のどんなところが好きなんだ?」
藤「オレのこと好きなところ」

9 相手のどんなところが嫌い?
藤「いつでも余裕ぶっこいてるところ。大人ぶってるところ」
牧「ぶってるわけではないんだがな。それにお前には結構参らされてる」
藤「オレのどんなところが嫌い?」
牧「嫌いというか、藤真と翔陽の部員との仲が良すぎて不穏な気持ちになる」
藤「逆に仲悪くても心配しねえ?」
牧「するな、それはそれで……」

10 貴方と相手の相性はいいと思う?
牧「もちろん」
藤「オレ嫌いなやつってほんと駄目だから、いいんだと思う」

11 相手のことを何で呼んでる?
牧「藤真」
藤「牧」

12 相手に何て呼ばれたい?
牧「名前でも愛称でもなんでもいいぞ」
藤「別にない。藤真でいい」

13 相手を動物に例えたら何?
藤「牧は犬だな。雪山で首に酒のボトルをつけてる犬」
牧「セントバーナードか?」
藤「たぶんそれ。警察犬みたいなシュッとしてるのもイメージあるけど、でっかくてもふもふでやさしい性格の犬って感じ。オレは?」
牧「ウサギ」
藤「はぁー? 猫じゃねえの? 犬ときたら猫だろ?」
牧「猫っぽくもあるがウサギを推す」
藤「ハンティングの獲物って? 気に食わねえ」
牧「そうだな。いつだって俺はお前を狩りたいと思ってる」
藤「あぁ、そういう話にもってくんだね……」

14 相手にプレゼントをあげるとしたら何をあげる?
牧「欲しいものがあるならなんでも、と思ってるが。気に入ってもらえるほうが嬉しいから一緒に買い物に行きたい」
藤「これすげー困るんだよ。牧ってハイソでセレブじゃん? オレに用意できるもんなんて全部しょーもないゴミみたいなもんなんじゃないかって思う」
牧「そんなこと思わない。藤真が用意してくれたってことが重要なんだ。プレゼントってのはそういうもんだ」
藤「そうなんだろうけど、それにしたって困る。まー、牧が喜びそうなこと頑張って考えてやろうかな」

15 プレゼントをもらうとしたら何がほしい?
藤「時間が欲しい。二人でだらだらできる時間をいっぱい」
牧「……そうだな。まあ、すぐには難しいだろうが、そのうちきっとそうなる」
藤「牧は何が欲しい?」
牧(だらだらできるくらい、時間が余るようになるまで、一緒にいてくれるって約束してほしい)
牧「内緒にしておく」

16 相手に対して不満はある?それはどんなこと?
牧「もっとなんでも話して欲しい」
藤「それは無理だな。ハイこの話終わり」
牧「お前にはお前特有のきついことだってあるんじゃないかと思ってる」
藤「将来昔話をしてやることくらいはあるかもな。もうしばらくはカッコつけさせろ」
牧「そうか……わかった。じゃあ、お前の俺への不満はなんだ?」
藤「不満ある前提かよ?」
牧「ベストは尽くしてるつもりだが、あるんじゃないかと」
藤「ないよ」
牧「いや待て、なんかあるだろう?」
藤「ないってば。海南の練習のきつい中、よくオレに付き合ってんなーって思ってるし」
牧「……逆に不安になるんだが」

17 貴方の癖って何?
牧「聞いてもないのに試合の解説をしはじめる、と言われたことがある」
藤「シュミ兼クセだな」
牧「嫌がられてるんだろうか?」
藤「別にいんじゃね?(どうでもいい)」
藤「オレの癖は……ジャケットに袖通さないとか? 別に癖じゃないんだけどな。めんどくさいだけで」

18 相手の癖って何?
藤「徘徊癖がある」
牧「年寄りみたいに言わないでくれ。散策が好きなだけだ」
藤「オレの癖はなんかある?」
牧「言ったらしなくなりそうだから言わない」
藤「してほしいやつなんだ?」
牧「ああ、かわいいと思ってるやつだ」

19 相手のすること(癖など)でされて嫌なことは?
藤「キスしながらツバ流し込んでくるの嫌い」
牧「!! あれ嫌だったのか、すまん……」
藤「牧もなんか嫌なことあるんだろ、この際だから言っとけよ」
牧「嫌だったのか……言ってくれればよかったのに……」
藤「おいこんなとこでガチ凹みすんなよ。別にそんなめちゃくちゃ嫌なわけでもなかったから我慢してたんだよ」
牧「我慢してたのか……」
藤「牧の! 嫌なことを言え!!!」
牧「我慢してないで早めに言ってほしい」

20 貴方のすること(癖など)で相手が怒ることは何?
牧「不意に襲うとものすごく怒られるな。腹にパンチされて本気めに拒絶される」
藤「当たり前だろ。牧はオレが他の男と仲良くしてると怒るっていうか機嫌悪い感じだよな」
牧「それはしょうがないだろう」
藤「そうかな。オレは牧のそういう状況に遭遇したらどう思うのかな。ちょっと興味あるかも」

21 二人はどこまでの関係?
牧「前の質問の時点で答えが出てしまってるが」
藤「やることやってる関係」

22 二人の初デートはどこ?
牧「最初に家に来たのからデートのカウントに入るのか?」
藤「おうちデートだなぁ」

23 その時の二人の雰囲気は?
藤「牧はちょっとヘンだったけど、日頃の様子そこまで知らなかったから、あの時の牧がどういう状態なのかって勘繰るまではいけなかった」
牧「緊張してたんだと思う。それから多分困ってた。何話せばいいんだと思って」
藤「オレはどんな感じに見えた?」
牧「藤真がうちにいる! っていうよくわからん実感がすごかった記憶だけあって、お前の様子が具体的にどうだったとかは全然覚えてない」

24 その時どこまで進んだ?
藤「手を握ってキスして、一緒にシャワー浴びて、最後までやったな!」
牧「もうあれはやるしかない状況だった」

25 よく行くデートスポットは?
藤「牧の家」
牧「今のところそうなってしまうな。別のところにも行きたいと思ってるんだが」
藤「なかなか時間が取れないからな」

26 相手の誕生日。どう演出する?
藤「普通でいいんじゃん? 丸一日一緒にいてお泊まりもできるといいなってくらい」
牧「いい店を予約して、いいホテルを取って……まあこれも普通といえば普通かもしれないな」

27 告白はどちらから?
藤「牧ってオレのこと好きなの? ってオレが聞いたんだよな。告白としたらどっちからっていうんだ?」
牧「それは気持ちの確認であって、付き合ってくれって言ったのが告白なんじゃないか? それだと俺ってことになる」

