ミス翔陽、痴漢電車に乗る

 甘い香りのリップをひくと、薄くだけ色づいたつややかな唇が、自然と弧を描いた。
(うーん、我ながら今日もかわいい)
 鏡の中で微笑するのは、三年連続ミス翔陽・藤真健司。つまりオレ。
 カールさせたまつ毛と内側に跳ねたミディアムヘアが、普段よりいっそう目を大きく、顔を小さく見せてる。ハーフウィッグってやつで、前髪は地毛だからヅラっぽくなく自然だ。メイクはほんのりチークだけだが、自分がかわいくなっていくのが面白くて、化粧に時間を掛ける女の気持ちもちょっとわかる気がする。
 服装はいつものっつうか、制服のプリーツスカートにワイシャツに、首にはそれっぽいリボン。それから花形のお古のニットカーディガン。これがまた、オレの肩幅(そんなにないが)を隠して華奢に見せる絶妙なオーバーサイズで、かわいいって評判だったやつだ。
 トイレから出てくとき、入れ違いになったおっさんがぎょっとして入り口の表示を見直してたが、ちゃんと男子トイレだから安心してほしい。
 帰宅ラッシュの時間は過ぎてて、駅構内に人はいないってわけじゃないが多くはなく。音がよく通るせいで、すれ違った女二人組の会話がばっちり聞こえた。
「今の人かわい〜! モデルさんかな?」
「かも、背高かったし!」
 花形あたりが隣にいると身長もごまかされるんだが、ハーフっぽいって言われる顔のせいか、一人でいてもまあ男には見えないらしい。〝ハマの非実在美少女〟とはオレのことだ。
 とはいえ、別にオレの趣味でやってるわけじゃない。牧のリクエストだ。あいつは高校バスケでは神奈川の帝王だとか逸材だとか高く評価されてるが、素は天然ボケのド変態だった。
 翔陽祭のミス翔陽コンテストで優勝したオレに一目惚れしたのが一年のとき。告ってきたのが二年の翔陽祭。いったんは拒否ったものの、大真面目な顔でトチ狂ったこと言ってくるのと、弱みを握ったみたいで面白くて、興味本位でOKした。それからいろいろあって、オレもアナルセックスにドハマりして今に至る。しょうがねえだろ、お年ごろなんだから。若気の至りってやつだ。

 ホームに着いた電車に乗ると、人はまばらだった。座席の空きもあったが、一直線に向かい側──進行方向に対して左側──のドア横に陣取って、すぐ横の座席の仕切りに体を預ける。通路から顔を背けるように、動きだしたドアの外を眺めた。
(あぁ……やばい……)
 女装して出かけるのは初めてじゃないが、今日は尻にアナルプラグが入ってる。もちろん牧の要望だ。エグいやつじゃなくてお出かけ用のやつだけど……いや、お出かけ用のプラグってなんだよ!? ってオレも言ったけど。でも牧がしょ〜〜もない妄想しながらこれ買ってきたんだなって思ったら面白かったから、仕方なく使ってやることにした。電動だけど電源は入れてなくて、リモコンはパンツの腹のゴムに挟んでテーピングで肌に固定してる。スカートは短いっちゃ短いが、外から尻が、ましてプラグが見えるようなもんじゃない。だが、よからぬことをしてる感がすごくて、不自然じゃないかな、実は誰か気づいてるんじゃって思うと……
(すっげー、興奮する……)
 プラグもしばらく挿れてると慣れるっつうか、入ってるだけでめちゃ感じるってわけじゃないんだが、いったん意識がそっちに向くとダメだった。
「はぁっ…」
 大したことない揺れでも穴を刺激されて、うっかり締めつけちまうと余計に感じて──ドア横に体をくっつけてるせいで揺れが伝わりやすいんだが、寄りかからないで脚に力を入れて立ってられる自信もない。
 女モノのパンツに窮屈に収めたちんぽがパンパンになってるのがわかる。牧に会ったら即ハメコースだな。行儀よくご飯からなんて無理だ。
 頬が熱い。尻の穴がじゅんじゅんする。頭がぼうっとして、電車のアナウンスも、なんか言ってんな〜ってくらいで通り過ぎてく。
 少しすると電車が停まって、オレがいるのとは逆のドアが開いた。人が乗り込んでくるどすどすとした足音と振動から、見なくても混んでるのがわかる。
 オレはそれに背中を向け、近くのドアにほとんどくっつくくらい体を寄せた。少しでもスペース空けるのもあるし、乗ってきた人と至近距離で顔を付き合わせるのも嫌だし。
「っっ!?」
 思った以上の勢いで後ろから人がぶつかって、オレの背中に伸しかかるように密着してきた。広い胸の感じ、結構大柄な男だ。混んでる電車じゃある程度は仕方ないが、これって〝ある程度〟なんだろうか。ちょっと視線を動かした限り、横もどこもぎゅうぎゅうだけど──電車が動きだすと、オレはすぐに異変に気付いた。太ももの後ろに硬いものが当たってる。形状っていうか熱っていうか、とにかくカバンとかじゃないと思う。
(まあ、ただの事故っつうか……)
 その気がなくたって、擦れて勃っちまうことだってあるだろう。そう思いたかったが
(いや、故意だわな、これは……)
 擦り付けるように、ぐいぐい押し付けられてる。耳の後ろの髪に突っ込まれた鼻が、フーフー荒く息をしててすげー気持ち悪い。絶対わざとだ。
「ッ…!!」
 硬い手のひらが、太ももをさわりと撫で上げる。やっぱり痴漢じゃねえか! オレが普段の男の格好してるか、本当に女だったら声を上げたかもしれない。だが今はそういうわけにもいかない。見た目はかわいくたって喋ったら男の声だ、(しかも尻にプラグが挿入ってるし)痴漢よりオレの変態さのほうが目立っちまう。
 男の手はさらにスカートの中を上って、パンツ越しに尻をするする撫でた。
「ンッ♡」
(やめろっ、今そこはやばいっ!)
 きゅっと尻が締まったのと一緒に体が不自然に跳ねちまったが、オレの危惧をよそに、手は股の下に伸びていった。まあ、普通の男は尻の穴にはそんなに興味ないか。そして、手が向かう先には女にはないモノが付いてる。痴漢には残念、ご愁傷様ってところだな。だが──
「はぅっ!?」
 そいつはオレの玉をしっかりと、確認するように握ってきた。指を伸ばして竿の根っこにも触れて撫で回す。思わず声を上げそうになって、オレは慌てて両手で自分の口を塞いだ。確信を得た痴漢の手は、尻の割れ目を辿ると簡単にプラグの存在に気付いて、押し込む動作をする。
「ひぐっ!」
 ストッパーというか、それ以上挿入っていかない形状にはなってるが、刺激されたら当然感じる。耳に湿っぽい息が当たって、笑いを含んだ低い声がした。
「とんだ変態だな。こんな格好で電車乗って、痴漢されるの待ってたんだろう?」
 声を出すわけにもいかず、オレは口を押さえたまま首を横に振る。
「じゃあ、彼氏から命令されたのかな」
(彼氏じゃねえしっ! 従ってるんじゃなくて面白がって付き合ってるだけだしっ!!)
 内容もむかつくが、周りにバレないように耳のすげえ近くで喋ってくるから、唇が当たって、ゾクゾクして、尻穴もきゅんきゅんして──
「リモコンみっけ」
 痴漢は嬉しそうに呟くとプラグのリモコンのダイヤルを回した。
「んくッ!!」
 ブルブル、ぐいんぐいん中がかき回される。やばい。やばいって電車の中でこんな!
「ぅんっ、んんっ♡」
 ダメだ、いけないって思うほど興奮して感じてしまう。音は聞こえない、気がする。電車の音にかき消されてるんだろう。
 痴漢はオレの体に腕を回して後ろから覆うみたいに抱きすくめると、耳もとに囁く。
「俺が隠しててやる。お前が声を出さない限りはバレない」
 確かにオレは痴漢の陰になってるだろうし、他の乗客はイヤホンでなんか聴いてたり、狭いのに器用に新聞読んでたりでこっちを見てる気配はない。パズルみたいに一度収まったポジションから、わざわざ姿勢を変える気もしないだろう。
 だったら声が出ないようにプラグを止めてほしいんだが、相手は痴漢だ、そう簡単にはいかない。
「っ…!」
 男の手のひらが、シャツの下から入り込んで直接腹を撫でる。それだけで感じて腹が震えるんだが、手は容赦なく這い上って胸をまさぐり、ガン勃ちの乳首を指先で擦り潰した。
「っんくッ! っん、んンッ♡」
 乳首は本当にダメだ。乳首と尻穴を一緒に弄られてると尋常じゃなく気持ちよくて、オレって本当は女なのかも、もうどうにでもしてくれ! って気分になっちまう。
 そんな考えがバレたか、もの欲しそうにしてしまったのか、痴漢のもう一方の手が尻肉を開いたり閉じたりして好き勝手に揉みしだく。
「ッ〜〜〜♡♡♡」
 プラグの当たりかたが変わって堪んなく気持ちいい。オレは口を塞いで悶絶した。
 いつの間にか、痴漢のちんぽがズボン越しじゃなくて直に太ももに当たってる。熱くてでっかくて、硬いちんぽの感触に、プラグじゃ届かない奥の奥がきゅうっと疼く。ソレでズポズポされたらどんなに気持ちいいだろうとか、つい変態なことを考えてしまう。
『──次は○○、○○です。お出口は右側です』
 電車が停まるのと一緒にプラグの動作も止まった。開いたドアはまだ逆側。目的の駅までこっちは開かないはずで、他の乗客もまだ詰まってる。
「ふぁっ…♡」
 パンツを下ろされプラグを抜かれて、思わず少し声が漏れたが、発車ベルやらに紛れて周りには聞こえなかっただろう……と思う。
「っっ!」
 先走りかツバか、濡れた感触と一緒に痴漢のちんぽが尻の間に擦り付けられる。エグい存在感に、思わず声が出そうになってしまった。発車の揺れと同時に、張り出した先っぽがぐっと押し付けられ押し込まれる。
「うぐっ、うぅぅっ…!」
 腹から口に押し出されるように呻きが漏れたが、鈍い痛みもはち切れそうな危うさも入り口だけだ。牧とやるために準備万端だったオレの尻穴は、なすすべなく痴漢ちんぽを受け容れていく。
「っく、ふっ……!」
 熱い。がちがちになった痴漢ちんぽが、ゆっくり肉を抉りながらめり込んでくる。
(あぁ……)
 ガタンゴトン、電車は走って外の景色が流れてる。すぐ近くに人もいるのに、オレはパンツを下ろされて尻にちんぽを突っ込まれてる。異様な状況を思うと頭がおかしくなりそうなのに、体はまるでそれを待ちかねてたみたいに、全身の血が沸いて体じゅうから汗が滲んでる。
「くンッ♡」
「入ったぞ」
 言われなくたって、尻に相手の下腹が当たって、根っこまで挿入ってるんだってわかる。想像どおりのでかさだ。
「んっ、んぅっ♡」
 ぐっぐっと腰を押し付けられると、S字の入り口に先っぽが擦り付けられて、胸がぎゅっと締めつけられるみたいな堪んない気分になった。だって、オレはもうその気持ちよさを知ってる。
 だがそれ以上期待した感触はこなかった。先っぽが、焦らすみたいに天井を撫でてる。
「どうだ、電車の中で食うチンポは旨いか?」
「うぅっ…」
 そんな下品な煽りにも尻がきゅんってなって、そのせいでいっそうちんぽの存在を感じてしまう。
『この先揺れますのでご注意ください』
「はぅっ♡」
 アナウンスのとおりに電車が揺れだすと、繋がった腰が動いて堪らず声が漏れる。
「っ…はぁっ…♡」
 電車の揺れと一緒に、ぐちぐち少しだけ肉が擦れる。気持ちよくないわけじゃないけど物足りなくて、いっそもっと電車が揺れたらいいのにとか思ってしまう。
「腰が動いてるんじゃないか?」
「電車のせいっ、だしっ…!」
「声でかいぞ」
「むぐっ!」
 痴漢の手が口を押さえてきたから、むかついて噛みついた。オレは話しかけられたから答えただけだし、リップもたぶん擦れて伸びて変になってるし。痴漢は小さく声を漏らしたものの、手は離れない。
『──まもなく××、××です。○○線ご利用の方はお乗り換えください。お出口は右側です』
 次の停車駅は大きめの乗り換え駅だった。一気に人が降りて、少なくともオレの視界からは誰も見えなくなる。振り向こうとしたが、口を塞いだでかい手で顎全体を押さえられてて無理だった。電車が発車する。
「全員降りたな。それじゃやるか」
「ぁぐっ♡」
 ぐっと腰を突き上げられて、高い声が漏れた。顔の向きは固定されたままだが、口を塞いでた手が下にずれてる。他に人がいないんならちょっとくらい声出たって平気だろう。
「全然拒む気がねえな。……いまさらか、こんな格好で電車乗ってんだから」
 スカートをめくり上げられ、丸出しになった尻をぺちぺち叩かれる。
「ひゃぅっ!」
 痛いわけじゃないが、牧からそういう風にされたことなかったから……無性に興奮してしまう。
「あふっ、あ、あぁあっ…♡」
 カリ首を引っ掛けながら抜けてく感触が強烈に気持ちいい。自分の中に入ってる立派なちんぽの姿を想像するだけで軽くイきそうだ。
「ぁんッ!」
 勢いよく押し込まれて、ぶつかった肌が乾いた音を立てる。また抜かれて、挿入れられて──ゆっくり繰り返される長いストロークに、穴の中にまんべんなくちんぽの形を教え込まれるみたいだった。
「はぁっ、あぁッ…♡」
 間違いなく巨根に分類されるだろうそれに、オレは服従するメスみたいな気分で尻を後ろに突き出す。本能……なのか?
「おいおい、俺は痴漢なんだぞ。まあいいか、おらっ!」
 慣らすようだった動きから、ピストンが早く、強くなる。
「あ゛ッ、あん、ぅんっ、んンッ♡」
 前立腺を抉りながら入ってきて、カリ首で直腸を逆撫でながら抜けていく。それを何度も繰り返されるんだから堪らない。あぁ、オレ、電車で女装して尻穴でちんぽしごかれてる……。
「やっぱり腰が動いてるじゃないか」
「ぁんっ、だってっ、…ぁあんッ!」
 何度も突かれてるうち奥がグポッていって、いっそう深くにちんぽが挿入った。
「おぉっ…♡」
 開いちゃった。普通ちんぽが挿入ってるとこより奥にある、直腸S状部ってやつだ。後ろで痴漢がぶるっと震えたのがわかる。オレもたぶんもうダメ。
「っ……すごいな、奥にもう一個口があるみたいだ……」
 ぐぽん、ぐぽん、奥の口に亀頭を出し入れされると、前立腺とも違った強烈な快感が押し寄せる。
「ぅあっ! あぅっ、あぁっ、お゛あッ♡」
 体がおかしくなったみたいに、中が勝手にチン先を締めつけて余計に感じてしまう。痴漢は低く呻きながら容赦なくそこを責め続ける。オレも夢中で腰を振る。
「ひ、あぁっ、あぅっ、あぁっ♡」
 ガタンゴトン、ガタンゴトン、パヂュ、パヂュ、パヂュ、パヂュ──
 パンパン音と粘膜の音の混ざったやつが、電車の音よりでかく聞こえる。アナルとちんぽが擦れるエロくて下品な音。お客がいないからって、こんなの絶対ダメなのにっ♡
「ぁんっ、あ゛っ、おぉっ、んおぉっ♡」
 ぐぽぐぽぐちゅぐちゅ、黒くてでっかい痴漢ちんぽ最高すぎて、オレ、もぉ……
「くンッ、あっ、んぁっ♡ あ゛ぁァーッッ♡♡♡」

「ぁ、あぁ……♡」
 気づくとオレは床に膝をつき、電車のドア横の手すりにしがみついていた。
「これからデートなんだろう? 元に戻しておかないとな」
「あぁっ…あっ…♡」
 甲斐甲斐しい痴漢はオレの尻にプラグを挿し直すと、ウェットティッシュかなんかで股を拭ってパンツを穿かせた。恍惚タイム中のオレはすっかりぼうっとして、されるがままになっていた。
『──次は△△△、△△△です。お出口変わって左側のドアが開きます』
 目的地への到着を告げるアナウンスだけが妙に冴えて頭の中に聞こえて、ドアが開いた瞬間、逃げるようにホームに飛び出してた。コケそうになりながらホームの柱につかまって、目を覚ますように冷たい柱に頬を当てる。(これもまともなときなら絶対やらないことだ)
「ふー……」
 心臓がドクドク、やばいくらい脈打ってる。当たり前だ。メスイキすると途中でわけわかんなくなるのは直したいと思ってるクセだが……果たして直るんだろうか。
 柱を抱いたままで人の気配に振り向くと、牧が小走りに近寄ってきた。
「藤真、すまん、待ったか?」
「あ、牧……」
 うん。なんか牧のこと真正面から見たらようやく落ち着いてきた。
「どうかしたのか? 藤真」
「え? いや、いつまで寸劇を続ける気なんだよ、わざわざ遠いドアから出てきて」
 オレは自分でもわかるくらいのジト目を作って牧の手首を取った。その大きな手には、バッチリとオレの歯形が付いてる。もちろん、ついさっき付けたやつだ──電車の痴漢に。
「なんだ、やっぱり気づいてたのか」
「ったりめえだろ! 本当の痴漢にあそこまでヤらせるかっ!」
 一番最初からじゃないが、体格だって規格外だし、手の色は黒いし、だいたい痴漢した女子高生の中身が男なのに動揺してなかったし。いったん怪しいって思ったら確信するのは簡単だった。
「けど、オレが電車の中で抵抗して騒いでたらどうするつもりだったんだよ」
 そうしたら即正体バラして丸く収めるつもりだったのかもしれない、とは思うけど。
「それは大丈夫だ。あの車両にいた人たちは全員雇われだからな」
「……は?」
 ちょっと、言ってる意味がわからない。
「聞いたことないか? アダルト用途のための車両貸し切りサービス」
「あるわけねえだろっ!」
「ともかく、あの車両は俺たちの貸し切り。乗ってた人たちはモブっつうかキャストっつうか、そういう仕事だから、藤真が多少騒いだって大事にはならない」
「なんつー仕事、なんつー商売……」
 狂ってる。相手が牧ならこういうこともあり得るか……って納得できてしまうのがいちばん狂ってると思う。
「親父いわく、土地バブルは終わりだからこれからの日本はHENTAI産業だそうだ」
「はぁ〜……」
 趣味と実益を兼ねた、て感じ? 金持ち怖えー。とはいえ、雇われだったにしても大勢の人がいるところでヤられてたのは事実なわけで。思いだしたらまた体が熱くなってきて、ケツの穴がじゅんってなった。
「あっ……!?」
 腹の底の違和感に、中をきゅってしたり、脚をもぞもぞさせてみたりして正体を探る。プラグが挿入ってるのはわかるんだが──
「どうした?」
 きょとーんとした顔がむかつく。こいつはいつもそうだ。
「どうした、じゃねえよ。中に出したまんまで栓しただろっ!」
 言ってて恥ずかしいわ。こんな格好してていまさらだけど。
「おお、精液浣腸やってみたかったんだ」
「っ! このっ!! 死ねっ!!!」
 ごく平然と言われて、思わず胸ぐらを掴んでいた。別に本当に死んでほしいわけじゃないけど。
「力むと漏れるぞ」
「っ!!!」
 はー、ほんとこいつ……! だが、力んだり暴れたりするとやばそうなのも確かだ。ちょっと落ち着こう。オレは牧の襟から手を離し、一番近くに見える駅のエスカレーターに向かって歩きだす。うぅ……中がおもっきし濡れてじゅくじゅく擦れて、これは相当な変態行動だ。あんまり意識すると勃起しそう。牧は大股で追いついてオレの隣に並ぶ。
「待ってくれ。どこ行くんだ?」
「トイレ」
「一緒に行こう」
「女子トイレだけど」
「それじゃあ一緒に入れないじゃないか」
「入ってくんな! 余計なモン出してちょっと顔直すだけだから!」
 自分の言葉に自分でハッとなって、牧から顔を背ける。
「顔? 直す必要なんてあるか?」
「……口塞がれたとき、リップが擦れたから」
 たぶん色が落ちたり、唇からはみ出てる感じになってるんじゃないだろうか。牧は無神経だから気づかないだろうけど。
「どれ、見せてみろ」
 のんびりした口調のわりに結構な力で顎をぐいってされて、牧のほうを向かされる。牧はスゥと鼻で息を吸うと、厚い唇を緩めて笑った。
「おいしそうな唇だな」
「んむぅっ……!」
 思いきりキスされて唇を吸われたが、舌が入ってくる前に胸ごと押し返した。あの車両は貸し切りだったとしても、今まばらに通り過ぎてる人は違うはずだ。まあ、男と女の格好だし、キスくらい見られたって平気なのかもしれないけど。
「リップ、使ってくれて嬉しい」
「別に。自分で女モノのリップなんて買わねーし」
 今日つけてるリップは牧から貰ったものだった。嬉しいとか言って、におい嗅ぐまで気づかなかったくせに? とは思うけど。でも照れてるみたいな牧の顔見たら、まあいっかって思った。
 さて、トイレ済ませて顔直したらデートの続きだ。

<了>

***

お題は「電車内の痴漢話(イメクラ的な)(牧さんが藤真に痴漢する遊び)」でした。女装とかはただの私の趣味です。ありがとうございました!