28 相手のことを、どれくらい好き?
藤「ちんぽしゃぶるくらい好き」
牧「じゃあ俺は尻の穴を舐めるくらい好きだ」
藤「……多分求められてるのはこういう答えではないよな」

29 では、愛してる?
藤「んじゃない? 愛ってなんだって話になるけど」
牧「愛してる」
藤「うさんくさ」(といいつつ少し嬉しそう)

30 言われると弱い相手の一言は?
牧「ガツンとくることはよくあるが、特定の一言ってのはないな」
藤「好きだ、って言われると、そうなのかよしょーがねーなってなる」

31 相手に浮気の疑惑が! どうする?
藤「ブチギレて追求すると思うけど。でも浮気が終わっても終わんなくても、そこでめちゃめちゃ萎えてるような気がする。別れるかも」
牧「男なら追求して話し合うな。俺のどこが不満だったのか教えてくれって。女だったら諦めて別れると思う」
藤「それ! 女だったらなぁ。しょうがないかって思うよな。やっぱ子供とか欲しいのかなとか……」
牧「……場がものすごく重い空気になったな。例え話で出しただけで、実際そんな願望は一切ないぞ」
藤「オレだってそうだ」

32 浮気を許せる?
藤「無理。別れる」
牧「正直、事情による。相手が男の場合限定だが、たとえば俺がずっと構ってやれなくて藤真が寂しくて他の男と……とか、俺に原因があるなら怒れないと思う」
藤「昼ドラかエロ漫画の見過ぎ」

33 相手がデートに1時間遅れた! どうする?
藤「30分くらいで帰ってると思う」
牧「待ってる。多分怒るより心配してると思う」

34 相手の身体の一部で一番好きなのはどこ?
藤「泣きボクロ!」
牧「身体の一部、なのか……?
藤「じゃない? 大好き」
牧「そ、そんなにか? 俺は目かな」
藤「ベタだな」
牧「全部好きだけどな」

35 相手の色っぽい仕種ってどんなの?
藤「仕草ってより表情とか目つきで、こいつほんとエロいな〜ってなる」
牧「そんなにやらしい顔してるか?」
藤「だらしないとかってことじゃない。セクシーって意味」
牧「藤真は、上目遣いだな」
藤「ベタ! ちょろい!」
牧「しょうがないだろう」

36 二人でいてドキっとするのはどんな時?
牧「唇舐めたり、なんかの拍子に舌が見えたとき」
藤「それ絶対無意識だけど」
牧「だろうな。でもムラッとくる」
藤「オレは、不意に手が触れたとき」
牧「ピュアだな?」
藤「そうだよ?」

37 相手に嘘をつける? 嘘はうまい?
藤「嘘が下手で監督なんてやってられるか」
牧「俺は藤真に嘘をつく必要性を感じないからな」
藤「多分、ついたら下手だと思う。牧は」

38 何をしている時が一番幸せ?
藤「バスケ!」
牧「そうだな。藤真とのマッチアップをいつも楽しみにしてる」

39 ケンカをしたことがある?
牧「結構ひどいことはしょっちゅう言われてるが。どこから喧嘩になるんだろうな」
藤「ガチ喧嘩はなくないか?」

40 どんなケンカをするの?
藤「なんだかんだいってオレって大人だからな。意地張ったり言い合ったりしても、そろそろやばいかなってなったら適当なとこで気が済んで折れるよ」
牧「ストレス解消か」

41 どうやって仲直りするの?
藤「でも本当は好きだよ♡ って言ってセックスする」
牧「うむ……」

42 生まれ変わっても恋人になりたい?
牧「まず一緒のチームになってから恋人になりたい」
藤「一緒のチームで共存できるかな? お前の控えとか絶対嫌だぞ」
牧「お前は器用だからいけるだろ。俺も他のポジでもいけるだろうし、そもそも生まれ変わってるから今と全く同じでもない」

43 「愛されているなぁ」と感じるのはどんな時?
藤「ワガママとか無理いっても受け入れてくれてるとき。だいたいいつもだけど、意味わかんないくらい優しいなって思う。その意味わかんないのが多分愛なんだと思う」
牧「あんまりストレートじゃないんだが、言葉とか行動の裏に俺への気遣いが見えるとき」

44 「もしかして愛されていないんじゃ・・・」と感じるのはどんな時?
藤「愛されてて当然って思ってる、傲慢な質問だ」
牧「その受け取り方はひねくれすぎじゃないか? カップルへの質問なんだぞ」
藤「そうかな。お前の回答はどうなんだよ」
牧「厳しいことばっかり言われるとき」
藤「慣れろよ」
牧「わかってるつもりだが、たまに不安になる」

45 貴方の愛の表現方法はどんなの?
牧「全部受け入れること。あとはまあ、キスとか、その先……」
藤「奇遇、オレも受け入れることって思ってんだよね。どっちもウケかよ」

46 もし死ぬなら相手より先がいい? 後がいい?
藤「先がいい」
牧「一緒がいいな」
藤「それいいな。見送ってもらえないけど、残った方が悲しいに決まってるんだし」
牧(俺が先立ったら藤真は悲しいのか……)

47 二人の間に隠し事はある?
藤「そもそも全部さらけ出すべきだとも思ってない」
牧「俺がお前に隠してることがあっても気にならないのか?」
藤「必要なら追求するんだろうけど、個人の領域は守られるべきだと思ってる」
牧「程度によるって感じか」
藤「そうかも」

48 貴方のコンプレックスは何?
牧「老け顔」
藤「女顔」

49 二人の仲は周りの人に公認? 極秘?
藤「今のところ言ってない」
牧「今のところ?」
藤「具体的に言う予定があるわけじゃないけど、信用できる相手になら、必要があれば、明かしてもいいと思ってる」
牧「……そうだな」

50 二人の愛は永遠だと思う?
牧「思う」
藤「思わない」
牧「お前はそうだよな」
藤「永遠なんてないよ」
牧「何を言おうが思おうが、一緒に過ごしてる時間が全てだ」

プラン 2

2.

「久しぶりだな、藤真」
「一週間ぶりだろ?」
 待ち合わせの改札の前で、穏やかな表情の牧にそう返したものの、今日のことを待ちわびていたのは藤真も同じだった。もはや単なる他校の知人ではないのだ。
 まだあまり知らない駅の周辺を見回していると、腕をつつかれ進行方向を示された。どことなくぎこちない動作をいじらしく感じたが、部活の仲間にするようにふざけて腕にしがみつくことはできなかった。遠慮か緊張か、あるいは今の二人の関係への過剰な意識なのかもしれなかった。
「月曜に電話したきりだ」
 駅の周辺はそれなりに店が出て賑わっている。藤真の興味を惹くものがあるかはわからないが『その辺ぶらぶらして食事して』という予定の通りに歩くことにする。
「そうだな。日曜なんてあのあと帰ってから電話したのに。どうしたんだよ、全然電話してこなくなって」
「どうしたというか、月曜に今日の予定を決めてから、連絡する用事がなかった」
 藤真は声を上げて笑った。
「そうそう、電話してきやすいようにと思って予定決めないで帰ったのにさ、月曜に即電話して時間まで決めてんのウケる」
「早く決めてしまったほうがいいと思ったんだが、わざとだったのか」
「まー用事なんてなくても電話してきても別にいいんだけど。姉がうざいんだよな。とっとと家出て行かねーかな」
「仲悪いのか?」
「仲は普通だと思うけど、あいつも夜電話使いたがるからさ。日曜途中で邪魔入ったのもそうだし」
「だからって出て行けとは」
「そういう話があったんだよ。男と同棲するとかしないとか、言ってること変わるから、どっちなんだよって多分親も思ってる。それに電話がオレのになったらいくらでもスケベ電話ができるぜ」
「スケベ電話」
「どんな格好してるの? パンツに手入れてみてどうなってるか教えて? とかそういうやつ。お前絶対好きだろ」
「!! 絶対って判断は一体どこからきたんだ……」
「日曜ちょっとそんな感じだったじゃん。面白そうだけど今の環境じゃキケンなんだよなー。おっ、この店入っていい?」
 狼狽える牧は藤真に腕を引かれるまま、通りに見つけた靴屋へ連れられて行った。

 しばらく散策し、のんびりと食事を摂って、牧のマンションへと赴く。
「この辺てそんなに海南近くなくねえ? お前のために部屋借りたわけじゃないのか?」
「電車ですぐだぞ」
「それはわかるけど」
 電車が必要ない距離に住んだほうが楽だったのではないかと言いたかった。
「気分転換に歩いたりもする」
「歩く距離じゃなくね?」
「走るときもある」
「……もういいや」
「会話を諦めないでくれ。あんまり学校近すぎても溜まり場にされて落ち着かないぞって」
「親御さんが?」
「……誰だったかな。絡みが多いのはあと伯父だが」
「なんかお前の親類の人って、考え方がエロいな」
「別にそんなことはないと思うぞ。……多分」
 部屋に入ると、先週と同じくソファを勧められて腰を下ろした。丁寧にもローテーブルの上には適当につまめるような菓子が用意されている。
 特に見たいわけでもないがテレビをつけ、道中で買った飲み物を口にして、それでも落ち着かずに部屋の中をぐるりと見回す。
「どうした?」
「ううん。……シャワー借りようかな」
「シャワーか。いいぞ!」
「一人で入りたい」
「そ、そうか……」
 牧が明らかに消沈したので、つい吹き出してしまった。
「二人だと時間食うし。すぐ済ませるからさ」
 そそくさとシャワーを浴びて、腰にバスタオルを巻いた格好で居室に戻ると、ソファに座っていた牧が跳ねるように立ち上がり、入れ替わりに部屋から出て行こうとする。
「牧?」
「俺もシャワーを浴びてくる」
「ええ? 別にいらないだろ」
 事情も違うし、オレは牧の体べろべろ舐めないし、とは言わずに擦れ違う牧の手首を掴んだ。
「……」
 藤真の体から、よく知った石鹸のにおいがした。顧みると視線が交わり、ぐらりと世界が歪む。目眩に似た衝動でキスをすると、薄い唇はミントの味で、牧は弾かれるように顔を離した。
「だめだだめだ、そんなの」
 重い鎖を引き千切るかのように手首を取り戻し、浴室へ向かう。
(歯も磨いてたのか。いつの間に)
 シャワーを浴びていると思っていた間なのだろうが、涼しい顔をしていろいろと準備しているものだ──そう考えると、体に熱いものが奔った。ごく普通の友人同士のように靴屋やCDショップを回っている間、または食事のとき、藤真もまた自分と同じように、これからのことを考えていたのだろうか。股間が痛い。早くシャワーを浴びてしまおう。