四月一日。

 高校一年から二年に上がる前の春休みのある日。練習前の朝っぱら、桜の道で、牧は待っていた。
「お、牧じゃん」
 昔からそうらしいんだが、牧は異様にフットワークが軽くて、いつどこにいけば誰に会いやすいとか、他校の生徒についても心得てる。オレについてはオレ個人ってより翔陽の練習の予定によるから、余計わかりやすいんだろう。そういうやつだって知ってるから、ものすごい驚きはない。ひさびさに会ったから、ちょっと嬉しいなって感じだ。ライバル同士みたいに言われることもあるが、たぶんオレらは普通にほどほどに友達って関係だと思う。少なくとも喧嘩沙汰とか険悪なことはない。
「おはよ。どうした?」
「藤真。ふたりきりで、話したいことがあってな。……それにここは、桜がすごく綺麗だ」
「あー……?」
 桜なんて春になればそこらへんに咲いてると思うが、確かにここは見事な桜並木だ。って、母親が言ってた。正直花にはあんまり興味ない。それより話のほうが気になる。
「なんだよ、話って」
「それがな……」
 牧は声のトーンを落とし、オレの手首を引いて街道の脇に──大きな桜の木の下に連れて行く。それから、弱い風にひらひら落ちる桜の花びらに、くすぐったそうに目を細めた。牧って、バスケしてないときはのんびりしてるっつうか、いかついくせに優しい顔するんだよな。たぶん、得するタイプだと思う。オレと逆で。そんな呑気な感想を抱いてたら
「俺は実は、不治の病なんだ」
「は? ふじ……?」
 マンガみたいに目をパチパチさせながら、ふじまだけに? とかワケわかんない返しが頭の中に浮かんだが、牧が続けるほうが早かった。
「先天的なもんで、遺伝子の成長、つまり老化が早すぎるって病気だ。俺はよく老け顔って言われるが、事実お前たちより老けてるんだ」
「はー……?」
 老け顔じゃなくて本当に老けてるんだ? じゃあしょうがねえな? てか、じゃあ、牧に対して老け顔とか言うのはただの茶化し以上の無神経なやつってことでは……
「昨日病院に行ってきてな、余命があと二年って言われた」
「はあ???」
 さっきから、聞き慣れないっつうか、日常的じゃない言葉ばっかり出てくるんで、こいつがなにを言ってるのかよくわかんなくなってくる。オレは理解が早いって褒められるほうなんだが。
「いや、なに言ってんだ?」
「余命。残りの寿命って意味だ。それがあと二年」
「は……?」
 目眩みたいに、目の前も頭の中もぐるぐるして、まっしろになった。二年で死ぬって? わかるけどわかんねえ。いきなりそんなこと言われても困る。牧はどんな顔してるだろう。知ってるようでまだ全然知らない、黒くてでかい図体と老け顔を見てるつもりが、薄ピンクの花びらがひらひら落ちてるのばっかりが目についた。妙に喉が乾いて、焼けるように熱かった。
「んな、わけねーじゃん……」
 だってこれから高二になって、高三になって、お前は海南の主将になって……いやそれは二年以内だからOKなのか。OKじゃねえよ。牧はうんうん満足げに頷いてる。ああ、テレビで見たことある。余命宣告された人って、かえって落ち着いてるんだよな。
「藤真、今日は四月一日だ」
「つまり、再来年の四月一日までってこと……?」
(ん?)
 頭なんて働いてないんで、ただ二年後の日付を呟いたら、なんか引っ掛かった。目線を上げてみると、牧はにこにこ笑っている。終わりを悟ったような穏やかな、ってのじゃない。にっこにこの嬉しそうな笑顔だ。
「藤真。四月一日って、なんの日だか知ってるか?」
「っ!!」
 オレは思わず牧の腹めがけてパンチをしたが、パシッと乾いた音を立てて、あっさり止められてしまった。オレの拳なんて包み込まれるくらいのでっかい手のひら。いちいちむかつくやつだ。オレは握り拳を思いきり自分のほうに取り戻す。
 そう、今日は四月一日。エイプリルフールっつうくだらねえ行事の日だった。
「ははっ、すまんすまん。そんなに怒るとは思わなかった」
 いかにも『引っ掛かった!』みたいな感じで楽しげな牧に対して、オレの機嫌はすこぶる悪い。最悪だ。これ以上は乗ってやるもんかって、怒りと一緒に声のトーンも落ち着けるようつとめる。
「……つまり、病気はウソってわけな」
「おう、もちろん。このとおり健康だぞ」
 言って二の腕に力こぶを作って見せてくる。
「このとおりって言われても、老け顔なのは事実だしな」
 余命とか言われる前のくだりは普通に納得してたもんな。そういう事情なのかって。
「まあ、ともかく安心してくれ」
 安心ってなんだよ? はあ、むかつくわ〜。
「お前、なんだろ……意外と常識がねえのな」
「常識?」
「せめてもっと面白いウソつけよ。五億円当たったからオレになんか買ってくれるとか」
「それは……五億円は無理だが、値段によっては嘘にもならないんじゃないか?」
「あ?」
「そうだ藤真、お詫びにジュースを買ってやろう。なにがいい?」
 牧の視線の先には赤い自販機が見える。あくまで悠々としてる感じに、本気でイライラする。逆撫でされるっていうんだろうか。でもキレるのはいかにも乗せられたって感じでむかつくから我慢する。
「いらねえよ、練習前だし。……てか、お前も練習なんだろ。とっとと行けよ、シッシッ」
 犬を追っ払うみたいにして、オレは牧を置いて早足で学校への道に戻る。
「藤真! 今日はあんまり人の言うこと信じるんじゃないぞ!」
(うっざ。オレの周りにはそんなくだらねえ遊びで喜んでるやつなんていねえっつの)
 オレがエイプリルフールにすぐ気づかなかったのも、そういう習慣の中で生きてきてないからで。……って思ってたんだが、部活に行ったら下らないウソをたくさん浴びた。みんな案外しょうもないんだな。

 部活中はなんだかんだで忘れ去ってたが、夜ベッドに入って目を閉じると、今朝のことをふつふつと思いだしてしまった。牧ってでかいし黒いしおっさんみたいだけどいいやつで、なんていうか紳士的? 珍しいくらい嫌味のないやつだなって思ってた。オレって自動的に目立つみたいで、めんどくさい目に遭いやすいんだが、牧はそういうのなかった。金持ちだって聞いたことあって、育ちがいいってこういう感じかなって思ってたりした。
 バスケ以外のとこでは天然だけど、それでも常識がないってまで感じたことは正直なくて。あらためて今朝のこと思いだすと、なんかすげー違和感がある。
(いくら自分だからって、死ぬのをネタにするか?)
 そういうやつもいるとは思うけど、牧が? って感じだ。
 別にオレ固有のもんじゃないと思うけど「バカ! アホ! しね!」みたいなのはちょっと乱暴な悪口セットっていうか、殺意なんてなく言ったりするじゃんか。まあ今はそうそう言わないけど、子供のときのクセっていうか。それが牧の前で出ちゃったことがあって、そしたら牧に真顔で説教されたんだよな。冗談でも、そんな気がなくても軽々しく言う言葉じゃないだろうって。そんなやつがウソのネタで余命とか言うか? ていう。
(……本当に、ウソなのかな)
 ぞっとした。考えられない、思考がガチガチに固まって止まるって感覚。いや、いやいや、ウソに決まってる。あんなにむかつくくらい体が強いやつが、あと二年で死ぬわけがない。いや、でも牧が高校生離れしてるのは確かで、やたら体が強いのも遺伝子が異常だからでは? みたいな──

 昨日は考えてるうちに眠ってしまった。夢を見た気がするけど覚えてない。とりあえず最低に寝覚めが悪い。全部あいつのせいだ。
「なあ花形、めちゃめちゃ健康なのに早死にする遺伝子の病気って知ってる?」
 花形は少しだけ沈黙して、メガネの真ん中を指でクイっと上げた。考えてるときのクセだ。
「長く生きるのが難しい生まれつきの病気ってのはあるだろうが……」
「それって、何歳くらいまで?」
「調べてみないとわからんが、たいてい子供じゃないのか? 藤真の話だと、健康ってのが気になるな」
「いや、大丈夫、ねえよな! うん!」
 真面目に調べる必要なんてない、ただのエイプリルフールのウソだ。長生きできないんならやっぱりそれなりに療養とかしてるだろうし、そうだ、だいたい余命二年ってのもどうなんだ? 一年とか、半年とか、もっと短いイメージがあるんだが。いやオレの中のイメージだけだけど……まあいいや、調べるほどのことでもねえ。やっぱりウソだな! ウソ!
 あーーむかつく。ムダに脳みそ消耗した。

 翌年の四月一日も、牧はそこで待っていた。
「おはよう、藤真」
「おはよ」
 オレは思いきりわざとらしく顔を顰めて見せた。一年前のこと、日ごろから思い返すようなことじゃなかったが、同じシチュエーションで待ちぶせされてたら思いだすなってほうが無理だ。
「そんな顔しないでくれ」
 するっつうの。で、今年の悪趣味なウソはなんなんだよ?
「桜の下に行く?」
「ああ」
 ふたりして、去年みたいに、道の端の桜の下に移動した。去年と同じ木かどうかは知らないけど。オレは疑わしさ全開で牧を見る。当たり前だ。牧は少しだけ困ったように笑うと、ゆっくり深呼吸をして言った。
「藤真、俺は、お前のことが好きだ」
「……!!」
 思いきり牧のほっぺたをビンタしようとしたが、あえなく手首を掴まれて止められちまった。顔が熱い。怒りと、羞恥心だと思う。だって、これは侮辱だ。
(去年のあれはウソだ。だから今年のこれもウソ)
 よくわかんないけど、悔しいって思った。去年は押し留めた怒りが、強い感情の流れと一緒に口から出そうだった。だけど我慢して、手を思いきり振り払うだけにした。牧の思い通りになってやるのが嫌で嫌で仕方なかったから。
「お前、ほんとにウソのセンスがねえんだな」
 ウソのセンスってなんだよって自分でも思うけど。
「……そうか?」
「そうだよ。なにが楽しいんだよ、こんな下らねえこと」
「そんなに怒るとは思わなかった」
「っは……」
 去年も似たようなこと言ってた気がする。でも、表情は全然違うな。なんつーか。なんて顔してんだ? 情けねえ。お前のせいだろ。
(……ふむ)
「そうだ。それじゃあオレもウソをついてやる。……来年の四月一日も、オレはここに来る」
 オレはそう言いきると、ダッシュで学校に向かった。
「藤真っ……!」
 振り返ってなんてやらない。今年、これから三年になるんだから、来年はもう翔陽には通ってない。つまり、意図しない限りここには立ち寄らない。それは牧にもわかってるはずだ。

 さらに翌年の四月一日。大学生活のスタートを目前に控えた春休みのただ中、桜の道を見渡しても、牧の姿はなかった。
 自分の来た方向から、こっち側だったかなーって道の端の桜に沿って歩くと、すぐにその姿を見つけることができた。
「……!!」
 桜の根もとに座り込んで、牧が目を閉じて眠っている……一瞬ゾッとしたが、ほんとに寝てるだけみたいだ。足音がしてたのか、すぐに牧の体がぴくりと動いた。
「牧」
「ああ、藤真……! 会えてよかった。時間の指定がなかったから、行き違いにならないように早めから待ってたんだ」
 牧は眠そうな様子も見せずに勢いよく立ち上がると、上半身をひねりながら腕を伸ばすストレッチをした。ズボンにくっついた花びらやら草やらをはらうのに腰を曲げたとき、頭のてっぺんにも桜の花びらがくっついてるのがちょっと面白かったけど言わなかった。
「死んでねえじゃん。ウソつき」
 最初のエイプリルフールから二年。あのとき牧が口にした余命は、今日でおしまいだ。「ああ、あれは嘘だからな。だが、その……」
 わかってても、オレは言わない。言うもんか。
「去年のは、嘘じゃなかった。本心だったんだ」
「なんだよその自分ルール、都合よすぎんだろ。……いや、今日だって四月一日なんだ、ウソじゃないってのが今年のウソかもな?」
 牧は困ったように頭を掻いた。
「ややこしいな」
「そっちから始めたことだろ」
「もう、エイプリルフールは終わりにしよう。これからはウソなんて言わない」
 牧は一拍置いて、厚い胸をさすって深呼吸した。真剣な目がじっとオレを見つめる。
「藤真、俺はお前が好きだ。……もちろん、恋愛的な意味で」
「ああ……」
 知ってたよ。去年の今日より、もっと前から気づいてた。だからエイプリルフールなんかに言われたのがめちゃくちゃむかついたし、ショックだった。あれからしばらく、まじで結構牧のこと嫌いになってた。
 どうせ雑誌かなんかで『エイプリルフールならフられても冗談にできるからその後も友達でいられる』みたいなしょうもねえネタを見たんだろ。それでオレのことどうにかできると思ったのか? って考えたらいい印象なんてねえよな。まあ、死ぬとかヘンなウソついてた時点で、牧ってオレが思ってるより案外セコいのかもしれない。
「藤真。返事を聞かせてくれ」
「一応、念のため聞いとくけど、死なないよな?」
「ああ、もちろんだとも!」
「なら、いいや。オレもお前が好きだよ、牧」
 だって、今日わざわざここに来たって時点で、答えは決まってただろ。ふたりとも。
「……!!」
 目を見開いて驚いた、だけど喜んでんだろうなって顔が近づいてきて、被さって、重なる。窮屈なハグと押し付けられる鼻と儀式みたいなキスを少しの間だけ許して──思いきり押し返した。
「藤真?」
「藤真? じゃねんだよ、こんな朝っぱらの道端で!」
「ああ、そうだな、すまん。じゃあどっか移動しようか」
「っふっ!」
 思わず吹き出してしまった。
「ん、どうした?」
「いやー、別に……」
 なんかさ、すげえ、なんだろう、平常心になるのが早すぎるっていうか、移動ってつまりいちゃいちゃできる場所に? とか思ったらツボってしまった。やっぱ下手なウソ考えるより、普通にしてるのが一番面白いよ、お前は。 
「それとも、もうちょっと桜を見てくか?」
「いいよ、いらない。花とか興味ないし」
 桜の花びらと比べるにはずいぶんと濃い色をした、牧の唇を見つめる。あったかくて、柔らかくて、きもちいい、厚い唇。……いちゃいちゃしたいのはオレのほうだった。

 その日の晩、牧からさっそくうちに電話が掛かってきた。昼間、番号を交換したんだ。
「藤真、今テレビでやってたんだが、イギリスでは四月二日は『トゥルーエイプリル』っていって」
「もうそういうのいいだろっ!」
 ──ガチャッ!
 容赦なくガチャ切りした。なんつーか、もともとそういうの好きだったんだろうか、あいつ。意外なのもあるし、懲りねえなっつうのもあるし。
 ──プルルル、プルルル……
 はあ、ってため息つきながらも電話に出てしまう。オレって付き合いいいだろう。告白やりなおしの猶予だって丸一年も与えてやったしな。
 牧は今日、キス以上のことはしてこなかった。健全におウチに帰る流れで正直ズッコケそうになったんだが、まあ、あんまり意地汚いと思われたくもないし? オレはまたしばらく、牧のスロースタートに付き合う羽目になるのかもしれない。