「うーーん……」
 藤真は仕方なさそうに呻きながら一人ベッドに潜り込んだ。シャワーを浴びているうちに密かにテンションが上がっていたから、そのまま雪崩れ込みたかったのだが、気勢を削がれた形だ。
 テレビを眺めていると、ほどなくして牧が戻ってきた。腰に巻いたバスタオルの下で主張する、男の象徴の存在感があまりに強烈で、藤真は顔を赤くして寝返りを打つ。
 すっかり灯った火は、そんな仕草にも簡単に煽られる。牧は藤真の隣に体を滑り込ませた。
「藤真、こっち向いてくれ」
 向こうを向いたままの顔を、上から覗き込みながら言った。
「ヤダ」
「どうして?」
「どうしても」
 理由などなかった。ただ言葉遊びをしているだけだ。
「顔が見たい」
「やっぱり顔?」
「いや、全部好きだ。全部見たい」
 藤真は案外と素直に仰向けになって顔を見せた。整った無表情の中に、こちらを試すような、疑うような気配が見える。外で見るときの快活な印象とは違う、そんな顔も魅力的だと思う。
「全部? まだあんまり知らないのに、全部好きなんて言えるのか?」
 枕の下端に腕を沿わせて腕枕を試みると、藤真は素直に頭を上げて、そして牧の腕の上に下ろした。つれない言葉と裏腹の態度に心臓と下腹部とを刺激されながら、牧は自信ありげに唇の端を釣り上げた。
「言えるさ。今よりもっとお前のこと知らなかったときから、俺はお前のことが好きだった」
「どういう意味?」
 わからないわけではなかった。むしろ理解できるからこそ、もっと聞きたかった。
「俺たちがこうなったのは先週の日曜からだ。当然新鮮なもんもあるが、世界がガラッと変わった感じでもない。お前について知ってることと感じるものの範囲が広がっただけで、ずっと同じだったような気がする。だからこの先だってきっと同じだ」
 藤真のことが気になるのは、ライバルであることに加え、共に強豪校で一年からレギュラーを獲り、揃って双璧と呼ばれることへの親近感からだと思っていた。それも間違いではないだろうが、それだけではなかったということだ。
 牧の頬に、肩口に、額や鼻先を寄せて戯れながら、藤真は目を細めた。
(本当に? 牧。もしオレがあんまりコートに立てなくなっても、お前は今までと変わんないみたいにオレを見てるかな)
 試合に出る機会が減れば、牧に追いつくことは一層難しくなる。彼の目に適うプレイヤーでいられなくなれば、彼の視界から自分は簡単に消えるだろう──二人の関係が、コート上だけのものであったなら。
 ゆっくり降りる目蓋と長い睫毛に誘われるように、牧は藤真に鼻先を寄せ、顔を傾けて唇を重ねた。初めは慈しむようにそっと触れ、徐々に交わりを深くして粘膜を合わせ、舌を突き挿れる。
(でも、もうこうなっちゃったから、関係ないかもしれないな)
 舌先で応えるように牧の舌を撫でる。牧は鼻から熱い息を漏らしながらそれを絡め取る。互いに互いを食んでいると感じると、こそばゆい嬉しさとともに体の中心が疼いた。
「んんっ…」
 思わず声が漏れるほど強い力で抱き締められ、肌が隙間なく密着すると、牧の熱い体温が移ってくるようだった。互いの腹に押し付け合った硬い感触が堪らない、と感じたのは藤真だけではないようで、牧の大きな手が二人分の昂りを掴まえて緩慢に撫でた。
「っ……牧ってやっぱエロいよな」
 与えられる感触に息を乱しながら、優しげな形をした目の中の獰猛な光に心臓を震わせる。微かに笑んで見える少し厚い唇も、目の下のほくろも、大人びて色っぽいと思う。
「お前に言われたくないな」
「ええ? オレは清いだろ。ローションなんて使ったことなかったし。てかなんであんなの常備してんだよ」
 前回も気になったところだった。あの日急に家に押し掛けられて、事前に準備などできなかったはずだ。
 牧はナイトテーブルの引き出しからローションの小さなボトルを取り出し、二人の体を覆う布団を半ば投げるように向こうへ折り返した。体を露わにされた藤真は、局部を陰にするよう膝を立ててごく小さな抵抗を示す。
 傾けられたボトルの口から、色黒の手のひらの上に強い粘性の液体がゆっくり、ねっとりと流れ出る。牧は藤真の膝を外側に開き、その手で藤真の昂りを掴まえた。
「ンッ…!?」
 ぬめり纏わりつくローションの感触は先走りとは全く異なって、ひどく卑猥なものだった。握った拳の中を滑って逃げる男根の凹凸を牧が愛おしむたび、藤真の体は強烈な快感に跳ねる。
「ぅあっ、ぁんっ…!」
 周囲が言うほど、牧は藤真のことを女のようだとは思わない。女より男の体が好きだと思ったこともない。しかしもはや手の中のものが愛しくて堪らず、しきりに上下に扱いて刺激する。
「あっ、あぁっ、あっ…! んっ、牧、やめっ…」
 体を折って手首にしがみつく、愛らしい動作に行為を止めた。頬は薄紅に染まり、俯けた前髪の隙間から長い睫毛と上目の瞳が様子を伺うように覗く。やめろと言うなら誘うような顔はしないでほしい。
「これやばい。すぐイキそ…」
「ああ。自分でするときすぐ終わるように使ってる」
「なんで? すぐ終わったらもったいないじゃん」
 藤真は股間から牧の手を剥がし、体を起こしながら問う。
「一人で時間掛けてると飽きてこないか?」
「どんだけ掛かるんだよ! 手コキが下手か、持久力があるか、オカズの選別が下手か……?」
 言いながら、持久力はありそうだと思ってしまった。
「別にいつもじゃない。そういうときもあるってだけだ。お前とならいつまででもやってられそうな気がするが」
「やめてオレ死んじゃう」
 藤真はローションのボトルを手にして牧の昂りの上に直接傾けた。ボトルの口から性器の先端部へと、透明な太い糸がゆっくり伸びる。自分でしたことに対して「ヤラシイ」と呟きながら、逞しい男根を掴まえて全体に粘液を広げていく。
「すげーヌルヌル」
「あぁ…」
 手のひらをくすぐり抉る感触と、濡れて光沢を帯び、ディテールを強調したそれが白い手の中を出入りする光景と、漏れ聞こえる牧の低い呻きとに、藤真もまた淫らな気分を煽られる。
「気持ちいい?」
「ああ。もっとこっちに来てくれ」
 牧は藤真と向き合い、座ったまま腰を擦り寄せようとする。
「……こうか!」
 藤真は牧の腰に脚を回し、性器を密着させるようにして抱きついた。牧の指が藤真の昂りをなぞると、藤真も負けじと同じようにしながらキスを仕掛ける。
「ん、むっ…」
 唇を舐め、誘い出した舌を尖らせた舌先で突き、あるいはキャンディのように舐め合いながら、下腹部では寄り添わせた二人の陰茎を藤真が握り、牧の手が更にそれを包んで、忙しなく上下させていた。
「ぅんっ、あっ、あぁっ…ぁ…!」
 濡れそぼった性器を扱く手の中が、じゅぷじゅぷと派手な音を立て始める。それは切羽詰まるように間隔を狭め激しくなっていき、うまく舌を動かせなくなったキスの隙間から唾液が溢れた。
「ぁっ、ああぁっ…! 出るっ…!」
 一方の手で性器を扱き、もう一方の腕で牧にしがみつきながら、藤真は大きく体を震わせた。鋭い快感が全身を駆け抜け、頭が真っ白になる。勢いよく吐き出された精液が二人の手の中と腹とを汚し、それに反応するかのように牧もまた達した。全て出し尽くすまで動きを止めない手の中で、二人の生温い精液が混ざり合う。
 申し合わせたかのように同じタイミングで深く息を吐き、停止していた頭が戻ってきたと意識すると、濃密な栗の花の匂いが鼻についた。
「うわぁ……」
 藤真は自分が撒いたものに対して、心底嫌そうにしながらティッシュに手を伸ばす。手や腹を拭っていると、牧に太腿を持ち上げられ、思わず後ろに倒れた。
「おいっ、牧?」
 牧は右手に溜まった精液やら体液の入り混じったものを藤真の秘部を濡らすように擦り付け、指を捩じ込んだ。
「ぅあっ…!」
 じっとりと閉ざされた内部を探るように指を動かしていたが引き抜き、ローションを纏わせて再度挿入する。何度か繰り返し、収縮によって粘液が滲み出すまでに満たしていく。
 感触を愉しみながら内部をほぐすうち、小さく声が上がり、もぞもぞと腰が蠢くようになる。
「んっ…そこ…っ」
「いいのか?」
 藤真は恥じらうように視線を揺らしたが、素直に頷いた。
「やっぱりお前こそエロいじゃないか」
 牧は嬉々として一点を集中的に攻撃する。
「あぅっ! あぁんっ…!」
 内奥から襲い来る、まだ慣れない快楽に体が跳ね上がる。藤真は過剰と思える自らの反応と、女のように裏返った声に顔を真っ赤にした。
「なんで、こんなっ…」
「この辺に前立腺ってのがあって」
「あぁっ、あん、やらぁ…!」
 反応が良好すぎて、説明したところで理解できなさそうだ。藤真が我を失ったように善がり喘ぐさまは非常に好いものだが、こちらの顔までだらしなく緩んでくるのが難点だと思う。顔など観察している余裕はなさそうではあるが。
「嫌じゃないだろう?」
「だって! ひぁっ、あんっ…!」
「だって、なに?」
 話を聞いてやろうかと指の動きを止める。藤真は落ち着けた声を取り戻すように何度か深く呼吸をし、牧の視線を捕まえると満足げに瞳を細めた。
「指だけなんて嫌だ。その気持ちいいトコ、牧ので突かれたらサイコーなんだろうなって」
「……!」
 牧の喉仏が大きく動き、獰猛な瞳が近づいてくる。藤真は深く貪るくちづけを従順に受け容れ、脚の間にしきりに昂りを押し付けられながら、満悦と興奮の入り混じった笑みを浮かべた。
 求めてほしい。翻弄されるより、するほうが好きだ。
 無遠慮に舌を押し込まれ、掻き回されるものだから、鼻での呼吸も苦しくなって、思い切り顔を背けた。
「はぁっ…」
 溢れた唾液の筋を、牧の舌がべろりと舐め取り、背けられた横顔の、染まった頬より一層血の色をのぼらせる唇を、舌先で名残り惜しくなぞった。
「藤真……好きだ」
 免罪符のように呟いて藤真の脚を抱え、昂ぶるものを擦り付けて押し込む。
「あぁ、ぁっ…!」
 愛しいものと体を繋げる幸福感に、著しく思考が鈍る。眉を寄せ、閉じた目蓋を震わせながら掠れた叫びを上げる、苦悶の姿さえもはや扇情的で魅力的にしか感じられない。人工の愛液で満たされた内部が、押し込んだ欲望をぎゅうと抱き締め全身を愛撫する。受け容れられ求められている甘く蕩けそうな悦びと、彼を鳴かせ乱れさせたい凶暴な欲求とが、綯い交ぜになってわけがわからない。あまり長くは持たなそうだと感じながら、耳元に囁いた。
「望みどおりにしてやる」
 ねっとりと耳に舌を這わせて顔を離すと、腰を畝らせ内部を貪欲に味わいながら抽送を始める。
「あん、あぁっ、まき…」
「藤真、ふじま…」
 囁き呻くように何度も名前を呼んで、あるいは譫言のように好きだと唱えながら、衝動のままに求めた。音を立てて打ち付けられる体が上下して、ベッドのスプリングがしきりに軋む。
「あぁっ、んっ、はぁっ、ぁ…」
 快楽に震える長い睫毛の端を、小さな光の粒が飾っている。
 囀る唇に指を差し込むと、甘く噛み付いてくるさまが子猫のようだった。
 頭を振って乱れた髪の隙間から、こめかみの上辺りに赤く色づいた傷跡が覗いていた。色に煽られながらも確かに思い出した痛みに、そっと唇を押し付けて髪を撫で付ける。
「ん、まき…」
 何かを察したのか、あるいはただの偶然か、急かすように名を呼ばれて動作を再開した。胸の先を撫で、局部を手の中に遊ばせ言葉を奪って、白い海に深く沈んで溺れていく。