体育の牧先生

 牧の部屋の前に立ち尽くし、藤真は物憂げな顔で首を左右に振った。手の中にはじっとりと嫌な汗が滲むが、裏腹に脚の間はスースー寒い。
(こんな……)
 ふう、と一つ息を吐く。こんな格好までして、いまさら躊躇しても仕方がないではないか。元は自分が悪いのだし、早く終わらせてしまおう。
 意を決して目の前のドアをノックする。
 ──コン、コン
「失礼します」
「おお、藤真か! 来たか……!」
 すぐそこで待ち構えていたかのように、即座にドアが開いた。牧は藤真の頭の天辺から足の先まで、何度も視線を行き来させながら満足げに頷く。
「うん、いいな、すごくいい……!!」
 久しぶりのコスチュームプレイで藤真に渡した衣装は、女子高校生の制服だった。白いボディにグレーのセーラー襟に黄色のスカーフ。超ミニのプリーツスカートから伸びた直線的な脚に、彼らの高校時代にはなかったルーズソックスが、いかにもコスプレらしくて可愛らしい。
(まじかよ……そのメガネ、もう度が合ってないんじゃねえの)
 牧の服装は、体育教師のつもりなのだろう。日常でもたまに掛けている眼鏡に、襟を立てた白いポロシャツ、裾が窄まったジャージのパンツ。紐の付いたホイッスルを首に掛けている。
 いたってにこやかな牧から、藤真は居心地の悪い気分で目をそらす。
 女顔の自覚は昔からあるので、女装は別に構わない。実年齢より若く見える、三十代には見えないともよく言われる。だがしかし、女子高生には到底見えないと思うのだ。鏡に映した自分の姿は、化粧こそしていないものの、『店のイベントで無理してるキャバ嬢』のようだった。
(牧、自分が老け顔だから、基準がおかしいのかな……まあ、萎えられなくてよかったってことにしとこ)
 そもそもこの衣装は牧のセレクトだ。結果、牧が萌えようが萎えようが藤真が気にすることではないのかもしれないが、あまり惨めな気分にはなりたくない。
「よく似合ってるぞ、藤真。写メ撮れないのが残念だ」
「うぐっ!」
 牧の携帯電話は、今彼らの手もとにはない。洗濯当番だった藤真が、ポケットに携帯電話が入ったままの牧の服をそのまま洗濯してしまうという、単純だが致命的なミスの結果だった。藤真が気乗りのしないコスプレを受け入れざるを得なかった理由でもある。
(牧、やっぱり怒ってるんじゃ)
 そもそもポケットに入れっぱなしだったのが悪かったと、牧は表面上は怒っていない様子だった。しかし、洗濯機に入れる前に少し確認すれば気づいたろうし、結果的に牧は今非常に困っているはずだ。性格的にも仕事的にも、彼は自分よりずっと顔が広い。携帯電話のアドレス帳は重要なものだったに違いない。
「藤真」
 牧に掴まれた藤真の両肩が、大袈裟に跳ね上がる。
「どうして最近体育の授業に出ないんだ? このままじゃ単位足りないぞ」
「え」
 毎度のことではあるが、牧はコスチュームプレイに寸劇を挟みたがる割に、事前にストーリーの打ち合わせをしようとしない。そして藤真は求められればそれなりのものを返したいと思う性分だった。
(ええと、体育を休む理由……)
「ちょっと、生理がきつくて」
「嘘をつくんじゃない。男の子に生理なんてないだろう」
(女子制服なのに男なのかよ! こいつの世界観一生わかんねえ)
 確かに制服の中の体は完全に男なのだが──牧は自らの設定や言動に一切の疑問を抱かずに藤真を見返す。
「どっか体の調子が悪いのか? 先生が見てやろう。ちょっとここに座りなさい」
 キャスター付きの椅子をデスクから引き、藤真のほうに向けて回転させる。藤真は素直に椅子に腰を下ろし、牧はその正面に膝をつく。
 見えそうで見えないスカートの中からあえて目をそらし、藤真の上着の裾をめくり上げる。ごくりと、自らの嚥下の音がひどく大きく聞こえた。
 白く平らな胸板の上に、ミントグリーンと白の細いボーダー柄の三角ブラが、貼り付くように載っている。布の面積は小さいが、藤真の胸を覆うには充分のようだ。
 平坦な胸から、贅肉はないがくびれというほどの変化もない胴体を、目を細めて眺める。
(ずん胴……いい……)
 思わず息が漏れた。人の好みは変わるものだ。昔はゴージャスでグラマラスな外国人女性こそがセクシーだと感じていた、否、思い込んでいたが、藤真と出会って新しい世界に目覚めた。今は平坦で敏感なこの肉体こそが、愛らしく、そしていじらしく感じられてならない。
 首を前に伸ばし、かわいらしいへそに音を立ててキスをすると、何か堪らなくなってそのまま腹に頬擦りをした。くすぐったいのか、藤真は少し笑ったようだった。
「っふ、先生?」
 見上げると、ブラジャーのボーダー柄が、その下に隠した突起に持ち上げられ、僅かに歪んでいる。
「藤真、持って」
「はぁい」
 めくり上げていた上着の裾をそのままの形で藤真に持たせ、牧は小さな突起をブラジャーの上から指でつつく。
「はっ…♡」
 期待するような声とともに、藤真の体がぴくんと震える。カップの無い、薄い布越しにくるくると弄りまわすうち、硬くぷっくりとした感触が存在感を増していく。
「ん、ぅ…」
 藤真は乳首が非常に敏感だ。堪えるように、もじもじと太腿を擦り合わせる仕草もまた愛らしい。
「あ…♡」
 小さな角の立ったブラジャーを上にずらすと、パステルカラーの世界にくすんだ薄茶色の乳首が現れる。
(ああ、やらしいな、なんてエロい体なんだ……)
 牧は自らの見立てに喉を鳴らした。愛らしいが年齢不相応なセーラー服、二次元的な下着、そこから現れる成熟した肉体とのギャップ。想像以上だ。非常に興奮する。引き寄せられるようにキスをして吸い付き、小さいがはっきりとした輪郭を示す乳頭を舌先で転がすように撫でまわす。
「っ、あっ、せんせっ…んんっ♡」
 ちゅぱ、と音を立てて唇を離すと、吸われていた乳輪全体がほのかに赤く腫れて、なおも誘うようだった。
「敏感だな。ずいぶん使い込んでるみたいだ」
(お前のせいだろっ!)
「緊張してるのか……いや、運動不足でこってるんじゃないか?」
「ち、乳首が?」
「ああ。コリコリしてる」
「あッ! やめっ、あぁ、あッ……♡」
 会話としては非常に馬鹿馬鹿しいのだが、しかし歯の先で、あるいは爪の先で両の乳首を虐められると、藤真は何も言い返せなくなってしまう。一度火をつけられると本当にそこは敏感で、直接触れられていない男性器や、体の内奥までも疼かせた。
「少し、リラックスしたほうがいいな。マッサージしてやろう。立って後ろ向いて、机に手をついて」
 藤真は言われるままに椅子から立ち上がり、机の上に両の手のひらをついた。自然と上体が前に倒れ、尻を突き出す格好になる。
 牧は少し体をずらしただけで、床に膝をついたまま藤真を──短いスカートから覗く、ブラと揃いのショーツに包まれた尻を見上げる。日ごろ特別意識することはないが、昔からの刷り込みで、スカートの中を見ることは非常に背徳感があって興奮するものだった。
「っっ…!」
 褐色の手が剥き出しの太ももを掴まえ、柔らかな感触を愉しむように指を波打たせる。藤真の体もまた、応えるように仰け反った。
 太ももから尻へと撫で上げながら、無遠慮にスカートをめくり上げると、脂肪が薄くボリューム感に乏しい尻に、ショーツの淡いボーダー柄が浅く曲線を描いている。両の手で包める程度のサイズ感にもはや愛着のようなものを感じながら、牧はするすると撫でまわす。
「ぅんっ♡」
「敏感だな」
 誘うように揺れる腰からショーツをずり下ろし、愛らしい双丘をもみしだく。肉が引っ張られるたび、浅い谷間にぷくりと浮いた肉の蕾が晒される。すぐにでも股間の熱いものを押し込みたい衝動に駆られながら、牧は尻肉を左右に割り開き、そこにキスするように唇を重ねた。
「ふぁっ!」
 藤真には牧の姿は見えていないものの、何をされているかはわかる。暖かく湿った粘膜が触れ合っていたかと思うと、やがて軟体生物のような舌が表面を撫でるように這いずった。
「あっんっ、やだっ…!」
「嫌だって? こんなに舐めたくなるようなアナルしてるくせに?」
「あぁっ…♡」
 ぴちゃぴちゃと音を立てながら、ごく浅い部分を濡らしほぐすように舌が蠢く。心理的な抵抗感があるのは事実なのだが、これまでの経験の中ですっかり思い知ってしまった快楽の気配を無視することもできず、つい甘い声が漏れる。
 ちゅぱと音を立てて暖かな唇と息の感触が離れると、今度は冷たいものがぬるりと尻の割れ目を伝った。
「ひゃっ!」
 思わず身を竦めると、背後から不穏な振動音が聞こえる。
 ──ヴィィィィ……
「なにっ…はぅっ!」
 想像はついたものの、後ろを振り返るより先に、振動するローターを肛門に押し付けられ、思わず気の抜けた声が漏れた。
「マッサージ器」
「ん、なっ…あぁっ♡」
 冷たいローションで滑るそこに、少し力を入れて押し付けると、つるんとした楕円形のピンクローターは、藤真の態度に反して簡単に呑み込まれていってしまう。
「あぁ、んっ…♡」
「ほら藤真、もっと楽にして、リラックス」
 言いながら、入り口がぴたりと閉じるほどまでにローターを指で押し込む。大袈裟だった振動音は肉に阻まれ、くぐもってごく弱くなった。
「あぁっ、あぁぁっ…♡」
 中のうねりを伝えるように、閉じた蕾から伸びた細いコードが蠢くのがなんともいやらしい。単調な振動に浸るように目を閉じた藤真は、次に訪れた感触に身を強張らせる。
「二つもっ……!?」
 ローターを一つ咥え込んだそこに、再び同じものがあてがわれているのだ。
「いまさら清純ぶったって無駄だぞ。藤真のここが食いしん坊なこと、先生はよく知ってるんだからな」
 一つならいいような言い草に笑ってしまいそうになりながら、牧は容赦なく二つ目のローターを押し込む。
「っあぁっ…!」
「落とすなよ」
 同様に奥まで押し込み、きゅっと口を閉じた様を確認して、大食らいの小さな尻を両側からぺちぺちと叩く。
「はぅっ♡」
 下ろしていたショーツを元通りに上げ、藤真の背中側の腰ゴムにローターのリモコンを挟むと、牧は自らの成したことに対し満足げに微笑んだ。
「それじゃあ座って」
「座っ……く、うぅッ……」
 立っている状態でも充分に詰まっている感覚だったローターが、椅子に腰を下ろすと内壁に押されて敏感な箇所をいっそう刺激した。ごく単調な振動ではあるが、中での快感を知ってしまっている藤真の体は、それを無視することができない。堪らず太ももや脚をもぞもぞ動かすが、それもまた内部にうねりを与え、快楽を増幅させるだけだった。
「藤真」
「ふぁッ…」
 身体じゅうが敏感になって、肩に置かれた手にも、耳を掠める息にも感じてしまう。
「補習のテキストだ」
「エロ本じゃねえか!」
 机の上に置かれた冊子を見て、思わず声を荒げてしまった。成年向けのゲイ雑誌だが、いわゆるオカズ目的というよりも、興味本位と情報収集のために買ってみたものだ。
「藤真には、高校生向けの内容じゃつまんないだろう?」
 牧が表紙をめくると、ぴったりとしたビキニパンツ一枚の、筋肉質な男のグラビアがあらわれた。藤真の視線は逆三角形の胸筋から引き締まった腹、そしてくっきりと形が出てしまっている股間の膨らみに釘付けになった。
 牧の手がすでに切り開かれている袋とじの内側を開くと、修正こそ入っているが、立派に勃起したものをいやらしく下着から露出させた男の写真があらわれる。
「っっ…!」
 それを見た瞬間、内部がひときわ敏感になったかのように感じた。体の芯が疼き、血が沸き、じわりと全身に汗が滲む。
(こんなの、ちんぽのことしか考えれなくなるっ……!)
 平常時は無闇に男の裸にエロスを感じたりなどしない。しかし今は全く平常ではない。乳首や肛門をいじられ続けると、明確に自分の中の常識が狂っていくと感じる。女になりたいわけではないと思うが、体がメスの快楽を求めてしまう。もっと気持ちよくなりたい。プラスチックの玩具ではなく、雄の肉棒でかき回して、女のように犯してほしい。
「もっと、強いほうがいいか」
 牧の手が藤真の腰を──ローターのリモコンを探ると、藤真の体が大きく跳ねる。
「ひゃぁっ! あんっ、あぁ、んっ、うぅっ…♡」
「気持ちいいのか?」
「あぅ、だめ、これっ…♡」
「だめじゃないだろう?」
 頬を染め、呼吸を乱して目をとろんとさせて──陰部に玩具を詰められて、卑猥な写真に興奮している。卑しくいやらしい姿が、愛しくて堪らない。
「ん、ここになんか隠してるな?」
「ぁっ…♡」
 股間の一部が不自然に浮いたスカートをめくると、勃起した藤真の性器がショーツを押し除けるように頭を出して、先端からねっとりと糸を引く先走りを滴らせていた。
「お前、ケツにローター入れられて男の裸を見ながらカウパーだらだら垂らしてるのか。なんてスケベなんだ」
「そんなの、普通みんななるしっ!」
 藤真は股間を隠そうともせずに、触ってほしいと言わんばかりに胸を張り、腰を突き出している。無意識なのだろうか。素直にしゃぶりついて蜜を啜りたい衝動に駆られながら、牧はまだ抗って、意地悪い風に濡れた先端部を指先で軽く弾いた。
「ひゃっ」
「そんなことないと思うがな。で、藤真はどういうのが好きなんだ?」
 引き続きページをめくろうとする牧の手首に、藤真の手指が絡みつく。掴むよりも、もっとずっと繊細で淫靡な感触だった。
「先生、オレ、先生のおちんぽがいいな……」
「……!!」
 見上げてくる、ねだる視線に、今度は抗えずにキスをしていた。
「んっ、ぅ…♡」
 感じているのだろう、抱きしめた体がときおり小さく震えている。本当は自らの体を使って犯したくて仕方がないのだが、それも惜しいような気がして道具を使って引き伸ばしている。願望が宿ったかのように、牧の舌は執拗に藤真の舌を絡め取り、唾液を滴らせながら口腔を撫でまわす。
「ぷはっ…」
「ベッドに……」
 言いながらすでに藤真の肩を抱え、牧の体はベッドのほうを向いていた。
「はい♡」
 姿勢の変化で感じるのか、ベッドの上に座らせたときも藤真は声を漏らしていた。
「……あっ、んっ…♡ せんせー、これ、いつまで」
 甘えたような声を出して、いかにも抜きたいというように、太腿の内側に覗くローターのコードを指でいじっている。
「そうだな……」
 言いかけて、牧は唐突に落ち着きを取り戻す。
(待てよ、これはきっと罠だ。藤真はとっとと本番に行って、このプレイを終わらせたいんだろう。大丈夫、俺はスロースターターだからな、そんな誘惑には乗らんぞ)
 藤真のミスにそう怒っているわけではないのだが、せっかくの機会なので限界まで愉しませてもらうことにする。
「いや、まだだ」
 明確なプランもないまま、藤真の脚を折り曲げてベッドの上に置く。
「っ、パンツ見えっ…」
「パンツどころじゃないな」
 もう一方も同じくしてベッドの上でM字開脚させると、短いスカートが大袈裟にめくれ上がって藤真の下半身を晒す。ショーツの上に陰茎を露出させ、下からはローターの細いコードを覗かせた姿は、淫らの極みだった。
(ああ、エロいな、本当にエロい、最高だな)
 しみじみと見入るが、しかし欲望はとどまるところを知らない。
(だが、もっとエロいところが見たい)
「……そうだな、まず、一発射精してみようか」
「しゃせい?」
 知らないはずがないのだが、藤真はいかにも愛らしく首を傾げてみせる。
「そうだぞ。いつもしてるだろう? こうして、チンポ握って扱いて」
 牧は藤真の手に陰茎を握らせ、それを自らの手で包み込んで上下させた。
「ひあっ、あぁっ、んっ! ぁん、やめっ、やぁっ♡」
 ぴくん、ぴくんと腰が跳ねるのとは別に、ときおり全身がぶるりと震えるのは、挿入されたままのローターに感じているのかもしれない。
「あっ、あぁぁっ…!」
「ん?」
 喘ぎ声に混じる振動音が大きくなったような気がしていると、ショーツの穴からころんとローターが一つ落ちて、ベッドの上に跳ねた。
「だめだろう、勝手に出しちゃ」
 牧はべっとり湿った藤真のショーツを取り去ると、太ももを持ち上げ、吐き出されたローターを再びそこに押し付ける。藤真の体温によってか、ローターが暖かいのがひどく印象的だった。
「うぅっ、あ、ぁっ♡」
 容易くローターを咥え、ひくひくと収縮するさまは、喜んでいるようにさえ見えた。三分の二程度まで押し込み、口からピンク色が突き出た状態で指を離すと、ゆっくりと肉壁に押し出されて排出される。その様子が気に入って、入り口付近で浅くピストンさせるように、ローターを出し入れする動作を繰り返した。
「ああぁっ、あんっ、それやばっ…♡」
「気持ちいい?」
「きもちっ…♡ ひ、あぁっ♡」
「奥に入ってるのと、入り口のとどっちがいい?」
「んンッ♡ どっちもっ…!」
 藤真はすっかり後ろの感触を愉しんでいるようで、竿を扱く手の動作はごく緩慢なものになっていた。牧は苦笑に似た笑みを漏らす。もういいだろう。
「そうか。じゃあ先生がどっちも突いてやろうな」
 ズボンと下着を一緒に脱いで、ベッドの下に放り捨てる。戒められるように身を屈めていたものが、ようやく自由を得てのびのびと首をもたげた。
 藤真と目が合うとなぜか思い切りそらされて、思わず笑ってしまった。
 ベッドの上に乗り上げ、よそよそしく下を向いている藤真の前に立ちはだかって腰にそびえるものを突きつける。
「濡らしてくれ」
「んー……」
 藤真は正座から脛を外側に崩した、いわゆる〝女の子座り〟のような格好で、恥ずかしそうにこちらを見上げると、照れたようににこりと笑った。演技なのか、気分がよくなってフワフワしているだけなのかよくわからないが、どちらでもいいと思えた。牧の男根を両手で捕まえると、その形状と大きさをあらためて確認するように撫でまわす。
「先生のほうが、エロ本のよりでかいんじゃない?」
「っ…ふ、どうだろうな。だが、お前がエロいからこうなったんだぞ」
 急かすように腰を前に突き出すと、藤真は小さく笑ってそれを頬張った。
「おお……」
 ときおり呻くような声を漏らしながら、整った顔貌が、愛らしい唇が、黒ずんだ男根を嬉しそうに、さも美味であるかのように舐めずり、しゃぶっている。それだけで幸せになれるのだから単純なものだと思うが──
(いや、好きな相手が嬉しそうにチンポをしゃぶってくれるんだぞ……?)
 やはり特別なことのようにも思えた。
「はぁっ…」
 たっぷりとした唾液と体液の入り混じったものが、大きく張り出した亀頭と桜色の唇とに銀の糸を引く。もの欲しげに見上げてくる瞳が、子猫のようだと思った。
「よし、じゃあ次はスクワットだ」
「スクワット?」
 牧はベッドの上に脚を伸ばして座ると、濡れて鈍く光る男根のそそり立つ、自らの腰を示す。
「こっちに来て、ここに跨って」
「ッ…!」
 牧の言わんとすることを察すると、体の芯がきゅうと締まり、浅い位置に挿入されていたローターが体外に押し出された。
「あァッ…♡」
 振動するローターをゆっくりと放出する快感に、藤真は大きく身震いしたが、しかし奥に咥え込んだもう一つはまだ出てこないようだ。
「もう一個は俺が抜いてやろう」
 藤真はベッドの上を跳ねるローターのスイッチを止め、いかにも待ち構える格好の牧の腰を跨ぐ。スクワットと言われたので、膝を立てて股を開き、牧の上にしゃがむ形だ。
 着衣の意味をなしていない短すぎるスカートの下から、淫らに濡れた男性器がにょきりと生えて、下の口からはローターの細いコードが垂れている。
 愛らしくはあるがセーラー服に対しては大人びた顔貌に、いくばくかの恥じらいと、それ以上の期待とが見て取れる。
「ああ……」
(最高に下品だな、藤真、最高だ……)
 どういった感情なのか、もはや自分でもわからなかったが、牧は唇の端を歪めながら、ローターのコードを軽く引く。
「すげえ食いついて離さないぞ。そんなに気に入ったのか?」
「違う、勝手に奥に行った」
「そうか? じゃあ力抜いて」
 細いコードにさほどの強度があるようには思えない。ほどほどの力で何度か引くと、閉じていた口がひくひくと震えだし、
「ン、出るっ! あぁッあぁ…♡」
 大きな収縮と上ずった声とともに、ローターをつるりと吐き出した。牧はそれを拳の中に捕まえる。
「産まれたてホカホカだ」
 藤真の中の温度だと思うと、その暖かさにさえ興奮した。
「さて、先生が支えてやるから、ここに腰を落として……」
 牧は上体を後ろに倒し、傾けた枕に頭を預けると、自らの陰茎の根もとを指で支え「ここに」とアピールする。
 藤真は待ちわびていたかのように躊躇なく、亀頭を何度か尻の割れ目に擦り付けると、自らの内に呑み込んでいった。
「あぁっ、んんンッ…♡」
 肌に馴染む感触と密度が、入り口も奥も、玩具では満たされなかった部分もみっちりと埋めている。牧の体温と生々しい脈動とに浸るように結合部を押し付けると、先端部に最奥を撫でられて、くすぐったいような幸福感が湧いてくる。
「気持ちいいのか?」
「うん……ちんぽ、すごい……♡」
 自らのものを挿入して心地良さそうにしているさまは、とても愛おしく好ましいのだが、牧ももう我慢ができなくなっていた。悠長に鑑賞する余裕などなく、藤真の右手を自らの左手で、藤真の左手を自らの右手でそれぞれ握る。
「スクワットだ。支えてやるから、腰を上げて」
「はぁい」
 藤真は目を細めて笑い、手の指を絡めてしっかりと握り返すと、ゆっくり腰を持ち上げた。
「んんっ…♡」
「下ろして」
「おぉッ♡」
「繰り返して」
「はっ、あっ、あぁっ、んッ♡」
 慣らすような動作から、藤真はすぐに調子を掴んだように、一定のリズムで体を動かす。
 パンパンと肌がぶつかる音は軽快だが、うねる内部は濃厚に絡みつくように牧を扱き上げる。濡れそぼった陰茎がしきりに上下に頭を振って涎を垂らすさまが、きわめて卑猥で目に快感だ。
 藤真の動作に合わせ、ベッドのスプリングを使って牧も下から突き上げる。
「はっ♡ あっ、あんっ、止まんないっっ♡」
 肛門に男の性器を出し挿れされながら歓喜の声を上げる、あさましい姿が愛おしく、愛らしく感じられて堪らない。
「いいぞっ、その調子だ、新陳代謝上げてけッ!」
「あぅっ♡ ちんちん代謝っ♡ アガっちゃ、あぁッ♡  あぁアァッ♡♡♡」
 やがて高く弱々しい声を上げながら、藤真は勢いなく射精した。牧の突き上げる動作に押し出されるように、ビュ、ビュッと少しずつ吐き出される精液が、牧の胸を生ぬるく濡らしていく。
「はぁ、あぁっ…ぁっ……♡」
 貫かれた箇所をヒクつかせ、だらしなく口の端を緩め、余韻に浸る藤真に鞭打つように、下から思い切り突き上げる。
「あ゛ぅっ♡」
「先生がいいって言うまでだ」
「ふぁあい…♡ おぁっ、あぁっ、あんっ♡」
 藤真は動作を再開すると、すぐに甘い声を上げた。上下運動ばかりでなく、中を抉り、含んだ男根の全体を味わうように、妖艶に腰を使う。射精したきりだらんとして、常時の大きさに戻った性器は、体液を滴らせながらしなやかに揺れていた。中だけで感じているのだ。
「エロいやつだな……ほんとに……」
 だがそうさせたのは自分だ。そう実感すると堪らない満足感と、愛おしさと──幸福感に襲われる。
(誰にも渡さない)
(ずっと一緒にいよう)
 両の手をしっかりと握り、夢中で腰を振りながら、状況とは無関係な言葉まで頭に浮かぶ。頭の働くような情況ではなかった。犯し、煽られ、追い上げられていく。
「っくぅ、あぐっ、あぁっ…♡」
「藤真、いくぞ」
「あんっ、あぁ、いいよ…♡」
 蕩けるように甘い声に弾かれたように、牧の辛抱は決壊する。
「っ、藤真、ふじまッ……!!」
「あ、あァ、ぁ……♡ 出てる、中……♡」
 弾け飛ぶ快楽の中、そう喘ぎながらも動作を止めない藤真に搾り取られる心地で、牧は小さく笑った。
「っふ……」
 貪欲な肉体はいまだ快楽を求め、肉棒に食らいつくように痙攣している。食らわれるほうもまた、精魂尽き果てるには遠い。むしろ体内で新たな欲望が作られ、さらに溜め込まれていく気さえする。
「──それじゃあ、次はマット運動だ。向こうを向いて」
「んぅっ……♡」
 力が抜けて重く感じる持ち上げ、藤真は牧の上から退くと、言われた通りに背中を向ける。
 牧は起き上がり、背後から藤真を抱きしめると、そのまま押し崩すようにのしかかった。
「わわっ」
 ベッドに胸を押しつけ、腰を前に折った勢いで、中に出されていた精液が陰部から下品な音を立てて噴き出す。
 セーラー服姿でベッドに伏せ、剥き出しの尻から白濁を垂れ流す乱れきった光景に、牧は目を細めた。
「最近の高校生はケツから射精するのか? 器用だな」
「おぉっ、あぁっ…♡」
 もはや迷いも焦らしもしない。何か言おうとした藤真の言葉を後ろから塞ぐように、いきり立ったままの男根を再び挿入する。
「っんッ! これマット運動じゃなっ、あぐっ、あぁッ♡」
 最奥を掻き回すように腰を振れば、抗議の声も簡単に甘い喘ぎに変わる。快楽に弱いところもまた愛おしいと思う。
「まあいいじゃないか、後ろから突かれるの好きだろう?」
「んぉっ♡ あ゛ぁっ、あぁンッ♡」
 いっそう密着した肉体が容赦なく打ち付けられ、開いた体の最奥を抉る。擦れ合う局部の感触のみでなく、変態的な状況で荒々しく求められる実感に、藤真は甘い被虐の海に溺れていく。
「っ、あぁァっ、好きッ…!!」
「ああ、俺も大好きだ、藤真……ッ!」

 藤真は高校を卒業して以来、牧と同棲しているが、花形との友人関係も長く続いていて、難解なこと、特に電子機器関連については深く考えずに花形を頼ることにしていた。適材適所である。
 当然のごとく、牧の携帯電話を洗濯したあとにも真っ先に花形に連絡をした。確実ではないと言っていたものの、考えがあるようだったので藁にも縋る思いで牧の携帯電話を託して一晩──いや、正確にはもっと早かった。一通りのことを終えた藤真が眠り込んで翌朝起きると、無事牧の携帯電話が起動した、データも残っているようだとの報告が藤真の携帯に入っていた。藤真は自らの携帯電話を握りしめてガッツポーズをとる。携帯の水没すなわち死、というのが世間での通説であった。
(はぁぁ〜天才! さすがオレが見込んだ男! 正直抱かれてもいい……!!)
 花形がそのような気配を見せたことはなく、藤真にもその気はない。牧との生活を続けるうち、価値観が若干歪んでしまったゆえの思考だった。

 さっそくふたりで花形のところへ携帯電話を受け取りに行き、その足で携帯電話ショップに行って機種変更をした。データが生きていたとしてもそのまま使い続けるのは怖いので、どちらにしても新しいものに買い換えよう、とは昨日時点で決めていたことだった。ついでに連絡先のデータを業者が預かってくれる『電話帳お預かりサービス』にも加入しておいた。
 帰宅した藤真は、牧の新しい携帯電話を物珍しげに手の中で弄ぶ。
「これがウワサのスマートフォンかー」
 少し前にアメリカから入ってきて、日本でも話題になり、じわじわと増えてきているタイプのものだ。アルミとガラスで覆われたごくシンプルな一枚板の形状は、これまでの〝コンパクトな電話機〟とは全く異なるものだった。
「……なんか、弱そう」
「弱そう?」
「前が全部ガラスで剥き出しだから。落としたら終わりじゃね」
「強化ガラスらしいから、そう簡単には割れないんじゃないか? まあ、なんかあったらまた愉しませてもらうから気にするな」
 にやりと笑った牧に対し、藤真はうさんくさいと言わんばかりに眉を顰める。
「……セーラー服好き?」
「セーラー服を着てる三十代の藤真が見たかった」
「なんだそりゃ。屈折してんな」
 そうは思うが、満足げな牧の顔を見ていると嘘とも思えない。
「そうか? この年で高校生と付き合いたいとか言いだすより健全じゃないか?」
「あー、この前高校生が何人かで歩いてるの見掛けたけど、だいぶ子供って感じだったな。そんな自覚なかったけど、オレもあんなだったのかな」
「俺だってきっと、周りから言われてたほどは老けてなかったと思うぞ」
(いやそれはどうだろうな……オレは昔から年上っぽいのが好きだったと思う。『ぽい』のが)
「俺も藤真も、変わんないようでいて、いろいろ変わっていくもんだ」
 藤真の思いなど知る由もなく、のんびりとした口調で呟いた牧に、なんとなく笑ってしまった。
「そうだね」
 昔、牧のスピードに、自分はついていけないと感じたことがある。置いていかれる感覚ばかりがあって、双璧という言葉を疎ましく感じていた。しかし今はもうない。
(今はたぶん、一緒に歩いているもんな)
 そして変化を感じないほどゆっくりとした速度で、これからもふたりとも変わっていくのだろう。
「藤真、こうするとカメラモードになってな」
「おお」
「ここを押すとインカメラってのになって」
「こっちが写ってんじゃん。すげえ」
 パシャッ!
「おいっ! 勝手に撮ってんじゃねえ!」
「いいじゃないか。びっくりしてる、かわいい顔だ」
「なんでもかわいいって言うやつに言われても嬉しくねぇんだわ」
 そうは言ったがそれ以上牧の行動を咎めることもせず、スマートフォンの画面を辿々しくなぞる指を、微笑ましく眺めていた。

ポラロイド遊戯 4

4.

「藤真」
「ん、なんだよその箱」
 居間に入ってきた牧は、貰いものの菓子かタオルでも入っていたような黒い箱を大切そうに抱えていた。藤真の目線からは、箱の上に熨斗紙が貼ってあるように見える。
「終活箱を作ったんだ。この前テレビでやってただろう」
「……あ?」
 終活。人生の終わりのための活動として、先日テレビで特集していたことは藤真も覚えている。自分が死んだあと、残った家族や子供が困らないように不要なものを処分しておくだのの内容で、『終活箱』には火葬のときに一緒に燃やしてほしいものをまとめておくらしい。〝墓場まで持っていく〟ということだろう。特に番組内容に興味があったわけではなく、ただテレビをつけっ放しにしていて耳に入ってきただけだったのだが──藤真は眉を顰める。ふたりとも若いとは言えない年齢ではあるものの、終活など意識するのはもっと上の年齢層のはずだ。そういえば牧は、少し前に健康診断に行っていなかっただろうか。
「……なにお前、変な病気でも見つかったのかよ?」
「いや? 至って健康だったぞ。内臓は若いし、目も意外と悪くなってなかった」
「じゃあそんなもん必要ねえだろ、なんだよ終活って、くだらねえ」
「ちょうどいいサイズの黒い箱があったから」
「箱基準かよっ!」
 牧の手にある箱をあらためて見ると、熨斗紙と思ったものは、白い紙に牧が筆ペンで『終活箱』と書いて貼ったものだった。それだけなのだが、飾り気のない白黒がいかにも葬式めいて見えて、藤真は険しい顔をする。
「藤真、お前昔よく、いつなにが起こるかわからないって」
「昔はそうだとしても、今はもうなんもねえだろ」
 牧としては生命保険に入ることや、災害時のための保存食を置いておくことと大差ないレベルのつもりだったのだが、藤真はすっかりそっぽを向いてしまった。
「……で、オレにそれを預かっとけって?」
「いや、まだ手もとに置いておきたいから、死ぬ直前までは俺が持ってようと思う」
「じゃあなんで今持ってきたんだよ!?」
「え? いい感じにまとまったなあって……まあ、存在だけ覚えといてくれりゃいい」
「あいよ。多分寝て起きたら忘れてるわ」
「藤真。そんなに怒らなくてもいいじゃないか」
「怒ってねーしっ!」

 黒い箱の一番下に隠すように仕舞った、表紙の擦れた小さなアルバム。硬い表紙のしっかりとした装丁のものではなく、写真は貼らずにポケットに収納していくタイプのものだ。
 内容は若気のいたり。限られた逢瀬の時間を生き急ぐように、背伸びした快楽を追求していた、ふたりとも青かったころの思い出だ。書棚のアルバムには決して入れることのできない、これらのポラロイド写真のことを、藤真は果たして覚えているだろうか。
 密かに眺めるばかりで日光になど晒すことのなかった写真は、経過した年月の割には綺麗なものだった。印画面よりも、余白の部分に残った指の型のほうが気になるくらいだ。
 いつの日かこれを見つけた藤真はどんな顔をするだろう──それを考えると楽しくて仕方がないのだから、自分は藤真が信じているほど善人ではないと思う。

ポラロイド遊戯 3

3.

「仰向けに寝てくれ」
「あいよ」
 藤真が彼シャツに下着姿のままベッドに仰向けになると、牧はサイドテーブルの上に置かれた袋から何かを取り出した。ピンクの豹柄のファーでできた、リング状のものが二つ。女性が髪を纏めるシュシュのようにも見える。
「なにそれ」
「手錠だ。ふかふかで痛くないぞ」
 よく見るとファーから金属のパーツが飛び出していて、互いに鎖で繋がっている。手首に当たる部分をファーで覆った手錠だった。
「ダッッセ」
 藤真はわざとらしく顔を顰める。男性用のセクシー下着の話題が出たときは唐突に感じたが、つまりはこういったアイテムを扱う店に買い物に行ったのだろう。今日のために。
「そうか? かわいいじゃないか、ぬいぐるみみたいで」
「お前さぁ、『かわいいといえばピンク』っておっさんの発想らしいぜ?」
「いいだろう別に、俺のための写真に写すんだ」
「そりゃそうだけど……てかお前はこれで萌えるのかよ」
 ぶつぶつ言いながらも抵抗はしない。藤真の両手首は褐色の大きな手に包まれると頭上に纏められ、ベッドのヘッドボードのパイプに手錠で固定されてしまう。牧は満足げに目を細める。
「ああ、よく似合ってる。お遊び感がいいな。嬉し恥ずかしってやつだ。あんまりハードなやつだと女優が気の毒になって抜けなくないか?」
「……健全な十七歳にAVへの意見を求めんなよ」
 実際にハードなものを借りるなりして見たことがあるのだろうか。確かに、牧ならば外見で年齢指定に引っ掛かることはないだろう。
「十七か……まだ十七なのに、こんないけないこと覚えて……」
 眉根を寄せつつ口もとは緩んでいるという複雑な表情を浮かべながら、牧は藤真のシャツのボタンを外していく。シャツの中から少しずつ現われていく白い肌に目を引かれ、欲情を煽られて仕方がない。今初めての感覚でもなかったが、バスケットの練習や試合中にはほとんど意識しない分だけ不思議だった。
「お前だって一緒だろっ!」
「写真じゃなくて、ビデオ回してインタビューから撮りたかったな」
 牧が言わんとすることを、あまりわかりたくないと思いながらも、藤真は会話の流れから察してしまう。
「AVの最初のインタ? あのいらねー時間?」
 インタビューやドキュメンタリー風映像など、出演者の設定などを明らかにしていくパートだ。アダルトビデオは友人から回ってきたものを何度か見たことがあるが、前置きの映像についてはビデオの収録時間に対する嵩増しのようにしか感じなかった。
「いらなくないだろう、お前、いきなりエロシーンだけ見て感情移入できるのか?」
「いやAVに感情移入する必要あるか!?」
「俺は好きになった相手としかセックスしないぞ」
 真顔でそう返されて、黙ってしまった。現実ではそうだとして、アダルトビデオにまで適用するのかという話なのだが、おそらく平行線だろう。
「ああ……いいな……」
 腕を縛り上げられ、シャツの前を開いて胸を露わにした藤真の姿に、牧は感嘆の息を漏らす。窮地といえる状況にありながら、視線はどこか反抗的なのがまた堪らない。
 頬を撫で、背けられた顎を捕まえて、半ば強引にキスをした。噛みつくように、そこから深く穿つように。
「んっむ…ッ」
 長いキスから逃れるように、藤真は強くかぶりを振って顔を横に向けた。
「写真」
「ああ、そうだったな」
 赤く潤んだ唇も、気怠げな視線も──堪らないと何度思えば気が済むのだろう。藤真に促されるようにカメラを手にし、顔のアップか、いや拘束されているとわかるように腕も入れよう、それから肌の覗く胸もとも。素人なりに狙いを定めてシャッターを切った。
 排出された写真をろくに見もせずサイドテーブルに置くと、ベッドの上に膝をつき、藤真の体を跨いで乗り上げる。長い睫毛が影を落とす、色素の薄い瞳がまっすぐこちらを見つめる。表情は読めない。
 喉もとをくすぐり、鼓動を確かめるように胸の中心に置いた手のひらを、ゆっくりと腹部へ下降させていく。白く滑らかな肌の上に褐色の無骨な手が這うさまは、いつ見ても背徳的でそそられるものだったが、あいにく片手でカメラを扱えそうにはなく、撮影することは叶わなかった。
 迷うような、焦れたような手つきで下着を取り去ると、性器は緩慢に頭を擡げはじめた半勃ちの状態だった。そこにじっと注がれていた視線が、再び藤真の顔まで戻る。
「……撮って、いいんだよな?」
 いかにもお伺いを立てるといった様子の牧を、藤真は軽く笑い飛ばす。
「ああ。約束したからな」
 牧はコートの上では強引だが、根は優しく紳士的な、性善説の体現者のような男だ。しかしというか、だからというか、藤真は彼を掻き立てたくなってしまう。頭の上で、チャリ、と手錠を鳴らした。
「なんだっていいぜ。これからなにをされたって、オレはお前に抵抗できないんだ」
 牧の喉が鳴る。体を起こすとカメラを構え、ゆっくりとした動作で写真を二枚撮った。きっと今度は下半身までも写されてしまっただろう、そう思うと無性に興奮した。
(オレって、実は露出狂なんだろうか……)
 片膝を立てて体の外側に傾けると、面白いように牧の視線がそこに向いた。手が太腿に伸びると見ると、動作を咎めるかのように言う。
「手錠だけじゃないんだろ、買ってきたもん」
 そして煽るように笑った。
「ああ、そうだな……」
 物理的な形勢など意味を成さないかのような藤真の調子に、意思を絡め取られる錯覚とともに、ズボンの中で張り詰めた股間が痛いくらいに疼く。今の藤真は少し、試合中の彼と似ているのかもしれなかった。その意のままにと、牧はサイドテーブルの袋に手を伸ばす。
 取り出したものは、ピンク色の卵形のローターだった。プラスチックのつるんとした本体から、細いコードが伸びてコントローラー部分に繋がっている。卑猥な本や映像でよく見かけるタイプのものだ。
「こういうの、使ったことあるか?」
「にゃい」
「俺もない」
「ねえのかよ!」
 牧の様子がいかにも余裕ありげだったものだから、思わず突っ込まずにはいられなかった。
「初体験だ」
 牧はにやりといやらしい笑みを浮かべ、コントローラーのダイヤルを回す。卵形の本体が小刻みに振動し、想像よりずっと大きなモーター音が場を満たした。
(体験するのはオレだけどな)
 いかにも愉しげに頬にローターを撫でつけると、虫が這うかのようにじりじり下降させていき、乳首の先に当てる。
「ふぁっ! ん、んンっ…!」
「藤真、乳首感じるもんな」
 横から、上から、嬉々としてローターを押しつけたり離したりしながら、いじらしく身を捩る藤真の反応を愉しむ。
 薄紅の乳首は白い肌の上で、小さいながらにその存在を強く主張している。誘われるように、牧はもう一方の乳首に厚い唇を寄せた。音を立てて吸われ、舌先と歯を使って執拗にねぶられ転がされると、藤真も堪らず体を跳ねさせる。
「ひゃっ! あっあっ…! ぁんっ…」
 名残惜しい様子でちゅっちゅと何度も乳首に吸いつきながらも、牧は顔を上げた。乳房は大きいほうがセクシーだとずっと思っていたが、平らで敏感な胸というのも愛らしくていいものだ。
 再び肌の上にローターを這わせる。メリハリの少ない平坦な肉体に、愛らしい臍、細い腰。薄い茂みの下で、天を仰いだ性器は先端に淫靡な肉の色を覗かせている。牧は迷わずそこにローターを当てた。
「あ゛ぁっ!!」
 ぴくりと腰が跳ね、その拍子に動いた性器が責めから逃れる形になってしまう。そうはさせまいと、大きな右手の中に亀頭部とローターとを一緒に包むように握り込んだ。
「イっ、あっ、あぁあッ!」
 敏感な先端部に対し、初めは痛いくらいだったローターの振動も、じき体液が滲み出てくると、簡単に快感に変わった。単純かつ機械的に与えられ続ける刺激に、恥ずかしいくらいにびくびくと腰が跳ねてしまう。
 牧は右手をそのままにしながら、左手で藤真の右の太腿を持ち上げ、白い尻肉の間に露わになった窄まりに舌を這わせる。入り口を舌先でなぞり回し、肉輪にキスをするように唇を合わせ、唾液とともに舌を押し込む。
「あぅっ、あっ、やめっ…んぅっ、ううっ…」
 くちづけられた箇所が熱い。高い鼻が股ぐらを撫でている。前への刺激に比べればささやかな感触だったが、あらぬところを舐められているという事実が、藤真の中にまだ残った理性を撹乱し興奮させる。
「あ゛っ、あぁっあ! 出ちゃっ…!」
 自らの意志とは無関係に射精に導かれそうになる危機感からわずかでも逃れるよう、藤真は腰を引いて胸を反らせる。もうじき達しようかというところで、牧は藤真の性器を解放した。
「っふっ…!」
「お前は普通に出すんじゃ満足しないもんな」
 赤い顔をして、潤んだ瞳で睨みつけられたところで痛快でしかない。あらためて脚を持ち上げ腰を抱え、振動するローターを濡れた陰部に当てがう。
「うあっ、ぁ──っ!」
 唾液を垂らして少し押し込むと、それはつるりと内部に吸い込まれてしまった。ローターを含んで口を開けていた肉の輪は徐々に窄まり、やがてほとんど閉じてピンク色の細いコードを垂らすだけになる。
「すごいな、自分から呑み込んでったぞ」
「う、うぅ……」
 恥じらって脚を閉じようとするのを押さえつけ、筋を浮き立たせて反り返る竿に、音を立てて何度もキスをする。脚の間からは、しきりにくぐもった音がしていた。
「そうだ、写真だな」
 行為に夢中になるあまり、本来の目的を忘れるところだった。牧は藤真の膝を立てて脚をM字に開かせると、初めの遠慮など忘れ去ったかのようにカメラを向けた。玩具を呑み込んだ陰部、勃起した性器、その向こうに藤真の顔が覗くようにフレームに収めてシャッターを切る。
(これあれだ、恥ずかしい写真撮られて『誰かに言ったらバラ撒くからな』って脅迫されて泥沼になるやつ……ほんとにあるんだ……)
 不健全な漫画で読んだ覚えのある展開を思いだしながら、しかし藤真は脚を閉じることもなく、されるままになっていた。牧が非道なことをする人間ではないと知っているせいもあるだろうし、それに何より
(ドキドキするんだ)
 到底人には言えない、おそらくあまり普通ではないこと。しかし確かに自分がその中に身を置いているという実感。それは藤真に多大な興奮と愉悦をもたらしていた。
(たぶん学校の誰も、オレがこんなことになってるなんて思わない)
 今日ほどのことでなくとも、牧との夜のデートはいつも──いや、突き詰めれば牧と付き合っていること自体がそうなのだと思う。
(たぶん、だから、お前じゃなきゃいけなかった)
「う、んぅ……」
 気分は高まっていたが、一点に据えられた単調な振動は、藤真の体を悦ばせるには足りなくなっていた。
「まだあるぞ」
 牧は再びサイドテーブルの袋に手を伸ばす。取り出したものは、やはりピンク色の、ぽこぽことした玉が細長く連なった形状のバイブだった。
「…!」
 牧が持ち手部分のスイッチを入れると、シリコン製の上部がうねうねと波打ちながら回転する。いかにも卑猥な形状と動作とに、藤真は息を呑んだ。
「今度はこれを挿れてやるからな」
「っ…!!」
 ローターを含んだままの内部が一瞬でぎゅんと窄まって、思わず達しそうになってしまった。ドクドク心臓が跳ねて、いっそう体が反応しているのが自分でもわかる。羞恥心や抵抗感もあるが、快楽への興味と期待のほうが遥かに上回っていた。
 牧は藤真の股ぐらを覗き込み、ローターのコードを引く。
「すげえ奥まで入ってないか?」
 しっかりと咥え込まれているようで、軽く引いた程度では出てこない。
「お前が挿れたんだろっ」
「勝手に入ったんだ。……取れなくなったらどうする?」
「ぶっころす」
「威勢がいいな。力抜いとけ」
「うぅっ……ぁっ!」
 コードを思いきり引かれると、食いついていた粘膜が引き剥がされ、熱い感触が一気に体外に抜けていった。
「おお、産まれた」
 秘所が一瞬大きく拡がり、卵が産まれるかのようにローターが飛び出したのが面白く、牧はもう一度それを中に戻そうと、ヒクつく入り口に押しつける。
「おいっ、こらっ!」
「ん、やっぱりこっちがいいのか。待ってろ」
 藤真に軽く蹴りを入れられると大人しく引き下がり、物欲しげなそこを露わに上に向けるよう腰を抱え直す。アナル用のローションを注ぎながら、スイッチを入れたバイブを窄まりに押しつけ、その回転で淫肉の門を掘り進めるように挿入していく。
「ふぁっあんっ、あァッ…!」
 小ぶりで愛らしい尻の狭間に、まるで自ら望むかのように、ピンクの球状の隆起をひとつ、またひとつと呑み込んでいく、粘膜の淫猥な収縮から目が離せない。藤真も牧も、もはやそこを排泄器官ではなく性器として認識していた。
「入ったぞ」
「ん、ぅう…」
「写真だな」
 締めつけがきついのか、バイブから手を離すと持ち手の部分がぐりぐりと回転してしまう。滑稽だが、ひどくいやらしくも見えた。牧はそのままの状態を写真に撮り、意地悪いつもりで笑う。
「お前がこんなことになってるなんて、誰も思わないだろうな」
「んぅ、ふっ…」
 藤真は恥じらうように身を捩ったが、少し笑ったようにも見えた。
 バイブを途中まで引き出し、凹凸を咥え込ませた状態も一枚写真に収めておく。シャッターの音に感じたかのように、大きく体が波打った。
「んぅん、あぁっ…」
「いいのか?」
 カメラを置き、藤真の尻から生えてのたうつバイブの持ち手を捕まえて、ゆっくりと押し込んでやる。
「はあっ、あぁっあ♡」
 指では届かない、腹の奥深くをぐるぐると掻き回される、未知の感覚に頭の中まで掻き混ぜられるようだった。
「ぅあっ、アッ、あぁあンッ…!」
 目いっぱいまで挿入され、引き抜かれる、ゆっくりとした抽送の動作のたび、ぽこぽことした表面が内壁を擦る。雄としてのセックスでは知り得なかった、底知れぬ快楽に襲われながら、藤真は堪らず高い声を漏らす。
「っあ、あァっ、やぁっ…♡」
 戯れ合う言葉も捨て、甘えるように悶える藤真は堪らなく愛らしくて愛しい。牧は抜き挿しの動作を早めたり緩めたりしながら、しばしその反応を愉しんだ。
「ふむ……」
 思いだしたように、ローターを手にしてスイッチを入れると性器の根元に当てる。先端から滴り伝った体液が、豊潤にそこを濡らしていた。
「はっ…」
 張り出した裏筋に沿わせるように、徐々にローターを上に──先端部に近づけていく。
「アッ、あ、無理、むっ、あぁァ〜ッ!!」
 初めにしたように雁首にローターを押しつけて握り込み、もう一方の手はバイブをピストンさせる。藤真は悲鳴に近い声を上げ、思いきり仰け反った。手錠を繋いだベッドのフレームから、ガチガチと鋭い金属音がする。
「ひゃあっんっ! それ、はぁっ…♡ アッ、んあ゛ぁッ♡」
 世界が裏返る。セックスとはどういうことだろう。男とはなんなのだろう。体の外側と内側の敏感なところを同時に弄り回され続け、体が、頭がおかしくなりそうだった。
「ア──ッ……!」
 達した、と思った。しかしそれは訪れていなかった。
 性器は絶頂寸前でローターの責めから解放され、体内を掻き回していたバイブもスイッチを切られ、抜き取られてしまう。
「う、んっ…、まき……?」
 快楽の余韻に震える体を持て余す、藤真の蕩ける視界の中で、牧は手早く服を脱ぎ捨てた。腰に聳える立派な男根を認めると、皮膚から一気に汗が噴出し、体の奥がきゅうと切なく疼く。
 急くような手つきでローションを撫でつけられ、ぬらりと貪欲な光を帯びた肉棒が、もの寂しそうにしていた下の口に押しつけられる。
「あっ♡ あ゛ぁッ!」
 執拗に弄ばれ、充分にほぐれていたつもりだったが、そこに挿入するために作られた玩具と、牧の男性の質量とはまったく異なるものだった。
(来るっ…!)
 粘膜の狭間を拡げながら押し込まれる感触に、内臓を押し上げられる苦しさとともに、えも言われぬ興奮が沸き起こる。傲慢に内奥へ進む怒張に敏感な箇所を擦られ、藤真は歓喜に仰け反った。
「んひぃっ…♡」
「なんだ、いいのか?」
 熱くうねり吸いつく感触に、牧はすっかり藤真に求められている気になって、容赦なく腰を動かす。肌のぶつかる音は、ねっとりとした粘性を帯びていた。
「っは、あぁっ、んうぅっ…!」
 牧の本能を集約した、がちがちの巨根が的確に前立腺を突いてくる。藤真が音を上げるのはすぐだった。
「ふぁっ、あぁっ、ひあぁあぁッ…!!」
 高く細い声を上げ、白い体がベッドの上に弓形に反る。いじらしく天を仰ぐ性器が大きく震え、小さな口からビュッと少量の白濁を噴き出す。牧の突き上げる動作に押し出されるように、藤真は何度か断続的に射精した。
「いあぁっ、あ……」
 出るものがなくなっても達しきった感覚は訪れず、ただ自らの内に埋まった男の感触が愛しくて堪らない。
「まだいけるだろう?」
 奥を撫でるように腰を押しつけると、藤真が何か言いたげに唇を動かした。
「ん……」
「ん?」
「写真。撮って、オレにもちょうだい」
「ああ……」
 牧は深くため息をつき、微かに苦味を帯びて笑むと、体を繋げたまま、精液に汚れた藤真の姿、密着するふたりの腹部、少し体を引いてあられもない結合部などを写真に収める。元は牧が希望した写真撮影だったが、もはや行為のほうが魅力的で、藤真に焦らされているかのような心地だった。一方の藤真は機嫌よさそうに目を細めている。
「もういいか?」
「いいよ」
 なぜか藤真の許しを得てからカメラをサイドテーブルに置くと、両の腕で細い腰を抱え、抽送の動作を再開した。
「はぁっ、あぁんっ…」
 しかし牧はさほど経たないうちに動きを止めてしまう。無言のまま、藤真の手首を拘束する手錠を外した。
「ん、なんで?」
「いいじゃないか、もう充分だ」
 玩具で遊んでいたときは確かに楽しかったのだが、藤真の自由を奪った状態でのセックスは一方的すぎると感じてしまった。できるだけ卑猥な写真を撮りたくてアダルトビデオの真似ごとを思いついただけで、牧は本来嗜虐的な性向は持ち合わせていないのだ。
「じゃあ、今度はオレが撮ってやろっか」
 サイドテーブルに伸びた藤真の手は、カメラに届く前に牧の大きな手のひらに捕らえられ、逞しい首の後ろに巻きつけられてしまった。もう一方の手も同様だ。
「っふ……」
 思わず笑ってしまいながら、牧の首にぎゅうとしがみつく。「ああ……」と牧が小さく呻いた。
 繋げた局部だけではない、密着させた肌全体で相手の体温を感じると、駆り立てる興奮だけではない、熱く心地よい波に包まれるようだった。
 目眩がする。
 玩具を使った行為は過激で不道徳的で愉しいものだった。しかしこうして他人の肉や温度や体液、あるいは呼気に身を浸しているほうが、いっそう業が深いような気もする。