「次はいつ? 来週か?」
「次なー……てか、そっちはどうなんだよ? もうさ、ここが冬の選抜だろ」
 今日は十一月の初めの日曜だ。藤真は卓上カレンダーをめくり、翌月の下旬を指す。今年のウインターカップは十二月二十二日から二十八日までとなっており、例年通りというのも癪だが、神奈川からは海南が進んでいる。
「休みの日だって遅くまで練習してんだろ」
「待ち合わせがもう少し遅くてもよければ、今月はまだ大丈夫だと思う」
「夜だけって。カラダだけの関係すぎる……」
「やめておくか?」
 藤真は考える余地もないように首を横に振った。
「やめておかない。なんか、ある程度会わないと、お互い忙しいとかいって自然消滅しそう」
「そうだな……」
 明確な理由はないが、牧もそれは感じていた。だから次の予定だって今決めてしまおうとしているのだ。
「特別な場所に行かなくたって、とりあえず会って、ちょっとダラついてヤれればいいわけだし」
 牧は俯き口元を押さえている。
「照れてるのか? 別にいいだろ、オレは今日だってお前とヤることばっかり考えて来たんだ」
「いや、まあ、それはいいんだが。俺は時間さえ許せばもうちょっとちゃんとしたデートだってしたいと思ってるんだぞ」
「えー? 沖縄とか?」
 藤真は電話で言われたことを思い出しながら、あり得ないとでもいうように笑った。
「将来的にはそれもありだな」
「将来ねえ」
 適当な冗談としか捉えずに、さらりと受け流す。褐色の指がカレンダーの下端を指した。
「学校は冬休みだから、選抜が終わったら結構会えるんじゃないか?」
「てかさー、選抜がクリスマスだだかぶりなのなに? これ決めたやつクリスマスに恨みでもあるのかよ?」
 藤真はあからさまに嫌そうな顔を作った。そんな顔さえ魅力的だと思えるのは、彼の顔の造作の良さなのか、あるいは贔屓目なのだろうか。牧は笑ってしまいながら言った。
「冬休みの中で年末年始を避けたって感じじゃないのか? わからんが。……クリスマスも一緒にいてくれるつもりだったのか?」
「はぁ? そんなこと言ってねーし、家族で過ごすんだよ」
「家族で過ごすんなら選抜の日は関係なくないか? 試合を見に来てくれるのか?」
「うるせー!」
 こんな可愛らしい生き物は他にいない、心底からそう思いながら、自分に比べれば随分と細い体を抱き竦めた。なぜ今まで気づかなかったのかといえば、彼の断片しか知らなかったせいだろう。
「牧、苦しい。なんだよ?」
「選抜終わったあと、二十九日でもよければケーキ食べにいこうか」
「それクリスマスっていうか、もう年末じゃん」
 何やらツボに嵌まったらしく、藤真はケタケタ笑い始めた。
「年末にケーキ食べたっていいだろう」
 こじつけだって構わない、ただ二人だけの予定が欲しかった。そしてもっと教えてほしい。もう断片では満足できそうにないのだ。

プラン 1

1.