 事後、藤真はベッドの中で気怠げに天井を眺め、牧は体を起こしてサイドテーブルの上の写真の束をぼんやりと見ていた。
 藤真は牧の広い背中にしなだれるように抱きつき、猫撫で声を上げる。
「なーあ?」
「ん、な、なんだ?」
 行為を終えてすぐのタイミングで藤真から甘えてくるのは珍しいことだった。牧はつい身構えてしまう。
「お前、近いうちに変な死にかたすんなよ」
「な、なんだそりゃあ?」
 牧は狼狽えた。藤真の言っている意味がわからない。今日のことについて実は怒っていて、これは遠回しな殺害予告なのだろうか。
「お前がなんかで死んで家宅捜索されたとき、その写真が出てきたらオレがやべーじゃん」
「ああ……まあ、当分死ぬ予定はないから大丈夫だと思うが……すげえことを心配するんだな」
 心配してもらえているのなら喜ぶべきなのだろうか。藤真は少し気難しいところがあるとは思っていたが、こう突飛なことを言いだすタイプだとは思わなかった。
「でさ、将来お前がオレにむかつくことがあったら、その写真で脅迫とかするといい」
 牧が顧みた、藤真はにこやかに笑っていた。作り笑いだろう。しかし発言の意図はわからない。牧は眉を顰めた。
「そんなことしない」
「お前はいつまでもオレより上だからって?」
「そうは言ってない。ただ、脅迫なんてするわけない。そういうつもりで写真が欲しかったわけじゃない」
「どうかな……」
 不思議そうな牧の顔から目を逸らし、藤真は広い背中に頭を擦りつけるように寄り掛かった。
「信じられないか?」
 藤真は沈黙したのち、言葉を、自らの意図をも探すようにゆっくりと唇を動かす。
「別に、信じたいなんて思ってない……と、思う」
「なんだって?」
「例えばもしかしてお前が悪人だとしたって、オレは構わないんだ」
 おそらくそんなことはないのだろうけれど、と感情が言葉を否定する。しかし事実として、藤真はまだ牧のことをそれほど知らない。ふたりが一緒にいた時間など、互いのチームメイトとは比べるまでもなく短い。
 牧は体ごと藤真のほうを向いて訝しげな顔をした。藤真はそれを受け流すように、曖昧な微笑に似た表情をする。
「性格いいヤツだなって思ったくらいで、男とセックスなんてするかよ」
「じゃあ、なんで」
「ドキドキしたから」
 そう言って、はにかむように笑った表情がひどく幼く愛しくて、唇をついばむようにキスをしていた。
「ああ……」
 興味を抱き、親しくなったきっかけも理由もいくらでも探せるが、あの日、あのとき、ふたりを突き動かしたものは、それだけだったのかもしれない。

ポラロイド遊戯 2

2.

 ひと月後。
 牧の部屋を訪れた藤真は、長方形の包みを差し出されていた。清楚な白いリボンが印象的だ。
「気に入ってもらえるといいんだが……」
 期待と不安の入り混じった、幼いとも感じられる表情は、コートの上の牧からはあまり想像されないものだった。〝特別〟を向けられている実感に、藤真は満足げに微笑を作る。
(やっぱ牧っておもしろ)
 ホワイトデーのお返しが気に入れば卑猥な写真を撮らせてやると、先月約束したことはもちろん覚えている。しかしそのために牧がはりきっているのかと思うと、馬鹿にするつもりではないのだが、どうにも笑えてしまう。
「サンキュ。開けていい?」
「ああ、もちろんだ」
 ダイニングテーブルの上に包みを置くと、ポラロイドカメラが視界に入ったが、あえて無視してリボンと包装紙を取り去った。中から現れた、フランス語らしき外国語の書かれた箱は、質感といいデザインといい、シンプルながらそこはかとなく上品で洒落た雰囲気だ。
(なんとなく、お高そうな……)
 蓋と薄紙を開くと、中には個包装された綺麗なパステルカラーが並んでいた。ピンク、薄紫、黄色、黄緑、茶色、とりどりだ。
(石鹸? じゃねえか、さすがに)
 よく見ると、二つの円形の生地の間にクリームのようなものが挟まっている。
(カラフルなモナカ的な?)
「ホワイトデーのお返しって、意味が設定されてるだろう。マカロンは『特別に大切な人へ』だそうだ」
「マカロン」
 聞いたことはあるような気がしたが、マカロニやマロニーと頭の中で混ざっているだけかもしれない。とりあえず藤真には馴染みのないものだった。
「またえらいオシャレなもんを……」
「嫌いだったか?」
 藤真は大袈裟なくらいに首を横に振った。好き嫌いという話ではない。記憶のうちではおそらく食べたことがないのだ。
(上流階級のお菓子かな……なんとなくネーミングもそんな感じするし)
「食っていい?」
「ああ、もちろん」
 見た目からチョコ味が想像できる茶色を食べてみることにする。小さなリボンのついた個装からマカロンを取り出して、ひとくち齧った。サクッと軽い外側の歯触りから、次にしっとり、もっちりとした予想外の感触が訪れる。新食感だった。同時に、アーモンドの風味とチョコレートの深い甘みが口腔内に広がる。藤真は目を瞠った。
「なにこれうまっ!」
 綺麗ではあるが、パステルカラーが作りもののように見えてしまい、正直なところあまり美味しそうには見えなかったのだ。
「チョコ味のマカロンだな」
「うまい」
 石鹸などと思ってしまったことを心の中で反省しながら、素材の味を意識しつつ咀嚼する。味への細かいこだわりはないほうだと思っているが、うまいものはうまい。
「気に入ったならよかった。……食ってるとこ撮ってもいいか?」
「おう。んじゃもう一個持っとくか」
 藤真はピンク色のマカロンを取り出す。牧がポラロイドカメラを向けると、食べかけのチョコ味を口もとに、もう一つを頬の横に持っていき、愛らしく上目気味のカメラ目線を決めた。
「ッ……!」
 あまりに完璧にフレームに収まったその姿に、牧は衝撃的な気分でシャッターを押した。じき、ジーと音を立てながら、カメラの前面下部からゆっくりと写真が排出される。
「おー、出た出た」
 藤真は仕上がりを待ちきれない様子で、徐々に鮮明になる印画面を凝視している。
「……藤真お前、えらい写真慣れしてるんだな」
「え、なんで? 知らなかった?」
 確かに先月貰ったポラロイド写真も粒揃いだったが、カメラ越しに一瞬で被写体モードになるさまを目の当たりにして感心してしまった。
「いや、なんだろうな……たまに雑誌に載ってる写真と違うっつうか」
「バスケ雑誌で愛想振り撒くなんて、ただの勘違い野郎じゃん」
「そういうもんか……」
 プロとかアイドルとかいう言葉が頭に浮かんだが、怒られそうなので口には出さなかった。藤真はチョコ味のマカロンを齧りながら、牧の前に箱を押し出す。
「なあこれめちゃうまいぜ。お前も食えよ」
「お前へのお返しじゃないか、俺はいい」
「遠慮すんなって」
「それじゃあ少し貰うか」
 牧は立ち上がり藤真の前で身を屈めると、ちゅっと音を立てて唇を吸った。
「むっ……!」
「ああ、うまいな」
 そう言ってにやりと笑う。
(イタリア人かよ)
 イタリア人の知り合いがいるわけではない。単なるイメージだ。
「……なあ、これって流行ってるのか?」
「どうだろうな。特に流行りって話は聞かないが」
「じゃあきっとそのうち流行るな。流行先取りだ」
 今度はピンクのマカロンを齧る。駄菓子によくあるような香料の味ではなく、しっかりと苺の味がした。
「牧って、女子にモテそうだよな」
「なんだ、いきなり」
「いや、なんとなく」
 そうは言ったが、なんとなくでもなかった。藤真はパステルカラーに浮かれる趣味ではないものの、プレゼントとして牧が考えて選んだものであろうことはわかる。気遣いを感じれば嬉しいものだし、かわいいものが好きな女子などはもっと素直に喜ぶだろうと想像できた。
「藤真みたいにキャーキャー騒がれたことはないぞ」
「ああ、そういうんじゃなくて……」
 モテるという言葉は少し違ったかもしれない。その後のケアというのだろうか。甲斐性というものかもしれない。
「相手のこと考えてるって感じがする」
 牧は不思議そうに目を瞬く。
「つまり、お返しを気に入ってくれたってことか?」
「え? ああ、うん、そうだな」
「そうか、それならよかった……!!」
 牧が本当に嬉しそうに笑ったので、藤真も釣られて笑ってしまった。感心したせいで遠回しな言いかたになってしまったが、マカロンは文句なく美味しかったし、そして一つ賢くもなった。家に持ち帰ったら姉や母親に見せびらかしたいくらいだったが、今日はバレンタインデーではなくホワイトデーだ、やめておいたほうがいいかもしれない。
「じゃあ約束の……」
「エロ写真だろ、いいぜ」
「よし、ちょっと待っててくれ」
 太腿の横に下げられた牧の拳が密かにガッツポーズをしたことに、藤真は気づいてほくそ笑む。一旦部屋に引っ込んで、白いシャツを持って戻ってきた牧を、ダイニングテーブルの椅子に掛けたまま、にやにやと見上げた。
「なんだ?」
「いや、残念な男だなーと思って」
「なんだと!?」
「だって、(バスケができて、金持ってて、性格よくて、女にも気を遣えそうな感じなのに)ホモだなんて」
「俺はお前が好きなだけでホモのつもりはないし、ホモだとしたって別に残念ではないだろう」
「いやぁ、女側からしたら損失じゃね?」
 自分で言っておきながら、なぜ女の立場で考えているのかはよくわからなかった。
「そっくりそのまま返す。ともかく、これに着替えてくれ」
 渡されたものは、男もののワイシャツ一枚のみだ。
「着替えろっていうか、脱げっていうか?」
 意図を察してしまうあたり、染まってきているのかもしれない。そもそもの目的がそういう写真だ、卑猥な設定など望むところである。藤真は上を全て脱ぎ、ワイシャツの袖に素肌の腕を通す。
「これお前の? サイズでかくねえ?」
「俺のだが。袖の長さで合わそうとすると動いたときに窮屈になるんで、少し長いのかもしれないな」
「あー、お前、体厚いもんな」
 肩幅も、横から見たときの厚みも安定感もある。牧の姿をじろじろと眺めながら、上背はあるが牧と比べるとずっと細い印象の花形の体躯を思いだしていた。
「これ前は……閉めるんだよな。胸もとはちょい開けて」
「ああ……いいな……」
 オーバーサイズのシャツをラフに着て、ズボンを脱いで脚を露わにする。いわゆる〝彼シャツ〟である。牧がすでに少し前のめりなのが面白い。
「パンツは穿いといたほうよさげだな。女ならいけたかもしれねーけど」
 シャツは大きいとはいえ、漫画で見かけた彼シャツの女子ほど大袈裟なサイズ感ではない。男性である都合、シャツの裾から体の一部が覗いてしまうのは、セクシーというより笑いの要素のように思えた。
「せっかくだから下着も見てみたんだが、男もんのエロ下着ってなんかアレでな……」
 何がせっかくなのかとは思ったが、それより『なんかアレ』のほうが気になってしまった。
「アレって?」
「なんつうか、えぐいというかギャグっぽいというか……」
「ブーメランパンツとか、Tバックとか?」
 あまり考えたことはなかったが、とりあえず思いついたものを言ってみる。
「いや、もっとすごかった。メッシュ素材だったり、竿カバーみたいだったり、紐だったり……俺はまだそこまではいけない」
 ありありと目に浮かぶ、というわけではなかったが、少し聞いただけでも着用してみたいとは思えなかった。
「おう、いかなくていいと思うぜ……女だったらレースとかになるんだろうけど、男はやりようがねえよな」
「今回のテーマは別に女装じゃないしな」
「なんだよ今回って」
「まあ、気にしないでくれ。……うん、シンプルイズベストだな。まず一枚撮ろう」
 牧は藤真の彼シャツ姿をあらためて眺めると深く頷き、カメラを手にして距離を取った。
「一枚って? 立ったまま?」
「ああ、とりあえず全身が一枚ほしい」
「ポーズは?」
「自然体で」
(彼シャツの自然体とか習ってねーわ)
 とは思いつつ、それとなく視線を横にそらして物憂げに立ち尽くしてみる。
「おー、いいな、北欧のモデルみたいだ」
(まじかよ)
 牧は不慣れな手つきでカメラを構え、シャッターを押す。焦らすかのような間を置いて、出てきた写真を見ると、満足げに頷いた。
「ああ、すごくいい感じだ。じゃあ次、キッチンに向かって立とうか」
「はいよ、カントク」
 牧の口調が微妙におじさん化していることには触れず、藤真は少し移動してキッチンのシンクの前に立った。
「それからこれを持って」
 牧が冷蔵庫から取り出して渡してきたものは、ナスとキュウリだった。仕様もない意図が透けすぎていて、藤真は呆れた笑いを浮かべながら、それを二本並べて調理台の上に置く。
「包丁でちょん切ればいい?」
「恐ろしいことを言うんじゃない。こう、今日はどっちかなみたいな、悩ましげな感じで……」
 牧は手指で何かを握るような、扱くような動作をする。
「くっだらねぇ〜。お前、そういうのが好きなんだ?」
「定番じゃないか? それに、想像が膨らむシチュエーションは好きだ」
「想像ねえ」
 そもそも、彼シャツ一枚でナスとキュウリを持ってキッチン台に向かうというのはどういうシチュエーションなのか。牧の想像力には、この状況の不自然さが気にならないのだろうか。
「想像……」
 藤真はナスとキュウリを片手ずつに握り、眉を顰める。
「これ、紫と緑なの狙った?」
「ん? いや、そういうつもりじゃなかったが、言われてみればそうだな」
 紫のナスと緑のキュウリ。色味はだいぶ濃いが、海南と翔陽のイメージカラーだ。手の中に握り込んだものを、藤真は目を据わらせて凝視する。
「つまりこれは……牧VS花形……」
「なにがVSなんだ!? お前、まさか花形とそういう!」
「はあ? 気持ち悪りぃこと言うなよ」
 少し前ならば牧に対しても同じ反応だっただろうが、あまり考えないことにしておく。
「でも実際花形のは長いぜ」
「見たことあるのか?」
「こっちだって泊まり合宿とかあるからな。初めてのとき、思わず三度見した」
「……」
 つまり、翔陽の部員たちはみな藤真と寝泊まりして、おそらく一緒に風呂に入ったこともある。これまで考えもしなかった。彼らは藤真を崇拝している。きっと裸も寝起きの顔も、役得とばかりに目に焼きつけていただろう。自分の知らないところでそんなことが起こっていたとは──想像したら悲しくなってきた。
「キュウリはやめよう。ナスだな、藤真、お前にはナスが似合う」
「ナス似合うって、褒めてなくねえ?」
「ほら、写真撮るぞ。ナス握って」
「へーい」
 やる気がなさそうに返事をしたものの、モデルを務めるのは約束だ。両手で握ったナスの先端を口のそばまで持っていき、熱を込めて見つめる。
「そう! いい!」
(やっぱり残念なやつ……)
 握った手からナスを長く飛び出させてみたり、頬に寄せてカメラに視線を遣ったり、唇を沿わせてみたり。牧が満足するまで〝藤真とナス〟の撮影会は続いた。
「よぉーし、よし、いい画が撮れた。じゃあ次はベッドに行こうか!」
 大して広い部屋でもなかろうに、大袈裟な手振りで移動を促す牧に笑ってしまいながら、藤真は素直にベッドの前に歩く。

ポラロイド遊戯 1

1.

 四角く囲んで閉じ込めた、笑顔の輪郭は僅かにぶれて、白ずんだ空は黄ばんでいた。
 烟る睫毛の視線の先、写真の向こうには彼の私的な時間があるのだろう。
 それはおそらく彼らしか知ることのない、非日常的な。

「藤真、あのな、頼みがあるんだ」
 いかにもあらたまった調子の牧に、藤真も自然と居住まいを正す。
「なんだよ?」
「怒らないで聞いてほしい」
「もったいつけないで言え」
「なんかもう怒ってないか?」
「めんどくせーこと言ってるとほんとに怒るぞ」
 藤真に気圧されるように、牧はおずおずと口を開く。
「……バレンタインチョコが欲しい」
 照れくさそうに言って視線を逸らした相手を、藤真はぽかんとして見つめた。
「そんなこと?」
 ふたりは少し前から付き合っていて、体も繋いだ関係だ。牧は初めから積極的だったし、そういう状況になってしまえば迷いも見せなかった。それがバレンタインチョコを要望することには妙に躊躇しているというのが、藤真にはどうにも不思議に感じられた。それに──
「そんなの、言われなくたって用意するつもりだったけど」
「本当なのか!?」
 さも驚いた様子の牧に、藤真は訝しげに眉根を寄せて目を細める。
「オレって、そんな甲斐性なさそうに見えるのか?」
「そういうわけじゃないんだが。バレンタインって、女子から男子に贈る日だろう」
「……ああ?」
 藤真は特に疑問を抱いていなかったのだが、言われてみればそうだ。
「んまあ、だってヤってるときのポジがそうだから、そういうもんかなっていうか」
 自分の中での性別の自覚は男だが、事実として牧との行為のときの位置というか役割は女側だ。女顔と言われるのは嬉しいことではないが、全否定する気にならない程度に自覚もある。
「そうなのか。お前が嫌じゃないんならよかった」
 牧は安心したように口もとを緩めた。気を遣っていたのだろう。女扱いするなだのと牧に話したことはなかったと記憶しているが、どこかから何か耳に入ったのかもしれない。
「なんだろ、お前がオレを悪い意味で女扱いとかしないのはわかってるから、あんま気にしなくて大丈夫だぜ。たぶんその辺気にしてるくらいなら、まず告られたときに殴ってるし」

「ハッピーバレンタイン!」
 目の前に差し出された小さな手提げの紙袋を、牧は相好を崩しながら受け取った。
「おお、待ってたぞ、ありがとう……! 手作りかな?」
「んなわけねーじゃん、今インフル流行ってんのに手作りとか危ねえ」
「チョコからインフルエンザはうつらないだろう」
「わかんねーよ? ともかく店のやつなら安心、安全!」
 白い紙袋の中から、鮮やかな水彩で風景の描かれた外国製のチョコのパッケージが現れる。
「綺麗だな」
「チョコのブランドとか全然わかんねーけど、とりあえず外国のチョコって美味いじゃん?」
 そう思ってデパートのブランドチョコの売り場に行ったのだ。当然女性ばかりだったが、同年代の女子の群がる若者向けの店よりは気分的にだいぶましに思えた。牧はプレゼントの値段など気にしないかもしれないが、多少の意地もなくはなかった。
 箱の中には、ひとくちサイズのチョコが仕切られて並んでいた。花、葉っぱ、鮮やかな赤いハート、チョコ二個分はありそうなミツバチなど、目にも楽しい。
「藤真……! かわいいな、ハチさん……!」
 縞模様の体にローストアーモンドの羽根をつけて、愛嬌のある顔で見上げてくる赤い鼻のミツバチと見つめ合い、牧は感極まったように言った。
「おう、かわいいだろ。ハチさんはハチミツ味だ。試食したら美味かったからそれにした」
 加えて、牧は可愛らしいものが好きな気がして選んだのだが、どうやら正解だったようだ。自分の思惑通りにことが進むのが何より嬉しい藤真は、満足げにうんうん頷く。
「こっちはハチの巣かな」
 牧はしげしげとチョコを眺めていたが、じきに箱を閉じてしまった。
「食わないのかよ?」
「藤真が選んでくれたチョコだ。もったいなくて食べられない」
「食え!」
「日々少しずつ食べる」
「……まあ、そう簡単に腐らないと思うけど、早めに食えよ……」
 牧が喜びそうなところで手作りも考えたのだが、味と、やはり衛生面が気になってやめた。買ったものでこの調子ならば、正しい判断だったと思う。
「売り場のおねえさん、『最近は友チョコ流行ってますもんね〜』って言いながら絶対頭ン中でホモチョコって思ってたぜ」
「なんだ、感じ悪い人だったのか?」
「ううん? すごくにこやかだったぜ、女はホモに優しいからな」
 優しくされるうえ無用に言い寄られることもないと考えれば、決して悪くはなかった。今のような立場でなければ、もう少しオープンにしていたかもしれない。
「そうだ、チョコだけだとつまんないと思って、これ」
 藤真は洋形の白い封筒を差し出す。
「おっ、ラブレターか?」
 箱の隙間からチョコのにおいを嗅いで深呼吸していた牧は、目を輝かせてそれを受け取った。手紙にしては重い。取ってつけたようなハートのシールにまんまとときめきながら封を開けると、中から何枚かのポラロイド写真が出てきた。
「こ、これは……!」
 写っているのはいずれも藤真ひとりだけで、制服や私服、部屋着でくつろぎながらこちらに意味ありげな視線を向け、あるいはセクシーに微笑している。
「焼き増しできないから綺麗に使えよ」
 そして写真の外の藤真もまた、思わせぶりに艶やかに微笑む。ファンの女子が聞けば幻滅するであろう、いわゆる下ネタ会話もいくらでもしてきた仲だ。藤真の態度と言葉から、その言わんとするところを想像するのは簡単なことだった。
「使……あ、あぁ、そうだな、助かる。ありがとう……!」
 牧はにやけて歪みそうになる唇を必死で平静の形に保ち、コクコク頷く。藤真は猫のように瞳を細めた。
「どれがいい? 写真」
「ん? どれもいいが……」
「やっぱこのベッドにいるやつ?」
「そうだな……だがあえてこっちの、制服で勉強してる姿で抜くっていうのもまた……いや、抜くとは言ってないぞ」
 慌ててぶんぶん首を振る牧を、藤真は腹を抱えて笑った。
「なんだよその無意味な嘘は。……ほんとはもっとあからさまにエロいの撮りたかったんだけど、自分で撮るの意外と難しくて無理でさ」
「よく撮れてるぞ?」
「それは花形に撮ってもらったからな」
「うっ、そ、そうなのか……」
 あまり聞きたくなかったが、聞かなければそれはそれで撮影者のことが気になったのかもしれない。牧は苦しげに呻き俯いたものの、すぐに弾かれたように顔を上げた。
「そうだ、じゃあ俺が撮ってやろうか」
「それはオレになんの得があるんだよ」
「ドキドキするじゃないか」
 しょうもないことを、迷いも惑いもなく言ってのけるところには少しだけ感心してしまう。藤真は迷う素振りをしてから頷いた。
「……それじゃあ、ホワイトデーのお返しが気に入ったら撮らせてやろうかな」
「本当か! よし、めちゃくちゃ気合い入れるぞ!! カメラもこっちで用意しておくからな!」
「えっ、あ、いや、あんまり大袈裟だったり高級すぎたら引くからな! オレに丁度いいくらいのやつにしろよ、てか普通にお菓子類でいいから!」
 なんとなく突っ込んではいないのだが、牧の実家は裕福なようで、一緒にいて育ちや金銭感覚の違いを感じることもままあった。下手に煽ると高額なプレゼントを用意しかねない。
(別にうち貧乏じゃないはずだけど、オレってなんか小市民だなって、牧といると思う……)
「難しいことを言うんだな。……いや、気持ちが大事だもんな。わかった、よさそうなもん探しておく」
 それはそれとして、と牧は藤真の肩を抱き、戯れるように鼻先をすり寄せると、柔らかな唇を味わった。チョコはデザートだ。まずはメインディッシュをいただこう。

ひと夏の経験

 初めてのセックスは中学生のときだった。
 問われればそう答えてるが、本当は違う。
 いや、厳密にはそうなんだが、もっと前に本番まではいかなかったくらいのことがあって、オレの中では初めてはそっちの印象のほうが強かったりする。

 あれは小学五年の夏休み、家族でどこだかの高原の避暑地に行ったときのことだ。
 オレは一人でバスケのゴールに向かってボールを放ってた。どうしてその状況になったのかは覚えてない。そもそも旅行の理由も理解してなかったし、反抗期っていうのか、とりあえず首を横に振ってたような時期だった記憶はある。
 他に誰もいないからゲームはできないものの、ひんやりした風と周りを囲む緑と鳥の声が気持ちよくて、子供ながらになんとなく贅沢な気分になってたのを覚えてる。きっと、海じゃなくて山っていうのが珍しかったんだろう。
 シュート練習っていう意識はまだなかったと思う。地面はボコボコで、ゴールには軽くツタが巻きついてる。そんなんでも最初は不安定だったシュートが安定していくのが単純に楽しくて。声援を送られるのは好きだったけど、こういう静かなのも意外といいもんだなとか、そんなことを思ってたときだった。
「面白いシュートだな。それに、サウスポーか」
 後ろのほうからのんびりした男の声がした。家族の誰かじゃない。振り返ると、体の大きい、色黒の上級生がいた。オレもクラスじゃまあまあ背はあるほうだったが、それより全然高くて、肩幅なんて大人みたいにでかくて。制服じゃないからわかんないけど、中学生か、もしかしたら高校生かもしれない。髪が茶色くて、鼻が高くて、顔立ちはなんとなく外国人とかハーフに見えるような感じ。オレもよく言われることだったから、そこにどうこうはなかったけど。
 せっかく独り占めできるゴールを見つけたのに、ここでも目上のやつに譲らないといけないのか。近所での出来事なら譲ったろうけど、でもこいつはでかいけどあんまり怖くなさそうだなって思った。口調もあるし、こっちを見てる目も邪魔ってよりただ物珍しそうで。ああ、そうだ。オレは直前に言われたことを思い出す。左利きだったらなんだって?
「……悪い?」
「やりづらい相手だ。敵チームにいるなら嬉しかないな」
 やりづらい。つまりバスケをやりたくない相手って言われたんだって、オレはむかついてそいつに思い切りボールを投げつけた。左利きだからやりづらい、ずるい、とかはお遊びの球技や体育のときには言われがちなことで、相手は笑いながらだったりするが、こっちとしたらずるなんてしてないんだから腹立たしいもんだった。
「怒るなよ。てこずる相手、強敵だって意味じゃないか」
 そいつはでかい手のひらでボールを受け止めると、いかにも余裕って感じに笑って白い歯を見せた。年下だと思って完全にナメてるな。オレは近所でも学校でもすげーバスケうまいんだぞ。周りが下手なだけかもしれないけど。
「ほら、ボール取ってみろ」
 なんだか偉そうにそう言ってガバガバなドリブルをしだしたから、オレは颯爽とボールを奪ってやった。ちょろいもんだ。
「……ほう?」
 そのままシュート! ……はできずに、長い腕が伸びてきてカットされてしまった。そのボールを拾ったのはまたオレ。でもどうする? ドキドキする、こんなの初めてだ。一瞬で血が沸騰したような高揚感の底で、不思議と頭は冴えていた。でかいし反応もいい相手で、上は多分無理──って、ゴールを見上げながら相手の脚の間の地面にボールを弾ませくぐらせ、オレは回り込んでボールを拾ってジャンプシュート!
 バシッ!
「うわぁあっ!?」
 オレのジャンプより全然高い位置で、背後から伸びた腕にボールははたき落とされ、後ろから伸し掛かる体と縺れるようにオレの体もゴール下に崩れ落ちた。
「すまん、大丈夫か?」
 意外とオレは潰されないで済んでたが、それは相手が思っきし地面に手を突っ張ってたからだった。胸に抱えられる格好で、耳に掛かった息に驚いて体を縮めながら、顧みて睨みつける。
「なに謝ってんだよ、ただのファウルだろ」
 実際こんなの、大人の試合の映像でしか見たことないようなもんだったけど、だけど試合だったら多分ありえることで、それで謝られるっていうのが気に食わなかった。
 何歳なんだかわかんない顔が、じっとオレを見つめてる。
「な、なに……?」
 先に動いたら負けみたいな気がして、オレは対抗するように見つめ返した。いかにも男っぽい頬と顎の形をしてるけど、左目の下に泣きボクロがあるからきっと泣き虫って冷やかされてたと思う。そんなことを考えてるうち高い鼻先が擦り寄って、両の肩を大きな手で捕まえられて
「……」
「……!?」
 オレはそいつにキスをされていた。体がでかいから顔も口もでかくて、厚い唇がオレの唇を包むみたいに覆ってる。驚きすぎて固まってしまって、声も出なければ体を押し返すこともできなかった。ただ、むにむにとした柔らかい感触が、でかくて強そうな相手のイメージとは違って、なんかヘンな感じだなって思った。
 顔が離れて、恐いくらい真剣な目がこっちを見たとき、オレの口から出たのは拒絶でも怒りでもなかった。
「誰か来る」
 人の気配っていうか足音っていうか、そんなのを感じて口走ってた。相手も気づいたんだろう、慌てた様子でオレの手を引いてすぐ近くの林に走った。ためらいもせずについて行ったのは、どうしてだったろう。
 知らないおじさんについて行ったら危ないのは知ってるけど、こいつは年上だけどおじさんではないから、誘拐とかははないと思ったし。ちょっとだけバスケしただけだけど、どっちかといえば嫌いじゃないっていうか、その逆っていうか。
 小五にもなってキスの意味を知らないわけはなかった。『誰か来る』って言ったのは見られちゃ困ることをしてるって思ったからだし、だけどオレは、この先なにがあるのか、このあと自分がどうなってしまうのか、知りたくて仕方がなかったんだろう。
 好奇心とか、子供だったからとか、今だったらそう処理するんだろうけど、〝はじめて〟のドキドキはもうここから始まってて、中学時代の普通の男女交際では覆せなかったのも納得で。