 十月下旬の日曜だった。他校の練習試合とはいえ、バスケットボールの試合会場で牧と藤真が出くわすことは、偶然とは言えない。少なくとも牧は、どこかでそれを期待していた。
「怪我は、もう大丈夫なのか?」
「お前こそ大丈夫か? 記憶失ってる? 選抜予選、一応対戦したんですけど?」
 呆れたように笑う顔も相変わらず抜群に綺麗で、安心とでも言おうか、心の隅の引っ掛かりが少しだけほぐれたような気がした。
 ウインターカップ予選のあとは国体出場などで忙しくしていたため、牧の実感としてはさほど長い月日は経過していなかったが、インターハイで藤真が負傷退場したのが七月末だったから、彼の反応も当然ではあった。
「藤真、これから忙しいか? よかったらお茶でも」
「大丈夫だけど、話すんなら静かなとこがいいな。……そうだ、お前の家はどうだ?」
 藤真の提案には驚いたが、彼が何かと注目を浴びやすいことも知っているので、特に迷わずに了承した。素っ気なくされることのほうが多かったから、思い掛けず懐かれたようで嬉しかったところもあった。このあとの展開のための藤真の思惑だったと気づいたのは後日のことだ。

「試してみるか? 具体的なこと」
「……やっちゃう?」
 藤真を自室に招き入れると、告白とは言いがたい曖昧な遣り取りを経て、ごく軽い言葉で体を重ねた。それまで彼に対して抱いたことのなかった欲求と感情が、ごく当然のもののように噴出し、戸惑いより自制心より、遥かに強い衝動に突き動かされて行動していたと思う。
(藤真が好きだ)
 もはやコートの上での振る舞いや、ひたむきで少し意地の悪い友人としてだけではない。顔のつくりも表情も、髪の色も肌の色も肉体そのものも、声も言葉も仕草も全部好きだと思った。愛しくて、愛らしくて──彼の柔らかい場所を蹂躙し制圧し、彼の中を自分で充したくて堪らなかった。濃密な時間だったと思う。
 想いに反して、交際の約束はごくシンプルなものだった。
「俺と、付き合ってくれ」
「いいよ。……よろしく」
 気の利いた言い回しを考えられるほうではないし、藤真も行為の直後で落ち着いてしまっていたためだろう。キスをして、穏やかな気分で抱き合ったり体を撫でたりしているうち、再び催してしまい、もう一度体を繋いだ。気怠げに呻いた藤真の視線が置き時計の時間を確認したのが、妙に印象に残っている。

「次はいつ会える?」
 シャワーを浴び、脱衣所で服まで着込んで戻ってきた藤真に、本当は家に帰したくないくらいの気分で問い掛けた。藤真はナイトテーブルの上の卓上カレンダーを眺める。
「来週の日曜かな。っても練習とかあるから会えるの夕方くらいだけど、海南もそんなもんだろ?」
「そうだな。土曜は?」
「土曜はもうちょっと遅くなりそうなんだよな。お前が土曜のほうがいいならそれでもいいけど」
「……それじゃあ、日曜にするか」
 両日という選択肢は藤真にはなさそうなので、比較的時間の取りやすそうな日曜にした。それから連絡先を交換し、日々の練習の終わる時間や、家に戻っている時間などを教え合った。練習の拘束時間は海南のほうが長いが、今の藤真は用事が多く、帰宅する時間は大差ないようだ。
「じゃあ帰るな。また」
 玄関で靴を履く藤真の隣で、牧もまた自分の靴に足を突っ込む。
「駅まで送っていく」
「え? 方向わかるし大丈夫だと思うけど」
「まあ気にするな」
 道中の目印になるものや、少し行ったところにスーパーがあるだの、ドラッグストアがあるだのと説明しながら歩いていると、なぜか笑われてしまった。
「お前ってマメなんだな」
「そりゃあ、また来てほしいからな」
「ああ……そう。そうなるだろうね」
 涼しい顔をしていた藤真の頬が微かに染まり、それを認めた牧も途端に照れくさくなってしまった。どこにスイッチがあるか、よくわからないものだと思う。
「駅から電話してくれたら迎えに行くが」
「さすがにこのくらいの道覚えるって」

 相手が近くにいると、話すことに意識を遣れる分だけ落ち着くのかもしれなかった。牧と別れたあとは始終頭がふわふわして浮ついた気持ちで、それは家に帰り着いても治まらなかった。
 部活動のために予定より帰りが遅くなるのはよくあることだったから、いちいち事情は追求されない。自分の分だけ残してあった夕食を食べ、そそくさと浴室へ向かう。
(オレ、今日何回風呂入るんだろ)
 牧のところで体は過剰なくらい洗ったものの、頭までは洗わなかったので、入らないわけにもいかない。服を脱いで浴室に入り、シャワーと鏡を目にすると、途端に牧と一緒にシャワーを浴びたことを思い出した。白い腹に褐色の腕が巻きつき身体中を撫で回す。首の後ろに柔らかい唇と熱い息の感触があって、尻には硬いものが押し付けられていた。
「う……」
 下半身に変調が現れたが、触れるのも癪な気がしてとりあえず無視した。明日の部活のことなどを考えながら髪を洗ったが、ボディタオルに泡を立てて体を擦るとやはり駄目だった。熱を抱き妙に敏感になってしまった体は、濡れた泡のするすると流れる感触にすら淫らな気分を煽られる。
(牧がオレのこと好きだっていうから、付き合ってやることにしたってだけで……)
 記憶を辿り、言葉を反芻すると胸がざわざわして、脳が甘く痺れるようだった。ぎらついた瞳を思い出すと体の内も外も疼いてどうしようもなくて、昂った性器を左手の中に捉えた。普段自分でするときよりも先端はひどく潤んでいて、すぐに達してしまいそうだ。手のひらのぬめりを全体に広げるように撫で付け、大きく少し硬い皮膚をした牧の手を思い出しながら、いつもより強く握り込んで上下に扱いた。
「はぁっ……」
 左手で性器を、右手で胸や体の各所を撫でながら、目を閉じて牧の手の感触、視線や声、縺れる舌と息苦しさを思い出す。浴槽に湯を張った浴室の熱気はそれといくらか似ていて、喉を反らせて口を僅かに開き、キスを待つように舌を覗かせた。しかし夢想するその感触は訪れない。
「ぁ…」
 熱い体温と圧迫感と、体の中に押し込まれた感触を思い出しながら、会陰を伝って秘部へと指を忍ばせる。
「んっ…!」
 少し痛みが残っていることと、まだ躊躇いもあり、中指の半ば程度で挿入を諦めてしまった。牧の指でされたような感覚は得られなかったが、それでも関節を曲げ伸ばしして粘膜を擦る感触には非常に興奮して、何度も大袈裟に体を震わせ、すぐに果ててしまった。
「ぅっ……!!」
 快感が突き抜け、目の前が白く弾ける。頭がくらくらする。酸素が薄い。それは確かに快楽だったが、求めたものとは違うとも感じた。
「……」
 射精による快感の奔流が過ぎ去ると、次第に虚しさと敗北感のようなものが込み上げてくる。
(はぁ……なんか腹立つ……)
 いつものことではある。牧との行為のあとにも確かにそれはあったが、比較的穏やかだった気もする。快楽の名残りとでも言おうか、体の中に暖かいものが滞留しているように感じていた。女のように抱かれる側になっていたから、常とは違う気分になったのかもしれない。
 女扱いされて嬉しかったことなど過去にないが、慣れたことでもあるので、二人の位置関係に文句はなかった。むしろ、あらぬ場所に男の欲望を受け容れる異様な行為に興奮しきっていた。
 心底気怠い気分で、吐き出したものを流し、滑る部分をよく洗う。
(のぼせる……)
 浴槽に浸かる気にはなれず、痕跡が残っていないか入念に確認して浴室を出た。
 体を拭いて寝巻きに着替え、バスタオルで大雑把に髪を拭きつつ、グラスに冷たい水を注いで一気飲みし、そのままの格好で二階の自室へ上がっていく。
 廊下に置いてある電話機を目にすると、牧と番号を交換したことを思い出した。
(牧もオレのこと……思い出してなかったらちょっとむかつくな)
 藤真家の電話機は一階に一つ、二階の廊下に一つと、コードレスの子機が姉の部屋にある。一般家庭のため番号は共通だ。二階の廊下の電話機は置き場所と線の長さから、そのまま藤真の部屋に移動させて使うことができた。
(これオレの部屋の電話にしていいんじゃないかな。……いや親が二階いるとき出るか)
 自分から掛けることはあっても、鳴っている電話を藤真が取ることはほとんどなかった。時間帯にもよるが、大抵は姉が真っ先に電話に出る。自室に子機を置きたがった理由でもあるが、交際相手からの電話を他の家族に取られるのが気まずいと感じているせいだった。
 電話機を部屋に入れ、牧の電話番号をメモした手帳を開き、番号をプッシュして、何度かの呼び出し音を聞いているうちに心臓が激しく高鳴り──思わず電話を切ってしまった。
「……」
(なかなか出なかったし、番号間違ってたんだろ。切って正解だったんだ)
 自らの行動を正当化していると、電話が鳴った。
「!?」
 跳ね上がるくらい驚き、身を強張らせながらも、2コール目の呼び出し音が鳴り終わる前には受話器を取っていた。
「はい、藤真です」
『お、藤真か?』
「牧! どうしたんだよ」
『今、うちに電話をしなかったか?』
「してないけど!?」
 咄嗟に嘘をついてしまった。考えてなどいない、反射的なものだ。
『そうか。誰だったんだろう』
 海南の誰かしらだと考えているのかもしれない。嘘をついたことを少し後悔しつつ、切られてしまわないよう話を振った。
「牧、今なにしてるんだ?」
『い、いや? 特にナニってこともないが? 藤真は?』
 そう言う割には前の電話に出なかったが、それを掛けたのは藤真でないことにしてしまったので追求できない。
「ご飯食べて風呂上がったとこ。まだ髪濡れてるくらい」
『服は着てるのか?』
 盛大に吹き出してしまった。電話の向こうでは大層聞き苦しいことになっているだろう。
「着てるけど。なにその変態のイタ電みたいな」
『すまん、そういう意味じゃない。風呂上がりのタイミングだったのかと思って』
「牧クンは? どんな格好してるんだい?」
 変態の電話のようにしたかったのだが、あまりうまくできていない気がする。
『……内緒だ』
「へえ〜〜? 言えないようなカッコしてるんだ? ほ〜〜?」
 面白くなってきたところで、部屋のドアをノックする者があった。
「ごめんちょっと待って。……なんだよ?」
 受話器を塞ぎながら部屋のドアを僅かに開けて覗く。姉だった。
「電話使いたいんだけど」
 姉の部屋にも電話はあるが、誰かが他の電話機を使っていれば回線は占有されてしまうのだ。藤真はわざと大きく舌打ちをした。無意識に出るほど染み付いたものではなく、不快感を表すときの故意のジェスチャーだ。
「あー、もうすぐ終わるから」
 面倒そうに手で追い払う仕草をしてドアを閉めた。
「もしもし牧? ええとなんだっけ?」
『いや……』
 牧は口籠る。藤真からの電話かと思ったから掛けただけで、特に用があったわけではない。
「あっそうだ。牧、オレが帰ったあとオレのこと思い出したりした?」
『……そりゃあ、まあ』
「エッチなことした?」
『……』
 会話が噛み合っているかは別として、牧はあまり言葉に詰まることはないほうだ。この電話での歯切れの悪さはどうにも気になる。しかし追求して遊んでいる時間はない。
「オレ、さっき牧のこと思い出してしちゃった。じゃあなおやすみ!」
 耳から遠ざけた受話器の向こうで牧が慌てている様子だったが、気にせず切った。姉に闖入されるかもしれない状況で続けたい話ではない。
 電話機を元の場所に戻してくると、急激に疲れが押し寄せてベッドに倒れ込んだ。じわじわと、不安と後悔の念に蝕まれていく。
(さっきの電話、引かれてたらどうしよう)
 流れで軽く行為に至ったことも、その最中の様子としても、牧は無知や奥手とは程遠かった。こちらが反応を示すのも嬉しいようだったし、あのくらいの発言で幻滅などされないだろう。そう思いたい。
 このまま眠ってしまいたかったが、まだ寝る時間ではないし、やるべきことはやらなければならない。洗面所に行き、ドライヤーを使って戻ってくると、鞄から今日の試合のメモと田岡から借りた本を取り出した。
 田岡は陵南の監督だ。翔陽の監督人事については他校のバスケ部でも話題になっていたようで、「練習試合だがよければ見にこないか」と今日の試合について声を掛けてきたのは田岡だった。挨拶に行くと、返すのはいつでもいいと言って、指導についてなどの本を貸してくれた。
 疲れもあっただろう。ベッドに潜って本を読んでいるうち、そう余計なことも考えずに眠り込んでいた。