 少し歩くとコテージに着いた。うちが借りてるとことは様子の違う、孤立してて、明らかに立派な感じの建物だ。
「ここに泊まってるんだ」
 鍵を開けてる、広い背中に続いて中に入る。やっぱり中も広いな、金持ちなのかなってきょろきょろしてると、「手を洗おう」ってお父さんみたいなことを言われた。確かに地面に手をついたりしたから、オレも手を洗うことにする。
 それから細かいことは忘れたけど、奥の部屋、ベッドがある部屋で背中から抱きしめられて、二人でベッドの上に崩れるように倒れ込んだ。
「わっ……!?」
 熱い。ゴール下で倒れたときとは違う、完全に密着した体がすごく熱くて、どくん、どくん、相手の鼓動が伝わってくる。
 体に回された腕も手首もがっしりと太くて、力強さは感じるけど乱暴な感じはしなかった。無理やり落ち着かせようとしてるみたいな、不自然な息が後ろから耳をくすぐってる。
「なに……?」
 そう言っただけで、抵抗はしなかった。嫌じゃなかったんだ。細かいこと知らなくても、全く想像できないわけでもなくて──待ってたんだと思う。
 大きな手がシャツの裾から入り込んで、腹を撫でながら胸まで登ってくる。シャツがめくれ上がったところから見える、自分の腹の色に対してそいつの手は随分色黒で、未知のものに触られてる感じにぞわぞわドキドキして、体じゅうからジワッと汗が噴き出した。相手のほうも、ごく珍しいものの形を確かめるみたいにオレの腹を撫でてる。後ろで溜め息が聞こえた。少し硬い指先が乳首を掠めて、思わず声が出た。
「ぁっ…」
 最初のそれは反射的なものだったと思う。だけど指先が調子に乗ったみたいに乳首を摘んで弄り回すうち、オレも(これは気持ちいいってことなんだ)ってわかりはじめて……自分が勃起してることに気づいたのと、どっちが先だったか忘れたけど、とにかく気持ちよくなって、されるままになってた。
「あっ、んっ…」
 太腿の後ろに硬いものが当たってて、相手の勃起なんだろうかって思ったらちょっとこわくなって、でもそれ以上にものすごく興奮した。触ったら怒られるかな、なんて思ってたらハーフパンツと下着を一緒に下ろされて尻を直接撫でられた。
「はっ…ぅ、んんっ…」
 太腿から尻に、指先を肌に埋めながら何度も行き来させて撫でたり、尻の肉を揉んだり。自分じゃなんともないのに、そいつに触られるとすごく感じて、オレは堪らずもぞもぞ身をよじった。尻を触ってないほうの腕はオレの胸をがっしり抱いてて、それ以上の抵抗はできない。
「柔らかい……」
 うっとりしてる感じで囁かれて、全身が総毛立った。あぁ、オレこれからこの人とセックスするのかなって、空気に晒されたちんちんが反応してピクピクしていた。
「はっ…」
 見越したみたいに、ていうか多分後ろから見えてると思うけど、大きな手がオレの股間に伸びて、覆い包むみたいにゆるく握った。それだけで思い切り体がビクッてなって、恥ずかしくて一気に顔が熱くなった。感じたってより驚いたんだと思う。
 胸に回ってる腕の力が強くなって、後ろから頬を摺り寄せられて、体を縛るみたいに抱き締められる。そう強いもんじゃないが相手の体臭っていうか、自分じゃないもののニオイと熱に包まれて頭がくらくらした。酔っ払ったらこんな感じなのかな。
 大胆っぽいくせに手の中のモノには弱く、軽くしか触ってこないのがもどかしくて、オレは腕の中で思い切り体をよじった。腕の力が緩んで、オレは相手と向き合う格好になる。大人びた顔が驚いたみたいに目を丸くして、それから優しそうに、やらしそうに目を細めて近づいてきた。キスするんだ、って思ってオレも目を閉じた。
 外でしたのとは違って、ちゅって音を立てて吸われたり、舌を入れられたりして、それ自体が気持ちいいのかどうかはよくわかんなかったけど、オレはきっと特別なことをしてるって思って興奮しながら、にゅるにゅる動く舌を夢中で舐めてた。
 そうして抱き合いながら、自分がされたみたいに、相手のシャツの下から手を突っ込んで腹に触ってみる。
「すご……」
 硬い腹に筋肉のでこぼこを感じて、思わず声に出てしまった。多分線を描いたらマンガみたいな形になるんだろう。
「ん?」
「筋肉、すごい」
「そうか?」
 相手は嬉しそうにして、体を起こすとシャツを脱ぎ捨てた。筋肉を見せるためだろうけど、オレの目は裸の上半身より、下半身にできてる小山に釘付けになってしまった。オレが勃ってるんだから相手も同じなんだろうけど、だけどそれは異様にでかく見えた。体がでかいんだからそのぶんなんだろうけど、それにしてもだ。
 視線に気づいたのか、褐色の手がハーフパンツをずり下ろすと、その下に隠されていたものがボロンとこぼれるように顔を出した。
「ひっ」
 重そうに首をもたげる勃起ちんぽはでっかくて大人みたいで、っていうかオレはちゃんと大人の勃起を見たことなかったと思うけど、毛も濃かったし、とにかくオレとは違ってて圧倒されてしまった。地黒らしく、ソレも色黒なのが余計にものものしさを増してる。
「嫌になったか?」
 オレは咄嗟に首を横に振っていた。驚いたし、全く戸惑いがないわけじゃないけど、そいつの手がそれをさする動きがすごくエロくて、興味と期待は俄然高まってた。
「ならよかった」
 相手は安心したように笑うとオレの口にキスをして、起こしてた体をもう一度二人してベッドに沈める。首筋をべろべろ舐められると、気持ちいいのかくすぐったいのかよくわかんなくて、笑いの混じった高い声が出た。
「ふぁっ、あぁんっ…♡」
 シャツをたくし上げられ、正面から乳首をしゃぶられる。顔がそこにあるのも、舌がチロチロ動いてるのも恥ずかしくて堪んなくて思い切り顔を背けた。もう片方は、おっぱいないのに手の全体を使って胸を揉まれてる。
「あんっ、あっ、あぁっ…」
 ぴちゃぴちゃ、ちゅぱちゅぱやらしい音を立ててねぶられ、手指で押し潰され捏ね回されて、乳首で感じながら、ちんぽも熱くてジンジンしてる。オレってヘンタイなんだろうか。
「気持ちいい?」
 問われて顔を見ると、赤らんで丸く、大きくなった気がする乳首が視界に入ってものすごく恥ずかしい。
「わ、わかんにゃい……」
「じゃあこっちか?」
 相手は言って、オレのちんぽを握った。
「ひゃっ」
「すごい、トロトロだ」
「あっ、ぅ、だってっ、あんっ!」
 指先に、先走りの汁が糸を引いたのが見えた。それに、濡れてるせいでめちゃくちゃ感じてしまう。
「おいしそうだな」
「なにっ…ぁんっ、あっ、やぁっ…んっ!」
 厚い唇が楽しげに歪んでオレのちんぽを咥え込んだ。そんなの気持ちいいに決まってる。吸ったり、横に舌を絡めたり、先っぽをべろべろ舐めたり。
「ぅあっ、んんっ、あっあぁっ…!」
 脚を開かされた恥ずかしい格好でやりたい放題されながら、でも自分の思い通りってわけでもないもどかしさもあって、オレは思わず浮かせた腰を揺らしていた。
 派手な音を立てて、不意に唇が離れる。先っぽと厚い唇の間にぬろっと粘液が糸を引いてものすごくやらしい。
「気持ちいい? わかんない?」
 わかってるくせに、意地悪するつもりなんだろうか。でも、この状況で恥ずかしがることなんてもうないだろう。
「きもちい、もっとして…」
「ああ……」
 相手は溜め息混じりに呟いて、少し間を置いて続けた。
「舐めっこしようか」
 シックスナインってことだろう、エロい漫画で見たことあるから知ってる。本当にあるんだ、クラスでしたことあるやついるかな。
 ハーフパンツと下着を脱ぎ捨て、促される通り相手の顔を跨いで、その腰にそびえ立つものに向き合った。上も下も恥ずかしいなんて、大人ってド変態だな。
「ぅあっ…!」
 待ち構えてたみたいにしゃぶりつかれて、思わず声が出た。義務感に駆られるように目の前のものを口に押し込むと、汗っていうか体臭っていうかそれなりのにおいがしたけど、いかにもって感じでむしろ興奮した。でっかくて全然口に入りきらないそれの根っこを支えて、口の中で舌を使って先っぽを撫で回すと、股の下で低い呻き声が聞こえた。相手も感じてるってことが嬉しくて、オレは夢中でそれを舐め回した。
「んむっ、んぅ…んんっ……あぁっ!?」
 ちんぽだけで気持ちいいのに、相手は太腿とか尻を揉んでくるのがずるい。そのうち玉とか尻の穴まで触られて、それがまた気持ちよくて、オレは途中からただ相手のモノに唇を寄せるだけになって喘いでた。
「ぁはっ、ぅ、あんっ、あぁっ、だめっ…!」
 いきそうになって、オレは思い切り腰を引いて相手の上から体をどけた。
「なにがだめだった?」
「だって……」
 舐めっこなのに、オレだけ先にいったらだめだと思ったんだけど。でもオレのほうが子供だから、向こうは対等に思ってないかもしれない。そう考えたらなんも言えなくなってしまった。優しい顔が、オレを覗き込んで笑う。
「やっぱり、顔が見えてるほうがいいよな」
「……うん」
 なんか、なんだかすごく、なんだろう。よくわかんないけど、体を起こしてた相手の逞しい首に思い切り抱きついてしまった。
「ねえ」
「なに?」
「……なんでもない」
 唇に、体じゅうにキスをしながら、肌を合わせて、二人の体温を同じにするみたいに撫で合った。
「あのね」
「うん?」
「……」
 肉の色の透けてる、感じるところを摺り寄せて、互いの体液を混ぜ合わせ、泡立てて。いけない遊びに没頭しながら、あいつもオレと同じだったかな。
「ね。一緒にいこ」
「ああ……」

(ねえ、あのね、……好きだよ。)

「おい、起きろ」
 体を揺すられて、コソコソ声で起こされた。ことが済んだあと、ベッドの上でだらだらしてるうちに眠ってたみたいだ。相手は慌てた様子で服を着込んでて、ドアの外、多分コテージの玄関のほうで話し声が聞こえてる。少しして、大人の女の人の張り上げた声がした。
「紳一? 誰か来てるの?」
 家の人が戻ってきたんだろう。オレも急いで服を着る。そうしてるうちに、着替えを終えた相手は部屋から出て行ったみたいだ。シャツを被ってる間に、部屋のドアが開いて閉まる音がしてた。
 着替えたオレは働かない頭のまま、白いカーテンの揺れる大きな窓から外に逃げ出した。靴は玄関だから、裸足っていうか靴下のままだ。今思えば、服を着たんなら別に普通に友達のフリしてあの部屋にいればよかったんだ。だけどあのときは大人がいない間に上がりこんで、知られちゃいけないことをしてたっていう意識が強かったから、姿を見られちゃいけないって思った。
 帰ったら当然怒られたし呆れられたし、連れ去りに遭ってたのかとか、変態に靴だけ盗まれたのかとか変な心配までされてしまった。
 次の日の午後、一人であのコテージに行ったらオレの靴が玄関先に出してあって、中にはもう誰もいないみたいだった。帰ってしまったんだろう。
 旅先で、どこの誰かも知らない上級生とセックスしてしまった──もう少しして男同士でもその先もできるって知るまでそう思ってたから、それがオレの実感の中での初体験だ。

 透明な日差しの下、緑の狭間に淡い人影が見えた。忘れ去られたようなゴールの下に誰かいるなんて思わなかったから、幻かと疑ったくらいだ。
 近づいてみるともちろん幻なんかじゃなかったし、人がシュート練習してる風景なんて珍しくもなかったが、彼の纏う淡い色のせいか、いつもと違う環境のせいか、漠然と(綺麗だな)って思ってしばらく眺めていた。珍しい鳥でも見つけたような気分だったと思う。
 だがそれは鳥じゃない。男の子だ。光にふちどられて金色にも見える髪と、眩しいくらいに白い肌をしてる。顔は見えない。
 バスケをしてるってのと身長から、同い年くらいかもしれないと思ったのは単なる願望だったかもしれない。珍しい左利きと正確なシュートもあって俄然興味が湧いて、じき見てるだけじゃいられなくなった。

 綺麗な顔に浮かんだ強気な表情と言葉に、初めから好感は持ってたと思う。それは友達に向けるものでしかなくて、仕掛けたときには不埒な思いなんて全くなかったはずだったんだが──ゴール下でバランスを崩したとき、つかまえた体から甘い香りが漂った。そこからだ。
 胸にすっぽりおさまっちまうくらいの肩幅と、振り返ったときの噛みつくような表情、それから至近距離で改めて観察した造形。色素の薄い、長いまつ毛は華やかなのに清楚で、それに飾られた大きな瞳には力があった。引き結んだ唇はそこはかとない意志の強さを感じさせた。こんなにかわいい子がこの世にいるのか、妖精かなんかじゃないのかって思った。しかもバスケが好きだなんて、なんて運命的だ!
 恋に落ちるのは簡単だった。好きだと感じた、その衝動のままキスをした。拒絶はなかった。生々しい期待が膨らんでいく。
「誰か来る」
 俺は細い手首を掴んで、二人で森に身を隠すように駆け込んだ。誰かに見られたら奪われてしまうような気がした。明日には東京に帰る、もう二度と会えないかもしれない、まだ一緒にいたいんだ──思考ってより、それも衝動だったと思う。
 自分の泊まってるコテージに連れてったのは、そこに今誰もいないと知ってたからだが、下心があったからじゃないと思う。多分。おやつでも食べながら話をしようと思ってたはずだ。
 だが無理だった。
 柔らかな髪が、ミルク色の肌が、なにも知らないふりをした、見透かすような視線が。全部が俺を誘ってた。触れたい。頭で知るより体で感じたい。
 きれいだ、かわいい、好きだ。勝気なところも、甘える声も拗ねた顔もきっと全部。言葉だけじゃ足りなかった。純粋な感情に生臭い欲求を孕んだ、あれはおとなになって初めての恋だった。

 あのとき確かに二人は通じ合ったはずなのに。
 夢か幻か、それこそ妖精の仕業だったかもしれない、そう思い込んで忘れたはずだった邂逅は、しかし五年後にもう一度訪れた。

 東京から神奈川の海南大附属高校に進んだ理由には、バスケと海と、親元を離れてみたかったことと、まあいろいろあった。だがまさか、こんな巡り合わせがあっていいんだろうか。
 深緑のブレザーに、チームのカラーも緑。その時点で胸騒ぎはしてた。そして体育館で一目見て気づいた。彼も同じだったみたいだ。さらさらとした前髪の下で、長いまつ毛にふちどられた、大きな瞳がこぼれ落ちそうに見開かれてこっちを見てる。左手にはバスケットボールが抱えられていた。
「藤真、なんだ、知り合いか?」
「知るわけねーだろっ、あんなやつ!」
 藤真と呼ばれた彼は、顔を真っ赤にして体育倉庫に引っ込んで行ってしまった。忘れたわけでも、まして人違いでもないだろう。
 だが俺は後を追えなかった。他校だから遠慮したってわけじゃない。俺にとって儚く美しい出来事だったそれは、彼にとっては忘れたいあやまちだったのかもしれない。無理矢理に掘り返すことなんてできなかった。

 恋も運命も終わった。
 大きく開かれた窓に白いカーテンが揺れて、ベッドに注ぐ透明な日差しがミルク色の肌と栗色の髪を明るく際立たせる。よく眠れるもんだなと、俺は扇型に閉じたままの長いまつ毛を飽きもせずに眺めていた。
 この避暑地の別荘で、藤真と一緒に過ごすのはもう何度目になるだろう。

その表情カオの理由を教えて 5

5.

 幕切れは呆気ないものだった。
「公園でシュート練習してるうちに思いだしたんだ。今のは違う、もうちょっとこう……とかやってるうちに、あれ? 思い出してるじゃん! って」
 高校に入ってからはバスケットボール漬けの生活を送っていた。それが彼らの日常だったし、藤真も含む一部の部員にとっては勉強以上のウェイトを占めるものになっていた。
 藤真が記憶を取り戻すために必要なのはバスケットボールなのではないかと、誰もが想像しただろうし、自身でも察しはついていた。だから逃げた。そして花形も牧も、おそらく仙道もそれを許した。優しく閉じた世界での、ひとときの休息だった。
 部員たちが練習に出て行き二人だけが残った部室の中で、花形は躊躇しつつも切り出した。
「事故の日、なんであんなところにいたんだ?」
「あんなとこって?」
「事故に遭ったところ。お前の家から遠くはないが、まっすぐ帰ったら通らない道だ」
 冬休みに入り、部活動の時間が長くなると、藤真はときおりひどく疲れた様子を見せた。監督とはいうものの自らもきっちりとトレーニングメニューをこなしていたし、空き時間には指導関係の本を読んでいた。気丈な風にしていても、心労もあったと思う。
 あの日も藤真は調子がよくない様子だった。練習が終わったあと、後片付けや日誌の記入を請け負って藤真を一人先に帰らせたのは花形の提案だった。そして藤真は事故に遭った。花形は自らの判断を呪った。藤真が戻るまでずっと、自責の念に駆られていた。
「内緒の話」
 藤真は唇の前に人差し指を立てる。愛らしい仕草だが、花形にとっては見慣れたものでもある。
「ああ」
「あそこの近くの公園って、バスケのゴールがあって、よく小学生の、低学年くらいの子供たちが遊んでるんだ。ルールとかめちゃくちゃなんだけど、楽しそうにさ。それ見てると、あーバスケって楽しいんだよなって、思い出すっていうか、元気が出るっていうか」
 花形は続きを促すように、黙って頷いた。
「たまにしんどいときとか、眺めに行ってて。家が近いんだろうけど、結構夜まで遊んでるんだよな。……ま、あの日はちょっとだけ早めだったけど」
 寒かろうが暗かろうが遊びに夢中の子供たちには関係ないようで、その日も地面にボールをつく音と、賑やかな声が聞こえていた。
「多分さ、好きなもんでも毎日全部の料理に入ってたら嫌いになるみたいな、そのくらいのことだったと思うんだ」
 疲れていた。一生徒の分際でベストを尽くせたとして、果たして報われるのかと疑問が湧いた。そも報いとはなにか、自分はどこへ行きたいのか、よくわからなくなっていた。
「で公園の近くまできたら、いきなり車が出てきて。避けようとしたのは覚えてるんだけど、多分それで電柱か塀かなんかに頭ぶつけたんだろうな」
「そこはお前に過失はないわけだな」
「ない! もうさ、今度まじでお祓い行こうぜ、夏からちょっとおかしいから」
「俺もか?」
「だって、お前が帰れって言わなかったらオレは事故に遭わなかった」
 堂々とそう言い放たれると、花形には返す言葉がなかった。うなだれたところで思い切り背中を叩かれ、思わず噎せる。
「ウソウソ、お前には感謝してるって! んじゃ行くか」
 少し長くなった冬休みを終えて、新学期とともに翔陽バスケ部にもようやく日常が戻る。「打倒・海南!!」ランニングの列に、次期部長兼監督の掛け声が加わった。

 夜の街の人工の光が、あどけなさの残る頬のなだらかな曲線をなぞる。大人びた鼻先は暖を求めるように擦り寄って、乾いた二つの唇の間に湿度を生んだ。
 些細な物音に弾かれたように顔を離したが、寒さを理由にして再び寄り添い指を絡めた。
 密やかな逢瀬に青い衝動をひそめて、新しい二人の日常がはじまる。

〈了〉

その表情カオの理由を教えて 4

4.

 冬晴れの昼下がり。陽射しは明るく藍色の海も穏やかな、のどかな景色が続く。しかし、その堤防沿いを歩く藤真は自らの判断を激しく後悔していた。
(くっそ寒い! 家の近くより明らかに寒い!!)
 制服のジャケットの代わりにニットのカーディガンを着てコートを羽織り、肩には部活用のバッグという格好で、歩いているうちに暖かくなるだろうと思っていたのだが──天気がよくとも海沿いは風があって冷えるのだと、身に沁みて覚えなおしながら、胸の前で腕を抱えた。
 昨日の夜、牧のマンションから自宅に帰ったあと、花形から電話があって少し話をした。体が痛いわけではないが部活には行かない、明日(今日のことだ)の朝は迎えに来るなと伝えると、花形は『待ってる』とだけ言って電話を切った。
(素直なもんだな、優等生くんは。さて、どこ行こう……)
 今日は昼過ぎまで寝て、昼食をとると半ば追い出されるように家を出た。服装こそ部活に行く風にしたものの、もちろんそんな気はない。このまま近所をうろついていれば家族に見つかるかもしれないし、知らないご近所さんに出会ってしまうのも面倒だ。翔陽の近辺も危険。かといって、土地勘を失っているのに何も考えずに歩き回るわけにもいかない。
(迷子とか、一番最悪だからな)
 幸い、花形から貰った手帳サイズの地図帳がある。目印がなくわかりづらいような場所に入り込まなければ、帰れなくなることはないだろう。賑やかなところに行きたい気分ではなかったので、大型商業施設以外でわかりやすい場所、と考えて海が頭に浮かんだのは、牧がサーファーだと昨日聞いたせいだと思う。冬の海に面白いものがあるとも思えなかったが、夜まで時間が潰せればいいだけだ、散歩をしているうちに興味を引く店も見つかるだろう──そうしてこの堤防沿いの道をひとり歩いているのだが、運がいいのか悪いのか、藤真は再び自らの判断を疑う事象に遭遇する。
「……!」
 向かいから、髪を逆立てた長身の男が歩いてくる。髪型や顔というよりは、体つきからそれとなく察してしまった。
(なんか、やな予感が……)
 男はこちらに気づくと一瞬驚いた顔をしたあと、のんびりした調子で軽く手を上げて笑った。
「あれー? 藤真さんじゃないですか」
(や、やっぱり? なんでこんなとこで知り合いに会うんだよ……)
 なぜならここはこの男の散歩と釣りのルートのひとつだからだ。大股で小走りに近寄ってきた男の全身を、藤真は視線だけ上下させて観察する。身長は一九〇センチほどだろうが、髪型のせいでより大きく見える。眉も目も垂れていて、温和そうには見えるが、腹に一物ありそうにも思える。一度は忘れたものの、人の顔と名前を一致させるのは得意なようで、名前はすぐに出てきた。
「せんどう……」
 陵南高校の一年で、花形曰く『よくわからんが藤真になついている』とのことだ。
「珍しいですね、サボりなんて」
「この格好のどこがサボりだっていうんだよ」
「いや、この時間にその格好でこんなとこにいるのがサボりかと……」
 部活の最中に用事で抜け出してきたのなら制服姿は不自然だし、練習試合などのための移動ならば藤真ひとりきりということはあり得ない。
「いろいろあんだよ、オレだって」
 道もわからないし、時間を潰すためにひとりではないほうがいいのだが、本当に色々ある真っ最中で、この男が信用するに足るものなのかはわからない。一年ならば雑に扱うくらいが自然だろうと考え、仙道の横を無愛想に素通りして歩を進めた。仙道は慌てる様子もなくあとに続く。
「怪我、もう大丈夫なんですか?」
「ケガ?」
「交通事故の怪我」
「んなもんほとんどねえよ。ってか、他校にまで知れ渡ってるのか? 事故のこと」
 牧にいたっては部活に出ている情報まで得ていた。一体自分のプライバシーはどうなっているのだろう。
「知れ渡ってるってわけじゃないです。翔陽の一年に友達がいるって、前言いませんでしたっけ」
「そうだっけ」
 覚えていなくても不自然ではない程度の情報だろう。藤真は軽く返し、仙道のほうを振り返りもせずに歩き続ける。
(んーむ……)
 仙道は眉を八の字にして、口もとに形ばかりの笑みを浮かべた。実は事故の怪我を引きずっていて部活に出られる状態ではない──という可能性は簡単に想像できるが、まっすぐそこに突っ込むほど無神経ではないつもりだ。しかし、この珍しい邂逅を見す見すふいにするほどストイックでもない。ステップを踏むように何歩か大股で行くと、簡単に藤真に追いついて顔を覗き込む。
「どこ行くんですか? 藤真さん」
「内緒」
 言おうにも言えない。夜は牧と待ち合わせをしているが、それまでどうするか、どこに行くかなど決めてはいないのだ。
「……ついてくんなよ」
「たまたま俺もこっちに用事あるんですよ」
「ウソつけ! 今こっちからきたじゃねえか!」
「ぼうっとしながら歩いてたから、通り過ぎちゃったんです」
(なんだろうなーこいつ、うさんくせえ……)
 たまたま行き先が同じだけならば相手をする必要はあるまい。藤真は無言で歩き続ける。
「……藤真さんて結構、俺と似てるタイプだと思うんですよね。やってみたら割と飄々となんとかできちゃうってタイプ」
「そうかな」
「あ、別にがんばってないって意味じゃないですよ?」
「うん」
(まあ、少なくとも今のオレは特にがんばってはないわけだが)
「俺が比較的気楽なのはまあ、学校の違いですよね。あ、別に翔陽が悪いって話じゃないですよ」
「なんかお前、さっきからなにその言い回し」
「藤真さんのツッコミが厳しいんで、あらかじめ自分で突っ込んでおくクセがつきました」
「ふーん……」
(他校の割に接点あったってのは、結構仲よかったってことなんだろうか……)
 その考えの根拠となるのは牧の存在だったが、それだけでもない。自分の周囲には不届きなモブも跋扈していると花形から聞いたが、ならば人付き合いの相手は選んでいたと思う。花形が知らないうちに親しくなっていたというのならなおさらだ──と考えていると、不意に生理的な反射に襲われた。
「っくしゅん!」
 予期せぬ登場人物の追加に意識を逸らされていたものの、海沿いの寒さが失せたわけではないのだ。ぶるっと体を震わせて身をすくめるかたわらで、仙道は声を殺して笑っていた。
「……あんだよ」
「いや、かわいいくしゃみするなあって。男のくしゃみって、怒鳴ってるみたいなやついるじゃないですか? たまに」
「あー……」
 藤真は面白くなさそうに仙道を見たが、すぐに興味を失ったように正面を向いて鼻を啜った。そのあまりに素っ気ない態度に、仙道は目を瞬く。
「なんか今日の藤真さん、やっぱりヘンな感じ」
「そうかな?」
「うん。なんか、フワフワしてます」
「うーん……」
 藤真は短く唸ったのち、呆気なく決断を下した。
「内緒の話があるんだけど、聞きたい?」
「聞きたいですっ! なになに?」
 日ごろの先輩然とした振る舞いとは違った、幼い印象の提案に、仙道は嬉々として頭を横に傾ける。藤真は口の横に手を添え、子供のような仕草で耳打ちした。
「あのね、オレ、記憶喪失なんだ。事故でアタマ打って」
「……!? またまた、そんなぁ〜」
 冗談だろうと言わんばかりに手をひらひらさせると、藤真は不愉快そうに正面に向きなおり、歩いて行こうとする。慌てて二の腕を掴んだ。
「ほ、本当に?」
「そんなウソついてどうするっていうんだよ」
「だって俺のこと」
「界隈の人間のことは花形からなんとなく聞いてる」
(こいつには言わないほうがよかったのかな……)
 藤真は顔を曇らせる。仙道の目に、気丈に振る舞うイメージの強かった藤真のこの態度は、明確に異変として映っていた。
「そうだ! そんな状態の藤真さんをほっぽって、花形さんはなにしてるんですか」
「あいつはオレより部活のほうが大事だからな」
「……いや、そんなことないと思いますけどね?」
 愚問だったと思う。正式な監督を欠いている翔陽で、次期部長と副部長が揃って不在となってはさすがにほかの部員に示しがつかないだろう。かたわらで、藤真が大きく体を震わせた。
「っくしゅッ!! ……おい、いちいち笑うな」
「フフッ、すいません。どっか入ってお茶でもしていきませんか? 寒いですよね」
「うん。クソ寒い……」
 ガチガチと歯を鳴らして体を縮める藤真に妙に庇護欲を掻き立てられる、自分自身に困惑する。
(なんとなく危なっかしいのも、記憶がないせいなのか?)
 記憶喪失などにわかには信じがたいことだったが、今日の藤真に対して感じるそこはかとない違和感の正体は何かと考えると、腑に落ちるような気もした。