 授業中は藤真にとって思索の時間で、牧について考えることも珍しくはなかった。一年のときから翔陽の目下のライバルは海南で、藤真にとっては同じポジションの牧だったのだ。しかし今日は方向性が違う。
(まさか牧が、オレのことそういう風に好きだったとは……)
 花形から仄めかされた時点では思いも寄らなかった程度に現実味のないことだった。昨日そのときには驚きや興奮といった強い感情が先行したが、今はごく落ち着いた気持ちだ。穏やかで暖かなものが、ささくれ立った部分を包み滑らかにするようで──決して悪い気分ではない。
 二人の接触は他校生の割に明らかに多く、藤真も好感を持たれていること自体には気づいていたし、疑問も抱かなかった。知らない人間が自分のことを知っていて、身勝手な好意を寄せている、そんな状況に慣れ切っていたから、牧が親しくしてくるのはむしろ自然なことだと感じていた。
 おそらく二人とも、互いへの興味や親近感を、色事めいたものとは思わずに育んでいた。それを藤真が無理矢理引き出してしまったのが昨日だ。
 男同士であることへの抵抗感はなかった。過去に告白されてきた経験からそうした嗜好の人間の存在も知っていたし、外見については言われ慣れている。
(まあだって、好きだからってオレが牧を掘りたいかっていうとそれはないし……)
 昨日から体が過敏になっている気がする。学校で下半身のことは考えないほうがよさそうだ。
(好きだからって? いや、牧がオレを好きなんだろ)
「藤真、なんかいいことでもあったのか?」
 部活のあと、活動の日誌を付けながら花形と話す時間を持つのは日課だった。
「なに、いきなり」
「なんとなく。一日機嫌よさそうだったから」
「めちゃくちゃ今更だなそれ?」
 藤真は眉を顰める。二人は同じクラスで、席替えがあっても身長の都合で花形はいつも一番後ろの席になるから、藤真も常にその前か隣に陣取っていた。部活のことなどを常に話せて都合がよいためだ。当然教室移動も昼休みも大抵一緒にいるというのに、一日機嫌がよさそうだったと部活の終わり際に言ってくるとはどういうことか。
「突っ込んだら機嫌悪くなるのかと思って」
「よくわかってんじゃん。……まあ、突っ込まれたって内緒だけどな」
「そうか」
 花形は穏やかな口調でそう言ったきり日誌に視線を戻してしまった。親しいと認めている人間が自分への興味を示さないという状況が、藤真は嫌いだ。
「気になんねーのかよ」
「ならないな。ポジティブなことで知らせたいことがあるなら、自分から言うだろう、お前は」
 ネガティブなことを押し隠そうとしているようなら追求しないことはないが、今の藤真の様子はそれとは違う。
「……そうだね」
 牧と付き合い始めたことを今花形に報せたいかと問われれば、答えはノーだ。悪いことではないのかもしれないし、花形も偏見は持たないような気はするが──そもそも昨日の藤真の行動のきっかけは花形の言葉だった。
(まじかよ。頭いいやつって怖いな……)
 何にせよ、暫定とはいえ監督の立場にありながらライバル校の選手と交際しているのはいかがなものかと思うので、当面は話す予定はない。
「でも藤真にいいことがあったんならよかったと思う」
「花形さー、ときどきいいやつすぎて意味わかんねーんだけど」
「そうか? お前は友達がきつそうにしてるのを見てるほうが楽しいのか?」
「例えが極端だ」
「だが、つまりそういうことだ」
(オレ、こいつとどうやって友達になったんだろう……)
 理屈くさくて、こちらの挑発にもほとんど乗らず、暖簾に腕押しというか、勢いをつけて暖簾に突っ込んだ体を受け止めてくれるような、そんな男だ。しかし誰にでも優しいわけではなく、正しいと思えば辛辣なことも容赦なく言う。好人物なのかと思えば、体裁より結果を求めるような狡さも持ち合わせている。
(どうってこともなかったんだよな。なんとなく自然に仲良くなってて。好きとかなんとかって、結構そんなもんなのかもしれない)

 夜、電話のコール音が鳴っていたかと思うとドアがノックされ、応じる前から姉の声が聞こえていた。
「健、バスケ部のマキさんって人から電話」
「!! ……ああ、なんだ、牧か」
 驚きに確かに入り混じった嬉しさを理由もなく押し殺し、さもどうでもよさそうに呟いて、保留のランプの点いた電話機を自分の部屋に引っ張り込んだ。
(バスケ部って。間違っちゃいないけど)
 まるで翔陽のバスケ部かのような言い方だ。海南と言ったところで、弟の部活動に興味のない姉にはよくわからないだろうが。
「もしもし? 牧?」
『おお、藤真か! 女の人が出たからびっくりした』
「姉。多分一番電話出るの姉だって言っといたじゃん」
『いや、昨日はお前が出たから……』
「昨日はな」
 牧に電話を掛けてみようとしてすぐに切って、電話機の前に居たためだ。それでも出るかどうか少し躊躇った。
「で、どうしたんだよ?」
『次の日曜のことを考えてみたんだが、一緒に行きたい場所が思いつかん』
「えー? てか昨日の今日だぞ。ちゃんと考えたのかよ?」
 次のデートのプランについて、昨日の時点では何も決めなかった。決まったら電話して教えてくれ、としておいたのだった。
『今日の授業中、一日中考えてたぞ』
「勉強しろよ学生」
 自分も似たような過ごし方をしていたことはすでに忘れている。
『会うのが夕方からってのが意外と時間がないっつうか、計画が立てにくい。正直一緒にいられればなんでもいいんだが』
「まあ、そうだなあ」
『たとえばな、がっつり時間が取れるなら、ディズニーランドとか、山とか、温泉とか、沖縄とか、いくらでもあるんだ』
「なんか旅行も混ざってるけど。山は嫌だな。てかディズニーとか好きなんだ?」
『デートって考えたら思い浮かんだ。お前ならきっとサマになる』
「サマねえ。まあいいや、多分ちょっとその辺ぶらぶらして食事してお前ん家行くくらいじゃん?帰り早い分には困らないしさ。食べるとこ見繕ってくれてたらいいよ」
『うち、か……』
 なんとなくではあるが、牧が照れているような気がした。電話では顔が見えないのが残念だ。
「嫌なら行かないけど?」
『いや、是非きてくれ』
 そしておそらく今は大真面目な顔をしている。思わず笑ってしまった。
「りょーかい」
『じゃあそれで決まりだな。待ち合わせは駅にしよう。時間は──』
 そうして次の日曜の予定を決めてしまってから、牧はおずおずと言った。
『ところで藤真、昨日のことなんだが……』
「昨日?」
『電話で言ってただろう。俺もお前のこと考えながらしてたんだ。じゃあおやすみ』
 捲し立てるように言われ、一方的に電話を切られてしまった。意趣返しというものだろうか。
(そっか、牧もオレのこと考えながら抜いてたか、やっぱそうなんだ……)
 口元がいやらしく歪んでくる。あまり人に見せたい顔はしていない自覚があった。