 今の藤真は知らない道だが、仙道にとってはよく知った道だ。道路を横断して少し行くと、小さな喫茶店に入った。そう混んではおらず、二人で四人掛けのテーブル席に座ることができた。
「おっ、藤真さん、今の時間はケーキセットが頼めますよ」
「いらねえよ。オレはコーヒーだな」
「でもおトクですよ? ほら見てくださいよ、コーヒー紅茶単品でこの値段なのに、ケーキをつけてもこう」
(オレ、ケーキが好きだったから勧められてるとか?)
 テーブルに置かれた別紙のメニューをしきりにアピールされるうち、そんな気分になってきた。
「ほんとだ。じゃあケーキセットにしよ」
 仙道は頷くと、ちょうど近くに来た店員に軽く手を挙げる。
「ケーキとコーヒーのセットを一つと、コーヒー単品で一つ」
 にこやかに店員を見送った仙道とは対象的に、藤真は不満げに目を据わらせた。
「お前はケーキ頼まねえのかよ」
 同じものを頼むのかと思っていたから、なんとなく騙されたような気がして面白くない。
「怒んないでくださいよ。久々のデートなのに」
「は?」
 仙道はため息をつき、悲しげな視線をテーブルの上に落とした。
「やっぱり、それも覚えてないんですよね。俺たちって実は……いや、ここではやめとこうかな」
 自嘲気味に笑った男に対し、藤真は鼻で笑い返す。
「人づてに交通事故って聞いて、偶然会うまで放置って? そんなん絶対付き合ってねーし、億が一付き合ってても冷めきってるだろ」
 迷いもせずに言い返してきた藤真に、仙道は目を瞬く。
「なんだ、意外としっかりしてるんですね。知らないおじさんについて行ったりしなそうで安心しました」
 日ごろとは異なる可愛らしい反応を示すことに、多少の期待はあったのだが、根は藤真ということだろうか。
「自分と周りのこと覚えてないってだけで、あとは別にマトモだし」
「いや記憶失っててマトモなわけないですから! ほんと気をつけてくださいよ、なんか今日藤真さんかわいいんで!」
「えー?」
 そうかな、自分だとよくわかんないけど、など言いつつ首を傾げているところにケーキが運ばれてくると、反射的なものなのか愛想よく微笑する。そこらの女子よりよほど美少女に見える、目の前の光景に男子高校生の概念を崩されて、仙道は額に指を当てた。
「……いつまで外ぶらついてる気なんです? 夜はちゃんとおウチ帰るんですよね?」
 ケーキをひとくち、口に運んだフォークを咥えたままで、桜色の唇が綻ぶように愛らしい曲線を描く。
「夜は牧と会うんだ」
「はい???」
 理解を阻害するのは視覚だ。藤真は愛想笑いなどではなく、本当に嬉しそうに、そして照れたように目を伏せて微笑している。長い睫毛が影を落とす、秘密を孕んだ可憐な表情は、まるで恋する乙女だった。
「海南の牧、知らない?」
「そりゃあ知ってますけど。……てか神奈川の高校で真面目にバスケやってたらだいたい知ってると思いますし、ついでに藤真さんとソコソコ仲いいんだなってのもわかりますけど〜……」
 そこそことは言ったが、ふたりの間にあるものは執着だと思っている。ライバルなのか戦友なのか仲間なのか、最適な言葉の形までは考えたことがなかったが、少なくとも今藤真が浮かべた表情と合致するものではなかったと思う。
「なんだ、やっぱ仲よかったのか!」
「いやっ、」
(知ってるおじさんならいいって話じゃないんですよ!?)
 そう言いたいところを堪えた、仙道の口からはただ戸惑いだけが漏れる。
「ええっと、聞いちゃっていいのかな……」
 仙道が狼狽を表に出すことは非常に珍しいのだが、今の藤真がそれを知る由はない。
「夜に牧さんと会って、一体ナニを……」
「そんなこと、聞くなよう」
 藤真は白い頬をみるみる上気させ、困ったように、しかし思わせぶりに笑った。
(うっそ牧さん、記憶喪失のひと相手になんてことしちゃってるんだ……男のひとって、ケダモノなのね……)
 コートの上の姿のみではなく、日ごろの牧の穏やかな人となりを知っているからこそ、困惑してしまう。しかし、あくまで冗談のつもりではあったが、自分がデートだのと口にしたときは藤真は即座に否定していた。
(んー、俺が知らなかっただけで、ふたりはもともとそうだったってこと……?)

 嬉しかったんだ。
 昨日牧に体を触られながら『なにも覚えてないから初めてと同じだよ』って言ったら、牧は驚いたみたいに、照れたみたいに、でもすごく嬉しそうに笑った。こうなってから初めて誰かに褒められたような気分だった。
 バスケはしない、昔話を聞いてもなにも思いだせない、そう言ったとき、優しげな表情の下で筋肉が強張るのがわかった。牧の明らかな落胆を感じてた。ベッドの上で縺れてるうち、今のオレにも牧を喜ばせることができるってわかったら嬉しくて、なにされたっていいって思った。……結局昨日はセックスまではいかなくて、オレはなんだか拍子抜けしたような、安心したような気分で家に帰ったんだけど。
 今日は昼間は仙道と時間潰して、夜になって牧と駅で待ち合わせてメシ食って、牧の家に来たってところだ。
 玄関に上がると、だだっ広いダイニングキッチンの片隅に放置されてる黒いレジ袋の存在が妙に気になった。牧がトイレに入ってる隙に中を覗いて、オレは固まってしまった。
「藤真、どうした? ……!!」
 袋の中にはコンドームの箱とローションとイチジク浣腸が入ってて、オレの行動に気づいた牧はあからさまに動揺していた。
「そ、それはだな! 違うんだ!」
「なにが違うっていうんだよ」
 どうなってもいいって思ったのは本当だし、それがどういうことかってのもぼんやり知ってたけど、こうもあからさまなものを見てしまうとやっぱり戸惑う。
「備えあれば憂いなしっていうか……」
 つまり昨日しなかったのは備えがなかったからか、と納得してしまった。昨日の今日で明らかにやる気で買ってきたくせに、今否定しちゃってるのはなんなんだろう。やっぱりオレへの遠慮なんだろうか。牧の目が泳いでる。オレは少しだけ嘘をついた。
「いいよ、大丈夫。……そういうのも、興味あったし」

 本当は少しこわかった。痛いのが嫌ってことじゃなくて、誰にも知られちゃいけない犯罪をするみたいな……牧が昨日言ってた女顔コンプは覚えてないけど、元のオレが持ってた常識ってのは今も残ってるから、本能が拒否ってるのかもしれない。
 でもいいんだ。そんなのよりも、オレは牧と先に進みたい。牧の中で、昔のオレと比べられないようなものになんなきゃいけない。
 牧は鷹みたいな目でオレを見て、噛みつくようにキスをした。
(こわい……)
 オレは優しい牧しか知らない。それとも牧のこんな顔、お前(オレ)は見たことあった……?

 広い手のひらが、硬い指の皮膚が、厚い唇と舌が、しるしをつけるみたいにオレの体のいたるところに触れていく。湿った息が肌を撫でるだけで感じて、恥ずかしいくらい体が波打った。視界に入るふたりの肌の色の違いに、堪らなく興奮する。
 体温が高いのか、牧の体は熱くて、筋肉質な胸と腕に潰されるように抱かれると、熱をうつされたみたいにオレの体も一気に熱くなった。落ち着いてるようでいて働いてない頭で、牧はどういう気持ちで力を込めてるんだろうとか考えていた。
 太腿には勃起した牧のモノがしきりに押しつけられてて、威圧されてるような、急かされてるような気分でオレは、だけどそれを嬉しいって感じてた。昨日からずっとそうだ。牧がオレを求めてるっていう、それがカタチでわかるのが嬉しい。

 ベッドの上にうつぶせになって、膝をついて尻を掲げた、無様な格好を晒すことそのものに感じてるみたいに、体じゅうの敏感なところが疼いてる。
「あっ…!」
 冷たくて、ぬるりとした感触が尻の穴に触れた。少し硬い皮膚をした、牧の指だ。穴をほじくるようにして、じりじりと中に入ってくる。
「ぁ、んっ……」
 恥ずかしいのを気持ちいいって感じる性癖なのか、よくわかんないけどそこを触られるのは思いのほか気持ちよくて、普通にヘンな声が出てしまった。
「痛くないか?」
「うん。平気」
 意外と大丈夫だなって思ってたら「そうか。まだ小指だからな」って言われてちょっと気が遠くなった。

 牧は丁寧にそこを慣らしていった。
 尻の穴を剥き出しにして触られて、指を突っ込んで中を探られる。記憶がなくてもまともな行為じゃないのはわかってて、でも今は恐怖心よりひたすら〝いけないことをされてる〟実感に盛り上がってる。なんか絶対的なものに反抗してるって感じで……体に受ける感触とは別のところでイイ気分になってた。
「あぅっ、あ、んんっ……あっぁぁっ…!」
 ぐちゅぐちゅ音を立てて掻き回されながら前に触られると堪らなく気持ちよくて、中で感じてる気分になって頭の中までぐるぐる掻き混ぜられるみたいで──本来の目的を忘れてそれだけでイきそうになるのを、まるで見越してたみたいに寸止めされてしまった。
 牧はオレの背中に覆い被さって耳もとに囁いた。
「挿れていいか?」
 優しい風に聞いてきながら、すっかりでかくなったモノが尻に当たってる。ここまできてわざわざ聞くのかって思いながら、オレは声を絞り出した。
「いいよ、いれて……」
 後ろのほうで包装を破る音とゴムをつけてる音が聞こえて、忘れかけてた緊張とこわさが戻ってくる。尻の谷間にゴム越しのそれを擦りつけられてる時点で、もう圧倒されていた。
「っく、あ、あぁっ…!」
 棒なんかじゃなくて塊だった。ゴムを被った肉の塊。それをローションの滑りを使って押し込まれて、オレは快感とは呼べない感触に腕を噛んで声を殺した。
「うぐっ、うっ…」
 苦しくて、牧が腰を押しつけてくるたびに声が漏れた。喘ぎじゃなくて、潰したら鳴る子供のおもちゃみたいに、体の中の空気が押し出されるついでに声帯が揺れてるって感じだ。
「入ったぞ、藤真……」
 牧は静かな声で呟いて、大きな手で、ここに入ってるよってオレの腹を撫でた。灼けるみたいな腹の中とは全然違う、優しい感触だった。だからたぶん、これでいいんだと思う。

 後ろから抱えられて胸とか前とか弄られるうち、オレも苦しいばっかりじゃなくなっていた。痛みに慣れただけかもしれないけど、それよりもただ、牧のことが好きだって感じてた。
「ふじま…」
 ほとんど息だけで何度もオレを呼んで、ときどき耳とか肩とか弱く噛んできて、かわいいライオンの子供みたいって、よくわかんない妄想が頭に浮かんだ。
「好きだ、藤真……」
 言葉、感触、息遣い。苦痛のために快楽に浸りきれなかった意識も、牧のリズムに絡め取られ呑まれていく。

(結ばれてしまった……)
 体が痛い。脚の間もまだジンジン疼いてる。だけどすごく満たされた気分だ。幸せって言っていいと思う。隣でまったり横になってる牧の肩に頭を寄せる。
「まき」
「どうした?」
「……なんでもない」
 めちゃ鍛えてるなとか、肌は地黒なんだなとか、たぶんそれはいまさら藤真が言うべきことじゃないんだろうって、不意に気づいて言うのをやめた。幸せになったはずなのに、少し苦しい。
「好きだよ」
 だから事実がほしかった。セックスすればオレはお前の特別になって、昔のオレを上書きできるんじゃないかって、そんな気がしてた。
「ああ、俺もだ……」
 そう言って牧がキスをした、左のこめかみにはオレの知らない傷がある。夏の大会でやったってくらいは聞いてるけど、たぶん今のオレよりは牧のほうが詳しいと思う。
(別にさ、覚えなおせばいいだけじゃんか)
「牧。双璧の話をしてよ」
「双璧の話って?」
「うん。バスケの細かいこと言われてもわかんないけどさ、ふたりのできごとみたいなやつ。なんかあるんだろ」
 昔のオレについて話すとき、牧はすごく優しい顔してた。性的な意味かどうかはわかんなかったけど、オレのこと好きなんだってすぐわかるくらいに。オレも全然嫌な気がしなくて、それで仲よかったんだろうなって自然に思った。だけど他校のふたりが仲よくなるまでに、きっといろんなことがあったはずだ。
「……と言われても、そう特別なことはなかったと思うぞ。バスケに向き合えば自然とお前を意識することになったし、たぶんお前も同じだったと思う」
 はぐらかされた。
(どうして教えてくれないんだ)
 牧の中にあるオレの思い出をオレが全部呑み込めば、牧に寂しい顔させなくて済むと思うのに、牧はどうしてもそれを許してくれないみたいだ。

 翌朝、牧はアラームが鳴るより先に起きてたようだった。習慣ってやつか。あくびをしながら牧のベッドの中でもぞもぞしてると、笑われてしまった。
「すまん、起こしちまったな。まだ寝てていいぞ」
 オレは意地で起き上がった。昨日あれから帰るのがダルかったのと、牧もいいよって言ったからお泊まりしたものの、牧は今日も部活だ。
「パン食うか?」
「……いい。腹減ってない」
 なんも考えてなかったけど、迷惑だったかもしれない。実際腹は空いてなかったけど、ちょっとは遠慮もあって、オレは首を横に振った。
「じゃあ、腹減ったら冷蔵庫にあるもん勝手に食っていいからな。カップ麺もあるし……まあ、出前でも外食でもいいが」
 お父さんみたいだなって思ったけど言わなかった。オレは配慮するってことを覚えたんだ。
「そうだ、これ」
 牧の手から、鍵を一つ渡された。
「なに?」
「うちのスペアキーだ。外に出るときは鍵掛けてってくれ」
「ああ、うん……」
 当たり前のことで、必要だから渡されただけなんだろうけど、合鍵のイメージがあって照れくさい。さっさと身支度をして玄関に行ってしまう牧に、オレものそのそと続いて歩いた。
「あと一応ここに金置いてくから、適当に使ってくれ」
「いいってそんなの、オレだって一応あるし」
 聞こえてるくせに、牧は財布から札を何枚か取り出して靴入れの上に置いた。まあ、使わなきゃいいだけだ。
「じゃあ、いってくるな」
「はーい、いってら」
 靴を履いてこっちを見た牧に、ぎゅうと抱きついてキスをした。いってらっしゃいのキスだ。
「!! ……」
 牧は応えるみたいにオレを抱き返して、抱き返して──
「おい、はやく行け!」
 いつまでもそうしてるから、オレのほうから体を剥がして、家から追い出すみたいに背中を押して送り出してやった。

 二度寝して昼過ぎに起きて、キッチンにあったパンを齧りながらテレビをつけた。
(なんもやってねー。近くにレンタル屋があるらしいから、なんか借りてくるか)
 特別なものになったつもりでいても、牧はオレを置いて部活に行ってしまう。それを当然だって感じるのは、染み付いた記憶なのか、ここ数日で学習しなおしただけなのか。
(オレにだって、たぶんバスケしかなかったんだ)
 昨日も今日も、こうして無駄に時間を潰してるのがその証拠だと思う。
 ていうか、バスケに向き合ったらオレに向き合うって牧が言ってたの、適当にごまかされたんだと思ってたけど、ほとんどバスケ部ばっかりの生活してたら、ライバル校のやつとかそりゃ意識するようになるか……な? いまいち実感が湧かない。
 記憶が戻らないままでも、意外と困らないかもしれないとは未だに思ってる。今朝だって、いい感じに恋人みたいにできたと思うし──そうやって新しいものは積み上がっていくだろうけど、でも、昔のことは埋まらない。双璧は宝物って意味だって牧は言ってた。牧の宝物のことを、オレはずっと覚えてないままなんだ。

 夜、玄関で鍵の音がしてるのに気づいて、オレはドア前で待機していた。
「牧、おつかれ! おかえり!」
「藤真……! ただいま」
 牧は面食らって笑うと、抱きしめてキスをしてくれた。別にこれだけで充分なんじゃないかって揺らぎそうになるけど、でも決めたから、オレは俯いて牧の肩に顔を寄せた。
「牧。オレ、バスケの練習をしようと思うんだけど……付き合ってくれる?」
「!! ああ、もちろんだとも!」
 牧はオレの両肩をがっしり掴むと、いかにも体育会系な感じで揺らした。たぶん牧はすごく嬉しそうな顔してるんだろうって思ったから、体が離れるまでオレは顔を上げることができなかった。